ABAKAHEMPさんのレビュー
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人体六〇〇万年史 下──科学が明かす進化・健康・疾病
ダニエル・E・リーバーマン, 塩原通緒 / 早川書房
現代環境の変化に身体の適応が追いつかず起こる「ミスマッチ」病の深刻さ
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農業や産業革命は、人類全体にとって大いなる恵みだったが、人体にとっては複雑な恵みだった。
確かに暮らしは豊かで便利で快適になったが、同時にすべての人間の身体に決定的な変化をもたらした。
健康に関するパ…ラドックスとして、長生きできるようになったが、慢性病で長患いすることも多くなったと言われる。
つまり、食物の量は豊富になったが質は低下し、死亡率は下がったが罹患率を上昇させた、と。
著者は、こうした環境の変化が今日いかにわれわれを進化的なミスマッチによる病気にかかりやすくさせているかについて、読者の目を向けさせる。
エネルギーの摂り過ぎや、生理学的な負荷の不十分さなど、現代環境の新しい側面が原因で生じるさまざまなミスマッチ病。
単に目の前の病に対処するだけでなく、その予防の重要性を強調するが、同時にその裏で、人々の衝動や無知を食い物にする食品業界や、病人を生かしておける環境を作ることに腐心する製薬業界の存在も明かし、食習慣の継続的な改善と合わせて、問題の解決の困難さも指摘している。
しかしこうしたミスマッチ病の環境的な原因を放置することは、いつまでもその病を蔓延させ、悪化させることにもつながりかねない。
このあたりの、ミスマッチ病を誘発する環境条件が、文化を通じてそのまま子供に伝達されていく様は、技術的、経済的、科学的、社会的な変革の総体が、いかに人間の身体に大きな影響を及ぼしてきたか、改めて考えさせられた。 続きを読む投稿日:2016.01.31
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沈みゆく帝国 スティーブ・ジョブズ亡きあと、アップルは偉大な企業でいられるのか
ケイン岩谷ゆかり, 井口耕二, 外村仁 / 日経BP
『スティーブ・ジョブズ』の次に読むべき本はこの一冊
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これまで何冊かアップルを取り上げたノンフィクションを読んでいるが、アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』の次に読むべき本はこの一冊かもしれない。
CEOの健康状態をどこまで発表すべきかのせめぎ合いや…、徐々にゴジラ化していくアップルに焦点を当てた前半は、闘病中のジョブズの様子も描かれるが重複は少なく、彼が結婚20周年の記念日に送るものを古い友人であるデザイナーと相談しながら決めていく様は実に感動的。
後半では、アップルもソニーのように偉大な企業から単なるよい企業となってしまうのかという疑問を掘り下げていく。
特別だったジョブズがいなくなってアップルも変わったが、何より社外からの見る目が大きく変わった。
フォックスコンにおける労働条件やサプライヤーに対するアップルの厳しい姿勢、米国に対する何十億ドルもの納税を逃れるための複雑な仕組みなどが次々と明らかになり、「世界をよりよい場所にするのが会社のミッションだ」と言って自分たちを倫理的に一段高いところにいると取り繕うことが難しくなっている。
アップルは、「ほかの業界の破壊者であるとともにみずからの破壊者である」とも言われているが、この姿勢を貫くのは生半可なことではない。
データや分析に頼るのではなく、大胆な発想から製品開発を進めることができるのは、リスクを取り自分の行動が正しいと証明できる創業者だけで、盛田やジョブズの後の、雇われ経営者にはそもそも荷が重い話のような気がする。
そもそもクックはリスクをとって業界自体を変えてしまうような新製品を出す本当に革新的な会社を目指していないのかもしれない。
彼はこれからも確実に利益の出る、すばらしい普通の会社を目指し、彼を選んだジョブズも、後任には自分と同じワイルドカードではなく、きちんとふるいにかけられた人物を選んでいる。
ジョブズとクックのスタイルの違いも面白い。
・ジョブズは休暇中の幹部を呼び戻すことが多かったが、クックは部下の私生活を尊重するため、以前より休みを多く取るようになった。
・ジョブズは興味を持つとなんにでも首を突っ込んできたが、クックは信じて任せるタイプであるため、結果が出るまではジョブズのようにNoと言わない。
・ジョブズは摩擦上等だったが、クックは協力関係とチームワークを大切にする。
・ジョブズは利益をあまり気にしていなかったが、クックのような経営者は利益を重視し過ぎることが多い。
・クックはわずかな金額を値切って利益を出すタイプで、ジョブズはそのお金を使って人々を幸せにするタイプだ。
アップルは、これまで、市場に新たな可能性を拓くこと、新たな消費者の欲求を生み出すことを一番の目標とし、利益は二の次にするのが特徴だったのに。
クックの人事における眼力やコントロールも当てにならない。
企業文化がそもそも大きく異なる家電量販店出身のブロウェットにアップルストアをまかせるべきではなかったし、何よりフォーストールをクビにしたのは一番の間違いだった。
著者は、フォーストールがいなくなり、アイブが製品のデザインとユーザーインターフェイスの両方を統括するようになったが、うまくバランスをとれず、見た目はいいがまともに使えない製品が生まれるおそれがあると指摘する。
「アップルの現幹部が認めようが認めまいが、彼らはいまも天才という罠に捕らわれたままだ。この罠が彼らを縛り、悩ませ、あらゆる決定にまとわりついている。ビジョナリーリーダーが世界的な偶像となり、さらに死によってその影響力が昇華されたいま、残された人々は、創意工夫と意思の力をかき集め、炎をふたたび燃え上がらせることができるのだろうか。それとも、あちこちで言われているように、アップルは単なる企業になりつつあるのだろうか。その場合でも、世界的にも有数の成功を収める企業にはまちがいなくなるはずだが、その卓越した力が世界を変えることに発揮されるのではなく、利益をあげることに発揮される企業、そういう企業になりつつあるのかもしれない」 続きを読む投稿日:2014.07.22
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ありふれた祈り
ウィリアム・ケント・クルーガー, 宇佐川晶子 / ハヤカワ・ミステリ
煮えたぎる怒りの果てに訪れる小さな奇跡
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好きな小説やテレビドラマは決まって、登場する人物たちがたまらなくいとおしく思えてくるのだが、この作品も同じだった。
読み終わってなお、ニューブレーメンという小さな町とそこに住む住民たちが身近に感じられ…、とても作者が創造した架空の町だとは思えない。
何度も家族(とりわけ兄弟がたまらなくいい)、町の人との何気ない会話のシーンで涙があふれそうになり、ページを繰る手が止まった。
全米4大ミステリ賞で最優秀長編賞を独占した本書だが、失礼な話むしろそれが余計に思えてしまうほど、ジャンルに囚われない新鮮な読後感と深い余韻をもたらしてくれる傑作だった。
とりわけ主人公たちがブラント家を訪問する最初のシーンは印象深い。
ポーチでは父親で教区の司祭を務めるネイサンと隠遁した盲目の天才ピアニスのエミールが籐椅子に座り談笑しながらブラインド・チェスをしている。
家の中では将来を嘱望された音楽家である姉のアリエルが、そのエミールの口述した回顧録をタイプしている。
庭では耳が聞こえず情緒不安定なリーゼを吃音症の弟のジェイクとその兄で主人公のフランクが手伝っている。
牧歌的で平穏な交流場面がやがて悲しみに変わるのだが、作者は単なる悲劇で終わらせず、最後には再生と許しを用意している。
「ありきたりの祈り」というタイトルの付け方も見事で、家族を救う小さな奇跡という込められた意味は明かされてなお胸に迫るものがあった。
気に入った箇所をいくつか。
「幸せとはなんだ、ネイサン? ぼくの経験では、幸せは長く困難な道のあちこちにある一瞬の間にすぎない。ずっと幸福でいられる人間などいないんだ」
「喪失は、いったん確実になれば、手につかんだ石と同じだ。重さがあり、大きさがあり、手触りがある」
「彼らはおれたちの近くにいるんだよ」
「彼らって?」
「死者だよ。違いはひと息分もない。最後の息を吐けばまた一緒になれる」 続きを読む投稿日:2015.03.22
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荒木飛呂彦の漫画術【帯カラーイラスト付】
荒木飛呂彦 / 集英社新書
「指に針を刺すと痛い」というサスペンスが描きたい
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著者が漫画で描きたいと思った出発点は、何も「ジョジョ立ち」などの独特のポーズや「オラオラ」などの擬音語が描きたかったのではなく、「指に針を刺すと痛い」というサスペンスの部分だったという。
「傷み」とい…う"見えないものを可視化する"というのは、漫画ひいては絵の本質的な役割で、大友克洋がエネルギーの破壊力を表現するために壊されたものを精緻に描写したように、氏はポージングやスタンドで見えないものを可視化している。
火を描くには風を、光は影をというように、傷みもその傷口からは一歩引いた全体の視点が必要なのだとわかる。
「重要なのはキャラクターであってストーリーではない」、むしろ"キャラが物語を決定する"であるとか、ストーリーも常に「プラス」を積み重ねなければならず、作者は「マイナス」に持って行きたいという誘惑とは徹底的に対峙する必要があると説く。
このあたりの現場の苦労も凄まじく、具体的には、第4部のラストの吉良との戦いで、あまりに主人公に不利な状態を作ってしまい、キャラクターと悪戦苦闘してピンチを乗り越えたと告白している。 続きを読む投稿日:2015.11.27
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帰ってきたヒトラー 上
ティムール・ヴェルメシュ, 森内薫 / 河出文庫
ヨーロッパの優等生たる現代ドイツもこの男にかかれば形無し
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風刺や批判の毒を盛り込みながら、歴史上の人物をまったくあり得ないシチュエーションに再現するパロディ小説の手本のような作品。
壁の落書きやテレビ(なんと総統はテレビに向かって、話の進展について文句を言…いまたあとで必ず戻ると約束したりする!)にいちいち「なんということだ」と驚きながらも、ヨーロッパの優等生たる現代ドイツもこの男にかかれば形無しである。
散歩中に犬の糞を拾う行為はどう考えても彼にとって奇行だし、「現在のドイツ人は民族の分別に比べ、ゴミの分別はずっと正確に行っている」という嘆息は切実であるだけ滑稽だ。
意外にも現代の政党では『緑の党』に親近感を覚えており、小説とはいえいい迷惑だろうなと同情も。
「最高の人材ほど早く死ぬ」という彼の信念は、第二の人生においてその正しさが証明されたようだが、現代に生きてる我々はなんなんだ..。
まぁ、いい人ほど早く亡くなるのは彼だけの実感ではないが...。 続きを読む投稿日:2016.06.11
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嫌われる勇気
岸見一郎, 古賀史健 / ダイヤモンド社
ジャッキー・ロビンソンも実践してた!?
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本来は他者の課題であるはずのことまで、「自分の課題」だ思い込む。
こうした承認欲求に縛られた生き方を否定するアドラー心理学は、「課題の分離」という考えを呈示している。
「おまえの顔を気にしているのはお…まえだけだよ」というお婆さんの言葉はその核心だ。
これを読んだ時、かつてジャッキー・ロビンソンがチームメイトに語った言葉を思い出した。
「ぼくが黒人であるのは自覚していますし、黒人であるというだけで僕を憎む人たちが出てくるのもわかっています。しかしですね、それは僕の問題ではなくて、そういう人たちの問題なのです」
初の黒人大リーガーである彼を周りはどう思うか。
これは他者の課題であって、自分にはどうすることもできない。
こんなことに悩み苦しんでいるとしたら、まずは「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を引き、他者の課題は切り捨てて自分のプレーに集中すべきだ。
あらためて彼の偉大さを再確認した。 続きを読む投稿日:2014.09.27