
流星 お市の方(上)
永井路子
文春文庫
お仕事ゆえの悲哀というのもある
戦国時代の姫君といえば、政略結婚を強いられ、実家と婚家の間で翻弄される悲しい存在。 が、永井路子はそれとは異なる戦国の姫君像を提示した。それが「女性外交官」というもの。 あくまで実家側に属し、あるときは友好の使者として、またあるときはスパイとして働く、 能動的で主体的な存在。 作者は姫君たちについてこんなふうに語る。 今の常識から言えば、彼女たちはたしかに孤独だ。 が、それに行き過ぎた同情をしめすのは、決して歴史的な理解とはいえない。 結婚が夫婦の合意に基づき、一つの単位、一つの原点とみなされるようになるのは 近代社会がはじまってからのことなのだから。 なるほど、そう言われればそうなのかもしれない。だが・・・ それにしては、永井路子の描くお市はあまりに切なく、苦しい。 外交官なのだろう、仕事をしているのだろう、 でも、全然割り切れていないではないか。 兄と夫の間で耐えがたい苦しみを味わっているではないか・・・? これは「仕事」なのか・・・? 初めて読んだ頃は、何だか不思議な感じがした。 が、社会人になってみたら、感じ方が変わった。 「仕事」というのは決して無機質なものではない。 仕事を通していろいろな人々に出会う。人間関係が生まれる。 だが、あくまで自分の職務に応じた接し方をしなければならない。 そこに葛藤が生まれる。泣きたくても泣けないこともある。 「仕事」の中で、お市は自分の感情に「誇りをかけた抑制」を繰り返す。 それがうまくできなくて自己嫌悪を感じたりもする。 今なら、なんかわかる。それが、「仕事」というものだ。 そうか、永井路子が描こうとしたのはこういうことだったのか。 なんというか、巧いな。 「同情するな」なんて作者に言われると、余計に悲哀を感じるではないか。 この作品より後、姫君たちを「女性外交官」として見る本も多く出た。 (特に大河ドラマ”江”の頃) だが、少々割り切りすぎているものも多く、違和感を感じた。 仕事って感情でやっちゃいけないけど、仕事だから感情がないというわけでもない。 やはり本書の描く「お仕事ゆえのつらさ」というのは、 女性だけでなく、仕事の中でいろいろな悲哀を感じることのある男女にとって魅力のあるものではないかと思う。 ある意味、歴史小説というより、現代小説のようにも感じる。
14投稿日: 2014.11.18
アルカサル-王城- 1
青池保子
プリンセスGOLD
歴史上の敗者に愛をこめて描くということ
ひどい男。なんてひどい男。これが、主人公でありカスティリア王であるドン・ペドロに対する第一印象。 だって、当時私は小学生だったのだ。自分と歳の近い幼い王妃に対する、王の理不尽な仕打ちに怒りを感じた。 若い王は、自分の母親を嫌悪していた。 ポルトガル王女に生まれたが、夫に愛されず誇りだけが自分を支えていた母。 王はフランス王家の傍流に生まれた幼い妻に、 自分の母と似た、人を傷つけ自分も傷つくような誇り高さを感じてしまう。 だから嫌う。 そこまではぎりぎり理解できたのだが。そう感じるだけなら許せたのだが。 王の、王妃に対する仕打ちに心が折れ、途中で挫折してしまった。 (リアルタイムの連載ではなく、単行本で途中まで読んだ) が、大学に入り、史学科に進むと、この作品を絶賛する先生や院生に多く出会ったので、再読した。 いろいろと衝撃だった。 まず、この主人公ペドロ一世は、歴史上の「敗者」であり、「勝者」によって書かれた歴史書には散々に書かれているということ。 しかし、ペドロ一世に惚れ込んだ青池保子が全力を注ぎ込んで描いたのがこの『アルカサル』なのだと。 何が衝撃って、所謂「判官贔屓」から始まったはずの作品なのに、 幼い読者に「ひどい人」という印象を与えまくるような場面をきっちり描いているということ。 つまらない「いい人」にしないということ。 『エル・アルコン』のレビューでも語ったが、いいところを描くばかりが愛ではない。 私が、あれほど王に対して怒りを感じたのは、 青池保子の愛が王を人間的で歴史的なリアリティに溢れるものにしたからだろう。 だって、中世の王様の思考回路なんて現代人女性には腹の立つものではないか(笑) それから、絵の緻密さに驚いた。 いや、最初からすごく細かいところまで描いているなあとは思っていたけど、 中世ヨーロッパ史の人々も納得するくらいであるということに改めてびっくり。 何よりも衝撃だったのは、私が、この王の生き方を許せるようになったことかな、何かすごく上からだけど(笑) これはまあ、個人的な成長ということなんだろう。 それにしても再読に値する本というのがあって、これなどまさにそうだろう。 これだけでなく、青池保子の作品は全般にそう。 『エロイカより愛をこめて』、『エル・アルコン』・・・マイナーなとこだと短編『ドラッヘンの騎士』などもよい。 読むたびに自分の変化や成長に気付かせてくれる。 年齢、性別問わずおすすめする。
9投稿日: 2014.11.17
放課後関ヶ原 1
阿部川キネコ
プリンセス
「雑誌」というものの良さを思い出させてくれる
前世は戦国武将な生徒が集まる関ヶ原学園、というよくある(?)戦国パロディ。その面での評価はまあ、普通(笑) いや、けなしてないよ?面白いよ?(笑)でもあえて違う方向に読んでみたらもっと面白かった。 このシリーズ、もう一つの側面があって、それは掲載誌『プリンセス』(秋田書店刊)をいじり倒す、というもの。 『プリンセス』はいわゆる少女誌の中でも若干読者年齢層が高めで、 歴女という言葉が流行る前からかなりコアな歴史物を常時連載していた雑誌である。 私の敬愛する青池保子先生も、やはり秋田書店で、中世イベリア半島など、 他の出版社だと書かせてくれなさそうな名作を生み出しておられる。 最近、単行本(・・・の電子版)を買うことが増えて『プリンセス』を含め、 雑誌を読むことが少なかったが、雑誌は当然、自分の興味のある作品も特にそうでもない作品もあり、 長編あり短編あり、シリアスありギャグあり、広告ありおたよりコーナーあり、 全部ひっくるめて「雑誌」になっている。 本作品も秋田書店との間でいろいろと話し合いあり(あとがき参照)、 プリンセスに「戦国で学園もので」連載することになった。 正直言うと、『プリンセス』の誌面で読んでこそ真価を発揮する類の作品なのだと思うのだ。 他の連載作品のパロディなどもあるので。 他の重ための作品の間にこういうのが入るとリフレッシュできると思うのだ。 だが、単行本であっても読んで良かったと思うのは、やはり「雑誌」のよさを思い起こさせてくれたこと。 作品というのが、作家と出版社と、同じ雑誌に連載している他の作家との相互作用によって 生み出されているということを、感じさせてくれたこと。 やっぱり秋田書店すごいなあ、と思ったのは、本作品序盤、 関ヶ原学園の学園長・加藤清正の登場シーン。 清正「ちなみに特技はダウンジング!水脈など一発だ!!」 主人公「はぁ」 清正「・・・。・・・。・・・まあ担当さんにも通じなかったネタだしなぁ、まぁよい!!」 註があり *加藤清正は治水において才能を発揮。明治神宮にある「清正の井戸」は恋愛パワースポットとしても有名 とのこと。 いや、「担当さんにも」ってところがね。 やはり、秋田書店の担当さんってのは、そのくらいの歴史知識を常識として求められるのか、 と改めて納得したのだ(笑) 戦国パロディとしても結構ネタがマニアックで、 それも面白いのだが、やっぱりこういうのが連載として成り立ってしまう 『プリンセス』を雑誌としてトータルに読みたいなあ、と思えてくる。
7投稿日: 2014.11.16
長勝院の萩(上)
杉本苑子
講談社文庫
静かなタイトルの裏にある愛憎流転
徳川家康の後継者となったのは三男・秀忠。では、長男と次男は? 長男・信康は悲劇の人として知られる。母・築山どの共々、家康によって死を与えられた。そして、次男は…。 本書は、家康の次男とその母、長勝院(お万の方)の物語である。 幼い頃は於義丸と呼ばれた次男の人生もまた数奇なものである。 だが読んでいて、前半から中盤過ぎにかけて一番存在感を感じるのは やはり長男・信康とその母の築山どのである。 築山どのとお万の方の間の確執は史料にもあるらしいのだが、 この物語では、築山どの、お万の方、信康、於義丸の結びつきをより悲劇的に、運命的に描いている。 彼等をつなぐ象徴的なものが「萩の花」である。 運命を狂わせる重要な場面には萩の花が登場する。 萩の花を見て、忌まわしくも愛おしい記憶が蘇る、そんな場面が何度もあるのだが… 萩とはどんな花だっただろう? よくある花だ。 作品中でも、豊臣秀吉が 「わざわざ浜松から持ってきてまで植えたそうだが、よく見ればへんてつもない野萩…。なぜそんなに御執心なのかな?」 とお万に問う場面がある。 私は『長勝院の萩』というタイトルを見たとき、長勝院・お万の方を萩の花のような女性として描こうとしているのかと思った。 それはある意味でそうだ。目立たないが、よく見ればすっと惹きつけられる萩の花のような。 でも、もう一つの意味を感じた。 萩の花は「よくある花」。 この物語の登場人物の悲劇なども戦国の世には「よくあること」。 だが、当人にとってはそれがかけがえのないもので、「ご執心」の対象なのだ。 一つのできごと、一人の人に対するそれぞれの人物の「温度差」を絶妙に描いている。 『長勝院の萩』のタイトルで発表し、『愛憎流転』というタイトルに変更し、 また元のタイトルに戻したというこの物語。 内容は愛憎流転なのだが、はやり、『長勝院の萩』というタイトルに静かな悲しみを感じ、合っていると思う。
7投稿日: 2014.11.16
新装版 和宮様御留
有吉佐和子
講談社文庫
最も無力であった人々に対する鎮魂歌
フキという市井の娘が、皇妹和宮の身代わりとなり江戸にゆく― こんなびっくり設定で、しかもそれが有吉佐和子の作だというのだから、読まずにはいられないだろう。 読みながら、ずっと気になっていたのは もちろん、フキがどうなるのか、ということだが、もう一つは この話、何か「材料」になる史料なり伝承なりがあるのか、完全な創作なのか、ということだった。 あとがきでそのことが明らかにされており、幕末に高田村の名主であったという豪農の一婦人が有吉佐和子のもとに来て語った 「とんでもない話」をベースにしているのだという。 作者がその「とんでもない話」を裏付けるいろいろな史料を用い、 じっくりと発酵させたこの物語は、「とんでもない」というよりも、 何故だかとても真実味のある悲しみに満ちていた。 その真実味のある悲しみは何に裏打ちされているのだろうと、 やはりあとがきを読み返してみたのだが、作者はフキをある状況下における 「犠牲者の中でも、最も無力であった人々に対する鎮魂歌として書いた」という。 どの状況下における、なのかはあえて伏せておくが、 私は少々驚くとともに(その発想はなかった)、やはり納得した。 作家を執筆に向かわせる力というものを、感じたのだ。 「和宮降嫁」という歴史的な事柄に興味がある人にも、 特に興味がない人にも、心に響く話だろう。
9投稿日: 2014.11.14
さよならソルシエ(1)
穂積
月刊flowers
作者がソルシエ!(笑)
炎の画家、と呼ばれたゴッホとその弟・テオを題材とした2巻完結の漫画。 こういうのは、別に予備知識なく読んでも面白いものなのだが、これについてはウィキペディアでも何でもいいんで、ゴッホ兄弟について、予備知識を仕込んでおいてから読むことを強くお薦めする。 そして、何より1巻だけでやめないこと! 何故かというと、この話のゴッホ兄(2巻表紙)は、一般に知られる狂気の画家とは全然違う。 天才的な画才を持ちながら、それ以外は至極平凡。 それに対して画才以外のあらゆるものを持っている感じの弟テオ(1巻表紙)は激しい嫉妬を感じながらも兄を全力でサポートする。 うーん??? 悪くはないけど勿体なくないか?割とよくある話ではないか? というか、何で非凡な人の人生をわざわざ平凡な方向へ? もしかしてテオを主役として引き立てるため??? うーん???史実と違う以前にそれは作品として成功しているのか??? …と思っていたのは1巻のことだったが。 2巻後半で怒濤の展開が! 何故作者が、兄を敢えて平凡な方向にしていたのかが明らかになるのだ! これは、想定外の展開だった。 有名な自ら耳を切り落としたネタとか、どこでどんな風に出てくるんだろう、 ゴーギャンとの関係はどう描かれるんだろう、つか、ゴーギャンまだ?とそわそわしながら待っていたら、 こんな形で持ってくるかー!? …という面白さがあるので、一般的なゴッホ兄弟像を持っている方が良いと思ったのだ。 もちろん、ストーリーとして自然かというとちょっと強引だ。 だが、手品が手品であるとわかっても、それがあまりに鮮やかであると、 魔法にかけられたような不思議な満足感がある。 そして、このタイトルに納得する。 さよならソルシエ(魔法使い) テオをソルシエとして描いた作者。 私からすれば作者がソルシエだ(笑) これからも、不思議な魔法をかけ続けてほしい。
12投稿日: 2014.11.13
時平の桜、菅公の梅
奥山景布子
中公文庫
あの人のことを知りたい、という悲痛な想い
藤原時平―菅公こと菅原道真を陥れ、その祟りによって死んだ人物。 こんな、史実と伝承が入り交じった形で知られる人だろう。 本書は、藤原時平を主人公とする話である。 私自身、上記のような俗っぽい認識しかなかったので、時平という「悪人」をどのように描くのか、楽しみに読んだ。 また、この作者とは『源平六花撰』という短編集で出会ったのだが、 やわらかく美しい文章が印象的だった。 さて、時平15歳の春から、物語は始まる。 太政大臣を父に、皇女を母に持つこの藤原氏の跡取りが感じるプレッシャー。 「権勢を誇る藤原氏」というよりは「権勢を誇らなければならない藤原氏」なわけで、 「藤原氏である故に出世できる」というよりも「藤原氏であるというだけで人から疎まれる」 コインの裏表を上手く描いている。 で、菅原道真は、時平にとってどんな人なのかというと・・・ あこがれの人 という感じである。時平より25歳ほど年上で、家柄は低いものの学識深く、時平の苦手な漢文もパーフェクトな道真。 時平が道真にファンレター(?)を送り、そのお返事をもらう場面がある。 初々しく感動に打ち震える時平少年が何ともかわいい。 そして、この人たちがどうして対立することになるのだろう?と切なくなる。 時平は、藤原氏の嫡男であるが故に、精神的にいろいろと痛めつけられながらも、ある信念を持つようになっていく。 道真はため息をついて言う。 「時平さまは、やはり、どうしてもそこを中心にお考えになるのですね」 「そこ」がどこなのかは、かなりネタバレになるので書かないが(藤原氏とかではない)、 道真は「そこ」が重要であるとは考えない。時平には理解できない。 ゆえに、だいたい世間で知られているような展開になっていく。 道真のことをわかりたいのにわからない。 そんな時平の悲痛な思いが伝わってくるのは、構成の巧さもあるだろう。 タイトルだけ見ると半々くらいに登場シーンのありそうな二人だが、 実際のところは、9割くらいが時平の内面を描くものである。 道真は、理解を超えた天才として時平の前に、そして読者の前に現れるのだ。 もちろん読者は道真の考えについて、外交史の本を読めばもっと知ることができる。 本書の道真の思考の設定はもしかしたら大胆すぎると感じるかもしれない。 が、それもいいと思うのだ。 わかりたいということ、想いを届けたいということ。 それがうまくいかないということ。 そんな物語として読む。それはそれで味があると思うのだ。
9投稿日: 2014.11.12
新暗行御史(1)
梁慶一,尹仁完
月刊サンデーGX
韓流ブーム以前、韓国人が日本人に贈ったエンターテイメント作品!
暗行御史というのは、朝鮮王朝時代に実在した役人で、作者の言葉を借りれば、お忍びで悪事を曝く水戸黄門的存在。 なのだが、これは、暗行御史と名乗る何かすごい人・文秀が活躍する異世界ファンタジー。 そしてちらほらと韓国の有名な昔話が散りばめてある。 …って韓ドラオタじゃない日本人にはハードル高くなか!?と思ったのだが、結構大丈夫。 なぜって、これはもともと韓国の昔話など知らない日本人を読者として想定して描いている。 そもそも、この連載が始まったのは所謂韓流ブームの前なので・・・。 韓国歴史ものがマイナーだった時代、今となっては懐かしい(笑) コラムが面白く、「こういうの日本で通じるかな?」と試行錯誤する作者が何だか微笑ましい。 そして見つけ出したものが、国や時代を超えた面白さを持っている。 「春香伝」という朝鮮王朝時代の恋愛物語がある。 日本でもCLAMPが漫画にしたので知っている人もいるだろう。 ハッピーエンドであるはずのこの物語、「新暗行御史」では暗ーいエピソードとして挿入されている。 ちょっとびっくりしたのたが、コラムによると、韓国人も殆ど知らない原・春香伝はこういう暗いものだったという。 そうなの!? 確かにグリム童話なんかも、子供向けのお話と原典がかなり違ったりする。 その他にも「韓国人もびっくり」な話がいっぱい。 CLAMPや皇なつきなど、韓国時代もの漫画を描いている作家が日本にもちらほらいるのだが、 それらについてコラムで語ってくれるのもファンとしては嬉しい。 そもそも私は皇なつきの『李朝・暗行記』で暗行御史の存在を知ったわけだし。 韓国人から見ても魅力的な作品、と言われると自分のことのように嬉しい! (CLAMPと春香伝の話は1巻、皇なつきの話は2巻) 韓流ブーム以前から、こういうサブカル交流があったんだなあ、としみじみ。 異世界ファンタジーとしても、異文化交流ものとしても面白い。
8投稿日: 2014.11.12
岩倉具視 言葉の皮を剥きながら
永井路子
文春文庫
「小説」であることを求めてしまう、魅力的な人物造形
すごくいいのに、何かが惜しい。 そう思うのは多分、私が永井路子の小説が好きで、そしてこれが小説ではないからだろう。 本書は「評伝」というジャンルに属するらしい。 サブタイトル「言葉の皮を剥きながら」の通り、 「尊王攘夷」や「佐幕」といった言葉を剥きとり、その裏にある実態を 推測していくというものである。 塩野七生にしてもそうだが「歴史家ではない」という特権(?)をフル活用し、 鋭く大胆な推理を繰り広げており、面白い。 小田中直樹が『歴史学ってなんだ?』という本で言っているとおり、 歴史家は史料で裏付けできないことは「わからない」としか言えないが、 小説家は裏付けできなくとも史料からもう一歩踏み込んだ推測をすることができる。 本書はそういう意味で、塩野七生の『ローマ人の物語』に近い性格のものだ。 それで、何が不満なのかというと、別に不満なのではない(笑) ただどうしても自分の好きな「永井路子の小説」と比較してしまうのだ。 特に本書の場合、冒頭でデビュー作『炎環』についての言及があった。 あの名作を書いたときの気持ちを思い出しながら書いた、などと言われると、 読者としても、『炎環』を思い出しながら読んでしまうではないか。 本書はいろいろな学説を吟味した上で、岩倉具視とその周りの人々を描いている。 きっと、『炎環』を書くときも、こんな風にしっかり下準備をしたのだろう、と考える。 言葉の皮を剥いて剥いて、できあがったのが、あの悪禅師・全成たちなのだろう。 そんなことを思うにつけ、本書の先にある「小説」を夢想してしまう。 岩倉具視、孝明天皇、徳川慶喜、堀河紀子(具視の実妹)・・・ 「歴史家」には書けないような、エンターテイメント・文学作品としての人物造形がもうしっかりできあがっている。 幕末版『炎環』の輪郭のようなものが見えてしまう。 それだけに何だかものすごく歯がゆい。 でもそれは私が『炎環』を初めとする永井路子の小説が好きすぎるからで、 別にそうではなく幕末に興味を持つ人には、普通に面白い評伝だろう(笑) 何より、あとがきで読むことのできる、本書執筆を通して関わった岩倉家の方々とのエピソードがまた何だか深い。 これ一本でも小説になるのでは、と思ってしまう。
10投稿日: 2014.11.11
管仲(上)
宮城谷昌光
角川文庫
作者の円熟を感じる、主人公の陰影
宮城谷作品の主人公は若干インパクトが弱いと思う。爽やかないい人すぎるのだろうか。 が、本作品は違った!初登場シーンから、いきなり陰気な顔で根暗な台詞を吐いて衝撃を与えてくれた(笑) 宮城谷氏は偉大なる宰相・管仲を疵だらけの人間として描く。 親兄弟とも、婚約者とも上手くやれず、主君選びも失敗する。 言葉にも陰があって棘がある。 特に何をしたわけでもないのにいろんな人に嫌われたりする。 (何かした場合も多いのだが・笑) 管仲といえば、「管鮑の交わり」という故事成語にもなってしまうほどの、「鮑叔」との友情。 これがとても魅力的。 陰の管仲、陽の鮑叔。 もうちょっと言えば、出会った頃は、 「大人げない大人」な管仲と、「大人な子供」鮑叔であった(笑) そのひねくれたお兄さんと仲良くできる君は偉いよ、と鮑叔に対して思ってしまう(笑) どちらかといえば宮城谷氏は、本作品の鮑叔のように、 歳の割に大人びていて、苦労しているのにその苦労によって歪むことのない人物を主人公にすることが多い。 それはそれでいいのだけれど、やはり、主人公の周りにいる「クセのある人」の方が魅力的に感じた。 宮城谷作品で主人公がクセ者ってのはないのだろうか、と思っていたところ、 まさかの屈折管仲! 伏兵すぎて笑った。 春秋時代の超大物をこんな風に描けるんだなあ、と 私の宮城谷ワールドへの評価はますます上がった。
10投稿日: 2014.11.10
