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総合評価

876件)
4.3
381
279
128
13
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    ノーベル文学賞候補作品 イエスを主題とした遠藤作品の中でも珠玉の名作です。誰も書かなかった分野に切り込んでいく膂力は凄まじい気迫を感じます。 日本の歴史の中で実際に行われたキリシタン弾圧。踏み絵を踏まなければ穴づりの拷問が待っている‥キリシタンの過酷な状況。これほどの極限の選択の中で、信仰者達は何を悟るのか。信仰とは何なのか、神とは何なのか、自分とは何なのか…。壮大なテーマを誠実に追求しました。その力量に圧倒されます。 当時クリスチャンの間で賛否両論が巻き起こったと聴きます。『神はなぜ沈黙しているのか』という侮辱とも思われる言葉。 しかし著者も洗礼を受けたクリスチャンです。ゆえに、書き上げるまでに相当の苦しみや懊悩があったと思います。その鋭い痛みが伝わってきます。 後世に残したい、残さなければならない作品です。

    1
    投稿日: 2010.01.22
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    舞台は島原の乱後、宣教師が日本に密入国し、布教しようとするところか ら。 乱のあとで取り締まりはより厳しく、肉体的だけでなく、精神的に追い詰め られていくキリシタン。 「神は本当にいるのかー」ついに、宣教師までもがそう思い始めてしまう。 この話をカトリックの遠藤周作が描くなんてすごいなと思う。 命をかけて、命の源として信じていたものが、根底から崩れ去っていくのは どんな気持ちだろうか。 目の前で命を奪われても、その瞬間神は何もしてくれない。 感動的な死ではなく、ただの小さな出来事でしかない殉死。 宗教って、いったい何なんだろう。 小説なんだけど、後味は哲学書のような1冊。

    0
    投稿日: 2009.12.27
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    己の信徒が迫害・拷問・裏切りを受け続けていてもなお神は沈黙するが、それは同時に信徒の背教を赦していた沈黙でもあった。

    0
    投稿日: 2009.12.07
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    「鼾」のコントラストで愕然となりました。 読んでてガクッと体が動く、という体験。滅多にない。泣く。 受難とかの追体験による自己陶酔ってやつは、誰しも持ってる自己陶酔と現実逃避なんだろうね。 一番始末が悪い。 でも、よく思うのには。 来世のために、楽園のために現世を頑張るってことは、結局自分のためでしかないんだよな、と。そう考えると自己完結の合理性。 自分の死後の幸福のために布教する。 自分の死後の幸福のために他者へ尽くす。 独善的で、自己陶酔でしかないから、信じない人はみんな嫌な気持ちになるんだろう。 いつしかそれは、信仰が勝り、損得感情を失ってしまうだろうが、根底にその救いはあるんだろう。 本当の信仰は、自分が地獄へ行ったとしても― 布教して、他者へ尽くす。 という覚悟が無くちゃならないんじゃないだろうか、と。 この本のおかげで今まで考えていたものが少しつかめたかと。

    0
    投稿日: 2009.12.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    何度読んでも、いい本だと思う。 いい本というか、考えさせられるというか、胸に響く。 でも、かなりひっぱられるので 読むぞという気合をいれてからでないと。

    0
    投稿日: 2009.11.25
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    鎖国時代の日本に訪れた基督教(キリスト)の宣教師の物語。教科書に出てきたフランシスコ・ザビエルの後の話で、キリスト教を踏み絵などで拒絶している日本に密入国し布教活動を広めようと考える宣教師達。その彼らの苦労と心の葛藤が凄まじく、時々惨い。 キリスト教の話だが、神と言う観点からはどの人にでも当てはまる様な嘆きが描かれていて「沈黙」というタイトルが頭をよぎります。でも退屈なところや、同じような事柄が多く誰にでもオススメ出来るとは感じませんでした。

    0
    投稿日: 2009.11.10
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    いろんな意味で日本人の作品。薄暗く圧倒されるほど力強い。細かい描写多いから資料としてもとっておくといいよね。

    0
    投稿日: 2009.11.05
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    キリシタン迫害史を背景とする緊迫のドラマの中に、神の存在を問い、信仰の根源を衝いて、西洋と日本の思想的対立を鋭くえぐり出す長編小説

    1
    投稿日: 2009.11.02
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    きっとその時代背景だとかその時・その一瞬の出来事が関係してくるものなんだろうけど、人は目に見えないものを信じたくなるのは何でだろう。 古代から現在までずっと廃れないその信念が凄いと思う。 (ちなみに私はキリスト教信者ではありません)

    0
    投稿日: 2009.10.31
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    この本を読んでまず、最後に出てくる西勝寺の境内に立ってみた(長崎の生まれ育ちなのでして)。さて、神は沈黙していたのか否か、考えてみた。私がそんなことを考えてみたということは、そのことをもってしても、神は沈黙などしていないということになるのではなかろうか、と考えた。若かった。今も、わからない。

    1
    投稿日: 2009.09.30
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    映画化の構想があるとどこかで見ました。どんな映像表現にするんだろうと思うとそれだけでちょっと恐ろしくなります。

    0
    投稿日: 2009.09.13
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    クリスチャンはやはり理解できない。 伝道師たちの日本での様子がまざまざと想像させられました。 ゆっくりで深く暗くて悲しいショック。 神様は沈黙を続ける。

    0
    投稿日: 2009.09.11
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    三人のポルトガル人は鎖国の時期に潜入した。 とても内容は全体的に不気味な感じで、しかしドラマチックである。 読み始めてしまえば思った以上に世界の中に入り込んでしまった。 拷問に耐え続け、神の救いを求めていた信者の心理が痛いくらい伝わる作品であった。

    0
    投稿日: 2009.07.29
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    先を読むのが本当につらくなってくる。 人は結局何に依拠して生きていけばいいんだろう。信仰は幻にすぎないのか、善人がなぜ損をするのか、何もかもが許された時代ではないがゆえに人々はそんな問いに苦しみ続ける。でも先が読みたい。そんな本。

    0
    投稿日: 2009.07.14
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    【090705】負けるが勝ち ::::::::::::::::::::::::: もう恨みはしない。 信じて待つ。

    0
    投稿日: 2009.07.05
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    中途半端なレビューを書くのが畏れ多い作品。 そのうち小論文並みの長い感想文を書こうと思っている。 当時高校生だった私に大きな衝撃を与えた一冊。

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    投稿日: 2009.07.03
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    遠藤周作が描くキリスト教文学の「原典」。「苦しむ者と共に苦しむ」神の姿には、キリスト教の信者ではない読者にも共感を与えます。遠藤文学を知るために、最初に読んでおくべき作品。

    0
    投稿日: 2009.06.30
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    ミステリのようなエンターテイメント系の本に比べ 読むスピードは遅かったのですが、 じわじわと、 きましたね。 解説では佐伯彰一氏が人物描写に対して「留保をつけたい」と言っているけど、 私は全然何も感じなかったかな…。 確かに筑後の守やキチジローの性格は極端で 若干リアリティに欠けるかもしれないけれど、 いやいや、そんなのは全然気にならないです。 どっちかって言うと フェレイラの最初の登場時の態度の方が、 ちょっと違うんじゃないかと思う (だって彼は自分で納得して転んだのであって、  ロドリゴに対し恥じてはいないはずだから)。 キチジローの弱さと卑怯さには確かに最初嫌気がさすんだけど、 彼の主張する「自分が弱いのは自分のせいではない」 「こんな時代でなければ自分はただのキリシタンで  卑怯者と後ろ指さされることはなかった」 という言葉は、 すごく考えさせられる。 そして最後、 主人公ロドリゴが転ぶ過程が、 もー共感ですよ。 あの柔軟性、本当に大切なのは何なのか、という発想は 何にしろ自分たちの世界を無条件に信じている人たちには欠けがちなものだしね。 英語にくらいは翻訳されているんだと思うけど、 もっと西洋人に読んで欲しいなあ。

    0
    投稿日: 2009.06.10
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    とても深遠な世界だ。 目の前で次々と殉教者が拷問にかけられ殺されていくさまを見て、司祭は神に問う。「神よ、なぜあなたは沈黙したままなのですか? 助けてくださらないのですか?」 それに対する答えはない。このような神の『沈黙』が延々と描写され続ける…と思いきや、この話の『沈黙』はもっと深いところにある。 クライマックスで、究極のパラドックスが用意されているのだ。自分が殺されそうになった時に、大抵の人は(無神論者でいたとしても)神に命を乞うだろう。しかしここでは、拷問を受けている人質を救うために、司祭は神を棄てなければならないのだ。 信仰は果たして命より重いものなのだろうか。もちろんこれがすべてと言うわけではないが、これはこの小説が問いかける究極の問いではないだろうか。司祭はこれに対する答えを一応は提示したものの、苦悩して暮らしていかなければならないことになる。このことは、司祭が行った答えが必ずしも正しくはなかったことを意味しているように思う。正しいことを行ったのなら、そのあとの生活で苦悩する必要はないのだから。しかし、逆を選んでいたとしても、同じように、あるいはそれ以上に、司祭は苦悩していたであろう事は想像に難くない。では……正しい答えは一体どちらなのだろうか?  実は、司祭は神も人質の命も、棄てていなかったのだろうか。こうしてまた読者の中に大きな謎が生まれる。そしてその答えは、おそらく誰に問いかけても返ってこないだろう。あるいは答えは、読み終えた我々が見つけ出さなければならないのかもしれない。 『海と毒薬』でも別のテーマの葛藤が描かれている。神への信仰をテーマとする遠藤周作の作品で、葛藤は不可避の問題となって現れてくる。『海と毒薬』もこの小説も文章そのものは難しくなく、読みやすい。テーマは軽くはないが、考えさせられるいい機会を得られる。お薦めだ。

    0
    投稿日: 2009.06.01
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    キリスト教、宗教を考えることもできるし、知らなきゃいけない歴史と見ることもできるけれども。 人の心の弱さがありありと描かれている。いや、弱さなのか?。。。

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    投稿日: 2009.05.19
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    中学生の頃に、遠藤周作さんの本は全部読んだのですが、この本の意味を本当に理解したのは最近でした。改めて、凄い日本人がいたのだな、と思います。

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    投稿日: 2009.04.21
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    あなたが一番よりどころとする者を 踏むことでしか生きられないならばあなたはどうするか。 葛藤の中で導かれた答えとは・・・読んでからのお楽しみ(笑)

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    投稿日: 2009.04.02
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    主人公その他の心理描写がすばらしい。ことに主人公はだいぶ四百年も前の外国人なのに、そこらへんは作者遠藤さんのすごさってやつでしょうか。 彼の「日本には基督教は根付かない」や「彼らが信じているのは我々の信じるデウスではない」といった井上らの口を通して語らせた考察にはとっても共感するところがある。西洋と日本の文化の違い、それも根本的な違いを的確についている。もちろん日本のキリスト教徒が信じているものは西洋人のそれと違うとゆうわけではないのだが、少なくとも自分には西洋の神の概念は理解できても腑には落ちないものがある。 最後にロドリゴが"棄教"するけども、おれはあれを棄教とは思わないなぁ。むしろ気づいたんでしょうな、基督が本当に果たした役割を。あの段になって彼は理解したんだろう、ユダの犯した最大の罪は絶望し自らの命を絶ったことだと。

    0
    投稿日: 2009.03.23
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    高校の時、確か受験直前だったとおもう。ぼくはキチジローの立場からこの本を読んだ。強くありたい、いやそんな立派なものではない。そう、信じたい、裏切りたくない、だが疑い裏切ってしまう。そのどうしようもなさが自分と重ね合って僕は西宮市立図書館でこぼれる涙を抑えながらこの本を読んだ。 今はむしろイノウエ、ロドリゴの立場に興味がある。日本にいるわたし。集団的圧力を嫌いながらそれを自分で行使する人間としてのわたし。イノウエの苦悩は想像することしかできない。 多元的な読み方のできる本だと思う。弱くて周りを羨み、妬む人間、強くて周りを愛し、蔑む人間、皆に読んでもらいたい。

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    投稿日: 2009.03.09
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    日本という方法。 閉鎖的かつ高同調社会に異端者が来た場合の 対処の仕方。 おいでおいでと底無し沼に引きずり込む。 「踏み絵」をさせるなどを通して何とかして 自分の側につくようにするか村八分にするか どちらか。 現代にも脈々と受け継がれている。

    0
    投稿日: 2009.03.04
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    国文科卒の友達には純文学だよって教えられたけど、 これ、ホントに「純文学」なんですか??? ちゃんとドラマティックでドキドキしました。 キリがなくなるので本は電車の中だけって決めてたはずなのに、 お風呂の中でも読んで、それでも足らずに最後はもう続きが読みたくて眠れないほどでした 「沈黙」というタイトルの理由がわかったのは半分頃遅 信じることの辛さとか、 人間の不完全さとか弱さとか、 いろんないろんなことにハッとさせられるお話。 どんなに祈ったってどうにもならないこともある。 だけど、何かを信じている人ってこんなに強いんだ。 (結局ダメだったけど最後までホントロドリゴは強かった) 「信じる」っていうのは、「助けてもらうために」する行為ではなくて、 「自分を強くもつために」する行為なのだなぁ。 そんなふうに感じました。 ‥それにしても主役の顔が、 どーも「ダーリンは外国人」のダーリンになってしまって困った

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    投稿日: 2009.02.06
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    ■内容 キリシタン迫害史を背景とする緊迫のドラマの中に、神の存在を問い、信仰の根源を衝いて、西洋と日本の思想的対立を鋭くえぐり出す長編小説。 ■memo これは、合コンで知り合った医大の男性が勧めてくれた本。まったく気の合わない人だったけれど本の趣味だけは合ったな。というわけで彼のおかげで遠藤周作の数々の作品に出会えたのだ。

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    投稿日: 2009.02.02
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    今まで一番読むのが辛かった本 主人公と共に逃走しているような感覚を感じた すばらしい描写がリアル過ぎて、辛くて未だに読みかえせない

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    投稿日: 2009.01.26
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    遠藤周作の代表作であり、私も大好きな作品。 文庫本の表紙が、作品ととてもマッチしている。 人間誰もが持つ弱さから生まれる狡さやみじめさの中で、 信念の持つ強さを教えてくれる作品。

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    投稿日: 2009.01.18
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    答えてくれるもののない沈黙に耐え続けるのは苦しいこと。必要なのは強靭な精神なのか、ゆるぎない信仰なのか、それとも信じたもののために他は犠牲に出来る冷酷さなのか。作者の出した結論はそれとして、読者一人ひとりに、信仰とは何かを考えるきっかけを与える本。真ん中辺りの、ロドリーゴ司祭が一人島を彷徨い歩く際の自然の描写が、目に浮かぶように繊細。そしてイエスの顔との結びつきで描かれる司祭の心理描写もたくみ。おすすめです。

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    投稿日: 2009.01.10
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    高校生の頃に読んで、唯一今でも心に残っている小説です。 信仰とは何か?生きるとは?・・・考えさせられました。

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    投稿日: 2009.01.10
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    神は決して語らないんですね 信仰とか、宗教に限らず 「信じる」 行為について考えさせられます

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    投稿日: 2009.01.07
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    絶対面白くないだろうなぁと思いながら読んだら、予想外に面白かった。信仰、神、棄教、命。そんなことを考えた。彼が沈黙せずという結論に達したのは、それは彼が本質的には棄教しなかったからと思われる。そういう意味では彼は、信仰者よりもなお真実、信仰者である。 2008/12/21

    0
    投稿日: 2008.12.21
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    江戸初期におけるキリスト教の弾圧とそれに対する宣教師の生き様を描いた作品。 宣教師の苦悩が鮮やかに描かれていて話に引き込まれる。 果たして日本の民衆たちはキリスト教をそのまま信仰しているのか。 また信仰できるのか。 この時代の人々には現代とは違い、仏教の教えが非常に身近であり、かつ根強いものとして定着していたであろう。 その結果、民衆が救いを求める対象はたまたま教えられたキリスト教があったにせよ、あくまで救世主、死後の世界や奇跡を体現するものとしての神という存在であり、それは同時に仏でもあったのではないだろうか。 これはあくまで私の想像にすぎないが。 つまり、キリスト教のみを信じるのではなく、あくまで救いとしての存在だったのではないか。 これを現在に手放しにあてはめるわけにはいかないのは言うまでもないことである。

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    投稿日: 2008.11.26
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    海を越えてまで布教しようとした宣教師と 全てを受け入れそれらを改良、時には改悪し取り入れていく日本の民族性について論じている。 著者が何が言いたかったのかがよくわからなかった。 けれどもそれは読み手である僕の力不足であると思う。 必読の書。

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    投稿日: 2008.11.15
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    私の疑問の真髄をついていた本 よむのがドキドキする けど、上がり下がりなくて どうなるのどうなるのっていう いやなドキドキ感はない。 良いドキドキだった。

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    投稿日: 2008.11.14
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    自分は基本的に宗教が嫌いなんですが、この本はキリスト教がメインなお話。 この話は日本がキリシタンを弾圧したり、禁教するために踏絵を行っていた時代、宣教師がその逆境にも負けず布教をしようとする。でも実際には信者たちは迫害、拷問され、最後には殺される。このような苦難にもかかわらず神は救いを与えてくれない。 今もそうなんじゃないだろうか? 宗教のことはよく分からないけど、それぞれの宗教にはあがめる対象、神のような存在があると思う。その神に信者たちが毎日祈って、救いを求める。なのに、実際にはその宗教が原因で戦争は起こっているし、宗教上の問題から不都合が生じていることもあると思う。 それなのに、神という存在は私たちに何をしてくれた? ずっと沈黙を守り続けている。世界なんてちっとも平和にならない。(世界平和が宗教の最終目標ではないと思いますが、少なくとも人々が神に祈りをささげて毎日を送ることによって、不自由のない生活を送ることが出来る、というのが理想だと思います) もやは神など存在しないのではないか。 しかし、それでも人々は宗教を信じる、いつか、きっと素敵な日々を与えてくれると思うから。そこに根ざすものは“信じる”という行為の絶対的な存在。 そんなことを考えさせてくれる本です。

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    投稿日: 2008.11.02
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    数ページ分だけ教科書に載っていた「沈黙」。はじめて、「神様」というものの存在について考えるきっかけになった一文でした。沈黙を読み、海と毒薬を読み…そして狐狸庵先生を読みあさった。一言では言えない自分なりの「神」のかたちが、少し見えた気がします。

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    投稿日: 2008.10.22
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    キリスト教信者は、神の存在を疑わないのだろうか?司祭というある意味最もこの疑問から離れた立場の描写がすばらしい。読みたかった、読んで良かったと感じる。

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    投稿日: 2008.10.11
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    自分にとって衝撃の一作であり、名実ともに名作であると思う この小説を忘れることはないんではないでしょうか

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    投稿日: 2008.10.07
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    高校生の頃に読んだ。またぱらぱらめくってみた。 重い・・・・。 現在高校生の妹も「重い」とコメント。

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    投稿日: 2008.10.06
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    遠藤周作はだいすき! 宗教に対する考え方ってイマイチよくわからない。 見たこともない神様を信じて、そのために死ぬなんて本当にできるんだろうか。 ていうかまず「信じるために死ぬ」っていう意味がわからない。 宗教って不思議だなと思います。 日本人は無宗教だからそう思うのかもしれないけど、世界の大多数の人は自分の宗教を持ってるんだもんね。 そういう人は殉教をどう捉えるんだろう。

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    投稿日: 2008.10.06
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    遠藤さんをはじめて読んだ本。 キリスト教徒じゃないけど、色々考えさせられた。 神はなぜ沈黙するのか。

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    投稿日: 2008.09.23
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    「何故、神は沈黙するのか」。キリスト教禁制の日本では、隠れキリシタンたちは酷い迫害を受けていた。その日本にやってきた宣教師は、その現状に愕然とする。数え切れない殉教者の呻き、背教に追い込まれた自らの師……神の救いが与えられないことに絶望を深めていく彼の末路は。 背教の心理が精密に描かれ、心の底に重い鉛を残す名作。

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    投稿日: 2008.09.21
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    キリシタン弾圧の時代、信徒たちが苦しんでいるのに神はなぜ沈黙し続けるのか。救ってはくれないのか。キリスト教信者じゃない私にとっても興味深いテーマ。ロドリゴが悩み苦しむ様子がとても人間臭い。(塩狩峠と比べてもこの点がとてもいいなと思った。)

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    投稿日: 2008.09.07
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    キリスト教弾圧の時代。 仏教や神道などが混ざり合い独自の宗教観を持つ日本人が、キリスト教を受け入れるというのはどういうことなのか考えさせられる。 一気に読み終えた。

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    投稿日: 2008.09.07
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    at first imp/ 泣いた。ぼろくそに泣いた。「何故沈黙されるのですか」って。ああもうわたしがちーみっちゃい頃からずっとほぼ同じように思い続けてきたことで、こう、ザックリされました。 なまじうちの母方が隠れキリシタンの後孫だから他人事でもない。わたしが日本人ではなくかといってパラグアイ人にもなれないからこそわかる感覚ってのも…うん。 何も考えずに生きるなんてやっぱわたしには無理だなあ、と実感。

    0
    投稿日: 2008.09.03
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    重い。重いです。実在の人物をモデルに書かれた小説。 時は江戸時代、島原の乱が鎮圧されて間もない頃。日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは背教を迫られる… 私は171ページと191ページの言葉が印象的でした。気になった人は読んでみよう!(笑) キチジローがキーマンです。 弾圧された日本人が信じていたのはキリスト教ではなかったのですね。彼らにとっての神はゼウスではなかったのです。 本書と対をなす『死海のほとり』を読むと理解が深まる。

    2
    投稿日: 2008.08.24
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    ロドリゴが自らの境遇をキリストのそれと幾度となく重ねる姿だけでなく、やはり彼の心の揺れの描写が印象的だった。

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    投稿日: 2008.08.18
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    結末の場面ら辺では胸が苦しくなりました。 シンプルなラインの物語なのに、読者をひきつけます。 色々なことが脳によぎりました。 東西 鎖国 弾圧 教え 解釈 宗教 主 神 超越 文化 そして、題名の「沈黙」 最後にある解説を読むまではこの物語を書いた遠藤周作がキリスト教徒であることに理解するのが難しかったです。

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    投稿日: 2008.08.16
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    7月25日読了。鎖国中の日本に布教に来た、信仰に燃えるスペイン人宣教師が日本のクリスチャンの受難を目の当たりにし、神の存在を疑うに至る物語。薄い文庫だが内容は重く、ズシリと読み応えがあった。所詮、宗教とはこの世の苦しみを一時忘れさせるだけのおためごかしに過ぎず、神にすがり祈るだけでは現実を変えることはできないのか・・・?現実の世界を見ると、宗教が世界を良くしているとは思えないしな。「転んだ」クリスチャン、キチジローの存在も印象的。

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    投稿日: 2008.07.30
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    友人がレビューを書いてたのを見て久しぶりに読んでしまった。 詳しい書評は時間があるときに更新するのでしばしお待ちを。 とりあえずセカチューやらなんやらで感動したとか言ってるやつはコレ見てから言えと。

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    投稿日: 2008.07.28
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    読んでしまったー、沈黙・・・。課題図書ということで、おもーい気持ちで手に取ったんだけれど、もう、さすがとしか言いようがない。素晴らしい。暗くて重いのに、どんどん読めてしまうこの恐ろしさ・・・そして迎えるクライマックス。なぜあの人は沈黙しているのか。この守るべきものがあるときの信念というものは、すごいなぁと、息つく暇もないほどの1冊。積極的に読みたいとは思わないけれど、また手にとりたくなる時が来るかもと思ったのでありました。

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    投稿日: 2008.07.11
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    キリスト教弾圧下の日本に潜入するイエズス会宣教師。 キリシタンがどんなに残虐に拷問され殺されても、神は現れず沈黙するのみ。 信仰の根源を問い詰められる宣教師。 そして「転ぶ」。 日本の文学史上最大の金字塔!。 マーティン・スコセッシ監督により映画化の予定。

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    投稿日: 2008.07.08
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    クリスチャン、シューサク・エンドー だからこそ描ける切支丹と聖職者の心。 何故あなたは黙っておられるのでしょう? 聖職者だって人間です。 そして如何なることが起ころうとも、世界は何事もなかったかのように営みを続けるのです。

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    投稿日: 2008.06.24
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    国語の問題集というのは、面白い文章がたくさん載っている。 中学2年生のとき、長崎の隠れキリシタンたちが捕らえられ、そのうちの1人が棄教する場面があった。 「転ぶけん、わしはもう転ぶけん」 あまりに悲痛だった。“転ぶ”という言葉が頭から離れなかった。 その作品が「沈黙」であったのか、違ったのかは今では分からない。 ただ、「沈黙」を手に取るきっかけになったことは確かだ。 翌年、初めて読んだ。 少し難しめの本を読みたい頃だったし、「海と毒薬」を読んだ後でもあった。 そのときの感想は、「遠藤周作、考えすぎ」。 重いテーマと「読んだ」という満足感だけで、考えることをしなかった。 「そんなに考えなくてもいいのに」「もっと単純に生きればいいのに」と思った。 それから4年後、ほんの少しだけど、やっと私の頭が「沈黙」を考え始めた。 「神の沈黙」、何が起ころうと、神は何も言わない。 それは当然「神は本当にいるのか」という疑問を引き起こす。 キリストでさえ、死のとき「なぜ見捨てたのか」と叫んだ。 読んでいて、時々ロドリゴの言う「主」が何なのか分からなくなった。 それは「神」なのか、それとも「キリスト」なのか。 私は神もキリストも信じてはいない。 信者たちは信じているのだろうか。 あの疑問が頭を掠めたことはないのか。 「神の沈黙」について全く疑問を抱かず、祈っていることは、「信じている」ことになるのだろうか。 「それは信じていることではない」と思った1人が、遠藤周作なのだろう。 クリスチャンである彼が、その疑問について書くのは苦しかったと思う。 踏絵を踏まなければ、他にも嫌疑が及ぶモキチに 「踏んでもいい、踏んでもいい」 というロドリゴ。 彼は悩む。 万一神がいなかったら、 殉教とは、 なぜユダはテーブルについていたのか、 なぜキリストはユダに「去れ」と言ったのか。 それらは全部、遠藤自身の悩みでもあったはずだ。 もしかしたら、井上の悩みでもあったかもしれない。 井上の“一般とは違う理由”とは何だったのだろう。 井上も日本人の信仰がキリスト教とは異質なものであることに失望したのではないか。 フェレイラの言うとおり、日本人に神の概念はないと思う。 人間から全く隔絶した存在を観念することができない。 太古の昔から木や岩や海など自然を崇めてきたし、神道も天皇という現人神を崇めてきた。 仏教が入ってきても、寺や仏像を崇めた。 私たちが十字架や聖像なしで信仰を保つことは困難だ。 日本人に偉大な哲学者や思想家が少ないのも、これと無関係ではないと思う。 また、その思想を理解し、評価する者も少ないのだろう。 殉教って、何の意味があるのだろう。 信仰が命より大切ってことあるのかな。 ないよね。ないんだけど、どうして。 主よ、「踏んでもいい」と仰るなら、どうして踏まなければならない状況からお救い下さらないのですか。 なぜ愛の行為がこんなに辛いのですか。 それでもあなたはお答えくださらないのでしょうね。 遠藤周作やロドリゴは、ユダや神の沈黙に答えをみつけている。 けど、私にはまだ分からない。 キチジローやユダがどうしてロドリゴやキリストを追い続けるのかも、なぜ沈黙する神をそこまで愛するのかも。 私の母方の祖父はクリスチャンだった。 ロドリゴたちとは違うプロテスタントであったけれど、質素に、神を信じ、生きていた。 神は祖父に安らかな死を与えてくれた。 祖父の死を悼むとき、私も教会で牧師の話を聞き、賛美歌を歌う。 私には聞けない「神の沈黙に疑いを持ったことは?」などと。 祖父は幸せに暮らしていた。 貧しいときも苦しいときも、祖父は耐え、戦い、老いては私たちに愛を注いでくれた。 十字架をもらったこともある。 「真ん中にハートの形があるのは、ただの飾りじゃないんだよ。イエス様の愛なんだよ」 あの問いをすることは、祖父の人生を否定するようで。 なぜ人間は神を信じなければ立っていられないのだろう。 どうして、こんなに弱いのだろう。 分からない。 祖父は今、仏教風の墓石の下に眠っている。 葬式はキリスト教式であったけど、お通夜もした。 祖父の母親や兄弟、親戚たち、また地域的にもキリスト教というものは縁遠い存在だったからだ。 日本の宗教って何なのだろう。

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    投稿日: 2008.05.28
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    最初はロドリゴの手紙から始まるのだけれども、途中で第三者の視点に移る。ここでちょっと混乱するかも。無宗教なのでわからない部分もあるけれども、「神の沈黙」と「神の愛」は永遠のテーマなのかも?ロドリゴの迷い、宣教師として何をするべきなのか?救う(精神的に)ために信徒を見殺しにするのか?救う(信徒の命を)ためにキリスト教を捨てるのか?この迷いがこの小説を面白いものにしている。

    0
    投稿日: 2008.05.26
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    衝撃的でした! ルロイ修道士が木槌でつめの先がハナクソのようにまるまるといった表現は今後出会えないと思います!

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    投稿日: 2008.05.18
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    やばいやばい。 国語の授業でやったけど、ラストの踏絵のシーンではゾクゾクした。泣きそうなくらいだった。 私は信じてる神様とか宗教なんて無いけど、ここまで神の沈黙を貫かれると、却ってその存在を知りたくなる。何で何で、信じてるのに、救われないの?という思いが積もりに積もって… 救わない神は果たして神なんだろうか。

    2
    投稿日: 2008.04.27
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    禁キリスト教時代に、日本での布教を志した司祭のお話。信仰とはどういうことか、あの時代日本で布教活動をするってことがどういうことだったのか。宗教ってすごい力をもつんだなあ…。私はキチジローのほうに近いかも;

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    投稿日: 2008.04.20
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    どんなに祈っても神様は何も答えてくれない。 苦しい思いを助けるのが神様の役目であるのに、何も助けてくれない。 信仰って一体どんな意味があるのだろう? 江戸時代のキリシタン弾圧を素材に、そういったことを考えさせられる作品。

    0
    投稿日: 2008.04.12
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    死についてかなりリアル。えぐい場面とかがあるのではなく、登場人物の死に対する不安感がよく伝わってくる。また、当時の貧困層の暮らしぶりもリアルで今の僕達の生活がどれほどありがたいものかわかる。 かなりいい。

    0
    投稿日: 2008.03.27
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    ●スコセッシ監督が映画化を企画中。ジョニーに原作を渡してあるという。興味を示しているというレオナルド・ディカプリオと共に、宣教師の役か?  

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    投稿日: 2008.03.05
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    神の沈黙はもどかしく、やるせなく、むなしい。せいぜい聴こえるのは、人間の愚かしさについてのため息ぐらいだろう。何度読んでも私は泣いてしまう。すごい本だと思う。

    0
    投稿日: 2008.02.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    観念的な秩序としての信仰を超えた、独立者としての信仰観。 的確な表現ではないかもしれないが。。 ロドリゴの転びとキチジローの転びは本質がまったく違う。 生きて何をなすのか。 殉教は崇高なものであることは確かだが、 それ以上に神が必要としていることがあるのではないのか。。 江戸初期のキリスト教宣教師と隠れキリシタンと神の壮絶なドラマ、真実。 08/2/18

    0
    投稿日: 2008.02.18
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    鎖国時代のキリシタンの話。 信者にあらゆる苦難があっても、神は救いの手はださず、ひたすらに沈黙し続けている。 著者の信仰上の考えが如実に描かれている。

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    投稿日: 2008.02.10
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    あたし、高1のときの作品論、『沈黙』で書いて、高2のときの作家論は遠藤周作で書いたの。 『沈黙』はねぇ、ほんと素晴らしいよ。 あたし別にクリスチャンじゃないけど、やっぱ本当に神様っているのかなぁ?とか思うことってあるわけよね。 神様がいるんだったら、こんな悲しいことあるわけない!って腹が立ったりね。 そうゆう風に思ったことのある人にとってはめっちゃ面白い本だと思う。 あたしは神様はいると思います。つらいとき、苦しいときには神様があたしたちを背負って歩いてくださってるんです。 人間はすごく弱いけど、頑張ってれば神様は見ててくれると思う。

    0
    投稿日: 2008.01.28
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    なぜ神は苦から救ってくれないのか。なぜ神に祈りが届かないのか。なぜ神は沈黙するのか。そもそも神は存在するのか。神が沈黙しているのではなく、人間が本当の神の救いに気がついていないだけなのだと思った。

    0
    投稿日: 2008.01.28
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    江戸時代のキリシタン迫害の話し。 作者のキリストのとらえ方が表れています。 キリスト=永遠の同伴者 という考え方は共感できるなと思った。

    0
    投稿日: 2008.01.16
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    キリスト教作家・遠藤周作の傑作。もちろん、神について書かれている作品だが、人間の心の強さ、弱さをこれでもかというほどに問いかけられる作品。宗教に興味のない人でも、一人の人間として、一度読んでいただきたい。

    0
    投稿日: 2008.01.08
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    キリスト教が禁止されて、キリシタン達が迫害されていた時代に 日本にわたってきた宣教師の話。 遠藤周作の作風について語ってみるならば。ば。 海と毒薬とコレしか読んでないけど、彼のクライマックスの 描き方はとても独特な気がする。 ジワジワジワジワ緊張感が高まってきて、 ほんの一瞬、瞬きをした瞬間に、終わってる、みたいな。 あまりにも一瞬で、戻って確認してしまうこともたびたび。 それくらい、緊張感の高め方がうまいんだと思う。 内容について感想を語るには、テーマが宗教だけに、 少ない言葉では難しい。

    0
    投稿日: 2008.01.06
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    2004  初めての遠藤周作だった。せまるものがある。キリスト教文学だが、日本人に納得しやすいせいか、読みやすい。遠藤周作は、最初読みにくいが、読み進めると文章が世界に変わっていく。

    0
    投稿日: 2007.12.08
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    遠藤周作の中では一番すきな本です! 内容はなかなか深いですが…読んでいてとても考えさせられます。 ちなみにキリシタンの話です。

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    投稿日: 2007.12.06
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    おもしろかった。悲惨な目に遭うことがわかっていながら日本に渡った司祭が、案の定悲惨な目に遭う様に「ざまあみろ」、と思って読んでしまいました。大変失礼な態度で読んでしまいました。 当時の日本の様子も知ることができ、現代との違いにおもしろく感じました。 書店に並んでいるのを見たときには、文体が難しそうだと、勝手に決めつけていたのですが、大変読みやすかったです。

    0
    投稿日: 2007.11.26
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    旅行で長崎の外海に行き、この話の舞台がそこであったと知る。 「人間は弱い」ということをなぜこの人はこんなにも知っているのだろう。 読み終わって憤慨するか、シンとした気分になるかのどちらかで、 その人のこれまでの生き方が窺える。

    0
    投稿日: 2007.11.13
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    結局沈黙しているかいないか、信じているかいないかは自分の気持ちしだいと言うこと?自力本願だからですか?書き下し文は勉強が足りなくてよくわかりませんでした。残念!

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    投稿日: 2007.11.11
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    沈黙 救いがない。 沈黙の灰から弱者を蘇らせることができる遠藤周作。 鼾だと思っていたものが、実はうめき声だったことを知ったときのロドリゴの情況が伝わってくる。

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    投稿日: 2007.11.10
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    『深い河』とともに、私の心の一冊。先輩に『自分が弱い人間だと思うなら読んでご覧よ』と言われたもの。このような『文学』が書ける最後の作家だと思ってしまうほど。読んでください!

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    投稿日: 2007.11.07
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    舞台はキリスト教禁止令が出された江戸時代。逆境の中、己の信念を貫いてキリスト教の普及活動に挑む宣教師の姿を描いている。時代設定などからも、読み始めは取っつきにくかったが、読み進めて行くに従い、ひきづりこまれていく。

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    投稿日: 2007.11.03
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    「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」

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    投稿日: 2007.11.01
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    もっとも印象に残った本。遠藤周作にのめりこむきっかけとなった。日本人がなぜキリスト教を信じることができないのか。クリスチャンである作者がなぜこの本を書けたのか。高1で読んで以来、ずっとこのことを考え続けている。

    0
    投稿日: 2007.10.31
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    大学受験のときにはまりました。遠藤周作に。そのきっかけがこの本です。まぁ、神の沈黙を受験の合否に重ねていたわけですが・・・。 苦しい時や辛い時は、遠藤氏の本がいいです。共感できます。

    0
    投稿日: 2007.10.09
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    「信じるものは救われる」という言葉をよく聞く。 この言葉をそのまま受け取るならば、キリスト教徒が迫害されていた江戸時代、拷問で死んでいった信者は果たして救われると言えるのだろうか? もし、神がいなかったとしたら、彼らは滑稽な死を遂げたということになるのか? 神がいたとしたら、何故、神は拷問にあう信者を救わず、ただ「沈黙」しているだけなのか? そこで、「『救い』とは何か?」改めて考える。 この遠藤周作の「沈黙」は、その問いに対してひとつの答えを提示しているのだと思う。 そのひとつの答えを導くまでの過程が、理想と現実、精神と肉体…様々なものの間に生じる葛藤に苦しむ司祭を通して、主観的に客観的に描き出されている。 子供たちの唄、鳥の鳴き声、司祭の心を叙情する様々な音が、読後も耳元に虚しく残る。

    0
    投稿日: 2007.09.29
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    「基督は美しいものや善いもののために死んだのではない。美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、みじめなものや腐敗したものたちのために死ぬのはむつかしいと私はその時はっきりわかりました。」

    0
    投稿日: 2007.09.15
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    神様はきっと存在する。私はそう信じる。でも、何故、世界には戦争や犯罪が起きるの?この本に答を探した。 物語の最後に語られる言葉 「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」 強くある存在(神)も苦しむのか。世の中の悪に対して、全て神頼みにしては、神様も辛いのだ。私たち人間が働きかけて、問題を解決していかないといけない。それが神の沈黙という形のメッセージなのだと思った。 自分の苦しみは神の苦しみ。苦しまず、安心してなすがいい。

    0
    投稿日: 2007.09.07
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     日本人の無宗教性質やキリスト教のあれこれについては世にあまたいるだろう宗教学者の皆さまに譲るとして、あたしはたぶん信心から「もっともタイプ」の人間のひとりだと思うので、そもそもこういう宗教色の強い小説は肌に合わない。神などいない、と真っ向から言い切る罰当たりには、神の沈黙なんて死ぬほどどうでもいい設問でしかない。ということで、巷間言われているほどの傑作であるとはどうしても思えなかった。  それでもこの小説が読むに耐えるものであったのは、これが宗教小説であってもキリスト教小説ではなかったから。だれがどう考えたって、キリスト教についてはなにも知らないあたしが読んだって、このキリスト教はむちゃくちゃ。完全に遠藤周作というひとりの極東の信者によって考えられ書かれた「キリスト教」でしかない。それが可能だったのはもちろん遠藤がキリスト教徒だったからなんやろうけど。  解説で触れられているのはそういうことで、キリスト的主題を除いても、小説的おもしろさというのは損なわれていない。構成の妙といいシチュエーションの巧みさといい展開の美しさといい文章の塩梅といい、たしかに練達の技を感じる。けれど、それだけ。やっぱりそれだけではおもしろくない。  キリスト教徒じゃないから、というわけではない。人間の精神の限界というテーマは普遍的なものだけど、それをどこまでも神に依存した時点で、どこかしらほころびは生まれる。そのテーマと小説の本道のかみ合わせが上手く行き過ぎているからこそ、いびつなわけ。  おもしろいと思う宗教色の強い小説と言えば、あたしにとっては完全にジッドなんやけど、あっちの迫力に比べるとやっぱり見劣りする、と個人的には感じた。普遍性を普遍性ととりながら、その実存を問うというやり方は、やっぱり綺麗でなければならない。

    0
    投稿日: 2007.09.04
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    迫害に苦しむ者を前に、神はなぜ沈黙するのか?ここには私が常々抱いていた、殉教への根本的な疑問が描かれている。イエスがユダに言ったセリフを「突き放し」と捉える解釈は衝撃的だった。そして...キチジローがパードレに食べさせた干し魚は本当に辛かったんだろうなぁ...。

    0
    投稿日: 2007.08.24
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    まさに踏み絵の時代の話。 宣教師が日本にやってきて日本にキリスト教を布教する行為に対し、幕府がいかに弾圧を行ったか鮮明に書かれている。この本を読むと、今まで鎖国の当初を踏み絵という言葉だけでかたずけていたが、その時代が色濃く頭に残ると思う。読んで損は無いと思うからオススメ。

    1
    投稿日: 2007.08.16
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    神さまですら、人を裁くのに死後までお待ちになる――そういう言葉を聞いたことがあるが、この物語は「神の存在」自体を問う。救いを求めても神は姿を現さない。それでは神はどこにいるのか。 私は読んでいくうちにキチジローにどんどん親近感を覚えていく自分に気づきました。愚かで狡猾なのに、とても苦しんでいる彼に、人間を感じました。

    0
    投稿日: 2007.08.15
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    これは読んでよかった。 なおこお薦め本。 難しいと思ったけどそんなこともなく読み進んだ。 宗教のすごさを実感したと同時に1600年頃の日本のキリスト教信者への悲惨さを改めて感じた。

    0
    投稿日: 2007.08.14
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    高校生のとき初読。キリスト教について勘違いをしていたことに気づいた。命をはってまで守りたいものがあることに衝撃。

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    投稿日: 2007.08.04
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    キリスト教を知らないと少し読みづらいかもしれないけど、宗教というものの存在を深く考える又は感じることの出来る本だと思います。

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    投稿日: 2007.07.31
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    夏になると読みたくなる、文学系。 竜馬と同時期に読んだので、ちょうど頭が江戸時代になっていてとっつきやすかった。 しかし、重かった。。

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    投稿日: 2007.07.16
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    高校の教科書に一部掲載されていた作品。 衝撃が強すぎて、一気に読めず、 休みながら読んだはじめての本。 人間とは、宗教とは、神とは。 いろいろ考えさせられた。 キチジローは、最低だと思うが きっと誰の心にもキチジローは居る。 作者自身が、キリシタンでありながら、これを書いたというのも感慨深い。 中高生で一度読むべきだろう。 変な宗教を信じちゃいそうな人は特に。

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    投稿日: 2007.07.10
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    どれほど祈っても、助けを求めても、神は沈黙する。 主人公の最後の言葉は、既に祈りではなく、それでも一番端的な信心の現れなんだろう....とか、高2のクソ暑い時期に考えてた覚えが。 今の私からは、到底引き出せない感想ですな、ハッハ。

    0
    投稿日: 2007.06.22
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    舞台は長崎、江戸時代。 悲惨なキリシタンの弾圧の情景が生々しく描かれている。 このダーティーな感じは遠藤さんの真骨頂。

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    投稿日: 2007.06.21
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    表題もそのまま、語るべきことの筋が通っていて、非常にわかりやすい。「神は存在するのか否か」。主題としてはそこに尽きるわけだが、その疑問に向かって物語を高めていく様に力を感じる。根本的な問いに言及していくフェレイラとの対峙の場面以降、ぐいぐいと引き込まれてしまうのだ。日本とキリスト教の関係、そして宗教に頼らない感の強い現代の日本人。宗教を考える上で、普遍的な興味深さを持つ小説に思える。

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    投稿日: 2007.06.11
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    『海と毒薬』以上におもしろかった。今まで読んだ小説のなかで一番おもしろいかも。江戸時代、禁教中の日本にやってきた宣教師ロドリゴが、幕府による弾圧に苦しむ農民をみる中で神の存在という問題に悩むようすを描いた作品。唯一腑に落ちないのが当時の農民観。作品中では、欧米人が食べないような物を食べ、ボロボロの服を着てる、といったロドリゴの感想があったりと、農民がとにかく幕府の圧制、貧困に苦しんでるように描かれてるけど、ホントに当時の農民ってそんなに貧しかったのか?古代ならまだしも江戸時代って各地で農書が書かれたり、商品作物が作られたりと、大衆文化が活発になった時代なんだからこの描写は誇張されすぎなんじゃないかと思った。

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    投稿日: 2007.05.28
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    小学生の頃、どうしてキリシタンは踏み絵を踏まないのか不思議でしょうがなかった。絵は絵なんだから、踏んでも神様は怒らないのに…。大人になり、宗教とはそんな単純な問題ではないのだと痛いほど分かっても、あの頃のあの疑問は、今でも私の胸にある。 この本は、読むのが本当に苦しかった。それでも読まずにはいられなかった。キチジローは私だった。 最後のロドリゴの台詞は、ずっと私が欲しかった言葉だった。

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    投稿日: 2007.05.26
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    宣教師たちが死を、改宗を強いられる覚悟をして日本へやってきていたのがよくわかった。仏教と基督教。日本でも問題だったんだな。キリシタン大名のことも踏み絵の過酷さもとてもよく分かった。信条を捻じ曲げられることの苦痛も。

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    投稿日: 2007.05.25