
総合評価
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いつもの内田節ではありますが
中井久夫が『関与と観察』所収の書評で日本文化の辺境性について語っているのを読んで「ふーん」と思っていたら、そこにポンと出会ったのがこの本。 ふだんより著者のブログで学びの構造や、武道の「機」について読んでいたので新鮮味こそなかったものの、「面白いなー」とサクサク読めました。 足利義満が中国に対して「日本王」を名乗ったことを論評したくだりには思わず吹き出してしまいました。
1投稿日: 2013.11.06
powered by ブクログ以前から,日本人って「クリスマス」「除夜の鐘」「初詣」と,なんでも取り入れる民族だなあ。最近は,ハロウィンやら恵方巻やらも出てきたりして…と,その一貫性のなさを嘆いてきた(ウソ)のですが,それがなぜなのか,本書を読んでとてもとても納得しました。長年の溜飲が降りたという感じです。 日本人こそ,いろんな文化を取り入れてそれを日本風にしてきた国はないのでしょう。それは,現代でも,常に外国と比べてものを申す国民性にも表れているようです。それも納得です。 あっちもこっちも,「外国では…」「わが国にはまだ…」という理由付けばかりが,聞こえてきます。 そういう傾向があるのは,もう国民性として仕方ないのだから,それを受け入れながら,私たちはどう生きていくのか。そんな方向性をしめしてくれたと思います。
0投稿日: 2013.10.27
powered by ブクログ辺境という観点から日本について論じたもの。数ある日本論を集大成して、日本、日本人について正面から答えようとしている。いつもどこかに世界の中心を必要とする日本をえぐり出す。文章は平明でわかりやすい。 九州大学 人文学研究院 人文科学 教員 川本芳昭
0投稿日: 2013.10.21
powered by ブクログ師匠から弟子への学びにスイッチが入るか否かが、学びを得られるかどうか。 日本という辺境の地での学びを最大化するのは師匠をみつけ学ぶこと。自らの文化をとりあえず置いて、学ぶことが最大化された。
0投稿日: 2013.10.03
powered by ブクログ非常に知的刺激をそそる本でした。ユダヤ・キリスト教にも詳しく、また日本語学、武士道、梅棹忠夫、丸山眞男、マンガ、TVドラマと幅広い分野から論じています。水戸黄門でなぜ悪者共が権威を信じてひれ伏し、庶民には普通の爺さんなのか、悪者達こそ「根拠のない権威」を振り翳していたからだという指摘は目から鱗の心境です。日本語の優秀さが逆に日本人の英語力を弱め、韓国・ベトナム・フィリピンなどでは母国語が知的な語彙を増やすことを放棄したため、知識人が英語を使わざるを得なくなったという指摘は大変興味深いところです。高度な知的会話が出来る言葉は世界でも限られている!?これは世界でも例外的な現象!かつての比較文化論のように大上段に構えるわけではなく、シニカルに語っていく語り口は大変親しみやすく痛快です。
0投稿日: 2013.08.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ローレンス・トーブ『3つの原理』 丸山眞男「超国家主義の心理」の定式化:おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度、とりあえず「長いものには巻かれ」てみせ、その受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして差し出す態度。 Cf. 『現代政治の思想と行動』 <メモ> 「民族誌的奇習」を剔抉していく。 《Ⅲ. 「機」の思想》p158 禅や武道を手がかりに。 レヴィ・ストロース「ブリトコール」(便利屋)『野生の思考』p193 [カントの認識論] 原料「物自体(Ding an sich)」 食材「現象」 調理道具「アプリオリ」 【「真名」と「仮名」の使い分け】p235 日本列島はもともと無文字社会です。原日本語は音声でしか存在しなかった。そこに漢字(真名)が入ってきて、漢字から二種類のかな(仮名)が発明された。原日本語は「音声」でしか存在しなかった。そこに外来の文字が入ってきたとき、それが「真」の、すなわち「正統」の座を領した。そしてもともとあった音声言語は「仮」の、すなわち「暫定」の座に置かれた。外来のものが正統の地位を占め、土着のものが隷属的な地位に退く。これが日本語の辺境語的構造である。
0投稿日: 2013.08.10
powered by ブクログ日本語の構造、外来文化の取り入れ方など、日本の立ち位置、文化的特殊性がよくわかった。すでに昔の学者が指摘していることらしいが。
0投稿日: 2013.07.07
powered by ブクログ内田先生の思想のリミックスみたいな本。 内田先生のものをまずどれか1冊読んでみたいのだけれど、という方にいいのではなかろうか。
0投稿日: 2013.07.05
powered by ブクログ華夷思想から宗教、武道、日本語の特性などなど、ウチダ先生らしくいろんなジャンルを網羅しつつ展開する日本辺境論。うなずくところも多々あり。鈴木大拙を引用した「機」の話などは昨今サッカー日本代表の試合を観て感じていたことそのものでニヤリとしてしまった。
0投稿日: 2013.06.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本は辺境にある国だから、愛を叫ぶ際にわざわざ「世界の中心で」という説明が要り、常に「出遅れた感」を感じつつ世界の時流に乗ろうとしてあくせくし、そんな生活に疲れて「ここではない何処かへ」行きたいとおいう気持ちを一生抱えて生きるのだろう。
0投稿日: 2013.06.16
powered by ブクログこの本もまた2回目。1回目よりはすうすうと読めた。読んでいると、書かれている1つの文章や言葉をきっかけに、自分の頭の中でいろんな想いが花火のように湧き上がってきてページがなかなか進まない。その割りに想い浮かんだことは、すぐに消えてしまって、後から思い出そうとしても思い出せない。その時思い浮かんだことを瞬間的に切り取る技術ってできないのかしら?本当に一瞬で消えていくのよねぇ・・・。まっ、いっか(ローラ風)。日本人である自分ということについて、考えようっと。
1投稿日: 2013.06.07
powered by ブクログ腑に落ちたことがあった。 対米開戦時の日本人の日記を読んだときに感じた違和感が解消した。 その日記には、初めて日本が世界史を動かすことになる自覚と興奮が書かれていた。 現在の私からは、破滅へと向かう絶望的な開戦をしたとしか見えないのに。恐怖や心配はほとんど感じさせない。 むしろどうしてそんな息巻いて開戦を支持したのだろうと不思議でしかたがなかった。 その興奮は深い辺境性に生きる自覚が生み出す、反動のようなものだったのだ。 辺境であることを理解して初めて、開戦の興奮を理解できる。 きっと世界史へのキャッチアップでは無くてブレイクスルーの段階に日本が立っていたことに当時の日本人は多少なりとも自覚的であったのだ。 だから「近代の超克」が熱い話題にもなったのだろうし。 ブレイクスルーの方向性は正しくなかったようだが、夢から目覚めた戦後日本は再び辺境であることをうまく利用できているだろうか。 憲法9条や自衛隊や日米同盟もそういった観点から見ることができるのは大変おもしろかった。
0投稿日: 2013.06.05
powered by ブクログ自分達を辺境人と位置づけ、そこから自分達に身体化されてはいるが、辺境ではないところから見ると特有となっている思考や行動形式を再び解いていく、という主題が興味深かった。自分の立ち位置を久々に考えるきっかけになった。
1投稿日: 2013.06.04
powered by ブクログ「ああ、やっぱり」「ああ、なるほど」と思うばかりが繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しなので読んでて飽きる。けど判り易くはあるし、後半の言語に関する部分は主題から離れてるが面白かった。
1投稿日: 2013.05.18
powered by ブクログ全体的には分かり易く書かれているが、「僕」が「私」に変わるだけの内容だけあって、3章「機」のテーマの部分は難解であった。 日本語の特殊性から辺境性を論じる最終章は納得させられる部分が多々あった。引用も多く他への「学び」(知識欲)を増幅させられる。
1投稿日: 2013.05.04
powered by ブクログ簡単にいえば、世界からみた日本のポジションについて論じたアレ。 新書として非常に優れているし、いつもの内田節どこへやら(笑)。 日本が辺境の地という認識を持たれて「いた」、「いる」? 改めて考えさせられますね。 さあ、そしてこんな辺境地はなんでまた大国のようになったのかも、この本を開くことでぼんやり分かるんじゃないかなぁ。ぼんやりね。 当時中学生だったわたしはドキ!としました。
0投稿日: 2013.04.18
powered by ブクログ日本人論として秀逸、それに読みやすい文体で書かれていたので一気読みできた。日本は辺境でいいじゃないかと開き直ってしまえば、ものの考え方も変わってくる。
0投稿日: 2013.03.23
powered by ブクログ本当にとことん辺境でいいのか。 よその国との比較をすることや、 正しい決断を自分でするのではなく、してくれる誰かを探す。 そんな辺境の地にいる私達日本人についての本です。 内田樹さんは日本のことを決して悪く言っているわけではありません。どちらかと言うと好きなのです。「こんな国他にはないのだから、とことん辺境で行きましょう!」って言ってます。 ここまでは素晴らしいと思ったのですが、読んでいくとやはり日本人の直すべくところが書かれていると思いました。本人は悪く言ってるつもりはないのかもしれませんが、国際的に見て足りない能力は補うべきだと私は思います。 例えば、 既成事実の前に従順であったり、 自分のことを自分の言葉で言えない であったり。 こうした能力はなくても大学までは生きて行けますが、現在就職活動などではなくてはならない能力です。就活生に求められるということは日本の会社自体がその能力を持つ人材を欲しているということ。そして急にそんな能力を発揮しろと言われた多くの就活生は苦しむのです。私も然り。 こういった私達の抱える問題についても扱っていて、読んでいて自分たちのことを言われているとヒシヒシと感じました。 なかなか売れた話題の本なだけあって、私はよく勉強できました。
0投稿日: 2013.03.17
powered by ブクログ内田樹に興味があって読んだが、たしかにと納得する部分もある。 辺境人のメンタリティや、島国辺境人としてのなかなか特種な歴史が、いまの日本人の根底にあるのかもしれない。
1投稿日: 2013.03.03
powered by ブクログたまには、難しい本を、と読んでみましたがやっぱり難しかったです。前半は、なるほど、と思うところもありました。しかし、武士道らへんからさっぱり分からなくなりました。 ただ、いろいろ新しい知識も得ることができて、相対的にはよかったです。
1投稿日: 2013.03.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
就寝前のフォトリーディング。あとがきに書いてあったが、著者は日本の辺境性を用いて日本文化を検証する中で、ユダヤ的なものをかなり感じたそうだ。そして本書は「私家版ユダヤ文化論」を書いている時に思いついたとのこと。日本文化についての私家版だそうだ。とても面白そうだ。 読了。 日本人には独自の自国像というものがなく、それゆえに自国論(日本人論)が大好きなのだそうだ。変化はするが変化の仕方は同じという表現をして日本人の特徴を述べていた。その特徴を端的に言えば、他者との比較で成り立っている自己像であるということ。この事のゆえに日本人は空気を読みたがる。その良い例としては、関ヶ原で小早川の裏切りに瞬時に追随できた脇坂など数万石クラスの小大名の処世術。しかし常に外圧で動くところが難点か。 ナチスとの対比はなかなか鋭いと思った。ドイツは理念で動いたが、日本人の帝国主義は理念は後付けで、空気を読んで空気を外国にまで押し付けて行動したとのこと。東京裁判の被告の弁が「私は反対であったが、仕方がなかった」に終始していたことからも、空気の流れが国家を動かしていることがわかるとの事。 内田氏は日本人が他者との関わりを意識し空気を読むのは、日本が辺境であり、辺境語としての日本語(漢字とカナのちゃんぽん)を使うからであると述べる。そしてその辺境性で行けと主張している。 この辺境性のゆえに日本人は「外に優れたものがある」と終始思い、学ぶことがうまい。その反面世界標準を作ることが不可能である、とのこと。漢字が完全に表意文字である点は、漢字を表音文字にも使う中国にもない日本独特の、世界で唯一の特徴。日本人の脳は表音文字と表意文字を同時に別の箇所で処理する。このような民族はユダヤ人と日本人のみ。日本人の作り上げた漫画(アニメではない)文化は、この辺境語の特徴のゆえ。 これらのことを自分でも理解し、日本人は辺境性を自覚して歩むことを著者は主張している。 とても目が開かれる思いがした。星五つ。
0投稿日: 2013.02.26
powered by ブクログ日本人は周りからどう見られているかを常に気にしながら、そして周りに同調するように生きている民族であることを数々の事例により改めて見せつけられた。 国歌を作曲したのはイギリス人だったこと、国名の起源が中国からみた位置にあったことなど、ショッキングな事実を知った。 外国に追いつけという姿勢である間は勤勉な性格がうまく機能したようだが、追いついてしまってからは、どうやってこれから先を歩んでいけば良いのか分からなくなってしまったために、成長が止まってしまったのだと理解した。 指南力のあるメッセージに関する項で書かれていた「そんなことを言う人は今のところ私の他に誰もいないけれど、私はそう思う」そして「私の正しさは未来において、それが現実になることによって実証されるであろう。」と胸を張って言えるようになりたい。
0投稿日: 2013.02.09
powered by ブクログちと難しかった。「先駆性」については何ともうまい解釈だとは思う。いわゆる構えることでできるタイムラグではなく流れの中で間髪なく切り換える妙を説いているのだと自分なりに理解した。さらに著者の言い分を読みたいが、でもこの人の語り口には抵抗感がある。
1投稿日: 2013.02.07
powered by ブクログ右翼の批判の的になってましたが、 右左で片付けるには、もったいないほどの知見がつめこまれてます。 個人的には、学生の指導に役立ちました。 師弟関係の下りが。
1投稿日: 2013.01.28
powered by ブクログ日本人は辺境精神が染み付いているという視点がすごい新鮮でした。 どこかに正解がある、より良いやり方でやっている人がいるという精神をいかに自分がそして周りの人達が持っているかにハッとさせられて言われて見ればそうだなと深く納得しました。 内田樹さんらしい平易で切れ味鋭い説得力のある意見です。とても面白かったし勉強になりました。
0投稿日: 2013.01.25
powered by ブクログ日本人とは? 「空気」で決断する。 絶対の真理を求めるのではなく、 その場のベターなものを選ぶ。 決められた中で最善を作る。 このはっきりしない、その場しのぎが、日本の最善の策でもある。 「国歌 君が代」はイギリス人に勧められて作った物。 作曲者も日本人ではない。 日本人が必要として作ったのではない。 「日本」と言う国名、中華思想に対するもの。 日ノ本の国とは、中国より東と言う意味でしかない。 国旗も同じ。 道徳は宗教で教えるのが西洋の考え。 日本では、武士道のようなものから教える。 「修行」とは、何も教えないこと。 弟子自らが、考えて、答えを見つける。 もっとも効率的な、日本が世界に誇れる教育法。 興味ある人にはプレゼントなどしてはならない。 自分のために仕事をさせる。 なぜ、私はこのひとのために仕事をするんだろう? という自問から、その人に好意を持つようになる???
0投稿日: 2013.01.23
powered by ブクログ本書のコンテンツはほとんど先達の受け売りで、新味はないそうである。しかしながら新味があろうがなかろうが繰り返し確認しておくことが必要な命題というものがあり、それが本書で語っていること。 日本は辺境に属しているために日本人は他国との比較でしか自国をかたれないというのがその命題。理想を他国に求めそれを追い求め、自ら理想を創り出そうなどということは辺境に属しているので決して考えない。 そんな訳で、本書は確かにそうだよねと思うことばかりである。
0投稿日: 2013.01.22
powered by ブクログちょっと前の本ですが面白いです。 新しい論考も網羅性もない。定期的に問題点を整理(どぶさらえ・雪かき)しておかないと先達の研究が伝わらないからやってますという前書き(宣言)は特にかっこいいですね。中国やアメリカとの関係を考えると辺境という表現も納得できます。 地理的な要因で他国文化を独自に深く、xx道とかいって極める余裕があったのかもしれませんね。野球道はあってもサッカー道は聞いたことがないあたりが時代変化なんでしょうか。
0投稿日: 2013.01.19
powered by ブクログ「はじめに」で十分に前置きされているとおりである。タイトルについて詳しく「論」じられていることを期待はすべからず。個人的な意見だが、今まで読んだ内田氏の著書は必ず共感するところと「?」になるところとがある。しかも、それらの差が大きい。本書も然り。歴史のところは正直まったく意味不明。しかし、「機」の思想と日本語の性質の章では目から鱗の発想ばかりで勉強になった。こうやって、少しずつでも知識を増やしていけたら私にとっては読書の本望を叶えられているのである。
1投稿日: 2013.01.18
powered by ブクログ研究の過程で得られた結論が書かれているのではなく、まず著者の結論があって、後はその結論に合う理屈をくっ付けたみたいな本。 この題材から日本人を解読するのは壮大なファンタジー。
0投稿日: 2013.01.01
powered by ブクログ切れ味がよいです。 んな無茶な、って色々思うけど、大風呂敷であること最初から公言してるしいいのだろう。 「日本人は日本人論が好きである」 そういえば、最近も政権交代で 経済力の重要国である日本とアメリカが協力することは云々と言っててこの本を思い出した。それしか言えない日本にほっこり。 と言って他の国と比べてる自分も典型的な日本人。無限ループ
1投稿日: 2012.12.24
powered by ブクログhttp://staygold1979.blog.fc2.com/blog-entry-392.html
0投稿日: 2012.12.21
powered by ブクログ読者に寄り添った目線で書書かれているわかりやすい日本文化論。論点が非常に広いため、読んでいて様々なことを考えられる。辺境人の学びの章で、筆者の論ずる師弟の学びはまさしく私自身の揺るぎない人生哲学であった。そのことを文書化できなかった私はこの本を読んで自分が寄り添ってきた日本の文化の像とは何かを少しだが発見できた。
0投稿日: 2012.12.17
powered by ブクログすごく興味深い内容なのだけれど、この手の本を読みこなせる教養に欠けていることを実感した。自分の知識の幅が偏り過ぎているのだろう。数年後に再読したい。
1投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログ話題の本だったので読んでみた。 文体が語り口調な部分もあり、言い回しが複雑な部分やカタカナ英語が多くて読みづらく、読み進めるのに時間がかかった。 内容をすべて理解できたとは言えないが、大意はつかむことができた。 この書き方が合うかあわないかは1ページ目からわかるので、読んでみてほしい。 内容は筆者はいろいろな本に既に書いてあることと言っているが、私にとっては新しいことで新鮮であった。 特に辺境人の学びについての考察は興味深かった。
0投稿日: 2012.12.10
powered by ブクログ「日本の東の端の辺境の国である。スタンダードは別のところからやってくる」というのが日本人の基本的な心のありようである,という主張。まったくそのとおり!と思ってしまった。自分が中心となって何かの機軸を打ち立てることができない日本,あの国ではそうなっているから,わが国もそうならねば・・・,という日本の状況,そして個々人の心象がとてもよく理解できる本。それが何でも吸収できるよいところである,というところに救いがあるけれど,自覚するかしないかは大きな違い。といいつつ,最近の私の内田さん漬けはどうなのかしら。ありがたく拝聴するばかりでは,危険だよ,と自分に言い聞かせておこう。
0投稿日: 2012.12.07
powered by ブクログ日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについて書かれた本。 日本人は自国について他国との比較でしか語れない。他の国がそうしてるから、といったものの見方しかできない。それは、そもそも日本列島の民族意識、政治意識が中華(中国)と対をなす辺境民としての自意識から出発したからである。アメリカのように、国の成り立ちとしてのアイデンティティがないのである。この地理的必然から生まれたある種の劣等感はいつでもいつまでも日本を支配している。日本は、国内外に数多の被害をもたらした戦争ですら、自発的な意志や理念なく行った。他の列強がそうしてたからといって。日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮してきた。またその一方で、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥ってしまう。これはまさしく今の国際社会での日本の微妙な立ち位置を表している。 しかし、日本人の辺境的民族性は悪いところばかりではない。「学ぶこと」に関して、その高い開放性が効率のよさをもたらした。目的を持ち、見返りを求めて学ぶのではなく、見るものすべてから学ぶという姿勢が資源の限られた日本では発達した。この「学ぶ力」こそが日本最大の国力であった。 日本人論云々のところよりも、学ぶことについて論じていた章が強く印象に残った。日本人がもともと持っていた「学ぶことに関する有用性を先駆的に確信する力」がこの先の時代においてとても大切だと思う。 学ぶことに関していちいち意味を考えてしまう冷めた大学生にこそ読んでもらいたい一冊。
1投稿日: 2012.12.04
powered by ブクログ日本人とは何か、日本とはどんな国なのか。それらに対して日本人のマインドでは解を示せない。それは何故か。それをとうとうと語った一冊という印象。 その理由として、日本語であったり、マンガ文化であったりを例として推論をたてつつ、冒頭で言っている「空気」をもって察する文化であるがゆえの、明確な責任者が居ないであったり、道という文化があったり。
0投稿日: 2012.12.04
powered by ブクログ読み応えがあった というより いろんなことが インスパイアー されたような気がする。 最近の内田樹センセイのブログの入れ歯の話などを読みながら どうも グダグダ 言っていて、面白くないなぁ。 たぶん 歯なし になって 話がうまく作れなくなったのか と思ったのであるが きちんと的を絞って 論陣をはると 意外と不思議に バラバラの 話が つながってくるのが おもしろい・・・ バラバラで 羅列的であるにもかかわらず 多面的な視点で日本を 見直すことができた。 この本のきっかけが 9条と自衛隊の矛盾から 始まっていることがおもしろいのである。 日本は そういう矛盾を 普通に並列させて 論理的 合理的に 説明しようとしない。 明確に 戦力を保持しない といっているにもかかわらず 自衛隊という戦力があるというのは 憲法に即して言えば 憲法に反することである。 しかし、このような 論議の文脈が構成されている。 「戦力とは 軍隊という存在として はじめて 使われる言葉であり 自衛隊は 軍隊ではない。そのために 戦力としては認められない。 よって 戦力を保持しているとは言わない」 いや。めちゃめちゃな 論理ですが・・・ それが 日本で まかり通っている。 この矛盾を カタチづくる 日本という国が なぜ存在して いるのか? という問題意識の中に この本が書かれているとしたら まったく、今までとは違った 日本論といってもいい。 日本の持つ 混合性は 9条二項と自衛隊を混合させたまま 発酵させようとしている ところに 日本辺境論の新しい境地があるといえる。
0投稿日: 2012.11.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。 おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明をてんかいすることのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうと思う。
0投稿日: 2012.11.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ダヴィンチで橋口さん、内田さん、名越さんで対談やっているのをいつも読んでた→西靖さんとやってる辺境ラジオを聞いた→内田さん著作 の流れ。 新書などでよくみる〜論って、面白そうだけど難しそうでもあってどうも敬遠していた。内田さんのこの本はラジオの延長のようで、ほとんど口語にちかくて、カッコ書きでわかりやすく言い換えたりしてくれていて、するっと理解することができた。 よみやすい上にぷっと吹き出すこともしばしば。 今回図書館でかりたんだけど古本屋でみつけたら買おうw 本にそのままライン引きたいくらいだわ。 本は返さなきゃいけないのでとりあえずノートに抜き書きしておいたんだけど、こういう本読んだ後、学んだことをメモしておくにはどんな方法が良いのかな… 私読んだ時すっごい感動して理解し…たつもりになっても、数年たつと忘れちゃうんだよ。 「あの時あの先生があの本であんなことを書いていた」とか、するっと思い出せるようになりたいなぁ。 日本が東の辺境のすみっこに位置する国で、常にその「田舎っぷり」を武器に(無意識にも)している。 コトバについての話はとても面白かったな。漢字とかな(+カタカナ)を使い分ける器用さ。 明確に教わったわけでもないのに、なぜか武士でない層にまで浸透していた武士道(日本人の道徳的美学)のこと。 意味もなく国歌=国粋主義みたいなイメージがあったが国歌は戦後設定されたものだということ。 無知な私が日本のなりたちや歴史について少しでも理解を広げるすっごくいい機会になった。これ読んだ後家にある日本史の事典を引っ張りだして読み始めた笑 優柔不断とか、何考えているかわからないとか、いろいろ言われる日本人だけど、私は心底、日本人でよかったとおもっている。 短所としてとらえるのではなく、長所をのばす、短所を長所にかえていけばいいだけの話じゃないのか。
1投稿日: 2012.10.21
powered by ブクログ日本人はキョロキョロしている。 他の国はどうしてるかばかり気になっている。 自分がどうしてこうなり、どうしたいのかが言えない。 それは日本が辺境の国だからだという。納得。
1投稿日: 2012.10.21
powered by ブクログ「機の思想」の話が私的には興味深かったです。沢庵和尚の不動智神妙録の話を何と無くしか捉えてなかったので、もう少し理解が深められた感じがします。
0投稿日: 2012.10.16
powered by ブクログ日本人はきょろきょろする、のはそうだとして、農村の土着性はどう考えるのか気になった。世界どこでも都市と田舎があるにすぎないか。 本題ではなく、お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。とりあえず「足元のゴミを拾う」ことで満足する。に励まされた。文字通りの意味で。
0投稿日: 2012.09.19
powered by ブクログ立ち読みして気になったので手に取った。タイトルの通り「日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できるというのが本書で私が説くところでもあります」(p.3)。著者はこの内容について「新味がありません」、丸山真男や沢庵禅師や養老孟司からの「受け売り」なのだと繰り返しているが、初めて聞くことも多く、とても面白い内容だった。 著者の述べている「辺境」というのは、「中華」の対概念(p.57)としての「辺境」である。「日本列島における民族意識の発生について私たちがとりあえず言えることは、この地に最初の政治単位が出現したその起点において、その支配者はおのれを極東の蕃地を実効支配している諸侯のひとりとして認識していたということです。列島の政治意識は辺境民としての自意識から出発したということです」(p.60)。 メモ 日本はキャッチアップの国 辺境の国 遅れの意識 師弟関係における学び 道 機の思想 日本語のハイブリッド性
0投稿日: 2012.09.14
powered by ブクログこの人の本、初めて読んだんだけど、ものすごーく面白かった! いかに自分が(ここで言う)日本人的な発想で普段暮らしているか、ということを思い知った。。。 といいますか、周りの人とうまくやろうとしてしまうこの思考のクセ、プライオリティの置き方、これって日本人の特徴なのねって、改めて自覚した。
0投稿日: 2012.09.11
powered by ブクログなーんにも新しいこと言ってない気がするけど、日本とは、というものを考え始めるのにはちょうどいいかも。ここであげられてるものへと派生していくといいかも。世界の中心がここではないどこかにある、という感覚はミクロにもマクロにも納得させられる感覚だ。内田樹は読みやすいのがいいがだからこそ注意だ。
0投稿日: 2012.09.08
powered by ブクログ読み応えがあるが,内容が多岐に渡るため,筆者自身も指摘しているように大風呂敷である。以下の4つのセクションから成り立っている。ただし、”言及してもよかったはずだが、言及していないこと”を一つでも見つければ、論そのものの信頼性が失われるという事をルール化しては、この世界を論じること自体が困難になってしまう。 そのことを肝に銘じつつ、読書の奇跡をトレースしてみた。 1.日本人は辺境人である 東アジアには、儒教圏共同体ができる(ローレンス・トーブ 未来学者)。 司馬遼太郎の”可視範囲”は安山山脈かパミール高原まで。 日本文化は、”変化するしかたは変化しない”。外来の思想や方法を一方的に受諾するしかない集団が自己同一性を保つには、次数を一つ繰り上げるしかない。 日本文化の基本原理は、”全体に和をもって存在し、一体を保つ” 国家的危機に際会したとき、私たちは”何のためにこの国を作ったのか”という問いに戻ることができない。帰るべき初期設定が無い。 日本の軍人たちは”究極的価値たる天皇への相対的な近接の意識”に基づき、全てを整序していた。そこには明確な政治的イデオロギーは無かった。その意識によって場の親密性を保ち、国家機構を運転せしめる機動力となしていた。 大東亜戦争を肯定するのは、”戦争しか選択が無い”という追い詰められた被害者意識において、語られる。これを辺境人のメンタリティと指摘している。 辺境というコスモロジカルな劣位を逆手にとって、自分勝手に好きなことをやる面従腹背の態度は、辺境の手柄の一つであろう。 憲法九条と自衛隊という、”軍事的に無害かつ有用な国”であれ、というアメリカの指図に対し、矛盾しているという大激論を交わすことで、無矛盾であり、本当はアメリカの軍事的属国なのだ、という事実を前景化せずにきたのが、戦後の流れだった。その代償として経済的成功を収めた。 ”非現実”を技巧した現実主義、”無知”を装った狡知という姿勢をとれるのが、日本人である。 日本人は後発者の立場なら、先行の例を模倣するのに卓越した能力を発揮できるが、先行者の立場から他国を領導しようとすると途端に思考停止に陥る。日露戦争後の日本の満韓への進出は、帝政ロシアが日本に勝っていたら”やりそうなこと”だった。軍部の暴走というが、実際は既にあった下絵をトレースしたに過ぎない・・・以下例証が続く。 私たちには、世界標準の設定能力が無い、外部の上位者に”保証人”を求めてしまう。それが辺境人の限界である。だったら、とことん辺境人でいこうというのが、筆者からのメッセージだ。 日本人が国際社会で”虎”になれないのは、自分の言葉でものを言うことができないからだ。誰からの借り物に過ぎず、我々の本質は”狐”である、と。 2.学びの効率の良さ 武士道は、”ある物に対してある物という報酬の主義を排斥する”。これは日本文化の深層に届く洞見である。極端に言えば、一時的に愚鈍になれることが、学びの効率よさにつながり、外来の知見に無防備に身を広げ、利益をもたらすことができる。 3.機の思想 自分のことを考えるとそこに隙が生じる(住地)。完全に自由な状態が”石火の機”である。 敵とは、原因で結果を論じようとするロジックそのもの。老いや病や痛みを”かくあるべき状態からの逸脱”と捉えず、まあこんなものでしょうと受け入れる、敵を作らない”私”になる。住地煩悩を捨てる。 機とは、西洋哲学の用語には翻訳不可能な時間概念。我々は先駆的に知る力がある。これは生き延びるために不可欠な能力だった。 4.辺境人と日本語 日本語の特殊性は、表意文字と表音文字を組み合わせる特殊性にある。現在の日本語は、紀貫之伝来の特殊な記載方法を使用している。その方法でないと、届かない。このハイブリッド言語は、学術的論件を生活言語で語ることを可能にした。明治初年からわずか20年の間に、自然科学、社会科学関係の術語は全て翻訳された。 岸田秀の論じた”外的自己”と”内的自己”に、人格分裂することで、日本人は奇矯にふるまいつつも、自己の再生を果たしてきた。 非常に読み応えがある内容だったし、現在の日本の抱える問題を考える上でもヒントになる部分が随所に見られたと思う。読書というのはバトンである。この思索から、次の著述に移っていくことで、自己が形作られる。読書する自己とは動的な存在である(移りゆく自己とは、日本人的発想なのかもしれない)。
0投稿日: 2012.09.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
東京猫町倶楽部美人サポーターからお借りした本書。 日本人とは何ぞや?日本とは何ぞや?と考える機会が昔からなかったな。 留学してから僕は日本のことをいっそう知りたいと思い、 短歌をやったり茶道を始めたりとにかく日本文化に触れることを始めた。 本書は日本とは何ぞやという回答の一部を示してくれた。 日本はp35にあるとおり、他国との比較でしか日本を語れない。 これはそうだと思う。日本は辺境という地理的な位置にある。 独自文化を発達させることが出来たが、 それが発展するまでの土台つくりを中国に頼ってきた。 中国を手本として色んな制度、モノを導入してきた。 戦後日本はアメリカの事実上の統治下のもと、 軌跡の経済発展を遂げた。それはいってみれば、 アメリカに追い越せ追いつけ精神があったからだ。 明治時代のときもそう。西洋に追いつけ追い越せだ。 しかしバブルを迎えた頃、日本人に迷いがでてしまった。 そう、自分たちは世界のリーダーになることができない、 なぜならば自分たちが世界で何をしたいかヴィジョンがなかったから。 そもそも国のヴィジョンも無いに等しいから。 戦後の日本はほとんどアメリカの統制の元で国が作られたから。 こう考えると日本って情けないなと思ってしまうけど、 でも日本にしかできないものもある。 本書では「学び」ということを述べている。 ある芸術、技術を学ぶために普通初心者は先生や師匠に弟子入りする。 師匠から教えられるまでに多くの難関が待っている。 落語だと師匠の身の回りのお世話から始まる。 テレビで見たことがあるが師匠があれをやる、 これをやるという次の動作を予測して弟子は対応するらしい。 これって落語に役立つのか? これは相手の気持ちを読むことを磨くことらしい(うろ覚えで申し訳ない)。 師匠が教えないけれども弟子はそれを察知することで、 学びを通していく。これって日本人にしか出来ないだろうね。 辺境性を否定する必要はないんじゃないか。 著者が語っているようにとことん辺境性を追求していくのはいいと思う。 そもそも日本なんて世界のどの国ももはや注目していないよ。 例えば携帯電話のガラパゴス化もよく考えたら、 日本人の求めるものが世界一般の人たちと違っているのでこういう現象がおこる。 お財布携帯なんて僕は不要だと思うか、大部分の人はそれを嗜好する。 だから日本にしかできない技術を磨いていけばいずれ世界は日本を見習うと思う。 漫画しかり、日本料理しかり。 政治も金融も世界標準と違うのは少々歯がゆい思いがあるが、 全部直さなくてもある程度直してそれでいいんじゃないか。 日本の首相が毎回ころころ変わるのはどうかと思うが・・・。
0投稿日: 2012.09.03
powered by ブクログはぁ、語り口調が読みづらい 空気 ロジックは被害者論 池谷祐二 好きな人にはプレゼントするな、させろ。 仕事は手伝うな、手伝わせろ 手伝う→嫌いならこんなことしない→この人のこと好きなんだ 想うより想わせよう作戦!
0投稿日: 2012.08.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「変化の仕方が変化しない」それが日本文化 相手に好意を持たせたければプレゼントをするよりさせるほうがいい。 「人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いたほうがいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。」 119頁
0投稿日: 2012.08.18
powered by ブクログ8/18 ,12 了。 読み進めるのに時間がかかった。 10%も理解してない気がする。 頭の中の整理中。
0投稿日: 2012.08.18
powered by ブクログ日本人の独自の考え方の起源,基礎を論じている本。 日本人をアジアの辺境に住む人,辺境人と仮定し,どのようにして文化,思想を育んでいったかを述べている。
0投稿日: 2012.08.04
powered by ブクログ日本人の思考・行動が辺境性によって論じられるなんて今まで考えもしなかった。勉強不足。 今後国際化が進んでますます異文化との交流が深まるなかで、辺境人は次にどのように思考・行動が変化していくのかな。
0投稿日: 2012.08.02
powered by ブクログP46よりです。 でも、論証がどれほど整合的であり、説得力のある実証が示されても、最終的には場の空気がすべてを決める。場の空気と論理性が背馳する場合、私たちは空気に従う。 P120よりです。 断定的であることの困った点は、「おとしどころ」を探って対話することができないということです。先方の意見を全面的に受け入れるか、全面的に拒否するか、どちらかしかない。他人の受け売りをしている人間は、意見が合わない人と、両者の中ほどの、両方のどちらにとっても同じ程度不満足な妥協点というものを言うことができない。主張するだけで妥協できないのは、それが自分の意見ではないからです。
0投稿日: 2012.07.29
powered by ブクログ内田樹の著作。2009年に話題になった一冊 タイトルの「日本辺境論」からネガティブなイメージを持たれる方も多いと思うが、内容的には西洋近代を人類の頂点とする進歩史観によって日本を否定するような短絡的な日本人論ではない。 ただし、日本人的特徴に対する指摘はどれも鋭く、時には耳が痛くなるような一説も度々ある。 内田は本書の中で日本人を「華夷秩序」の外周にある辺境人であると解説する。 その特徴として、自分自身のアイディンティティの欠落を、絶対的価値に近づくことによって補おうとする態度。 これこそが「辺境人」たるゆえんであるという。 多くの日本人は、「日本は然々こういうものであらなければならない」という当為に準拠して国家像を形勢するということをしないのではないか?というのが内田の指摘である。 例えば、「ポツダム宣言後の國體護持については、戦時中国民統合の原理として作用してきた実態が究極的に何を意味するのかについて日本帝国の最高首脳部において一致した見解がえられなかった」 という歴史的事実を引き合いに出し、日本の國體を説明するための国民的合意がとれているものが存在しないことを説明する。 首尾一貫したイデオロギーはなく、究極的価値たる天皇への相対的な接近の意識だけが、そのイデオロギーを補完する役目となっているのではないかというのを日本人の特徴として挙げている。 これは非常に納得であった。というのも、日本は古代においては華夷秩序の中で国家を形成してきた。そして時代が下り、国家の臣民たる我々の先祖に社会的規範が求められたとき、その規範の支柱になったのが武士である。 武士とは、朝廷や貴族に侍る者である。自己のアイディンティティは侍る美学である。 つまり、日本という国家は、東アジアに於いては華夷秩序の辺境であり、国家の臣民たる我々は天皇を中心とした辺境の美学を行動規範としていたことになる。 この二重の意味での辺境人として形成された日本人の特徴を言い当てている気がしたからだ。 日本人が先行者として能動的に行動するよりも、むしろ外的影響により受動的に行動する方が向いているのも、二重の意味での辺境人であるということにその原因があるのかもしれない。 この徹底的な受け身であるという日本人の資質について内田は、太平洋戦争に対する日本人の姿勢を例にあげて説明する。 「強靭な思想性と明確な世界戦略に基づいて私たちは主体的に戦争を選択したと主張するだけの人がいない。 戦争を肯定するだれもが「私たちは戦争以外の選択肢がないところまで追いつめられた」という受動態の構文でしか戦争について語らない。 この傾向は現在も変わらぬようで、「日本の右翼・左翼に共通する特徴はどちらも、模範と比したときの相対的劣位だけが彼らの思念を占めている」という。 内田はヨーロッパの思想史を例にし、日本におけるイデオロギー形成の脆弱さを指摘する。 「ヨーロッパの思想史が教えてくれるのは、社会の根源的な変革が必要とされるとき、最初に登場するのはまだ誰も実現したことのないようなタイプの理想社会を今ここで実現しようとする強靭な意思をもった人々である」と。 内田は華夷秩序やヨーロッパの進歩主義を受動的に受け入れてきた日本の歴史を鑑みて、「とことん辺境人で行こう」と結論づける。 これには私も大賛成で、辺境人であるからこそ華夷秩序やヨーロッパの進歩主義を日本なりの工夫によって収容することができたのではないかと考えた。 近代的日本を「内的自己」「外的自己」という人格分裂を否定的に指摘している論調があるようだが、これこそ日本の近代における最大の発明なのではないかと思ったりした。 内には武士の精神性を重んじる伝統を残し、外的には近代西欧における進歩主義に歩調をあわせるという態度。 これこそが、伝統を重んじつつ西欧を中心とした国際社会に挑もうという崇高な理念を体現したものではないだろうか? 現在の問題は、内的自己と外的自己について整理されていないことと、双方の行動理念が薄まっているという現実である。 辺境人としてとことんいくのであれば、この精神分裂(日本人はこの2つを自然に使い分ける能力を備えている)をとことん活用すべきではないかと思う。 歴史好きに支持される司馬史観であるが、「日露戦争以降の日本は正統からの逸脱した国家に変貌した」という学説には同意しかねるものがある。 時代によって素晴らしかったり、堕落したりする日本人による日本観に対しては違和感をおぼえるからである。 日本というのは、醤油や味噌が入った大鍋のスープのようなもので、時折豆板醤やらトマトが入ったところで、全体の風味として元からあった味を損なわない。 むしろ、一見受動的に見える変化ではあるものの、様々な味覚をミックスさせて新たな味覚をつくり出して、自分のものとするところに真骨頂があるのではないか。 こうした日本のしたたかさを洗練させることこそが、今後の日本にとって重要なのではないかと思った。 日本人論という、つかみどころのない対象に対して過去の学説などをきちんと整理してまとめているので、自己の日本人論イメージを考え直す契機となりました。 日本についてもう一度考えるのに最適な一冊です。
3投稿日: 2012.07.29
powered by ブクログ「論文は結論から」と言うけど、「何故か」と聞かれると理由よりも前に、欧米の論文は・・・と始まるのが当たり前でした。でも、それはとても「日本式」なんだそうです。 欧米人は、自分の伝えたいメッセージを伝えるために一番いい形が欧米型だと理解しているから、その形を採用している。けれど、日本人は、自分たちの伝えたいメッセージ云々といったことは考えていません。確かに!!「欧米だから、いい!」みたいな感じはよくあります。 だからといって欧米や中国は他の国との関係を日本ほど重視しないかどうかは分かりませんが、確かに、日本人が自分の国を語るとき、しょっちゅう他の国と比べるなぁ、と思います。だからといって、比べずに行くのが大切なのではなく、とことん受け身で行けばよい、ということも筆者は述べていました。 日本人のその特徴の長所は、他の国にはない「教わり方」だそうです。先生を品定めせず、よくても悪くても言うことを聞き、その先に何か得られるものがあると思い込んで学ぶ姿勢が日本を成長させてきたのだと言います。 今、教育現場ではその形が崩れていて、「このままでは日本人の長所がなくなってしまう」と筆者は危機感を感じています。 これから日本人の「教わり方」をキープするためにはどうしたらいいのか、「教わり方」がどのように崩壊しているのか、そもそもその「教わり方」をキープする必要があるのか、私にはまだ分かりません・・・
1投稿日: 2012.07.26
powered by ブクログ「日本人論」なるものを初めて読んでみた。 この本に書かれているように、私も「自分たちが何者なのであるか、を誰かを頼りにしか確認できない」という典型的な日本人なのであった。 そもそも”日本人”を新書1冊でまとめることなど不可能に近いと考えてしまうが、それをやってのけるところがこの本の凄いところである。 「大風呂敷」と書かれているように、 詳細な点については他の専門書をあたる必要があったり、実際の自分の経験と照らし合わせるなどする必要があったりする(”自分”もまた偏った考えを持ってしまうことは仕方がない)が、 この本には非常に的を射た内容が多く、自ら感ずるところも多かった。 この本に書かれていることを鵜呑みにして振りかざすようなことは愚の骨頂であるが、一つ、この様な分析・認識も存在していると自分の中に「考えのストック」をしておくには非常に良書である。
0投稿日: 2012.07.26
powered by ブクログ日本が外交が下手なのは、自分たちを世界の中心だと思ったことがないからなのかなー…と思っていた矢先に、出会った本。 歴史好きの人なら、誰でもそう思ったことがあるんじゃないだろうか。 作者の唱える、中華に対する辺境としての文化形成の過程には概ね共感できる。そして、だからこそ出来る外交がある、という視点は新しく興味深かった。 世界で1番とか、中国に負けないとか、そういう思想は置いておいて、日本は日本らしくやっていけばいいじゃないか、と思える一冊。
0投稿日: 2012.07.24
powered by ブクログ冒頭で著者は「大きな物語」「ビックピクチャー」「大風呂敷」を書ける知識人がいなくなったことを憂いている。多くの先人の日本文化論の拙い焼き直しではあるけれど、それも誰かがやらねばならぬどぶさらいのような仕事、と前置きをしてもいる。 しかし、内容を読んでいくと、僕にはどうしてもそれらがジェスチャーであるように思えてしまう瞬間がある。右に左に話は飛ぶが、その向こうに作者の本当に切実な願いがあるようには見えない。むしろ、一つのテーマを元に、右に左に、自身の拓いた知的領野を披瀝することを楽しんでいるようではある。別に悪いことではないし、知識人からそのバックグラウンドとなったさまざまな教養を紹介してもらえるという意味では、ありがたいことだ。けれど、ここで紹介されていた「偉大な先人」の中で、少なくとも自分が触れたことのある人々は、皆何かしら真に迫る切実な願いを持って、魂を込めて一冊の書物をしたためていたと思うのである。皮肉だけれど、著者が言うように、原著に当たれるなら原著に当たった方がいい。 個人的に弟子入りを試みていることから「辺境人の学び」の章の師弟関係についての部分はとても興味深く読んだ。また、「機の思想」の章は、鈴木大拙や沢庵禅師を引きながらも自身の武道での体験を絡めた部分があって新鮮に読めた。
1投稿日: 2012.07.24
powered by ブクログ「辺境」というキーワードから、日本人の思想や行動を分析 したもの。すべての面で著者の主張に合意した訳ではありま せんが、なるほどそういう見方もあるのね、という切り口の 斬新さと、「辺境」というメガネを通じて見えてくる日本論 の痛快さに、知的好奇心がくすぐられ、楽しく読めました。 こういう社会学的な話や組織文化論みたいなものが私の志向 にあっているからかも。 いつも周囲をきょろきょろ見ながら、自分の立ち位置を確認 するお国柄。受け手としてモノを捕らえる。であるが故に、 師弟関係や武道の「機」という概念が日本では理解されやすい、 という指摘は頷けます。ただ、これが日本人のすべてではない し、ここから変われないとは私は思わないです。 辺境であるから学びも出来る。 どんどんTTP(徹底的にパクる)して、どんどん学んでいる うちに、知らぬ間にイノベーションを起こしていた。そんな、 辺境であるが故の成長もあるはず。そう信じたい。
0投稿日: 2012.07.22
powered by ブクログまず「はじめに」が上手い 逃げにも読めるけど うんうん内田樹だと思わせる 日本人は他国の比較でしか自国を語れない いつも世界標準から遅れていると思っている 遅れから標準になるのは優れている なぜなら「学ぶ」ことに優れているから 日本人は学ぶものの適否について事前チェックをしないから もっとも標準になったのち 世界を引っ張ることはできない 欠点をあげつらうのでなく 歴史的にそうゆう手法を学んできたから いいところもあるんだよという視点がうれしい 正直最後の「機」の思想のところは 斜め読みしてしまいわかった気がしないが なるほどと思った本
0投稿日: 2012.07.14
powered by ブクログこれ読んで俺って生粋の日本人だなって思った。 それはもう相当ど真ん中で。 読書会では時期的な事もあって 大津市のいじめ問題でも語ろうかなと思います。
0投稿日: 2012.07.09
powered by ブクログ今までこういう系統の本を読んだことがないので新鮮でした。 多分周りを見るとそうかなーと思う件が沢山あったけど、自分には著者の言う所謂日本人とされるような価値観-本文で良く出てくる言葉でいうと「腑に落ちる」がどうもピンとこないので、あーそうなんですね。で終わった感じ。日本人とはなんてさして興味がないし、そもそも定義されることが嫌だわ。 中学生~高校生くらいに掛けて、先生が「いいから言う事を聞きなさい」「いいから授業を聞きなさい」と言って自分を従わせようとした事があったなーと思いだす。先生にしてみれば「先生」というもので無条件にとりあえず言う事を聞くとでも思ったのか。 子供の頃、どうしてあなたの言う事を聞くと私にメリットがあるのか、という私を論破して納得させるに足る明確な理由をべずして言う事を聞けという先生の神経が理解できなかったけど、本書にあったそういうメンタリティーで生徒はいう事を聞くと思ったのか。 …でもそういうのって儒教の国でもあるんでないの?とか個々の事例は多分他の国でもある。それに、日本というより島国根性みたいなもっと地政学的なことがあるんでないか。マダガスカルとかスリランカとかってなんとなくネガティブな意味で島国根性あるって言われるし。 結論。どうも腑に落ちない。
0投稿日: 2012.07.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
≪目次≫ はじめに 第1章 日本人は辺境人である 第2章 辺境人の「学び」は効率がいい 第3章 「機」の思想 第4章 辺境人は日本語と共に ≪内容≫ ベストセラーを遅れて読みました。 地政学的に「辺境」に位置する日本(人)は、世界を先導する力を持てない。それは、能力と言うよりもDNAがそうなっているから。 私も「世界に端する発明はできないが、発明したものをアレンジして、時には二つ以上のものをつなげて、より使いやすい、もしくは全く違うものを作り出す力がある」と授業で発言してきたが、それを「学び」(〇×道について)や「言語」、さらには「マンガ」まで持ち出して解釈してくれた本である。 しっくりこない(のは、日本人である自分が日本を愛しているからか?)が、納得した本であった。
1投稿日: 2012.07.01
powered by ブクログ「日本、あるいは日本人って、世界の他の国と比べて変わっているような気がするけど、なにが違うんだろう?」という疑問に答えてくれる本です。 一言で言うと、その疑問自体が日本人を日本人ならしめている性質といえる、というようなことが書いてあります。なるほど、面白いです。 ■感想・思ったことなどメモ 辺境にいる存在、ということ自体がレゾンデートルと化しているという発想は、今まで考えたこともなかったので面白い。古代からの日本の外交をレビューするとき、辺境国、辺境人ゆえに「田舎モンなんでそのへんわからんですたい」という態度が根っこにあったとするのは、新しい切り口なんじゃないかな、と思いました。でも、作者が最初に断っているのですが、本書には目新しいことは何もないそうです。 なるほど、情報が失われる前に、再パッケージ化して、再度人の記憶にとどめるという「どぶさらい」的作業は、誰かがいつかやらないといけないことなのかもしれないですね。
0投稿日: 2012.06.30
powered by ブクログ確かに自分はこんな行動をしている!と納得できる本でした。 特に「起源からの遅れ」のくだりがよく実感できました。 違う風に考えている人もいるんですね。
0投稿日: 2012.06.19
powered by ブクログほんとは⒊5にしたい。 丸山真男が日本には全史を俯瞰するような「日本思想史」がないと言っているのを読んだとき、まさか!→あっでもほんとだ→何でだ⁈…と疑問を抱いたが、ここへきて一つの謎解きを頂いた気分。苟も一国が自らの精神史(つまり、私らはこういう考え方をする者であるという明確な自己分析)を形成してこなかったのには、それなりに構造的な理由があっていいはず。地理的条件から立論するというのは、文明の生態史観もそうだけど、絶対当たってると思う。(そういえば内田先生は気候的条件には言及してなかった。話が散漫になりすぎるからかなぁ)人間は生まれる場所を選べない。ある程度、郷に入りては郷に生きるのが幸せやろ。
1投稿日: 2012.06.13
powered by ブクログ日本論は「どぶさらい」。 伝統と国民性を保守しようとする日本人こそ「西欧近代的」で、西欧追従的であることが「非西欧近代的」であるのは間違いない。西欧は西欧に追従しないからだ。 知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わない。 世界文学と国民文学。 人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているとき。 自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人とだけしか私たちはネゴシエーションできない。 素晴らしい水戸黄門論。 「機」の思想。飛び込み。電光石火。天下無敵。「これを学ぶことが有用であるかどうか」への先駆的な知。ブリコルール。 「いまだ持っていないこと」についての切迫が学びを起動する。 弟子は師の教えていないことを学ぶことができる。 「道」という概念では「成就」しない。 一人称代名詞は何にするか、文章は敬体か常体か、男性語か女性語か、そういう初期設定が決まらないと、私たちはそもそも語り始めることができません。 学術的論件をコロキアルな語法で展開するということに知的リソースを投じるという習慣は欧米にはありません。 外来の知見を「正系」に掲げ、地場の現実を見下す。これが日本において反復されてきた思想状況です。 外来の高尚な理論=男性語 地場のベタな生活言語=女性語 日本語 恫喝 メタメッセージ マンガ 漢字
0投稿日: 2012.05.31
powered by ブクログ日本の国民性が、その辺境に由来すると考えれば、色々納得できる。こういう考え方、以前からずっと言い続けられてきたことのようだけど、自分的には初見だったから、なるほどって感じ。確かに、有史以来ずっと日本は日本のまま、占領も独立も経験してないですもんね。
0投稿日: 2012.05.30
powered by ブクログなんとなく言いたいことはわかるんだけど、だからなんだという話でもある。 学ぶ力のくだりは好きだった 話は面白いんだけど、なんとなくバカサれている気がするから好きになれないんだよね。
0投稿日: 2012.05.27
powered by ブクログ随分と長くかかって読了した。わからない言葉が多すぎ。「機」のあたりはいまだによくわからない。でも、中心ではないゆえにもつ性格という骨子のうえに展開される論は、とても面白かった。なりゆき、空気、知らないふり、標準を作れないなど。 いずれまた、もう一度読もう。
0投稿日: 2012.05.19
powered by ブクログおそらく内田樹氏の名をここまで世の中に響かせるきっかけになったのがこの「日本辺境論」だと思われる。 「画期的」日本人論ではあるが、「これが日本人である」という威圧的で居丈高な語り口ではないからなおのこと好感を持ってしまう。 機知に富み洞察鋭い卓見で、論理と情理を駆使して「日本」という辺境性をこれほど明快に論じた人を俺はまだ知らない。 良くも悪くもこれが日本人。納得しました。
0投稿日: 2012.05.18
powered by ブクログ二〇一〇年の新書大賞なんですよね。 今回、友人とやっている自主ゼミで課題として読んでみましたが、内田さんの本を読むなら他の本のほうがいいかな、というのが率直な感想です。 こういう「一つのテーマ」を語ることを内田さんにさせると、やはり内容がむずかしくなるように感じました。この人には、いろんなテーマを、広く浅く、語ってほしいです。 「きょろきょろする日本人」という話にはおおむね共感です。ただ、この本も言うている通り、そのことはいいことか悪いことか、という問題にするべきではないと思いますが。
0投稿日: 2012.05.11
powered by ブクログ日本人らしさとは何か、日本人の特質とは何かの入り口を見た気がする。 この本をベースにまだまだ進んでいけそう。
0投稿日: 2012.05.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
右翼、左翼誰もが怒るんだよと言われて買ってみました。 何かよく分からないところもあったけど、言われてみればおおむね同意です。 特にきょろきょろしてるとか、外国と比べて根本的な事を話し合わないとか、空気を読んじゃいけないところで読んじゃうとか。 よそはよそ、うちはうちって言葉は全面同意です。
0投稿日: 2012.05.04
powered by ブクログよくまとまっているな~、というのが読了後の感想でした。今までにもさまざまな本で日本人について語られるものはあったものの、「辺境」という普段あまり目にしないながらも意味は分かる言葉を用いて日本人の気質というか特徴(これを日本人性とあえて呼ぶとします)を分かりやすく解説していると思います。 インタビューをそのまま書き起こしたようなものすごい口語調の文章に、辺境を軸にした日本人性を解説する達観にも似た超然とした姿勢は、時に小馬鹿にされているようでイライラさせられる部分もあるかと思います。著者・内田樹氏(http://www.tatsuru.com/)が冒頭で宣言している通り、本書で書かれていることに新しい発見はありません。全て既存の理論からの良いとこどりだからです。既視感を感じる人も多いと思います。 ですが、この本を読む価値というのは新しい知識を頭に入れたり、自分の知らない世界についての基礎知識を得るかのような発展や開拓の狙いではなく、思考や情報の整理そのものにあります。その点においては、帯で養老孟司氏(http://www.yourou.com/)がいうように「これ以降、私たちの日本人論は、本書抜きで語られないだろう」というのはある意味的を射ているように思います。ですが、この本抜きで語れることもあるでしょう。過去の本を読めばそれに辿り着けると思われるからです。 なんだか、感想文を書いている私まで著者の口調に似てきてしまったような感じがして笑えてきてしまいます。そうだったのか!と膝を打てる場面もありましたし、論理展開上説明に用いるべき事例に少し違和感を感じたりするところもありますが、日本人性そのものを傍系・辺境から語ったことと、それを受け入れることができる寛容性を唯一無二ものとして世界に誇ろうとする発想は、それはそれでありだと思います。実際に辺境性だけを目指していくのは無理かもしれませんが…。
0投稿日: 2012.05.04
powered by ブクログこの人のこの線は(本人も影響を隠していないが)橋本治へのオマージュのようなところがある。その感じがわからないと的外れな評(アマゾンのレビューにあるような)になるんじゃないかな。この水準でそれができるのはこの人だけ。
0投稿日: 2012.05.03
powered by ブクログ三章の「機」のところだけが理解しづらかったけれど、日本人を地政学と歴史、言語から考察、解説してあり、とても面白かった。 一章と四章は特にグイグイと読めました。 「水戸黄門のなかでリアルに造形さてているのはワルモノたちである」という話、唸ってしまいました。 こういう本は、日本人を自虐的にか語るものが多いと思うのですが、そういう類の新書ではないところが良かったです。
1投稿日: 2012.05.02
powered by ブクログいろんなことが腑に落ちました。 内田先生は、時々私が感じていることを的確に言語化してくれるので、読んでいて気持ちいい。まぁ難しいので半分くらいしか理解できませんが(^_^;)
0投稿日: 2012.04.29
powered by ブクログかねてから、 日本はいつも外国を引っ張り出し、 「日本は遅れている。」という文脈でばかり 語っていることが多いと思っていたので、 今回この本を読んでみました。 読んですっきり!といくものではありません。 これからの肥やしとなる本だと思います。 これを踏まえて、思考停止に陥らずに 自分の頭で考えようと思います。
0投稿日: 2012.04.17
powered by ブクログちょっとキャッチーなタイトルだから売れた系の新書かな、と期待せずに読んだけれど、本当に日本辺境論だった。
0投稿日: 2012.04.16
powered by ブクログ面白かったです。なるほど、と思うところもありました。”私”になったとき、ややついていくのが難しくなりました。意図的に変えたのが面白い。
0投稿日: 2012.04.10
powered by ブクログ“「諸国の範となるような国に日本はなってはらない」という国民的な決意を基礎づけるのは「諸国の範となるような国」はもう日本とは呼べない” “「むずかしいこと」は誰かえらい人や頭のいい人が自分の代わりに考えてくれるはずだから、もし意見を徴されたら、それらの意見の中から気に入ったものを採用すればいい” “質問と回答は私たちの社会では「正解を導く」ためになされるわけではありません。それよりはむしろ問う者と答える者のあいだに非対称的な水位差を作り出すためになされています” “日本的コミュニケーションの特徴は、メッセージのコンテンツの当否よりも、発信者受信者のどちらが「上位者」かの決定をあらゆる場合に優先させる(場合によってはそれだけではなが終わることさえある)点にあります” --------印象に残った言葉(上記) なにがすごいって、上記って、否定材料じゃ無いんだよ。 これを肯定的に了解してるってとこが、この本のすごさ。
0投稿日: 2012.04.08
powered by ブクログいかにも内田樹らしい。このひとはなにか物語があれば満足なんだろうな。辺境という概念で日本の物語を語ることができればそれでよくて、その理論的実証的な妥当性には関心がない。だから根拠不明で微妙にゆるゆるな物語ばかりが語られる。そして、物語を通さない限り対象を捉えることができないから、物語ですくいとりにくい構造やシステムなんかの視点はとうぜん希薄。 それでいて、内田樹本人は、常に物語を享受する側に立ち高みの見物を決め込む。物語を紡ぐ側には決してまわらない。それはそれで”鑑賞法”としては正当なのだろうが、鑑賞以上には成り得ない。
1投稿日: 2012.04.08
powered by ブクログ日本人のメンタリティの根底には、(中華あるいはアメリカなどに対して)辺境の身分であり、決して中心ではないという価値観がある。しかも無意識下に。 確かに日本を語る時につい、アメリカではあぁだが日本はこうだとか、世界基準で見て日本はこうだとか、考えがちだなという実感がある。 これが辺境人の考え方。辺境人はオリジナルな発想を持たない。 (オリジナリティが日本には足りない!という発想がすでに他のと比較をしており、辺境人的な発想だ) 日本という国名も「日出ずる処」という意味で、つまり中国から見て東にある国という意味で、ここにも主体性がない。 面白かった。 -- memo 21 日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。…はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろう 24 きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める態度こそ日本人のふるまいの基本パターン 44 ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。 57 「辺境」は「中華」の対概念です。 59 (邪馬台国という国名について)ヤマトという国名の名乗りを聞いた魏の史家が、華夷秩序の命名ルールに従って、「邪馬」の文字を当てた 93 本来のナショナリズムは余を以ては代え難い自国の唯一無二性を高く、誇らしげに語るはずであるのに、わが国のナショナリストたちは、「世界基準」にキャッチアップすることの喫緊である旨を言い立てている。
0投稿日: 2012.04.03
powered by ブクログ独自の理論を展開するというよりは、今までの日本人論の研究者の主張をまとめたもの。この中で、気になった内容があれば、リファレンス先を見るという形で使うのが良さそう。
0投稿日: 2012.04.01
powered by ブクログ内田先生の文はとても読みやすいなぁ。 後半はわからないような、わかったような。言語化の難しい概念でした。 日本にしみついている辺境根性!のらりくらり。
0投稿日: 2012.03.27
powered by ブクログ(以下引用) はるか遠方に世界を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまず確保して、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか。(P.67) 「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。(P.97) 「私の提案にイエスかノーか」を突きつける。これは国家、国民について深く考えることを放棄する思考停止にほかなりません。(P.118) 人が妙に断定的で、すっきりした政治意見を言い出したら、眉に唾を付けて聞いたほうがいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。(P.119)
0投稿日: 2012.03.04
powered by ブクログひさびさにたつるの本。 難解でした(ω) 日本人の辺境人っぷりをこれでもかと執拗につれづれに挙げていく1冊。 おもしろかったのはこの辺り↓ --------------------------------------------------------------- 日本人はきょろきょろする オバマ演説を日本人ができない理由 他国との比較でしか自国を語れない 辺境人の「学び」は効率がいい 虎の威を借る狐の意見 便所掃除がなぜ修行なのか 武道的な「天下無敵」の意味 --------------------------------------------------------------- 興味深かったけど、ほんとうにそれって日本人だけなの? と疑わずにはいられないのは、やっぱりここに書いてあることが日本人である私にとってあまりにも染み付いた感覚だからかな。 国を問わず人ってそうじゃないの?的な。 でもわたしには世界中に語り合える友達がいるわけでもないし、 ネイティブ感覚で各国の本を読む力もないので反証の挙げようがない。明らかに内田先生の方があらゆる分野で識者だ。 うーん、熟読玩味な1冊。
2投稿日: 2012.03.03
powered by ブクログ以前、某愛おしのFゼミで課題図書になっていた(ような気がした)ので読んでみた。 でも今回はちょっとぐったりしてるなかで読んだのであんまり頭に入ってきてない・・ 終わりに、でも書いてあるけど、ユダヤ文化論の次に書かれた本らしく、 その連関は随所に表れていた(けどその読み取り・整理までは今わたくしめの脳みそがついていっていません。ごめんなさい。) やーやこしいのはⅢ 「機」の思想 で、他のところは(他の内田先生本にも出てくる話も多いし) まぁ聞き覚えがないわけでもないとこなのでまぁ。 アニメはとにかく漫画脳と真名・仮名とか。 学びを起動させたところで修業の大半は終了しているとか。 くうきー。(←本日の思考停止状況)
0投稿日: 2012.02.27
powered by ブクログ著者はまず、日本はそもそも地理的に大陸から離れた「辺境」に位置していることが日本の文化、思想、言語にまで決定的な影響力を持っているという仮説を立てる。その上で、それは、決してマイナスにはたらくばかりではなく、したたかさや雑多なもの(ハイブリッド)をうまく吸収する利点ともなっていると指摘する。 2000年以上前に、わが「倭」の国王が漢に朝貢して金印を授かった時から、「日本列島の政治意識は、辺境民としての自意識から出発した」という仮説には説得力がある。中国に追いつき追い越せ、欧米に追いつき追い越せ、日本は絶えず辺境民として、世界の中心がどこにあるのか「キョロキョロ」してきたことは周知の通りである。「世界標準準拠主義」が辺境の民である日本人には染みついている。 しかし、極めつけは「辺境言語としての日本語」という指摘である。日本人は中国から漢字を輸入してきて、それを変形して「ひらかな」と「カタカナ」を生み出した。その結果、今や世界でも特殊な、「表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな・カタカナ)を併用する言語」である日本語を日常的に使用している。日本人がハイブリッド言語を使用してきたために、脳では文字を視覚的に入力しながら、漢字は図像対応部位で、「かな」は音声対応部位で別々に処理するようになった。しかも、この日本語の特殊性が今や日本文化の世界に冠たるマンガやアニメを生んだという推論にまで至るのだから、典型的な辺境民である私は、素直に思わず「ガッテン!」と、説得させられてしまう。 辺境の民である日本人が、現在まで生き延びているということは、何かの大きな意味があるに違いない。私達はこの著書を契機に、「まんざら見捨てたものでもない辺境日本」の美点を探し始めてもよいのではないか。著者は、この「日本辺境論」を、さらに発展させる計画をあとがきでも述べている。それは、「レヴィナスの時間論」となるようだが、私は、著者が「国家論」をものしてくれることを密かに期待している。「辺境」は、人間のつくった狭い枠に囚われた「国家」を越え出る契機を孕んでいるように思われるからだ。
0投稿日: 2012.02.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この本を見て、思いついた言葉がある。 辺境論の偏狂論は、みな偏狭論だ。 世界に広げよう「へんきょうろん」の輪。 日本が辺境だからこそ、いかなる文化も受け入れられる柔軟な文化になったことに感謝。
0投稿日: 2012.02.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この人は難しい哲学とかを噛み砕いてくれるから、わかりやすい。日本人は日本論をどうして必要となるのか、からの『きょろきょろ』論は、周りをみると当てはまっていて納得。日本人の欠点であり武器が、こうゆう危ういものだとは、指摘されて気付いた。他は日本語の特殊性ゆえの国際社会の馴染み方は、表向きは漢字に譲り日常をかなで表すあたりはなるほどなぁと。また一つ考え方が広がった気がします。
0投稿日: 2012.02.18
powered by ブクログ2010年新書大賞受賞した、話題の論客、内田樹さんの日本論。 日本は歴史的中華思想の中で辺境にあたる。現代世界の中においても辺境(世界の中心にいないという前提)をキーワードにして存在している。とまぁ、藤原正彦さんの「日本人の誇り」と全く反対の切り口が、ぼくは最初大嫌いだった。 だが、読ませる力に引きずられて読み進むうちに、「あぁ、この人はこの人流に日本と日本人を愛してるんだ」とわかってきた。 その意味で日本論を語る時なくてはならない一冊である。
0投稿日: 2012.02.18
powered by ブクログ神戸女学院大学文学部教授(フランス現代思想)の内田樹による日本文化論。 ベストセラーにもなり、「新書大賞2010」の第1位に選ばれた話題書だが、「日本人とは何ものか?」という本質的な問いの答えを探るにあたって、何の助けにもならない一冊である。 まず、紙幅からして最も気合いが入っている「Ⅰ 日本人は辺境人である」という章が一番ひどい。日本近代史から、日本の辺境性、日本人の辺境的心性を論じようとしているが、著者の歴史の知識は並の高校生レベル。歴史家のように深い知見を持ってくれとは言わない。だが、勉強もしてないくせに御託を並べるんじゃねえ。 一番まともらしいのは「Ⅲ 「機」の思想」だが、これのどこが日本の辺境性を物語るものなのか、全く理解に苦しむ(思想の解説としては面白い)。そもそも禅宗は中国から伝来された宗派だということをお忘れでは無かろうか? 同じ新潮新書の『国家の品格』を読んだ時にも感じたが、こんなものを有り難がって絶賛している人は、(歴史小説ではなく)もう少しまじめに山川の教科書で日本史を勉強した方がよいと思う。
0投稿日: 2012.02.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2回目読み終わった。 今回ヒットしたのは日本語の辺境性ですね。 p.240日本だけが例外的に、土着語(日本語)だけしか使用できない人間でも 大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれます。 これは世界的にはきわめて例外的なことです。 これは特に批判してるのではなく、 なぜそうなのかという説明もくわえられていますが、 非常に面白い。 喋れてほうがいいと思いますけどね。
0投稿日: 2012.02.18
powered by ブクログとある外交官元次官の本の中で複数回この「日本辺境論」の本文が引用され、また以前に話題になっていたこともあり大学のブックセンターで購入した。いやー良かった!!「日本人論」の傑作であると思います。この手の内容は一瞬よくわからない感覚になりますが、自分の頭で再考すると「ああ〜確かに!」と深く考えさせられます。完全に内田氏の世界にはまりました。それからは時間があれば氏のBlogを読んでいます。内容は難しいですが、氏は本書の中で”日本人は辺境人である”と断言しているその爽快さがまたイヤらしくなく、むしろ納得です。
0投稿日: 2012.02.13
powered by ブクログメタ的視点に立たせたら右に出る者はいないかも。なるほどな~と。でも、だからなに?って感じ。 やっぱ丸山真男とか読まないとな。
0投稿日: 2012.02.02
powered by ブクログ日本人である自分を、客観的に見る機会となった。また、歴史を勉強することは、自分の存在を見つめなおす機会になるという気にもなった。勉強できていないが・・・。ブログも面白い。
0投稿日: 2012.01.12
