崩紫サロメさんのレビュー
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読書は「アウトプット」が99%
藤井孝一 / 知的生きかた文庫
そのためにReader Storeがある!
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紙の本で、もしくは他の電子書籍で買っていたらあまり目新しいこともない、と感じたかもしれない。
だが、本を買うだけ、読むだけで終わらせてはいけないという著者の考え方が、
このストアのあり方とつながるよう…に思えた。
数ある電子書籍ストアの中でSONYの優れている点は、「本を通して人とつながる」ということを大事にしているところだと思う。
あまり本書そのものの感想ではないが、このストアでこの本に出会えたことを嬉しく思う。 続きを読む投稿日:2014.08.02
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紫式部の欲望
酒井順子 / 集英社文庫
「読む」ということの中にも欲望は表れる
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酒井順子は『負け犬の遠吠え』という本で有名になった人である。
どんなに美人で仕事ができても、30代で未婚・子なしの女は負け犬、という、あの話である。
著者自身が「負け犬」そのものであるので、自信の裏返…しのような自虐、
そのベースとなる鋭い観察力と表現力を持った人だな、と感心した覚えあり。
そんな酒井順子が平安時代の才女・紫式部にざっくり斬り込んだのが本書。
からっとした気質の清少納言はエッセイという手段で自分を表現した。
が、じめじめした気質の紫式部は、フィクションというフィルターを通して
自分の欲望を表現した。では、その欲望とは?というのが内容。
「ブスを笑いたい」「頭がいいと思われたい」「専業主婦になりたい」
「秘密をばらしたい」「モテ男を不幸にしたい」
などなど、現代人も心の奥底にどこか持っているような見出しが目次に並ぶ。
確かに。源氏物語の登場人物は結構意地が悪いし、
物語の構成自体も意地が悪い。
が、それはとても慎重で上品(故に余計にたちが悪いかも)ないじめである。
著者はこう言う。
光があれば、必ずできるのが、影。
紫式部は、その影を描くのが上手な人でありました。
しかし、それと気付かれぬように対象をいじめるというのは、
さすが都人と言うしかない。
明らかに本人を傷つけながらいじめ行為に精を出す今の人々を見たら、
紫式部はきっと、「田舎者ね」と笑うことでしょう。
えーっと、そうなんでしょうけど、紫式部による巧妙ないじめに気付くことも、
その意地悪さを使って皮肉を言うところも、
酒井さんが意地悪じゃないか、と思う(←褒め言葉)
何度も何度も「出家する」と言いつつ、結局しなかった源氏。
酒井さんにかかると
「俺、会社を辞めようと思うんだよね・・・」
としょっちゅう口にしながらも絶対に辞めない人みたい、となる(笑)
そして、周りの女性は潔く出家していく。
源氏だけ何かかっこ悪い(苦笑)
源氏を「取り残される男」にすることこそ、源氏に対する紫式部の最大の復讐である、
と考える酒井さん。なるほど-!ざまあみろってやつですね(笑)
読んでいて思ったのが、「紫式部の欲望」であり、「酒井順子の欲望」だな、と。
人間、ものを書くときも自分の欲望が現れるが、
その読み方にもやはり欲望が現れる。
小説の人物に共感したりざまあみろ、と思うこと自体が、欲望の表出なのだろう。
物語というのは、書き手の思った通りには読まれないもの。
100人の読み手がいれば100の物語ができる。
私は、源氏物語が好きなので、他の人がどんな風に読んでいるのかを知ること自体、楽しい。
酒井順子が好きな人にはもちろんだが、
自分とは違った源氏の読み方を求めている人にもおすすめする。 続きを読む投稿日:2014.12.19
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「隔離」という病い 近代日本の医療空間
武田徹 / 中公文庫
「異なるもの」への排除の構図
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ハンセン病患者に対する隔離政策が誤ったものであったという認識は、
政府レベルでも、民間レベルでもほぼ一致しているのではないかと思う。
では、隔離政策とはもはや「終わったこと」なのか。
本書は、そう…ではない、という。
感染力が弱いから隔離しなくてもよいのか、感染力が強ければ隔離してよいのか?
本書で扱うのは「異なるもの=他者」に対する姿勢そのものである。
人が「異なるもの」に対して排除、隔離、忘却という思考・行動を取ることは、
他の例でも変わらない。
むしろ、ハンセン病問題を通して強く感じることができる普遍的な問題なのではないか、と。
本書は
第一章:ハンセン病を巡って近代日本がどのような対応をしたか
第二章:隔離政策を支えてきた価値観の枠組みの分析
第三章以降:隔離という方法をいかに人権思想と共存させるかを考察
という構成だ。
多くの場合、第一章の部分で断罪して終わるのであろう。
だが、第二章で、隔離政策に携わった人々の強い使命感(正義感)、隔離された人々の、
「他の人に迷惑を掛けてはならない」という思いを知ると、
とても根の深い問題であることに改めて気付く。
「主観的な夢」の脆さ、として著者は次の用に語る。
脆い理想像を信奉する人が、仮構性を忘れてその唯一絶対的な正しさを主張し、
自分たちとはちがう立場の人々=他者を排除していくことがありえる。
ここに挙げられていたのは賀川豊彦、神谷美恵子などのいわゆる「人格者」も多く含まれる。
では、どうすればいいか。著者の模索とともに、
読者自らも模索していかなければならない。
著者は隔離医療と人権思想の共存の試みとして
ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
に見られる、「最小国家」の概念が有効なのではないかと考える。
その内容については本書で読んでみてほしいが、
なかなかに魅力的、しかし、それをどうやって本書が「病んでいる」とする日本社会に取り入れていくかを考えると、また気が遠くなる思いだ。
複数の価値観が共存しあえる社会を。
この難しさを痛烈に感じる。
続きを読む投稿日:2015.05.12
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現代秀歌
永田和宏 / 岩波新書
歌を読みたい/詠みたいすべての人へ
16
現代ナントカはだいたい難しい。現代思想、現代音楽、現代美術・・・。
難解さの中に何かを見つけることが試されるような世界だ。
現代短歌の中にもそういうものもある。
だが、本書で紹介されている「秀歌」は素…直に読んで心に響くものばかりである。
何故なら、著者の永田和宏は歌人で、妻の河野裕子(故人)も歌人で、
二人の子供たちも歌人で、思いを伝える手段として歌を用いている人々である。
実は私もこの一家と縁浅からぬ学生短歌会で活動をしていた。
私が短歌を始めたときにはもちろん本書はなかったのだが、
本書に紹介されているような歌の中には、歌を作ったことのない人に、
作ってみたい、と思わせるものや、作り始めたばかりの人に
「こんな表現もあるのか」と思わせるものがたくさんある。
例えば本書にあげられている栗木京子の
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
こういうの、高校の頃に読んで「あるある!」と思ったものだ。
こうした青春の歌というのは、感情としても表現としても特に難しいものではない。
自分も作ってみよう、と思う。
でも平易な表現で心に深く響く歌というのはなかなかに難しい。
だから、短歌は奥が深い。
<おわりに>では、妻・河野裕子の死と向き合う著者自身の歌が収められている。
これは、『たとへば君 四〇年の恋歌』という夫婦の出会いから終わりまでを綴った書と重複するところがあるが、
本書のように、短歌をつくったことのない人に向けて、歌がいかに大切な表現手段になるか、
自分自身の経験として伝える上で重要だろう。
一日が過ぎれば一日減ってゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ
技巧的に上手いとか下手とかの次元で語るべきものではないだろう。
いかに彼女と過ごす時間が貴重か、それが残り少なくなっていくことにいかに苦しんでいるか。
著者のように、伝えたい相手に直接歌を渡す人は少ないかもしれない。
だが、誰に見せるでもなく思いを整理するのに、31文字というのは丁度良い長さで、
五七五七七というリズムは何故だかすとんと響く。
斎藤茂吉の『万葉秀歌』(岩波新書)のように本書も名歌を鑑賞する本として読んでもよい。
選ばれた歌も、解説もそれに値するものだ。
だがやはり、誰かに思いを伝えるために、また、ただ自分自身のために歌を作るきっかけとなれば、
それこそが著者の真に望むところであろう。
歌をつくるために読まなくてもいい。
だが、本書を読めば、「自分もつくってみようかな?」と思う人はきっといるだろうと思う。
続きを読む投稿日:2015.01.27
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天地明察(特別合本版)
冲方丁 / 角川文庫
めんどくさい×めんどくさい=おもしろい
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江戸時代の学者が暦をつくる話である。それの何がどうすごいのか。というか面白いのか。
歴史学を学んだ者として、日本で、いや、漢字文化圏における「暦」のもつ意味は知っているつもりだったし、本書の内容もだ…いたいその範囲内であったと思う。
暦は農業だけでなく、実は政治的にも非常に大事なこと。そうなんだが・・・
正直、あまり興味のない分野だった(笑)
歴史に興味を持つ人の多くはそんな地味なところよりももっと華やかな(?)ところにいくではないだろうか?
が、読んでみるとなかなか面白い。
良い意味で「歴史小説」らしくないのだ。
主人公・安井算哲は数学オタクの碁打ちで、幾何学の問題なんかが本文に出てくる(笑)
自分は数学の問題を解くことに喜びを覚えるたちではないし、むしろめんどくさいので、幾何学の設問は軽く飛ばして読んだのだが(笑)、
科学者の探究心というものには何だか心を揺さぶられるものがある。
で、科学者のピュアな探究心と、東洋史で習った「暦」の持つ意味がパシーンと合わさったとき・・・
「数学」(めんどくさい)×「暦の歴史」(めんどくさい)=面白い
という感じになったのだ!負の二乗は正になるというやつか?
こういうのがこの小説の良さなんだなあ。
派手な事件をコテコテに盛るのとはまた違う面白さ。
ちなみに合本版には文庫本の上・下に加え、「日本改暦事情」という本編の原型となったものも収録されていてお得。
カバーしている内容は本編と同じ範囲であるが、かなり短い。
何が原案としてあって、どこを膨らませていったのか、というのを知るのも面白い。 続きを読む投稿日:2014.10.15
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グイン・サーガ1 豹頭の仮面
栗本薫 / ハヤカワ文庫JA
文章表現に対する誇りと責任
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正伝130巻、外伝21巻、しかも未完のまま、作者が逝去。
はたして読み始めてもよいものか・・・と迷っていた作品。
実はちょっと違う意味でこの第一巻に関心を持っていた。
それは、「文学作品と差別表現」…という観点から。
たとえ差別的な表現であっても、それ自体が時代を表し、世界観を表し、
「文学」の一部であることから、言葉の置き換えは行わないのが一般的である。
が、本書の場合、「癩病」に関する描写を巡って、ハンセン病患者の団体から抗議があり、改訂版を出したという。
読んでみると、なるほど、と思う。改訂版なので「癩伯爵」→「黒伯爵」となっているが、
彼の業病は「空気感染する」ものであり、「その伝染力はきわめて強い」、
故に狂気じみた道を歩んでいく。
これは、ハンセン病の症状とは全く異なり、こうした病を「癩病」と言ってしまっては、
偏見を助長することになるであろう。
が、「黒伯爵」ヴァーノン公は、恐ろしくも哀しい、本シリーズの冒頭を飾る重要人物。
あくまでも架空の世界の恐ろしい話として、この部分は外せない。
栗本薫は改訂についてこのように語る。
「私が自分の文章表現に対して誇りと責任をもち、無用に人を傷つけることを非とし、
この場合の私の過ちを認めたからこそこのような徹底した方法を進んでとった」
私は、作者のこの姿勢に対して好感を持った。
もし、「癩病」のままだったら、おそらくヴァーノン公が出てくるたびに、
ハンセン病の患者に対して、どこかやましいものを感じてしまっただろう。
改訂版は、「現実」ではなく、「グイン・サーガ」の世界。
すっきりと、世界にひたることができる。
しかも、電子版。150冊以上の置き場を心配する必要もない。
未完であるのが残念だが、やはり2巻以降も読んでいこうと思った。 続きを読む投稿日:2014.11.01