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日本辺境論(新潮新書)
日本辺境論(新潮新書)
内田樹/新潮社
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総合評価

446件)
3.9
88
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82
22
4
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    若い頃読んだルース・ベネディクトやイザヤ・ベンダサンを思い出したが、辺境で生まれた日本人の生き方を示唆している。日本語が漢字と仮名のハイブリッド言語というのもおもしろく、それに鍛えられたリテラシーで漫画が興隆したというのもおもしろい。

    0
    投稿日: 2012.01.05
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    『機の思想』がぐっときた。少しニュアンスは違うがこの前言われた『連句的生き方』とも近しい感覚。 自分が辺境人らしいことも、辺境人らしからぬことも感じた。 でも、こうやって客観的に日本人という存在を俯瞰してみると新たな世界が見えてくる。

    0
    投稿日: 2012.01.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    エッセイのような読みやすさ。 ならぬものはならぬものです、というのは大事なありようではないかなあ、と常々思っていましたが、それもこういう「辺境の日本」人的発想かもね。 ここから各々自分で「日本」を考えていくためのステップとなる本であり、またそのために書かれた本。

    0
    投稿日: 2011.12.13
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    何と悲しく哀れな内容だろうか。 ブックレビューの司会者達が絶賛していたのと、タイトルが気に入ったので手に取ってみたが・・・。 この著者である内田さん自身が隣の芝生にあこがれて、どっぷりと辺境人に浸っているようだ。 その自分を映し見てナルシスティックになって書かれた本のように思う。 読み進めば読み進むほど、きょろきょろしている内容に驚かされてしまう。 世界のどの国を見ても、特にアメリカとその陰に居るイスラエルなどは、不安におびえて徒党を成しながらも、その実目先の利害に反するとなれば見方も敵に早変わりして、 嘘八百のでたらめをでっち上げ無知で臆病な人々を縄張りに呼び込もうとする。 大陸の人々が戦争どころか日々の政冶で証明している二枚舌で、恐怖と混乱を撒き散らした張本人が保険を差し伸べて稼いでいる事実をどうとらえているのだろうか。 一人一人は良い人でも、それが自律を伴わないまま集団に紛れると豹変する。 お互いに隠れあってリンチに走るのは日本人以上に一神教に依存して群れている孤独な人々でしょう。 他を少しでも受け入れる人情を未だに持ち合わせているのは、集うことはあっても群れることの少ない、既成的信仰を好まない無神論者や多神教的考えを持っている人達だと思う。 真の辺境人はメジャーの鎧に逃げ込んでいない素の人々の事を言うのだと思う。 迷惑にならないように生きるのでもなく、迷惑のかけ逃げをするでもなく、自分が迷惑を被らない自己責任の中で活きることだと思う。 辺境人である日本人が自己主張や縄張りや建前の枠に囚われないと言うことは、今後の世界を人類と言う大きなククリで育てて行く上で大事な事かもしれない。 大陸人のように利己的な自己主張にいこじになったり、自分の立場にこだわって古い正論に固執するよりも、力で無く新しい道を受け入れることの方が全人類の共生を実現する上で大事な事かもしれない。それなのに力にひよってしまうのはその人物や組織の意識が低いから起こる不安によるパニクッタ卑屈さである。 自分の心で自分なりの道を選択できさえすれば外からの圧力や誘惑に屈する事なく、柔軟な心で臨機応変に判断できるだろう。 甘い空気に乗せられて動くのは無知と強欲からくる不安にそそのかされて、自分の声を聞き漏らして外から吹き込む損得と言う脅しの種におびえることでもあるけれど、その縄張りのおだてに乗って仲間になったつもりでも、新平さんは身包み剥がれて弾除けに使われるだけ。 全体観の道となる空気を読めれば読めるほど、それぞれの声によって各々を殺すことなく対等に共生できる柔軟な空気を、自ら参加して創ることができるだろう。 小泉純一郎に付いてのみ弁解がましいのはどうした事だろうか、それこそ生々しさが今に残っている空気におびえて媚びているのではないだろうか。 この本で言うところの辺境論の内容は日本と言うよりも、むしろ甘い汁を吸おうとしているすべての国に当てはまることで、とりわけ個々の思いをあおって弱者を契約で縛る法治国家はその場だけの利害によって過去でしかないごり押しによる法と契約を盾にしてテリトリーに引きずる込み、使い捨ての奴隷にしようとしていることを摩り替えているように思える。

    0
    投稿日: 2011.12.12
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    なぜ日本人が日本人なのか?という命題ついて、筆者の思うところについてつらつら書かれた本です。 こういう新しい発想なり思想なり思考法にふれるたびに、喜びを感じる自分自身、ここに書かれている日本人的な日本人ということになります。

    0
    投稿日: 2011.12.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タスク寄贈  2011.12.6 ASV光安オーナーが師事されている神戸女学院大学の教授さんです。朝日新聞やAERAに執筆されているように左よりの方ですが、ものすごく博識です。また言葉の使い方が非常に難しく、意味を最後まで読み取れてない自信があります。内容としては現在の日本を題材に宗教観の違い、独自性を追及し、更に自分の意見を述べられています。ただ難しい…。どなたか訳してください♪ 石賀:2012.12.3 読めば読むほど難しい・・・でも日本人って確かに書かれていることがすごくあてはまる。情報社会になっても日本人って変わらないのも不思議ですね。。。

    0
    投稿日: 2011.12.06
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    ここまで俯瞰的視座で書かれた日本文化論は今までなかったような気がします。ただ3章は読み飛ばしても良かったかも

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    投稿日: 2011.12.06
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    こんにゃく問答。なぜかわからないことを学ぶことで意味づけをしていく。 学ぶことの意味や有用性についてまだ知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き伸びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆け的に確信することから始まる。 日本語は、読むときに脳の二つの機能を同時並行的に使う。

    0
    投稿日: 2011.11.28
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    アメリカの国益に貢献するのが、日米の親しさであり、それが日本の国益を担保する。ちょっと考えてみればおかしなことなのに、悪意はなくてもそう思ってしまうのが日本人。それが再三問題だって先賢たちが言ってるのに、皆すぐ忘れるから何度も繰り返し伝えることがこの本の目的らしい。せっかくTPP 騒ぎの前に発刊してたのに。 他国、他社、他人とのあいだでの位置づけでしか、アイデンティティーを説明できない悲しい性。世界標準に倣うことは出来ても、それを自ら創りだすことはできない。ということに気付くこともないっていうのが「辺境人」である日本人らしい。ここまでが本書の前半。 後半はこの日本人の特性の活かし方を、逆に開き直って論じてくれるらしい。

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    投稿日: 2011.11.15
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    素晴らしい! 名作と言わざるを得ない1冊. 我々は辺境人である. 何が我々日本人を変強靭たらしめているのか. あまりにも鋭い指摘. 養老孟司氏も絶賛する1冊なだけあって議論に隙がない!!

    0
    投稿日: 2011.11.15
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    二度読んでようやく理解できた感。 でも、一度わかってしまえば、あとは大体同じようなことを言ってるってことがわかりました。 その中でも、「機」の思想はやや難しかった。けど、要するに、辺境人は物事の有用性を先駆的に知る能力を持っているってことらしい。たしかに言われてみれば、なるほど。 それも含めて、辺境人の学びの効率はいいって話は非常に納得できる点がありました。「他人の受け売りだから、自分の言葉で語ることができない」っていう指摘は、私自身に向けられている言葉のような気がしました。 最後に、読んで実感しました、私は典型的な「日本人」なのだなと。(笑)

    0
    投稿日: 2011.11.08
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     本書は「大きな物語」の喪失という現代の状況に対する異議申し立てとして、過去の日本論・日本文化論を紐解き、日本人の思考様式の立脚点を再確認しようとする試みである。ただし、著者がまえがきで書いているように、本書では新しい視点を提示するわけではなく、ことさらに日本の思考形式を美化・賛美する視点にも立たない。あくまで日本人の思考形式は、自ら主体的に作り出すよりも、日本人ではない外・他の文化思考をメインに据え、その対比として「辺境としての日本」を据えて自己規定することを、梅棹忠夫『文明の生態史観』の内容を取り上げながら説明する。日本人は過去に一度も自らの責任で主体的に思想を作り出したことがなく、外の思想を取り入れ、それを日本人の思考形式に適合するように驚異的にカスタマイズしてきた民族であることが過去の歴史から分かることだとする。だからこそ日本人は常に自らの外にある(とされる)中心を必要とし、それに「学ぶ」民族なのだとするのである。  だから、本書の意義があるとすれば、過去の日本論を再提示したことに意義があり、著者が新たな視点を提起したことに意義があるのではない。ともすれば、もう少し精緻な内容を読んでみたかった。図書館で借りて読めば十分。

    0
    投稿日: 2011.11.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自国民のことを何ぞや?と考えるのは日本だけというのを聞いて驚きました。「機」の思想というのは難しかったです。いずれにせよ日本はグローバルになんかならなくったっていい、このままでいいじゃないか、という胸を張れることをたくさん持っていると思う(空気や調和を大事にする、日本語という表意/表音文字、安定した制度・システムなど)。でも今の傾向は全く逆なのが悲しいね(成果至上主義、過度な消費社会、教育や医療における消費者行動など・・)。

    0
    投稿日: 2011.11.04
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    筆者の主観が多いけれどかねがね同意。ステレオタイプジョークで私たちは笑うことが多いけど、それらを深読みしてみるともっと違うものが見えてくる。 特に中華思想から見た、「east end」としての私たちの文化圏について解説するくだりがユニークというか痛快。 私たちの意識にはもう2000年前くらいから北夷 南蛮 東狄 西戎の、さらに外側にある属国という自意識が根付いていた、とか。 WWⅡでも日本はその華夷秩序を自分の国に置き換えて実現しようとさせただけ、とか。

    0
    投稿日: 2011.10.30
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    『敵がいないとは?』 とにかく面白い一冊だった。 特に「天下無敵」とは「多数の敵の屍の上に築くもの」ではなく、「敵」という概念そのものをなくすことであるという部分に強く感動した。 「最高の自分」と「そうではない自分」というものを想定し、「敵」とは「最高の自分に対してマイナスの影響を与える・与えようとするもの」と定義したとき、「敵」は「私自身」になってします。「私の敵は私」という、永遠に勝てない状態を自分で作りだしてしまう。 そうではなく、人生は絶えざる加齢と老化であるわけだから、「最高の自分」を想定するのではなく、「自分はいない」「いるとしたらこの瞬間にしかいない」と考え、最高も最低もなく、瞬間にしかいないと考える。 そうしたとき、自分もいるといえばいるし、いないといえばいない。だから敵という概念さえない。その心境が「天下無敵」だという。 これはまさに「空」だと感じた。仏教で言う「悟り」が、武道では「天下無敵」なのだと感じた。 僕は「天下無敵」を目指す、武道家として生きていきたい。そう強く思った。

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    投稿日: 2011.10.20
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    読みやすいし面白い本ですが、難しいことを簡単に語っているものには、基本眉唾の姿勢が良いかと思います。

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    投稿日: 2011.10.18
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    日本人の対他的なアイデンティティ形成は、その地政学的辺境性に由来するという仮説から、その特有のメンタリティ、学び、時間論、言語論を説く。分かりやすいので、読んでいて「まぁ、そうかもね」とは思うけど、それ以上の感動はない。 著者本人も、何度も「学術的ではないのでツッコミは多いだろう」と言っているので細かいことは気にせずに読めばいいと思う。

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    投稿日: 2011.10.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    今をときめくアイドル教授・内田樹先生の著作である。買ったまま読まずに放置していたのだが去年の金先生のお勧めの本のリストに載っていたので手に取った。 本書では日本人の思想や政治における文化的特性を「辺境性」というキーワードで読み解いている。著者の引用や例示は丸山眞男、マルクスから司馬遼太郎まで多岐にわたる。ただ著者が自らまえがきにおいて断っているように本書は何か新しいアイデアを提案するというよりは、これらの先達の思想を「再確認」するという性質のものである。 ①辺境性 欧米諸国の多くが建国から現在にいたるまで明確なアイデンティティをもつのに対し、日本は政治になどにおいてそのようなアイデンティティを持たない。そのためGDP二位の国などの他国との相対的な比較でしか日本は自国を語ることが出来ない。これを示すように「アメリカはこうであるのに対し日本はこうである(よって遅れている)」という相対的劣位を批判する言説はいたるところで散見される。筆者はそのような日本のアイデンティティや世界観の不在を以て辺境性とよんでいる。この辺境性がために日本が政治的判断に際し辿るプロセスは、基本方針に照らし合わせるという行動ではない。ただ国際競争社会において協調により生き残ることのみを念頭にした、ある種の「現実主義」によって行動が採択されるのである。 この本が出版されたのは2009年であるが、2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件においての日本政府の行動はまさにそれにあてはまるのではないかと考えられる。当時の政府の「戦略的互恵関係」とは参照すべき正義なくしたこの「現実主義」なのだと考えれば納得できる。 ただ筆者はそうしたアイデンティティの不在(世界観の不在)を決して批判しているのではなく、むしろこの辺境性のありかたを「独特で他に例を見ない」と好意的に評している。そのうえで辺境性をなくすのではなく、この辺境性をどのように生かすかを論議する方が建設的であると主張している。 ②辺境人の学び 前述したような辺境性は、固有の経験による確信・自らの意見を持たないことと並行する。筆者は日本が国際社会から侮られているというのが本当だとすればこの点に起因するとしている。また経験的確信の不在は国際社会のありかたの理想の不在へとつながる。よって「(国際社会という)ゲームがなんのためにあるか分からないがゲームの参加を否応なくされている」という状況を生むのである。ただこうした起源における遅れは「学び」という点に対しては有利に働きうるとしている。これは学びという行為が本質的に学ぶ側の起源の遅れを前提としているためである。 以上が筆者の主張であるが正直ピンとこない部分であった。確かに後進国が成長速度で先進国を上回る例もありこれは遅れてスタートしたものが「学ぶ」ことに比較優位を発揮することもあるが、その限りでないことは明らかである。そもそも国と個人の発展や学びを連続的に語るのも乱暴な論に感じる。 ③日本語の特殊性 かつて外来の「真名」が正当な言葉とされ派生した「仮名」は亜流とされたように、日本語は辺境性を宿す点など日本人を読み解く重要なキーである。また ・メタメッセージに富む ・表音と表意を組み合わせているため特殊な脳における処理が特殊 という二点において日本語の特殊性は如実にあらわれる。後者に関しては『街場のマンガ論』において詳しい。  三点にまとめたものの全体としては①の比重が大きい。 また大変売れた本書であるが、引用が論の証明としてきちんと機能しているかというとやや牽強付会に感じる部分も多かった。まとまった一つの視座を得たいというよりも雑多で多角的な知識を得るのには適しているといえるかもしれない。 しかしアマゾンのレビューには「内田先生の著作に普段から接していないと分からない」との声もあったので、愚かしくも僕があまり文学を解さない上に内田先生の著作は少ししか読んだことがないためもあるでしょう。

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    投稿日: 2011.10.17
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    一時期はやっていた時に買って、書棚に積んどいた本をようやく読んだ。 論法の持っていき方はうまいし、著者自身すごく優しい人なんじゃないかと思う。 本書の中で書かれた人を説得できる方法を実際に作中の文章で使用しているし。 さらにスゴいと感じたのは、この本が2010年で一番売れた新書がこの本ということが、内田樹という人の理論をさらに強固にしていること。 多少、大技みたいな論理展開をしている部分も、味ということで。

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    投稿日: 2011.10.14
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    作者が書いているように、目新しい日本論ではない。 だが、思わず肯いてしまう様な考えが示されている。 「日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません」(P.23)

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    投稿日: 2011.10.04
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    「養老先生をはじめ、科学者が一般向けに書いた本て面白いな。 でも人文の本て、気がつくとずいぶん長いこと、読んでいたけれ ども読んでいたように思えないな。」 というような人に、特にこの本にかぎらず内田氏の本はおすすめです。 ですが、そういった人であればすでに何冊も読んでると思います。 (私のことなのでここで書いている内容はほとんど同語反復になります) このため、この本についてそれ以外の人に向けて何を コメントすればよいのだろうか。 ひとまず、思いついたことを以下に箇条書します。  1.人文の生き残る道のヒントのようなものを掴むか掴み取れそうな   気がするかもしれない。  2.美術、音楽その他、分野によらずほとんどは外来のものを受容しながら   やっているので、それぞれの事情をあてはめつつ読めるかもしれない。  3.養老先生の本を読んでよくわからなかったりその先をどう考えれば   いいのかというときに、内田氏の本を読んでいると意識化されない   つながりを絶妙に説明してくれることがあるように思います。   人文の出番だなと感じられる瞬間かもしれない。  4.ポストモダンから数十年。ひとまずそこからはなれて「世界の見通しをよくする」   したい。  5.特に「生もの」を扱っている人向けかもしれません。 ひとまず以上です。

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    投稿日: 2011.10.04
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    ユーラシア大陸の東、さらに島国である地理的条件においては、日本は辺境と言えるし、それが歴史や言語、文化に影響を与えたことは間違いない。 ただ、著者が展開する辺境ダメダメ論にはどうも納得できなかった。いくつかエビデンスが怪しい部分も散見された。 レヴィ=ストロースの西洋中心主義への批評の件から、もう少し深く掘り下げられるのではと期待したが、甘かった。 「9条どうでしょう」も本棚にあるため、それも読んでみてから、再度検証ということに。

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    投稿日: 2011.09.25
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    日本人や日本文化の特殊性について。日本人が外来のものに対応するのが得意だというのはなんとなく実感できるが、その背後にある人文学的な背景にまで踏み込んでいておもしろかった。ただ日本人の情報のやり取りの際には、情報の内容よりも情報の送り手、受けての立場の上下関係が重視され、その場の空気が重要で、空気を読むのが大事であるというのは痛感しました。

    0
    投稿日: 2011.09.21
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    この本、難敵でした…。 日本の総理大臣が、なぜ米オバマ大統領のようなスピーチができないのか?文章表現において人称代名詞に何を使うかで書き手と読み手の関係が設定される… このあたりが特に興味深く読めたかな。

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    投稿日: 2011.09.21
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    ユニークな視座と、丁寧な、極めて論理的な証明の積み上げから、日本人の特性を浮き彫りにした作品。論の展開、語彙の豊富さ、どれをとっても、流石の切れ味である。 現代において、知的好奇心をくすぐる最強の論者の1人だと、私は個人的にとても強くそう思う。 本書は、日本人がいかに特異な民族であるかを、歴史的な側面、日本語の成り立ちなどから解釈論を展開したもの。 私が解釈した論旨をまとめてみると以下のようになる。 古来、中国とその周辺地域では、中国が世界の中心であると解釈されてきた。 本国である中国本体は、漢字一文字で表現(周、漢、元、宋、清 等々)され、その周辺の「蛮族」は、漢字二文字・三文字で表現されている。 中国から見た東の果て、太陽が昇る方向にあるから、「日本」。つまり、国の名前からして、すでに中国の属国であることを受容しているのだ。 ことかように、日本人は、自地域にもとからあるものを蛮隸なものと卑しめ、外来のものを先進的なものとして、無条件に受け入れ、評価する国民性が「伝統的に」あるのだと言う。 古くは中国歴代王朝との関係、明治には列強各国、第二次大戦以降はアメリカと、その時代ごと、相手は違えど、日本の行動パターンは同一だったと。つまり、ロールモデルを設定し、「追いつけ、追い越せ」と煽った。 そういわれてみると確かに、日本らしさ、を語るときに、我々は知らず知らず、他国との比較ににおいて、何が優れているか、何が劣っているか、という視点で物事を計っているように思う。 この思考の枠組みは、日本人が生き残るために必要な生存戦略であり、ほぼ無意識的にそうした判断ができるほど、骨身にしみた国民性なのだ、というのが内田氏の論理展開である。 ポジティブな側面での、その特徴の端的な表出は、「学びにおける素直さ」であり、日本人ほど、驚異的なスピードで外来のものを受容し、その優位点を自らの文化に取り入れ、進化させることができる民族はおらず、それは、返す返すも、この追従型の国民性にゆえんするものだと氏は考える。 逆に、その志向性は、学ぶべき、追従すべき存在がなくなった場合に、とたんに思考停止する、という事態を生む。 日露戦争に勝利した後の日本は、国際社会をリードすべき立場、世界に向かって新しい国際和平のあり方を主張すべき地位に立ったのだが、そこで、思考停止に陥った。そのため、自分達が勝利した相手国「ロシア」が進んだであろう、「軍拡」路線を主張し、国際社会から取り残されていったのだ、という解釈が展開される。 なるほど、歴史認識も、そうした日本人の思考のフレーム、というフィルターを通してみると、全く違ったストーリーに見えてくる。「軍部の暴走」の一言で片付けてしまうよりも、はるかに面白い解釈だと思う。 我々は、常に他者(他国)との相対によってしか、自民族を定義できず、常に模範となる相手国を探し、その背中を追いかけて努力してきた。それしかできなかった。 だから、世界をリードしなければならない状況下になると、かくあるべし、というビジョンを描き、方向性を指し示すことができず、とたんに二流国に成り下がってしまうのだと。 こう考えると、現代の日本人が、自分の意見をなかなか言えないとか、他人の評価を常に気にしてしまうといった行動をとりやすい、という特徴も、個人として自己否定すべきものではなく、民族としての特徴だと、開き直ってしまった方が、精神衛生上よろしいということになるかもしれないw。 ちなみに、内田氏は、「だから日本はダメなんだ」という論に終始しているわけではなく、最後は、「日本は、辺境の民として、その使命を全うしようではないか」という話に落ち着けています。 最後の章は、日本語についての記述で、そもそもの外来語である「漢字(真名)」とそれをローカライズした「仮名」の双方を併せ持つ、ハイブリッドな言語は、他には存在しない。そこにも、日本の優れた吸収力・応用が発揮されている。(ここだけ、ちょっとスケールが小さい気がするのは気のせいでしょうか。) いずれにしても、読み応えのある本で、集中力が必要ではありますが、新しい視点・視座をもらった気がして、満足感のある一冊でした。

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    投稿日: 2011.09.13
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    じっくりと時間をかけて読んだ一冊。 1,2章には日本人の得意な性質などを歴史的・文化的に考察しておりとても面白かった。しかし3章がほとんど理解できなかった。哲学的な観点から語り進めているが、いかんせん哲学に関してほぼ無知に近い自分にとっては難解過ぎる。それをひきずって4章を読んだせいかなかなかここは頭に入らなかった。 ぜひもう一度読みたいと思う。 あと全体的に難しい語句が多くでてくるので、読み進めるにあたって辞書は必須であった。

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    投稿日: 2011.09.12
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    日本人はスネオである。そう苦笑いしたくなる。 つねにその場における支配的な権力との親疎を最優先に配慮すること。 場の親密性を自分のアイデンティティの一貫性より優先する。 そういう変化のしかたは、変化しない。 まとめると『正統は 海の彼方に あるという 辺境の民 きょろきょろと学ぶ』といったところでしょうか?

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    投稿日: 2011.09.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    第一章で繰り返しにイライラしたらとばして第二章から読んでもいい。と思う。 日本は辺境の国である。古くから中華という中心となる世界の端に位置してきた国であったためその意識が根強く息づいているのだという。確かに現在でも日本その他アジアの国はファーイーストであっていつの時代も中心とは言えなかった。すなわち辺境性(と筆者は言っているが私は民族的な劣等感とそれに伴う自己不信ととらえた)にこそ日本人の国民性がある。 ・・・と言いたいらしい。それだけ。 戦争、武道、落語、識字率の話などなど話題としては面白いものが多いのでそれなりに読める。脈絡のない「談話」として読めばいいのではないかと。 初めに「結論はない」「批判に耳を貸す気はない」と言ってしまうこの作者。 なかなかの曲者じゃないか。

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    投稿日: 2011.09.08
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    今まで私に無かった視点からのアプローチで面白かった。ただ、同じことが何度も書かれていて、少しくどい。

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    投稿日: 2011.09.08
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    日本語が表意文字と表音文字を併用していることによる思考方法への影響、面白かった。言語体系が思考を規定する、という論は肌感覚としてわかる。

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    投稿日: 2011.09.06
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    平易な文章で日本の特殊性を語る。日本は辺境で、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できるという。

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    投稿日: 2011.09.04
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    例えば、日本人は主体性がなく空気を重視する、とか、意見の中身よりも誰がそれを言ったかを重視する、とかそういった国民性は、日本人が辺境人であるからであるとこの本は説いています。過去から中国の辺境に位置づけられ、絶対的な存在との対比で自己を自覚していた日本。そもそも、日本という名前自体が、中国の東の果ての「日の出る本」から来ています。 絶対的な存在を常に意識しつつ、それを真似て発展してきたのが日本なので、日本人は真似るという能力は高い一方、自分が絶対的な存在として何かを作りだすという能力が日本人には乏しいと。そこまで決めつけるのもいかがかと思いますが、少し前にここでも紹介した「グローバル・マインド」という本の中でも同じようなことが書かれており、そこでは、正解のある問題を解くのは日本人は得意だが、正解のない問題を解くことが不得意と書かれ、その本の中では日本の教育制度を批判していました。個人的には、辺境であるという理由よりも教育制度の問題点の方がすっきりします。 いずれにせよ、そのような国民性については、自覚する必要があると感じました。

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    投稿日: 2011.08.22
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    3月11日の震災前に買っていた本ですが、読んだのは震災の後になりました。 震災の混乱の中で、暴動などはほぼ全く起こらず、長い時間列を作って給水を待ち、少ない食料を分け合う日本人の姿を、外国メディアは驚嘆のまなざしで見つめていました。望んだ形ではないものの、日本が世界から注目される状況となり、この状況を踏まえて考察してみました。 日本人にとっての「問題解決」とは、解決策とは必ずどこかにあるもので、それを見つけることであるという話を聞いたことがあります。決して、自分たちで解決策を作り出すものではないのです。だから日本人はオリジナリティがないのだ、という論につながりますが、この考え方自身、理想を外部において、日本と比較する形になっていますね。結局、どこまで行っても日本人は日本人的考え方から抜け出せないようです。 自分の中に基準がなく、外にある基準に自分たちが合わせることしかできない。たとえ自分たちが基準になることを考えたとしても、外を自分たちの基準に合わせるとしか考えられず、それは単に内外を逆転させただけに過ぎない。ここまでばっさり切られてしまうと、苦笑しつつも受け入れざるを得なくなります。 先日の地震の際に、順番待ちで長時間きちんと列を作っていたこと。また逆に、首都圏では数少ない商品の買い占めが問題になっていること。どちらも心理的には同じことで、基準は自分の外にあって、「みんながそうやっているから」以上の理由はないはずです。自分の中に基準を持てないことが、よい側にも悪い側にも働くのは、興味深い現象と言えるかもしれません。 さて。日本人が間違いなく苦手だと思うことで、今後求められてくることが1つ。 それは、社会の「多様性」を認めることです。 外に絶対の理想がありそれに倣ってきたこと、あるいは場の空気に流されて行動を続けてきたこととは全く異質の考え方で、複数の事象や考え方を、比較することも優劣をつけることもなくすべて受け入れることが、私たち日本人には非常に困難な作業になるものと思われます。 2つの異なる考え方がぶつかったとき、どちらかが押し通すか両方が妥協するかしか考えられないのですから、「両方の意見を尊重する」ことが私たちには難しいのです。 なお、メタな視点で見れば、両方の意見を尊重するのと他のやり方を比較すること自体、2つの考え方がぶつかっているわけですから、どちらがいいとか悪いとか考える時点で、私たちは日本人なんだなあと思ってください。 まとめますと、私たち日本人、そして日本という国の本質的なところは、「外からどう見られているか」なのでしょう。自分で考えて結論を出しているように見えても、その基準は外部の評価がどうか、ということ。 とはいえ、外部の評価を気にするのは決して悪いことではなく、今回の震災でも復興する段階に入りつつありますが、力を合わせて復興させるのだという雰囲気が醸成されれば、再び世界を驚かせることができると信じています。

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    投稿日: 2011.08.17
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    『すでに自分の中にあるはずの考え』(アプリオリ=先駆的知)を浮かび上がらせるために、日本人は、叩き台的規範を必要としている?

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    投稿日: 2011.08.14
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    日本人の本質が何たるかを考えさせられる本。日本人は島国という自然環境を背景に生きてきた結果、古来より生き残るために、絶えず「きょろきょろ」して使えそうなモノを集め、組み合わせ生きてきた。これが文化・科学技術にも適用され、世の主流から必要そうなものを取捨選択し、有用なモノとして吸収してきた。ゆえに、主体ではなく、主体に沿う形で我々の思考パターンが作られている。日本人は新しいものを作り出すのが苦手ということが自虐的に語られるケースが多いが、一方でこれは日本人が古来より培った生活の知恵であり、一方的に否定するものでもないということは腑に落ちた。

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    投稿日: 2011.08.13
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    久々の大ヒット! 内田氏は本書で、日本人は歴史的に主体ではなくて、 主体に追随してうまく生きる、術に長じている民族であることを、 辺境という言葉で表している。 日本の政治家が、この国をどうしたいか、何を目指すのかを、 はっきり打ち出せないのは、個人的な資質ではなく、 他国との対比でしか考えらない、日本人の民族性ととらえている。 内田氏は、だから日本人はダメだとは言っていない。 逆にこの柔軟性をもっと生かした、国際的なポジショニングをとるべきだ、 と主張している。 まったく、その通りだ!

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    投稿日: 2011.08.12
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    新書を久々に読んでみた。 このタイトルがなぜ売れているのかが気になった。 日本人は今、アイデンティティの再確認をそんなに求めているのでしょうか。 「『外部を希求する主体』から『志向』そのものだけを切り出す。そのためには、主体を空間的・時間的にマッピングしている遠近・先後というカテゴリーそのものをどこかで切り捨てなければならない。大変な仕事です。」 周囲と自分を比較することによってしか自覚できない辺境人・日本人。 そんな日本人、私にとって、これは大変なのでしょう。 でもこれを問い続けることによって「自分」が何たるかが見えてくるかもしれないので、 努力はしたい。 がんばれニッポン外交!

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    投稿日: 2011.07.31
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    日本人の精神構造を地政学的な位置づけから解きほぐしていく。特に中国との関係において歴史的に中華思想に取り組まれざるを得なかった日本の状況についての説明は説得力がある。また、辺境人であるがゆえに「学び」が効率的になりこと、また日本語という言語が、西洋・東洋とわずあらゆるものを取り入れることができた仕組みなど、「うーん、なるほど」と思わずうなってしまう記述にあふれている。  本書がこのような説得力をもつ所以は、著者が一流の学者でありながら、私たち庶民にもわかりやすいように噛み砕いて話してくれているために、一見難解な論理も、読者自身が自らの経験に照らし合わせて読み進めることができることに起因するだろう。しかし同時に視点は非常に深く、一読では理解できない部分もあった。これから何度も読み咀嚼すべき本であろう。

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    投稿日: 2011.07.31
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    日本人である自分て何者?という理解が一歩進んだ。-というような感想がすでに日本人らしいか。。というようなことを付け加えてしまうのがまた、日本人ぽい。。(以下略)

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    投稿日: 2011.07.30
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    おすすめ度:80点 新書大賞(中央公論社)2010年大賞受賞。 このような本が1位となることに、日本人の知的レベルの高さを改めて感じる。「辺境人の学びは効率がいい」のである。 とても読み易いが、「機の思想」の章だけは難解。それ以外の章は著者の主張にうなづくことばかり。 とことん辺境で行こう!

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    投稿日: 2011.07.24
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    「どうして私が「ぼく」ではなく「私」という一人称を採用しちるのか」を英語とかに翻訳することは出来ない。。なんか不思議。。 日本語が表意文字と表音文字を併用する特殊言語であることを知り、韓国やベトナムは併用語を捨てられてしまった。 併用語は日本語だけしかないことに、日本人は誇りを持ちたい。。 それにしても、難しかい本だったなぁ。。

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    投稿日: 2011.07.20
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    いろんな人の受け売りで学術的な本じゃないよって本人が言ってる通りなんだけど、日本を辺境としての特性から論じてて結構おもしろい指摘が多かった。 例えば秀吉が明を征服しようとしたけど、彼がやろうとしたのは天皇を明に持ってくって他の征服王朝と変わらなくって中華思想に組み込まれた辺境としての意識があるみたいな話とか。国際連盟の常任理事国になったはいいものの、結局日本がやろうとしたのはロシアがやろうとしてたこととは変わらなかったとか。戦前にアジアに対した仕方が中華思想と同じで違うのは日本が中華であるってとこだけどか。 日本人の根本的なとこに被害者意識みたいのがあって、主体性があまりないってこととか。大学時代に日本の戦争映画で議論したことがあったけど、日本の映画はあの戦争がどこかから来た自然災害みたいに描くところがあるって。それがあの戦争を解釈するときに主体的に戦争を始めたと言い切れる人がいないこととも通じるなと。 あと日本人論とは別のところで、意見を言い切れる人ってのは他人の受け売りなんだってとこではまさにその通りと思った。 他にも機とか学びとか、日本のテレビで議論するときマウンティングするだとか、仮名と真名とか、まぁおもしろいです。

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    投稿日: 2011.07.17
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    「辺境・日本」の長短所を歴史的事実に照らしながらダイナミックに分析。「辺境」とは「中華」の対義語だが、具体的には、中、米、国際社会に対する「辺境」をいう。「変化はめまぐるしいが変化する仕方は変化しない」(つまり、ずっと古いままの変換器を使ってる!)のが日本人の「ナショナル・アイデンディティ」という指摘は説得力があった。 ただ例によって、結論部に「武道」「ラカン」「ユダヤ」が出てくる。この人はいつも落としどころが同じ。

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    投稿日: 2011.07.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    確かになぁ、と思ってしまうのも辺境人ゆえなのかしら。 特に師弟関係、機に関する考察は、日本人と絡めずともなるほど、と思った。なかなか面白かったです。

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    投稿日: 2011.07.12
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    辺境であるがゆえに得たもの失ったもの。文化論によくあるように、こねくり回したような文書だが、語り口がソフトなので読みやすく、論旨も首肯できる部分が多い。ちょっと日本が好きになった。

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    投稿日: 2011.07.10
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    ところどころ面白かったけど、途中私にとっては読み辛く、あきてしまったところもあった。 要約? 日本人は周りをみて、常に相対化で自身を考える傾向にある。 しかし、それでもいいところはあるし、生き残ってきたのだから、とことんそれでいいじゃないか。変わった国の人間にしか出来ないことがらなにかをかんがえる方がいい。もしそこで、アメリカ、中国などを真似しても結局、他を師として学んでいるので、抜け出すことができたとはいえない。 個人的におしろかったたのは、 日本を知ろうとして、村上春樹を読むのは、村上春樹は国民文学でなく、世界文学だから意味ないってのは確かにと思った。また、司馬遼太郎や藤沢周平のような国民文学はあまり海外で受け入れられないが、もし逆にそういう立場の作家が海外にいたら日本では、ベストセラーになる可能性がある。そういうのはたぶん日本だけというのも面白く感じた。 あとは、人間が過剰に断定的な意見をいうときは、人の受け売りをそのまま言ってることが多いってのは、共感した。自分の経験からなにか意見をいうとき、一面てきにこうだっ!ってのは言えない場合が多いと私も思いました。

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    投稿日: 2011.07.05
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    目からウロコとはこのことでしょうか。 多少気になる部分はあるものの、概ね同意。 「そういえば」自分の身に当てはまる行為ばかりだな、と痛感させられる。血液型占いのような詐欺的なロジックをはじめは懸念していましたが、読み進めるに従ってそうでは無い、達観とも呼べれば虚脱感とも呼べるような、諦めのような希望のような何とも言えない感覚が胸のうちに広がりました。 留学等を経験して、外国文化に激突し、「アレ?自分ってなんなんだっけ?」となった方には是非一読を。

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    投稿日: 2011.07.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    相対的な仕方でしか自分の位置を表現することができない日本人。 他の優位な存在と比較することでしか自分を定位できないということは、自分が先導者にはなれないということ。 必ず「後発」としてしか現れられない。 でもだからこそ、「学び」「倣う」という点についてだけは、異様なまでに得意である。 それが日本人ぽさ。 日本という国名の由来、君が代の起源…。 小学校~中学校の頃、なんでいちいちこんな暗鬱にも聞こえるメロディの国家をことある毎に歌わなきゃいけないんだと思っていた。 高校生の頃、日韓ワールドカップで、日本の国歌はなんだか荘厳な印象なのに対して、他国の国歌は明るく高揚としたものが多かったことに疑問を抱いた。 そんな人生の折に出会いたい一冊。

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    投稿日: 2011.06.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「日本人とは何ものか」という問いに、周囲との関係から相対的地位を見定める「辺境性」を補助線にした文化論。 外交上ではアメリカ、戦時下では天皇、というように優越的価値観を措定した上で、「状況を変動させる主体的な働きかけはつねに外から到来し、私たちはつねにその受動者である」。 中華帝国時代から欧化政策、新世界秩序、憲法九条と自衛隊の並存まで、自前の世界戦略や国際社会に向けたメッセージはない。「正しさ」をこれから構築される未来のうちに保証される能動的国家観に対して、日本は先導を模倣し、右翼も左翼もきょろきょろしながら自国の相対的劣位を謳いながら改善の余地を探ってきた。 主体的な要請をすて、師の是とするに従うことを学びの構えとした。「道」的学習プログラムは、つねに未成熟な「ここ」からの解脱、という霊的な遅れを前提にしており、「信」じて「飛びこ」み、我をすてる。筆者は、武道や禅家における「機」の概念に踏みこまんとする。 前半部の代表的日本論まとめは咀嚼されており理解しやすいが、三章「機」の思想への接続はあまりにアクロバティックで霊的な直感の域を出ない。

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    投稿日: 2011.06.19
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    新書大賞ということで手に取った。1章はとても難しく、読み辛かったが、その後は内田節とでも言うのだろうか、なるほどと思わせる内容だった。他国との比較でしか自国を語れない日本人というのにはハッとさせられた。他にも、戦争、学び、漫画、政治、言語など、多岐に渡ながら日本人(辺境人)について書かれていた。日本人としてのどのようにしたら良いのかという内容ではなく、辺境人だからこそ、日本人であるのだということがよくわかる一冊だった。

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    投稿日: 2011.06.18
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    日本人について色々考えさせられる本。細かい内容や考えについては賛否あると思うが、それでもこの本を読みながら自分なりの日本人論を考えることができて、よかったと思う。

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    投稿日: 2011.06.18
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    著者が「終わりに」に書いているように,「私家版・日本文化論」と言うべき本.読者が,日本とは何か?日本人とは何か?を考える契機になるように書かれている.

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    投稿日: 2011.06.18
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    すごくすごく面白かった。 もやもやと考えていたことに対する美しい回答を受け取ったように感じた。 つまり、現時点のわたしはまったく批判的・批評的な姿勢を持ってこの本を読めるだけの知識もなければ、もちろん自分自身の思想もないということ。 日本人である以上、自分の国から逃げることはできない。選べない事柄に対して責任や愛着を抱くことに、以前は抵抗を覚えたものですが、今は祖国に対する自分の態度をもっと柔軟にして、はっきりさせたいと思ってる。この本から得たものを含め知識を増やし、自分の思想・態度を模索していくつもりです。そのとっかかりとして、最高の本だった。

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    投稿日: 2011.06.17
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    内田先生の日本文化論。と言っても、ほとんどは丸山眞男なんかが既に論じていることを紹介しつつ、著者の考えをざっくばらんに述べているらしい。テレビのニュースや討論なんか見ていると常に「アメリカでは・・・」と紹介して「日本は遅れいている、ダメだ」的な報道やコメンテーターが多くて嫌になります。主体性がないなぁ、って思う。でもそれが、大陸の辺境の日本人が創りだしたアイデンティティなんだ、っていう事のようです。「なんで日本は他国との比較でしか自国を語れないのか」。常に我々は中心にはいなくて、主流はどこからかやってくる。それを無条件にまずは受け入れて学ぶ。自分は中心にいない。そういう態度が辺境人たる日本人の戦略であるのだし、それはそれで悪いことばかりではないから続いてきた。そもそも「日本」という国名自体が、中国から見て日が昇る方角にある、っていう意味。その時点で主体性ゼロ。本書後半は、内田先生の合気道関連からくる哲学や武道論とか「学び」の話が多くて多少分かりにくいのですが、他の著書を読んでいればほとんど同じ内容が繰り返されてるので読み飛ばしてもよいかな。

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    投稿日: 2011.06.11
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    会社の先輩2人にオススメされた本書。 確かに面白い。 本書で著者は、「日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる」と言う。 ちなみに、「辺境」を辞書でひいてみると、「中央から遠く離れた地帯」。 先に本書における著者の主張を要約すると以下。 ・日本人にも自尊心はあるが、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなもの。本当の文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識がある。 ・日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しない。 オバマは大統領就任演説でこう言った。 「アメリカ建国者たちは、私たちのために、わずかばかりの身の回りのものをカバンにつめて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。私たちのために、彼らは過酷な労働に耐え、西部を拓き、鞭打ちに耐え、硬い大地を耕してきました。私たちのために、彼らは戦い死んでゆきました。それは私たちがよりよき生活を送ることができるように彼らが願ったからです。」 ここでオバマが言いたかったことは、アメリカ人たちは皆先行世代からの贈り物を受け取り、それを後代に伝える責務を同時に継承しているということ。 アメリカは事あるごとに、立ち返る原点がある。 このオバマのような演説をできる日本人がいないのは、日本人は、「われわれはこういう国だ」という名乗りから始まった国民ではないから。 日本人は自分たちがどんな国民なんだかよく知らない。日本人にとって、「われわれはこういう国だ」という名乗りは、そこから全てが始まる始点ではなく、むしろ知的努力の到達点なのだ。だから「日本人とは何ものなのか」というタイトルの本が本屋には山のように積んである。 また、日本人は自分自身を中心として文明を発展させてきた民族ではなく、「中国」という一大文明の辺境諸国民族の一つとしてスタートした民族である。 そのことが、「他国との比較でしかものを語ることができない」国民性を生んだ。 日本人はつねに他に規範を求めなければ、己の立つべき位置を決めることができないのだ。自分が何を欲望しているのかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない。 本書は語りつくされた「日本論」をわかり易く再整理している上に、新たな切り口も加わっており、非常に面白かった。 今まで、なんとなく思っていたことを自分の中でも整理することができた気がする。 また、世界唯一の被爆国である日本が、世界に対して、「核兵器は持つな!」と強く発せられない理由、日本国憲法9条があるのも関わらず、自衛隊を海外に派遣してしまう理由、原発の恐ろしさを最も感じているはずの日本が「原発No!」とはっきりと言えない理由も一緒に分かった気がする。

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    投稿日: 2011.06.11
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    この本は前書きに書かれているとおり、学術的な証拠に基づいた日本論というよりは繰り返し論じられている日本論を筆者なりに咀嚼し、整理したものである。 そのため、まだ日本論の文献を読み始めたばかりの私としては、日本論の基本を知ることができたのがありがたい。 自国についてここまで論じられている国はかなり珍しいそうだ。その理由を筆者は「そもそも日本文化の原点がないから」と説明する。 たとえば、米国では建国の際に自国の理念を明らかにしている。しかし、日本は建国の初期設定がないため、何処まで問い続けても答えのない問答になってしまう。 確固たる自国の理念がないことは、そのまま日本の国民性に影響を与えている。 他国との比較でしか己を評価できないこと、根拠のない自国卑下、追随はできるが他を引っ張るリーダーになれない点、難しいことは他人の意見の受け売りなどなど。 一回この本を読むと、日本に関する報道や周囲の人たちの意見が読む前と全く違って見えるから不思議だ。それほど日本人という本質を捉えているのだと思う。

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    投稿日: 2011.06.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

     日本人を「辺境人」と定義した文化論。「辺境」とは「中華」と対立する概念である。特に面白い具体的な記述は、 ・日本人は他人との比較のみで自分の座標軸を決め、自信が持てず、辺りをふらふら、きょろきょろしている。「日本人とはなにか」という国民的合意がなく(多少の共通項はあるだろうが、「落とし所」がなく、白か黒か、100か0かの議論になりやすい)、他者の欲望を模倣することで自分の欲望とする。 ・日本には戦前戦後にしろ、右翼左翼にしろ「我々は追い詰められている。だから武力(暴力)に頼らざるをえないのだ」と被害者ぶる論調が見られ、追い詰められないための予防策が欠如している面が見られる。これも自らの正当性を他の目上の者に確保してもらうという「辺境」性によるものである。 ・日本の師弟関係には、師匠が便所掃除のような一見無意味なことを弟子に課すが、弟子が「無意味に見えて実は意味があるんだ」と考えてどんなことでも懸命に励むというものがある。これは弟子が「自分は無知で愚鈍だ」と考えるところから出発する大変効率のよい日本独特の「学び」の方法である。その分、「自分で考える」という視点には欠けている。 ・日本人は剣道、柔道、茶道、華道、香道などあらゆるものを「道」にする。この道は未熟と未完成を前提としており、上記と同じ日本独特の学びの方法であるが、自らの未熟と未完成を正当化してしまう面もある。  というものである。なかなか興味深かった。確かにこれを抜きに日本文化論は語れないだろう。

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    投稿日: 2011.06.06
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    筆者が頭良すぎる。養老孟司さんと同じ印象を受けた。 長い歴史の中、地理的に中華の辺境国家として存在してた日本は、自らが中心となって全く新しいことをすることが出来ない 常に受動的にスタートするが、それは自然と他国に比べて遅れてることを把握し、積極的に異国のものであっても学ぶという姿勢に長けているという大きな長所がある だからそれを意識していくことが日本人の本質であるみたいな感じの内容 後半の「機」の話は理解出来なかったが、辺境国家日本の民族性は納得した

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    投稿日: 2011.05.31
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    今までの日本人観を、深いレベルで再構築させられる。 新しいというか、スパッとした物言い。 内田さんの考えをインプットしつつ、そこで止まるのではなくある程度批判的に自分の論を持てるようにする必要があるかも。適度な距離。

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    投稿日: 2011.05.28
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    内田先生の本は「街場のメディア論」に続いて2冊目。 日本人は常に世界の中心から外れたところにいる『辺境人』である、という視点からみた日本の国民性、そして我々の意識の下地について語る。 たしかに日本人は世界のメインストリームになれない(というか、なりたくない)ところがある。 そして、僕たちは世界標準を絶対的なものとして受け入れてしまう傾向がある。 逆でもいい。世界標準を全く無視して日本のローカルルールに閉じこもってしまう、でも同じ。 結局は世界の中心と日本、その二つの対立した世界観で生きている。 この考え方が結構普遍性があっておもしろい。 医学でもそうだ。 少し前までは「日本のやり方で何が悪い」だったが最近は「世界標準に近づかなきゃやばい」が主流になりつつある。 その二つの行ったり来たりで日本独自の医学が発展してきたのかもしれない。 後半、「機」の話とかになってくると難しくてよくわからなくなってきた。 また時間をおいて再読してみたい。 熟すまで待つ。次はもっとすっと入ってくるかな。

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    投稿日: 2011.05.28
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    縦横に奇説怪論を語り、奇中実をとらえ怪中真を掬して自ら資すという明治書生の心意気で書かれたらしい本書。確かに「三四郎」の与次郎を彷彿とさせるか。もしくは森見さんの詭弁論部の紹介のような。 そんなこと言ったけど内容は深いところにガツンと入り込んできて感想をさらさらと言葉で表現できない程。こんな日本論が。本当に師匠…流石です。きっと何度も読み返す。 キーワード的には、 ・キョロキョロする日本人 ・現実主義者は過去だけを見る ・したたかな知らんぷり ・なんでも「道」にするゆえの緊迫感のなさ。ここがロドスだ、ここで跳べ。 ・メッセージのコンテンツの当否よりもどちらが「上位者」かを優先 ・日本語話者に難読症は少ない。脳内の二箇所で並行処理 ・佯狂によっての疾病利益 キーワードだけ抜き出すと全然違いますね。

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    投稿日: 2011.05.23
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    [ 内容 ] 日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。 常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。 日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。 丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。 読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。 [ 目次 ] 1 日本人は辺境人である(「大きな物語」が消えてしまった;日本人はきょろきょろする ほか) 2 辺境人の「学び」は効率がいい(「アメリカの司馬遼太郎」;君が代と日の丸の根拠 ほか) 3 「機」の思想(どこか遠くにあるはずの叡智;極楽でも地獄でもよい ほか) 4 辺境人は日本語と共に(「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか;「もしもし」が伝わること ほか) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2011.05.22
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    言い訳がましい始まり方に違和感を感じた。 内容に関しても、意外とナショナリスティックな所もあるし、差別的な表現がないわけでもない。 ただ言い得て妙なところもあるので、共感する人がいるんだろうとは思います。

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    投稿日: 2011.05.21
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    日本人を日本人たらしめているのは 辺境性というものを逆手にとって無知のふりをすることにより 外に主体を求め、開放的に変化し続けるという姿勢そのもの …なんかすごい事いうけど(この理論自体は物珍しいわけではないみたいだが) なんとなく腑に落ちてしまうのは やはり紛れもなく私が日本人だからなのだろうか。 非常に分かりづらい概念的な事をたくさん書いているのにかなり読みやすいと感じるのは 著者の噛み砕きかたが上手い(あるいは私の考え方にうまくはまる)からでしょう。 内田樹の本を他にも読みたくなった。

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    投稿日: 2011.05.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    28冊目。中華に対する辺境として、日本の行為の仕方を論じた本。「自国ではない何処か」に世界の中心があり、それに面従腹背してうまくやっていくという有史以来一貫した傾向を指摘した。MCではなく、ひな壇芸人として1流を目指すのが日本の宿命なのかもしれない。

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    投稿日: 2011.05.20
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    最初のほうと最後のほうがとくに面白かった。途中の宗教論については正直よくわからなかった。でも普段使わなかった脳味噌たくさん使って読んだ。

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    投稿日: 2011.05.19
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    御自身が自負するように、 序論→本論→結論とか無しに、思いつくままに考えを羅列しているので、 結論としてあまり言いたい事が解りませんでした。 随所随所で面白い思想は見出せます。

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    投稿日: 2011.05.11
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    行においては、目的地について論じる事は無意味である。すべては「ここ」で生起して「ここ」で終わる。目的地からの相対的な位置で「ここ」を論じてはならない。 天下無敵とは敵を全て斃したので敵が居ないという状態ではない。敵をつくらないということ。敵と自分との関係で自分をとらえるとスキができる。例えば、敵が自分の頭上に白刃をおろしているとき、それに対して反応すると考えるのではなく、白刃をおろされているいま「ここ」こそが自分の全てであると考える。そのとき、相手が居て始めて自分が完成する。その瞬間には、敵は居ない。白刃を振り下ろしている相手も含めて今の自分があるから。

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    投稿日: 2011.05.09
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    日本人は真似上手で、それは性である。 それが良い悪いではなく、そうすることで生き延びてきたのだ。 この辺境にいる自分たちの立ち位置をわきまえて、したたかに 生きてきたのだ。 ○○道と称して、謙遜を良しとし、姿勢を尊ぶ。 理由は問わない。そういうものだとして学ぶ。 敵を作らない。 表面的に純粋なようで、その実、呪術迷信に囚われている。 空気に支配される日本人。 世間に囚われ続ける日本人。 良くも悪くも私は日本人であり、それらを継承している。 わかった上で行動するのだ。 そうしたいから日本人とは何かを繰り返し考える。

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    投稿日: 2011.05.01
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    内田樹『日本辺境論』読了。辺境人の特性、たいへん興味深く読む。後からゲームに参加し『それが何のゲームかわからないけれどやるしかない』ところとか、水戸黄門のロジックとかとても頷いた。これを格好よくかつ自分に有用なところだけ抜き出して言うとこないだの原研哉のemptinessになるのかな。 ずっとまえにどこぞで目にした中華思想の『中国の国境は線という概念ではなく帯という概念でありだからどこまでも伸縮するしどこまでも中国なのだ』ということがすごく強烈に刻まれていたのでその感覚でもって中華思想を標榜してただしく『辺境たりえる日本』という読解ができたのでいっそう面白かった。 確かに考えると『〜国型を目指すべきではないか』という議論そこここに見るんだよな。そいで今のビッグメディアの罹患してる病理って言うのは『私たちはこういう国を目指すべき』っていう理想がなくて『私たちは他国より劣っている』という前提で捲し立てる結局根のない喧伝だから薄っぺらいんだな。 印象に残ったのは『今まで誰もやったことがないこと=未来』をつくれるのは『根拠はないけどおれは絶対に正しい』と云えて実行できる人間であるというあたりで、でも日本のメディアや評論や議論に置いてその手の論理展開を構築してるのってほんとうにあまりない気がする。基本そういう論理構成の人間は駆逐されるようにできているなあ といろいろ日々を振り返りつつ。 あ、さっきの『日本辺境論』で『アメリカはアメリカって言うひとつのアイディアなんだ』っていうのすごく納得した。メモ。柴田元幸さんとの対談読みたかったなー。どこにあるんだろ。 (ついったから拾い上げ+α)

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    投稿日: 2011.04.28
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    日本人に特徴的だと思われている行動を、「辺境」というキーワードで読み解こうとする本。面白いけど検証不能。著者本人も、この本はとても大雑把なので、あまり細かい突込みをしてくれるな、とあらかじめ釘を刺している。本書の半分は、梅棹忠夫を引用するまじめな「日本文化論」であり、もう半分は無責任な放談系のエッセイといった感じの本。

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    投稿日: 2011.04.17
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    2011/4/13読了。 他の日本人論では拾えなかった部分や、それをまとめる論を手にすることができたと感じる。内容がもう少しまとまっていれば確実に☆5つだった。 ○日本文化に原点や祖型はなく、「日本文化とは何か」という回帰性のある問いの形においてのみ存在し、変化そのものではなく、変化の仕方に意味がある。 ○中華文明の一辺境民族としてスタートした日本人は、絶えず外界に劣等感を感じ、きょろきょろして新しいものを外の世界に求める傾向がある。 ○外部のどこかに世界の中心となる絶対的価値体があり、それとの距離感でしかものごとを判断できない。つまり自分自身に絶対的な価値観のものさしが存在しない。 ○日本には、過去と現在への意識はあるが、未来へのビジョンはない。変化は外部から与えられるものであるから、その後にそれにどう対応するかを考えている。 ○世界標準に準拠して振る舞うことはできるが、世界標準を設定することはできない。それが辺境の限界である。 ○外来に対して開放性が高いという特徴は、誰の手も借りずに成し遂げるという自律的な行動を妨げる一因となる。 ○学びは、それを学ぶことが将来的に役に立つと先駆的に確信することから始まる。辺境の日本人にとって、学びの喪失とは伝統の喪失を意味する。 ・特定の日本人らしさを持たず、絶えず変化することこそが日本人らしさ。 ・「国民的規模での無知」が政府の管理によって達成されることは稀である。どんな環境でも、必要な情報はある程度入手でき、そこから類推できる。つまり、無知は国民が無知であり続けることを望んだ場合(知らないふりする場合)にのみ起こる。 ・日本は、自らのあり方を宣言して始まった国ではない。 ・日本人には、日本をどうするか、どのようにあるべきかを自ら決めていこうという意識が乏しい。それは誰かが決めるものであり、それに対してどう思うかという形でしか反応できない。 ・主張するだけで妥協できないのは、それが本当は自分の意見ではない他人の受け売りだからである。自説を形成するに至った経緯を理解していない人とは交渉の余地がない。 ・武士道に於いては、努力と報酬の間に相関があることが確実に予見されることは義に反する。 ・学びたいのであれば、人間のあり方と世界の成り立ちについて教える全ての情報に対しオープンマインドであれ。何を教えてもらうかではなく、何を学ぶかがポイントである。 ・「私はなぜ、何を、どのように学ぶのかを今ここで言うことができない。そしてそれを言うことができないという事実こそ、私が学ばなくてはならない当の理由である。」 ・ある種の能力を発揮できるのは、それを発揮できるようにする予備的能力があるためである。日本人は、外界のものの有用性を先駆的に判断する力に優れている。 ・ヘブライ語で主を意味する単語(YHWH)は、正しい読み方が分からない単語の1つ。 ・専門的な知識について専門用語を身近な言葉に直そうとするのは日本だけである。

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    投稿日: 2011.04.13
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    日本という国を辺境性といった観点からとらえたもの。辺境性の理解はもちろん、筆者の教育に対する考えもとても興味深かった。

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    投稿日: 2011.04.12
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    日本文化そのものはめまぐるしく変化するのだけれど、「変化する仕方は変化しない」ということなのです。 というメタレベルでの思考を愉しむことができる読者には、とても魅力的で興奮する本である。 「辺境」という言葉が持つイメージは、読み進めていくうちに劇的に変化する。 無意識に現代人としての脳裏にはびこる「西洋進歩史観」からの脱却を促し、右も左も喝破し、日本人という形なきナショナリズムの底力へと導く本書。実に様々なコンテンツと切り口をかき集めているにもかかわらず、それが乱れることなく大団円へと進んでいく様は圧巻。 すがすがしい読了感を得られる。

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    投稿日: 2011.04.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    兵法奥義についての張良と黄石公の逸話がとても印象に残った。「私はなぜ、何を、どのように学ぶのかを今ここで言うことができない。そしてそれを言うことができないという事実こそ、私が学ばなくてはならない当の理由である。」この学びのスタンスは大切にしたい。 (要約) 日本辺境論は、端的に言うと「地政学的辺境性が日本人の思考と行動を規定している」ということを述べている。 日本人の思考は『「世界の中心」にどうすれば近づけるのか』という意識に基づいている。日本人が日本人でなくなるとき、それは日露戦争〜太平洋戦争に見られるように「辺境人としての性質」を忘却したときである。  「辺境人」としての欠点は多いかもしれないが、日本人は辺境人だからこそ「効率の良い学び」を身につけることができた。「効率の良い学び」とは「教える側がメッセージに意味を持たせなくとも、受け取る側がメッセージ性を勝手に感知し、読み取ること」である。日本人はこの「効率の良い学び」によって、外来文化の消化を経て来た。  以上のように、日本の地政学的辺境性は日本人の思考と行動に大きく作用しており、日本文化の深層構造に深く染み渡っている。我々は、辺境人的な性質を受容し、辺境人的な日本のあるべき姿を貫くべきである。

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    投稿日: 2011.04.06
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    共感する部分が多く、一気に読みました。日本人とは何ぞやということについて、人々があえて口には出さないようなあえて考えないようにしているような弱点を、ビシバシ指摘しています。確かにそれは疑問を持ったほうがいい、それについて自分なりに意見を言えるようにしておきたいといった内容でした。弱点を指摘されているのに読んでいて嫌にならない、小気味良い読後でした。

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    投稿日: 2011.04.03
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    2010年新書大賞1位の話題作。 ・日本人はきょろきょろする ・他国との比較でしか自国を語れない ・辺境人の「学び」は効率がいい 常に文化的劣等感を持った辺境人の日本人。他国のまねをするだけで、自分たちが世界基準となる意識を持たない辺境人の日本人。耳が痛く鬱になる(笑)本であるが、そんな日本人のすばらしさも語られた素晴らしい本。

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    投稿日: 2011.03.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「日本人とは?」の大好きな日本人。人の目が気になる。常に自分より優れたものを外から探し出して、それに自分を合わせていく。思考停止も得意。そんな日本人だから良いことも、それがマイナスに働くこともある。色々、自分の考えと重なるところがありました。

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    投稿日: 2011.03.29
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    日本はいつも相対評価で見て判断している。 きょろきょろとまわりを見回している。 それは、辺境にあるという地理的な要因がかかわっている。 辺境にあるという自意識が日本人を形づくっていて、それはずーっと昔から。 『そうそう!』と、思うところは、上記について書いたところで、 後半は、理解できず。 もう一度読もうかな。 この人の本はオモシロイと思う。

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    投稿日: 2011.03.29
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    日本国民のスタンス、世界へ対する姿勢とかが腹に落ちた解説だった。なかなか面白い見かた・まとめ方で、興味深かった。いくつかは詭弁のようにも感じたが、それでも僕には斬新なインパクトが残った。なるほど、外からきたものを本流として成り立ってきた国が日本であるとして、ものの考え、師弟関係、日本語の構造、宗教観に至るまで、すべてがつながっている。文化論ってなじみがなかったけど、なかなか面白いものですな。インターネットがどうとか、コミュニティがどうのとかもいいけど、文化の源流を考えるのも一興。ものの考え方・一般教養としてもいいかもね。

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    投稿日: 2011.03.29
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    日本人はキョロキョロする。他国との比較でしか自国を語れない。 などと聞くと、日本人辺境論=日本の悪口、と思われるかもしれないが、「とことん辺境で行こう」というのが著者のスタンス。 著者自らこの本について「大風呂敷」と言っているように、「辺境」という切り口だけで日本文化を説明しているので、大雑把で厳密性はないが、その分非常にわかりやすい。それでいて非常に深い考察をしている。 ただ、3章についてはやや難しく、理系の人間からすれば、著者の「学び」についての主張は受け入れがたいものであるかもしれない。 日本文化についての本を読むのは初めてだったので、勉強になりました。

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    投稿日: 2011.03.28
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    日本人であるという事についてここまで深く考える機会は幼少期以来かもしれない。辺境の地にありながら日本が国際社会の中でどのように現在の地位を築いたか、また日本人の考え方、物事の捉え方など自分の身に置き換え頷くことしきりであった。武道の話、師匠と弟子の話、政治という概念が初めて日本に入って来た時点で既に、、、という話は自身のアイデンティティを刺激された。 まさに未曾有の国難と呼ばれる311、立ち返るべき原点・初期設定がない我々にとっては解決策を含まない批判や疑情報に流されるのではなく、1人1人が、日本人としての尊厳と威信をかけて1つになり復興に尽力するべきである。本書通りの未来が待っているか、またこの国難を将来の私たち子孫の礎とするかは1人1人のマインドにかかっている。

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    投稿日: 2011.03.28
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    東北関東大震災の前に何気無く読んでいた本。 何ら目新しい内容は無く「ふ~ん」て感じの感想だったけど、ここのところその内容が思い出される。 辺境であるが故に今回の震災も必ずや乗り越えることが出来ると思えるのであります。

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    投稿日: 2011.03.28
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    「虎の衣を借る狐の意見」の節には唸らされた。 『(抜粋)ある論点について、「賛成」にせよ「反対」にせよ、どうして「そういう判断」に立ち至ったのか、自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人とだけしか私たちはネゴシエーションできません。』 自分の意見を述べるとき、独りよがりの浅はかな思い込みか、あるいは他人の受け売りか、「自説を形成するに至った自己史的経緯」を語る事から逃げて来たような気がする。自分の言動を顧みる度に読みたくなる一冊。

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    投稿日: 2011.03.27
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    常に「中心」と比較することでしか自らを語れない辺境人としての日本の「特殊性」を、建国の精神を持つアメリカや中国の中華思想と比較して論じている点は内田さんとしては意図するところなのだろう。 「はじめに」を読んで本文を読むのを止めようかと思ったが一応完読した。辺境人の特性として創造よりも「学び」を得手とする、という点は納得。

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    投稿日: 2011.03.26
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    私めが沖縄へ抱いている感情を指摘されているようだった。後半の日本語の話やレヴィ=ストロースの話は解りやすい。というか、再認識。忘れていたことを思い出す。

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    投稿日: 2011.03.09
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    空気で戦争、自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人間、他人の意見を受け売りしている時の過剰な断定。日本論の大風呂敷をコンパクトにまとめた本。

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    投稿日: 2011.03.08
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    読了。たまたま「史上最強の内閣」と同時進行で読んでいた。この論の立位置から両方の本を読み込むと、辺境論もしかり かという感想を持つ。 偏狭でない考えでこの論を論破でき得るのだろうか?

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    投稿日: 2011.03.08
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    同意できないところはある(その辺は筆者もわかっている)が、 日本人とはなんぞや? という問い興味深い回答を示してくれるものだった。 最後の方とか言いたい放題やけどw なるほどねーと思わされた部分も多々。 機会があれば日本人について言及した他の著者のものも読んでみようと思った。

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    投稿日: 2011.03.08
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    世界の中心になれない楔を打たれた日本人。 そこから逃れる術はない。 けれど、 辺境の民であることを嘆くよりも、 辺境の民であることを楽しんだほうがどれだけ意義深いだろう。 世界において、 日本人の役割は結構重要だと思う。

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    投稿日: 2011.03.03
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    「日本人はきょろきょろしている」 たしかにそう。 でもそれが良い/悪いということではなく、そういうものなのだ。 だって、「日本人はきょろきょろしている、だからダメなんだ」と批判している日本人がいたとして、実はその人も「日本人はきょろきょろしている(他国の人はそんなことしないぞ)。だからダメなんだ」ときょろきょろしているわけで。 日本人という辺境人の在り方を、過剰に肯定/批判することなく、「そういうものなんですよ」と教えてくれる良書です。

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    投稿日: 2011.03.03
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    日本人はきょろきょろしている。これほど腑に落ちる言説はない。さすが内田センセーだなと感服した。 他国との相対的な位置づけでしか自国を定義できないのである。日本とはこれこれであるという確固たる国民的合意が存在しないこと・日本とは何かとたえず問いつづけなければならないことが唯一日本的であるものなのである。   マンガの圧倒的な発達の理由として、養老先生の受け売りであるが、漢字ひらがなカタカナの表意記号と表音記号を並列的に情報として処理する構造を日本語はとっていることをあげている。マンガを読んでいるとき日本人の脳は絵を見ているとき漢字と同じ表意記号として認識している、ふきだしのセリフについて、表音記号であるひらがな・カタカナとして認識しているのである。こうした処理が同時に簡単にできるために、広く読まれるようになるし、競争原理が働いて飛びぬけたクオリティを実現しているのである。

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    投稿日: 2011.03.01
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    「やっぱり変だよ日本の営業」は宋文周さんだっけ? 日本辺境論ではいくつかうなづけ点もあったが、少し難しかった。

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    投稿日: 2011.02.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んでいてだんだん落ち込んで来た…。うん、わかっちゃいるけど…って感じ。 自らの社会の中からの変革や新しきものへの、「日本人」自身の厳しさ、「劣等感」が好きという、変えたくない力の根源のようなものをおぼろに感じた。 日本人を表す「キョロキョロ」や子供っぽさに関しては既読の「逝きし世の面影」の内容にも合致すると思った。

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    投稿日: 2011.02.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    日本人自身の中には外なるものに価値を見出し、自分の中には価値をみとめない。また、そのものに価値がある(ない)理由を考えない、という視点って新鮮だったけど、それを聞いてからいろんなところでそう感じることがあった。 というか自分もそれなんじゃないかって思う。

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    投稿日: 2011.02.10
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    いろいろな人の文章が引用されているので、これをきっかけにして読むことができると思う。私は新渡戸稲造の武士道に興味を持った。 しかし、議論している対象の大きさ(個人かある程度の集団か、一瞬のことか数百年のことかなど)に飛躍があるなど、その解釈に少し無理があると思った。 筆者の上から目線の文章は、本人も自覚していたようだ。

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    投稿日: 2011.02.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    日本人はキャッチアップは得意だけど、自分で前に立つのは苦手・・・自分に当てはめてみて納得。これじゃいかんのかな。

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    投稿日: 2011.02.10
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    すごく分かりやすかった。 表音文字と表意文字(男言葉と女言葉/世界-日本(辺境))についての話がとても面白い。 ユダヤ人と日本人の共通点というのも興味深い。 ぱぱっと読んでしまったのでもう一度読み直す必要がありそう

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    投稿日: 2011.02.01
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    話題の本だからこそ評価が分かれるんだろうが、ひとつのアプローチではある事は認めるべき。この本を盲信するのも日本人ぽく、頭から否定するのも日本人ぽいように思えるが、外人論を知らないので、内容的に日本人特有の事なのか否かは疑問の残るところではある。まあこの事は全ての日本人論に言えることではあるんだが。言語的特有性に関しては頷ける部分はあるが、アジア各国には日本と同じ形態の所もあるらしい。著者は「辺境でいこう」と肯定しているが、私はキョロキョロはやめて、ガラパゴス的に生きていく道を選ぶべきだと思う。その為に必要なのは憲法改正なのかもしれない。

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    投稿日: 2011.01.31
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    「サブカル」という言葉が耳になれてきた頃、では日本のメインカルチャーとは何なのかと考えてみたことがある。が、現在われわれの手の届く範囲の文化のうち、思い当たるどの歴史を辿っても、せいぜい千年モノがいいとこである。浅いものは100年にも満たない。メインカルチャーというのは、時勢に流されてコロコロ変わるものなのだろうか。 そこまでかんがえたとき、どうも固有名詞的な文化ではなく、文化の受容の仕方というメタな部分にこそ、日本文化の重心があるのではないかとおもうようになった。日本はいったいどのようにして文化を育んできたのか。 以上は前置きである。その答えのひとつが、この本にある。そう、鮮烈に感じた一冊であった。

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    投稿日: 2011.01.29