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はじめての確定拠出年金投資
大江英樹 / 東洋経済新報社
入門編としてパーフェクトな本
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本書は大まかに3つのことを教えてくれてます。
1つ、確定拠出年金とは何か? そのメリット。
1つ、確定拠出年金を利用するにはどうすれば良いのか?
1つ、確定拠出年金を運用するための考え方。
確定拠出…年金と言われてピンと来ない人の方が多いかもしれません。
かくゆう私も、勤めている会社の退職金がこの確定拠出年金に切り替わって、その存在を知った口であります。
乱暴な説明では、「退職金の元本は会社で出すが、あとは社員が運用してお金増やしてね。」
という制度です。
本当に乱暴な言い方ですが、税金の控除と勤めている会社が倒産しても退職金が無くならないのは大きなメリットというでしょう。
特に資産の運営において、税金の控除に関しては最強だと本著では言い切っています。
企業の退職制度なら自営業の俺には関係ないじゃんと思われた方、ご安心下さい。企業型の他にも個人型というものがありますので利用できます。
自営業の場合は月に6万8千円が上限で積み立てる事ができ、年額81万6千円が控除対象となり、20万近くが還ってくる計算となります。
次に運用に関してですが、根本的な考え方を示してくれており参考になります。
「多くの人は手っ取り早く、自分が購入する銘柄をどれにしようかということから考えはじめます。でも、実はこれが間違いなのです。」
では、何を最初に考えないといけないのか?
それは自分の「リスク許容度」だと言います。
このリスク許容度と資産の配分を得てはじめて購入する銘柄を選ぶという手順となります。
ちなみにこの資産の配分とは、「貯蓄」「国債」「株式」への資産の振り分けです。
ここ資産運用配分(アセット・アロケーション)が運用成績の9割を決めるのだそうです。
また、この資産配分は「確定拠出年金」無いだけで考えてはいけないそうです。例えば貯金や土地を持っていれば、確定拠出年金では攻め行くべきであると。理由はいくつかありますが、大きく儲けても税金が掛からないというのが一番の理由です。
さて、この制度の要は運用もさることながら「お金を受け取る」ことも非常に大切です。
「一時金」として受け取ると退職所得扱いになって税制上得をしますが、年金のように分割して受け取るとことも可能だそうです。この場合は運営時の運営益に税金が掛からないので得ではありますが、振り込み時にかかる手数料を忘れないように注意喚起しています。
なんにせよ、資産運用の手段を多く持つことは悪い事ではないと思います。自分は企業型の確定拠出年金を運用してるので、個人型は利用出来ませんが、こんなものがあるんだと知って貰えれば僥倖です。 続きを読む投稿日:2017.03.25
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欧米の侵略を日本だけが撃破した
ヘンリー・S・ストークス / 悟空出版
奇蹟とは日本列島という環境そのもの。
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東京裁判を信じ切っていて、第二次大戦後は日本が一方的に「悪い国」と疑っていなかった方が書かれた本です。
かなりご高齢の方で、三島由紀夫氏や映画の「海賊と呼ばれた男」のモデルになった、出光佐三氏ともさ…れており、かなりビックリしました。
さて、この本の出版の目的は2点あり、あらましに掲げられています。
一つは、第二次世界大戦における日本が世界に与えた意味について。
一つは、反日の源である「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」はプロパガンダだということ。
この二つを証明するために、日本という国の成り立ちや中国(中華人民共和国にあらず)と朝鮮の国の成り立ちから、説明がなされています。
中国では基本、滅ぼし滅ぼされる歴史であるため、民族を超えて手を結ぶには「外敵」の存在が不可欠なことと、基本外国人に支配されることになれていることです。秦の始皇帝から淸、そして中華人民共和国の支配層はみんな外国人であるのですが、日本では「中国」と片付けてしまい、特に日本は建国から現在まで「同一の国」であることから、「中国」も同じだと考えてしまい、本質から目を反らしてしまっている問題点があります。
また、「日本最古の文化」は縄文時代だと思われてきましたが、縄文時代よりも前に土器や磨製石器が出土の話や、青森では15mの建造物が発見された話が振られており、新発見の昂揚が伝わってきました。
また、「道徳」と「モラル」の違いについては目から鱗が落ちました。「人に迷惑をかけても、法令遵守であれば、それはモラルのある人」という事実に衝撃を受けました。この事実は、「モラル」を持っていても「道徳」がない社会は荒んだ社会になるということです。前述の出光佐三氏との対談で「モラル」と「道徳」の違いを語っておられます。
出光氏は、哲学者の鈴木大拙氏より「モラルは支配者が制定した規則や法律であり、道徳は皆が上手くやっていくための決まり事」といったことを教わったことです。端的にいうと、「モラルはルールさえ守っていれば他人の迷惑まで言及しない。道徳は人に迷惑をかけないための決まり事。根本的な違い」があるのです。この道徳とモラルが違いは、まさに日本の皇室と世界の征服者の違いでもあるのです。そして、この違いこそが日本建国から21世紀の現在まで現存している理由でもあるのです。
神道にも触れられています。これからは神道が世界の信仰となる。と、予言めいた書き出しで始まるのですが、ちゃんと根拠を示して説明されています。
従来、神道はアニミズムという原始的な宗教に分類されてきました。アニミズムは「高等宗教」とされる「英知を持つ人格神である創造主の解き明かす世界観」と比べるとレベルの低い教えだとされてきましたが、人格神の説く教義は人間が頭で考えたような諭しさがあり、大自然が教えてくれるような叡智が感じられない。と、訴えています。
敬虔なクリスチャンの一人である、サンマリノ共和国のマンリオ・カデロ駐日特命全権大使がこう語ったそうです。
「大自然こそが、神ですよ」
まあ、この人もかなりの親日家ではありますが、大の皇室好きでありますが、本音だと思われます。
キリスト教では創造主が、人間のために自然や他の動植物を創造したことになっているが果たしてそうだろうか? 神道では神々や自然でさえ大宇宙の中で生かされている。これは、古事記の世界創世の中で神々が生まれていく姿を描いており、それは物理学者の間で定説になっている「ビック・バン理論」と近似していることに、著者は驚いています。
「古代日本人はどうやって、このような宇宙創成の物語を思い描くことができたのだろうか。想像力によるのか、それとも霊感によるものだったのか」
と、感慨に耽っていますが、本当にどうやってご先祖様はこれらのことを思いついたのでしょうね。 続きを読む投稿日:2017.09.10
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人類を超えるAIは日本から生まれる
松田卓也 / 廣済堂出版
人工知能は21世紀の産業革命となるのか
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人工知能が人類を超える。まさに、SFさながらターミネーターのスカイネットが人類に対して宣戦布告する話を想像するかもしれませんね、この本のタイトルだと。(そういえば、スカイネットを作った会社と同名の会…社が日本に存在してました。)
確かにこの本には、SFで人間に反旗を翻す(一部例外もあり)映画を紹介してますが、著者を始め人工知能の専門家は、そういうことは起こりえないと断言しています。
人工知能といっても、その知能をどこまで人間に近づけるのか?
実は人工知能の専門家によって知識、感情、人格の全部、または一部と求めるものが大きく違い、したがってアプローチも違っているのです。
人工知能はチェスに続いて囲碁の世界チャンピオンにも勝利しました。ただし、この人工知能はチェスや囲碁への特化型であります。
特化型は決められたある分野では人間の能力を超えてきましたが、それしかできません。
なので、汎用的な人工知能の開発がこれからのメインとなってきます。有名どころでは、Google、IBM、フェイスブック、マイクロソフトがインターネットを元に情報を集めて人工知能に資金と技術を結集して、本気を出してきました。
特にIBMは、渡辺謙がCMで会話している「ワトソン」が有名ではありますが、これとは別に人間の大脳新皮質の再現を目差しているジェフ・ホーキンスと共同開発を始めています。
ちなみに、人工知能の開発者のなかには、「宇宙の神秘を解明」が目的で手段として人工知能を生み出そうとしている人がいます。先のジェフ・ホーキンスやGoogleに会社を買収されたデミス・ハサビスがそうです。
さてさて、日本での人工知能の取り組みはどうなっているのか?
日本は過去、国家プロジェクトで第5世代コンピューターというものがありました。「○○の場合は、○○する」というルールを積み上げていけば、人工知能ができるのではないか? そういう考えで1980年代に研究されていましたが、このプロジェクトは失敗します。もっとも、同じ「ルール型人工知能」を研究していた外国勢も失敗してましたが。このプロジェクトの本当の失敗は、人間の知能を過小評価していたからだと言われています。
では、21世紀の日本では、どのようなアプローチで人工知能を開発されているのか?
「全脳アーキテクチャ勉強会」というグループで汎用人工知能の開発が始められています。人間の脳の機能は、実はいろいろな部位からなりたっています。大脳、小脳、海馬、基底核、扁桃角などです。これらの同等の人工脳機械学習器を作って組み合わせれば、人間の脳と同等かそれ以上の人工知能を作り上げることができるという考えをもとに、全脳アーキテクチャ勉強会は活動を行っています。
冒頭では、人工知能が人類に反旗を翻すとは専門家は考えてもいないといいました。
でも、そういう考えは蔓延しています。例えば、起業家のイーロン・マスクや物理学者のスティーブン・ホーキングは人工知能における危険性を訴えています。著者はこれを「ハリウッド的世界観」と切って捨ててます。
なぜ、ここまで温度差は大きいのか? それは、ハリウッドに出て来る人工知能を作り上げることがほぼ不可能なことを、専門家は知ってるからにほかなりません。
ただ、人工知能が発達すると、別の意味での危険性は存在します。
まず、人間は仕事を奪われます。下手すると芸術家も仕事を奪われます。ただこれは、ギリシャ・ローマ時代の再来になると予想している人もいます。いわゆるギリシャ・ローマ時代は労働を奴隷が行っていました。この奴隷の部分を人工知能が担うことで、人間は遊んで暮らせる世界が来るという予想です。
もう一つの危険が、格差の拡大です。いわゆる、人工知能を手に入れた国家はより発展をしていき、人工知能を持たざる国は支配されていう世界です。
これらは、どちらも人工知能がもたらす問題ではなく、人間側の問題ではありますが。
人工知能は21世紀の産業革命になり得るでしょう。なぜなら、生活が想像絶するくらいに一変するからです。
産業革命に乗り遅れた国は、世界の主流から取り残されました。この流れに乗れなければ、日本も今の世界的立場でいられる保証はありません。
そして、日本はこれから少子化の影響で人口は減っていくでしょう。でも、これはある意味チャンスなのかもしれません、少ない人口で社会を回るように社会変えていくのに人工知能は手段の一つとして有用なのですから。
世界は2030年を目標にプロジェクトを走りだしています。日本がこれに追いつき追い越す為の切り札が、齊藤元章氏の人工知能プロセッサ「NSPU」です。最後の章は著者と齊藤氏対談が載せてあります。 続きを読む投稿日:2016.08.21
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天才数学者たちの超・発想法
柳谷晃 / 大和書房
学問とは違う、数学の顔
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タイトルを見て皆さんは、どのように感じましたか。
世間一般では学問である数学は一部の天才達が造りあげてきて、一般人には縁がないもの・・・・・と、思ってないでしょうか。
本著では、この考え方を真っ向…から否定しており、現在、そのような考えが蔓延しているのは数学者の怠慢だと手厳しく批判しています。
また、数学の一般への応用について「機械を使えば簡単」という考えは、現代人のうぬぼれとだと、数学者以外に対して手厳しくもあります。
この本は、数学の歴史を紹介していますが、生活にどのように役にたってきたかに焦点を当てています。
「0」を発明したのはインド人ではあるが、それより遙か昔、バビロニア人は「ゼロの概念」を使って計算をしていた。という話を、小学生向けの講演で行うと、「混乱する」とクレームを入れる親。子供が理解できればいいのだからと思っていると、同じ教育関係者からもクレームが入るそうです。大丈夫か日本?
小学生向けの授業は「簡単」だから行っているのではなく、「学問の基本」を小学生に教えている事実に気付いていない人が多すぎるとのこと。
このことで思い出したのが、「小学生がかけ算を使って回答した問題に、教師が「×」に対して「これなに?」とコメントをつけて不正解」した話です。
この投稿に対して閲覧者のほとんどが教師を批判していましたが、誰も「テストの目的が足し算を理解を計るもの」ではないのか?と、誰も言及していないことに恐怖を覚えました。
テストとは行った授業に対してのフィードバックの一つです。いくら正解だからといって、答えを導く過程が授業となんの関連性もなければ、授業を理解できていないと見なして不正解にしたことは批判される謂われはないと思うのですが。
ネットの声を後押しされて、学校にクレームを入れる親御さんがいたとしたら、他人事ながら恐怖を感じてしまいました。
話を元に戻して、論理思考についても語られていました。「数学の論理」と「スピーチの論理」は、全くの別物であるから、数学を一生懸命にやっても、論理的に話せるようにはならないそうです。「数学を勉強すれば、論理的思考が身につく」という発想は短絡的なのだそうで、皆様気をつけましょう。
本著では、「歴代の数学者達が、頭を抱えて込む発言だ」と表現をしており、それはあんまりだと読んだ瞬間はそう感じましたが。よく考えれば、「論理的思考」と「相手に理解できるように話す」技術は別物ですね。
この本を読んで、数学の歴史を学びつつ著者のボケ・ツッコミを堪能していくと、今まであった数学のイメージが粉々になっていく感が、読んでいて楽しかったです。 続きを読む投稿日:2017.08.27
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非言語表現の威力 パフォーマンス学実践講義
佐藤綾子 / 講談社現代新書
コミュニケーションの効果を狙って、あえて間違った文法を使うのもあり!
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コミュニケーションにおいて、言葉だけでなく表情や仕草といった非言語の情報を受け取り判断するといった話はいろいろな書籍が出ており、根幹の部分では本著には目新しいものはありません。
とはいっても、欧米で確…立した学問が、言語も仕草や文化が異なる日本人にそのまま当てはめていいのか?
そういう疑問をもった方には一読する価値はあります。なぜなら日本人を相手にした追試を行われた上で、執筆されているからです。
また、オバマ大統領や安倍首相の演説やSTAP細胞で一躍有名になった小保方氏の謝罪記者会見の分析を行っています。特に、阿部首相は第1次と第2次の比較もしており科学的に分析しています
1次とくらべて2次では格段に身振り手振りや表情の生かし方に磨きがかかており、また言語のほうも「より分かりやすい」言葉と文の構成となっています。なぜなら、コミュニケーションとは、相手に理解してもらうことが大前提なのですから。
この辺は、「同じ内容」の話をする上で「相手」によって「単語」や箇条書きのように話す必要が出てくるということです。
特に最近は「カタカナ」の一言で片付ける風潮がありますので、気をつける必要がありますね。
さて、相手に納得させるには「分かりやすい言葉を使って」理解されることが大事なのですが、もう一つ大事なのが「相手の感情を逆なでない」ことも大切だと説いてます。
相手の感情を損ねないなんて当たり前の話ではないか! と、怪訝に思う人もいるでしょうが、これは謝罪をする場面で多くの人がやってしまっている過ちではないでしょうか。
それは、謝罪の言葉を発したあと申し開き(又は弁明)を行ってしまうことです。
これは、かなりの方は身に覚えがあるのではないでしょうか。少なくとも私は、自分のミスの報告でこの手の失敗をやった覚えがあります。
本著では小保方氏の謝罪を題材にして説明していますが、「謝罪の言葉のあと、直ぐに申し開きを行う」ことは、単純に「言い訳」にしか聞こえないということです。
「申し開き」は、あくまで先方が「謝罪」を受け入れてから行うべきであると、著者は語っています。
ここで、重要なのは「申し開き」を行うことが問題ではなく、「自分は悪くない」という態度だと思われ、「謝罪をしていない」と判断されてしまいます。
また、「怒りの地雷」を避けるために、あえて間違った文法を使うことも推奨されています。
例えば緊急の仕事を依頼された場合。
「分かりました。しかし、この仕事の後に取りかかります。」
「分かりました。そういうわけで、この仕事の後に取りかかります。」
どちらも、緊急の仕事を直ぐに取りかからないのは同じですが、「しかし」を使った正しい文章の方が反感を持たれるそうです。
なぜなら、「しかし」「だけど」「ただ」といった言葉は否定されたと、判断されるからだそうです。
これは本当に有効なのか、変な日本語と突っ込まれないか、試すチャンスが訪れないのが、目下の悩みではあります。 続きを読む投稿日:2016.06.04
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幸せになる勇気
岸見一郎, 古賀史健 / ダイヤモンド社
アドラー心理学は宗教なのか?
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前著「嫌われる勇気」から3年後の話です。
青年が図書司書を辞め、教師としてアドラーの教えを貫こうとしたが、挫折をしました。
やはり、アドラーの教えは間違いであることを認めさせるために、再び青年が哲人の…元に現れたところから物語が始まります。
嫌われる勇気」ではアドラー心理学の神髄を語り
「幸せになる勇気」では、アドラー心理学の実践する上での苦難を語っています。
「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解が難しい思想はない」
この一言につきます。
青年は「褒めるな」「叱るな」を実践したら、子供達に嘗められて教室が混沌としてしまった現状を嘆きます。
哲人は「子供のことをちゃんと見ていましたか?」と尋ねます。
この場でいうちゃんととは、「一人の人間として対等に、そして尊敬をして信頼していたか?」です。
人間関係においての「信用」と「信頼」の違い。
「信用」とは条件をつけて相手を信じること。
「信頼」とは条件なしで相手を信じること。
『相手を条件なしで信じることができなければ、相手は貴方を信じませんよ。』
ここで、ある漫画が頭によぎりました。
松井優征氏の「暗殺教室」です。
「ある日突然、謎の超生物がある学園の落ちこぼれ教室の担任になった。しかも、生徒達はこの担任を暗殺しないといけない」という突拍子もない設定ではありますが、ストーリーはよくできています。
青年は、子供達を愚劣な愚かな存在として扱っていますが、暗殺教室の担任は生徒とひとくくりにせず、子供達一人一人対等に接していきます。
この担任は子供達から信頼を勝ち得ますが、子供達は「大好きなこの担任を、自分たちは殺さないといけないのか?」と・・・・ 苦悶しながら、自分たちで解答を見つけていく。
作品自体は子供向けなのですが、根底に流れている問題は果てしなく深いので一読されることをお奨めします。
さて、アドラー心理学は全ての悩みは対人関係が原因であると考えています。
対人関係の問題を解決するには、如何にして「人から愛されるか」、「愛されるための技術」を磨けばいいのか?
否、必要なのは愛することが大切だとアドラーは説いています。
しかも、自分にとって都合の相手ではなく、ただ全ての対象を愛することが大切だと。
アドラーは「恋に落ちる」現象をだいたんに否定しました。前巻の「嫌われる勇気」では「トラウマ」を否定してましたが、今度は「恋に落ちる」ことの否定です。
大好きで大好きでしょうがない相手といざ恋人になったら、ぞんざいになるという話は珍しくない。
これは、「相手を征服して、自分の思いのままにしたい」衝動を恋だと勘違いしていると言い切ってます。
「怒り」のみならず「愛」も、自分の意思で出し入れできるものだと言えば、反感をかいアドラーの元を離れる人がでるのも納得です。
ちなみに、アドラーの元へ訪れる人の大半が、恋愛相談だったとか。
「先生、どうすればあの人から愛されるようになれますか?」
「愛されようとは思わず、貴方が愛しなさい」
アチャー、「まさに、話がかみ合わない」状態です。
ユングやフロイトとの心理学とここまで違うのは、人は真の意味で相手をコントロールすることが出来ないからです。コントロール出来るのは、自分のみ。
今、自分が出来ることは何なのか? これが出発点なのです。
アドラー心理学は机上の学問でなく、今利用可能のものを使って実践していくものなのです。
信頼されたかったら、自分から信頼する。愛されたかったら、自分から愛する。しかし、前著の「嫌われる勇気」のテーマであったように迎合する気持ちがあったら駄目です。
相手に気に入られれば、相手は「私」を信頼してくれるだろう、愛してくれるだろうと期待をしているのですから。
「信頼」や「愛」は見返りを求めない、無償の行為でなければならない。
アドラー心理学と宗教の違いは、決して弟子をとらず、自らキリストやブッタ如く、目の前にいる人に無償の愛を与えることであろうか。 続きを読む投稿日:2016.05.07