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日本辺境論(新潮新書)
日本辺境論(新潮新書)
内田樹/新潮社
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総合評価

446件)
3.9
88
190
82
22
4
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    学ぶ構えについて、機(敵について)の考え方は非常に興味深い。 それ以外にもなるほどそういうことか。と理解が後から追いつくことが多く、例えばの話を論じるところから、自分の理解できる範疇までのタイムラグが多い本だった。 日本人とは?という一つのトピックに対して、向き合い方、分析の仕方は斬新で刺激的だった。

    0
    投稿日: 2025.10.21
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    内田樹さんの著作の多くは、私たちが感じる「生きづらさの正体」を探ることをテーマにしていると思っています。この本もそうです。 『辺境人(日本人)』とはどんな気質を備えた人間か、著者の分析から私たちはきっと人生を良く生きるためのヒントを導き出すことが出来ます。 15年近く前に出た本ですが今でも読む価値のある一冊です。

    1
    投稿日: 2025.08.23
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    地政学的辺境性が日本人の思考と行動を規定している、という論旨。中華と辺境の対比から始まり、辺境ならではの学び方、時間的遅行を超越する考え方、日本語の特殊性まで、興味深く読める。日本論、日本人論においてマクロ的視点を提供する一冊であり、是非お薦めしたい。

    1
    投稿日: 2025.08.06
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    2025/04/12 p.5  私が「お部屋をきちんとしておく方がいい」と申し上げているのは、要するに、いつでも「お客さん」を迎え入れることができるようにしておくことがたいせつだと思っているからです。<中略>本書は「お客さん」を家に迎え入れるために「お掃除」するということを目的とした本です。  お掃除ですから、それほど組織的に行わるわけではありません。というか、お掃除というのはもともと組織的にやるものではないんです。組織的かつ徹底的にやろうと思うと、思っただけでうんざりして、いつ先延ばしにしてしまいますから。お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。「足元のゴミを拾う」ことで満足する。 意図せず、お掃除の要諦が説かれている本にめぐりあってしまった!僕の毎日のお片付け習慣の設計がおおよそ正しいことが証明されました!!

    1
    投稿日: 2025.04.12
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    近頃はコロナも明けて、訪日外国人数が再び鰻登りである。さて、訪日で言えば、文化も左様であろう。元々日本という国は中国に属する国であった。この本によれば、「日本人の特性」により、メキメキ成長を遂げ、今では世界に名だたるトップ7(G7)の一員でもある。日本人は努力気質の国だと言われるが、それも引っくるめたぼんやりとした日本人の「辺境性」、隅っこ暮らしのテクニックたるものを、本当にぼんやりであるが(後半は殆ど見えない程にぼんやりで)、理解できたと思う。

    22
    投稿日: 2025.02.27
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    日本人とはどのような民族かを語った一冊。2010年の本だが、15年近く経った今読んでも納得できることばかり。日本人は元々中華思想の辺境にいた民族であり、自らの国はこういう国であるという、アメリカをはじめとする他国が基本的に持っている独立宣言的なものがない。故に、他国との比較においてしかその存在を主張できないという説。これはなるほどと思ったし、最近のコミュニケーションにも同じことが言えるのではと感じた。フェミニズムも同じ文脈で語れるような気もする。たびたび読み返したい一冊。

    0
    投稿日: 2024.09.29
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    日本人 =辺境人 分かりづらい分かったような感じ もするが難しい 新たな視点が得られた 内田先生の理論の詰め方が巧妙である 本を読み進めていくと納得せざるを得ない 今回はまさに目が洗われた 自分の立ち位置に関心がある方は是非読んでおくべき 一冊である

    1
    投稿日: 2024.05.30
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    日出る処の・・。聖徳太子は、中国は属国から朝貢を受け、それに恩賞を渡す形でしか周辺国と交流しないことを熟知した上で、知らないふりをした。相手のルールは無視した上で、実だけ取る。かなり高度な外交術。p.61 憲法9条。アメリカの属国である事実を回避し、アメリカの同盟国として出兵もせず、利益(安全)だけを得る。面従腹背のしたたかさ。p.68, p.248

    4
    投稿日: 2024.04.20
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    図書館で借りた。 辺境としての日本という観点から語られた日本論についての新書だ。著者は東大の先生だが、「はじめに」で記されているように体系的な本ではない。なので、「そういう側面もあるよね~」と、さらっと読み流しすのが私は良いと思った。「それは違うだろう!」と断じることもできようが、それに意味はあまり無いと感じる。 それよりも、先生から滲み出るような教養が流していて楽しい。うん、変に考えるより、流して楽しむ本と思う。我々は辺境の人間なのだから。

    0
    投稿日: 2024.04.19
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    「Ⅳ 辺境人は日本語とともに」を中心に拾い読み。 抜粋された内容に触れる機会があり、それが非常に興味を引いたので読んだ。 その内容とは、 紀貫之伝来の語法(ハイブリッド文字の活用、仮名の上に外来の概念や術語を乗せるなど)そのもの…いわば土佐日記がビッグバンだったということに瞠目。 そして、それが、母語による学術書や高等教育レベルでの教育が可能になったという説明…世界では教科書は母語ではないという人々が多いが、その理由が思いも寄らなかった。(自分は日本人が日本語の教科書で大学まで学べるのは識字人口の規模にあると考えていた)

    1
    投稿日: 2024.04.10
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    村上春樹と並んで、うちの本棚の占有面積1位、内田樹先生。 その出会いとなった1冊。 日本論や日本人論は、国内にとても多くある。 自国の文化や国民性についてこれほど多くの知的資源を割く国は、他にない。 そもそもなぜ、僕たち日本人は、こんなに日本論が好きなのか。 日本人は、他国を参照し、比較して、常に自分が何者であるかを確認しなければ、不安だからである。 日本人はいつの時代も、外の世界に向けてキョロキョロと目を向けてきた。 キョロキョロ目を向ける先は、中国だったりアメリカだったり北欧だったり、時代によって変わる。 けれど、この「キョロキョロしかた」だけは、いつの時代も変わらない。 これが日本人の持つ普遍的な「辺境性」である。 明解な論理。 突飛な論理の飛躍はない。 しかし、その論理の向かう先は、他の誰とも違うオリジナリティ。 これぞ、知識ではない、知性。教養。 僕は、知識ではなく、この知性に憧れて、今日も本を読むのだ。

    0
    投稿日: 2023.11.13
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    読書といえば小説一辺倒だった私の読書傾向を変えてしまった一冊です。読み終えたときに、もっと知りたいこと、確かめたいこと、読みたい本が次から次へと芋づる式に出てきて、読書の無限ループにはまりました。日本とは、日本人とは。痒いところに手が届き、痛いところをすっと突かれる、わかりやすくて痛快な日本論です。 【事務局図書課非常勤嘱託員 熊谷和香子】 ●未所蔵です。読みたい方は学内者限定ホームページから「読みたい!」を送信してください。

    0
    投稿日: 2023.09.26
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    「日本人とは?」について述べた書。 「なんとなくそんなな感じ」と思っていたことを、 様々な歴史的事実に基づいて肉付けした感じの一冊。 終章の「日本語」についての考察が面白かった。(2010.12.10)

    0
    投稿日: 2023.07.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「スケールの吟味」、「変化の仕方が変化しない」、「先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る」、「人間が過剰に断定的になるのは、他人の意見を受け売りしているとき」、「自説を形成するに至った自己史的経緯を語れないとネゴシエーションできない」、「清水の舞台を飛び降りる覚悟の例外的な才能」、「弟子は師が教えたことのないことを学ぶことができる」、「未熟さの内に安住する傾向」、「学ぶ力とは先駆的に知る力」

    0
    投稿日: 2023.01.07
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    大昔から大国の思想や制度を真似して取り入れてきて、取捨選択やアレンジはしこそすれ、自分たちで0から1を作るということはしてこなかった国だから、どうしてもどこかの誰かの真似しかできず、きょろきょろしている辺境人こと日本人。 日本という国家や日本人の国民性について、痒い所に手が届くような論が展開されており、たしかに~~~なるほどな~~~とばかり思いながら読んでいた。 後半に進むにつれ、日本人の「学び方」など、哲学的な話が多くなってきて難しかった。

    0
    投稿日: 2022.11.18
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    1章 日本人は辺境人 ・日本人には、世界標準の制定力がない。それは、自分の行動を裏付けする価値観を自分の中に持ち合わせておらず、外部にしか求めることだできないからである。これ自体は、国の誕生物語を持たないこと、そして古来から「中華」に対して「辺境」の立場として、相対的な価値観に準じて国を発展させてきたからである。よって、日本は何かを目標としてそれにキャッチアップすること、模倣することには類いまれなる才能を発揮するが、主体的に価値観を生み出し他国をリードしていくことはやったこともなく出来もしない。だからこそ、主体性を発揮する訓練をしよう!ではなく、特異的な「日本人の辺境性」を生かす方策を考えるべき、と筆者は主張している。 2章 辺境人の「学び」は効率がいい ・人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いたほうがいい。人間が過剰に断定的になるのは、大抵の場合、他人の意見を受け売りしている時。自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人とだけしか私たちはネゴシエーションできない。 3章 「機」の思想 4章 辺境人は日本語とともに

    0
    投稿日: 2022.08.28
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    一章は面白く読めた。 日本は「空気」を大切にする辺境人。 決めてくれる人を探してすがっていく。せめてそうならない自分でありたい。 三、四章は難しくてほぼ読めず。

    0
    投稿日: 2022.07.30
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    内田樹(1950年~)氏は、東大文学部卒、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、東京都立大学人文学部助手、神戸女学院大学文学部助教授等を経て、神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学人文学部客員教授。専門はフランス現代思想。武道家でもあり、合気道凱風館館長、合気道七段、居合道三段、杖道三段。現代思想、身体論ほか、幅広いジャンルでの著書多数。 本書は、「日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる」ことを説いた、いわゆる内田版・日本文化論で、2010年の新書大賞を受賞した。 私の理解をラフにまとめると以下である。 ◆日本人は、歴史的に自らを中華思想コスモロジーの中の「辺境」と位置付けてきたため、ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」があり、それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのかという、その距離の意識に基づいて思考と行動を決めるというメンタリティが染みついている。従って、「日本文化」とは、制度や文物そのものにあるのではなく、制度や文物が新しい別のそれらに取って代わられるときの「変化の仕方」にあると言える。それ故、日本人のふるまいの基本パターンは、「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める」態度に成らざるを得ないし、日本とはどのような国であるべきか、というような問いに対しては思考停止に陥る。 ◆上記の「起源からの遅れ」という構造特性は、悪く出ると「虎の威を借る狐」(狐は、自分の言葉で語る意見を持てない)になるが、良く出ると「学びの効率の良さ」を生む。「学び」の基本は、学ぶことの理由やメリットを予め問うことなく、まず学ぶことであるが、日本人は、その構造特性ゆえに、そうした問いを一時的に留保して学ぶことができ、最高の効率で学ぶ技術を身に付けている。それは、武道・茶道・華道などの「道」を究めるためにも、宗教的成熟を果たすためにも有効性を発揮した。 ◆また、日本の宗教や武道では、その構造特性に内包される時間的な受け身の姿勢(私たちは常に、「呼びかける者」ではなく「呼びかけられる者」として存在する)を克服するため、「機」という概念を生み出した。「機」とは、時間の先後、どちらが先手でどちらが後手か、どちらが能動者でどちらが受動者か、のような二項対立を消してしまうもので、これにより、「学ぶが、遅れない」「受け入れるが、後手に回らない」というような、「時間意識の再編」を形式的に実現した。(この、「機」について書かれた部分は少々難解である) ◆日本語は、もともとは音声しかなかったものを、大陸から入ってきた漢字と漢字から発明されたひらがな・カタカナで表記するようになったが、その際、外来の文字を「真名」(=正統な文字)、土着の音声言語を表記した文字を「仮名」(=暫定の文字)と呼んだ。この二項対立的な発想は、漢語とやまとことば、文語と口語、建前と本音、男性語と女性語など、あらゆる言語的な層において見られるが、これは、外来の概念を「正嫡」として歓待し、土着の概念を「庶子」として冷遇するというふるまいから生じた、辺境語的構造である。 そして、著者は、このような日本の国民的特性が「いい」ものか「悪い」ものかという発想自体に意味はなく、まずは、日本人がそうした特性を持っていることを認識することが大事なのだ、として結んでいる。 私はこれまで、本書の冒頭で引用されている梅棹忠夫『文明の生態史観』ほか、いくつかの日本人論・日本文化論などを読んできたが、それでもなお、著者が「新味があろうとなかろうと、繰り返し確認しておくことが必要な命題」という本テーマは、興味を惹くし(それ自体が「辺境人」的性向なのだそうだが。。。)、面白いものであった。 まずは認識すること、そして次には、それを活かすため、或いは補うために、どのような言動をするべきなのかを、自ら考える必要があるのだろう。 (2022年7月了)

    1
    投稿日: 2022.07.19
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    辺境の認識がガラリとかわった。 日本独特の、曖昧な感じ、ふわふわして実体ない感じ、戦争責任とか歴史認識とか、モリカケサクラでもなんもアクションも責任追求もない、このおかしさの根源なよくわかりました。 真名と、仮名。

    1
    投稿日: 2022.06.26
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    日本人は辺境人である。そのアイデンティティは負の側面で語られることが多いが、コスモロジーを持たないそんな日本人だからこそ、他のどの国よりも開放的に無垢に何からでも学ぶことが上手いという風に論が進む。初めて読んだ見解で面白かった。「わからないけど、わかる」の論は、わかるようでよくわからなかったですが(笑)

    0
    投稿日: 2022.02.14
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    日本人ってそういうとこあるよね~と思ってしまうことがあるけど、なんでそう思ってしまうのかを考えるための材料がたくさん言語化されている本。痒い所に手が届くというか、よくこんな風に言葉にできるなあと、語り口に感服。

    1
    投稿日: 2022.01.18
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    冒頭の「はじめに」にある説明の分かりやすさだけですっかりファンになってしまった。 もちろん本編も、そしてあとがきまでも、掛け値なしに面白い。 「まったく、どうしてニホンジンってこうなんだろう」なーんて、他の国のことを大して知りもしないくせについ、口にしてしまう前に、この本のことを思い出そう、これからは。 過去の伝統をアッサリ全部切り捨てて、過去の上に構築するんではなしに、新しいものに飛びついてしまう(ように見える)ことが多いんじゃないか、とか、諸外国のようなススんだ考え方にならないのはどうしてだろう、とか、ホントに交渉事が下手だよね!とか。 ひいては「超右翼的!」な考えの人と、超リベラルな人の言ってることって一周して、なんか似てない?!と思えてしまったり、、、。 こうしたことへの、沢山の謎の答えが全部、分かりやすーく解説されてる。 で、こういう本をすごーく気に入って有難く、付箋貼って座右の書にしよう、なんて思ってるところがまた、いかにも日本人!!ってことなんだよなー、と思うのでした。

    1
    投稿日: 2021.08.28
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    日本は他国との比較でしか自国のことを語り得ない、という、「中華思想」との対義としての「辺境思想」を持つという命題。それによって何を体得したのかをめぐる考察が書かれている。前半の「なぜ日本はオリジナルな国家ビジョンを提示できないのか」「場の空気の支配とは何か」などはいちいち得心することが多く面白い。「絶対的な正しい価値は常に外側にあって、われわれはその周縁に位置する存在だ」という地政学的な状況に端を発するこの辺境人思想が、良い悪いではなく、先の物事の思考方向や、日本人の信教論や師と学びの在り方における知の吸収の姿勢に結び付き、また、外国語である漢語を「真名」として土着語である母国語を「仮名」と位置づけた世界でも類をみないハイブリッド言語である日本語を生み出し、その日本語で物を考えることで得られる知見の有意義さに注目する。平易にざっくりと書かれているが、大変奥深い考察集だった。

    2
    投稿日: 2021.04.25
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    初版2009年。著者内田樹はこの本の要約を梅棹忠夫の「文明の生態史観」の次のような文章を引用して述べています。 「日本人にも自尊心はあるけれども、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。 おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。」 そして結論として、 『日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません。』 と述べている。 日本人とはどんな民族なのか。人類の発生源はアフリカだから、地図上で言うと日本は遠い所の一つだし、アラスカ通ってアメリカ大陸に行ったのはさらに遠いような気がする。 地理的にみると日本は中華思想の辺境にいて元々貧しい国であったようだし、現在は地政学的にみると端にあって魅力に乏しく、アメリカと中国の2強に挟まれていて落ち着かない。しかし、2000年代に中国に国力を追い越された時、実は日本はお得なポジションに陥ったと考えた方が良い。法則として、1番と2番が競う形になるのだ。漁夫の利のような現在の状況が良く、3番以下位の方が余計な摩擦がない。 人生についての考察も無限に続くように、国家についての考察も無限に続くんだから、日本はよく考える人の国と言えるだろう。

    4
    投稿日: 2021.02.28
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    筆者も断っていることだが、あんまり纏まりが無い日本論だった。自分の読解力の問題かもしれないが、なんだか説明が簡単なようで回りくどくて、なかなか頭に入ってこない。 日本語は、思考言語としては比較的優秀なのだなということは分かった。

    0
    投稿日: 2021.02.17
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    これが内田樹先生との出会いの一冊だったような。。読破当時は大学生で、台詞回しがとにかくかっこよくて、何もかもわかった気になって気持ち良くなっていた(実際は未だに何もわかっていないw)。思考の枠組みを広げてくれた。

    0
    投稿日: 2021.02.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    著者の本を初めて読んだ。 頭が良い人って、難しいことを雑談のごとくユーモアを交えて語ってしまうから凄い。 著者の雰囲気は、養老孟司に似ているなぁ。 そうそう、本書の冒頭でこの本には目新しいことは何も書いてない、偉い先人の方々がすでに書いたことをまとめただけです、って言っているのが面白い。 とは言え、内容は非常に勉強になるものだった。日本て、カメレオンみたいな国だなぁというのが感想。良く言えば柔軟性に長けている。悪く言えば、自分の軸がない。他国と比較することでしか自国を語れないという解釈は、なるほどと思った。 そもそも中国ありきで誕生した国、日本。今も他国が作った憲法の下、他国に言われて作った国歌を呑気に歌って暮らしている。私たちに愛国心が乏しいのは、この辺の事情が関係しているのかな。 そして、自分の思想や行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる国民性という指摘もごもっとも。空気に流されて太平洋戦争などという大事を始めてしまう国は日本くらいだろう。 けれど、著者はこうした日本の在り方がダメだと言っている訳ではない。こんな国の私たちだからこそ出来ることは何かを考えよう、というのが著者の考え。実際、日本はどこの国の植民地になることもなく、経済発展を遂げ、世界的に見れば平和で豊かな国になっている。処世術に長けているのだろう。 さて、日本が大好きなアメリカは政権交代となりそうだし、これから我が国はどう駒を進めていくのか…。

    1
    投稿日: 2020.11.15
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    思想家、武闘家、映画評論家で立憲民主党サポーター兼山本太郎氏支持内田樹名誉教授著。新書大賞2010第1位 中華思想では辺境だし、欧米から見れば極東なので世界の端っこ。構造言語論的からすると日本人は日本語で思考することが辺境な心を育んでいるのかも。秋に総選挙もありそうですが、先生が大嫌いな維新に勝ち、本が出た2009年夏再来になりますようお祈りしてます。(笑)

    1
    投稿日: 2020.07.29
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    日本人のアイデンティティは、辺境民としての『きょろきょろ』するところに見出せるという主張はすとんと腑に落ちた。 常に辺境民として追いつき追い越すべき相手がおり、ある種の解決すべき課題が豊富にある状態というのは恵まれた環境にあったのではないだろうか。 矛盾を包含し、そのまま飲み込むというのはとても強かな国民性であり、生き延びる知恵だと感じる。 佯狂戦略をとる日本の特殊性という観点からとても面白い本であった。 とはいえ全てを理解できてはいないのでまた時間をおいて読み返したいと思う。

    1
    投稿日: 2020.05.07
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    日本には根底に流れる「美意識」がない事が西欧との違いである。ここに立脚して、太平洋戦争や日本の右翼左翼の矛盾や国際社会での日本人の問題点を炙り出す。メッセージの中身よりメタメッセージを重視するとか。それを地政学的辺境性に起因して論じているところが面白い。

    0
    投稿日: 2020.05.05
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    日本人は、主体的にビジョンを生み出すことができない。そのため、リーダーにもなれない。キョロキョロし、周囲が何をやっているかを観察、日本人がやるべきことを探るタイプ。文明が遅れて発達し、辺境人としての位置付けのためか。常に歴史上、中国が、中心であった。

    1
    投稿日: 2020.04.26
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    内田先生の文章は、思考のジャンプ力(ある事実を推考して結論を導く力)の素晴らし生の文章は、思考のジャンプ力(ある事実を推考して結論を導く力)の素晴らしくいつも感銘を受けます。そして文章を読んでいるこちらも頭が良くなったような気分させてくれます。今回も推考が光っています。日本は中国(中華)から見れば辺境なので辺境論ということですが、それを拗ねたり畏縮しているわけではなく、辺境人だからこその日本人論を展開しています。

    1
    投稿日: 2020.03.17
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    IT業界にいると、最新技術、最新の開発方法は、ほぼ海外から。大事な本は、日本語訳された本で読む。そこに憤りを感じていた。なぜ、日本から発信できないのか? その理由が、この本を読むことで、分かった気がします。私にとって知らない単語が多く、辞書片手に読み進めました。ただ時間をかけて読む価値ありました。一読ではまだ染み込まない。再読したくなる本です。

    1
    投稿日: 2020.01.25
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    日本人の性、日本人らしさの嫌なとこ(私には)が溝さらいされてて、感心させられた。 生き残る為なら、なんだってやる。 国民性でもあるわけか・・ 意識改革すれば、どうにかなると思ってたけど、根深い風土というか、土着性に起因するのかもと、呪いをかけそうになったわ(^.^)

    1
    投稿日: 2019.08.15
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    ・君が代の起源・日の丸の起源について。 ・日本という国を語るとき、他国との比較で語ってしまうのはよくない。 ・人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときが多い。・・・なるほど。

    0
    投稿日: 2019.08.12
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    内田樹が、世に知られることになった一冊。 2019年、泥沼のような安部晋三政権を変えようという参議院選挙 前に、「美しい国」の嘘っぽさ、背後の「日本会議」の危うさを見つめ直すために、 10年ぶりに再読しようと思う。

    0
    投稿日: 2019.07.06
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    「日本辺境論」内田樹著、新潮新書、2009.11.20 255p¥777C0233(2019.05.19読了)(2019.05.16拝借)(2010.08.10/20刷) 【目次】 はじめに 1 日本人は辺境人である 「大きな物語」が消えてしまった 日本人はきょろきょろする ほか 2 辺境人の「学び」は効率がいい 「アメリカの司馬遼太郎」 君が代と日の丸の根拠 ほか 3 「機」の思想 どこか遠くにあるはずの叡智 極楽でも地獄でもよい ほか 4 辺境人は日本語と共に 「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか 「もしもし」が伝わること ほか 終わりに 注 (「BOOK」データベースより)amazon 日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。

    0
    投稿日: 2019.05.16
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    なんか伊丹十三に似てるなぁ~  有名どころの日本人論を網羅してる 有名な日本人論をあらためて読みたくなる本

    1
    投稿日: 2019.05.07
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    日本は世界の辺境にあり、日本人は辺境人である、という視点に立ったとき、改めて日本の現状が見えてくるという皮肉ながらも本質をついた論述。起源から遅れている中で、ゲームの理論は分からないながらも、生き延びるためにとにかくやるしかないと突き進んできた日本人。 アメリカとの建国の対比、第二次大戦への参戦、日本国憲法の生い立ち、日本という国名のそもそもの意味合い、など日本人として改めて日本人について考えさせられた。

    0
    投稿日: 2019.03.17
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     日本人は日本文化論は「決定版」をあたえず、たえず同一の主題に繰り返し回帰する。  その基本は本当の知はどこかよそで作られていて、我々は何となく劣っていると思っている(「外部に上位文化がある」)。  己の思想と行動の一貫性よりも、場の親密さを優先させる態度。  とりあえず今ここで強い権力を発揮しているものとの空間的な遠近によって自分が何者であるかが決まり、何をすべきかが決まる。⇒「辺境人」のメンタリティ  「辺境」とは「中華」の対概念。  世界の中心に「中華皇帝」が存在し、その「王化」の光が同心円状に広がり、中央であれば強く、辺境は弱まる、というコスモロジー。  しかし、その華夷秩序における「東夷」というポジションを受け容れることでかえって、列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得した、という風に考えられる。  日本は後発者の立場から効率よく専攻の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。  他国の範になることは日本人がしてはならない、というように。  辺境人の学びは効率がいい。  自らを未熟と定義づけることで、学ぶモチベーションが非常に高い。  努力と報酬の間の相関を予見しないこと(つまり、これを学ぶと何かいいことあるんですか?と聞かないこと)。  「学ぶ」構えは知性のパフォーマンスを向上させるためには劇薬的に聞きます。そのため使い方が難しい。そのため、それを集団の統合原理の基礎にしているような社会集団はほとんど存在しない(日本とユダヤ)。  私たち日本人は学ぶことについて世界で最も効率のいい装置を開発した国民 ⇒「機」と「道」  「外部に上位文化があ」り、そこから学ばなければいけない、とする哲学と、「私を絶対的に超越した外部」があり十分な強化の光がまだ届いていないとする宗教観は相性がよく、そこから導き出される最良の美質は「宗教的寛容」、逆は未熟への安住。    日本人はなんでも「道」にする。  外部に絶対的な境地があり、それを目指すという構えで学び始める。  何かを達成したと思いあがるとすぐに不調になる。この特性を勘定に入れて様々な人間的資質の開発プログラムを奔放では「道」として体系化している。  「道」は優れたプログラムではなるけど、それは誰も見たことのない「目的地」を絶対化するあまり、己の未熟、未完成を正当化もしている。しかし、それと引き換えに切迫感は失われる。  武道的な「天下無敵」。「私の敵は私」。 「標準的でない私」を敵視すると、敵は無限に作り出せれる。  じゃあ、敵を作らないためには?  主体の概念規定を変えるしかない(「私」として規定するもの)。  時間を細かく割ることで、主観的な時間の流れをコントロールする。    私たちが引っ掛かっていた問題をもう一度確認します。辺境人は「遅れてゲームに参加した」という歴史的なハンディを逆手にとって、「遅れている」という自覚を持つことは、「道」を極めるうえでも、師に使えるうえでも、宗教的成熟を果たすためにも「善いこと」なのであるという独特のローカルルールを採用しました。これは辺境人の生存戦略として極めて効果的なソリューションですし、現にそこから十分なベネフィットを私たちは引き出してきました。  問題はその手が使えない局面があることとです。(略)私たちは常に「呼びかけられるもの」として世界に出現し、「呼びかけるもの」として、「場を主宰する主体」として、私は何をするのかという問いが意識に前景化することはけしてありません。すでになされた事実にどう対応するか、それだけが問題てあって、自分が事実を創出する側に立って考えるということができない。(略)武家と禅家が思いついたのは、つねに「期限に遅れる」という宿命を負わされたものが、それにもかかわらず「今ここで一気に」必要な霊的深度に達するためには、主体概念を改鋳し、それによって時間をたわめてみせるという大技 を繰り出すソリューションでした。(それが西洋哲学には理解できない「機」。)

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    投稿日: 2018.12.22
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    ユニークな日本人論。喩が機知に富んでおり感心した。考え方自体は、梅棹忠夫氏の影響を受けているらしい。

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    投稿日: 2018.11.19
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    ウチダ先生、相変わらず飛ばしてますね。 空気抵抗がほとんどない流線型の超高速の 乗り物に乗っているようなスピード感で どんどん言葉が出てきて、いちいちストン と落ちていく感覚。 今回は「辺境」というキーワードで、日本人 に関わる様々な行動や事象のつじつまが ことごとく合ってしまう(合わせてしまう?)。 いちばんストンと落ちたのは、オバマ演説は 日本人にはできない、というくだり。 日米の国民性格の違いは、愛国心という言葉 だけでは絶対説明しきれないもので、どうも 的確に説明できないよなぁなどとずっと思って いたんだけれど、ウチダ先生がこの本の中で ものの見事に説明してくれました。

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    投稿日: 2018.11.18
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    中井久夫が「関与と観察」所収の書評で日本文化の辺境性について語っていた。そこにポンと出会ったのがこの本。ふだんより内田氏のブログで学びの構造や、武道の「機」について読んでいるので新鮮味こそないが、「面白いなー」とサクサク読んでしまった。 足利義満が中国に対して「日本王」を名乗ったのに対して、「まじめに臣下の礼を取る気がない」というくだりは吹き出した。

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    投稿日: 2018.11.05
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    展開されている論考は面白いし納得感は高い。が、何がしかの結論を求めている人には全くの不向き。一種の思考実験、頭の体操レベルの話として軽い気持ちで一読することをお勧めする。

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    投稿日: 2018.10.31
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    【ノート】 ・「自分達が中心じゃないから」という意識故の戦略、発展史 ・自分が中心じゃないから、こちから働きかけるのではなく、敵を作らない、という武士「道」の発想が出てき得る ・「師匠」に学ぶ、効率がいい。自分がダメでも「師匠なら」と言って回避できる ・その代わり「ここがロドスだ、ここで飛べ」という切迫した緊張した状況を回避することにもなってしまった ・自分は全然だけど、この「道」は奥深く、師匠ならもっとできる、というような「逃げ」が可能になるからね ・先駆性と学び ・日本語の特殊性、真名と仮名 ・外国でのディクレシアは脳の該当箇所が損傷すれば文字からの意味認識ができなくなるが、日本語の場合、損傷した場所によって、真名はダメだが仮名はOK、あるいはその逆があるんだって!あと、ユダヤ人もそうらしい。 ・マンガが発達したのはこの日本語の特性あればこそ

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    投稿日: 2018.10.28
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    「ここではないどころか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。」 本書を読んでいて、自分が、著者の言う辺境人の思考方法になっているのだと度々思い返された。

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    投稿日: 2018.10.08
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    自分や自分の周りはつくづく日本人だなあと思い知らされました。けど内田さんの言う通り、日本人とはどういう人種なのかすごく理解できたしそれが一番の収穫。 歴史や伝統から今に続くことまですごく納得がいく内容でした。

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    投稿日: 2018.07.13
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    難しかったです。読むのに体力を使いました。理解しながら読み進め、音読する以上に時間がかかったかもしれません。でも一文一文に重みと驚きと納得感、こんな優れた洞察力を持ちたいなと憧れさえ感じました。   内容は、中国人やアメリカ人と違って、日本人は「辺境人」だから、それを踏まえた生き方をした方が幸せだと言うことが書かれています。そして辺境人たる証拠をたくさん挙げてくれます。どれも否定できず腑に落ちるものばかり、目から鱗が落ちてばかりです。   一方で、結局は辺境人の性が無意識に振舞ってしまうのだから、こんな本を読んで敢えて実感しなくても良いのでは?とも思いました。でも、漠然と考えていた歴史の流れや出来事に、腑に落ちる裏づけを得られることは、とても楽しいことかもしれません。

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    投稿日: 2018.06.17
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    日本ってどんな国なのか、日本人ってどんな性質なのか…さて、これからどう世界と向き合って行きましょうか。

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    投稿日: 2018.02.21
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    内田先生の本はいつでも、知的な刺激に溢れている。独自の考えをきちんと伝えてくれる。その考えは突飛ではないが、なるほどと思わせてくれる。 さらさらと読めるのに、しっかりと中身が詰まっている。もっと自分の頭を使って考えようと思う。

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    投稿日: 2018.01.12
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    内田さんの本は初めて読みましたが、平易な文章で読みやすいですね。 本人も書いている通り、大雑把な論考だとは思いましたが、その分本質を付いている日本人論だったと思います。 日本人とは何者か?という課題について、著者の考え方が全て正しいとは思いませんが、日本人全員が一度は読んで自分で考えるべき問題なんだろうと思いますね。

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    投稿日: 2017.06.04
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    漢字仮名交じりの日本語を使っているとき、日本人は脳の違う部分を使って並行処理を行っている、という指摘は意外だったが、なるほどという気もしてくる。逆説的な表現は、正しそうに聞こえてしまうが、実証的でないように思える点もそれなりにある。トータルとしては多いに楽しめた。

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    投稿日: 2017.05.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ・「学ぶ」とは何よりもまずその宣誓をなすことです、そして、この宣誓を口にしたとき、人は「学び方」を学んだことになります。ひとたび学び方を学んだものはそれから後、どのような経験からも、どのような出会いからも、どのような人物のどのような言動からも、豊かな知見を引き出すことが出来ます。賢者有徳の人からはもちろん、愚者からも悪人からもそれぞれに豊かな人間的知見を汲み出すことができる。 ・自分のことを考えていると、そこに隙が出る。これはあらゆる武道の伝書に書かれています。「隙」というのは、そこに「相手の剣を招く」ような無防備な侵入経路を意味すると同時に、侵入を可能にするタイムラグのことも指します。自分のことを考えると隙ができる。隙ができて斬られたら、それは「自殺」である。 では、どうすれば死なずに済むのか。大拙は「電光石火」と言います。自分のことを勘定に入れないで動け、と。 ・無傷の、完璧な状態にある私を「標準的な私」と措定し、私がそうではないこと(つまり「今あるような私」であること)を「敵による否定的な干渉」の結果として説明するような因果形式、それが「敵」を作り出すロジックです。「敵」はこのロジックから生み出される。「敵」とは実体ではなく、「原因」で「結果」を説明しようとするこのロジックそのもののことである、と言ってもよいかと思います。

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    投稿日: 2016.11.14
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    日本辺境論 内田16冊目 この本を読んで思ったことは、内田樹は、日本論をまとめ、辺境人としての生き方を述べることで、自分語りをしているのではないかということである。彼の別の本で、幼いころから身体が弱く、そのような劣性において、勝てなくとも、負けないために合気道を始めたと書かれていた。そして、武道で大切なことは、弟子となることである。 さて、辺境人としての生き方を見ると、自分以外のところで発生した世界のストーリーや、スタンダードを真似して、キャッチアップすることにはたけているが、今まで自分の世界像を提示したことのない、弟子としての日本人、辺境としての日本人の在り方がある。辺境という微妙な立場にあえて甘んじることで外交的なフリーハンドを手に入れていたこと、日露戦争後の日本の行動についても書かれているが、その日和見的な現実主義に、既視感を覚えた。日本人が常に変わり続けてきた、そして日本人が変わり続けてきたという事実、流体としての在り方は変わらないという言いえて妙な日本人論はさすが内田樹といえるが、どうも内田が、日本人論を今までの自分の半生を見てきた観点から配置しなおそうとしているようにも見える。 さて、後半は修行論に書いてあった機の思想である。日本人は、辺境人として弟子の思想、学びの思想は心得ている。しかし、全てのものを「道」(最終地点へ到達するための過程)にしてしまうために、一方で自分の未熟さを正当化してしまう危険性があると内田は述べている。自分のいる地点は発展途上であると割り切ることで、素直で謙虚な姿勢を貫けるが、途上にある自分を甘受してしまえば、そこで成長は終わる。そのような矛盾に、日本人は機の思想を使うことで、対処してきた。機の思想とは、時間感覚の再編である。要因があって、結果があるというリニアな時間の継起を完全になくし、全てが同時に起こるというような発想である。修行論でも触れていたが、天下無敵とは、完全なる自分に対し、自己を抑制するものを除去した状態ではなく、まさしくその環境によってはじめて成立した生命体として行動することである。そこで生まれたものであるならば、抑制するものなどというものはそもそも存在しない。だから、無敵なのである。機の思想は実に不思議な考え方である。機の思想の実現に必要なものは、それが起こるかはわからないが、それについて先駆的に確信をもって行動することである。一種の勘、嗅覚が必要だ。学びにも言える。本来、学びとは、それがどのように役に立つのかわからないが、それを学ぶことが良いことであると先駆的に確信することから始まる。この人は何を教えてくれるかわからないが、なんだかこの人についていけば大丈夫だと確信する時、師は見つかる。あとは、いつものシラバス批判から、学びの資本主義マインド批判、いつもの流れである。 日本辺境論において、初めて見たのは、日本語の異質さである。かな文字という表音文字と漢字という表意文字を同時に使っている民族は稀有である。そのような民族的奇習を持つ日本人は、コロキアルで身体性の強いかな文字と、異質な文化を異質なままに、理解しようとする漢字を使い分けてきた。この、異質なものを異質なままに理解するという能力は、辺境人ならではの能力で、圧倒的に翻訳においてアドバンテージを与えたのであった。 日本人は、構造的に、学びにたけている民族であったのである。 また、別に気付いたこともあるが、それは年代からくる考え方の違いである。それは、子供の時に支配的だった思想にあるのではないか。これはまさしく偏見中の偏見であることは認めるが、60歳代の人々はどうも「大きな物語」で物事を見ることが多いなと感じる。それは、当時の支配的な思想がまさしく快刀乱麻を断つような歯切れの良い、マルクス思想のような思想によっていたからではないかと思う。一方、自分の同年代の人間は、細かいことにこだわることや、多様性、ある種のアパシーを感じる。それは、歴史学がそうであったように、教育から、「大きな物語」が排された以降の時代に育っているからではないかと思う。専門は専門という、教育のセクショナリズムや、歴史像の多様化は、自分たちの世代に底流している基本的なマインドセットなのかもしれない。

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    投稿日: 2016.09.12
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    (機の思想)の章は辞書なしでは理解不能でした。この本の発想はなるほどと感心します。白川静が登場するのも予想外。

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    投稿日: 2016.06.10
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    構造主義的知見に基づき、地政学を念頭に置いた日本人論を展開する本。 後の著作に見られる、「師匠と弟子」論の原型が見られたことが興味深い。日本が辺境であるが故に、日本人は師匠なるものにオープンマインドになることができ、学びの効率を極限まで高めてこられた、という主張は後の著作でも一貫している。

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    投稿日: 2016.06.09
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    高一の時挫折しましたが!ついに!読めた! なるほどなるほど、という感じ。 分かりやすい。 この辺境人的なサイドをどう生かすかが。個人的な課題でもあるなあと思った。

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    投稿日: 2016.05.26
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    非常に読み応えのある作品であった。なんども読み返すことだろう。 丸山真男やベネディクト、そして山本七平など日本思想を語るうえでかかせない人物から、筆者お得意のハイデガー、ラカンなど哲の色濃い目なものまで、多くを学ぶことができた。また、宗教の章に関しては圧巻である。 序章で書かれているように、こういった日本人論はどの時代も繰り返され、似たように語り継がれてきたが、だからこそこれからも語り続ける必要があろう。ぜひ一読してもらいたい。

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    投稿日: 2016.05.04
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    辺境をキーワードにした日本文化論。 受け売りだとか言い訳がましいとかの批評が多いようだが、氏の視点と分析は型にはまった時評よりはるかに幅広いものの見方を示唆してくれる。

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    投稿日: 2016.03.01
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    日本人の辺境性を認め、その中で生きていくことを考えるべき。これが何に役に立つか分からないから勉強するのであり、先に学ぶことが分かっていて、それが役に立つかどうかは学ぶ人間には分からないはずだ。英語で書かないと世界的には通じない。日本語で表現できるもの、日本人が肌で分かることを外国語に完全に翻訳するのは不可能だ。人称代名詞の違いで書く内容が変わるのは日本くらい(私、僕、俺では内容が変わる)。表音文字と表意文字を同時に使う言語は特殊。それ故に漫画が発達した。

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    投稿日: 2016.01.15
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    この本を読んでいて感じたのは僕は日本論とか日本人論にあまり興味がなくて、文章が柔らかい良い本だとは思うけども「私たち」や「我々」といった言葉はどこか遠くで語られている言葉のように感じてしまった。それでも最後の章である日本語の話は面白かった。

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    投稿日: 2015.12.03
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    9条どうでしょうの論評を拡大冗長していて、凝縮具合の鮮やかさでは前者に花がある。岸田秀の外的自己内的自己論の補論としては興味深い。

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    投稿日: 2015.11.01
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    空気を読み、棚上げしていいとこ取りをする。フォロワーとして優秀だがリーダーとして劣る。文化的辺境であった時期には有利に働いた性質が、いわゆるグローバル化によって優位性を失った。日本人が漠然と感じている不安がうまく言語化されていると思う。現状分析に優れ、提言が途端にあやふやになる、ってのも付け加えておこうか。

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    投稿日: 2015.10.10
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    梅棹の文明の生態史観が根底だが、基本的には森毅の「まあ、ええやないか」と高橋馬一郎のノホホンを著者独特の原理論にまとめ上げたという印象。いわゆる独善的な日本主義的なものをスモールパッケージホールドでひっくり返そうとするジュニア級の技。簡単に「寛容」と「謙虚」という言葉で済ませられることであるが。しかし、現代日本で最も厄介な論客ではあるだろう。

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    投稿日: 2015.09.29
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    題名を見た時に読んだことはないのに馴染みがあるような感じを持ったのは、やはり「文明の生態史観」の影響だった。 日本でなされる中国や韓国の批判や日本の自画自賛に接する際に、あちらやこちらの言い分を相対化させてくれる有益な視座を提供する本だと思う。 そのような「議論」との兼ね合いは別とすると、内容的に納得する点も多々あるが、地理的な枠組みでの説明は、頭の中の説明に別の頭のようなものを持ち込む無限退行を感じる。 アジアという視座であれば、日本という島は辺境と言えるだろうが、その日本の中にも「辺境」はある。そこは、倍々的に「辺境性」は高まるのだろうか。逆に、地球全体という枠組みをとったときに、アジア全体が辺境だったとも言えるのではないか。その時に、同じことがアジア全体に薄くとも言えるのだろうか。 この辺りに、「文明の--」を読んだ時にも感じた違和感があり、自分の判断にこの議論を用いるのには、慎重を期したい。

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    投稿日: 2015.08.21
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    既出情報と前置きがあったが、自分にとっては新しい考えが多くあった。(今回は二度目なのに。。。) 日本式議論は内容の優位性ではなく、立場の優位性を示すものとの考えには嘆息した。その通りで非常に嘆かわしい。

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    投稿日: 2015.08.10
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    「辺境」というキーワードによって、日本人のメンタリティや行動様式が驚くほど明快に説明できる。この本で読書会やったら盛り上がるだろうな。

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    投稿日: 2015.06.08
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    日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性により説明できる。 中心でなくて、比較をベースに物事を捉える。著者の示唆は、ポジティブな辺境性が失われつつあること。

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    投稿日: 2015.05.24
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    日本は、華夷秩序における「辺境」というポジションを受け入れることによって、政治的・文化的なフリー・ハンドを獲得したという主張が展開されています。 日本人は、他国ないし他者との関係の中での相対的な位置づけによってしか、アイデンティティを確保することができません。このことは、日本人の主体性の欠如として批判的に言及されることが多かったのですが、著者はこうした「辺境人にかけられた呪い」が、「一つの社会集団が長期にわたって採用している生存戦略である以上、……欠点を補うだけの利点が何かあるに違いない」という視点から考察を進めていきます。 辺境人の利点として挙げられるのは、辺境人の「学び」は効率がいいということです。「日本人はこれから学ぶものの適否について事前にチェックをしない」と著者は言います。しかし、これは批判ではありません。むしろ「学ぶ」ことは、こうしたスタンスを採用することで初めて成立する営みだと著者は考えています。そして、「学ぶ」ということを集団の統合原理の基礎としている日本は、ほとんど他に類例を見ない社会集団だと述べられます。 ただし、こうしたスタンスと表裏一体の事態なのですが、日本人は未完成・未成熟であることに寛容であり、つねに途上であるという意識を持っていることを著者は指摘します。いま、ここで一気に普遍的な宗教的深度に至ろうとする秋霜烈日の気合は、日本人には希薄です。そうした宗教的深みに達した数少ない思想家の一人に、親鸞がいます。親鸞は、霊的に劣位にある者に、信の主体性を打ち立てるための特権的な回路が開かれているというロジックを構築したと著者は言い、「辺境」にありながら「信」へと「飛び込む」ことがどのようにして可能となるのかという問題へと踏み込んでいます。

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    投稿日: 2015.05.22
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    数年前に読んだのだけれど、急に読みたくなり再読した。 日本人の宗教感と地政学との関係についての分析は納得できた。 内田氏の本は、僕にとって刺激的な本です。

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    投稿日: 2015.05.15
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    まだ途中ですが…。 いまのところ、かなり批判的に読んでいます。 わたしに言わせれば、著者は「敗戦にとりつかれ」ていて、そこがいかにも日本のインテリ的だとわたしは思う。 問題意識そのものは共有できます。 現代の日本人は、著者のいうようにキョロキョロしていて受身です。国際社会におけるリーダーシップのなさ。現状に甘んじるために屁理屈ばかりこねる。内発的な変化・革命はのぞめない。 しかしだからこそ、古代から続く日本の歴史に、そうした日本人像を突き崩してくれる物語を探したい。 ところが筆者は逆で、「日本人がそういう民族性なんだ、それでうまくやってきたんだ」と開き直るための材料として歴史を見ているようです。 それをフェアなやり方でやっていただけるなら納得出来るんですが。 わたしの目には、筆者の主張は偏っていて、我田引水の印象。 がっかりしたことがいくつかあります。 ----- 1…筆者は第二次大戦にとらわれすぎだと思います。 日本の民族性を考える上では、古代から現代まで幅広い歴史に目を行き渡らせなければならないはず。 しかしながらこの本では、日本人の「一貫性がなく受身な民族性」を説明するための引用する例の多くが、今のところ先の大戦、それも軍部のイデオロギーに関するものばかりなのです。 わたしの考えでは、当時の日本の軍主体の政府というのは特殊な時代ではないでしょうか。現代と比べても、あるいはそれ以前の歴史と比べても。 その特殊な時代ばかりをベースにして、日本の民族性を語っている。それだけで説得力が欠けます。 2…また、他国と比べて日本を論じる上で、比較対象として適切ではないのでは、と思われる箇所も見受けられます。 ふたつ例を挙げます。  01 (戦時日本とナチスドイツとの比較で)日本の指導者は「空気」に流されて開戦したが、ナチスドイツの指導者は(善し悪しはともかく)明確な目的と動機をもっていた。  →わたしの認識では、当時のドイツはお世辞にも崇高な理念に突き動かされていたものではありません。国民は一次大戦の大敗に深く傷ついていた。経済の不透明な絶望の中、藁にもすがる思いでナチスに飛びついたのではなかったですか。  02 (日本とアメリカとの比較)「アメリカは建国の精神というものがあってそれがアイデンティティとなっているのに対し、日本にはそれがない。そしてそのことが、日本人がビジョンを持たずに国際社会と向き合う理由だ」  →たしかにそういう面はあるでしょう。が、筆者のいう建国の精神なるものを明確に持っている国というのが、アメリカのほかにどれだけあるものでしょうか。 日本よりは、アメリカがむしろ特殊なのでは。 このように、全体的に結論ありきの理屈が目立ちます。 特におかしかったのが、元寇を例にあげてこういいます。 「(建国の理念を守るために戦ったアメリカ人に比べて)当時戦った武士たちに、国の未来や何かの理念を守るという意識があったはずがない。 実際わたしたちも、当時の歴史を振り返って先祖たちが(未来の)自分たちのために戦ってくれたんだという認識は持たない」 そもそもいまと当時の日本とは、領土や政治体制も違えば国に対する意識からして根本から違うのです。 その時点で「自分たちのために戦ってくれたという認識が持てない」のは当たり前です。 しかしながら当時の武士は武士なりに、自分という存在を超えたところにある何かの存続のために命を賭けたはず。 その何かが(現代的な意味での)国と呼ばれるものであるかとか、スケールが国に見合ったものであるかどうかは、民族性を語る上でどうでもいいことでしょう。 歴史なんて膨大なんだから、今の日本の体制や日本人と共通する性格を見つけようとすれば簡単です。 なるべく客観的な尺度で科学的に点検してくれれば、ためにもなるってものですが。

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    投稿日: 2015.05.10
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    日本というのは少し特異な状況に置かれた国である。日本人は横並びをよしとし、出る杭は打たれる。他国・他人に追随はするけれど、抜き出て目立つことを避ける。にもかかわらず、否だからこそ、深層心理では、自分は特別だと思いたがる。日本には他の国を寄せ付けない独自の文化がある。日本人はそう思っている。表面的な愛国心は見せないけれど、根のところでは日本に強い愛着を持っている。これらは、一般的な日本人が示す傾向なのか、私自身の傾向なのか、私自身は一般的な日本人なのか・・・。日本人がどういう存在であるかを考えたとき、おそらく、間違いないのは以下の点だろう。それは、日本人が漢字(真名)と仮名を使い分けてきたということ。そして、漢字失語症と仮名失語症があるということ、つまり、漢字と仮名は脳の別の部分を使って認識しているということ。それが、日本人に何をもたらしているのか。しかし、どうして日本人は「日本人とは何ぞや」と考えることが好きなのか。そこが、日本人の特質でもあるのだろう。著者自らがあとがきでも言っていることだけれど、途中から私は置いてきぼりになってしまいました。難しい内容だと思うんだけど、どうしていつもいつもベストセラーになるのでしょう?

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    投稿日: 2015.01.28
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    「ハッ」とさせられることの多い本でした。 猫も杓子もグローバルな昨今において、日本国籍である私は「日本人はいかなるものか」と語れるのであろうか そんな問題意識があって、本を手に取りました。 本書は、(中華に対して)辺境である日本が、辺境であるがゆえにどのような思考様式をしているのかを解説します。 日本人論を知りたがるのはそもそも日本人だけだという指摘がのっけから胸に刺さりました。 「辺境人である私は未熟であり、無知。真理はどこかにあり、それに導いてもらわねばならない」という基本態度は自分にもぴったしと当てはまるものでした。

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    投稿日: 2015.01.13
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    今までの自分が抱いてきた数々の疑問の答えになり得るものをこの本から得られた気がする。日本人であるという国民性自体が原因になって動いてきた事象がたくさんあって、過去の史実も日本が世界の"中心"でなく"辺境"にあったからそうなったのだと説明され得るものであることを理解できた。

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    投稿日: 2015.01.09
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    出版されてからしばらく経つが、古本屋で見つけ、なんとなく購入。かなり売れた本で、確かに読んでなるほどなあと思った。色々批判もあるようだが、どの立場でも刺激になる内容で面白かった

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    投稿日: 2014.11.20
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    私たちは、歴史を貫いて先行世代から受け継ぎ、後続世代に手渡すものが何かということについて、ほとんど何も語りません。代わりに何を語るかというと、他国との比較を語るのです。 おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度、とりあえず「長いものに巻かれ」てみせ、その受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして差し出す態度、これこそは丸山眞男が「超国家主義の心理」として定式化したものでした。 李氏朝鮮は太祖李成桂以来5世紀にわたって明、清の冊封を受け、みずからを「小中華」「東方礼儀の国」と自称するほどに華夷秩序を内面化していた国です。彼らからすれば「皇」は清朝皇帝以外に存在しない。なぜ朝鮮半島よりさらに辺境の蕃地の支配者が「天皇」などという称号を名乗ることができるのか、彼らには信じられない非礼と映ったのでした。 日本の国際関係におけるふまじめさ。これは辺境の手柄の一つ?はるか遠方に世界の中心を擬して、その辺境として自らを位置付けることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやす。この面従腹背ん辺境民のメンタリティの際立った特徴がある。 憲法9条と自衛隊の矛盾を激論することで、日本は戦後65年にわたって、「アメリカの軍事的属国である」というトラウマ的事実を前景化することを免れてきました。・・・「日出ずる処の天子」以来の辺境人の演じる「作為的な知らないふり」の一変奏なのだと思います。 私たちは、国際社会のために何ができるのか。これは日本人が一度も真剣に自分に向けたことのない問いです。「とにかく生き延びること」が最優先の国家目標であった。 虎の威を借る狐の意見 自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人とだけしか私たちはネゴシエーションできません。自分の意見を持たない人とは議論はできない。 武士道 努力と報酬の間に相関があることが確実に予見せらるることは武士道に反する 平方極意とは学ぶ構えのこと 好きな人を振り向かせようと思ったら、プレゼントをあげるのはダメ。プレゼントさせる。手伝わせる。無意識の心の作用。 おのれの無知と愚鈍を論拠にして、おのれを超える人間的境位の適法性を基礎付ける。それが師弟関係において追い詰められた弟子が最後に採用する逆説的ソリューションなのです。 水戸黄門のドラマツルギー 根拠のない権威の名乗りを頭から信じてしまうのは、根拠のない権威の名乗りをしているワルモノだけ。 日本的コミュニケーションの特徴は、メッセージのコンテンツの当否よりも、発信者受信者のどちらが上位者かの決定をあらゆる場合に優先させる点にある。これは、日本語という言語の特殊性に由来する。

    0
    投稿日: 2014.11.09
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    何やら吹っ切れた感がある。 偏屈になったり自らを貶める必要はないのだろうけれど、日本人は他国民とは違うという事実を認めなければならないのだろう。 たぶん一昔前は無意識にそれを意識することで何となく国全体のベクトルが同じ方向に向かっていたのではないだろうか。 グローバルスタンダードもいいんだけど。 というようなことを色々と考えさせられた。

    0
    投稿日: 2014.10.20
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    日本人のアイデンティティーや文化を論じたモノは興味深い。 日本人の資質を辺境をキーワードに論じている。なかなか禅問答のようで難しい。知らない言葉もいっぱいででくる。 でも、刺激的で面白かったです。

    1
    投稿日: 2014.10.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「日本人はきょろきょろする」というフレーズがでてくるけれど、それがそのままこの本を表す言葉だと思う。好奇心旺盛で、他者の印象を気にせずにはいられず、自分のルーツに自信がなく、落ち着きがない。実は日本人みんなが知っている自分たちの姿を改めて解説される本。

    0
    投稿日: 2014.10.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    内田樹による日本人論。 最初にこれはいままでの先行研究をまとめたものなんですよ、と断り書きしてはいるが、学究なんてものはすぐに時間に埋もれる。それを掘り起こした本。 納得いく部分もあるのだが、引用ばかりで抽象的かなという気が。読んでおもしろいのだけど、じゃあ、この論考が生活になにか役立つかといえば、そうでもない。ただ、日本人の株を極端に下げようとしてもいなければ、上げよう語り口には共感するが。 ラストに書いてあったように、これは翻訳できなければ駄目だろう。この人は執拗に英語教育を否定しているけれど、これからの学者は自分の論考を世界共通言語で話せないのは致命的だと思う。いくら国内で評価されていようが。

    1
    投稿日: 2014.09.20
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    アメリカは理念のもとに建国されている。日本はそうではない。 日本人は他と比べることで自分の価値を見出す。 日本語とユダヤ語は両方とも表意文字と表音文字を使う。それが漫画を理解しやすくする。

    0
    投稿日: 2014.09.15
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    「自分」の壁 からのリファレンス。日本人の学習態度はどこまで行っても「虎の威を借りる狐」スタイルだが、反面からみれば、全てを学習の機会にしてしまう、エゴを排したオープンマインデッドな姿勢とも言える。 少し長めの前書きで、そもそも辺境論というのは丸山眞男の「キョロキョロ」という表現に代表されるように、梅棹忠夫、養老孟司が論じ切ってきたことで、自分が新たに論じる所ではないなどとしている点、タッツンのシャレオツトートロジー全開ぶりに痺れる一冊。好き。

    0
    投稿日: 2014.08.11
  • 自分(日本人)を理解する為には、必須

    地政学的な影響を受けて、島国である「日本」がどの様な「日本人」を育んで来たのかが、書かれている。 「日本人」はそれぞれで、「定型」は無いと思うが、それでも、共通点が有る事は容易に想像出来る。 外圧に対して、現実主義的に徹する小狡い日本人、世界を承伏させるだけの理念を持たない日本人、 それが日本人の生き残り戦略で有ると言う考え方は、とても「腹落ち感」が有った。 「日本の常識」は、「世界の非常識」の面もあろうが、どちらが良い悪いを言うのでは無く、文化としての背景 分析を行い、今後の日本人を支えていく著作だと思う。 「国歌」の曲の部分(初代)は、西洋人が作曲した、と言うのは初めて知りました。不評で、作り直したそうですが、それでも編曲はやはり西洋人にまかせたとの事。

    0
    投稿日: 2014.06.29
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    前半の論議は、よくきく「日本の建前文化」みたいな話、むしろ後半の、武士道と『学び』と『機』の話のほうが面白い。

    0
    投稿日: 2014.06.10
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    鳩山首相が大人買いした中に入っていた一冊。 1.日本人はよく分からないふりをすることによって国際関係をごまかしてきた。ある意味上手かった。聖徳太子の「日出づる国」という言い方、中国の律令制は取り入れながら科挙、宦官は無視したこと、昭和の「非核三原則」、九条と自衛隊・・・ *ふ~ん。 2.第一次大戦後のヴェルサイユ講和会議では、五大国の一つとして国際社会に登場した日本だったが、欧米の主張する「新しい国際秩序」「国際平和のために自分たちは何ができるか」について何の関心も示さず、利己的に「19世紀的な帝国主義スキームにしがみついていた」。それ故に、列国の信頼を失い、ひいては日英同盟の解消に至った。 *なあるほど、日本の近現代史を勉強しなおさなくてはいけないな。 3.「『現実主義』より『理想主義』の方が現実的であれば、理想主義的にふるまうことの方がより現実主義的」であったから「東洋における天下の正義」の旗によってこそ、国際世論を味方につけることが出来ロシアに勝ったそうだ。 *大東亜共栄圏はそうはならなかったのだな。 4.「情報量の多寡と状況判断の当否は必ずしも相関しない」 *なるほど、幕末にはわりと 的確な判断をしていた。 5.追いつくときは適切な判断が出来るが、追い抜くときは出来ない。 *長男ではなく、次男か、三男か。 6.「日露戦争以降の日本の東アジアにおける行動を『軍部の暴走』と言いますけれど」「軍部が『暴走』できたのは、それが『暴走』ではなくて、すでに『下絵』が描かれていたからです」 *司馬史観との違いがぼちぼち出てきた。 7.「こうなったらとことん辺境で行こうではないか」 *辺境らしい国、日本とはなんだろう。 8.「司馬遼太郎の日本人観」=「一番出来の良かったのは、日露戦争を戦った時代、明治40年代の日本人」 *このあたりが内田と司馬の決定的な違い。 9.「虎の威を借りた狐」は「交渉相手とはみなされない」。なぜなら、自分の意見を持っていないから。であるから、日本が国際社会で侮られないためには「自分の言葉」を持つ必要がある。一人ひとり。 10.「大学のシラバスは」「学び始める前に」「これから学ぶことの意義や有用性について初心者にもわかるように書かれた説明」であり、これでは「学びは成立しない」。 *なあるほど。 11.「新渡戸稲造は武士道の神髄」から「外来の知見に対する無防備なまでの開放性」=「一時的に愚鈍になること」を挙げている。 12.「学ぶ力」=「辺境の伝統」 *これを失ってはいけない 13.「養老先生のマンガ論によりますと、漢字を担当している脳内部位ははマンガにおける『絵』の部分を処理している。かなを担当している部位はマンガの『ふきだし』を処理している」 *なので、日本人のマンガ文化は世界一なのである。が、吹き出しの中の「漢字」は漢字を担当している脳内部位ではなく、かなを担当している部位が処理しているのであろうか。ややこしい。 14.関川夏央は「『坂の上の雲』と日本人」の中で、司馬遼太郎も「日本を中華文明の辺境ととらえました」と述べており、ちなみに内田樹はこの「『坂の上の雲』と日本人」の解説を書いている。 *たしか内藤湖南も日本を中国の辺境ととらえていたと思う。日本辺境説というのは、常識なのだろうか。 15.で、鳩山さんはこの本から何を学んだのだろうか。ツイッターでつぶやいてもらいたいものである。

    0
    投稿日: 2014.05.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ●辺境に属する我々は、常に正しいものを外部に求め、それを盲目的に信じ、大きな「物語」を自分から語ることができない。その宿命に打ち勝つことはできないが、五分の勝負には持ち込めるので良いではないか、という本。 文化的劣等感を持つ日本は、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」があると信じ、状況を変動させる主体的な働きかけは常に外から到来し、我々はつねにその受動者である、との自己認識をもつ。世界標準依拠主義。 このロジックに沿えば、「中華」の対概念である「辺境」人のロジックを支えるのは常に「被害者意識」。 キャッチアップはできるが、大きな物語を語る番になると思考停止に陥る。 核廃絶運動も同様で、「私は被害者である」という自己申告だけではメッセージの倫理性を基礎付けることができず、「私たちは人間としてさらに向上しなければならない」という一歩踏み込んだメッセージを発するためには、あるべき世界についてのヴィジョンが必要。しかし、自前の世界戦略を我々は持っていない。これも辺境思想によるもの。 相対的劣位思考。「きょろきょろ」が日本を指す擬態語。 世界的標準を作る人間の考える正しさは、「正しさ」が今ある現実のうちにではなく、これから構築される未来の中に保証人を求めるからであって、未来において、それが正しいことが分かることで初めて実証される、という考えを持つ。日本の場合は、「保証人」を外部の上位者に求める。「弟子」の発想。師匠は常に正しい。自分がその人を師とした行動が矛盾しないよう、心の状態を変化させることでつじつまを合わせて、行動と感動が背反した不安定な状態を安定化させようとする。しかし、こういう日本の学び方も、一つのメリットはあり、この方向で進み続けることを妨げるものではない。 アメリカの場合は、建国の目的が明確であり、「われわれはこういう国だ」という宣言から始まる国。それゆえに「アメリカというのは、一つのアイディアである」という命題が肯定される。日本にはそういうものはない。 国家も、明治時代に、外交プロトコルとして、必要性を問われて作ったもの。元は古今和歌集の読み人知らずの賀歌からとっている。日本も「日出づる国」だが、これは中国を中心として捉えるから、そうなる。あくまで中華思想が背景。ベトナムの「越南」と同じ。 「権威の由来を証明できない」。水戸黄門において、悪者は、水戸黄門が権威を振りかざした時点で否定できないのは、悪者自身が自らの権威を証明するにたるものを持っていないから。これが、「日本の知識人たちのボリュームゾーン」を形成する社が、無辜(むこ)の民衆を睥睨(へいげい)してきた狐たちの戯画に他ならない。水戸黄門は、「日本人と権力の関係についての戯画」であり「日本的システムの下絵」を体現したもの。 しかし、これら独自のローカル・ルールを採用したことは、辺境人の生存戦略としては効果的なソリューションで、そこからベネフィットを引き出してきた。 「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」のことであり、自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力のこと。「わからないけど、わかる」状態。これがなくなれば辺境人としての日本のメンタリティの危機。 面従腹背は我々の得意芸の一つ。 ・改めて3年ぶりくらいに読んで、売れた理由がなんとなく分かった。言葉遣いがうまいな。既存の知識をうまく編集して、凡人が書くときは絶対に使用しない難しめの単語がちりばめられている(呪符とか近接度、教化、共扼、焦慮、民族誌的奇習、などなど)。

    1
    投稿日: 2014.05.05
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    内田樹さんの本。2009年に出た新書本です。 ええと、大変に面白い!…と前半思いまして。後半は、そうでもなかった。というのが読後感です。 ものすごく雑に、備忘録として要約しますと。 (というか、僕が自分で受け止められたことだけを書きますと)。 日本は辺境である。辺境である、と日本に住んでる人自体が、思っている。つまり、田舎者である。 いつも海の外にあこがれの、劣等感を抱いてしまう相手がいます。大きな文明があります。 文明は自分たちが作るものではなくて、そういう、「外部」からやってくるもの。 それをありがたくいただいて、なんていうか、使いやすい物は、自分たちの道具にしちゃう。 という考え方がまず、あります。 これに膨大な例証があります。面白いです。 「日本」「日の本」というのはつまり、日が昇る方角、という意味。つまり、「東」という意味ですね。 これは、中国を中心と考えるから、そうなった訳です。なるほど。 「東北地方」っていうのは、東京あるいは京都が中心と考えるからそうなんですよね。 東京っていうのも、京都の東だからなんですけどね。 だからその頃に、つまり古代に、アメリカが強国でそこと交流があったら、「日本」じゃなかった訳ですよね。 で、という訳で我々は大いなる体系は自分たちで作らない。作れない。どうしてかっていうと作ってこなかったから。 どうしてかというと、田舎者だという自覚。「中央」と違って大陸的に異民族と対立激突したり、切磋琢磨してこなかったんですね。 なので常に、周囲を気にします。「中央」を気にします。「絶対的にコウである」ということは少ない。「あの人がアアしてるからコウなんだ」。ということですね。 日本人は、みんな、きょろきょろうろうろしている。ということです。 だから、「日本人論」がこれほど好きな国民はいない。 そこから。 目標にする、模倣すべき「中央」がはっきりと上に見えているときは、そんなに間違えない。 明治時代であり、戦後の成長だったり。 なんだけど、自分がトップになってしまうと、どうしていいか判らない。 日露戦争で、世界の強国になってしまった日本はどうしたか。 日本がその後したことは、全て「帝国ロシアがやってきたこと。やろうとしてたこと」だった。 ここンところの例証はナルホド度、高かったです。 それから、「場の空気を気にする」ということ。 これも辺境性から。まあつまり、今でも都会人より田舎の人の方が、周りとの協調性を気にする。それと同じ。 それが、第2次大戦でも、ナチスと違って、「俺が始めた。俺は正しいと思ったから」という戦争開始者が、誰ひとりいないという不思議なことになる。 左翼でも右翼でも、多くの議論が「●●(その問題に応じた外国名)では××なんだから、日本も××すべきだ」という議論ばかり。 「誰がどうであろうが我々はこうであるべきでは」という議論が少ない。 このことの、なんていうか、論理的なあるいは倫理的な異常性。でもそれが異常とも思われていない。 このくだりもマッタクもってその通りだと思います。 と…このあたりまでは、なかなかに面白かったんですね。 そこから、そういう日本人の特性と「学び」のお話になります。 ところがこれは、まあ、非難することでもないですが、内田さんの他の本とかなり重複。 そこから、「自分」という存在をどう認識するかみたいなことから、 かなり哲学的な、かつ例証として武道などの話になります。 このあたり、作者の方は確信犯なんでしょうが、かなり、なんていうか、素直に言うと高度になります。 なかなか難解です。言葉も。カント、ヘーゲル、等の言葉が飛び交います。 情熱は判りますが、なんていうか、別の宇宙に飛んでいきます。 「ああ、ガンダムの劇場版も、初めは判りやすかったのに、”Ⅲめぐりあい宇宙”は、なんだか超能力人の心的世界の話までイッチャった」 「”リングにかけろ”も、初めは父の復讐だったはずなのに、いつの間にか、地球の滅亡をかけて戦ってしまっている」 という感じですね。違うかもしれませんが。 でもきっと、それは、「あまり大勢にしっくりとは理解できないかもしれないけど、もうそこまでイカないと俺の情熱は果たせない」という、作り手語り手側の心情的な真実が、ソコにあるんだろうな、と推察されるコトそれ自体で受け止め方としてはある許容ができるのかもしれません。 でも、まあちょっと僕としては、「ごめん、それがメインで出てくるメニューと思ってなかったです」という感じで。前菜、スープ、最高に旨かったんですが。 で、最終章で日本語の話になります。 ここはまた、エライコト面白かったです。僕にとっては。 要約すると、他と比較しても日本語は、 ●正誤よりも、どっちが階級的に優位にあるか(つまり知識や立場や経験や洞察に置いて上回っているか)、を示すことを競い合うような性質が強い。 ●カナと漢字という2つの文字を使い分けるという、特殊性、難しさ。そしてその、有利なところ。欧米思考を置き換えるとき、日本人は漢字を使う。仮名ではなく。  これは、漢字=中国=中央、の優位性を認めたうえで、ローカリティ―=仮名、をそこに混ぜる、というちゃんぽんさが、英語優位になった現代でも強く残っているという、その便利性。 というようなことだと思います。 これは面白かった。 だから…まあ全体としては微妙というか…。 でも内田樹さんの本を初めて読むなら、この本の「前半」はお勧めですね。「後半」は、初・内田樹さんとしては、(人によりますが)僕はお勧めしません。 しかし、たいがいにおいて、新書っていうのは常にまあ…前半が面白い。というか、後半が要らないことが多い。 つまりまあ、「ほらこういう見方ができるでしょ?例えばこうでサ」というのが面白いんですね。 でも、そこの「へ~~~~」で止まるから。あとは例証を繰り返すか、あるいは、「出発点は面白かったけど、ソコからそんなに大げさな話されても、そこまで思わないな」ということになるんですね。 新書、難しい。もっとうすーくすれば良いのに(笑)。 ※全般的に、司馬遼太郎さん、丸山真男さん、岸田秀さん、ほか多くの人からの引用あるいはインスピレーションをはっきりと明記してお礼してます。勉強になります。  そういう内田さんの態度は率直で僕は好きです。「引用だけど、それでも今、新たに語られる必要があると思う」というのも、大いにそうだと思います。色んなことについて。

    7
    投稿日: 2014.05.04
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    日本人が、日本人とは何かということに異様にこだわる民族だということは言われてみると確かにその通りだと感じたし、よく考えてみると滑稽だと思う。 そしてそれを気がつかせてくれたのも本書。 また、今の日本の政治は、日本オリジナルというものではなく、他国のモノマネをすることしかできないという指摘も非常にハッとさせられた。

    0
    投稿日: 2014.03.30
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    作者が、これまで論じられて来た話を書いたと言うだけあって、色んな識者の色んな主張を紹介しているが、そこにオリジナリティが無い訳ではなく、武道の「機」の概念から日本人の無批判な学びの姿勢などを論じているのが面白い。 日本人は日本人なんや。 無理しちゃいかん。

    0
    投稿日: 2014.03.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    属国日本論がもともとのタイトルだったそうだが、あえて「辺境」としたことで論旨に深みがでたか。 ただ辺境とは中心からはなれたユニバーサルな場所であって、日本の独自性を示す切り口としては頼りない。韓国だって、チベットだって、ベトナムだって中華帝国の辺境であるなか、なぜ日本はこのような特性を持つのか、そこの分析もお願いしたかった。

    0
    投稿日: 2014.03.01
  • 「日本人である自分」を理解するための本

    どの国にもその国の人たちに共通の性質、国民性というのはあると思いますが、日本人にも日本人共通のものがありますよね。それが何か明らかにしてくれる本。分かっているようで、説明するとなると難しい、そもそも合意された答えが無いような、でも何となく感じる「日本人とはこんなもの」的なものを、なるほどと納得できる仕方で説明してくれる本。

    0
    投稿日: 2014.02.23
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    読み物としては面白いが、日本を辺境に追いやろうという意図があるとすれば、それは事実誤認である。 4章「機」

    0
    投稿日: 2014.02.21
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    20140204読了。 途中小難しいところもあったが、基本わかりやすい日本人論。 妙にすとんと腑に落ちる、日本とは、日本人とは、の本。 日本は辺境の地。そこに住んでいる人々も辺境の人々。 だから考え方も私が私がの中心ではなく、辺境。 なるほど、そうだったのか。 やっぱり私は日本人だ。

    0
    投稿日: 2014.02.07
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    内田 樹 氏の日本論です。 新書として楽しく読めました。 著者が注記しているように、学術性厳密性はないですが、読み物として面白かったです。 日本は中国本土を中心とした華夷秩序に古来より染まっており、その縛りは現在の日本にも大きく影響をしている。 日本はあくまで辺境国である。 辺境国であるがゆえ、世界的にも珍しい日本独特の文化や習慣が築かれた。 日本は辺境国であるがゆえ、相手に学ぶという技術に優れ、キャッチアップを最も得意とする。 などなど・・・ 日本では、強力なリーダーが輩出されない理由がわかる気がしてきます。 しかし、よく考えてみると・・・ かなり、偏った論理展開でもあります。 学術的厳密性はないというのもわかる気がします。

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    投稿日: 2014.01.22
  • 題名以上の内容

    本書の冒頭で、著者である内田先生は本書の内容はこれまで語られてきたことの焼き直しであると謙遜されておりましたが、私にとっては全て新鮮な内容でした。私は恐らく先生が意図された読者の一人であったのだと思います。深い内容を平易ではあるが美しい言葉で記述されており、このような日本語の表現もあるのかとも感心しました。辺境論については、なるほどこの考え方を当てはめることで私が海外で感じたことや日本人の行動について説明できることがあると思いました。途中で哲学的領域の解説が続く部分がありましたが、ここは少々読解に苦労しました。著書中先生も書かれているように、本書では題名に関わる議論の他に、日本人とはという部分についても述べられており、題名以上の内容を学ぶことが出来たと思いました。

    2
    投稿日: 2014.01.19
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    2014年一冊目。久しぶりにこういう本を読んだけど、同意するところも多々あり面白かった。近年は知識を入れるだけで整理することを怠っていたので、本年は論じることを目標に知識を増やして行きたい。

    1
    投稿日: 2014.01.04
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    すごく腑に落ちる話が多く,目から鱗が何度も落ちたのですが,説明せよと言われると難しい話が多いですね。 師弟関係の話(生徒は先生よりも多くのことを学び取るし,先生は何も知らなくてもなれる)では,「あなたの人生の物語」というSF小説を思い出しました。決定論的な世界に生きている我々は,量子論的に物事が決まる世界を理解できない,ではその世界から来た生物とコンタクトしたら?というお話なのですが,まさにぴったりだなぁと。 内田先生の話は短時間では難しいものが多いですが,短時間であいまいな情報がたくさん手に入ってしまう現代では,こういった複雑で何度か読まないと分からないものを読むのも大事だなと感じさせられます。

    0
    投稿日: 2013.12.23
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    これが日本人。そう、わたしは日本人なんだ! こんなあたりまえのことを文章ではっきりとつきつけられる衝撃! これだから読者は止められない♪

    0
    投稿日: 2013.12.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    華夷秩序の辺境、という立場から国が始まったことが、現在に続く日本人という性質を規定している。 常に受身で、自分から新しいものをつくることはしない。従属するように見せて、ちゃんと自分たちの利になるように運ばせる(大陸とは海を隔てているから、「知らなかった」ととぼけられる)。 「世界水準にキャッチアップすること」にかけては情熱も、学ぶ才能もピカイチだけど、「世界水準を追い抜くこと」となると途端に思考停止する。 どうしてもそれが“日本”なのだから、こうなったらとことん“日本”らしくいこうじゃないかという。 確かに。簡単に言えば、どんだけいいとこあってもどうも自信がないというか、自分の言葉で話すことができない感じがこの国にはある? どうしてそうなんだ!って思ってたけど、そうかずっと昔からそうだったのか。それが唯一無二の日本らしさなのか。って視点はおもしろいな。 自分はとても“日本人”的な人間であることがよくわかった。笑

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    投稿日: 2013.12.04
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    内田樹が「日本人とはなにか」という疑問に正面から答えて行く本。 水戸黄門・漫画・武士道など様々な日本文化を引き合いに出して日本人を暴いてゆく。 著者も語る通りかなり大雑把な書き方なので内容を鵜呑みにはできない。

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    投稿日: 2013.11.19