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ヘヴン
ヘヴン
川上未映子/講談社
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総合評価

521件)
3.6
90
170
144
47
12
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    ただなされるがままにいじめを受ける男子中学生(主人公)の態度に揺さぶりをかける二人の同級生が現れる。 同じようにいじめにあっていて、彼に「わたしたちは仲間です」と接近してくる女子、コジマ。 「わたしたちはただ従っているだけじゃないんだよ。受け入れているのよ。自分たちの目のまえでいったいなにが起こっているのか、それをきちんと理解して、わたしたちはそれを受け入れているんだよ。強いか弱いかで言ったら、それはむしろ強さがないとできないことなんだよ」 「自分たちに理解できないものがあることが怖いのよ。あいつらは一人じゃなにもできないただのにせものの集まりだから、自分たちと違う種類のものがあるとそれがこわくて、それで叩きつぶそうとするのよ。追いだそうとするんだよ。本当はこわくてしかたがないくせに、ごまかしつづけてるんだよ」 「あの子たちにも、いつかわかるときが来る」 もういっぽうには、いじめの集団に属していながら遠くから冷やかに傍観しているだけの男子、百瀬。 「自分がされたらいやなことからは、自分で身を守ればいいんじゃないか。(・・・)『自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ。嘘に決まってるじゃないか、あんなの。ああいうのは自分でものを考えることも切りひらくこともできない、能力もちからもない程度の低いやつらの言いわけにすぎないんだよ」 「相手の立場に立って行動しろなんてことを言えるのは、そういう区別のない世界の住人だけだ。でもさ、どこにそんな人間がいる?いないだろう?」 「子供のころさ、悪いことしたら地獄に落ちるとかそういうこと言われただろ?そんなもの、ないからわざわざ作ってるんじゃないか。なんだってそうさ。意味なんてどこにもないから、捏造する必要があるんじゃないか」 「地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてだ。そんなことにはなんの意味もない。そして僕はそれが楽しくて仕方がない」 「美しい弱さ」で防衛するコジマの隣人愛や奴隷道徳と、「いじめられることにはなんの意味もなく、自分の身は自分で守るしかない」と言う百瀬の反カント的なニヒリズム。そのあいだで揺れ動く主人公。 いじめの当事者心理をニーチェ的な図式で捉えなおしてみることには説得力があり、内に向いた物語という形態として文学が生き残るための里程標になりうるかもしれない、と感じた。 ただし、この主人公は終章でコジマや百瀬とは別の人物から救済の手をさしのべられてしまっていて、『決壊(平野啓一郎)』に登場したいじめられっ子のまったくいたたまれない絶望的な状況に比べると、いささかあっけなく希望を与えられてしまった(ように思われる)ことに、疑問符が残る。

    1
    投稿日: 2013.02.28
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    2013.2.24 きえーーー なんだか気味の悪い本だった なにを伝えたいのかよくわからない ………世界を美しく眺められる目を持っていてわたしはハッピー 大切にしたい、ありがとう 多分、百瀬かっこいいんだろうな

    0
    投稿日: 2013.02.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    重い内容に辛い結末だというのに、後味と主人公の心情がすとんと落ち着いていたことにとても救われた。主人公と共に、読者もコジマに救われる物語なのかもしれないと思う。 善悪や強弱、価値観の違いという様々な内容を見直すための台詞が、多くちりばめられている。主人公を含むキャラクターたちは結局それを理解しあわないが、それが逆にそのテーマについて考えさせられる。 そういうものなのか。 全員が全員正しくて、全員が全員間違っている。 そういうものなのかもしれない。

    1
    投稿日: 2013.02.21
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    独我論 の話を300ページかけて延々としていた、という印象。最初の200ページは特に面白く感じられず、ただの精神的苦痛だった。百瀬の反論と、最後の見開き二ページは少し輝いていた。が、全体としては少し冗長で面白くないな、という感想。最後の二行が全て。

    0
    投稿日: 2013.02.17
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    人は皆孤独で善はあまねく独善。孤独と孤独が合わさることなんて奇跡だけれど、まれにそんな奇跡が起きて、それで世界は成り立っている。その奇跡を受け入れたとき世界はちょっと美しい。

    1
    投稿日: 2013.02.14
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    読後に最初に思ったのが「唐突に終わったな…」だった。てっきりもう少し先まで物語は進んで、ヘヴンを見に行って終わるのかと思っていたわけで。 なんていうか、理想論的なコジマ論と客観的現実性的な百瀬論で揺れる“僕”って感じ。 個人的には百瀬論はかなり共感できるし百瀬との対話から面白くなってきたと思う。だからってあそこまで割り切れないけど。 なかなかに考えさせられたけれど、いじめの描写がなかなか痛そうなので苦手な人にはきつそう。

    1
    投稿日: 2013.02.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    書評/村上未映子「ヘヴン」  夏休みを挟んだ春から秋にかけての中学校が舞台だ。主人公「僕」、ヒロイン・コジマ、直接的な苛めっ子・二ノ宮、観客的な苛めっ子・百瀬、主人公の継母といった登場人物で物語は構成される。「僕」とヒロイン・コジマはさしたる理由もなく、チョークを食べさせられたり、水槽に頭を突っ込まされたりと、散々な苛めを受けている。二ノ宮と取り巻きたちは恒常的に「僕」たちを苛めていた。理由などない。  その中で、苛められっ子同士、「僕」とコジマは互いにいたわりあって愛を深め合う。デートした先で、美術館に飾ってあったお気に入りの絵に、ヒロインは、独自に『ヘヴン』と命名し、そこに自分の逃避先を見出していた。コジマは、自分たちの苛めというものに対して、一方的に迫害されているのではなく、受容しているのだ、つまり神が与えた試練で乗り越えたところにヘヴンがある、ことを主人公にいう。一種の選民思想だ。  だが、夏休みを経て、エスカレートした苛めによって、「僕」はサッカーボールに視たれられて、二ノ宮たちから蹴られて鼻を打撲するような大怪我を負わされる。それを機に、人間らしい良心をもつ「僕」は、後半で、傍観者的な立場をとりながらも、苛めに加わった百瀬に、なぜ、苛めるのか訊いてみる。百瀬にいわせれば、「社会」の構造的なもので、スケープゴートとして二人が必要なわけで、別に、ターゲットは誰でもいいのだという応えが返ってきた。その一方で、コジマから、斜視を手術して、苛め側の人間、神が与えた試練から降りた人間で、もはや友たりえないと一方的に絶交される。  コジマにせよ百瀬にせよ、加害者と被害者を演じている。そのことを「僕」は、うすうすと感じとった。その最中、継母の姉の葬儀に、「僕」がつきあって、過去、この人がどうも、家族から深刻なDVを受けていたこと、再婚した実父に、包丁で腕を切られ、離婚を考えているという言葉に驚く。それゆえに、最初、「僕」に対し、よそよそしい態度で接していた継母は、コジマ以上に理解者となって善導し、血のつながりはなくとも、父親以上に絆が深まってゆくのだった。  クライマックスは壮絶な苛めだ。公園トイレに主人公とヒロインを呼び出し、男女のクラスメートが囲んで、二人を裸にしセックスを強要するというものだ。その中で、ついに、ヒロインの人格は破綻する。そこに通りかかった中年の主婦が、現場を押さえ、警察沙汰となり、苛めグループは自滅することとなる。  ダークファンタジー的な、それでいて現実社会の縮図のような、世界での物語の終わりは、継母の勧めで斜視を手術し視点を回復した「僕」が、現実にとらえている現在「ヘヴン」の歪な実態を暴露したかのような、静かな風景描写で終わる。物語世界で、最後まで正気を保っていたのは、「僕」と継母だけだった。

    1
    投稿日: 2013.01.27
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    誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない、それはただの美しさだった。圧倒的な事実を目前に言葉なんて非力である。そう思う。

    1
    投稿日: 2013.01.25
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    みんなが言っていることは、きっと少しずつ正しくて、少し、悲しい。そんな感じの本。二人がみにいった絵は、シャガールな気がする。私にとってのヘヴンはなんだろ?

    1
    投稿日: 2013.01.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    とてもよかった。ラストもよかった。 作者さんは今の若者のことをとてもよく理解しているんだなと思った。 無理して嫌な世界と戦い続けずに斜視を治すことを決断した「僕」に心の中で拍手した!それでいいのですよ!!

    1
    投稿日: 2013.01.16
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    いじめは悪いのか なんで悪いのか 悪いってなんなのか 根本的なことを考えることになった。 いじめがまたバンバンニュースになるようになった今だから、読んでみるといいかもしれないです。

    1
    投稿日: 2012.12.15
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    同じ「いじめられっ子」同士である「僕」とコジマの二人の、ある種奇妙な、とも言える関係が描かれている。 コジマと僕とは一時的には確かに仲間だったが、結末部分はそんな二人が別々の未来へと進む分岐点である気がする。本のタイトルでもある「ヘヴン」も、主人公の「僕」は結局見ることがなかった。現実を生きていこうとする「僕」と、観念的な世界に生き続けようとするコジマと。観念的な世界に生きることへの憧れもあるが、大半は「僕」と同じように現実を生きるんじゃないかな。なんとも言葉では言えないモヤモヤが残る読後感、悪くない。

    1
    投稿日: 2012.12.01
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    初めて読みました、川上さんの作品。 帯タイトルは、 「かつて  見たことのない  世界が待ち受ける。」 斜視をロンパリと言われ 暴力的な苛めを受けている僕。 汚いと言われ 女子たちから苛められているコジマ。 ある日、 僕の机の中に 「わたしたちは仲間です」 と書かれた手紙を受け取る。 とにかく苛めの描写は読んでいて辛い。 私も昔、 苛められてたことがあるけど それは思い出すのも正直辛いし、 この物語の中のものとは 程度も違うかもしれないけど、 苛められていた側から見る 苛める側の質は やっぱり一緒だった。 再確認して、それにぞっとした。 たまたまそこに居たから。 同じような目に遭わないように。 君が出来ないことを 私はできる。 ぢゃあ、なぜ君は出来ない?? 私も、人が嫌がることはしたくないと思う。 同じような気持ちを味わってほしくないと思う。 どっちが空っぽなんだろう。 苛められてる側は、 これにはどんな意味があるのか考える。 正当化しないと自力で立つのは相当気持ちが強くないと無理だから。 苛めてる側は、 特に罪悪感もなくただそこに居るから破壊をする。 草を踏むのも花瓶も割るのも、そいつを苛めるのも一緒。 何を言っても通じないっていうのは恐ろしい。 自分の認識と、相手の世界に 決定的な「ズレ」があるのは本当に恐怖。 その中でも コジマと僕が交わす言葉は なんだかあったかかった。 少しずつ心が通い合っていくのは本当に。 だけど、 そこにも完全には溶けあえなくて 歯がゆかった。 コジマは強かったかもしれないけど、 私にはめちゃくちゃ弱くて仕方なかったように思えます。 僕の気持ちの揺れの方が、健全だと思います。 バランスと言うか。 エヴァを見て、「あー」となる気持ちに似てます。 サードインパクトを起こしたくなるぐらい。苦笑

    1
    投稿日: 2012.11.15
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    遊べる本屋で又吉おすすめなのを知って購入。 おもしろかった。 中学生の主人公の一人称視点で物語は進むが、中学生がこんな難しいことを考えられるか?という疑問は置いといても先が気になりすぐに読み終わってしまった。 文章が綺麗でしかも読みやすい。 ただ最後が…… 別に中途半端な終わり方ではないし、新しい世界に踏み出していくっていうのは分かったんだけどもう少し救いが欲しかったなと思った。 病院での主人公と百瀬との会話にはホントに胸が傷んだ。 なので星4つ。

    0
    投稿日: 2012.11.02
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    結論に「え?」と思った。 「ストーリーが重い」という感想には「普通じゃん」って思った。 男の百瀬と女の百瀬の関係性が分からなかった。 百瀬は現実主義者、コジマは信仰主義者という対局な立場という哲学的要素を物語という舞台に落とし込み伝える。ととらえると流石。

    0
    投稿日: 2012.10.28
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    コジマは最後死んだのだと解釈している人が多いらしいと聞いて驚いた。イジメを受けた後も彼女は生きていくのだという想像が出来ない事と、現実でイジメられた子が(逃げるという選択肢が見えず)自殺という結末しか選べない事は、同一の「視野の狭さ」なんじゃないのか。教室が世界の全てではないし、コジマは世界のどこかで生きていくと思う。

    0
    投稿日: 2012.10.28
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    2012/10/23読了。2時間くらいで一気読みでした。シンプルな言葉なのにハッと心に刺さるような文章がたくさんありました。 中盤までは"僕"とコジマ、いじめにあっているものどうしが、手紙のやりとりを通して分かりあえていたかのようでした。それが、いじめる側である百瀬と"僕"とが話をするシーンで、この小説の印象がガラリと変わりました。 百瀬、中学生にしては、達観しすぎなんじゃないかというキャラクターでしたけど、共感できるようなせりふもあり、私にとってはこの小説のなかで一番印象的なシーンです。 この小説を読んだあと、人間は、自分以外の世界を、自分の想像以上に、都合の良いようにもしくは悪いように自分勝手に思い込んでいるのだなと思いました。

    0
    投稿日: 2012.10.27
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    うわぁ救いのない話だなぁ、と思ってから、いや救いとかじゃなくて、ううんと唸ってみたら、はたして救いとはそもそもなんだっただろうと思いはじめて、しばらく軽く斜視な左目を鏡で見てた、けど、やっぱり今のところよくわからない。

    0
    投稿日: 2012.10.22
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    乳とか歯とか、これは目で著者は"体のパーツ"が好きなの? でも今までの、乳や歯に比べて哲学的じゃなくって、仮に言うなら「こじつけ感」「まとめ映画」の感覚を抱いた。 著者がそれを意識しているとはいえ、今までのドライブ感が無く「未映子どうした」って感じ、なんかチープ、著者というフィルターを通さなくても良作とは思えない。 要は「頁数があるが引き寄せが足りずに、途中で投げること間違いナシ」で、小奇麗にまとまって抑揚がそこまでないし、まあ可もなく不可もなく、そういう意味でつまらなかった。 とびきりおすすめってわけじゃないけど、暇なら読むに値するし、乳とか歯を制して「実は、著者はこういうことがしたいのでは」と何か期待する熱狂的ファンにしかすすめられないっす

    0
    投稿日: 2012.10.15
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    紫式部文学賞受賞で話題になっていたので、気になっていた 文庫化していたので読んだ 丁度読んでいるころ、大津のいじめ自殺がニュースになった 登場人物が死を選ぶことがないよう願いながら、読みすすめた 始まりから、ぐいぐい引き込まれる コジマの言うことも、百瀬の言うことも、歪曲しているのに真っ直ぐで否定できない いじめの被害者も加害者も、彼らのようにいじめを言語化して捉えられないと思う 被害者に多少問題がある場合もあるけれど、絶対的に加害者が悪い 小さなコミュニティー内でいじめが解決されず、被害者が死ぬくらいなら、学校なんて行かなくていい 時間が必要なこともあるし、世界が広いことに気づけるから、逃げたっていい 詩人の高橋玄洋さんの受け売りだけれど、文学は「○○とは、こういうものではないでしょうか」という、問題提起だと考えている この作品は正に文学だ 中学生以上の人みんなに読んでほしい一冊

    0
    投稿日: 2012.10.12
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    どこまでも暗い。でも、これが真実だと思う。ロンパリという単語を久々に目にした。あの絵はどんなだろう。

    0
    投稿日: 2012.10.12
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    登場人物の描写が少なく、なかなか感情移入が難しい。 また、文庫版には、「正義とは、悪とは…」と考えたとのことであるが、 本書内描かれているのは、一方的な悪であり、 一般的には考えにくい”常識”、考え方であった。 百瀬の考え方は、達観しているところはあるが、 一般的な悪と対比的に用いるには、 離れたところにあり、「悪とは」を考える考察には、 成りにくいのではないだろうか。 また、コジマの正義も、いくぶん受け入れがたいものであり、 一般的な正義とはこちらも対比しにくい。 また、散文形式であるから、細かな説明、詳細な設定等は、 必要ないが、最低限の説明はしてほしいところだし、 本書においては、あえてそれをしていない事は、 ”逃げ”のような気がしてしまうのは、私だけだろうか。

    0
    投稿日: 2012.10.08
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     辛い状況に置かれていても、そこに意味を見いだすと人は強くなるのだなぁと、コジマを見ていて思いました。それゆえに百瀬の「弱い奴は人生に意味がないという事実にも耐えられない」という旨の言葉に一気に解釈がひっくり返されました。どこかでコジマの危うさというか、間違った方向に進んでいるのではないかという疑問を抱いていたので、この言葉に、本当の強さとは一体何なのだろうと考えさせられました。  読んでいる間中、しょっちゅう主人公とコジマと百瀬の世界に飲み込まれそうになりました。しかし、どこか必ず納得できないところがあって、そういうところが、やっぱり私も自分の世界の中で生きているのだなぁと思いました。    

    2
    投稿日: 2012.09.30
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    一気に読んでしまった。決して楽しい内容ではないけれど、ものすごく心に響く。いじめってこういうこと。 終わりの美しさも感動的でした。

    0
    投稿日: 2012.09.30
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    ◎苛めること なにも考えず快楽のためにだけしている。 自分の身に起こったらたまらない =【弱さ】 ◎コジマの考える苛められること 苛める側の弱さを受け入れている。 ただ屈しているだけではない。戦っている。 =【美しい弱さ】=【強さ】 という解釈が衝撃的でした。 ラスト数ページのくじら公園のシーンは震えた。 【自分の身を汚くしているのは離ればなれになった父親との絆のしるし】 だから、どんなに酷い目にあっても身なりを変えようとしないコジマは、正しいかどうかはわからないが、強いと思った。 人は例え離れてしまっても、ふたりだから乗り越えられることがある。 そう思いました。 「僕」が、コジマと出会えてよかったな。 中高生に読んでほしい、なんとなく。

    0
    投稿日: 2012.09.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

     主人公である「僕」を悩ませるイジメという出来事に対して、加害者・被害者のそれぞれの立場として百瀬・コジマの存在が描かれている。 そしてその両者の視点は、「僕」の斜視そのものでもある。ラストの公園のシーンでは、コジマに見えたものが百瀬にすりかわって見えるところなど、まさに彼の片目は百瀬であり、もう片方はコジマであることを表している。 そしてその斜視は、コジマにとっては「しるし」=美しい弱さであり、あらゆることを受け入れ乗り越える強さの象徴でもある。 一方で、百瀬にとっては、その「しるし」は何の意味ももたず、イジメの原因ではないという。イジメは「たまたま」が生み出したただの現象に過ぎないと。 イジメを通して描かれる両者の視点の狭間で、「僕」は揺れ動き苦しみ、最終的には斜視を手術でなおすことで、視点が一つに統合される。 そして、その結果、「僕」の心情とともに映し出されていた並木道の景色は、強烈な美しさで「僕」の目の前にあらわれる。 ただ、そこには「ただの美しさ」「「誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない、ただの美しさ」しかなかった。コジマとともにみつめた美術館の絵は、二人の視線で共有したからこその「ヘブン」であったのかも知れない。

    0
    投稿日: 2012.09.26
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    最後まで惹きつけられるように一気読みした。 クラスでいじめに遭う「僕」と「コジマ」の友情。初めの手紙のやり取りは微笑ましく、そして中盤の百瀬とのやりとりが印象に残り、ラストで斜視を治した「僕」が見た景色の美しさ… いじめを題材にしてるから重いんだけど、読後感はとても良かった。購入を検討しようと思った。 好きな本のひとつに入れよう。

    0
    投稿日: 2012.09.23
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    新しい切り口で書かれたありふれたいじめ。価値観の違いの恐ろしさと「ズレ」の恐ろしさ。読み終わってからも続くもやもや感。そして、ラストの文章の美しさ…。なぜ今まで避けていたのか、悔やまれる作品でした。

    2
    投稿日: 2012.09.22
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    9月-6。1.5点。 中学生の男子が主人公。ある身体的欠陥のためか、 常にいじめられている。 ある日、机の中に手紙が入っていた。 うーーーん。芥川作家は苦手だ(個人的に)。 救いようのない気がした。 ラストも、共感できず。せっかく出来た友人はどうしたのだろう。

    0
    投稿日: 2012.09.20
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    大阪弁の川上節は一切無しのイジメを題材にした作品。この作品は、あえて言及はしていない部分が多くて深い。 まず、「ヘヴン」は、マルク・シャガールの絵画『誕生日』のことだろう。シャガールの絵画は、生と死、幸せと不幸、光と影、現実と幻想、そして自分自身が色鮮やかに入り乱れてひとつのものに完成されている。まさにそれは「この世」が描かれていて、「地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてだ」という百瀬の言葉に繋がるのかもしれない。 何故、コジマが「僕」にこれを見せたかったか、それは、シャガールの言葉、「彼女の沈黙はわたしのものだ。彼女の眼はわたしのものだ。まるで彼女はわたしをずっと以前から知っているようだった。少年の頃のわたしも、現在のわたしも、わたしの未来をもすっかり知っているようだった」に繋がると思う。実際、『私の村』と思われる作品にもコジマは目のことで触れている。 そして、この作品は「数字」が多く登場する。物語は「四月」に始まり、日付や時間がことこまかに記録されて、「十二月」に終わる。「二ノ宮」「百瀬」という名付けにも、不完全、完全といった意味が含まれているように思われる。 「こんなとき僕はなにも考えずにただ数をかぞえることにしていた。百までいったらもういちど一にもどって、なにも考えずにただそれだけを繰りかえした」この作品自体、こんな風に数字を順に数えるように構成されている。 「僕」は、眠ることができなくなり、ものを食べることができなくなり、自殺を考えるようになる。"ただ生きること"に衰弱していく様子もリアルに描写されている。 虐める側、虐められる側のものの解釈、生きること(出来事)に意味があるのか無いのか、何が正しいことなのか、正しいことをする意味があるのか、そのあたりについては百瀬がするどく指摘している。 コジマは、シルシ("否定された存在"の肯定)を持つことや、すべてを受け容れ、耐えることが、自分の真の強さであり、「すべての出来事は試練であり、意味があり、いつかは報われる時がくるのだ」と固く信じている。そう思い込むことで苦境を乗り切れたり、強くなれることもあるから、それもある意味、間違いではないけれど、私は、実際は、百瀬の言うとおり、すべての出来事に意味はないのだと思う。すべてのことはたまたまの偶然で起きていて、それを必然にするかどうかは、個人の解釈次第でなんとでもなると。 「僕」は、コジマの受身的な世界観と、百瀬の反射的な世界観の中で、戸惑いながらも、斜視の手術を受ける。そして、二重に重なった世界(意見)が、一つにまとまって、この物語が完結する。何が正しいかで行動するのではなくて、自分にはまず何が出来るのか、というところに辿り着く。 1999年7月に22歳になる…というくだりから、主人公達の年齢を計算すると、1977年生まれの中学2年生であることが分かる。川上未映子さんが1976年8月生まれであるから、本人と年齢がぴったり合う。おそらく、自分自身の経験や自分に「できること」をもとに、身を粉にして削り、消耗しながら描いたのであろう素晴らしい文学作品だと思う。

    2
    投稿日: 2012.09.17
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     斜視であることを理由にクラスメイトからいじめを受ける主人公•僕と、いつも汚い格好をしていることを理由にいじめを受けるコジマ。ある手紙から生まれた二人の儚い友情の物語。  この作品の肝だと思うのは、病院における僕といじめる側にいる百瀬とのやりとりだろう。いじめる側にいながら、自分では手を出さず、常に静観している百瀬が語る価値観は僕を揺さぶる。ごく身近なこと以外に対して無関心を示し、そもそも善悪とは何かという根本に疑問を呈する百瀬。  しかし、疑問に思うのはこの百瀬の価値観は、おそらくいじめる側においても共有されがたいものかもしれないことである。むしろ、僕の感じている価値観の方が多いのではないだろうか。百瀬の言うことが真理であろうと、それではあまりに先が、未来が無いからである。百瀬もまた学校という場に相容れない部分を持ち、僕やコジマとはまた違う孤独を持っているのかもしれない。  そして、いじめる側の百瀬、いじめられる側のコジマ。対極にいるかのように見える二人はどこか似ているように思う。 「寛容と無関心はいつの時代にも紙一重だ」              (インドの政治家ネルー) 上記の言葉のように無関心を示す百瀬と、全てを、いじめさえも受け入れようとするコジマは似ているように思うのだ。  「大事なしるし」を手放した世界には「ただの美しさ」しかなかった。それは希望でも絶望でもない世界そのものだったのではないかと思う。

    0
    投稿日: 2012.09.10
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    この本で読めない内容がある自分を、本当に弱いと思う。 酷い描写はとばし読み、かぎかっこのセリフを読んでだいたいの話の流れを掴んでまたおそるおそる読み進めていく…… こんな読み方か。 いつか全部読めたらいいんだけど。 でも最後は、通して読んでないわたしにはちゃんとわかってないかもしれないけど、すごく面白い終わり方だった。 いじめに対する考え方とも合わせて、とても新しかった。 本当にリアルだった。それが人の心だ。

    0
    投稿日: 2012.09.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この世の苦痛や理不尽や暴力やあれやこれやに意味があるだろうか? 強くあるとはいったいどういうことなんだろう。 読んだ後、日常的に考えているようなことがふいに霞んで、もう戻れないような気がした。う~ん。 「ヘヴン」を買ってから、先に「六つの星星」を読み始めてしまい、最終章で「ヘヴン」扱ってるのに気づいて急いでこちらを読み始めたので、哲学的なものが描かれていることをうっすら期待しながら読んだのだけれど。 そしてあとがき的な感じで「六つの星星」を読む。 川上未映子を知ったことで広がった世界があるな、とも感じています。

    0
    投稿日: 2012.09.08
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    静かな衝撃。コジマはどうなったの。百瀬は間違ってるの。主人公の僕は正しいの。なんか落ちる終わり方だった。カナパミン。 すべての物事に意味は無い?有る? 無いことに意味が有る?意味が有ることには意味が無いし、これを考えることに意味が有る。でもそれは結局どーでもよくて。 僕はヘヴンを観なくていいのかな。斜視を治したら観にいくのかな。観に行ってほしい。コジマが救われるかもしれない。

    0
    投稿日: 2012.09.01
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    これが小説の中の話だけでないという現実に胃がキュッと縮こまる。 考えても考えても理不尽な事(いじめ)には付き合う必要はない。

    0
    投稿日: 2012.08.30
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    イジメにあう中学生の少年がものがたりの主人公。 なにが善でなにが悪か だれが強くだれが弱いのか イジメをとおして投げかけられる問い。 誰が正しいとか誰が間違ってるとか たとえ答えがあったとしても 現実にはほとんど無意味なんだなって 人それぞれ、それまでの人生で培われた価値観や、その人自身の都合のよい解釈やらがあるわけで、 それを他人がどうこう言うことはできないんだよね、現実では。 もちろんイジメなんて最低で馬鹿げた行いだとは思うけれど。 川上未映子は二作目ですが、 前回読んだ「乳と卵」に引き続き他の作品も読んでみたいと思いました。 友情・青春・家族愛など 良い意味で懐かしい匂いのするそんな作品。 久しぶりに小説読んで泣きました。家族って大事ね。 オススメです。

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    投稿日: 2012.08.26
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    最近若者との交流が仕事上でもほとんどないので何とも言えないのだが、ちょっとこの描写は違うんじゃないか?という感じがする。 また文章が綺麗でないことがやけに目に付き、目障りだった。もしかして作者の狙いなんだろうか?

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    投稿日: 2012.08.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    手紙のやりとりしてるくらいまではよかった。でも途中から、あぁ読むのがつらい…つらい…と思いながら牛歩のペースで読む羽目に。つらかったな。かなり「優等生的な」作品だったけれども。個人的には『わたくし率~』が圧倒的に好きだから、なんか、こういう優等生的作品を読むと、やや切なくなってしまう。好みの問題だろうが。 ただ最後の〆方は好き。びみょうな、後味の悪さ、冷たさ、ひっかかりを感じられたから。共感したのは主人公でもなくコジマでもなく、百瀬だった。

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    投稿日: 2012.08.24
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    強いものは恐ろしいほど弱い。 本当の強さって一体何なんだろう。 私はコジマの強さには惹かれなかったな。むしろ僕の弱さや百瀬の難癖に惹かれた。 私は傍観者なんかじゃなくて参加者だった。

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    投稿日: 2012.08.22
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    イジメ。。。人間サッカー。。。 読むのが辛かった。こういうことが、小説の中だけではなく、現実に起こっていると思うと。。。殺人よりイジメのほうがよっぽどヒドイことではないだろうか、と個人的には思う。生きていれば。。。、っていうけれど、こんな生き地獄、ワタシには耐えれない。 百瀬の言葉は分かるところもあるけど、そんなんでイジメが成立するなんておかしいよ。 ラストはキレイに終わらせてある感じだけど、ワタシはちっともスッキリできず。 ホント、なんでイジメがあるんだろうね。。。

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    投稿日: 2012.08.20
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    終わりが合わなかった。僕は友人を永遠に失ったということか?結局のところ何においても契機というのは些末なもの、とか、世界はこんなにも美しいけれどそれは刹那だから、とか、そういう、読者委託型の終わりというか。

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    投稿日: 2012.08.18
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    この人の本は本当に苦手。 あの書き方が苦手。 読む意欲を削がれる…( ´△`) この作品は今までの書き方ではなく、新境地!とか言われてたので挑戦してみましたが、やはり、癖的なものを感じました。 途中挫折しそうになりながらも、完読。 題材とか良かったのに残念。 あの独特の言い回しとかなければ、もっと楽しく読めたのに。 (楽しい題材ではないですが…。) たぶん、これでダメなら、ほかの作品も好きになれそうにない。残念だなあ。

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    投稿日: 2012.08.16
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    川上さんの作品を読むのは二度目。この作品は、同級生にいじめに会う中学生の男の子が主人公です。 いじめの描写は淡々とですが、かなり残酷に描かれています。読むのには相当エネルギーがいる作品です。誰にも助けを求めず、すべてを抱え込もうとする主人公にはまったく共感できませんが、自分がもし中学生なら、同じような状況に陥るのかなとも感じました。 思春期の子供の残酷さや身勝手さを思い出す(想像する)ことができる、という点では、意味のある作品かもしれないです。

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    投稿日: 2012.08.14
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    最後の、僕の母親のセリフがすごくよかった。こういうお母さんって素敵。 自分の存在を無条件に認めてくれる人の存在の大切さを改めて実感。

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    投稿日: 2012.08.14
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    京都の帰省中に一気に読んだ。読んだと言うか、止まらなかった。今、タイムリーないじめをテーマにした小説。最後が気になるのが後味がいまいちだけど、主人公が斜視という身体的な問題があって苛められていると思っていたけど、苛める側のきっかけは本当は大したことじゃないってことなのか… 考えさせられながらも終わりがもう少しはっきり描写してほしかったかな。もう少し川上さんの本を読んでみたくなった。

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    投稿日: 2012.08.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人に勧められて。 いじめられている男女が、次第に心が通じ合い、お互いを心の支えとしていく。実際に苛めのシーンは、結構酷くてキツイ。 我慢して読み進めると、百瀬みたいな考え方もあるのか、と目から鱗である。最後、女の子が壊れてしまうのが、ひどく悲しい。 いじめっ子二ノ宮は、百瀬の気をひこうとしていたんだろうか…などと、視点は主人公ひとりのものでありながら、描かれなかったクラスメイトから見えていた景色を味わってみたいと思わせる作品。

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    投稿日: 2012.08.14
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    「練習なのかな、本番なのかな、わたしたち」 「みんな決定的に違う世界に生きてるんだよ。最初から最後まで。」 面白くなってきたころに終わってしまった。 コジマの産毛や制服の黒ずみや僕の斜視は全部映像として見えるようだった。 いじめられている側と、いじめている側の交わらない世界 どうしてもわかりあうことのできない個体同士の人間 その会話は、やりとりは、葛藤は、実際に行われたものなのかと疑いたくなるほど リアルだった。 人間サッカーの描写は、いじめを経験したことのない私に、痛みを伴う描写でもって、いじめを体感させた。 ラストシーンの解釈は何通りもあるけれど、私は、悲しかった。

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    投稿日: 2012.08.13
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    読ませる。地の文に引き込ませる力を感じた。語られる価値観とか人物の描き方とかに違和感を覚える場面もあったけど、それだけ読み手の頭をフル回転させてくれたし、感情を掻き立てるストーリーだった。負感情を抱かせるので読んでいる間の評価は単純によかったとは言えないけれど、ラストシーンのあまりの美しさに、これは星五つだろうと思ったのでした。チャプター8で終わってたら評価してないと思う(“そういう”結末の物語は結構多い気がする)。 コジマの言う『ヘヴン』は、主人公にとってはあのラストシーンなのかもしれない。一方で、物理的にも精神的にも視界が変わってしまった主人公には、もう二度と見ることができないのかもしれない。それぞれにとっての世界のあり方からいじめという事象を捉え、そこからさらに個々が世界にどう対峙するかを問う構造の面白さが、ただ煌びやかなだけでない、喪失をまとった美しいラストシーンを形づくっている。 そして個人的に、いじめを一貫して苛めと表記したところに敬意を抱きました。

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    投稿日: 2012.08.09
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    うまい。 いじめがテーマだと、見たくない人間の部分が出てきて読んでくの辛いけど、これは最後まで一気に読んでしまった。 いじめも本当に残酷な結末までいかず、すんでで回避されるので、嫌な気持ちになるけど何とか読める。そこになんか神の救い的な要素を持たせてもいる。 いろいろ考えさせられるなー。 世界は捉え方次第だ。

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    投稿日: 2012.08.09
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    『いじめ』、についてずしんと心に重くのしかかるようなそんな物語でした いつもの川上さんの独特の文章の書かれ方と違い、そのまま事実をストレートに伝える文体は読みやすく、読みやすい分芯に響いてきた 読後感は重くのしかかるものがある 主人公が最後キラキラと輝く世界が見れてよかった、だけでは決して終わらない世界 どうしていじめがおこるのだろうという問いにはきっと誰もが上手く答える事が出来ないけど、だけどそのことについて私たちは一瞬ではなく長い時間をかけて考えていくべきではないかな、と 中学の時なんてその世界が圧倒的に大きくていつも何か怖かった記憶がある その中で怯えながらも戦えるコジマと主人公、彼らの未来がとにかく明るければいい、そんな事を祈らずにいられない

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    投稿日: 2012.08.08
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    いじめについて考えるときに外せない本なのではないか。 いじめの描写がそんなにエグイわけではない。ただ、淡々といじめを受ける主人公の先の見えなさが悲しい。そして、主人公が考えるいじめの原因が的外れと知らされた時に、希望の光が無くなる感じがつらい。いじめられる側といじめる側の論理は、平行線だということをこれほどえぐった小説はないのでは? また、いじめを通じて心を通わした少女と永遠に断絶してしまう。そこで、読み手としては考えてしまう。主人公にとっては悲しいことだろうが、それが良いことなのか、悪いことなのか。 後味がいい小説ではない。でも、読んでおかなければならない小説。

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    投稿日: 2012.08.07
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    川上未映子さんの作品、初めて読んだ。ここ最近、いじめが題材のお話をいくつか読んできた。このお話も、その流れで知って、買って、読んだ。いじめられた経験のないわたしなんかがこんなこと言うのはどうかと思うけど、本当に読んでてしんどくなった。つらくて。いじめの描写が本当に。涙が出るほどで。ただただ、いじめのシーンはそれだけ。つらい。しんどい。なかなか読み進められなくて。想像することしかできないけど。わたしなんかがつらくなるのは間違ってるかも知れないけど。でも、それでもわたしはいじめに対して何かを考えたいと思うから、こういうお話を手に取ってしまうのかな。主人公と、百瀬の、病院でのやりとりは何ていうかほんと…うーん、どう言ったら良いんだろう。百瀬の言うことは、半分分かるし、半分分からない。そうじゃないでしょ、そういうことじゃないでしょ、あなたは間違ってるよって百瀬に言ってやりたいんだけど、じゃあどう違うの?そうじゃないなら、なんなの?って百瀬に聞かれたら、わたしは、きっと、答えられない。それに反論するほどの考えを今は持ち合わせていない。それが悔しかった。まさに何か善で、何が悪なのか。誰が強くて、誰が弱いのか。このお話の中では決まったこたえは出てこないけど、わたしはそれは作者からの挑戦なんだと思う。百瀬にどう反論できるか、きちんと、百瀬や二ノ宮が反論できなくなるぐらいに、反論できるのか、と。読んでて、もう何か良いことで何が悪いことなのか、分からなくなっちゃった。そのぐらい、このお話には考えさせられる。難しい。でもね、主人公の義理のお母さんがね、すごくいい。お母さんの言葉に、泣いてしまった。良かった、お母さんがこういう人で。

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    投稿日: 2012.08.07
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    いじめ問題の本質をズバリ突いている。 善悪の判断は、大人でも難しい問題を、子供の(被害者)の視点から問い詰めている。 読み応えがあった。

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    投稿日: 2012.08.05
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    いじめられる登場人物が眼鏡を外すとイケメンだったり、お化粧をしてブローをするとすごく美少女に変わったり、という設定が好きだけど、このいじめられるべくしていじめられるようなやるせない立ち位置から逆転劇まで展開しきらない苦痛と空虚の連続がリアルな小説だと思った。

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    投稿日: 2012.07.30
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    主人公とコジマの関係、恋でもないし友情でもないし・・。仲間というのも何か違う。でも、失ってしまったんだよね。何よりも百瀬が怖かった。ああいうのが一番厄介だよなぁ。いるんだろうけど。

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    投稿日: 2012.07.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    加害者と被害者の論理が一致することは決してない。コジマの「わたしがあの子たちの犠牲者だとしたら、あの子たちもまたなにかもっと大きなものの犠牲者なのじゃないかと、そう思ったりもするのです。」という概念は、百瀬の冷徹な自己分析の前には空しい。そして世の中の少年たちの残酷な行為には、多くの場合その自己分析すら生じることはない。 手術による僕の変化は希望を感じさせるがそれは解決ではない。 そして最後まで「僕」という一人称で語られ、名前という個性を持たない「僕」には、読者である僕らの誰でもがたやすくなり得ることが出来るのだ。

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    投稿日: 2012.07.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読み始めてすぐ、中学時代の自分を思い出しました。一つ頭の出た思考、鋭利な意見を常に掲げ、武装した中学生でした。 厳しい世の中で自分が生き抜くためには、孤独に力を持って生きていくしかないと信じて疑いませんでした。 すぐに私はコジマは私だと思いました。彼女のようにあたたかく、包容力があったかは別として。 主人公「僕」は、どうだろう。優しくて、山麓の源泉水のように脈々と流れるものがあって、しかし脆くて揺らぐところがある。しかし、彼のような人は、あの頃いなかったな。 百瀬は、とても性格を悪くしたサコくんみたいだった。彼のような人はあの頃いたと思う。 そういうわけで、終始私はあの教室のクラスメイトでした。感情を震わせながらも無力な連中の一人でした。 読んでいるうち、手紙や非常階段の幸福感のあとに、すぐ絶望的ないじめがやってくる。苦しくて、苦しくて、早く2000年の22歳になった2人を見たくて、ただただそれだけを頼りに読んでいました。結局は、22歳の僕とコジマに会えなくて少し悲しいです。 最後の手術後、彼の目の前に広がるヘヴンが救いだったか。 そんな安易に読者を安心させてしまうなんて少し狡いと思いましたが、仕方ないのでしょうか。 僕の頭の中で出来事を反すうするのが心地よくて、いい意味で読み返すことなく後半は一気に読了しました。 首謀者の二ノ宮が読書をしない性質で描かれていて、そこが唯一痛快な部分でした。

    3
    投稿日: 2012.07.27
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    イジメにあっている斜視の高校生が主人公の話。今タイムリーでイジメがニュースになっていることもあり、心を痛める。作者は何が伝えたかったのだろうか?いじめっこの「イジメをイジメと考えていない」等の考えは、悲しいがそうなのだろうと思う。大人がイジメのアル社会を作ったという考えがないと良くはなっていかないだろう。

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    投稿日: 2012.07.27
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    大津の事件が報道された頃に読了。小説世界のぬるさと現実の惨さとの差が目について、やるせなさを感じた。テーマに対しての嫌悪感が終始ぬぐえず、読み進めるごとに辛くなった。

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    投稿日: 2012.07.22
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    初川上作品。いじめ描写がリアル。コジマと僕の同族意識からくる関係は中学生らしい初々しさとか瑞々しさがあって良かった。手紙のやりとりというのがいいですね。すんなり入ってくる一人称が読みやすかったが、結末は微妙に謎のような……。二ノ宮に対してコジマが行動を起こした最後のシーンは個人的にくるものがあった。百瀬の言い分はなかなか的を射ている感じがして、いじめられる側といじめる側を非常にうまく書いていたと思う。

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    投稿日: 2012.07.22
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    分かるのだけど、それでも、正直、ぴんと来なかった部分も、ある。 この人は、個人的にエッセイのほうが好きかもしれん。

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    投稿日: 2012.07.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめられることも、いじめるのも、斜視であること、斜視を治すことも、コジマと出会ったことも、全ては意志が働いているのではなくて、偶然であること。たまたまその状況に置かれただけで、意志があると思うのは、その場に居合わせた人それぞれの解釈に過ぎないからだということ。川上作品は、やっぱり身体という窮屈な呪縛から解放されていない。しかし、その窮屈な身体は、たまたまの都合によるものであって、窮屈であればあるほど、ぱっとニュートラルになって解放される瞬間があるのだろう。その世界は、ただただ美しい世界だとラストで思うシーンは、じーんときてしまった。たまたまの身体、たまたまの立場や状況、突き放すこともできるし、縛られて動けなくなることもある。たまたま それらは、ふとなくなってしまうこと。そのあとの世界は美しいということ。動けない自分を優しく肯定してくれる作品だと思った。

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    投稿日: 2012.07.21
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    ちょうど大津いじめ事件があちこちで話題になっていて、主人公とコジマに対する暴力の描写は、それ自体の生々しさだけでなく、現実に恐らく日本のあちこちで起こっている同種の暴力を想起させ、結構なダメージがあった。 前半〜中盤はコジマとのささやかなやりとりが救いで、後半はお母さんが救いで、お母さん素敵! 百瀬とのやりとりは個人的には一番の見どころ。 極端なことを言っているようではあるけれど、「人はみんな違う価値観や欲求に従って生きているのだから、相手が自分の立場や気持ちを考えてくれることを期待せず、自分の身は自分で守る」っていうのは、マクロの倫理観や社会や教育云々といった側面からはともかく、ミクロの個人としては本当にその通りだと思う。 なかなかそうもできないから悲劇が生まれるわけでもあるのだけれど。 それまでの凄惨な暴力の描写との対比もあって、ラストは鳥肌が立つくらい美しい。村上龍的技法。

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    投稿日: 2012.07.16
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    痛々しい内容をかなり淡々と(村上春樹調?) 描きながら、 最終的にはごくシンプルな結末だけを示して、 他のことは一切回収せずに終わったのがとても意外 中学生くらいの頃に悩んだことに対して 実はとても答えは簡単なことなんだよって教えてくれるようでもあり、 実はその簡単なことが人生を決めてるんだって 諭しているようでもあり。。 ありとあらゆる二律背反が示されて、答えは…みたいな あまり読んだことのない種類の小説だったね どちらにせよ、あのお母さんでよかったね

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    投稿日: 2012.07.16
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    いじめをモチーフに思春期の男の子女の子の気持ち、気分、感覚を掬い取った傑作。息苦しい程のいじめの描写と、いじめられっ子同士の恋とも友情ともつかない描写が良い。自身の中学の頃を思い出す。また、義理のお母さんのユーモアの感覚、その存在が固いテーマの小説のゆるい緩衝材となっていて、ホッとする。オススメ!

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    投稿日: 2012.07.16
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    あまり小説を読まない自分にとっては、今までで一番おもしろい小説でした。 描写もきれいで、精緻さにあふれる。コジマのつよさについては自分の解釈ですが、圧巻でした。コジマの譲れない部分に共鳴した分、おもしろかったのだと思います。 ただ、百瀬は中学生ではないと思った。読んでてひねくれ具合にかなり腹が立ってしまった。百瀬、いい人やと思ったのに…。 とにかく、またいつか読みたい本です。

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    投稿日: 2012.07.15
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    『うれぱみん』 『うれぱみんってなんのこと?』 『うれぱみんは、うれしいときにでるドーパミンのことだよ』 『机も花瓶も、傷はついても、傷つかないんだよ、たぶん ー でも人間は、見た目に傷がつかなくても、とても傷つくと思う、たぶん』 『自分たちに理解できないものがあることがこわいのよ。あいつらは一人じゃなにもできないただのにせものの集まりだから、自分たちと違う種類のものがあるとそれがこわくて、それで叩きつぶそうとするのよ。追いだそうとするんだよ。本当はこわくてしかたがないくせに、ごまかしつづけてるんだよ。』 『でも僕はここにいるわけにはいかなかった。コジマは僕を必要としているし、僕もコジマを必要としているからだった。学校で互いになにができるわけでもなかったけれど、僕はコジマの背中を見ることだけで、そこにコジマがいるだけで、何度も助けられたことを思いだしていた。僕が教室にいることで、僕のように救われたかもしれないコジマをあの教室でひとりにするわけにはいかなかった。』 『…君がもし僕の立場だったなら、いま君が僕に言ったことを言われて、それで納得できるのか』 『僕は君に納得してくれなんて言ってないじゃないか ー 僕の考えに納得する必要なんて全然ないよ。気に入らなきゃ自分でなんとかすればいいじゃないか』 『じゃあ、人の、…人の気持ちはどうなるんだ』 『知らない ー 当然のことだけど、自分の気持ちは自分で考えるしかないんじゃないの? 僕は君に僕の気持ちを考えてくれなんてそんなわけのわからないことは言わないよ。』 『だったらなんで自分や身内がされたら耐えられないようなことを、他人にはできるんだよ』 『そのふたつにはまったく関係ないだろう? 妹にはされたくないことを他人にしちゃいけないって、それ、なんで』 『自分がされたらいやなことからは、自分で身を守ればいいんじゃないか。単純なことじゃないか。ほんとはわかってるんだろうけどさ、「自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません」っていうのはあれ、インチキだよ。嘘に決まってるじゃないか、あんなの。ああいうのは自分でものを考えることも切りひらくこともできない、能力もちからもない程度の低いやつらの言いわけにすぎないんだよ。しっかりしてくれよ』 『あの男がどういうやつかは僕はもちろん知らないけれど、たとえばあの娘がさ、売春とかさ、ビデオとかで裸になってそのへんの男とやりまくる仕事につくって言えばかならず反対するだろうさ。たてまえならまだいいけれど、たぶんああいうのに限って本気で反対するだろうね。でもさ、こまかいことだけど、あいつも誰かの娘である女がでてるビデオ見たり誰かの娘である女が裸になってやってくれる店に行ったりしてるんだよ。そういうのふつうにやってるんだよ。相手の立場になって考えるのが道理ならさ、足をひらいたり裸になったりして自分に色々やってくれる女の父親の気持ちになれるはずだろ。でもそれとこれとはべつなんだろ、完全に。どの父親も目のまえの裸の女の父親のことなんか考えない。いや、僕は全然それでいいと思ってるよ。当然さ。それはさ、良いとか悪いとかじゃなくてさ、そういうのってあらかじめ区切られてることなんだよ。都合よくね』 『相手の立場になって行動しろなんてことを言えるのは、そういう区別のない世界の住人だけだ。矛盾のない人間だけだ。でもさ、どこにそんな人間がいる? いないだろう? 誰だって自分の都合でものを考えて、自分の都合よくふるまってるだけなんだよ。みんながそれぞれの都合を邪魔されてくないために、そういう嘘をまき散らしてるだけなんだよ。そうだろ? 自分がされたらいやなことなんてみんな平気でやってるじゃないか。肉食は草食を食うし、学校なんてのは人間のある期間における能力の優劣をはっきりさせるためのものだし、いつだって強いものは弱いもの叩くんだ。きれいごとをあるだけあつめて都合のいいルールをならべてそのなかで安心してるやつらも、その事実から逃れることはできない』 『僕が君に手紙を書いたのは、話をしたかったからなんだ』 『うん、それは知ってるよ ー でもさ、こうやって会えるだけで、うれぱみん』 『弱い人はいつだって酷い目に遭わされて、それでもどうすることもできないんだよ。そんな人がいなくなることはないんだよ。だからって強いやつらの真似をして、なんとか強いやつらの側になって、そういう方法で弱くなくなればいいの? そういうことなの? 違うでしょ?』 『コジマはたったひとりの、僕の大切な友達だったのだ。』 『いまからさ、わたし学校に行ってくるんだけど、そのまえにあなたと話したくてさ』 『うん』 『こういうのって、みんなすきなように違うこと言うからさ』 『うん』 『でもわたしはあなたの話しかきかないから』 『うん』 『なんでも言って。でも言いたくないことは言わなくていい』

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    投稿日: 2012.07.15
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    ラストは結構切なかった。もう1人のコジマさんの心理に少し偏りを感じる。わざとする必要はないかなとおもう。ラスト近くのお母さんの言葉は泣けた。

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    投稿日: 2012.07.15
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    身体的、外見的なしるしを大切にし、困難な状況を乗り越えることに意味を見いだすコジマ。人にはできることとできないことがあり、すべての物事はたまたまの巡り合わせ起こっているにすぎないという百瀬。この2人の主張は物語の根幹を成している。主人公は百瀬の言葉の意味を悟る。天国も地獄もこの世にあり、ここでしか生きることができないという事実に涙するが、彼が勇気をもって、「しるし」である斜視の手術をし、この世で新しい世界を見た最後の描写は言い知れぬ感動を覚えた。これが「ヘヴン」だったのかな。

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    投稿日: 2012.07.12
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    痛くて悲しい。 描写がうまい。頁をめくるのがつらくなるほどに。 中学生って、こんな形がリアリティなのかなあ。 賛否があるだろうが、わたし的には後味悪くない。 あんまりにも惨いのに、淡々と読んでしまった。意味をつければ楽になる。意味を無くしたら怖くなる。

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    投稿日: 2012.07.11
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    久しぶりに痛くて、重い小説に出会った。 いじめの描写が本当に痛々しい。 物語は淡々と進む。 置いてけぼりをくらっている感覚とは違うんだけど、何故だろう、感情移入が主人公にもコジマにも出来なかった。 コジマはあれからどうなったのだろう? 主人公とのつながりを一切絶ったという解釈で良いのかな……。 文章の構成はすき。 ラストは切ないほど、やりきれないほど、美しい。

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    投稿日: 2012.07.11
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    久しぶりに瑞々しく生臭い、生きるってなに、正しいってなに、というテイストに触れた。このせいかな?最近具合悪い。

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    投稿日: 2012.07.09
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    二ノ宮や百瀬のセリフを読んでいてずいぶんと小難しいことばっかり 言う中学生だなと思った。特に百瀬の方は。 個人的にはただの屁理屈にしか聞こえないけれど。 コジマは好きだとか色々と励ますようなことを言ってくれていたけれど それでも救われない話だと思った。 唯一ホッとできる部分は引用はしないけれど最後の方の お母さんのセリフくらいだった。 言葉自体もそうだけれどもやっと今までの日々を知ってもらう事が できたということ自体も大きい。 家族は当然、味方になってくれるけれど、それでもこういうことを 告白するのは辛いし勇気がいることだから。

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    投稿日: 2012.07.09
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    こうゆう視点もあるのだなと思った。 文章の作り方が好きでした。 百瀬の言葉を飲みたくないのだけれども、納得してしまう説得力があった。

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    投稿日: 2012.07.07
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    自分の考え方に対して挑戦してくる小説。現実世界でのいじめにおいていじめる側が、本作における百瀬と同じようなことを考えていたら怖いなと思うが、実際の加害者はもっと低レベルな人間なんだろうと思う。そう思いたい。ミステリ小説ではないのでオチに期待してはいけないとわかっていつつも、いくつかの明かされない事柄が気になった。なので、★マイナス1。

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    投稿日: 2012.07.06
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    最初から最後まで心が締め付けられるようでした。 読了した瞬間になんとも表現しがたい「あー・・・・あー・・・・・・そう・・・」と 声が出てしまいました。

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    投稿日: 2012.07.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    クラスでいじめをうける主人公『僕』と『コジマさん』、いじめグループに属するが傍から見ているだけの『百瀬君』 コジマさんはいじめられていること、それに耐えることには意味があるという。あえて汚い格好をし、スティグマを背負い、苦難に耐える私という物語を生きる。 一方、百瀬くんはこんなことを言う。 「子どものころさ、悪いことしたら地獄に落ちるとかそういうこと言われただろ?」と百瀬は言った。「そんなもの、ないからわざわざ作ってるんじゃないか。なんだってそうさ。意味なんてどこにもないから、捏造する必要があるんじゃないか」と百瀬は笑った。「弱いやつらは本当のことには耐えられないんだよ。苦しみとか悲しみとかに、それこそ人生なんてものにそもそも意味がないなんてそんなあたりまえのことにも耐えられないんだよ」p223-p224 コジマさん=キリスト教徒、百瀬くん=ニーチェという図式を描くことができる。だが最後までこの図式で話が進行するわけではない。 コジマは完璧なほほえみを浮かべた顔で、裸のままゆっくりと回転して、二ノ宮にむきなおった。それから両手をひろげて、目をひらき、口をあけて大声で笑った。p292 コジマさんは二ノ宮をはじめとするいじめグループを笑い飛ばしたのだ。そして同時に「苦難に耐える私」という物語を生きる自分をも笑い飛ばしている。全てを笑い飛ばすコジマさんはニーチェ的だ。 さて、『コジマ』さんと『いじめ』グループ、善と悪が融解する地点で斜視を手術し正常な眼を手に入れた『僕』は何を見たのだろうか。

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    投稿日: 2012.07.02
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    苛めを受ける中学年男女二人の結びつきと脱皮。肉体的や家庭環境も要因し内向きの壁を作り、自分である為の標準バランスをとる姿が痛々しい。徐々に殻を破りつつある僕に比べ、沸点を超えたコジマさんの変容ぶりには拍手。ヘヴン…コジマさんなのか?新な視界なのか?しかし、苛めの内容がえげつない!

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    投稿日: 2012.06.28
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    いじめをモチーフにした作品は数多く読んできましたが、そのどれとも違う個人的に苦手な作品でした。 主人公が耐えきれず自殺してしまうもの。数年後いじめに加わった同級生を復讐するもの。助けてくれる味方が現れ主人公自身が強くなることで解決するもの。どれも明確な結果があるから安心して読める。しかしこの「ヘヴン」には結果がない。答えが出ないので不安だけが残る。続きが読みたくなくなる作品でした。考えさせられるという意味ではダントツですが。 ただ文庫の帯の煽りは不適切な気が… “かつて見たことのない世界”“生きることの不条理さと美しさ”“善悪の根源を問う”内容とかけ離れて壮大なストーリー展開を私は期待してしまいました。

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    投稿日: 2012.06.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめのシーンがあまりにも痛々しくて。苦手だった。 主人公たちの気持ちにもどうしても寄り添えなくて。

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    投稿日: 2012.06.27
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    先を読むのが怖くなる、恐らくこの先にあるであろう何かしら嫌な予感が当たらないようにと恐る恐る読み進めた。 周囲に苛まれ、そんな状況でわずかな自尊心を保つ方法。 最初コジマは自分より弱い人間を求めたのではと思い、それゆえ読むのが辛かった。しかし読み進めるとそれは違うのかもしれないと感じた。ただ私はコジマが 相手を求めたハッキリとした答えはみつからなかった。深読みしすぎだろうか。 自分の信念を誰にも知らせないでいることに限界を迎えたのだろうか。 登場人物をみればわかると思うが、誰ひとり完璧な人はいない。みな何かを恐れている。現実もそうだ。そこでどう自分を保っていくか、人を見下して安心するのか。

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    投稿日: 2012.06.27
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    ストーリーは、苛められる2人の価値観や生きて行くためのプライドとの葛藤。感情に訴えかけるものはあるけれど、物語自体のストーリー性が薄く、個人的には面白いとは思えない。ただこれが現代の小説なのかも知れない。

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    投稿日: 2012.06.25
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    「いじめられっこ同士」以外にコジマに惹かれる主人公の気持ちが正直わからなかった。その後彼女はその後どうなったのだろう…。

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    投稿日: 2012.06.24
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    軽やかな文体と軽い文体は違う、読めば明らかに違う。何年か前に読んだ「乳と卵」には軽やかさを感じた覚えがあるけど、今回はただただ軽い。 著者がリア充かどうかは分からないけど リア充が小説書くとこんな感じだろーな。 ただ、リア充だからこそ書けるものもある。 主人公の母が学校に行く前の朝食で言う一文 「こういうのって、みんなすきなように違うこというからさ。でも わたしはあなたの話しかきかないから。」 著者は女を書くべきだと個人的に思う。 この一文だけはとても意味の強い言葉だった。

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    投稿日: 2012.06.23
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    中学でイジメにあっている僕のところに、同じクラスで同じ境遇にある女子・コジマから手紙が届く。会って話すようになった二人が共有するもの、しないもの。二人は微妙な関係を保ちながら、ヘヴンを求めながら現実に対峙していく。 美しい文章に、リアルな描写。希望に満ちているかどうかわからないが、神々しいまでの見事な結末。著者の他の作品が読みたくなった一冊。 小学・中学と下町の公立だったので、暴力的なイジメや完全無視のイジメを何度も見てきた。被害者でも加害者でもなかったが、被害者側がその後しっかりと生きているんだろうかと気になってしまう。

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    投稿日: 2012.06.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    これは信仰の物語だ。 何もかもが不透明な現代において、何をしていいのかわからない私たちは、それでも何かを信じたい。 今日はAを信じ、明日はBを信じ、そして来週は違う何かを信じている。 信仰が定まらない内は隣を芝生が青く感じる。 主人公はいじめという辛い現実の中で一つの信仰に小さな光を見つけるのだが… ラストで神なき世界に、虚無に陥ることなく生きていくスタートを彼は切ったのだ、と、思う。 主人公とともに信仰の道を辿るような気になる。

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    投稿日: 2012.06.19
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    「意味なんてなにもないよ。みんなただ、したいことをやってるだけなんじゃないの、たぶん。まず彼らに欲求がある。その欲求が生まれた時点では良いも悪いもない。そしで、彼らにはその欲求を満たすだけの状況がたまたまあった。」 ある学級で起きている「苛め」。不条理を全て受け入れることによって、善・悪、強者・弱者の彼岸にヘブンを見る。

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    投稿日: 2012.06.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    事前にレビューをちら見していたので色々思うところがあったけど とにかく自分で読んでみないことには、と思いよんでみた。 待望の文庫でしたし。 私は素晴らしい作品だと思いました。 川上さんには才能があるんだなと思います。レビューでは哲学的だとか言い古されたことだとか云々書かれていたけど、私は、これは、本当に川上さんの内側にあったものなんだと思う。それは見方によっては確かに哲学的だけれども、私も結構日常的にこういうこと考えてるよって思う。 だから別にとってつけて書いたようなことじゃないと思う。わかんないけど。 特に主人公がどんどん鬱病の気が出て来てしまうあたりは一読者の私もなんだか焦ってきてしまって、ああこの人どんどんだめになってしまう、誰かがどこかで助けないといけないと苦しい気持ちになった。コジマは結果的に彼を助けたのかな。そうだと思う。彼女のキャラクターは結構複雑で、最初は主人公と同じ、弱者だったのが、いつしか強さを持ってきて…ってだけでは終わらない。結局彼女も言葉では色んなこと言って理屈を並べているけれど私からしたら最後まで弱い、狂気じみた少女だったな。 なんだか自然に最初から最後までさらりと読ませてしまって、しかも話しも込み入っている感じではないんだけども、すごく精密な印象を持った。才能だと思う。 関係ないけど今度川上さんの歌も聞いてみようと思った。

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    投稿日: 2012.06.16
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    久々に、14歳に問われ、その都度自分で答えようとした本に出合った。 人生のほとんどが不安で、少しある安心との間にある標準て何? 苛められることに意味がありその先にあるヘブンて何?  でも地獄も天国もここにしか存在しない。世の中の事を都合よく解釈しだすのはこのくらいの年齢からだったなぁと、10代を思い起こした。  コジマの苛められることを受け入れ、そのことで相手に解からせようとする信念に、わからなくなる主人公。私も同じたった。    

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    投稿日: 2012.06.16
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    斜視でイジメにあっている主人公。 同じく汚いといわれてイジメにあっているコジマ。 イジメのシーンは本当に読んでて辛かった。ページをとばしてしまいたくなるほど。その分ラストは爽快。 わたしは最初コジマの気持ちに共感できたけど、最後は共感できず。意志が強すぎる。 主人公のお母さんは一番好感のもてる人だった!こわいとき笑っちゃうって、わかるわかる(笑)

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    投稿日: 2012.06.16
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    それぞれの狂気は、すぐ隣に存在しているような、普遍的なことなのかもしれない。ごく個人的な出来事が描かれているようだけれど、その実一般化されているような上手な描かれ方だった。案外わたしが考えていることも、ごくふつうのことなのかな。そう思える程度には、それぞれの人物の語りに共感する余地があった。

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    投稿日: 2012.06.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    十四歳の僕はいじめにあっている。 同じく女子からいじめられているコジマ。 コジマがいじめられるのは汚いから。 でも、コジマは離れて暮らす父とのつながり、しるしのためにあえて汚くしている。 僕は亡くなった母と同じ斜視が原因でいじめにあっていると考えていたが、二ノ宮達といる百瀬はそれが原因ではないという。 たまたまそこに君がいたから、という。 読んでいていらいらした。 今の若い世代がこんな考えをしているのかもしれないと考えると怖くなった。 --- <わたしたちは仲間です>--十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える<僕>は、差出人不明の手紙を受け取る。苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。

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    投稿日: 2012.06.14
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    心の中の、それほど奥深くないとこにある柔らかい部分。そこをサンドペーパーでゴシゴシこすられる。痛み。血。でもなぜかさっきまでは存在しなかった痒みが感じられ、やめてくれと言えない。さらに、見つけてくれてありがとうという気すらしてくる。もちろん、こんなこと受け入れられない。でも、そうしないと取り返しがつかない方法で壊れてしまう気がする。 描かれている世界も、描き方も、小説の強さ弱さと闘い、同時に人の強さ弱さと闘っている感じで好感。 かなり感情に入り込んでくるので、朝の通勤電車で読んだ時は半日くらい気分が抜けず辛かった。 それだけに、それだけに、ラストシーンが残念。まぶしいけど奥行きがない。圧倒的に美しいけど、解決でもない昇華でも崩壊でも切断でもない、蒸発したかのような、「シアワセに暮らしましたとさ、おしまい」には続かないはずのラストシーンが、物足りない。

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    投稿日: 2012.06.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読了後自分の中にたくさんのしこりが残って、考えなければならないことがもやもやしている。善悪論とか価値観とか、大事な要素ではあろうが最重要ではない気がする。このもやもやの残り方、なんだかずんとくる読了感の方が“最重要”かなあ。自分でもよくわかっていないけれど。 百瀬の言葉、コジマの方向性、そして僕の迷い。強いとか弱いとか。文章は読みやすくどんどん話が進んでいくが、とても印象に残る小説。

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    投稿日: 2012.06.11
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    読んでいて辛かった。 ちょうど娘が中学生。 こんなことに巻き込まれずにいてほしいと願うばかり。 しかし、自分のことを思い返すと、中学生時代、ここまでひどくはなかったけど、シカト程度のいじめはけっこうあったなー。 娘に聞いたら、よく試験問題に抜粋される本なんだとか。 そうなのか・・・

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    投稿日: 2012.06.11
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    6/9読了。救いがない感じが続くので何度か本を置いたものの、先が気になって読み続けさせる何かがあるとはしても。 やっぱり救いがないように思うなあ。芸術選奨文部科学大臣新人賞はともかく、紫式部賞受賞作品ということで読んではみたが、今までの紫式部賞受賞作品てはなにかが違うような。結局、なんの本なの?と聞かれたら、中学生が苛められる話、としか答えようがないような…。

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    投稿日: 2012.06.10
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    読みながらくるしくなってしまうような、色彩を持った痛みが眼前に突きつけられるのに、身動きが取れない。ページを繰る手を止められない。 「これが人生か、さればもう一度」と言えるひとが、果たしてどれだけいるのか。 今年読んだ本のなかでもかなり上位に食い込みそうな予感がひしひしと。

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    投稿日: 2012.06.09
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    コジマはどうなった? 久しぶりに中学生のイジメの話を読んだ。 百瀬に共感する人はどのくらいいるんだろう。 中学時代を思い出した。 イジメられていたわけじゃないけれど、 中学の雰囲気とかそういうのを思い出して泣けた。

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    投稿日: 2012.06.08
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    耐えがたいいじめに遭いながら、なぜ自分たちはそうされるのか、それを受け入れている自分たちにしか見えない世界、分からない世界を必死にさがす中学生の話。 中学生くらいの頃って自分の考えてることや気持ちを説明する言葉とかがおいつかへんくて、大人になったらそれは説明できるけど、その代わりにそんな気持ちや考え方にさらされたり埋没する時間も余裕もなくなってしまう。 主人公の少年と義理の母親の関係性がすごくよい。

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    投稿日: 2012.06.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    著者の考える善悪・強者と弱者の価値観が、達観した中学生達を通してこれでもかとストレート語られる小説。一種の哲学的内容にもかかわらず、著者の言葉が気取っていなくて読みやすい。気付いたら読み終わっていた。 ただどうしても、主人公がコジマを「たった一人の、僕の大切な友達」だったと勘違いしたまま(?)斜視を手術したラストだけは納得がいかなかった。 主人公とコジマは、いじめられている現実への姿勢と背景が180度異なる。(前者は拒絶したくて実は逃げる方法がある、後者は受諾しながらも逃げられない) 帯の文句「僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。もし彼らが僕たちを放っておいてくれたなら――」…これは違うはず。

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    投稿日: 2012.06.07