
総合評価
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壮絶な生き方
命をかけて、神を信じているのに、報いの言葉をかけてはくれない。神は永遠に沈黙している。自分がロドリゴの立場だったら、ここまでがんばれるのか。ロドリゴの壮絶な生き方に感動した。
3投稿日: 2014.05.25
powered by ブクログマーティン・スコセッシによる映画化の話を聞いて読んでみる。一応傑作的な扱いらしいのだけど、残念ながら個人的にあまり心に響かず。なぜかロドリゴの苦悩にまったく共感することができず、正直読むのがしんどかった。多分こちらの心構えのせいだと思いたい。本は出会うタイミングも大事だな、とつくづく実感。
0投稿日: 2014.05.14
powered by ブクログ以下は、オペラ研究家の岸純信が「eぶらあぼ」に『沈黙』について記載している文章です。<遠藤周作の原作に対する欧州の評価は、カトリックの教義を論ずる人々の中ではかなり割れていますね。そういうところを西洋人は非常に厳しく捉え、曖昧にはしないのです。でも《沈黙》は日本が世界に誇れる普遍性を持っていると思います。>宗教を語るのは難しいし、信者か信者ではないかによっても見方はかわるので、あくまでも人間の生き方として本書から学べば良いのではないか。
0投稿日: 2014.05.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「なぜ神は沈黙しておられるのか?」 「なぜ虐げられる者、苦しんでいる者達を放っておかれるのか?」 祈りとは果たしてなんなのか。 死んでまで守り通す信仰に何の意味があるのか。 宗教について考えさせられます。 内なる葛藤を丁寧に描くところに遠藤周作の魅力があると思う。
0投稿日: 2014.04.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
勝手に難しい内容だと思い込んで、本棚で眠っていました。読んでみると無宗教の私にも時代物が苦手な私にも読みやすく、内容的にも納得行く部分が多々ありました。沈黙の意味が分かりました。
0投稿日: 2014.04.29
powered by ブクログ一生に一度は読むべき本だと思う。二度は読まなくて良いけど・・・。しかし、再読すればそれなりに気づきや再確認を得られるから有用だ。
0投稿日: 2014.04.15
powered by ブクログ神は沈黙していた訳ではなく、実は、神から何か言葉をもらうまでもない簡単な事だったのではないだろうか。
2投稿日: 2014.04.13
powered by ブクログ自分にとって宗教とは何なのか、神様って何なのか、という事を問い直すきっかけを与えてくれる作品。自分が信じていたものが足元から崩れていく感覚はこうも恐ろしいものなのか。
0投稿日: 2014.04.12
powered by ブクログ祈りは心を鎮めはしない。神は何故いつも黙っているのか。 無宗教な立場だからこそ、読む度に解釈が変化していく気がする。
0投稿日: 2014.03.28
powered by ブクログ司祭ロドリゴはキリシタン狩り激しい日本にきて、そして苦難の末に捕われの身となる。 目の前ではキリシタンが、「棄教せよ」と拷問されている。司祭はこのような惨たらしい現実に対して、どうして神は沈黙を守り行動を起こさないのかと問う。時の奉行は司祭が踏み絵をふめば、目の前の拷問は止められると言う。 その時司祭のとった行動は。。そして神は何をされたのか、、という話。 ロドリゴの心理的葛藤がこちらにも伝わり、心がじんじんとした。また、「信仰」について、天国と地獄へのハイANDロー的な裁き、すなわち実利的な側面からではなく、信仰は「精神的な寄り添い」であるとしたところには深く感動した。 遠藤周作はエッセイなんかをよむと、呑気なオジサンそのものだがこの暗く、内面をこすられるような小説は「単なるオッサン」でないことを見事に表している。 また、当時を生きていた無数の見窄らしく貧しい農民たちを思うに、今の世は少なからず昔よりは良くなっていて、この先も問題はあるだろうけれどこれからも更に更に、世界は良くなっていくのだろうと、本著のテーマとは外れるが感じた。
0投稿日: 2014.03.14
powered by ブクログ長崎旅行の前に一読。 信仰心、神の存在、背教の心理… 特定の宗教に対する信仰をもたない私にとって、実感の湧き難いテーマではあった。が、正義、善と悪、信念といったものに置き換えてみると、価値観のゆらぎに対し、どのように処するべきかという意味で考えさせられた。
0投稿日: 2014.03.14
powered by ブクログ[購入] 江戸時代、禁教令下の日本に潜入し布教を試みたポルトガル司祭を描いた「宗教小説」。 日本人信徒に加えられる苛烈な拷問や度重なる殉教に苦悩する司祭ロドリゴの心の動きと、沈黙を守る神、そして殉教や拷問が行われても何一つ変化のない日本の日常が鮮やかに描かれている。 キリスト教徒でない自分にとっては、禁教令の時代の様子や信徒の心情や燃えるような信仰心がどういったものか、学び知る良い機会になった。 大きな物語の動きはないのにどんどんと物語に引き込まれて行く著者の描き方に、あっという間に読み終えてしまった。他の作品も是非読んでみたい。
0投稿日: 2014.02.17
powered by ブクログ沈黙っていうタイトルの意味がわかったときは少し感動した。 司祭の葛藤のようすが臨場感溢れる形で伝わってきたなあ。 あと純客観とか文の書き方についても学べた。
0投稿日: 2014.02.15信仰と文化の狭間の苦悩
切支丹迫害時代の日本へ来た宣教師の話。 信仰が本当に人を救うのか、救われない現実を見たときに何を信じればいいのか。 一方、迫害する日本は日本の論理が垣間見えて、それは決して(当時の価値観では)悪ではない。 信仰と現実を痛烈に描いています。信仰の是非は言いようもありませんが、何らかの示唆は得られると思います。 その示唆は万人に喜ばれるものとも言い難いものではありますが。
3投稿日: 2014.02.12
powered by ブクログ後半部分の司祭の心の葛藤にぐんぐん引き込まれる。 読み返すほど深く新たに面白さを発見できそうな作品。
0投稿日: 2014.02.12
powered by ブクログ私の中ではとても上位にはいるぐらい心に痕を残した すべては最後のシーンのためにあるのでは、というぐらい最後の怒涛のシーンが私の中でドラマティックに、色彩がビビット、息が張り詰めるように、心にせまってきた 多分この時の鮮烈な印象がいまもまだひきづっている 好きな芸術様式がバロックになるぐらい影響うけてる。とてもバロック的な小説みたい。 キリスト者としての遠藤周作は悩み悩んでる姿が文体からにじんでくる。神はとなりに、ともに沈黙して涙を流してよりそってくれていた。という神の不作為に対する全面的肯定の裏に日本人としての自分とキリスト者としての自分の自己矛盾への苦しみがある
0投稿日: 2014.01.25沈黙する神を信じられるのか?
島原の乱をきっかけにキリシタン弾圧が激しくなった江戸時代。踏み絵を拒む農民たちは拷問をかけられ、死んでいく。その一方、信仰を広めようと来日したポルトガルの司祭は背教者となり、幕府より日本人名を授けられる。 それじゃ、キリストの前では拷問で死んだものが善で、ポルトガル司祭は悪なのか。そんな簡単に割り切れるものなのか。沈黙する神の前で、その答えは出ない。
4投稿日: 2014.01.12「神はいるのか?」
2010/03/21記録。 10年近く前に「深い河」を読んで以来の遠藤作品。 物語は、尊敬してやまない先輩司祭のフェレイラが、 島原の乱の後、切支丹への迫害がキツイ日本において、 棄教したという知らせがローマ教会に入ったところから 始まる。 ローマ教会にとってフェレイラの棄教は、 ヨーロッパ信仰の極東における敗北をも意味する。 主人公ロドリゴと同胞のガルペは、マカオ経由で 長崎に入り隠密行動の中で布教に務めるが やがて、囚われの身となる。そして、 奉行所が切支丹信徒へ容赦のない迫害を加えるのを 目の当たりにする。ロドリゴは神へ祈りを捧げるも。 神は沈黙を破らない。決して救いの手は差し伸ばされない。 まさに、「あなたは神を信じますか?」 「神はいるのか?」を命題にした内容。 前段は、なんとなくだるくてなかなか読み進まなかったが、 ロドリゴの心の葛藤がクライマックスになるにつれ、 カレの中の祈りとそこに含まれる疑念が渦巻く感じが素晴らしい。 個人的に「絶体神」という存在はいないものだと 思っているので、その点のロドリゴの苦悩に共感は しなかったが、極限状態に追い込まれた宣教師の苦悩の描写が 素晴らしかった。 最も興味深かったのは、フェレイラのいう、 「日本には、キリスト教が根付かない。 彼らは、神の存在を自分達の手でねじ曲げてしまい、 大日と同じようなものにしてしまう。 キリスト教にとって日本は沼地。根はいずれ腐っていく。」 という内容。どういう事なのだろう。。。 Wikiを読む限り、このあたりが遠藤周作がノーベル文学賞候補と なりながらも選考員から嫌われた理由なのだろうか。。。 疑問は尽きないが、とりあえず読了。
6投稿日: 2013.12.26
powered by ブクログどーしても自分はプロテスタントである故に、ところどころで「ん~、そーかなぁ??」と引っ掛りつつも、一気読みしちゃったりして(笑) 解説にもありましたが、ドラマティックな展開で「大航海時代」の世界観も味わえます。 聖書を読んでいれば、歴史小説から一歩踏み込んだ奥深い何かも味わえるでしょー。 とはいえ、ボクぁ主人公である司祭よりも何とも憎めないキャラクターのキチジローが気に入りました。とゆーか、キチジローがいてこその小説かと(笑)
0投稿日: 2013.12.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
■『沈黙』 遠藤周作著 新潮文庫 【前編7 キリスト論】 日本随一のカトリック作家、遠藤周作の出世作にして、カトリック文学の最高峰。原理の資料としては、キリスト論に分類しましたが、もう少し足を伸ばしながら広範な接触があると思います。 日本という国は世界のキリスト教歴史から見ても稀有な存在です。江戸時代のキリシタン迫害の時代がそれです。初代クリスチャンはローマ帝国の元で信仰が理由となり迫害を受けていた、というのは事実でありますが、それは何十年も続くものではなかったのも事実です。ローマ帝国の政治のあり方の基本が寛容であったので、確かにクリスチャンは異様な存在でありましたが、命を奪うまでの迫害が起こったのは、ネロの時代と、ディオクレティアヌスの時代だけで、それも数年で終わっています。そう言う面から考えてみると、信仰をもっているだけで命を奪われた江戸時代の260年間というのは、世界のキリスト教の歴史の中でも特別なものだったのです。 『沈黙』の背景は、そんなキリスト教禁制が布かれてすぐ、家光の国政の時代にあたります。ポルトガルから密入国をした司教のロドリゴは、殉教も辞さない使命感をもって、まだ点在するキリシタンに秘蹟を与えるため、姿を隠しわたり歩きます。カトリックにおいて救いが持続されるためには、聖餐や告解等の秘蹟を、神が定めたもの、つまり司教を通じて行わなければならない伝統があります。だから、いくら個人で神を、キリストを信じると言っても、司祭によって秘蹟を与えられない限りは、神とのつながりは途絶えてしまうのがカトリックの信仰なんです。 そう言う理由で、日本には自前の司祭がいないので、宣教師たちが日本人信徒のために入国しなければならないわけですが、キリシタン禁制のため見つかれば死ぬか棄教かを選ばなければならなくなるわけですから、それは深刻な問題でした。ロドリゴはそんな隠れキリシタンのために部落を点々とし、秘蹟を授けて行くわけですが、ついには捕まってしまいます。引かれていきながら、そばで信仰のゆえに死んでいく信徒たちを目の当たりにしていきます。役人は、ロドリゴに呟くんですね。お前が異教の教えなんぞ、引き入れなければこのモノたちは死ぬことはなかった。その教えが正しいとかどうだとかいうわけじゃない、ただこの国においてはダメなんだ、それをよその国からわざわざ入り、人々に死の種をまく。それをどう思う。こんなことをつぶやかれるわけです。イエスの愛に打たれ、その教えが世界を救うと確信し、自らの生涯もなげうち宣教の道を進んだと信じていたけれど、自分がしたことは、罪のない純粋な者たちを死の道に追いやることだったのか、と思いが入り乱れます。 そんな中で自身も拷問を受けます。心は変わらないでもいい、転ぶと一言いい、イエスの顔に足をかければそれだけで命は助かるのだ、と優しく諭す役人の言葉がロドリゴを揺さぶります。もう命などおしくない、ただ自分が信じ行ってきたことが無意味なことだったのか。力をなくし、自分が自分でなくなるような境で、踏み絵のイエスを見下ろしました。そのイエスの顔は、私を踏みなさいと言っていた。摩滅した、何百という人の足の下に敷かれ、磨り減ったイエスの顔は、私を踏みなさい、そして生きなさいと言っていました。そしてロドリゴはイエスの顔に足をかけます。 ロドリゴが転んだというニュースはすぐにローマにも届くでしょう。日本人として妻をめとり子を持って、日本の名を名乗り、余生を過ごすことになったロドリゴ。しかし周りはどう思おうとも、私はクリスチャンであるとロドリゴは心に思います。イエスの顔は踏めといった、だから私は踏んだのだと、新しい信仰の道に一人進む決意をして終わります。 遠藤はこの作品において、母なる神の姿を表そうとしました。クリスチャンとしてフランスにわたり、現地のキリスト教に触れるけれどなじまない。許しとは愛とはどういうものなのか、遠藤は思い悩みます。それは自身の弱さとも直面した生活でもあったからです。そして遠藤にとって日本人であり、クリスチャンであるという異質な二つの属性をもつものとして、その解決に文学を通して挑みました。そのなかでたどり着いたのが、母なる神、という答えです。今までのキリスト教は愛も許しも説いたけれど、キリストを裏切ったユダを赦すことはできなかった。本当のイエスはそうであったというわけではなく、キリスト教の歴史がそうであったということです。しかしそのキリスト教が日本に入ったけれど、根付かなかった。その解決を、母の愛、全面的な赦しを与えるキリストを描くことで得ようとしたわけです。 日本はキリスト教国ではありませんが、遠藤が表したこのキリストの姿は非クリスチャンの多くの読者の共感を勝ち得ました。信仰の壁なく愛される遠藤の作品は、彼の表した新しいキリストの側面の深みを伝えてくれます。世界的にも知られた作品がこの『沈黙』です。神学大生はこの作品はもちろん、遠藤の宗教著作をぜひ読んでください。そして信仰について、人生について色々と考えて欲しいと思っています。
1投稿日: 2013.12.23
powered by ブクログ心の葛藤をよく表しているのに、最後までくどくなくストンと心に落ちた。 信仰とは、かくも苦しいものであり、「日本は沼地である」という言葉がじわじわ染みる。
0投稿日: 2013.12.23
powered by ブクログこれを読んだのは十数年ぶりで3度目。 キリスト教が禁教だった時代に長崎にやってきた司祭の物語(実在のモデルがあるそうです)。救いのない、重い話です。 主人公のロドリゴは、同じく司祭のガルペと共に、司祭や信徒たちがおそろしいやり方で弾圧されていることを知ったうえで長崎にやってきます。理想と使命感に燃えていた彼も、心を通わせた信徒の殉教を目の当たりにし(電車で読んだモキチとイチゾウの殉教の場面では、人目もはばからず涙が出てしまいました)、神の沈黙にやりきれなさを感じ始めます。殉教を晴れがましく輝かしいことととらえていたことを、実態を知らない無邪気な勇気に憧れていただけだと気づき始めます。ただ読んでいて辛いことは、その事実を認めることにロドリゴが途方もない罪の意識を感じていることです。 最終的にロドリゴは「転び」ます。私はとても勇気と愛のある行為だったと思いますが、そのことによって彼は一生十字架を背負っていくことになるのです。 この小説の中でイエスの弟子ユダになぞらえられるキチジローは、ずるくて弱くてどうしようもない人物ですが、憎みきれません。彼と同じように自分もずるくて弱いからかも知れません。ロドリゴがキチジローにかけた「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」という言葉はとてもあたたかく胸にしみます。 宗教とは何か、見えないものを信じるとはどういうことか、とても深く考えさせられました。遠藤周作さんのキリスト教小説はいくつか読みましたが、彼自身は敬虔なクリスチャンであったにもかかわらず、彼の書く小説はどれもその教えに懐疑的である印象を受けます。興味深いことです。
0投稿日: 2013.12.14
powered by ブクログ遠藤周作氏の作品で私が2作目に読んだ本書。 重たい内容とは裏腹に、 非常にさわやかな読後感。 やはり、ストーリーの解りやすさ、 首尾一貫性がこのような読後感を生んでいるのだろうか。 内容自体は極めて明快なのであるが、 一つ一つのフレーズが私の内部を抉るように 訴えかけてくる。 もしかしたらこのような感覚が遠藤氏の特徴であるのかもしれないが、 まだ二作しか味わってはいないので明言は避けておく。 主観的な描き方と併せて非常にのめり込んでしまう作品であったと感じる。
0投稿日: 2013.12.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
1600年代の島原の乱後の日本での話。 キリスト教への弾圧が凄惨さを帯びて成される日本にボルトガルより有志の若き司祭が日本での信仰の火を消さないために日本に潜入する。 弾圧下でもはじめのうちは彼らも隠れて司教としての職務を遂行し、うまくいっていたが、やがて弾圧の悲惨さを目の当たりにし、彼ら自身も弾圧に巻き込まれていく。 度重なる苦しみは何のためにあるのか? 信者たちは何の意味があって殉教したのか? それに対する神の答えは。。 どんでん返しも何もない暗い話ですが、信仰とは。 そしてどんなときに宗教にすがりたくなるのか。 など、信仰について再考させられます
0投稿日: 2013.11.13
powered by ブクログ『沈黙』遠藤周作 長崎方面に旅行に出かけるということもあって、半ば気分を盛り上げるために準備して読んだ作品です。 学生の時は日本史を選択していたこともあり、 知っている人物名も出てきましたし、今まさに旅行ガイドに載っている地名も出てきて、やはりテンション上がりました。 旅を終えて思ったことは、結局は食べ歩きがメインでした。出島や教会めぐりは多少しましたけど。。。
0投稿日: 2013.11.07
powered by ブクログ冒頭から概ねの展開を察することができるのに、読み進める手が止まらない。 展開や結末はとても陰鬱としていて読了後はとてつもない倦怠感にどっと疲れてしまったが、何より衝撃的なのはその表現力。 繰り返し神の所在を問い、祈りを捧げる主人公の心中を描く言葉の多様さは、実にしつこいのにまったく飽きさせない。 歴史的背景を受けて実在の人物になぞらえたキャラクターたちがしっかりと生きているからこそ、残酷さが際立っている。 滑稽な叙述にかくれた陰惨たる情景は生涯忘れないだろう。
0投稿日: 2013.10.27何を信じるのか
信じることとは何か、そんなことを考えされられます
0投稿日: 2013.09.27
powered by ブクログ禁教下の日本に訪れた宣教師の物語。 捕縛されたあと、神の沈黙のなか、自らの信仰のあり方に苦悩するさまは考えさせられるものがあった。 特定の宗教を信仰している訳ではないが、宗教とは何か、そういった疑問が頭の中にうかんでくる。
0投稿日: 2013.09.25
powered by ブクログキリシタンが禁教となったことを知りつつ、日本にやってきて信徒たちを救おうとした神父、ロドリーゴの物語。彼は、しばしば新約聖書の記述を想起し、自らの行動規範を「キリストのまねび」に置こうとする。常に「あの人」の顔を思い浮かべ、どんな時にも祈り続けながら。そのロドリーゴに次々と襲いかかる数々の試練を通して問いかけられ続けるのは「神の沈黙」である。信徒への拷問、悲惨で惨めな処刑。そして、神父ロドリーゴに迫られる棄教。物語の随所から、終生カトリック教徒であり続けた遠藤周作自身の魂の悲痛な叫び声が聞こえてくる。
0投稿日: 2013.09.25生き様、みたいなこと
「信じる」という言葉を安易に使いたくなくなる、そんな一冊。
0投稿日: 2013.09.24
powered by ブクログキリスト教迫害時代を描いた代表的な小説。信仰を貫くことがどういうことなのか、その本質を読者に問う良い作品。
0投稿日: 2013.09.19
powered by ブクログ私はキリスト教にはそもそも何の信仰もないし、勿論神の存在なんか信じてない。でもなぜかわからないけど強く心が揺さぶられて辛かった。なんで、神は沈黙を貫くの?と思ってしまったし。最初から希望的なラストなんて見えないし終始救いの見えない物語ではあったけど、読んで良かった。歴史の教科書の文字だけじゃわからない現実がそこにはある。2011/005
0投稿日: 2013.09.13
powered by ブクログ信じることで救われるのは心のみ。実際,神は物理的には何もしてくれない。救いを具現化するのは救われた心で行動する人間。
2投稿日: 2013.08.26
powered by ブクログ最初の漢字だらけの報告書(?)に うろたえしばらく手をつけませんでしたが 読んでいくうちだんだんこの本に引きずり込まれました キチジローは好きになれなかった 宗教をこういう風にみたのは初めてです まさかあんなにドキドキスリルを味わいながら 読むことになるとは思わなかった 不気味で薄暗くて沼のようにいつの間にか 飲み込まれた
0投稿日: 2013.08.24
powered by ブクログ最初は、つまらん‼と思ったが、次第に引き込まれていった。宗教は恐ろしいという実感です。信じるものは救われる?2013.8.14読破
0投稿日: 2013.08.15
powered by ブクログ「私は沈黙していたのではない。いっしょに苦しんでいたのに」という主人公への主の語りかけが、すべての救いだった。
0投稿日: 2013.08.02
powered by ブクログ3日で読了。巻末の切支丹屋敷役人日記が文語体で読みにくいが、その他は読み易い。 神の沈黙を最終的に司祭ロドリゴが、自らの踏み絵に至る懊悩を神が赦してくれたと認識することで、解放され、神はいつもそばにいたと認識するに至る。展開は予想できたものだが、散りばめられた出来事と精神的葛藤の結びつきが読ませる。 フェレイラが日本人は自ら神を改変してしまうから布教は無意味と諭したが、そのあたりの描写がないのがちょっと不満だった。
0投稿日: 2013.07.30
powered by ブクログ江戸時代の凄まじい弾圧の中、尊い信仰という名の矜持を保とうとするパードレ、ロドリゴの激しい葛藤と転ぶに至る苦難の工程が長崎の風景と共に重く語られる。 神の沈黙は、捉え方によれば沈黙はしていないのか。ロドリゴの心を惑わせる、ユダのようなキチジローを通して宗教の矛盾を知り、パードレ、フェレイラを通じて人の行動の重みを知る。 最後のキリシタン「切支丹屋敷役人日記」は難しいのでネットで解説している文章を探すことをお薦めします。 宗教感が変わり、とても勉強にもなる一冊。
1投稿日: 2013.07.27
powered by ブクログ島原の乱以降の、キリシタンと、宣教師(パードレ)弾圧の中の「神」の「沈黙」がもちろん大きなテーマだが、個人的なことを言わせてもらえば、 この物語の中に出てくる、キリスト教に対する信仰のなさゆえにパードレを売り、涙を流してまで告解をしたにもかかわらず、宣教師は心の中で「お前の信仰が足りないからだ」と軽蔑のまなざしを向けた、あの「醜い」キチジローに自分を重ね合わせてしまうのだ。 「ああ、これは俺だ・・・俺のことを言っている・・・分かる、分かってしまうのだ」と引き込まれるようにして読んだ。 描写されているキリシタン弾圧の凄惨さも恐ろしいものであったが、イエスと弾圧され死に向かう自分を重ね合わせようとする宣教師たちの内面の葛藤。 「神はいるのか、なぜ黙っていらっしゃるのか」 「あの方、イエスはなぜユダの裏切りを知っていながら弟子に加えたのだろうか」 最後の踏み絵にある基督の姿は、威厳に満ちたものでなく、「踏むがいい、お前たちに踏まれるために私は存在しているのだ」といった、全生命をかけての愛、そしてまた「苦しみ」「受難」であった。 私は、今年(2011年)の4月に洗礼を受けたばかりのカトリック信徒なのだが、やはり、どうしてもキリスト教の「神」、デウス、Godなるものがわからない。 それまでの新興宗教や、仏教にふれてきた環境もあるのだろうか、唯一の神を信じることができないのだ。 それで、インターネットのとあるコミュでは、「宗教を掛け持ちしている」「リベラルだ」「異端だ」などと叩かれたこともあり、一神教を信じる人々に恐怖さえ抱いたこともある。 「ホトケ」の国、日本と、キリスト教の「デウス」の違い。 日本人は、キリスト教の神を分からないというテーマ。 「彼らが信じていたのは基督教の神ではない。神の概念は持たなかったし、これからも持てないだろう」とフェレイラ神父は力強く語る。 「日本人は人間を美化したり拡張したりしたものを神と呼ぶ。人間と同じ存在を持つものを神と呼ぶ。だが、それは教会の神ではない。」 神父や宣教師たちが、日本でまいたキリスト教の種は、日本人の手によって根を腐らせていたのである。 私は、「救いを求める気持ちが同じなら、それでもよくね?」と思うのだが、命まで掛ける問題である「キリスト教」の神はそう簡単な問題ではないらしい。そこまでして、キリスト教の「枠」を守りたかったらしい。 現代の日本国憲法では「信教の自由」が保障されているので、私がキリスト教徒だからと言って、「保守派」の人間どもに、神社に参拝したり、仏に合掌したりすることを否定されたり裁かれたりする筋合いはないが、 日本人であることと、「キリスト教」の枠にあること、 それを強く問いかけられる問題かもしれない。
0投稿日: 2013.07.25
powered by ブクログ信仰とは何か。神とは何か。自分の神と他人の神は同じものなのか。 たびたび抜き書きで目にしているロドリゴが「転ぶ」シーンだったけど、究極の選択を迫られるまでの苦悩と焦燥と疲弊を追っていくと、すごく胸にくる。 世の中が変わらない、静かなままだということに疑いを持ってしまう。 でもなぜ最後に「声」が聞こえたのだろう。
0投稿日: 2013.07.19
powered by ブクログ沈黙とは「神の沈黙」ということらしいです。話の舞台は西暦1630年代の日本。当時は島原の乱の後で、キリスト教禁制の流れが出来ている最中、宣教師で尊敬を集めていて日本にいたフェレイラが弾圧に屈し、棄教したという知らせから始まります。なぜ彼が棄教したのか?話に引き込まれ、すぐに読んでしまいました。遠藤周作の作品を読んだのは初めてでしたが、非常に魅力的な話の作り方をするなと思います。かなり集中して止まらなかった。しかも読みやすい。遠藤周作自身キリスト教徒だそうですが、この話をキリスト教徒が書いたということにも驚きです。結局「神の沈黙」に対する解釈が納得できるものではないですが、話全体のストーリーは非常に面白いです。 「銀河鉄道の夜」、「阿Q正伝」と読んで自分は馬鹿になってしまったのか??と思うほど話が頭に入っていかなかったですが、正直少し安心しました(笑)。読解力をあげなきゃいけないことは変わらないですが^^ゞ
0投稿日: 2013.06.25
powered by ブクログピース又吉がむさぼり読む20冊より。 日本人らしいキリスト教弾圧のやり方がこのような巧妙な感じだったのかと正直驚いた
0投稿日: 2013.06.21
powered by ブクログ導入から一気に読ませる内容と構成。 ロドリゴの背教が神への裏切りでなく、究極的な愛によって赦われ、キリスト自身に回帰される場面は、滅びの美学に似たカタルシスを感じた。
1投稿日: 2013.06.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
キリスト教弾圧下の日本にポルトガルから潜入してきた司祭セバスチャン・ロドリゴ。日本人信徒や仲間の司祭が次々と殉教する中でも沈黙を続ける主に対し、しだいに一片の疑念を持つ。 信教を持たない一個人の感想。 信仰は、人生を豊かにするためのものであってほしいです。殉教という行為は美しい行為として扱われるし、本人的にも誇りを持ったまま満足のいく死であるのかもしれませんが、それによって迫害されたり、拷問を受けたり、命を落とすというのはどうにもやりきれません。それ以前に、他人の信教を無理矢理変えようとすることの方が過ちであるのは言わずもがなですが。 ロドリゴとフェレイラとの再会のシーンには涙しました。 「なぜ、こげん世の中に俺は生れあわせたか」というキチジローの叫びにも似た悲痛な声が、胸に響きます。
0投稿日: 2013.06.12
powered by ブクログスコセッシ監督が映画化をするというニュースをみて、何十年かぶりに再読した。 神はなぜいつも沈黙しているのか。 苦悩に満ちた時、神に問いかける。しかし神は常に沈黙を守っている。 神を信じ愛する事と、神に問いかけることとは違うということを知らなければならない。 もちろん、神に問いかける行為をしてはならないということではない。 しかし、必ず答えを与え給えるわけではない。 そして、この小説はこう締めくくられている「そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた」 つまり、神に問うのではなく、神が私たちに問うているのである。教えに従い自分が判断した結果そのものが、自分自身が語るあの人(神)の教えそのものである。著者はそう語りたかったのではないかと感じた。
0投稿日: 2013.06.04
powered by ブクログスコセッシが遂に映画化に動くというニュースを聞いて再読。 いやぁ、素晴らしい。 物語としてはある意味シンプルで読んでいる途中で結末はある程度分かるものの、そこに至るまでの過程がサスペンスの空気を纏いつつ濃密さ満点。 色んな「沈黙」が多層に織りなされ、基督含めた全ての登場人物に色濃い影が付きまとう。 また再読のチャンスがあるような気がするし、その時も新たな発見があると思う。
0投稿日: 2013.05.23
powered by ブクログ遠藤周作の疑いようのない傑作。島原の乱が鎮圧されて間もない頃に、日本にキリスト教を布教しようとした司祭ロドリゴの苦悩の物語。 誰もが人生で一度は頭に過る「神の沈黙」というものが幾度となく問題提起される。キリストの真意とはなんなのか、また人の弱さというものを、克明にえぐっている。 読んで損はない作品
0投稿日: 2013.05.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
高校?大学?の時に読んで以来、久々に読んで衝撃を受けた。 きっかけは、敬愛するQueenのロジャーテイラーの好きな1冊に挙げられていたからなんだけど、すごい本だ。 私はキリスト教徒ではないので、基本的なキリスト教の概念は分からないし、多分この先も分かる日はこないのかもしれない。けど、神を信仰しキリストを信じ続けようとする司祭・ロドリゴが、迫害と弾圧を目の当たりにして、沈黙を守り続ける神に対して懐疑的になり、不信に陥っていき―というストーリーの流れになぜかすっと入って行って、一緒に苦しい気持ちになった。本当に、苦しい。 根本的に沼地で蒔いた種が根から腐る…という”転びのペテロ”・フェレイラ氏の言葉も、一種正しいのだと思う。日本人は、これまでいろいろな国からいろいろな物を輸入し、学び、それらを自分たちに適合するように改良してきた民族だから、当時の日本人に、キリスト教が100%本質を保ったまま受け入れられるのは、きっと難しかったのだろう。 ところで、文章の書き方も面白くて、まえがき(情勢と主人公について)、主人公・ロドリゴ司祭の書簡、第三者目線の文章、オランダ商館員の日記、最後に「切支丹屋敷役人日記」で終わる…という不思議な構成になっている。好き嫌い分かれる感じですね。。。 最後の役人日記、江戸時代当時の書簡のような文章で全く読めない(-_-;) ロドリゴ改め岡田三右衛門が64歳で亡くなったことしか分からんかった。 吉次郎はなんだったのでしょう。。。 ロジャーの読んでた英語版を読んだら、最後の日記も分かるのかなぁ。 英語で読んでみるかなぁ。。。 -- 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
4投稿日: 2013.04.29
powered by ブクログ高校生の夏休みの感想文に指定された一冊。 多感な時期ともあって、とても心揺さぶられました。 私もキチジローと何ら変わりない罪人なんだ。 そこから何を見出すか…今も答えは出ません。
0投稿日: 2013.04.02
powered by ブクログ中学の時、聖書の時間の課題図書だったと思う。長崎に行き、急に読んでみたくなり、長崎の本屋さんで購入。私は、神は沈黙されたのではない、と読み取った。
0投稿日: 2013.03.31
powered by ブクログ主人公のロドリゴ、師のロドリゴ、キチジロー、井上、登場人物の特徴がハッキリと記憶に残った。 高校の教科書で一部分だけ読んだことがあって、ずっと気になってた一冊。信仰とか、善悪とかって、本当に難しい気もするし、案外シンプルなのかもしれない。最後は何となく予想できるけど、プロセスは最高に絶妙。結末が気になって、一気に読み通した。間違いなく良書。 ロドリゴ、フェレイラ、キチジロー、ガルぺ、そしてイノウエすら、誰も責めることはできないのでは?人は弱い。悩み、迷い、時には絶望しそうになるし、神を信じられなくなったり恨みや怒りすら感じそうになる。 大事なのは神を信じることもそうだけど、守るべきものは何か、正しいことは何か、それは表面的なもの(本書の場合はキリストやマリア)ではないことを痛切に感じた。 生き方や考え方の指針にもなる。
0投稿日: 2013.03.17
powered by ブクログ自分にとって大切な小説です。ちょうど自分の愛する猫が死にかけている時に、落ち着きを取り戻したくて読み始めたのがこの本で…(いま思えばなぜこの時にこのチョイスだったのか) その時の精神状態のせいか、すべてがすっと体の中に入っていきました。読んで何かが変わった気がするほど衝撃的でした。 キチジローに対する気持ちは言葉に出来ません。
0投稿日: 2013.03.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
好き嫌いはあるかも!? とっても暗いです。 鎖国時代の日本において、ポルトガル司祭のロドリゴは過酷な拷問や悲惨な殉教を遂げる日本人信徒を見て、何を考えどんな決断をくだすのか…。 命の大切さや自分の信じるモノについて、色々と考えさせられるお話です。
0投稿日: 2013.01.24
powered by ブクログ沈黙の描き方が印象的だった。空から、海から、人知の及ばないものが押し黙っている静寂が、胸に迫りました。遠藤周作は、はっきりとした答えを与えずに、難しい問題を双方の言い分を含めて描いてくれていて、好きです。自分ならどうするだろうとか、読んだ後もずっと考えてしまう。
0投稿日: 2013.01.15
powered by ブクログ「救い」とは何か。宗教の意義、祈り、僥倖…。 それ等は自身の目に視えるモノ以上には、耳に聴こえ、膚に触れるモノ以上には、正誤や善悪を見極められないものだろう。 幸福である時、圧倒的な絶望を前にしている時、人は果たして同じ「祈り」を捧げられるものか。そうでは無い筈だ。 宗教に縋る者は弱さ故では無い。宗教を唾棄した者が強い訳でも無い。 其れは単純に、自身の正当性を問い直す為の『もう一人の自分』を創る為に存在するのだろう。 幸福である時、其の情況に感謝する為に祈るだろう。続く事を祈るだろう。 然し如何仕様も無い情況下で祈る時、其の「祈り」は疑問や呵責にも似ているのでは無いだろうか。そして目の前で起こる悲劇を救うのは、祈りでは無く自らの「手」だという事実は、決して否めない事実なのだ。 実際に何の宗教の聖者も、苦しみに喘ぐ人に祈った訳では無い。身を挺して救ったのだ。 故に讃えられ崇められる其の人の下に就く聖職者が、其の聖人に祈りを捧げるよりも倣って同様に人を救う事が、最大の信仰だろう。 其れでも宗教の在り方は、既に定められている。 此の葡萄牙から日本に布教を目的として訪れた二人の司祭は、最も聖人に近い場所に立った事で、宗教者として非難される事となる。 二人の闘ったモノ、二人が信じ愛するモノは、本来あるべき宗教の形の最たるものである筈だ。 基督教に就いて書かれたものであるが、此れは必ずしも宗教に言えた事では無く、人間の打つかる自分自身と云う壁を描いた壮絶な物語だと、私は考える。
1投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログ何年か前に100ページくらいまで読んで断念、再読。指先から力が抜けて、呼吸が不規則になるのは変わらなかった。解説では遠藤周作の小説家としての力量について語られてるけど、正直、今、そんなことはどうでもいいと思った。このテーマの本質を、わたしは死んでもわからないかもしれない。ただやっぱり、神の手のひらの上で、転がされてるだけのような気がした。ロドリゴもキチジローもガルペもフェレイラも通辞もイノウエも遠藤周作もわたしも誰でも、みんな。…悲しくなる。
0投稿日: 2012.12.07
powered by ブクログなかなか面白い。裏切りもまた正義なり。当事者じゃないと分からんよな。 キチジローの懺悔?が印象的だった。
0投稿日: 2012.11.19
powered by ブクログ学生時代の国語の教科書かテストの文章問題で出会った作品。 ずっと気になっていて、本を購入して読んだ。 硬い本かなと思ったが、どんどん読めて、最後にも納得。
1投稿日: 2012.10.19
powered by ブクログ宗教とはなにか? 司祭は、遠い存在である神に憧れ、キリストの姿を思い描く。祈りによって救われると信じてきた司祭は、一向に手を差し伸べてくれない神に対して絶望する。長崎における切支丹の迫害という史実を交えながら、司祭が神と向き合い、宗教の在り方を問うドラマティックな作品である。
0投稿日: 2012.10.12
powered by ブクログ文章形式が何回か変わり、淡々としているのが緊迫感と荘厳さを煽った。第三者視点でロドリゴの苦悩や百姓たちの拷問が語られていくところは神が俯瞰で見ているようだった。 この話はとても好きだがやはり自分は日本人の視点からしか有り得ない。ロドリゴを批判的にしか見れない。 ロドリゴが自分とキリストをなぞらえて陶酔し興奮する場合は彼を愚かだと感じた。最後に神が沈黙を破るのも、ロドリゴの作り上げたものだと解釈。それは神が存在しないということでは無くて、ロドリゴの中の神が答えただけのことなのでは。彼は神に救われた。 ロドリゴのように神を身近に感じることが正しい信仰なのか。これまでの信仰が神の名の下に正しい信仰の在り方であったというなら教えてほしい。
0投稿日: 2012.09.29
powered by ブクログ神の沈黙。 ポルトガルの宣教師が、キリスト教弾圧の激しい江戸時代の日本に上陸し、布教を進めようとするが、捉えられ、拷問を受け、棄教します。 物語に入り込めず、文章の上っ面を舐める感じで読み終わってしまいました。
0投稿日: 2012.09.21
powered by ブクログ一番好きな本かもしれない。 「強いものも弱いものもないのだ。強いものより弱いものが苦しまなかったと誰が断言できよう」 読了してもう何年も経つのに、この言葉が幾度となく心の中に蘇る。 そしてなぜだか、どんなに苦しんだとしても、私は強くありたいと思ってしまう。強がりな自分。
0投稿日: 2012.09.14
powered by ブクログいまの時代に生まれたことに感謝します。主人公の『弱い者がなぜ強い者より辛くないといえるのか』(こんな感じ)という言葉が、始めは理解できなかったけど読後はよくわかった。神とはなにか。信仰とはなにか。沈黙。名作です。
0投稿日: 2012.09.02
powered by ブクログ大学の授業で扱うため、読んだ。非常に深いテーマである。ロドリゴは果たして信仰を捨てたのか否か。意見は分かれると思うが、個人的には最後まで捨てていなかったと思う。
0投稿日: 2012.09.01
powered by ブクログ神の沈黙とは、救済が与えられないことではなく、ただ供に苦役を共有してくれることだった。 宗教に頼り、救ってもらうことを期待するのは、この沈黙を前にすると苦痛極まりない。 自分に起こりうること全てを甘んじて受ける事が、もし神が存在し、皆を平等に扱うならば、当然なんだと思う。
1投稿日: 2012.08.10
powered by ブクログ宗教学をやっているのに『沈黙』を、というか遠藤周作を読んでいないのはどうなのかという指摘があったので、とりあえず手にとってみた次第。 この本が描き出しているのはカトリック的な宗教の態度から、プロテスタント的な宗教の態度、すなわち個人と神とが直接接続されるような態度への変遷である。前者のような集団主義的な態度では、『沈黙』の主人公に訪れたような危機を生きて乗り越えることができず、また死んでしまうのも悲劇となる。 そのような状況を打破する態度として、外面と内面の不一致を、つまり人の目を気にしない信徒の在り方を提出したという本書は、近代における個人主義の傾倒を劇的に描き出している。それはすなわち「負け犬」が遠吠えを上げるだけに留まらない生き方の提示なのだ。
0投稿日: 2012.08.06
powered by ブクログ高校のときに国語の先生にすすめられて読んだ本。 作者自身が敬虔なキリスト教徒だからか、文章に哀しみや、神への愛がリアルにあらわれています。 と同時に、神に対する疑いも。 私は宗教に所属しているわけではないし、無神論者なのですが、キリスト教を信仰している、していないに関わらず心に響く本であったと思います。
0投稿日: 2012.08.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
長崎旅行の予習として、遠藤周作の代表作を一気読み。 信仰について、日本人とその風土について、死生観、生きることの義務・意味、そして神は本当にいるのか…ものすごく大きなテーマがいくつも絡み合った大作なので、「いい読書でした。いやぁ深いねー」なんて感想はそぐわないな、と。 ドラマティックな展開で、宣教師ロドリコの試練と苦悩が描き切られていて、ページを繰る手が止まらないのだけれど、この本の本当の読書体験は、読後の思考から始まるような気がしています。 鎖国時代、日本の搾取されつくしていた農民が、禁制のキリスト教に帰依した(かのように思われた)のも、為政者側につく仏教寺院への反発と、苦しい生活から逃れたい心での天国への憧れなどによるものであって、ロドリコたちの思う本当の意味での絶対神キリストへの信仰ではない。殉教者にあっても、その一途な信心は本物だけれど、本当のキリスト教の真髄を理解し信心していたとは思われない。ただ、そのキリスト教の真髄とやらが、それほどに大切なものなのか。 神は沈黙している。けれど傍にいてともに苦しんでくださる。ロドリコが心で思う「あの方」への愛の形。穴吊りや、水磔で、苦しみながら殉教した信者も、その答えを得たのだろうか。その先にハライソがあったならばいいのにと、切なく思った。 まとまらないけれど、長崎旅行後にまた読みたいと思う。
0投稿日: 2012.08.04
powered by ブクログ出口先生の「差し出口」で教わってきて感銘されている本です。問題文で読み今待っています。がんばらなくちゃ。
0投稿日: 2012.07.22
powered by ブクログあの頃の日本はどれほど辛い時代だったのだろうか 信者はただ、天国に行きたかっただけなんだ 他を思いやる余裕なんてなかったんだ 神を愛すとか 隣人を愛すとか 日本人の中の神がまがっていったのもそういう理由からかもしれない 神は黙ってるんじゃなくて いつでもどこでもあなたのそばで見守っている って そうなのか なあ わたしはまだ本質がつかめてない気がする また読もう
1投稿日: 2012.07.15
powered by ブクログ『沈黙』、『イエスの生涯』、『キリストの誕生』の三部作だと思っている。 自分の中で神や愛に対する考え方が変わった衝撃の作品だった。
1投稿日: 2012.07.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
拷問に耐える勇気がないから転ぶのではなく、汚名を背負う勇気があるから転ぶ。これまでもっていた意識がどれほど浅はかだったかに気づかされ、覆された。 おそらくは人々に幸福をもたらすために行われたであろう布教が、かえって流血の源となっている現実にはっとする。 これほどひどい拷問が存在したことにも驚かされた。
0投稿日: 2012.07.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
熊井監督の映画も見た。フェレイラがなぜか丹波哲郎で…ぇぇぇ? クマみたいな髭で外人に化けてて笑い死にしそうでした…スンマセン。 どういう経緯でああいう配役になったか知らんが、何とかしてほしかったです。 あ、本のレヴューでしたね。 神はなぜ沈黙していたのか。 キリシタン弾圧の時代で、重くて暗い内容と思われがちですが、自分は全く逆と思ったです。 ラストまで読めばわかります。 残酷な方法でたくさんの人が殺されますが、最後まで信仰を捨てなかった人もたくさんいました。 そこまで人の心を強くしたものはなんだったのか。 逆に自分が助かりたいために踏み絵を踏んじゃって、神様を裏切ったと苦しんでる人も含め、全ての人の人生を通して、神は語っておられるのだと思いました。聖書には「私たちは神の作品です」という一文があります。 2018年1月追記:昨年、マーティン・スコセッシ監督の映画を見ました。 原作に忠実のみならず、外国人が日本を舞台に撮っているのに、全く違和感を感じませんでした。 スコセッシ監督の才能と努力に、敬意を表します。 いつか、五島列島を訪れたい。
0投稿日: 2012.06.26
powered by ブクログ読み終えた後、背中がガチガチに固まっていた。手にも相当力が入っていた。健康な時に読まないと体が持たない。
1投稿日: 2012.05.26
powered by ブクログキリスト教が禁じられた江戸時代、九州に密入国した宣教師、セバスチャン・ロドリコを描いた小説。 ローマ教会の司祭ロドリコは自らの師フェレイラを追い、また日本の隠れキリシタンの現状を憂いて日本へ潜伏することを決めた。しかし九州にたどり着いてみると、幕府の信者に対する弾圧は熾烈を極め、ロドリコは信者の裏切りもあって奉行に捕らえられてしまう。 彼は尋問を受け、キリスト教の教えを放棄せよと要求されるが、敬虔なカトリックであるロドリコはその命令を跳ね除け続ける。その一方、隠れキリシタンである農民達は次々と残酷な方法で拷問・処刑されていく。そこへきてロドリコは、我々はこんなにも主を愛しているのに、主は貧しい農民に対してなんら奇跡を与えない。こんなにも信仰のために戦っているのだから、主は「沈黙」を破るべきではないのかという疑問を持つようになる。そして彼は、キリスト教者として許されてない選択に手を伸ばす。 主題は「神の沈黙」。神は愛に満ち溢れた存在であるならば、その神への信仰を守るために惨めで辛い闘いを余儀なくされている農民達をなぜ神は助けないかという疑問が作品の随所で語られている。 作品の最後で、ロドリコとキリストとの会話という形で示される、その問いかけへの答えが本当に見事だ。遠藤周作自身がカトリックということもあるのだろう、信仰を持った人間にしか提示しえない、静謐で透き通った、しかし強固で確信めいた「主の言葉」である。 ネタバレになって申し訳ないが、ロドリコは最終的に棄教する。拷問などの外圧に屈したわけではない。彼は、踏絵を前に逡巡した時、確かにキリストと会話をし、キリストとの会話の中で棄教するべきだと悟ったのだ。修道院で教義の勉強をするだけでは決して到達することのできない、ある意味で信仰の切っ先のようなものに彼は極限状況に至って触れることができたのかもしれない。 もちろんロドリコはその後に平穏のまま暮らせるはずがない。司祭として禁忌を犯してしまった自分を恥じ、責め、呪う中で余生を過ごすこととなる。 しかし遠藤周作が描くロドリコは語る。どれほど教会に背き、キリストの絵を踏んだとしても、私は己の中にいるキリストを決して裏切ってはいないと。信仰とは教会や教義の中にあるのではなく、神の存在を目の前にして、個人として1対1の関係で向き合う中で醸造されるものだと。そして、神と私をそのような関係性の中で捉える限り、決して神は沈黙などしていなかったと。 なるほど、信仰とは盲信ではないのだろう。懐疑も絶望も含んだ私が向き合う絶対者との、厳かな対話を信仰と呼ぶのだろうと、そう思えるような小説だった。
1投稿日: 2012.05.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
有名な本とは知ってたけど、やっと読んだ。つい続きを読んでしまう本。宣教師ロドリゴの葛藤は、クリスチャンでない日本人でも共感できる。その緊迫感が伝わってくる。「沈黙」という意味が分かった。 今気づいたのは、ロドリゴの書簡以降、踏絵をするまでのくだりは3人称で書かれてるのに、踏む直前の一部だけ1人称で書かれてた。緊迫感が一層増してる気がする。 関係ないけどマカオに旅行する前日に読み始めたらマカオが出てきてびっくりした。
0投稿日: 2012.05.17
powered by ブクログよくこの作品のテーマは「神の沈黙」と言われているけれど、それ以外にも遠藤周作が最初期の「黄色い人」の転から題材にしていた「日本人と信仰」の問題や、イエスとユダの関係も大きなテーマと描かれている。(特にユダは最後の場面でも重要な役割をしている。)作者が追い続けてきた主要なテーマが混ざりあっていることこそが、この作品を傑作たらしめているんじゃないだろうか。
0投稿日: 2012.05.10
powered by ブクログ舞台は江戸時代初期の日本,主人公はポルトガル人の司祭。 彼を含める来日神学者及びキリシタンの受難を通して, 人の弱さ,それに対する赦し,神の存在を考えさせる作品。 宗教に興味がある人はもちろんですが,個人的には 宗教に興味ないのに期せずしてキリスト教系学校に入ってしまった そんなかつてのワタクシのような若者にオススメ。 なんかいろいろ納得いかなかったものが,これ読んでストンと腑に落ちました。 宿題として読書感想文出ちゃった日にゃ,ちゃんと読んだ方がいいですよ。 ネット使ってズルしちゃうのももったいないから。
0投稿日: 2012.05.07
powered by ブクログキリスト教を布教するために日本にやってきた司祭の物語…ってとこですかね。 解説にもありますが、ドラマチックで引き込まれます。 個人的にはキリスト教そのものは嫌いなわけですが、この物語は面白く読むことが出来ました。 いつもどおりのめり込んで、キチジローにむかついてみたり、司祭たちの最初の高慢な態度とかも気に食わなかったです。 物語として面白かったです
0投稿日: 2012.05.05
powered by ブクログ読んだのは1988年の単行本版で、普段は版を探してレビューを書いているけど、なかったので、こちらに。 びっくりするほど面白い小説だった。 テーマもおもしろけど、構成や文章がとてもいい。それも美文がその目的のためにあるのではなくて、テーマを際立たせるためにあるので、実に読みやすい。一気に物語の世界に入って、そのあと次々と読ませる。 完成度の高い小説だと思う。 堂々巡りの信仰、へたをすると猟奇になってしまうかもしれない分野を、文章と構成があいまって、そしてきちんと張られた伏線が補い合うことで、速さ、深さ、新鮮さを保っている。 遠藤周作は今までエッセイばかり読んでいて、小説を読んだことがなかった。 いや、もったいないことしたな。 物語のうまさに引っ張られて一気に読んだし、ほんとうに素晴らしい小説だとは思うけど、本当のことを言うと、よく分からない。 「踏み絵をしたらなんかいかんのか?」と思う。 背教者というのとは、違うように思う。 神に向かい合う、愛を実践する。それができるんだったら、あとは形式ではないのか・・・ 井上筑後守の言うことのほうが分かる。 文中では「日本という国は沼のようなところだ」と言わせていたけど、これがローカルな問題であると思えない。 読後、満足のため息をつくとともに、また違うもやもやを抱え込んだが、二段オチで作者自身があとがきで書いていた。「ロドリゴの最後の信仰はプロテスタンティズムに近いと思われるが」って。 ああなるほど、とも、そういうことなの? とも思った。 小説の上手さというか、いい方が品がないが「喉ごしの良さ」で分かった気になっているが、もしかすると遠藤周作にうまいこと煙に巻かれているのかもしれない。 分からないし、情報が少なすぎるので、考えがこれ以上先に進めない。
0投稿日: 2012.05.02
powered by ブクログ何かを信じるとは、ここまで頑なに考えなければならないものなのか。その苦しみの先に何があるのか。不信心者の私には、本当の意味において、この小説を理解することができないのだろう。それでも、自分の中にある大切なものを守ろうとする姿勢を今の日本では学ぶことができないからこそ、この小説は私の心に強く残る。
0投稿日: 2012.04.27
powered by ブクログクリスチャンながら、絶対的に神の存在を認めない立ち位置に共感。神の不在を問うのは、誰しもが経験していることだと思う。その力強くも静謐な筆致で、あっという間に遠藤周作にのめり込むことになったきっかけの一冊。
0投稿日: 2012.04.10
powered by ブクログ話が重い、長い、となかなか読み進めることができなかったのに最後の一文でガツンとやられた作品。話が長くて重いからこそ最後の一文が余計に心に響いたのだと気付いた。
0投稿日: 2012.04.06
powered by ブクログ「出会えて良かった」と思う本の一冊。 この本を初めて読んだ時は、衝撃で数日よく眠れなかった。 言葉も出ない。こんなもの凄いテーマを、この人はよく書き切ったなあと思う。 敬虔な宣教師の信仰が崩れ去っていく様を、空恐ろしいまでリアルに描ききっている。 まざまざとした人間の宗教に対するエゴイズム。葛藤。 人間は、それでも救済を求めずにはいられぬ、矛盾を抱えた寂しい生き物なのだなあ……。 信仰を持っている・持っていないに関わらず、人間の奥底に訴えるものがある。 だからこそ、信仰心が外国に比べて薄いと言われながら、多くの日本人がこの物語を愛しているのだろう。
0投稿日: 2012.03.28
powered by ブクログ「読書力」の35ページにある本… 法政大学第一中・高等学校で岩井歩教諭が実践した、定期テストに読書問題を取り入れた実践。 12冊目…高2の定期テストに 読むのが辛い本。 江戸時代のキリスト教弾圧の話。 どうしてこんなに辛い思いをしなくてはいけないの? 読んでいると滅入る…でも、読み切った。
0投稿日: 2012.03.27
powered by ブクログ古本で買って、何年も読んでなかったが読んでみた。 正直言って、もっと早く読んでおけばよかったと思った。 名作だと思った。 「神はなぜ苦しむ人々を前に沈黙をしているのか」 島原の乱の後、キリスト教迫害の嵐の中に飛び込むポルトガル人司祭の物語。その姿はユダの裏切りにより処刑されるキリストと重なる。 この小説のテーマである不条理は、キリスト教だけではないと思う。社会全体や人間存在そのものに向けられていると思う。
0投稿日: 2012.03.04
powered by ブクログ学校の課題で読んだ一冊。 ミッション系の学校に行っていることもあって、キリスト教について色々考えさせられた。
0投稿日: 2012.02.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
殉教できる者は幸いである。 殉教するほどの信仰心も持てない、 うすら笑いを浮かべながら、仕舞には仲間をも売る。 こんな弱く醜い者、 強い信仰すら持てない弱い者にこそ、 神の救いが必要なのではないか? キチジローのような者にこそ。
0投稿日: 2012.01.31
powered by ブクログ2007年11月06日 18:56 神はなぜ沈黙し続けるのか。 何度書き直してもレビューが書けない。十冊選べと言われたら必ずこれを選びます。
0投稿日: 2012.01.29
powered by ブクログ神は人を救わない。 神の恩寵なんて、そもそも無い。 人の願いを叶える為に神は存在していない。 信じれば救われるなんて、人の幻想でしかない。 神は、手を差し伸べない。 その非情さこそが絶対者である証。
0投稿日: 2012.01.21
powered by ブクログどんな苦境にあっても沈黙する神。その存在に疑問を抱く司祭。 自分たちのために、信徒が死んでいく。それを指摘しキリスト教を捨てるよう進言する通辞の場面は印象に残りました。同僚が信徒のために死んでいく中、それを見守ることしかできなかった司祭。 キリスト教禁制が日本でどういう意味を持っていたか、考えさせられる小説でした。
0投稿日: 2012.01.11
powered by ブクログ神様は黙っている。 自分が辛いときや不条理を感じるとき 黙っている神様は憎い。 でも黙って見過ごしてくれているから 私は生きて行けるんだと思う。 迫害されたり殉教するのはイヤだけど…。 大学生の時にオペラをみて 「色が紺色だなぁ」と感じたのと ♪~ちょうちんや ばいばい 石投げたもんな 手のくさる~♪の 歌しか残っていなかった記憶がちゃんと形になった。
0投稿日: 2012.01.09
powered by ブクログ新潮社のハードカバー版を図書館にて。 今回読んで「沈黙」の意味を初めて知り、考えさせられた。 最後の二文、また帰ってきて考えたい。 「もし神がいなかったとしたら」が印象的。
0投稿日: 2012.01.05
powered by ブクログ耐え難いものの存在。 その先にあるものこそが、究極の『愛』だった。 遠藤周作を読むのは一冊目。 江戸時代に布教活動のため日本へやってきた、カトリック宣教師の物語。 読んでいて心が苦しく詰まった。 拷問にかけられる信徒の農民たち。 棄教し教会を裏切った上司の…激しく愛のある真実と理由。 主であるキリストが苦しむ人々へ、『沈黙』を続ける壮大な理由。 喪失とドラマチックな物語展開に惹き込まれる。 洗礼を受けたものだけが…キリストの愛を受けられるのだろうか? それは違う。 この物語では本当の『愛』を描いている。 現代では形だけの聖教師や信徒が増えている。と私は聞いたことがある。 私は信徒ではないが、キリストの教えに惹かれる者でもある。 だからこそこの物語を読んで惹かれるものがあったのは事実。 自分自身が 汚れても、 蔑まれても、 棄教して教会を裏切り、宣教師の立場を廃しても、 他者への愛を貫いたこの宣教師たちこそが、真実の『愛』を知っている者達である。 私はこの本を読んでそう感じずにはいられなかった。 苦しかった。 そして読んで良かったと自信を持って言える、文句無しの五ツ星本だった。
1投稿日: 2011.12.30
powered by ブクログ唯一作者に読後感想文を送った作品。中学生の時の衝撃は一生忘れん。その後しばらく遠藤周作をむさぼり読んだ。
0投稿日: 2011.12.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」を演奏するにあたり、読書を勧められていた本でしたが、読むことはなく、思い返したように5年越しに読み始めました。 江戸幕府がキリスト教の信仰を禁止している時代にポルトガルの宣教師が日本での布教活動を諦めきれず、また自分の師の消息を知るべくやってくる...という内容。 キリスト教徒迫害の描写や、終盤に語られる日本でキリスト教が根ざさなかった理由(というか一意見?)は、読んでいて印象的でした。
0投稿日: 2011.12.11
powered by ブクログキリシタンの迫害をテーマに身の毛もよだつ物語が展開される。まだ読んではいないが、梁石日の『闇の子供たち』も同じ臭いのする小説なのだろう。どちらも、世の中のタブーに手を突っ込み、底に沈殿する泥をすくって見せるという行為に対して、あなたはどう感じるのかと強烈に問いかけてくる。気の小さな人は読むべきではないとあえて言い切ろう。読むのは辛いが『闇の子供たち』に救いはあるのか、確かめるためにも手をだしてみるかな。
0投稿日: 2011.12.11
powered by ブクログこの本を初めて読んだのは高校一年生の冬のことで、そのころのわたしは空虚感にみちみちていて、本当に今と少しも変わらない人間であったことを思い出した。そんなときにこの本を読んで、自分の周りに当たり前のように存在していたキリスト教に対する考え方を悉く覆されて、とてつもない衝撃を受けた気がする。覆された、というのは間違いで発見させられた、とでも言うべき。とにかく遠藤周作の書く神やイエスの姿と、それに対する世の中の評価(外面的にも内面的にも)を超越した信仰を見せつけられて大きく心が揺さぶられた。 3年経ってもそれは変わらず、沈黙は今でもわたしが最も大切にする本のひとつであることを再確認。ぶれてもここに戻ってくれば安心、というような本があるのはとても幸せなことだとおもう。
1投稿日: 2011.11.26
powered by ブクログ歴史的史実を脚色しながらキリスト信仰の根源的問題を投げかける。歴史的暗黙、根源の問答、そして過ちを犯す異邦人を主役に添える大胆さと無謀さ、言わば三重の禁忌を犯しながらも、沈黙と題して雄弁にかつ鋭敏に読者へと語りかけてくる歴史小説。是非とも何度も読み返して、自分なりの解答や考え方を得たいと思わされる一冊。
0投稿日: 2011.11.20
powered by ブクログ極限状態の人間にとって、信仰は何を意味するだろうか? また、鎖国の状況にある日本では、背教ですらも 神の愛は赦したのだろうか?
0投稿日: 2011.11.05
