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- goodisland"powered by"
最近よく著者をSNSで見かけるようになったので思わず手が出る。 【ザッと内容】 日本人と本を明治時代辺りから追っていき、読書量の変化がどのような時代背景と紐づいているか、本の位置付けがどう変わっていくのかを見た上で、現代における読書の位置付けと働きながらも本が読めるようになるための提言した一冊。 【こんな人にオススメ】 ・本を読みたいと思っているサラリーマン 【感想】 これまであまり良い新書と巡り合う機会なく、新書=つまらないと勝手な偏見があったが、本作はとっても面白かった。 本書が訴える本の効用(意図しない情報を受け取ることができる)をまさに体現しており、本著内で語られるサラリーマンの社会的背景と読書の関係性、その経示的な変化はとても興味深かった。 特に「高度経済成長期にあった自分が頑張れば社会は変えられるという空気感から90年代から既にそこに大きな波があり、自分が頑張っても社会は変えられないが、その波にうまく乗れたかどうかで自分は変わるという社会と自分が分断される世界観になっている」という表現には鳥肌がたった。これほどまでに今のサラリーマンの潜在的な感覚を言語化している文章は初めて見たからだ。30代前半にしてこの文章力を持っていることに頭が上がらない。 一方で著書が語る「半身で生きる」という話は完全に消化できなかったというのが率直な感想。「半身≠中途半端」なのだと理解はしたが、どうしても「半身」という言葉からは「そこそこにやる」、「気持ち半分でやる」というニュアンスを受け取ってしまう。ここもしっくりくるワードチョイスができれば⭐︎5にしていた。
0投稿日: 2025.07.21 - ハルシュタット"powered by"
日本人の労働と読書の関係について解説した本。 現代の人間は必要な情報のみを効率よく得ることを求めているので、予期しない知識(ノイズ)の入ってくる読書は効率が悪い。etc ノイズを許容できるような働き方を目指して、全身全霊を良しとする社会をやめようという呼びかけで終わった。 まぁまぁ日本の労働の歴史の勉強になった。
0投稿日: 2025.07.21 - 2360705番目の読書家"powered by"
なんと筆者は94年生まれ! やはり同じような感性 改めて本を読むことについて考えた 本読むことで頭使って知識つくことって 大切です必要ですよね
0投稿日: 2025.07.21 - ちみ太"powered by"
結構、全身全霊で仕事と家事と育児をこなしているつもりだけど、読書もしているということは、案外、全身全霊でもなかったのだろうか?と思ってしまった。 歴史背景と読書を掘り下げていくという、なかなか興味深い内容で、この類の本をあまり読まない私は、久しぶりに見る歴史上人物の名前にも、懐かしさを覚えた。 時代が現代になるにつれ、懐かしい本の名前も出てきて、そういえばと思い出すこともあった。 新書はあまり読まないので、もう一度読みたいとは思えないけど、読んで良かったなとは思う。
1投稿日: 2025.07.20 - takahiro"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
三宅香帆さんの書籍初体験。 文中で散見される三宅さんの口調(つっこみなど)が脳内再生されてYouTubeでもみてるような感じだった。 読む前の本書の問いに対する印象は、長時間労働+スマホ/SNSの普及が原因で読めなくなってるんじゃないの?と思ってた。が、浅はかだった。。 江戸、明治、大正、昭和、平成、そして令和。 戦前戦後で読書に対する国民の認識がこんなにも流動的に変化していったなんて、興味深すぎた。 そして現在なぜ読めなくなっているのか、その一つの考え方が三宅さんにより提唱された。 何事にも半身で取り組む気持ち、大切にしよう。 ※先日読了したニーチェ「ツァラトゥストラ」や、現在読んでるジョナサン・マレシック「バーンアウト症候群」についても引用されていて、読書は回り回ってつながっているんだなぁ。としみじみ実感した。 ノイズを取り入れる余裕は新しい発見につながるね。
1投稿日: 2025.07.19 - ちや"powered by"
働いていると本が読めない理由と、どうしたら読めるようになるのかの答えの部分が斬新でおもしろかった。本の歴史とかベストセラーの流行についても知ることができておもしろかった。
0投稿日: 2025.07.18 - suzu*"powered by"
毎日少しずつ読み進めてやっと読み終わった。 日本人の「読書」についての時代の移り変わりと共に立ち位置の変化も分かりやすく説明されていたので大変興味深かった。確かに実家に豪華な図鑑セットのような、一度も開いた事のないようなハードカバー本あった(笑) 本は「動画」と違って自分のペースで読み進められるので自分の心と向きあえると思うんですよね。忙しい毎日だからこそ、読書で心のゆとりをもって欲しい。 あなたの好きな物の1つに「読書」が入りますように。
0投稿日: 2025.07.18 - なっち"powered by"
流し読みできなくてちょっと疲労しました。 読書のハウツー本ではなくて、 労働と読書の変遷が8割を占めてる。 最後は半身で働く、 読書できる余裕がある働き方を目指そうっていう 働き方の提案やった。 確かに仕事の多忙さと読書時間は反比例する。
2投稿日: 2025.07.17 - Pooh"powered by"
あまのじゃくな性格なので、あまりにもベストセラーな本は手に取らないことも多いので、今になってしまった。 しかし、ベストセラーと言ってあなどるなかれ。 なかなか気骨のある内容。 「半身社会」大いに賛成。
0投稿日: 2025.07.16 - けろ"powered by"
明治以降の読書史を通して、私たちが何故読書できなくなっているかを論評した本である。その理由はズバリ、社会構造の変化とそれに伴う、読書の意義の変化にあるという。読書=単に本を読むこと、と捉えていた私にとって、寝耳に水だった。決して仕事をしながら本を読むためのhow to本ではないが、私たちの仕事に対する姿勢を見直す良いきっかけとなる本だった。
0投稿日: 2025.07.16 - shiki"powered by"
時代に合った内容で、自分の関心にもマッチして面白かった。 一方で「ノイズ」という観点はあまり良い説明になっていないと思う。私は「刺激の量・頻度」の問題ではないかと思う。
0投稿日: 2025.07.15 - Akari"powered by"
読書がもともとエリート層のものだったことは知らず、意外だった。日本には古来から源氏物語など有名な書物がたくさんあるので、ずっと大衆娯楽的な位置付けかと思っていた。 著者の何事も半身でいきませんかという問いかけには大いに賛成というか、学生の頃に部活に全身全霊捧げてしまい後悔した側面から何事も半身で生きている自分の考えが肯定された結論だった。
9投稿日: 2025.07.15 - じゅん"powered by"
明治時代から現代の労働と読書の変遷が細かく書いてありました。私自身もこの本をとったきっかけが本の通り働いていて本が読めなくなりました。 なぜ読めなくなるのかと考えた時、忙しいから。 でも携帯を見る時間はあるのに、、 この本と自分の考えが全く一緒でした。 最終章にかいてある全身全霊をやめませんか? の部分を読み終わった後に、私も仕事は全身→半身で働くようにしようと思いました。そうすることにより読書の時間をより確保出来ると感じたからです。 1冊の本には文脈が収められている 作者が生きてきた文脈が詰まっている だからこそ本を読むと他者の文脈に触れることができ、自分から遠く離れた文脈に触れること これが読書である。そして本が読めない状況とは 新しい文脈をつくる余裕がない。自分から離れたところにある文脈をノイズ「雑音」だと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係あるものばかり求めてしまう。→余裕のなさである 仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなる。 人生を仕事だけで終わらせたらもったいない。 自分自身が人生を作っていきましょ。 繰り返すようだけど仕事は半身で働き本を読める社会を作って人生を変えましょう! という内容がかいてあり私自身も心をおされた本でした。
0投稿日: 2025.07.14 - 39sk"powered by"
仕事しているといつしか音楽が聞けなくなったり、本が読めなくなったりしているように感じていたから、ドンピシャのテーマの本に出会って嬉しかった。寝る前にTiktokは見れるのに、本は開けない、そんなことがよくある… 本を読むことで今までの自分の視点に新たな視点が加わって、世の中の見え方、物事の捉え方が大きく変わるようなきっかけに出会えることがある。それが分かっているのに読めなくなるのは、本の情報ノイズになってしまっているからなんだね 仕事をしてる時、今日は何も気にせずに残業ガッツリできるぞ!と嬉しくなる時があるけど、それは確かにおかしい。半身というキーワード忘れないようにしたい。
1投稿日: 2025.07.13 - しょうこ"powered by"
自分が新自由主義を内面化していることに全く気づいていなかった。 コントロールできるものに行動を集中させることを常に意識しており、それが正しいと信じて疑っていなかった。 自分から遠い文脈に触れる機会がないとだめだなと心から感じた。
1投稿日: 2025.07.13 - 伊平太"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
話題になっていたこともあるけど、やはりタイトルでやられちゃった本。だって知りたくなるもんね。 一見関係なさそうな日本人の読書の歴史から始まり、タイトルに掲げた問いにつながっていく。 コスパ、タイパの時代。教養はそれに対極をなすものになってしまった。自分自身に直接関係ない本を読むって、金と時間の無駄なんだ。 それでも私は教養こそが大切だと思っている。仕事柄大切にしているところもあるけど、自分をつくる上で大事なんだ。 読みたい本はたくさんあれど、時間は限られている。死ぬまで毎日1冊ずつ読んでも、きっと全部を読むことはできない。 だから私は人生を無駄にしないために、できるだけの時間を読書に充てる。 そう心に決めていれば、仕事はしていたって本は読める。
1投稿日: 2025.07.12 - Korason"powered by"
三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで、まず印象的だったのは「全身全霊で働くことが正しい」という価値観が、自分を苦しめることがあるという点だった。仕事は人生のすべてではない。もし人生の中心を仕事に置いてしまったら、読書のような自分の大切な時間すら楽しめなくなってしまう――それは、私が望む未来ではないと強く感じた。 また、読書についての考察にも深く共感した。読書とは、ノイズを含んだ娯楽であり、単なる情報とは異なる。他者の文脈に触れることで、自分とはまったく違う場所や価値観に出会える。それこそが「教養」であり、読書をする意義なのだと改めて気づかされた。私はこれまで、効率よく「正解」に近づける自己啓発書ばかりを手に取っていたが、それは読書というより“情報摂取”に近かったのかもしれない。 本書を通して、自分の内面だけでなく、社会や文化といった外の世界に目を向けることの大切さを実感し、新書をもっと読みたいという気持ちが湧いた。そして同時に、疲れたときはきちんと休むこと、その余白もまた人生に必要なのだと気づかされた。
1投稿日: 2025.07.12 - だし"powered by"
読書史や労働史にかんする記述と読書離れに対する著者の見解はおもしろかった。 終盤の「半身で働こう」という凡百な主張の繰り返しにはやや辟易した。 終章で本書を航海だの旅路だのと喩えていたのは自己陶酔的で鼻についた。勘弁して欲しい。
0投稿日: 2025.07.11 - YUSUKE OHNISHI"powered by"
働き方の歴史と読者を絡めた視点がおもろい 半身で働こう 読者はノイズなのでノイズを受け入れられるライフスタイルを!
0投稿日: 2025.07.10 - まっつん"powered by"
最初の労働と読書の歴史は難しく感じたけど、その後の何故読めないか、何故ネットならみれるのかが分かりやすくてよかった。学生よりも社会人になってから始めた読書、2年目になってからより読書を楽しめるようになった理由がわかった気がした。 本が読める社会にしたいと思う三宅さんの思いと理由に、ふと涙が出そうになった。半身の社会に私も賛成したい。そんな社会になるように、私に出来ることは本を読み続けることかな。
0投稿日: 2025.07.10 - 青子"powered by"
面白かったし、引用の本のチョイスがいいなあと思った。センスが良い。最後の結論もサッパリしていて良かった。中途半端にちょっとずつやることって結構難しいけど、たのしいよなぁ。わたしは半身社会に向いてると思う。
0投稿日: 2025.07.08 - unnoo"powered by"
『ずっと幸せなら本なんて読まなかった』を読んでからのこちらの本だったためもう少しライトな内容かと思っていたのですが本気のやつでした。 刺さるものはありませんでしたが、歴史と本の関係について勉強になりました。
1投稿日: 2025.07.08 - ayakage"powered by"
本は読めないけどスマホゲームをする時間はある。 本文中に何度も出てきた表現で、自分にも当てはまるから何故なのか気になって読んだ。 読書は自分が欲しい情報以外にノイズがあるから、読むのにエネルギーがいる。ゲームにはノイズが無いから何も考えずにできる。 その時ノイズだと感じても、のちのち違う場面で役に立つこともあるから読書やはりいいものだと思う。本が読めない時は仕事にかけるウェイトが大きい時だから、その時々で働き方を振り返るきっかけになるかも。
4投稿日: 2025.07.08 - わいたろう"powered by"
本書は働き方と読書とのリンクを明治時代から遡って「研究」し、記している。 博士課程前期、つまり修士卒の筆者ならではの「研究」作業を感じた。 その一つが参考文献の多さ。とてつもなかった。 それゆえ、説明に説得力があった。これだけ調べ上げていたのでとても時間がかかったと思われる(著者自身の言葉にも、話をいただいてから仕上がりまでかなり時間がかかり、編集者を待たせてしまったとあった。) 私自身、現代社会の中で「知りたいことはググれば良いじゃん」的な発想がある一方で、ググるだけでは何かしっくりこず、読書をして深く洞察したりする必要性を感じていた。 その答えがあった。 ・ググる→欲しい情報を得る ・読書 →知識を得る(欲しい情報+ノイズ) なるほどと思った。ノイズは予想外の情報や世界。必要以上のものを得ることで頭の中の世界が広がり、応用がきく、想像力が増す。そんなふうに思えた。だから、読書が好きなんだと。 本書からすごく良い気づきがもらえた。気づきをもらえるのもまた好きな理由の一つ。 タイトルの答えとして、読書をしなくなった理由は、仕事と家庭が忙しいから。 そこで、筆者は全身全霊をやめて、半身で働くことを提案した。うつ病になることも例にあげて。 これには賛同する。 ノイズがあるからこそ、仕事も幅広くなる。 実際、1日3〜4時間程度の労働で十分成果は出せると思っている(筆者は週3日とうたっていた。) 筆者も強く願っており、私も周りにそう動けるように仕向けたい。
3投稿日: 2025.07.08 - おんがくま"powered by"
読書ハウツーかと思ったら労働論の本だった。 本書では多くの人が感じている、働くようになって読書などの趣味に時間を費やせなくなった原因を、日本の労働の歴史からひも解いています。 労働の歴史を振り返る中で、日本社会がいかにして教養を求めるようになったか、またインターネットと新自由主義の登場により、教養が「労働のための」情報に変貌してしまった過程をわかりやすく説明しています。 体調を崩し休職している身としては、私の人格と労働との距離を考えさせられるタイムリーな一冊だったと感じています。 仕事にのめりこんでしまっている、仕事によって生活がままならなくなってしまっていると考えているあなたにぜひ読んでいただきたい一冊です。
1投稿日: 2025.07.08 - JAIST LIBRARY"powered by"
「読書と労働」というユニークな切り口で近代日本の変遷を紹介する1冊。タイトルに共感を覚える社会人は多いでしょう。読書は人に知識や喜びをもたらします。働いているからこそ本を読みたい,そんな気持ちに応える本書を読んでみませんか。
0投稿日: 2025.07.08 - オポッサム"powered by"
人が本に求めるものの変遷を時代と社会背景と合わせて追いながら、最後にようやく現代において本を読めないほど人々が忙しくなっている理由と筆者の提案が書かれているが、最終章の40ページちょっとだけでよかったんじゃないか? 1.長時間労働 仕事と私生活の境界が曖昧に あらゆるものが私たちに24時間のコミットメントを求める 英雄的披露、バーンアウトを賞賛する文化が出来上がってしまっている 2.情報効率化 自己実現のための情報収集が求められるようになった中で、インターネットに比べてノイズ(不要な情報)が多い本というものは選ばれにくくなっている 提案.半身社会の醸成 全身全霊のコミットメントへの賞賛をやめ、半身での仕事で生きていける社会にしくべきではないか、ノイズを楽しんでみてはどうか
1投稿日: 2025.07.08 - ♡"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
2025年2冊目 『働くことに全身全霊でコミットメントすること』、それがカッコいいと思っていたし、そうあるべきだ、もっと言えば好きなことを仕事にしてそればっかやっていられたらどれだけ幸せだろうと本気で思っていた。 この本は8割が読書と労働の歴史を辿るもので、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はあまり書かれていない。タイトルに言及したのも残りの2割で、わたしが求めていた情報である、『働きながら本を読む方法』はあとがきにちょろっと書かれていたのみだった。 なんだ、前置きと要らん部分が多いなと頑張って読み進め、第九章から急に面白く内容が入ってきてスラスラと読めるようになる。 読み終えた時、この一冊の約8割を通して『新しい文脈』を提供してくれていたことに気がつく。この本を読まなかったらこの先も痴人の愛も、円本も、司馬遼太郎も、触れることなく生きていくところだった。大どんでん返しのミステリーを読んだような満足感。 何かを得たいのだけど何を欲望しているのかわからない、ずっとこの感覚だった。だからこそノイズの多い本は読めなかった。 知らなかったことを知ること、って楽しい。本を読む楽しさを思い出させてくれた。わたしの欲しかったものは本にあるのかもしれないと思えた。 ずっと疲れてるけど、家帰って好きな小説を読めるくらい半身で仕事したいなー。
0投稿日: 2025.07.07 - か"powered by"
半身で働くことは理想論すぎて実現できないよと思いつつ、手の届かない理想だから掲げたいものなのかもしれない 心に余裕、常に持っていたいですね。
1投稿日: 2025.07.06 - よすけ"powered by"
いつから自己実現は労働でしか実現し得ないものだと思うよう(思い込むように)になったのだろう。 労働と読書(=各個人の文化)の関係性。 読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れること。未知のノイズにさらされて、知識を得ること。 全身全霊で取り組むことの美しさは、果たして礼賛されるべきものなのか。 「君たちは自分に耐えることが下手くそだ。なんとかして君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている。もっと人生を信じているなら、瞬間に身をゆだねることが少なくなるだろう。だが君たちには中身がないので待つことができない。怠けることさえできない!」
2投稿日: 2025.07.06 - ほげほげ侍"powered by"
大正〜令和までの時系列毎に労働と読書の相関を説明しており、すごく腑に落ちた。 不必要な情報はノイズ…言い得て妙だが寂しい世の中だとも思う。
0投稿日: 2025.07.06 - スタボーンマン"powered by"
"卒論にインパクトのあるタイトルをつけました" 3.4点 大分辛口に書いてしまったが、自分の想像していた内容からすると、正にそう思った。 もっと本が読めなくなる科学的分析や対策など実利的な内容が読みたかったが、 全体を読み終えた感想としては、読み物としては興味深いものの、読めなくなった人向けではなく、読めている人向けに感じた。 とすると本を読めてない人からすると読みづらい内容になってしまっている。
1投稿日: 2025.07.05 - もりお"powered by"
労働と読書の歴史は興味深い。 半身で働く提言は理想論だと思うが、仕事以外の文脈を入れる余裕を作る方法としてはアリとは思う。著者が仕事で自己実現できているからこそ言えるというのもあるのかなと思う。情報と知識の解釈の仕方はその通りかもしれないと思った。
0投稿日: 2025.07.05 - Henry"powered by"
個人的には結構刺さる言葉がいくつか。読書好きで京大文学部からの大学院で本を読みまくる人生に私もなりたい。働きすぎで文化的な生活ができなくなるのは違うけど、やっぱり多くのビジネスパーソンは割り切って働くのは難しいんだろうな。個人的には割り切って働いて読書と映画鑑賞頑張ってるけど。
0投稿日: 2025.07.02 - つづき"powered by"
参考文献の引用を大量に用いて、戦前からの労働史を振り返りその時代でどのような本がどのように読まれてきたかを学ぶ内容が9割。 もっと現代にフォーカスするものかと思っていたけれど、あくまで最終章として扱われていた程度だったのが拍子抜けかも。 教養としては有意義だけれど、求めているものとはだいぶ乖離があったというのが正直な感想。タイトルと帯に騙された人多いのでは? 筆者は、ベストセラーというのは時代の空気に合致した時にだけ起こる"台風のようなもの"だと述べているけれど、本書もその一つのようだ。 文中でさかんに『花束みたいな恋をした』のとあるシーンが取り上げられているけれど、私も映画を観たときすごく印象に残った。社会に出て忙しく働いていると、そういう変化も避けられないのかなぁと思った。 ノイズをふくむ"知識"を受け入れるほどの余裕がなく、自分でコントロールできる"情報"だけを選んでしまう。 麦と絹のどちらの言い分もわかる気がして、身につまされた。 本書の結論として、生活のために働きながらも本を読む(文化に触れる)ために大切なこととして書かれていたのは「全身全霊で働くことをやめて半身で働く&半身で働ける社会にしていく」という、言われなくても分かっとるわい!なものでした。 もし私が麦で、過労の合間を縫って藁にもすがる思いで本書を読んだとしたらブチ切れてまたすぐパズドラ始めてるね。
8投稿日: 2025.07.02 - snowdome1126"powered by"
労働と読書の関係性を、明治時代以降の日本の労働史と各時代のベストセラーを紐付けながら、浮かび上がらせる書。 特に自分が物心ついてからーー1980年代以降の考察が面白かった。 そうそう、バブルの崩壊と氷河期があって、雇用規制の緩和があって、今はキャリア構築までも自己責任のように叫ばれている、と頷きながら読む。 歴史を概観すると、時代ごとに重視される価値観が次々に変化していて、自分もまた、自分で物事を考えているように思っていても、結局歴史の流れに大きく影響されていたのだなと思うし、たぶん今もそうだ。 「読書」とは何かを、著者の言葉で定義した次の一節がとても良かった。 「本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは『何を知りたいのか』を知らない。何を読みたいのか、私た ちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。自分から遠く離れた文脈に触れることーーそれが読書なのである。」 そして、働きながら本を読める社会とはどのような社会か、著者は次のように考える。 「働きながら、働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がある。それこそが健全な社会だと私は思う。働いていても、働く以外の文脈というノイズが、聴こえる社会。それこそが、『働いていても本が読める』社会なのである。」 確かにそうだ、と思うと同時に、でも、そんなこと本当に実現可能なのだろうか?と思う自分もいる。 何か一つのことに集中するのってとても楽だし、周りにも「私はこれこれこういう人間なんです」と説明しやすい気がする。 でも、例えば労働の現場では、過去にくらべて現在の方がずっと労働者の権利を大切にしようという機運が高まっているように、半身で関わる生き方もいつか当たり前になるかもしれない。 何より、本を読むのはやっぱり楽しいし、本が読める社会の方が良いと思う。 だから私も、何かに全身全霊、もときにはいいけれど、同じくらい中途半端もいいよね、と意識を改めることから始めてみようと思う。
12投稿日: 2025.07.01 - genpa3"powered by"
上手くいくのもいかないのも個人の責任だろと、自分自身の考えのように思っていたけれど、社会や資本主義の仕組みによってそう思わされるようになっているのだと気付かされた。 明治時代以降の人々の読書の傾向から、実存、娯楽、癒し、労働への考え方の分析が興味深かった。 たしかに全身全霊で物事を成す事は素晴らしい。 だけど、持続可能ではない。 今すぐ必要な情報以外はノイズかもしれないが、一見無駄であるような他者の文脈に触れる体験=読書をする余力のある働き方をしようよ、というのはとても共感できた。
1投稿日: 2025.07.01 - toumei"powered by"
仕事に実存を置くのも 推しに実存を置くのも危険。 依存先は分散させるべきだというのと同じように、 実存の根は分散させるべきなのだろう 理想は 自分自身で自分という生き物を両手で抱えてあげることだけど、 その理想を叶えるためには 「全身全霊」信仰から脱するべきなのだという話だと解釈した 「いっしょうけんめいがんばります」と 公の場で発言することを求められる教育を受けて生きてきて、 それが正解だと思いすぎていたと 少し自分を俯瞰することができた 価値観は時代の影響を思った以上に受けていて、 自分の考えのように思っていた部分も実は違うのかも。時代の考えなのかも? 全身全霊は人の気持ちを動かすし、 やっぱりかっこいいと思ってしまうけれど、 その分休むことをもっと知って バランスよく自分を扱うのが 社会の、その前に自分の課題だと思いました٩꒰ ´ᆺ`꒱۶
1投稿日: 2025.06.30 - tokyokaiyolibs"powered by"
読書マラソン感想カードより; ・なんとなく本が読めなかった、読めなくなった人は、pp.267-270 のテクニックから参照すると◎。 ・労働階級と読書の話は思いがけない視点有で面白いが、スコープが階級格差・教養論に偏ってるかも? オススメ度:★★★★ いさな 品川図書館 019/Mi76
0投稿日: 2025.06.30 - 曖昧まいん"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というタイトルで、かつはじめにのところで「時代を追いながら見ていく」とあったので、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について各時代で本が読めたか読めなかったかを整理しながら進んでいく本なのだと思ったら、実際は大体の内容は読書史と労働史、社会史であり、各時代で読書ができたかできなかったかについてはほぼ情報がなく、なんだかなという気持ちになった。一応最後のまとめに向かって行くときに読書史等は土台となっている……とは思うのだが、それにしたって結局「働いていると本が読めなくなる」現象が現在だけのものなのかどうかは不明で、それが分からなければ核心を突くこともできないのでは?と私は思ってしまう。 また、結構決めつけや勝手な解釈が「こうだ」と断言に近い形で提示されることが結構随所であり、それもどうかなと思った。例えば社会的不安に関する本が流行るのは社会的不安があるからだ、といった感じで「こういう本が流行るときはこういう大衆感情があるとき」という流れがあるが、果たして本当にそうだろうか?単に面白いから流行る、話題になるから流行る、なんなら時代の雰囲気と逆張りをするので流行るというのもあると思うのだが……。 結局作者が言いたいのは、「新自由主義的社会では全てが自分のせいになり、自分で自分を追い詰め自分の自由時間も切り詰め労働等の作業に徹する(トータルワーク)。かつ自分がどうにもできないこと(ノイズ)は排除される傾向にあるため、読書できる&読書を受け入れる余裕がなくなる」ということなのだと思うが、 ①半身で生きて残りを読書や趣味に「費やさなければならない」という形態は結局トータルワークに近いのではないか。「やらなければならない」という強迫観念が問題で、それよりも「何もやらなくていい」余暇の発生が最優先されるべきではないのか(結果として余裕が生まれれば本に手が伸びる余裕も出るのは)。 ②ノイズが嫌いならなぜ人はX(twitter)の「おすすめ」欄を執拗に見、あんなに喧嘩しているのか?ノイズが嫌いならティックトックなども流行らないのでは。それよりも「何も考えなくて良い」という受動態の姿勢の方が読書しない方に効いている可能性はないか?(読む本を選ぶという負荷、本の情報を負って文脈を把握し続けるという継続負荷) 等の疑問が自分の中では強く残ってしまった。結局思ったのは、この本は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を様々なデータから確実性の高い解説をするものではなく、単純に筆者がこう思う、こう言いたいという所に持っていくためのデータを並べ、ひとつの考え方を示しただけのものに過ぎないということだ。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」に明確な答えがあるのかな、だとしたら知ってみたいな、と思って読んでしまった自分が悪いのだが……。
3投稿日: 2025.06.29 - たれ"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
タイトルから想像した内容とは違う印象を受けた。労働史というものを初めて読み、本書でいう「ノイズ」を受け取った気がする。そして本書でいう「情報」を得るために読むなら、第九章と最終章を読めばいいように思う。 本のタイトルやキャッチコピー(?)へのアンサーとなる内容は、浅い印象を受けた。「半身で働く」を実現するには、自分だけが頑張ってもどうもならない外的環境要因が多いかな、とも思う。 仕事に真面目になりすぎて不安を持っていた時期(特に社会人1,2年目)に本書を読めていたなら、もっと肩の力を抜いて業務に取り組めていたかも。
0投稿日: 2025.06.29 - シナモロール"powered by"
仕事が忙しすぎる! でも生活を考えると働かないわけにはいかない… 読書史的なものも書かれていて興味深かった。 あとがきが優しかった
0投稿日: 2025.06.28 - スーパーピグレット"powered by"
大半が読書と労働の関係の歴史だったけど、それがとても分かりやすく、なるほどと納得いくものだった。高度経済成長期には、自分が仕事を頑張る事が最終的に日本を成長させる、という考え方が普遍的だったようで、新鮮だった。自分が社会を変える事ができるという感覚だったからこそ、学生運動とか、今から見ると何やってるんだと思える事にも、その時代の人間は没頭していたんだろうなと、考えた。
0投稿日: 2025.06.28 - hatayan8"powered by"
この本を読むきっかけとなったのは、新聞にその年に読まれた1番の新書ノンフィクションの本という記事を読んだから。 読書という文化と生きる対価を得る労働の距離感を適度に保つにはどうしたらいいのかという、その結論に至る展開が面白く惹きつけられる。 参考文献の多さから著者の考察の奥深さが伝わって来る。 映画「花束みたいな恋をした」は著者にそんなにインパクトを与えたのか、この映画を観ているいないで、この本のノイズの響きが違って来るのかもしれない。
0投稿日: 2025.06.27 - sometimes"powered by"
本が好きなのに社会人になって読めなくなった人は是非読んでほしい。自分の仕事と趣味の向き合い方について見つめ直すきっかけになります。 当方、ひたすら分かる〜!と思いながら読み進めていました。何事もほどほどにしながら(本書でも明記されていましたがこれが結構難しい)読書生活と両立できるよう楽しんで生きていこうと思いました。
0投稿日: 2025.06.26 - らもん"powered by"
労働と読書の歴史を紐解きながら日本人の『仕事と読書』のあり方の変遷を辿る内容。 昔は出世のために、賢くなるために本を読んでいたが、今は情報が溢れているからこそ自分が必要な情報だけを選んでいる状態を様々な文献も用いながら述べられていた。また長時間労働は50年も前から強いられていたにも関わらず、現代はより本が読めなくなったことについてインターネットが普及したからこそ余計なノイズを入れたくない、そんな余裕が無いと考えている人が増えたからだと理解した。労働と読書の歴史を織り交ぜながら現代と比較をすることで、読書をしなくなった理由が顕になった。 最近は読書が趣味というだけで珍しがられるのは異様だと感じているからこそ、改めて読書をする意味を知れて良かった。
0投稿日: 2025.06.25 - 祈"powered by"
明治以降の労働と読書の歴史、教養の立ち位置を振り返る章が特に興味深かった。 今日では、コスパ・タイパが重視され、いかに効率よく情報をインプットできるか、そしてそれを(主にビジネス面で)活用できるかに焦点が当たっている。 けれども、私がやりたい読書はそういうものではない。いつ役に立つかわからない教養。もはや教養ですらない何か。役に立つかなんてどうでもよくて、ただ自分が楽しむための読書。それが読書を楽しむということだと思う。 三宅さんが提示している「半身で働く」を実現出来る社会になるにはまだまだ時間がかかるだろう。全身全霊の美学は、恐ろしい。誰よりも早く脱却したい。 新書大賞受賞も納得の1冊でした。
4投稿日: 2025.06.25 - うさぎのしっぽ"powered by"
なぜ働いてると本が読めなくなるのか この本を読もうと思うということは、 上記に思い当たるところがあるということだ。 その貴重な読書の時間、大切な一冊の時間を費やした割に、 内容が「うん、まぁ…そうだよね…」というものだった。 本書の中で本が読めなくなる理由は 「(主に仕事で)疲れているから」であって、 読書は自分が求める情報以上のものが得られる代わりに、 それがノイズのように自分の頭にすんなり入ってこない。 その入ってこない理由が、忙しいから、 忙しいから、疲れて、本が読めない。 時間はあるけど、読めない。 読むくらいなら、ボーッとしてても取り入れられる SNSやスマホゲームに手が伸びてしまう。 『だからこれからは疲れすぎないように、 全力投球はやめて、本が読める余裕を持とうよ!』 っていうのが結論だった。 ま、そうだろうね… 前提として『本好き、本読みたい!』があって そのためにどうするかっていう話だから こういう結論になるんだろうけれど、 全力で傾けてるつもりはなくとも、 やりたくなくてもやらざるを得ない時もあるからね… ただ、それを言い訳にしてたら いつまで経っても読む時間は取れるようにならないわけで、 疲れてようが、全力だろうが半身だろうが、 とにかく、読みたければ自分でなんとかするしかない、 という身も蓋もないことが、私が出した結論ですわ… 生涯であと何冊読めるかわからないけど、 どれも貴重な一冊だと思って、大事に読みますわ。
1投稿日: 2025.06.22 - かいわれ"powered by"
日本の労働史がメインだった。 時折これまでのベストセラーをはさみながら、気になる本がチラホラ出てはきましたが、もうすこしドップリ本について浸りたかった。最終書から読んで、1章から読み進めたほうが入りやすそうな気がする。
0投稿日: 2025.06.20 - おさき"powered by"
これは私のことを書いている…!と感じる、身に覚えのある内容がたくさんあった。 新書をほとんど読んだことのない私は、YouTubeで三宅香帆さんに興味を持って買ってみた。が、開くと話は明治時代の労働史から始まり、そのアカデミックな内容に「なんか想像してたのと違う!」と戸惑った。本書のタイトルや「今、人気の本」という前評判から、全編にわたって現代の労働と読書について語られていると思っていたのだ。 それでもなんとか読み進めるうちに、話は見知った現代へと移り、身に覚えのある価値観について分析されていて、これまでの内容はここに繋がってくるのかと驚いた。 まさに本書で、現代の読書のあり方として紹介されている内容に通ずる。明治時代の労働・価値観など今の自分になんの関係もなさそうな内容は、興味が湧かなかった。一方で、自分自身に直結している現代の労働・価値観については俄然、興味が湧いた。さらに無関係に見えたその2つが、さまざまな文脈で繋がっていると知ってますます惹きつけられた。 本書の内容を大まかにまとめると「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を考えるために、まず歴史を振り返る。 どの時代も共通して、日本の経済状況が人々の働き方に影響を与え、さらにそれが人々の人生に対する考え方や欲望に影響を与え、結果として時代ごとの「売れる本」や、ひいては読書への向き合い方自体を変容させてきた。本書はそれを、さまざまな研究や書籍を元に明治時代から現代に至るまで追っている。 こうして時代ごとに追っていくと、今を生きる私たちの価値観がどこから来ているのか、そして「なぜ本が読めなくなるのか」がよく分かった。 ここからは少し個人的な話になる。 本書に以下のような内容があった。 ーだがテレビによって小説はむしろ、歴史小説やエンタメ小説といったジャンルのベストセラーを生み出すことに成功したのではないか。 いつだって、私たちは書店に行かないと本が選べないわけではない。書店の外側でーある時はテレビで、ある時はスマホでー本への入り口を得ている。 これには首がもげるほど頷いた。 私自身、スマホを通して本への入り口を再び手に入れた。あるときは読書家のInstagramで、あるときはまさに三宅香帆さんのYouTubeで、またあるときはこのブクログで。人がおすすめの本を語るときのその熱量に惹かれて、本を手に取るようになった。 これほどたくさんの本を読むのは大学生ぶりで、私も働いていると本など開く気にもならなかった身だ。 毎日夜遅くまで残業した後は、帰ってごはんを食べるのがやっとで、疲れてお風呂も入らず寝てしまい、翌朝お風呂に入って仕事場へ向かう。やりがいはあれど、当然、そんな毎日に本を開いて能動的に文字を追う余裕はなかった。SNSやテレビで受動的に情報を流し入れることしかできなかった。今思えば、そんな精神状態はとても不健康だ。 それが今年、出産に向けた休暇に入って初めて、本でも読んでみるかぁという気になった。 一番触れる時間の長いスマホに読書の入り口を作ってしまえば、あっという間に本を読む習慣ができた。面白そうな本や流行りの本の情報がどんどん入ってくるようになり、読書のスピードが追いつかないほどだ。そして読みたい本があるというのは、確かに日々の活力になると再認識した。 本書によると、ある批評家がTikTokでの本紹介を批判していたらしいが、私は悪いことだとは思わない。今の時代、新聞・雑誌など出版の世界のなかで本の紹介をして、読者が大きく増えることはまずないだろう。 入り口はTikTokでもYouTubeでもドラマでも何でもいいし、多いほうがいい。広く多くの人が面白い本と出会えるコンテンツ…そういうものがたくさんあることは、出版業界にとっても私たち読者にとっても幸せなことだと改めて感じた。 以下、特に印象に残った部分メモ✍(今までで一番多いけど、本当はもっとある!笑) ー「疲労社会」とは、鬱病になりやすい社会のことを指す。それは決して、外部から支配された結果、疲れるのではない。むしろ自分から「もっとできる」「もっと頑張れる」と思い続けて、自発的に頑張りすぎて、疲れてしまうのだ。 日本のように、会社に強制されて長時間労働をしてしまう社会はもちろん問題だ。しかし諸外国の例が示しているとおり、新自由主義社会では会社に強制されなくとも、個人が長時間労働を望んでしまうような社会構造が生まれている。 ーなぜ社員でいるためには週5日・1日8時間勤務+残業あり、の時間を求められるのだろう。それは仕事に「全身」を求められていた時代の産物ではないのか。そのぶん、家事に「全身」をささげていた人がいたからできたことではないのか。 ー私たちは、そろそろ「半身」の働き方を当然とすべきではないか。 いや、働き方だけではない。さまざまな分野において、「半身」を取り入れるべきだ。「全身」に傾くのは容易だ。しかし「全身」に傾いている人は、他者にもどこかで「全身」を求めたくなってしまう。そこに待ち受けるのは、社会の複雑さに耐えられない疲労した身体である。 「半身」とは、さまざまな文脈に身をゆだねることである。読書が他者の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものである。 ー全身全霊で働くことを美化していると、いつか全身全霊で働けなくなったときーそれは自分が病気をしたりあるいは家族のケアが必要になったりいろんな事情があると思うのですがーなんだか「全身全霊で働けないやつなんて、だめだ」と考えそうじゃないですか。 働くの、けっこう好きだからこそ、言いたいんです。仕事なんて、所詮仕事だよ!と。自分に言い聞かせたい。仕事に熱中しない自分を、否定したくない。
40投稿日: 2025.06.19 - 軟骨のからあげが食べたいたく"powered by"
なぜ本が読めないのかの答えが、全然出てこなくてずっと歴史の話だった。 全然進まず、深くはいれなかった。 だけどまさにこれが自分にとってノイズだった。すぐに答えを求めていた。 読みながら実体験をしてた。 文脈に興味を持たず、ノイズを除去しようとし、今の自分に繋がる情報だけを探していた。 今思えば、その文脈があったからこそ自分の体温に溶け込んで生きている気もする。 適合のしやすさとか関係ない。いつまでもフラットいるために常に半身浴
1投稿日: 2025.06.19 - くじら~"powered by"
思ってたんと違った、が1番の感想。 読書論かと思いきや、労働論の話でした。 読みやすい文体で、内容には概ね賛同出来るのですが、冗長な一方で論拠の少し薄い感じも。
0投稿日: 2025.06.18 - 2356044番目の読書家"powered by"
なぜ働けなくなると本が読めなくなるのかという問いのもと、日本人の本と歴史を振り返る原因を考察するという内容。自分が1番はっとしたのは、「知識」と「情報」の違いである。自分も毎日のようにSNSに触れ「情報」に溺れいる生活を送っているが、本から得られる「知識」にはノイズと知りたいことが含まれており、知りたいことしか含まれていない情報との差別化は腹に落ちた。本を楽しむということはノイズを楽しみ、他の文脈に意図せず触れることであり、これが自分の知識の幅を広くするのではないかと思った。
0投稿日: 2025.06.18 - haruken"powered by"
参考文献の多さには説得力があった 押しつけ論ではなく、作者なりの考察をされていて時代背景から労働環境と余暇の過ごし方、その時代の価値観を知ることができた。 働きかた改革で以前よりは仕事ばかりではなく、自分時間も増えたと思う。自分時間をいかに有意義にするか、読書はもちろん好きだけどそれ以外にもどのように過ごしたいか、仕事以外に何が大切か、考えるきっかけになった。 全身全霊。「ひとつの文脈をコミットメントすることに称揚することをやめないか」長期間または惰性でそうなっているのはほんと良くない。おおいに共感する。でも、長い人生の中には他のことを忘れてでも何かに全身全霊、捧げる期間があって良いのではないだろうか、と思う。何かのイベントが終わるまでとか、短期限定で。全身全霊で取り組んだ時間もまた忘れ得ない自分自身の文脈の一部になるのではないかと思う。
1投稿日: 2025.06.17 - モモンガシャラメ"powered by"
"なぜ働いていると本が読めなくなるのか"の結論 物凄く簡単に要約すると 現代において読書は「自分に関係ない知識はノイズ」であるから、とのこと。 ●インターネット=情報 手っ取り早く欲しい情報が手に入る ●読書=知識 知りたいこと+ノイズとなる情報と出くわす 本が読めなくてもスマホゲームやインターネットなら出来るのは、今自分が求めていない情報が出てきづらいから。 一方、読書とは何と出くわすか分からない、知らないものを取り入れる、そのノイズ性こそが読書離れに繋がっていると言う記述はとても腑に落ちました。 そして、そのノイズを頭に入れる余裕が無い、仕事以外の文脈を取り入れる余裕の無い「全身全霊」「疲労社会」をやめて半身で働こう、という結論に至ります。 "働きながら本を読める社会。それは、半身社会に生きることに、ほかならない。"
0投稿日: 2025.06.17 - ハマタケ"powered by"
読書で触れたノイズは、知識となって、時には人生をも変えてしまう。ノイズを退けたいわゆる情報は、タイパ向上に役立つかも知れないが、どこか空虚だ。 仕事に趣味に子育て。全身全霊ではなく、すべて半身でやってみよう。手を抜くためではなく、いろんなノイズに触れる余裕を残すために。 とても貴重なことを教えてくれた本だ。
1投稿日: 2025.06.15 - カーミット"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
この本は現代人は忙しく本を読む時間がないという事実を読書の歴史振り返りながらどうしたら本を読める社会になるのか考察し結論を出していく。 読書や教養とは戦前エリート層のものだったが、戦後学歴を手にしていない人々が階級を上がろうとする際に身につけるべきものを探す作業だった。 また、1990年代にはアンコントローラブルな他人や社会に対してコントローラブルな行動の変革を促す自己啓発本の市場が伸び始めた。このことにより自分に関係のある情報以外はノイズと認識されるようになってきた。 しかし、自分からノイズ(遠く離れた文脈)に触れることが読書であり、そのノイズを頭に入れる余裕が必要かなのではないか。 「働きながら本を読むために半身で働ける社会にしよう」ということが読書ができる社会のために必要だと著者の結論にいたる。
4投稿日: 2025.06.15 - ぬぴこ"powered by"
前半は本の歴史。 高度成長期、通勤時間に読まれるようになった。 働いていると本が読めなくなる。 けど、スマホを触る時間はある。 それは、スマホにはノイズ(新しい知識)がないから。好きな情報だけ手に入れられる。 労働時間が増え、娯楽が増えると読書時間が減っていったが、本が一番売れていたのはバブル期。 この時代の人がいつ本を読んでいたのか、は疑問を投げかける形で終わっている。 速読が流行ったり、倍速で聞いているのは、情報を得ること(教養)と趣味を使い分けているから。 働いていたら本が読めなくなるのは、余裕がないから。 趣味として本を読むには、半身(仕事と趣味を半分ずつ)で働ける社会、余裕のある社会をを目指す必要がある。
0投稿日: 2025.06.15 - えび天天"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
学生である僕からすれば、今から就職するにあたって懸念している要素の一つである問題に直接立ち向かってくれる本であった。労働や読書の歴史から本から得られる知見がノイズ(さまざまな文脈の知識の入り口となるもの)を含むものであるため必要であることを語り、それを享受するべく、全ての物事に全霊で取り組むのではなく、半身で取り組むべしと結論づける。この本自体もファスト教養と対立した読書としての知を体現しているなと感じた!ほどほどにがんばろう!
2投稿日: 2025.06.15 - まっきー"powered by"
読書史本。読書とはノイズである。これはその通りだと思う。今までは情報が欲しかったら読書をするしか無かったが、技術の進化で情報だけを取り入れる事ができるようになった、という事だと思う。 そうなった時、今まで本を売って食っていた人がどうなるのか。という戦いなのかなという気がした。
0投稿日: 2025.06.14 - キタキツネ"powered by"
なぜ働いていると本が読めなくなるのか 自分も今の会社に入って新卒2年目が経ちました。第一次産業に関わる業務のため、学生時代と比べると生活リズムは大きく乱れ、本を読むことなど極端に減りました。でもやっぱり本を読むと幸せです。 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について時代を遡り、日本人の働き方から細かく分析されており、読書と私たちの生き方のつながりを理解しながら読むことができました。この本を読んで、やっぱり私たちの生活には言い回しは違えど、必ず「読書」という行為があったのだと思いました。 SNSが普及し、さらに読書離れが加速している現代ですが、そんな中でも新しい形で「読書」は私たちの生活に残るのではと思いました。
2投稿日: 2025.06.13 - ふじ"powered by"
ハウトゥー本かと思ったら、全然違った。明治期以降の日本における労働と読書の関係についての考察が書かれている。なぜ働いていると本が読めなくなるか、という問いの答えとしては、他の文脈を許容する余裕がなくなるから。情報過多の現代においては自分が求める情報だけが得られるものが求められ、どんな情報が得られるかが不確定、あるいは不必要な情報が混ざったものを許容できなくなっている。だから本を読むためには、自分の仕事、生活と全く関係のないことを含むものを許容することが大事。そのためには、半身で仕事をすることが良いのではないか。この考えには賛同できる。本はどんな情報が得られるかが不確定で、いい意味で裏切られるから面白いと思うんだけどな。
1投稿日: 2025.06.12 - 羊の昼寝"powered by"
とても読みやすいですし、新たな視点に接することができた良い本でした(^^) 明治以降の経済社会・働き方と本の歴史がまとめられ、近代社会の変遷と人々の暮らしを、新たな視点で学ぶことができました。 読んでて納得感が高かったです。 バブル崩壊以降、自己実現欲の向上と、ノイズを廃した情報にまみえ、行動が求められる中、仕事などに全身全霊で取組むことが尊敬させる社会になった。 そのため、ノイズを拾うための読書がなされなくなった。 自分にも心当たりがあり、とても共感しました。 半身で過ごすこと、間口を広く取ること、余裕を持つことに心がけて行きたい思います。(^^) 良い本をありがとうございました。
2投稿日: 2025.06.11 - Sakura"powered by"
この本を読んで良かったのは、本の内容よりも興味深い参考文献と出会えたことです。 実際にこの本で考察されていた以下の参考文献を拝見しました。 ・映画『花束みたいな恋をした』 ・文庫本『英語屋さん』(ブクログで感想あり) 本の内容としては卒業論文のように『なぜ現代人は本が読めなくなったのか?』を様々な文献を用いて明治あたりの歴史から本の位置付けや働き方に対する考え方を紐解いてくような内容であった。参考文献に気を取られてしまい、本書は少々中弛みをしながら読みましたが、結果的には面白かったと思います。
9投稿日: 2025.06.11 - 佐山 諒"powered by"
#なぜ働いていると本が読めなくなるのか #読了 この本で三宅さんは「ノイズ」という表現をしていたけれど、本の良さは求めていないところまで得られることなのはすごい共感。 『生きる(生活)ために必要なことだけを求めない』ところに、働きながらでも読書をする余裕が生まれるのだと思う。
1投稿日: 2025.06.10 - mokoma"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
読書は欲しい情報にたどり着くまでに他の求めてなかったことも知れるが、それがノイズとなり情報だけを知りたい人とっては読書自体の腰が重くなる。そしてそれは読書だけに限っていない。そんな余裕のない日本社会。日本人は働きすぎだなと思う。
0投稿日: 2025.06.10 - 1834256番目の読書家"powered by"
なぜ働いてると本が読めなくなるのか──。 書店でこの本を見つけた時に「分かるッッ」と共感して目次を少し確認して即購入しました。 近現代史の日本における「読書」という行為の変遷 著者の読書に対する想い そして仕事への向き合い方に対する想い 「うんうん」と首を縦に振る場面が何度もありました。 効率的に「情報」ばかり求めるのではなく、偶発的な出会いも込みの「知識」を読書によって得るという行為は、今後テクノロジーの進化に比例して(少なくとも私の人生に於いては)更に重要度が増していくだろうと確信しました。
0投稿日: 2025.06.09 - もっぴぽ"powered by"
読書も個人個人のフィーリングだと思いました。 本が合わない人は合わない。興味がないことは人ってなかなかしませんよね。 とても面白い内容でした。
0投稿日: 2025.06.08 - kalitan"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
明治以降の社会・働き方・読書の目的や位置づけなどを時代ごとに分析。最後は現代の働き方への提言で締めくくられる。様々な著書から引用を示しながら考察を述べる社会学の論文のような本。 70年代あたりから自分が実際に知っている時代になるのだが、若い人から見た世相の解釈と微妙にズレる気がした。どちらが間違いというのでなく、捉え方の違いなのだろうが。 ただ、70年代は高度成長期が終わった不安感が出たというのは違う気がする。80年代にジャパン・アズ・ナンバーワンと有頂天になり、その後30年も没落に気付かなかった能天気な日本人たちだから私達は。 不安感があったのは東西冷戦下だったからかもしれない。 時代による読書の変遷の考察も結論もなるほどと納得がいくものであった。けれど、振り返ってみると人が求める読書のタイプはの大きな区分はさほど変わらない気がした。階級による読書タイプの考察もあったが、これは現在どうなのか論じてほしかった。 現代の章については、タイトルから期待したように、働き方より読書のことをもっと踏み込んであれこれ書いてほしかったなあ……と、物足りなく思ってしまった。
0投稿日: 2025.06.07 - kashikokuikouze"powered by"
毎日、YouTubeやSNSを見る時間はあるのに、本を読めなくなっているのは自分の怠惰だと思ってた。 その原因はわたし個人ではなく社会だと筆者は言う。 この本を読んだ後に考えてみた。 わたしはなぜ本を読めていないんだろうか? SNSにはノイズがない。つまり、自分が興味のあるコンテンツが流れるからノイズが少ない。すごく楽だ。一方、読書(自己啓発本を除く)は自分とは切り離される。つまり、ノイズがあり、疲れてしまう。「※ノイズとは歴史や他作品の文脈、想定していない展開」。 最近の私といえば、選ぶ基準は自分の市場価値を高める目的で本を選んでいた。一生、この会社に勤めて死んでいくのか?と上司や自分自身、そしてYOUTUBEにでさえ言われるからだ。情報や手順さえ身につけば、労働市場において一目置かれるんじゃないか、と考えていた。 しかし、実際に職場の人たちや近所の人たちとコミュニケーションを取る際にはそのような小手先だけのノウハウは何も役に立たなかった。外界の状況や他者の興味のある事柄など自分では到底選ばない話題があがるのだ。そこで必要なのはノイズだと思った。 自分の引き出しをたくさん持ちたいな。
2投稿日: 2025.06.07 - ひろあき"powered by"
なぜ働いていると本が読めなくなるのか、 それは本を読む余裕がないからである。 内部をすっぽり読み飛ばして、結論だけ読むと、え?そんな当たり前ことを、、、と言いたくなる。 しかし、そこに至る過程がとても面白い。 背景となる社会変化と読書観を戦前の日本から振り返っていく。特に、その時代のベストセラーが社会の変化を反映しているという視点が新鮮だった。 働きながら本が読めなくなる理由、そのキーワードとなるのは「ノイズ」。 読書はできないのにインターネットはできる。その理由はインターネット的な知識にはノイズがないから。必要なものだけを効率よく取り込める。一方、読書はノイズ性(偶然性)を多分に含む。予想もしなかった展開や思いがけない出会いが本の中には溢れている。 そのようなノイズを含む読書を楽しむためには、その余裕をもつためには、全身全霊で働くのはやめましょう、という展開。全身全霊で仕事をするのはやめて、「半身」で仕事をすることを提案している。 さて、本書にある「ノイズ」というキーワードで身の回りを考えてみると、新しい視点がもたらされる。 例えば、私が関わっている「教育」と「ノイズ」。 学習動画はノイズを含まずに分かりやすくまとまっている方が優秀である。 逆に学校教育で展開されている授業は「ノイズ」が適度に含まれている方が良いのかな。むしろ、学校とはノイズだらけの場所であり、ノイズが多いからこそ思っても見なかった出会いがあったり、新しい発見に満ち溢れている。ノイズばかりでは困るが、均質化されている集団というのと考えものだなと思う。 最後に本書より、 “本のなかには,私たちが欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり,私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか,私たちは分かっていない。何を欲望しているのか,私たちは分かっていないのだ。”
10投稿日: 2025.06.06 - nanakana"powered by"
読む前は、仕事が忙しくてもどうやって読書時間を捻出するか?というような内容かと勝手に思いこんでいました。 実際には、日本の社会や労働と読書を、明治時代から振り返り、その時代にとって読書とは何なのかを説明し、最終的には今の時代の我々が読書をするためにはどうすべきなのかを提言しています。 各時代における読書の位置づけは大変興味深かったです。 たくさん引用されていて、引用文献の中の何冊か読んでみたいと思いました。 これこそ、読書の「ノイズ」の効用、思いがけない出会いだなぁと思いました。
1投稿日: 2025.06.05 - hutaro"powered by"
働いていても本が読めてしまう私だが、何となく世の中そういう傾向あるのかな?とふと疑問に思ったタイトル。ああ、なるほど。現代人にとって読書=ノイズなんだと。忙しい現代人は自分の知りたい情報だけ取得し、いらない情報はなるべく排除するらしい。 …えっ、そうなんだ。私は自分の求めてない情報(ノイズ)も結構歓迎なんだけどな。ノイズがもしかしたら役に立つときがくるかもしれないし。別に役に立たなくてもいいし。これからも気ままにノイズを取り入れつつ読書は続けたい。 結局、心の余裕なのかなと思う。余裕がない中で、自己実現、資産形成…などなど現代人は考えなければいけないことが多すぎる。そんな中でしょうもない情報に触れている場合ではないのかもしれない。 そもそも日本人は真面目で勤勉な性格の人が多い。私の職場の人も定時が来たってなかなか帰らないし、有休もほぼ使わないという方が多くいる。 著者が「半身で」と言っているように、ちょっと適当な感じで仕事して、もっと人生楽しめればいいのにな。 本書はページのほとんどを読書の歴史に費やしていて、肝心の著者の読書に対する考察がほんの少ししかないところが残念だった。
1投稿日: 2025.06.05 - OREO0506"powered by"
言葉やニュアンスは多少なりとも変遷するが、簡単に言うと読書は階級の象徴であるのだというのが全体を踏まえての感想。読書の動機や思いというのは昔から延長線上で繋がっている。社会のコントロール性がない現代は、目の前のコントロールできるものに注力する。これは時代のせいだし、これに抗えるほど人間は強くない。そこで著者が主張するのは「半身社会こそ、働きながら本が読めなくなる社会からの脱却に必要である」ということだ。本を読むだけでなく、さまざまな活動にこの考えは活かせる。 心理学やそれに関連してなぜ本が読めなくなるかという内容なのかなと思っていたが、読書史と労働史を前面に出した本だった。売り上げの割に予想した内容と違って、読み切った人は思いの外多いんじゃないかなと思った。
0投稿日: 2025.06.05 - manya"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
私も働き始めてからそれまで好きだった本や音楽から離れてしまった時期があったので、問題提起には非常に共感できた。 新自由主義に疑問を抱いているつもりだったが、自分自身、仕事で自己実現を叶える、とか、自分で稼いで自分で何とかしなければならない、といった新自由主義的な考えを内面化してしまっていたことに気付いて恐ろしくなった。 思い返せば、働き始めてから仕事や会社に対してずっと持っていた違和感の正体は「全身」の働き方に対しての疑問だったのだなと思った。 いろいろと気付きを得ることができて面白い本だった。
0投稿日: 2025.06.04 - 砂漠の女"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
社会にとっての読書の位置付けを時代の流れに沿って捉えることで、現代の働き方について考える一冊になりました。 社会や相手を変えることは難しいから自然な波に乗りましょう的な風潮がある今、変えることができることに注力しがちである。読書はできないけどネットやゲームはできる。ネットやゲームはやりたいこと、知りたいことをはっきり手に入れることができる媒体であるが読書は、未知であり予測不能なものを知ることである。つまり、予測不能であり知りたいこと以外の情報も詰まった読書は今の社会風潮には合っていないから読書をする人が減ってきている、、、と捉えました。合っているかはわかりません笑。
0投稿日: 2025.06.04 - Norio Sasada"powered by"
いつも聴いているpodcast番組に著者の三宅香帆さんがゲスト出演していて紹介していた本です。 内容は、日本の労働者と読書との関わりを著者のユニークな視点から考察したもので、“働き方論” としてもとても興味深い指摘が満載でした。
0投稿日: 2025.06.03 - ちょうこくどう"powered by"
明治以降の働き方と読書の変遷の考察は歯切れ良く判り易い。が、司馬遼太郎の読まれ方については自分の体験から的外れに思えた。一箇所の綻びで他も怪しく見えてくる。何事も半身でという結論には賛同するけどね。
0投稿日: 2025.06.03 - ほち"powered by"
忙しいのは今に始まったことではないけれど、なぜ現代特に、読書をないがしろにしがちなのか分かった。 読みやすく、丁寧な分析をされていると思います。
0投稿日: 2025.06.02 - ヨッシー"powered by"
前半は読書を文化と捉えて、日本における読書文化の変遷をひもとき、最後は本のタイトルの通り、何故本が読めなくなってしまうのか、著者の考えと解決策を提言しています。半身という言葉、今の自分にとてもタイムリーに刺さりました。本を読みたい、という漠然とした悩みというかモヤモヤがずっとあって、その理由を、忙しいからと無意識のうちに押し込めていたのかな、と本書を読んで感じました。全身をやめて半身で、この言葉がとても腹落ちしました。これは個人にも社会の在り方にも通じるのでしょう。自分の生き方を考えるきっかけになりました。
1投稿日: 2025.06.01 - aibooklover39"powered by"
#読了 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 三宅香帆著 ★★★★★ 3月、4月、5月、、3回通読してようやくメッセージを受け取れた気がする(←読解力っ)ので、投稿しまーす! ーーーーーー 一度でも心がダメになった経験がある人なら、心や身体のSOSはギリギリまで気づけない、と知っている。 本書を読んでわかった。読書ができなくなったり、家族や友だちの「ねぇねぇ、あのね」が聞けなくなったりするのは、心や身体が悲鳴をあげているからだ。自分に余裕がないと、他人の文脈である「ノイズ」を許容できなくなる。 情報ならコンパクトに抽出できる時代に、本を読むことは「ノイズ」を取り入れることと等しい。しかしそのノイズこそは、私たちの知識や思考を遠くまで飛ばし広げるカギになる。健やかに読書をし続けるコツ。それは「半身」であることだ、と著者は言っている。 >>p.261 私たちは、そろそろ「半身」の働き方を当然とするべきではないか。 いや、働き方だけではない。さまざまな分野において、「半身」を取り入れるべきだ。「全身」に傾くのは容易だ。しかし、「全身」に傾いている人は、他者にもどこかで「全身」を求めたくなってしまう。「全身」社会に戻るのは楽かもしれない。しかし持続可能ではない。そこに待ち受けるのは、社会の複雑さに耐えられない疲労した身体である。 「半身」とは、さまざまな文脈に身をゆだねることである。読書が他人の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものである。 (最終章「全身全霊」をやめませんか、より)
0投稿日: 2025.06.01 - aoi-sora"powered by"
『疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ』 この帯を目にした多くの人が「自分のこと?」 と思ったのでは? 疲れて思考能力が低下している時、次々と画面に流れてくる記事や動画をただ眺める… なんて事が私もある。 普段新書はあまり手に取らないが、流行に乗って(ちょっと遅いけど^^;)読みたくなった一冊。 2021年に公開された映画 『花束みたいな恋をした』 を参照し、なぜ働いていると本が読めなくなるという声が上がるようになったのか?という問題提起から始まる本書。 私も大好きな映画なので、すごく入りやすかった。 うん、いい映画だったな。 また観たくなっちゃった(*´ェ`*) 明治時代から2010年代まで、それぞれの年代ごとに労働と読書の歴史が書かれているのだが、これが私にとっては面白かった。 例えば 『昭和初期の円本ブーム』 一冊一円の『全集』を月々に料金を払うシステムで、月給制のサラリーマンがターゲット 『通勤電車と文庫本は相性が良い』 1970年代は文庫創刊ラッシュの時代で、人気は司馬遼太郎作品 (なぜ人気かの考察は第五章に) など、時代背景と社会的な階級に合わせた本の出版の歴史には「へぇ~」と思うことばかり。 そして最終章 『全身全霊をやめませんか』 さぁ、どのように結論づけ、まとめていくのだろう… あとがき 『働きながら本を読むコツをお伝えします』 著者が6つの「コツ」を伝授! でもこのコツについては、ブクログに集う我々は既に実践していることばかり? わりと普通で肩透かしな感じがした( ´^` )
77投稿日: 2025.05.31 - hifumi1232001jp"powered by"
労働と読書の関係を考えたことがなかった。今ここに必要なノイズが除去された情報を得ること、経済資本、文化資本に支えられた経験に基づくノイズつきの読書体験とどちらを毎日必要に感じるか。労働に全身全霊であるならば前者、労働に半身で臨めば後者を選びうる。情報ばかり欲しているときは、全身全霊で何をしているのか立ち止まるようにしたいものです。
0投稿日: 2025.05.31 - はまやらわ"powered by"
ノイズを受け入れる余裕がなくなると、本が読めなくなるということ。その余裕は持って働き続けたい。 最終的に筆者は余裕を持った働き方を推奨していたが、現実は厳しいのではないかと考える。 特にこれからの自分は余裕を持った働き方はできないと思われる。ただ私は、読書の時間を意識して確保し、本を読み続けたいと思う。ただ、義務としてではなく、趣味として気楽にやっていきたい。
1投稿日: 2025.05.31 - bookwormy"powered by"
タイトルの「なぜ」はなかなかすぐには示されないけれど、そこに至るまでのプロセスがとても面白かった。まさかこんなに日本の社会文化と出版事情を論じている本だとは! ベストセラーがバシバシ生まれていた時代は、日本人が今より本を読んでいたというより人口増の恩恵が強かったという分析には膝を打った。 「なぜ」をすぐ知りたい人にはこれらの情報が「ノイズ」になるんだろうけど(そんな人はきっと生成AIに、なぜ働いていると本が読めなくなるのか、と尋ねるのでしょう)、このスローさとカラフルさこそが読書の持つ魅力なんだと再認識。私はこれからも半身で仕事に取り組み、本が読める余裕を確保しておきたい。 ところで、私の住むアメリカは日本より読書人口が厚い。読まない人は全っ然読まないけど、読む人はかなり骨太の本を読むなという印象。インディーズ書店も多いし、読書会も頻繁に開催されている。それは日本よりはるかに大きい人口に支えられている面もあるし、労働に忙殺されないようプライベートな時間を大切にする人が多いという理由もあると思う。アメリカも日本と同じくらいワーカーホリックが多いけど、個人の領域を大切にする文化は日本より醸造されているように思う。三宅さんのように「本を読む時間が取れないから辞めた」は聞いたことがないけれど(改めてすごい。会社にもそう伝えたんだろうか)、「家族と過ごす時間がないから辞めた、転職した」という話はしばしば聞く。それが健全な社会だよなあとしみじみ思う。
0投稿日: 2025.05.26 - いっしー"powered by"
第7章までがちょっと間延びした感じがして面白くないなと思ってしまった。第8章を読むと何となくその理由も分かったし、読書ができない理由も体感としてわかった気がした。
0投稿日: 2025.05.25 - 2325862番目の読書家"powered by"
半身で仕事をすることで十分なんだ! 仕事を全身全霊でやってしまうと燃え尽きて鬱病になる可能性もある。 だからこそ半身で仕事をする姿勢を身につけてノイズである読書を楽しむ。 それが人生を豊かにするポイントなんだなという理解をした。 たしかに社内は精一杯、全身全霊、一生懸命というワードが評価される傾向にある。 自分自身は家族ファーストで仕事はあくまでそのためのものという姿勢であるがなかなか全てをさらけ出して同僚、上司とは話ができない環境。 この本をきっかけに改めて仕事は一生懸命にやりつつも、とはいえ所詮は仕事!という考えて半身で仕事をしつつ、楽しい読書ライフを楽しんでいきたい。
0投稿日: 2025.05.25 - せんのしょう"powered by"
本好きなら読んでみたくなるタイトル。ネットでもよく取り上げられていたので読んでみた。 結論、本を読むために100%で働くのをやめようと著者は言っている。結局余裕が無ければ本なんか読めないということなのだが、ではなぜスマホゲームは出来るのか それはノイズがないからだそうだ。 本にはノイズがある。自分が欲しい情報だけでなく、参考文献とか引用とか知らないことがたくさん出てくる。しかしそれを知ることが教養を得ることにもなるのだが、今の時代はためになる情報しかいらない、学びではなく情報が欲しいだけ。 そもそも読書できないのは今始まったことではなく昔から“積読“というものはあった。高度成長期には今よりもっと働いていたのだから。 なぜの答えはスッキリしないけど、時代を追って読書について考察しているところは良かった。また読書を社会階級で見ているところも面白かった。 勝手な思い込みだけど、昔の人は学校に行ってなくても物知りな人はいたように感じる。いわゆる教養を自分で身につけていた人たち。 今は違うんだな、「ファスト教養」も読まなくては〜
7投稿日: 2025.05.25 - 1875379番目の読書家"powered by"
題名から心理学的な本なのか、と思っていた その時代に出版された本を根拠に時代を紐解く内容。 その本の内容を時代の代弁者のようにしてしまっていいのか? 自分が子供の頃だった80年代からなんとなく違和感を感じる。 だって、バブルだって言われてた時代だけど 貧乏な家の地方の一小学生には好景気も時代の雰囲気もなんの恩恵もなく、東京だけだったんじゃないかとさえ思う。 そういう見方もあったってことにしよう。 ただ新入社員の頃、定時で帰って習い事をする普通の女子に憧れていた。でもそれが普通になったのはほんのちょっと前の出来事だったんだな。 黙読が明治時代に始まった、って結構最近。 それまでは皆、声を出して読んでいたってことか?? 教養とは自分と距離のあること 子供の頃片岡龍太郎が言っていた 「お金にならない知識しかない」というのに憧れていた。ああいう大人になりたいと それがなんなのかはっきりしなかったけど 半世紀ぶりに言語化できた気がする。 この本は、ちょうどうつぬけを読んだ後に読んだ。 全力で頑張りますがよくない 何事も半身で ここ数年、必要に迫られて、減らしてるけど 失うもののほうが多い気がする 失ったものが本当に必要なものなのかは別として 必要だったかどうかは最期にわかるだろう
0投稿日: 2025.05.25 - 直塚"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
滅多に読まないジャンルだけど、話題の本だけあって面白かった。仕事の歴史と読書の歴史を追っていく。時代によって変わっていく。これから先も変わる、なにもかも。
0投稿日: 2025.05.25 - ファミチキ"powered by"
結論はんーという感じだったなー 今の社会では忙しさから解き放たれたとして、SNSやインターネットにもっと時間を使うようになるのでは?と思った お金をいかに稼ぐか、いかに社会的地位を身につけるかという方向に時間が使われると思う、そしてそれにとって有益な情報をもっと取りに行く 現状を促進するだけのような 周り見てても暇な人、全然本読んでないし、本読んでるだけで本読んでるんですね〜すごい〜って言われる世の中だよ そもそもの教育としても読書をしようという思考プロセスになるような状況ではないと思うから、読書できる時間が増えた!とはならない気がするなーめっちゃ個人的ですが! でも全体としては読書の歴史とか、なぜ自己啓発本が売れるのかとか知れて満足。納得感もあった。同世代なのも面白く読めたポイントかも。
1投稿日: 2025.05.24 - タテヨコ"powered by"
なぜ読めなくなるのか、という論点もありつつ、今では当たり前の本を読むという行為の持つ意味の変遷とか労働についての本と言おうか。自分の場合はどちらかというと読みたい本があるのに単純に時間がない、予約していた本が来ても読めないまま返却というケースが多いので、筆者がいうような、読みたい本がない(仕事外のノイズを受け入れられない)状況とは違うのだが、確かに本を読む時間が減る時は家事や仕事に「全身全霊」になっている場合が多いかもしれない。 それにしても読書という行為に関するノイズの多いこと。そうか本を読んでいますというだけで、マウント取られているように感じる人がいるということか(そう感じる人は読書量が少ないことに引け目を感じているからなのだろうが)。自分は読後感を共有したいと思って以前読んだ本についてSNSに投稿していたが、なんだか快く思わない人がいるようでやめた。理由がわからなかったが、そういう人もいるんだなあ。今はブクログのお陰で匿名で同じ本を読んだ人の感想を読めたり、同じ趣向の人の本棚を覗けたり、健全な読書コミュニティがあることに感謝している。 読書=ノイズという点では、私は仕事にうすく関係のある本を読むのが好きだ。例えば、イタリアに出張する予定があったら塩野七生さんを読むみたいな。流石に自分でもそれは遠すぎだなあと思ったことはあったが、例えばイタリアの例で言えば、今かっこいい社会人はパッと「人口、面積、簡単な特徴を3文で!」言えるような人であり、「早わかりイタリアが5分でわかる本」を手に取るべきであるようである。でも触手が伸びないんだよなあ。そういう意味では私は立身出世を求めないがためにノイズだらけの読書を続けてこられたのかもしれない(笑) 全身全霊ではなく半身で働ける社会を目指そうという最終部でふと思ったのは、話がズレるが、今、子供でさえも「全身全霊」であるべきという(親の)考えに呪われている点である。最も全員とは言わないが、中学受験を始めとする受験競争、学歴社会に全身全霊捧げる人口(週5で塾みたいな)の一方で、受験しないならばスポーツや習い事に全身全霊捧げますグループの人口も半端ない。週5でサッカー、週5でバレー、ピアノのコンクール狙いに行き、何しろどっちかに全振りなのである。普通にぼーっとでは許されないこの風潮。挙句、子供の受験のために時短勤務、なんて大人もいるんだから、大人も子供も全身全霊の自分の首しめ横行中。そんな子供たちがこれから世に出るんだから、三宅さん、半身の社会の実現は程遠そうです。
3投稿日: 2025.05.24 - tsubuo555"powered by"
本書は、明治、大正、昭和、平成、令和といった時代を通じて、「労働」と「読書」の関係がどのように変遷してきたのかをたどりながら、現代人がなぜ本を読まなくなったのかを考察し、本が読める社会の実現に向けた提言へとつなげていく一冊である。 たとえば、明治時代には読書が職業の自由化に伴うエリートの教養として位置づけられていたが、オイルショック以降の昭和後期からバブル期にかけては、終身雇用など日本的な働き方の中で、読書はむしろ娯楽の一つと見なされるようになった、というように、各時代の社会背景と読書の意味づけが巧みに描かれている。 労働と読書という、一見異なる領域を結びつけて時代の変化を読み解く著者の視点は斬新でありながらも、納得感が高く、読者に多くの気づきを与えてくれる。 とくに印象的だったのは、著者が「読書がノイズとみなされる現代」において提言する「半身で働く」という視点だ。これは決して「手を抜いて働こう」という意味ではなく、仕事や一つの目標に全身全霊を注ぎ込むあまり、他者への思いを巡らす余裕を失ってしまう現代社会への警鐘と捉えられる。 著者の提言に対しては、私自身も共感と疑問の両面を持った。たしかに、バーンアウトを避けるという観点では賛同するが、一方で何かに没頭すること自体が喜びである場合もあるのでは、と感じた。結局のところ、大切なのは「バランス」ということなのだろう。 いずれにしても、労働と読書という切り口から現代社会を照らし出し、読み応えのある提言を提示してくれる本書は、著者ならではの知見と洞察に満ちた良書であるといえる。
1投稿日: 2025.05.24 - hori2221"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
力作。 明治以降日本人読書の歴史。そして読書から見える日本人の生き方。 仕事に一生懸命にならず、人生を豊かにするため他の事に時間を使う。
0投稿日: 2025.05.24 - 蓼"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
近代の読書と労働の考察はとても興味深く、ノイズを取り入れられる余裕を持つべきとの主張は共感しました。 遊びも仕事も全身全霊ではなく、遊びも仕事も余裕が大事と生きていきたいものです
0投稿日: 2025.05.23 - あめこ"powered by"
途中まで読んで、しばらく放置してからの、読了。 映画「花束みたいな恋をした」が多々引用されるのだけど、私は映画の主人公の麦くんと絹ちゃん、どちらにも全く共感できなくて、さらに本の内容がゆとりの気配がたっぷりで、さらにさらに働いてても本読めるなーと思い、これは若者向けかーと放置してた...。放置した後からが面白かったのに。 YouTubeのリハックに三宅香帆さんが出演されていた回が面白くて、三宅香帆さんにハマって、再びこの本を読みはじめた。そして、三宅香帆さん推しになってしまった。 この本は「労働と読書の歴史的変遷」というタイトルが的確。ただ、そんなタイトルじゃ絶対に売れないよね。 特に、大正から昭和にかけての変遷なんて、ほぉーと思わされる内容が多くて面白い。 「痴人の愛」はジョージのダメ男ぶりとナオミの魔性女ぶりが好きなんだけど、途中から連載雑誌が変わってたなんて知らなかった。 「こころ」、「坂の上の雲」、「舟を編む」などなど、引用文献が好き過ぎる。ときめく。 できれば、石川啄木は、著名な文豪というよりも、残念キャラとして紹介してもらえるともっと楽しかった(石川啄木ファンの皆様から炎上する。謝っておきます)。 結論「半身で働くという提案」 結局、結論もゆとりだったけど、それはそれで良い。本当にそうなれば良い。 私は、1凡人+1凡人+1凡人+・・・=超凡人として、全身全霊、分身の術を使いながら働いて、ようやく普通に生活できてるんだけどね。私の周りの人たちは、私が何人いると思ってんだろう。半身になったら、誰かが私の分働いてくれるんだろうけど、それができない悲しいサガ。 資本主義では、資本のない凡人は、半身で働くと、ただの貧しい人になるよね。それはそれで満たされる日々がやってくるんかなぁ。 脱成長も流行ってるしね。 三宅香帆さんは、仕事が半身だとしても、0.5天才=超天才だ。 何なら、三宅香帆さんの活躍ぶりは、半身とは矛盾してる。あれが半身ならどうかしている。 三宅香帆さん、さらなる活躍を期待してます。
33投稿日: 2025.05.23 - mannz"powered by"
半身社会を目指そう。 確かに個人的にも読書ができる余裕がある日常は、 充実感があるし良いと思う一方、 仕事に全力で取り組んで目に見える成果が出せた時も、それはそれで大いに充実感を得られる。 つまり全身でも半身でも、その時々の個人の意向次第で自由に選択できる社会が理想だと考えるが、 どうやってそれを実現していけは良いのかは全く想像つかない。 義務教育を含め、社会として全体に同様の概念を学んで、認識を合わせていかないといけないのかな。
0投稿日: 2025.05.22 - 2334068番目の読書家"powered by"
半身で働こう。「なぜ働いてると趣味を楽しめなくなるのか」とも通ずる本だった。目紛しい現代人の生活スタイルでは日々生き抜くので手一杯。読書に限らずその他多くの趣味で息抜く暇すらない。果たしてそれは自分の望む生き方なのかと問いてくれたように感じた本。
0投稿日: 2025.05.22 - 儂"powered by"
全身で仕事に取り組む、長時間労働から転換し、半身で働こう、ということだけど、 筆者も、筆者の見ている範囲も、転換を選べる層なんじゃないかな。 多分、土日祝休み(あるいは、それと同等の日数の休日)は一般的ではない、って知らない人じゃないかな。鮭のKIRIMIちゃんみたいに労働者全員120日は休んでる、って思ってそう。 国家試験のIパスだって、全身労働による搾取=人件費削減、と励行している。 結局「自己責任」って言われたかんじ。
0投稿日: 2025.05.22 - あじ"powered by"
皆様日々の労働お疲れ様です。 時間がない。 時間があっても違うことをしてしまう。 でも、できたらもっと本を読みたい...そんな人のための解決術本!!!!ではありません。 歴史と混ぜて人々が本を読むきっかけを辿っていく内容が主です。 最後本を読めるようになるためのきっかけづくり アドバイスは付属していますがおまけになります。 私の場合の最高の読書時間は 早起きして近くのカフェで大好きなコーヒーと一緒に2時間くらい本を読むことです。 超絶贅沢な時間の使い方な感じがして、たまにできるとめちゃくちゃ元気になります。 この本を読んで改めて、本に儲ける時間を大切に日々過ごしていきたいと感じられました。
0投稿日: 2025.05.22