bookkeeperさんのレビュー
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このユーザーのレビュー
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ハーモニー
伊藤計劃 / 早川書房
テーマはおもしろいのだけれど
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うーん、やっぱりそこまで良いとは思えず。。。おもしろいはおもしろいのだが、評判がよくて期待しすぎてしまったか。ヒトの「意識」をテーマにするのはよいけれど、虚構をホントらしく見せるのになんかもう一押し足…りない気がする。
しかし病気で死を意識しながらこういうのを書いたっていうのはなんだかドッシリくる。健康云々ってところじゃなくて、ヒトの「意識」を問題にしているところが。 続きを読む投稿日:2014.01.06
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職業としての学問
マックス・ウェーバー, 尾高邦雄 / 岩波文庫
熱いアジテーション
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ウェーバーによる1919年1月の講演。時は第一次大戦直後。ドイツは敗戦、革命、飢餓の混迷の只中にあった。解説によると、ウェーバーは愛国的な人物であったらしいが、この時代背景も考えると本当に気合のこもっ…た講演であったことが察せられる。講演ゆえに、勢いに任せたような面白さもある。
学問と政策の違いが説かれ、学問は主観的な価値判断から自由でなければならず、教師は政治的立場を生徒に押し付けてはならないとされる。一方、この講演は学問と言うより政策の口調で語られている。しかし学問はそれ自身が知るに値するものかどうかという前提については答えることができない、と言うのだから、学問の意義を語るには政治の言葉を用いるしかないのは当然なのかもしれない。
「学問の領域で「個性」を持つものは、その個性でなくて、仕事に仕える人のみである」 続きを読む投稿日:2017.03.12
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百年前の日本語 書きことばが揺れた時代
今野真二 / 岩波新書
明治期日本語の"虫"瞰図
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サブタイトルに「書きことばが揺れた時代」とあります。これを見ると、百年前≒明治期に、それまで安定していた日本語の書きことばが「揺れた」という本なのかと思います。しかし読んでみると話は少し違っていて、そ…れまで揺れ続けていた日本語表記が標準化に向かったのが明治期だったということです。
明治より前の日本語では、漢語は外来語であると(今よりかは)強く意識されていました。それがますます和語に溶け込んでいくのが明治期以降の流れで、ほかにも印刷物の普及や、学校教育による標準化で、現在の書きことばが出来上がっていく様子が描かれています。むかしは崩し字の活字まであったとか、トリビア的な要素も多くて楽しめます。
本書で少し気になるのは、とにかく事例が多く取り上げられているのですが、それらを総括して大きな流れを考察したりするところが少ない点。著者もあとがきで、自らの研究スタイルを「虫瞰」と称しています。ワタクシ個人としても、やたら声高だったり大風呂敷を広げるスタイルより、事実に語らせる「虫瞰」スタイルが好みですが、一般向けの新書であるので、さすがにもう少し説いて聞かせるようなアプローチでもよい気はします。 続きを読む投稿日:2014.01.06
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虐殺器官
伊藤計劃 / 早川書房
筆の勢いがすごい
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言語による認識、自由意志、進化論などをテーマに、近未来(ポスト9.11って感じ)の米軍暗殺部隊を描いているSFです。
たいへんに評判となった作品ですが、個人的には肌にあわないところがありました。とこ…ろどころ説明的で薄っぺらくおもえたり、”虐殺の器官”もちょっと拍子抜けの感が。。。それでも、筆の勢いというか一気呵成に書き上げた熱は読んでいて伝わってきました。欠点もその勢いとのトレードオフなのかもしれませんね。 続きを読む投稿日:2013.12.13
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傲慢な援助
ウィリアム・イースタリー, 小浜裕久, 織井啓介, 冨田陽子 / 東洋経済新報社
経済学者による途上国援助批判
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「プランナー」による「全ての貧困を終わらせる!」みたいなユートピア的アプローチの援助を批判し、もっと現場主義の「サーチャー」による援助をすべきだという主張。著者の考え方は市場メカニズム(インセンティヴ…、可視性&説明責任、自律性など)を重視したもので、第三世界の現状もあわせ考えると非常に説得力がある。
ただし学者の議論としては、あまりにも現場主義、ケースbyケースを強調すると「じゃあ、何も言っていないのと一緒じゃん」となる難しさはある。ある程度の一般化をする努力もいるのかなと思う。もちろん著者にしてみれば、援助機関の現状を踏まえると、とにかく無責任なユートピア的発想に一言物申したいのだろう。 続きを読む投稿日:2016.10.10
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仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解
植木雅俊 / 中公新書
もうちょっと一般読者向けの見通しが欲しい
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個々の誤訳・改変をあげつらうばかりで、仏教思想そのものの変化や、日中印文化比較についてはたいへんに手薄。テーマ設定は面白いのだけれどなあ。
サンスクリットを中国語に訳すときに漢字に置き換えるわけだが…、どうしても漢字が持つ意味に引っ張られて意味が変化するのがひとつのパターン。これは中国語ならでは。日本は基本的にその漢籍を受け入れていくが、道元や日蓮がなかば確信犯的に元の仏典の意味を読み替えている例が紹介される。例えば、原文では単に「釈尊が成仏したのはすごく昔」という程度の意味であったのを、「過去も未来も観念の産物でしかなく、我が身を仏とすることで、永遠の現在にその意味が開けてくる」と解してしまう。テキストが読み込まれることにより豊かさを増す。 続きを読む投稿日:2017.03.12