崩紫サロメさんのレビュー
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アルスラーン戦記(3)
荒川弘, 田中芳樹 / 別冊少年マガジン
原作ファンが1~3巻を通して読んだ感想。
48
このマンガは原作よりも少々テンポが速いので、カットされたエピソードや、違うところも多い。
そして、1巻冒頭の第1話は、原作にはないオリジナル部分である。
もう少し具体的に言うと、主人公アルスラーンは…パルスの王子である。
パルスとは中世ペルシアをイメージした架空の国であり、
原作冒頭でルシタニアという一神教の国家の攻撃を受け、
タイトル通りの「王都炎上」から始まる。
ルシタニアは作者が原作で書いているとおり、神の名の下に一般市民を虐殺する十字軍や、
中南米の古代文明を滅ぼしたスペイン人のイメージから作り上げた架空の国である。
故に読者にとって、ルシタニアは「悪」の印象が強い。
もちろん、読み進めるに従い、ルシタニアや、他の国々に出てくる
登場人物の魅力や悲哀がわかるようになってくるのだが、
原作序盤でそうした印象を持つことは難しいだろう。
だが、このマンガの序盤は、「王都炎上」より少し前、
ルシタニア人の少年が、同じ年頃のアルスラーンに出会うところから始まる。
アルスラーンのことを王子だと知らないまま、少年は、
パルスに対して、ルシタニアに対して率直な印象を語る。
少々アクロバティックな展開ではあったが、
作品において、「主人公と同年代」という存在が持つ大きな意味を感じた。
そりゃ、ルシタニアにはルシタニアの言い分があるということは、
原作を読めばちゃんとわかる。わかるように書いてある。
多分、小説よりマンガの方が視覚的な印象があるせいか、「善vs悪」という構図ができあがりやすい。
最初のルシタニア人の少年のエピソードは、読者に、「そうではない方向」へと導いてくれる。
ルシタニア軍の侵攻を受け、落ち延びるアルスラーン達。
原作を最初に読んだときは、ルシタニア兵のことなど考えなかったが、
このマンガでは考える。やっぱりあの少年は「視点」を増やしてくれた。
ここまでが2巻までの感想。
レビューを3巻の方に書いたのは、その少年が2巻末で再登場し、3巻でアルスラーンと再会するからだ。
そこで、原作読者には「そういうことか!」という展開が待ち受けている。
さ、流石は『鋼の錬金術師』の作者、この原作の絶妙な改編具合が錬金術のようだ。
3巻時点で、原作との整合性をどのようにするのか、
そもそも原作が未完なこと自体、どうなるのか、などいろいろ不安要因はある。
だが、荒川さんの錬金術(?)で、原作にできないこともできるような気がしてきた。
以上、3巻までの感想。
マンガとしての完成度も高いように思うので、
原作未読の人の方が、もしかしたら素直に楽しめるのかもしれない。
続きを読む投稿日:2015.02.10
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三国志全八冊合本版
吉川英治 / 吉川英治歴史時代文庫
作者とともに本を作ってきた講談社の人々に敬意を表して!
44
吉川英治の三国志が、歴史小説としても、三国志ものとしても名作であり、定番であることは、今更語ることでもあるまい。著作権が切れたため、いろいろなところから書籍や電子書籍も出版されている。
だが、私はあえ…てこの講談社版をおすすめしたい。
他社のものが誤字が多いという噂を聞いているが、自分で確かめたわけではないので、その理由で言っているわけではない。
松田 奈緒子の『重版出来』という漫画を読んでいて思ったのだ。
書物というのは、著者だけで作るものではない。
編集者、営業、宣伝、製版、印刷、デザイナー・・・いろいろな人々の努力があって、はじめて売れるものなのだ、と。
吉川英治と講談社の縁は深い。
この『三国志』はもともと新聞小説であったが、書籍の形ではじめて出版したのは講談社であった。
(当時は大日本雄弁会講談社。戦前の話である)
その後も講談社の担当者が吉川英治の家まで原稿を取りに行き、言葉を交わす中でたくさんの作品が生まれている。
(原稿を取りに行っていた担当者が、吉川英治から子犬をもらった、など心あたたまる話も聞いた)
講談社版も何種類かあって、序分をカットしたために評判の悪かった5冊本などもあったが、こちらは、
長く定番として親しまれてきた吉川英治歴史時代文庫版だ。
ただこのバージョンだと、10章立てものを8巻にしたため、章が途中で切れるというデメリットもある。
しかし、全一冊合本となるとそれもさして気にならない。
しかも結構お得な価格だ。
おすすめしないわけがない。
ちなみに、作中である人物が3度も殺されているのだが、これは講談社のミスではなく、吉川英治のミスである(笑) 続きを読む投稿日:2014.09.10
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虐殺器官
伊藤計劃 / 早川書房
これだけのテーマが一本の小説に収まるという奇跡
31
この濃密さとこの疾走感が両立すること―
改めて、作者の早すぎた死を惜しむ。
物語の始めの方で、読者は主人公が母親を殺したことを知る。
そして、このような「殺人」は自分の身にも起こりうるということも。…
生命維持装置を外すか否か。決めるのは家族。外せば死。
しかし、そのような状態で生きていると言えるのか?どこまでが生でどこまでが死なのか?
このテーマだけでも、十分、一つの小説になるだろう。
しかし、この話は、主人公が行っている違う種類の殺人と、
この「母親殺し」がクロスし、フラッシュバックする形で進行する。
彼は米軍特殊部隊に所属し、世界各地で「虐殺」を行っている「悪人」を暗殺することで、
世界の平和を維持するのが「職務」である。
こうした「正義の戦争」に対する批判、これだけでも一つの小説になりそうだ。
小説でなくてもよいかもしれない。
また、戦場での彼の葛藤。
自分のしていることは「職務」であり、「命令」の遂行であり、罪の意識から逃れたい。
しかし、その一方で、その罪が自分のものでないとすれば、
自分が自分でなくなってしまうような恐怖感を覚える。
このあたりの心的外傷は少し前に読んだ日本軍BC級戦犯に関する本と通じるものがあり、
戦争と心的外傷を巡る一冊の本になりそうだ。
そして何よりも「ことば」と人がどのように関わっているのかという根本的な問題。
言語論の入門書としても読めそうだ。
ブックマークをつけたところを振り返ってみると、
一体何冊分の内容が凝縮されているのだろう、とレビューに困る。
が、読んでいるときは、そうではなかったのだ。
主人公は、任務として”ジョン・ポール”なる”虐殺者”を追っていく。
普通に、続きが気になって読むのが止まらない、スパイ小説のような感じだった。
が、後になって付けたブックマークを見直していくと、何と濃かったことか!
良い作家に出会えた。
が、もう、この人の新作を読むことはないのか・・・と思うと残念である。
続きを読む投稿日:2014.11.05
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アルスラーン戦記1王都炎上
田中芳樹 / らいとすたっふ文庫
「無益なつくり話」の持つ魅力
23
最近荒川弘のコミック版も出て、再ブームの予感?なアルスラーン戦記。
原作電子版の出版を心から嬉しく思う。
久しぶりに読んでみて、やはり面白い、と思った。
どういう思いが、こういう面白さを生み出したの…だろうと、「あとがき、みたいなもの」という著者の後記を読んでみた。
田中芳樹は12世紀イギリスで書かれた「ブリテン列王記」という架空の「歴史書」を楽しく読んだらしい。そして
むろんこれは歴史事実に反するお話(ロマンス)ですが、作者のモンマスという人は、堂々とこれを歴史書として発表したのでした。
彼はこの架空の「歴史書」をつくりあげるのに、たいへんな努力と苦労をかさねげあげたようです。
私は右の話がたいそう気に入っています。つくり話も好きですし、無益なつくり話をつくるのに情熱をそそぎこむような人間も好きです。
政治目的がからんだり、権力者にこびたりするための捏造はいやですけどね。
と語っている。これが、アルスラーン戦記や銀河英雄伝説を描く原動力なのだろう。
ふと、「無益なつくり話」という言葉が心に響いた。
書物を書く以上、書きたいことがあるはずだ。
それが誰かに、何かに、「益」をもたらすものであれば嬉しいと思うのが人情だろう。
が、それは時として政治目的がからんだり、権力者にこびたりする捏造になってしまう。
そうするとお話(ロマンス)として面白くなくなってしまう。
そう思うと、「無益なつくり話」というのは、純粋に人の心を動かし、喜ばせるための物語ということだろうか。
そういうことに情熱をそそぎこむというのは、確かになかなかに素敵なことだ。
本書は中世ペルシアをベースとしながら、古今東西のさまざまな歴史要素をつめこんでいる。
そのため、何らかの智慧や教訓を引き出す読み方もできると思う。
だが、著者の願うところは、何かの役にたてるためではなく、純粋に物語を楽しんでほしいということか。
2巻に入って、この1巻のあとがきを思い出しながら読んだ。
王都を追われ、逆境にある未熟な王子アルスラーンの味方をするというのは、
多くの登場人物たちにとって益になるのかどうか、よくわからないところだ。
そして、読者にとって、アルスラーン戦記を読み続けることがどういう益になるのかもよくわからないところだ。
だが、人生とは何の益になるかわからないことを繰り返しながら、その中に喜びや悲しみを見出していく。
そんな意味で、こうした「無益なつくり話」を読んでハラハラしたり、喜んだりすることは、
それもまた人生の意義を感じることではないだろうか?
回りくどい言い方をしたが、ストレートに言うと、
面白い小説だから読んでほしい
ということだ(笑) 続きを読む投稿日:2015.01.10
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さよなら! 僕らのソニー
立石泰則 / 文春新書
「僕らの」?いやいやいや・・・
21
情緒的なタイトルの通り、情緒的な本である。
本当は「さよなら!」なんて言いたくないのだ、愛しのソニーに。そういう本である(笑)
まるで恋愛小説のような展開である。
少年の日の、家電店での出会い。
そ…れからずっと一緒にやっていけると思っていたのに、
君はいつから変わってしまったんだ?
ストリンガーが来てからか?それとも出井の頃から?
正直感情的過ぎるなあ、と思って一回放り投げた本だったが、
ここのところの業績不振ニュースで再読。
ああ、この人、本当ソニーが好きなんだなあ、と笑えてきてしまった。
ソニーの笑えない現状についての著者の分析は正鵠を得ていると思う。
要するに「技術のソニー」だったはずが
↓
「ソフトとハードの融合」などと唱えてみたものの
↓
明確なビジネスモデルを持たずにやってしまったため
↓
このありさま(苦笑)
ということである。製品のこと、幹部役員のことを具体的に挙げて説明している。
感情的な感じはあるが、残念ながら納得せざるを得ない部分も多い。
が、やはりひっかかるのだ、「僕ら」という言葉に。
私の惚れたソニーと貴方が惚れたソニーはちょっと違う。
著者はこう言う。
日本のソニー、日本国民のためのソニー、つまり「僕らのソニー」
と。確かに、ソニーには、戦後、アメリカでの人種差別と戦いながら成長することで、日本人に希望を与えた。
だが、だからこそ、「日本」という国境を越えることのできる会社で、「日本国民のためのソニー」などで終わるべきではないのではないか、
と私は思うのだ。私にとってのソニーとは、SONYであること、それだけなのだが・・・。
また、「ソニーらしさ」をいろいろ挙げているが、ソニーが世界に先駆けて行ってきた電子書籍事業について触れられていないことも残念である。
現在ソニーが行っている電子書籍事業は著者が批判する「コンテンツ・ネットワーク事業」であるが、
私はこのストアには、他の電子書籍ビジネスにはない魅力を感じる。それも新しい「ソニーらしさ」ではないだろうか。
(ただ、電子リーダー端末は継続して出して欲しいのだが・・・)
古い「ソニーらしさ」は確かに失われたのだろう。
だが、新しい「ソニーらしさ」も生まれつつある。
やはり、「さよなら!僕のソニー」だろう、この本は。
ソニーがいろいろな事業を抱えているように、ソニーに求めるものは十人十色だ。
この著者のような出会いと別れがあってもいい。
だが私はまだ、ソニーに「さよなら」を言うつもりはない。 続きを読む投稿日:2014.09.18
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最貧困女子
鈴木大介 / 幻冬舎新書
「世の中で、最も残酷なことはなんだろうか?」
19
本書で「最貧困女子」として扱われている女性は、
貧困のため、性労働によって、糊口をしのがざるをえない人々である。
実は、これは可視化されにくい問題である。
何故なら、日本のメディアにおいて、性労働に…関わる女性は
東電OL事件のような「心の闇」として、また、SNSを用いた子どもの「非行」
など、どちらかといえば倫理的な文脈で論じられているため、
「貧困」の問題であるという認識は持ちにくかったからだ。
しかし、著者は、そうやって見えにくくなっていること自体に危機感を感じ、
実際にどのような境遇で育ち、今どのように生活しているのか、
何人かの極限状態にある女性たち、また彼女たちの周辺にいる
闇金業者や性労働事業に関わる男性への取材をしている。
その中には知的障害や精神障害、発達障害を抱えている男女が少なからずいるということを指摘している。
これは、障害者差別につながる恐れもあるため、多くの本では取り上げることを避けてきた問題である。
だが、知的障害や発達障害を持つ子どもが親から虐待を受けることは普通の子どもよりも多いし、
健康に生まれても、親の虐待により、抑鬱状態になる子どももいる。
家出したり、施設から逃げ出したりした子どもたちに、
「自分の居場所」であると感じさせるものを提供したのが、
性労働事業者であるというのは、悲劇としか言えない。
強制連行されたわけでもなく、事業者との間に疑似恋愛関係のようなものを求め、
そうした仕事から抜け出せなくなっていく少女たちがいるということ。
しかし、「未成年」でなくなれば、市場価値が一気に下がり、その後は・・・。
逃げ出したくなるようなところを、よく取材したと思い、素直に感心する。
障害を利用する形で性産業に組み込まれているのだから、
「差別を助長する」などといって見て見ぬ振りをするわけにはいかないだろう。
著者はあとがきで
「世の中で、最も残酷なことはなんだろうか?」と問いかける。
「それは、大きな痛みや苦しみを抱えた人間に対して、誰も振り返らず誰も助けないことだと思う」
という。
「助けてくださいと言える人と言えない人、助けたくなるような見た目の人とそうでない人、
抱えている痛みは同じでも、後者の痛みは放置される。これが、最大の残酷だと僕は思う」と。
これは、確かに。つらい状況にあること自体つらいが、それが「つらいこと」だと思われない、
それは一番つらいことだろう。
本書で扱われているような人について、直接できることは少ないが、
彼女たち、また、彼女たちと関わりながらも、何もできずに忸怩たる思いでいる教師やケースワーカーたちのつらさ(これについては別の本を読む必要があるだろうが)について考える。
それが読者として最初にできることかもしれない。
続きを読む投稿日:2015.04.03