Reader Store

総合評価

889件)
4.3
385
286
129
14
0
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    殉教できる者は幸いである。 殉教するほどの信仰心も持てない、 うすら笑いを浮かべながら、仕舞には仲間をも売る。 こんな弱く醜い者、 強い信仰すら持てない弱い者にこそ、 神の救いが必要なのではないか? キチジローのような者にこそ。

    0
    投稿日: 2012.01.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    2007年11月06日 18:56 神はなぜ沈黙し続けるのか。 何度書き直してもレビューが書けない。十冊選べと言われたら必ずこれを選びます。

    0
    投稿日: 2012.01.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    神は人を救わない。 神の恩寵なんて、そもそも無い。 人の願いを叶える為に神は存在していない。 信じれば救われるなんて、人の幻想でしかない。 神は、手を差し伸べない。 その非情さこそが絶対者である証。

    0
    投稿日: 2012.01.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    どんな苦境にあっても沈黙する神。その存在に疑問を抱く司祭。 自分たちのために、信徒が死んでいく。それを指摘しキリスト教を捨てるよう進言する通辞の場面は印象に残りました。同僚が信徒のために死んでいく中、それを見守ることしかできなかった司祭。 キリスト教禁制が日本でどういう意味を持っていたか、考えさせられる小説でした。

    0
    投稿日: 2012.01.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    神様は黙っている。 自分が辛いときや不条理を感じるとき 黙っている神様は憎い。 でも黙って見過ごしてくれているから 私は生きて行けるんだと思う。 迫害されたり殉教するのはイヤだけど…。 大学生の時にオペラをみて 「色が紺色だなぁ」と感じたのと ♪~ちょうちんや ばいばい 石投げたもんな 手のくさる~♪の 歌しか残っていなかった記憶がちゃんと形になった。

    0
    投稿日: 2012.01.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    新潮社のハードカバー版を図書館にて。 今回読んで「沈黙」の意味を初めて知り、考えさせられた。 最後の二文、また帰ってきて考えたい。 「もし神がいなかったとしたら」が印象的。

    0
    投稿日: 2012.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    耐え難いものの存在。 その先にあるものこそが、究極の『愛』だった。 遠藤周作を読むのは一冊目。 江戸時代に布教活動のため日本へやってきた、カトリック宣教師の物語。 読んでいて心が苦しく詰まった。 拷問にかけられる信徒の農民たち。 棄教し教会を裏切った上司の…激しく愛のある真実と理由。 主であるキリストが苦しむ人々へ、『沈黙』を続ける壮大な理由。 喪失とドラマチックな物語展開に惹き込まれる。 洗礼を受けたものだけが…キリストの愛を受けられるのだろうか? それは違う。 この物語では本当の『愛』を描いている。 現代では形だけの聖教師や信徒が増えている。と私は聞いたことがある。 私は信徒ではないが、キリストの教えに惹かれる者でもある。 だからこそこの物語を読んで惹かれるものがあったのは事実。 自分自身が 汚れても、 蔑まれても、 棄教して教会を裏切り、宣教師の立場を廃しても、 他者への愛を貫いたこの宣教師たちこそが、真実の『愛』を知っている者達である。 私はこの本を読んでそう感じずにはいられなかった。 苦しかった。 そして読んで良かったと自信を持って言える、文句無しの五ツ星本だった。

    1
    投稿日: 2011.12.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    唯一作者に読後感想文を送った作品。中学生の時の衝撃は一生忘れん。その後しばらく遠藤周作をむさぼり読んだ。

    0
    投稿日: 2011.12.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」を演奏するにあたり、読書を勧められていた本でしたが、読むことはなく、思い返したように5年越しに読み始めました。 江戸幕府がキリスト教の信仰を禁止している時代にポルトガルの宣教師が日本での布教活動を諦めきれず、また自分の師の消息を知るべくやってくる...という内容。 キリスト教徒迫害の描写や、終盤に語られる日本でキリスト教が根ざさなかった理由(というか一意見?)は、読んでいて印象的でした。

    0
    投稿日: 2011.12.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     キリシタンの迫害をテーマに身の毛もよだつ物語が展開される。まだ読んではいないが、梁石日の『闇の子供たち』も同じ臭いのする小説なのだろう。どちらも、世の中のタブーに手を突っ込み、底に沈殿する泥をすくって見せるという行為に対して、あなたはどう感じるのかと強烈に問いかけてくる。気の小さな人は読むべきではないとあえて言い切ろう。読むのは辛いが『闇の子供たち』に救いはあるのか、確かめるためにも手をだしてみるかな。

    0
    投稿日: 2011.12.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    この本を初めて読んだのは高校一年生の冬のことで、そのころのわたしは空虚感にみちみちていて、本当に今と少しも変わらない人間であったことを思い出した。そんなときにこの本を読んで、自分の周りに当たり前のように存在していたキリスト教に対する考え方を悉く覆されて、とてつもない衝撃を受けた気がする。覆された、というのは間違いで発見させられた、とでも言うべき。とにかく遠藤周作の書く神やイエスの姿と、それに対する世の中の評価(外面的にも内面的にも)を超越した信仰を見せつけられて大きく心が揺さぶられた。 3年経ってもそれは変わらず、沈黙は今でもわたしが最も大切にする本のひとつであることを再確認。ぶれてもここに戻ってくれば安心、というような本があるのはとても幸せなことだとおもう。

    1
    投稿日: 2011.11.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    歴史的史実を脚色しながらキリスト信仰の根源的問題を投げかける。歴史的暗黙、根源の問答、そして過ちを犯す異邦人を主役に添える大胆さと無謀さ、言わば三重の禁忌を犯しながらも、沈黙と題して雄弁にかつ鋭敏に読者へと語りかけてくる歴史小説。是非とも何度も読み返して、自分なりの解答や考え方を得たいと思わされる一冊。

    0
    投稿日: 2011.11.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    極限状態の人間にとって、信仰は何を意味するだろうか? また、鎖国の状況にある日本では、背教ですらも 神の愛は赦したのだろうか?

    0
    投稿日: 2011.11.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     おれにとっては『海と毒薬』に続く第2弾、九州旅行の前に遠藤周作作品を少し読みましょうシリーズ。  シリーズ2回目はいよいよ『沈黙』。高校の時にちらっと一部だけ読んで、確か残虐な拷問のシーンが目に浮かぶように描かれていたのをすごく覚えていた。なので、いつかは必ずはじめから終わりまで読むつもりでいたので、ようやく読む機会が訪れたという感じ。  全体を読んでみると、高校の時思っていたほど拷問のシーンが生々しく描かれている訳ではないんだな、と思った。構図として、「キリスト教v.s.日本人」のように見えて、どっちが勝つのか、みたいな感じのことを思いながら読んでしまった。勝ち負けではないことは分かるけれども。井上という人物が本当に印象的な人物だった。けれども井上の言い分、なぜ日本でキリスト教が受け入れられないのか、という理由は結果論のような感じがして、あまり納得できない。それよりもやっぱりフェレイラの言い分には、恐ろしさを感じさせる。確かに当時の百姓のキリスト教がヨーロッパ世界のキリスト教と同じものなのかどうかは、どうやって確かめることができるのだろうかと思った。なぜ神は沈黙するのか、の意味をロドリゴ神父と考えつつ、とても読み応えのある小説だった。(11/10/31)

    0
    投稿日: 2011.11.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    キリシタン禁制状態の日本におけるポルトガルの司祭の物語。 司祭は日本で囚われ、自信のおかれた状況と神の救いについてひたすらに考えを巡らせる。 当時の空気を感じられると同時に、信教について考えさせられる。 あまり得意とする内容の話ではないのだけど、司祭の心の揺れが興味深く読めた。 キリスト教の信仰における基幹となる部分や問題となる部分など詳細に書き込まれていて勉強になった。 古典的名作として読んでおいて損はないかと。

    0
    投稿日: 2011.10.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    宗教とは何か?信仰とは何か?という事のみならず、生死に拘わる困難な状況に直面した際に人は何を考えどう思うのか?までを上手く描いています。 そして、宗教的ではなく一般的に読むなら「大切な物は何か?」という問いかけに感じました。 この本は、最初から最後まで、ロドリゴのこうした「神の沈黙」に対する心の動揺を延々と描いています。それなのに、全く退屈せず一気に読ませてしまうのは、遠藤周作さんの筆の力でしょうね。

    1
    投稿日: 2011.10.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    春に横浜で、遠藤周作記念展を見てのをきっかけに購入した沈黙をようやく読み終わった。”私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ。わたしはお前たちとその痛さと苦しみをわかちあう。そのためにわたしはいるのだから” 深い河に連なる、遠藤周作の宗教観を感じた。宗教とはイデオロギーでは無く、アイデンティティーなのだ。 次は侍を読んでみようか。 今週、また横浜に行く。

    0
    投稿日: 2011.10.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    鎖国、キリシタン禁制の日本に潜入したポルトガルの司祭ロドリコが、拷問にかけられ殉教させられるまでの物語。この時代から日本人の気質、思考法のようなものはあまり変わっていないように思えた。鎖国、戦時中、今の日本、日本に宗教が深く根付かなかった理由、いろんなことがぼんやりつながっているような気がした。

    0
    投稿日: 2011.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    神を信じることは、自分の弱さを認めることだ。 だから「棄教が信仰である」というパラドックスが生まれる これは実に興味深い。 それにしても「神の沈黙」という疑問に答えられないキリスト教が なぜホロコーストをくぐり抜け現代まで延命しているのか。不思議だ。

    1
    投稿日: 2011.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ひとつの観点から鋭く捉えた歴史書としてとても良くできた作品です。パッションという映画を思い出しました。

    0
    投稿日: 2011.09.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    江戸時代初期。キリスト教は迫害され,信徒たちは踏み絵や拷問を受け,棄教しなければ焚刑など残虐な方法で虐殺されるという時代であった。そんな中,イエズス会が日本に派遣していたフェレイラ教父が拷問の末,棄教したと言うしらせがポルトガルまでもたらされた。フェレイラの弟子たちは,それが信じられず,日本に向かう。そして,なぜ,フェレイラが棄教に至ったかを弟子の一人ロドリゴは身をもって知る事になるのである。 ロドリゴは信者の裏切りにより幕府に捕われの身となる。主は襤褸のように薄汚い人間しか探し求められなかった。人々に石を投げられる娼婦のように魅力もなく,美しくもない存在を求め歩いた。魅力あるもの,美しいものに心惹かれるなら,それはだれだって出来ることだった。そんなものは愛ではない。色褪せて,襤褸のようになった人間と人生を捨てぬことが愛だった。ロドリゴはそれを理屈では知っていながら,はじめのうちは自分を売った者を許すことが出来なかった。でも人間は誰もが強い人間ではない。強い者と弱い者,聖者と凡人,英雄とそれに畏怖する人。その中で自分で生きてゆけるものはいい。そうで無い者を救うことこそ聖職者である自分の役目であることを今一度思い起こし,自分を恥じるのであった。 信者たちも捕らえられ,拷問を受ける事になるのだが,そんなときに,なぜキリストは黙って見ているのだろうか,なぜ助けてくれないのか。主を信じつつ,拷問を受け,主のために死んでいく。それに対し,主は無関係のように沈黙し,そっぽを向く。これを殉教と言うのか。こんな馬鹿なことは無い。殉教とは虚栄のための死なのか。あの人は聖者だったと言われたいのか。捕らえられた牢獄の中でロドリゴは次第に苛立ちを覚え始める。 違う,黙ってはいるが,優しみを込めた眼差しで自分を見つめている。信者を見つめている。お前が苦しんでいるとき,私もそばで苦しんでいると。最後までお前のそばに私はいると。 いよいよロドリゴは拷問に掛けられようかと言うとき,牢獄の奥から奇妙な声が聞こえてきた。鼾かと思い,番人に鼾がうるさいと苦情を言うと,番人は『あれは鼾ではない。穴吊りにかけられた信徒たちのうめいている声だ』と。そして,信徒達は,棄教したにもかかわらず,吊るされている。それはロドリゴが踏み絵をしないからだ。と言うのである。ロドリゴは,教会より,布教より,今,目の前の信者を救うために,何が出来るのか考え,ついに足を上げてしまうのである。でも,踏み絵の中のキリストは,お前たちに踏まれるためにこの世に生まれ,お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだと語りかけてくるのである。踏むがいいと。聖職者にとっての拷問とは,目の前の信者を救うために踏み絵をせざるを得なかった葛藤と,その後襲ってくる,これで良かったのだろうか,自分が助かるための言い訳ではなかったのか,という悔悟の念であった。 そして,キリストは最後にロドリゴに語りかける「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと誰が言えるのか?」と。 本作品でいうロドリゴのモデルとなったのはイタリア出身の実在の神父ジュゼッペ・キャラという。棄教後は岡本三右衛門と名乗り,江戸小石川の切支丹屋敷で生涯を終る。

    0
    投稿日: 2011.09.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    キリストはペテロを許したみたいに、権力の前に信仰を折るものを許すのじゃないかと思った。キリストは自分の信仰は折らないけれども、他人には許すだろう。キリスト教が組織立ったことがまた悲劇なのかと思った。この本の中でもロドリーゴは踏み絵のキリストに許される。それまで想像していた美しいキリストでなく、磨耗した醜いイエスに。 キリスト教が日本では変容していく様子に、芥川の神々の微笑を思った。

    0
    投稿日: 2011.09.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    高校の時初めて読みました。 はっきりいって、理解できませんでした。 2回、3回と読み返すうちに…遠藤周作の本当のイエス像はすべてを受け入れ許すという、究極の人間愛だと思いました。 でも、それも大人になるまで判りませんでした。 そして結婚をして子どもを産んで初めて、そこに至る気持ちの変化を判った気がしました。 何度も読み返しました。 もう数えきれないくらいに。 出も読み返す時はいつも自分の中に、苦悩を抱えている時です。 自分で自分が許せない、そう思う自分さえも嫌気が差す。 そんなとき読むと自然と答えが見つかるのです。 不思議です。 キリシタンや宣教師の苦難、そしてその裏には人間のエゴと残酷さがある。 形は変わっても、誰にでも潜んでいると思われる残忍な心。 その風景を見ても見ぬふりをするという、傍観の残酷さも描いている。 本当に人間としていつも自分に向き合う時には、嘘はつけない。 人の優しさとは何だろうか? 許す心と受け入れる心を持つには、まだ自分の中に葛藤があるのです。 自分の死を持って人に訴える力とは何でしょうか。 あまりにも深く難しく、今でも答えは模索中です。 ただ、自分が死ぬときには、ありがとうと言って、自分の周りのすべてのものに感謝の気持ちで逝きたい。 色んな意味で私の原点であり、バイブルの一つにあたる本です。

    0
    投稿日: 2011.09.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    遠藤周作はやっぱいいね。読ませる。どの時代でもどの国でもまるでそこが現代のような感覚を覚える。これって人物描写がすごく優れてるんだろうな。 サンダカンもそうだたけど、島原・天草は地理的に農業にも漁業にもあまり向かず、なのに圧政をひかれて高い年貢をとりたてられて厳しかったんだろうな。

    0
    投稿日: 2011.09.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    日本人って本当に二次創作が得意な民族なんだなぁ・・・って思う。 日本に輸入されたら宗教は違うものに変質してしまう。まぁそりゃそうだろうなぁ。生活スタイルが違うから神に願うところも違うよね。 しかし、やはり「なぜ人が神を求め続けるのか」という永遠の疑問の核心には迫れないかな。現状では。 やっぱり一度どん底まで落ちなきゃ分からないかなぁ…。 むむむ・・・(-公- ;)

    0
    投稿日: 2011.08.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    1966年、遠藤周作43歳のときの作。キリスト教禁制の時代の宣教師の物語です。「沈黙」が何を意味するかはすぐに明らかにされます。作者のキリスト教に対する解釈が描かれています。僕にはそれは救いのない話のように感じられます。

    0
    投稿日: 2011.08.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    江戸前期のかくれキリシタンとローマカトリックの司教パードレがいかにして踏み絵を踏まされ改宗させられていくかという物語。 キリシタンを弾圧していく過程の描写が壮絶だった。 むごすぎて読んでいて胸が痛くなったが、この時代の農民の生活の悲惨さ、厳しさを改めて痛感したのもある。 だがその悲惨さとは裏腹に、文章自体はものすごく読みやすく、一気に読めた。 最近は日本人の宗教性というものに興味があるが、キリスト教の洗礼を受けている遠藤周作自身によって書かれた「本当の意味でキリスト教は日本には根付かなかった」という言葉の意味は大きいだろう。 筆者自身日本という土地をバックグラウンドにもちつつも異なる文化圏の宗教であるキリスト教を受け入れるにあたりいろいろな葛藤があったのだろう。 他の小説も読んでみたい。

    0
    投稿日: 2011.08.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    名作といわれるだけある小説。 史実を取り入れつつのフィクション。 自分の弱さに勝てないキチジローが心に残った。 神は沈黙したままなのか・・・? 内なる声が神の声? うーん、いろいろと考えさせられる本。 もう何回か読みたい。 遠藤周作の描写のうまさが

    0
    投稿日: 2011.08.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    面白かった。自分が最も大切にしていた存在へ、疑念を持たざるを得なかった司祭たちや、善い信徒でありたいと願いつつも、弱さに勝てないキチジローの痛切さが、心に残る。 ただ、個人的には信仰、あるいはキリスト教という一神教の世界観はどうしても外側からの理解になってしまうと感じた。

    0
    投稿日: 2011.07.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    人を恋しいと思う気持ちを断ち切らせてくれる一冊、かな。たったひとり、孤島でこれを読んで、やっぱり人に会いたくなるものなのかな。「信仰」というものは、未だに不可解な単語です。

    0
    投稿日: 2011.07.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    教科書で読んだ続きが気になって手にとってみました。 重要なポイントは教科書で既に読んでいたのでインパクトが少なかったです。

    0
    投稿日: 2011.07.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちの悲惨な状況に苦悩する。そして彼もまた、背教の淵に立たされることとなるが――。 前半の、ロドリゴ司祭の一人称になるまでは割とその心境にも納得しながら読めたのだが、彼の一人称になると、途端に読みづらくなってしまった。 これはあくまで私個人の読み方なのだが、前半の司祭の書簡では、司祭という立場があってこそああいう文章になったのだろうな、とどこかで思いながら読んでいたのだ。そのため、後半になって、本当に司祭の心境があの書簡に書いてあったことのほとんどそのままなことに驚いてしまった。 私はそもそも、神は沈黙している=神は何もしてくれない、ということを当たり前だと思っていたのである。 どんなに悲惨で、どんなに残酷な目にあっても、神は何もしてくれない。それは私にとって、「え・・・当たり前のことでは?」という意識があったのである。 これは私の現在の境遇(?)も多いに関係していると思うのだが、とにかく神様がいるにしてもいないにしても、その神が何かをしてくれる、あるいは神が自分に何か応えを返してくれる、という意識が私には始めからないのである。 ええっと、神様がいるかいないかとなると、いたほうがいいんじゃないの、と思っているし、神社なんかでお清めやお守りみたいなものをしてもらうことだって、否定しない。というか、私もおおいにそれらにすがることはある。 しかし、それで本当に神様がどうかしてくれるだとか、何か答えが見つかるだとかはさらさら思っていないのである。ただそれらの行為をやることに意味があるのであって、それをすることで慰められることこそが、最大の効用だと思っていたのだ。 だから、このロドリゴ司祭の心境には、どうにも馴染めなかった。彼は本当に、神が言葉をかけてくれると思っていたのだろうか?  私が引っかかったのは最初から最後までそこのところで、もし彼に私の言葉が届くのなら、私は「本気ですか?」と訊ねるだろう。だって信じられないんだもの。 私は無神論者では決してない。神がいるならいるで、見守ってくれていればいいと思う。けれど、神は何もしれくれない。それでいいではないか。見守ってくれるだけでいいではないか。私はそう思う。

    0
    投稿日: 2011.07.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    キリシタン迫害史を背景とする緊迫のドラマの中に、神の存在を問い、信仰の根源を衝いて、西洋と日本の思想的対立を鋭くえぐり出す長編小説。谷崎潤一郎賞、ピエトロザク賞受賞

    0
    投稿日: 2011.07.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    答えが正しいかどうかではなく、あるかどうかですらなく、救ってもらえるか否かでもなく、答えを追い求め続ける、信じ続けるということ。

    0
    投稿日: 2011.06.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    西洋と日本の思想的断絶を強く感じる。 浮かび上がってくる、神の存在への疑問。 拷問に苦しみ殺される信者に、なぜ神は沈黙しつづけるのか。 ここまで沈黙しつづける神をどうして信じられよう。これは理解し難かった。 司祭が信仰を失わない意志は、もはや彼にとって信仰が息をするのと同じく”慣習”であり、結果的に彼の生涯が信仰に捧げられてきたことに対する"執着"ではないか? 神は普遍ではない。絶対的真理ではない。 という見方がこれを読んで強まった。 日本に基督教はどうしても根付かない。 司祭が教会で教える神と日本人が考える神は似て非なる物である。 司祭を失えば人々の信仰は本来とは別のものになってゆくままである。 根を絶やせば茎、葉は枯れていく。日本という泥沼に根を下ろすことはもともと無理だったのだ。 以下小説より 「地上の苦しみの代りに永遠の悦びをえるでしょう」(ロドリゴ司祭) 「お前は自分の弱さをそんな美しい言葉で誤摩化してはしけない」(フェレイラ) 「日本人は今日まで神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう」(棄教した聖職者フェレイラ) 「やがてパードレたちが運んだ切支丹は、その元から離れて得体の知れぬものとなっていこう。日本とはこういう国だ。どうにもならぬ。なあ、パードレ」(背教した幕府の役人・井上) そして、目の前で拷問されている信者の苦しみを取り除くには、司祭はかたくなに信仰を譲らぬことよりも、踏み絵を踏むことが答えとなる。 ロドリゴらヨーロッパ人が熱心に駆られて基督教を運んでくるせいで、また日本人の血が流れる。役人はそう言うが間違いではない。

    0
    投稿日: 2011.06.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    これはたくさんの方が読まれていると思いますが、あえて。神を何者ととらえるか、本当の信仰とは何か、という遠藤が辿りついた「母なる神」を描いた名作。日本の隠れ切支丹の時代を中心に、ひそかに入国したポルトガル司祭の心の動きをリアルに描いています。タイトルの『沈黙』とは、神は沈黙していないということ。神は奇跡を起こす方ではなく、苦しみを共に分かつ同伴者として描かれています。物質的な信仰を越えましょう。 01 DODORIASAN

    0
    投稿日: 2011.06.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「転ぶ」「転ばない」というつらさに向き合う人たちのとてつもない葛藤とか強い思いのようなものを、優れた小説がどうとかいう次元ではなく、心に焼きつけられる事実という形でとどめずにいられなかった小説。

    0
    投稿日: 2011.06.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    追い詰められた末に選ぶ決断をどう解釈するか。題の『沈黙』をどう解釈するか。さまざまなことを読者に委ねてくる作品。

    0
    投稿日: 2011.06.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    考えさせられた 切支丹 の考えは 複雑だった あの人はなぜ黙っていられるのか キチゾーが想像しやすかった どうあることが しあわせなのか よくわからない 誰かのために 自分ができることは いったいなにかわからなくなった

    0
    投稿日: 2011.06.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    この本ほど、読み手の思想が試される内容はないと思う。日本人の宗教に対する嫌悪感。司教たちの内的葛藤。さまざまな角度から考察しなければ、私ひとりでは消化できない。

    0
    投稿日: 2011.05.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    おとーたんに読んでみそっていわれて読んだんだ。 主人公「オレ神様信じてんのに、どーなの神様…。」   神 「  無  」 そーだよねーって思いました。 信仰っていろいろ大変だよね。  

    0
    投稿日: 2011.05.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    初めてこの本を読んだのは中学生のとき。 読書感想文で3回は書いただろうか。 信じるということ。 生きるということ。 何度も感想文を書いたのは手を抜いたからではなく、この本について語りたかったから。 人とは何か。 答えはないけれど、人の一生について考えさせてくれる良書。

    0
    投稿日: 2011.05.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    震災後、リアルで見るニュースがすごすぎて、しばらくフィクションを読む気が失せた。再開第一冊目を何にするか悩んだ結果、高校時代からの愛読書である、遠藤周作氏の「沈黙」の再読に決めた。神とキリストに関する深い信仰を持つ宣教師が、江戸時代の日本で殉教していいく信者を前に、「なぜ神は沈黙を続けるのか」を問うていく、深い深い作品。今回の震災でも、数多くの信仰深い方々がお亡くなりになったり、震災後のトラウマに悩んでいると思う。「神は乗り越えられない試練はお与えにならない」というが、宗教とは何なのか、考えさせられてしまう作品。

    0
    投稿日: 2011.05.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    場面が鮮明に浮かんでくる文章。状況描写がしっくり合っていると思いました。主人公の主観で語られているので感情が伝わりやすく、話に勢いがあります。重めの話だけれど思いのほか読みやすかったです。

    0
    投稿日: 2011.05.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    次々と殉教を余儀なくされる者達の前で、神は沈黙し続ける…。信仰、現実、プライド、孤独の中で苦悶するロドリゴの姿に胸が締め付けられる思いだった。

    0
    投稿日: 2011.04.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    遠藤周作自身はキリスト教徒ながら、クリスチャンでない日本人がこれってどうなの?というキリスト教に対する抱く疑問と同じような疑問をテーマに、作品を描いてくれるため、素直に入っていきやすい。また、クリスチャンも同じようなことを考えるんだと思うと親近感も湧く。 個人的には、登場人物の中で「キチジロー」が好きです。 とにかくおすすめの一冊。 ヒルズ

    0
    投稿日: 2011.04.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    私が遠藤周作を読むきっかけとなったんですがとても良かったです。私の(おもにキリスト教に対する)宗教観

    0
    投稿日: 2011.04.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「神の沈黙」という主題。 いつまで神は黙っているのか。神は存在するのか。 無宗教と言っても完全に無宗教でいられるわけでもなく。宗教とは関わりなしと言うことは出来ません。前に宗教をテーマに調べたことがあります。やっぱりよくわからない。何がそこまで信仰に繋がるのか。なぜ、彼らは宗教を信仰するのか。ただ、宗教の種類に大差はないのではないか、と『沈黙』を読んで思いました。大切なのは宗教の種類ではない。なぜだかそんな感じがします。 来年度やるから春休みに読むといいと言われたけれども、すごいものを読んでしまった気がします。前へ、前へと読み進められ、感動でした。心を動かされたというか面白かったというべきか、すごいなという思いでいっぱいでした。後でよく考えてみると、おそらくこの文章の構成でまずやられたのではないかなと思います。まえがきから始まり、ロドリゴの書簡に続き、最後は三人称の語り。知らぬ間に物語に引き込まれていきました。

    0
    投稿日: 2011.04.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    神の沈黙、神の不在とはなにか、信仰とはなにであるのか?そういったことを考えさせてくれた本です。 ここにキリストがいたら、彼らを救うために踏むはずだという言葉にはどきりとしました。 布教という使命で被い隠した形式に沿った信仰に対する本当の救済とは。おもしろかったです。

    0
    投稿日: 2011.03.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    この作品はキリスト教と仏教の対立を描いたもので、切支丹狩りが最も行われていた時代の日本が舞台。宗教とは何か、それを考えさせられる作品となっている。無宗教の私には難しい作品かもしれないと思っていたが、そのようなことはなくとても読みやすい作品だった。フィクションではあるが、全くのフィクションではない。切支丹狩りが行われたのは事実であり、そういう過去を現代の私達がどう捉えるか、『沈黙』を読むことはその端緒にもなると思う。

    0
    投稿日: 2011.03.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    信仰は自分の中にしかない、そもそも他人と共有できるようなものじゃない。 縋るなんて行為は、多分一番神から遠い。

    0
    投稿日: 2011.03.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    長崎に行く予習として、親に勧められた一冊。 古典やし、と思ってたらものすごい衝撃。 すごいテーマを選んだものです。 キリスト教徒はこの本をどう読み、どう解釈するのか気になるところ。 逆に日本人の非神論者は案外、この感覚が根付いているのかなとも思ったり。 「あなたは、神を信じますか」という言葉が(作中にはないけど)読み終わった後、重い。

    0
    投稿日: 2011.03.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    神とは?信仰とは何か?いろいろと考えさせられる。無宗教で基督教には詳しくないが、事細かに文章が描かれているのですらすらと読めた。この書では神の存在云々は問われていないが、神を信じ拷問を受ける使徒たちを前に「神はなぜ沈黙をしているのか」司祭は人生の全てを否定される選択を迫られる。究極に追い詰められた状況での心の移り変わりゆく苦悩と葛藤が伝わってくる。本当に大切なのは何か、を問いているのだろう。結末はなんとも…導きだした結論に対して正誤性を問いているのではなかろうが、う~ん、難しいなあ。再読が必要です

    0
    投稿日: 2011.03.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    本作の主題は神の沈黙の声・信仰のあり方というものだろうが、それに加えて日本人と西洋人のモノの考え方の違いも言及されている。 重たくてグロテスクだが、面白い・・・

    0
    投稿日: 2011.03.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    高校時代から十数年も愛読。 キリスト者が考える救いを見せてくれた本。 宗教は人を救うのか? 何かにすがれば魂は救われるのか? 田舎の、ぼんやり思い悩む高校生に光を与えてくれた本です。

    0
    投稿日: 2011.03.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    キリスト教迫害のとき日本にきた宣教師の話。なぜ信者が苦しんでも神は沈黙し続けるのか、いったい神とはなんなのか。 宗教についてなど考えたこともなかったですが、この本はとても心に残っています。

    0
    投稿日: 2011.02.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    キリスト教禁制の日本での布教活動の厳しさが伝わってきます。 一途に信じて祈りを捧げる人達が無残に弾圧されていく中での宣教師の葛藤が見事に描かれています。

    0
    投稿日: 2011.02.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    名著。キチジローのしゃべり方が伝染る! 信仰を持つ人は絶対読むべき。信仰を持たない人には理解し得ない作品だと思う。信仰自体が苦悩の一因になったり、不信に陥ったり、迷いを乗り越えたり……、そういう経験がないと「沈黙」の重みは分からない。

    0
    投稿日: 2011.02.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    授業 宗教ものでしかもこういう過酷すぎる描写のものは 実は 大大大っ嫌いなのですが それを除けば素晴らしい小説でした

    0
    投稿日: 2011.02.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    これぞ遠藤周作の作品!というかんじ。日本と欧米の宗教観の比較や日本の独特さなど、遠藤周作が生涯テーマとしたものが詰まっていると思います。

    0
    投稿日: 2011.01.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    僕らが共感しうる「人生」についてではなく、この作品はあくまで「教義を守れば報われる」といったキリスト教の在り方へ疑問を突き付けるものなのだと思います。作品を通して救いは0%だけど、それが遠藤流の優しさ。

    0
    投稿日: 2011.01.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    いつ買って、いつ読んだかは覚えていないが、映画の『海と毒薬』を観て、遠藤周作に興味を持って読んだ本。 残酷な拷問や人の心を利用するやり方。 私は人が涙を流すときは自分がかわいそうだと思って泣くのだ、と思うことが今まで多かったのであまり涙を流したくはなかったが、読みながら「もうやめてあげて」と思って涙がこらえられなかった。 宗教を作ったのもそれを信じるのも人間だから、宗教は苦しみにもなる、と思った。ただ宗教そのものは悪くない。

    0
    投稿日: 2011.01.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    若い宣教師ロドリゴは、島原の乱後、キリシタン禁制の日本で布教活動をしていたが、やがて捕まる。彼の目前で信徒たちが拷問を受けているのに、神は沈黙したまま。ロドリゴは悩んだ末、信徒たちを救うために絵踏をしようとする。真の信仰とは何だ? 嫌悪感を抱いた人間は一人だけ。

    0
    投稿日: 2011.01.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    学生時代以来の再読。受洗前どころか、ミッション系の学校で長く学んでいても自分が受洗するなど想像もしていなかった当時の自分がこの作品をどう読んだのか、今となっては思い出せませんが、衝撃を受け、涙したような記憶が…おそらくキチジローに共感し、神の沈黙と人間の弱さとにうち震えた、のかな。改めてクリスチャンの立場から再読した今回、記憶にある限り初めて、ロドリゴに共感し、かつ、「神は沈黙してはいなかった」という結論が胸に響いて来ました。 「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」…イエスの人生に象徴される、弱き者、苦しむ者と共にある主こそが、キリスト教で信仰される神の本質なわけで。踏み絵を踏んでも、むしろ踏むことで初めて、栄光に包まれた信仰ではない本当の信仰にたどり着いたロドリゴに、それまで沈黙していたかのように思えた神の声が聞こえる。その言葉をロドリゴと共に聞き、神は沈黙してはいなかったのだと納得できたことが、今回の再読で得た新たな体験でした。単なるドラマとして読んでもインパクトのある作品ですが、やはりこれは信仰の書だと改めて思いました。

    0
    投稿日: 2011.01.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    遠藤文学の神髄、遠藤文学のド真ん中、キリスト教・信仰・神といった重いテーマを本作は扱っている。何よりも惹かれるのは、鎖国中に不法入国した神父達が「転び」それでも生きながらえたという事実を知ったからである。殉教や隠れキリシタンの知識は持っていても、実態を理解できていないのが実状である。一時は数万人もの信者がいたとされるキリスト教徒が、いくら幕府の命令だからと言って綺麗さっぱりいなくなるには、それなりの物語があるということを知ったからでもある。拷問でもなく、殉教して天国に行った行ったであろう聖人・福者でもなく、背教すなわち「転び」をテーマに持ってくるあたりが遠藤文学の凄いところだと思う。 その上で、「転び」の論理や日本にキリスト教の神は根付かないとする視点は、キリシタンとして信仰を持ち続けた遠藤周作自身の自らへの問いかけであることは言うもまでもないだろう。主人公パードレのロドリゴは、幾多の苦しみにあっても「神の沈黙」に直面する。「転び」の後の「踏むがいい。踏むがいい。お前たちに踏まれるために、私は存在しているのだ」というイエスの言葉は、キリスト教の根本命題であるイエスによる「贖罪」を扱っている。テーマの重さに比例して重厚な文章は、私の慣れ親しんだ遠藤周作では無かったが、一気に読み終えられたのはこの名作に出会えた感動が小生を後押ししたのはいうまでもない。

    0
    投稿日: 2010.12.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    濃厚ていったらいいのか、ストーリーの重さもさることながら文章の濃縮度合いが高い。 江戸時代、キリスト教弾圧下の日本で宣教師である主人公が信仰について苦悩する様、その最後に訪れる場面には、いかに信仰の薄い日本人といえども心に大きな痛みと苦しみを感じるのかもしれない。 人は生きる中で多くの選択をします。 もしその選択肢がどれも自分の意に添わないものであったならばその時、人はどうするのか。 本当に大切なものとは? 本当に譲れないものとは? 本当に守るべきものとは? 本書のテーマは信仰ですが、実は現代社会においても単語や状況を変えて似たようなシチュエーションは私たちの周りにも起き得ることなのだと思います。(ここまで過酷ではないにしても) ただし、本書の状況をそのまま考えた場合、目の前で人が拷問を受け死んでいくのを信仰を理由にみすみす見逃すのは私的にはあり得ない。 ただひたすら「神、神...」いってる主人公をどこか冷めた目で見てしまったのも正直なところでもあります。あくまで私はですが。 扱うテーマが信仰と、自分と相性の悪いテーマであったのが今回残念な点。次回はちょっと内容を変えて同著者の『心の砂時計』を読んでみます。

    0
    投稿日: 2010.12.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    とても面白かったとおもう すごい昔の作品なのにすんなり読める キリシタンのことも分かりつつ宗教の深さも やはりうすうす感じていたが日本にキリスト教が根付かない原因が少し分かった

    0
    投稿日: 2010.12.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    こんなにも信仰を守って生きてきたのに、なぜ神は私に救いの手を差し伸べてくれないのか。いつまで耐え続ければよいのか。 宗教を考える上で一度はだれもが思う“神様なんているのか”という問いに、ひとつの考えを提示している作品だと思う。 僕は信仰とはひとつの“自分を納得させること”だと思っているが、この作品を読んで、新たな気づきを得ることができた。いままで読んできた小説の中でもかなり傑作であるとの印象を抱いた。

    0
    投稿日: 2010.12.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    遠藤文学の最高傑作。読み終わった時には心が揺すぶられて、しばらくは 余韻にひたるほどの名作です。日本に伝道に来たポルトガル宣教師の”コロビ”に至る苦悩と踏み絵を許す神。踏まれる神が痛いのではなく、踏む足が痛いという心の葛藤。国、時代、宗教を超えて人間の本質を考えさせてくれます。

    0
    投稿日: 2010.12.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    分からない…やっぱり、どうしても、分からない。 何故、信じるのか。 何を、信じているのか。 作中何度も繰り返される「黙っていた」「黙ったまま」「砂のように静かに」…「恐ろしい沈黙」。 読んでいる間中、読み終わってからも、心にずっしりと「沈黙」が重くのしかかります。 並行して聖書も読んでいますが、私には一生分からない気がする。

    0
    投稿日: 2010.11.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    キリスト教とは何か、神の存在とはを信者の目線、考え方を知ることができる作品。決して表面的な信仰ではなく、究極的な環境で本物の信仰が試される。作者もキリスト教信者であり、作中人物の心の動き、転ぶまでの過程と大変リアルなものになっている。

    0
    投稿日: 2010.11.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    神とは何なのか、キリストとはどういう存在かを考えさせられた。信徒がどんなに苦しもうが「沈黙」するのはなぜか?それともそうではないのかということを自問自答しながら読み進めた。 切支丹弾圧時代の日本において、キリスト教を信じ、死んでいった日本人とキチジローやフェレイラのように転んだ人たちの対比、自分だったら・・・と考えてしまった。どちらが正しいとか美しいということではなく、どれだけ自分自身の心に自問自答し、打ち勝つことができるのかと。 遠藤周作の作品で描かれる弱いものに寄り添い苦しみや悲しみを分かち合う同伴者としてのキリストの姿がここでも見ることができた。

    0
    投稿日: 2010.11.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    遠藤周作のエッセイばかり読んでいた私にとって、この小説は衝撃でした。 ページをめくるのが本当につらくて、何度も本を閉じかけました。でも、読まなくてはと自分に言い聞かせて最後まで読んだ作品です。 読み終わったとき、しばらく立ち上がることもできませんでした…。私の人生の中で、忘れることのできない一冊。

    0
    投稿日: 2010.11.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    信仰とはなにか。そして、自分が自分でいることの根底にあるものはなにか。「沈黙」というタイトルの先にあるもの・・・私の答えは人生の終わりに見つかるかもしれない。「信じる」ということは、とても難しく、また考える一冊。

    0
    投稿日: 2010.11.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    題名に恥じず、神の「沈黙」に問う宗教小説。 何故生きるのか。宗教によって人生を左右されるのであれば、宗教はいらないか。いや、若しくは人生が懸かるからこそ、敢えて必要なものだろうか。 テーマは秀逸。 しかし展開は重く、ページは繰りづらい。 私も神を近くに感じる生活環境に入れば、また視点は変わるのだろうか。

    1
    投稿日: 2010.10.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    沈黙。 この小説に出てくる海は暗い。神もそういう暗い海みたいなものなのかもしれない 私は宗教というものがよくわからない。 神様は信じてるけど、、 なぜ異なる宗教同士で争ったり、命を懸けたりできるのかわからない 宗教は人を救うためにあるはずなのに… でもまだ沈黙と深い河しか読んでないけど遠藤周作の作品は私のこのもやもやした疑問に答えてくれそうな気がしている

    0
    投稿日: 2010.10.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    数年前に読んだ時も衝撃を受けたけれど、今読んで前よりもずっと衝撃を受けました。宗教だけではなく、文化交流自体とても難しい問題だと考えさせられた。日本は変わり続けている国だけれど、沢山の衝突の中で変わってきたんですよね。平和な今に感謝するだけじゃなく、それを忘れちゃいけないなぁと思います

    0
    投稿日: 2010.10.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    キリストが「去ってなすことをなせ」とユダを突き放し、また、殉死していく者たちに対して沈黙し続けたことに対する、司祭ロドリゴの出した解釈はキリストは「一緒に苦しんでいた」であった。 そしてロドリゴはキチジローに「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」という秘蹟を与える。 キチジローを軽蔑していたロドリゴは自分も踏み絵をすることで、はじめてその痛みを知ることができた。 踏み絵によって悟りを開く(?)というある意味皮肉な結末。

    0
    投稿日: 2010.10.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なぜ神は沈黙しているのか?神は存在するのか?といった問いに対する答えを、司祭や信徒たちなどの内面を通して探求していく作品。宗教は全く信じていないが、“信仰”について考えさせられた。

    0
    投稿日: 2010.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    予備校講師から教えてもらった、遠藤周作は「海と毒薬がいい」って。心にずしりと響き、何度か読み返しているためボロボロ。でもやっぱり思い出して読み返す。すがれる神があることは幸せなのかな。遠藤周作を読み漁るきっかけとなった本。

    0
    投稿日: 2010.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    日本人による『神』 の存在について本質的な問題提起。 神は期待にこたえるものなのか・・・ キリスト教徒である遠藤周作が描く真理追究が感じられる。 この時代に生きなくてよかった。

    0
    投稿日: 2010.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    高校の授業で触れて、それから何度か読み返している作品。 初めて読み終えたときの感覚を忘れられない。 私には信仰はない。 読後に自分が感じる「神」と、同じものを信仰をもつひとたちは感じているのだろうか?

    0
    投稿日: 2010.09.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    この本に書かれていることがどこまで事実かわからないが、おもしろく、悲痛な気持ちになった。きちんと読めていないが、深い本だと思う。

    0
    投稿日: 2010.09.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    耶蘇が迫害される中、神は沈黙を守っている。一体何時になったら助けてくれるのか。神の沈黙を描いた名作。

    0
    投稿日: 2010.09.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    高校の頃に出会って以来、何年かに一度のペースで読み返しています。 私に一生疑問を投げかけ続ける、一冊だと思います。

    0
    投稿日: 2010.09.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    著者とキリスト教は切っても切れない深い関係にあり、多くの作品に色濃く反映されている。この著作が代表的と言われる所以は明確に宗教流布の極みの部分に迫っていることであるからだと思う。そして何よりそのすれすれの境界線上を歩くその心境をリアルに伝えているからだと感じる。冒頭で私自身も宗教を弘める一人だと言ったのは事実で、一般の人よりはその心の機微を敏感に感じ取ることができる。けれども、そのような逆境の場面に未だ出くわしていない(いや、出くわすほど動いていないと言える)自分に自信がなくなることもある。もし遭遇したのなら・・・そう考えるだけで足がすくんでしまうのは、人としての弱さか。それ以上に信仰者としての資格以前の問題か。いろいろな問いかけを提供してくれる彼の作品をいくつも研讃しなければと感じる。

    1
    投稿日: 2010.08.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    島原の乱が鎮圧されて間も無い「キリスト教禁制」下の日本において、棄教を迫られるのポルトガル司祭・ロドリコを描いた、余りにも有名な小説です。 考えさせられる事が数多ある作品でした。 宗教とは何か、信仰とは何かという事のみならず、生死に拘わる困難な状況に直面した際に人は何を考え思うのかといった、人の在り方という根源的なものも描いている様に思えてなりません。 事の正邪を論じた単純な作品ではありませんが、敢えて述べるならばロドリコ、フェレイラ、キチジロー、誰もが正しいと言えるのではないでしょうか。 作品中、キチジローこう叫びます。 「(前文略)踏絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏み絵をば俺が悦んで踏んだとでも思っとっとか。(中略)俺を弱か者に生れさせおきながら、強か者の真似ばせろとデウスさまは仰せ出される。それは無理無法と言うもんじゃい」 人が生きていくうえで生じる迷いや恐れといった、負の感情を除いて幸福へ導き生きる力(希望)を与えるもの、いわば人の弱さを補うものそれが宗教、そして信仰だと私は考えていました。 では、キチジローのこの苦しみは何なのか? 読了後、私は天を仰いでこの事について考えましたが、考えはまとまりませんでした。おそらく愚陋な私には生涯、答えを出す事が出来ないでしょう。 余談ながら遠藤周作といったいわゆる「純文学」的な作品は、難解な語句の使用と高遠な表現などで、さぞ読み難いものなのだろうという先入観がありました。 しかし、実際にはその様な事は殆どありません。 平易な文体に因り人口に膾炙するからこそ「名作」と称されるのだと気付き、自分の不勉強さを思い知らされました。

    0
    投稿日: 2010.08.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    島原の乱が鎮圧されて間もない頃。踏み絵など、まだ切支丹禁制が厳しい長崎にポルトガル人司祭が布教のため潜入。しかし奉行の手によって捕らえられてしまう。幽閉を堪えながらも、信徒に加えられる残酷な拷問と「神の“沈黙”」の前に、彼は棄教する。 キリスト教を信仰していても、こういう考えてってあるんだ。こんなに苦しんでいる人たちを前に何故神は沈黙しているのか。

    0
    投稿日: 2010.08.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    司祭であったセバスチャン・ロドリゴの基督教に対する信仰を内面から丁寧に描き出すことで、「本当の信仰」とは何なのかを問いかける。 基督教に対する理解がもっとあれば、キチジローの意味付けなんかがもっとはっきりわかるんだろうけど、それはともかくも、個人的に基督を、やや迷いながらも、信じてやまないロドリゴと一応は棄教してしまったフェレイラとのやりとりがとても印象的だった。 宗教は内面から生じるものだと思ってはいるが、それが宗教たるには外面(=形式面)も必ず伴わなければならない。しかし、それらは極限まで追い込まれると分離の危機に陥る。果たして、どちらを守ることが真理なのか―。 私にはわからないが、少なくともどちらも伴っていてこその宗教であることには間違いないと思う。その宗教を巧みに引き裂いたのが、良くも悪くも、江戸当時の日本であった。そうした対応は実は明治に入っても変わらない。浦上キリシタンの大弾圧である。 ロドリゴは最終的には「宗教」を超えて、「本当の信仰」の域に達したのかもしれないが、それが周りには全く伝わらないのがあまりにも哀しすぎる。(逆にそれがフェレイラの存在を一層際立たせることにもなったのだが) いくら信仰が私事的なことであったとしても、「私」は周りあってのものだとも思うから。私には誰にも理解されない信仰など貫き通せそうにない気がする。そういう意味ではロドリゴは強者だったわけであり、まさしく結局そこには「強い者」も「弱い者」もなく、あるのは「沈黙」のみであった。 宗教がそこにある限り逃れることのできないテーマ、『公』と『私』について問いかけた本だったとも言えるのではないだろうか。少なくとも当事者でない人たちにとっては。 (2006年02月08日)

    0
    投稿日: 2010.08.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    すっごい衝撃。スペインの先達の宣教師の行動を許されなく思っていた主人公。だが、彼の下した最後の決断・そこに至るまでの考えに心が打たれた。

    0
    投稿日: 2010.08.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ドラスティックな緊迫と力感、躍動感が溢れている。 キリスト教が虐げられていた時代背景や、信仰心に耐え忍ぶ宣教師の心理描写が克明に迫ってくる。 切支丹禁制のあくまでも厳しい鎖国日本へと、三人のポルトガル司祭が潜入を企てるが、過酷な拷問を受けるという、簡明率直な仕組みではあるが、あくまでそこに描かれる逆境心理の描写が一直線である。 クリスチャン作家遠藤周作による、スピードと熱を持った探求作。

    0
    投稿日: 2010.07.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    宗教に関することを勉強してみたり本読んでみたり考えてみたり・・・そういうとき、結構この本について思い出す。読んで良かった本です。

    0
    投稿日: 2010.07.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    久しぶりに「沈黙」を読んでますが、やはり重たい小説です。 登場人物が我が国ではキリスト教が根付かないと嘆きますが、時代もありますし、日本はやはり仏教国という訳ですね。ちなみに聖徳太子が仏教を我が国に根付かせたようですが、根になる人は動いてはいけないのです。キリスト教イエズス会の目的はエルサレム巡礼ですから、ザビエルもイエズス会創立時のメンバーですから、そういう誓願をフランスで立てたようです。そこで、他の会も当時の日本に根付かなかったのでしょう。日本の守護聖人という訳にはいかなかったと現在思うのです。

    0
    投稿日: 2010.06.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    非常にリアルさを感じた。 宗教とは縁の薄い日本人にとって、深く考えさせる小説だと思った。 はるか江戸時代、死ぬ覚悟を持って宗教を信じようとした日本人の集団がいたのかと思うと驚く。

    0
    投稿日: 2010.06.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    神様は語っている。それを信じる者の行動や言動を通して。 作者はそう言いたいんだろうなあ、と思う一冊。 神様の沈黙という、宗教界での大タブーを取り上げているようで、実は物理的に神様がいるいないの問題が描かれているのではないのではないか。 それを信じる者の心の中にそれが存在するなら、神様ってものは存在している、そう言いたいのかなあと感じました。素晴らしい作品。ぜひ最後まで、あの最後の部分も読んでほしい。あそこに、そう書いてある気がしました。

    0
    投稿日: 2010.05.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    高校の授業をきっかけに読んだが、この物語を切欠にキリスト教が遠くなった気がした一方で、宗教に向き合うということに一歩近づけたような気もした。 スコセッシが映画化するとのことだが、、長崎出身の友人とその話をしたところ「…(自分には)受け入れられないと思う」と言っていた。

    0
    投稿日: 2010.05.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    私は信仰を持っていないが友人に信仰を持った人が何人かいる。 少しでも理解したくて読んだ、んだと思う。 遠藤周作の解釈が全てとは当然思わないけど私にとって彼のイエスの描き方はとてもしっくりくるものだった。 これを読んだあと韓国映画「シークレット・サンシャイン」を偶然見たのだけど、通じるものがある気がする。

    0
    投稿日: 2010.05.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    学生時代、シスターから「一人一人の中に神はいます。沈黙の中で神の声に耳を傾けなさい。」と言われた言葉を思い出す。あの頃、毎朝礼拝をしていたけれど、私には結局一度も神の声は聞こえてこなかった。ただ、神の不在という存在感は圧倒的であった。神の存在を疑うこと、これこそが他の何よりも神の存在を証明しているように思えてならなかった。

    0
    投稿日: 2010.05.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「人間がこんなにも哀しいのに 主よ、海があまりにも碧いのです」 修学旅行で舞台となった、長崎の外海や遠藤周作文学館へ行った。もう一度ぜひ行きたい。

    0
    投稿日: 2010.05.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なんという息苦しさ!まるで水槽に閉じ込められているようだ! 日本人にとって、信仰による奇跡や変革とは、『遠い所から運ばれてくるもの』なのだそうだ。それは中華の国の辺境国であると言う立地から、国の成り立ちの時点で染み付いたもので、日本人の根本的な宗教に対する考え方自体が、「世界中の奇跡を取り入れ、自身が一番使いやすい神を創造していくもの」であると。フェレイラはそれを沼と呼ぶ。彼は司祭であったが、運び手にしかすぎなかった。ただ、ロドリゴはキチジローにとって神であったのかもしれない。視点を変えれば、2人はユダであったのかもしれない。イエスはユダに許しの言葉をかけなかった。そうして、ユダは死に逃げた。ロドリゴとキチジローは。 沈黙の中の切支丹にふれると、法然や親鸞が唱えた極楽浄土の信仰を思い出す。彼らにとって「神」が「キリスト」である必要はなくかった。『ここではない場所』導いてくれるものならば釈迦でも観音でも聖母でも。徳を積み、本当に得たいものは「死後の浄土」ではなく「瞬間の幸福」であったのではないかな。末世の民衆にとっては。 形作られたとき、それはイエスキリストになった釈迦になったり、深い川では「玉ねぎ」に、はたまたジミニー・クリケットになったりする。弱さも裏切りも献身も愛も自分の中にある。自分のなかにしかない。 遠藤先生の作品を読むと、やすらかな場所に導く大いなる力は、突き詰めると『自身』だ。と感じる。

    0
    投稿日: 2010.04.28