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日本辺境論(新潮新書)
日本辺境論(新潮新書)
内田樹/新潮社
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総合評価

446件)
3.9
88
190
82
22
4
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    自分が何者であるか。整理するために是非読んでおきたい本。I,II章は特に明快。III章以後は題材が題材なだけにストンと腑に落ちるとこまではいけなかった。修行が足りないのを実感。

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    投稿日: 2011.01.21
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    友人が面白かったとつぶやいていた。読むんだったら貸してあげるよと言われたが、一向に貸してくれそうもないので自ら購入。途中ちょいっと難しいけど、そのへんはスルーしながら読むとよい。 辺境人である日本人はいつも他者(中央)への比較でものごとを見る、それはもうDNAレベルのものなので、今更世界に向かって自分の意見を主張しなさいと言われても、それはもう無理だからやめときんさいという本です(笑)。

    0
    投稿日: 2011.01.21
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    日本と日本人の性質の側面がよく捉えられている。 大切なのは冷静に状況を見て判断、行動すること。いいところもあれば悪いところもあり、反省点もあれば誇れる点もある。当たり前だけど。

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    投稿日: 2011.01.15
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    遅ればせながら読了。「日本人とは?」という問いについて論じている。なるほどと納得する部分もあり、それで?と思う部分もあり。ご本人も冒頭で宣言しておられるように、これまでの日本人論のまとめ的な本書。説得力があるだけに丸呑みしては危険だなぁとも思う。

    0
    投稿日: 2011.01.15
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    平仮名は表音語、漢字は表意語。日本が辺境にあるからこの文化になった。日本でも北と南では文化が違うのだから、世界から見た位置が文化に繋がるのはごく当たり前のこと。だけど気づいてなかった。

    0
    投稿日: 2011.01.11
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    言われてみるとそうかもしれない。日本人は「きょろきょろ」して、周囲の様子を窺ってしまう習性があるということを。 目次 1 日本人は辺境人である 2 辺境人の「学び」は効率がいい 3 「機」の思想 4 辺境人は日本語と共に  著者の主張では、日本人は日本人としてのアイデンティティが無く、主体的に国際社会で動くことが出来ていない。確かに、政治の世界なんか見てると、アメリカや中国に及び腰な姿勢を目の当たりにする。著者は、その主体性の無さを、日本人が古来からの流れであって、日本人の習性なのだと指摘している。  日本人は、アメリカの制度はこうだから、フランスがこうしているからと外を基準をにしてしまいがちであると著者は指摘している。確かに、日本の名前の知られていない監督の映画なんかも海外の映画祭で取り上げられて初めて日本で評価される。それが言わば「世界基準」なのかもしれないが、「日本基準」がもう少ししっかりしててもいい気がする。  結局、日本人は、日本人としての拠り所がない。日本国家は大昔にいつの間にか始まったし、自分たち日本人が、日本国家を「創り上げた」という意識が低い。だからアメリカみたいに、「先祖が築いた国家のためにがんばる」という発想が出てこない。  著者は、この日本人の「辺境性」を直すのではなく、開き直って、とことん「辺境人」で行こうと主張する。主体性の無さを今から変えようとしても難しいから、とことん外国を真似て行けばいいと。外国の制度が優れていて学ぶべき点があるあいだはそれでいいのかもしれないけど、そうではなくなった時はどうなのか。例えば世界戦争が起こったりした時に、世界が今、戦争しているから、日本もいつの間にか戦争に加担している状況は容易に想像できてしまう。 経済の世界でも、これまで手本としていたアメリカが少し傾き始めた時に、日本としても、どうしていいか分からない状態になったと思う。そして、いつの間にか中国に追い抜かれてしまっている状況になって、今度は中国を手本にしようっていうことになりかねない。外国と日本を比較して議論するのではなく、もっと主体的に日本オリジナルで進んで行く必要があると思う。  

    0
    投稿日: 2011.01.09
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    話題になっただけあって面白かった。 日本を辺境としてとらえての展開は新しい視点。 こういうのを蓄積していって面白い話ができるようになれば…

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    投稿日: 2011.01.08
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    薦められて読む。この著者の本は初めて読んだ。専門は仏現代思想、映画論、武道論とのこと。 日本人・日本は地理的・文化的に辺境に位置する、という論拠を卑下することなく論証する。話の脱線っぷりがいい。 明治以来の近代史、武道における師弟関係、マンガのリテラシー、水戸黄門のワンパターン性に隠れる欺瞞、新渡戸稲造の武士道におけるナルシスティックな陶酔、などトピックはあちこちに飛ぶ。 非常に平易な日本語で書かれており軽く読める。

    0
    投稿日: 2011.01.06
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    日本人のアイデンティティを「辺境人であること」とする日本論。 辺境人とは、自分以外のどこかに世界標準があるという感覚を持ち、つねに新しいモデルを求めてきょろきょろする人たちである。つねに外部に新しいモデルを求めるということは、自分では新しいモデルを作り出すことができないということでもある。新しいモデルを作るどころか、そもそも「いかにあるべきか」という問いを立てない。まず理念があり、その実現のために手段を選ぶという思考パターンが存在しないのだ。よって、「空気」に支配されやすい。醸成された「空気」を覆す意志や論理を誰も持たないからだ。これが辺境人。これが日本人。 しかしそれが悪いと言っているわけではない。辺境人であることを自覚し、その意義を探っていこうではないか…というところまでが前半である。 この話はたいへん腑に落ちた。こういう経緯で物事が決まるのを、今まで何度も見てきたからだ。今(2011お正月)政府で検討中のTPPがまさにこんな感じだ。 TPPは国のかたちを変えかねない問題である。まず明日の日本(または世界)はどうあるべきかについて論じ、それに基づいて参加・不参加を選択するというのがスジだろう。だが私はそういう形の主張を今まで一回も聞いていない。一番多いのは「乗り遅れてはいけない」という言葉。それを聞く国民の多くは、TPPという新しい概念にまったく違和感を示さない。数ヶ月後には、「参加しないとマズイんじゃないの」という空気が醸成されてくるだろう。 ずっと、どうしてこうなるのだろうと思っていた。本書はその疑問に答えをもたらしてくれた。「そういう国民性だから」だ。だからこれからもずっと続くのだ。何という徒労感。 しかし私にしたって、日常的に「理念に立ち返る」「いかにあるべきかという問いを立てる」ということを意識してはいなかったのだ。それを習慣にしようと今、決めた。これはおそらく、私が本書から引き出す最大の利益になるだろう。 良いもの、教え導くものを常に外部に求める辺境人の特質は、ものを学ぶうえでは非常に効率がいい。「道」はその特質を生かしたプログラムだ。だが、どこまでも道を追求するということは「到達しない」ということでもある。そこを脱却するためにはどうしたらよいのか。というような話が後半である。 宗教性に関する話がメインなのだとは思うが、おもしろく読んだのは武道の話。とくに「敵を作らない」あたり。個人的な理解、実感としては、現状を肯定する、呼吸を合わせる、相手と一体化する、勝ち負け自体には意味がない、といったことであろうと思う。これはとても合気道的なアプローチだ。(何を隠そう、経験者だ。初段だけど。)しかしこれでどうして「跳べる」のかがわからない。これも「道」の一部のように思っていた。 余計な話だが、こうして武道について考えてみると、たとえば剣道は武道ではないようだ。相手より早く強く動いて、ルールの中で勝利することを目的としているからだ。つまり、スポーツなのだ。(何を隠そう、経験者だ。こちらは二段。)しかし大相撲(さすがに未経験)はおそらく武道だろう。なぜならガッツポーズが禁じられているから。必要な「礼」や「品格」は一般社会人のそれではなく、プロのアスリートのそれでもない。道を求める人としての礼であり品格なのである。しかしこの理念は力士たちに行き渡ってはいない。行き渡っていれば、ガッツポーズ禁止などとわざわざ言うはずがないのだ。…私は今、かつてなく大相撲を理解している(気がする)! 勝敗だけが問題なのではなく、道を求める姿勢こそ大事。実はこの感覚は、ほとんどの日本人が共有している。朝青龍のウケの悪さ、白鵬の評価の高さを見るとそう思う。 さて締めは日本語の特性について。それはまた、辺境人であることを自覚したわれわれが今後いかに生きていくか、ということでもある。が、「先駆的に知っている」のあたりも含め、今のところまだこなしきれていない。この本を借りてきてよかったと心から思っているが、買わないとダメだ。

    0
    投稿日: 2011.01.06
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    日本漫画のレベルの高さがかなに加えて外国語である漢字を取り入れた特殊性から来ているというところがなるほど~と思わせた。

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    投稿日: 2011.01.05
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    友人から薦められた内田樹の米、中に続く僕にとって3冊目。非常に興味深い内容だった。僕らの生きている時代は日本は辛酸を舐め続けるのかもしれない。辺境国に戻る為に。次々と追い抜いていく国の背中を眺めながら貧困の中で強烈なモチベーションに繋がるフラストレーションを溜め続け、いつか爆発して繁栄する。日本という国は「破壊と創造」を短周期で繰り返すことによって繁栄を勝ち取ってきた民族なのかもしれないと考えさせられました。

    0
    投稿日: 2011.01.04
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    ゼミ課題。再読。 面白い(^^) 日本人はきょろきょろと周りを見てしまう辺境人だということ。 辺境人は周囲を気にせずにはいられない。周囲を基準にして常に自分たちをそこに合わせる。 中身がない、自立してない、だから日本人はなめられるんだと言うこともできるんだけど、著者はそこを認よう、それが日本人のアイデンティティだよと言っている。 師弟関係の話や、日本の武士道の例は日本の精神を理解する上で分かりやすく興味深かった。 人の意見や行動にあわせてしまう、まさに日本人の私はこの本を読んでもっと頭を働かせよう、思考しようと思いました。 こんなふうに単純に影響されてしまうのも辺境人の特徴ですね。

    0
    投稿日: 2011.01.01
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    中国を中心とする文化圏の考え方を、日本人は無意識に(またはあえて気づかないふりをしながら)取り込んでいて、辺境地としてのふるまいをしている、という論。矛盾に気づいていながらあえて取り入れてしまう。国旗掲揚の是非を論ずるのに、国旗とはそもそも何かを振り返らない。憲法9条と自衛隊の矛盾も、そのまま取り込んでしまう。なるほどー。しかし、ちょっと他の著作に比べて難しく感じた。とくに武道のくだりとか。

    0
    投稿日: 2010.12.22
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    目指せタツラー第1弾 主題としては堅苦しいイメージだったけど、人間性が出てるのか、とても読みやすく書かれた日本文化論 樹さんは『目新しいことは言ってない』としていますが、思想論などに無知な私としては、驚きのお話満載。 これは新書大賞とります。

    0
    投稿日: 2010.12.16
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    自分および周囲の人間に対して、どこか「矛盾」というか疑問のようなものを感じていた。 それをこの本が指し示してくれたようにおもう。 日本辺境人は 「自分が何を欲望しているのかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない」 と、タツルは堂々と言ってのけた。 自分たちは世界の中心ではなく端にいる。 自分の中にもともとあるものを「資産」と思わず、「資産」は「外から来たもの」に限定される、という潜在的な思考。 そしてそれは日本固有の考えであると。 この構造を、わたしたち日本人たちはうっすらと感じとってはいたが、様々な哲学、宗教、地理上の問題、歴史等を全てふまえて語ることは「超複雑」なので不可能だと勝手に思っていた。 しかしタツルは、丸山眞男から岸田秀、ハイデガーからヘーゲルといった先人たちのエッセンスを引用して解説してくれた。とても分かりやすく。 ここには何も「新しいこと」は書かれていないのかもしれない。 しかし、「先人たちのエッセンスを抽出する」という偉業を成し遂げた内田樹氏をすばらしいと思うし、これからも応援して行きたいと素直に思える一冊だった。

    1
    投稿日: 2010.12.09
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    欧米列強ではなく辺境の国という立ち位置であった日本が、果たしてグローバルスタンダードな方法で発展できるのか。 辺境人であることを意識し、日本と日本人の特性に目を向ければ、もっと違う形で発展の道があることに気づく。

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    投稿日: 2010.12.06
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    読み終わったのがけっこう前だから、あんまり記憶にないんだけど とりあえず辺境民でいいじゃんみたいな話。

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    投稿日: 2010.12.02
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    「学び」と「機」の思想、なるほどーってうなずかされること多し。ちょうど学ぶことについていろいろ考えていたところだったので、納得する部分が多かった。

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    投稿日: 2010.11.29
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    わかりやすく、そんな見方もあるんだと気づかされました。 辺境人である私たち日本人は、世界標準を新たに設定できないという見方は政治に関しては的を得てると思います。

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    投稿日: 2010.11.20
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    題を挙げられたとき えっ?と初めは思うが 読んでいるといつのまにか納得させられる。 題も日本人のアイデンティティについてうまく説われていて、おもしろかった。

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    投稿日: 2010.11.16
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    勉強にはなったが、この本は読みつかれた。。回りくどいし言い回しが多すぎた。要点だけ纏めれば半分のページで済むのに。。。

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    投稿日: 2010.11.15
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    序盤の、自分達の求めるものは日本ではなく遠くにあるに違いないという考えが染み付いているため常にキョロキョロしているのが我ら辺境人日本人のアイデンティティー(うろ覚えですが)というのは読んでいていたたまれない気分になりましたが、納得のいくものですね。ここでは書き切れない(と思って要約しようという気すら起きない)くらいに内容のつまった本でした。その割りには読みにくいなんてこともありませんし。内田先生の文章は文章自体が役にたちそうでさえあります。興味のある人はレビューを読んで吟味...なんて言ってないでとっとと買って読んだ方が有意義です。

    0
    投稿日: 2010.11.05
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    なんじゃこりゃ、という驚きの書籍。 前半は正直、ちょっと日本文化論をかじったことのある人ならば、 「中華」と「辺境」の対比以外は、特段、目新しいこともなく、 まぁまぁ、よく言われているよね、といった程度の内容だと思う。 後半からのけぞる。 特に、Ⅱの「学びの極意」あたりから終章まで、圧倒的論考を展開。 何しろ、あっちこっちに、視点を考察を飛ばしながら、最後には見事に全てを回収する。 ありがちな「日本頑張れ」でも「日本万歳」でもなく、かといって中庸でもない。 独自の革命的仮説を剛速球で投げかけてくる論旨展開は、 読者に平伏以外、許さない。圧勝。 きっとあれなんだね、論文と一緒で、 書籍全体でも、各章でも、前半は先行研究なんだね。 恐れ入りました、のひと言しかありません。

    0
    投稿日: 2010.10.31
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    なるほどと思う部分がたくさんありすぎて、逆に消化しきれていない状態。自ら「世界標準」をつくることをせず、既にある「世界標準」に対して受動的に反応する、というのが一番印象に残ったかな。日本(人)にとってリーダーという座は座り心地が悪いのかもしれない。でも、筆者の言うとおり、だからといって「世界標準」の作り方を求める必要はないし(それが既に辺境人)、日本人は日本人らしく学ぶことが得意で、改良に類まれな実力を発揮する、という立ち位置でいいんじゃなかろうか。時としてよくわかっていない「理想」を求めるのに汲々とするのはどうかと思うけれど。学力とか、個性とか、具体的にそれってなんなの?どうやって測るの?という、客観性を規定せずに周りが求めているから、周りから求められているからという理由で必要だ、必要だというのは辞めたほうが良いと思う。

    0
    投稿日: 2010.10.30
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    高島俊男さんが常に言うてはることを、もう少し学術的に、外来語を交えて書くとこんな風になりますなぁ まぁ、ひととき楽しませてもらった一品でありました。

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    投稿日: 2010.10.27
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    あと「日本辺境論 内田樹」も読みました(買って。図書館の順番だと来年になるー)。最初のどぶさらいの話からなかなかよい。ぴりっとした知性を感じる。 これもかなり面白かった。評判になってるだけあるって感じでした。日本論なので岸田秀の引用を久しぶりに見た。岸田も好きだったので、という話はまた今度いたします。

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    投稿日: 2010.10.16
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    ★4.5. 買う前は東アジア論的な本だと思っていたが、読んでびっくり。 日本辺境の話ではなく、 日本=辺境、日本人=辺境人 という話。 えーと、これって日本は中国の一部ですよ、って言ってるように聞こえるんだけどどうなの?という箇所もあるから反中思想がある人は序盤嫌悪感を持つかもしれません。でも、我慢して読んでみて下さい。著者は全然及び腰な感じだから笑 断言します。 「日本人ってどんな人間なのか?」「日本人のナショナル・アイデンティティーとは?」という問いが浮かんだとき、これは絶対必読です! 自分が生まれた国は、辺境なのだという意識を頭の隅にでも置いておいたら、なんか生き方変わる気がします!自分を知った気がする! あと日の丸の意味すら分かってなかった自分に情けなくなったりします笑(あ、これに関しても国民的合意はないなぁ) 日記にも書いたけど、後半の部分は『バガボンド』ファンにはたまりません! 最高にしびれた名言を一つだけ。 ”日本人が国益を損なっても守らなければならないものがあるとすれば、それはひとつしかありません。それは日本です。”

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    投稿日: 2010.10.13
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    日本人のアイデンティティーについての本。 言い回しが難解だったり、古文引用なりで読むのに時間がかかったけど、少しずつ紐解ける感じが心地よい。師弟関係のくだりは、今までもこれからも、日本という小さい島国に住んでいる限りは、脱してはならない(脱することのできない)概念がたくさんあって面白かった。要は、井の中の蛙になるなってことね。

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    投稿日: 2010.10.06
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    ○なぜ日本は国際社会でリーダーになれないのか? ○日本にとって20世紀とは何だったのか? ○どうしてエライ人は人を見下したがるのか?    ナド 様々な問いについて内田さんがつらつら書いている本です。 絶賛もあれば酷評もある、という一見正体不明の本ですが、わりと面白いので一気に読める本です。右の人も、左の人も、真ん中だと思っている人も、ぜひ一度は読んでみてほしい。その後ムカつくのも、あー、と納得するのもあなた次第です(笑) ※この本は”論”というよりは”哲学”に近いものということをご了承ください。 (九州大学 学部生)

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    投稿日: 2010.10.05
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    きっとこれ以上の日本人論はない。昨今の日本国、日本人をとりまく、やるせなさが腑に落ちる。なんども読み返したい恐るべき新書。

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    投稿日: 2010.10.03
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    日本論について分かりやすく解説し、いま日本人が大切にすべきことが書いてある。日本人のアイデンティティについて知り、それを利用することが必要だと感じた。これを読んで、辺境民だからという言い訳を作るのではなく辺境民の独自性を利用して創造することを考えないといけない。

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    投稿日: 2010.10.01
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    辺境人としての特性、美徳、学習能力を大切にしよう、とのメッセージを複雑な気持ちで受け取った。いちいち身に覚えがあるような。 人間のあり方と世界の成り立ちについて教えるすべての情報に対してつねにオープンマインドであれ

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    投稿日: 2010.10.01
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    http://umagoon.blog17.fc2.com/blog-entry-1293.html

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    投稿日: 2010.10.01
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    内田樹の日本辺境論を読みました。とても面白い日本論でした。日本は中華圏の辺境として国が始まったので、外部の強者の体系的な思想を取り込むことに特化して進歩してきた。外部に絶対的に正しいものがあり、それを取り込んで自分もそれに迎合する、という考え方が日本人を規定している。常に外部の新しいものを取り込んでいかないと不安になる、そして日本人らしさを失うことなく外部の新しいものを取り込んでいくことができる、ということが日本人の本質である、という主張でした。そのほかにも、日本人の学び方の効率の良さ、「機」の思想などが論じられていました。日本語というのはやまと言葉に漢語やヨーロッパ系言語を外来語として追加・拡張した言葉であり、言語の中に表意文字と表音文字が混在する世界でもまれな言語である。そしてそのことが、日本でマンガが発達する素地となっている、という主張が面白く感じました。

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    投稿日: 2010.09.18
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    最初とっつきにくく、著者自身が書いている通り大雑把な話だが、興味深い考察に共感を覚える。 日本人の辺境生薄々感じていたが、それだ!と膝を打ちそうになった。 道の話もきようみふかかったが、

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    投稿日: 2010.09.16
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    日本人以外の辺境人いないのかな。 ベトナム人とかインドネシア人とかカザフスタン人とかはやっぱり、 中華からみたら辺境人マインドもっていたりするのか。 地理的、歴史的に中心から隔絶していたことにより形成された、 集団的傾向というものは、通信技術の進歩によって 情報タイムラグがなくなってからも、精神的鋳型となって、 受け取る情報を日本人的に選択し、日本人的に変形し、 日本人的に消化してしまうのだ。たぶん。

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    投稿日: 2010.09.07
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    内田本は初めてだったが、納得が行く主張だった。というか、この主張は読後に認める認めないどちらを取ってもそれは辺境人だからという事が出来るという処が一番引っかかったが。

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    投稿日: 2010.09.01
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    2009年の新書大賞ですか。アマゾンのレヴューで誰かが書いていたように議論がすこし強引な気もします。よく当たるといわれている占いのように、うんうんあるある、そうなんだよねえという感じ。とくにテレビの水戸黄門の話はなるほどと思いました。本書によると日本人の特性として「虎の威を借りる狐」ということでルールを守っても、新しいルールを作っていくことが苦手だということだそうです。日本語についての話も面白かったです。

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    投稿日: 2010.08.29
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    最初に結論を提示するのが良い文章、という現在の常識には沿っていない。 日本の地理的な要因による諸外国からの遅れは、外国文化を無条件に吸収する「学び」の姿勢を生み出したという指摘は説得力がある。 「自らの存在を主体的に認識することこそが時間的遅れにつながるのであり、それを認識しないことこそが電光石火の動きにつながる」という日本の武術論につながる。その「大風呂敷」は気持ちいい。  ただしなんでもかんでも飲み込んでいては腹を下してしまう。「なんでも食べられる人」は「先天的に食べられないものを見分けられる人」であり、日本人の学びにおける「知らないものを無意識に取捨選択する能力」はレヴィ・ストロースの言う「野生の人」のもつ「プリコルール」だと言う。  これは欧米の学びとはだいぶ違う。教授にシラバスを書かせ、「これを学べばこのような利益がもたらさせれる」という説明において生徒が学びを取捨選択していくような教育制度は、「師から盲目的に学ぶ」ための前段階で必要な能力である「知らないものを無意識に取捨選択する能力」を削ってしまう危険な方式だと著者はいう。そのような能力に裏付けられた「学ぶ力」こそが辺境日本に繁栄をもたらしたのであるからだ。 最後にそのような辺境日本を支えている日本語の特長に触れる。日本語は未来永劫に重用していかなければならないと感じさせる。

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    投稿日: 2010.08.28
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    日本人の本質について。辺境人として生きる。 2010/04/14 「日本人とは何者か?」というサブタイトルに惹かれて読んでみました。 日本人はもともと世界の中では辺境の民族であって、強力なアイデンティティが無いため、いつも周りを伺ってしまう習性があると著者は述べています。自国のポリシーが明確でないため他国との比較でしか自国の位置付けを語れないし、何か事が起きると被害者意識的な意見が支配する。 そんな国ではあるが、別の見方としては辺境人的な習性は周りの文化や知識の修得に適しているという考え方もあります。これからの日本人は辺境人としての利点を生かすべきということなのでしょう。 全体を通じて、論理的にやさしく書かれていますが、肝心の「機」の思想の部分が、やや説明がくどくて解りにくかった。著者が本当に言いたかったことは、この部分に書かれていたのかもしれませんが、、。

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    投稿日: 2010.08.27
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    日本人がいかに特異な思考をもった民族かが分かる。 その原因が日本が辺境にあったためだと言う。 結構すんなり腑に落ちました。 いやぁ、ホントはもっと疑ってかからないといけない内容なんですけどね。

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    投稿日: 2010.08.27
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    きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める 他国との比較でしか自国を語れない おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度、とりあえず長いものに巻かれてみせ、その受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして差し出す態度、これこそは丸山眞男が超国家主義の心理として定式化したものでした。 日露戦争後満韓で日本がしたことは、ロシアが日露戦争に買った場合にしそうなことを想像的に再演したものです。 学ぶべき見本が外部にあり、それと比べて相対的に劣位にある我が国の諸制度を改善せねばならない。そういう語法でしか語れない。そういう語法でしか語れることができないということに気づいていない 自分の意見はいえない、なぜならそういうことを自分自身の問題としては考えたこともないから。少なくともそんなことについて自分の頭で考え、自分の言葉で意見を述べるように準備しておくことが自分の義務であることは考えていない。そういうむずかしいことは、誰かエライ人や頭のいいひとが自分の代わりに考えてくれるはずだから、もし意見を徴されたら、それらの意見のなかから気に入ったものを採用すればいい 日本人が国際社会で侮られているというのが本当だとしたら、その理由は軍事力が乏しいことでも、カネがない事でも、えいごができないことでもありません。そうではなくて、自分がどうしてこのようなものになり、これからどうしたいのかを自分の言葉で言うことができないからです。 私たちは他に規範をもとめなければ、おのれの立つ位置を決めることができない。自分が何を欲望しているかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない。 外来の知見を正系に掲げ、地場の現実を見下す。これが日本において反復されてきた思想状況です。

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    投稿日: 2010.08.23
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    内田樹さんは、 おちゃめな人だな~と思って、 親近感があるのですが、 この本はどうもすんなり読めませんでした。 読んでも読んでも、 脳にフィルターがかかる感覚です。 今の私は 読むべきではないというだけだと思います。 もしくは、 私の頭が、文章を理解できないというだけだと思います。 つまり、 この本の内容をほとんど理解できておりません。。。 218ページからは おもしろく読めました。 「いい質問ですね。」 はよく使われますね。

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    投稿日: 2010.08.18
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    日本語は、脳の2箇所の部位を使って、並行処理をするハイブリッドな言語である、という話が興味深かった。また、それがマンガの隆盛にもつながっているという指摘(養老孟司氏の受け売りとのこと)もおもしろいと思った。 また、細かいことだが、読み手に対して寄り添った「ぼく」では、読み手の想像を超えた論理的な飛躍を必要とするう言説を書くことができない、という理由で、途中で一人称の表現を「ぼく」から「私」に変えた、ということが書かれており、これには少なからず衝撃を受けた。作家の意図という部分、言葉への感性の鋭さということと同時に、日本語がいかに、言葉の多義性を持っているか、また他者との関係性を含んだ言語なのか、ということに。 最初に、氏が宣言しているように、大きな話で大雑把であるけれども、広がりがあり、つながる先の多そうな話でもあって、広い視野での刺激を受ける内容だ。そこが読後の知識欲というか、より知りたい感にもつながっている。 あと、個人的なことだが、読むたびに、自分は内田樹氏の文体、文章が好きなんだなあ、と思う。 論理的な部分でなく、感覚的な部分ですごくしっくりくるような、自分にとっての快感がある。それがある作家はめったにいないので、たまに読みたくなる、貴重な作家です。

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    投稿日: 2010.08.18
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     取り留めが無く、人が語った内容などを紹介しつつ「日本人とはなんぞや」と説明していく内容になっている。自分にとっては「難しい本」の部類に入っていたが、読み進める中で気付かされることや納得することが多かった。  一通り読み終わった時に、頭の中に残っていたキーワードは次の通りだった。 ・玉虫色で無責任。 ・自分が決定するのではなく、決定してくれる人を探す。 ・正しいことより、流れを探す。 ・今の自分も今の日本も、なるようにしてなった。  今後の生活の中で、以上のキーワードを前提にした上で考えていきたい。

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    投稿日: 2010.08.17
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    日本人は・・・的な本は、そういうのに左右されすぎるのもどうかなぁって思いつつも、やっぱりおもしろい。 いつも、他者(他国)との比較の中でしか自分の立ち位置を決められない とか 議論の中身より、相手より優位にあることを示すことに力点をおく とか、言われるとなるほどそんなとこあるな、と思いつつ、 実際、外国人は違うのか?というところは、自分では確認できないだけに日本人の特徴として納得していいのかどうかはわからない。 でも、そういうところは、自分の態度として気をつけたいと思った。

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    投稿日: 2010.08.05
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    ここに答えはない。 でも日本人がどんな人種であるか ということを常に理解して望めば、 解ける問いがある気がする。 国民ひとりひとりが解を考え、持つべし。 日本人は比較をしなければ生きていけない。 それは世界標準でないということに 劣等感を感じているから。 アメリカ人が先人の戦いを、 いまある世界のために血を流してくれたもの と考えるのに対して 日本人は関ヶ原の戦いなど過去の戦いを いまある世界のためにとは考えない。 アメリカ人には失敗したときに 戻るべき原点があるが 日本人には原点は最初からない。

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    投稿日: 2010.08.01
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    1 日本人は辺境人である(「大きな物語」が消えてしまった;日本人はきょろきょろする ほか) 2 辺境人の「学び」は効率がいい(「アメリカの司馬遼太郎」;君が代と日の丸の根拠 ほか) 3 「機」の思想(どこか遠くにあるはずの叡智;極楽でも地獄でもよい ほか) 4 辺境人は日本語と共に(「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか;「もしもし」が伝わること ほか) 主題とは異なるが、学ぶべきところが多かった。 それらは下記の通り。 掃除は徹底的にやろうと思わない事 情報量の多寡と状況判断の当否は必ずしも相関しない。 日本人はきょろきょろして新しいものを外なる世界に求める。 日露戦争後に日本がしたことは、「ロシアが勝ってた場合にしそうなこと」。 人間が断定的になるのは、他人の意見を受け売りしている事が多い。 師が弟子に教えるのは「マナー」。 「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」のこと。自分にとって死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力のこと。

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    投稿日: 2010.07.29
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    お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。とりあえず「足元のゴミを拾う」ことで満足する。手のつけられないほど散乱した場所を片付けるという経験をされた方はおわかりでしょうけれど、足元のゴミを拾うところからしかカオスの補正は始まらない。(p.5) 右の端には「あの国」があり、左の端には「この国」があり、その間のどこかにわが国のポジションがある。そういう言い方でしか自国の立ち位置を言うことができない。それは毅然としていない、とかポリシーがないとか、そういうことではなくて、日本は本態的にそういう国だということです。(p.38) 「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。ですから、知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わないようになる。政治がダメで、官僚がダメで、財界がダメで、メディアがダメで、教育がダメで・・要するに日本の制度文物はすべて、世界標準とは比べものにならないと彼らは力説する。そして、「だから、世界標準にキャッチアップ」というおなじみの結論に帰着してしまう。フィンランドの教育制度はすぐれている、ではフィンランドに倣おう、フランスの少子化政策は成功した、ではフランスに倣おう、ブラジルのサッカーは強い。ではブラジルに倣おう。北朝鮮は核ミサイルを準備している、では北朝鮮に倣おう・・このリストは無限に長いものにできます。学ぶべき見本が外部にあり、それと比べて相対的に劣位にあるわが国の諸制度を改善せねばならない。そういう語法でしか、右翼も左翼も中道も知識人も非知識人も語ることができない。そして、そういう語法でしか語ることができないということに気づいていない。(p.98) 人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いた方がいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。 自分の固有の意見を言おうとするとき、それが固有の経験的厚みや実感を伴う限り、それはめったなことでは「すっきり」したものにはなりません。途中まで言ってから言い淀んだり、一度言っておいてから、「なんか違う」と撤回してみたり、同じところをちょっとずつ言葉を変えてぐるぐる回ったり・・そういう語り方は「ほんとうに自分が思っていること」を言おうとじたばたしている人の特徴です。(p.120) 私は日本人が漢字を読むときに示す身体反応と、中国人が漢字を読むときに示す身体反応は違うだろうと思います。中国人にとって、漢字は表意文字であると同時に表音文字でもあるからです。だから、外来語をそのまま漢字に音訳して表記することができる。日本語は外来語はカタカナ表記で処理しますから、漢字は表意に特化されている。だから、漢字の表意性は中国語においてよりも純粋であり、それだけ強烈であるはずです。 (p.229) 文字がざくりと身体に刻み込まれ、切り込んでくるという感覚の鋭さは、日本語話者と英語話者では明らかに違う。「curse」という文字が英語話者にもたらす不安と「咒」が漢字読者にもたらす不安は質が違うはずです。(p.230) 韓国でもベトナムでも母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります。その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれます。これは世界的にはきわめて例外的なことなのです。 それは英語やフランス語で論じられることは、ほぼ全部日本語でも論じることができるからです。どうして論じられるかといえば、外来の概念や術後をそのつど「真名」として「正統の地位」に置いてきて、それをコロキアるな土着語のうちに引き取って、圭角を削って、手触りの悪いところに緩衝材を塗り込んで、生活者に届く言葉として、人の肌に直に触れても大丈夫な言葉に「翻訳」する努力を営々と続けてきたからです。(p.240)

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    投稿日: 2010.07.27
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    日本人とは その場の空気に流さる 新しい文化に飛びつく 主張するよりも協調する なんとなく落ち着くところに落ち着く 他国、他者の存在があって 辺境に位置するのが日本人 日本人は外からの 先進的な考え方や事例 言葉や環境、新たしいことを 日本的に変えること それが日本 良くも悪くも それを受け入れようってこと 辺境人にとって 独自に学ぶことは得意で 効率がいい なんだかわからないけれど この人についていこうという 態度で学ぶことは大切 師弟関係で言えば 技術を教えてもらう前に 掃除や雑用をすることは 価値と意味を持つ もしも送り手のメッセージが 「ゼロ」だとしても 受け取る側が これには意味があると考えれば 自己学習のメカニズムは働く 新しいものに飛びつく気持 なんとなく良いかもしれない というような根拠の無い確信 ただただ師を尊敬する心 “学び”の理論には大切 勉強する前に それが何に役に立つとか わかるわけない 勉強してからこそ はじめてその意味がわかる 要するに しのごの言う前に 学んでみろ、動いてみろ ってことかな これは仕事でも一緒 ヘリクツ言ってないで とりあえずやってみる 動いてみないと 何もはじまらない わからないってことか とりあえず、 何か読んだほうがよさそうな 本だなぁってことで 『日本辺境論』読んでみた それでいいってことかな

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    投稿日: 2010.07.11
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    今、巷でも話題になっている新書。 日本人の行動原理に潜む「辺境人魂」を解説し、古代から今にいたるまでの日本人のマインドを縦横無尽に(「当てずっぽうに」とも言える)論じた本。 後半は発散していて正直つまんなかったり、前半も読者に対して喧嘩腰の割に逃げ口上(言い訳ばかり)だったりするのですが、前半は読む価値有ると思う。 日本人の民主党政権に対する「世論」(本当に世の趨勢を占める論なのか?という疑問ゆえにカッコ付)の乱高下や、サッカー日本代表の岡田監督に対する評価の豹変振りのルーツも、おそらくこの「辺境人マインド」で説明できるような気がしてきました。 できれば、明日の選挙の前に読んでおいて欲しい一冊ですね。今さら遅いけど。 今までに沢山でている「日本人論」を読んでみたくなる。

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    投稿日: 2010.07.11
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    ベストセラーになった本だからどれほどのものかと思い、読んでみたが、これのどこがいったいヒットするほどよいのか理解できないというのが率直な感想。 つまみ食いみたいな話ばかりで、話にまとまりがない上に、疑問だらけで、批判に対する筆者の予防線がいやらしいほどに引かれてて、読んでて不快になる。 読んでも自分にとって何の足しにもならかった。

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    投稿日: 2010.07.06
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    やきなおしばんざーい。 みんなおんなじこと言ってることは、わかった。 で?どーすればいいのさ。 アマゾンの書評がおもしろいので、そっちを見に行くべし。

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    投稿日: 2010.07.05
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    学びの姿勢、機の思想など、「ふーむ、なるほど、そのように考えると説明がつくなあ」と思うところが少なくなかったのだけど、本全体をどう評していいのかはよく分からない。だって、論拠としている引用文献の前後を知らないから、”正しい引かれ方”をされているか判断できないんだもの。とほほ。武道やりたいな、とか。なんかそんなことくらい(武道をやると何かいいことがあるようだからくらいの理由しかなくて、そーいうのは内田先生的には間違っているのかも)。 このご本で、新書大賞(かなんか、そんなようなもの)を受賞されたそう。直接講義を受けたことはないけど、在学中に学内を袴姿ですたすた歩いていらっしゃったことを思い出す。おめでとうございます。

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    投稿日: 2010.06.25
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    面白いところとそうでないところが。武道の話は興味深かった。水戸黄門の話もそうだな。ただ、筆者もしょっぱなで書いているがかなり散漫な印象。真名とかなの関係性を『記紀』に当てはめられるのではないか?とは思った。日本のシステムは常に二重構造になってて、それを言葉のレベルから意識的にやってる? 先に山本七平の現人神論をめくっていたので、どうしてもそっちに意識が引っ張られてしまった。

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    投稿日: 2010.06.22
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    いつも中心【中華】に対して、辺境であることをバネにしてやってきたことそれ自体がアイデンティになってしまっているのが日本。過去の文脈は常に、「中心に比べて我々は。。。。」 一方辺境だからこその学習スピードの速さ、勤勉さ、謙虚さが強みでありそれが失われたら弱みだけになる。著書は、弱みを克服して自ら新しいパラダイムを訴え、世界をリードするようなことはせずに、辺境マインドセットを徹底的に生かすべきだと言っている

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    投稿日: 2010.06.17
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    友人が良かったというので、つい。 帯にもあったように、日本人っていったいなにもの?って話。 勇気付けられたのは「経験や実感を伴った自分固有の意見を言うとき、めったにすっきりした言葉にはならない」というところ。 これ悩みどころだったんだけど、受け売りだからすっきりしてる面もあるのかって思った。 辺境というのは「中華」の対概念で、華夷秩序のコスモロジーの中に置いてはじめて意味を持つ概念で、 辺境人というのは「ここではないどこかに世界の中心たる絶対的価値体がある。そこにどう近づくかという専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている」ような人をそう呼んでいるようだ。 辺境の限界は「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」ことにある。 それを歴史上の国際関係を事例に説いている。 面白いと、思う。自分が持ってない目線でものを見ている意見は、 やっぱ面白い。なるほどなーと思う。 日本の国益を損なうような米国の要求に「『身内』だから理不尽なこともできる」という解釈とか、 他国との比較でしか自国を語れないということを「経済第二位の国」という言葉で説明しているし、 幕末の日本人に要求されたこと=キャッチアップすること 明治の日本人に要求されたこと=世界標準を追い抜くこと これが大きな違い。先行者を抜いてしまうと思考停止に陥る。 日本の右翼左翼に共通するのは「空想的」でないこと。 すでに存在する「模範」と比べたときの相対的劣位だけが思念を占めている。 →「世界にはあのような国、制度etcがあるのに、日本はそうではない」 「石火之機」=「間髪いれずに反応できる」のは「反応してない」から。 欧米語の翻訳=語の意味を汲んでそれを2字の漢字に置き換えることだった 外国語を外国語の置き換えただけだった。

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    投稿日: 2010.06.14
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    201005/ ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識/ 日本文化そのものはめまぐるしく変化するのだけれど、変化する仕方は変化しない/ 「大東亜戦争」を肯定する、ありとあらゆる論拠が示されるにもかかわらず、強靭な思想性と明確な世界戦略に基づいて私たちは戦争を選択したと主張する人だけがいない。戦争を肯定する誰もが、「私たちは戦争以外の選択肢がないところにまで追い詰められた」という受動態の構文でしか戦争について語らない。思想と戦略がまずあって、それが戦争を領導するのだと考える人がいない。ほんとうにいないのです/ 華夷秩序における「東夷」というポジションを受け入れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得したというふうには考えられないか/ 日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると試行停止に陥る/ 自らを霊的辺境であるとする態度から導かれる最良の美質は宗教的寛容:日本では宗派間の対立で殺し合いを演じたという事例はほとんど存在しない/ 日本的コミュニケーションの特徴は、メッセージのコンテンツの当否よりも、発信者受信者のどちらが「上位者」かの決定をあらゆる場合に優先させる(場合によってはそれだけで話が終わることさえある)点にある/

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    投稿日: 2010.06.07
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     内田樹先生による日本人論。一読して、うーんと唸ってしまいます。その通りかもしれないと同意するけれど「だったら一体どうしたらいいっちゅうねん」と困惑してしまいました。なぜなら、日本人の考え方は効率的なのだからそのままでよいのだと言っているのですから。おそらく、多民族との差異を考えるときに必要になるのでは。本書で内田先生は「辺境人」のことを以下のように定義しています。  ここではないどこか,外部のどこかに,世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか,どうすれば遠のくか,専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。(44ページより)  いかがでしょうか。なんとなく身に当たるような当たらないような感じがしないでしょうか。内田先生は例えば,アメリカとの外交でどうして「アメリカが国益を損なう要求をしてくる場合」に日本人が「やはり日米同盟しかない」という異常な判断が成り立つのか,「おのれの思考と行動の一貫性よりも,場の親密性を優先される態度,とりあえず「長いものに巻かれ」てみせ,その受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして差し出す」のか,などから,日本人は辺境人であり,その思考法に基づいて生きているのであり,それは文化的に正しいし今後もそのような覚悟をもって生きていくしかないのだと述べています。  しかし、何となくなのですが、「古い」感じがするんですよねえ。クラシックといってしまえばその通りなんですが。高齢世代には当てはまるけど、若年世代には当てはまらないという感じがします。例えば現代の若年者をコミュニケーション能力がないといいきってしまっているような。根拠はないのですが…。

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    投稿日: 2010.06.05
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    満開の桜も散り始め、桜吹雪を目にするようになった。見上げると、ピンク色だった花びらは赤みを帯び、間からは新緑の芽が見え隠れする。「はかないね」と言いながらもどこか美しさを感じる。 あるモノを見たとき、それを肯定的(好意的)に見る力が日本人には備わっているのだろう。桜吹雪を見て「一瞬しか美しい姿を謳歌できずショウモナイ」「道を汚すやっかいもの」と思うより、精神衛生的にずっといい。人生を楽しめるような気がする。 著者は日本人気質についてこう説明する。日本人には、客観的な評価とは無関係に「ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている」。それは、「一大文明の辺境諸民族としてスタートした」民族の宿命と理由付ける。 日本は中心じゃなく辺境だ。文化や政治システムなどなどを生み出すのではなく輸入してきた。だから「文化的劣等感」があるという。 辺境という言葉は、中華思想という概念の中で位置づけられる。中国は古代から、自らを世界の中心だと考えてきた。ただし、それだけでは中華思想は成り立ち得ない。その周辺の国々(日本や朝鮮、ベトナムなどなど)が、(中心に対しての)辺境という地位を受け入れなければ成り立たないという。 そして日本は受け入れてきた歴史を持つ。古くは倭の国王が、頂戴した金印を周辺国に見せつけることで権威を高めた。足利、徳川…も同様。明治維新だって、中国ではないにせよ、世界の中心と自負する西欧から、戦後はアメリカからの「辺境」であり続けた。 そんな日本は、中国やアメリカのように国の理念や起源をもたない。立ち戻るべき原点がない。「よその国との関係で自国の相対的地位が定まる」と考え、模範とすべき“よその国”との親しさに重きをおく。「『何が正しいのか』を論理的に判断することよりも、『誰と親しくすればいいのか』を見きわめることに専ら知的資源を供給」してきた。 日本は決して先行者になることが出来ない。世界標準を制定する力もない。しかし、これまで続けてきた対処法を欠点として見るのではなく、それによって日本は「政治的・文化的なフリーハンドを獲得した」とも言えるのではないか。だから世界的に類例のない日本でしか出来ないことを考えよう、積極的に受け入れよう、という。そして、自身を劣位にみる、空気に敏感である日本人の態度は「学び」や「機の見極め」、「宗教の寛容さ」の上で有効に働いている、と話は続いていく。 特に面白かったのが日本語の辺境的構造の話。日本列島は無文字社会で原日本語は音声しかなかった。「そこに、外来の漢字(真名)が入ってきて、漢字から2種類のかな(仮名)を発明」。後から入ってきた漢字が“真”で、昔からあった音声言語を“仮”とする。「外来のものが正統の地位を占め、土着のものが従属的な地位に退く」。「これが日本語の辺境的構造」と説明する。 そして土着の仮名とともに外来の真名も含めることで、日本語は“表音文字”と“表意文字”の2種類を併せ持つことになった。日本語以外ではヘブライ語だけという特異な言語。この言語を使用することで日本人は、単純なメッセージのやりとりだけでなく、長年の蓄積によって心身に刻み込まれた特有の感覚までも共有できる、という。 「ノーといえない」など、なんとなく頼りない印象を持っていた日本人像。だが、劣等感を持つことで異文化を“肯定的に”捉え、謙虚にしたたかに内在化していく日本人は頼もしい、と思えるようになった。

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    投稿日: 2010.06.02
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    ■概要 日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、 著者が正面から答えている。 常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。 とても読みやすい本だった。 初めてまともに「日本論」を読んだような気がする。 新入社員の特徴として「主体性に欠ける」、「他人の顔色を伺う」といったことが よく言われるが、それも辺境人と関係があるのだろうか。 (山)

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    投稿日: 2010.06.01
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    いつもの樹節が堪能でる。しかも自分が常日頃感じていることがかかれいてはげ同なり。ただ許せないインテリ知識人が多いのもよくわかるなぁ。

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    投稿日: 2010.06.01
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    日本人論もしくは日本論。 辺境性という切り口から日本人を考える。  「日本文化というのはどこかに原点や祖形があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません」というのが著者の主張。  前半は面白いけど、後半はさっぱりわからん。著者は後半が重要とか書いてたけど(笑)

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    投稿日: 2010.05.26
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    図星感。国のみならず、個人的にもとても「周辺がいい~定義決めるのきらい~目の届きにくいところで好き勝手やってたい~」ってあるもんなあ・・・

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    投稿日: 2010.05.23
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    面白かった。 今まで理解できなかった周りの人間が何に動かされているのか? わけの解らないことを抜かす連中がなんで自信まんまんなのか? そして自分はどーしてこうもいい加減なのか? だいたいの謎の答えにはなった。 日本は中国から見て日の本なわけで、相対化しないと自分を示せない。

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    投稿日: 2010.05.23
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    ゴールデンウィーク前から読み始めていて、今頃読み終わりました。 ・・・もう、ここ数年、読んだ本の中で一番素晴らしい!! 内容だけではなく、文章そのものの美しさにも感動しました。 この方の人生観・美学にもっと触れていきたいと思いました。 ・・・こんな貧困な感想しか書けない自分が情けないです(涙)。

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    投稿日: 2010.05.16
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    日本人は「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、そういった辺境人としての日本人の特質を、様々な文献からの引用を元に平易な語り口で綴っています。 途中第3章の、「「機」の思想」あたりはちょっと風呂敷を広げすぎな感も・・・ 第4章、日本語の特質について語っている章が一番興味深いかな。

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    投稿日: 2010.05.16
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    後輩のSに薦められたので読んでみたのだけど、珍しく中身のある興味深い新書だった。新書に価値があるものなんて、一握りなだけに、これは貴重。だと思う。日本人のものの考え方、学び方がどれだけ独特なものなのか、に気付かされた。そうだなぁ、確かに、と。頷きっぱなしで読んでいた。日本は本当に辺境だ。そして、辺境だからこそ独特なものの考え方を持っていて、学び方を持っている。それをどううまく転換できれば、もしくは英米などの思想と混ぜ合わせられれば、次の展開が見えてくるのか。とかを考えながら読んでいた。(10/3/14)

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    投稿日: 2010.05.15
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    「日本人は辺境人」という構造ですべてを説明しようとするうえ、著者の言葉遣いもやさしいので、とても単純明快、わかりやすく日本人について再認識できる。といってもこれまでにも「辺境」をキーワードに日本人を分析した論考はいろいろあったので、「特に目新しいことはないけど、私たち日本人は日本人論が好きだから、みなさんもこの本を買っちゃいますよね。そういうところが辺境っぽいんだけど」って本。 やっぱり構造主義と進化心理学みたいなものって親和性が高いのかな。ところどころ、後天的かつ無意識的に体得されていくものとして論じてるのか、その民族であるがゆえに先天的に生まれもってくるものとして論じているのか、はっきりしないような箇所があった。というより、個人の主体性ってものをほとんど無視してるからそう感じるのか。 それにしても、批判の道を塞がれてるようで「ずるいなあ」と感じる。よりにもよって「はじめに」でそれを断らなくてもよかろうに。

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    投稿日: 2010.05.15
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    中華思想の周辺、いわゆる辺境に位置する国、日本。中華思想には生まれつきなり得ない。という観点から日本人の気質、得手不得手を語る。語り口は簡単そうだが、中身は難しい。 途中何箇所か読み飛ばしてしまった。 最終章が一番面白かった。ごめんなさい。内田先生。

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    投稿日: 2010.05.10
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    ①日本人は周りの空気に左右されてしまう。 ②外国との比較によって、日本は成り立っている。 ③日本は、自ずから辺境人としてのスタンスを持っている。 ④辺境人(日本人)の学びは効率がいい。 ⑤本人はハイブリッド言語を駆使できる希少な存在である。 「むずかしいなぁ」という部分がいちばん多く、 「なるほど」という部分が2番目に多かったなというのが率直な感想。 ④については、 「なぜ勉強をしなければならないのか?」 という問いは、日本人にとってはそれほど重要ではなく、 そういった問いに答えられなくても、効率よく学ぶことができる。 しかも、師(先生)が教えたつもりのないことも弟子はしっかりと学んでいく。 その部分は、なるほどなぁと納得してしまった。 つまり、どんな先生が担任をしても、 子どもたちは自ずから必ず何かを学び取っていくのだと。 教員として少しホッとできるかなとしみじみ…(爆)

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    投稿日: 2010.05.10
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    面白かった。 なるほど!と思わせられるところが多々ありました。 我々が思考停止する局面での辺境性の果たしている作用とか、 日本人の議論のありようとか。

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    投稿日: 2010.05.09
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    久しぶりに序文で読むことをやめた。 これだけくどくどと言い訳をする本が売れているのが理解できない。

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    投稿日: 2010.05.05
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    久しぶりの内田樹さんの本でした。 この本では日本人について書いてありました。 せっかくなので自分の言葉で説明すると(内田さんの論とは変わってしまうかもしれませんが、、、) 日本人は、辺境人だそうです。 自分とは違う外部に「上位文化」や「正しさ」があると認識していて、文化的劣等感を持っています。 この文化的劣等感を持っているお陰で学びに対する過剰反応とも言える姿勢を持ち続けてきました。 本来であれば、学ぶものに対して事前に適否をチェックするなり、判断を留保するなりしますが、日本人の場合は、とりあえず宥和的な態度でそれを取り込もうとします。例えるなら、「これはすごい」と誰かが言うとそれがたちまち集団感染していくイメージです。 日本人には学ぶ力として最も必要な「先駆的に知る力」が備わっていました。 「先駆的に知る力」とは、今はまだその意味や有用性を示されていないものであるが、将来死活的に重要であると確信できるものを先駆的に感じる力です。 日本の基本原理・基本原則は「渾然たる一如一体の和」です。外国のように「理性から発した互いに独立した平等な個」ではなく、「全体の中に和を以って存在し、一体を保つところの大和」。言いかえれば、「相互の間に区別が明らかでなく、ぼんやり漠然と一体をなし溶けあっている」状態です。 この原理・原則があったからこそ、変わり身が早く、成功例を模倣する卓越した能力が持てたといえます。 日本の特徴とも言えることろは 「親しさに固執する」ということです。 自分のアイデンティティーの一貫性より場の親密性を重視すること もっと言えば、 「何が正しいか」より「誰と親しくすればよいか」ということを優先する。 「メッセージのコンテンツの成否」より「発信者・受信者ともどちらが上位者か?」立場の差を注目する ということ。 残念なことは、「私はあなたより沢山の情報を持っている。私はあなたより合理的な判断をとることができる。よってあなたの結論がどんなものであろうと、私の結論が正しい」というロジックが出回り、たくさんの場で使われ、 「それは、もう私は知っている」とうんざりしたフリをし、「私が上位者である」というポジション争いが多く行われていること(内容の争いではなく)。 そして、先ほどの先駆的に知る力を使わず、値札のついている商品(今、現在において価値のあるもの)にだけ注目をし、手持ちの貨幣でいかに値の高いものを交換できるかのみを訓練されている現在の日本人には、以前に較べ学ぶ力が衰えている。 そしてまた「敵」の話し。 ベストコンディションの私がいることを前提として、私のパフォーマンスを下げるものを「敵」として認識すると「敵」は限りなく無限に考えられ、理想状態が私以外いない状態。つまり絶対的な孤独のうちに引き籠ることになる。「原因」で「結果」を説明しようとするロジックそのものが「敵」であるといえる。 「私」、「他者」などとして捉えるのではなく、オーケストラをする奏者の集まりのように「多細胞生物」としてある存在、生き方の提案 がある。 ・・・本は、多細胞生物で締める形ではないのですが、私が紹介したいことをまとめるとこの流れになってしまいました。ごめんなさい。 文化的劣等感が、学びに対する過剰反応を作る要因の一つをなしている。 場の親密性を重視している。コンテンツの成否より立場の差に着目しており、現に立場の取り合いが行われている。というところが今回の大きな収穫であったように思います。 この本にも感謝。

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    投稿日: 2010.05.04
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    2010.5.4 辺境人 華夷秩序の中での辺境。 他との比較でしか自分を語れない。きょろきょろ。国民的合意のなさ。世界標準主義。 学ぶことによって得られるものが何か分からなくても、学ぶ姿勢。 どこか他のところに中心があるという思想が生む、柔軟性と無責任。 既成事実に対して従順。空気。 日本語の特徴。表音と表意の混合。漫画。

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    投稿日: 2010.05.04
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    日本人の特性について、「辺境」という地政学上の観点から述べられた一冊。 1行たりとも無駄のない文章から理路整然と紡がれる論旨に圧倒的な筆力を感じます。 ダントツでお勧めの一冊 5000円の価値がある!

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    投稿日: 2010.05.03
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    武田鉄也のラジオ番組でもとりあげられていた内田樹さんが作者。「です」「ます」調で読みやすくしてくれるのだろうが、内容が私には難しかった(笑)日本人とは?永遠に答えがでない問いに挑戦されてるんだなと感じた。もう1回読まないと理解できん・・・

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    投稿日: 2010.05.02
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    「日本人とは何ものか」という問いに、辺境人という位置づけから アプローチした日本論。 2月の帰国の時に、ベストセラーになっているって言うので 買いました。 筆者も断っていますが、大雑把な感じは否めません。 ただ、何か物事を論じる際に、何かと比較でしか 物事を論じられない日本人って言うのは的確な 指摘だとは思う。 反対だけは言えて、じゃあ何をしたいの?って聞いたら 何も言えなかったりするし。 高校3年間の担任が現代国語の先生だったので、 こんな類の比較文化論みたいな本はよく読んだなぁ なんてことも思い出しました。 http://teddy.blog.so-net.ne.jp/2010-04-29

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    投稿日: 2010.04.29
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    【感想】他との比較で自を語る、匂いを好む、日本を先祖から受け継ぎ、後進に引き渡すという気持ちが弱い、など自省させられる内容だった。特に努力と利益の間の相関を予見しようとしないのは武士道の精神である、には感服する。 * アメリカ人がアメリカ人であるのはかってアメリカ人がそうであったようにふるまう限りにおいてであるというのがアメリカ人が採用している「国民の物語」 * 私たち(日本人)は歴史を貫いて先行時代から受け継ぎ、後続世代に手渡すものが何かと言うことについてほとんど何も語らない。代わりに何を語るかというと、他国との比較を語る * 日本は建国の理念があって国が作られているのではない。まずよその国がある。よその国との関係で自国の相対的地位がさだまる。よその国家が示す国家ヴィジョンを参照して、自分のヴィジョンを考える * 日本人には「親しさ」への固執、場の親密性を自分自身のアイデンティティの一貫性よりも優先させる傾向がある * 日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る * 「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂ふ山桜花」と本居宣長が詠じたとき、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。新渡戸稲造は武士道の神髄を「山桜花」の審美的たたずまいに託して筆を置いてしまう。それは結局「匂い」、場を領する「空気」 * 努力と報酬の間に相関があることが確実に予見されるることは武士道に反する * 努力と報酬の間の相関を予見しないこと。努力を始める前に、その報酬についての一覧的開示を要求しないこと。こういう努力をしたら、その引き換えに、どういう「いいこと」があるのですかと訊ねないこと、これが「学び」の基本 * 弟子は師が教えたつもりのないことも学ぶことができる

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    投稿日: 2010.04.25
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    出版は去年の11月だが、大型書店にいくと、いまだにうず高く平積みされているので、売れているのであろう。しかし、私はこの本にはかなり不満がある。著者が最初にことわっているように「この本には、ほとんど創見といえるものは含まれていません」。それはそれでいい。しかし著者には、先人たちが語り尽くしてきた日本及び日本人論を、ちょっと新鮮な切り口で語る、語りのうまさがあり、なるほどと思わせるものがある。私が不満な点は別のところにある。世界標準の文明原理を発信することがなかった日本人は、文明の「保証人」たる先生を外部に求め、つねに教えを請う「辺境人」の性癖が骨の髄まで染み込んでいる。だったらそこに居座り、とことん「辺境人」でいこうという著者の発想に、限界を感じてしまうのだ。現代の日本は、もちろん世界標準の文明原理を発信していないが、かといっていつまでも学び続ける「辺境人」という傾向とは明らかに違う変化が、若者たちを中心に起っているのではないか。著者には、それが見えていないような気がしてならない。

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    投稿日: 2010.04.24
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    1、日本人は辺境人である    他国との比較でしか語れない。空気で戦争。ロジックはいつも「被害者意識」。とことん辺境で行こう Ⅱ、辺境人の「学び」は効率がいい    君が代と日の丸の根拠。虎の威を借る狐。「武士道」。学びの極意。「水戸黄門」のドラマツルギー。 Ⅲ、「機」の思想    「ありもの」の使い回し。「世界の中心にいない」という前提 Ⅳ、辺境人は日本語と共に    日本語の特殊性。真名と仮名 分かりやすい例もあって、納得する部分も多かったし、とても面白かった。

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    投稿日: 2010.04.23
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    図書館より拝借 形而上の哲学的な話は難しいけど、 全体的にかみ砕いてあったので、わかりやすい。 結論は、日本人は「空気」に流されるってこと?

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    投稿日: 2010.04.22
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    日本とは何か?日本人とは何か?日本語とは何か?考えさせられる契機を与えてくれた。内容もわかりやすく、要旨はこれでもかと繰り返し強調される。

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    投稿日: 2010.04.19
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    1.日本人は辺境人で、常に世界から遅れていると考えている。 2.その結果、目的が分からずとも学び始められるため、学び効率が良い (3.学びの遅れは機の思想(A即ちB)で解決する) (4. 表意と表音を使う日本人は独自の文化を発展させるべき) 日本人は辺境人であるといってしまうことで、世界のあるべき姿などのヴィジョンを描くことからは無罪放免。それでは議論が終わりになってしまう。Global worldが現れ始めている現代において、無責任を助長するようなことは望ましくない。そもそも、辺境人であるゆえのメリットとして示されている2章も実際には説得力に欠ける。 「機」の3章は武道の達人が書くだけあって面白く、日本語についての4章もそれ自体は面白かったが、そういう章は、辺境論との関係が不明。 総じて内容的には微妙と思った。

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    投稿日: 2010.04.18
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    著者自身が巻頭で宣言している通り、本書で論じられる日本人論には特に目新しさはない。「日本人とは何か?」という問いを発する時の、ある種の道しるべにはなるだろう。白眉は「学び」の哲学の考察だろうか。欧米と日本の「学び」を比較し、日本人の「学び」の特殊性を解き明かすくだり、それなりに読み応えがある。ただ、欧米の思想の流れを云々するには、余りにもキリスト教の教義に無頓着すぎる。そして、その無頓着さは、おそらく意識的なものだろう。日本の辺境性を議論するのにわざわざユダヤ教を引き合いに出すことまでするくせに、どうしてキリスト教の話題には触れもしないのか。ちょっと不誠実な本だとも思いました。

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    投稿日: 2010.04.15
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    至極真っ当な考察だが、上梓されたタイミングとしては意義があった。中央から辺縁へ、視座の転回が必要な時代に。

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    投稿日: 2010.04.05
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     内田樹の中央公論新社が主催する「新書大賞2010」で大賞受賞の日本論です。  本の前半は、かなり聞いたことのある日本論ですが、後半は氏の武闘家としての体験に基づいた身体性を伴った記述にスペシャルなものを感じます。  辺境であることを自覚して、その先を考えようといった主張のようです。氏のブログにも以下のような記述がります。 「辺境民に出口はない」のである。 だったら、もうとことん「それ」でいこうじゃないのと書いたのである。 この十字架を負って生きましょうとご提案したのである。 「『この十字架を負って生きる』というのは、どういうふうにすればいいんですか?」と訊く人に向かって、「あのね、人に訊かずに、自分で何とかすることを『十字架を負う』っていうの」と申し上げたのである(読者に失礼だからそうは書かなかったけど)。 「一番」だとか「ナマケモノ」だとかいうのは、典型的に辺境的なワーディングである。 そんな言葉を使っている限り、「出口がない」という事況そのものは永遠に意識化できない。

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    投稿日: 2010.04.03
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    数ある日本を論じる本の中でも秀逸であったと思います。根源的日本の特殊性がとても説得力ある方法で解かれていました。 私個人としては、いよいよネイティブアメリカン、マオリ、アボリジニ、イヌイット、ユダヤ人、そして日本人について興味が深まりました。

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    投稿日: 2010.04.03
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    日本文化は”きょろきょろ” “変化の仕方が変化しない”ところに日本文化の原型を見る。 辺境は“中華”の対の概念。 なぜ幕末(情報量少ない)において、状況判断を過たなかった日本人が、日露戦争後(情報量多い)の状況は理解できなかったのか。。。 ⇒“情報量の多寡と状況判断の当否は必ずしも相関しないから” 違いは、「世界標準にキャッチアップする」or「世界標準を追い抜く(創る)」 じゃあ「とことん辺境でいよう(世界標準を創るのは諦めよう)」 と書いてるところが、この本の一番面白みだった。 どうやったら世界のルールを創れるかじゃなくて、どうやったら”世界のルールを効率的に取り入れるか”に注力すりゃいいじゃん! って思想。ひょっとしたらこの思考回路を持つこと自体が “日本人が日本人たる”要素なのだろうと感じた。

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    投稿日: 2010.03.31
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     文句なしの五つ星  さすが2009年新書ランキング1位  辺境と書かれると、どうしてもマイナスのイメージで  とらえてしまうが、本書を読むと捨てたものではない  と発想を転換することができる。  

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    投稿日: 2010.03.29
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    日本を辺境だと思う、その思想が、立派なアイデンティティになり得るのだろう。日本人を日本人たらしてめているのは、日本語が原因のひとつっぽい。例えば、twitterでも140文字で納めるのに、日本語は英語より文字数食うなぁと思っていた。けど、漢字羅列の漢文調で書けば、実は英語よりも意味を多く盛り込める。その点、本書4章の「表音文字、表意文字」の部分、興味深く読めた。

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    投稿日: 2010.03.28
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    夜中に読んだときはよくわからなかたが、朝起きて読み直したらよくわかった。1.日本人は辺境人である の章だけでも読んでみるといいかも。

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    投稿日: 2010.03.27
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    日本を客観的に書いている本。 そもそもの日本人論を知っているのと知っていないのとでは 世界の情勢を読む視点も変わってくると思うし 持つ疑問も違う風になると思った。

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    投稿日: 2010.03.26
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    先週ゼミの先生に勧められた本。数ページ読んでは寝、を繰り返し1週間もかかってしまいました。「ここがロドスだ。ここで跳べ」が何の引用かわからず、こういうちょい高度な言い方がちらほら見られた。内容は、日本人とは何なのか?常に手本に従い手本がないと生きていけない民族だから、我らが世界の中心であるという概念は持てない。みたいなことが、歴史や哲学や師弟関係とかから書かれてる。四字熟語も結構でてくる。サッチアズ、秋霜烈日。堅苦しくなくて読みやすかった!

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    投稿日: 2010.03.16
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    うん。 これは文句なく面白い、知的快楽の本。 ベストセラーになるのも納得。 日本人が、正しいもの、正当なものを常に自分たちの外に置いてきた、ということを見事に解説つくしている。 あくまでもエッセイである、ということを強調しながら、読みやすい口語で縦横に関連する事象を取り上げているのは気持ちがいい。 - 敵をつくらなければ、負けようがない、という下り - 日本人にとって仕事は"道"であり、"道"であるが故に その過程で何が得られるか、は問うてはならない、 という考え方をする、ということ は非常に感嘆したのでメモっておくこととする。

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    投稿日: 2010.03.16
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    日本の「空気」が薄くなってきているかもしれない。 ・常識を知らない(ふりをする)振る舞い ・起源からの遅れ ・無防備さ ○国民的規模での無知が政府によって達成されることはない。人々が無知であるのは、自ら進んで情報に耳を塞ぎ、無知のままでいることを欲望する場合だけである。 ○情報量の多寡と状況判断の当否は必ずしも相関しない(88頁) ○「諸国の範となるような国」はもう日本とは呼べない(89頁) ○国民文学としての司馬遼太郎 ○スタートとしての「アメリカとは」×ゴールとしての「日本とは」 ○わが国では、昨日できた制度も百年前からある制度も同じような重さ(あるいは軽さ)を持ってしまう(114頁) ■他人の主張を借りる者は、過程を知らないために、結論を変化させる交渉ができない。 ○学ぶ前に学ぶことについて、一望俯瞰的なマップを示すことは真のブレークスルーを経験できなくする。 ○師弟関係という学習装置「コンテンツ」ではなく、「マナー」を学ぶ。意味を見いだす問い立て。 ○「道」の不完全性によるメリット・デメリット ○学ぶ力とは先駆的に知る力「自分にとってそれが死活的に重要であることを、いかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力」 ○真名と仮名のハイブリッド語 ○メタメッセージが優越する日本語 ○「何が正しいのか」という問いよりも「正しいことを言いそうな人間は誰か」という問いの方が優先する ○質問は問う者と答える者の間に非対称的な水位差を作り出す。

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    投稿日: 2010.03.15
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    日本人は、きょろきょろとして新しいもの・正しいものを周囲に求める民族である、というスタンスの本。 とくにいいのは、これは今までも語られてきたことで、未来永劫変わらないだろうと著者が断言しているところ。 自分の書いていることは何一つ新しいことではなく、先人が言ってきたことだときちんと明言しているのがいい。 そんななかで、内田先生なりの現代に沿った噛砕き方を採用しているところにこの本の面白さがあります。 新書大賞2010で一位なのも納得です。

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    投稿日: 2010.03.14
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    日本は常に外国と比較することで自分の認識する、という日本論は非常に印象的であった。さらに続けて日本は世界標準を作る競争に挑むのではなく、世界の辺境にある他にはまねできない日本らしさを徹底していけばいい、という。この考えは日本の歴史、思想、そして将来を考える上でとても重要かもしれない。

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    投稿日: 2010.03.12
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    2010/3/6 メトロ書店御影クラッセ店にて購入 2010/4/20〜4/22 新書大賞を受賞した話題の本。もともとこういう話題は好きなのであるが、ちょっとあわてて読んだのと、こういう思想哲学的な内容を久し振りに読んだのもあって、イマイチ内容が把握できなかった。が、面白さは十分伝わってきた。  時間に余裕が出来たら是非再読したい。

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    投稿日: 2010.03.06
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    あいかわらず、内田先生の本は読んでいて楽しい。その論理的な文章は一種の快楽かもしれない。今回の書物はなかなか難解な部分もあり、新書ではあるが、けっこう読み応えがある。 1.日本人は辺境人である 2.辺境人の「学び」は効率がいい 3.「機」の思想 4.辺境人は日本語と共に という組立になっており、前半は簡単といっては語弊があるが、読みやすい、納得しやすい内容だ。それは従来の日本論的な書きかたかな? しかし、「機」の思想から後はなかなか手強い。 私は先生の「私家版ユダヤ文化論」を読んで感心してしまったのだが(恐れ多い言い方だが本当に「ふ~ん」って感じだったのだ)、こんな風に感心してしまうのは、高校生の時に読んだ西尾幹二さんの「ヨーロッパの個人主義」以来だった。今回はその日本版ということで、これまた感心してしまった。 歴史的、地理的な要素から形作られた日本人の辺境人としての特性。そしてその特性から生み出してきた独特な文化。 私たちはこれでいいのか?ではない。ず~っとこれできたのだから、これでいいじゃないか。これでいこうということだ。まったくもって賛成! しかし、さまざまなビジネス環境、アメリカ化の影響、などなどこのままいけるのかどうか。積極的にこれでいこうと自覚していかなければ壊れていくのではないか、という気もする。 日本はまだまだこれから改めて辺境人として闘わなければ、この国は不安だらけだ。

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    投稿日: 2010.03.04