
総合評価
(938件)| 401 | ||
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
難しかった、、、。 宗教とは、信仰とは、どれだけ頑張っても神は何も言ってくれない。過酷な拷問に晒されてもなお沈黙を貫く神、主人公とその前に布教していたフェレイラの葛藤と思考が辛い。最終的に何度も転んでも、間違ったことをしても、主人公に許しを求めたキチジローだけが主人公と最後を共にした。弱いことは悪いことではないけど、人間らしい弱さをキチジローからは感じることができた。沈黙、神を信仰することは本当に救いになるのか。
0投稿日: 2026.07.27
powered by ブクログロドリゴ司祭は、自分を裏切るとわかっているユダに対してキリストが 言った言葉について、神学校時代から納得がいかなかったところがあり、ずっと考えている。なにもかもすぐ理解することよりも、この「ずっと考えている」のが大事なのかもしれない。ふつうの本との対話だって読み終わってもなお長きにわたることがあるが、聖書だもんな。一生わからないかもしれないけど、一生噛めるスルメって考えたらすごくお得だ。 ロドリゴは苦難の末、奉行の前でついに棄教し生きながらえたが、遠くの平穏な地で宣教をしている他の司教たち、棄教した私を軽侮し私から司祭の資格を剥奪した宗教者たちよりも、自分は神の愛に近づいたと感じている。どっちが偉いとかどっちが幸せということではないし、何が平穏で何が苦難かも人によるから外から他人が何かを判断することはできないが、「ここに来たからわかること」というのがあるのだろうということはわかる。そういう点では、頭木弘樹『痛いところから見えるもの』、山田太一『生きるかなしみ』と同じフォルダに私の中ではしまわれる。 それから、親鸞の「いわんや悪人をや」と同じじゃんと思った箇所もあったし、芥川龍之介『神神の微笑』と通じるところもあった。
16投稿日: 2026.07.22
powered by ブクログキリシタンが弾圧されている日本で、ポルトガル司祭がキリスト教を再布教しようとするお話。 キリシタンに対する弾圧が酷く、読んでいてつらい場面も多々あった。 「なぜ神は沈黙している?」 「もし神がいないんだとしたら・・・」 と何度も己の行動に葛藤する場面も苦しい。 現代日本人の私としては「なぜそこまでして?」というのが率直な感想だった。 これについては、物語の中でも元司祭が日本人の信仰の感覚を説明しており、 どれだけ説明しようと分かり合うことの出来ない感覚なのだと思う。 印象的な登場人物はキチジローだ。 物語を読んでいるとどうしても主人公ロドリゴ視点になり感情移入してしまうため、キチジローがとんでもなく卑怯者で弱い奴に見える。 しかし、本来日本人の感覚、現代人の感覚はキチジロー寄りだと思う。 むしろ終盤までの信仰に固執し、視野狭窄となりその思想に行動が制限されることは危険とさえ感じた。 心と体(行動)は必ずしも一致している必要はないと私個人としては思う。 一方で、行動が伴ってないといくら口で言おうとも信仰を示すことは難しい。ちょうどキチジローのように。 キチジローがどう見えるかというと、『裏切者』『卑怯者』が当てはまるだろう。 ただ、その信仰による行動は本当に神に向けてやっているのか?人間へのアピールではないか?神は人間の内面の信仰を感じることはできないのか?行動でしか信仰は示せないのか? 終盤主人公は神は人間が弱い存在なことを知っていたから内面の信仰があれば自分の弱さも受け入れてくれると解釈する。 それで良かったと思う。
0投稿日: 2026.07.21
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学生の時に、社会の授業で踏み絵と絵踏みという単語が出てきて、ほーん、そうかー。踏むだけで信仰心なんか測れるのかねー?と思っていたけど、それどころの話ではなかった。 転ぶ、棄教とは、それを行なった人のそれまでの生きがいとか、善悪や美醜の基準や、キリスト教を信じた人生、自分そのものを否定するものなのだとわかった。 キチジローは前半から中盤にかけて、卑怯だという描かれ方だったけど、最後まで、ロドリゴを追いかけて、役人に訴えてまで救いを求めるところに、キリスト教への信心深さが伺える。もし安息の時代に産まれていたら、、というとところで、キリスト教と幕府からの被害者でもあると思った。 長崎出身の私としては、知ってる地名がでてきて、生まれ、育った地でこんなことがわずか300?400年前にあったのかと信じられない気持ち。 沈黙というタイトルだから、最後はキリスト教を否定してしまうの!?と思っていたけど、そうではなかった。 ただ、自分がキリスト教徒ではないからやっぱりよくわからないところもあったなぁー
1投稿日: 2026.07.17
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1680年代、キリシタン禁制の日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴの背教と死までの物語。若い頃読んだ時はキチジローの狡さ弱さ救いを求める都合の良さに「こうはなりたくない」と強く思った。今回の再読ではキチジローだけでなくロドリゴ司祭もフェレイラ教父も棄教し生き抜いたとて悔恨と苦しみと許しを求め続ける人生なのに捨て切れない信仰とは何だったのかと。悲惨な現状は祈っても祈っても変わらない。信仰を否定した後でもなおまた神に問いかけてしまう。その行為は強い人弱い人のくくりで語れるものではなかった。また夏に読みたい。
0投稿日: 2026.07.16
powered by ブクログ学生の頃、遠藤周作の『おバカさん』という小説を読んだ。 『おバカさん』は純真でお人よしの主人公が、困った人を助けるユーモラスな作品だったように思う。 久しぶりの遠藤周作作品。これはユーモラスというよりシリアスな作品だった。 16、17世紀に日本にキリスト教が広まったとしても、本当に神を必要としたのだろうか?救いとしての神を必要としただけなのではないか。 「信仰を守ること」と「苦しむ人を救うこと」のどちらを選ぶべきか。ロドリゴの自分自身の信仰に対する自問自答が深くおもしろい。弱きキチジローのような存在をも赦すキリスト教の本質が見えてくる。 「そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」 赦すということについて考えるきっかけになる小説だった。
72投稿日: 2026.07.15
powered by ブクログ終始「神の沈黙」に迫っていて、常に緊張感の漂う雰囲気と文章だった。何度も登場する絵踏みのシーンは胸が締め付けられるものだった。江戸時代の貧しい百姓たちの村や生活の描写がリアルだからこそ、彼らがキリスト教を信仰する感情も手に取るように感じることができた。
1投稿日: 2026.07.05
powered by ブクログ作者および物語の背景によりいたし方ない部分はありつつも、一貫して基督教=善、神道及び仏教=異教という考え方が文章の節々から感じられる。司祭が自らの善について、「主の眼差し」と目の前の「出来事」との間で揺れ動く本書の題材である。しかし、あまりにも仏教や日本古来の考え方への傾倒を「人生における躓き」として描くため、無宗教の日本人である私としては没入感にかける部分があった。
1投稿日: 2026.06.27
powered by ブクログ決して展開の激しい小説ではないながら、描かれるテーマはキリスト教の信仰を超えた普遍的なものであり、クライマックスは壮大。 それでも個人的にはどうしても引っかかるものを感じずにはいられない。僕がキリスト教徒ではないから、あるいは現代人だから感じた違和感かもしれないが。 「人のために尽すには仏の道も切支丹も変りはあるまいて。肝心なことは道を行うか行わぬかだ」 宣教師ロドリゴに棄教を迫るかつての恩師・フェレイラの台詞である。 この言葉には明らかに、同じく遠藤周作の『深い河』で大津が、神の呼び名はなんでもいいとして「玉ねぎ」と呼ぶのと相通ずるものがある。同作品が遠藤の集大成と称されることからも、遠藤の最終的な到達点もこのような宗教観だったように思う。僕はこの立場には強く賛同する。 対する『沈黙』では、主人公の先達としてのフェレイラ神父の口からこの問題が示唆されはするものの、主人公であるロドリゴが直面するのは別の問題だ。 ロドリゴが闘うのはあくまで自分自身の信仰であり、目の前で哀れなキリシタンが処刑されてもなお、自分自身をキリスト、臆病な裏切り者のキチジローをユダに見立てた「ごっこ遊び」に興じ続ける。 極めつけには「私がその(神の)愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ」と臆面もなく言ってのける。自身の身体を決定的に痛めつけられることもなく。 僕にはこれが、彼の人間の浅さ、傲慢さに思えてならない。 この作品に限らずいえば、啓蒙的な「正しさ」を押し付ける人間の自己愛と特権意識、イデオロギーの暴力性の暴露。そういういい知れぬグロテスクさを強く意識させられた。 大津やフェレイラ神父のような自己犠牲を行える人間になろうとまでは思わないが、少なくとも、自分の与えたいものだけを与えて聖人ヅラするような人間にはなりたくない。 僕の中の小さな「玉ねぎ」に恥じないように。
2投稿日: 2026.06.25
powered by ブクログ日本人信者のその拷問に耐える姿、悲惨な死を受け入れる姿を前にして神は沈黙を守る。信念を貫き死を選ぶことは正しいのか、自分の命を惜しむことは間違っているのか弱いのか。絶対的な正義を地の奥から揺さぶるような厳しい歴史小説。
2投稿日: 2026.06.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
とても難しい本だった。信仰の形は国によって違うけど、確かに日本人は形にこだわる部分が強いから、司祭たちが違うと感じたのも頷ける。でも、そんな司祭たちも転ぶ転ばないの形にこだわっていた。だから転んだ後の方が本当の意味での信仰になった気がする。ロドリゴのキチジローに対しての見方も転んだ後の方が寄り添ってる気がする。キチジローは初めは嫌な感じに写っていたけど途中からは弱さを認められる強い人にも見えた。転ぶ事を失敗と捉えるなら、失敗を重ねた人の方が強く優しくなれるんだと改めて思った。
3投稿日: 2026.06.18
powered by ブクログむごい……ただその一言に尽きる……。 そして内容があまりにも深すぎて一読では味わいきれないので、また再読したいと思う。 ただの信仰の話ではないのは確か。 日本という閉鎖的な国家はやっぱりどこかおかしいらしい。キリスト教の本来の信義を曲解して日本流の宗教にしてしまっていたり。 そもそも信仰する習慣そのものがない気がする。 お正月の初詣だって、都合よく神様にお祈り。 クリスマスなんてそもそもキリスト教徒でもないのに今や国民全員に染み付いてしまって。 すぐにいろんなことに対して、神だ!神だ!といったり。 読んでて苦しかったのは、日本人を救いたい一心でキリスト教を布教をしようとしたのに、その行為がかえって日本人を苦しめるに至ったこと。 自分がキリスト教の司祭をやめないばかりに、目の前で日本人信徒たちが殺されていく。 できるだけ苦しめられるようなやり方で。 それでも司祭は折れなかった。 神を信じ、救いを信じているから。 役人は決して司祭に対しては直接手をあげない。 痛みを与えられ殺されるのは、日本人教徒だった。 しかもその教徒がキリスト信仰をやめると言っても、司祭が転ばないことを理由に拷問は継続された。 それでも折れないのは、本当に信仰なのか、それとも自らの弱さか。 強い弱いでいうと、キチジローの存在が大きかった。 キチジローは、踏み絵は踏むし、司祭の存在を役人に告げることもした。そのことをキチジローは『自分は弱い人間だ』と赦しを請い、その弱さに苦しんでいた。 司祭は言う。『強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう』 そして何より、さいごに知らされた事実。 前段にも書いたが、日本人は本来のキリスト教を信じていないこと。 このことを知って、自分の存在意義まで否定され、何をしにきたのかすら分からなくなる。 そして祈っても祈っても神は救ってくれない。 その神の沈黙も最後に分かる真実があって。 転んで仏教の信仰となった、かつてのキリスト教司祭は言う。 『ここで転んだほうがよっほど人民のためになる』 キリストの言う真の救いや愛とは、本当に転ばないことなのか。無用な死を増やすことなのか。 そして、ついにその時が訪れた。 司祭は"転び"を今までとは違った形での愛だという。 何事もきっと、源流はシンプルなところにあって、それを叶えるための実行手段で幾多の分流ができていく。 こだわることが愛ではない。真髄を理解して、その核を捉えられたら、それはまたひとつの信仰なのだろう。
1投稿日: 2026.06.09
powered by ブクログ教徒でない自分からして、切支丹が何故そうまでして信仰を捨てなかったのかと現代の感覚で考えてしまう。当時の現実でいえば、生活があまりに悲惨過ぎて、何かに縋っていないと、現世は苦しい。パライソではせめて穏やかで幸せでありたいと祈らなければやっていられない、ということなのだろうか。金属板に描かれた人の姿を踏むという行為は、人理的に躊躇われるのはある。しかし、宗教的行為における冒涜という意味合いでは納得しかねる。バチ当たりというニュアンスなら多少受け付けるか。拘り、拘泥と言ってしまうと、かなりセンシティブか。岸辺露伴的なジャンプ漫画主人公の意地だとすれば多少入ってくるか。とはいえ、ロドリゴは神が赦されたって解釈にしたし、結局そんなの解釈じゃんと思ってしまう。解釈の違いで戦争だって起きるし。妥結、言い訳と言い換えるとこれも都合が悪いか。何にせよ、良くも悪くも日本人の「形」を大事にする象徴みたいな踏絵踏まんと害するぞって言われたら、キチジローみたいに踏むと思うんだよな。そういえば、芥川龍之介の切支丹物『尾形了斎覚え書』は、病気の娘の治療の為に転んだ母親の話ではなかったか。
1投稿日: 2026.06.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
例え神がいなくても、日本で布教したキリスト教が屈折して日本人に伝わったとしても、殉教した日本人信徒たちは決して滑稽でもなければ無駄でもない。 転ぶ・転ばないが、問題じゃないと思う。大事なのは自らの信念を貫いたかどうかであって、それは殉教のみが正解ではなく、主人公のように愛する信徒のために自らの信念を曲げることもまた愛なのだと受け取った。 かといってキチジローを悪くいうつもりもない。誰も彼を責める権利はないし、その弱さは人間そのものだし、毎回悔やむ姿は希望とも受け取れる。なりたい自分になることを諦めなければいいんだよ。 何かを信じる人は最強だし、誰かのための行いは愛で尊いと思う。その「何か」が、「誰か」が人によって違うから、争いや憎しみも生まれてしまうのだろうけど、、いやー考えさせられる本だった!いつもよりかなり強く自分の主張がでてしまった^_^
3投稿日: 2026.06.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
学生の頃は踏絵に意味があるのかよくわからなかった。信仰心というのは、人間の結束や団結を生み出し、神の存在による救済を受けるなかで裏切ることが難しくなるのかもしれない。 ロドリゴは祈っても救われないじゃないかというキリストへの不信感を募らせていく。極限まで自身の信仰心との闘いをしたことによって、より深い信仰の本質、キリストの生涯をなぞることで本当の慈悲に気づくことができたのではないかと思う。 信仰と一言でいっても、人それぞれ持ってる気持ちは微妙に違う。キチジローのように踏絵をして、拷問から逃れる人、極限まで拷問に耐えて死までいってしまう人、後者のほうが信仰によってキリストを感じながら死ねるという意味で幸せなのかもしれない。踏み絵をすぐして逃げ出してしまったキチジローは自身を弱い者だと嘆いていた。でも自身の葛藤、後悔と向き合い生き続けていた。ある意味これが真の強さなのではないかとも思った。 信仰それ自体を悪いとは思わない。ただなんでも噛んでも受け入れてしまうことで、失うことが多いのではないだろうか。 大事なことは、信仰に意味があるのか?なぜそれでも自分は信じ続けるのか?を自問自答していくなかで、矛盾を受け止め、自身が1番大切にしていること、信じていることを人生の中で見出していくことではないだろうか。
1投稿日: 2026.06.06
powered by ブクログ17世紀、キリシタン弾圧下の長崎。棄教した恩師を追い日本へ潜入した宣教師ロドリゴは、信徒の凄惨な拷問を前に神の「沈黙」に絶望し、激しく苦悩する。 極限状態の中で問われる信仰の意義と、人間の弱さに寄り添う深い赦しを描いた歴史文学の金字塔。信念とは何かを重く突きつける。
0投稿日: 2026.06.06
powered by ブクログこの小説と同格の小説はあれどこの小説を上回る小説はこの世に存在しない。この作品を読むことができただけでもこの世に生まれた価値があったと感じさせてくれるほどの作品。小説という表現型が到達しうる最高到達点の一つ。 普遍的な命題を扱いメッセージの方向性は提示しながらもすべてを解説することは避け解釈に余白を持たせる、いくつかの矛盾を矛盾のまま残しておくなど、意味のつながりと余白のバランスが後世に残るマスターピースとなるための条件の一つであると考えるが、この作品ほど精緻なバランスを高い密度で実現している作品を私は知らない。信仰という普遍的なテーマに対し江戸時代長崎のキリシタン弾圧というドラマティックな舞台を選び、熱心な信者たちの悲痛な声になぜ神は沈黙を貫くのか、過酷な弾圧に真っ向から立ち向かう強い意志を持った殉教者達と(少なくとも形式的には)信仰を貫き通すことのできない弱いキチジローの対比、日本人キリシタンたちが命を賭してまで守ってきた信仰は実はカトリックの教えから乖離してしまった別の何かなのではないか、などの命題を物語にのせて描く。いずれも答えらしきものは提示されはするものの解釈の余地は十分に個人に委ねられている。 やはりこの作品を解釈する上で重要なピースだと個人的に考えるのはキチジローとイノウエである。誇り高く殉教していく者たちよりも、脅されればすぐに棄教し、かと思えばちょっとした手柄ですぐに図に乗って声高に権利を主張し、旗色が悪くなれば神父すらも売る、ひたすらに弱く卑しく醜いキチジローだが、私としては殉教者よりも断然人間味を強く感じる。全ての人間の中にキチジローは存在し忌むべき対象に見えるが、この弱さも含めて愛し寄り添うことこそ真のキリストの教えなのではないかと。 対するイノウエは非常に知的で狡猾で宗教への造詣も深い。日本で根付いたと思われていたキリスト教は元来のカトリック教会の教えとは似て非なる全く別の物に成り果てていることをロドリゴに理解させ、巧妙に仕組んだ段取りで棄教まで持っていくその手腕には舌を巻くが、この物語をロドリゴの信仰の変容(理想や形式を重視する教会で教育されたスタイルを捨て、キリストが弱い者達に実践した愛の行いを真の信仰と捉えるようになる)を描いた話だと解釈するならば、イノウエの存在は単に奉行として治安を守るため最も合理的な手段をとっているだけの人物なのか、それとも神父がより深い信仰に到達するためのキーマンとして配置されているのか、どちらともとれると個人的に考えている。前者の要素が強いのは当然ではあるが、カトリックという腐敗権力の象徴ともいえる存在とそこで洗脳教育を受けた神父を痛烈に批判しつつよりプリミティブな信仰へと導いてくれる人物と捉えられなくもない。 読めば読むほど理解が深まるとともに新たな視点が出てくる、何度でも読む価値のある作品であるが、スコセッシの映画もまたこの作品により具体的な画を与えてくれた素晴らしい作品だった。私個人は、小説、映画、漫画、アニメなどその媒体にしかできない表現方法があるがゆえにそれを以て名作となっているような作品においては媒体の移植は作品の良さをスポイルすることが多く基本的に許容しない立場であるし実際に原作が名作であればあるほどその落差に落胆することが殆どだが、スコセッシの沈黙だけは原作を愛する私でも文句がつけづらいほどの名作だったと言える。そして原作を読み返すときにあの圧倒的な画が浮かぶ体験は本当に素晴らしい、特にロドリゴが転ぶ場面のカタルシスはもはや原作を超えているとすら感じる。プロットの上では原作に徹底的に忠実に描きつつ、映画としての表現を上乗せする。そこには原作への愛も映画という媒体への愛も溢れている。そしてやはり何と言ってもキチジローである、窪塚以上の適役が居ただろうか。 最高の小説として安部公房の砂の女、夏目漱石の門、ヘッセのデミアンなどに並んで私の本棚に残り、これからも死ぬまで何度も読み返すことでしょう。
1投稿日: 2026.06.03
powered by ブクログ読書会の指定本きっかけで読んだ。 島原の乱後。 キリスト教徒根絶に動いてる日本国内。 そんな状況を知って上陸する宣教師ロドリゴ。 日本の宗教観を的確に言い表してくれてるなと感じた。 キチジローという日本人の付き人的存在。 彼に対するロドリゴの態度は終盤までなかなかのもの。 フェレイラという先輩宣教師との宗教観に関してのディベートが一番面白かった。 ロドリゴは一体何がしたかったのか。 彼の意思が今一つ汲めなかったのでマイナス1
0投稿日: 2026.06.03
powered by ブクログ「沈黙」というタイトルは神の沈黙だけを指すか? →違う。3つの意味がある。 キリシタン禁制時代の布教活動の話が本書のストーリー。 しかし、その舞台設定で描いたのは、「人間の思いの強さ」「生の意義(あるかないか含め)」「守るべきもの」「人間や社会の残酷さ」。 私のようないわゆる普通の宗教感(≒無宗教)を持つ日本人に、宗教の話は伝わらないと思っていた。でも、同じ日本で行われていたキリシタン迫害について、こんなに物語として魅力的で早く続きを読みたくなるように描けるのは、遠藤周作、凄まじい。。 そして、この歴史という存在の過酷さに絶望する。 そして、「沈黙」というタイトルが指すのはなにか? (以下ネタバレ含む。これらは、ジャスト私の解釈) 1. キリスト含む神の沈黙 これはストレートなミーニング。ここが物語の主題だし、おそらく古来も現代もこの神の沈黙について悩み、死に、棄教した人は多くいただろう。 2. ロドリゴの沈黙 これは、物語の結末後に残るミーニング。棄教に「転んだ」後に、貫いた沈黙は、果たしてなにも意義のない沈黙だったか?何も祈らずという意味の沈黙を彼はしてたのか? これが3のミーニングにつながる。 3. キチジローの沈黙 これがすごい。これまでのストーリーから感ずるこのキチジローという醜く、絶望的に弱い存在は、常に沈黙と真逆の行為をしてきた。 しかし、最後の最後、死を前にしてもなお、ロドリゴを守る、という沈黙の形を取った(のかもしれないが、直接的にはわからない) これはすごい本だ。読めて良かった。
22投稿日: 2026.05.31
powered by ブクログ前半の手記があったからこその後半の重みに繋がるのだと思ったが、私の読力が足りず、情景が思い描けなくて入り込めなかった。 ただ、私が考える信仰とは?と深く考えさせられた。
0投稿日: 2026.05.22
powered by ブクログ途中で読むのを断念。 登録も断念しようかとも思いましたが、また時間があるときに再チャレンジしようかと思います。 目標は年内!
12投稿日: 2026.05.21
powered by ブクログ棄教した宣教師の真実を求め、また布教や日本に潜伏する切支丹たちに会いに、若い神父たちが日本へ渡る話。 長崎と潜伏キリシタンは耳にする話ですが、この小説を読むと当時の過酷さか映像のように浮かび上がってくる。 切支丹たちも過酷なのですが、そもそもの村人たちの暮らしが割と過酷。特に西欧人であるロドリゴたちの目にはその貧しさに目がいく。 キリストとユダ、ロドリゴとキチジロー、この対比はロドリゴを救いもし、苛みもする。 最後、彼が見出した主人は一体なんなのだろう。 人々が信じる神はなんなのだろう。 井上筑後守は好好爺然とした態度を見せつつも切支丹に容赦なく、それをロドリゴ目線で見てぞっとした。 話の全てを理解できたとは全く思えないが、タイトルの沈黙、その重さを感じる話だった。
1投稿日: 2026.05.21
powered by ブクログ「女の一生」は文字通り女性が主人公だったので共感しやすかったけど、こちらは少し読むのに努力を要しました。 非常に苦しい描写がつづいてしんどいんだけど、構成が上手かったのに助けられた。 単行本には著者のあとがきがあるようなんだけど文庫本には解説しかなかった。 実在の「査祆余録」を本書の内容に合わせて記された巻末は、一応日本語なので何となくは理解できたけどネットで訳文を見つけて色々と理解できた。 えぇーっ!と思ったけど、それでも納得もできた。
13投稿日: 2026.05.19
powered by ブクログ圧倒的に素晴らしかった。 江戸時代前半の話。 それよりちょっと前からイエズス会は、その版図を広げるために東へ東へ布教していき、ついぞ日本へ辿り着き、日本でもその版図は広がりました。 貿易で利益を得ていた切支丹大名がいた一方で、勢力の拡大から、侵略を危惧した日本は鎖国、キリスト教の禁制を行いましたね。 政治的にはそういう背景があったと思います。 末端の司祭達はどうかというと、純粋に、東の果ての日本においても、キリスト教を求めている人がいて、救われることを信じている。 日本の信徒はというと、貧しく厳しい生活の中で、確かに救いを求めているが、ヨーロッパでのキリスト教とは違う理解が進んでいそうで、何やら苦役のない極楽浄土へ行きたいね、という感じ。 逃亡生活に、裏切り、監禁、拷問… 地獄のような状況を前にしても、なぜ、神は救ってくれず、沈黙したままなのか、という疑念が祭司によぎる… 祭司の信仰の葛藤と、最終的な神へのスタンスも大変興味深いけど、神という装置が、人間の世界でどう働いたのか、色んな立場から描かれている。 これは、本当に凄いところだと思う。 イエズス会の、日本の奉行側の、祭司の、村民の信徒の、棄教した祭司や信徒の… なかなか、この解像度で描くことはできないと思います。 そして、文体も読みやすく、描写も綺麗で、展開もよく、おそるべし一冊です。
0投稿日: 2026.05.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
母が長崎のキリシタンと聞き手に取った。キチジローが「裏切り者」ではなく「一番普通の人間」に見えた。信仰だけで苦しみを耐える強さより、何度も踏んでしまう弱さに共感する。自ら名乗り出た神父には尊厳があった。でも結果として信者を巻き込んだ。正しさを貫くにも、周囲への責任が伴う。神の沈黙より、人間の複雑さが刺さった
5投稿日: 2026.05.06
powered by ブクログ遠藤周作めっちゃ好き。途中で、小説の形式が変わるのも面白かった。最初が手紙の形やったから、入り込みやすかった。最後の方に、一気に伏線回収が来るのも面白かった。
0投稿日: 2026.04.13
powered by ブクログ自分の信仰する宗教に対しての肯定と否定 主からの救いはなく、信徒たちが惨たらしい方法で殉教していく。 自分の信じた道を否定される状況でも、主は救いを与えず、沈黙したまま。
0投稿日: 2026.04.04
powered by ブクログ爆笑問題の太田さんが2025年8月のラジオで触れていて知った作品。 沈黙を続ける神を信じて疑って、また信じる宣教師の葛藤が見事に描かれている。 弾圧については踏み絵くらいしか知らなかったが、一気に解像度が上がった気がする。 私も含め多くの読者はキチジローに感情移入するのではないかと思う。 一方で本作についてカトリック教会側が批判したのも頷け、安易に決着がつけられるものでもないのだろう。 短絡的に答えを求め、正解に雁字搦めになっている現代において、本作および「深い河」などと併せて、筆者の生き様が問い続けることの本質を読者に投げかけているように思う。
2投稿日: 2026.04.01
powered by ブクログキリストは基督って書くんだー くらいの知識しかない私なので、 公に宗教観を綴るのはおそろしい。 あくまで本書に限った私の穿った見方だが(保身)、信じることに逃げている。そんな風に感じた。そこに向き合った時、何かが変わっていくのかもしれない。
0投稿日: 2026.03.30
powered by ブクログずっと読みたかったけど難しそうと躊躇してた作品。しかし非常に読みやすく全然難しくなかった。(最終章は別として笑)内容はかなり重くて考えさせられた。ぜひスコセッシの映画も観たい!
1投稿日: 2026.03.27
powered by ブクログこの作品読んで、強く印象に残ったのは「信仰とは何か」という問いだった。 江戸時代の禁教令のもとで、隠れキリシタンたちは壮絶な弾圧を受けながらも信仰を守り続けた。なぜ彼らはそこまでして信じ続けたのか。 貧しい農民たちにとって、信仰は生きる希望であり、初めて知る人の温かさそのものだった。 しかし、その信仰の中で彼らが直面したのは、あまりにも過酷な現実だった。 何も悪いことをしていないのに与えられる苦しみ。そして、その中で神は何も語らない。「なぜ助けてくれないのか」という問いに対する、神の沈黙。 また、印象的だったのは、「弱さ」に対する描き方だった。 拷問や仲間の死に耐えきれず信仰を捨ててしまう者たち。そうした“弱い人間”に救いはあるのかという問いが突きつけられる。 彼らが抗っていたのは迫害に対してではなく自身の信仰そのものに対してだった。心の中にある教えと、目の前の現実との間で葛藤し続けていた。 作者が描いていたのは信仰とは形ではなく、心の中にあるものだという考え。たとえ棄教という形を取ったとしても、それによって信仰そのものが消えるわけではない。 今まであまり興味を持っていなかったが、改めて史跡など訪ねてみたいとおもった。
2投稿日: 2026.03.26
powered by ブクログ夏休みの宿題として読んだ。残虐なことを、日本が本当にしていたのかと考えると恐ろしい。神の沈黙とは何かについて考えられた。人が殺される描写が、細かい小説は初めてで読んでいて、気持ちが悪くなった。
0投稿日: 2026.03.21
powered by ブクログこんなに惹きつけられるとはいい意味で予想外。 好きな本ランキングを作るとしたら、 5本の指に入る。 読んでるこっちもどんどん精神的に 追い込まれた。 ただ、キチジローの大便だけめっちゃ嫌やった。 26.03.21読了-50冊目/年
1投稿日: 2026.03.21
powered by ブクログキリストの最期・江戸時代の基督教の弾圧が重なる。 自身の使命感のために迫害され殺されていく百姓や非人、彼らの声を聞かされ棄教を迫られる。かつての師にさえ諭される。もっともこの師も拷問され他者の死の責任を押し付けられ続けた結果なのだが。 終わりのないこれらの気怠さのため、唯一の拠り所であり、生涯愛すると心に誓った者の顔を踏みつけるまで追い込まれた。 師は言う「神は何もなさらなかったからだ」と。 自分の信仰心と目の前の惨たらしい狼藉とが闘い、全てを諦めた先にあったのは、どす黒い余生だった。(しかも踏絵後も助けられなかった信徒がいた始末) 理不尽と自分の中の「正義」の衝突が起こった時どうするべきか。おそらく、それが己の信念信仰を全て捨て去ることになったとしても、弱い人間になることや弱い人間で居続けることは決して逃避ではないのだろう。 なぜならその信念信仰は、所詮無形で沈黙を貫くに決まっているから。
2投稿日: 2026.03.20
powered by ブクログ2026.03.19 ★3.7 鎖国、禁教令下に日本に渡ってきたキリスト教宣教師の物語。 数年前に映画を観たが、内容はほとんど違ったものだった。 ポルトガルから志を持った若い宣教師が日本に於いてどのようなことを経験したか、手記や見聞録調の箇所が多く、フィクションなのにまるで歴史物を読んでいるような感覚にさせられる。 肉体的な拷問と精神的な拷問、どちらも、人が人に対してこれほど冷酷にになれるのかと薄ら寒くなる。 誰が誰に対して「沈黙」しているのか、最後まで読まないと分からない。 ↓↓↓内容↓↓↓ 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。 神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
0投稿日: 2026.03.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この時代の長崎の神の沈黙を通じて、世界の綺麗事だけでは済まされない戦争や貧困などの理不尽について考えさせられた
0投稿日: 2026.03.09
powered by ブクログ最後の数ページに無茶苦茶読むのに時間かかって、日本語って難しいなぁと思ったけど、これは傑作。 江戸時代の日本と信仰について書かれているんだけど、内省的で観察眼に優れた宣教師の目を通したことで、人間の感情の機微が、胡乱な私が実生活で得る以上に感じ取ることが出来る。 個人的には、特定の文化の上に生まれた宗教が、他の文化の上で変質しているというのが面白かった。日本は布教するには泥沼だという記載がありましたが、文化基盤が違えば変質するっていうのは日本だけに当てはまることではないと思うんですよね。 こと概念的である宗教において信じるものは文化基盤によって変異しているものなんじゃないかと思うので、それを深く考える宣教師が思い至っていないというのは傲慢さなのではないかと思いますね。 そう考えてみると読み始めは、日本人の目線から見ると宣教師たちはナチュラルに日本人を見下しているのが気になったのですが、まぁ、そういう書かれ方してるのねという感じ。 井上が非常に良い味出してましたね。賢すぎて色々見えてるんじゃないかなという期待を持ってしまうキャラクタですな。 印象に残ったのは、捕まった後にのほほんと瓜食ってるシーンとか、牢から見た外の景色とかかな。シーンが鮮烈な映像で思い出されるので、著者は文章が上手いのだ思う。
0投稿日: 2026.03.08
powered by ブクログ島原天草一揆くらいの時代、日本の調査と布教に来たポルトガル司祭が苦難に遭い背教を迫られるという話だが凄かった。 タイトル「沈黙」にもあるように、一つの大きな主題として「なぜ苦境の折に神は沈黙しているのか(なぜ救ってくださらないのか)」という悲痛な嘆きがあったが、主人公司祭の強い苦しみと実感を伴う問いとして物語終盤常に大きな存在感を保っていた。 主人公司祭が来日する理由にもなった、「拷問の末既に背教した司祭」の存在とのやり取りや奉行との問答の末の結末には陰鬱な気分になり、体調が悪くなった。 「布教は善であったのか」「何が民を救うことなのか」「主は何をしているのか」 じめじめと腐った潮風の様な問いと葛藤に惹き込まれた。
1投稿日: 2026.03.02
powered by ブクログ「殉教した人の話」を、この本を読む時にどれだけ知っているのか。これでこの本に抱く感想は変わるのではないか、と最近ふと思った。 私はカトリックの一貫校でずっと宗教なる授業(一般でいうところの倫理という科目に該当する)を受けてきた。特に中高の宗教の授業では旧約聖書から新約聖書はもちろん、世界各国で平和を願い平和のために尽力した人や信仰を貫き殉教した人について学ぶ。隠れキリシタンのことも学ぶし、天正遣欧少年使節のうち殉教したのは誰かという質問にも答えられるし、第二次世界大戦の際にドイツだ殉教した司祭の話も知っている。 そしてそれは単に「殉教しました」というナレ死のような学びではなかった。逆さに疲れて死にゆく過程であったり餓死に至るまでの壮絶な過程を教えられる。信念を貫く勇気だとか綺麗事では語れない内容に、当時は度々具合が悪くなったものだ。 そのため、カトリックの教えや「殉教」については、信仰する宗教がないと言われている日本人のなかでも考える機会や得ている知識が多かったといえる。 それを踏まえて読んだ『沈黙』である。私はこの本で読書感想文を書く予定だった。最後に沈黙したのは誰なのか。殉教と棄教はどちらが正しいのか。今思うと正しいかどうかの議論は上っ面の部分だしディベートではないので結論を出す必要はないのだが、心に残る違和感はこの議論に対する答えが出ないからだと当時は思っていた。感想文は書けなかった。 今思うと、あの違和感の正体は空しさだ。神様とはなんなのか、神でなくても信じているものの正体はなんなのか。そこから離れた人の心、離れなかった人の末路。すべて空しくて哀しい。
0投稿日: 2026.03.01
powered by ブクログ沈黙は見方によっていろいろな解釈ができる小説だなと思う。宣教師には宣教師の、切支丹になった農民には農民の、取り締まる役人には役人の理屈がそれぞれあって、どれも正しい。 救いを求めるロドリゴに対して神は「沈黙」したままで、結果的にロドリゴは棄教をしてしまう。でもそれは形だけの棄教で、信仰なんてものは自分の外側にいる神に祈ることではなく、自分の内面にいる神と対峙し対話することだということに気づいたが故の結果なのではないかと思う。 そして、キチジローの弱さはロドリゴの弱さで、キチジローとはロドリゴであったのではないかとも思う。人間は強いだけではいられない。誰にでもキチジローのような自分を抱えている。その弱さに気づいたとき弱き他者にも強き他者にも優しくなれるのだろう。そんなことが読後感として残る。
1投稿日: 2026.02.25
powered by ブクログゼロか100かの選択となり、信仰をもっても信じるものは救ってはくれず、殉教者たちはなぜ死ななくてはならなかったのか。 葛藤が文章に表現される、文学の力が思い知らされる作品。 暗いし、好きではないけれど、圧倒的なパワーがあった。 同じモチーフを描き続け、ずっと悩んでんでいたのか。作家について知りたいと思える作品。
4投稿日: 2026.02.24
powered by ブクログキリシタン禁令時の長崎を描いている歴史小説ともいえる。司祭が棄教、転ぶまでの心理描写とキリストへの信仰心が描かれた興味深い作品
1投稿日: 2026.02.23
powered by ブクログ信仰とは何かについて核を突かれたお話で面白かった。鎖国当時のキリシタンの迫害や、人種差別、外国人が日本をどう見ているのかが生々しく感じられた。「神はなぜ沈黙されているのですか」、カトリック教徒である遠藤周作が神の存在に関する記述や踏絵を持ってくるのはとても興味深かった。
2投稿日: 2026.02.19
powered by ブクログ初めての遠藤周作。長崎旅行に合わせて読了。 多神教思想の根付く日本にキリスト教が馴染まぬ理由には一定説得力がある。 拷問に耐える信徒を見せられるという拷問の果てに司教が辿り着くキリスト教の考え・在り方にとても人間味を感じられる。 キリスト教徒であった遠藤周作がこの作品を描いたことを知り、なおその思考と言語化の緻密さに感激した。
1投稿日: 2026.02.15
powered by ブクログ傑作 カラ兄やペストの不在とは異質な「沈黙」の残酷さとロドリゴの叫びが対照的 「まだ黙ってんのか?こんなことされても?いつまで?…なぜ」という反芻に打ちのめされる 装丁は荒涼とした黒い海、暗夜の孤独や祈りを喰らう闇を思わせるが、かすかな光は信仰の逆説による救済か
2投稿日: 2026.02.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
すごい良かった。プライドや緊迫感が伝わった。 辛い時こそ何かに縋ったり頼りたくなる。 沈黙を貫き通すかっこよさと愚かさが分かった。 でも、自分の人生は信じるものだったら何を言われても沈黙を貫き通すかっこいい人間になりたい。 何があっても。
0投稿日: 2026.02.10
powered by ブクログ正直、ここまで厚く何かを信仰したことがないので 別世界の話だな… という距離感はあった。 踏み絵を踏んだだけで棄教扱いになるんなら そこまで自分を追い詰めなくてもいいのでは? って思ってしまう部分も正直ある。 たぶん現代の感覚だとそう感じる人も多いと思う。 それでも、この作品が問いかけてくるのは 「強く信じられる人」 ではなく 「信じきれない人はどう生きるのか」 なんだな、と読んでいて思った。 その意味で、キチジローの存在があとから効いてくる。 何度も裏切って 泣いて 逃げて それでも神を手放せない。 英雄でも殉教者でもないけど、 ああ、こういう人のほうが現実には多いよな、 と思ってしまった。 最終章の「切支丹屋敷役人日記」は ロドリゴについての報告書みたいな感じなのかな? 淡々と綴られることで、あれだけの苦悩や葛藤が 問題なく処理された と機械的に閉じられるような印象。 わかりにくいし救いもないけど その突き放し方込みでこの作品なんだと思う。
2投稿日: 2026.01.25
powered by ブクログ神の沈黙、全く知らない概念を食らった 信仰、強情、人生の全て 解釈とはあまりにも広くて深すぎるものなのだと思った。
2投稿日: 2026.01.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
・最初は完全に殉教の物語だと思って読んでいたが違った。 ・「棄教した」という結果だけを見ると、その弱さや心神深くなかったのだろうと判断していた。「残念」という気持ちの方が強かった。 ・でも読み進めるうちに、その背景や、その人の心の中にあった信仰心や葛藤なんて、本当は他人が簡単に分かることができるものじゃないんだよな、と思わされる。 分かろうとすること自体が、むしろ傲慢。 ・だからこそ、その内面の奥深くまで含めて、そこでも赦してしまうキリストの存在が、すごいというより「敵わない」という感覚に近かった。 それこそが無償の愛なんだけど、同時に少し怖さすら覚える。 ・特に印象に残ったのは、 教徒たちのうめき声を鼾だと勘違いして、「苦しんでいるのは自分だけだ」と思い込んでいたロドリゴが真実を知りその傲慢さに気づいた瞬間。 あまりにも人間らしすぎて、読んでいて本当に辛かった。
3投稿日: 2026.01.15
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重く、苦しく、面白い 印象に残った点 ・番人の鼾だと思っていたものが、その実拷問受ける信徒の呻き声だったという場面は本当に意地が悪いというか、これほどまでに主人公に試練を与えるのかと思った。ここまでの2択を突きつけられたら、(もしも神が本当にいるとしたら、)神も転んだに違いないと思う。 ・キチジローが悪者として書かれていて、私も嫌いだが、それは自分の弱さや都合の良さを彼の中に見るからで、彼のような弱い部分を誰しも否定できないのではと思った。むしろ、沈黙を貫いて殉教した方々の方が異常と感じるのは、時代か自分に信ずるものが無いからか。 ・ロドリゴは救われた、自分の中で神を引き受けてある種の納得感を得た。キチジローは神を引き受けられない、善良さを捨てきれない卑怯者ゆえに救われず、自己嫌悪と不信に苛まれ続ける、と読んだ。 ・自分が恵まれていたからこそ貫けていた信条やスタンスがあり、それは不遇に落ちれば崩れ去り得るし、崩れ去らなかったものが本質なのかもしれない。
2投稿日: 2026.01.11
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"信じる"とはどういうことか考えさせられた。 基督はひたすらに沈黙をつらぬき、司教の問いに答えることは、ついになかった。けれど、転ぶことさえも主は赦すのだと。 信じながら疑い、背くことで、却ってその存在と向き合わされる。 残酷でありながら、どこか美しく、悦びを伴う結末。 キチジローは自分のことを弱い者だと言ったが、彼はまさしく私であった。 転んで、後悔して、縋ってもがいて、また転んで後悔して…… だけど赦されることを諦めない。 情けなくて、恥ずかしくて、思わず目を背けたくなるけれど、どうしても放ってはおけない、そんな人だった。 それが弱い生き方だと言われたら、そうなのかもしれない。けれども、作中で司教も言っていたように、弱き者が強き者より苦しんできていないとは、誰が言えようか。 何度も転んで、後悔して、それでも赦されることを諦めない生き方の、なんとしなやかなことか。 それを弱いとする人もいるのは分かるが、私はそうした生き方をするキチジローを、私を、愛さずにはいられないのだ。
3投稿日: 2026.01.04
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何を信じて生きていくべきか分からないけど、信徒のために死ぬ覚悟で海に潜れる友人もいれば、そうなれずに背教してしまう主人公もいるというようなところで、その時その時自分が正しいと思うことをやっていくしかないのかなぁと思いました。 どんな状況であろうとも、失っていい命なんていうものはないので、自分や仲間、他人の命を守るための行動をすることが、大切なんじゃないかなと考えました。
1投稿日: 2026.01.02
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自分の信じているものが虚構なのかという疑いが生まれることは、どんな絶望よりも深い。 神が本当に存在しているかどうかは誰もわからない。存在しているかではなく、信じているか、が要。 沈黙を続けていた神は、踏み絵の中でようやく口を開く。
1投稿日: 2025.12.31
powered by ブクログ信仰とは何か?救いとは何か? をキリスト教司祭側からの視点で多く語られた作品。 キリスト教の神は何故究極の逆境においても沈黙しているのか? 読了すぐには問いの質量が大き過ぎて、今は何とも言えないけど、突き詰めて考えるにはもっと幅広く深い知識が必要だし、これからも自分なりの答えを見つける為にも読書に励もう!
19投稿日: 2025.12.31
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遠藤周作の『沈黙』は、「信仰とは何か」という宗教小説として読まれがちだけれど、芯に流れている問いはもっと人間くさい。 それが――誇りとはなにか、という問題。 この物語で描かれる誇りは、最初、とても“わかりやすい形”をしている。 ロドリゴ神父にとっての誇りは、信仰を捨てないこと、殉教すること、信者の前で強くあること。 言い換えるなら、「自分がどう見えるか」「自分が信仰者として正しいか」という、自分軸の誇りだ。 ところが日本での過酷な迫害の中で、その誇りは静かに揺さぶられる。 踏み絵を踏まされるのは自分ではない。 苦しむのは、名もなき信者たち。 彼らは神父の「正しさ」のために、呻き、死んでいく。 ここで『沈黙』は、残酷な問いを突きつける。 自分の誇りを守ることと、他者を救うことは、両立するのか。 神が沈黙する中で、ロドリゴは追い詰められる。 踏み絵を踏めば、信仰者としての自分は死ぬ。 踏まなければ、目の前で他者が壊れていく。 そして彼が最後に選ぶ行為は、 英雄的でも、気高くもない。 むしろ「敗北」「裏切り」とすら呼ばれる選択だ。 だが遠藤周作は、そこに別の誇りを描く。 それは「自分が正しい存在であり続ける誇り」ではなく、 誰かの苦しみを引き受ける誇り。 称賛も栄光もなく、ただ静かに引き受ける誇りだ。 『沈黙』が苦しいのは、この誇りがとても地味で、 誰にも評価されず、 本人ですら「正しかった」と言い切れないところにある。 それでもなお、遠藤はそこに人間のリアルを置く。 誇りとは、声高に守るものではない。 ときにそれは、踏みにじられ、誤解され、 それでも誰かのために沈黙する形をとる。 『沈黙』が今も読み継がれるのは、 この問いが、宗教を越えて、 支援・教育・ケア・親であること―― あらゆる「他者と関わる立場」に突き刺さるからだろう。 強くあることだけが誇りではない。 壊れながら、それでも誰かの痛みに寄り添うこと。 『沈黙』は、その不格好で、重たい誇りを、読者に静かに手渡してくる。
0投稿日: 2025.12.30
powered by ブクログ2025.5.28 思想と感情は相反することがありうる 井上の感情には共感できないが思想には共感できるところがおもしろい
0投稿日: 2025.12.12
powered by ブクログ基督教が弾圧される長崎が舞台。 キリシタンに待っているのは拷問と死。 教科書で読んだ踏み絵の重さを知る。こんなにも苦しくて辛い選択を迫られる緊迫感。 信仰と棄教の狭間で揺れ動く苦悩と葛藤が胸にくる。
0投稿日: 2025.12.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
神も悪魔も自分の中に存在する。 キチジローの言動は矛盾しているようで、その根底にあるものは一貫している。それは神を信仰しているということ。信じているから弱くいられる。 キチジローだけが、他の人のような自分で作り上げた神ではなく、本当の神を信仰できていたのかもしれない。彼がしているような、自分の想像を超える存在を信じるということは難しい。なぜなら自分の想像できないものは作り上げることすらできないから。キチジローは司祭を通して神を見ることができていたから、自分の想像に及ばない存在を心から信じられたのかなと思う。信仰は、1人では成り立たない。
1投稿日: 2025.12.07
powered by ブクログ読むのがしんどい。 体力使います。 ただ本当に読んで良かったと思えた1冊です。 読了したあとに遠藤周作文学館にいきましたが、景色が美しくいい場所でした! ぜひ行ってみてください!
2投稿日: 2025.11.19
powered by ブクログ強い者、弱い者とはどういうことか? 自分にとって人生の折々に読み返したい一冊になった。 物語はキリスト教信仰の中で一見強い者ーー信仰を捨てたと言わず心を強くデウスなる神に向け続ける人たちと、一見弱い者ーー脅しや痛みに耐えず神を捨てる態度を示すキチジローや棄教する宣教師たちを対比させながら進む。 物語に登場する強烈なキャラクター、臆病者で卑怯な行動を繰り返し何度も惨めに許しを請うキチジロー。「なんのため、こげん責苦ばデウスさまは与えられるとか。パードレ、わしらはなんにも悪いことばしとらんとに」 その臆病者の愚痴が、司祭ロドリゴの胸をじわじわと刺し、神の沈黙を問いかける。迫害、多くの信徒の呻き、神に捧げられた犠牲に、なぜあなたは黙っておられるのですか。 題の沈黙にひきずられ、どんどん重くなる苦しみへの神の沈黙=神はいないのか、がテーマのように匂ってくる。 ところが、そこで、繰り返すキチジローの再来、強い者と弱い者談がかぶさる。 「モキキば強か。俺(オイ)らが植える強か苗のごと強か。だが、弱か苗はどげん肥しばやっても育ちも悪う実も結ばん。俺のごと生まれつき根性の弱か者は、パードレ、この苗のごたるとです」 ロドリゴは自身に問う。” キチジローの言うように人間はすべて聖者や英雄とは限らない。もしこんな迫害の時代に生まれ合わさなければ、どんなに多くの信徒が転んだり命を投げだしたりする必要もなく、そのまま恵まれた信仰を守りつづけることができたでしょう。彼等はただ平凡な信徒だったから、肉体の恐怖に負けてしまったのだ。” “人間には生まれながらに二種類ある。強い者と弱い者と。ーお前はどちらの人間なのだ。” しかし最後にロドリゴは「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」とキチジローに言う。 読みながら、 私がとにかくずっと心に浮かんでいたのは、 踏めばいいのに、、、。 私はキリスト教がわからないからそう思うのか、と、人物の心をわかりたいと読み進める。 でもやはり思うことは、 弱くて、命を守るために道を逸れて、仲間を守るために踏んで、何がいけない それは本当に弱いのか それは本当に信仰していないことなのか? そうじゃないと思う。 傍目に弱いと言われ、何を大切にしているかが細かく一人一人違う中で本当に強い何かがあるかないかなんて誰に決められるのだろう。 雑草のように踏まれても踏まれても立ち上がるとは昔の勘違い観念で、踏まれたら逃げエネルギーを種子を残すことに使う 雑草は一度踏まれたら場所をかえる 何が大事か、何が痛く苦しいか、それにすら常に分かち合う存在が心の中の神なのか? 沈黙とは、神がこうせよと言ったり導かれるものではなく、これでいいのかと自分に問い続ける ということ? 当初から「踏めばいいのに」と浮かんだ私、「大変な思いをし続ける被災地から、戦地から、去ればいいのに」と浮かぶ私。 なぜ踏まないのか、なぜ去れないのか、それほどまでの信仰とは?自分の信じるもの、目の前の人の根っこで大切にしているものを問い続けることをやめないでいたい。
11投稿日: 2025.11.19
powered by ブクログ名作。 江戸時代、司祭ロドリゴはフェレイラ教父を追って日本へ潜入するが、そこでキリスト教への容赦ない弾圧を目の当たりにする。 信徒たちが苦しみ抜く姿を前にして、ロドリゴは問い続ける。 なぜ神は沈黙したままなのか。 なぜ救いを求める者たちが報われないのか。 祈りは本来讃美のためのものなのに、次第に呪詛のように変わっていき、もし神がいないのだとすれば信徒の死も自分の人生もどれほど滑稽なものかと自問する。 最後にはロドリゴなりの答えにたどり着くものの、その後の人生は決して胸を張れるものではない。 深い葛藤と苦悩が生々しく伝わってきて、神とキリストと人間について深く考えさせられる。 読み終えたあとも強い余韻が残る作品だった。
29投稿日: 2025.11.19
powered by ブクログこれはもう永久本棚です (日本語?、 遠藤周作の沈黙が読みたくて読みたくて仕方なかった パードレの葛藤、涙が零れ落ちるほど辛く屈辱的だった 一応仏教の宗派こそあるが、ほぼ無宗教レベルに信仰がないので、 信仰とは、命とは、何故ここまで命を捧げられるのか、もう想像をはるかに超えた境地での体験でした
1投稿日: 2025.11.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なんとも重厚な読み物であったか。 基督への信仰心を持った若き司祭が暖かな部屋から飛び出して、吹きすさぶ嵐の中を寒々とした荒野を突き進む。 体を引き摺るようにして進んで行った先で、新たな信仰の形を獲得した男の話だった。 キリストがとにかく迫害されたかつての日本が舞台で、徹底的な拷問を受ける人々は痩せてゴミの様に捨てられ、衝撃的な出来事に心が動かなくなっていく有様はフランクル著の「夜と霧」にそっくり。 穴吊り場面では戦場のメリークリスマスが思い出されましたね。 本書にある通り、宗教は豊かで強い者のために存在しているのてわなく、孤独で貧しく弱い人こそ必要な存在なのでしょう。 今日の日本において、コミュニティから弾かれた人は本書の司祭の様に膝を抱えて蹲って孤独に泣いている。そんな時に宗教の持つ神の絶対感が必要なのかなと。 結局の所、神の姿や想像は人によって違えても同じ方向を向いて、同じ慣習を生活に取り入れた集団に属するという、その一体感から充実感を大いに得てしまう。 一度手に入れた安息のコミュニティから爪弾きにされないために信仰にしがみついているだけなんだ。 神は何故、この様な苦しみを与えるのか。 何故救ってくれないのかと司祭は考えますが、フランクル哲学を引用すると、運命は突きつけられるものでなく、運命が我々に問いかけを行っているのだと。我々は運命に対して常にアンサーしなければならないのだと言っていて、この考えは私のお気に入りです。 神と言う普遍的で抽象的な概念を信仰すると言うよりは、自らの置かれている生活や立場、コミュニティに属する安心感を信仰している。 司祭は最後の最後まで、本国の教会関連者に軽蔑される事に気を取られていた感じがする。 やはり、どんなに生活力が向上して文明が進むとも人の天敵は孤独から来る無気力感なのだと改めて感じた作品だった。 キリストの言葉は全く学んでこなかった私だけど、やはりと言うべきか、世界中の人々に支持されているだけあって、素晴らしい教えは幾つもありました。宗教はその土地に住まう人々の生活の知恵が集合したものであると思っているため、学んで行きたいジャンルだなあ。
1投稿日: 2025.11.14
powered by ブクログ歴史の教科書で知った「踏み絵」の裏に、こんな苦悩のストーリーが刻まれていたとは 江戸時代、キリシタン狩り真っ盛りの九州を舞台に、「神はいるのか」という禁断の問いを文学という形で昇華させた遠藤周作の代表作です。 キリスト教イエズス会の司祭であるロドリゴは、日本での布教に貢献した尊敬する恩師フェレイラが、弾圧により棄教したという伝聞が信じられず、真相をさぐるために同志と鎖国中の日本へ密航するも、、、というお話。江戸時代のキリスト教弾圧や島原の乱、隠れキリシタンへの糾弾、踏み絵などは学生時代の日本史で習いましたが、実際にどのような仕打ちを受け、どのような心の動きがあったのかを知る機会になりました。 明確な信仰心や、絶対の存在が常にいるというキリスト教的な感覚が私にはありません。そもそも仏壇と神棚がどちらもあるような家で育った身の上です。そんな私にとって、この小説は真摯な信仰とはどれほどのものであるかを想像させるものでした。実際にあったキリシタン狩りをモチーフにしているので、どこまで史実なのかは当然気になりました。今後勉強しようかなと思います。 読んでいる途中まで、単なるいちモブキャラだと思っていたキチジローがまさかのキーマンであり、トリックスターとしてストーリーの盛り上げに大いに貢献しています。 キチジローはとても意志が弱くオドオドしているのに、時には尊大な態度にでるような、人間のだめな部分を詰め込んだ存在。金に釣られてロドリゴを裏切ったくせに、バツが悪そうに「ゆるしてくれ」と泣きながら後ろをついてくる図々しさを見せるなど、なんとも人を苛立たせるキャラですが、その痛々しさに少なからず人間らしさを感じ、共感する部分もありました。 なによりストーリーが進むにつれ二人の関係性がより深く感じられていくのが面白かったです。ロドリゴがキリスト、キチジローがユダのような構図になり、キチジローというユダの存在のおかげで、ロドリゴはキリストと同じ道を歩んだとも思えるほどです。キリスト教徒としての理想の姿と真逆であるキチジローの存在が、信仰とは何かを浮かび上がらせます。ロドリゴの信仰の道にとってキチジローは不可欠であり、この出会いはある意味財産であったかもしれない、なんて考えました。 奉行に捕まり村から村へ引きまわされる司祭ロドリゴは、ゴルゴタの丘へ向かうキリストと自分を重ねます。激しい弾圧の悪辣さと、一転して寄り添うような慇懃さ。このネチネチとしたアメとムチの波状攻撃がなんとも残酷で、読んでいて胸が痛くなりました。眼の前で殺される信者、命を落とす同胞。ロドリゴの精神は極限まで追いつめられます。彼は敬虔ではあるけれど、盲信的ではありません。だから苦境のなかで彼の信仰心は揺らぎます。なんどもその人(※文中のまま。キリストのこと)の顔を思い浮かべ、なぜその人は沈黙をしているのかとロドリゴは苦悩します。悩んで悩んで悩み抜いた末に、真理に一歩だけ近づくような、聖職者としての充実があることが牢中のわずかな救いに感じます。 終盤、恩師フェレイラとロドリゴの対峙の時が来ます。フェレイラのセリフ「デウスと大日を混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ」は、日本の日本らしさを表していて、後に「ガラパゴス化」と言われる根本的な島国日本の性質はこんなとこにも現れていたんだなと感じ入りました。「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」というセリフも、フェレイラに言われる通りの日本人である私にとっては「むしろクリスチャンはそんな感覚でいるのか」という驚きがありました。この出会いの後につづくロドリゴの自問自答の場面は、クリスチャンでない私にとってもスリリングです。 自分のなかの大事な物を汚され、取り上げられ、蹂躙され、ほとんどすべてをなくしても諦めなかったロドリゴですが、自分が棄教しない限り責め苦に苦しみ続けている信徒たちのうめき声に心が折れ、眼前に置かれた踏み絵に足をかけます。その時、踏み絵のイエスはこれまでの沈黙を破り「私を踏むがいい」とロドリゴを赦したと後に懐述しますが、それとて極限状態にあった彼の精神が自己防衛のために作り出した幻覚かもしれないとも私は思いました。それに、拷問に耐え信仰を貫いて絶命した教徒たちにとっては、やっぱり神は沈黙し続けたということになるし。ただ棄教の果てにロドリゴがたどりついた、本当の信仰というのは、他の信者や司祭や教団など、いっさいの他人の存在とはまったく関係のない、自分ただひとりと神の一対一の関係によって紡がれるものだという答えは、苦しみ抜いたロドリゴを癒すものであったろうと思います。「他人に何を言われても、表向きは棄教した恥ずべき存在でも、私自身は今でも胸の奥であの人への信仰を続けている」という思いこそが彼を生かし続けたでしょう。 この本を読んだ人なら、「主人公ロドリゴの迷いは、そのまま著者の迷いではなかったのか」という疑問が当然湧くと思います。いまこそ信徒を救うべきという場面でことごとく神が沈黙してきた物語を書いておいて、遠藤周作は小説家としての自我とキリスト教徒としての自我で引き裂かれなかったのかなあ。 教科書のなかでただただ特異なエピソードとして知った「踏み絵」のうらに、これだけのストーリーがあったかもしれない、いやおそらく事実あったろうことに、歴史の残酷さを感じます。
8投稿日: 2025.11.04
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主人公をとりめぐる、冒険小説のようなハラハラ感。無惨な世界の中、神はなぜ「沈黙」を保っているのか。 エンタメ性(失礼な表現かもしれませんが)と深遠な哲学が両立している文学は、読んでいて楽しい。 一方、個人的に気になった点もいくつかあった。 一貫したテーマである、「神の実在性」の答えは、どこへ行ったのか。 最後の最後で主人公が意味深な事を言っていたが、私の頭ではあまり理解出来なかった。 主人公が転んだ理由についても、明確な思想や哲学がが語られる訳ではない。 また、主人公が捉えられてからのテンポが少し悪い気がした。 ここでの心情描写や思想に本作の魅力があるのは分かるが、もう少し省ける箇所もあったのではと感じた。 内容が重く、正直もう一度読む体力はない。 人生で一度は読んでおくべき本、である。
1投稿日: 2025.11.03
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沈黙 著者:遠藤周作 発行:1981年10月15日 新潮文庫 初出:1966年3月、新潮社より刊行 ブックオフで何冊かまとめ買いした一冊。若い頃にはなんとも思わなかった遠藤周作も、この年になると少しはまる。本作は、江戸初期の時代小説であり、宗教小説でもある。「海と毒薬」ほどは読まれていないかもしれないが、著者代表作の一つ。 1637-38の島原の乱により、キリスト教に対する弾圧を益々強める幕府。舞台は長崎。九州に派遣されて切支丹禁令の中心となったのが井上筑後守(政重)だが、この小説の主人公である司教ロドリゴがその井上と対峙し、棄教を迫られるなかでの葛藤を描いた物語である。ロドリゴは歴史上の人物としてモデルがいると解説に書かれている。イタリア生まれのジョゼッペ・キャラという人物だが、小説ではポルトガルのタスコ町に生まれたセバスチャン・ロドリゴとしている。 イントロは、ポルトガルのイエズス会が日本に派遣したフェレイラ教父が長崎で「穴吊り」という拷問の末に棄教を誓ったというニュースがローマ教会にもたらされたところから始まる。20数年前から迫害下の日本で布教活動をし、地区長という最高の住職にある長老。稀にみる神学的才能に恵まれた彼が棄教するとは信じられない話であった。真相を突き止めるべく(あるいは救出すべく?)、日本への潜入を、イタリアで、そしてポルトガルで決める。ポルトガルからは3人が1638年に出航した。そのうちの一人がロドリゴである。 なお、穴吊りとは、掘られた穴に汚物を入れ、そこに逆さ吊りにされる。それと別に信者は、海に縛り付けられるが、高さは満潮時に息が出来るか出来ないかぐらいまで海面が来るような位置で、苦しみ、衰弱死していく。フェレイラは、自らの肉体的な苦しみと同時に、信者達が苦しみながら殉教していく苦しみに堪えられなかったことが想像できる。 イントロでは、たくさん人物が出てきて、これは壮大な大河小説かも、読み切れるだろうかとも思ったが、2章からはロドリゴ自身が遺した手紙という形で展開し、3章では3人称の形式でのゆるやかな話となり、2章と3章はロドリコ関連だけだったので、とても分かりやすく、中身は宗教的な難解なことや、複雑な個人の葛藤などが描かれるが、とても理解しやすく読みやすかった。さすがの遠藤周作である。 物語としては・・・ ポルトガルの3人は、喜望峰で難破し、なんとかインドのゴアにたどりつき、やっと澳門(マカオ)の教会に入ったものの、そんな危険な日本に送る気はないと教会に言われる。気を落とすものの、なんとか説得して日本へ。ただし、1人は病気のため、ロドリコとガルペの2人で。小さな漁村に入り、潜伏してフェレイラを探し始めるが、気の弱い1人の信者の裏切りにより、危機を迎える。ロドリコとガルペは別行動で逃げることにし、たとえどちらかにもしものことがあっても、もう一人が最後まで布教活動をしようと決めた。ロドリゴは逃走する中、山を行き、飢えと渇きでもうどうでもいいという心境にまでなるほど。そんな中、気の弱い1人の信者に再会し、彼が都合した干し魚を食べているとき、捕まってしまう。きっと罠だろう、彼(キチジロー)の裏切りだろう。 捕まったロドリゴは拷問されることもなく、ある意味で放置された。だが、一緒につかまった村の信者達は殺されていく。棄教を勧められるが、それは穏やかにだった。井上筑後守とも体面するが、にこやかでものわかりがよさそうだった。あくまでソフトに棄教を勧められたが、断るなかでついに裸馬に乗せられて移動をさせられる。最終的に長崎までいくのだが、途中、会わせたい者がいるといわれて遠くから見せられたのが、ガルペだった。彼も捕まっていた。そして、信者たちが薦(こも)で簀巻きにされた信者たちが船から突き落とされ、殺されていく姿を見て、彼自身も飛び込んで命を落とす。ロドリゴの目前で行われたのだった。 長崎でも、予想された拷問がなかなか始まらなかった。隙もあったが、すでに逃げる気も失せている。死はもちろん、拷問もあまり怖くなかった。そんな中、会わせたい者がいるとまた言われた。今度はフェレイラだった。彼は、自分が穴吊りをされた時のこと、信者が殉教すること、の苦しみをロドリゴに話した。今、彼は長崎の西勝寺で暮らし、妻子(妻とその連れ子)と暮らしている。 キチジローが、なぜかずっとついてきている。一般の信者だとなのり、お願いだからパードレ(司教)に会わせてくれと見張りなどに頼んでいるがはねつけられている。なぜだろう。ロドリゴには疑問だった。キリストが裏切り者のユダを知っていながら弟子にした、それとダブらせて考えていた。そして、ある夜、捕まっている信者たちの鼾を聞くようになった。ところが、それは鼾ではなく、穴吊りの苦しみの声だったことをフェレイラから教えられる。形式だけでもいいから、踏み絵をしろと役人がいう。ついにロドリゴは軽く踏んでしまう。ただ、その絵に描かれたキリストが踏めと言っていると考えたのであり、これは棄教ではないと思った。 井上筑後守に会い、東京の井上屋敷に行くことになる。岡田三右衛門という名が与えられた。岡田三右衛門は故人となっていたが、その未亡人を妻として与えられた。64歳まで生きたと記録された。 とても面白い作品だった。 遠藤周作には、いましばらくハマりそうである。 ******** クリストヴァン・フェレイラ教父 アンドレ・バルメイロ神父:巡察師 1629年12月 竹中采女:長崎奉行 バルトロメ・グチエレス:アウグスチノ会士 フランシスコ・デ・ヘスス:アウグスチノ会士 ビセンテ・デ・サン・アントニヨ:アウグスチノ会士 石田アントニヨ:われらの会 ガブリエル・デ・サンンタ・マグレナ神父:フランシスコ会 ベアトリチェ・ダ・コスタ:アントニヨ・ダ・シルヴァの妻 マリア:その娘 1635年イタリア ルビノ神父:他の3人の司祭とともに日本へ 1637年ポルトガル フランシス・ガルペ:リスボン出身 ホアンテ・サンタ・マルタ:リスボン出身 セバスチャン・ロドリゴ:タスコ町生まれ ・1638年3月25日にサンタ・イサベル号で出航 ジョアン・ダセコ:その時に祝福した司教 ・10月9日にゴア到着 ・澳門までたどり着く ヴァリニャーノ神父:澳門の布教会では危険な方法で宣教師を送ることを考えていないと3人に宣告する 井上:井上筑後守(井上政重)がフェレイラを尋問したとの情報 <セバスチャン・ロドリゴの書簡> キチジロー:肥前(長崎)の漁師、28-9歳、クラサキ村出身、漂流中にポルトガル船に救助されて澳門へ 日本に来た宣教師など デ・セルイケラ司教 バリニヤ師 オルガンチノ師 ゴメスデ師 ポメリオ師 ローペス師 グレゴリオ師 ジル・デ・ラ・マッタ師(船が難破) ・長崎から16レグワのトモギという漁村に漂着 じいさま:最高の地位、下に「とっさま」、「み弟子」 モチキ:若い男 ミゲル・マツダ:日本人司教、1633年10月に死亡 マテオ・デ・コーロス師:同年同月死亡 イチゾウ:50歳、怒ったような顔、夜に小屋に来る オマツ:イチゾウの姉、寡婦 セン:オマツの姪 マゴイチ:「とっさま」の一人 ・フカザワ村(五島列島) ・捕まって連れてこられた村 チーキチ:片目の男、ジュアン(洗礼名)、久保浦長吉 モニカ:洗礼名を持つ女、久保浦春 亦市:年寄 石田:洗礼名を与えた人物、雲仙で死亡、イルマン カブラル師:以前にいて日本人を見下していた司祭 ポルロ:井上で転んだパードレ ヘイトロ:井上で転んだパードレ カッソラ:井上で転んだパードレ フェレイラ:井上で転んだパードレ 横瀬浦→大村→諫早→千束野→長崎(外町という郊外の牢屋) 西勝寺でフェレイラに再会、彼は1年ぐらいここに居る 沢野忠庵と名乗る 天文学の翻訳、デウスの教えと切支丹の誤りと不正を暴く本、 「日本人は人間とは全く隔絶した髪を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」 「日本時は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ」 ルンジウス・デ・サンクティス師:副院長(手紙を出している相手先の副院長)、聖ザベリオ修道院?
2投稿日: 2025.11.01
powered by ブクログ遠藤周作「沈黙」を読んだ。生前の遠藤が「この作品を書けたら死んでもいい」とこぼしたという、不朽の名作。本作は国内外で高く評価され、キリスト教文学の金字塔との呼び声も高い。また一方では、日本人独特の価値観と、キリスト教の善悪二元論の狭間で苦悩した遠藤の私文学とも表される。まさしく作家・遠藤周作の魂の一冊と言える。 舞台は江戸初期、キリシタン弾圧下の長崎。潜伏したポルトガル人司祭・ロドリゴは、日本人信徒のあまりにも残忍な殉死や拷問に心を痛め、天の神に切実な祈りを捧げる。しかし神は沈黙を貫き、ロドリゴは理想の神を信じたまま信徒を見殺しにするか、踏み絵に足をかけることで彼らを救済するか、決断を迫られる。 「沈黙」は、読者の解釈によって評価が二分する珍しい作品だと思う。作品について、ある人は「迫害された善良な信徒たちの悲しみの物語だ」と言い、別の人は「自ら火中の日本に飛び込んだ哀れな青年の物語だ」と言う。さらに批判的な人の中には「植民地主義者の宣教師らが返り討ちにあった」と誇らしげに語る者もいる。 しかしそれらの解釈は、結局は物語の真相に触れていないのではないか、という気がしてならない。本作の最大のテーマは、題名にもある『神の「沈黙」』に違いない。作中でロドリゴは、幾度となくキリストの教えを想起して、神の沈黙に疑問を投げ掛ける。 「主よ。人々があなたのために死んでいるのに、なぜ黙ったままなのですか」 この問いがロドリゴの悲哀に満ちた眼差しを通して、読者に訴えかけられる。我々はキリスト教の信仰にかかわりなく、神の沈黙と対峙しなければならない。「神など存在しない」と口にすることは簡単だが、死後の楽園を夢見て無惨にも殉死を遂げた農民を見ると、俺はなかなか断言ができずにいる。神は、もしかしたら存在するのではないか。少なくとも、彼らの心の中には。 先ほどの問いと同列に扱われているのは「神の赦し」という点である。踏み絵に足をかけた者は背教徒として侮蔑の対象となり、教会から追放され、死後の楽園を夢見ることすらもできなくなる。しかし当然ながら、絵踏という行為は形式的なものだから、背教徒らが心の底から信仰を棄てたのか、実際のところは分からない。 生き延びるために仕方なく、殉死を遂げる勇気もなく、涙を流して足に痛みを覚えながら、ようやく聖画を踏んだ姿があったのかもしれない。 作家にしてクリスチャンである遠藤は、彼らを自らの作品によって救済できないかと考えた。教会からも、司祭からも、同胞からも見放された彼らを、せめて後世では救えないものか。そうした崇高な使命感が、「沈黙」を偉大な金字塔へと押し上げた所以であろう。 作中で「日本はキリスト教の実らない沼地だ」という表現が出てくる。あらゆる教えが実らない泥沼だと。その点について長く考えていた。遠藤は日本人でありながら、なぜそうした表現を用いたのか。彼がクリスチャンである事実が、日本にキリスト教が実った証ではないのか。しかし、彼が使用した「沼地」という表現は、さらに奥行きがある気がしている。 日本人は中空的だという意見がある。立派な文化や歴史や国民を有していながら、その実態は空っぽなのだという。だからこそ日本人は明治維新で西洋の文化に適応して、戦前には天皇崇拝に適応して、戦後は民主主義に適応できたのだと。なるほどどうして、興味深い見解である。しかし西洋では、これがなかなかうまくいかないらしい。宗教や文化や国境や、そういった様々な理由によって、必ず余分なものが含まれて、日本のように純粋な吸収ができない。すると、西洋には「自分」というものがあって「他者」と分別をつけるが、日本には「自分」がいないということになってくる。つまり、最後の裁きの日に、裁かれる「自分」がいないのである。もしそうだとすると、なるほどたしかに、日本は沼地なのかもしれない。 信じられないほど哀しく、素晴らしい作品だ。大勢の人に読んでいただきたい。
4投稿日: 2025.10.29
powered by ブクログ## 感想 キリスト教と言うだけで、日本人からひどい目に合わされるロドリゴ司祭や信徒達。 宗教や思想の違いだけで、人間が人間にこれだけひどいことをできるのだと言うことに恐怖を感じる。 『沈黙』はフィクションではあるものの、大方は史実に基づいていて、歴史的にも同じような迫害が行われていた。 今では違う宗教に対しても寛容になったと思うが、そうは言っても差別や迫害はなくなっていない。 沈黙ではひどい迫害に遭いながら、ロドリゴが神はいないのかと自分の中の信仰と戦うことを主軸に描かれている。 私は無宗教なので、この神はいないのかと言う問いが、どれだけキリスト教の信徒の方々にとって恐ろしいものなのかは、本当の意味では理解できない。 しかし、無理矢理に思想をねじ曲げさせようとする差別や迫害のむごさが鮮明に描かれていて、自分でももしかしたら踏み絵を踏んでしまうのかもしれないと思いながら読んでいた。 こうした差別や迫害のない世の中というのはこれからやってくるのだろうか。 人間は「自分とは違う」というだけで、割と無邪気に残酷なことをすることがある、 私は子供の頃転勤族で小学校を4つも通ったが、そのたびに方言の違いで、軽いいじめのような目にあったことがある。 幸い、そういうものに体制があって、不登校にもならずに投稿することができできたけれども、人によってはそれで人生が変わってしまうこともあったと思う 人は、他人の行動や言動で、簡単に人生を動かされてしまうものなのかもしれない この沈黙と言う作品の暗い恐ろしい雰囲気を味わうと、自分が今、いかに恵まれた時代を生きているか実感する 当たり前と思うことが当たり前では無いのだと言うことを忘れずに生きていたいものだと思う
16投稿日: 2025.10.17
powered by ブクログ友達から勧められた本。 ほんとに辛いけど、遠藤先生の視点の分け方(解説にも載っている)が繊細かつ、計算されていて最後まで読めた。神はいないのかと自問自答しながらも信じ続けようとする葛藤は正直理解し難いけど、だからこそ、信仰心というものの力の大きさを感じた。宣教師が居場所も失い、命の危機も迫るほど、いろいろな景色、匂いなどの描写がすごく丁寧で細かくなっていったから面白かった。
4投稿日: 2025.10.12
powered by ブクログ天草一揆直後のキリシタン弾圧が激しい時代の空気感も感じ取れる程に、風景や空気感の描写が的確で、まるでその時代を覗いているような感覚になった。迫害から逃げるシーンも緊張感が文字から伝わってくる。「沈黙」というタイトルは様々な意味合いを含んだタイトルかと感じた。迫害から逃れる為に沈黙を守るキリシタン、キリシタンを飲み込んでも沈黙したような海、キリシタンが耐えられない苦しみを受けているのに沈黙する神。この小説を読み終わってもう一度「沈黙」というタイトルについて考えるほど、のめり込んだ物語だった。
1投稿日: 2025.09.30
powered by ブクログ特定の宗教への信仰がないからこそ考えさせられた。 日本にキリスト教が根付かなかったのは、政策のせいなのか、それとも日本人の気質からそうさせたのか。 今まで神がいるならば世界で戦争など起こらないはずだと思っていたが、そのような心の影がいっそう深くなった。 神々は沈黙してばかりなのかもしれない。
1投稿日: 2025.09.27
powered by ブクログ8月の長崎旅行をきっかけに読み始めた。言わずと知れた名作だが、この度が初読。 長崎は「鎖国」の江戸時代にオランダとの通商が行われた港であり、カトリック文化の影響を色濃く受けた地域だ。浦上天主堂、大浦天主堂などの歴史的な教会は、長崎を訪れる際には必ず立ち寄る場所。 キリスト教を生涯にわたって文学のテーマとした遠藤周作は、日本にあって稀有な作家。中学生のころから狐狸庵閑話など軽いエッセイには親しんできたが、なかなかこの作品には近づけなかった。 キチジローという「転び」キリシタンにひときわ興味を惹かれる。パードレのロドリゴをわずかな金で売り渡した「弱き者」キチジローが、神の救いを最も必要とする存在なのだろう。それはわれわれ人間の弱さを象徴している。
2投稿日: 2025.09.21
powered by ブクログ過酷な拷問や現実に対する、宣教師の心情の機微を事細かに表現されていて、迫力があった。 物語は終始雨が降り続く、暗澹な雰囲気のなか進んでいくが、派手さを取り除かれたことで、考える葦としての一人の人間の存在をより強く感じることができた気がする。
4投稿日: 2025.09.14
powered by ブクログ扱われている事件や人物の大方は史実に基づいているとのこと。日本潜入を敢行した3人の司祭も、モデルがいる。フェレイラ司祭が棄教するはずがないと信じるロドリゴ(主人公)と、棄教して彼らに常について回るキチジロー。やっと会えたフェレイラとの衝撃の結末。すごく勉強になった。
1投稿日: 2025.09.08
powered by ブクログ「幕府はキリスト教の警戒心を強め、絵踏みを行わせて信者を摘発した。」くらいに、社会の授業でサラッとしか触れられないキリシタン弾圧。弾圧の様子の絵を教科書等で目にしたこともあるけど、あまり実感を持ったことはありませんでした。 ですが今回その内容の重大さに触れられました。 私の不勉強さ未熟さが大きい気もしますが(-_-) さくらももこのエッセイで遠藤周作の人物像が出てきた際に気さくな人という印象を持ったけど、その印象とは180度異なる内容。 テンポがほどよいしページ数も多くないので中高生でも読みやすいとも思います。
0投稿日: 2025.09.05
powered by ブクログキリスト教を布教しにくるも排斥される宣教師たち。その3人の運命。愛とは、信仰とは、慈悲とは、祈りとは、弱者とは、タイトルの沈黙とは。 10代までに読むのは読んでもやはりわからなかっただろうなという思いと、たぶんむごすぎて離脱したと思う。いまだからこそ読めたという感覚。すげ〜
2投稿日: 2025.08.28
powered by ブクログ信仰の在り方というテーマ。形の上だけ信仰を捨てるということがあり得るのかどうか。信仰は心の救いはもたらしても物理的な救いはもたらさないことを明確にした上で、形にこだわらずに神を信じる道は示されていると思う。
1投稿日: 2025.08.13
powered by ブクログ新潮文庫夏の100冊からチョイス。書き出しが好みでした。 テーマは信仰心とエゴイズム。信仰を巡っての"強きもの"と"弱きもの"の対比。400年前に本当にこんな事があったなんて信じられないです。歴史の教科書を読むだけじゃ伝わって来ない迫力が有りました。 同時にキリストとユダの関係性を巡る逡巡は、俗世間に塗れた自分には到底たどり着けない境地なんだろうな、とも思いました。 圧倒的なのは9章。信仰を巡る問答が求道的に過ぎて言葉にならなかった。主が回答を与えず沈黙を貫き通すのは、自己内省を促す為であったのだ。そうゆう意味じゃ基督教ってなんて残酷な宗教なんだろう。 因みに、司祭の行動は僕の目には棄教には写りませんでした。
11投稿日: 2025.08.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人間の苦悩、何かを信じ続けようとする強さ、何かに縋ろうとする弱さ、大なり小なり誰しもが持ったことのある感情がありのまま描かれている。 最初はイライラしてたけど、だんだんキチジローの気持ちがわかってくる。キチジローになっていく。
0投稿日: 2025.07.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
最初はキチジローのことが嫌いだったのに、最後には彼の登場を待っている自分がいた。 物語として、非常に惹き込まれる作品だったが、それ以上にキリスト教への信念が圧倒的だった…。 私はクリスチャンじゃないので理解が間違ってるかもしれないけど、この話を通して、キリストは信者と共にいるということを深く感じた。私は、「なぜ酷い状況であっても、信者はキリストの存在を信じるのか?(例:戦時下、不慮の事故など、意図せずに巻き込まれたときなど)」と考えていたが、その苦しみもキリストが一緒に受けていたという考えなんだなと感じた。 「踏むがよい。お前の足の痛さを、この足も感じている。」 ここは本当に美しいし、キリストの博愛精神をよく示していると思う。 キリスト教について知ろうと思える作品だった。
10投稿日: 2025.07.14
powered by ブクログキリスト教弾圧と信者と司教 昔の日本におけるキリスト教の弾圧。実際はもっと酷かったんだと思うし、宣教師たちもまさに命がけだったんだと思う。名作と言われるのが分かる。
0投稿日: 2025.07.07
powered by ブクログ神はいるのかいないのか。罪のない者が苦しめられている状況で答えはこない。 カラマーゾフの大審問官を思わせるような、理不尽な現実に対する信仰と神の沈黙に対する既視感があった。 八百万の神様の国に住む自身としては、一神教の教義は理解は難しい。 一方、沈黙する神の前でなお返事がなくとも自分が正しいと信じたことを貫く姿には心をうたれた。苦しく思い物語だったが、不屈の信念に触れることで感慨を覚えた。
3投稿日: 2025.07.06
powered by ブクログ隠れキリシタン達が奔走する情景が、ありありと思い浮かばれます。海と毒薬も面白かったが、こちらもgood.
0投稿日: 2025.06.19
powered by ブクログキチジローに対して軽蔑する心が芽生える気もするが、現実、自分には殉教なんて選べないだろうから、私もきっとキチジロー。
2投稿日: 2025.06.07
powered by ブクログ『沈黙』遠藤周作 切支丹禁制の真っ只中、日本に渡った宣教師ロドリゴの棄教までの苦悩を描く。 “ローマ教会に一つの報告がもたらされた。”ノンフィクションのような始まりでフェレイラの棄教が伝えられる。殉教はあっても棄教などありえないと思うロドリゴは日本の状況を調べるために潜伏することにした。 澳門(マカオ)での夕暮れ、日本の梅雨の入り、長い夜からの夜明けという、季節や時間の使いロドリゴの心境を違う角度から表現している。終始日の当たらない陰鬱な雰囲気は物語の重さを強調している。信徒としてのあるべき姿を求めるすがるような筆致の終始つらい物語だった。 キリストを裏切るユダのようなキチジローという男。物語の鍵になるこの男から目が離せない。襤褸(ぼろ)を纏った男20代後半。常に酒に酔っていて、小狡く、人が見ていないところでは荷役をさぼり仲間から暴行を受けてペコペコ謝っている。はじめは信徒であることを隠し、村に着けば司祭を連れてきた英雄気取りで、実はかつては転んだ(踏み絵を踏み棄教を示した)過去もあり平気で司祭を売るようなことをする。自分みたいな弱い人間には弱い人間なりの信じ方があってそうするしか生きていけないと悟ったように訴える。小狡いとしか思っていなかったが、ロドリゴの境遇が変わるにつれ、キチジローのその意見はあながち間違いではなくむしろそちらが正しいのではと考えてしまう。神はなぜ我らに救いを与えてくださらないのか。自らの恵まれない境遇を雄弁に語るキチジローと沈黙する神。キチジローとロドリゴは一体何が違うのか、徐々に分からなくなってくる。
0投稿日: 2025.06.03
powered by ブクログ隠れキリシタンとは、どんな存在だったか。単語でしか知らなかった事柄に裏に重くのしかかる史実なのか小説なのか。 長崎の描写が頭に刻まれる。
0投稿日: 2025.05.25
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こういう時代があったということ。事実としての世界史を勉強していると、キリスト教世界の価値観の押しつけに対して思うところが出てくるが、その中で生きている人々が何を考えていたのか、考えさせられる本だった。 社会が不安定になると何かに救いを求めるのはいつの時代でも変わらないのだと思った。 正直全てを理解できなかったしところどころ巻きで読んでしまったが、次読んだら感想が変わるのかもしれないと思っており、いつか読み返す気がする。心のどこかにずっと引っかかる作品ではないだろうか。 ロドリゴが神の存在を疑うシーンは、十二国記で李斎が天の存在を問うシーンを思い出した。
0投稿日: 2025.05.24
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破戒とかこういうその時代の葛藤や実情をリアルに描かれている本好き。 自分の周りにもガチのクリスチャンいるけど、やっぱり根本的に物事の捉え方というか心情の違いを感じる時があるから、クリスチャンがこの本を読んだら捉え方もまったく違うんだろうと思った。 やっぱり日本人には国民性なのか、長年根付いてきた考え方というのがあって神の捉え方が交わらない部分があるんだと思う。 この物語でキチジローは悪役?的な立ち位置かもしれないけど、自分は共感できる所もあり嫌いにはならなかった。恐らくロドリゴもそうだろう。 あいつも言ってたけど、もし生まれる時代が違かったら幸せにキリスト教を信じていてお調子者な憎めない奴だったんだろうなと思う。 この本を読んだあとだと沈黙というタイトルが重く響く。
1投稿日: 2025.05.23
powered by ブクログ遠藤周作氏のものは初めてで、もっと堅苦しい文章かと思っていたけど、そうでもなくすらすらと。 本のなかの時代と、そこからおおよそ200年後に訪れるキリスト教の歴史的な事件と、さらにそこから80年後にキリスト教国によって悲劇をもたらされた長崎の地を思う。
2投稿日: 2025.05.11
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英会話の先生に教えてもらって購入! (逆輸入) 映画化もされてるらしいからみてみよ 井上さんの見透かしてる、分かりきっているよ的な空気を醸し出してる感じがあって直接会ったら話すの怖そう 宗教(それ以外でも)、exposeされる人が増えれば増えるほど原形を保つことって不可能に近いことがシニカルに一つのメッセージとして受け取った 企業やコミュニティにも同じことが言えるなあと思って、ポリシーや教育っていやーーー難しい 救い、沈黙 キーワードのチョイスが秀逸
0投稿日: 2025.05.09
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キリスト教が禁制となった日本に、ポルトガルの司祭がキリスト教を布教しに行く話。 わー、なかなか深かった。 私自身、これといって信仰している宗教が無いので、信仰のために命を賭けるというのが、私には考えられないことだった。 キリスト教が禁制である中で、年貢に苦しみ信仰に救いを見いだして、密かにキリスト教を信仰する日本人。 政府にバレて、死刑やら拷問やら、酷い仕打ちを受けながらも、信仰を捨てることなく、殉教する日本人たちを見て、司祭はなぜ神はこれを見ても沈黙されているのかと考える。 日本へ向かうまでは、司祭として完璧なまでに、基督を信仰していた司祭が、酷く貧しく、惨い仕打ちを受ける日本人信者たちに神からの救いが無いことを受け、徐々に心情が揺らいでいく様子が非常に興味深く感じました。 布教をするために命を賭けて日本に来たのに、実際には自分のせいで日本人の信者が犠牲になってしまう。 かつての禁制でない時代に日本に来ていれば…とどんどん考え方が卑屈になっていってしまう。 最後は、転べば人質の苦しい拷問を止めると言われて、転んでしまう。 私だって転んでしまうだろうな。 信仰のために命を張る覚悟があるって、すごい。私にはできないと思います。 きっと、同じ境遇ならキチジローのようにわが身可愛さに逃げてしまうでしょう。 キチジローに嫌悪感を持ちつつも、私だってそうしてしまうだろうなと。 とても考えさせられる一冊でした。 難しかった!
6投稿日: 2025.04.29
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昔読んだ本の再読。キリシタン禁制下の弾圧が激しい日本に密航し、信徒たちを救い恩師を探そうとした司祭ロドリゴが棄教するまでの物語。一人の信徒に裏切られて自身も捕らわれ、必死の祈りもむなしく信徒たちがみじめな姿で殉教していくのをまざまざと見せつけられて「神の沈黙」に絶望しかけるロドリゴ。最後の最後に彼が頭の中に見いだしたイエスの思いは「私は沈黙しているのではない。ともに苦しんでいる。踏み絵を踏むがいい」というもので、彼の信仰は変容を迫られたのだ。 この壮絶さとドラマティックさには圧倒されるが、司祭のくせに考えがあまりに現世的ではないか?という感じはする。たとえ現世でむごたらしく死ぬのでも、この世でのこと。使徒たちの殉教ですら妨げられなかったのに、どうして魔法のように信徒たちが「この世で」救われると思うのか。 クライマックスの踏み絵の場面、ロドリゴはフェレイラの「たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう」という言葉にとうとう心を折られてしまうのだが、本当にイエスはあの場面にいたら「転んだ」だろうか?ということをずっと考えている。一読した時はああ、転ぶだろう、という気持ちもしたが、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」といって終わるような気もするのだ。カトリックの人ならどう考えるんだろうか、ちょっと聞いてみたい。
3投稿日: 2025.04.23
powered by ブクログhttps://opac.lib.hiroshima-u.ac.jp/webopac/BB01678422
0投稿日: 2025.04.11
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パードレロドリゴが彼の師フェレイラの所在を突き止めると同時にキリスト教の布教を日本にしに行く物語。 しかし、幕府の弾圧によって殉教していく日本の信者たちを見て神の沈黙に疑問を抱く。 最終的にロドリゴは棄教するが、した時の理由が宗教ってこういうのなんだよなってなった(踏み絵のキリストは踏みなさいと言ったから踏んだ。だから私は違う形でキリストを信じている。)
3投稿日: 2025.03.25
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まさに沈黙というテーマの深い内容だった。 最初から絶望的な状況でこうなるだろうと予測できていたにもかかわらず、こんなに話に引き込まれていくとは! ロドリゴが棄教に至るまでの基督との対話による心の変化がひとつひとつ丁寧に描かれているので、こちら側も心を抉られるような気持ちになった。 日本人のために死ぬ覚悟を持ってはるばるやって来たのに、実際は自分のために次々と死んでいく日本人信徒達。それを目の当たりにして、一向に沈黙し続ける神を前に信じ続けるのは確かに難しいだろうなと思う。 信徒を導く立場である司祭も1人の人間。 キチジローのように弱いから裏切ったのでなく、弱い強いもなく皆同じ悩み苦しみを抱えているのだろうと思う。 形だけの踏絵といっても、自分の生涯の中で最も美しく清らかで理想と思って信じてきたもの、それを踏むという行為はどれだけ耐え難いものだっただろう… 実際にこの時代に何人の宣教師たちや信徒達が拷問され亡くなっていったのかはわからないけど、皆がハライソにいけていたのならいいな…と思った。
3投稿日: 2025.03.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
私が無宗教である理由は、戦争や悲惨な出来事が絶えず世界中どこかで毎日起き続けているから。もし神様がいたとしても、人間の祈りなど聞き入れてくれないから祈らない。 こういった信仰に対して感じていたことが、本作で表現されていて驚いた。 信者を苦しみから救うはずの神が、信仰することによって逆に信者を苦ませるという矛盾。一体信者は神に何を期待し信じているのか。 正直、授業で踏み絵を習った時は、その程度は簡単に嘘をつけるのでは?と思っていたが、本作を読み信仰とは何とも厄介で複雑だと思い知らされた。 日本人に布教したはずのキリスト教が、気付けば根はなくなり新しい宗教になっていたという話は目からウロコだった。文化の違いがおもしろい。だけど、ロドリゴ達の目線に立つとなんとも切ない話だと思う。 重たい話だったが、日本の歴史の黒い部分と向き合うことができ、色々と考えさせられたのでこの本に出会えてよかった。 評価を3にした理由は、拷問の描写が怖すぎたから。ウォーキングデッド(海外ドラマ)を観てからだいぶグロ耐性ができたけど、拷問だけはさすがにきついよ〜夢にまで出てきてしまった。
7投稿日: 2025.03.13
powered by ブクログタイトルの『沈黙』に隠された深い意味を理解できた。なぜキリシタンの残酷な運命を前にして神は沈黙しているのか疑問に感じる主人公のロドリゴの心情の変化が面白い。加えて、キリシタンが処刑された海が沈黙している様子を巧みに表現していた。 キリスト教司祭の心情が詳細に描かれていた。ロドリゴが、神とは一体なんなのか。信仰の意味について自問自答する様子が印象的。キリスト教の祈りについて知識を深めるとより一層理解できるかもしれない。 棄教を進める奉行たちは、キリスト教は日本には根付かないものとして捉えている。特に、井上様は日本人が考える神と教会の神には大きな相違があると言っていた。ある意味核心を突いていた発言だったように感じる。形式的に棄教を進める理由には、このようなキリスト教は日本に根付かないという考えが元になっていたのではないか。役人の言い分を一蹴することができるとは限らないしその考えも一理あるかもしれない。 とはいえ、非常に貧しい生活を送っていた農民たちがキリシタンになった所以を理解するには良い歴史小説だった。しかしそこには、信仰が広がり時間が経つにつれ、司祭が思い描いていた神と日本人が考える神に食い違いが生まれていたことも面白い。ロドリゴもフェレイラや役人と会話するに連れて、そのことに薄々気づいてたのではないか。
3投稿日: 2025.03.10
powered by ブクログ主人公は信仰と布教の熱意に溢れたキリスト教会の司祭ロドリゴくん。 みずからが敬愛し教会からの信も篤いあのフェレイラ先輩が、信仰を棄てたという報を受け、彼は衝撃を受ける。 師の安否、そして師が本当に神を見限ったのかをその目で確かめなければならん。 彼はこの大義を掲げ、宗教弾圧が一大ムーブメントを巻き起こしている魔境・日本へと旅立つのであった。 キリスト教会に詳しくないしあまり興味もない私ですが、テーマとストーリーがとてもわかりやすいです。 つまりロドリゴは最後まで神を信じ続けられるのか。 話が二転三転することもなく、ただ淡々と、その結果に向かって進んでいくのみ。 ただこの小説の凄いところは、ロドリゴの心の中の葛藤、それに影響を与えている風景や音、においといった環境の様子。 これらがひじょうに丁寧に表現されていることだと思います。 こんなに困ってるのに助けてくれない、沈黙、している。 だから神様なんていないんだ。そう言う事、思う事。 日本人である私にはその重要性がいまいちピンとこない。 けれどロドリゴという男、当時の司祭たちにとっては、どうやらこれは相当な覚悟のいるものらしい。 転ぶのか、転ばないのか。 単純な問いに対してああでもないこうでもないと迷う様子は、とても鬼気迫っています。 神の不在を認めることがいかに難しいのかが、ロドリゴの迫真の葛藤と、それを取り巻く陰気臭い環境によって伝わってくる作品でした。
8投稿日: 2025.03.09
powered by ブクログ初めて著者の作品を読みました。 ちょっとなんというか…すごい、くらいしか感想が出てこない。圧倒されました。
0投稿日: 2025.03.08
powered by ブクログ第2回谷崎潤一郎賞 「沈黙」のタイトルの意味が深い。 信仰とは何か。救いとは何か。 ロドリゴが問い続けてきたことや、棄教に至るまでの思いが伝わる重たい作品でした。 江戸時代の農民たちがなぜ仏教ではなくキリスト教を信仰したのかもやっとわかった。 文章全体が読みづらく、全てを理解しきれていないと思うけど、内容をざっくりとは追える。 ただ「長崎出身オランダ商館員ナヨンセンの日記より」は難しくてわかりにくく、最後の「切支丹屋敷役人日記」は江戸時代の候文なのでもはや読むことを放棄。 殉死していく農民たちがあまりにむごく、根付かないのにキリスト教を守ろうとするロドリゴより、形だけでもパードレが棄教してくれればと願う武士の気持ちの方に共感した。
34投稿日: 2025.03.06
