
ひとたびはポプラに臥す5&6
宮本輝
講談社
中国領の西域カシュガルからフンザを経て、ペシャワールまで
第5・6集に入ると、共産主義や漢族に対する怒りは全くなくなる。むしろ、パキスタン北部ののどかな(一部、灼熱地帯あり)、国の政治に属さないような地域を淡々と進むことになる。宮本氏は旅を通して、自分の過去・関連する文献に折につけて触れている。旅とは、結局自分を振り返ることかもしれない。フンザの最後の桃源郷は、『草原の椅子』でも登場することになる。
0投稿日: 2014.02.03
ひとたびはポプラに臥す3&4
宮本輝
講談社
灼熱と砂漠のウイグル地帯を行く
第3・4集は、トルファンからクチャ(鳩摩羅什の生地)を経てカシュガルまで。この本は決して紀行文ではない。宮本氏自身が遺跡などの観光資源に共感できないと言い切っているためか、これらの記述はほとんどなく、土地土地の風景や感触から、過去のデジャブへとつながり、その時の出来事や関連する文献などを記述している。でも、こんな形態の紀行文もありなのかな。
0投稿日: 2014.02.01
ひとたびはポプラに臥す1&2
宮本輝
講談社
1&2集 西安~トルファン直前 社会主義・漢族への怒り
第1集・第2集では、西安をスタートとしてトルファンの直前まで行くが、いわゆる『漢族』の領域である。政治には決して口を出さずと、何度も書いていながら、中国の文化・風景(あるいは風土性)を根こそぎ画一化してしまった中国社会主義に対して、大いなる氏の怒りが繰り返される。どこに行っても賄賂まみれの役人がはびこり、文化・慣習をなくした醜い漢族がいるだけだと。以降、ウイグルの世界に入っていくが、ここではどうか?
0投稿日: 2014.01.26
流星ワゴン
重松清
講談社文庫
死んじゃってもいいかな・・・とやり直しの微妙な関係
家庭崩壊状態となり、前を向く力もない主人公は『死んじゃっても良いかな』と思う。橋本さん親子の運転する流星ワゴンに乗り、家庭崩壊に至った重要な分岐点を数か所訪れて、実際には気付けなかった分岐点でのやり直しを経験する。現実にもどってみると、過去のやり直しは何の影響も与えていないが、主人公の心の在りようは、全く違ったもになり、再び崩壊した家庭から一歩踏み出そうとする・・・・。非常に過酷な現実を描写しながら、でも前を向いてという、最後は少しだけ光明の見える作品/秀作だと思う。
3投稿日: 2014.01.19
疾走(上)
重松清
角川文庫
これが重松作品ですか・・・異色です
重松小説は、前期の子供を中心とした家庭の日常をさりげなく描くものか(これはこれでみずみずしい)、後期の死(特に終わりのはっきりしている癌の余命宣告)にまつわる人生を模索するようなストーリーと考えていたが、『疾走』はこれらとは全く異質の作品。予期せぬ小説とは言え、ある意味ドロドロとした部分が小気味よい。
0投稿日: 2014.01.13
限界集落株式会社
黒野伸一
小学館
今後の農業の在り方の一端は示せたか!
元銀行マンが故郷(限界集落)に戻り、農業法人を立ち上げていくストーリーは、当初から順調に立ち上がり、こんなに上手くいくのか(特に、新規販路の拡大ってこんなに簡単ではないと思うが)と思っていると、後半に大きな『落ち』があった。最後はハッピーエンドの予定調和的なストーリーに終わったが、ある意味では、今後の自立する農業の一端を示していると思う。小説としては面白く読めた。
0投稿日: 2014.01.12
