
総合評価
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powered by ブクログいじめがなくなることはないと私も思っているけれど、まさにそのことをどう考えるかが投げかけられていると感じた。 憎いけれど百瀬の言っていることは圧倒的に事実なのだと思う。「強者は弱者を虐げることができる。なぜならそれが強者だからだ!」みたいなことを言ってるのと変わらない気がするけど、弱者が相対するのはそういう愕然とした「事実」そのものなのだろう。強者と弱者とが整然と分かれていて、強者はたまたま近くにいた弱者を虐げる。攻撃対象が入れ替わることはあってもその構造自体が変わることはない。それが前提としなければならない現実なのだろう。ならば自分があえて弱者の役を引き受けようというコジマの考え方と意志は本当に凄いし尊敬する。これを読むまで私にはとてもそんな考え方は思いつきもしなかった。衝撃ですらあった。しかし立場と解釈こそ違えど、事実認識において百瀬の考えと意外にも重なりを見せてしまう。なによりとても他人にも押し付けられる考え方ではない。たとえ弱者の役が別の誰かに入れ替わるだけであっても、一人の弱者が虐げから逃れるために弱者のしるしを取り除こうとするのを責められはしないだろう。結局、3者の考え方はいずれも強者と弱者のいる構造自体をどうこうするものでななかった。構造は変えられないのだろうか。虐められ役が弱者の中でちょっと入れ替わるだけなのか。道徳は肝心な場面で無力。ではどうすればよいのか? どうにもできないのか? きつい現実を鋭く突きつけられた。そうすることで作者は、善悪と現実の構造について考えるきっかけを投げかけているのではないかと思う。いい解決策は今のところなさそうだ。だが、社会的に必要な問いかけであろう。作者の善悪や倫理に対する根本的な問題意識を強く感じた。 それと、いじめの原因が斜視だと思っている被害者側と、そんなの全然関係なくてたまたまだと言う加害者側の認識の差には愕然とした。これもなかなか残酷な事実だと思う。しかしこれが、被害–加害関係のあるところには半ば必然的に生じてしまう認識の差なのだと思った。
2投稿日: 2017.04.03
powered by ブクログ苛める奴らは悪い奴で 苛められる僕たちは弱い奴。描かれているのは 理不尽な暴力の加害者と被害者。 悪い加害者はいつか制裁を受け 弱い被害者はいつかきっと救われる。そうだったらいいのに。そうなればいいのに。物語の結末がそう思った通りだったなら 解りやすくスカッと心が晴れるのだろう。めでたしめでたし。 でもそうじゃない。心が晴れる結末であっても 悲しい理不尽な結末であっても またそのどちらでもなくても そこに存在している人たち(存在しなくなった人が居たとしても残された人たち)の時間はその後も流れていく。そうなんだ。そうなんだよな。一気に読み終えたあとそんな余韻に 胸が締め付けられた。
1投稿日: 2017.03.29
powered by ブクログはぁ、もうこれは最近読んだ本中で一番の衝撃をくらいました。 川上さんの本の中で一番良かった。 僕とコジマの距離の描き方がうまい。 最後のシーンは泣きっぱなしでした。
1投稿日: 2017.02.28
powered by ブクログまず、女の子から手紙が机の引き出しに入っていたらたいていの人はここからラブストーリーが始まると思いがちですが、その予想を気持ちよく裏切ってくれる作品です。テーマがいじめという割とよくあるものですが描き方が尋常でなくリアルです。心情がいじめる側もいじめられる側も巧みに描写されていて、どちらか一方に感情移入することが出来ない人間の闇を淡々とかつ激しく生々しく、人間らしさを描き切った作品です。
2投稿日: 2017.02.14
powered by ブクログん?これで終わり?という終わり方でストーリーにがっかり。 いじめられている中学生の心の動きを描いたのだろうが、ストーリーとして完結していなく、いじめの解決にもなっていなく。なんなんだこれはという残念感に終わった。
0投稿日: 2016.12.23
powered by ブクログ『すべて真夜中の〜』に続き、未映子作品三作目。この作品も好きだなぁ、と。僕とコジマの手紙のやり取りが、嘗ての自分とメル友との関係に重なり何とも云えない気持ちになった。最後の結末も、何も解決しないことで有名なw純文学にしてはもうこれしかない!という終わり方で大変良かった^^
1投稿日: 2016.09.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この小説は読んでいくと衝撃を受けることばかりだった。。 途中痛々しくて、自分も痛めつけられてるようで涙が出た。 こんなに酷い関係性を自分は体験したことがない。 そのなかで、小な二人が二つの方向性で前向きに生きるんだけれど。 その二つともに正しそうなものがあって。ただ何が正しいのかなんて、誰にもわからないし、その人の信じるものが正しい世界になるのだけれど。正しいと思っている世界を人に押し付けることは無理なんだよな。歪んじゃうんだよな。 最後まで、いじめる側を許していったあの女の子は強いんだろうか。じゃあ強さってなんだろう?なんて考えてしまうこの小説。もう一度読むのが辛いけれど、間を空けて読みたいなと思えた一冊
2投稿日: 2016.09.04
powered by ブクログ中学生のいじめられっ子(というのはかなり生ぬるい言葉なんだけど)同士の交流という小さな世界から、いつの間にかとても大きな問題について考えさせられることになる。果てしない……一読しただけじゃとてもじゃないけど処理しきれなかった。
1投稿日: 2016.09.03
powered by ブクログいじめにあっている中学生の男の子と女の子の密やかな関係を描いた小説。物語であっても、いじめをみるのは淋しいこと。
1投稿日: 2016.07.08
powered by ブクログ自分がされたらイヤなことは人にしてはいけません。ってのはあれインチキだよ。自分がされたらイヤなことからは自分で身を守ればいいんだ。ああいうのは自分でものを考えることも切り開くこともできない、能力も力もない程度の低い奴らの言い訳に過ぎないんだよ。 女子高生を娘に持つ中年夫婦を見て百瀬は言う。あの男がどんな奴かは知らないけど例えばあの娘が売春とかビデオとかで裸になってその辺の男とやりまくる仕事に就くって言えば必ず反対するだろう。でもあいつも誰かの娘である女が出てるビデオを見たり、誰かの娘である女が裸になってやってくれる店に行ったりしてるんだよ。相手の立場に立って考えるのが道理なら、足を開いたり裸になったりして自分に色々してくれる女の父親の気持ちになれるはずだろ。でもそれとこれとは別なんだろ、完全に。 相手の立場に立って行動しろなんて言えるのはそういう区別のない、矛盾のない人間だけだ。どこにそんな人間がいる? 百瀬、的を得すぎ。 いまからさ、わたし学校に行ってくるんだけどその前にあなたと話したくてさ。 こういうのってみんな好きなように違うこと言うからさ。 でもわたしはあなたの話しか聞かないから。 なんでも言って。でも言いたくないことは言わなくていい。 苛めの話をすると、学校なんて行かなくていい。でも、高校はまたこことは違うから行きたいなら進学するための方法を2人で考えよう。行かなきゃ行けないともうないからさ。 そんなことに付き合ってやる必要ないから。いい方法を考えよう。考えればなんだってあるんだから。 苛めの事実を知った母、実の母ではない。の子に対する反応は立派だと思う。自分なら真実を知ることが必要だと考えるし、敵となる相手を潰してやりたいと考えるだろう。2人のやり取りを読むと、それは子を救うことにはならないと知った。
2投稿日: 2016.07.04
powered by ブクログクラスの男子に苛められている〈僕〉。 クラスの女子に苛められている〈コジマ〉。 苛められている理由というのは一応、ある。 斜視である〈ぼく〉と、不潔である〈コジマ〉。しかしそれは、苛める側の論理だ。 クラスメートの目を盗み、ふたりは手紙を交わし、時々会う。 ひっそりと、鉛筆の6Bのような声で話す〈コジマ〉。 初めて僕の目のことをすきだと言ってくれた〈コジマ〉。 〈コジマ〉が不潔にしているのには理由がある。 両親が離婚したので一緒に暮らすことができなくなった父を、貧乏で食べるものに事欠き、着の身着のままでいる父を、すきだった父を忘れないための、それはしるしであるのだと。 〈コジマ〉は苛めを受け入れる。 苛めを受け入れることに意味を見出し、耐えることで辿りつくことのできる世界へ行くために。 それは殉教者のような生き方。 自分をどんどん削ぎ落として削ぎ落として、苛めを受け入れることのできる選ばれた自分としての価値だけが、彼女の中で存在を増していく。 それに対する存在が、苛めグループの百瀬だ。 彼は積極的に苛めようとしているわけではない。苛めることに何の意味も持たない。 それどころか、彼はすべてのことは無意味だと言う。 善悪も、義務と権利も関係ない。すべては無意味だと。 たまたま苛めたい気分と〈ぼく〉の存在が一致しただけで、苛めに理由なんてない。 罪悪感もなければさしたる興味もない。 〈ぼく〉と百瀬の会話はどこまで行っても平行線だ。 苛められることに特別の意味を持たせる〈コジマ〉と、苛めることになんの意味も持たない百瀬。 (ぼく)の心は、どちらの言い分にも違和感を覚えるの。 〈ぼく〉の目は斜視なのでものごとの距離をつかみにくい。 右目と左目で見えるものが大きく違うので、距離感、立体感を脳が把握できないのだ。 物語の最後の方で(ぼく)は斜視を直す手術を受ける。 〈ぼく〉の目の前に拡がる立体感を持った景色の圧倒的な美しさ。 胸が苦しくなるほどの苛めの過酷な描写が続くが、作者が書きたかったのは多分苛めの実態ではない。 薄っぺらな世界から足を踏み出し、自分の目で確かに世界を捕まえて、そして考えろ。そして感じろ。善悪とは。生きる意味とは。世の中とは。 その時初めて自分自身のヘヴンが見つかるのではないだろうか。 見たいものしか見ようとしない〈コジマ〉 薄っぺらいニヒリズムをまとった百瀬。(彼が〈ぼく〉や〈コジマ〉のように苛められたら、それでも苛めに意味はないと平然と言えるのだろうか) 彼らもいつか、世界との距離をきちんと取り戻すことができたら、と思わずにはいられない。
1投稿日: 2016.06.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
読んでいる途中いじめの描写などは胸糞悪かったのだが、いじめられる側の主張だけでなく、いじめる側の主張も主人公との対話を通して描いたのは面白い。主人公は思い悩むが、いじめる側は結局「たまたま」そこにいたからいじめたくらいにしか思っていないものだ。 コジマの終盤は狂気そのものだが、序盤からすでに狂気が見え隠れしていると思うのは自分だけだろうか。主人公が斜視を治せるかもと話すと、裏切られたと主人公を突き放すのも身勝手だなぁなんて思ってしまう。 主人公は最後の一件をきっかけとして母親にいじめのことを洗いざらい話すが、話すまではいじめのことを伝えるのは長い時間必要だと思っていたのに、結局話してみたら時間はかからなかった。 「行かなきゃいけないとか、もうないからさ」 「そんなことに付き合ってやる必要ないから。いい方法を考えよう。なんでもあるから。考えればなんだってあるんだから」 たしかにいじめに付き合う必要はない。百瀬の言ういじめ側の論理によると「たまたま」標的になってしまっただけなんだから。
2投稿日: 2016.05.15
powered by ブクログ作品の中に渦巻く雰囲気は、正直、心地よいものではまったくなかったけれど、苛められているもの同士の関係性、14歳にしては世界と自分の関係性をあまりにも冷静に見据えている女の子の台詞など、立ち止まる箇所がいくつもあった。
1投稿日: 2016.05.04
powered by ブクログ全体的に読むのが少しツライ… こういうイジメは形は違えど今も昔も、大人の世界にもきっとある。だから登場人物の考え方に共感したり苛立ったりいろんな感情が生まれました。 百瀬はなぜあんなにも淡々としている中学生なのか?最後にコジマはどうしてあんな行動にでたのか?そして今はどうなったのか?…モヤモヤが残りました。 けど読んで後悔はないです。
1投稿日: 2016.05.01
powered by ブクログ読みながらとにかく苦しくて、読み進めるのが大変だった。 コジマの考えにも主人公の悩みにもそして百瀬の主張にも、狭い箱に押し込められた中学生特有のものがあって、それが痛々しく映る。 そのどれかが正しい、と選ぶこともない終わり方は好きです。
1投稿日: 2016.03.21
powered by ブクログなんか、うまく言えないんだけど 食べてくれてうれしかったってことなのよ いまからさ、わたし学校に行ってくるんだけど、そのまえにあなたと話したくてさ こういうのって、みんなすきなように言うからさ でもわたしはあなたの話しかきかないから なんでも言って。でも言いたくないことは言わなくていい 最後のお母さんの言葉が救い 離婚して親子関係じゃなくなっても この2人はまた時々会ってご飯食べたりするような関係を続けられたらいいなと思った。 コジマのお父さんのことを忘れたくないという気持ちがわからないわけではないけど、お風呂入らなかったり、髪ボサボサだったりしなくても、忘れないでいることはできるんだから、違う方法を見つけてほしい。頑固すぎる。
2投稿日: 2016.02.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
イジメのシーン、キツいな、、、と思いつつ、一気読み。 そういう話で終わるの?と、そこ?みたいな想いがぬぐえず。 たとえば、二ノ宮の話声をトイレに隠れて聞いてたシーンとか、ヘヴンっていう絵についてとか、離婚のこととか、色々がポッと書かれてほったらかしな印象。 たぶん、この人の本を読んだのは始めてなので、わたしが知らないだけで、そういう書き方をする人なのかもしれない。
1投稿日: 2016.02.20
powered by ブクログついつい、読み終わった直後なのにまた読み始めてしまう。 ひとつひとつの言葉や、それぞれの登場人物が抱きしめている価値観みたいなものが、ずっしりと心に響いてきた。 正しさとはなにか。 楽しければいいのか。 なにを選択するのか。 選択できないのか。しないのか。 弱さは価値か。 弱さを捨てることは逃げか。 彼らの言葉や行動のひとつひとつに、私の思考は振り回される。 「ほんとうに?」 「真実は?」 「なにが正解なの?」 この本を読んでいて生まれるこの思考、それ自体がこの小説の素晴らしいところなんだと思う。 ただ、唯一結論めいたことを言うのであれば、 「真摯に生きれば生きるほど、苦しみが深ければ深いほど、そのあとに待っている景色は美しい」 それだけはゆるがないものなんだ、と思う。 本当に川上未映子さんの言葉は美しい。
2投稿日: 2016.02.19
powered by ブクログ虐めの描写が刺さる。 後半はつい流し読みをしてしまうくらいえぐかった。 斜視の手術をして「僕」は救われたのか。 よくわからなかった。
0投稿日: 2016.02.17
powered by ブクログ具体的表現の前半でぐっと引き付けられ 後半の抽象的表現で突き放された ネタを振ったら振りっぱなし 伏線だと思うとほったらかし プロットとか無いんですか? その時、感じたことを書いて 結末を考えるのが面倒臭くなったのか あとは読者の想像にお任せすか?
1投稿日: 2016.02.15
powered by ブクログ酷い斜視の為クラスで非常にひどいいじめを受けている少年の机に「私たちは仲間」という手紙が入っていた。その出し主はクラスでいじめられている女子だった。2人は励まし合いいじめを乗り越えようとするが、いつしか2人の間にずれが生じるのであった。 相当に痛みを感じながら読んだ本でした。これくらいのいじめならば実際にいくらでもあるのだと思うけれど、その事自体が人間社会に絶望を覚えます。人に痛みを与えて快楽を得る輩は潜在的に殺人者っと変わらないと思います。ああ嫌だ嫌だ、これだから学生時代なんかに絶対に戻りたくないです。大人になって丸くなるだけでそういう性質の人が社会に沢山いると思うと怖いです。いじめられる側の人間だったから思う事かもしれませんが、いじめられた事は忘れられません。いじめた事は忘れてしまうのでしょうか?
2投稿日: 2016.01.27
powered by ブクログ何気ない日常を丁寧に文にされているのはさすが川上さんといったところ。けれどもいじめのシーンは生々しく描かれていて読み進めれば読み進めるほど苦しくなった。でもこれが現実だと痛烈に突きつけるそんな本。
1投稿日: 2015.12.12
powered by ブクログぐさり来る深いお話でした。 苛める側の百瀬の論理が興味深い。自分の娘にはエロビデオに出てほしくないのに自分は見ているのに罪悪感はない。自己の世界の範囲でリアルに感情的になれる範囲でしか正義は働かないんですよね。ただ苛めは違う。目の前の生身の人への行動ですからね。 これは苛めの話ですが、苛められる側のいじめへの折り合いの話し。何かしら救いや、意味・意義を見いだそうとしている。なんとも、やるせない気分になります。
1投稿日: 2015.11.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
まず浮かぶ感想は「胸糞悪い」である。 コジマのように、「なにもかも見てくれている神様がちゃんといて、最後にはちゃんと、そういう苦しかったこととか乗り越えてきたことが、ちゃんと理解されるときが来るんじゃないか」って、私だってそう思いたい。 そう思いたいから、勧善懲悪のスッキリした話であってほしいと半ば願うような気持ちで読み進めていた。生きていてつらいとき、どこかで帳尻が合うはず、とどこかで願うような気持ちを持つことは全く自然なことだと思う。 でも結局はそうじゃないんだよね。理不尽で不条理で不公平で。生まれたときから選べないことなんてうんとたくさんある。百瀬の言うように、みんながおなじように理解できるような、そんな都合のいい世界なんて、どこにもないんだろうとも思う。自分は自分でしかないのに、「人の気持ちを考えろ」なんて、それこそ大人は子どものことを考えきれていない。 いじめる側の論理もいじめられる側のそれも表裏一体だということに納得したくはないけど、この小説をただ「胸糞悪い」という感想に止めておくのはこの作品に、著者に失礼な気がする。
1投稿日: 2015.10.30
powered by ブクログすべて真夜中の恋人たちより読みやすかった! 前にも思ったけど表現が上手い。 百瀬とのやりとりが1番さくさく読めた。 共感するかは別として、いじめって実際にこういうことなんだろうなと。 いじめ全てをひとまとめにはできないけど、こういう考えも絶対誰かしらあるんだろうと思った。 もやもやして苦しくて、、それでも受け入れて、諦めて生きて、、 正直に最後まですっきりするような話ではなかったけど、読めて良かった
1投稿日: 2015.10.22
powered by ブクログ最後の主人公の「意味なんてない」「意味がある」に葛藤する場面すごくグッとくる。 あと出てくるドクターがすごくいい! ああいうドクターが思春期の子どもに関わるといいんだろうなぁ。距離感すごい。 川上未映子さんに落ちました。
1投稿日: 2015.10.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いじめについての小説だと、帯からか先入感があったのでいじめについて何も解決されない感じがいじめの描写と合わせて不快でした。 殺人、ならどこか他人ごとな感じで題材にされてても不快ではなく、いじめだと不快、って変だなと思いますが。 いじめを題材にするなら、いじめられてる子が読んで救いになるようなお話にしてほしいと思いました。 辛い最中に読んで、テーマはとか深読みしたり考えたりできないですから。
0投稿日: 2015.09.29
powered by ブクログクラスでのいじめに苦しむ14歳の“僕”は、ある日もらった手紙をきっかけに、同じくいじめられている“コジマ”という少女と親しくなる。 初めは同じ境遇で理解し合える関係だと思っていたが、その関係やお互いの思いは、だんだんと変容していく。 いじめの描写は読んでいてひたすら苦しく、言うなれば「胸糞悪い」ものだった。 私自身はここまで酷いいじめの現場を見たことはないけど(少なくとも自分が所属していたクラスではなかった)きっと実際あることなのだと思う。だからこそ胸糞が悪かった。 でもこの物語は、単純にいじめの悪を追求するもの、ではないと思った。それだけを追求するならば、きっと違うラストにしたはずだし。 望まなくてもこの世界にいれば起こってしまうこと、そしてその被害者側に自分が立ってしまう可能性があること。 どう足掻いても世界はひとつで、死ぬ以外にはこの世界自体から逃げる術はないということ。 そういう、この世の真理が描かれているのだと思う。 様々な対比を感じた。 ここではないどこかに“ヘヴン”はあるのだと信じるコジマと、天国も地獄もこの世にあると言い切る百瀬。 望まなくても身体的な理由でいじめにあってしまった僕と、ある意味自分から望んでわざわざ“印”をつけていじめにあったコジマ。 意味が濃すぎる僕とコジマのやり取りと、どこか薄っぺらい僕と母親や周りの人々とのやり取り。 芯から解り合える二人を例えばツインソウルと呼ぶのなら、この二人は違ったのかもしれない。 そして立ち向かうことがいつも正しいわけではなくて、時には辛いことから逃げたり自分を守ることが正しい場合もある。 「弱さには意味がある」という言葉自体にも、様々な意味があると思う。 いじめる側、いじめられる側、何人かの登場人物の中に、(私から見て)まともな人、思い込みが強すぎる人、サイコパスに近いのではないかと思える人、悪いけれど単純な人、がいた。 百瀬の言うことは理論としては理解できるけれど、全く納得は出来ない。それが感情というものなのだと思う。 ところどころ、これは何かの伏線?と思ったものが回収されてなくて気になったけれど、物語の一人称である“僕”から真相は見えなかった、という意味ならば腑に落ちる。 実際この世には分からないまま終わることは山ほどあるし、分からない方が幸せなこともある。 ちなみに私的に一番まともでバランスがしっかりしてるように見えたのは主人公だった。認めて、受け入れて、考えて傷ついて、でもその代わりに誰かを傷つけたいとは思わない。この先もきちんと生きていける人だ、と思った。
5投稿日: 2015.09.13
powered by ブクログいじめに遭っている少年と少女の話。 いじめの描写が生々しすぎて、読後感は爽やかではない。最後に若干の救いはあるが、こんな感じでよかったんだっけ?という感じ。 メッセージが汲み取りづらい。
1投稿日: 2015.08.23
powered by ブクログなぜいじめられるのか、なぜいじめるのか。正しくないとか、罪悪感とか、そういうことではない、もっと子どもらしい残酷なそれをうまく言葉にしていて、なんかもう、すごい。
1投稿日: 2015.08.09
powered by ブクログ本屋大賞、2010年度6位。中学生のいじめの物語。いじめられる特定の男女の交流の話だけど、ほぼ全編いじめられてる場面で、重苦しいし不快。たまに、いじめてる人や、他の登場人物が語るけどやたら思想的で、小説として、全体的にバランスが変で良くわからん。まあ、面白くないです。
0投稿日: 2015.08.04
powered by ブクログ「いじめ」というテーマの重さもあるだろうけど、惹きこまれる小説。特に最後の2章の迫力。 結局は自分の都合、いじめる側もいじめられる側も。これが正しいのかわからないけど、説得力よある力強い小説だった。
1投稿日: 2015.07.31
powered by ブクログ一気に読んだ。 最初百瀬に期待してたんだけどなー。 病院での会話で一気に冷めた。 あのいじめっ子達まとめて ゴミ箱に捨てたい。。 美術館のシーン好きだった。 いじめの描写が痛かった。 手紙描きたくなる。 美しい世界で生きてたい
1投稿日: 2015.07.27
powered by ブクログ読み終えて、あまりの読後感の悪さに、この本を捨ててやろうかと思った。捨てたか部屋のどこかにあるかもはや分からない。
0投稿日: 2015.07.06
powered by ブクログ「苛められ暴力を受け、なぜ僕はそれに従うことしかできないのか」頬を濡らすあてのない涙。14歳の苛めを正面から描き、生の意味を問う、哀しくも美しい物語。 内容(「BOOK」データベースより) 「僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。もし彼らが僕たちを放っておいてくれたなら―」驚愕と衝撃、圧倒的感動。涙がとめどなく流れる―。善悪の根源を問う、著者初の長篇小説。
1投稿日: 2015.07.04
powered by ブクログいじめがテーマの話。 『僕』『コジマ』『百瀬』誰の考えにも共感できず。 ただ最後、『僕』の見た世界は美しかったのだと思う。
1投稿日: 2015.06.07
powered by ブクログ2010年本屋大賞6位 イジメのターゲットになっている中2の斜視の男の子と不潔にしている女の子。 二人は友達になったものの止むことないイジメに苦しむお話。 今現在の社会通念上では確かに悲惨。 上っ面ではそれだけで終わってしまいますが、イジメられる側とイジメる側のロジックは結局のところ一緒だという著者の考え方は非常に共感できました。
1投稿日: 2015.06.05
powered by ブクログはじめはきらきらとしたたった一本の糸をたぐるように進んでいく。ただえげつないいじめの描写が続き、最終的には誰も救われない。
1投稿日: 2015.04.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
同級生からいじめに耐える日々を送る「僕」。そこに現れたのは同じクラスでいじめを受けている「コジマ」。手紙や非常階段での会話を通して育てんだ密やかで無垢な関係。 善悪、強弱の価値観を問う一冊。 「僕」、「コジマ」、「百瀬」それぞれの考え方。見方を変えたらどれも妙に腑に落ちる。(百瀬の考えは感情を抜きにした場合、だし、コジマのいじめとのたたかい方について共感はできないのですが…) どの考え方を選んで生きていくか、ということなんだろな。 いじめの話なので、全編通して苦しいです。 それでも、「僕」が選んだ世界で、「僕」が最後に見たものはとても美しく描かれていて、少し涙が出そうになりました。
9投稿日: 2015.04.02「その後」をいろいろ想像してしまう。
「僕」と女子の「コジマ」はクラスで陰湿な苛めに合っている。 2人は手紙によって、価値観を共有し合うようになる。 途中なんでも目をそむけたくなる(読み飛ばしたくなる0)ような生々しい苛めの描写。 でも読まずにはいられない、読者である自分も光を見つけたい。 「僕」の感情は苛めを受けている時は、夢(外の世界)で起きているかのように描き、 手紙のやりとりや、2人で「ヘヴン」という絵を見に美術館へ行っ たときの描写は、活き活きと描かれる。 コジマは言う、「苛められていても、それこそが強さの証だ。あの子たちも犠牲者なのだ。だから耐えるのだ。」と。 そんな中、苛めっこグループの1人「百瀬」と偶然、病院で遭遇し 「苛めの理由」を問う。(この百瀬、考え方が中学生じゃない) そして、自分の考えが「僕」の気持ちを揺らがせる。 「苛められているのは、たまたまそうしたいだけで、誰でもいい。悪いとも思わない。理由なんて解釈の問題だ」 もし、この百瀬との会話がなかったら「僕」とコジマは、なんやこうやで中学生を切り抜けて、高校、あるいは大学を通じて一生の中になれたかもしれなかった。 しかし、いじめに受けて、本当は抵抗する術(実は金持ち)を持っているにも関わらず、それを受け入れるコジマと、今を変えたいと思っている「僕」は、 苛められっ子の立場としては同じだったけど、根本的に対象的な2人だったのかもしれない。 コジマの揺るぎない強さと優しさが妙に印象に残った。 コジマはあの後、どう生きたのであろうか。どうしてるだろうか。 それだけが気になったまま本を閉じた。
1投稿日: 2015.03.01
powered by ブクログ僕とコジマが愛おしくて仕方がない。受け入れて屈しないことは最大の強さだと思う。コジマのその後が知りたい…。
1投稿日: 2015.02.10意欲作!
違うとは聞いていたけど、それまでの川上未映子の作品とは文体が全く違うね。 かなりの意欲作だと思うけど。 いじめの描写には正直嫌な気持ちになった。 コジマや二ノ宮がどうなったのかも気になるけど、最後は希望が感じられる終わり方で良かったよ。
0投稿日: 2015.01.11どうしてこんな本が書けるのだろう。
どうしてこの感覚が分かるのだろう?どうして分かるのだろう?自伝だろうか?取材?すごい小説だと思う。今の小説家は昔の文豪とは異なる次元に達している。
0投稿日: 2014.12.17
powered by ブクログいじめられている中学生の男子と女子の物語。学校がすべてじゃないし、変えることは逃げることじゃないよ!っと伝えたくなる。
1投稿日: 2014.12.14
powered by ブクログイジメの話。 ひどいイジメに合う中学生の男の子と女の子。 斜視でいじめられる男の子と 見た目の汚さでいじめられる女の子の 友情?恋愛? 複雑な思春期の心情。 が、納得いかない! 特に女!強さを履き違えてる。 なんの解決にもなってない。 まわりの大人たちもおかしい。 見た目でいじめられるなら どうにかしたらいい。 どうにかできるなら! 現実はもっと、どうにもならなくて、 もっと不条理なものなんじゃないかと。 なんか、美しく描こうとして、 ありえない心理描写になっているような。 私は全然美しいともおもわないし、 かわいそうともおもわない。 もっと、強い心でいじめに立ち向かう方法あるよ。きっと。 3月のライオンの方がよっぽど心に響いた。
1投稿日: 2014.11.27
powered by ブクログコジマと百瀬とロンパリのお話。主人公としてはロンパリなのだけど、読み終えて、誰の事を思うかで、自身の世界が異なるように思う。百瀬からしたロンパリやコジマというのは、絶対的に理解出来ない存在だと思うし、コジマは最終的にロンパリの変化をも受け入れられなかった様にも思える。どちらにせよ、みんなたまたまの理由を付けそれを信じることでしか武装しきれない、可哀想というか強さというか。虐めの描写については、理解ある大人が書く、れっきとした虐め、という感じにも思えた。
1投稿日: 2014.11.19ずぶずぶ
まず、最初に。好き嫌いが分かれる作品だと思います。 ハッピーでウキウキでゴキゲンな気分になりたい人は、読むのを後回しにした方がよさそうです。 さて、いじめを受けている中学生が語り手であり、この物語の主人公です。 といっても、いじめ防止啓発本ではないので、あしからず。 作者の語りにずぶずぶと埋もれていくような感触の読み心地です。 でも、それは気持ちよい、快いものとは、少し遠い。 読んでいて息が詰まりそうになりながらも、投げ出すこともできない、 そんな魅力がある本です。
1投稿日: 2014.11.16
powered by ブクログコジマはどうなってしまったのだろう。。。 最後まで強い像のままだったけれど それゆえにどうなってしまったのか。。。 こんなお義母さんのような存在が 苦しんでいるときにそばにいるだけで どれほど救われるだろう。。。 本当にいじめなんてくだらないけど そのときの世界はとても狭くて苦しさが堂々巡りしてしまう。 だから百瀬のいうとおり、それぞれ違う条件で存在するなか どう行動するかは委ねられているのだから 生きるルートは本当はいかようにもできるんだ。 簡単なことではないけど、 最後のような美しい世界を信じれますように。。。
1投稿日: 2014.10.30
powered by ブクログ僕とコジマが電車で小旅行に行くシーンがとても美しい。 2人が揃っている状況では群を抜いて素晴らしいと思った。
1投稿日: 2014.10.12
powered by ブクログクラスで激しいイジメに遭う男子中学生が主人公の話。 コジマとの関係と、200ページ目あたりで百瀬が論じるところがとても面白かった。 意味のあることないこと、するかしないか。
1投稿日: 2014.10.08
powered by ブクログ辛かった。僕やコジマの存在の意味とは何なのか?いじめられている意味とは?二人の心をかよわせる世界もいじめられる世界も現実なのだ。僕のお母さんの存在にはほっとされられる。
1投稿日: 2014.10.01
powered by ブクログ吐き気が込み上げそうなので休憩しながらもさっさと読む。 コジマの考え方は理解しがたくて何かしかの理念に基づいた宗教に似てるのではないかしら、なんて思っていたけれど、全裸で生徒たちの頬を撫で上げる姿を想像しただけで美しさに鳥肌が立ちそうになった。まるで泉鏡花の「高野聖」みたいじゃないか。 中学生には世界の全貌を捉えるのは難しすぎるし無力だけれどもだからこそ純粋に正しさを追い求める姿は痛々しく美しい。 大人になっていくにつれて、いずれ人は百瀬のような考え方を身に付けて生きていくことになる。その昔、学校できれいなことを考えなしに吹き込んだ教師にビンタ食らわせてやりたいと思うときもある。
1投稿日: 2014.09.23
powered by ブクログ劇中での百瀬の主張について、正しいと言いたくはないけれど正しくないと言うだけの材料を思いつかない。強いて言うのならば、正し過ぎる。 あとコジマの最後のあたりの考え方にはまったく同調できなかった。「しるし」なんて意味はないし、主人公の継母の言葉を借りるならそんなもんとって変わっちゃうならその程度のものだったってことだよ。
1投稿日: 2014.09.16
powered by ブクログ自分の持つものは他人とは違っていて,関連のない自立した人それぞれに,自分が触れ合っていく奇妙な感覚. ひとりで時間を流れていく間に,拾っていったり,なにかがくっついてきたりしていくんだろうなあ. 相手と自分が根本として異なっていることをふまえないと,理解できない,思い通りにいかないと悩む,いら立つことになる.ましてや強要するはめになる. 作家から生まれてきた世界ってすごいなあ.
1投稿日: 2014.09.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なんでこの小説のタイトルがヘブンなんだろう、と思いながら、途中まで読み進めた。 この本は非常に私にとっていろいろな切り口を持った小説だった。 コジマと僕の関係性、理不尽に虐待される理由、そしてその回避方法、どれをとっても、自分だったらどうしただろうと思うと、涙も出ない。心が凍る。 同じような歳のころに 同じとまではいかなくても私も地獄を見た。 理由もわからず理不尽に苛められて 理不尽な状況が理解できなくて、 自分の容姿が極端に醜いせいだ、頬骨が高いせいだ、鼻が低いせいだ、瞳が小さいせいだと思っていた。 でも百瀬の言うように、「僕」は斜視だから苛められるのではないのかもしれない。私も容姿が原因ではなかったのかもしれない。 わからない。 理由を容姿が周りと異なるせいだと考えて、それを回避しようとするのは、避けようもない理由で苛められている人から見ると、逃げなんだろうか。 理不尽なことには立ち向かわなきゃいけないものなんだろうか。 コジマのように心を壊してまでたたかわなきゃいけないのだろうか。 逆に回避できるなら、たかがそのぐらいのもんだよ、と「僕」の母さんのように考えたらいいのだろうか。 じゃあ私は、整形をすればよかったのだろうか。 新しい視界で獲得した世界はどんな世界だっただろう。
1投稿日: 2014.09.08
powered by ブクログゆっくり読み進めてたけど、途中で苦しくなって一気に読んでしまった。 苛める側と苛められる側の違いって何なんだろう。百瀬は主人公の斜視について、それは関係ないって言っていたけど、容姿ってやっぱり苛めの要因の一つだと思う。一番最初に入ってくる情報って容姿だから、そこにコンプレックスとかひけ目を感じてると、そういう弱さにつけこまれるんじゃないかな。だから、苛める側はその対象を本気で憎んでるわけじゃないんだよね。百瀬が言うように、たまたま両者が揃って、そういう状況が作り出されたからこそ苛めが起こるのであって、そこに意志とか意図とか、そういうものは存在しない。コジマも言ってたように、苛められる側もそれを受け入れてしまってる。 苛めって何なんだろう。誰かが得をするわけではないのに、どうして続けられるんだろう。戦争と同じで、100%なくなる事なんて無いんだろうな、、とか、色々と考えさせられる小説でした。
2投稿日: 2014.08.08
powered by ブクログ二ノ宮、百瀬、僕、コジマ、それぞれの考え方が違っていて、決して理解しあえないところいもどかしさを感じた。 最後の手術の選択は正しかったのかわからなかった。
2投稿日: 2014.07.13
powered by ブクログ激しいいじめにあう14歳の少年と少女の出会い。そこから始まる、生きることや善悪といった価値観への問いと喪失の物語。リアルで引き込まれるけど、ちょっと説教臭いかなぁ。語られる観念や哲学は正直ありきたりでふ。
1投稿日: 2014.06.29
powered by ブクログなんとなく切なく、モヤモヤした感じで読みすすんでいって、そのまま終わった感じ。 母親との関係がなんだかホッとした。
1投稿日: 2014.06.22
powered by ブクログイジメを受ける側は あまりにも理不尽に 人生を蹂躙される。 読み進めるのが苦しいほど とても心が痛くなった。 この作品のなかで いじめに対する解決を示してはいないけれど 心理に向き合った作品ではあると思う。 それは例え学校を卒業した (もしくは縁を切った)からといって すぱっと解放されるようなものではなく 迫害された体験はその人が生きていく限り ずっと影を落とし続ける。 誰にその権利があって? 誰にその責任があって? いじめに限らず、世界に蔓延している 戦争、紛争、衝突、摩擦の多くは その人、その地域、もやもやとした過去の体験が根を張っている。 作品は出版された時点で良くも悪くも不朽ですが、 作者は望む限り変化をし続ける。 初期の川上さんの作品はどことなく 「こう書けば評価されるんでしょ?」 と狙って書き綴っているところが あまり好きではなかったのだけれど 少し評価を改めようかと思う。 僕は一筋の光を見つけ、 彼女ははたしてどうなったのだろうか? どれほど辛い結末であったとしても、 いつか、書いて欲しいと願う。
1投稿日: 2014.06.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いじめられっ子といじめっ子対決が面白かった 自分だったらどうやって言い負かすか必死に考えた 今だに彼の理論にうまく反論できない 彼の主張を単純化するなら弱肉強食と自己責任論 よく使われる一方的で暴力的な主張だけれど これに対する強力な反論を見たことがない
1投稿日: 2014.06.17
powered by ブクログ読書というのは、 自分が経験してないことを擬似体験したり 自分じゃない人の立場で考えたり行動したり という未経験の立場での擬似体験と 自分が経験したことを別の角度で考えたり深めたりする 体験を深める読書の二種類があると思う。 どちらも読書の良さではあるけど、 この本の場合は後者に向いた本なのかもと思った。 いじめや理不尽な人生体験をした人に 救いを与えたり考えを深めたりする本であって そうじゃない人にはなかなか理解しえないのかも。 コジマさんの行動や考えだったり 自分には理解が及ばないところが多かったけど 百瀬と主人公の問答はなかなか考えさせられた。
2投稿日: 2014.06.14
powered by ブクログ1990年代 「イジメ、カッコ悪い」などというスローガンが流行した時代にあって いじめっ子たちは、そのようなスローガンこそ欺瞞であると 思考停止したのだった いじめられっ子たちは、結局いじめられる自分がいちばんカッコ悪いという 思い込みにとらわれていた 親の欺瞞に呪縛される子供たちは、強く生きようと決意するも それこそ、孤独の道にほかならなかったのである
1投稿日: 2014.06.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いじめにあっている14歳の「僕」と「コジマ」の友情のお話。 人間の善悪のお話? 重たい話だった。 色んなタイプの14歳が登場してきて、ゴチャゴチャ言ってて、なかなか読み応えはあったんだけど。 「人間サッカー」とかさ、それはもういじめじゃなくて犯罪だから。 ま、主題はそこじゃないのかもしれないんだけど。 ただ、最後まで暴力に暴力で対抗しなかった「僕」と「コジマ」には拍手を送りたい。 それが正しい判断だったかは別にしても。 うーん、難しいね。
1投稿日: 2014.05.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
同じ現実を生きているのに、砂糖菓子の様な考えの人とコンクリートの上ですり下ろされる様な考えの人がいるんだなと思った。 傷つけられた方は、〇〇で〇〇だから私は傷つけられたと思って納得しようとする。百瀬の理屈は違う所に存在していて、そこには感情の入る余地がなく、主人公はどこに怒りをぶつけていいかわからなくなりそう。納得したら駄目なんだけどさ。
1投稿日: 2014.05.13
powered by ブクログいじめられっ子の心理といじめっ子の心理の平行線とかは割と論じられているテーマの気がします。その回答が「お前もこっちがわきちゃえばいいじゃん」というふうに感じました。それってどうなのとも思いますけど、現状もっといい回答にであえてないのでなんとも言えませんが… 後、珍しいことに継母がいい人。
1投稿日: 2014.05.11
powered by ブクログ最後、生まれ変わる世界の美しいこと。 いじめを題材とした哲学の対立が描かれている。 いじめられっこの論理といじめられっこの論理。 「彼」が美術館で見る事ができなかった絵のような世界を信じてどこまで進めるのか、気になりながら読んだ。結局耐えきれなかったのか、彼のヘヴンは、手術で死んだ。 生きることだって、自分にとってはとても重いもの、すわ一大事とて脳味噌で哲学こねくり回しても、例えるなら手術一万五千円、みたいな、拍子抜けしてしまうようなものが作用して方向を変えてしまうのではないだろうか。 ちなみに、白状すると、私は(どちらかといえば)百瀬的な感覚で日々、人間をやっている。逃げなのかもしれないし、あるいは諦めなのかもしれない。
2投稿日: 2014.05.04
powered by ブクログ中学生の「僕」は同級生から陰湿ないじめを受け続けている。斜視であることをあげつらわれたり、面白半分に暴力をふるわれる屈辱的な日々。差出人不明の「私たちは仲間です」という手紙をきっかけに、奇妙な文通が始まって以来、彼の孤独で絶望的な日々は色合いを変えた・・・。 同じく女子からいじめられているコジマという女生徒との密やかな交流は当初、傷の舐め合いめいた弱者同士の関わりのようだったが、コジマの確固たる意志を持った反抗(不潔なままでいることを彼女は父親との思い出であり、「しるし」と呼んでいる)に圧倒されながら、いじめるもの・いじめられるものという役割から抜け出せない絶望や葛藤のなかでもがく「僕」。 「僕」がいじめられていることが明るみになり、親にも知られることとなったのが一筋の光のように彼の斜視の再手術につながり、生まれ変われるかもしれない、やり直せるかもしれない、という印象を与えるのに対し、その後のコジマはどうなったのだろうか。。。
5投稿日: 2014.04.30
powered by ブクログ植物がにょきにょきと命をのばしていく。そのうねりや茎や皮の図太さ、ひねた風でありながら根を這わせるところと太陽の行方をしっかり捉えて離さないところは、ぞっとするようであり、同時に(ああ、そうか、命はしぶといのだな)と妙な安堵をもたらしもする。 この小説を読みながら考えていたのは、生命の描く曲線のそんな特徴のことだ。 (いのちが存在する)ということは、そのしぶとさに身を委ね、振る舞いや言葉が形づくられてゆくさまを指していうのではないだろうか。形が生まれて、思い出したように、理由をつけて、安心をする。 計算され、用意された整えられた花壇の中にも、否応無しにいのちは(しぶとさ)を持って蠢くのだ。 いじめ、か。 私は戦争に向かうひとたちのミニチュアをみているような気がして、私の箱庭の中にだっていかにも再現できそうな気がするこのものがたりを、見捨てられないと思った。
1投稿日: 2014.04.17
powered by ブクログなんか内容が重かったなぁ。 重いけど、ドンドン先が読みたくなった。 最後は、どう解釈すればいいのかな。 よくわからない。
0投稿日: 2014.03.17
powered by ブクログ乳と卵からのこれか、となんだか感動でしばらく動けなくなった。乳と卵はなんていうか、ゆるゆると流れる文章に、固有のフィクション性に、自身のもやもやが投入されたような、とても分かりやすく川上未映子っぽいそんな作品だけれどもこれは。これはどうしたらここまでの転換ができるのか、ほんとうに底が知れなくて凄いとおもう。分かりやすい、極めて分かりやすくはきはきとした文章。その裏にあるのも分かりやすく複雑なメッセージ。それを意図もたやすく(という風に見える)乗せてしまう文章。不思議だ。どうして乳と卵を書いた後にこれだったのだろうか。私はもう不思議でしょうがない。ヘヴンはなんていうか、答えは出ないけれどとても分かりやすい。葛藤があって善(のようなもの)があって悪(のようなもの)があってそれなり理論も独りよがりもあって、全部がううん、と読者を唸らせるようなそんな感じで、それが本当に巧みで、ページをめくる手が止まらない。本当に乳と卵を書いた人と同じなのだろうか。別人格じゃないだろうかと思わされるくらいの、そんな、本当に凄いんだこれ。しかし作品に漂う透明感、水色のように(私には見える)色合い。そうしたものはまさしく川上未映子そのもので、ああこれは違っていないんだなあと思う。私はこの人の世界をもっともっと見てみたい。もっと深くまで知りたい。一体彼女はどこまで行けるのか、私にどんな世界を見せてくれるのか。ほんとうにわくわくさせてくれる、稀有な作家だ。
4投稿日: 2014.03.03
powered by ブクログ「僕」と女子の「コジマ」はクラスで陰湿な苛めに合っている。 2人は手紙によって、価値観を共有し合うようになる。 途中なんでも目をそむけたくなる(読み飛ばしたくなる0)ような 生々しい苛めの描写。 でも読まずにはいられない、読者である自分も光を見つけたい。 「僕」の感情は苛めを受けている時は、夢(外の世界)で起きているかのように描き、 手紙のやりとりや、2人で「ヘヴン」という絵を見に美術館へ行っ たときの描写は、活き活きと描かれる。 コジマは言う、「苛められていても、それこそが強さの証だ。あの子たちも犠牲者なのだ。だから耐えるのだ。」と。 そんな中、苛めっこグループの1人「百瀬」と偶然、病院で遭遇し 「苛めの理由」を問う。(この百瀬、考え方が中学生じゃない) そして、自分の考えが「僕」の気持ちを揺らがせる。 「苛められているのは、たまたまそうしたいだけで、誰でもいい。悪いとも思わない。理由なんて解釈の問題だ」 もし、この百瀬との会話がなかったら「僕」とコジマは、なんやこうやで中学生を切り抜けて、高校、あるいは大学を通じて一生の中になれたかもしれなかった。 しかし、いじめに受けて、本当は抵抗する術(実は金持ち)を持っているにも関わらず、それを受け入れるコジマと、今を変えたいと思っている「僕」は、 苛められっ子の立場としては同じだったけど、根本的に対象的な2人だったのかもしれない 。 コジマの揺るぎない強さと優しさが妙に印象に残った。 コジマはあの後、どう生きたのであろうか。どうしてるだろうか。 それだけが気になったまま本を閉じた。 【ココメモポイント】 ・不安でもない、安心でもない、そのどっちでもない部分がわたしにはちゃんとあって、そこがわたしの標準だってことにしないだけなのかも。 P.31 (コジマ) ・わたしたちがこのままさ、誰になにをされても誰にもなにも言わない で、このままずっと話さないで生きていくことができたら、いつか、ほんとうの物に、なれますかね P.53 (コジマ) ・あたしがあの子たちの犠牲者だとしたら、あの子たちもまたなにかもっと大きなものの犠牲者なのじゃないかと、そう思ったりもするのです。 P.103 (コジマ) ・思い通りにいかないことしかないじゃないか。自分が思うことと世界のあいだにはそもそも関係がないんだよ。 それぞれが価値観のなかにお互いで引きずりこみあって、それぞれがそれぞれで完結してるだけなんだよ。 P.173 (百瀬) ・地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてた。そんなことになんの意味もない。そして僕はそれが楽しくて仕方がない。 P.177 (百瀬) ・コジマはたったひとりの、僕の大切な友達だったのだ。 P.237
2投稿日: 2014.02.19
powered by ブクログ意味を求めすぎるのも、求めすぎないのも、生きていく中では不器用なほうだろうな。 イジメを主題とした物語。
1投稿日: 2014.01.29
powered by ブクログいじめられている2人の奇妙な友情を描いた物語。イタいこと限りなしなのですが、コジマの一言一言は芯があって強いなと思います。でも一番衝撃的だったのは主人公と百瀬のやりとり。鈍感だと思っていた母親が最後に妙にいいことを言いました。
1投稿日: 2014.01.19
powered by ブクログ百瀬と僕の会話にはてしない距離を感じて切なくなった。なんと言っていいかわからないが特別な小説。http://d.hatena.ne.jp/betti_syk/touch/20131208/1386490371
1投稿日: 2014.01.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『ヘヴン』 川上未映子 村上春樹の『1Q84』と同じく2009年に刊行され、比較されていたのが印象深い。単行本を期に再読。 台詞の書き方は今の口語を模している。独特。だが若い人には受け入れられるだろう。 何を述べたいか。それは簡単には言えないが、人の心の暗い所を思い出させる。 登場人物の「二ノ宮」は無関心な我々を模しているようにも思える。 「……なんてゆうんかな、もっとなんか、すごく……もっとぜったい的で、大事なものからやってくるような、そんな気がしてるの。」(p43) ★コジマが切り取るものの基準として。 どこかというと、それはヘヴンです。(p51) ★タイトルのヘヴンが出てきた。コジマはどこに連れて行こうというのか。 「……わたしたちがこのままさ、誰にもなにをされても誰にもなにも言わないで、このままずっと話さないで生きていくことができたら、いつかは、ほんとうの物に、なれますかね」(p69) ★本当の物とはなにか。しかしそれは確か私たちが欲しがっていたものではないだろいうか。 「その恋人たちはね、とてもつらいことがあったのよ。とても悲しいことがあったの、ものすごく。でもね。それをちゃんと乗り越えることができたふたりなんだよね。だからいまふたりは、ふたりにとって最高のしあわせのなかに住むことができているって、こういうわけなの。ふたりが乗り越えてたどりついて、なんでもないように見えるあの部屋がじつはヘヴンなの」(p75) ★だが結局その部屋にはたどりつかなかった。 「……そんななにもかもを全部見てくれている神様がちゃんといて、最後にはちゃんと、そういう苦しかったこととか乗り越えてきたものが、ちゃんと理解されるときが来るんじゃないかって、そいう思ってるの」(p118) ★純粋な祈り。原始の宗教。救済の願い。子供の妄想。
1投稿日: 2013.12.31
powered by ブクログ終始考えさせられた。 普段読まないタイプの小説だったけど、読んでよかった。 弱さ、強さ、それぞれ何を意味するんだろう。 描写もきれいで好きです。
1投稿日: 2013.11.20
powered by ブクログ以前から読んでみたいと思っていた川上未映子さんの本。 平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞と第20回紫式部文学賞を受賞した作品。 同級生からのいじめに耐える少年と少女を描いた作品ですが・・・ ただ、いじめを描いているというだけではなく、内容はもっと濃くて、かなり重い。 読み始めたときには、わっ、苦手かも・・・と感じました。 が、なぜだか途中でやめられないのです。 個人的には道尾秀介さんの【向日葵の咲かない夏】を読んだ時に似ているような感じかなぁ・・・ 川上未映子さんの本、もう1冊、読んでみようと思います。
4投稿日: 2013.10.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
気になった点 ・すべての伏線を回収しない。 ・ここで終わるのか…という結末 でもそれも計算の上かも知れない。
1投稿日: 2013.10.12
powered by ブクログ再読。 再読でも心臓鷲掴みにされて、息を塞がれたみたいに苦しかった。凄い小説。 確かにいろいろと疑問が残るところはあるけれど、 最大の疑問はなぜこの人が、この時代に、この題材で、この主人公で、この小説を書かねばならなかったのか? ということでしょう。 中学生を自らに憑依させ、想像を絶するコンプレックスを抱え込み、文字にするだけでも鳥肌が立つような責苦を受けて、そして途方もない自問自答を繰り返す。 それはもう、僕なんかの語彙力では到底言い表すこともできないほど苦しい行為だったのだろうと思います。 それでもこの美しい世界を書き切ろうとした作家の情熱と、使命感と、 それから小説というものの魅力に、ただただ圧倒されるばかりです。
1投稿日: 2013.10.09
powered by ブクログ2010年度の芸術選奨新人賞受賞作。物語はいじめをプロットの中核にしているだけに、きわめて陰惨で読みすすめるのも辛くなる。そうした中で語り手の「僕」の唯一の救いともなりアジールともなるのがコジマの存在だ。しかし、「僕」にはコジマを救うこともできず、コジマの前で「僕」が暴力を受けなければならないが故に、事は単純ではない。百瀬の論理は中学生にしてはあまりにも論理的に過ぎるが、虐められる側から虐める側の論理を忖度すればあのようになるのだろう。世界の遠近を取り戻しはしたが、コジマを永久に失った「僕」の孤独は深い。
2投稿日: 2013.09.25
powered by ブクログひどいいじめにあっている中学生の男女。お互いの傷をなめあったりするのではなく、女子の方はそこに真の強さがあるという意味を見いだし、男子は戸惑い続けながらも、何度か強さを見せるが、やはりなりきれないだけの心の強さと優しさがある。 最後はもっと突っ込んで、最終的にこうなった、というところまで書いて欲しかったので☆4つ。でも、男子生徒の母親の、学校なんて行かなくて良くて、高校は違うところだし、これからどうするか一緒に考えていこう、と言うところが良かった。自分の子がいじめとかにあったら、そんな風になりたいな。 読みやすいし、引き込まれる感じがある作品。
1投稿日: 2013.09.02
powered by ブクログ善悪や強弱といった二元論的価値観の根源や世界の原理としての人間の行動規範を、いじめを通じて表現した作品。 いじめグループに属する百瀬の考えと、主人公と同じくいじめられていたコジマの考えが対極の位置にあるように見えますが、最終的に主人公の中で両者の概念が一つの結論へと昇華し、斜視が回復した目で見慣れた並木道を見て、世界は自分の中でしか認識できないのだと直観します。 百瀬の価値観の独自性の論理は稚拙で、社会通念上とても納得のいくものではありません。しかし、彼の言っていることは一面では間違ってはおらず社会の現状を示している点は認めざるを得ませんでした。一方で、全ての現象には意味があり、受難でさえも受け入れるべきであるとするコジマの思想もまたやすやすと理解できるものではありませんでした。 人間の行動原理は複雑で多種多様なものであるために意見の相違は必然的に発生し、その都度悩み解決策を模索してきたであろう人類にとって、価値観の問題は永遠のテーマでありこれからも考え続けなければならないことを再認識させられました。
1投稿日: 2013.08.12
powered by ブクログ文章というかレトリックはもう天才的だと思う。だけど、やっぱりこの人は結末のつけ方が少しナイーヴすぎるんじゃないか。斜視でいじめられていた子が最後に一万五千円で斜視を直す手術をして「新しい世界が開けた」とか言われても、じゃあ今までぐだぐだ続いた哲学めいた議論はいったい何だったのと白けてしまう。観念論より行動主義っていうある種の潔さともちがうし。なんだかんだ著者がこだわってやりたいのは前者だろう。
0投稿日: 2013.06.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
こう言っちゃ何だけど、コジマは単に仲間が欲しかった部分もあるんでしょうね。 やっぱり自分の矜持を自分だけで抱えていくのって辛い事です。 それを打ち明けれる相手、知っていてくれる相手を求めていたのかも。 たまたまそれが斜視である主人公だった、って感じかな。 そこは人間臭くてすごく好きです。 そしてそれを気付いているのか見ないふりしてるだけなのか、女の子に惹かれてしまう気持ちも それでもやっぱり斜視を治したいと願ってしまう気持ちも理解できました。 結局人間何も捨て切れなかったりするもんなんでしょうね。 だからこそ、人間についてあまりに達観視できている百瀬が 浮いてきましたね。 こういう屁理屈こねて中二病出ちゃう子って絶対いるんです。いるんですけど・・・ 特有の頭でっかちさ・未発達さが描かれていないせいもあってちょっと浮世離れしておりました。 相手を理解したい心意気と気付けない自分本位のバランスは良かったかな
1投稿日: 2013.06.23
powered by ブクログ既によんでいた。(ため、文庫で登録)半分くらい読むまで気づかなかった。中学生、いじめの話。受け入れる…、向き合いかたの違い。 斜視と貧乏(親が離婚する前、がんばって働いても貧乏な父) 良し悪しではない。たまたま。意味はあってもなくても同じこと。 両目でみる世界はただ美しかった。
1投稿日: 2013.06.22
powered by ブクログ芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞ダブル受賞と帯に書かれていたけども読み終わった実感ではとてもつまらないものだった。 何を基準に選ばれたのかよくわからない。 他の人の評価が高いのが不思議に思える程につまらなかった。 くだらない会話の内容が充満しているし大した意味も持っていない。 この本を読む時間を他の本にあてられれば良かったと後悔。
0投稿日: 2013.06.16
powered by ブクログ14歳の「僕」は、いじめにあっている。 同じクラスの、いじめにあっている女子「コジマ」との交流が、 いつしか心の支えになる。 14歳の「僕」は、自分が斜視だからいじめられていると思っている。 「コジマ」は、君のその斜視の目が好きだという。 それは君にとっての”しるし”だから。 わたしにも”しるし”がある。それが原因でいじめを受けているのは知っているけれど、それは自分にとっての大切な”しるし”。 そういうものを持っていない、いじめる側は弱い人間だという。 迫害されている宗教家のような価値観で生きているコジマは、 斜視は直せるということを「僕」の口から聞いた瞬間、 「僕」に対しての気持ちが崩壊する。 それからのコジマの様子は痛々しいを通り越している。これが14歳の女の子の状態というにはあまりに悲しい。 人は一人では生きてゆけない・・・コジマはストイックな宗教家ではなかった。彼女は本当は強くなぞない。「僕」の存在があったから強くなれただけだった。 いじめる側の「二ノ宮」と「百瀬」、彼らもまた、本当はいじめられる側と同じマイノリティだ。 詳細はなかったが、男の子である二ノ宮は同性の百瀬を好きだと感じたし、百瀬はなにかの病気を持っていると考えられた。 ホモセクシャルも、病気がちの少年も、一歩間違えればいじめられる側になるかもしれない。ただ何故そうならないか、顔がいいから器用だから頭もいいから・・・なのだろうか。 百瀬が語るシーンは読んでいて疲れてしまった。 価値観の違いとか、いじめる理由なんかないんだとか、やりたいことをやってるだけだとか、いちいち正論ぶって話しているけれど、私から見れば屁理屈で性格の悪いお坊ちゃまとしか映らない。 この小説は、携帯もパソコンも普及していない時代背景だが、 そういう個人的なツールがない時代でも、子供の実情を大人は把握できていないし、子供は大人に真実を話すことはできていない。 学校という小さな世界が全てになってしまうと、いじめられている子供やいじめられたくない子供にとってこの世は地獄だ。 子どもは大人を信頼できないから、肝心なことを何も話さないのか。 そんなんだったらもう学校なんか行かなくていいのになぁ・・・・・ 斜視を直せるということをアドバイスしてくれた医者、淡々としているが思慮深い義母、裸のコジマを見て驚いて警察を読んだ女性。 以上の大人たちが、小さな世界の固い輪に風穴を開けた。 しかも、大人たちからのアクションで。 最後ページで、「僕」が見た ”ヘブン” それは川上さんの真骨頂かなと感じた。 同じものが見えたほどだった。
2投稿日: 2013.05.25
powered by ブクログまだ2章までだが、文章に惹かれるものが無い。 つまらないながらも読了できた。 会話がとってつけたように不自然で、一向に気持ちが入らなかった。 あと、主人公同様いじめられっこのコジマは人格的にひどすぎるかな。
0投稿日: 2013.05.09
powered by ブクログたまたま著者の「情熱大陸」を見た。 あんま得意な感じではないなと思った。 たまたま借りた本の中にあったから読んでみた。 思いのほか読みやすかった。 その通りだなって思うことが多かった。 良くも悪くも。 ほんと今の世の中を生きるのはこどもも大人も大変だなーと。 でもなんとかなったりもする気がした。 多分彼女の他の本は読まないと思う。
1投稿日: 2013.05.06
powered by ブクログいじめを受けている男の子と女の子のお話。いじめを受けている時の描写が、痛々しくて辛くなります。 いじめを受ける側の心理やいじめをする側の心理が(特に虐められる側の心理が)細かく描かれたいて、そこが一番作者の人からしてみて伝えたい部分なのか?と感じました。 男の子の方は、これから状況が良くなる兆しを見せて終わりますが、女の子はどうなったのかが述べられていないのが、気になります。 私の個人的意見としては、相手に屈しないために自分自身を貫き通すことも大切だとは思いますが、改善出来る部分は改善した方が良いのではと思います。そのため、女の子は少し度を越えている印象を受けました。主人公の男の子の心理が一番共感出来ました。
1投稿日: 2013.05.05
powered by ブクログとにかく読み進めるペースが重くなる。 そして結末が消化不良気味に終わってしまった。 学校の苛めをひとつのケースとして、「弱さ」などの倫理を正面から描いている。 主人公が斜視を捨てるということは、 ①自分が苛められている理由への決別 ②同じ境遇の「コジマ」との結びつきとの決別 を意味する。 ①を何故選んだのか、その過程がいまひとつ私には理解できず・・・ 文章もぼんやりしたものがなく、描写が辛いくらい美しいです。
1投稿日: 2013.04.24
powered by ブクログ「乳と卵」がいまいちだったので、期待はしませんでしたが、本当に驚きました。これは「学校での苛め」だけではなく、すべての世代の社会に共通する感情や思いが詰まっています。一気に川上先生が好きになりました。
1投稿日: 2013.04.23
powered by ブクログ読み始めた当初から、この物語は救われるのかどうか、その一点が気になりました。そんな中で最後まで読みましたが、まぁコレが現実に近く、小説特有の非現実的でもあり、なんともバランスの取れた作品だと思います。 随所に現れる現実・非現実的な表現も、ぶっ飛んだとは思わせない書き方が、自然と脳に入ってきました。 この作品はイジメ問題の物語では無いと個人的には思いました。
1投稿日: 2013.04.19
powered by ブクログドフトエフスキーの翻訳家亀山さんが猫町で薦めてくれた一冊だけに 素晴らしかった。中学生の視点で書かれているので、文体も読みやすい。 ラスト二人はそれぞれの道へと歩き出す。好きな終わり方。
1投稿日: 2013.04.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
女流作家による「僕」の一人称語り。 生まれつきの斜視という「異常」を抱える僕と、父を忘れないためにあえて「汚い」格好をするコジマという二人の苛められっ子。似通った境遇の2人は秘密の手紙を通してお互いの友情を深めていく。 川上未映子は、文体から映像が浮かんでくる作家である。 そして、この小説のシチュエーションから私は、どことなく「リリィ・シュシュのすべて」の画が思い浮かんだ。 百瀬が言うように、人は誰だって自分の都合でものを考えて、自分に都合よくふるまってるだけで、生きてる自分からは誰も自分を守ってくれないのだから、自分がされたらいやなことからは、自分で身を守れば良い。そして、コジマもまた、自分の弱さに正しさや意味を纏わせて強さを身につけていく。僕は、そんなコジマの変化を感じ取り、コジマを直視できなくなり、手紙の返事を返せなくなる。 最後のくじら公園のシーンは、夢と現実が綯い交ぜになっているが、とても映画的なシーンである。金色の雨の中でコジマの痩せた裸体に宿る強さと聖性は、まさにヴィーナスのそれである。コジマはずっとほほえんでいる。 僕は、そんな強さを身につけたコジマについに性的衝動を発し、そんな自分をみじめで汚らしいものと自覚する。しかし「僕」は結局、そんなちからを望まず、引きずりこんだり引きずり込まれることを望まない。安易な解決なのかもしれないが、彼に手を差し伸べたのは、「血の繋がらない母」であり、「専門違いの医師の厚意」である。斜視の手術を決意した「僕」が見た景色は、金色に輝く葉であり、コジマの喪失と引き換えに得た「ただの」美しさだった。 信仰と断食により贖罪を得て「ヘヴン」に到達したコジマと対称的に 「僕」はとうとうヘヴンには到達しなかった。神を捨て、人間が実存的に生きていくために必要な「景色」。自らの衝動や欲求の芽生えを自覚するようになり、それでもちからを望まない「僕」。誰かの愛情を受けることができることは何よりの強さなのだ。
11投稿日: 2013.04.04
powered by ブクログ図書館で借りて。読んでて楽しくなくて、やめようと思ったけど手持ちの本がこれしかなくて後半流し読み。題材的に楽しく読める本であるわけもなく。
0投稿日: 2013.03.27
powered by ブクログ~百瀬というキャラクターと何とも言えない複雑な悲しさ~ 斜視でいじめられっこの主人公と、弱肉強食という世界観の中で弱者が 強者を救っていると頑なに信じる同じくいじめられっこの小島。 成績優秀、スポーツ万能の二宮とそのとりまきのいじめっこ集団。 「いじめ」を通して何かを感じ取れる小説。 この作品の中の百瀬というキャラクターが異光を放っていてかっこいい。 善悪とか関係なくたまたまその立場にあったものや強者 が正しいという事が彼の考えらしい。 「地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。 ここがすべてだ。そんなことにはなんの意味もない。 そして僕はそれが楽しくて仕方がない。」 「僕がときどきおそろしいと思うのはね、そこにある欲求だよ。」 とか言っちゃうあたり、中学生という設定に無理があるんじゃないかっ!と いう思いは拭いきれないのですが、 彼がいないとこの作品は成り立たない位重要なキャラクターです。 百瀬の言う事が悔しいんだけど、そうしか考えられないと思う主人公には 感情移入できます。 主人公が長年悩まされていて、小島とのつながりであった斜視が、 簡単な手術で変わる。それも「1万5千円」で。 ここはなんとも言えない悲しさがありました。
1投稿日: 2013.03.26
powered by ブクログ苛められる中学生の話。 あちこちでベタ褒めされてたから 心を新たに読んでみたけど やっぱり川上さん私は好きになれない。 テーマも展開も悪くないと思うのに 受けつけないのは何だろうか。 『乳と卵』ほどじゃないけど 気分の良くない読後感。
1投稿日: 2013.03.24
powered by ブクログあまりの衝撃に、文章読んでるのに言葉がふっとんだ。頭に浮かぶ映像が、鮮明。 鮮明すぎて顔を歪めてしまうこともあるのだけれど。 自分とは異なる対象を迫害、または崇める、という大多数の行動原理は、「中学校のひとクラス」という小さなコミュニティに確実に存在しているのだと感じた。 ただ在ることを在るままにすることは、なぜこんなに難しいのだろう。
1投稿日: 2013.03.05
