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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
三宅香帆/集英社
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総合評価

1274件)
3.8
296
458
332
62
9
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    働き方、の時代背景と共に読書や娯楽について順を追って書かれているので読みやすいです。 映画、「花束みたいな恋をした」の登場人物からみえる働いていると本が読めなくなるという話。 そこから展開していく日本の働き方。 まさに本が読めなくなった人に読んで欲しいと思いました。 本を読むことって素晴らしいなって。 働く事に全身全霊でいくのがかっこいいとは思うけれど、余暇も大事にしたい。 知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かってない。何を欲望しているのか、私たちは分かってないのだ。 自分から遠く離れた文脈に触れること。

    2
    投稿日: 2024.05.24
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    タイトルにしっかり釣られて購入。 私の場合、「私の周囲にいる同僚や友人は何故本を読まないのか」という疑問を抱いている。恥ずかしながら、私は部署で最も残業が多い。テレビも見ないしゲームもしない。毎日の通勤電車の中で読書するルーティンがストレス解消になっている。1970年代のサラリーマンのようだ。今も通勤電車の車内にいて、周囲を見渡すと、座っている人は全員寝ており、立っている人はスマホをいじっている。1割の人が読書をしているようだ。 本書では労働者と読書との関係「日本人の読書歴史」を、明治時代から順に丁寧に解説している。立身出世を目指す若者が読んだ本、労働小説(お仕事小説)の登場、女流作家の登場、自己啓発書の流行など、面白い。そして筆者は「2010年代では、読書はもはやノイズ」と述べている。ショックだがこれが現実。 全身全霊の働き方、生き方が求められる日本社会で、日々余裕が無くなった現代人が、コントロールの出来る要素(低負荷要素)のスマホゲームに没頭したり、すぐに答えの得られる動画コンテンツや自己啓発書に群がるという著者の推論は予想通りだった。「忙しくて読書ができないがパズドラはできる」若者の例は滑稽であった。 現代の読書離れの原因が、必ずしもスマホ等情報媒体の進化だけでは無いと思う。そりゃ忙しくなれば他人に興味は持てなくなるもの。偶然性の情報(本書で言うところの、ノイズ)の中から新たな知見を得ることだって、読書の魅力である。それは、見知らぬ人に出会い、予期せぬ話を聞いて楽しむことと一緒ではないだろうか?

    49
    投稿日: 2024.05.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ン、、、ン〜〜っ⁉️最後のほうが腑に落ちなくてモヤモヤ…… 大正から令和にかけて10年ずつに区切って人々の労働環境と出版や売れ筋の傾向を整理していくのがメイン。最後にまとめとして筆者なりの問題提起と提言がなされるのですが……「半身で働く」ことができないから皆この本に縋っているんだヨォ……となってしまった。ちょっとぶっつけ感のある締めくくりだった。何より、新卒で働いていた会社を辞めて専業の書評家になった三宅さんから、「麦くんも働きながらイラストを描けば良かったのに、と今でも思っている(表現曖昧です)」という言葉を聞きたくなかったなぁ……と。本人の労働への向き合い方が問題なんじゃなくて、こんなに働いても十分にお賃金が貰えない社会設計がおかしいんだよ……って思うけどな……まぁそれを承知の上で書かれているんだと思いますが……。税金下げようよ……。 ベストセラーの分析(恋愛から労働へとか)は、なるほどな!と思うことも多く勉強になった。でも、三宅さんなりの分析はざっくばらんなことがたまにあったように思う(『ノルウェイの森』『窓際のトットちゃん』『サラダ記念日』の3冊のベストセラーの理由を「私語り」でくくるのはちょっと強引すぎないか!?あと、さくらももこのスピリチュアルな面については社会情勢以上に個人の生い立ちが関係している気がする)。 色々書きましたが、これだけ長く資料の多いトピックについてコンパクトかつ読みやすくまとめた筆者の労力にまずは感謝。Twitterでも話題だし、読書の在り方というトピックについて身近に語るきっかけになったという意味では非常に意義深い1冊。

    3
    投稿日: 2024.05.23
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    「読書はノイズである」というのはとても腑に落ちた。 ノイズってどういうこと?と思った方はぜひ読んでみてください。

    2
    投稿日: 2024.05.23
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    タイトルに惹かれて購入。 読みやすいけど、タイトルに対する回答に物足りなさを感じた。 後半は労働に対しての考え方、取り組み方について記載されてた。

    11
    投稿日: 2024.05.23
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    今の時代自分を追い詰めて頑張ってる人が多いのも、そういう働き方の仕組みだったからなのかと背景を知ることができた。

    2
    投稿日: 2024.05.23
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    まず、浅学者としては、労働史と読書史を過去から現代まで俯瞰するという体験に終始ワクワクしていた。 作者はバリキャリ志向に傾きがちなバイタリティ溢れる女性でありながら、本の虫という珍しいタイプだけど、その個性が存分に発揮されている。 ただ日本の現状を鑑みれば、仕事に半身だけ浸かるというやり方は、中産階級以下にとっては経済的自立から遠ざかることになりかねないと率直に思う。

    1
    投稿日: 2024.05.23
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    自分が置かれている状況そのものズバリを表したタイトルに目を奪われて購入。日本の近代史を振り返りながら、労働と読書の関係性を辿る論著。各種文献からの引用が多数を占めており、借り物の言葉で埋め尽くされた印象は拭い切れないが、著者なりの言葉で労働と読書の両立法を定義しようとする姿勢は好印象。特に『読書=ノイズ』という表現は妙にしっくりきた。私の場合、仕事に割り振るリソースが多くなるほど、限られた余暇を欲しい情報だけが手軽に手に入るネットに費やしてしまうきらいがあり、ノイズを愉しむ精神的余裕が切実に欲しいところ。

    2
    投稿日: 2024.05.22
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    半身で働こうというメッセージにとてもとても共感した。そうしたいと、ずっと思っていた。 生活・自立・社会への役割としてお金になる仕事もしたいけど、自分がいきいきと生きるための時間(美術に触れたり創作したり、旅行に行ったり、大事な人と過ごしたり)も大事にしたいです。 明治頃は教養を身につけることで自己実現をし、現代は働くことで自己実現をすることを目指すような状況があることの説明によって、なぜこんなにも仕事に価値や重きが置かれているのかとても理解出来た。 読んで良かったです。

    3
    投稿日: 2024.05.22
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    「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。 「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。 自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。 そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは? すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。 最終的には、労働にどう向き合うかについて書かれた本だった。

    20
    投稿日: 2024.05.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    本屋さんを何件か回ったけど、なかなか出会えずAmazonで購入。 インターネットはノイズを含まない解が出るのに対して、読書には多くのノイズが含まれているというところに考えさせられたなぁという感想。 自分はYouTubeや音楽でも自分のお気に入りのアーティストばかり見たり聴いたりしてしまうし、本だってミステリーばかり読んでいた。 なんか無意識的にノイキャンしてしまってるのでは?と思って、それはもったいないからいろんなところから情報を入手できるように心がけようと思えた。

    2
    投稿日: 2024.05.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    思っていた内容と少し異なっていて、拍子抜けな感じと、目からウロコな感じと、両方味わうことができて、大変良かった 取りあえず、「全身全霊で働く」ことをやめ、「半身で働く」ことから始めてみようと思いました

    2
    投稿日: 2024.05.20
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    この本は読書と仕事と人間の関係性というアプローチから、現代人の病理みたいなのを分析している面白い現代人、現代社会評論でした。(長文でしっかりレビュー書いたのにボタン押し間違えて消えて、二回目書く気なくなったのでこの程度で。)

    2
    投稿日: 2024.05.20
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    タイトルが気になったので、手に取ってみた。かなり話題の本のようで、同じような思いや悩みを持っている人は、多いのだろう。 ネットの役割を十分に評価した上で、それでもネットにはなくて本にあるものは、自分の知りたい情報以外の何かだと著者はいう。著者はこの何かをノイズと名付ける(関連して、「教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れること」という著者の定義は、カッコいいと思う)。 要は、今は忙しすぎてノイズに触れる余裕がない。しかも厄介なのは、強制ではなく「自発的」に働きすぎてしまう社会になってしまっていること、というのが著者の結論。本を入り口として働き方を考えさせられる1冊になっている。 ほか、高度成長期の司馬遼太郎ブームや、1980年代のカルチャーセンターブームの背景など、興味深い議論が色々と提示されている。

    28
    投稿日: 2024.05.20
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    さまざまな事例を引きつつ、日本における労働の歴史を紐解きつつ、「読書」という行為の持つ意味や労働との関連を考察する。序章冒頭の「花束みたいな恋をした」からの例、「パズドラしかやる気しないの」に頷きまくる諸氏も多いのではないか。「全身全霊で働く」蜜のような味から、「半身で働こう」へと。身に沁みた本。

    2
    投稿日: 2024.05.19
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    日本における読書の位置付けを「働き方」と「労働者の悩み」を軸に歴史的に振り返る。 読書が立身出世という概念を啓蒙する形で広まったのち、地位獲得やコンプレックス解消のために用いられていた時代から,徐々に教養の大衆化が進み、企業・社会が自己啓発を求め出すことや、地位獲得における教養の方がコミュニケーション力に取って代わられるに連れて、徐々に読書の中心も自己啓発書にとって変わって行った。 その中では、以前は前提であった立身出世や,地位獲得自体の相対的な価値が低下して、外的環境から守る自己実現の重要性が強調される。 自己啓発書はノイズを排除する役割であるのに対し、人文書や文芸書はノイズを生成する役割を果たし、後者はゆとりがない人には難しい。しかし、ノイズない人生が楽しいのかというのが筆者の問題提起。 自己啓発書の背景にある外的環境から独立した自己実現は結果として、格差の解消などの構造的な背景を後景化するし、個人の対策である立身出世を過度に否定すると言えば,現状の固定化に寄与する側面もあると思った。 これはまさに、麦と絹の関係性にも現れており,その点でも「花束みたいな恋をした」は示唆深い作品だったといえるのかもしれない。

    3
    投稿日: 2024.05.19
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    「教養」と「情報」の違い。それがノイズの有無で決まる。 なるほど!と思った。現代社会の忙しさの原因分析も説得力がある。

    2
    投稿日: 2024.05.19
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    まさにそう。好きな読書、疲れ過ぎて、カバンに本を入れていても、取り出せない、読めない、スマホをペラペラめくる。読み始めても、スマホのSNSの方が楽....。頭と心に余白が欲しい。

    8
    投稿日: 2024.05.18
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    ノイズ。今欲しいのは情報であって、読書体験はノイズを含むという表現が、わたしのモヤモヤをスッと言語化してくれた。 花束みたいな恋をしたの麦の引用がたくさん出てきて、わかりやすいし、納得することが多くて、首を縦に振りまくりながら読み進めた。 別に読書論を語る本ではなくて、現代の労働についての問題を読書を通じて考えさせられた。 仕事で疲れた時は、この本を読み返そう。

    3
    投稿日: 2024.05.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    今話題になっていて、読書に関する内容だったため、久しぶりに新書を読みました。 タイトルの答えとしては、仕事のしすぎで読めなくなるから。だから半分の力でやろうよというところで終わった気がします。 解決策を求めようとしてこの本は読まないほうがいいかもしれません。でもこれからの時代の考え方に加え、読書と労働の視点で説かれる論を知ることは読んでよかったと思いました。

    2
    投稿日: 2024.05.18
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    メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1791675546721722615?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

    3
    投稿日: 2024.05.18
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    オビの「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」の文字が大きく目立つが、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がタイトルである。 スマホが脳に与える悪影響についての内容を予想して読み始めると意外や意外の球筋で、日本社会のあり方を論じている。 語り口はクセがなく平易。本好きの著者自身が、就職した途端に本が読めなくなった。その理由を博覧強記の読書歴を元に掘り下げていく。ひたすら掘った成果が本書である。 労働と両立させたいと願う個人の文化生活が、著者にとっては本を読むことだった。日本の読書史を労働史に重ね合わせ、明治時代に遡って論じる射程の長さと目配りの良さが両立している。 働きながら人間らしい文化的な生活を送るためにはどうしたら良いか。著者が巻末に置く提言は、国が推し進める働き方改革とは似て非なるものである。 2024年のベストセラーに入ってほしい。

    14
    投稿日: 2024.05.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    以前に読んだ「映画を早送りで観る人たち: ファスト映画・ネタバレ-コンテンツ消費の現在形」と関連した話で非常に面白かった。かつ、今の自分に響く内容も多かった。 【読書と優越感】 「自分が学ぶ動機付けを持った人間だと思いたい一心で、あれこれの勉強を買い漁る」という言葉は非常に今の自分に刺さった。成長意欲、自己実現欲求はあり何者かになるために技術書やビジネス書を買い漁って読んでいるものの、大して成長できず結果も出ない状況に日々焦燥感を感じている。 いつの時代も、本流でない場所で学ぶ人々には蔑みの視線が向けられている。かつてのカルチャーセンターから今日のオンラインサロン。「エリートによる優越感からくる攻撃」はエンジニアでもよく見られ、プログラミングスクールへの視線も似たようなものである。 【仕事と自己実現】 長らく、やりたいことを仕事にする、仕事で自己実現する風潮なんて無かった。かつては働かなければ生きていけず、人々は生きるために働いていた。教養よって自己実現・自尊心を保っていた。しかし、今日ではやりたいことを仕事にし、仕事で自己実現することが推奨されている。 仕事への過剰な意味付けにより、無謀な夢を追いかけて困窮したり、働きすぎで鬱や過労死が生まれている。 能力主義が神聖化されることで、「頑張れば何でもできる≒頑張らなければ何にもできない」という価値観が形成されてしまい、疲れるようになってしまった。 仕事による自己実現や能力主義による努力の推奨が段々強くなるにつれて「何事も全力でなければならない」という価値観が生まれてきてしまった。全力でやるのは楽しくはあるが、何事も全力でやるのは疲れすぎるし、全力で出来ないことを切り捨てることになる。それはそれでどうなの?とは思える。 【感想】 ・一歩引いてみて、仕事で自己実現なんてしなくても良いやと思っても良い ・「死ぬほど全力でやっている1つのこと」も大事だけど、たまーにやる楽しいこと、テキトーにやってる楽しいことをたくさん持つのも良いことだ

    7
    投稿日: 2024.05.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

     各方面で話題になっており内容が気になったので読んだ。超キャッチーなタイトルだけれども中身はかなりカッチリしていた。労働史と読書史をかけ合わせ、定性的かつ定量的なアプローチにより日本における読書の受け止められ方を分析、さらには読書ができる社会環境の提案にまで至る良書だった。  労働、読書の歴史を交互に紹介しつつ著者の考察がその間を繋ぐように展開される構成。一番オモシロい点は映画『花束みたいな恋をした』のシーンが起点かつ通底するテーマとなっているところ。シーンの概要としては、主人公が「本は読めないしパズドラしかやる気がしない」と喝破するといったもの。映画を見た人にとって非常に印象的で語りしろのあるシーンである。タイトルのキャッチーさに比べると史実ベースなので結構重たく感じるものの、随所でこのテーマが差し込まれること、また著者の口語調の軽い文体もあいまって読みやすくなっていた。  まず読んで驚いたのは自己啓発的な概念が最近生まれたものではなく明治の頃からあったということ。しかも自己啓発書を読む人を蔑む視点までセットで存在したなんて信じられない。短期的か長期的はさておき、何か自分にとって役立つ可能性にかけて読書する。そして読書している自分という自意識まで。このあたりの認識が昔から変わっていないことを修養、教養をめぐる一連の歴史や爆売れした円本の話を絡めて分かりやすく解説してくれている。印象論ではなく丁寧に文献にあたっている点に敬意を抱いた。  社会環境に影響を受けて売れる本が変わってくること、特に本著では労働環境にフォーカスして考察しているわけだが、司馬遼太郎を読んでいた時代から自己啓発書の百花繚乱時代まで労働に対する価値観が与えている影響を強く感じた。「教養さえあれば」「行動の方法さえわかれば」といったように手軽に人生を変えたくて読書する層はいつの時代もマスとして存在することが理解できた。  SNSを中心にネットを見ることはできるのにどうして本を読めないのか?という論点ではノイズの有無がキーワードになっていた。読書は未知かつ雑多なノイズを含むのに対して、ネットでは必要な情報が選別されておりノイズが含まれないことが多いから。また本を読むより手軽に情報を得られることも影響が大きいだろう。これらに加えて自分に必要な情報に対する偶然性を期待している点もあると思う。読書におけるセレンディピティをもちろん愛しているが、SNSのガチャ的な要素はギャンブルと同じでどうしても反応してしまう。直接関連するわけではないが、以下は今の社会を象徴するような内容だった。 *〈インターネット的情報〉は「自己や社会の複雑さに目を向けることのない」ところが安直であると伊藤は指摘する。逆に言えば〈読書的人文知〉には、自己や社会の複雑さに目を向けつつ、歴史性や文脈性を重んじようとする知的な誠実さが存在している。  しかしむしろ、自己や社会の複雑さを考えず、歴史や文脈を重んじないところ――つまり人々の知りたい情報以外が出てこないところ、そのノイズのなさこそに、〈インターネット的情報〉ひいてはひろゆき的ポピュリズムの強さがある。  従来の人文知や教養の本と比較して、インターネットは、ノイズのない情報を私たちに与えてくれる。* 読書を通じて積極的にノイズを摂取することで日常と異なる文脈を取り入れる重要性も説かれており、自分自身はまさにそのために読書しているところがあるのでよく理解できた。  終盤に著者が提案する「半身」の考え方も今の時代にフィットするものだ。若干清貧に近い価値観なので新自由主義者などは納得しづらいだろうけど、社会全体でバッファーをもって生きていく必要性は子育てしているのでよく感じる。全員がパツパツまで追い込まれる必要はなく余裕のある社会になったとき人は本を読めるという主張に大いに納得した。近年では仕事を自らのアイデンティティと捉えてノイズを極力除去し自分のコントーロラブルな範囲でアクションにフォーカス、余暇はあくまで自分の外側にあるものとする価値観が跋扈している。そんな最適化の先に待つ未来において精神的な豊かさは残っているのだろうかとも考えさせられた。これからも読書できる環境を整えていきたい。

    16
    投稿日: 2024.05.15
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    自分から遠く離れた文脈に触れること=読書である故に、遠くを知りたいと思う余裕がないと読書が出来ないというのは肌感覚に非常に合致する。 過去から続く日本人の読書との向き合い方から導き出された著者の読書論は読んでいて楽しかった。

    6
    投稿日: 2024.05.15
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    2024年 27冊目 タイトルに惹かれて読了。文章の節々に、内容を裏付ける文献を抑えつつ、最終章に著者の伝えたい内容が凝縮されてて、気合の入った論文を読んでるかのような気分であった。つくづく日本人って働きすぎだな、と思う。

    5
    投稿日: 2024.05.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    非常に読みやすい説明文。中学受験の国語問題とかに採用されそう。読書とは自分から離れた文脈に触れること、読めない状況とは新しい文脈をつくる余裕が無い、ノイズだと思ってしまう。余裕が無いのは全身全霊で働いているから、半身で働こう。

    5
    投稿日: 2024.05.13
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    現代社会で働きながら読書を楽しむことの困難さを深く掘り下げた作品。また、自己啓発書がなぜ多忙な現代人に受け入れられやすいのかについても触れられている。「ノイズ」を最小限に抑えることで、限られた自由時間を最大限に活用する手助けをしているからだという。この本から得られる教訓は、現代社会が私たちに求める無尽蔵の労働に対して、自身の生活の質を守り、文化的な豊かさを追求するための戦略を練ることの重要性だということ。あと映画「花束みたいな恋をした」も本書で触れている。

    5
    投稿日: 2024.05.12
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    明治以降の読書の歴史と労働の歴史から、なぜ働いていると本が読めなくなるのかを平易な言葉で説明している。 時代や社会の変化と共に読書の意味合いやベストセラーになる本の特徴も変わり非常に勉強になった。著者の提言として全身全霊で仕事や家事や趣味を行うのではなく半身で向き合うとう発想は現代を生きるうえで大切な視点だと思いました。

    10
    投稿日: 2024.05.12
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    "本読みあるある"をまとめた本と思いきや、今の日本社会や働き方への疑義や提言が盛り込まれて頷けることばかり。読書の大切さを説きつつも、それが絶対ではないとするバランス感覚も好みです。読書史と労働史の解説も良かった。

    6
    投稿日: 2024.05.11
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    読みやすかった。「読書」の歴史から読み解いて、現在の読書のあり方を提示しているのは、新しい発見が多かった。 わたし自身も本を読む余力が健康度の指標になっていたなと感じた。もっとたくさん本を読みたくなった。

    7
    投稿日: 2024.05.11
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    本を読むために会社を辞めた。そう著者は言う。よっぽど本が好きなんだな。でも仕事まで辞めなくたっていいじゃないか。そう思うかもしれない。しかし、本をたくさん買いたくて就職したのに、働き始めたら本が読めなくなってしまった。これでは本末転倒である。 この「働いていると本が読めない」が、どうも他人事ではない。それが本書の売れている理由らしい。読書だけではない。社会人になったら趣味の時間が持てなくなった。そういう心当たりのある人は多いだろう。 時間そのものがないわけではない。スマホでSNSや動画を眺めたり、ゲームをすることはできるのだ。それなのに読書はできない。その理由を「歴史的に」明らかにしたのが本書である。 偶然だが、この本を読んでいるときに、NHKスペシャル「山口一郎〝うつ〟と生きる~サカナクション復活への日々~」を見た。いちばん印象的だったのは、彼が「あんなに好きだった音楽ができなくなった。ギターを触ることさえ嫌だった」と語るところだった。 うつ病というのは好きなことから順番にできなくなるようだ。たとえば、映画が好きだった人が「2時間も座って見るなんてしんどい」と思うようになり、ドラマを見るのが好きだった人が「また今週も見なきゃいけないのがつらい」と言い始める。それなら、読書が好きなのに本が読めないという現代人は「プチうつ病」に罹っているのではないか。 本書は労働史と読書史を辿ることによって労働と読書の関係、そして各時代に日本人がなぜ本を読んでいたかを紐解いていく。詳細は実際にお読みいただきたいが、いろいろ面白いトリビアがあった。 たとえば、読書はしばしば階級格差を超克しようとする行為だったことがわかる。漱石の小説にも見られるように、明治期には読書はインテリ層の男性だけに可能な教養だった。それが大正時代に入って新中間層が誕生し、彼らが自己を労働者階級から差別化するために本を読む。また、1950年代には本を買えるのはまだサラリーマンに限られていたが、労働者は雑誌を読むことでこれに近づこうとした。さらに80年代には、社会に進出し始めた女性たちがたくさん本を読むようになる。 ほかにも、「円本」というのをご存知だろうか。ご存知なくとも見たことはあるはずである。古本屋でよく見かける「日本文学全集」みたいなやつである。あれは関東大震災で大打撃を負った出版業界の、起死回生の一手だったのである。もともと1冊1円だったから円本なのだが、当時の書籍の値段は2円ぐらいだったので、これは破格である。しかも、毎月1円という今のサブスクみたいなもので、「これさえ読んでおけばOK」というセレクションなのだから売れないはずがない。ただ、必ずしも読むために買われたわけではなく、書斎のインテリアとして購入した人も多かった。もちろん、出版社だってそれを見込んでいたのである。「昔の人は真面目に読書したんだなァ」と思ったら大間違い。円本を読んだのは購入した人々よりも、それが家にあった子供たちなのかもしれない。 閑話休題。労働と読書が両立しない理由だが、ポイントは2つある。1つ目は「情報化社会」である。情報化社会の到来によって、教養は情報に負けた。 『電車男』という本をご記憶だろうか。主人公のモテない男が、エルメスという手の届かない女性との恋を、2ちゃんねるの住人たちが伝えてくれる情報によって成就させていく実話である。別な言い方をすれば、これは「情報」によってヒエラルキーを克服する物語である。 教養と情報の違いは何か。情報とは、知りたいことや必要なこと以外を削ぎ落とした、ノイズのない知識だという。電車男がネット掲示板を通して得た、自分に最適化された知。それが情報である。階級差を克服するための教養は、現代では情報に取って代わられた。言われてみれば、ひろゆきは従来の権威を「情弱」と切り捨てることでヒエラルキーを転倒させた、稀代のトリックスターだったのである。 情報が溢れたネット社会では、読書によって得られる教養なんて無駄な知識以外の何でもない。うるさいノイズなのである。 2つ目のキーワードは「新自由主義」(ネオリベラリズム)である。最近やたらと耳にする自己責任論。給料が少なくて生活できないと、それはそういう仕事を選んだ自分の責任だと言われる。収入を増やしたいなら資格を取るなり休日に勉強するなりして、もっといい仕事に就けばいい。 「趣味にうつつを抜かすのは自由だけど、どうなっても自分のせいだからね」。こう言われると、趣味で本を読むのも引け目を感じてしまう。いま以上に長時間労働の時代は過去にもあったが、生活態度の上でも「余暇に好きなことをする行為」の自粛を迫られているのは、現代だけではないだろうか。 では文化を享受し、余暇を楽しむ行為としての読書を取り戻すにはどうすればいいか。それは世の中を変えるしかない。市場の波にうまく乗るのではなく、波そのものに抗うこと。ノイズだらけの世界に向かって、もう一度自分を開くこと。 もちろん、個人にとって簡単なことではない。だからかどうかはわからないが、巻末には「働きながら本を読むコツをお伝えします」というあとがきが付されている。その中に書かれてはいるものの、著者があまり強調していないので、お節介だが筆者から力説したいことがある。それは、「読めなくなったら休め」ということである。 うつ病にとって、最良の治療法は休むことである。ゆっくり休んで、また「読みたい」という気持ちが湧いてくるのを待つ。絶えず結果を求められる世の中で、「待つ」という態度は楽ではない。だが、この「待つ」という胆力が持てるかどうか、それが現代社会を生き抜く秘訣という気がする。

    42
    投稿日: 2024.05.09
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    読書の歴史については知らない事ばかりだったので楽しく読めた。 読書したくなくなった事がないのでもう半身的に生きているのかもしれない。ただの活字中毒かもしれないけど、ノイズに塗れて生きていきたい

    4
    投稿日: 2024.05.08
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    知識とはノイズ➕知りたいこと 情報とは入りたいこと。 近年は知りたいこと(情報)のみを求めてノイズを削除しようとしている。 これは断捨離や、自己啓発本からもみて取れる 仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを受け入れることが大切。 今の自分には関係のないノイズをあえて受け入れる。

    1
    投稿日: 2024.05.07
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    話題になっているので、手に取ってみました。 読む前は、なぜ読めなくなるのかについて精神論や脳の仕組みからの話があるものと思っていましたが、読んでみると戦後の日本の歴史の流れから人々の慣習や意識がどのように変わっていったかを追う構成になっており、意外な内容でしたが、考えたことのない視点だったのでとても興味深かったです。 自分が生きていない時代のことは、へー!と新しく知ることばかり。 歴史で習っていることは、一部の動きや流れで、それに振り回されたのか大衆が動かしたのか、一般庶民についてはそこにフォーカスして動きを知ろうとしないと掴めないものなのかなと思いました。 自分が生きている間の話は、単語での説明は考えたことはなかったですが、肌感覚でなんとなく感じていたことが言語化されていました。 全編を通して、本への愛情を感じるものでしたが、本を読みながらちょっと嫌な予感がしていたのですが、あとがきを読んで確信と変わりました。 自分は、本の感想をこうして記録することは好きですがSNSで語り合うことは苦手で、それをしている人たちの界隈すら苦手です。 本が記号的になっている感じがしたり、人間関係は複雑なのでおべっか感想とか賛賞とかあったら嫌だなと思っています。本、作品そのものに真摯に向かうものだけではない、そのほかのことを気にしたり慮ったり、言いたいことが言えないことになるのは嫌だなと。 でも、この本の中でちょこちょこ触れられていましたが、本の文化が栄えるのであれば手段を選んでいる場合ではないし、いろんな形で盛り上がれば良いと思うので、わざわざ絡みにいって否定したりはしません。 半身の話は、理想ではありますが実現に至るまでの現実的な著者の考えや意見(どこから取り組みを始めるか、農産業は、医療従事者は、など?)が足りていない点に、少し頼りなさを感じ本の失速を感じました。 ただ現状のホワイトカラーの人の会議まみれの無駄な時間の働きは嫌だなと思うので、変えたらどうかという意見が出るのは良いことと思います。 この本が話題になれば、いろんな人の頭の中に著者の「半身」の考えが浸透して、そこから人それぞれ少しずつ行動や意識が変わっていったら…と社会が変わる可能性もあるのではと期待ができる気がして、本のロマンだなと。 本と大衆の動き、当たり前ですが相関関係があるんだな〜と。 文庫化を待たず単行本が発売されたタイミングとか流行っているタイミングで手に取ることがその本をより理解できる(本の内容だけでなく、なぜその本がこのタイミングで出版されたのか)と思っていましたが、今まで以上に、芥川賞・直木賞の受賞作はリアルタイムで享受した方が良いのかもと思わされました。旬のうちに。 働いていると本が読めなくなる理由に、スマホの悪影響があるのではないかと、気になるのでその視点の可能性もほのめかしてもらえたらより面白くなった気がします、個人的に。 脳の興味の奪い合いでスマホ一強の時代というか…脳の仕組みからもどういうものなのか知りたいです。 本だけでなく、LINEなど返事はしていないのにSNSは更新したり読めたりできることについても、似たようなことが言えるのかなぁ。。

    3
    投稿日: 2024.05.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    結論:資本主義と新自由主義に魂を売るな! SNSで話題で、自分自身課題感があったので読んでみた。 スマホばかり見てしまうあなたに、という帯とは裏腹に日本の読書史と労働史に対する考察で、前々からなんとなく感じていたことやモヤモヤしていたこと(ex.ビジネス書や自己啓発本を読むのは読書というのか?現代人は職業人としての自分を内面化しすぎでは?など)の点と点が繋がった。 私自身キャリアチェンジをするというときで時には勉強や仕事に全振りしなければいけないかもしれないけど、それに自覚的になること、仕事だけが自分の全てではないこと、日単位じゃなくてもいいから月・年単位では家事や趣味や余暇や「無駄な時間」含めていろいろな活動をして自分の中で良いバランスを探っていくことを大事にしたい。 最終章でバーンアウトについて触れていたが、私は頑張りすぎる方ではなくどちらかというと最後まで頑張れなくて詰めが甘く、まさにバーンアウトできるぐらい頑張れる人に憧れやコンプレックスを抱いていたり、ショート動画ばかり見て「時間を有意義に過ごせていない」ことに劣等感を感じていた。 (もちろんショート動画よりは読書に時間を使いたいが) そういった自分を少し肯定できたのと同時に、あらゆる呪いから自由になり、自分にとっての豊かな時間、豊かなあり方を模索できたら良いと思う。 ーー ★時間とお金のムダ ★★普通〜微妙 ★★★よかった ★★★★心が動いた(感動した、意表をつかれた、ショックだった) ★★★★★人生の本棚に入れたい  

    5
    投稿日: 2024.05.07
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    時代ごとに売れた本の歴史を紐解くことで、そのときどきの仕事に対する価値観がわかりました。本が読めなくなった理由=その他の娯楽増加 という考えではなく、その娯楽や売れてる本から現代人は何を求めているかという点は、ハッと気付かされるものがありました。

    16
    投稿日: 2024.05.06
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    #なぜ働いていると本が読めなくなるのか #三宅香帆 さん この本を読む人は本を読む人、本が好きな人かも 読みやすいカジュアルな文体 労働の歴史と読書を含む趣味・生活との関わり方 メディアと本の売れ方 通勤電車と文庫本の相性 カルチャーセンターをめぐる階級 女性文学、女性作家の80年代 そして 『読書とはノイズである』 インターネット時代、検索だけで辿り着く答え インターネットのノイズのなさ、人々の知りたい情報以外が出て来づらいからこそ、本が読めなくてもネット情報は読めるという一文に深く共感 でもだからこそ読書のノイズ性 読書という段階、構成、周り道、を経て辿り着く答え そこから偶然に得る答え以外の考え方、知識を本を読む事で取り入れる事が出来る 情報=知りたい事 知識=ノイズ+知りたい事 著者様と同じく、半身で働く私も本を読むために仕事を調整しているタイプの人間 本を読むため、日々の暮らしを楽しむために仕事をしているのであって、仕事のために暮らしているのではないと思えたら気持ちが楽になった 本を読む事で新たな人脈も広がり、仕事にも活かせるようになって来た 最後の働きながら本を読むコツのほとんどが実践していることばかり 自分の気持ちや行動を言語化してくれた著者様に共感と感謝を捧げる一冊だった

    6
    投稿日: 2024.05.06
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    日本人の読書の歴史について多く書かれていて、興味深かった。円本の辺りの流れが面白い。 労働者たちが階級を上げるために自己啓発本や「成功」などの雑誌を読むのをエリートたちは冷ややかに見ている、という図は今でもあるよなぁと。 後半の読書はノイズであるというテーマも興味深かった。働くことにおいて雑多な知識が入ってくる読書はノイズであると。欲しい情報だけをすぐに得られるスマホの方がやっぱり楽だよねと。読書はできなくても自己啓発本なら読めるのもよくわかる。明日使える技術とかね…。 読書と教養についても沢山書かれていた。 「教養とは、本質的には、自分から離れたところにふれることなのである。」 全身で働くことに重きを置くというスタイルをみんな辞めていこうという提案、これも良いなと思った。 知らない知識が思いがけず目の前に出てくる読書。読書にとどまらず知らないものを面白がって知っていこうと言う姿勢、これは大事にしていきたい。

    5
    投稿日: 2024.05.06
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    丹念にまとめられた労働と読書の歴史、現代における読書・勉強と情報・娯楽の違いの考察が興味深い。 主題の考察は疑問。歴史からわかることは、階級差の中で多くの人にとっての読書は昔から娯楽か自己啓発であり、著者の言うノイズ除去。働くと本が読めなくなることに共感する人は元々読書をしていた人では。著者も触れる文化資本・経済資本の影響が大きいのでは。 半身で働くことが解決策ではない。 仕事が全てではないが、「仕事なんて、所詮仕事」と言うこともまた仕事を通じた社会との接点が見えていない。社会が見えるからこその読書。 ・自己啓発、ファスト教養の今昔。今に始まったことではない。 ・社会不安が大きくなれば、宗教と社会主義の本が流行るかもしれない。 ・自己啓発書の特徴は、自己のコントローラブルな行動の変革を促すことにある。つまり他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置く。 ・(片付け本の)部屋=私的空間をときめくもので「聖化」するという行為は、「聖化」を必要とするほど社会=外部が居心地の良くないもので埋め尽くされている、という感覚によって成立する。 ・インターネット的情報と自己啓発書の共通点は、読者の社会的階級を無効化し、今ここの行動に注目するところ。 ・読書ーノイズ(歴史や他作品の文脈・想定していない展開)込みの知を得る ・情報ーノイズ抜きの知を得る ・大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる(略)それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。 ・知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない(略)だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。

    2
    投稿日: 2024.05.06
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    自分に直接関係のない情報をいれるゆとり、それがない環境には、いま読書は存在しにくいのかも。全身全霊をやめましょう、という主張はすごく心に響きます。

    3
    投稿日: 2024.05.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ネットで紹介されているのを見て、気になったので購入した。 仕事に全身全霊だと、本が読めない。 仕事だけじゃなく、いろんなところに、ちょびっとずつ関わる余裕を持てたらいいね。 その一つが読書ならいいね、という感じ。 自分を振り返ると、確かにそうだった。 意識しないと、本を読まない時期があった。 仕事以外に何をしていたかというと、ゲーム。 不本意な仕事から逃げるために没頭していた気がする。 すぐには役立たない文脈を取り入れる余裕は、確かに無かった。 この本のような理由ではなく、自分のメンタル疲労を癒すため。 バリアを張って、「仕事はここに入ってくるな!」という意気込みで、ゲームをしていたように思う。 今はどうして、本が読めるようになったのか。 仕事の目的に目を向け、納得しながら進んでいるからか。 いるだけで心を支えてくれる家族ができたからか。 たぶん、いろいろ。

    5
    投稿日: 2024.05.04
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    開国以前の明治前史から始まる、読書と労働の社会科学的比較について、引用は多くあれど、非常に分かりやすく、知的好奇心を維持しつつ読了できる構成と内容。 読了後、本著のタイトルを見返す事で、「働く」と「本を読む」の2つのフレーズについて、自身の認識がどれほどファスト的な教養主義に浸食されているか内省できる。 同著者の今後の作品もぜひ読んでみたくなる一冊でした。

    3
    投稿日: 2024.05.04
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    タイトルに惹かれて読み出した。この本の中でも問題視されているファスト教養だが、結論が知りたくて、読書史はある程度飛ばして読んでしまった。 とばし読みも悪くはないと思うのだが、確かに教養や知識にはなっていないかも。 また読み返すかもしれない。 最終章には著者の考える読書を続ける働き方が提言されている。働き方改革が訴えられて数年。今の時代に合った内容だった。 なんでもやり過ぎは良くない…。 ワークライフバランスについて、改めて考える機会になる内容だった。

    11
    投稿日: 2024.05.04
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    読書史としては面白い。全身全霊を続けないといけない社会批判にも共感する。 ただ全身全霊を傾けたからこそ読んだ本もあるし自己啓発本で広がった視野もある。そういう意味で、たぶん論を尖らせるために除かれたノイズにも大事なことがあるような気がして残念さも残る。

    6
    投稿日: 2024.05.03
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    現代人の私には、昔の人ってたくさん本を読んでたんだよな〜位のイメージだったので、時代を追って本との距離感や捉え方を知ることができた。 その上で、働きながら本を読むにはというテーマにも触れていた。ノイズを受け取るゆとりのある生活、社会が実現できたらいいですね。 著者の「売れすぎである。」等の表現が面白かった。

    5
    投稿日: 2024.05.02
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    「なぜ働いていると本を読めなくなるのか」 大学生の身分で、働いてもいないくせに昔より本や漫画を読むのがおっくうになっている自覚があったので本書を手に取った。シンプルに疑問を解消したかった。 たくさんの文献を引用し、終始納得感のある理論が展開されており、想像以上に私にとっては響く部分が多かった。「読書と仕事」を「社会と自分」に展延して論じてくれる本書は人生観にも大きく繋がってくると思う。 本書の文章中には出てこないがこの本を読んで一つ個人的に私がキーワードだと感じるのは「短絡さ」であると思う。その場しのぎの、自己完結してしまうような短絡的な人生観と読書は相容れない。色々なことに興味のアンテナをたて、楽な方に流れない、生きることにもっと希望を持てるような社会が人々の「短絡さ」を解消し、より読書が楽しめる世の中を作るのではないかと感じる。

    22
    投稿日: 2024.05.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    本が読めるということは、働いていないということか(対偶)と思いつつも、自分にも「今日、SNS見てた時間で短編一本は読めたな…」と、思うことが多々あるので、手にとってしまいました(^o^;)。資格の勉強し始めると全く本、読まなくなるし。 明治時代以降の労働と読書の関係の推移から、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の謎に迫る面白い一冊でした! かつては“知識”または“教養”を得ることが、労働階級に生まれた人が、のし上がるための希望になっていました。 けれども、インターネットの台頭により、ノイズのある“知識”ではなく、ノイズのない“情報”を手に入れられるようになったこと。また、環境的に不利な人にとって“知識”や“教養”ではなく、最新の“情報”こそが、一発逆転のチャンスであると捉えられていること。だからこそ、ノイズのある“知識”を得るための読書から人々が離れつつある、と理解しました。ちなみにここで言うノイズとは、今、知りたいと思っているわけではない、未知の情報のこと。 なぜ、そこまで早急に“情報”のみを得る必要があるのかというと、それは新自由主義のもと、自己決定と自己責任が推奨され、人々にノイズを楽しむ余裕がなくなってしまったから。 このような背景の元、著者の三宅香帆さんは、労働に「全身全霊」になるのではなく「半身」で望む世の中になることが望ましい、と主張しています。 私も仕事「半身」、家事育児「半身」で生きてて、おかげでメンタル病まなくて済んでるかもな…と思うことがあるので、「半身」生活には大賛成なのですが…読書のために仕事に「半身」になれる人は少ないだろうなぁ、と思いました。本書の前半でまとめられている労働と読書の歴史を読むとなおさら。 「努力すれば成功できる!」的な自己啓発本は、なんと、明治時代から存在し、さらに、同じような時期にニーチェが『ツァラトゥストラ』にて ================== 君たちはみんな激務が好きだ。 速いことや新しいことや未知のことが好きだ。 君たちは自分に耐えることが下手だ。 なんとかして、君たちは自分を忘れて、 自分自身から逃げようとしている。 ================== なんて言を残すほどに、人々は150年も労働に全力を傾けてきたのだから、今さら「半身」で仕事しよう!というのも、なかなか難しそうだと思いました。 私が読書を細々と続けているのは、たぶんジェームズ・ヤングの『アイデアのつくり方』を読んだおかげかな…と思うので、もういっそ「仕事で勝つにはノイズ込みの情報(=知識)が必須なんだ!」という言説を流布して本を読ませる路線の方が、本という文化を残すためには現実的かなと思いました(^_^;)。 ※ジェームズ・ヤングのアイデアのつくり方のキモは「既知の要素の新しい組み合わせ」を見つけることで、そのためには、ざっくり言うと、なんでも興味持って知識を蓄えとけ、という感じなので、ノイズがすごいアイデアの源泉になる気がしてくるんですよね。気休めですが(¯―¯٥)。 ちなみにSNSは見られるのに、本は読めないことがあるのは、読書とは未知との出会いであって、未知のものと出会うことには体力がいるから、とのこと。なので、SNSは見れるのに本が読めない時は…おとなしく寝ることにします!

    24
    投稿日: 2024.05.02
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    自分も働いている時に本が読めなくなったので、「半身」でさまざまな文脈をもつ生き方の提案に、なるほど、と頷いた。なにより本書を通して、本や書店に対する著者の愛を感じられたのがすごく良かった。 また、『バーンアウト』『推し、燃ゆ』『24/7』など、ここ数年で読んだ書籍が何冊か引用されていたので世代を感じた。 ・『そういうふうにできている』は未読だけれど、さくらももこ作品に漂うスピリチュアリティはなんとなくわかるような気がする。 ・『働く母親と階層化』(2022)はこれから読んでみたいと思った。 全体として読みやすかった。 メモ: 『推し、燃ゆ』は労働を主とする社会人の趣味活動ではなく、機能不全家庭で生活せざるを得ない学生の趣味活動がテーマなので、そこは丁寧な区別が必要では、とは思った。「逃れ難い強制的な環境から実存を守るために、趣味に真剣にならざるを得ない」という側面だけとれば良いのかもしれない(?)が、他の引用書籍の視点は「社会人の社会生活」で揃っているので、その点だけ気になった。(推し燃ゆの主人公のラストは、労働から解放されて推し活をやめるわけではないのだし。)

    9
    投稿日: 2024.05.02
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    働いていると本が読めない!自分も働き出してから読書量が減ったので、気になって購入。読書史と労働史の2つの視点で、明治から2010年代までを概観する。21世紀においては、読書は必ずしも仕事の知識に即時に直結しないノイズと認識されている。また、能力主義で自分はもっとできるはず、頑張らないとやっていけない、仕事で能力が発揮することで自己実現につながる、などの考えが浸透してしまっている。このため仕事など一つのことに全身全霊をかけることが読書含め様々な他のことができなくなると指摘する。結論としては、半身社会で生きる、ということが主張される。様々な文脈、場所で生きることが、様々な趣味、文脈、そして読書を楽しむことにつながるかもしれない… そういえば、読書だけでなく、ゲームも最近してないなぁ…

    6
    投稿日: 2024.05.01
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    集英社新書プラスで話題になったウェブ連載が書籍化。読書に限らず「仕事をしているとなぜか趣味への意欲が削がれる」が本書の掲げるテーマ。映画『花束みたいな恋をした』のワンシーンを引用した導入から身につまされる。ひょっとしたら私を含めてブクログのユーザーにはピンと来ないタイトルかもしれないが、この現象に日本の労働史の観点からアプローチすることで、そもそも新自由主義時代における「読書」の再定義にまで到達するのが本書の肝。倍速視聴やファスト教養に通じる論説だなと思いながら読んでいたらばっちり参照されていた。読後は「え?本は結構読んでいますよ?」という人ほど自身の本棚を省みてノイズの有無を恐る恐る確認してしまう一種のホラー体験w最終章で述べられる提言は理解は出来るものの会社員の目線だとなかなか難しいと思う面もあり。やはり仕事量を自ら調整して趣味の時間を確保するよう自衛するしかないのであろうか、って結局それは新自由主義から逃れられていない思考なのだけど。

    3
    投稿日: 2024.04.30
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    仕事を自己実現のためとして頑張りすぎること、頑張ることで、自分を忘れさせてくれることが嬉しい、本は情報量が多い(ノイズがある)。これが、本から離れる理由なのかと思った。たしかに、そうかな。 自分は読書ルーチンを持っており、読書しないなんて考えられないが、それは読書で自らが救われた経験があったからだとも思う。多くの人に、本を読んでほしい。

    3
    投稿日: 2024.04.29
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    日本近代からの読書史と労働史を並行させて語り、その時代で彼らがどのようなスタンスで読書をしてたかという話を展開し、改めて現代において労働と読書を考えるという構成の本。 明治大正では身分制度が無くなったことから立身出世が重んじられ、今でいう自己啓発本が爆売れしたという話など、面白い話が多かった。 しかし、現代を論じる部分においては、いくらなんでも単純化し過ぎではないかと思う点がいくつかあり、(例インターネット=情報/本=知識という二項対立)最終的な著者の提言には賛成だが、論理展開は必ずしも同意出来ない

    1
    投稿日: 2024.04.29
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    明治から現代までの労働史・読書史が展開され終盤にかかり本題である「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について筆者としての見解と打ち手が展開される. 現代にとっての読書は「ノイズを摂取する」ことに意義がある.(ノイズの除去を図る自己啓発系の本は除く).ノイズとは教養であり,”自分から遠く離れた文脈に触れること”である. 未知に触れるにはほんのちょっとの勇気と異質なものを受け止める余力が問われる. 読書はノイズ=未知に触れさせてくれる媒体,人々が未知に触れる勇気,余力を失っている所作として読書が遠ざかっている. 人々は駆り立てられる暮らしをしている.就労を通じた貢献・自己実現・自己肯定が求められ,余暇の過ごし方一つとってもコスパ・タイパが求められると感じ,故にほしい情報・すぐ役に立つ情報に簡単にリーチできるSNSやYoutubeに傾倒.頭を使いたくなければソシャゲでぼーっとする.そこには自分で制御できないもの(ノイズ)を極力排除しようという指向が共通している. 人々が目先の競争に全力投球し,余分なもの,不要なもの,役に立つかわからないもの,そういったセレンディピティを楽しむ余裕や志向が失われた結果「本を読まない」という現象に至ったんだなあと認識. ————————————————— 大正時代の辛いサラリーマン向けの妄想物語 →痴人の愛、ナオミズム 長時間労働のピークは1960年ごろ。 年間2426時間。ちなみに2020年は1685時間。 働いている人向けの本の隆盛。 教養ではなくハウツーやサラリーマン小説 自己啓発ではない読書=ノイズ 自己啓発書→自己のコントローラブルな行動の変革を促すこと。=他人や社会といったアンコントラーブルなものは捨て置き、自分の行動というコントラーブルなものの変革に注力して、自分の人生を変革する 自己実現系ワーカホリック →仕事を通じてしか自己実現を見出せない →手段が仕事かどうかに関わらず、"自己実現しなきゃ"という発想こそ毒では? 読書=自分から遠く離れた文脈に触れること

    6
    投稿日: 2024.04.29
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    タイトルで期待値が高かった分、途中が少し読み進めるのがしんどい。もし読み途中で離脱しそう(した)人がいたら最終章に飛べ!と言いたい。 それは本書の言いたいこと乖離があるかもしれないが、タイトルに引かれたなら最終章は読んで欲しい、そう思った。 途中、歴史の勉強か…??と思ったが、最後は著者の意見がしっかりあって良かった。 新書にしては分厚いなと驚きもしたが、確かに読書と労働のあり方を整理していくとこの厚さになる。

    3
    投稿日: 2024.04.29
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    産業資本主義と、大衆がそれに適応するために求める「教養」・・の歴史について説き起こすスタイル。結局は、我々が、「社会は個人に「没入」を求める」と思い込んでいるからだ、だから、「半身」の態勢を新しい社会常識にしようじゃないか・・・と述べており、「なぜ本が読めなくなるのか」の問いに対して、理系的に直球で答えているわけではない。

    12
    投稿日: 2024.04.29
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    本屋さんでタイトルと帯のコピーにに目が止まり、目次を見て難しく思えて手を離してしまっていた本でした。 本屋さんでふと思い出して探して見ると売り切れ。2軒目、3軒目も売り切れ。こうなるとどうしても読みたくなってしまうもんですね。 新書「映画を早送りで見る人たち」、「ファスト教養」を読んでたし、映画「花束みたいな恋をした」を観ていたこともあってか、読み始めるとなかなか切り口が面白くさっと読んでしまった。共感できる良書でした。 ちなみに 本の帯に「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」共感してしまったのですが、 私はこのアプリをダウンロードしたのがきっかけで、スマホを開いてホーム画面のアイコンが目に入ると、あっ本読もうとなり、皆さんのレビューで新し本にとの出会いも増え本屋にもよく行くようになりました。 読書量が自然と5倍から8倍になったことはスマホのおかげだったりします^^;

    6
    投稿日: 2024.04.28
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    自分も一度本を読めなくなったことがあった。ただし、それは仕事を始めたからではなく、メンタルの不調から来るものだった。あのときはいろいろなものを受け入れるのが難しくなっていて本屋に入ると涙を流していた。筆者の言うノイズの考え方に納得がいった。安直に他の娯楽が充実しているから、などではなく、これまでの日本での読書の考え方の変遷を辿っていって今はこうという構成でとても勉強になった。 昨年は資格の勉強などであまり読書をできなかったが、今年はそれも落ち着いて月平均20冊以上読んでいる。仕事にも慣れてきて、終わったらへとへと状態から抜け出せたのが一因かなと思う。また、寝る前の一時間は電子機器から目を離すことを決めていて、その時間で本を読んでいる。読み始めてしまえばこっちのもので、続きが気になるようになる。最後の本を読むコツでないですが、これも参考になれば幸いです。

    12
    投稿日: 2024.04.28
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    三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』読了。「パズドラはできるのに読書できない」という身につまされる問いに、明治からの読書と労働との関わりを俯瞰しながら迫っていく。もはやハイソな趣味となりつつある現代、読書は文化的なものとして位置付けられがちだが、今で言う自己啓発的的なモチベーション(「修養」「教養」)によって読書が普及、定着してきたのだという指摘がおもしろかった。そしてその潮流の労働による自己実現路線によって新自由主義を内面化することで全人格的労働に回収された現代人の「全身全霊」の労働から身を引き、「半身」での趣味としての文化的なものとの接触としての広義の読書を取り戻そうという提言。労働者でありながら読書人としては穏当な着地であり、所々差し込まれる新自由主義が強すぎる社会への抵抗含め大枠では大いに賛同するところではある。しかしながら読書の意義を内面化された新自由主義が排除しようとする「ノイズ」たるところの読書を勧めるにあたって、殊更にノイズに思えるものもゆくゆくは巡り巡って「役に立つ」という風に立論しているところには違和感を拭えない。それは結局自らが批判している新自由主義と同根ではないか。著書は私より5,6年下の世代なのだけれどもそれは著者固有というよりはこの世代の深く染み付いたものに思える。

    4
    投稿日: 2024.04.27
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    Amazonの紹介より 【人類の永遠の悩みに挑む!】 「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。 「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。 そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは? すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。 【目次】 まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました 序章 労働と読書は両立しない? 第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代 第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代 第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中 第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代 第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代 第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代 第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代 第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代 第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代 最終章 「全身全霊」をやめませんか あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします。 題名にひかれて、読んでみました。 単純に「時間がないから」とか「文字を読むのが苦手」、「ゲームの方が楽しいから」といった理由だけでなく、その辺りを深掘りしていくことで、その理由が明らかになっていくといった内容になっています。 まさか、働き方の歴史や本に対する考え方を歴史を通じて語るとは驚きでした。 ただ、そこまで深掘りしなくてもよいのではとツッコみをしたくなりました。 なぜ労働と読書は両立しないのか?それを象徴させる映画があるということで、それが「花束みたいな恋をした」という作品。個人的に映画を見たことがないのですが、そこには2人のそれぞれの考えが表現されています。それが労働です。 本好き2人だったけれども、忙しいのを皮切りに、それぞれが変化していきます。本が読めない一方で、ゲームだったら出来るといった話が登場するのですが、そこから労働の歴史を紐解いていきます。 「本」としての目的や立ち位置が、今と昔と異なっていて、色んな事実を知るたびに、「へぇー」と思ってしまいました。 作者の着眼点が面白く、時代時代における本との出会いが魅力的でした。どのようにして、その本を購入するようになったのか? 人生のバイブルや自己啓発やちょっとした非現実を楽しむためなど用途は様々。 この本を読んで、色んな知識を得るというわけではありませんが、こういった考え方もあるんだなといった情報を得ることで、考え方に広がりが見えるのかなと思いました。 ただし、作者の考え方に賛同ができるかは人それぞれです。個人的には、ちょっと違うかなと思う部分もありました。 本好きであるが故、本ありきで作者は考えを披露していますが、理想的な労働をしたとしても、なかなか全員が空いた時間を読書に費やすとは限りません。 私の周りには、本が好きな方はあまりいません。 というのも、なぜ本を読まないか?と質問すると、だいたいは「途中で飽きる」や「文字を読むと眠たくなる」、「そもそも本が苦手」といった方が多数です。 やはり皆さん、ゲームや映画、ギャンブルといった娯楽になってしまいます。どうしても文字だけで追っていくと、頭の中で一度絵や景色みたいものに変換して、想像します。ゲームや映画は、それをダイレクトに頭の中に入るので、変換といったストレスを抱えず、何も考えなくても楽しむことができます。 本の世界でも、ベストセラーや何万部達成といったものは見ますが、果たして最後まで本を読んだ方は何割ぐらいいるのか気になるところです。 また、音声版といった耳で楽しむコンテンツや電子書籍もあるので、忙しくても触れる機会はあるかと思います。また、ビジネスにおいて、参考文献として、使用するとき、それが「読書」として解釈するのか? あるいは本の中の一部分だけでも読みたいという方もいるので、「本が読めない」の定義がどの辺りを指すのかはわかりませんが、なかなかそこは難しいところかなと思いました。 速読といった方法もあるのですが、それも「読んだ」ことになるのか?人それぞれの解釈があるかなと思いました。 まぁとにかく、「読書ができない」の背景に労働史といった着眼点は面白く、また本に対する人それぞれの考え方も紹介していて、楽しめました。 ちなみに最後の「あとがき」にある「働きながら本を読むコツ」が紹介されているのですが、私はすべて当てはまっていたので、驚きでした。一部目的が異なっていたものの、ほぼ実行されていたので、そこだけでも皆さんの読書ライフに当てはまっているのか?答え合わせしてみても良いかなと思いました。

    7
    投稿日: 2024.04.26
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    文書が上手く、流れるような論理展開で非常に読みやすい。 ただ、どこかで見たような言い回し、少し鼻につく文体。くどい引用など、途中で挫折しそうになった。 それでも読ませる文章で気づけば読み終わっていた。 内容も面白く着眼点も素晴らしいと思うが、引用が多すぎるため、著者の主張なのか引用なのかが、分かりづらい。 そのうえ、引用に対する著者の反論や、独自の指摘について、あまり共感できなかったため、参考になるけどためにならないと感じた。 そのうえ、著者の思いが強すぎるのか、前述の共感できないということも相まって、読者(私)が置いてけぼりになっているようにも感じた。 タイトル通り、なぜ本が読めないのかを知りたいだけならあとがきを読むだけで十分だと思う。 ただ、それこそが著者の指摘する"読書"ではなく"情報"だけを求めるということなんだと気づき、皮肉なものだと思った。

    4
    投稿日: 2024.04.24
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    タイトルに書いてある内容はほとんどなく、ほぼ読書の歴史についての内容だった。 結局、本気で働くのはやめて、半分の力で働きましょう。そういう世の中になってほしい。みたいな内容だった。

    4
    投稿日: 2024.04.22
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    新書らしいライトさ。主張スタンスには共感した。半身で生きることは分人思考にも繋がるし、一つのコンテキストに絡め取られないことだなあと。 良い本です

    6
    投稿日: 2024.04.22
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    内容の6割は読書史。 全力で働くの辞めてゆるっと半分の力で働こう、そしたら本読めるよってまとめだった。 そら知っとるて! ✏つまり、過去や歴史とはノイズである。文脈や歴史や社会の状況を共有しているという前提が、そもそも貧困に「今」苦しんでいる人にとっては重い。 ✏「情報」と「読書」の最も大きな差異は、前章で指摘したような、知識のノイズ性である。 つまり読書して得る知識にはノイズ――偶然性が含まれる。教養と呼ばれる古典的な知識や、小説のようなフィクションには、読者が予想していなかった展開や知識が登場する。文脈や説明のなかで、読者が予期しなかった偶然出会う情報を、私たちは知識と呼ぶ。 ✏知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。 だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。 自分から遠く離れた文脈に触れること――それが読書なのである。

    10
    投稿日: 2024.04.21
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか 自分も働き始めてからずっと、書店に寄っては本を買うものの積読が増えて行くだけなのを悩んでいたので、タイトルで共感しかなかった。著者が提案されている半身社会についても同意。結論、本が読めるようになるには、私たちが働き方を変えていく以外に方法は無い。もっとゆるく、短く、全身ではなく半身で働ける社会になることを、切に願う。

    8
    投稿日: 2024.04.21
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    『花束みたいな恋をした』から自己啓発本を読んでいる描写だったり、読書をできそうな時間にパズドラをやっている描写に着目したりで話が進んでいくところがまず興味深かった。書籍タイトルの考察を早速するのかと思ったら、明治時代以降の「労働と読書」を体系的に見ていく流れなのも面白い。『西国立志編』『痴人の愛』『坂の上の雲』『電車男』『推し、燃ゆ』など、各時代でたくさん読まれてきた本とその背景にある社会を関連させながら現代に至り、なぜ本が読めなくなるのかという話に展開が進む。 読めなくなっている背景として、最近の長時間労働のせいなのもあるのだろうが、昔から長時間労働の体質は変わっていないことを指摘していて、では現在の労働は何が違うのかとなった時に、支配の構造の違いに注目している。20世紀までは、「企業や政府といった組織から押しつけられた規律や命令によって、人々が支配されてしまうこと」が特に問題視されていた一方で、現代の問題は、新自由主義社会の能力主義が植えつけた、「もっとできるという名の、自己に内面化した肯定によって、人々が疲労してしまうこと」(p.245)であるとする。会社に強制されなくても、個人が長時間労働を望んでしまう社会構造があるとし、その結果として本を読む気力もなくなっているという。 個人が長時間労働を望んでしまう文脈の中で「自己啓発」の話が出てくる。これは、「ノイズを除去する姿勢」として本書では位置づけられている。「読書」と「情報」という点を踏まえたときに、前者が「ノイズ込みの知を得る」ことに対し、後者は「ノイズ抜きの知を得る」ことに重きが置かれている。 (※ノイズ=歴史や他作品の文脈・想定していない展開)(p.223) 『推し、燃ゆ』で自分の人生の文脈以外も本当は必要であると悟ることが表現されている箇所があるとする指摘も興味深く、他者の文脈をシャットアウトせずに仕事のノイズになるような知識を受け入れる帰結に繋げる。 そうした文脈の受け入れと合わせて、「半身社会」に進むべきと提言がある。著者も書いているように実現ビジョンはまだないので、結論の唐突感は無きにしも非ずだったが、問題提起としてここまで整理して考える素地になっている点はすごいと思えた。自己成長のために労働を内面化するという話は、自分自身にも心当たりもあり、意識しないうちにノイズをシャットアウトしかけることもあったかもしれない。時々そうなっていないかを確認し直して、自分自身の疲労と正しく向きあわないといけないなと思えた。 (以下補足) ※随所で引用されているが、近年刊行されている新書『ファスト教養』『映画を早送りで観る人たち』の文脈を踏まえて考えてみるとまた理解が深まる気になった。そのように参考文献が充実している点もよかった。 ※村上春樹のエルサレム賞スピーチが2009年であることにまず驚いたが、壁と卵の話について、「壁=長時間労働を強いる会社」「卵=生活を大切にしようとする個人」に当てはめることができるかもとしている中で、この当てはめ自体も変化しているのではないかとする指摘も面白い。卵=個人の中で、自ら、壁=社会の競争意識の扇動、を内面化しているということで、卵の内側に壁を抱えている状況であるとして自分自身を搾取しているよう。 ※働きながら本を読むコツは実施しているものもあるが、参考にしていきたい。 ➀自分と趣味の合う読書アカウントをSNSでフォローする(「次に読みたい本」が流れてくる環境をつくる) ➁iPadを買う(ただしSNSアプリは絶対に入れない) ➂帰宅途中のカフェ読書を習慣にする(癒される趣味の時間、と区切る) ➃書店へ行く(行くだけで気分があがる) ➄今まで読まなかったジャンルに手を出す(社会人になってビジネス書が面白く読めるようになったなど) ⑥無理をしない(読みたくなったら、読めばいい

    11
    投稿日: 2024.04.21
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    軽く読もうと思って買ったが、予想以上に深く納得した。話も広がり、情報と知識をノイズの有無で分化しているのも興味深かった。最後、主張は控えめに分析を進めて欲しかった気持ちはある。

    2
    投稿日: 2024.04.20
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    著者、どんだけ『花束みたいな恋をした』好きやの。確かにあの映画には同じような感想を抱いたけど。 新自由主義を内面化した個人が労働に人生を捧げてしまうので本が読めなくなるという分析だけど、資本主義の権化のような米国で近年、読書会が流行ったり書店数が増えてるのはなぜか踏み込んでほしかった。

    3
    投稿日: 2024.04.20
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    タイトル通りの内容ではなく、労働者向け自己啓発本の話であり、労働の話。めくってみたところでそういうのもに対する軽蔑みたいなのが見えるようでちょっと苦しい。やっぱり「新自由主義」とか出てくるし。あとでゆっくり読んでみたい。

    1
    投稿日: 2024.04.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タイトルに共感しかない!いつも小説ばかり読んでしまうので見地を広げるために手に取った本。 インターネットは使えるのに、なぜ読書はできないのか。それは、インターネットが自分の不要とする物は全て削ぎ落とし、欲しい情報だけを手に入れることができる、いわばノイズのない存在だから。深く共感しました。 自分が欲しいものだけではない、ノイズまで飲み込む行為は労力を要するけれどもそれが教養、知識として身になる、人間としての余白を生むのだと、改めて読書の素晴らしさを実感しました。 近代以前の労働者と読書の関連史も面白かったです。明治以降、立身出世という言葉は、立身という元々武士に対して用いられた語と商人などの庶民に対して出世という語を合わせたものであり、身分制度が廃止され実力で立場を切り開くという風潮の現れである。立身出世の概念は明治以降の近代文学に大きな影響を与えている、、、ほうほう。謎に記憶に残った箇所を書き出してみました。(自分の文章力では要点を表す能力がないのでここで断念。)

    13
    投稿日: 2024.04.18
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    各時代の労働や社会背景を通して、読書という価値について考えられました。働きながら読書を楽しみたけど、現実はできていない理由も合わせて考えるよい機会になりました。

    2
    投稿日: 2024.04.17
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       2024年を迎えてから読書の冊数がガクンと落ちた。厳密に言えば、読んではいるけれども最後まで読みきれない。これまでは隙間時間が10分でもあれば本を開いていたのに、今では片道1時間以上かける通勤電車の中でさえ本を読む気になれない。読まなきゃ読まなきゃと思ううちに、月日は流れ、葉桜が目立つ時期になってしまった。  時間はある。読みたい気持ちもある。ただ読むためのエンジンが駆動しない。本をなかなか開くことができないのだ。現に本を開き読み始めてしまえば続きが気になり読み進めていける。つまり本を開く行為そのものが億劫で、読み始めるのに膨大な労力が必要となる。  これはいったい何なのか──  さて、縁は異なもの味なものとは言い得て妙で、本との出会いは不思議なものだ。面白い本を求めているときに限ってめぼしい本が見つからない。逆にふらっと書店へ立ち寄ったときに「これは…!」という本に出会ったりする。  本書はまさにその一冊だ。  前置きはこのくらいにして、なぜ私は本を読むことができなくなったのか。分析するに、  1) 時間がない  2) 仕事による疲労 の二つの要因に分けられると考えた。しかし考えても考えても、①読書する時間はあるし、②疲労困憊するほど働いているわけでもない。  では、なぜ本が読めないのか。これにはさまざまなアプローチがあると思うが、本書は歴史的な文脈からこの問題を徐々に紐解き最終的には社会的な側面からアプローチを試みている。その過程が正しいのかは別として、非常に興味深い手法であり一読に値する価値がある。  私たちが読書をする目的を考えてみよう。勉強するため、情報収集、仕事へ役立てるため、単純に趣味として、などなど高邁なものから凡俗なものまで多岐にわたる。それぞれにそれぞれの良さがあり、どれが良いと区別できるものではない。  しかしどのような意識で読書するのかにより、その「やり方」が変わるのは事実だ。そして、現代の社会人が読書できなくなったポイントはここにある。  大衆による読書という知的慣習は日本開国に遡る。明治政府は欧米諸国へ追いつき追い越せを果たそうと、国民へ教育の重要性を説き「勉強」のために読書を推奨した。つまり当時の日本国民は資本主義が流入し長時間労働が蔓延する中で本を通じて学んでいたのだ。  そしてこの慣習は今もなお続いている。長く働くことは少なくなったが、多様なコンテンツが飽和している現代で私たちは日々時間に追われている。そんな中、本を読むことで「何か」を得ようとする。  要するに私たちが読書をするのは、程度の差こそあれ、何らかの「答え」を探すためであると言える。出版業の業績が低迷していても「自己啓発系」のジャンルが堅調なのは、それが何らかの答えをくれるからだ。  では、なぜ私たちは何でもかんでも「答え」を求めようとするのか。  「タイパ」という言葉が世に浸透して久しいが、原因はこいつだ。現代人─特に若い世代─は無駄を嫌う。無駄なく効率よく情報を集めたい、答えを知りたい。そんな下心を持っている。  人生をまるで一問一答集のように説こうとするのは現代人の特徴だ。心理学では「認知的完結欲求(NFCC)」と言うらしいが、どうやら私たちは物事の曖昧さへの耐性が著しく低いようだ。  この事実をまず覚えていただきたい。  さて、本書では、本から得られる知識を2つに分類し定義づけしている。一つは「ノイズありの知識」だ。これら小説などの本から得られる芋蔓式の知識を指す。  もう一つは、「ノイズのない知識」だ。こちらは読み手が知りたい情報そのものを指す。  そして読者は前者を不要なものと捉え後者に至上の価値を見出す。  しかし、そんな偶発的な知識を切り捨てて良いものか。たまたま得た知識が、役に立とうが立たまいが、恩恵を与えてくれるのは確かだろう。そうした知識の積み重ねが精神的な余裕へとつながっていくからだ。これを人々は「教養」と呼ぶ。  そう、私たちは「教養」が大事なものであるとは頭では理解している。けれどそんなものに労力を費やしている余裕がない。仕事に追われ、家事に追われ、推し活をして、見たい動画を倍速で見る。そんな私たちにとって、答えは今すぐに知りたいし、培った教養なんてクソの役にも立たない。  だからこそ私たちは気軽に情報の手に入るSNSにのめり込み、直接的な解が導出されない文学作品を読もうとしない。一問一答を丸暗記したのも同然だ。そんな仮初の知識で人生の壁に臨もうなんぞ、丸腰で戦車に立ち向かうのと一緒だ。必ず返り討ちにあう。  けれど私たちは懲りもせず一問一答を繰り返し挑戦する。まさに、実用的な情報を絶えず求める知性あるウォーキングデッドと言えよう。  不屈の精神と称えるべきか、阿呆の骨頂と嘲笑すべきか。  そして私たちが本を読めなくなった答えはまさしくこれだ。  しかし、私はこれを書いていて思うのである。即物的な情報は結局はすぐに廃れる。新聞と同じだ。新聞はありとあらゆる情報が記載されているが、一年と経てばただの紙屑でしかない。激動の荒波に耐えうる本質的な知識は長い時間をかけて収集し、知識と知識を掛け合わせて自らが見つけ出していくしかない。つまりそれは「知恵」だ。  皆さんも胸に手を当てて考えてみてほしい。ついこの間仕入れた実用知を現実世界へ上手く使うことができただろうか。おそらく多くの人が失敗に終わったことと思う。  なぜなら、状況に応じて実用知を使い分けていないからだ。のべつまくなしに「チシキ〜」「チシキ〜」とさまよい求めてみても、そっくりそのまま適用できるわけではない。情報や知識は状況に応じて「加工」する必要があるのだ。  にもかかわらず私たちは実用知を「加工」せずそのまま使おうとする。だがその試みは得てして失敗に終わりがちだ。だから私たちは次から次へと情報を求め続ける知的ゾンビへと化してしまう。  言うなれば知識は食材だ。新鮮なうちに適切な調理をすれば美味しい料理になる。しかし、腐った食材を調理しても美味しいものはできない。また、いかに新鮮でも調理法を誤れば美味しくはならない。  一方で、知恵つまり料理の技術があればどうか。食材が新鮮であればなおのこと、たとえ多少劣ったものであったとしても調理法ではいくらでもよくなる可能性がある。  要するに知恵とは既存の知識に付加価値をつける技法なのだ。そしてこの技法を身につけるには、偶発的に得た知識の積み重ねが必要になる。  知恵の前段階には「教養」が存在し、教養の前には「ノイズありの知識」が存在する。そして、ノイズありの知識の前には「ノイズなしの知識」が横たわる。だが、私たちはこの「ノイズなしの知識」だけを仕入れて満足している。本当に重要なのはその先の先だというのに。  これまで私が切り捨てたモノの中にどれだけ高価ものが眠っていたことか。それを思うと、本の隅から隅まで暗記するほど読みたくなる。  まあそれこそ本当に読む気が失せるんだろうけれど。

    133
    投稿日: 2024.04.15
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    読書や働き方、時代性等の様々な参考文献を引用し、時代によってなぜ本が売れたのか、当時の本の立ち位置は何かを論じ、現代における『なぜ仕事と読書は両立していないのか』が書かれている。 現代の読書はノイズだ。 今も昔も真剣に精一杯仕事をしているのは同じでも、なぜ現代では本が読めないのか。 自分は本を読むことを第一にしているからそこまで心配はしていないし、人によって本の代わりに娯楽として、または趣味として大切にしているものがあれば、それで良いのではないかとも思う。本は大切だけれども、本が全てではないし、本を読んでいれば偉いわけでもない。本書の主題とは異なるが、読み終わって感じたことは、時代に翻弄されずに自分の大切に気付けることが重要だということだ。

    11
    投稿日: 2024.04.15
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    感想 時間はないし集中力は続かない。まずは隙間時間を見つける。そこから逆算して読める量を決定する。必要な本の大事な部分だけ。効率的に。

    10
    投稿日: 2024.03.21