
総合評価
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powered by ブクログこれはもう永久本棚です (日本語?、 遠藤周作の沈黙が読みたくて読みたくて仕方なかった パードレの葛藤、涙が零れ落ちるほど辛く屈辱的だった 一応仏教の宗派こそあるが、ほぼ無宗教レベルに信仰がないので、 信仰とは、命とは、何故ここまで命を捧げられるのか、もう想像をはるかに超えた境地への冒険でした
0投稿日: 2025.11.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なんとも重厚な読み物であったか。 基督への信仰心を持った若き司祭が暖かな部屋から飛び出して、吹きすさぶ嵐の中を寒々とした荒野を突き進む。 体を引き摺るようにして進んで行った先で、新たな信仰の形を獲得した男の話だった。 キリストがとにかく迫害されたかつての日本が舞台で、徹底的な拷問を受ける人々は痩せてゴミの様に捨てられ、衝撃的な出来事に心が動かなくなっていく有様はフランクル著の「夜と霧」にそっくり。 穴吊り場面では戦場のメリークリスマスが思い出されましたね。 本書にある通り、宗教は豊かで強い者のために存在しているのてわなく、孤独で貧しく弱い人こそ必要な存在なのでしょう。 今日の日本において、コミュニティから弾かれた人は本書の司祭の様に膝を抱えて蹲って孤独に泣いている。そんな時に宗教の持つ神の絶対感が必要なのかなと。 結局の所、神の姿や想像は人によって違えても同じ方向を向いて、同じ慣習を生活に取り入れた集団に属するという、その一体感から充実感を大いに得てしまう。 一度手に入れた安息のコミュニティから爪弾きにされないために信仰にしがみついているだけなんだ。 神は何故、この様な苦しみを与えるのか。 何故救ってくれないのかと司祭は考えますが、フランクル哲学を引用すると、運命は突きつけられるものでなく、運命が我々に問いかけを行っているのだと。我々は運命に対して常にアンサーしなければならないのだと言っていて、この考えは私のお気に入りです。 神と言う普遍的で抽象的な概念を信仰すると言うよりは、自らの置かれている生活や立場、コミュニティに属する安心感を信仰している。 司祭は最後の最後まで、本国の教会関連者に軽蔑される事に気を取られていた感じがする。 やはり、どんなに生活力が向上して文明が進むとも人の天敵は孤独から来る無気力感なのだと改めて感じた作品だった。 キリストの言葉は全く学んでこなかった私だけど、やはりと言うべきか、世界中の人々に支持されているだけあって、素晴らしい教えは幾つもありました。宗教はその土地に住まう人々の生活の知恵が集合したものであると思っているため、学んで行きたいジャンルだなあ。
0投稿日: 2025.11.14
powered by ブクログ歴史の教科書で知った「踏み絵」の裏に、こんな苦悩のストーリーが刻まれていたとは 江戸時代、キリシタン狩り真っ盛りの九州を舞台に、「神はいるのか」という禁断の問いを文学という形で昇華させた遠藤周作の代表作です。 キリスト教イエズス会の司祭であるロドリゴは、日本での布教に貢献した尊敬する恩師フェレイラが、弾圧により棄教したという伝聞が信じられず、真相をさぐるために同志と鎖国中の日本へ密航するも…というお話。江戸時代のキリスト教弾圧や島原の乱、隠れキリシタンへの糾弾、踏み絵などは学生時代の日本史で習いましたが、実際に司祭や隠れキリシタンたちがどのような仕打ちを受け、どのような心の動きがあったのかを知る機会になりました。 明確な信仰心や、絶対の存在が常にいるというキリスト教的な感覚が私にはありません。そもそも仏壇と神棚がどちらもあるような家で育った身の上です。そんな私にとって、この小説は真摯な信仰とはどれほどのものであるかを想像させるものでした。実際にあったキリシタン狩りをモチーフにしているので、どこまで史実なのかは当然気になりました。今後勉強しようかなと思います。 読んでいる途中まで、単なるいちモブキャラだと思っていたキチジローがまさかのキーマンであり、トリックスターとしてストーリーの盛り上げに大いに貢献しています。 キチジローはとても意志が弱くオドオドしているのに、ときに尊大な態度にでるような、人間のだめな部分を詰め込んだヘタレな存在。金に釣られてロドリゴを裏切ったくせに、バツが悪そうに「ゆるしてくれ」と泣きながら後ろをついてくるという図々しさ。なんとも人を苛立たせるキャラですが、その痛々しさに少なからず人間らしさを感じ、共感する部分もありました。 なによりストーリーが進むにつれ二人の関係性がより深く感じられていくのが面白かったです。ロドリゴがキリスト、キチジローかユダのような構図になり、キチジローというユダの存在のおかげで、ロドリゴはキリストと同じ道を歩んだとも思えるほどです。キリスト教徒としての理想の姿と真逆であるキチジローの存在が、信仰とは何かを浮かび上がらせます。ロドリゴの信仰の道にとってキチジローは不可欠であり、この出会いはある意味財産であったかもしれない、なんて考えました。 奉行に捕まり村から村へ引きまわされる司祭ロドリゴは、ゴルゴタの丘へ向かうキリストと自分を重ねます。激しい弾圧の悪辣さと、一転して寄り添うような慇懃さ。このネチネチとしたアメとムチの波状攻撃がなんとも残酷で、読んでいて胸が痛くなりました。眼の前で殺される信者、命を落とす同胞。ロドリゴの精神は極限まで追いつめられます。彼は敬虔ではあるけれど、盲信的ではありません。だから苦境のなかで彼の信仰心は揺らぎます。なんどもその人(文中のまま。キリストのこと)の顔を思い浮かべ、なぜその人は沈黙をしているのかとロドリゴは苦悩します。悩んで悩んで悩み抜いた末に、真理に一歩だけ近づくような、聖職者としての充実があることが牢中のわずかな救いに感じます。 終盤、恩師フェレイラとロドリゴの対峙の時が来ます。フェレイラのセリフ「デウスと大日を混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ」は、日本の日本らしさを表していて、後に「ガラパゴス化」と言われる根本的な島国日本の性質はこんなとこにも現れていたんだなと感じ入りました。「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」というセリフも、フェレイラに言われる通りの日本人である私にとっては「むしろクリスチャンがそんな感覚でいることにびっくりなんだけど!」という驚きの種でした。この出会いの後につづくロドリゴの自問自答の場面は、クリスチャンでない私にとってもスリリングです。 自分のなかの大事な物をつぎつぎと汚され、取り上げられ、蹂躙され、ほとんどすべてをなくしても諦めなかったロドリゴですが、自分が棄教しない限り責め苦に苦しみ続けている信徒たちのうめき声に心が折れ、眼前に置かれた踏み絵に足をかけます。踏み絵のイエスはこれまでの沈黙を破り「私を踏むがいい」とロドリゴを赦したと後に懐述しますが、それとて極限状態にあった彼の精神が自己防衛のために作り出した幻覚かもしれないとも私は思いました。それに、拷問に耐え信仰を貫いて絶命した教徒たちにとっては、やっぱり神は沈黙し続けたということになるし。ただロドリゴがたどりついた、本当の信仰というのは、他の信者や司祭や教団など、いっさいの他人の存在とはまったく関係のない、自分ただひとりと神の一対一の関係によって紡がれるものだという答えは、苦しみ抜いたロドリゴを癒すものであったろうと思います。「他人に何を言われても、表向きは棄教した恥ずべき存在でも、私自身は今でも胸の奥であの人への信仰を続けている」という思いこそが彼を生かし続けたでしょう。 この本を読んだ人なら、「主人公ロドリゴの迷いは、そのまま著者の迷いではなかったのか」という疑問が当然湧くと思います。いまこそ信徒を救うべきという場面でことごとく神が沈黙してきた物語を書いておいて、遠藤周作は小説家としての自我とキリスト教徒としての自我で引き裂かれなかったのかなあ。 教科書のなかでただただ特異なエピソードとして知った「踏み絵」のうらに、これだけのストーリーがあったかもしれない、いやおそらく事実あったろうことに、歴史の残酷さを感じます。
4投稿日: 2025.11.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
主人公をとりめぐる、冒険小説のようなハラハラ感。無惨な世界の中、神はなぜ「沈黙」を保っているのか。 以上のように、エンタメ性(失礼な表現かもしれませんが)と深遠な哲学が両立している文学は、読んでいて楽しい。 一方、個人的に気になった点もいくつかあった。 一貫したテーマである、「神の実在性」の答えは、どこへ行ったのか。 最後の最後で主人公が意味深な事を言っていたが、私の頭ではあまり理解出来なかった。 主人公が転んだ理由についても、明確な思想や哲学がが語られる訳ではない。 また、主人公が少し捉えられてからのテンポが悪い気がした。 ここでの心情描写や思想に本作の魅力があるのは分かるが、もう少し省ける箇所もあったのではと感じた。 内容が重く、正直もう一度読む体力はない。 人生で一度は読んでおくべき本、である。
0投稿日: 2025.11.03
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沈黙 著者:遠藤周作 発行:1981年10月15日 新潮文庫 初出:1966年3月、新潮社より刊行 ブックオフで何冊かまとめ買いした一冊。若い頃にはなんとも思わなかった遠藤周作も、この年になると少しはまる。本作は、江戸初期の時代小説であり、宗教小説でもある。「海と毒薬」ほどは読まれていないかもしれないが、著者代表作の一つ。 1637-38の島原の乱により、キリスト教に対する弾圧を益々強める幕府。舞台は長崎。九州に派遣されて切支丹禁令の中心となったのが井上筑後守(政重)だが、この小説の主人公である司教ロドリゴがその井上と対峙し、棄教を迫られるなかでの葛藤を描いた物語である。ロドリゴは歴史上の人物としてモデルがいると解説に書かれている。イタリア生まれのジョゼッペ・キャラという人物だが、小説ではポルトガルのタスコ町に生まれたセバスチャン・ロドリゴとしている。 イントロは、ポルトガルのイエズス会が日本に派遣したフェレイラ教父が長崎で「穴吊り」という拷問の末に棄教を誓ったというニュースがローマ教会にもたらされたところから始まる。20数年前から迫害下の日本で布教活動をし、地区長という最高の住職にある長老。稀にみる神学的才能に恵まれた彼が棄教するとは信じられない話であった。真相を突き止めるべく(あるいは救出すべく?)、日本への潜入を、イタリアで、そしてポルトガルで決める。ポルトガルからは3人が1638年に出航した。そのうちの一人がロドリゴである。 なお、穴吊りとは、掘られた穴に汚物を入れ、そこに逆さ吊りにされる。それと別に信者は、海に縛り付けられるが、高さは満潮時に息が出来るか出来ないかぐらいまで海面が来るような位置で、苦しみ、衰弱死していく。フェレイラは、自らの肉体的な苦しみと同時に、信者達が苦しみながら殉教していく苦しみに堪えられなかったことが想像できる。 イントロでは、たくさん人物が出てきて、これは壮大な大河小説かも、読み切れるだろうかとも思ったが、2章からはロドリゴ自身が遺した手紙という形で展開し、3章では3人称の形式でのゆるやかな話となり、2章と3章はロドリコ関連だけだったので、とても分かりやすく、中身は宗教的な難解なことや、複雑な個人の葛藤などが描かれるが、とても理解しやすく読みやすかった。さすがの遠藤周作である。 物語としては・・・ ポルトガルの3人は、喜望峰で難破し、なんとかインドのゴアにたどりつき、やっと澳門(マカオ)の教会に入ったものの、そんな危険な日本に送る気はないと教会に言われる。気を落とすものの、なんとか説得して日本へ。ただし、1人は病気のため、ロドリコとガルペの2人で。小さな漁村に入り、潜伏してフェレイラを探し始めるが、気の弱い1人の信者の裏切りにより、危機を迎える。ロドリコとガルペは別行動で逃げることにし、たとえどちらかにもしものことがあっても、もう一人が最後まで布教活動をしようと決めた。ロドリゴは逃走する中、山を行き、飢えと渇きでもうどうでもいいという心境にまでなるほど。そんな中、気の弱い1人の信者に再会し、彼が都合した干し魚を食べているとき、捕まってしまう。きっと罠だろう、彼(キチジロー)の裏切りだろう。 捕まったロドリゴは拷問されることもなく、ある意味で放置された。だが、一緒につかまった村の信者達は殺されていく。棄教を勧められるが、それは穏やかにだった。井上筑後守とも体面するが、にこやかでものわかりがよさそうだった。あくまでソフトに棄教を勧められたが、断るなかでついに裸馬に乗せられて移動をさせられる。最終的に長崎までいくのだが、途中、会わせたい者がいるといわれて遠くから見せられたのが、ガルペだった。彼も捕まっていた。そして、信者たちが薦(こも)で簀巻きにされた信者たちが船から突き落とされ、殺されていく姿を見て、彼自身も飛び込んで命を落とす。ロドリゴの目前で行われたのだった。 長崎でも、予想された拷問がなかなか始まらなかった。隙もあったが、すでに逃げる気も失せている。死はもちろん、拷問もあまり怖くなかった。そんな中、会わせたい者がいるとまた言われた。今度はフェレイラだった。彼は、自分が穴吊りをされた時のこと、信者が殉教すること、の苦しみをロドリゴに話した。今、彼は長崎の西勝寺で暮らし、妻子(妻とその連れ子)と暮らしている。 キチジローが、なぜかずっとついてきている。一般の信者だとなのり、お願いだからパードレ(司教)に会わせてくれと見張りなどに頼んでいるがはねつけられている。なぜだろう。ロドリゴには疑問だった。キリストが裏切り者のユダを知っていながら弟子にした、それとダブらせて考えていた。そして、ある夜、捕まっている信者たちの鼾を聞くようになった。ところが、それは鼾ではなく、穴吊りの苦しみの声だったことをフェレイラから教えられる。形式だけでもいいから、踏み絵をしろと役人がいう。ついにロドリゴは軽く踏んでしまう。ただ、その絵に描かれたキリストが踏めと言っていると考えたのであり、これは棄教ではないと思った。 井上筑後守に会い、東京の井上屋敷に行くことになる。岡田三右衛門という名が与えられた。岡田三右衛門は故人となっていたが、その未亡人を妻として与えられた。64歳まで生きたと記録された。 とても面白い作品だった。 遠藤周作には、いましばらくハマりそうである。 ******** クリストヴァン・フェレイラ教父 アンドレ・バルメイロ神父:巡察師 1629年12月 竹中采女:長崎奉行 バルトロメ・グチエレス:アウグスチノ会士 フランシスコ・デ・ヘスス:アウグスチノ会士 ビセンテ・デ・サン・アントニヨ:アウグスチノ会士 石田アントニヨ:われらの会 ガブリエル・デ・サンンタ・マグレナ神父:フランシスコ会 ベアトリチェ・ダ・コスタ:アントニヨ・ダ・シルヴァの妻 マリア:その娘 1635年イタリア ルビノ神父:他の3人の司祭とともに日本へ 1637年ポルトガル フランシス・ガルペ:リスボン出身 ホアンテ・サンタ・マルタ:リスボン出身 セバスチャン・ロドリゴ:タスコ町生まれ ・1638年3月25日にサンタ・イサベル号で出航 ジョアン・ダセコ:その時に祝福した司教 ・10月9日にゴア到着 ・澳門までたどり着く ヴァリニャーノ神父:澳門の布教会では危険な方法で宣教師を送ることを考えていないと3人に宣告する 井上:井上筑後守(井上政重)がフェレイラを尋問したとの情報 <セバスチャン・ロドリゴの書簡> キチジロー:肥前(長崎)の漁師、28-9歳、クラサキ村出身、漂流中にポルトガル船に救助されて澳門へ 日本に来た宣教師など デ・セルイケラ司教 バリニヤ師 オルガンチノ師 ゴメスデ師 ポメリオ師 ローペス師 グレゴリオ師 ジル・デ・ラ・マッタ師(船が難破) ・長崎から16レグワのトモギという漁村に漂着 じいさま:最高の地位、下に「とっさま」、「み弟子」 モチキ:若い男 ミゲル・マツダ:日本人司教、1633年10月に死亡 マテオ・デ・コーロス師:同年同月死亡 イチゾウ:50歳、怒ったような顔、夜に小屋に来る オマツ:イチゾウの姉、寡婦 セン:オマツの姪 マゴイチ:「とっさま」の一人 ・フカザワ村(五島列島) ・捕まって連れてこられた村 チーキチ:片目の男、ジュアン(洗礼名)、久保浦長吉 モニカ:洗礼名を持つ女、久保浦春 亦市:年寄 石田:洗礼名を与えた人物、雲仙で死亡、イルマン カブラル師:以前にいて日本人を見下していた司祭 ポルロ:井上で転んだパードレ ヘイトロ:井上で転んだパードレ カッソラ:井上で転んだパードレ フェレイラ:井上で転んだパードレ 横瀬浦→大村→諫早→千束野→長崎(外町という郊外の牢屋) 西勝寺でフェレイラに再会、彼は1年ぐらいここに居る 沢野忠庵と名乗る 天文学の翻訳、デウスの教えと切支丹の誤りと不正を暴く本、 「日本人は人間とは全く隔絶した髪を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」 「日本時は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ」 ルンジウス・デ・サンクティス師:副院長(手紙を出している相手先の副院長)、聖ザベリオ修道院?
1投稿日: 2025.11.01
powered by ブクログ遠藤周作「沈黙」を読んだ。生前の遠藤が「この作品を書けたら死んでもいい」とこぼしたという、不朽の名作。本作は国内外で高く評価され、キリスト教文学の金字塔との呼び声も高い。また一方では、日本人独特の価値観と、キリスト教の善悪二元論の狭間で苦悩した遠藤の私文学とも表される。まさしく作家・遠藤周作の魂の一冊と言える。 舞台は江戸初期、キリシタン弾圧下の長崎。潜伏したポルトガル人司祭・ロドリゴは、日本人信徒のあまりにも残忍な殉死や拷問に心を痛め、天の神に切実な祈りを捧げる。しかし神は沈黙を貫き、ロドリゴは理想の神を信じたまま信徒を見殺しにするか、踏み絵に足をかけることで彼らを救済するか、決断を迫られる。 「沈黙」は、読者の解釈によって評価が二分する珍しい作品だと思う。作品について、ある人は「迫害された善良な信徒たちの悲しみの物語だ」と言い、別の人は「自ら火中の日本に飛び込んだ哀れな青年の物語だ」と言う。さらに批判的な人の中には「植民地主義者の宣教師らが返り討ちにあった」と誇らしげに語る者もいる。 しかしそれらの解釈は、結局は物語の真相に触れていないのではないか、という気がしてならない。本作の最大のテーマは、題名にもある『神の「沈黙」』に違いない。作中でロドリゴは、幾度となくキリストの教えを想起して、神の沈黙に疑問を投げ掛ける。 「主よ。人々があなたのために死んでいるのに、なぜ黙ったままなのですか」 この問いがロドリゴの悲哀に満ちた眼差しを通して、読者に訴えかけられる。我々はキリスト教の信仰にかかわりなく、神の沈黙と対峙しなければならない。「神など存在しない」と口にすることは簡単だが、死後の楽園を夢見て無惨にも殉死を遂げた農民を見ると、俺はなかなか断言ができずにいる。神は、もしかしたら存在するのではないか。少なくとも、彼らの心の中には。 先ほどの問いと同列に扱われているのは「神の赦し」という点である。踏み絵に足をかけた者は背教徒として侮蔑の対象となり、教会から追放され、死後の楽園を夢見ることすらもできなくなる。しかし当然ながら、絵踏という行為は形式的なものだから、背教徒らが心の底から信仰を棄てたのか、実際のところは分からない。 生き延びるために仕方なく、殉死を遂げる勇気もなく、涙を流して足に痛みを覚えながら、ようやく聖画を踏んだ姿があったのかもしれない。 作家にしてクリスチャンである遠藤は、彼らを自らの作品によって救済できないかと考えた。教会からも、司祭からも、同胞からも見放された彼らを、せめて後世では救えないものか。そうした崇高な使命感が、「沈黙」を偉大な金字塔へと押し上げた所以であろう。 作中で「日本はキリスト教の実らない沼地だ」という表現が出てくる。あらゆる教えが実らない泥沼だと。その点について長く考えていた。遠藤は日本人でありながら、なぜそうした表現を用いたのか。彼がクリスチャンである事実が、日本にキリスト教が実った証ではないのか。しかし、彼が使用した「沼地」という表現は、さらに奥行きがある気がしている。 日本人は中空的だという意見がある。立派な文化や歴史や国民を有していながら、その実態は空っぽなのだという。だからこそ日本人は明治維新で西洋の文化に適応して、戦前には天皇崇拝に適応して、戦後は民主主義に適応できたのだと。なるほどどうして、興味深い見解である。しかし西洋では、これがなかなかうまくいかないらしい。宗教や文化や国境や、そういった様々な理由によって、必ず余分なものが含まれて、日本のように純粋な吸収ができない。すると、西洋には「自分」というものがあって「他者」と分別をつけるが、日本には「自分」がいないということになってくる。つまり、最後の裁きの日に、裁かれる「自分」がいないのである。もしそうだとすると、なるほどたしかに、日本は沼地なのかもしれない。 信じられないほど哀しく、素晴らしい作品だ。大勢の人に読んでいただきたい。
0投稿日: 2025.10.29
powered by ブクログ## 感想 キリスト教と言うだけで、日本人からひどい目に合わされるロドリゴ司祭や信徒達。 宗教や思想の違いだけで、人間が人間にこれだけひどいことをできるのだと言うことに恐怖を感じる。 『沈黙』はフィクションではあるものの、大方は史実に基づいていて、歴史的にも同じような迫害が行われていた。 今では違う宗教に対しても寛容になったと思うが、そうは言っても差別や迫害はなくなっていない。 沈黙ではひどい迫害に遭いながら、ロドリゴが神はいないのかと自分の中の信仰と戦うことを主軸に描かれている。 私は無宗教なので、この神はいないのかと言う問いが、どれだけキリスト教の信徒の方々にとって恐ろしいものなのかは、本当の意味では理解できない。 しかし、無理矢理に思想をねじ曲げさせようとする差別や迫害のむごさが鮮明に描かれていて、自分でももしかしたら踏み絵を踏んでしまうのかもしれないと思いながら読んでいた。 こうした差別や迫害のない世の中というのはこれからやってくるのだろうか。 人間は「自分とは違う」というだけで、割と無邪気に残酷なことをすることがある、 私は子供の頃転勤族で小学校を4つも通ったが、そのたびに方言の違いで、軽いいじめのような目にあったことがある。 幸い、そういうものに体制があって、不登校にもならずに投稿することができできたけれども、人によってはそれで人生が変わってしまうこともあったと思う 人は、他人の行動や言動で、簡単に人生を動かされてしまうものなのかもしれない この沈黙と言う作品の暗い恐ろしい雰囲気を味わうと、自分が今、いかに恵まれた時代を生きているか実感する 当たり前と思うことが当たり前では無いのだと言うことを忘れずに生きていたいものだと思う
12投稿日: 2025.10.17
powered by ブクログ友達から勧められた本。 ほんとに辛いけど、遠藤先生の視点の分け方(解説にも載っている)が繊細かつ、計算されていて最後まで読めた。神はいないのかと自問自答しながらも信じ続けようとする葛藤は正直理解し難いけど、だからこそ、信仰心というものの力の大きさを感じた。宣教師が居場所も失い、命の危機も迫るほど、いろいろな景色、匂いなどの描写がすごく丁寧で細かくなっていったから面白かった。
3投稿日: 2025.10.12
powered by ブクログ天草一揆直後のキリシタン弾圧が激しい時代の空気感も感じ取れる程に、風景や空気感の描写が的確で、まるでその時代を覗いているような感覚になった。迫害から逃げるシーンも緊張感が文字から伝わってくる。「沈黙」というタイトルは様々な意味合いを含んだタイトルかと感じた。迫害から逃れる為に沈黙を守るキリシタン、キリシタンを飲み込んでも沈黙したような海、キリシタンが耐えられない苦しみを受けているのに沈黙する神。この小説を読み終わってもう一度「沈黙」というタイトルについて考えるほど、のめり込んだ物語だった。
0投稿日: 2025.09.30
powered by ブクログ特定の宗教への信仰がないからこそ考えさせられた。 日本にキリスト教が根付かなかったのは、政策のせいなのか、それとも日本人の気質からそうさせたのか。 今まで神がいるならば世界で戦争など起こらないはずだと思っていたが、そのような心の影がいっそう深くなった。 神々は沈黙してばかりなのかもしれない。
0投稿日: 2025.09.27
powered by ブクログ8月の長崎旅行をきっかけに読み始めた。言わずと知れた名作だが、この度が初読。 長崎は「鎖国」の江戸時代にオランダとの通商が行われた港であり、カトリック文化の影響を色濃く受けた地域だ。浦上天主堂、大浦天主堂などの歴史的な教会は、長崎を訪れる際には必ず立ち寄る場所。 キリスト教を生涯にわたって文学のテーマとした遠藤周作は、日本にあって稀有な作家。中学生のころから狐狸庵閑話など軽いエッセイには親しんできたが、なかなかこの作品には近づけなかった。 キチジローという「転び」キリシタンにひときわ興味を惹かれる。パードレのロドリゴをわずかな金で売り渡した「弱き者」キチジローが、神の救いを最も必要とする存在なのだろう。それはわれわれ人間の弱さを象徴している。
1投稿日: 2025.09.21
powered by ブクログ過酷な拷問や現実に対する、宣教師の心情の機微を事細かに表現されていて、迫力があった。 物語は終始雨が降り続く、暗澹な雰囲気のなか進んでいくが、派手さを取り除かれたことで、考える葦としての一人の人間の存在をより強く感じることができた気がする。
4投稿日: 2025.09.14
powered by ブクログ扱われている事件や人物の大方は史実に基づいているとのこと。日本潜入を敢行した3人の司祭も、モデルがいる。フェレイラ司祭が棄教するはずがないと信じるロドリゴ(主人公)と、棄教して彼らに常について回るキチジロー。やっと会えたフェレイラとの衝撃の結末。すごく勉強になった。
1投稿日: 2025.09.08
powered by ブクログ「幕府はキリスト教の警戒心を強め、絵踏みを行わせて信者を摘発した。」くらいに、社会の授業でサラッとしか触れられないキリシタン弾圧。弾圧の様子の絵を教科書等で目にしたこともあるけど、あまり実感を持ったことはありませんでした。 ですが今回その内容の重大さに触れられました。 私の不勉強さ未熟さが大きい気もしますが(-_-) さくらももこのエッセイで遠藤周作の人物像が出てきた際に気さくな人という印象を持ったけど、その印象とは180度異なる内容。 テンポがほどよいしページ数も多くないので中高生でも読みやすいとも思います。
0投稿日: 2025.09.05
powered by ブクログキリスト教を布教しにくるも排斥される宣教師たち。その3人の運命。愛とは、信仰とは、慈悲とは、祈りとは、弱者とは、タイトルの沈黙とは。 10代までに読むのは読んでもやはりわからなかっただろうなという思いと、たぶんむごすぎて離脱したと思う。いまだからこそ読めたという感覚。すげ〜
2投稿日: 2025.08.28
powered by ブクログ信仰の在り方というテーマ。形の上だけ信仰を捨てるということがあり得るのかどうか。信仰は心の救いはもたらしても物理的な救いはもたらさないことを明確にした上で、形にこだわらずに神を信じる道は示されていると思う。
1投稿日: 2025.08.13
powered by ブクログ新潮文庫夏の100冊からチョイス。書き出しが好みでした。 テーマは信仰心とエゴイズム。信仰を巡っての"強きもの"と"弱きもの"の対比。400年前に本当にこんな事があったなんて信じられないです。歴史の教科書を読むだけじゃ伝わって来ない迫力が有りました。 同時にキリストとユダの関係性を巡る逡巡は、俗世間に塗れた自分には到底たどり着けない境地なんだろうな、とも思いました。 圧倒的なのは9章。信仰を巡る問答が求道的に過ぎて言葉にならなかった。主が回答を与えず沈黙を貫き通すのは、自己内省を促す為であったのだ。そうゆう意味じゃ基督教ってなんて残酷な宗教なんだろう。 因みに、司祭の行動は僕の目には棄教には写りませんでした。
10投稿日: 2025.08.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人間の苦悩、何かを信じ続けようとする強さ、何かに縋ろうとする弱さ、大なり小なり誰しもが持ったことのある感情がありのまま描かれている。 最初はイライラしてたけど、だんだんキチジローの気持ちがわかってくる。キチジローになっていく。
0投稿日: 2025.07.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
最初はキチジローのことが嫌いだったのに、最後には彼の登場を待っている自分がいた。 物語として、非常に惹き込まれる作品だったが、それ以上にキリスト教への信念が圧倒的だった…。 私はクリスチャンじゃないので理解が間違ってるかもしれないけど、この話を通して、キリストは信者と共にいるということを深く感じた。私は、「なぜ酷い状況であっても、信者はキリストの存在を信じるのか?(例:戦時下、不慮の事故など、意図せずに巻き込まれたときなど)」と考えていたが、その苦しみもキリストが一緒に受けていたという考えなんだなと感じた。 「踏むがよい。お前の足の痛さを、この足も感じている。」 ここは本当に美しいし、キリストの博愛精神をよく示していると思う。 キリスト教について知ろうと思える作品だった。
9投稿日: 2025.07.14
powered by ブクログ神はいるのかいないのか。罪のない者が苦しめられている状況で答えはこない。 カラマーゾフの大審問官を思わせるような、理不尽な現実に対する信仰と神の沈黙に対する既視感があった。 八百万の神様の国に住む自身としては、一神教の教義は理解は難しい。 一方、沈黙する神の前でなお返事がなくとも自分が正しいと信じたことを貫く姿には心をうたれた。苦しく思い物語だったが、不屈の信念に触れることで感慨を覚えた。
3投稿日: 2025.07.06
powered by ブクログ隠れキリシタン達が奔走する情景が、ありありと思い浮かばれます。海と毒薬も面白かったが、こちらもgood.
0投稿日: 2025.06.19
powered by ブクログキチジローに対して軽蔑する心が芽生える気もするが、現実、自分には殉教なんて選べないだろうから、私もきっとキチジロー。
2投稿日: 2025.06.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2025.5.28(水) これは面白すぎる。ポルトガル人宣教師が切支丹弾圧下の日本に潜伏し、神の沈黙という問題に直面することによって起こる心情の揺れ動きを描く。一々の情景描写・心情描写が読者を本の中に引きずり込み、読む手が止まらない。 特に、後半の井上筑後守、フェレイラ、ロドリゴの三者の会話が興味深い。宣教師の立場であるならば、井上は悪人なのかもしれないが、私はどうしてもロドリゴの思想に肩入れすることはできなかった(心情は思想と区別する)。それは、日本という沼地、既に仏教・神道という信仰を持つ国に対して西洋の信仰が正であるとし、それは国境を越えても不変であると疑わないロドリゴの思想に共感できなかったからである。そういった確信じみたものが、井上やすでに転んだフェレイラとの問答の中で揺らいでゆく様が克明に描かれ、私の思想を井上やフェレイラが代弁してくれたこともあって小説の後半は次々とページをめくっていた。ただ、殉教した百姓を目の前にして、日本を沼地であると信じることができない等の心情面には共感できる点がまた興味深い。 神の沈黙への疑念・不安・不信を通じて、最終的に沈黙をどう解釈するのか、実際に読めば名作と言われる所以が必ずわかる。
0投稿日: 2025.06.07
powered by ブクログ『沈黙』遠藤周作 切支丹禁制の真っ只中、日本に渡った宣教師ロドリゴの棄教までの苦悩を描く。 “ローマ教会に一つの報告がもたらされた。”ノンフィクションのような始まりでフェレイラの棄教が伝えられる。殉教はあっても棄教などありえないと思うロドリゴは日本の状況を調べるために潜伏することにした。 澳門(マカオ)での夕暮れ、日本の梅雨の入り、長い夜からの夜明けという、季節や時間の使いロドリゴの心境を違う角度から表現している。終始日の当たらない陰鬱な雰囲気は物語の重さを強調している。信徒としてのあるべき姿を求めるすがるような筆致の終始つらい物語だった。 キリストを裏切るユダのようなキチジローという男。物語の鍵になるこの男から目が離せない。襤褸(ぼろ)を纏った男20代後半。常に酒に酔っていて、小狡く、人が見ていないところでは荷役をさぼり仲間から暴行を受けてペコペコ謝っている。はじめは信徒であることを隠し、村に着けば司祭を連れてきた英雄気取りで、実はかつては転んだ(踏み絵を踏み棄教を示した)過去もあり平気で司祭を売るようなことをする。自分みたいな弱い人間には弱い人間なりの信じ方があってそうするしか生きていけないと悟ったように訴える。小狡いとしか思っていなかったが、ロドリゴの境遇が変わるにつれ、キチジローのその意見はあながち間違いではなくむしろそちらが正しいのではと考えてしまう。神はなぜ我らに救いを与えてくださらないのか。自らの恵まれない境遇を雄弁に語るキチジローと沈黙する神。キチジローとロドリゴは一体何が違うのか、徐々に分からなくなってくる。
0投稿日: 2025.06.03
powered by ブクログ隠れキリシタンとは、どんな存在だったか。単語でしか知らなかった事柄に裏に重くのしかかる史実なのか小説なのか。 長崎の描写が頭に刻まれる。
0投稿日: 2025.05.25
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こういう時代があったということ。事実としての世界史を勉強していると、キリスト教世界の価値観の押しつけに対して思うところが出てくるが、その中で生きている人々が何を考えていたのか、考えさせられる本だった。 社会が不安定になると何かに救いを求めるのはいつの時代でも変わらないのだと思った。 正直全てを理解できなかったしところどころ巻きで読んでしまったが、次読んだら感想が変わるのかもしれないと思っており、いつか読み返す気がする。心のどこかにずっと引っかかる作品ではないだろうか。 ロドリゴが神の存在を疑うシーンは、十二国記で李斎が天の存在を問うシーンを思い出した。
0投稿日: 2025.05.24
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破戒とかこういうその時代の葛藤や実情をリアルに描かれている本好き。 自分の周りにもガチのクリスチャンいるけど、やっぱり根本的に物事の捉え方というか心情の違いを感じる時があるから、クリスチャンがこの本を読んだら捉え方もまったく違うんだろうと思った。 やっぱり日本人には国民性なのか、長年根付いてきた考え方というのがあって神の捉え方が交わらない部分があるんだと思う。 この物語でキチジローは悪役?的な立ち位置かもしれないけど、自分は共感できる所もあり嫌いにはならなかった。恐らくロドリゴもそうだろう。 あいつも言ってたけど、もし生まれる時代が違かったら幸せにキリスト教を信じていてお調子者な憎めない奴だったんだろうなと思う。 この本を読んだあとだと沈黙というタイトルが重く響く。
1投稿日: 2025.05.23
powered by ブクログ遠藤周作氏のものは初めてで、もっと堅苦しい文章かと思っていたけど、そうでもなくすらすらと。 本のなかの時代と、そこからおおよそ200年後に訪れるキリスト教の歴史的な事件と、さらにそこから80年後にキリスト教国によって悲劇をもたらされた長崎の地を思う。
2投稿日: 2025.05.11
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英会話の先生に教えてもらって購入! (逆輸入) 映画化もされてるらしいからみてみよ 井上さんの見透かしてる、分かりきっているよ的な空気を醸し出してる感じがあって直接会ったら話すの怖そう 宗教(それ以外でも)、exposeされる人が増えれば増えるほど原形を保つことって不可能に近いことがシニカルに一つのメッセージとして受け取った 企業やコミュニティにも同じことが言えるなあと思って、ポリシーや教育っていやーーー難しい 救い、沈黙 キーワードのチョイスが秀逸
0投稿日: 2025.05.09
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キリスト教が禁制となった日本に、ポルトガルの司祭がキリスト教を布教しに行く話。 わー、なかなか深かった。 私自身、これといって信仰している宗教が無いので、信仰のために命を賭けるというのが、私には考えられないことだった。 キリスト教が禁制である中で、年貢に苦しみ信仰に救いを見いだして、密かにキリスト教を信仰する日本人。 政府にバレて、死刑やら拷問やら、酷い仕打ちを受けながらも、信仰を捨てることなく、殉教する日本人たちを見て、司祭はなぜ神はこれを見ても沈黙されているのかと考える。 日本へ向かうまでは、司祭として完璧なまでに、基督を信仰していた司祭が、酷く貧しく、惨い仕打ちを受ける日本人信者たちに神からの救いが無いことを受け、徐々に心情が揺らいでいく様子が非常に興味深く感じました。 布教をするために命を賭けて日本に来たのに、実際には自分のせいで日本人の信者が犠牲になってしまう。 かつての禁制でない時代に日本に来ていれば…とどんどん考え方が卑屈になっていってしまう。 最後は、転べば人質の苦しい拷問を止めると言われて、転んでしまう。 私だって転んでしまうだろうな。 信仰のために命を張る覚悟があるって、すごい。私にはできないと思います。 きっと、同じ境遇ならキチジローのようにわが身可愛さに逃げてしまうでしょう。 キチジローに嫌悪感を持ちつつも、私だってそうしてしまうだろうなと。 とても考えさせられる一冊でした。 難しかった!
6投稿日: 2025.04.29
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昔読んだ本の再読。キリシタン禁制下の弾圧が激しい日本に密航し、信徒たちを救い恩師を探そうとした司祭ロドリゴが棄教するまでの物語。一人の信徒に裏切られて自身も捕らわれ、必死の祈りもむなしく信徒たちがみじめな姿で殉教していくのをまざまざと見せつけられて「神の沈黙」に絶望しかけるロドリゴ。最後の最後に彼が頭の中に見いだしたイエスの思いは「私は沈黙しているのではない。ともに苦しんでいる。踏み絵を踏むがいい」というもので、彼の信仰は変容を迫られたのだ。 この壮絶さとドラマティックさには圧倒されるが、司祭のくせに考えがあまりに現世的ではないか?という感じはする。たとえ現世でむごたらしく死ぬのでも、この世でのこと。使徒たちの殉教ですら妨げられなかったのに、どうして魔法のように信徒たちが「この世で」救われると思うのか。 クライマックスの踏み絵の場面、ロドリゴはフェレイラの「たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう」という言葉にとうとう心を折られてしまうのだが、本当にイエスはあの場面にいたら「転んだ」だろうか?ということをずっと考えている。一読した時はああ、転ぶだろう、という気持ちもしたが、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」といって終わるような気もするのだ。カトリックの人ならどう考えるんだろうか、ちょっと聞いてみたい。
3投稿日: 2025.04.23
powered by ブクログhttps://opac.lib.hiroshima-u.ac.jp/webopac/BB01678422
0投稿日: 2025.04.11
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パードレロドリゴが彼の師フェレイラの所在を突き止めると同時にキリスト教の布教を日本にしに行く物語。 しかし、幕府の弾圧によって殉教していく日本の信者たちを見て神の沈黙に疑問を抱く。 最終的にロドリゴは棄教するが、した時の理由が宗教ってこういうのなんだよなってなった(踏み絵のキリストは踏みなさいと言ったから踏んだ。だから私は違う形でキリストを信じている。)
3投稿日: 2025.03.25
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まさに沈黙というテーマの深い内容だった。 最初から絶望的な状況でこうなるだろうと予測できていたにもかかわらず、こんなに話に引き込まれていくとは! ロドリゴが棄教に至るまでの基督との対話による心の変化がひとつひとつ丁寧に描かれているので、こちら側も心を抉られるような気持ちになった。 日本人のために死ぬ覚悟を持ってはるばるやって来たのに、実際は自分のために次々と死んでいく日本人信徒達。それを目の当たりにして、一向に沈黙し続ける神を前に信じ続けるのは確かに難しいだろうなと思う。 信徒を導く立場である司祭も1人の人間。 キチジローのように弱いから裏切ったのでなく、弱い強いもなく皆同じ悩み苦しみを抱えているのだろうと思う。 形だけの踏絵といっても、自分の生涯の中で最も美しく清らかで理想と思って信じてきたもの、それを踏むという行為はどれだけ耐え難いものだっただろう… 実際にこの時代に何人の宣教師たちや信徒達が拷問され亡くなっていったのかはわからないけど、皆がハライソにいけていたのならいいな…と思った。
3投稿日: 2025.03.20
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私が無宗教である理由は、戦争や悲惨な出来事が絶えず世界中どこかで毎日起き続けているから。もし神様がいたとしても、人間の祈りなど聞き入れてくれないから祈らない。 こういった信仰に対して感じていたことが、本作で表現されていて驚いた。 信者を苦しみから救うはずの神が、信仰することによって逆に信者を苦ませるという矛盾。一体信者は神に何を期待し信じているのか。 正直、授業で踏み絵を習った時は、その程度は簡単に嘘をつけるのでは?と思っていたが、本作を読み信仰とは何とも厄介で複雑だと思い知らされた。 日本人に布教したはずのキリスト教が、気付けば根はなくなり新しい宗教になっていたという話は目からウロコだった。文化の違いがおもしろい。だけど、ロドリゴ達の目線に立つとなんとも切ない話だと思う。 重たい話だったが、日本の歴史の黒い部分と向き合うことができ、色々と考えさせられたのでこの本に出会えてよかった。 評価を3にした理由は、拷問の描写が怖すぎたから。ウォーキングデッド(海外ドラマ)を観てからだいぶグロ耐性ができたけど、拷問だけはさすがにきついよ〜夢にまで出てきてしまった。
7投稿日: 2025.03.13
powered by ブクログタイトルの『沈黙』に隠された深い意味を理解できた。なぜキリシタンの残酷な運命を前にして神は沈黙しているのか疑問に感じる主人公のロドリゴの心情の変化が面白い。加えて、キリシタンが処刑された海が沈黙している様子を巧みに表現していた。 キリスト教司祭の心情が詳細に描かれていた。ロドリゴが、神とは一体なんなのか。信仰の意味について自問自答する様子が印象的。キリスト教の祈りについて知識を深めるとより一層理解できるかもしれない。 棄教を進める奉行たちは、キリスト教は日本には根付かないものとして捉えている。特に、井上様は日本人が考える神と教会の神には大きな相違があると言っていた。ある意味核心を突いていた発言だったように感じる。形式的に棄教を進める理由には、このようなキリスト教は日本に根付かないという考えが元になっていたのではないか。役人の言い分を一蹴することができるとは限らないしその考えも一理あるかもしれない。 とはいえ、非常に貧しい生活を送っていた農民たちがキリシタンになった所以を理解するには良い歴史小説だった。しかしそこには、信仰が広がり時間が経つにつれ、司祭が思い描いていた神と日本人が考える神に食い違いが生まれていたことも面白い。ロドリゴもフェレイラや役人と会話するに連れて、そのことに薄々気づいてたのではないか。
3投稿日: 2025.03.10
powered by ブクログ主人公は信仰と布教の熱意に溢れたキリスト教会の司祭ロドリゴくん。 みずからが敬愛し教会からの信も篤いあのフェレイラ先輩が、信仰を棄てたという報を受け、彼は衝撃を受ける。 師の安否、そして師が本当に神を見限ったのかをその目で確かめなければならん。 彼はこの大義を掲げ、宗教弾圧が一大ムーブメントを巻き起こしている魔境・日本へと旅立つのであった。 キリスト教会に詳しくないしあまり興味もない私ですが、テーマとストーリーがとてもわかりやすいです。 つまりロドリゴは最後まで神を信じ続けられるのか。 話が二転三転することもなく、ただ淡々と、その結果に向かって進んでいくのみ。 ただこの小説の凄いところは、ロドリゴの心の中の葛藤、それに影響を与えている風景や音、においといった環境の様子。 これらがひじょうに丁寧に表現されていることだと思います。 こんなに困ってるのに助けてくれない、沈黙、している。 だから神様なんていないんだ。そう言う事、思う事。 日本人である私にはその重要性がいまいちピンとこない。 けれどロドリゴという男、当時の司祭たちにとっては、どうやらこれは相当な覚悟のいるものらしい。 転ぶのか、転ばないのか。 単純な問いに対してああでもないこうでもないと迷う様子は、とても鬼気迫っています。 神の不在を認めることがいかに難しいのかが、ロドリゴの迫真の葛藤と、それを取り巻く陰気臭い環境によって伝わってくる作品でした。
8投稿日: 2025.03.09
powered by ブクログ初めて著者の作品を読みました。 ちょっとなんというか…すごい、くらいしか感想が出てこない。圧倒されました。
0投稿日: 2025.03.08
powered by ブクログ第2回谷崎潤一郎賞 「沈黙」のタイトルの意味が深い。 信仰とは何か。救いとは何か。 ロドリゴが問い続けてきたことや、棄教に至るまでの思いが伝わる重たい作品でした。 江戸時代の農民たちがなぜ仏教ではなくキリスト教を信仰したのかもやっとわかった。 文章全体が読みづらく、全てを理解しきれていないと思うけど、内容をざっくりとは追える。 ただ「長崎出身オランダ商館員ナヨンセンの日記より」は難しくてわかりにくく、最後の「切支丹屋敷役人日記」は江戸時代の候文なのでもはや読むことを放棄。 殉死していく農民たちがあまりにむごく、根付かないのにキリスト教を守ろうとするロドリゴより、形だけでもパードレが棄教してくれればと願う武士の気持ちの方に共感した。
32投稿日: 2025.03.06
powered by ブクログ映画「沈黙」が最高傑作の1つであると原作を読んで再確認ができた。わかりにくい部分もマーティンスコセッシによる素晴らしい解釈により全て映画で補われている。今後も何度も読み直し噛み締めることになるだろ。
2投稿日: 2025.02.27
powered by ブクログ長崎に旅行を計画していく中で、この沈黙という作品を知り、読まなくてはいけないものとなった。「まえがき」には、多くの名前が出てきて、この本を読み終える自信がなくなりそうだったが、本編に入ると、力強い描写と引き込まれるストーリーに魅了されていた。フェレイラやキチジローと関わりながらのロドリゴの心の動きは非常に考えさせられ、ロドリゴの行動の合理性に納得した。長崎旅行がさらに楽しみになった。
1投稿日: 2025.02.23
powered by ブクログ『あれは、鼾でない。穴吊りにかけられた信徒たちの呻いている声だ』本書のある意味一番 ”ゾワ“ っとした部分。神とは何なのか? 信仰とは何なのか?実在した人物をモデルにした歴史小説。 自分はほぼ無宗教者であるが、基督教の神とは多くの日本人が考える神とは違うらしい。。日本人は人間を美化したり拡張したものを神と呼ぶ。人間とは全く隔絶したものが教会のいう神らしい?? 1971年の邦画もあるが、2016年にマーティン・スコセッシ監督。アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン出演の洋画があり、こちらの方が原作に近いらしい。これは観賞しなければ!
1投稿日: 2025.02.18
powered by ブクログもはやキチジローに感情移入、あと泣き声と海の声?かなにかを勘違いしてた…みたいなところがゾワっとした
1投稿日: 2025.02.07
powered by ブクログ遠藤周作さん(1923~1996年)の作品、ブクログ登録は12冊目になります。 本作の内容は、本作のカバーによると、次のとおり。 ---引用開始 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。 ---引用終了 日本のキリスト教史を調べなおすと、 1549年にイエズス会のザビエルがキリスト教を布教したのが、始まりとされている。 その後、キリスト教は信長に庇護され、信者を増やした。 が、あまりに増えたため、色々と不都合なことがあり、秀吉や家康により、禁教。 特に、島原の乱(1637~1638年)後は、禁教令を強化。 という感じ。 そして、本書の書き出しは、次のとおり。 ---引用開始 ローマ教会に一つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で「穴吊り」の拷問をうけ、棄教を誓ったというのである。この教父は日本にいること二十数年、地区長という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。 ---引用終了
54投稿日: 2025.02.06
powered by ブクログありえない。これほどの物語がひとりの人間の頭の中から生み出されたなんて。一生手放すことはないだろう。
3投稿日: 2025.02.02
powered by ブクログ鎖国時代の日本に布教に来た宣教師。凄まじい弾圧を受ける。フェレイラ教父は棄教したと伝えられた。ロドリゴ教父が日本に密入するが捕まる。 遠藤周作すごいぞ。700円もしない文庫本にこれだけの重厚な物語。テーマの一つはは「 日本はキリスト教には向いていないのか」 なんだろう。また何でこんなに懸命に布教しようとするか、何でこんなに頑なに禁教するのか?
1投稿日: 2025.01.17
powered by ブクログパライソ、という言葉になにか不思議な妖しい響きを感じるのは、沈黙を読んだからだろうか。天国、といえばなんだかほのぼのとしているのに、パライソ、には物悲しく妖しい影が付き纏う気がする。日本人が海の外から来た信仰をまだ自分のものにできなかった時代の名残りだからだろうか。 私には信仰心はないが、人の信仰を想うとき、そこに付随する罪をも感じ取ってしまうのは、私の感受性の高さ、人との境界が曖昧になる性質のせいだろうか。それに飲み込まれたくないから私は信仰を持つことに抗っているのだろうか。
8投稿日: 2024.12.20
powered by ブクログ踏絵が行われていた頃の日本。ポルトガル人の司祭は密かに長崎に渡って孤立した日本人の信者達を救おうとする。殉教か棄教か。当然に前者を選べたらどんなに幸福だろう。裏切ってはロドリゴの前に姿を現して告解を求めるキチジローを私は嫌悪できない。その弱さも醜さもとても人間らしくて愛しくさえ思う。キリストはユダをどう思っていたのだろう。私達は常に許されているのでないか。
2投稿日: 2024.12.14
powered by ブクログキリシタン禁制のために踏み絵が行われていたのは知ってはいたが、踏まれる側から語られているシーンは衝撃だった。信仰とはなんなのかということを深く考えさせられ小説としても迫力と読み応えがあった。遠藤周作の本を初めて読んだが、この代表作に限らず他の本も読みたい衝動に強く駆られている。
4投稿日: 2024.12.11
powered by ブクログまず心を打たれたのは、その静謐で詩的な文章表現でした。遠藤の文章には、信仰や苦悩といった抽象的なテーマを、具体的な情景や感覚を通して体験させる力があると感じました。 本作で最も興味深かったのは、キリストがロドリゴの思考の中で徐々に「人間化」していくプロセスです。たとえば、踏絵を前にして苦悩するロドリゴに語りかける「キリスト」の声は、かつて彼が理想化していた神の声ではなく、むしろ彼自身の弱さや人間らしさを映し出しているように感じられました。この描写は、信仰が単なる絶対的な救済ではなく、現実の中でどのように揺れ動くかを象徴していると感じます。 また、本作は信仰の「綺麗事」的な側面を容赦なく暴いています。ロドリゴが理想として掲げる信仰が、実際には信徒たちの苦痛を軽減するどころか、時にその苦しみを増幅させている現実は重いテーマです。平和の中で語られる信仰の言葉は美しいものですが、拷問や殉教といった過酷な現実に直面すると、それは無力であるように見えます。この矛盾に対し、ロドリゴが神の「沈黙」を感じる場面は、信仰の本質を問い直す契機となっています。 さらに、作品全体を通して、遠藤周作が日本におけるキリスト教の歴史や信仰のあり方を深く掘り下げていることにも感銘を受けました。17世紀の日本におけるキリスト教弾圧という背景は、単なる舞台設定ではなく、人間の信仰が社会や文化とどう折り合いをつけていくのかを考える重要な要素です。遠藤は、この複雑なテーマを通じて、信仰が持つ美しさと脆さを浮き彫りにし、私たち読者に普遍的な問いを投げかけています。 『沈黙』は、単なる宗教小説ではなく、信仰とは何か、人間とは何かを問いかける普遍的な物語です。その余韻は深く、信仰や自己のあり方について考え続けさせる一冊でした。
5投稿日: 2024.12.10
powered by ブクログ読んでる間は、特に壮大な物語ではないのに凄く惹き込まれるなぁって思ってたけど、解説を読んで納得した。物語の構成と視点が工夫されてるらしい。 ひとつのの芸術作品を味わうことができた。
1投稿日: 2024.12.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル司祭。 なかなか難しい題材ではありますが、「神の沈黙」。なぜ神は黙っておられるのか・・。私自身、初めての遠藤作品でありますが、読みやすかったです。理解できたかは別として。 「神は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
7投稿日: 2024.11.16
powered by ブクログなぜ当時の切支丹がそれほどまでに信仰心が厚かったのか?なぜ、それほどまで命を賭してまで布教活動を行ったのか?が、理解できなかったけど、物語はとても深く、考えさせられ、惹き込まれる作品でした。
1投稿日: 2024.11.12
powered by ブクログ個人的で人間的なレベルを超えて神を理解する事や、認識する事が出来ないというテーマもあり、神の存在証明や、神の沈黙というテーマをこれほど分かりやすく、多角的に考えた作品はないと思いました。 踏み絵を踏む事や棄教してしまう事が、神への裏切りやキリスト者としての汚点だと考える、それ自体が傲慢であり、すでに神に赦されている存在であるという事がよく理解できました。
2投稿日: 2024.10.20
powered by ブクログ苦しい小説だった。 特にキリスト教の人が読むと辛いのかな? フェレイラの「この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない」の辺り、深かったな。 そして信仰心との闘い。 無宗教の人より、他の宗教でも何か信仰している人が読むとじぶんの信仰心と照らし合わせたりして、よりこの小説に考えさせられるんじゃないかなと思った。
3投稿日: 2024.10.19
powered by ブクログドラマチックで読みやすかったがとにかく苦しい。さて、信者を救うために神を棄てることは裏切りであるか。他者のために生きる支えとなる一番大事な神を手放すことを決断してもなお、それは自分を守るための詭弁ではないかと悩み、神の沈黙に耳を傾ける司祭。 司祭を追い詰めるイノウエも元信者。 私はこの人物が一番気になった。 残酷な悪者の様に見えるが真のキリスト教が日本では曲解されて受け入れられ、主の神聖さが失われていくように感じられて失望しているのかもしれない。 それに対してやはり沈黙している神に「このようにしてもまだ黙っているのか?」と信者を拷問にかけているのかもしれない。 司祭と同じようにイノウエもまた神の沈黙に信心が揺れている信じたい人なのかもしれないと想像した。
10投稿日: 2024.09.25
powered by ブクログ弱さとは何か、キリストが我々に与えるものとはなんなのかを再認識(実際には誤解していたのだが)させられた
0投稿日: 2024.09.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
全体的に陰鬱な感じが良かった 救いようのなさがたまらない その雰囲気を楽しむだけでお釣りが来るのに最後のいびきの下りとか最高 この作品をカトリック団体は禁書に近い扱いをしたり、敬虔なカトリック教徒である「ウルフオブウォールストリート」、「タクシードライバー」を手掛けたマーティーンスコッセシが映像にした。 「宗教」というものに深く迫る作品であることには間違いない
1投稿日: 2024.09.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
キチジローの姿、ロドリゴの姿、人間の弱さについて考えさせられる。信仰についての悩みが巧みに表現されており、最後まで切なかった。
1投稿日: 2024.09.17
powered by ブクログロドリゴは司祭であり人間だった。人を疑い、恐れ、逃げ、信仰に迷い… 愛や慈悲とは何なのか… 人間である弱さと信仰の強さと、苦しむロドリゴの胸中が、切なかった。 最後に、『あの人の顔』が次々と浮かび迫ってくるシーンは息を呑んだ。 踏絵から語られる『あの人』の言葉は、「深い河」の『玉ねぎ』のままで、信仰の本髄を教えてくれている気がした。
1投稿日: 2024.09.17
powered by ブクログ宗教とは思想の自由であり、個人の中で尊重されるものであって、強制されるものではない。 様々な人種、文化を持つ人間だからこそ、様々な宗教が太古の昔から存在し、それを信仰するのは個人の自由であるが、だからこそ宗教には人種によって様々な賛否両論、無関心が寄せられる。 無宗教の私には、こんなことが感じられた作品でした。
12投稿日: 2024.09.01
powered by ブクログ自分の理想とする社会を目指したいのに、現実で実現するのは厳しい現代社会を見ているようだった。折り合いをつけるしかないのかも。
0投稿日: 2024.08.26
powered by ブクログ日本での残酷なキリスト教迫害の様子を知りながら、なんとしても日本で潜伏布教をしようと志すことも、目の前で貧しい日本人信徒が拷問を受け殺されているのに心を痛めながらも、表向きでも「転んだ」と意思表示しないことをしばらく続けられることも、私には分からない気がする。このことが、「日本人が信じる神は、我々の神ではない」ということなのだろうか。 『沈黙』のフェレイラの説明よりも、『深い河』で大津が言う日本と西洋の違いの方が私には分かり良くて、やっぱり私は日本人的なものに染まってるんだろうなと自覚する。 「主よ、あたなは今こそ沈黙を破るべきだ」という訴えの答えは、何なんだろう。
1投稿日: 2024.08.26
powered by ブクログ【概略】 三人の若いポルトガル司祭が訪れるのは極東アジア・日本、カトリックを禁教とし、信徒となった者達に棄教させている国である。彼らの目的は潜伏している日本人信徒と接触を図ること、そして先に足を踏み入れている、彼らの恩師であるフェレイラ教父と会うことだった。道中、三人のうち一人が命を落とし、残るはロドリゴとガルペは無事に日本の地に踏み入ることができた。が、しかし、二人を待ち構えていたのは禁教を取り締まる当時の政を取り仕切る者達であった。二人に棄教を迫る、そしてそのために日本人の信徒が命を落としていく。このような状況で、神は何を語るのか、または黙して語らずか。 2024年08月16日 読了 【書評】 「ふぅ・・・」っと読み終えた本を置き、しばらく物思いに耽ってしまった。そして思ったのは「長崎に行く前に読了しておけばよかった」ということ。行間から滲み出る念や臭を記憶した状態で、たとえば訪問した大浦天主堂などを味わいたかったなぁ。これはまた長崎県へ行かねば。佐世保の米軍基地からのオファー、正式に決まって欲しいな。 出版当時、カトリック教会、とりわけ長崎県における反発は凄かったみたいだね。表層に現れる流れだけを見ると、確かにそうだよなぁと思いながら読んでいた・・・この部分も物事を色々な角度で見るという意味で本当に興味深い。敗北として捉えるのか、それともありのままの弱者としての自分を受け入れるのか、そもそも強者・弱者とは?そして、このような災厄において、神の差し伸べる手とはどういったものなのか?棄教して日本人名を名乗っている(名乗らざるをえない)フェレイラ教父の、内側(自身の心情)と外側(日本に入る前の三名の彼への想いやヨーロッパに居続けている、いわば前線で戦っていない者達の心情)が、さらにフェレイラ教父の「日本入国前」「日本入国後」「棄教後」と、幾重にも模様を重ねているところからも見てとれる。「あのフェレイラ教父が!」な人な訳だからね。 そして日本人の宗教観、とりわけ神といった目に見えないものに対する捉え方に対する言及の部分、面白かったね。キリスト教、カトリックが本来示している神というものは、日本の中で変容する。それは外形理論のようなものではなく、精神性の部分。殻は同じでも、中身が違うものになる。いや、違う中身というよりも何かもっと抽象的な部分を抽出しちゃうのかもね。都合がよいといえば都合がよいし、頭が柔らかいといえば柔らかいし、頼ってないといえば頼ってないし、逆に頼ってるといえば頼ってる。もっと乱暴な言い方をしちゃうと、神のような存在すら(勝手に)内包すらしちゃってると思う。だって人が神になる(もっと適切なのは、人を神とみなす、か)んだもの。菅原道真然り、平将門然り。 転じて欧米、というより一神教の方達は、(現時点における知識と経験レベルの、n=1の意見ね)良い意味で個と神の間に線が引かれてると思う。「今日は私の日じゃない」なんて典型的じゃない?すごく客観的で、切り離した見方をしてる気がする。カルマの精神性を持つ日本にとっては、そりゃビックリだよね。まぁもちろん、当時は国が海を渡って別の国に行き、そして根っこをはるためにキリスト教と親しくなったという大人の事情もあるけれどもさ。 話を本書に戻すと同時に、なんというか・・・年を重ねるにつれ、人間の強さと弱さをひしひしと感じるのよね。それを色々な角度で見させてもらったなぁ。たとえばフェレイラ教父の(自身が「転んだ(棄教した)」ことに対する)説明だって、言い訳とか転んだ自分の正当化という見方なら「弱い」になる(少なくともバチカン側から見たらそうだよね)じゃない?でもさ、批判や非難はともかく生き物として「生きる」ことを選択したとしたならば、その後の人生を自身の元・信仰心と対面しながら対決しながら対話しながら、そんな針のムシロに座った状態で、でも少しずつ慣れてきちゃったりしてさ、生き抜くことってある意味「強さ」じゃない?モズグズさんみたいな人からしたら、全くダメダメなフェレイラ教父だけどさ、すでに転ぶことを言って、でも教父のために吊るされ続けている日本人信徒のことを考えたらね・・・そこへ来て、神に祈っても沈黙なんだもの。(ここもまた n=1の意見だけども)内包しちゃってる日本人とはきっとまた違う感覚なんじゃないかな? この書評は、故あって書き始めはお昼で、夜に書き足し、深夜に書き終えてる。この数時間ですら、フェレイラ教父に寄ったりロゴリゴ司祭に寄ったり、あるいはキチジローに寄っちゃってる。それぐらいその時その時の精神性とその豊穣度合い&冷静具合によっても感じ方が変わってくるのだろうなぁ。万華鏡のような作品だ。 う~む、やはり長崎へ行く前に読み終えておくべきだったな。そして日本二十六聖人記念館など、まだまだ訪れていない場所が長崎には沢山ある。これはなんとしてもリピート訪問ができるようにせねば。
0投稿日: 2024.08.17
powered by ブクログ最初に読んだ時の衝撃は忘れられない。「神の沈黙」というテーマは、何かを信じたことがある人にとって、重々しく、それをカトリック教徒である遠藤周作が書くことにさらに重みを感じた。 この8月に長崎を旅することになったので、旅のお供に3回目の再読した。沈黙を読んでいるのと、読んでいないのでは、考えることが違っていたと思う。あれだけ酷い迫害をされてもなお、人々が250年も神を求めていたことに、大浦天主堂を訪れることで、言葉にならないような驚きと、感動と、悲しさを感じることができた。 また、再読したことで最後のキリストの本当の意味での赦しの部分が、若い時よりも分かった気がする。
0投稿日: 2024.08.12
powered by ブクログ初、遠藤周作作品。 知らない世界での布教活動、、しかも鎖国時代の日本。 とても大変なことだったと思うし、奉行様も通訳もせっかく戦国時代が終わり平和になった日本で、また罪のない国民を苦しめないといけない辛さ、、 色んな苦しみがあり読んでて辛いけど、キリスト教奥深いと感じた。
2投稿日: 2024.08.12
powered by ブクログ半世紀以上前の本だが、色褪せない名作だと思います。 例えば、インドのカレーを日本に輸入した際、日本版カレーになったように、日本には外から来たものも日本風にアレンジするきらいがあります。なぜ日本の製品はガラパゴス化してしまうのか。グローバル化において今ひとつの結果なのか。この現代でも日本において課題となっている問題を、江戸時代におけるキリスト教を用いて本書は教えてくれます。
0投稿日: 2024.08.09
powered by ブクログアメリカで映画化された遠藤周作の代表的ともいえる小説。キリスト教の宣教師たちの壮絶な活動と、日本という国における風土と宗教の自由の関係について深い考察を与える一書。
0投稿日: 2024.08.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
友達に勧められて読んでみた初めての遠藤周作作品。 キリスト教の宣教師がキリシタン禁制の日本の中に潜入していく話。 情景の表現力が高すぎてもの解像度が高い小説だった気がする。 拷問のシーンとかは読んでて苦しくて、あ、人間ってこんなことができるんだと恐ろしくなりました。
0投稿日: 2024.08.05
powered by ブクログ中村文則『逃亡者』から知り読んだ。信心深い宣教者目線から進む物語。全体的な迫力、ドラマ性共に迫力があり名作と評されるのも納得できる。しかし、自身の前提知識が乏しいこともあり長崎やキリシタン宣教師の歴史を学び読み直したい1冊。
0投稿日: 2024.07.31
powered by ブクログ終始暗い気持ちにさせらるような内容で、当時の切支丹迫害とそれに伴う信仰上の懐疑がテーマになってた。時代背景は江戸時代の切支丹迫害が最も過激な時。日本に取り残された信者たちのため、布教のためにポルトガルから派遣された司祭ロドリゴらが日本に潜伏するも最終的にはキリストの踏み絵を踏んでしまう。題名の「沈黙」が拷問されている信者たちがキリストに祈りを捧げているのに彼らを助けないことを示していて、司祭はなぜ主はこんな時にも沈黙し続けるのか?という思いを抱くようになる。 一番印象的だったのは最終場面の司祭が棄教する場面で、番人の鼾だと思っていたものが信者たちが穴釣りにされていたときに出していた呻きだと発覚したところ。この時司祭は信者が苦しんでいるとはつゆ知らず彼らのために祈りを捧げていなかったことを後悔し、キリストへの祈りではなく踏み絵を踏むことによってのみ彼らを助けられると気づく場面はとても興味深かった。
1投稿日: 2024.07.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司祭の不屈の信仰心が散々印象づけられ、残り少ないページ数で転ぶのだろうかと思っていたところ、「鼾」によって司祭の信仰の中に急速に疑念がもたげてくる。 信徒を救うために祈った。しかし自分が信仰を失わない限り信徒を救うことはできない。究極のジレンマに直面した司祭は主のメダイユに足をかける。 例えば喜捨とか戦地での医療看護という具体的な救済たる宗教行為がある。では穴吊りにされた弱き信徒たちの生命を救うための棄教はキリスト教者の宗教行為ではないのか。そして祈りはそれよりも尊い宗教行為なのか。信仰に関する数々の疑念が読者の頭にも去来する。 私自身は信仰があるわけではないのでキリスト教者が司祭を観るような方法で観ることはできないが、それでもこのときの司祭の決断を理性的な範囲を超えて理解できたような気がした。これは明らかに作家の手腕である。
1投稿日: 2024.07.15
powered by ブクログ遠藤周作氏の代表作と呼ばれる作品。江戸時代の日本にキリスト教を布教する活動を行ってきたポルトガルの司祭たち。 しかし、長年日本で布教をしていた司祭フェレイラが棄教したという報を聞き、教会の不名誉を挽回すべく、フェレイラを師と仰ぐ司祭ロドリゴが日本に潜入する。 そこには、幕府の年貢によって食べるものを奪われ、赤貧の暮らしを送りながらも、隠れ切支丹として信仰を守ろうとする農民たちがいた。 農民たちに匿われながら、彼らの信仰の柱となりつつあったロドリゴだが、幕府の役人たちはその農民たちを次々と捕らえて「転ぶ」ように迫るが、多くの農民たちは従わずに、拷問によって命を落としていく。 その悲惨な状態を何度も見続けていくうちに、ロドリゴはなぜ神はこの状況に至っても沈黙を続け、死にゆく農民たちを救おうとしないのかという疑問を抱き始める。 彼の日本潜入を助けた(一度は転んだ)キチジローの裏切りによってロドリゴは役人に捕まってしまう。 そして、ロドリゴはとうとう日本人名ももらったフェレイラとも再会するのだが。 信仰とはなにか。 果たして、踏み絵を踏まない事が信仰で 踏んだ者の信仰は弱いのか。 踏み絵を踏まずに、ただ死んでいく者たちを神はどう見ているのか? 大昔に(篠田正浩監督がこの作品を映画化した時)に一度読んだはずだが、全然忘れていたし、ただ読んだだけで、中身を読み取れていなかった気がする。
4投稿日: 2024.06.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
キリスト教の心を知った。神はいるとしたら、沈黙で寄り添うのだ。神の存在信じること、地獄を生きた人間には、その沈黙が唯一の救い。過酷な人生を送る人間にとって、「神の沈黙」が唯一の慰めであるのだ。本当に苦しい時に、神の沈黙が人間を救うのかな。
0投稿日: 2024.06.02
powered by ブクログ史実と物語世界の結び付けが遠藤周作はとにかく卓越している。 西欧のキリスト教と日本風のキリスト教受容との乖離を繊細に描き出し、当時の宗教のあり方を抉り出している。 日本と世界の結びつきや宗教的観念に基づくアイデンティティを、主人公のロドリゴを始め、他の登場人物にも適応して考えられる作品。俺もキチジローはどうしても許せないけど、人間味溢れてて物語の中で欠かせない人物ではある。 神の沈黙、神を信じること、自己の存在、許し… 考えさせられる。
1投稿日: 2024.05.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2-3日前に読み始めて一気に読み切ってしまった。 記憶がフレッシュなうちにレビューを書いておこうと思うんだけど、テーマが重く・深く・壮大すぎてなかなか考えがまとまらない。 ひとまず現時点では「問い」について考えるようになった。 普段の生活でもごく自然に自分自身への「問い」を立てることやそれについての答えを模索することをしてきてはいたと思うが、この小説を読んでからはより意識するようになった。 最初は問いの回数が増えたと思っていたが、常日頃なんとなくしていた問いが明確な問いになった、のだと思う。 作中でロドリゴが内省的な問いをするシーンが多く、それを主観的にも客観的にも描いている部分が印象的だったため、その影響から自分自身を少し客観的に見て問いを立てるようになったのだと思う。 そう思うと人生とは問いの連続、自分自身との対話の連続だと思う。 すでに四十代も後半、何を今さらとも思うけれども、自分自身を客観的に見ることができるようになって少し大人になったような錯覚に陥っている。 読後に色々と反芻したり噛み締めたりして再度レビューを書きたいとは思うけれど、現時点でのひとまず書き残しておく。 遠い昔に潜伏切支丹に何故か興味を惹かれて長崎まで行ったことを思い出した。 そのときに遠藤周作先生の作品を読んでいなかったことが悔やまれる。 この作品を味わい尽くして、さらにもう少し知識を広げてから再度訪れたいと思う。 (マーティン・スコセッシ監督のもと映画化されているらしいのでぜひその映像も見てみたいし遠藤先生の他の作品にも触れてみたい。)
2投稿日: 2024.05.11
powered by ブクログ暗く悲痛な叫びが聞こえてくるようだった。過酷な日本への宣教活動はやはり胸が痛くなる。 次々と現実を突きつけられる冒険チックな展開にハラハラドキドキした。 キリスト教が急速に浸透した理由は時代背景もあるのかなぁとか、役人達もできれば拷問などは避けたいんだろうなぁとか…教科書でみた踏み絵の印象は幕府はなんて事するんだ!血も涙もないと思ってましたが、若干の脚色はあるにせよ意外にも人情味があるんだなと。それとキチジローの気持ちがめちゃくちゃわかる。笑 とかく、この問題は正解がないから難しい。 一人一人が考えることが大事なのかなと。
0投稿日: 2024.05.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
重いながらにすごい本だよね、、 解説でも触れられてるけど、歴史的な背景を踏まえると最初から話の筋や結末はある程度見えているのに文章の面白さでぐいぐい先に進んでいくし、主人公が踏み絵をして棄教する瞬間は本当に胸が苦しくなった。文章が面白くて話の構成が上手く、その上テーマの回収も完璧だ…。主人公が最後に得た教義の反転って、「神は高みから沈黙していたのではなく他者の弱さを許し、弱さに苦しむ心とともに苦しんでいた」てかんじでいいんだろうか。神の沈黙に対するこれまでの苦悩と怒りにも似たものがせつせつと書かれてた分、「いつもすぐそばにいた」「一緒に苦しんでいてくれた」ていう反転は鮮やかだった。 遠藤周作は確かクリスチャンで有名だったと思うけれど本人もこういう信仰の壁にぶつかったことがあったんだろうか。 2025.3追記)別の本で新約聖書の解説を読んだら、イエスの復活の部分がこの本のラスト、神の存在の解釈に繋がるってようやく気づいた。聖書内では弟子達の前でだけ描かれた「イエスの復活」が、信仰はあれど弟子ではない万民の中に起こるなら…ってことが書かれていたのね ⚫︎あらすじ 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。 (新潮社HPより引用)
2投稿日: 2024.04.15
powered by ブクログ簡単な本ばかり読んでいた私にはレベルが高すぎました。 ですが、調べながら読んでいく中で 学ぶことは抱えきれないほどあります。 学校で習った踏み絵はこんなにも残酷で卑劣な行為だったことを初めて知りました。 神様は人間の潜在意識の中に皆が持っています。 ですが、神についての答えや痕跡がないからこそ、人は迷い、争ってしまう。 宗教に対して偏見が多い日本で、この本を読んだ後、果たして今と同じ考えができるのでしょうか。
2投稿日: 2024.03.21
powered by ブクログ少し古めの本だから難しいかなと思ってたけど、驚くほど読みやすくて内容も頭の中で想像できてびっくりしました。踏み絵は中学、高校の教科書で見たことあるなくらいの知識しかなかったけど、この小説の中でどんなに過酷な状況に追い込まれてたのか、司祭者からみる日本というのが新しくて感慨深かったです。もっといろんな人に読んでもらいたい一冊です。
21投稿日: 2024.03.21
powered by ブクログこの本を中学3年の現代文の授業で扱ってくれて感謝しかない。一見読みにくいし、途中で読むのをやめたくなるような気持ちにもなるから。 中学の頃から当たり前にお祈りしたり聖歌を歌ったりしていたけれど、私にとって、神とはどのような存在で、信仰はどのようなものなのかを考えたのはこの作品にであったことがきっかけだった。中学3年生の時よりも理解も進んでいるし、ロドリゴやフェレイラの気持ちに共感できる箇所が増えていた。
3投稿日: 2024.03.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
キリスト教のような宗教が絡む小説を初めて読んだ。 自分が特定の宗教をあまり持たない日本人として生きているため、主人公であるロドリゴに共感しにくい部分が多かった。そこまで、神にすがる感情を理解することに難しさを覚えた。 また、逆にキチジローにはとても共感してしまった。はじめは卑下して読んでいたが、ページが進んでいくに連れ自分も彼のようになるだろうと感じた。 小説のはじめでは、キチジローとロドリゴがかなり対照的に描かれていたのに対し、キチジローとロドリゴは棄教した点で形式上は同じような人物になってしまうのが可笑しかった。 気になった部分は、 「『彼等が信じていたのは基督教の神ではない。日本人は今日まで』フェレイラは自信をもって 断言するように一語一語に力をこめて、はっきり言った。『神の概念はもたなかったし、これ からももてないだろう』」(p.197) という一節。日本をよく表している気がする。 キリスト教を弾圧していた時代を、パードレの目線で考えたことがなかったため非常に新鮮で面白かった。また、自分が宗教を全く理解できていないうえ、これからもずっと完全に理解することはできないのだろうと悟った。自分だけでなく日本人には、理解するような努力が一生必要なのだろう…。
3投稿日: 2024.03.12
powered by ブクログ特に信仰してるものもないし、日本史にも疎い私でも読み進めることができ、物語の迫力に引き込まれました。 わたしが譲れないものはなんだろう。なにを信じどこに向かって生きているんだろう?問いかけられるように感じました。特に“弱い者”として描かれるキチジローが自分の弱さと重なる気がしました。
12投稿日: 2024.03.10
powered by ブクログポルトガルから船で日本に向かうという部分からも滲み出るキリシタンの強固な信仰心。幕府のキリシタンへの弾圧のむごさに途中読むのが苦しくなりつつも、全世界で読まれ、映画化されるだけある壮大な名作。出会えてよかった名著。
3投稿日: 2024.03.02
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1760634319809503428?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
1投稿日: 2024.02.22
powered by ブクログ宗教小説 救いを求めて宗教を信仰するのに、殉教などがあるのはどうなのだろうと思った。強者と弱者における、強さと弱さとは何なのだろうか。
3投稿日: 2024.02.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
あっという間に読み終わった。 沈黙って、人々が沈黙する話かと思ったけど、神の沈黙の話だったんですね。 最後のフェレイラとのやりとり・転んだ後のキジローとのやりとりに読む手が止まらなかった。 ああいう風にキジローと分かり合えるというか、自分の失敗した人生を通して得たものがあるというのは、せめてもの救いで。(もちろん犠牲の方が大きいから、救いと言ってしまうのは語弊を招くかもだけど) 「失敗は成功のもと!」なんて単純な言葉は使いたくないけど、わたしみたいな弱い人間が強く生きていくためには、こういう人生を歩むしかないんだよな〜。。。 遠藤周作って自分的にめちゃくちゃ読みやすくて好き。キジローに裏切られた時の蝿の描写とか、たまらなく好きだな…….. 本当にどの登場人物にも感情移入できて、わたしも弱い人間なんだと実感させられた本でした。 でもだからこそ、ちゃんと他人を社会を、そして自分自身を許していけるような人間でありたいと思った。
2投稿日: 2024.02.11
powered by ブクログ初出1966年。自分が生まれる前。 それでも堅苦しさを感じさせず、暗くつらい物語だったけど挫けず読み切った。自分を褒めたい。 ただ最終章は一転、書簡のみの記述になる。「〜〜候」「〜候し〜候ありて〜申し候」と候100回くらい言われもうどんだけやねんとツッコミ入れたくなる。どうやら後日談のようで、主人公の信仰心がなんとか神の御許に召されたのかなと雰囲気で理解した。 ゆるふわ系仏教徒としては、キリストの教えはほぼ門外漢。以前に、傑出したコミック『チ。』を読んだ時の予備知識に助けられた。 共通点はただ一つ、宗教の迫害は痛ましい。という事実だ。集団が集団を変えようとする時、人を変えようとする痛みの何倍もの負のエネルギーが発生する。アメリカが、中国IT企業やアプリを締め出したのも実は紳士的で理性的だったと思えるほど。集団の本性は残虐だ。 苦しみに満ちた現世を清らかに生きる術が宗教だとしたら、これほどの倒錯はない。著者の悩みや怒りがひしひしと伝わってきた。 このストーリーにして下記の一文は、さらに難解すぎる。 ── 罪とは、人がもう1人の人間の人生の上を通過しなながら、そこに残した痕跡を忘れることだった─ 神は、すべてを覚えたもうか。 あるいは空に帰すのか。 色即是空、空即是色。 毎日拝んでも、死者だけが祈りを覚えてくれているのかもしれない。それで満足できない自分も確かに居て、集団になりたいという危険と隣り合わせなのか。 信仰はわからん。 まだまだ苦しみ足りない私に、扉は閉ざされて沈黙したままだ。
25投稿日: 2024.01.23
powered by ブクログ昔から家の本棚にあったこの本。 中学生高校生の時に読んでみようかと手に取ったことは何度かあるけど、あんまり面白くなさそうだなと読まなかった。 そりゃティーンエイジャーにはそそられないテーマだよな。 33歳になってようやく読んでみたわけだけど、思ったよりも読みやすくてすいすいと読めた。 キリシタンの迫害は歴史でちょっと習ったくらいだったから、こんなにも酷いことされてたのかと驚いた。そして思ったよりもたくさんの日本人がキリスト教を信仰していたことにも驚いた。 神の沈黙。信じるって何なんだろうなぁ。 正解なんてものはなくて、いやでも全てが正解なのかも。
7投稿日: 2024.01.11
powered by ブクログ信仰もなく、神を信じていない自分には理解できない心情も多かったけれど、歴史小説的な意味では興味深い内容だった。 日本人は本当の意味でキリストの神を信じられない、彼らが信じているのは別のものだ、というのはなるほどそうだろうなと思う。ロドリゴの思い描くあの人はどんな顔なのだろうか。
1投稿日: 2024.01.10
powered by ブクログ圧巻。何も言えない。強すぎる。 描写も構成も絶えず胸糞なのに、なんだろうこの妙な気持ちは、、、。信じるとは、、、本当何が正しいとか、間違えているじゃなくて、いいとか悪いじゃなくて、強いとか弱いじゃなくて、本当一言じゃあ片付けられない
5投稿日: 2024.01.09
powered by ブクログ「主は何故頑なに沈黙を守り続けるのか」 「踏むがいい。踏むがいい。お前たちに踏まれるために、私は存在しているのだ。」
0投稿日: 2023.12.31
powered by ブクログaudibleで聞いていたのですが… 最終章、当時の記録簿的な記載の部分が、朗読だと辛い!頭に入ってきませんでした。 ここまでグイグイ読まされて、はしごが外されそうになったので、慌てて図書館で本を借りて読むことにしました。
0投稿日: 2023.12.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
私のルーツを辿れば生月島の民。 父方の祖父を遡れば平戸から派遣された奉行所の弾圧武家。 父方の祖母を遡れば潜伏キリシタンの末裔。 時代が変わり、その垣根がなくなり、様々な縁の末に生まれてきたのが私。 私の生命はもしかしたら、ちょっとした事で無かったのかもしれない。 あるいは先祖が絵を踏んでくれたから生を受け継いだのでしょう。 先祖の覚悟や、決断に感謝。 そして、実際生月島に墓参りに訪れた際に、機会があったので、親戚のオラショを聞かせてもらった。 オラショとはいわず「もんじゅもんじゅ」と言っていた。それにはまた理由があるらしい。 弾圧はとても昔の出来事なのだけれど、震えるほど身近に感じた瞬間だった。 時代に翻弄されながらも、宗教という人類が生み出した業に抗い、生を見出す物語なのかなと感じた。 私は信仰心はないけれど、人の心の中には、誰にも踏み入れられない自分だけの神様があっていいのだと思わされた。それがどのような神でも許される。 そして、その神が沈黙することの意味を自分で解釈し自分の救いに変えることができれば報われるのではないでしょうか。 日本でキリスト教が根付かず、一人歩きした神の形。潜伏キリシタンはまた別の信仰なのでしょうね。 人は弱いから神に縋るのではなく、希望を持ち続けるために、信仰するものなのだと思った次第。 そうなると、何も信仰していない私は愚かなのでしょうか。 それを理解するにはもう少し精神の成熟と、経験が必要なのかもしれません。 また人生の節目に読み返そうと思う。 人の本質から人生観まで、たくさんの疑問や不安を一気にぶつけてくれた作品。
8投稿日: 2023.12.22
powered by ブクログ何年か前に映画を観て、そちらもすごくよかった。 よかったのだけど、あまりパードレに共感できず、やり口がむごいといえどお上側で観てしまったんだよね 「この国は沼地って言うけど、作り替えてるだけじゃん」とか「主ならこうするだろうと考えることはタブーなのか?って感じだな」とかいう感想を持っていたけど、本を読んだらぜーーーーんぶ書いてあって完全に降参。私が読み取れてなかっただけでした。(映画が読み取りにくいつくりになってたのかもしれないので、再視聴する予定) 芥川龍之介の神神の微笑に書いてあることが、よりわかりやすく書かれている感じでした
0投稿日: 2023.12.09
powered by ブクログ救いであるはずの信仰が人を殺すという不条理に直面したとき、 神び存在という絶対的な前提への疑念が信仰自体を抜け殻にしてしまった瞬間の虚しさ、 また神の存在を是とした場合の沈黙に対する叫び、 極限の状況で正統でない新たなキリスト像を見出した結果の孤独感、 それらが無信仰の私にも重く響いてきた。 ロドリゴは彼自身の中に生まれた新たなキリスト像に耳を傾けることで、「沈黙」、そして長く彼が疑問に感じていた「なすことをなせ」という言葉の意味も初めて納得する。 ある一つの像を見出した瞬間、それまでの壮絶な過程がすべて確固たる意味を持つようになり、もはやその存在の有無における議論が無意味に感じるほどの愛を知ることこそが信仰の始まりなのではないか。
0投稿日: 2023.12.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
宗教って生きる術というか、辛い辛いって考えてるよりはよすががあった方がってことなのかなとぼんやり思っていたが、そのために死を厭わなかったり、でもそれを利用するものがいたり、結局何なんだろうと思う。 鼾が呻き声とわかったところ、すごく劇的でロドリゴの棄教までがするすると進んでいった。長崎とかキリシタンとか、学校の歴史の授業で何となく聞いただけの話が真に迫ってきた。
0投稿日: 2023.12.05
powered by ブクログ罪悪感で苦しむ人にオススメだと自分は思いました。 恥ずかしい話、自分は過去に恋愛で部活の人間関係をめちゃくちゃにしてしまったことがあります。そのことに関して10年経っても悔いて罪悪感に苛まれています。 そんな自分はこの作品に出てくるキチジローに共感してやまないのです。 この作品は鎖国中の日本に密入国した宣教師ロドリゴがキリシタン禁制による残忍な拷問や奸計を前にして神の存在に疑問を抱いていく話です。 そのなかでロドリゴの前に度々現れるキチジローはキリシタンでありながら軽い拷問に恐れをなしたり、欲に眩んで何度もキリスト教を捨てては出戻るやつです。そんな彼の家族もキリシタンです。実は家族まとめて引っ捕らえられたときに彼だけはキリスト教を捨てて生き延び、兄妹は火刑に処され殉教したという過去が彼にはあります。 自分の命可愛さに背教し、同時にキリスト教と身内を見捨てて逃げたという後ろ暗さを経験したキチジロー。彼の言い分は、自分は弱い人間として産まれたから殉教なんて強い意志を必要とすることはできないとのことです。はたから見たらとんだクズ野郎ですが、なぜか憎みきれない。むしろ共感のような他人事として見れない複雑な思いを彼に対して持ってしまう。 それはキチジローのいう弱いゆえに逃げるのは仕方がないじゃないかという甘えを読者である自分も経験しているからなのかもしれません。自分は弱い人間だから逃げてしまうのは仕方ないんだ、だから許してくれ!という言い訳。そしてこの逃げ口上は相手に対しても自分にとっても十全なものとはならないことを、同じ経験をした人ならわかるんじゃないでしょうか? 十分でないからこそ、反省したと思っても同じ過ちを繰り返してしまう。自分でいえば仲間の大切さをわかりながらも、我欲のために壊してしまい、そのたびに自分を弱い人間に見せて被害者のような面をしながら逃げてしまう。若気の至りといえば可愛いですが、それで仲間の輪を拠り所にしていた人たちからしたら本当に迷惑です。 自分の意志の弱さとでも言えばいいのか、それを自覚的な人間にとってはわかっているのに直せず過ちを繰り返して苦しみを増やす気持ちが痛いほどわかります。そして、そこで同じように出口のない苦役の山を迷うキチジローを見るとこの苦しみは自分独りではないという不思議な気持ちになります。それは物語のなかでロドリゴが見出すものに近いのではないかとも思えます。 苦しみのなかにいる人に寄り添うような、そして出口はないがただただ隣人と共にあるという安心とも言える感覚を感じる読後感でした。
20投稿日: 2023.12.01
powered by ブクログロドリゴ司祭と井上筑後守が交わした会話の中で、井上は日本という男は異国の女性ではなく、気心の知れた日本の女と結ばれるのが最上だとし、彼らの布教活動を「醜女の深情け」と揶揄していた。異国の女性は教会のことで、日本の女性は仏教・神道のことであると思うが、井上はまた、情だけで夫婦は成り立たないとしていて、布教活動が情愛の押し売りで、一人の男(日本)にとってそれはありがた迷惑だと喩えたかったのだろう。このような日本と西洋の文化・思想の決裂を遠藤周作は本書でいくつも描いるように思え、本書の重要なテーマであると思う。
6投稿日: 2023.11.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
信じるってなんだろう。 何十回何百回と使ってきた言葉のはずなのに、 一気に輪郭がぼやけて見えなくなりました。 「愛する」とか「守る」とかなら実感を以ってして意味が掴める気がします。なのに「信じる」は分かりそうでよく分かりません。 一般的な「あなたのことを信じる」というような文脈の「信じる」と宗教的な「信じる」はまた違うようにも思います。 前者の「信じる」はなんとなく「覚悟」に近い。単に対象に期待するのではなく、自分の期待とは異なる結果がもたらされる可能性も想像の範疇に入れ、その上でYESと言う覚悟。(なんか芦田愛菜ちゃんがこれと似たこと言ってた気がする)(よく考えるとめちゃくちゃ重い言葉…) 問題は後者の「信じる」です。 宗教に関する知識が浅すぎて想像すらできない状態ですが、前者の信じるとは矢印の矛先が違うように感じます。 仮に自分が踏み絵を踏んだとて、神は穴吊にあうわけでも、泣き叫ぶわけでもありません。神は変わらず沈黙を貫きます。存在し続けます。 なのでおそらく殉教者の方々はキリスト教やキリストといった自分以外の何かを守るために命を捧げたわけではないのだろうと思います。 司祭の「自分が闘ったのは自分の心にある切支丹の教えである」という言葉のように、これはキリスト教を信じるか信じないかという問題ではなく、キリスト教を信じる"自分"をどこまで信じられるか、という自分の内側へ働きかけるものなんだと思います。 が、どうもぼやっとして掴みきれていません。 宗教についてもっと深く学ぼうと思いました。 ーーーーーーーーーーーーーーー 悲しみの歌と海と毒薬に続いて3作目。 今回も遠藤周作の描く人間の弱さと絶望はとんでもなかった。 人が心のいちばん奥にしまい込んでいるような弱い部分を的確に掴み上げ、人という生き物の醜さについて憐みや軽蔑を含んで描きながらも、決して否定はしないところに作者の人間存在への深い愛を感じる。(勝手に) 現実とは思えない悲劇や絶望が迫ってきたときの動揺、拒絶、葛藤、諦観、受容の様子がとても生々しい。今回の司祭も笑っていた。何度も。遠藤周作の小説に出てくるあの切ない笑いがとても人間臭くて胸を打たれる。
2投稿日: 2023.11.08
