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ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之 / 河出書房新社
全てはアルゴリズムの中に
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意味と権威の源泉としての神の役割は、現代では人間至上主義に取って代わられた。人間の自由意志こそが最高の権威であると。中世のヨーロッパでは知識=聖書x論理だった。どれほど論理の力があっても聖書を読んでな…くては役には立たない。次に科学革命が新たな公式を与える。知識=観察に基づくデータx数学だ。しかし科学の公式は価値や意味に関する疑問に対処できない。人間至上主義は新たな答えを提供した。知識=経験x感性だ。極めて当然な公式にみえるのは自分が無意識に人間至上主義を信奉しているからなのか。
人間至上主義は3つの主要な宗派に別れている。正統派は個人の自由意志は国益や宗教の教義よりもはるかに大きな重みを持つべきだと考える。いわゆる自由主義だ。そこから産まれた分派が社会主義的な人間至上主義とナチスに見られる進化論的な人間至上主義だ。20世紀初頭にはファシズムと共産主義が猛威を振るい1970年代では未来は社会主義のもののようにも見えた。2016年の時点で個人主義、人権、民主主義と自由市場という自由主義のパッケージの本格的な代替となりうるものは一つもない。
それでは、人間至上主義はどこに行き着くのか。生命科学は自由意思は生化学的なアルゴリズムの集合によってでっちあげられたと主張する。自由意思など妄想に過ぎないと。
科学技術の発展は別の方向から個人の価値に脅威を与える。一つ、人間は軍事と経済面での有用性をすでに失いつつある。近代以降の戦争や労働集約的な工業社会では人手こそが価値を持ち、民主主義は兵士や工員にモチベーションを与えるために広がったという側面がある。現在では大量の兵器と兵士よりも少数の高度な兵士と最新テクノロジーが好まれる。ドローンとサイバー戦争だ。経済的にもAIに仕事が奪われる未来が予想されている。
AIは進化し、もうすぐ悩みの相談相手がSIRIになるかもしれないという。将来的には経済や政治で人々とが何を望むかもフェイスブックが知ることになる。誰が何にイイねを押したかが直接測られる。せいぜい2千件程度の電話調査など意味をもたなくなる。これが二つめの脅威だ。集団としての個人はマーケティング対象としての価値を失わないが、その中で個人の権威は埋没してしまう。
多くの人々の価値が失われる一方で、一部の人は絶対不可欠な少数のエリート特権階級にアップグレードされる。2016年の時点で最富裕層62人の資産合計は人類の下位半分36億人の資産に匹敵する。巨大な開発途上国のエリート層はその国の競争力をあげるために、何億人もの貧しい人々の問題を解決するために投資するだろうか?少数の超人エリート層を育てる方がより効率的な方法かもしれないのに。「もし科学的な発見とテクノロジの発展が人類を、無用な人間と少数のアップデートされた超人エリート層に分割したなら、あるいは、もし権限が人間から知能の高いアルゴリズムの手にそっくり移ったなら、その時には自由主義は崩壊する。」
その先に待つのはホモ・デウスを生み出すためにテクノロジーを使うべきだとするテクノ人間至上主義かデータを崇拝するデータ至上主義か。データ至上主義にとっては情報は共有すべきものでグローバルなデーターベースを豊かにすることが価値となる。もはや人間の経験には本質的な価値はない。全てはアルゴリズムの中に吸収されていく。
ここまで書いておいてユヴァル・ノア・ハラルは最後に問いかける。
1生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
2知能と意識のどちらの方に価値があるのか?
3意識は持たないものの高度な知識を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか? 続きを読む投稿日:2019.03.24
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争うは本意ならねど 日本サッカーを救った我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール
木村元彦 / 集英社文庫
いやあ、マスコミが騒いじゃったからさ〜
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「先生、厳重注意処分でいいのではと書いてあるじゃないですか。どうしてドーピング違反にしたんですか?」
「いやあ、マスコミが騒いじゃったからさ〜」
2007年4月川崎Fは浦和レッズを我那覇和樹の…先制点から2対1で下した。しかし、我那覇の体調は最悪で試合後は水も飲めないほどであった。2日後の練習も何とかこなすがチームドクターの後藤は生理食塩水を点滴した。治療は30分ほどで終了。そして駐車場へ向かう我那覇を報道陣が取り囲んだ。それが・・・
「我那覇に秘密兵器 にんにく注射でパワー全開」この記者に我那覇は話をしておらず内容はでたらめ、この記事通りならドーピング禁止規定に抵触するものだった。
WADA(世界アンチ・ドーピング機構)の定義では疲労回復のためのにんにく注射は正当な治療とは言えず禁止方法に当たる。2007年1月の会議でJリーグのDC(ドーピングコントロール)委員長の青木治人は禁止規定の改定点の説明をしており、その際今後は全ての点滴で使用許可申請(TUE)が必要であるが、緊急時には事後でいいと説明していた。WADAの規定には「静脈内注入は、正当な医療行為を除いて禁止される」とある。我那覇のケースは正当な治療でありTEU提出の必要も無いのだが、青木はドーピングであると考えていた。
最終的に処分を決めるのはJリーグアンチ・ドーピング特別委員会だが医学メンバーはDC委員会と兼務しており検察がそのまま裁判官になっていた。WADA規定では対象者には抗弁の機会があるのだが川崎Fはこの機会を行使しないとし、我那覇には知らされないままだった。我那覇には6試合の出場停止、川崎Fには1000万円の罰金が科せられる事が決定した。
青木はさらにJリーグに適切な医療かどうかは現場の医師ではなくDC委員会が判断する。点滴は原則禁止であり、TUEは提出したからと言って必ず認められるとは限らないと伝えた。この前日ドイツ遠征で骨折し緊急帰国したのだがJリーグは「そちらが正当と判断したら先に手術してあとでTUEを出してください。その後で審議します。」と回答する。結局後藤はTUE認められる真夜中まで手術を送らせることになった。日本代表合宿でも風邪をこじらせた選手が点滴を受けられず肺炎をおこしている。
チームドクターたちが一致団結して立ち上がり質問状をだすがJリーグはとりあげない。ついにチームドクターは連絡協議会で青木と対決するが青木はFIFAからドーピングだとの回答が有ったと答えた。実はこれは青木が旧知の医事委員にガーリック注射はドーピングに当たるかとメールで質問したものであり、その回答は軽微な違反であり、厳重注意でいいのではと書いてあった。冒頭の一文はこのメールを見せられた浦和レッズのチームドクター仁賀が連絡協議会の後青木に見せられたときのやりとりだ。
後藤は日本スポーツ仲裁機構(JSAA)への申し立てを希望したがこの時反対したのは川崎Fだった。後藤に対して申し立てをするなら辞任をしろと迫る。そして浦和の仁賀が我那覇に送った手紙が我那覇を動かした。これまでの経緯とともに「この間違った前例が残ると全てのスポーツ選手が適切な点滴治療を受ける際に常にドーピング違反に後で問われるかもしれないという恐怖にさらされます」。これは、自分だけの問題ではないのだ。他のサッカー選手にも被害が及ぶ。こんな嫌な思いを他の選手にさせてはいけない。チームドクターたちが選手のために頑張っているのならば、そのために自分も声を出すべきではないのか。そして我那覇が立ち上がった。
Jリーグは我那覇の訴えをスイスのスポーツ仲裁裁判所(CAS)で英語でやるなら応じるとした。JSAAならば5万円で申し立てできるところが我那覇の負担額は最終的には3441万円(選手会やサポーター達の寄付でかなりの部分がまかなわれた)になっておりJリーグ側がプレッシャーをかけようとしていた事が見て取れる。結果は我那覇の完勝で、仲裁費用はJリーグの負担、さらに我那覇の負担した費用のうち2万ドルを支払うように命じている。懲罰的な判決だ。
それでもJリーグは反省の色は見せない。鬼武チェアマンに譴責処分が科されただけで、青木は処分を受けていない。鬼武は「CASはドーピング違反の認定が否定されたわけではない」と言って川崎Fへの罰金の返還を拒んだ。また、川淵会長もインタビューに答え「我那覇の名誉が回復された事はよかったと思う。ただ、その行為が違法だったのかどうか、何がどう悪かったのかは触れられていない。納得しづらい無いようになってしまったと思う」とコメントした。いずれも何が問題だったか全く理解しておらず、医学的な事は青木に任せており、選手やドクターの話には聞く耳を持たなかったのにだ。 続きを読む投稿日:2019.03.31
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死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発
門田隆将 / 角川文庫
逃げる?誰に対して言ってるんだ。
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吉田昌郎さんへの感謝を込めて。
主人公は吉田氏だけではなくいわゆるFUKUSHIMA50と言われる人たち。東電本社はともかく現場の人たちは限られた条件の中で出来ることはした。よくあの状況の中で自…発的に必要な判断を出来たと思う。
一例に挙げると福一を最悪の事故から救ったのは津波と全電源喪失直後に1号炉に冷却ラインを作り消防車の応援を呼んでいたことだった。事故直後の報道ではわからなかったが吉田所長の最悪の想定はチェルノブイリの10倍の規模の放射能漏れであり、班目氏はさらに福島第二と東海原発への連鎖まで想定していた。彼らは専門家でありその想定は重い。しかし、全電源喪失については防げる事故でもあったのが残念だ。
一号、三号が爆発した3月15日の明け方席に戻った吉田所長はゆらりと立ち上がり、机と椅子の間に胡座をかき目を閉じて座り込んだ。その時周囲の人間はプラントの「最期の時」を感じたのだが、吉田は腹を決めている。「私はあの時、自分と一緒に”死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていたんです」「やっぱり、一緒に若い時からやってきた自分と同じような年嵩の連中の顔が、次々と浮かんで来てね。頭の中では、死なしたらかわいそうだ、と一方では思っているんですが、だけど、どうしようねぇよなと。ここまできたら、水を入れ続けるしかねぇんだから。最期はもう、(生きることを)諦めてもらうしかねぇのかなと、そんなことをずっと頭の中で考えていました」
その吉田にテレビ会議で管が言う。「事故の被害は甚大だ。このままでは日本国は滅亡だ。撤退などあり得ない! 命がけでやれ」「撤退したら、東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」
逃げる?誰に対して言ってるんだ。いったい誰が逃げると言うのか。(なに言ってんだ、こいつ)
厳しい批判を受けた中では班目氏はどうやら限られた情報の中で想定される事態を把握していたようだ。少なくとも官邸に対しての助言は間違ってはいない。しかし、どうしようもなく当事者意識が無く官邸が自分の言うことを理解しなければどうなるか薄々わかっていながら怒れる管に何も言えないでいた。伝わらなければ正しいことを言っても意味が無い。
最終段階では出来ることはないとわかっていても残ろうとした若者もいた。残ってくれると信じていたが退避したものもいた(彼らを責めるのは筋違いだが)。そして新潟から応援に来てそのまま残った協力業者もいた。一旦退避してから戻って来たものも多い。「ヤクザと原発」によれば協力業者の中には必ずしも使命感だけで残ったのではなく、その場のノリで残ったものもいる。それもこれも含めて彼らに救われたんだろうと思う。 続きを読む投稿日:2019.03.31
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戦後史の解放II 自主独立とは何か 前編―敗戦から日本国憲法制定まで―(新潮選書)
細谷雄一 / 新潮選書
ナショナリストと愛国者
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我々はイデオロギー、時間、空間などに無意識のうちに束縛されている。戦後史の始まりには日本国憲法の起草があった。どのようにしてこの憲法が定められたかについても束縛された視点からは一面の真実しか見えてこな…い。この束縛から逃れ視点を解放しようと言うのが本書の目指すところだろう。細谷氏は「今の日本には、希望が足りない」と言う。戦後の日本人が感じてきた希望を追体験しようとするのが本書のもう一つの試みだ。
ジョージ・オーウェルは「否定的な感情」を元にしたイデオロギーを「ナショナリズム」と定義して攻撃した。「いかなるナショナリストも、可能なかぎり、事故の勢力単位の優越性以外のことは、考えたり、話したり、書いたりしない」、今の世界はナショナリストにあふれている。オーウェルは攻撃的なナショナリストに対し「自分では世界中で一番いいものだと思うが他人には押し付けようとは思わない、特定の地域と特定の生活様式に対する献身」を「愛国心」と定義した。戦後の日本を形作る上で国際協調を基本とするリベラルな国際国家の路線に舵取りをした、幣原、吉田、芦田をオーウェル的な愛国者と位置づけ再評価しようとしている。
歴史的事実として8月15日に終わった戦争は存在しない。東アジアでの戦後各地域形成の原点であり、10年がかりの一連の複数のプロセスだ。終戦時、外地には日本の総人口の1割に当たる688万人が居留しており、うち321万人が民間人だった。ポツダム宣言を受諾した大東亜省が送った方針は「居留民はできうる限り定着の方針を執る」である。日本政府は外地居留民を保護する意思と能力を欠いていた。その結果もっとも大きな困難に直面したのがソ連軍と対面することになった満州などに暮らす200万人だった。居留民にとっては日本に帰国してからが戦後の始まりだった。
日本軍が居なくなった後の力の真空では中国の国共内戦、朝鮮戦争など一連のプロセスが続く。「われわれが慣れ親しんでいる戦後史とは、そのような大日本帝国崩壊に伴う混乱と戦争を忘却することによって、あるいは無意識のうちに戦前と戦中の日本軍の活動との関連性を切断することによって成り立っている。」
対日占領ではアメリカのマッカーサーが圧倒的な存在感を示しており、またGHQがアメリカ政府の意向に沿って対日占領政策を進めていることに、ソ連政府は意義を唱えようとしていた。ソ連の狙いは日本への要求の引き換えにウラン鉱山のあるブルガニアとルーマニアをソ連の勢力下に置くこと。アメリカとソ連のそれぞれの思惑があったにせよ、戦後日本の再出発は東欧の犠牲の上に成り立っているとも言える。
戦後日本が後継首相を選ぶにあたって、何よりも重要なのは、対日占領を実質的に仕切っているアメリカ政府の協力が得られる人物かどうかとなった。その中で選ばれたのが、幣原、吉田、芦田と言った元外交官であった。主権を回復し吉田が退任した後には外交官出身の首相は一人もいない。幣原と吉田に共通していたのは戦後日本が再出発し、新国家を建設する上で、国際社会=英米からの信頼を回復することを何よりも重視していたことである。その幣原の目標は天皇制の維持であり、当初は憲法についても改正は必要なしと言う意見だった。
日本の占領を円滑に進めるためには天皇制の維持が得策と判断したマッカーサーだが民主化はそのためには絶対的な条件となる。一方、幣原が招集した憲法問題調査会は国際情勢の潮流を理解せず、明治憲法をそのまま維持することを優先したためその憲法改正案はGHQに拒否され、GHQ案に基づいた憲法が起草されることになっていく。
戦争放棄はマッカーサーの三原則が元には有ったが、マッカーサーは幣原が提案したと述べている。実際には幣原はマッカーサーに対し戦争放棄のアイデアについて話をしたが憲法に含めることまでは考えていなかったようだ。「戦争放棄を宣言することで、天皇制に批判的な国際社会を懐柔せねばならない」だった。GHQに押し付けられた憲法案に不満を持ちつつ幣原がこれを受け入れたのは国際条約交渉においては限られた条件の中で大局的に判断をするしかないと言う国際感覚が働いたからだ。
幣原と対照的に描かれるのが近衛元首相だ。「近衛の自害は、大日本帝国の抱えていた宿痾とも言える無責任と弱さを象徴するかのようであった。はたして誰に戦争責任があるのか。なぜ、戦争を開始する必要があったのか。それを十分に自覚せず、その責任を十分に感じていない近衛の認識は、当時の多くの国民によっても共有されるものであったのだろう。日本は独裁と専横のもとで戦争に向かったのではない。むしろ近衛が示すような無自覚と無責任、そして絶望的な弱さから戦争に向かったのである。」
続きを読む投稿日:2019.04.28
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プラナカン 東南アジアを動かす謎の民
太田泰彦 / 日本経済新聞出版
血筋ではなく文化だ
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プラナカン(peranakan)、地元マレーの言葉で「その土地で生まれた子」という意味である。プラナカンの男性をババ(Baba)、女性をニョニャ(Nyonya)と呼ぶ。
とあるのだがマレーーイン…ドネシア語でanakは子供、基本中の基本の単語だ。perーanと言う共接辞をつけると動作やプロセスを表す名詞となり、良くあるberと言う接頭語に対応するらしい。beranakは子供を持つと言う動詞、peranakanは検索では子宮が出てくる。BABAはbapak(Mr.)の転用だろうか、ニョニャはそのままだが。
プラナカンはただの華人ではなく祖先がマレー人などと結婚している。ちなみに華僑は中国共産党の定義では中国国籍を持つものの呼び名で、国籍がないのは華人。また客家は華人の約1/3を占め中国の中原から南へと移住した集団で独自の文化を持ち客家語を話す漢民族の集団だ。wikiではシンガポールの初代首相リー・クアンユーは自叙伝に基づき客家系華人の4世と書かれているがこの本ではプラナカンとしての出自を隠していたと紹介されている。
1965年のシンガポール国会で同じくプラナカンの女性議員シュー・ペクレンの質問に対し、リー・クアンユーは「私のことを、その名前で読んで欲しくない」と公式に答えた。シューの質問の意図は「異なる民族、文化、宗教が融合したプラナカン」と言うアイデンティティがシンガポールと言うハイブリッド国家を象徴すると肯定的に捉えたのに対し、リーはプラナカンと言う言葉に含まれる「この地で生まれた外国人」と言うニュアンスを否定的に捉えた。プラナカンは宗主国であるイギリスの支配層に取り入ったエリート集団でもある。リーは自分のことを「マラヤの民」と呼んだ。
この辺りはインドネシア語の感覚ではよくわからない。ババ・マレー語と言うプラナカンの言葉があるので意味が違ってくるのだろうか。著者の太田氏は2015年から3年間シンガポールに駐在した日経記者で取材対象のプラナカンとはおそらく英語での会話は苦労しない。だからかマレーーインドネシア語との違和感は感じていないように見える。
マラッカのババ・ニョニャ・ヘリテージ博物館でとなった家で生まれたヘンリー・チャンは後に大陸から労働者として大量にやってきた新客とプラナカンを区別するのは血筋ではなく、文化だと言う。「文化とは教育であり、品位や礼儀でもあり、経済力でもある」、紹介されているプラナカンの文化は刺繍だったり装飾だったりが女性的と形容されているが、良く言えば貴族趣味、悪く言えば成金趣味な感じがある。客家自体が王朝の血筋のものが多く、独自の文化を守ったとある。現地の支配層と結びつきながらも独自の文化を守り続けたプラナカンは労働者階級ではなかったようだ。シンガポールプラナカン協会の定義ではマレー系の血筋が1/16以上、ババ・マレー語を話す、4世代以上遡って現地化しているなど厳格だ。
東南アジアのプラナカンの街といえばシンガポール、マラッカそしてペナンと言う海峡植民地だ。そしてもう一つ人口の70%がプラナカンなのがタイのプーケットだ。しかしプーケットではタイ人と結婚した華人の子孫は全てプラナカンでありそこに独自の文化を守ると言う意識はない。さらにインドネシアに行くと定義もはっきりしない、あえて言えば地に落ちた(土着化した)華人だ。
プラナカンの政治家でタイの外務大臣タナット・コーマンが生み出したものがある。ASEANがそれだ。東南アジアに生まれたよそから来たこどもがばらばらだった国を結びつけたのだ。 続きを読む投稿日:2019.05.09
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Die革命~医療完成時代の生き方
奥真也 / 大和書房
お前はすでに死んでいる。いやまだだ
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ユヴァル・ノア・ハラリは新たな人類の課題は不死と幸福と神聖の獲得であり、ホモ・デウス(神)を目指すのだと予言する。2016年の世界の平均寿命は72歳、40年間で10歳伸びた。100年前には30代前半だ…ったがスペイン風邪の大流行のため20代に落ち込んだこともある。現在の世界人口は76億、2100年には110億になると予想されているが子供の数は今と変わらない。現在女性1人あたりの子供の数は2.5人。すでに子供の数の増加は横ばいになっている。
15歳ごとに区切ると30歳までの人口が40億、75歳までに15歳ごとに各10億というのが現在の姿だ。2060年、今の30歳はほとんど死なずに75歳になる。この時の人口が約100億だ。世界人口は120億で安定すると言われている。つまり平均寿命は90歳にはなるというのがごく一般的な見方だ。日本の平均寿命は84歳なので乳幼児死亡率の高い国の経済が発展し社会インフラが整えば現在の技術レベルでも90歳というのは普通に達成できるレベルということになる。
Die革命はさらにその先の世界だろう。平均寿命が105歳になれば人口は140億に120歳になれば160億になる。「すべての病気を克服してしまうのが、『医療の完成』だとするならば、現在は9合目まで来ている」。エイズはすでに治療可能な病気になっている。がん治療では分子標的薬や光免疫療法などがんを克服する治療法が着実に成果をあげている。
最後の1合には最も困難な3種類の病気が残る。
1 発見・アプローチが難しい病気
2 症例が圧倒的に少ない病気
3 急死
https://www.japan-who.or.jp/act/factsheet/310.pdf
ファクトフルネスのレビューに同じことを書いたのだが2016年の世界の死者数5670万人のうち300万人が亡くなった感染症のトップは下気道感染症(気管支炎や肺炎)、次いで140万人が亡くなった下痢性疾患、130万人が亡くなった結核が死因のトップ10に入る。また道路交通障害140万人が最大の傷害となっている。自然災害は恐ろしいものだが死因の0.1%に過ぎない。高齢者が恐るべきは誤嚥性肺炎ということになる。年寄りは歯を磨こう。
Die革命の最初の課題は最大の死因である虚血性心疾患(心筋梗塞・狭心症)、脳卒中などの急死を防ぐことだろうか。「近くに人がいない孤立した環境は容易に『急死』を呼び込んでしまう」日本では奥さんの書いているように医療を支える財政の方が問題だろう。ITの発展で急死の原因を自動で通報できるようになったとしても物理的な移動手段が維持できるかと言った問題は残る。またAIによる診断が実際には生身の医者を超えていたとしても誤診を許せるかは社会が受け入れられるかだ。自動運転が当たり前になれば急死にも効果的に思えるがこれも同様だ。
この本でも紹介されていた遺伝子を編集する「神のハサミ」クリスパーcas9を発見したジェニファー・ダウドナは自書で「科学者よ、研究室を出て話をしよう」と結んでいる。遺伝子編集という画期的な技術を社会全体が受け入れられるのかはまだわからない。そして人生150年となったとして長寿を積極的に受け入れるには個人と社会の財政的な裏付けが必要だ。それでも最初の一歩はそれがすでに起こった未来だと知ることからだろう。本書もその一つ。 続きを読む投稿日:2019.05.26