
総合評価
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powered by ブクログはああ。わたしって辺境人のなかの辺境人だ〜 でも、日本人がみんなそういう素質を、遠いむかしから受け継いできている事実はよくわかったので、 学びの姿勢ですすんでいきたいもんです。(R)
0投稿日: 2010.03.03
powered by ブクログ日本人の自己評価は絶対評価ではなく、相対評価である。日本人にとっての学ぶ力とは、「先駆的に知る力」である。おれ、典型的な日本人だわ。よく分かる。
0投稿日: 2010.03.01
powered by ブクログ色々うまいこと言うな~!って思いました。日本人ならうんうんそうだよね…ってなるというか。序文でだいぶ予防線張られているので(笑)細かい突込みはできません。というか新書でこんなに大風呂敷を広げたらそら粗い論にもなりますて。なんかこう、大学の講義で先生が雑談してる感じで読むとよいのでは。講義って雑談がいちばんおもしろいんだよね…。 もしかして『「機」の思想』の章ですか、「筆がすべってる」ってのは。 ここだけ私ちょっとついていけなかったもんで… 「知機」っていうのはそうか、「相手の心を予測する」というのではもう遅いんだ、意識する前に同調するという感じなのか。というのはなんとなく…。
0投稿日: 2010.02.28
powered by ブクログ著者がこれほど政治的な話題に言及するのは、私にとってこの本がはじめてだったので、ある意味新鮮だった。 まあ、日本論なのだから当然かもしれない。
0投稿日: 2010.02.24
powered by ブクログ非常に分かりやすく、日本人について俯瞰的に考えさせてくれる一冊。 「辺境」とは世界の中心である「中華」に対する言葉であり、 自ら何かを創ることをせず中華から与えられたものをうまく変化させて受容する態度を示している。 この態度は決して悪いものではなく、 こうした態度によって日本人は外交を巧みに行ってきたし、 外部の入力に対する応答も優れている。 ?「機」の思想 は分かりにくかった。
0投稿日: 2010.02.21
powered by ブクログ何かの理由で挙国一致的な努力が要されるときは、このままでは世界標準から遅れるぞ、世間の常識を知らない田舎者でいいのか、と言われる。 世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することができない、それが辺境の限界。 司馬遼太郎の作品で翻訳されているのはたったの3点、吉本らの外国語訳もされていない。
0投稿日: 2010.02.18
powered by ブクログ絶対的な権力者との距離の取り方は絶妙 それが辺境の地の日本人なのだから それでいいではないかという 内田樹先生独特のいいっぱなしの語り口。 先生の本心かどうかはよくわかりません。
0投稿日: 2010.02.15
powered by ブクログとりあえず日本人の主体性のなさ、お手本がない場合の危うさについて、その理由を述べている。 逆にお手本を作ればうまくいくかもしれないので、少子化対策はフランスをお手本にするとか、労働問題はオランダお手本にするとかとにかくお手本をとりあえず作ってしまえばいいのではないだろうか(極論)
0投稿日: 2010.02.13
powered by ブクログ日本人自身はなかなか気付かない、日本人の気質というか物事の受け止め方をうまくまとめています。 日本人は世界の中でも例外的に「日本人とは?」と考えたり、読んだりするのが好きだ、と書いていますが、実際、この本がかなり売れているみたいなんで・・・そうなんでしょう(笑
0投稿日: 2010.02.13
powered by ブクログ今まで日本人の言動に対し疑問を持つことが多かったが、本書で解決した点もあり、また今後考える上でのヒントを大いに学んだ。 繰り返し熟読する価値アリ。
0投稿日: 2010.02.11
powered by ブクログ恐らくかなり難解なことを、とても分かり易い言葉とたとえ話で、細かく順序だてて話が展開されていき、気がついた時には、「こんなところまで来てしまった。」「あれ、結局何の話だったんだろう?」と頭の悪い僕にはそんな感覚に落ちる本である。 しかし、とても大切なことがたくさんちりばめられていて、様々なものを学んでいく上でヒントになるようなことが随所にある。うんうんうなづきながら読んだ箇所がどんなに多いことか。お陰で付箋だらけになってしまった。 ああ、おもろかった。日本人であることが、楽しくなったのである。
0投稿日: 2010.02.11
powered by ブクログこの本はお掃除本である、と著者が題する内容。日本人とは辺境人である。辺境人だからこそ、相対化しないと自身の位置が確保出来ない。「きょろきょろする」(丸山眞男)。そんなやり方をとことん貫こうよ、という内容。中華思想にあり、明治維新以降においてもそのメンタリティーは代替されなかった(先行者の立場から他国を領道することが問題になると思考停止に陥り、ベルサイユ条約以降もとことん帝国主義、あまねく東洋を威服せんをやり続けた)というのはなるほどと思った。以下、気になった箇所。何が正しいのかを論理的に判断することよりも、誰と親しくすれば良いのかを見極めることに専ら知的資源が供給される。情報量の多寡と状況判断の当否は必ずしも相関しない。教化的とは諸君はまだ知らないが、私はすでに知っているからであるという言葉を口にすること。保証人を外部の上位者に求めてしまう弟子の思想(=辺境人の思想)。しかし、辺境人の思想は根本的な問い(必要性、それが何のためか)という議論ではなく、一時的に愚鈍になり(適否の判断を一時棚上げし)、知性のパフォーマンスを上げてきたとする(同じようなやり方が出来るのはユダヤ人だと内田氏は続ける。)。最後に学ぶことの意義、メリットデメリット論が学ぶ力を衰退させているとしている。終盤は水村美苗氏の『日本語が滅びる時』を彷彿とさせる内容でした。日本のやり方、キャッチアップのまとめとして有用かも。
0投稿日: 2010.02.07
powered by ブクログ「その欠点は、同時に、外来の知見に対する無防備なまでの開放性というかたちで代償されている。外来の知見に対したとき、私たちは適否の判断を一時的に留保することができる。極端な言い方をすれば、一時的に愚鈍になることができる。それは一時的に愚鈍になることによって知性のパフォーマンスを上げることができるということを私たちが(暗黙知的に)知っているからです。」-『辺境人の「学び」は効率がいい』 評論は、それは常に批評として位置づけられる定めを負っているとも思うけれど、論者がどれだけ自らを中立的な立場に置こうとも、批評の矛先を向けられている側は、論者が中立地帯という安全域に逃げ込もうとしているように捉えがちで、となると常に対立的な構図を生むことになるのだろう。そう自分で書いていながら、言葉のバランスに気を使っている自分がいることもうすうす感じる。裏に保身的なニュアンスが見え隠れする「地雷を踏まないように」する気持ちがある。つまり自分も中立的な立場を探っている。 内田樹先生の評論は、そういううじうじしたところが無いのが最大の魅力だろうと思う。もちろん、内田先生も自分の立場が中立的なものなんですよ、というメッセージを書くには書くが、一般的に評論が背負わされている上記のような構図は、さしもの内田節でも逃れようはないだろう。そして恐らく、この本の批評性に、とにかく異議を申し立てる人は出てくるだろうし、自分の見解に対して判断を留保しない(ということと自説に拘泥するということの違いというのを、こうも見事に示されると、その鮮やかさに目を奪われ論説そのものをよくよく吟味もせずに受け入れてしまいがちになるのだけれど)態度に、気分を害する向きもあるだろう。でも、この本で述べられていることは、常に俯瞰的な視点から示された知見であり続けているように思うし、その知見を一端受け止めて吟味する価値はものすごくあるだろうと思う。 「街場の中国論」で華夷秩序という考え方を学んだ時にも何か胸のつかえが取れたような感慨があったけれど、その視線をぐるりと東へ向けて見れば、この本に書かれているような日本人論に行きつくのは当然であるのにも係わらず、全く日本人である自分を棚に上げて中国とその他の「えびす」のこととして話を理解してしまっていた自分がいたことを、改めて気付かされた。更に、その「棚に上げた感じ」が辺境人としての癖に繋がっていることも指摘された思いがあり、二重にやられたという感じがする。でも、よく日本人はディベートが下手だとか、建設的な批評ができないとか言われるのが、日本語に沁みついた関係性重視という特徴にあるのだとすれば、自らを中立的な立ち位置へ追いやっておくことは案外建設的なことなのかも知れないな、とも思ってみる。まあ、一般的には「評論家的態度を取る」として忌み嫌われ易いけれども。 この本の中で一番気になったのはレヴィナスの教え。「起源からの遅れ」という感覚は自分には案外なじみのものであって、それは自分が早生まれであることに由来するものなのだろうと、ずっと勝手に納得してきたのだが、しかしそれは辺境に生まれたことを前提として受け入れている日本人の根底にある感覚であると諭され、大いに納得する。まあ、そういう態度がそもそも辺境人的ではあるとも思うが。 それでも、内田樹先生の評論を読むと元気がでるし、やはり自分は「だから追いつけ」という言を吐く側(つまり虎の威を借る側)の人にはなりたくないし、コツコツ自分に解る言葉で理解を重ねていきたいと思うことは案外悪いことじゃないという気が、今さらながらにしてきた。だって、最初から遅れているなら今更遅すぎるということもないだろうし。 「ゲームはもう始まっていて、私たちはそこに後からむりやり参加させられた。そのルールは私たちが制定したものではない。でも、それを学ぶしかない。(中略)何しろこれが何のゲームかさえ私たちにはわかっていないのだから。」-『辺境人の「学び」は効率がいい』
0投稿日: 2010.02.06
powered by ブクログ武田鉄矢さんが、ある番組で紹介しているのがきっかけとなって読んだ本なんです。 日本人は、何故国の成り立ちを知ろうとしないのか。 君が代は、ヨーロッパ人が作曲したことをどれだけの人が知ってて反対しているのか。 とっても勉強になる一冊です。
0投稿日: 2010.02.05
powered by ブクログ日本の中華に対する辺境性を語った本。内容はわかりやすく、単純な論。 なにはともあれ言葉づかいというのはやはり大切だなと思った。きっと著者と直接話してもそういう風に感じるのだろう。癪に障る。出だしが一番きつい。 何を学ばなければならないのかを先駆的にわかってしまう、という。絶賛するほどではないけど、民族論(日本人固有の文化らしい)もたまにはよい。 はやりの本を本屋で買う。新書ランキング1位だった。
0投稿日: 2010.02.05
powered by ブクログ世界の中心である世界標準から真似たり改良するテクニックを身に着ける一方で、世界標準を自ら設定する思想を捨て去った日本の在りのままの姿が見えました。 http://d.hatena.ne.jp/separate-ks/20100203/1265203411
0投稿日: 2010.02.03
powered by ブクログ2010.2.2 図書館。 確かに日本てのは回りをキョロキョロして、あの国がこうだから日本もこうあるべきとかばかりですね。辺境というキーワードで考えるとすっきりしますね。日本は各国を引っ張っていくようなリーダーにはなれないか、それはそれでいいですよね。
0投稿日: 2010.02.02
powered by ブクログ大学の授業で、モンゴル語科の先生が「中国語やってる人は中華思想までうつるんですかね」とぼやいていたことを思い出した。 「日出づる国」なんて自慢しても、結局は中華思想に囚われてるんだ。
0投稿日: 2010.02.01
powered by ブクログ筆者は梅棹忠生の「文明の生態史観」という本からの引用で、この本での筆者の主張を要約している。それを更に要約して言えば、「日本人には文化的劣等感が常につきまとっている。本当の文化は、どこか他のところでつくられたものであって、自分のところのは、なんとなく劣っているという意識である。おそらくこれは、はじめから自分自身を中心としてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族のちがい」ということだ。辺境というキーワードを使って読み解く日本人論である。なるほどそういうこともあり得るだろうな、と思いつつ読み進み、ほとんど一気に読み終わった。一気に読み終わったのだから、この本を自分はかなり面白く感じたのであろう、と思うのだけれども、でも不思議なのは、私自身は少なくともこれまで、日本人論には何の興味もなかったことであり、読み終わった今もほとんど興味を覚えないことだ。現在の中国、中華の辺境に位置する民族として歴史をスタートさせた日本人は、外からの文化・文明に対して劣等意識を持っていて、それが日本人の行動や思考のあり方に影響を与えているという主張なのだろうけれども、それは自分にとってはどうでも良いことであり、ほとんど興味がないことである(実際、この本に何が書かれていたのか、を詳細に思い出すことは既に難しい)。それでも、この本を面白く感じ、一気に読み終えたのは、一に内田樹の論の進め方とか、論の記述の仕方が自分は好きなためとしか考えられない。テーゼの立て方と立論のロジック、それを記述する際のレトリック、どれをとっても、自分にとっては小気味が良く、だからどんなテーマであっても、というか、この本のように、全く興味がないテーマであっても、ついつい一気に読んでしまうことになってしまう。
0投稿日: 2010.01.31
powered by ブクログ大変知的好奇心を刺激されて面白い!参考文献の幅の広さと解説もすばらしく、「勉強しなくちゃ」と思わされます。言い回し等知らない言葉が多く、辞書がないと着いていけない部分もありますます勉強です
0投稿日: 2010.01.28
powered by ブクログ目からうろこ的な博学は読んでいて楽しい。 ただ、相変わらず、民族性(つまり性格)が遺伝性のものかどうかが問われないままに論が進められているのが残念。
0投稿日: 2010.01.28
powered by ブクログ実に面白い日本論である。出羽の守が跋扈する環境にいる私としては、納得することしきりである。これまではそうした出羽の守的振る舞いをただただ苦々しく思っていたのであるが、なるほどそれにも順機能(われわれ日本人の知的パフォーマンスを高めるという機能)があったということがわかり、そうした振る舞いにも少しは寛容になれるのではないかと思った次第である。
0投稿日: 2010.01.26
powered by ブクログ決してつまらなくは無いけど、『街場の中国論』を裏から書きました感が否めない。 個人的には、内田さんの作品は『レヴィナスと愛の現象学』と『ためらいの倫理学』と『死と身体』がぶっちぎりと思っている。面白い本が三冊も書けるだけで十分ではあるが。
0投稿日: 2010.01.24
powered by ブクログ「辺境」という言葉を聞くと、大学時代に習った周辺理論を思い出す。歴史の中で、新たな文明の担い手は、現在の文明国の周辺でなく、辺境から生まれると。 この本は、新しい日本文化論である。日本人論としては、かつて「菊と刀」「日本人とユダヤ人」等記憶にある。それぞれ読んだと思うが、あまり記憶に残っていない。 本書は、「辺境」をキーワードに、歴史的な日本人の受身姿勢等日本人・日本文化の特質を説く。 一部哲学的な部分は難解であるが、全体的に分かりやすい文章になっている。
0投稿日: 2010.01.24
powered by ブクログ家にあったから何となく読んでみた本。 単純に面白い。どんどん読んでしまう。この本では、日本人は建国していない。それに対し、アメリカは自分たちで建国した。そこに愛国心の違いがある。日本人には、オバマ大統領のような演説はできないだろう。独立国でありながらアメリカに守られた半端な存在。とにかくこの本では、アメリカや中国と比べて日本の位置を確認している本である。
0投稿日: 2010.01.22
powered by ブクログ内田教授、ちょっと文体が変わったのではないかな。いや、確かに以前からブログ等ではこんな感じだったけれど、中国論やアメリカ論の時はもう少しスクエアな文体だった。目新しいことを語っているわけではないという「照れ」かしらん。他の方もお書きの通り、日本人論としての前半は説得力充分。「学び」の起動についての論考は何度読んでも感動的ですらある。辺境の民であるからこそ日本人は学ぶことに長けていて、巧みにベネフィットを得てきたという指摘にはうならされた。これまた皆さんおっしゃる通り、問題は後半である。武道における「機」について、また、日本語という言語について展開される論はにわかにはついていきにくい。特に日本語についてのくだりは教授自身ちょっと腰の引けた感じもする。エクスキューズが多いというか。それでもやはり、こういうある意味で学術的なテーマをこれだけ一般人に読ませる人はあまりいない。(欧米の学者はそういうことをしないという指摘は新鮮だった) 論壇での一人勝ち状態は当分続くのではないか。もうひとつ、若い頃読んで衝撃を受け、大きく影響された岸田秀の論考を、教授が高く評価していることがわかってちょっと嬉しかった。
0投稿日: 2010.01.18
powered by ブクログ年末年始にかけて。 なんとなく色んな本を読んでいて、 (あれ、この展開に既視感覚えるぞ?)と思い、 たくさん読んでいるにもかかわらず、似たようなことを堂々巡りしている感じがしてしまうこと。 これってきっと、「日本人とは何か」を姿かたちを替えて幾度となく自分に、日本社会に問い給う人たちの作品を読んでいたんじゃないかと思う。 知識が上滑りしていく感覚。 何も深まらないような気がしてしまう感覚。 そこから抜け出したいと願うが何か抗えないものを感じてしまう感覚。 私がやはり「日本人」だからなのだろうか。 辺境魂故の利点を生かしつつ、 どうしようもない血肉化してる「行為のパターン」から生まれる悪しき点に抗ってみるのならば、 私はこの本を最後に、「上滑りしていく感覚のない本」を意識して選ぶようにしなくちゃならんだろう。 それはどんな本かって言ったら、ちょいと昔の本であり、今までお目にかかったことのない分野の本であり、海外の本であったりするのかもしれない。 「上滑りしていくような本」は、「読んでいて頭がすっきりするような気がする本」であり、「何だか安心する本」なのは当然なのだ。 「私も同じ気持ちよ!」って気分が味わえるのだから。 そんな本、もういいか。なんてこの本読んで思ったり。
1投稿日: 2010.01.08
powered by ブクログ内田樹さんが、日本、日本人を辺境というキーワードから多種多様に論じてます。 日本人としてこれからどうふるまうべきか、そんなことは書かれてませんが、そういうことについても、考えさせられる一冊です。
0投稿日: 2010.01.07
powered by ブクログ日本人の国民性を、中華を中心とした世界感に置ける辺境性から論じる。 著者も言っているが、この手の論議は昔からあったそうです。 しかしながら、養老孟司はともかく丸山先生の本とかはなかなか難しくて手が出ないもの。 その点、この本はそれら先人の情報が上手くまとまっていて読みやすかったです。 日本は特殊な文化を持っているとは感じていましたが、それを地理的、文化的な距離感を使って説明するとだいぶしっくりする感じがしました。 ぜひご一読を。
0投稿日: 2010.01.06
powered by ブクログ日本人ほど日本人論が好きな民族はいないと良く言われる。 常に外からの目を気にして、遅れていないか心配している。 なぜそんなメンタリティが生成されたのか。 著者は日本は古代から辺境国家であった事に着目する。 ・他国との比較を通じてしか自国の目指す国家像を描けない。 ・アメリカのように「我々はこういう国家である」というアイデンティティが持てない。 ・私たちは(開戦のような)きわめて重大な決定でさえその採否を空気に委ねる。 ・辺境である事を逆手に取り、政治的、文化的にフリーな立場を得て自分たちに都合のいいようにする〜面従腹背に辺境民としてのメンタリティがある。 ・後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するが、先行者の立場から他国を領導する事になるとほとんど脊椎反射的に思考が停止する。 ・辺境民の特質として「学び」の効率に優れ、「学ぶ」力こそが最大の国力である。 ・辺境民の特質は、日本語という言語の影響が大きい。 説得力がある民族論。著者は決してこれを悲観的に捉えている訳でなく、逆に辺境であることを受け入れて、独自の文化を世界に示していく方がいいと語る。大いに納得させられた。
2投稿日: 2010.01.03
powered by ブクログ少し前の朝日の書評で「売れてる本」の欄で取り上げられていて、ちょっと興味を惹かれたので買ってみた。日本人と何か、日本文化とは何か、という問いに対し、“辺境性”という補助線を引くことにより、その特殊性を際立たせる試み。「思想と行動の一貫性よりも場の親密性を優先させる態度」とか「世界標準に準拠してふるまうことは出来るが、世界標準を新たに設定することは出来ない」という日本人の特性を、多様なテーマの中をあちこちに飛びつつ論じる。色んな事例を挙げ『常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ』と論証し、それも別段捨てたもんじゃない、とことん辺境で行こうと提案する前半はすっきり入ってきてとても興味深い。話が“機”とか宗教の領域に行く後半は付いて行くのがちょっとしんどかった。
0投稿日: 2010.01.02
powered by ブクログ相変わらずの明快っぷりで嘆息。 日本人はコロコロと振る舞いを変化させる。 しかし、その変化の仕方はずっと変化していない。 「日本ノ新生ニサキガケテ散ル」 のくだりも必読。
0投稿日: 2010.01.01
powered by ブクログいつもながらのネタも含めて、なかなか面白く読めた。 言葉を引っ張り出すと、 「日本人、日本文化はそれが何かというエンドレスの問の中でしか存在しない」 「アメリカとはアイデアである」 「私たちには立ち返るべき過去がない」 過去があり、今がある。 私たち日本人には歴史の中に、国家建設という主体性を持たない。 受動的な国民性が、中心と周縁という考え方に根ざした中華思想を受動的に受け止め、その周辺に自ら進んでなることで、自分たちの定位置を定めた。日本人は、常に、他の国がどうであるかという、中心と周縁の関係の中で、思想をめぐらしていきた。明治維新のときも、それが、欧米に変わっただけである。 オリジナルを作り出せない、常に模倣の中に自ら置き、それを日本風に解体、再構築することで、日本国を形成してきた。 だが、しかし、そうであるが故に、自分の有り様を相対的な関係のなかでしか、言い表せない。 たとえば、そこそこの国でよいのではないか、と高校生たちが論じたそうだが、この「そこそこ」ということばには、Aという一流の国でもないが、Bという三流の国でもない。という、他国との関係(しかも、このそこそこが、筋的な何かをさしているのか、文化的な何かをさしているのか、よくわからない、けれど、日本人てきには、このことばで、ある程度了解してしまう、何かを共有している)をいい表したそうだ。 明治維新という奇跡を起こした日本が、第二次世界大戦という暴挙を起こすにいたって、なぜ、それを起こしたのか?それを論理的に説明することができない。これを説明すると、明治維新は模倣であり、第二次世界大戦はオリジナルであるということだろう。欧米のスタイルを日本風にアレンジし、採用する力はずば抜けており、その力で明治維新を行い、急速にちからをつる。しかし、第二次世界大戦は前例がない。(第一次世界大戦では、日本は積極的な戦争行為に及んでいない)。当時の中華思想の日本版ともいうべき、アジアの進出を行い、真珠湾攻撃に及ぶ首脳部は「そういう空気だった(私は反対したが)」と口を揃えて述べたそうだ。もしくは、歴史的な解釈も、ABCDラインで戦争という手段に「追い込まれた」というような受動的なロジックを採用することもある。 日本は世界標準に追いつくことは得意だが、世界標準を作ることが苦手である。つまりは、そういうことなのだ。 戦争の話でおもしろかったのは、「皆、情報をとることができず、日本の優位な状況を信じ、戦争を支持したというが、これは嘘だろう。なぜなら、明治維新期はより、世界の情勢などを知ることは困難であったはずだが、次々とより有益な情報が世間をめぐったからだ。 戦争を選択するのを、だれもロジカルに思考し、行っていない。というような内田の意見であり、これがまさに日本人的であるという。 良くも悪くも、「勝てば官軍だろう。だから。ポーランドにだって進行するぜ!」というようなヒトラー的判断、口述は決してしないようだ。 (そういう彼も、アメリカの事例など(憲法のことなど)を引き合いに出し、日本人を述べているので、まさに、この日本人の典型として、日本人の本書で述べているのがおもしろい<本人も気づいているだろうが>) また、途中に熱くなってしまったのか、日本人論が、師と弟子の話や、張良の話になるなど、横道であったような気もするのだが、今までの彼の著作との関係性を断ち切ることはできないので、これはこれで良いのだろう。今回はレヴィナスの話として、他者論があまり出てこなかったか。 武士道は、宗教に代替し、庶民まで浸透することで大和魂になる。 師は弟子にコンテンツを教えるのではなく、マナーを教える。 「良い質問ですね」という回答は、自らを上位におくことを意味する。 *空気が支配する日本 について述べられているわけだが、 その空気をだれが、どのように作っているかは述べられていない。 たしかに日本ではそうかも知れない。たしかにそういうものがある。 そして、逆に言えば、この「空気」を作為的につくることができたら無敵だろう。天下無敵。この内田的な言説においても。
0投稿日: 2009.12.31
powered by ブクログ2009.11.28読了。 国の成り立ちから言って、世界を引っ張る中心になることはできないし、それをだれも望んではいない。だからとことん辺境で行こう!というのが氏のメッセージ。 無知であるふりをして、実を取る。そんな日本人の得意技をくりだして、世界の中でうまく立ち回る。そういう生き方に、大いに同意。
0投稿日: 2009.12.27
powered by ブクログ内田先生の本はほとんど読んでますが、今回もとても良かったです。 ちなみにこれはブログをまとめた本ではないので結構固めの書き方してます。 この本を読んで、「そうか、だから日本はダメなんだぁ~」ってな感想はまさしく辺境人の感想なんだよねぇ~。 そんで問題はこの辺境人は国内の関係においてもキレイに入れ子構造になっていて、東京に対する地方の眼差しって辺境人の中の辺境人の眼差しなんだよね。 そんな私はスーパー辺境人。。。
0投稿日: 2009.12.21
powered by ブクログ2009年12月24日読了 内田樹の文章には、よく「補助線を引く」という表現が出てくるが、正にその通り。 「辺境の国、日本」という補助線のおかげで、極めてすっきり諸所の問題を理解できるようになる。 「辺境性」に自覚的になりながら、メッセージを送り、アクションに繋げる。 その先は、また別の世界があるのだろうか、ということを考えた。 2010年10月12日再読 ドイツの方々との国際プロジェクトに関連して、色々と思い悩み再読。 改めて多くの発見があった。 周辺を上位化するのではなく、相対化した上で、ものごとを動かしていくことができるか。 ロジックだけで、議論ができるか。 チャレンジ。
0投稿日: 2009.12.20
powered by ブクログ決定的に面白い、日本人は「辺境人」【 赤松正雄の読書録ブログ】 2年ほど前に、内田樹『私家版・ユダヤ文化論』を読んで、「なぜユダヤ人は迫害されるのかとのミステリアスな問い」との見出しで、さっぱり分からないと嘆くばかりの読書論を書いた。その内田さんが今度は『日本辺境論』を出版された。養老孟司さんによる「これ以降、私たちの日本人論は本書抜きでは語られないだろう」との絶賛文つきの話題作だ。あとがきに、この本のタイトルは「私家版・日本文化論」でも良かったと書いているように、二冊合わせて「内田版・日本人とユダヤ人」になっている。日本人論が大好きな私は、かつて公明新聞記者時代に、識者に日本人論を書いてもらう企画をたて原稿取りに歩いた。岡本太郎さん始めいろんな人に会ったのは懐かしい思い出だ。そんな私が掛け値なしにこれまで読んだもののなかで、最も面白い日本人論だといえる。 「他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない。国家戦略を語れない」のが日本人のきわだった国民性格で、「侵略相手の国民にさえ、空気の共有や場の親密性を求めてしまう」―などと指摘され、なるほどと納得し、それらが畢竟「辺境人」であることに端を発しているとの議論の展開にうなる。その辺境人の本質は、日本語と共にあるとの指摘はかなり痺れる。「外来のものが正統に地位を占め、土着のものが隷属的な地位に退く」―漢字(真名)と仮名の関係を説きほどいた最終章は圧巻だ。 「韓国でもベトナムでも、母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります」が、「その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれ」るのは、「世界的にはきわめて例外的」だとの指摘は息を呑む。それは何故なのか。ユダヤ人論とはまた違った意味でのミステリアスな問いかけの連続もあって、一気に読ませた。
0投稿日: 2009.12.17
powered by ブクログ最初の章は日本人の思想の矛盾について書かれていて批判的な文章を読むのが苦痛だった。 でも読み進めていくうちに辺境にあるからこそ日本があるという風に思い返せた。 ひとつだけ思ったのは、アイデンティティは他者との関係性で分かるもので日本人が他国との比較でしか自分たちの国について語ることができないというのはそれほど不自然なことではないのかなと僕は思ったけど。
0投稿日: 2009.12.12
powered by ブクログ091206 by朝日 自分では世界標準を決して作ろうとせず、なんとなく体制に流されて、、、辺境人たる日本人の特性・行動パターンを分析して、なかなかスリリング。 ----- 1 日本人は辺境人である(「大きな物語」が消えてしまった. 日本人はきょろきょろする ほか) 2 辺境人の「学び」は効率がいい(「アメリカの司馬遼太郎」. 君が代と日の丸の根拠 ほか) 3 「機」の思想(どこか遠くにあるはずの叡智. 極楽でも地獄でもよい ほか) 4 辺境人は日本語と共に(「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか. 「もしもし」が伝わること ほか) ----- 日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。
0投稿日: 2009.12.09
powered by ブクログ2009年12月7日購入 うんちくがたいへんおもしろかった。 ことに日本語が会話になると 論理性を離れて位取りに終始するという話は ちょっと身につまされるところもあり印象に残った。 論理性を離れてという点について簡単な例を挙げると 母親が味噌汁にみそを入れ忘れたとして 「おめえの味噌汁は味噌汁じゃねえ」 といった場合などが考えられる。 これは明らかに日本語として間違っている。 非常に合理的なコメントなのだが 合理性とは全く違う軸が存在する。 英語でどういうか考えて比較してみると 分かりやすかろうと思う。 まあええねんけど。 話が飛ぶなあ、と思うところもあったが 「辺境」という捉え方に なるほど~と唸ってしまった。
0投稿日: 2009.12.08
powered by ブクログ091206 朝日新聞書評 日本人の行動パターン分析 世界標準を作らずその時々で正しそうな案に乗る? 模倣、応用する傾向のこと?
0投稿日: 2009.12.06
powered by ブクログ内田樹さんの本。 前半はあれって思ったけど、 後半になって内田節が炸裂。 内田さん得意の「師弟論」と 日本人の偏狭的特性を結びつけて話す。 「師弟論」とか「学習論」とかは いつもの内容と変わらず。 それを日本人の辺境性と結びつけて 話しているところが、新しいところかな。 いつも同じこと書いているような気がするが、 (本人もそう言ってる) 何回聞いても面白い話ってのはやはりある。
0投稿日: 2009.11.28
powered by ブクログ日本人の特性を、地理的に辺境であることに軸をおいて論じている。 辺境であるがゆえに、恐るべき学びの構造(現在へのキャッチアップと理解の深化)を手に入れた一方で、決して未来を創造できない、というのが辺境人としての日本人の特性(?)。 新書なんだけど、内田マニア向けという感じで、内田語法に慣れていないと内容をフォローできなさそう。なので星は一つ少ない
0投稿日: 2009.11.23
powered by ブクログはじめに I 日本人は辺境人である 「大きな物語」が消えてしまった / 日本人はきょろきょろする / オバマ演説を日本人ができない理由 / 他国との比較でしか自国を語れない / 「お前の気持ちがわかる」空気で戦争 / ロジックはいつも「被害者意識」 / 「辺境人」のメンタリティ / 明治人にとって「日本は中華」だった / 日本人が日本人でなくなるとき / とことん辺境で行こう II 辺境人の「学び」は効率がいい 「アメリカの司馬遼太郎」 / 君が代と日の丸の根拠 / 虎の威を借る狐の意見 / 起源からの遅れ / 『武士道』を読む / 無防備に開放する日本人 / 便所掃除がなぜ修業なのか / 学びの極意 / 『水戸黄門』のドラマツルギー III 「機」の思想 どこか遠くにあるはずの叡智 / 極楽でも地獄でもよい / 「機」と「辺境人の時間」 / 武道的な「天下無敵」の意味 / 敵を作らない「私」とは / 肌理細かく身体を使う / 「ありもの」の「使い回し」 / 「学ぶ力」の劣化 / わからないけれど、わかる / 「世界の中心にいない」という前提 IV 辺境人は日本語と共に 「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか / 「もしもし」が伝わること / 不自然なほどに態度の大きな人間 / 日本語の特殊性はどこにあるか / 日本語がマンガ脳を育んだ / 「真名」と「仮名」の使い分け / 日本人の召命 終わりに
0投稿日: 2009.11.20
powered by ブクログ11月12日発売。ブログ「内田樹の研究室」で発売を知り購入しました。 積み木を積み上げていくような独特の理論展開を読んでいるうちに、いつしかファンに・・・・・・。 「辺境」とは「中華」に対する概念。そこに住む「辺境人」は、中心たる「絶対的価値体」を 自分以外の外部に求め、その「絶対的価値体」を判断基準に、専らそれとの距離の意識 に基づいて思考と行動が決定されている人だといいます。主体との距離で物事を測る、 それが日本人なのです。したがって、その主体が変わればその思考・発想も変わるが、 この変化する仕方は変化しない、という日本文化論を展開していきます。
0投稿日: 2009.11.18
powered by ブクログきゃー!久々にブログコンピじゃない本だー! 早く読みにかかりたい! 読んだー! ブログで常々拝聴していることなのでさらりと飲み込めはするんだけども、自分が使うにはまだ理解が足んないなあ。本を開いている間は「そーよ!そーですよ!そのとーりですよ!」と感激してるんだけども。 自分を「無知で愚か」という位置に置くことで、代わりに自由を獲得する狡猾さ。すごくわかる気がする。 で、ちょうど師弟論も書かれていて、自分の中ではすっごいタイムリーでした。 読んでいて思ったんですけどー、「私はあなたをもう背負えます」とお師匠様に言ってしまうことは、つまりお師匠様から師の資格を剥奪することにほかならないのではないかと。それは決して成長ではなくて、成長の終了という悲しい現象ではないのかな。だって目標を達成しちゃったんだから。もうそこからの伸びしろは必要ないっつーか。ありえないってゆうか。 弟子は師を乗り越えてはいけないと言ってるんじゃなくて、そーじゃなくて、乗り越えられないものを「師」と呼ぶんだから、乗り越えたと宣言した瞬間に、それは文意上「師」ではなくなってしまって… うがー! ああそうさ「彼」の話さ! こうやって「本を読んで自分の考えとして使おう」というふるまいこそが、日本人の特徴…ともこの本には書いてあります。
0投稿日: 2009.11.18
