
総合評価
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powered by ブクログ元々キリスト教が題材の作品はあまり好きではない(「塩狩峠」も好きじゃない)のだが、これは非常に考えさせられた。連絡の途絶えた司祭の行方を捜すため、かねてより信仰者への残虐な拷問で悪名高かった鎖国時代の日本へ、命を賭し渡る事を決意した宣教師の主人公ら。厳しい監視の目を掻い潜りながら布教活動を続けるが、一向に司祭の行方は知れない。そんな中、ユダに密告されたキリストよろしくキチジローという男に裏切られ、身柄を拘束されてしまう。自らの信仰か、他人の命か。そこで想像を絶する選択を迫られた主人公はー。神の存在と人間の信仰という普遍のテーマに真っ向から取り組んだ本作。アメリカでも有名だそう。どんな苦境に立たされても沈黙を貫き通す神に対する主人公の懊悩には、無神論者の自分でさえも心を抉られるかのように共感してしまった。また、「弱者」であるが故に人を裏切らざるを得ないキチジローのやるせなさにも心が引き裂かれる思いになった。いずれにせよ、心の底からの信仰は矢張り貴い。一度、ずっしりと重い本を読んでみたい人におすすめ。
0投稿日: 2017.01.29
powered by ブクログ映画公開前に原作を読んでみた。なんでこういう本をいま選んでしまうのかな……と思うと、何かしらの存在を信じたくなってしまう。でもじゃあその存在ってなに?その存在ってほんとうにあるの?答えは自分の信じるところにしかないんだろうなぁと思う。
0投稿日: 2017.01.28
powered by ブクログ神って存在するのか。色々考えさせられる本。キリスト教と基督教では全く違う。日本とはずる賢い国なのか。とても重いけれど、読んで後悔はしない1冊だと思う。考えたこともないことを考える機会を与えてくれた本だった。
0投稿日: 2017.01.27
powered by ブクログ読了。 神はなぜこんなにも試練を与えられるのか? 読みながら、何度も何度も自分自身に問いかける。 聖書を少しでも知っていると、より理解は深まると思う。 かつて日本に布教のためにやってきた宣教師たち。己の存在が農民を死に追いやっているのか…と。これまでキリシタン弾圧についての本や映像を見聞きしていても、その信者のことしか考えたことがなかった。実際のモデルがいるという司祭ロドリゴやフェレイラの心情が読み進むにつれ痛いほど胸に刺さる。 イエスの言われた「行きて汝のなすことをなせ」の意味、神は沈黙していたのではなく、共にあり、共に苦しんでおられたのだということを読み終えてからも繰り返し考える。
0投稿日: 2017.01.27
powered by ブクログ学生時代に内容が重くて挫折したけど映画化ということで観る前に再読。 学生時代に感じたように内容は重かったけど考えさせられる内容だった。 背教の淵に立たされるロドリゴの姿から信教の自由がある今の日本がどれだけ幸せか思わされた。 同時に今も信仰を自由に告白できない国々があるということにも目を向けることができた。 宣教に目を向けることまた一つのきっかけとなった。
0投稿日: 2017.01.26
powered by ブクログ宗教を信じたほうが幸せなのか、無宗教のほうが幸せなのか、考えさせられました。 棄教することを「転ぶ」ということを知りました。
0投稿日: 2017.01.26
powered by ブクログ映画をみてから再読! 原作でいちばんショックを受けた場面を確認したかったのだけど…やはりその辺りは原作には遠く及ばないですね 踏んだその足も痛い っていうエピローグであーー!!!!ってなる
0投稿日: 2017.01.25「信」とは何か
遠藤周作さんの棺には遺言により『沈黙』と『深い河』の2冊を入れたといわれている。この2冊に共通しているテーマは「信」とは何かということ。 そもそも信じるには勇気が必要だ。確固たる証拠があるならそれは「信」ではなく「理解」である。司祭がキチジローに対し苦しんだのはこの「信」が揺らいだからである。 「信仰」とは人間の叡智を超えた存在を仰ぎみるというイメージがある。それは生きるためのものであり信が信仰を生み、信仰が信をさらに強くさせていく。だが不思議なことに時として最も賢明な行いは何もしないことである。 踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏んだとて心底の信仰がどうなるものでもない。 また、弱きものキチジローが居なければこの小説は成り立たない。強いものより苦しまなかったと誰が断言できよう。神は人それぞれの心に中にいるもの、ということか。 日本人は神仏をも日本文化に取り込み独自のものにしてきた。仏教も原始仏教とは違う「信心」を生み出している。 目的地が同じならどの道をたどろうとかまわない。というマハトマ・ガンジーの言葉を思い出した。
2投稿日: 2017.01.25
powered by ブクログ棄教を勧めるフェレイラ、筑後守イノウエ、通辞と対峙し苦悩するロドリゴ。 彼が戦っていたのは自らの信仰心だけでなく、キリスト教が根付かない日本という沼地であった。 ロドリゴが決断に至るまでの苦悩と葛藤の表現が凄まじく、心に響く。 苦しむ者を許す神の声を聞いたロドリゴは、それまでとは違う形で信仰心を持ち続ける。 信仰とは何か、宗教とは何か、日本人の民俗性とは・・・突き付けられる物が多く、奥深い作品。
1投稿日: 2017.01.24
powered by ブクログ映画を観るので。これは聖人の話ではなく、私たちと同じ弱さを持った人間の話だ。ロドリゴは隠れ住む生活でストレスをためたり、吉次郎をさげすんだり、神の沈黙を責めたり、ごく普通の人間だ。読者も吉次郎をさげすみながら読むけれど、読み進むにつれ吉次郎と同じ弱さが自分の中にあることを認めずにはいられなくなる。吉次郎が卑しければ卑しいほど、その衝撃は大きい。弱さについて、信仰について、考えさせられた。
1投稿日: 2017.01.23
powered by ブクログずっと読みたい本に登録していて、映画化されたので漸く手にした作品でしたが、圧倒されました。読み終えた今でも、この思いをどう表現したらいいのかと考えています。ロドリゴの、主よ、あなたは何故、黙っておられるのです、というような度々の問いかけが胸に刺さります。キチジローの弱いところも。あの時代の切支丹への弾圧は知識としては知っていましたが、その過酷さに目を逸らすことが出来ませんでした。神は沈黙している、と思っていましたが、最後の一文が響きました。映画ではこの世界がどう表現されているのか気になります。
2投稿日: 2017.01.23
powered by ブクログこの作品を読んだとき、『1984年』という小説を思い出した。禁じられた世界で自分の信念をどこまで貫けるかという意味では同じ傾向の作品だと言える。 『沈黙』で最も良いと思えた点は、主人公がキリスト教側でキリスト教を禁じている日本で教えを広めようとするという物語の中で、キリスト教側にも日本側にも寄っていないことだ。どちらかが良い悪いではなく、それぞれが独自の考えを持っているからこそ、読者としてもいったい何が正しいのだろうと考えさせられた。 自分はなにかの宗教に属したことがないので詳しくないが、本作を読んで、神とは困ったときに災難を押しのけてくれるような都合のいい存在ではなく、嬉しいときも悲しいときも常に寄り添ってくれるものだと考えるようになった。
1投稿日: 2017.01.21
powered by ブクログ読んでいる間ずっと、曇天のどよーんとした感じ。 でも決してつまらないわけでも、読みにくいわけでもない。 むしろどんどんページは進む。 が、後味はあんまり良くなくて変な感じ。 面白いのだけど、面白いとは言い難いストーリー。 宗教や信仰って何でしょう? 信じる者は救われる? いや、むしろ救われないでしょう・・・。 でもやっぱり最後に魂は救われるのかな? 色々、考えさせられます。
0投稿日: 2017.01.21
powered by ブクログキリシタンが迫害される時代に、神はなぜ沈黙しているのか、神は本当に存在するのか、と悩む宣教師。 信仰心がない私からしてみれば、殉教を良しとする、宗教のためなら死ねという宗教なんて、何の意味があるのかと思う。
0投稿日: 2017.01.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
映画公開に備えて。予備知識のつもりがのめり込んで読破。キリスト教についてほぼ知識のない自分にも深く考えさせるストレートで圧倒的なテーマと痛みを伴うような内容。 司祭ロドリゴが目の当たりにする百姓たちの貧困や悲惨なキリシタン弾圧。彼の聞いた「鼾」の正体。 淡々と描かれる心理描写には緊張感と繊細さがあり、苦悩や迷いが叫びのように響いてくる。そして物語の中で「ユダ」の役割をしているキチジローの存在も大きい。 「なぜ神は手を差し伸べず、沈黙するのか」 「神は本当に存在するのか」 キリスト信仰の根源的な問いと日本人の特異な「神」に対するアプローチを見事に表現している。 人生で一度は読むべき作品。
0投稿日: 2017.01.15
powered by ブクログ私の宗教観はそれはもう適当。 御朱印集めが好きで寺社仏閣巡りをするし、宗教画が好きで美術館へも行くし、旅先ではモスクへも聖堂へも教会へも行く。困った時にはすぐ「神様助けて〜」と言い、秘仏公開があれば博物館へ行き、旅先で好天に恵まれればお日様ありがとう!となり。新興宗教は怖いので避けたい。勧誘されたら縁を切る。八百万の神万歳! 「踏絵」について初めて授業で習った時、とても不思議に思ったものだ。「絵なんだからその時だけ踏めばいいじゃない。」踏まないことの後にある責苦より一瞬の苦痛がマシでしょ?と。 自分を家族を守る為ならば神の愛でそこは包んでもらえます、そもそも偶像崇拝ダメだしそれは神とは別物ですから!とそんな教えが広まれば良かったのに。と希薄な宗教観の私は思うけれど、そもそも時代が違う、生活が違うのだからどうしようもない。 貧しさ故の希望がハライソ行きなのだから余計に哀しい。…でも羊。 転ばずに身を捧げた司祭、転んだ司祭。 殉教した沢山の農民達。 全てを神は救ったのでしょう。 沈黙しているのは受け入れるため。 救いはその場その場でなく死した後に与えられるのでしょう。 そう考えないととても悲しい。
0投稿日: 2017.01.15
powered by ブクログ図書館で借りた本なので返却日が来てしまい、途中で挫折・・・残念・・・いつかリベンジする・・・ぞ・・・
1投稿日: 2017.01.14
powered by ブクログ2017年3冊目。 今月公開されるマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス-』の原作。 キリシタン弾圧下の日本で、多くの日本人信者たちが苦境にある中、「神はなぜ黙っているのか」。 パードレであるロドリゴが信仰を頑なに守れば守るほど、信者たちが殺されていく現実。 それでも「転ぶ」ことなく信仰を貫くことは、神のためなのか、教会の汚点になりたくない自分のためなのか。 これだけのことが起きながら沈黙している神。もしも神がいなかったとしたら、いくつもの海を渡ってきた宣教師も、苦難の末に殉教していった信者たちも、あまりには滑稽ではないか。 タブーともとらわれかねない根源的な葛藤を、ロドリゴの書簡、三人称の視点の語り、第三者の日記など、様々な視点を通じて描いている。 著者の遠藤周作自身も11歳でカトリックの洗礼を受けているという事実に、よりこのテーマへの切実さを感じる。 「殉教」というテーマは、星野博美さんの『みんな彗星を見ていた』を読んでからとても気になっていた。 弾圧化の日本は宣教師たちにとって、輝かしい殉教を果たすための、ある意味憧れに近い土地でもあったそう。 ロドリゴも英雄的な殉教を思い描いていたからこそ、あまりにもあっけない信徒たちの最後との対比と、そこから生まれる葛藤が生々しく感じる。 そもそも、キリスト教が伝来した背景や、保護主義から弾圧の方向に傾いていった背景には何があったのか。 少し歴史を振り返ってみると、カトリックとプロテスタント間、イエズス会とフランシスコ会などの修道会間、オランダ・イギリスなどの後発進出国とポルトガル・スペインなどの先発進出国間...日本がキリシタン弾圧に向かっていく要因には、様々なアクター間の摩擦があったと感じた。 もう少しきちんと知りたいので、これからも史実を追っていこうと思う。 そういう実際の行動に駆り立てられるくらい、衝撃的な一冊だった。
2投稿日: 2017.01.09
powered by ブクログ今年映画が公開されるということで読んでみた。 「神は存在するのか、するならば何故、神は迫害されるキリシタンたちを見て沈黙しているのか?」という問いが続く。 宗教に限らず、愛情や目標など、何かを「信じる」ということはどういうことなのか、そこから生じる葛藤や苦しみをどう乗り越えていくのかを考えされられた一冊。
1投稿日: 2017.01.08
powered by ブクログ鎖国中の日本に渡ったキリスト教宣教師ロドリゴが背教の淵に立たされ、信仰に対する激しい葛藤を抱く。 ロドリゴの辿る理不尽で残酷な運命の中で、信仰を揺るがす人間の弱さと「神は存在するのか?」というキリスト教のタブーに迫る。 タイトルの『沈黙』という言葉の重さが伝わってくる。
0投稿日: 2017.01.06
powered by ブクログ確かに、恐ろしい拷問の話と読むことも出来るのか、と頭を殴られたような気分になる出来事があって久しぶりに思い返しています。 知人が「本当に怖かった」というので、何か違う「沈黙」の話をしているのだろうかと最初は思い、「ああそうか」に至るまで結構な時間を要しました。文学系の授業の一環で人生における挫折や黄昏時、アイデンティティ喪失の問題などについて考えながら読んだ作品だったこともあってか、描写の悍ましい部分については特段注目しなかったというべきか、とかく「そういう時代だったのだ」と、強いて言うならば憐みの目で見ていたのかもしれません。それから、遠藤周作同様幼児洗礼を受けたクリスチャンとして、今の時代に生まれてよかった、と思いはしました。でも、ある種の感情を遮断した状態で読んでいたのかもしれない、あるいは鈍っているのかもしれない、と今現在茫然としているところがあります。 さて最近は、何がきっかけか自分でも分かりませんが、戦争映画を観ても大河ドラマを観ても、何が人を残酷にさせるのか、凶暴にさせるのか、ということをしょっちゅう考えるようになったような気がします。そういう意味では、キリシタンの弾圧も、あくまで今の常識的な価値観からするともちろん異様です。でも自分と同じ人間が、同じ日本人が、同じ日本人に対して、ときには外国人に対して、行ったことだとされています。同じ人間なのですから今の私たちもやろうと思ったらやれる行為であり、それでも私たちは自らを倫理や法律などの名の下縛り付けています。そういう自制のための装置を作ろうとしない状況とはどんな状況なのでしょう。(語弊の多そうな表現ですが)あるいは、死刑を認める日本は根本的なところでは変わっていないともいえるのでしょうか。 話はそこそこ飛びますが、日本の思想にはある意味で「救い」「赦し」が無いのだ、とふと思いました。容赦ないのです。遠慮深い人は多いと思っています。でも、「そうしましょう」と律するものは実は無いのではないか、ということです。そういうことを体現した神様が多分いないから。そこに端を発している物事は色々ありそうだな、と思いつつ、その先について考えるのは別の機会に、とします。随分遠くまで行ってしまったので一旦閉じます。
11投稿日: 2016.12.28
powered by ブクログ面白かった、と言っていいものか… すごく良かったです。 ジーンとくるとか、笑っちゃうとかじゃなくて、ズーンッて言う感じでした(???) funny じゃなくて interesting の面白さです。多分。
0投稿日: 2016.12.25
powered by ブクログ高校時代、現代文の問題集で出会った作品。それからしばらく遠藤周作はまったなぁー。 どんな宗教、文化も日本的に変容させる日本人の感覚。そんな日本の中で、神とはなにであるのか。この作品に示されるその返答に、強い衝撃と感銘を受けた思い出。
1投稿日: 2016.12.24
powered by ブクログフェレイラ神父が棄教したという噂が信じられず,当時キリシタン迫害がされてた日本に苦心して訪れた二人の司祭.そのうちの一人,ロドリゴ司祭に焦点を絞って ,本人,著者,第三者の目から物語が語られていく. 信徒が迫害されているのにもかかわらず,その周りはあまりにも残酷に変わりない様子を示しているのを目の当たりにしたロドリゴは主の沈黙に苦悩する.そんな中,信徒でありながら,すぐに弱さを露呈する吉次郎に対し,ロドリゴは遠回しの嫌悪感を抱く. 様々な弾圧・迫害を目の当たりにし,主はなぜ沈黙を続けるのか,なぜ自分を裏切ったものを咎めなかったのかを反芻していく.主は何を考え,何をなすのだろうか.そもそも主の存在の有無はどうなのか. 結局,信仰において大事なのはまず主を慕うのであり,行動は二の次なのだ,といいたいのかなと解釈した.
1投稿日: 2016.12.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
マーティン・スコセッシにより映画化されるというので読んでみた。重っ。暗っ。読み進むごとに気が滅入る。 …しかし、最後に司祭が出した結論(棄教)に、神とは何か、信じるとは何か、人を救うことは神を裏切ることなのか、ポルトガルからわざわざ日本へやって来て布教することは日本人にとって意味あることだったのかと、深く深く考えさせられる。 迫害を受けても信仰を曲げない隠れキリシタン。拷問され、死んでいった人が何人いたことか。そうまでして信じていたのに神は何も話してくれない。救ってくれない。神は本当に存在するのかどうか、それこそ神のみぞ知る。
0投稿日: 2016.12.14
powered by ブクログ高校生の頃、拝読。 当時この作品から受けた衝撃は計り知れないものであった。 神の存在を信じない私でも、痛みを感じ、苦しみを味わうような内容で、暫く脳裏に焼き付いた。 人は皆自問自答しながら生きている。 何か行動を起こす時(話す時や、このレビューを書く時でさえも)、誰もが自分自身に「行動の選択肢」を提示して、その中から最適なものを選び、行動に移す。 選択に困るときはどうか。 人は自分以外の何か漠然とした、あるいは無責任な力に頼り、自らが選んだという事実ないし責任を放棄したがる。 それは決して弱さではない。 人は絶対に一人では生きていけないのだから。 私は神を信じないが、神頼みという概念については否定したくない。 私自身過去何度も「神様お願いします、、」と心中で呟いたことがあるからである。 神様にお願いすると、幾分か自分の気持ちが楽になり、目に見えないバリアーに守られているような感覚になる。 目に見えるものしか信じないはずなのに、心の一部は概念の存在を認めているのだ。 (死者を冒涜した時、その夜幽霊が枕元に現れるのではないかと不安になる気持ちも、それに似ているのかもしれない。) 人は完全な存在ではない。 それが故に、自分以外の存在に救いを求める。 その対象が友人であろうと、たとえ神であろうとも、他人がそれを否定するのはナンセンスというものだろう。 この時代の日本を生きたキリシタンや宣教師たちの気持ちを測ることは決してできないが、少なくともこういったことが今住むこの国でかつて起きたという事実を受け止め、宗教をはじめ、多様化する思想の在り方を考えていかねばならない。
0投稿日: 2016.12.08
powered by ブクログ日本には基督教は馴染まなかった、日本人は別の神を創ったっていう、ロドリゴがフェレイラの転びの正当化としてみなした部分は、普通にフェレイラが正しいなって思った。 フェレイラは、環境に適応したり、自分の存在に意義を見出したり、人の役に立とうとしたりしながら精一杯生きる傍ら、失った青春時代に憧れを抱いている、というような立ち位置でした。
0投稿日: 2016.12.02
powered by ブクログ言葉がでない。言葉にならい。 まるで読み終えた読者の気持ちを見透かしたような題名に感服する。 まもなく映画が公開されるが、一体どんな表現になるのか、怖さしか感じない。
1投稿日: 2016.12.01
powered by ブクログ一年前から積んでいたのを読破。「海と毒薬」の時も思ったけど、とても読みやすかった。 何故神は人の声に応えないのか、何故沈黙を守ったままなのか。遠藤氏なりの答えみたいなものが今作には書かれていた。僕がそれを理解したかどうかは置いといてだけど……。 扱っている内容は重いし、話も陰鬱、ストーリーの進み方も割とシンプル、だけど目が離せず引き込まれる。メッセージ性もあり、ドラマもある。筆者の筆力があるから成立した作品。
0投稿日: 2016.11.26
powered by ブクログ読んでいる最中、ずっと心を揺さぶり続けた作品。 キリシタンへの迫害が最も苛烈であった、江戸初期の日本に渡った宣教師の物語だが、ただひたすらに重たい。 自分自身がその場にいるかのように、映画化しなくとも既にこの小説の中身が頭の中で映像化されてしまった。 作中で、動きが見られるシーンには必ず「沈黙」が訪れる。何故、主を信じて耐え、死んで行く人々に対して主は沈黙を続けるのか?という自問自答を繰り返す司祭の心情は察して尚余りある。 個人的に最も印象に残った箇所は「辱めと侮蔑に耐える顔が人間の表情の中で最も高貴である」の下り。 例え、心から望んだ棄教で無くとも、自身のこれまでの人生の柱だったものを捨てるという行為、誇りだけでは生命は救えないということ、人間として信じるものを守り続けて死んでいきたいという気概、様々な感情が濁流する中でページをただただ捲り続けてしまった。
1投稿日: 2016.11.24
powered by ブクログとにかく暗くて苦しい救いのない物語。信じるものを、どこまで信じ切れるのか。沈黙を守る心の拠り所と、自己との葛藤に胸が苦しくなった。なんとも遣る瀬無いお話。
0投稿日: 2016.11.16
powered by ブクログ子供の頃、いや今でもそうなのかも知れないけれど、神様がもし本当にいるならば、何故、世界はこんなにも不平等なのか?残酷なのか?と不思議でならなかった。 この小説はかつての日本、キリシタン弾圧の時代を扱っている。何故、彼らはあんなにも深く神に忠誠を誓っているのにも関わらず神は沈黙したままなのか。 この残酷な世界に対して何故、神は何もせずに沈黙しているのか? この小説ではひとつの答えが明示されたようであるけれども、自分にとって理解出来る部分もあるしそうでない部分もある。 けれども、これからの人生において信仰について考える時にきっとこの小説のことを必ず考えることになると思った。
1投稿日: 2016.11.11
powered by ブクログ島原の乱後の長崎で日本に潜入したポルトガル司祭の目線でキリシタン弾圧が描かれる。 映画化の予定があるらしい。 読んでいる最中島原に行くことになったのもなにかの縁かなと感じた。 いまでもキリシタンでない証としてお正月のしめ縄は外さないとか。
1投稿日: 2016.11.09
powered by ブクログラスト、踏み絵に描かれたキリストが、あなたの罪を背負うために、私は十字架にかけられたのですよ、と主人公に語りかける場面がとても良い。 なぜ神は沈黙しているのか?その問いに真摯に答えようとする遠藤周作。無宗教だけど、信仰ってすごいな、と改めて思えた。
0投稿日: 2016.11.09
powered by ブクログ根源的問い。答えは出るのか、答えは存在するのか。日本という国、時代に向き合いながら宗教の永遠のテーマについて終わることのない自己内対話が待つ。映画化にあたり必読の書として読んでみた。これを映像でどのように表現するのだろうか、とても楽しみだ。
0投稿日: 2016.11.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
読書らしき読書を始めた頃に読んで以来の再読。初めて読んだ時(確か中学3年)、「おぉ、これぞ文学作品や~」と、その重厚なテーマに圧倒されたのをよく覚えている(それまでがムツゴロウの動物王国的エッセイしか読んでなかったからね・笑)。 そして、やはり当時は神の沈黙に憤り、宗教ってそんなもの、神は救ってはくれないんだ、という感想を持った。「オレはキチジローだなあ」と、どうあっても自分は生き抜こうとする姿に共感した覚えもある。そして”沈黙”というタイトルに、そこはかとない畏怖と重みを感じたもの。「こりゃ、まさに沈黙だな」と今でもあの時の読後感と文庫の表紙の雲間からの光を鮮明に憶えている。 が、数十年の時を経て読み返して全く逆の感想を持つとは驚いた。 沈黙じゃないぞ、これは?! 人の生き様を通して語らしむ、だった!!(@@ だからと言って、キリスト教が救いだとか、この世に宗教が必要だと思いを新たにしたわけではないです。昔読んだ時には気づかなかったけど、本書にも当時の西洋諸国の極東侵略の勢力争いの図式がさりげなく記されている(中学生の意識では、そこは読み飛ばしていたというか、理解できていなかったのだろう)。宣教師たちも、その片棒を知らず担がされ 未開の地での祖国の勢力拡大に、ある意味、自分たちの布教の思い、救いを広めたいという崇高な意図を利用されていた。それは昔も今も変わりない。 宗教と言うオブラートによる侵略戦法が使い古された現代は、”豊かさ”あるいは”衛生”等が新たなイコンだ。 それらをダシに未開の地に踏み込み、望んでもいない価値観を植えつけ、将来の資本主義市場の草刈り場にしようと、時代に先んじた者たちは虎視眈々だ。 現在(いま)、かつての司教たちの立場は、やれボランティアだ海外協力だと、その片棒を担がされて未開のジャングルに飛び込む若者たちだろうか。一杯の浄水がひとつの命を救うとか、石鹸での手洗い習慣が風土病を防ぐ云々… その背後に巨大資本の10年、20年先を見越した市場拡大の野望が潜んでいる。”豊かさ”でも”衛生的”でもなんでもない、欲得にまみれた”貧しく”て”意地汚い”心持ち、ある意味、最も純粋な欲求の存在。 そんなことを学んだ上で読むと、伴天連切支丹のパードレ(司教)たちもまた時代の犠牲者でしかなかったと思いながら読むことが出来る。 それ故、救いは必要、宗教が必要とも思わないが、それを信じる気持ちも、またそれを用いて信者を増やそう、同じ価値観を持つ者同士で共同体を組もうという動きが起こるのも自然なこと。そしてその信仰を守り切って絶命するのも、途中で見切りを付けて”転んで”新たな生き方を見つけるのも人の人たる所以。現在の”豊かさ”を標榜した新たな布教活動についても否定も肯定もしません。良くないと思えば自分は与せず、その地域の人たちも自分たちで危険を察知するか、あるいは甘んじて身を挺していればよい。其々に時宜に応じたそれぞれの判断があると思う。 それがキリスト教だろうとなかろうと、資本主義であれなんであれ、人は何かを信じ、誰かを思い、またある時は、信義にもとり、あるいは裏切り、そうして生きてゆくもの。 カトリックであった遠藤周作が書いたことでカトリック文学の最高峰とまで言われる本作ではあるが、イエスが、神が、黙するか救いの手を延べるかなんてのは問うていなかったんだな。人の生き様、真の心根を、その強さ弱さを、神の存在を信じる者たちを通して語らしめた作品だったよ。 ”沈黙”改め、”雄弁”です! これが今回の感想です。20年後、30年後に読んだとき、また違った感想を持つのかもしれない。その楽しみが出来た。 やはり名作と呼ばれるものは、そんな力を持っているね。そのことが分かったのも、ひとつ幸せなことでした。
0投稿日: 2016.11.01
powered by ブクログ現在のように信仰の自由が人間の基本的人権の内のひとつとして当然のように確立されている日本においても、未だ果たしてキリスト教は、本来のキリスト教足り得ているのか疑問である。 その疑問点についても、おそらく著者は自身がキリスト教であるためにより苦悩し、この作品中においてもフェレイラを通じて「日本人は...我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。」「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だが教会の神ではない。」 などと語らせ問いかけているのであろう。 日本人においてキリストもデウスも、それは唯一絶対的な神でなく、あくまで外国の神として、言うなれば八百万の神の一人として内包されるのではなかろうか。 その時点でそれはもう別のものとしての存在至っていると言えよう。 日本人の宗教・神の概念の捉え方としても一石を投じた素晴らしい作品である。
3投稿日: 2016.10.26
powered by ブクログずっと読もうと思っていた一冊。確かに名作。棄教するということ、日本はキリスト教にとって特殊なのかということ、宗教を守るということには内面性と外面性があるな、などの感想を持ちました。
1投稿日: 2016.10.22
powered by ブクログキリスト教が幕府により取り締まられていた時代、日本に布教をしにやってきた聖職者の物語。 どんなに祈っても救いはなく、神の存在に疑問を持っていく。
0投稿日: 2016.10.02
powered by ブクログほとんど外国人目線で書かれている小説なのだが、日本人が書いた小説なので日本語がわかりやすく、繊細で、かなり読みやすかった。日本人が外国人目線で書くと、忠実な外国人目線にはならないだろうが、その矛盾も含めて面白いと思った。
0投稿日: 2016.10.02
powered by ブクログ宗教とは何のためにあるのか。根本的な問いを突きつけられる。 私自身がキリスト教のミッションスクールに通っていた非キリスト教徒ということもあり、自分が身近にキリスト教に触れながら疑問に思っていた最も大きな問いを、作中のロドリゴも何度も発している。それが、「神はなぜ沈黙を保っているのか」ということだ。 この作品では、神に対する裏切りである「棄教」に、それは自分を犠牲にして弱き者のために生涯にわたって心の血を流すという究極の愛である、という全く逆の意味を持たせている。 キリスト教徒から見れば、遠藤の描いたこの解釈は「正しい」ものではないのかも知れない。しかし、貧しさに耐え、その上さらに拷問の責め苦にあっている農民たちを救うために絵を踏んだというロドリゴの行為を、誰が「間違っている」と言えるのだろう。 生まれながらにして一つの宗教の価値観を唯一正しいものとして与えられていれば、選択の余地も、疑う余地もない。しかし、私はそうではない。多くの日本人がそうであるように。 遠藤自身もまた、母や叔母から「背負わされた」キリスト教の重みを青年時代に初めて自覚し、悩みながら自分のものとしてきたという。 その「自由」は果たして幸せなのか、そうではないのか・・・。 2017年に公開される映画はぜひ観たい。 レビュー全文 http://preciousdays20xx.blog19.fc2.com/blog-entry-487.html (再読記録あり)
3投稿日: 2016.09.30
powered by ブクログ江戸時代が始まって間もない混迷期、かれこれ400年以上も前の物語で、本作が世に問われたのもかれこれ前の話だと思うけど、色んな意味で古臭さは感じさせられず、どんどんのめり込んでしまいました。遠藤周作、中高生時代以来の経験だったけど、当時よりずっと楽しめた気がします。確か当時は「海と毒薬」を途中で断念した記憶が…まあ、今読んだら当然感じ方も違うんでしょうが。それはさておき、恥ずかしながら本作は初挑戦。”沈黙”って、そういう意味だったんですね。生涯を懸けて、命を賭して、信仰の意味と向き合い続ける姿勢、現在の日本の風土からはちょっと計り知れないものがありますよね。少なくとも自分には理解し難い。困ったときの(というか困ったときだけ)神頼み、それも手元操作でちょちょいのチョイ、みたいな感じで済んじゃいますもんね。そんな現代でも過激な方向に振り切ってしまうパターンもまた存在している訳で、そんな宗教観を肯定・否定するとかの前に、理解する一助にもなったと思います。一気に読んでしまいましたが、深い味わいを残す作品でした。さすが。
0投稿日: 2016.09.15
powered by ブクログ20年ぶりくらいの再読。 その昔、一人の人間として愛すること、超越者と向かい合うことについて少し理解できた気がした記憶。 久しぶりに読んで内容は全く覚えていなかったけど、読後感は同じだった。 この20年くらい自分は成長していないということかな。。 継続して考え続けるのは、難しいな。
0投稿日: 2016.09.09
powered by ブクログ一度は読んでおかなければならない本。 「キリスト教」とか「フランシスコ・ザビエル」とか「切支丹」とか「踏み絵」とか、単語として知っていたに過ぎないことが分かった。
0投稿日: 2016.09.01
powered by ブクログ殉教。パードレによる棄教で信者が救われる。拒めば拷問が続く。惨めな人生。無慈悲。根付かない文化。南無阿弥陀仏でギブアップ。信仰の自由。温室での信仰。欲求階層。生理的欲求を満たされない状態で人間の精神の限界を越える。見えない答え。語らない神。現代信じる美しさ。精神的弱さを自覚。欲求不満の昇華。
0投稿日: 2016.07.24内容は重めですが、遠藤さんの小説の中で一番好き
遠藤さんは「不気味な静寂」を実に巧みに表現する作家さんだと思います。その場の空気、ほこりっぽさなんかまで伝わってきて、主人公と同調して息苦しささえ感じるほどです。この作品でも村に踏み込んだときの静寂が、恐ろしい予感と共に描き出されており、真にリアリズムを追及する作家なんだなとつくづく思います。 クライマックスは、かつて敬愛した師との残酷な対面の場面。残酷なのは、なにもひどい体罰を加えられたり、むごい死に様の死体を見せられたりということではないのです。一番恐ろしい恐喝者は叫んだり激することをしないと言います。まさに、それ、です。 遠藤さんは、「私はカソリックだが、私が生きていた時代に踏絵があったら、私は絶対踏んだだろう。間違いない。」というようなことを別のエッセイ集で語っています。そう素直に吐露できる人の書いた踏絵の話、興味がわきませんか?
11投稿日: 2016.07.20
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あらすじとしては、キリシタン狩りの最盛期に渡日してきた宣教師が拷問されて棄教を迫られる、という話。 あらすじだけ聞くと和製「パッション」とまとめたくなるけど、天才が書くと”ものすごいもの”(語彙不足)になる。 拷問されると宣教師も人間なのでやっぱり棄教を思い悩むんだけど、その悩み方の論理がすごくしっかりしていて、畳み掛けてくる。読者ごと追い詰めてくる。棄教か死を選ばされる。 久しぶりに深く感動しました。 また余談ですが、日本の小説によくある「クリスチャンだから良い人」とか「キリスト教の神は愛に溢れていて人を守ってくれる」とか、そういう偏見がありません。宗教小説ですが信仰がない人向けに書いてあるので、押し付けがましいところもなく、安心して読めます。
0投稿日: 2016.05.29
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沈黙 遠藤周作 今年4月中旬東京文京区の切支丹屋敷跡で3体の土葬の骨が発見され、この本のモデルではないかという新聞記事に興味を持ち読んでみました。 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちにへの残忍な拷問に接して苦悩する。 神の存在、背教の心理、信仰の根源的な問題を衝いている。
1投稿日: 2016.05.25
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自分は無宗教ですが、キチジローに苛立ちを覚えたり、最後は神に何故このような状況でも救いを与えてくれないのか問いかけたくなった。 「沈黙」というのは神は沈黙しているということなのですね。 キリストが転べと言ったから転んだ、というのは精神分析の観点で説明できそう(合理化?)と思ったりもしたが、作者が言いたいことはそういうことではないはず。 命を懸けて最後まで司教であり続けるという選択肢もあったかもしれないが、吊るされているキリシタンを助けるために信仰を捨てると宣言し、 心の内で神を信じ続けることが、それに劣るとも言えないと感じます。 キチジローもまた、信仰を捨てきれず牢に入れられたりしたようで、彼の信仰心が本当に薄かったと言えるのか。 真の信仰とは何かという話なのかと思った。 そういうことは考えなくても、1つの目標のために、自分の命が危険にさらされると分かっていても乗り込んできて、 苦しい思いをさせられる、つらい光景を目の当たりにするというストーリーだけとっても引き込まれるものがあった。
0投稿日: 2016.05.12
powered by ブクログ救いがない。希望もない。 でも自分が落ち込んだ時にいつも開いてしまう。 やっぱり救われるから。ここに登場する人間臭い人間に。
0投稿日: 2016.04.11
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中学生の頃に読んだ時は神の沈黙についての印象が強く、もっと救いのない結末だったような気がしていたが、再読。 神が沈黙しているので泊、信仰は我々の内側にあるのだなぁ、と。
0投稿日: 2016.04.07
powered by ブクログビブリオバトルで見た後、ふらっと立ち寄った古びた本屋にて購入。 信じるってどういうことなのか、考えさせられました。 何度も何度も心に問い続ける。答えが出るかどうかではなくて問い続けることが大事なのかなと。 私は基督教ではないけれど、読み易かった。
0投稿日: 2016.04.01
powered by ブクログ自身がキリスト教徒である遠藤周作氏の発する「どうして神は黙っているのか? それでも人は神を信じるべきなのか? そもそも神とは、そして信仰とは何なのか?」という問いが読者に突きつけられます。この作品を読んで、あなたにとって納得のいく答は得られるでしょうか…… 人は神を信じるから教会に通うのではなく、教会に通ううちに神を信ずるようになるのでしょう。西欧では日常生活や社会にキリスト教が深く根ざしているので人は自ずと信仰心を持つのかもしれません。しかし日本という国にあっては、現代においてさえ一つの宗教を信じ続けることには莫大なエネルギーがいるのだと思います。ましてやキリスト教が異端であった鎖国時代の日本に置き去りにされた司教が信仰を貫くのは容易なことではないでしょう。遠藤氏自身も、幼い頃からキリスト教徒として育ち(育てられ)ながら、この国で自らの信仰の正体を疑わずにはおれなかったのでしょう。 それにしても遠藤氏の筆致はドラマチックで、読者を引き込み、先を読まずにはおれなくします。 信仰心のある人もない人も、信ずることや生きることの意味を考えるために一度読んでみてはいかがでしょうか。
0投稿日: 2016.03.17
powered by ブクログキリスト教の神の不在。宗教ってなんでもそう。不在。それを沈黙って捉えたのがひどく庶民的でいい。信仰と恩恵のバランスが拷問やら辛いことがあると一気に崩れる。今までうちにうちに向かっていた信仰心や神の証左が、外へ外へと溢れ出すんだろうなあ。それが多分テロなんだろう。きっと、幸せだったら宗教があんな形で歪むことはなかった。社会へ、世界へ、不平不満が募ると、どうしたって沈黙を貫く神の代わりに己の声が漏れ聞こえるんだろうなあ。しかし、最後の終わり方がまたいいんだ。あなたは沈黙してなどいなかった。これがどういう意味なのか、語り明かしたくなる一冊。
1投稿日: 2016.03.16
powered by ブクログ長崎に住む者として、キリシタン弾圧と禁教下の潜伏について知らなければならないと思い読みました。 ストーリーの展開は意外なほどシンプルだが、苦悩し、疲弊するロドリゴの心理を、客観的な記述で極めてリアルに浮かび上がらせており、まるで350年前の出来事が、デジタルメディアで撮影されていたかのような同時代性を感じた。
0投稿日: 2016.03.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本にキリスト教を布教すべく赴いた高名な教父が「転んだ(棄教)」と聞き、弟子でもあるロドリゴ司祭と同僚が日本に向かう。 強い信念を元に向かうも、ロドリゴは深く思い悩む。浅ましくも卑怯なみすぼらしい男キチジロー、日本の宗教観念を含めた特徴、弾圧・拷問され棄教を迫られるキリシタンを通して、「神」に尋ねる。 「沈黙」を貫く神の愛と苦しみについて、主人公ロドリゴが弱き人々を通して、そして自身の苦悩を持って悟っていく物語・・という所でしょうか。 多神教な日本故に彼らがキリスト教の本来の在り方が間違って受け止めているのが印象的でした。 キリシタンであっても、彼らにとっては沢山いる神様の内の1人。自分たちに都合のいい様に解釈されてしまいます。八十万神精神がかなり根深いです。 タイトルにもなっている「沈黙」が最大のテーマです。ロドリゴの目の前で苦しむキリシタンを救ってくれない、自分の悩みに答えを出してくれない、何もしてくれない神に彼は苦悩します。 けれど、ロドリゴは神の「沈黙」という、最大の愛を貫き、誰よりも苦しみを抱いている、その事に最後に気づきます。
0投稿日: 2016.03.06
powered by ブクログ強烈な本。一度読んで、もう読む勇気が出ないと今のところ思っています。神さまって何??なんで??まさに、沈黙。。。。
1投稿日: 2016.02.14
powered by ブクログ読書をするとき「この本のメッセージはこういうことだろう」と推察しながら読み進めることはよくあるのだが、本書はその予想を華麗に裏切ってくれた。 p.241「フェレイラの孤独と自分の寂しさとをこのように比較した時、始めて自尊心が満足させられ微笑することごできた。」 このときはまだ「いかに苦しい状況においても信念を強く持つこと」が本書の言わんとすることかと思われたが、強い信念は時に弱さを誤魔化す手段となってしまうことがそのすぐ後に示されていた。信仰とはなにか、真理とはなにか、集合体の中で生きる人間の在り方について考えさせられた。本書から発せられるメッセージは、綺麗な言葉で取り繕った理想より人間味に溢れており、暗闇の中に希望があった。 解説も秀逸だった。何百年も前の、イメージもできない鎖国時代を舞台にしているにもかかわらず、その世界に引き込まれる。ジャーナリズムのような純客観から始まり、半客観、半主観と、視点を変えるテクニックにより、これほど効果的にストーリーに引き込まれたのだと理解した。 マーティンスコセッシ監督により映画化されるとのことで、とても楽しみです。
1投稿日: 2016.02.01
powered by ブクログ一度読み終わり、すぐに2回目も読んでしまった。そして、読後は2回ともしばらくその場を動けなくなってしまった。神の存在、人間の生き方の問題、人の選択について、日本人の宗教観等、重厚なテーマを書ききっている。自分自身、親が熱心なカトリック教徒の家で育ったので、すごく興味のあるテーマだった。なぜ神は助けないのか、凄惨な状況に何も手を差しのべない神。祈りを捧げる宣教師たちや信徒。 私は強くないので、どうしょうもない裏切り者キチジローの気持ちはすごくわかる。パライソへ行けると信じ殉死していく人たちに確かに感動するが、そうは生きられないだろうなと思う。 さらに、神を祈り死んでいく日本人達が祈った神は、宣教師達が言葉通り死ぬ思いをして伝えてきた神とは似て非なるものに変化し、全く違う神を祈っていると言う話は衝撃的だった。 宗教とはその土地の文化を背景にして育つものであり、その本質はその宗教が誕生したその土地で生まれ育っていない人間には掴み取れないものなのだと思う。昨今のイスラムとの対立などは結局そこに問題があるのではと思う。八百万の神の土壌がなければ、他の宗教に寛容にはなれないのだろう。 善きにつけ悪きにつけ、日本人は八百万の神を背景にした古来アニミズムの文化の中で無意識的に育ち、その影響下からは逃れることはできないと思う。その土地のなかにイエス・キリストが入ってきたとして、唯一絶対神として存在するわけではなく、数多いる神の頂点として捕らえ、また地獄と極楽を根底思想に持つため、歪んだ天国観を彼らなりの理想として位置付ける。きっとイスラムが入ってきたとしても同じように受け入れ日本なりのイスラム教に変化していったんだろう。日本人とはそういう人達なんだろう。 日本人として生きるということは、異質なものを解釈し、受け入れ、そしていいと思ったものを取り込んでいき進んでいくということなのかもしれない。 穴づりの声を聞き、信仰を捨てた宣教師。神は最後まで沈黙し続けるが、神の存在が彼の人生を作ったと言って話は終わる。人は何か困ったことがあると、心の中で何の気なしにお願い神様と祈ることがある、無意識的に。私はそこに神がいるのだと思う。全ての人のなかに神がいて、万物は全て霊性を持ち、それぞれの神を認め、それぞれの神と対話することが大事なのではないかと考えている。 宗教とはその集合意識を具現化したひとつの形でしかなく、本来の神とはそういうものなのではないだろうか。 ということを考えられたこの本を読んでよかった。まさにバイブルになるような本です。
1投稿日: 2016.01.25
powered by ブクログタイトル「沈黙」の意味を特に考えずに読み始めましたが、読み終わってみると中盤以降、その沈黙か、と意味がわかりました。神や仏っていうのは手を差し伸べて助けてくれるものっていうのは真の信仰ではないんですね。
0投稿日: 2016.01.24
powered by ブクログ「信じるものは救われる」これを読んで漠然と思い出した言葉である。 お正月には初詣に行き、お盆にはお経をと唱え、クリスマスを楽しむ、そんな信仰のない自分からすると宗教というものは根源的には同じであって、宗教の違いによって争うということ自体が理解できない。ただ現実として今この瞬間も争いは起こっている。江戸時代におけるキリスト教弾圧は単純に宗教観の違いからだけで起こったものではないと思うが、悪役を作れば政治がやりやすかったのだろう。(今の時代も同じである) 命を賭してまで信じるものがあるというのは素晴らしいことだと思うし、そうであるがために悩みもするのであろう。神が本当に救ってくれるかは、やっぱり信じることしかないのかもしれない。 今年、映画化されるということなので楽しみに待ちたい。
0投稿日: 2016.01.20
powered by ブクログ江戸時代初期に日本に潜入したポルトガル人宣教師の辿った運命を題材にした、ドラマティックな歴史小説。 島原の乱の鎮圧後、キリシタン禁制が極めて厳しかった日本に潜入したポルトガル人宣教師ロドリゴは、間もなく捕われて過酷な拷問を受ける。しかも、多数の日本人信徒が想像を絶する迫害、拷問を受けながらも、信仰を捨てず、犠牲となっていく。そうした中、ロドリゴは遂に背教の已む無きに至る。 ストーリーは当初から不可避と思われる最悪の結末に向かって一直線に進み、そこに予想外の展開はなく、ある意味極めてシンプルであるにも拘らず、その緊迫感にぐいぐいと引き込まれていく。 「神は存在するのか」という根源的な問いに答が与えられたわけではなく、最後のロドリゴの背教が、実は神への裏切りではなく、キリストは棄教者の足で踏まれつつ、これを赦していたという逆説的な発想に至っては、信じる宗教を持たない私としては、解釈の手掛かりすら持たない。 しかし、今日の世界における最大の問題のひとつである宗教間(民族間)の対立を考えるにつけても、宗教とは何なのかを考えてしまう。 また、宗教に限らずとも、自分のプリンシプルに基づいて行動することの意味をも改めて考えさせる。 強烈な印象を残す作品である。 (2007年10月了)
1投稿日: 2016.01.11
powered by ブクログ「なぜ神は沈黙しているのか」、否、神はともに耐えていた。 『沈黙』の本質は、神の沈黙に絶望するロドリゴ氏の姿ではなく、フェレイラ氏の「この国の者たちが、あの頃信じたものは、我々の神ではない。彼らの神々だった。」と沈鬱する場面にあるように思う。時の勢力が弾圧したのは基督教そのものではなく信仰が形を変えて得体の知れぬ狂信へと変貌する国民への恐れであったのだろう。 司教が説いたのは神への冒涜や裏切りという「信仰」だったのに対し、農民が恐れたのは踏み絵や転びという「行為」による仲間からの軽蔑や嘲り、疎外であった。互いのずれがフェレイラ氏の言葉に収斂されている。ロドリゴは皮肉にも自身の転びによって、キチジローの弱き者の嘆きを通して、神の沈黙の本質に触れることとなる。 江戸時代における宗教弾圧という重いテーマながら、構成や描写はさることながら文章が極めて美しく小説の醍醐味を味わえる非常に素晴らしい作品である。
0投稿日: 2016.01.09
powered by ブクログH2016.1.5読了 司教の踏み絵に至るまでの、心の葛藤が凄い。基督は踏むがいい、踏むがいいと訴えていた… 心に残る言葉になった。 信仰を命に代えてまでも守り通すって凄いな。
0投稿日: 2016.01.05
powered by ブクログ苦難を覚悟し日本に布教しに来た司祭の話。とは表向きで、本当は殉教したくてやって来たのだろう。殉教とは空に栄光の光が満ち天使がラッパを吹くような輝かしいものだと信じていた司祭は、百姓の殉教を目にし、それがみじめで辛いものだと知る。好きになれない話だった。キチジローの人間臭さには安心する。「強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう。」
0投稿日: 2015.12.29
powered by ブクログ沈黙 キリスト教信者が書いた小説なわけで、最後まで貫き通してそして救われるって内容かと思ったら違って、それで逆に神を信じることについて考えさせられた。 酷い仕打ちに耐えながら信念を貫く、て辺りで大地の子がデジャヴした。 キリスト教信者と弾圧する日本人のどっちが正しいとも言ってないところが説得力あったように思う。
0投稿日: 2015.12.25
powered by ブクログキリシタン禁制を強いる江戸時代の日本に潜入したポルドガル司祭ロドリゴが目の当たりにしたのは、日本人信者たちの悲痛の声と苦悩。彼自身背教の淵に立たされながらもなお続く「神の沈黙」に、極限まで問う波乱の人生を描く。 自分の信仰心の高さと比例するように、過酷な拷問の果て死んでゆく日本人信徒。神に繰り返し問うも続く沈黙。彼の決死の選択を、誰が責められるだろう。様々な立場の意見が登場するけれど、どれが正解とも不正解ともいえない。明解な答えもないのだろうし、自身の考えを100%他人と共有するのも難しいことなのかもしれない。でも想像したい。 「主よ、なぜあなたは黙っているのですか」 信仰とは何かを問う、重厚な名著。 ここまで引き込まれる作品にはそう出会えない。 ただただ素晴らしかった。
3投稿日: 2015.12.21
powered by ブクログ神は存在するのか。存在するのなら、主が人類の苦境に対して沈黙されているのは何故か。 私には、神が存在するかどうかは判らない。しかし、もし存在しているとしたら、既に興味の対象が人間ではなくなっているのではないか。
0投稿日: 2015.12.15
powered by ブクログ没頭して読んでしまった。 怖かった。読んでいる間中窓から誰か覗いてるんじゃないかとか怖くなってぞわぞわしたくらい。
0投稿日: 2015.12.09
powered by ブクログ真の信仰心とは何か。 他人の目を気にして信仰するのではなく、自分の心の中で信仰することの清さを感じさせられる。 ------------------------------------------------- 2019/8/17 再読 美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、みじめなものや腐敗したものたちのために死ぬのはむつかしい。(56ページ) 罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。(136ページ) 魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるな 、それは誰にだってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。(182ページ) 日本人は今日まで(中略)神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう。 日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない。 日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。(236ページ)
0投稿日: 2015.12.09
powered by ブクログ映画化されるので。切支丹もの。キリスト教迫害よりも当時の貧しい農村の人たちが仏教よりもキリスト教に救いを求めていたというくだりに感じ入るものがあった。仏教は自分達から搾取している側の人間が信じている宗教。そう思えば農民がキリスト教信者になるのもわかる。主人公のロドリゴより重税に苦しむ農民の方に感情移入した。
0投稿日: 2015.12.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
遠藤周作の名作「沈黙」です。 私の一番好きな作家。 暗い・・・と言われますが、「深い河」など、何度読んでも泣いてしまう・・・。 ご紹介はその中でも特に暗い、「沈黙」 (笑) ここには、想像を絶する(絶対に聞きたくない)音が出てきます。 物語は江戸時代。 切支丹弾圧下の長崎に潜入した宣教師が主人公です。 島原の乱が鎮圧されて、厳しいキリシタン禁制をしいた日本に、ポルトガルから若い司祭が密入国します。 司祭は、九州のとある村に上陸し、隠れキリシタンと接触します。 しかし、信者の密告により、奉行所に捕らえられてしまいます。 この話の「沈黙」は「神の沈黙」をさしています。 「神はいるのか、だとしたらなぜこんなひどいこと(キリシタン弾圧)がおこっているのに、沈黙したままなのか?」が、一貫したテーマになっています。 キリシタン弾圧と言うと、宣教師を弾圧するイメージがあったのですが、この話では、司祭自体は弾圧されない。 司祭がキリスト教を棄教しない限り、村のキリシタン(日本人)が弾圧される。 そういう話です。 その場面が、なんとも恐ろしいのですが。。 ちょっと抜粋。 場面は司祭が牢屋に入れられ、明日には殺されるかもしれないと(本人は思っている)、 しかし、キリスト教を破教するなら死も怖くないと思っている。 そんなときに、聞こえてきた音です。 ========================== 遠くで何か音がする。二匹の犬が争っているような唸り声で、耳を澄ますとその声はすぐに消え、 しばらくして、また長く続いた。 司祭は思わずひくい声をたてて笑った。 誰かの鼾(いびき)だとわかったからである。 (酒を飲んで牢番が眠りこけているのだ) 鼾はしばらく続くとすぐ途切れ、高くなり低くなり、調子の悪い笛のように聞こえた。 自分がこの闇の囲いの中で死を目の前にして胸締め付けられるような感情を味わっている時、 別の人間があのようなのんきな鼾をかいていることはなぜかたまらなく滑稽だった。 人生にはどうしてこういう悪戯があるのだろう、と彼はまた小声で嗤(わら)った。 ========================== この「いびき」のような音です。 この「いびき」をとめてくれと、司祭は通訳に頼みます。 そのとき通訳が言った言葉が印象的。 「あれを鼾だと。あれをな。きかれたか沢野殿。パードレ(司祭の意味)はあれを鼾と申しておる」 「あれは、鼾ではない。穴吊りにかけられた信者たちがうめいている声だ」 その信者たちはすでに棄教を誓っている。しかし、当の司祭が棄教しない限り許されない。 自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、 究極のジレンマを突きつけられた司祭がとった行動とは。。。 と話はクライマックスへ。 クライマックスのシーンはすごく美しいです。 いや、シーン自体は踏み絵の場面ですから。。。そんなに美しくはないのかもしれませんが・・・ まばゆい光がみえるような、私にはそんなふうに感じました。 という私は、遠藤周作のキリスト教に対する話を読むのはすごく好きなのですが・・・ キリスト教の知識は全くありません。 「聖おにいさん」読んで爆笑してるくらい・・・(笑) でも、遠藤周作好きなので、長崎に行った際、 「外海」という地にある「遠藤周作文学館」に行きました。 そこには「沈黙の碑」が建っています。 沈黙の舞台になった場所なのです。 その碑にかかれている言葉、 人間が こんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです その言葉通り、目の前には青々とした海が広がります。 なんだか、その碧さが悲しさを倍増させるような・・・そんな場所でした。 でも、すばらしい所です!!外海!! ちょっと遠いですが、長崎に行った際は、ぜひ立ち寄ってみてください。 オススメです。
0投稿日: 2015.11.19
powered by ブクログ歴史の授業でキリシタン迫害のエピソードは知っていたけれど、あまりピンときていなかった。 井上筑後守が言うように、日本という国は基督教を始めとする宗教が根付きにくい国であるということは間違いないだろう。 だがだからといって、異教徒を拷問して排除するまで至るだろうか。根本にあるのは自分達の考えが常に正しいという傲慢さだろう。ナチスにせよキリシタン迫害にせよこの傲慢さは人間に残酷なことでも容易にさせてしまう。 度々作中で唱えられる、「主よ、あなたはまだ沈黙をされているのですか。」という台詞が印象的だった。 一神教には人は弱いということが前提にあり、神を信仰することでその弱い心を抑え込もうということがあるだろう。神の沈黙は神の存在自体を否定しかねないだろう。 それでも心の中に神を持ち続けた当時のキリシタン達の強さを感じた。 個人的にはキチじろーの生まれながらにして強い人間には弱い人間の気持ちがわからないという台詞に違和感を感じていたので、最期にそれを否定する結びで良かったと思う。
0投稿日: 2015.11.13
powered by ブクログ宗教とは?神とは?と疑問を持ったら読むべき本。答えかどうかは分からないがヒントは書いてあると思う。人が何かに祈る姿は美しい、其れだけで充分。
0投稿日: 2015.11.01
powered by ブクログ2015/10/31 悪人にはまた悪人の強さや美しさがある。 印象的な言葉だった。遠藤周作は初めて読んだのが白い人・黄色い人だったが陰鬱な気持ちになって苦手だった。今回の沈黙は素晴らしかった。緊迫感と葛藤、苦しくなる。キチジロー。良本。
0投稿日: 2015.10.31
powered by ブクログキリスト教弾圧の江戸時代、宣教師が布教に訪れる。しかし弾圧の厳しさは彼の心を蝕んでゆく。 小学生の頃、社会科で踏絵を習った。形だけ踏めば良いじゃないか、当時のキリシタンは馬鹿じゃないのか。そんな事を考えた。 それは重々承知で、彼等は戦っていたのだろう。信者も、宣教師も。 作中で描かれた神の有無、土地に寄り添った神のあり方は、誰もが考えた事があるだろう。 私も含め、日本人の多くは無宗教だ。それを悪徳と考える有神論者も多いらしい。彼等にとって神とは何なのか。小馬鹿にしていた宗教学への偏見が無くなり、興味がわいた。
1投稿日: 2015.10.13
powered by ブクログすごかった。一気読みした。聞き覚えのある九州弁。江戸時代に行って見てきたようだった。そしてパードレの心理。神への猜疑心。心の折られ様。日本人の宗教観。すごいわ、この本。
0投稿日: 2015.10.11
powered by ブクログ一体何が正しいことなのかがわからなくなる。 キリスト教が弾圧されていた時代に、ポルトガルからキリスト教を布教するために日本に来た主人公。 主人公を守るために、多くの日本人信者の命が失われる。主人公がキリスト教をやめれば、彼らの命は助かる。 キリスト教を裏切って彼らの命を助けるべきなのか。 そんな葛藤が描かれた作品。 心情の描写方法が印象的であった。
1投稿日: 2015.09.19
powered by ブクログ今さらながらの遠藤周作。 沈黙の題の意味を知らずに読み進めた。 初めの方でどういうことかわかったけど、 こんな重いテーマとは思わなかったので。 設定は江戸時代なんだろうけど、 これは時代劇とも違う。 自分が死んでもいいと思っているのに、 その代わり ほかの同士の命をいとも簡単に取られるという悲劇。 黒澤明の映画を見ているようだった。 幕府側の言い分もわかる・・ 内容、テーマが今風の本ではない。 だから読んで良かったと思う。
0投稿日: 2015.08.20
powered by ブクログ17世紀のキリスト教が弾圧されていた江戸時代において、ポルトガルから長崎に渡ってきた司教の話。 生きる希望を現実世界では見出せない人々にとって最後の拠り所となるのが宗教の機能の一つと思っているが、それを根本から揺さぶるような内容。 要所要所で主人公が神に語りかける言葉や、先に渡った師匠である司教と出会ったときの会話、そして最後に主人公が決断したときの思いは、神という存在や宗教の存在を考えさせられる。 日本の大多数の人が、人生で生きるか死ぬかという問題に直面することはないから時代だからこそ、歴史を振り返る意味も含めて読んでおきたい一冊です。 「主よ、なぜあなたは黙っているのですか」 キリスト教徒ではないけど、この一言が今も胸に残る。
1投稿日: 2015.08.17
powered by ブクログ重厚。宗教家としては、自分への弾圧よりも目の前で信徒が弾圧される方がよっぽど辛いのであろう。再三再四イノウエや通詞から指摘される「神の沈黙」が最後まで重くのしかかっていた。
0投稿日: 2015.07.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ずしん、とくる本です。 ラストがやりきれなすぎておおう、となります。 ですが重要な題材を扱っていて非常によくできた作品だと思います。宗教とは、神とはなにか考えさせられます。
0投稿日: 2015.06.27
powered by ブクログ島原の乱が鎮圧されて間もないキリシタン禁制の日本。 そこへ3人のポルトガルの司祭が潜入する。 フェレイラ教父が拷問に屈して棄教したという事実を確かめるために。 この頃の時代背景を書いた、まえがきから始まります。 これがあることで物語に入りやすかったです。 5つのブロックに分類すると、 1.「セバスチャン・ロドリゴの書簡」で彼が見た日本の現状。 (主観) 2.ロドリゴのその後。 (客観) 3.「長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記」で時代背景。 (第三者の目線) 4.ロドリゴのその後2。 (客観) 5.「切支丹屋敷役人日記」で昔の文体を用いて真実味を帯びて終わる。 (第三者の目線) こんな感じで語り手が変わる。 知らない言葉も多くて難しかったです。 「切支丹屋敷役人日記」の流れは把握しましたが、全部は読めないです…。 祈りをささげても、苦難を見ているはずの神は沈黙したまま。 沈黙している理由とは…。 それを目の当たりしたロドリゴの信仰心が揺らぎ始める。 その葛藤を通じて、神と信仰そのものを問う。 神と信仰のかたちは各国で違い、または変化をし、それぞれ個人の中でまた変化する。
3投稿日: 2015.06.26
powered by ブクログ10年ぶり位の再読になる沈黙(遠藤周作)がほぼ読み終わり。読んでて辛いが、納得感のある構成だったように思えた。キリスト教圏での評価と宗教の布教にあたっての困難に関する史実に興味が湧いた。
0投稿日: 2015.06.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
キリシタン禁制の時代の日本に潜入した司教たちが、捕らえられ殉教・棄教にいたる話。 日本人による拷問が恐ろしいが、それ以上になぜここまで信仰に拘るのか、その信心深さも恐ろしかった。 そしてそこまで基督を信じる人が「なぜ神は沈黙しているのか」「神は本当はいないのではないか」という疑問を持つことは、私など想像できないほどの苦しみなんだろう。 芯から理解できないのが寂しい気もする。 小説としては意外にも読みやすく、ドラマチック(不謹慎なのかな)だった。最後の役人日記は難しくて何となくしかわからなかった。
1投稿日: 2015.05.24
powered by ブクログ島原の乱以降、キリシタン迫害が厳しい日本に潜入した司教ロドリゴ。自分が棄教しない限り日本人の信徒達が拷問にかけられ死んで行く。いくら神に祈っても神は「沈黙」したまま。信仰とは、神とは、救いとは何か。拷問に苦しむ農民を助ける為に踏絵をし、背教したロドリゴの行為は罪になるのだろうか?救った命が確かにそこにある。それこそが「救い」ではないのだろうか?宗教観や時代は違えど、私なりに感じたのは、神とは自分の中にあるのではないかという事でした。
1投稿日: 2015.05.22
powered by ブクログ遠藤周作のキリスト教もの作品で、最も有名な1冊。逆に、宗教や歴史小説が嫌いな人には鬼門でもある。 かくいうワタクシも、歴史小説やチャンバラものがあんまり得意でないのだが、遠藤周作の妥協のない作風に、どんどん引き込まれていった。 途中にも最終的にも、誰も救われることのないストーリーで、こういうところに反体制だの反差別の人たちが共鳴するのかもしれないが、そういう読み方をしなくても良いのではないか。 穿った読み方をすると、「海と毒薬」もそうだったが、読みようによってはいくらでも自虐が出来るストーリーであり、その辺こそがウケるのであろうとも思える。いずれの作品も名作ではあるが、高校を卒業するくらいまでは読む必要はない。分別がつく年代以降には、間違いなく一読されるようおすすめしたい。 個人的にはやっぱり「海と毒薬」だけどね…。
0投稿日: 2015.05.20一神教への信仰
ロドリゴの苦悩がひたすら重く辛かったが、宗教に縁遠い自分も一神教の神がどれほど絶対的な存在であるかを垣間見ることができてよかったと思う。井上筑後守やフェレイラが行き着いた「基督教が根付かない」との結論に至った特異的な日本の民族性には妙に納得。「信仰」の形は人其々であるが、ロドリゴの到達点は自分にとっては共感しやすいものだった。逆に彼が日本的な基督教に感化された部分があるのかなと考えだすと非常に深い。数年に1度は再読したい。
6投稿日: 2015.05.09
powered by ブクログ江戸時代、幕府がキリスト教徒に対して棄教をさせようと、積極的に推進していく中。 布教の為にやってきたポルトガルの宣教師達の話。 自分たちや、先輩達が布教したキリスト教を信じる 罪もない、日本人の信者達が目の前で とても残酷な手法で処刑される。 それを見せられ、彼らは棄教を迫られる。 信仰とは?神様とは? いくつか遠藤周作の著書を読んみたが、彼のもっているキリスト像が色濃く表現されいると思った。 主人公は、こんなにひどい事が起こっているのに、なぜ神は沈黙されるのか?と訴えます。 しかし、最後には、神は沈黙されていたのではない。 一人ひとりの苦難と共に寄り添い、一緒に苦しみを受け、共に歩まれていたのだという解釈。 この小説をよみながら、ノーベル平和賞をとった エリ・ヴィーゼル筆の「夜」にでてくる かの有名な処刑台の場面を思い出しました。 棄教しなければならない神父の苦悩をも受け入れる神。 苦難の中に神を見出す信仰が印象的でした。
0投稿日: 2015.05.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初めての遠藤周作。前半は司祭の目を通して語られて、後半になると三人称になる。視点の移動が物語の世界に厚みを持たせて存在感が半端ない。緊迫した展開の中で、神の存在への問い、殉教と棄教、西洋と日本との思想の断絶を鮮やかに描いている。 読んでいる間、まるで身の周りの空気が質量と粘り気をもったかのように重苦しさを感じ続けました。傑作です。
1投稿日: 2015.05.07
powered by ブクログ面白かった。凄惨な日本の状況と、それに立ち向かうキリスト教宣教師。おそらく、一生のうちに何度もぶち当たる悩みなのだと思う。ロドリゴが可哀想なのはそこで間違えても、彼の場合はやり直すことができないということ。その後、彼はなんの救いもなく死んでいった。死ぬまで悩み続けなくてはいけないのだろう。最後に聞いたキリストの声は本物だったのか。
0投稿日: 2015.02.25
powered by ブクログキリシタン禁制の日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴの受難物語、とでも言おうか。拷問を受ける日本人使徒や背教した同僚の姿、自分の酷な状況から何故神は沈黙されているのかと苦悩していく。日本にキリスト教思想は根付かないのか。信仰の在り方やそれによって導かれる不幸をどう考えるか。普遍的な問題は勿論、作者自身の課題も透けて見える。ドラマティックに描かれている為、凄惨な内容ではあるが面白いと感じるはず。一読の価値有り。
0投稿日: 2015.02.21
powered by ブクログ大学の専攻の教授に『女の一生』を薦められたのを契機に遠藤周作作品を再び読み始めた。 幼稚園からキリスト教系の学校に通ってきた私にとって、キリスト教は非常に馴染み深い存在であったが、この作品を読んでキリスト教の日本布教が如何に大変な道を辿ってきたかがよくわかった。 自分のために、日本の信徒たちが処刑される司祭たちの苦しみ、信徒たちが信じているのは真のキリスト教精神ではないと知らされたときの絶望感。 私が、司祭だったらどのような選択をしたのだろうか。神の沈黙が破られる時まで信仰を続けられただろうか。 みたこともない神の姿など信じられないという人にも是非読んで欲しい作品である。 私も他の遠藤周作作品を読んだのちに再読したい。
0投稿日: 2015.02.21
powered by ブクログ最高傑作。 私にとって生涯最高傑作の一つ。 「頭の芯から揺さぶられた感」を感じたのはあとにも先にもこれ一つ。
0投稿日: 2015.02.18
powered by ブクログキリスト教は日本人に合わない、という語り口から、よりキリスト教への理解が深まった。隠れ切支丹や、隠れて布教活動を行う牧師の描写は息が詰まるほど。
0投稿日: 2015.02.09
powered by ブクログ『深い河』が読みやすく(色んな意味で)面白かったので読んでみたけれど、なかなかに重たく、苦しかった。 彼らの恐るべき信仰心のあつさにに驚き、なぜそれほどまでに・・・と思わずにはいられなかった。
0投稿日: 2015.02.01
powered by ブクログ江戸時代、禁教の日本に迫害を怖れず密航するが、結局逃げ惑い、自分たちのせいで日本人切支丹たちが苦しむのではないかと穏やかな拷問の中で感じ、徐々に日本の基督教や公定的基督教解釈に疑問を持っていく神父の物語。 神とは何か。殉教とは何か。深淵な問いを投げかけると同時に、それをハイライトするまるでカラヴァッジスムのような光線の使い方が美しい。
0投稿日: 2015.01.30
powered by ブクログ「沈黙」ってそういう意味だったのか。当時実際にこんな感じだったのかなぁと思わされる。わざわざ他国へ布教しに行くっていうのは、この時代だとキリスト教くらいなんだろうか。言葉も通じない国へ布教しに行くのは辛いなぁ。
0投稿日: 2014.12.29
powered by ブクログ五島列島の教会を巡る。 しかし、殉教した人々の気持ちを理解することはできない。 救いとは、信仰とはなにか 日本人とは
1投稿日: 2014.12.21
powered by ブクログイエスの生き方が 過酷な仕打ちにも耐える精神力の支えになっている。ついに沈黙を破り内面の対話でイエスの声を聞くところがぐっときた。次は海と毒薬だ。
0投稿日: 2014.12.20
