
逆ソクラテス
伊坂幸太郎
集英社文庫
伊坂作品としては異色。身近な出来事、子供の世界、時々大事。
連作短篇集のスタイルをとっていますが、一つ一つは完全に独立していますし、物語はとてもわかりやすいので読みやすいモノでした。そして、基本的に子供達が主人公であり、ちょっとしたイザコザ、いじめ、それに対してみんなで対抗するのが小気味よいです。身近な出来事と言っても、1話だけはピストルが出てくる話がありました。そこはちょっとハードボイルド調で緊張感あふれるシーンでありました。 とても素敵な表現もありましたよ。それは今にも雨が降り出そうという所。「雲が泣くのを、ぐっとこらえている。」これはどこかで使わせてもらおうと思います。 また、何といっても、あとがき?と文庫化記念インタビューがとても興味深いものでした。 伊坂ファンは勿論、きっと誰もが好きになる一冊だと思います。
0投稿日: 2025.10.30
壇蜜日記
壇蜜
文春文庫
垣間見える彼女の日常と心情。まずは10年以上前のこの日記から
壇蜜さんを意識したのは、映画「私の奴隷になりなさい」からかな。テレビ等に出演する姿は、エロチシズムを醸しながら、なぜか下品にならないのが不思議な魅力でありますね。 水槽の中の小魚が増えていったのを見て、「やることがないんだな。」なんて呟いたり、ヨーグルトのカップのふた裏を舐める権利と風呂屋に行く権利は奪われたくない、なんて呟いたり、面白いですよね。 それから、カツラは経費だか植毛は違うなんていうトリビアも書いてありました。また、彼女は日記をデジタルで書いているらしく、12月23日と入力するところを31日と入力してしまった自分に、「2013年」がお腹一杯なのだろう。」なんて思うとはね。私は10年日記を書いてますが、ページを飛ばしたり、段を間違えたりしたとき、そんな風には考えたことはなかったですねぇ。 鋭い洞察の点では、こんなフレーズもありました。「匿名という文字を身につければ、ヒトはヒトに研がれた刃を向けることも簡単だ。」これなんかは、まさに言い得て妙です。 大相撲を外国人に説明するならば、と書いてあった部分は、壇蜜さん以上に上手い説明はないと思いましたよ。 どのような経緯で日記を公開することになったのかはわかりませんけど、彼女がなぜ不思議な魅力を醸し出しているのかがわかるような気がします。日記は続編もあるようですから、次も読んでみたいと思います。
0投稿日: 2025.10.30
くますけと一緒に 新装版
新井素子
中公文庫
ぬいぐるみも人形もそして仏像も、日によって表情が変わる気が?
恥ずかしながら私もぬいぐるみは沢山持っていますし、好きであります。還暦過ぎた男が気持ち悪いと思われるかもしれませんな。もっとも自分で購入したものは少ないですけどね。 勿論、話しかけたりはしません。でも、何かをしようと決断したとき、心の中で、いや頭の中で、もう一人の自分にたずねたりすることは、誰もがあるのではないでしょうか。成美ちゃんにとって、「くますけ」そのようなもので、これは、フィリップ・プルマンのファンタジー小説「ライラの冒険」に出てくる「ダイモン」のようなものだと思って読み進めていきました。つまりホラーと銘打っていますが、様々な現象は偶然の産物?あるいは成美ちゃんの思い込み?それとも自作自演なのかな?きっとそれは特殊な家庭に育った故のことなのかなぁ、と思っていました。小説の展開は、成美ちゃんの独白と、新しくあずけられた夫婦の話がいったりきたりして、その心情の変化がとても興味深く面白かったのですが。。。 ところがですね。ENDINGという表示の後、え~やっぱりそうだったのぉ~と、ぞぞっと来ました。これは紛れもなくホラーだぁ。これを読んだら、もうぬいぐるみ等を雑には扱えないし、人形供養は絶対必要なものだと再認識しますよ。 そしてより一層興味深かったのが、「あとがき」です。平成3年9月と記載がある「あとがき」のあと、中公文庫版へのあとがき(平成24年7月)があり、そのあと、新装版へのあとがき(令和6年10月)が掲載されていました。この時を経ての作者の心情がとても面白いものでありました。
0投稿日: 2025.09.27
絶対音感
最相葉月
新潮社
レ♯とミ♭は異なるとわかるのが絶対音感?私にはありませんです
まず私の音楽遍歴を書きます。幼い頃ヤマハ音楽教室に2年通いました。教室では、その頃一般への発売が始まったエレクトーンばかりを弾いていました。勿論、幼稚園児には補助具を使っても脚は届きませんので、上下の鍵盤のみです。ただ、オルガンと違って様々な音が出ますからね。それがよほど気に入ったのでしょう。その後、親に頼んでエレクトーン教室に3年間通いました。でも、小学校4年になると友達間で珠算塾に通うことが流行り、エレクトーン教室は止めさせられました。4歳違いの妹は中学2年までエレクトーンを習っており、楽器は家にありましたので、遊びで触ることはありました。子供の頃は、オヤジの「おなら」の音を「今のはファ♯かな。」なんて妹と言い当てていたものです。小学校でリコーダーを吹くようになると、チャルメラや豆腐屋のラッパの音を友達同士で奏でていました。中学生になってからはフォークソングに傾倒し、ご多分に漏れずギターをかき鳴らしていました。ただ私は、カポを使って音程を変えるのはどうしても苦手でありました。例えば、Cの指使いでFの音が出るのは、何故かとても気持ち悪かったのです。 大学時代は、中南米音楽、フォルクローレ同好会に所属しました。楽譜なんてものは存在しませんでしたから、全てレコードコピーで、旋律、コードは勿論、パーカッションも部員みんなでコピーしていました。そして就職して4年目、初めて自分の給料でエレクトーンを購入し、これまで何度も買い換えてはいますが、以来30年以上毎日のように弾いております。今でも初めて聞く楽曲でも旋律ぐらいならばなぞることができます。この程度の事は音楽をそれなりにやって来た人は、普通にできる事だと思っていました。 ところが、この本を読んで目からウロコでありました。「絶対音感」たるものは、そんなものじゃないんですね。 なんでもA音とは国際規約において、気温摂氏二十度440ヘルツと制定されているとか。でも年々オーケストラの基準音は上昇し続けているそうな。そして本物の絶対音感を持っている人は、この440周辺の音以外は受け入れることができなくなるそうな。この本は、絶対音感とは何か。脳との関係、そして相対音感なるものについて解説し、それに加え、そもそも絶対音感は音楽家にとって必要なのか?なんていう話にも言及しています。日本の音楽教育につしても概説していました。 弦楽器と鍵盤楽器の違いも興味深いものでありました。五嶋みどりはオーディションを受ける前、オーケストラの基準音が442ヘルツで、自分が練習してきたのは440ヘルツで、オーケストラの音に合わせると気持ち悪いと感じたなんていうのは、興味深い話でした。その一方、少々可哀想な気もします。弦楽器はチューニングで基準音を簡単?に変えることはできるですが、鍵盤楽器はそんなわけにもいかないでしょう。ま、今のエレクトーンでは変えることができるようですが、私はしたことはありません。 ただ考えてみるに、クラシックの曲は、オーケストラや指揮者によって聞いた感じが違うのは、ひょっとすると基準音が異なるのかもしれませんね。 そして、絶対音感を持ち、優れた技術を持てば、それで良いのか?それで人を感動させられるのか?本の中ではそこにも言及しています。もし譜面通りの演奏が良いならば、コンピュータに演奏させればいいわけですよね。演奏にはたぶん、その人のこれまでの人生そのものが表れなければならないのでしょう。 エレクトーンも音色やリズムのチェンジを、シーケンスプログラムを組んで自動でできる機種が発売された時、譜面通りに弾くことが出来たら、誰が弾いてもみんな同じになってしまうなぁと思いました。しかし、次に発表された機種から、鍵盤を指先のタッチで、音が変わるようになってます。イニシャルタッチ、アフタータッチ、ホリゾンタッチと呼ばれていますが、今では弾き手の感性で音を変化させて弾くことができるようになっています。 というわけで、音楽好きな人には、なかなか興味深い分野の一冊だと思いますよ。 それにしても、気持ちの良い和音と気持ち悪い和音がありますが、これは何が違うのか?あるいは短調の曲はなぜ悲しげに聞こえるのか?なんてことも不思議ですよねぇ。
0投稿日: 2025.09.15
死神さん
大倉崇裕
幻冬舎文庫
一風変わった爽快さの3編と後を引く1編。異色の刑事物
袴田事件の例を出すまでもなく、最近えん罪についてのニュースがよく流れます。その度に思うことがあります。 犯してもない罪によって奪われた人生は、私なんぞが想像できるものではありません。そのような状況を引き起こした当局の責任は厳しく問われるべきと思います。しかしその一方で、当局によって、犯人にでっちあげた?人がいたということは、真犯人を故意に見逃しているということですよね。その犯人を野放しにしてしまったということは、犯罪にはならないのか?そのことも、もっと問われるべきと、いつも思います。 そしてこの小説です。無罪判決がでた犯罪を、ほじくり返していく「警視庁の方から来た」死神さん。タイトルは死神さんですが、物語は、不本意ながらその相棒となるバディの視点で描かれていきます。そしてまた、その相棒がまた様々な事情を抱えているという設定です。 最初の3編は、実に爽快。そして最後の1編は、なかなか含蓄がある物語でありました。 死神さんがどのような情報網を持っているのか、どこからそんな証拠を掘り出してくるのかは、あまり明らかにされていないので、純粋な推理小説とは言えませんが、なかなか読みごたえがありました。 続編も読んで、もう少し死神さんにつきあってみたいと思います。
0投稿日: 2025.07.29
アルゼンチンババア
よしもとばなな
幻冬舎
結構無茶苦茶な話なんだけど、このホッコリ感はなんなんでしょう
小説としては短く、絵は奈良美智。ナゾのアルゼンチンババアを題材に私小説風に書かれています。 こんな隣人、また、こんな親がいたら大変だろうなぁ、と思ってしまうのですが、何故かそんな生活にもひかれてしまうのは何故でしょうか。 それに、「なぜ人は遺跡を作るのか」という問いに対しての答えが、とても素晴らしいものでした。自分の記録、権力者の恣意行為?なんて思っていましたけど、「好きな人がいつまでも、死なないで、いつまでも今日が続いていてほしい。」そんな願いからという答えにはグッときました。なんて素敵な考えでしょうか。なにもイルカの墓石でなくとも、お墓の意義はそこにあるのかもしれませんね。
0投稿日: 2025.07.29
青い壺
有吉佐和子
文春文庫
NHKの番組「100分de名著」をきっかけに読んでみました。
私にとっての有吉佐和子のイメージは、もっとお堅い小説を書く作家といった感じでありましたが、この本は文章も平易でグッと読みやすく、とても面白い連作小説でありました。 青い壺が不思議な流転をしていく小説です。でも、第1話こそ、この「青い壺」の出自が描かれますが、後に続く話は、青い壺をめぐる人間模様が中心です。中には、読んでいる間、壺のことを忘れてしまって、その内容にのめり込んでしまうほど、面白い話が続きます。そして、あ~そう言えば、壺の小説だったと思い出した話もいくつかありました。 すべての話に共通するのは、やはり「普通の幸せ」ということかな。ささやかな幸せがあれば人は生きていけるものですね。でも一方で、やっぱりエゴみたいなものもあるんですよねぇ。最後の話で、青い壺の作者は、この青い壺に再会するわけですが、その後の決意は、なかなか興味深いものです。 それにしても、骨董の価値というのは、難しい物だと改めて思いました。
0投稿日: 2025.07.29
木(新潮文庫)
幸田文
新潮文庫
あの映画の中で、あの人が愛読していた本です
映画「PERFECT DAYS」を見た人ならば、おそらく興味を抱く一冊だと思います。幸田文の著作にこのような本があるとは知りませんでした。なんでもお亡くなりになってから出版されたようです。 単に自然礼賛というよりも、林業にも注目しているところがとても好感が持てます。実は私は、農学部林学科卒業です。もっとも専門は山地防災の方ですけれども。 あんな風に専門家と共に歩くことが出来たならば、充実した散策ができるのも当然かもしれませんね。ちょっとズルイかな? あの知る人ぞ知る西岡一族?とも親交があったようで、楢二郎さんの言葉、「大工という職業は(中略)みんな小さく減らしていく仕事」というものには、なるほどと目からウロコでありました。そんな風に考えたことはなかったですね。ただ、クスノキがうっとおしい木というのは、わからなくもないですが、防虫作用についても触れて欲しかったかなぁ。ちなみに我が家の木魚はクスノキ製でありますよ。 また随所に文学的表現もあり、「紅葉黄葉ほど美しい別れ、あるいは終わりはない、こんなきれいな老いの終わりが、ほかにあろうか、と毎年の黄葉をうっとりと見る、」というところなんぞは、今後紅葉を見る目が変わる気がします。それに、ポプラがマッチの軸木として価値が高かったなんて話は、全く知りませんでした。今でもマッチは売っているには売っていますよね。何の木の材質で作られているのでしょうか? この本は、樹木についての蘊蓄を知ろうとする人も、また自然を愛する人にもピッタリと思います。細かい章に分かれているし、文体は優しいので、とても読みやすいですよ。
0投稿日: 2025.06.24
君がいるから
まなつ&まふゆ
大和書房
まさに大人向けに書かれた絵本。今後も時々ページを開くでしょう
分類としては児童書となるのでしょうが、中の文章は通常の小説のように漢字が使われていますし、それにフリガナはふってありません。まさに大人向けに書かれたイラストエッセイ?のような一冊でした。 なぜペンギンさんと猫さんなのかはわかりませんけれど、ベストチョイスですね。そして、誰にとっても一人ぐらいは、かけがいのない友人、知人、あるいは家族がいるものです。読み終わった後は、無性にその人に会いたくなりますよ。君がいるから、ここまでこれた、ありがとうと私も言いたくなりました。
0投稿日: 2025.05.30
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか
今井むつみ,秋田喜美
中公新書
実に興味深い、面白いエピソードが満載。言葉ってそもそも何?
我々日本人は、頭で考えるとき日本語で考えますよね。人間はそれぞれの言語を駆使して頭の中で様々な事を考えるわけです。もし、言語というものがなかったら、どうなるんだろう。そんなことを時々思います。 この一冊は、言語のとても興味深い問題を、まずオノマトペから考察を始めます。 日本語はとてもオノマトペが多い言語です。しかも、自由に作って独自の表現にも使用します。私事ですが、ワープロなるものが世に出て初めてそれを手にしたとき、オマケにブラインドタッチの教則本がついてました。 ワープロを使うには、まず入力に用いるのにローマ字入力か日本語入力かを選ばねばなりません。私が躊躇なく日本語入力を選んだのは、オノマトペを書くのにローマ字入力では入力しずらいだろうとの判断でした。この選択は間違いなかったとは思いますが、もしローマ字入力を選べば、英文タイプライターを使うのに苦労しなかったかもしれないのですけどね。 閑話休題。このオノマトペについて、外国人であっても、また、そのオノマトペを初めて耳にする日本人でも、想像で何となく理解できてしまうのはなぜか?ということについて、面白い言及がありました。 そして次第に話は、言語の深淵に向かっていきます。この手の問題に興味のある方は、必読の一冊だと思います。
0投稿日: 2025.04.29
