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ヘヴン
ヘヴン
川上未映子/講談社
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総合評価

521件)
3.6
90
170
144
47
12
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    コジマのヘヴンはどんなだったのか…コジマに突き抜けるようなどこまでも広がる青空が見られる日が来るといいな。

    0
    投稿日: 2025.11.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    僕が百瀬の言ってることをなかなか理解できない、受け入れたくないみたいな感情の描写がリアルでよかった。 「権利があるから、人ってなにかするわけじゃないだろ。したいからするんだろ」 「欲求が生まれた時点では良いも悪いもない。そして彼らにはその欲求を満たすだけの状況がたまたまあった」 「自分が思うことと世界のあいだにはそもそも関係がないんだよ。それぞれの価値観のなかにお互いで引きずりこみあって、それぞれがそれぞれで完結してるだけなんだよ」 権利とか人の気持ち(罪悪感)で善悪を判断する僕、そういった人それぞれの都合に意味づけするのは弱いからであり、世界はシンプルな仕組みでできているしそこに善悪はないという百瀬。 一方でコジマは「わたしたちはただ従ってるだけじゃないんだよ。受け入れてるのよ。強いか弱いかで言ったら、それはむしろ強さがないとできないことなんだよ」 「君のその方法だけが、今の状況のなかでゆいいつの正しい、正しい方法だと思うの」 「これはね、正しさの証拠なの。悲しいんじゃないの」 私たちを攻撃するのは私たちが恐ろしいからであり、むしろ本当に弱いのは相手であるからこそ、この痛みを受け入れることは、「意味のある弱さ」であり「唯一の正しい方法」だと言った。 僕が目を治すこと、コジマの母が父を最後まで可哀想だと思い続けなかったこと。それはコジマにとって、逃げること。不安や恐ろしさに支配された弱い人間に屈服すること。それは自分自信の痛み、苦しみに耐えることの意味がなくなることであり、それこそがコジマにとって最も恐ろしいことなんだと思う。 百瀬とコジマ、母や医者の言葉の中で揺れ動く僕の気持ちと選択の末、最後に見た景色は今まで見てきた世界とはまったく違ったものだったこと、そして耐え続けなければならないと思い込んでいた世界は、ある一つのきっかけで一変するということ。今見てる世界は、百瀬の考え方でいうとたまたま目の前にある世界なだけであり、たまたまその状況にあるだけかもしれない。善悪、弱さ、正しさ、今自分はどういう世界の見方をしていただろう?善悪とは何か?それは自分が生きていく中でしか考え続けられないものなんだと思った。

    0
    投稿日: 2025.11.09
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    65/100 うわぁぁーーん まじ長かっためちゃくちゃ しかも言ってることが反復しているから飽きちゃって読み進めるのが大変でした。 でも主人公の子と手紙を送る女の子の対比がそれぞれ顕著に出てるのがすごく面白かった。 あとは思春期の心の動きだったり、加害者側の無邪気さに怖さを感じる。

    0
    投稿日: 2025.10.31
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    平易でリズム感もあるとても読みやすい文体で、あっという間に読めました。10代の人達に読んでほしい。内面の葛藤や苦悩と世界の理不尽さ。エンタメ小説とは一線を画す小説でした。

    11
    投稿日: 2025.10.26
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    苦しい作品……苦しい! 救いの物語に進んでいくのかと思えば,どんなに踠いても逃げ出せない現実に収斂されていく生き地獄. 感想すら,うまく出てこない……. いじめられる側の理屈は,感情的に「分かりやすい」. でも,いじめる側の圧倒的な「屁理屈」は,「分かりたくないけど,分からされてしまう」. 「善悪とか関係なく,やりたい事をやるか,やらないか,それだけ. その時,それが実行できる環境があるか無いか,それだけ,シンプル」―― きっと,現実世界でもひどいいじめをする人たちの心理って,そんなものなのかもしれない. 「いじめているつもりは無かった」って,言い訳でも何でもなくて,本当にそう思っているのかも. 恐ろしい……けど,自分と違う思考回路の人間が「いること」を認めなければ,現実を歪めてしまう. 「戦争も人殺しも悪い.でも,現実として,世界ではそれが絶え間なく繰り返されている」―― そういう視点が,この作品も,いじめの当事者たちも,そして世間も,圧倒的に足りない. だからみんな,誤解してしまう. 「物事の見方や見え方で解釈が変わるものに対する議論」と, 「絶対的に間違っていること」を,同列に扱ってはいけない. この大原則が混ぜっ返されると,どこかで分からなくなってしまって,からめ捕られてしまうんだよね. ひろゆきに騙されちゃうのって,きっと,そういうところなんだ. 「ナチスはいい事もした」とか 「教育勅語にはいい事も書いてある」みたいな,脳ミソからサボテンが生えてる様な戯言を “両論併記”の片側を担わせてはいけない. 「人殺しはしてもいいか,ダメか?」みたいな問いに対して 「究極的にはどっちもどっち」なんて返すのは,悪意ある撹乱であって,議論じゃない. この本に登場する人たちも,文庫の帯も,NYTを始めとする名だたる書評コメントも, そして世間も―― みんな,この「どっちもどっち」の罠に,騙されてる. 違うんだ.「ダメなものは,ダメ」って言わなきゃいけない時があるんだよ. この本は,穿った見方をすれば,「良心や議論の混ぜっ返し」なんだよな. そこを分かっていながら,この陰湿さと執拗さにページを捲る手が止まらない. 作者は,それをわかってて,意図的に撹乱を仕掛けて来てるよね,これ? その“混ぜっ返し”の巧妙さが,有無を言わせぬ恐怖となって迫ってくる. 混ぜっ返されて堂々巡りする現実を擬似体験させてるんだ. 恐ろしい作家さんだー!この奇妙さと恐ろしさが『黄色い家』に繋がっていくのだな,と納得. ラストシーン,主人公は,たしかに「前を向く」ように見える. でも,「コジマ」は……どうなってしまったのか? 色んな想像が広がるけど,そのどれもが絶望的で, 読んだ後も抜け出せない息苦しさが続く……昨夜,眠れなかったもん(笑) いやなものを見てしまったような, 凄いものを見せられてしまったような―― とんでもない一冊だったことは,間違いない.

    2
    投稿日: 2025.10.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    イジメの描写が終始しんどくて、自分に置き換えてしまったり、途中読むのがキツくなって止まってしまったりしながらも一気に読了。 個人的に残っているのが、コジマのぜんぶ見てくれている神様がいて最後にはちゃんと理解してくれるはず、というシーンと、無関心な百瀬に理不尽を説き伏せられるシーン。 百瀬の言うように、この世には良いも悪いもなくて、されたくないことをしちゃいけないなんてルールも本当はなくて、自分の都合に圧倒的な力で引き摺り込むかどうかだけということ。〈僕〉の言うとおり、〈僕〉が引き摺り込みたくも引き摺り込まれたくもなくても。 ずっとイジメや不倫といった相手を顧みない加虐的で理不尽な行為があることについて考えていて、今までも思っていたけど改めてこの本を読んで思ったのが、結局この世界は欲求のままに行動できる人間に有利にできているということ。〈僕〉のような引き摺り込みたくも引き摺り込まれたくもない人間には不利にできているということ。コジマのように、よっぽど自分の中に強い信念がないと、受け入れて乗り越えられないのかなということ。生半可では泣き寝入りにしか感じられないし、実際自分に置き換えるとそうとしか感じられない感じがある。

    1
    投稿日: 2025.10.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    辛い、 虐められている描写が想像できるリアルさで痛かった 最初の手紙のやり取りは私的に凄く素敵だと思った 2人の居場所みたいな 手術した後の景色が主人公にとって綺麗でよかった 幸せになって欲しい

    0
    投稿日: 2025.10.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめの話なので、すごく重いシーンが続く。 でもテーマは深い。 コジマには愛と赦しがある。でも「しるし」という目に見えるものに、ものすごくこだわっているのが印象的だ。 それに対して主人公の僕は、愛も赦しもまだわからない。だからコジマが尊く見える。でも僕は「しるし」にこだわってるわけではない。その共通点がなくなっても気持ちは変わらない。 ここが最後に決定的な違いになった。 目に見えるものにこだわりすぎなかったからこそ、世界が美しいことに気づけた僕。 なんとも奥が深い物語だった。

    0
    投稿日: 2025.10.03
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    いじめが発覚しないのはする側、される側、そのどちらでもない子たちが隠すから。この本で、される側が隠そうとする心の闇にどれだけ迫れたか。コジマは強かった。しかし僕が目を直したらあちら側だと怒る偏狭。むしろそれが強さの元なのか。無関心そうだった継母の終盤の言葉が救い。

    0
    投稿日: 2025.10.02
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    もう少し心の準備してから読めばよかった…と反省。 すごく心が痛いのと自分の人生の一部を見ているようでしんどいのだけど、 やはり文章のプロはそう思わせるだけではなく、細部にまで凝って最後まで読めるように導いてくれる。 これもまた心を落ち着かせて読み直したい。

    1
    投稿日: 2025.10.01
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    いじめをテーマにした作品だけあってかなり重い。胸にずしんとくるような重さだ。 凄惨ないじめの描写も生々しく思わず目を背けたくなる。 いじめはいじめとして受け入れて耐え忍ぼうとする思想、自ら行動を起こしいじめを止めるべきとする主張、それぞれについて深く考えさせられた。 結末としてはどこか煮え切らない、歯切れの悪いものと感じてしまった。

    7
    投稿日: 2025.09.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    6章まで読んだ時、ちょっと考える時間が必要になった。 なぜ誰かをいじめること暴力をふるうことがダメなのか。 百瀬の理屈にそった説明で納得させることは、私も難しいと感じてしまった。 それはなぜか。根本的な何かがズレてる感じがある。 「僕」にはあるけど、百瀬は持ってない何かがあるんだということはわかるんだけど。何なのかちゃんと説明できない。 それはモラルと言われる何かのことなのか。 (内田樹さんの本にこんな事が書かれてたように思う) なんでひとを殺してはいけないんですか? これは、あらゆる幸運がそろって今自分が恵まれた環境にいることを自覚できない人ができる質問である。 じゃあ、もしあなたがいままさに殺されようとしてる時にそんな質問できるか?、と。それを思い出した。 百瀬は言う。たまたま俺はそれができる側だった。 いじめが嫌なら自分でなんとかすれば。 おれはできることをやる、アンタもそうすればいい。 でもそれができるひととできないひとがいる。 例えば人に暴力を振るうこと、相手を殺すこと。 お前はできない側だろうけど。 もし百瀬に、「僕」の言い分をわからせるには。 百瀬が死を覚悟するかもしくはそれと同等のところまで追い込むしかないのではないか。 恐怖でコントロールするしかないんじゃないのか。 でもそれは暴力でわからせることであり、いじめや暴力が何故いけないかの答にはなっていない。 むしろ同じこと。それを正当化してしまうことになる。 百瀬は、人生には意味がない。 そして弱い奴らはそれに耐えられないと言う。 つまり、意味はないけど力はある。だからやる。 コジマは言う。 「大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみには必ず意味があるってことなのよ…」 つまり、力はないけど意味はある。だから受け入れられる。 ここまで自分なりに考えたけど、わからない。 …そして最後まで読んだ。 もしかしてコジマは強いのか。 側から見ると、コジマはいじめられてるんだけど。 コジマは、従うんじゃなくて受け入れていて、それは正しいことがわかってるからで。 弱さにも意味があるんだとしたら、強さにも意味があって。それも弱い奴が自分を正当化するために作り上げた程度の低い意味ではないと。 それはけっきょくおなじこと、と百瀬は言って。 自分の都合に従って世界を解釈してるってことで。 相手の考え方やルール、価値観をまるごと飲み込んで有無を言わせない圧倒的な力を身につけるしかなくて。 コジマはずっと、できごとには必ず意味があって。 苦しみや悲しみには乗り越える意味があって。 もう私たちだけの問題じゃなくて。 だからその意味にみんなを引きずり込まなくちゃっ、て考えてて。 (もしかして、「意味」は力なんじゃないか) これは理想じゃなくて真実で。想像力も何も必要じゃない、ただここにある事実なのだと。 「僕」の中でコジマと百瀬の声が共鳴し表情の見分けがつかなくなっていく。 そしてコジマによる何もわかっていない子どもをあやすような、憐れむような行為が続けられ、二ノ宮の暴力によって終わりを迎え、その暴力から解放されたとき、コジマと「僕」は笑い、泣き、涙を流し続けた。 悲しくて泣いたんじゃなくて、コジマと僕は行く場所がなく、このようにしてひとつの世界を生きることしかできないと言うことに対する涙を流していた。 私は、二人からこれ以上ないこの世界へのあきらめのような感情を感じた。 この世界は狂ってるし、こんなに追い込まれてなすすべもなく、あまりに辛すぎると思った。 意味がある、ない 力がある、ない できる側、できない側 善と悪 弱いと強い 正しいこと、間違ってること …とか それぞれ立場もやってる事も違うけど。 コジマも百瀬も言ってる事は根っこのところで同じなんじゃないのか。 そして日常は大小あれど、こういう議論や争いごとに溢れてる。 物語の中の「僕」は、その中で「引きずり込まれたくないし、引きずり込みたくない」って言っていた。 それはコジマにも百瀬にもそうじゃない、とされることだった。 私は、わかりあう努力(ほどほどに)をしても無理なら「もう逃げよう」と思った。 もしそばにたった一人の大切な友達がいたとしても。 逃げた先に何があるかわからないけど、忘れることができるかもしれないし、世界の美しさに気づけるかも知れないから。 そしてできることなら、物語の中の「医者」のように誰かの逃げ場所を作ったりそれを提供できるひとになりたい、と思った。

    1
    投稿日: 2025.09.22
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    一気に読んでしまった。イジメものの中には被害者が実は美少女だったりするものもあるが、本作品では斜視の少年と不潔な少女といきなり苦しい容赦ない設定。 自分なりの解釈と咀嚼が必要な小説と思う。 コジマは殉教者になりたい歪んだ感情を持っている(持たざるを得ない環境だったのかも)のだと思った。その感情に自身も疲弊し、主人公との軋轢も生じてくる。 百瀬とのやり取りはとても読みごたえはあった反面、目新しい議論ではなくどっかから引っ張って来た感があった。中学生でここまで醒めてるヤツいるか?との違和感もあった。小説全体の流れにも大きくは関わっておらず、そこだけ浮いた感じがしたのが残念だった。 主人公にとって重要だったのは義母の存在ではないか?義母の愛情により一歩踏み出した主人公、そこで自身が生まれ変われるのではとの希望と共に見えた美しい景色が彼のヘヴンだったのだろう。

    11
    投稿日: 2025.09.16
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    作家と読み手の相性があると思う。 過去に2作読んだが、どうしても私は受付けなかった。 世界的に認められているとのことで、チャレンジしてみたが、どうにもこうにも途中で投げ出したい気分になった。 多分、湿度が高すぎる感じが生理的に無理なのだろう。 最後まで頑張って読んで多少救われたが、モヤモヤが残った。

    1
    投稿日: 2025.09.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    面白かった。読みやすかった。 一つ一つの描写が繊細で純粋で、だからこそ残酷だった。 僕も、コジマのように全てのものに意味があると、声高らかに叫びたくなる時がある。本当にそうなのか確信は掴めなくても。 でも、百瀬のように、全て事実と欲求が存在するだけだと、解釈なんて意味なんてないと、思う時もまたある。 そういう意味では、僕は「ぼく」と近いのかも知れない。

    1
    投稿日: 2025.09.02
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    全く共感できなかった。 とにかく終始話が重すぎた。 やっぱり人って思ってる以上に周りを気にしてないし、そのことに関して生きやすさしか感じたことがなかったけど相手を気にしていないが故に傷つけようとする人もいることが恐ろしいとも思った。

    1
    投稿日: 2025.08.31
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    一歩進んで三歩下がる本 何かしら音がないと飲み込まれそうで、出て来れなくなりそうな恐怖と闘いながら読み進めた。 傷ついた人の気持ちを理解しようとする時みたいに慎重に文字に触れ優しく包み込むように、私はこの本をうまく理解したいと思い過ぎているから、スルスルと進まないのだろう。 人間は言葉を話す。物の中で僕らは圧倒的に少数派。 物は表面が傷ついても傷ついていないみたいで、人間は傷ついてないのに傷ついてる。 ちまちまと着ている服にまつり縫いを施し、見失わない様にしている気分。真っ直ぐ前を見て進むことが難しいけれど、信号の効果音の様に届く人には届く道しるべを用意してくれてる。 自分の言葉を湾曲させずより繕わずただ伝えられる人は、時にいる。けれど、溢れるようにこぼれさせてくれる人は少ない。 怖いものを認めたくないから気持ち悪いと置き換える。自分にとって理解し難いものを怖いと思い、目の前の事実から逃げる。 この本を読み切るには、何か温かい別の本が必要だった。読んでる本によって人格が引っ張られることは良くあるが、ここまで傲慢で攻撃的な人格が浮き彫りになったのは初めてだった。人はどこまでも残虐になれる。そう思えた。

    1
    投稿日: 2025.08.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめの描写を、こんなにも淡々と書くことに驚いた。“いじめられている”という共通点がある僕とコジマだが、その感じ方や捉え方は両者違っており、それぞれの強さがあると感じた。「いじめは絶対悪」という私自身の考えに変化はないけれど、それでも、百瀬の考えには圧倒されたし、説得力があった。他人とそうでない人の境界について、改めて考えさせられた。二ノ宮は本物のカス。

    0
    投稿日: 2025.08.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    初川上未映子さんの作品。 いじめの内容や感情がものすごく辛い。 苦しすぎて読む手が進まず、心が痛かった… 百瀬はどういう立場なのか? 「君の目が好き」と言われた僕だけど、斜視を治す手術をする。 そしいぇラストも美しく終わる。 コジマがよく分からない部分も多かった。 そこをもっと深く追求することできっと物語に込められた意味が分かる気がする。 コジマの未来も明るいかな。

    0
    投稿日: 2025.08.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    しんどくて苦しくて涙が出た。虐められてる側の僕はなぜ同じことを虐めた側にできないのか。できないからできないと僕は言っていたけど、同じことをすることによって虐めた側と同類になってしまうからできないのではないかと思った。相手と僕は違う人間だけど体格も年齢も同じようなものなのに、なぜそれができないのか。生まれ持った性格もあるとは思うけど、虐めてくる相手を心の底から軽蔑しているからだと感じた。コジマがわざと不潔な格好をしている理由が、お父さんと一緒に暮らしていた頃の貧乏だった記憶や繋がりを忘れないためというところに、コジマは本物の強さを持っているなと思った。ひどいいじめをこれから受けるのだと察して恐怖を感じている僕の心情や、鼻が打撲して大出血するほどの怪我を負わされ、その後から眠れなくなってしまい自殺について考えていくところなど、読んでて本当に悲しかった。それでも僕は学校に行って、コジマへの手紙の返事は書けないけれど、同じ教室にいるコジマを見てなんとか救われて、病院でいじめっ子の1人に会ったら話があるんだと声を掛けるところなど、僕も本物の強さを持っていて、すごいな、絶対に報われてほしいなと思った。斜視である君の目が好きだと言ってくれるコジマが傍にいてくれて良かった。

    1
    投稿日: 2025.08.17
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    読んでいてヒリヒリする小説。 痛い、辛い、悲しい、もどかしい。 斜視を治した僕の世界は美しく、未来も明るいものになるようなエンディングだった。 一方、コジマはどうだったのだろう。 コジマの未来も明るいものでありますように。

    1
    投稿日: 2025.08.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    コジマと百瀬それぞれの考えに揺れる僕が印象的。 半ばまでコジマに共感していたが徐々に怖く感じて、何故だか百瀬には安心した。 二ノ宮についてジャイアンのようなイメージが浮かぶたび優等生でモテる人物だったことを思い返したが、彼は本当にモテるのか疑問。

    1
    投稿日: 2025.07.20
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    ちょっと色々衝撃的やな、海外で刺さるのも良くわかるわ。どこから夢でどこから現実なんやろか、小説だからぜんぶ夢なんやろけど。斜視って治るんやな、現代技術は素晴らしいな。俺も白目の黒い部分取ってもらおかな。 自分がされて嫌なことは、他の人にもやってはなりません、というのは綺麗ごとだという百瀬。自分がやられて嫌なことでも、やりたかったらやる、でも自分の身内がされそうになったら全力で防ぐ。それが嫌なら力をつけるしかない、それが現実なんや、という百瀬。 いじめをしてる側の二の宮や百瀬みたいな奴らは、一見外見もよく頭もよく見えるけど、ほとんどの場合家庭環境が悪く、親に問題があって、そのストレスを外に向けているケースが多い印象。グレてる奴らは、親から愛情を受けられていない、一皮剥くと本当は可哀想なやつら。と、いうところまで思いが至ると良いのだが。 いじめられてる側が発達障害とかだと、更にタチが悪く、反抗できずに事態が悪化する、先生何やっとるんや。 いじめって無くならないし、百瀬の言うとおり根源的には人は弱いもの虐めしたいというグロテスクな部分は間違いなくあり、そこからは逃れられない。そこから目を背けるのは問題の本質をとらえる事ができなくなる。せめて虐められる側が、地獄を見ないようなサポートを。 と、いいつつ我が子には、こう言う環境に出会わない様に最大限の配慮とか環境を用意してあげたいなと思う、やっぱりキツイでしょこう言う場面に会うのは。私立の進学校はこう言うレベルの低い虐め無いよ、サンプル数一しかないけど。

    0
    投稿日: 2025.07.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

     コジマは、自分は「いじめられてあげている」くらいの気持ちでいることで、自分を守っていたのかな。だから最後も、自らの意思であるかのように脱いだ。  変わらないでいることで自分を守っていたから、仲間だと思っていた主人公がひとりで変わっていこうとする姿を見て、自分だけが取り残された気がしていたのかもしれない。でもそれは主人公側も一緒で、お互いがお互いに変わっていってしまうことが怖かったのかも。  最後の描写は、些細なことで世界は変わるとも捉えられるし、些細なことでは世界は大して変わらないとも捉えられた。結局、百瀬の言っていた通り皆それぞれの都合の世界で生きているのかも。  いじめっ子たちにされるがままのあの2人は、それで何を守りたかったのかな。

    1
    投稿日: 2025.06.28
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    二、三度読み返してみると新しい発見がある作品だと思います。 「僕たちがこのようにしてひとつの世界を生きることしかできないとゆうことにたいする涙だった」の言葉に、受け入れることしか出来ない、そんな自分が嫌なんだという気持ちが現れていたと思う。 百瀬の「なぜ、君はそれができないんだ」と言う言葉は、その場では屁理屈でしかないが、この言葉はある種では間違いではないと思う。 最後の斜視の手術でもそうだが、どんな状況も変えるのは自分でしかない。

    2
    投稿日: 2025.06.26
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     血が苦手な人にはおすすめしません。  川上未映子のすごさは、人間がノンフィクションより生きていること。主人公も、コジマも、百瀬も、それぞれの考えがあって、お母さんや先生などの大人たちもいる。  コジマの手紙の、言葉がちょっと間違えていたりするのも、上手いなぁと思う。本当に中学生が書きそうな文章。自分の仲間だと思っていたのに裏切られた、って思う気持ちも分からなくはない。  主人公も、いじめでボロボロになって、眠れなくなって、だんだん精神に異常をきたし始めるところもリアルだなぁと思った。  百瀬の考えも、ものすごく嫌悪感はあるんだけど、筋は通っているようで、理詰めでは否定できない。そして恐ろしいことに、中学生の時に自分もこんなことを思っていたな…ということも思い出してしまった。子ども特有の危うさと残酷さがよく現れている。  結局、いじめは大人の介入が必要なのではないか。多数の視点から見る点においても。  最後、斜視を治して、世界がとにかく輝いていて、向こう側が見えた。斜視もフリだったのか…と思うと、作者の計算には参った。

    1
    投稿日: 2025.06.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    意味が無いことの意味 いじめなんていう言葉を使いたくないくらいに暴力のシーンは辛かった。 〈僕〉とコジマは壮絶な苛めに耐えていて、苛められる者同士密かに交流を深めていくが、コジマがある種の強さを身につけるにつれて僕は心細くなっていく。 一方コジマは僕の斜視を治す手術の話を聞いて怒ってしまう。 どうしようもなく追い詰められたとき、人はすがるものを求めるのかもしれない。それが崩れたとき、何かが歪む。 コジマは、強くなったように見えて、ただただ弱っていた。それは食事をせずに痩せていくという身体的なことばかりではなく、僕の目の手術の話で心の拠り所を失ったことによる精神的な衰弱もあったのではないだろうか。 彼らは互いの弱さに頼っていたのかもしれない。僕の方がそのことに自覚的だったように見える。それは母さんや医者のような身近な大人からの影響が大きいと思う。母さんも医者もどこか呑気で、読者としても救われる部分が大きかったから。 〈僕〉をかたちづくる大きな要素である斜視への捉え方は登場人物によって違っている。 百瀬:〈僕〉をいじめるのに斜視なんて関係ない コジマ:君の目がすき 母さん:目なんて、ただの目だよ。そんなことで大事なものが失われたり損なわれたりなんてしないわよ。 医者:新人がやるような一万五千円の手術で治せる コジマは最後まで〈意味〉に拘っていた。拘ることが強さだと思っていた。だけどその拘りは彼女を削っていくだけだった。僕の目の手術のように、自分で思っているよりずっと簡単な方法で前に進めることもある。それは逃げることとは全く違う。 ラストでは手術を終えた僕が世界の奥行きとその美しさに感動しているが、それは『誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない』『ただの美しさ』だった。その美しさに意味なんてなくて、ただただ美しかった。意味が無いことの意味が、ちゃんとあるような気がした。

    1
    投稿日: 2025.06.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    モヤモヤです。 きっと最後は斜視も手術して治り、いじめもなくなり、なんならいじめっ子にきっつい制裁を食らわし、「いじめはいかん」で終わるものと勝手に予想していた わたくし。 最後は常に正義が勝つとキン肉マンから習い育った わたくし。読了後ずっとモヤモヤです。 最後は百瀬が助けてくれると勝手に期待していたのに・・・。 思慮が浅いわたくしに残ったのはモヤモヤのみです。 よくもまぁこんないじめを思いつくよな。図書館戦争の舞台ならメディア良化法により禁止書籍になるやろこれ。

    0
    投稿日: 2025.06.24
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    イジメの描写と主人公の心理的な動きを 繊細なタッチで淡々と描き、心の微妙な動きを気象や外観に比喩を入れて表現しているため、直情型の文章から来る小説ならではの『作り物』を避けることができ、とても気持ちが伝わってくる小説だった。 自分にとってのHEROは誰だったのか、 自分だけの視野に囚われていた主人公が、加害者達に言葉で触れ合おうと努力しているシーンは 物語上、かなり重要なシーンだなと思った。 コジマは最後どうなったのか、知りたい。

    0
    投稿日: 2025.06.08
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    とにかくいじめの描写が何度も繰り返されるので、読み進めるのが辛かった。結局、コジマがどうなったのか、いじめ(加害者)がどうなったのかはわからないまま、そこだけ消化不良。

    5
    投稿日: 2025.05.30
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    いじめを中心にそれぞれの立場の考えをみることになり、自分ならどうなのかと考えるきっかけになった。 いじめられる辛さに共感する一方で、加害者の考え方に理解できる部分があり、いじめられる者同士でも理解し合えないことが悲しく思えた。 登場人物の立場は異なっても、極端に全てに同じ考え方が適用できるはず、というイメージを共通してもっているように感じた。 どんな軸をもつことが自分にとってよいのか、まだわからない。

    0
    投稿日: 2025.05.22
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    英国ブッカー国際賞候補作品とのことで手に取った。日々、大人の目の届かない場所でクラスメイトからそれぞれに壮絶ないイジメを受けている中学生の男女がふとしたやりとりを通して心を通わせていく。現実のイジメの最終形は自死をもって公となるが、ここではいじめの原因となった斜視の手術後に見た、見慣れているはずの通学路の美しい情景が描かれて終わる。イジメを受け入れる「強さ」を貫いた暁に見えたこの風景が題名のヘヴンなのだろうか。虐める側、虐められる側のどちらが悪くてどちらが正しいはないという論理の奥を未だ掴みきれない。

    0
    投稿日: 2025.05.22
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    ラスト10ページくらいの時、 残りのこのページ数でこの状況、ってことは きっとスッキリした何かは得られないだろう、 ハッピーエンドではないのだろう、と 薄々感じながらも読み進めると 最後のたった数ページで感情が変わり 不思議と清々しさも感じている自分がいた あれはどうなった?と思わせる 余白感がなんとも言えない気持ちにさせて 心にずっと残る作品だなと思った。 結構グロい苛めなのに なぜか儚くて どこか愛を感じる 川上未映子さんの表現に 読み進める程惹かれました でもやっぱり どうなった?と思う部分の正解が欲しかった と思う浅はかな自分もいるので星4

    2
    投稿日: 2025.05.18
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    同級生からのいじめに耐える僕は「わたしたちは仲間です」と書かれた手紙を見つける。差出人は同クラスのコジマ。彼女もいじめに耐える1人。2人は心を通わせるが無情な同級生は… 読むの辛すぎて、美術館で「ヘヴン(絵)」が見れてたらクライマックスは変わったのかな…とか色々考えちゃう。 何にしてもコジマの強い優しさとそれに応える僕の優しさに胸が締め付けられる。

    0
    投稿日: 2025.05.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    めちゃめちゃよかった。文体の重さがちょうどよく、読み応えがあった。コジマとの微妙な関係が、絶妙な表現ですっと入ってきた。同じ虐げられている者同士お互いを仲間と思うと同時に、矜持を持たない主人公が矜持を持つコジマに対して心境が変化していく様子は、自分が同じ状況だったら同じようなことを思うだろうなぁと共感できた。また、百瀬の詭弁も、詭弁とも言えない真実性があるような気がした。斜視により虐められていると考える主人公、その斜視の目が好きだというコジマ、虐められていることと斜視は関係がないという百瀬。斜視を物語の軸に、人間のもつ真実性が描かれていて、読ませるなぁと思いながら夢中で読めた。

    1
    投稿日: 2025.05.11
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    川上未映子の作品は初めて読んだ。 会話部分の描き方が独特だと思った。 終盤の場面はエヴァを連想させるような混沌があった(アニメ作品に例えるのは良くないかもしれませんが、、) 苦しかったシーン ・人間サッカーの後、帰宅しようと僕は柵を登ろうとするがなかなかうまくいかない。コジマはそれを見ていて、僕はコジマの顔を見ることができない。 序盤、僕とコジマはいじめられているもの同士分かり合える存在のように描かれていたが、実際には2人の「いじめ」には少し違いがある。僕にとっていじめは全て外的要因のために起こり傷つけられるもので、ないに越したことはない。一方コジマは自分がいじめられているという状況すら自己形成のために必要としていると感じる。もちろんコジマがいじめられたくていじめられているというわけではなく、コジマがしるしと意味付けるのも耐えるための戦略とも言えるが、この人間サッカー以降はこのしるしがコジマの中で「信念」「信仰」のような強く融通の効かないものとして存在している印象を受ける。 人間サッカーのシーンで、僕は血を流しながらもコジマの顔を見ることを避けている。これは、僕のコジマへの好意と僕の中に「恥ずかしい・情けない」といった思いがあるからだろう。このシーンで明確にコジマと僕の「いじめ」には違いがあることが描かれた。これは、どちらかがもう一方に寄せよう、もしくは寄せさせようとすると途端に2人の関係は壊れるのではないかという不安定さを孕んだ。 残る疑問 ・ヘヴンの絵。コジマはヘヴンの絵を「男女が辛いことを乗り越えたからこそ幸せになれた、それを描いた絵」と話した。それはコジマ自身が僕と一緒に目指したかった姿だったのだろう。 ・いじめは確実に悪であるが、なぜ悪であるか、「されたら嫌だから」などではなく明確に説明できる理由はあるのか。百瀬のような理論を振りかざされたときに、それでもいじめは悪なのだと説明することは可能なのか。

    5
    投稿日: 2025.05.10
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    イジメの描写が気持ち悪い 最後の公園は最低 これは哲学書の様なもので 読んだ人に「いじめとは?」と問いかけている

    1
    投稿日: 2025.04.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    クラスの男子、女子それぞれから苛められるある男子とある女子の交流が描かれる。厳しい苛めとひと時のほほえましい交流との交差で進んでいくが、その関係はだんだん儚く脆くなっていく。親子関係を含めた全体の人間関係に希薄感が漂うし、苛め側も表層での描写に限定され、何の解決も反省も描かれないのは、苛めを超越したもっと本質的なテーマを描いているような気もする。

    2
    投稿日: 2025.03.28
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    う〜ん… 私には小難しく感じてよく分からなかった。 ラストもしっくりこない。 コジマはどうなったの?イジメはなくなったの? 凡人の私には理解不能なのか イジメは救われない、そんな内容?に思いました。

    1
    投稿日: 2025.03.27
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    ブッカー賞にノミネートされたくらいなので良い小説なのだと思うけど、今の自分にとって何か響くものがあるかと言われるとそうでもなかった。

    1
    投稿日: 2025.03.23
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    後半読んでてずっと苦しかった 二ノ宮が百瀬のこと好きなのかな?自分の同性愛がコンプレックスだからこそ、自分の常識からズレてる人が怖くていじめてしまうのかな?

    2
    投稿日: 2025.03.21
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    苛められる描写がとにかく辛いのでそこは要注意です。 クラスで同じように苛められているコジマとの密かな関係。乗り越えるとか苛めている奴らに反撃するとかもないまま、コジマとはたまに会ったり手紙のやり取りといった交流が続きます。 苛める側の心理とか、虐げられた者同士の「仲間」意識についての描写がすごい。 とにかく最後の数ページが本当に美しくてとてつもなく悲しくてめちゃくちゃ刺さりました。川上さんの文章がとにかく素敵です。

    16
    投稿日: 2025.03.09
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    中学二年のいじめられている男が主人公のお話 いじめシーンの描写はちょっと嫌でした いじめに対して「受け入れている」みたいな箇所が ありましたがちょっと気になりました そしていじめていた連中をどうにかできなかったのかと 思ってしまいました

    17
    投稿日: 2025.03.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめの描写が生々し過ぎて読むのが辛かった。百瀬のどこまでも酷い発言も。最後主人公は斜視を治して母が理解してくれて少し救われた感があったけど、コジマはどうなってしまうのだろう。ヘヴンはどんな絵だったの?イジメを受け入れる、それが正しいと言うコジマもまた正しくないとは思うけれど。 「真夜中の恋人たち」と言い、川上さんの作品は弱い人の目線で、でも救いきらない。 虐められている主人公に、同じく虐められているコジマは手紙を出した。「私は仲間です」手紙を重ね徐々に親交を深め二人はコジマが言う「ヘヴン」のある美術館にも行った。 コジマは主人公の斜視の目を好きと言って、私達は一番強い、この状況を受け入れてると言った。斜視はその象徴だった。コジマの不清潔は、別れた父との思い出としてあえて残した。斜視を治せるらしいと主人公が言うと、コジマは主人公から離れた。 手紙でまた再会した時、いじめっ子達はセックスしろと言った。コジマは裸になった。そのまま大人に連れて行かれ、コジマとは2度と会わなかった。

    1
    投稿日: 2025.02.26
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    いじめを題材に神と善悪について語る作品。村上春樹の「沈黙」を思い出す場面もあった。ヒロインのコジマと、いじめ加害者の一人である百瀬の2つの哲学が対立して描かれるが、そうした理論化すらないいじめ主犯者の空虚さが生々しかった。 『乳と卵』でも思ったのだが、描写が凄まじい。最後の方の公園でのコジマの行動と、ラスト2ページの場面がまるで映画で観たかのように頭から離れない。この小説のタイトルがヘヴンであることを皮肉ではなく希望として受け取りたい。

    1
    投稿日: 2025.02.22
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    いじめられたくていじめられる人はいない。 外からは見えなくても、傷ついている。 いじめられっ子も、いじめっ子も。 人の醜いところ、を、目の当たりにしている人たちの考え。世界の捉え方。 何も考えずに衝動の人もいれば、 その状況を分かった上で、強者と弱者が存在する仕組みを受け入れてそれを受け入れるべきだ、嫌なら自分が強いものになるべきだ、という強者。 自分の体に原因があると思う主人公と、同じ状況ではあるものの、自分は自分を守るためにいじめられている、この状況を受け入れている、し、そう言い聞かせている弱者。(言い方は好きではない) この後、を考える小説じゃないのかもしれない、 この事実を受け入れる、ための、残酷さを伝えるための、小説なのかも。

    2
    投稿日: 2025.02.21
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    雨とか汗とか血とか、苛めでもいいけど、ベタベタしてるモチーフがたくさん出るのに乾いてる。 百瀬の乾きはわかりやすいが、コジマも主人公もかなり乾いている。 なにはともあれ、百瀬の言うことを腑に落としてからでないと始まらないと今の自分は思った。高校生くらいの時、百瀬の側に張ってみた記憶がある。正しいというのではなくて、張ってみた記憶。端的に言えば、私とあなたは違うということを腑に落とすこと。そりゃ違うでしょってレベルではなく、もう本当に根本的に違うのだということ。コジマは主人公を同に回収しようとして、排除へ向かう。仲間意識も排除意識も変わらない。恣意的に、あるいはフィクショナルに境界線を引いている。仲間になるには、あるいは敵と認定するには記号が必要だ。根本的に違うと腑に落とすことは、相手を諦めることと近い。相手を諦めるのは悪いことではない。その人がそうしたいなら基本的にそうならざるを得ない。相手が変わるのは偶然の配置の結果だとしか思えない。言葉が、観念が、法が、単にそれだけで効果を持つなら教育はなにも難しくはない。それらの効果は常に無視できるからこそ、現実は維持される。無視できないことの方が私には怖い。コジマがヒトラーであったら。 主人公が二ノ宮を最後に殴るか迷うのは、石を拾うことで、そのようにできると思ったからだろう。何かが変わるというのは常にそういうことだと思う。私はテーブルで向かい合うよりも同じ方向に歩きながら話す方が楽しく喋れる。観念は世界の一部であって、物質的な配置そのものに現在の傾向性が現れる。物質的・観念的配置が自分の望むような配置になっていることはまずない。やれることは2つ思いつく。自分の行動がその配置になにか影響を及ぼす一手を少しづつ打つこと。石を拾うでも構わないし、手紙を出すでも、言い返すでも構わない。もう一つは望まない配置を恨むのではなくて、現在の配置を楽しむ語りを手に入れること。貧しかろうが醜かろうが幸せな人はたくさんいる。どのように世界を描写し、それを語るか。面白いことが起こったから、面白いエピソードとなるのではなくて、面白く話すから面白いエピソードとなる。と書いて、百瀬とコジマの方法にピッタリ重なると思って参ったなと思った。前半部のコジマはまさに両方の実践をバランスよくやっていた人物として描かれている。クラスの中でどうにか友達を作ろうと手紙を送る、あるいはハサミでものを少し切ることで世界への影響を確認する。さりげない細部をよく覚えていてそれを印象的なエピソードへ昇華させるナラティブ。最終的に強すぎるナラティブ志向が、単一世界観の陰謀論的語りと結びついて、厳しい状態になる。 基本的に人は説得できない。説得することができるのは、言葉の力だけではなく、それを取り巻く物質的配置が必ず関係する。喧嘩をするのは、意見が合わないからではなく、互いにお腹が空いているからということは往々にしてある。

    2
    投稿日: 2025.02.18
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    凡人には何が言いたいのか最後までわからなかった。 何度も何度も同じような場面が続き、最後には大きな転換を期待したが、前触れもなく唐突に終わらされた感じ。超消化不良。

    2
    投稿日: 2025.02.14
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    いじめられている僕とコジマの交流を描いた作品。二人が仲を深めていく様子は微笑ましかったがいじめがエスカレートするにつれ、それぞれいじめられる意味についてそしていつかは報われると独自見解を展開し我慢しすぎだと思った。辛い分その辛さを自分ではどうすることもできない神から与えられた試練のようなものと捉えているあたりが、本当に辛い時は他人に頼れずにただ耐えることが美徳となる気持ちはわかるなあと思った。百瀬と僕との対話で、僕やコジマが大事にしていたプライドをへし折られ、その美徳に疑問を持ち出す。いじめに意味はない、自分たちのしたいことをしているだけ、自分が嫌なことを人にしてはいけないなんてインチキだ、などサイコパスのような価値観だが、ツラツラ語る百瀬を言い負かせない僕の悔しさに共感した。最後公園での大事件が起き、コジマと百瀬の考えに揺さぶられながらも僕の価値観で立ち向かう僕、自身の考えをぶらさずむしろさらに仙人のような進化を遂げたコジマ。結局大人が介在しいじめの全貌は明らかになり、終結に向かう様子で終わる。母は学校には行かなくてもいいし、転校してもいいと、医者はずっとコンプレックスだった斜視は15000円で治すことができるという、僕の中ではどうすることもできないいじめと斜視、他の人に頼ることで想像よりもはるかに簡単に解決できることもあるんだと気づくきっかけとなった。辛い状況に長時間置かれると自分の被害を嘆くこともできずただ耐えるのに必死になってしまうが、いつでも他人の助けを要求することができるし、助けを乞うことは最善の方法かもしれないということを忘れてはいけないなと思った。

    3
    投稿日: 2025.02.08
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    物語りというか、思想書、哲学書みたいな感じ 中学生の道徳の授業でこれ読んで 生徒が全員ぐんにゃりぐんにゃりなれば良いと思う。 お話としては、面白くはない。 いじめの描写はやり過ぎでちょっと嘘くさい。 ただ、現世こそが地獄であり天国であるというのは同意かな。あと、他で行われてることに興味がないってのもその通りだと思う。

    3
    投稿日: 2025.02.07
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    "創作の動機として、常に倫理全般への欲望があります。信仰や善悪や生命倫理……その中でも生殖は発端という感触があります。妊娠して出産をするというのは、いったい何が何をしていることなのか。それはいいことなのか、そうでないのか、あるいはそういった評価と関係ないことなのか。書くことで理解したいとかではなく、自分が問題だと思うことを、その時できる技術の限りをもってやっておきたい" ここを出発点にしていろいろ考えたい。reproductionはいいことでもわるいことでもない、ただそうしたいからという欲望の帰結であるけど、reproductionsのつながりや組み合わせが信仰とか善悪を生むということなのだろうか。当たり前と言えばそうなんだけど、川上未映子本人がいうようにそうしたものの発端という視点で生殖を捉えることなのかもしれない。じゃあ、両親がそこ責任者ということになるわけで、たしかに家庭環境を整えることは彼彼女が果たすべき責任であろう。だが、他者とのかかわり、他者の生殖とのかかわりのなかで生まれる信仰や善悪はその責任を一人に返せるものではなく、Peopleの持っている根源的な原罪ともいうべきなのだろうか。それは百瀬の言ういじめ論的な詭弁のなかで説明される欺瞞と嘘で塗り固めた暴力性に似ている。彼の主張には誤りが多く含まれるものの、納得させられそうな気持ち悪さはそこを突いているからだと思う。

    2
    投稿日: 2025.02.01
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    グリーンピースとかの意識高い系の言ってることがイラッとくるのはなんでかって思うに全くリアルではないというかこんなにも脆い子どもたちが酷い目に遭っているというのにキミらはクジラがどうとかマジどうでもいいこと気にしてて要するに気持ちが通じ合わないってことなんよなぁ。キミらクジラを救う前に虐めにあっている子どもたちを一人でも助けてみたらどうなんかと。 というわけでとことんイジメを描写し続けるこういう本をたまには読まないとお花畑の住人と呼ばれてしまうからね。このダークな気持ちを忘れないぜ。

    1
    投稿日: 2025.01.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    #ヘヴン #川上未映子 ※微ネタバレ うまく言葉にできないなぁ。 それくらい色んな側面を含んでいて、説明のできないもどかしさを直視させられ続けていた。 主張だけを見れば全員に少しずつ共感するし、 でも苦しみを内側から見ていれば百瀬の主張が成立することが正しいとは言い切りたくはない。 全体で考えればそれはうっすらとした正論なのかもしれないけど、それに頷いて終わり、というのは違和感を持つし、人として心のある意味を問いたくなるような気持ちになる。 なんか複雑な気持ちで、まとまらない。 前半の2人のやり取りや言葉選びがとても美しくて、 2人の魂の美しさと繊細さが文字に出ていて 互いを拠り所にしていたあの時間。 そういったものを感じてからの中盤以降は、 精神的にくるものがあった。 帯の言葉にもあった通り、誰が強く誰が弱いのか。 私としては、自らを選び続けたコジマは強いと言いたい。 だからと言ってそれを「強さ」と一括りにするのはあまりに雑な気がする。ただ闘うために選び取ったもの、 というのも違う気がする。 あんな経験がなければ、コジマはそれを選ばなくても良かったかもしれない。 うまく言えないけど、コジマや主人公がお母さんや医者のような、少しだけ世界を長く生きている大人たちや、似た魂の方を持つ人たちの存在に、少しずつ救われることをただ祈っている。 最後、世界の美しさに立ちすくむ主人公の描写。 それでも世界が続いていく残酷さも感じて、終盤のコジマを思いださずにはいられなかった。 彼らが生きている間に、ヘヴンに辿り着けるといいな。 いや、最後のあの描写はもしかして、いろんな事を考え手術をし、その結果得られた彼にとってのヘヴンなのかもな、ぐるぐる。

    8
    投稿日: 2025.01.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    全部が生々しく、リアルに感じられる。 いじめの描写は特に読んでいて辛かった。 あんなに楽しかったコジマとの時間も、読み進めるごとに変わっていき、主人公の気持ちも、コジマの気持ちも分かって苦しくなった。 何気にお母さんがよかった。最後の方のお母さんとの会話は泣きました。

    3
    投稿日: 2025.01.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    不思議な物語だった。 登場人物の細かい動きや感情の機微を描いていた。 人間関係の中で、強い者が自身の行いを正当化するための論理と、弱い者が連帯を維持しようとするあまり弱さを乗り越えようとする者を逆に排除しようとする論理が描かれていたのかもしれない。主人公はその間で板挟みになっていた。後者の論理についての認識が適当なのかは正直わからないけど。 最終的には医者が斜視を治したけど、きっと主人公は自身が斜視であったというアイデンティティを保存しながら、新たな世界での生活を始めるのだと思う。

    2
    投稿日: 2025.01.12
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    しるしという名目の心の拠り所。 お互いの心の拠り所で通じ合っている。 拠り所がなくなれば関係性が崩れる。 拠り所が神のようになり宗教化している。 汚れが増したり痩せたり、しるしを増やすのは信仰が強まっているのではないか。 客観的にみると精神異常をきたしてるとも言える。 他人のことを笑うのは自分に確固たる自信がなく、どこかで優位に立ちたいから。イジメ集団の中の取り巻きはそのような性質が多いように思う。 そこに主体性はないから、虐められてる側の人間が取り巻きの1人に対して1:1で関わると、取り巻きは対応をすることができない。 「相手のことを思いやる vs 自分のことは自分で守れ」 生まれつきの性格はあれど、育ちの環境の違い 親や兄弟、周囲の大人に守られなかった過去が自己責任力を強めているのではないか。 親の育て方の影響。愛着障害が引き起こされているとも言える。非行に走る人間は共通点がある。 身体の様子やそれに伴う行動が鮮明に描かれていて面白かった。

    1
    投稿日: 2024.12.19
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    別格につき星6つけたい。 この歳で読むと、百瀬を全否定できない。むしろ主人公の方が定まっていない感じがしてそれは年相応ではあるけれども、少なくとも、コジマと百瀬は定まっているんだと思う。善悪の問題でなくして。コジマだって正しいわけじゃないと思う。 コンパリは先天的でコジマは後天的。コンパリは選べなかったけど、コジマは自ら選んでいる。そこに両者の違いがあるからして、コジマもコンパリに連帯感を持つのは勝手だと思う。ただし、自分で選択している分、強い。 中学生だから、主人公とか、二ノ宮の方があり方としては"普通"なんじゃないかとも思ってしまう。いじめは悪いこと、良くないこと、間違いはないはず。ただ、いじめられる側にも問題はあるんじゃないかと。認めたくはないけど、それは側面的には、正しい。 主人公に救いがあるとするならば、大人の存在だろう。母と医者。これは大きいのではないか。 川上未映子は、今まで「なんじゃこりゃ」と思う作品もあったけど、これまでの読書体験を超えるこういった出逢いがあるからこそ、油断ならない。村山由佳もそう。『放蕩記』読んでなかったら、また評価違ってたと思う。 極上だね。

    19
    投稿日: 2024.12.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    川上さんの文章のリズムが好きで、1ページ目から最後まで一気に読みました。コジマの人生観が興味深い。苦しみにも意味があり、苦しみを共有することで、人との繋がりを保とうとする。一つの境地なのかもしれないが、わたしは「苦しむ必要はない」と伝えたかった。お母さんの「目なんて、ただの目だよ。そんなことで大事なものが失われたりなんてしないわよ。残るものはなにしたって残るし、残らないものはなにしたって残らないんだから」の一言に号泣してしまった。コジマがあのあと、どうなったのかとても気になる。彼女の気持ちをほぐしてあげられる誰かが彼女のそばにいてくれたらと願う。 それから蛇足かもしれないが、、「ヘブン」はシャガールの「誕生日」ではないかなと思った。

    1
    投稿日: 2024.12.15
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    辛かった。苛めの描写がつらくてつらくて途中から耐えられませんでした。 コジマの持つ世界観も、百瀬の考え方も、理解出来るような全く出来ないような。 医者と僕のお母さんが良い人で、最後は少し希望の見える終わり方だったので救われました。 それにしてもしんどかった……

    2
    投稿日: 2024.12.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自分には違う次元の考えが飛び交う、歯がゆいお話でした。 コジマは中学生とは思えないほど、俯瞰した目線で物事を考えて、そこから生み出した考え方を疑うことなく突き進む姿は、読み進めていくうちに勇敢さを感じるというより、危なかっしい印象に変わっていきました。 揺るがない意志は、コジマの強さを表すと同時に、その意思を盲信するコジマにもどかしさを感じた。 また、ボクが病院で百瀬の会話をするシーンでは、百瀬の言っていることは、その言葉たち単体だけみれば、煩雑な世の中に生きやすさを引き出す考えだとも思った。しかし、苛めに関しては、ボクが感じた通り、それが苛めを行なっていい理由とは結びつかないはずだ、ということを疑わない百瀬に、怒りとか呆れとか驚きとか恐ろしさとか、色んな感情が混ざった気持ちがになって、これまた、もどかしかった。 コジマの怯まない強い気持ちが、いつか違う形で、良い方向に向くといいな、と思います。

    1
    投稿日: 2024.11.30
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    いじめられている子達の物語 何がと明確に言語化できないのだけれど、激しく心を揺さぶられる 「僕」にとって同志のようなコジマ だけど、全く同じではない コジマがいじめられる理由の一つである不潔さは、離れて暮らす父親と彼女との絆のため その理由を説明したらどうなるだろうと「僕」が妄想するシーンもあるけど、その妄想通り意味があるものではない 「僕」を積極的にいじめてくる二ノ宮 いじめを止めるでもなく傍らにいる百瀬 いじめは恐ろしいものだなと思う 何が恐ろしいって、百瀬の言った事が、ある意味で事実であるから 正しくもないんだけど、現実の一側面である いじめのきっかけや原因が何であれ、それは本質的な理由ではなく 結局は、雰囲気と場と人の意思がたまたま合ってしまっただけ 客観的に見れば、反抗するなり、それなりの対応をする方法があるのになと思うけれども、当事者にとって選べる選択肢はそれほど多くはないのかもしれない それこそ、百瀬の言うように暴力的な手段も取ろうと思えばできるのにしないのは何故なのか? その選択をしない理由として、法的な面や倫理的な面もあるけど、でもそのリスクも含めてやろうと思えばできるのに、やらないのは本人の選択なんだよな もし自分がこのクラスにいたら、いじめに加わるでもなく傍観者だったと思う でも、「僕」のようにいじめられる立場だったらどうしただろうね? 家族には言うような気がするけど、それは私の家族だからであって 「僕」のように父親は自分に向き合っておらず、母は継母という状況であるならさもありなん コジマの存在が不思議 ある意味で救いの存在ではあるし、煩わしい存在でもあるのかもしれない むしろ、呪いでもあるのかな? 「僕」にとって斜視をどう捉えるかとも言い換えられる あと、結局ヘヴンってどんな絵なんだろうな 概要は説明されてあるけど、作中で実際に見たわけでもない コジマにとってはヘブンかもしれないけど、「僕」も同じように感じるかは別問題 物語の主題の一つとして、タイトルもそうだし、多分キリスト教的な受難や忍耐が関係している気がするんだけど その辺の知識が乏しいので、詳しくは考察できない でもまぁ、そんな知識の有無に関係なく心揺さぶられたのは確かですね

    3
    投稿日: 2024.11.27
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    川上未映子「ヘヴン」 #読了 放心状態。 虐めをテーマにした小説。中盤は、読んだことを後悔するくらい、不快だった。 特に、主人公と、虐めをするグループの1人が会話をするシーンでは、生まれて初めて、本の中の人間を心から憎らしく思った。半ば本気で、その場で襲いかかって〇してやりたいと思った。 悔しくて仕方なくて、涙が出ていたのを、首元に涙がするりと触れて初めて気づいた。 ラストは衝撃だった。いつの間にかどろどろと泣いていた。 川上未映子さん、黄色い家に引き続き読んだけど、人が狂っていく様を描くのなんでこんなに上手いんですか?こわい ほっこり感動とかでは決してなく、心して読まなきゃいけないけれど、ここまで激情できる本は中々ない。読んでよかった。すごい本だ。

    1
    投稿日: 2024.11.26
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    文章が綺麗でよかった。景色の描写が特に良い。 内容は、今のわたしが読むには余裕がなくて少ししんどかったので、本棚に置いておき、いつかの自分にもう一度読んでほしい。

    1
    投稿日: 2024.11.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめの描写が酷く、読むのを辞めようかと思いましたが、これが最後のコジマの狂気な行動を際立たせています。 また、斜視を治そうと告げた時のコジマの豹変ぶりも人間の心理を上手く表現しています。 唯一の救いは主人公が斜視が治り、新しい世界が見られたことだけですね。 川上さんのイヤミスさはハンパないですが、少し、中毒性があります。

    37
    投稿日: 2024.11.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    すべて真夜中の恋人たち、で川上未映子さんの作品を初めて読んで、最後に心臓をギュッと掴まれて暫く離してくれないような読後感というか…ずっと尾を引いているような…そんな感覚がして、すぐまた読みたいって思って次に手に取ったのがこのヘヴンでした。 これもほんと、最後感じた読後感は似てて、暫くこの物語に浸ってたい、この気持ちを忘れたくないって思いました。 この世に対する解釈は人それぞれ。コジマが全てのものに意味がある、この苦しみにも意味があるって捉えてたのは、その解釈で自分を守るのに必死だったんだよね。それを考えると本当に辛くて、ギュッと抱きしめてあげたくなった。 だからこそあの百瀬の解釈、読みながら必死に反論したくて、でもできなくて。苦しかった…解釈は人それぞれやから、それがその人にとっての真実なのだから、他人が否定することもできないんだよね、、ほんとに苦しかった。 苦しいよぉぉ残酷だ。

    4
    投稿日: 2024.10.23
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    作品内の対話が非常に印象的だった。登場人物たちはまだ中学生なのに、少し浮世離れした、やけに大人びた口調で自論を展開する。それでいながら、あまり違和感がない。彼らの属人性を突き抜けた、本質について会話がされているから。しかしそれでいて等身大の、14歳の視点も確かに残されている。巧みだ。

    3
    投稿日: 2024.10.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    百瀬との会話が印象的だった 「みんながおなじように理解できるような、そんな都合のいいひとつの世界なんて、どこにもないんだよ。そういうふうに見える時もあるけれど、そらはただそんなふうに見えるというだけのことだ。みんな決定的に違う世界を生きてるんだよ。」 「良いとか悪いとかの程度の話では無い。ただ人には、できることとできないこと、したいこととしたくないことがあってー。できるということは、できてしまうという、ただそれだけのシンプルなはなしだよ。」 一人一人それぞれの世界を持っていてその世界の中でひとりひとりできること、できないことが何故かある。結局は当たり前のことなんだけど、意識しないと忘れてしまう。 僕にはコジマの言うことに囚われて手術をしないという選択をしてほしくなかったから、最終的に手術して自分用世界を美しく彩ることができて本当によかったと思う。きっとないだろうけど、将来いつかコジマと僕が再会して、心を通わせる日がきたらいいな うんぱみん、かなぱみん、かわいいから使います!

    2
    投稿日: 2024.10.12
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    読み終わってから まだ胸がドキドキしている! ぐいぐいと引き寄せられる引力に 逆らわず流されるままに読んでいくと… 次第に善と悪の境界線が薄れていくのを感じる いじめられる僕と いじめる側の 怒涛の感情のぶつけ合いは とにかく圧巻だった!! 川上未映子さんの深淵を覗いた心地となり いじめの本質も いじめから脱出するための行動も 全てこの物語が教えてくれていると感じた! いじめの描写がとにかく苦しくて苦しくて… だからこそ 最後の光景は美しくて神々しく感じられました

    2
    投稿日: 2024.10.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んでいて段々と腹立たしく、イライラしてくる。こう言う「苛め」を題材にした小説は、幼児虐待や育児放棄などの話しと同じように、つい容易く感情移入してしまいフィクションとは言え加害者に対して言い知れない「嫌悪感」を感じてしまう。 ただ「苛め」に関して言えば、幼児虐待や育児放棄と違い「抵抗しようと思えば抵抗出来るものだ」と言う人もいる。事実私自身読んでいて「苛め」ている側の生徒たちにだけでなく「苛め」られている主人公たちに対しても、苛立ちと腹立たしさを感じてしまった。 しかし、私がそう感じるのはたぶん本当の凄絶な「苛め」を受けたことが無いからだろう(小さな「苛め」なら何度も幼い頃から受けているが)。 又、途中何度も出てくる「しるし」と言う言葉が読んでいて段々気になってくる。 「しるし」って「彼らは何も分かっていない。私たちだけが正しい」と言うことをお互い共有するための「しるし」なのか?「美しい弱さ」とは本当に「真の強さ」なのか? ただ単に苛められていることから逃げるための自己防衛的な思い込みではないのか? 本当は「百瀬」の言うように「苛め」に対する1番の対処方法は「やられたら、やり返せ」なのではないだろうか? と思いながら読んでいたら、最後の最後で「コジマ」の取った行動が、そしてその結果が、まさしくそれまでの「コジマ」の凄まじい「正しさ」を裏付けているがように思えた。 「わたしたちは弱いかもしれないけれど、わたしたちはちゃんと知っているもの。なにが大切でなにがだめなことなのか······」「でもわたしたちはただ従っているだけじゃないの。ここにはちゃんと意志があるんだものーー受け入れているの······」と言う「コジマ」の言葉と、それに伴う「受け入れる」という行動は、全てを解決して、かつ楽にしてくれるものではない。全てをリセットしてくれるものでもない。ただただ「正しくあれ」と言うものだと思う。苦しいことかもしれないが。 なにか宗教じみているが。 そして「コジマ」が「百瀬」の声を借りて口にする「だからその意味にみんなを引きずりこまなくちゃ」と言う言葉に、なにか不気味さを感じる。

    1
    投稿日: 2024.09.05
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    心情や情景の書き方がとても繊細で鮮明。いじめ描写もこちらが痛くなるほどしっかりイメージできた。 いじめを受ける主人公以外の登場人物の内側はほぼ書かれていないのに、 それぞれの生き方、思考、環境、悩みなどが想像できてしまう文章力。

    1
    投稿日: 2024.09.03
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    数ページ読んでこれは面白いぞ、とワクワクした。こんなのは久しぶり。 川上未映子さんの本は初めて。 この方の文章、表現がとても好み。まるで自分の頭の中で考えているようにするする読めて苦労なく想像できる。 物語の出来事はあまりにも辛くて、悔しくて仕方なかったけど、展開的にはありきたりなものではなく、ずっと心や思考にフォーカスされていたのがとても面白くて満足できた。

    1
    投稿日: 2024.08.27
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    ただ苦しい。 この世界は平等ではないという前提を踏まえると、弱者が平等を求めるには、知性がいると思った。直談判で解決できるわけがない。 だから百瀬の主張のほうが、一見して筋が通っているように映る。そして、百瀬側に立つとどこかスカッとしてしまう構造もリアルだった。

    1
    投稿日: 2024.08.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    すべて真夜中の恋人たちを読み、著者に興味を持ったので読みました。 真夜中の恋人たち同様、情景描写が細かく、読んでいて想像するのが楽しい作品でした。川上未映子さんの作品は風景と情景表現が細かくて好きです。 ただ、いじめの描写が苦手で、読むのに時間がかかってしまいました。心理的に残酷な描写が苦手なひとは少し注意が必要です。 内容について感じたことは正直よくわかりません。陰惨ないじめを受けている主人公の、無力感や脱力感といったおそらく等身大な心理描写は読んでいて(いじめられた経験はありませんが)理解できるところがありました。 8章のヒロインの心理は本当にわかりませんでした。一人になり絶望して、何もかもを手放した末の行動なのか、元来持ち合わせている芯の強さが最大限に表面に出ていたのかなと私は考えています。 ちなみに私は百瀬の考え自体は理解できますが、否定派です。倫理観の違いでしょうかね。難しい。 人によってはトラウマを刺激されてしまうような、残酷な表現の多い作品ではありましたが、主人公とヒロインの気持ちを想像することが面白い作品でもあります。 いじめ描写が平気な方はぜひ読んでみてください。

    0
    投稿日: 2024.08.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめ問題についてはいじめをする側が悪いのは絶対だけどもいじめをされる方にも問題があると思ってしまうので、、 主人公もいじめをされているのにも関わらず何も反抗しない、コジマはそれが正しいと言い続けてたけど自分達が何もしないのを正当化したいだけなのではと思う。実際いじめをされている人が声を上げるのは難しいんだと思うけれど、、コジマの言うしるしは私には理解できず中学生の話だからなのかなあ汚いとかをお父さんとの繋がり信じているのは共感できなかった。 単純に男の子側の斜視だったり見た目でのいじめが1番多いと思うけどコジマは読んでいると身なりの汚さでいじめられているようで自分からいじめられに行っているようなもんではと思ってしまったそれがコジマの大事な部分なのかもしれないけど。百瀬と会話はここに作者の言いたいことを全部詰めましたって感じに詰まっていて読んでいて飽きてしまった。いじめについては大人達がしっかり子どもを見ることが大事ですね。

    1
    投稿日: 2024.06.17
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    主人公は、僕という以外に、家族からも友達からも、名前を呼ばれる場面がどこにもなかったように思った。苛めに遭う中学生。同じようにいじめられているコジマという同じクラスの女子。 あるきっかけから、2人の交流が始まるが、正直読み終えるのにかなり苦労した。 途中のいじめの場面がかなり深刻だったし、2人ともそれぞれ抱えている理由から、精神的にも肉体的にも弱っていく…このまま良くない選択をしてしまう方に話が転ぶかな…と気分が暗くなった。 そこは予想と違っていて、いじめの事実が発覚してからの、僕の母親の構え方は、拍手を送りたくなった。

    1
    投稿日: 2024.06.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    小6ぶりの再読 初期作とはいえ全体的に完結してない印象が少し 百瀬の説に反論しきれぬまま、最後に彼の眼前に横たわるのは初めての奥行き、それ以上でも以下でも、「いいも悪いもない」ただの美しさであって、、確かに世界は一つではないけれども、全てを超えたところにある、ただそれ自体である、彼らが行くことのできる「ヘヴン」の体現だったのかな

    2
    投稿日: 2024.06.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んでいてとてもしんどくなる作品だった。 特にいじめの描写が詳細で明確なため、何度か読破を諦めそうになった。 作中に僕がぶつかる善悪の壁が、もし自分ならぶつかることのないもので、読んだあと自身の幼さを痛感することになった。 全ての登場人物の考え方に共感はできなかったが、言っていることは理解できる感覚で、これは川上さんの言葉選びや台詞回しの上手さ故なんだろうと思った。

    0
    投稿日: 2024.05.31
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    学校で虐められている2人の男女の話。「僕」とコジマの会話は微笑ましいところもあり、読みやすかった。しかし、いじめのシーンは読むのが辛いほどの描写で、そのコントラストもこの小説の魅力のひとつだと思う。自分もいじめを受けているのに、「僕」に優しい言葉をかけるコジマのことが読んでいくうちにすごく好きになった。ラストはハッピーエンドともとれるし、そうでないともとれるが、どちらにしろ深い余韻が残る、一生心に刻まれるような物語だった。

    2
    投稿日: 2024.05.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

     主人公のお母さんが最後に言った「手術しなさい」の一言で泣いてしまった。いじめられていることを打ち明け、斜視の手術を受けるか迷う主人公に対し、血の繋がりのないお母さんが言った一言に、深い優しさを感じた。  手術をすることで、いじめる側の価値観に染まってしまうような感覚になることや、同じく斜視だった実のお母さんと繋がっているしるしのようなものが失われてしまうかもしれないことを理解しながらも、それでもお母さんが言った「手術しなさい」は、「この世界以外選ぶことができなかったことに対する涙」を流した主人公に、違う世界がある、他の選択肢はいくらでも取りようがあることを伝えているのだと思った。  百瀬やコジマの思想だけではいじめられている側が救われないのではないかと感じてつらかったが、最後のお母さんの一言で、今いじめられていて誰にも言えずに苦しむ子供達に、手を差し伸べているように感じた。

    3
    投稿日: 2024.05.28
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    著者としては初の長編作品だったのが本作でした。 いじめや嫌がらせを受けている主人公「ロンパリ」と、女子のコジマ。ふたりの物語です。斜視のことを俗に「ロンパリ」という人があるそうで、ロンドンとパリという離れたところを同時に見ているみたいな意味のよくない言葉だったりします。 さて。第6章がすごかったです。あそこで書かれている善悪については僕も以前、自作短編執筆中に同じような考えを進めたことがありましたし、その短編に痕跡を残したものですけど、本書のほうはじっくりと分量を割いて書いていました。心から血を流すぐらい真剣に、対峙している。ひとつの気付きにとどまらずにいました。 僕がこのような善悪観(本書で百瀬という少年によって語られているのは、物事や行為に善や悪はなく、それ以前に欲求があるだけだという思想です。僕の場合は、人はすべて善を行い、それを悪だとするのは周囲や社会に過ぎないというものでした。近しい思想だと思います)にたどり着くときまで、本作は何年も先んじています。プラトンのソクラテス活躍シリーズにもこのような善悪観があったとは思いますけど、そこからさらに現実世界に落とし込んで論理を展開していたのが本作。わがままを言うと、この第6章で語られる思想に対して、「世界観」や「人間観」といった価値観の在り方が人の考え方を左右しているという視点をぶつけたいですね。世界観や人間感が歪んでると思わないか、とこの思想を述べた百瀬という人物にぶつけてみたくなります。こういう悪役とは格闘したくなるものですよ。しかしながら、この第6章の会話の応酬は見事に編まれていました。 この第6章目でぐぐっと深まっていったので、ふつうにおもしろい小説だったならば最後の章まであとはそのテンションを維持すれば成功だったのかもしれないのですけれど、そこから変容を続けて最後の章でさらに上げてきていました。佳境の部分では破局と混沌とをきれいにまとめあげずに凄みある表現をできる技術がありました。踏み込んで、さらに踏み込んで、まだ行くかっていう作り。胆力、勇気、体力、精神力、捨て身、腕、といったそれらがどれも高レベルじゃないと、こういう作品は書けないでしょう。百瀬とコジマの、どちらもどこか偏っていると思える思想が、最後に主人公の中で交差するところにはしびれる。そういった土壇場で成し遂げたような巧みさもありました。 序盤こそ抑制の塩梅のいい文体だと思いました。すっきりと、隙間が狭くなったり広くなったりしない文章で内容が進んでいっていましたから。そういった基盤の元、最後には快刀乱麻でしたねえ。ぎりぎりに攻めた難しい殺陣の予定を実際に行ったら、それ以上の震えるような結果を出してみせた、みたいな感じです。そして、絶望からのRebornでこの小説は締めくくられる。深くこの世界に入り込んだ読者としては、コジマはどうなったのだろう、という心配はあるのですけども、でも彼女のその後に希望を重ねたくなるのでした。 といったところです。最後に、ふたつほど引用して終わります。 __________ 「わたしは――なんて言ったらいいのかな、だいたいいつも不安でしょうがないわけ、びくびくしてるの。家でも、学校でも。でもね、なんかちょっとでもいいことあったりするじゃない、たとえば君とこうやって話してるときや手紙を書いてるときね。それはわたしにとってとてもいいことなの。それでちょっとだけ安心してるのね。この安心は、わたしにとってうれしいことなの。でも、そのふだん感じてる不安もこの安心も、やっぱり自然なことなんかじゃなくて、どっちも特別なことなんだって思ってたいんだと思うの、たぶん。……だって安心できる時間なんてほんの少しだし、それに人生のほとんどが不安でできてるからってそれがわたしのふつうってことにはしたくないじゃない。だから不安でもない、安心でもない、そのどっちでもない部分がわたしにはちゃんとあって、そこがわたしの標準だってことにしたいだけなのかも」と言ってコジマは唇をあわせた。 「標準」と僕は復唱した。(p41) __________ →そして、その標準を自分自身がちゃんとわかっていないと、ぜんぶがほんとうにだめになるような気がする、とコジマは続けます。そのとおりだ、と僕は思ったのです。なんていうか、標準感覚を失くしかけているから余計にわかるんですよ。このコジマという女の子の名前は、名字なのか下の名前なのかはっきりでてきません。まあ「小島」とか「児島」を当てて想像しやすいのですが、あえてカタカナ表記なので、リストの娘でワーグナーの妻だった女性(ニーチェとも交友がある)が、コジマという名前だったから、もしかして彼女由来かなと思いもしました。文化的セレブの名が託されたかのようで、ご加護がありそうというか、どこか拠り所となりそうというか、そんな気がしてきます。村上春樹さんの「カフカ君」みたいな命名手法へのオマージュだったりするんでしょうか。 __________  駅について帰りにスーパーによった。買い物客はあまり好ましくない目で喪服の母さんと制服の僕をじろじろと見た。母さんは気にするそぶりもみせず、かごにほうれん草やたまねぎやスライスされた豚肉なんかを入れていった。塩をかけないで入ったけれどいいのと僕がきくと、スーパーは強いからいいんじゃない、と言った。買い物袋をふたつとも僕が持ったマンションについてエレベーターを待ってるときに、ついて来てくれてありがとう、と母さんが僕の顔を見ないで言った。つぎあったらまたついていくよ、と僕が言うと、母さんはため息を吐いて僕の肩を抱き、困ったような顔をして笑ってみせた。(p139) __________ →なんでもない箇所なのだけど、なんだか好ましい倦怠と健全の間という気がするのでした。うまく言えませんけど、こういうのは好きです。主人公の、父の再婚相手であるこの母は、こういうどこか調子のくだけた人で、だからこそなんだか信じられる人なんですよね。こういう人はいいですよね。

    17
    投稿日: 2024.05.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめに対する価値観、強さとは、弱さとは。 眼を手術することで世界が変わるわけではないけれど、道が見えるとこれまで自分が闘ってきたものはなんだったのかと感じると思う。 描写はつらいものがあるので厳しいかもしれないがいじめに悩んでる人に手に取ってもらいたい。

    1
    投稿日: 2024.05.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んでいてしんどいような作品でした。 ですが主人公は斜視ののせいで自分と世界がはっきりと見えていない事が理不尽ないじめと一人の友達としてうまく表現されている。 辛い事や楽しい事がありそのどちらもが世界である事から主人公は自分が何故何かしたいのかわからないというよりも世界の輪郭が上手く見えないため何もできないのではないかと考えた。そのため最後に斜視の手術の後、美しい世界を見て初めて世界の輪郭がはっきりと見えたため泣いてしまったのではないか? この作品を通じてヘブンとは自分の中にしか存在せず他者には決して辿り着けない考えの事を指しているのではないかと読み終えて思いました。

    0
    投稿日: 2024.05.18
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    いじめの描写は辛くなるくらいだが、読んだあとに何かが残るような作品。伏線の回収をもう少しして欲しかったという想いは残るが、それも含めて、考えさせられるような作品なのだと思う。

    1
    投稿日: 2024.05.13
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    加害者側と被害者が対峙するシーンを読んだら目の前の現実がひっくり返ってしまうような気持ちになった。衝撃。

    1
    投稿日: 2024.05.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ――  主人公のお母さんが好きすぎるんだけど、このお母さんとこんな関係を築ける主人公は多分普通に苛められません。  好きじゃない。  この手のテーマを、読み慣れていると思えてしまうのは非常にまずい気がするのだけれど、本当によくある話だな、くらいにしか思わなかった。誤解を恐れず云えば、誰にでも書けそうだな、と。  この描写を、この展開を、みんな想像できないの、マ? という感じ。  淡々とゴールに向けて進んでいく、消化試合みたいな小説だと、感じた。  ☆1.6 お母さんのキャラクタが1.4くらいを占めてる。

    0
    投稿日: 2024.04.22
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    コジマは神様みたいだと思った。 普通はこんなふうには生きれない。 弱いまま生きていくことが他の弱い人たちのためになるのか。 哲学的な課題で溢れてる。 とても面白かったてす。

    0
    投稿日: 2024.04.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    クラスで苛められている中学生の男女、「僕」と「コジマ」が、寄り添い合いながら苛めを乗り越えようとするが、「僕」へのある激しい苛めをきっかけに次第にすれ違うようになり、二人はすれ違ったままそれでも苛めは続いていたが、結局はたまたま苛めが露見して二人に対する苛めは終結して終わり。 モノの善悪とは、世界の構造とはなにかを考えさせられる作品だった。 されたら嫌なことはしてはいけないこと、それは当然?じゃあされたら嫌なことをやりたくなっても全部我慢するの?できるの?やりたいことをやったら駄目なの? それらは全部建前であり、世界という現状は強者と弱者、それと「たまたま」の積み重ねで成り立っている。もしその現状を変えたければ、自分で行動して打破するしかない。できないのであればそれは自分が弱者であるが故、あとは「たまたま」そうである運命だから。 では弱者は搾取され続け、死を待つだけなのか?それでは物と変わらないのではないか? きっと考え続けたコジマは、自分の現状を受け入れて理解し、先へ繋いでいくことで自分の存在に意味を持たせようとしたのだろう。コジマも苛められ続けているはずなのに、「僕」が続く苛めに弱っていく中、コジマは魚の骨のようだった手紙の筆圧を強めていく。 そして結局は運命の「たまたま」により、苛めからは解放されるのだ。 元々二人はクラスメイトである他特に接点はなかったが、コジマが「わたしたちは仲間です」とだけ書いた手紙を「僕」の筆箱の中に入れたことから文通のようなものが始まる。 「僕」は自分が斜視であること、コジマは不衛生であることがそれぞれ自分が苛められている原因であると考えていた。

    0
    投稿日: 2024.04.08
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    主人公が言う通りたしかにもっと酷いイジメもあるのだろうけど、大半の人が壮絶と思うレベルのイジメ描写がきつい コジマの考え、行動全てが不器用すぎて狂気すら感じた 怖いから排除しようとするからイジメが生まれるとしたら、私はこの小説を読んでコジマを異端のものと判断したし、実際学生だったらきもいとか言ってるだろうし 自分って嫌な人間だな

    0
    投稿日: 2024.03.25
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    いじめの描写が非常にリアルで怖かった。コジマはなんて強い子なんだろうと感じた。もし自分が同じように虐められていたとして、他にもいじめられている人がいたとしても仲間なんだよなんて言えないだろうから。

    8
    投稿日: 2024.03.24
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    苛めの描写がリアルすぎて辛かった。 途中ほかの作品を読みながらなんとか読了。 とにかくずっと辛い。 どうか2人とも報われてくれ。

    0
    投稿日: 2024.03.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    暗いなーーと思っていたけれど最後主人公が斜視の手術を終え並木道を見る場面、ぶわーーっと光が差し込んでくるようで綺麗でした。ヘブンってどんな絵なんだろう

    1
    投稿日: 2024.03.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    すごく頑張って読んだけど辛かった。 いじめの描写が長すぎる。 息子を持つ母目線で読んでしまい、こんなことが子どもに起こったら…と思うと辛くてならなかった。 違う!そうじゃないよ!!コジマも僕も逃げるんだよ!!そんなの耐えたからっていいことは何もないよ!!と、長きにわたり、心の中で叫びながら読んでいた。二人を抱きしめてあげたい気持ち。 逃げるというか、学校以外に別の居場所や別の人間関係を持っていたら、ここまでにはならないよな…と思う。僕にもコジマにも、それが全くなくて、行き止まりだった。 コジマ、本当に僕のことが好きだったら、斜視を治せると知っておめでとう、と喜ぶと思うのだけどな…。 強さ弱さと言うけれど、そんなことにこだわる前に嫌なことはきっぱり嫌だと線を引くこと。それが大事だと思う。 感覚が麻痺してて、みんな狂っててすごく怖かった。美しい文章なだけに怖い。 こういう恐ろしい、気が狂ったいじめがあるのだということは知れて良かった。感覚的にわからないとアンテナを張れない。 この作家さん、たぶん私は苦手だ…(前回別の作品を読みかけて、挫折した。)

    1
    投稿日: 2024.03.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いじめの描写はきつかった。 お母さんの縛りのない寛容な生き方に惹かれた。 斜視を手術したら自分の大切な一部を無くしてしまうのではないかと心配になっている主人公に対して、 「目なんて、ただの目だよ。 そんなことで大事なものが失われたり損なわれたりなんてしないわよ。 残るものはなにしたって残るし、残らないものはなにしたって残らないんだから。」 そんな言葉をかけられる人になりたいと思った。

    1
    投稿日: 2024.03.01
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    芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞のダブル受賞。 2022年「ブッカー国際賞」最終候補作。 虐めの描写が辛かったです。今まで文章で読んだ中で一番心が痛い。こんなに容赦なく人を痛めつけられるのか。 少し曖昧で哲学的な表現が多く海外文学を読んでいるようでしたが、作者が詩人でもあると知って納得。重いテーマの中でも美しい表現がたくさんありました。 また、話が進むにつれて明らかになるのかと思った疑問のいくつかは解けないままでした。 バレーボールの皮を被った僕を蹴り上げたのは誰だったのか、放課後に見た百瀬と女子との関係、なぜ百瀬は病院にいたのか、コジマが僕に見せたかった「ヘヴン」の絵とは。など。 また、途中百瀬と僕で2人きりで会話をする場面がありましたが、百瀬の考えが全く理解できませんでした。 「『自分がされて嫌なことは人にもしない』が理解できない」というセリフは特に。 僕のお母さんが素敵な人でした。 コジマが僕の斜視を、それが僕を僕たらしめる大切なものだと言ったのに対し、お母さんはただの目だと言いました。それで僕が変わるわけではないとも。 僕が手術を受けることを決めたのはお母さんの後押しのおかげだと思いました。 斜視の手術代が15,000円なのには、驚きながらも拍子抜けでした。 この作品に限ったことではありませんが、一冊の本を書くのにかかった時間は作品によると思いますが、読者がその本を読むのにかかる時間は、本を書くより圧倒的に少ないはずです。 作者が長い時間をかけて書いた本を、あっさり読んでしまうのは、とても贅沢なことのように感じました。

    37
    投稿日: 2024.02.27
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    多くの日本に生まれて育ってきた人はそこにある平均的正義に照らしながら読書をすると思うが、1/3ほどまでは虐められている主人公にその正義を当てはめて読むのが通用するので、感情が寄り添いやすい。しかしながら、途中から別の虐められているクラスメイトの思考を知ることで、段々と何が正しくて何が正しくないのかがわからなくなっていった。そして、虐めている側の思考も読み手の基準を惑わせてくる。 感情と行動と事実、この3点を分離して考えた時に生まれる何とも言い難い思考の描写が素晴らしかった。どうしてここまで様々な立ち位置の思考をフラットに書けるのか…改めて心底、川上未映子という作家が恐ろしくなった。もちろん良い意味でです。

    0
    投稿日: 2024.02.20
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    川上未映子先生の本はいつも驚かされる。 もう一度読まないと理解が追いつかない。 強さは?弱さとは?善悪を判断するものは?

    0
    投稿日: 2024.02.20
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    芥川賞作家、川上未映子氏の小説を初めて読んだ(エッセイは読んだことがある)。 本書は、いじめを受けている同じ中学校の男子生徒と女子生徒の話である。二人とも凄惨ないじめにあっても、抵抗しない。 男子生徒の目線で語られる。彼がいじめられる原因は斜視のためだと本人は思っている。ある日、いじめっ子の一人にどうしていじめるのかを聞いてみたところ、彼が選ばれる理由は「たまたま」ということだった。女子生徒はいじめを抵抗せずに受け入れることで、いじめる側より強い心を持つと考えている。二人はひそやかに文通を始める。彼女は彼の斜視をアイデンティティだと褒める。彼は複雑な気持ちで治療に臨む。 どういじめに向き合うか、何を受け入れるかの答えをそれぞれが出す。これが本書のテーマだと理解したが、合っているだろうか。 いじめの場面は残酷で不快極まりない。その部分がもう少し短いことを願いながら読んだ。

    0
    投稿日: 2024.02.16
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    終始気持ち悪かった。虐める側の主張はもちろん 、虐められる側の理解も勝手なのではないか。みんなわかったような事言うてるけど主観的になりすぎてる。これが現実? 最後の1ページだけは、圧巻の描写でした。少しごっちゃっとした、圧倒的な幸せ。

    1
    投稿日: 2024.02.14
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    心情が細かくて、どうにもならない状況に辛い気持ちになった。この作者さんの本は好きだが、コジマにも主人公にも共感ができなかったのでお気に入りにはなりませんでした。

    1
    投稿日: 2024.02.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    斜視のため同級生に苛められている14歳の僕。 ある日、机の中に入っていた手紙。「わたしたちは仲間です」というその内容から、同じように苛めを受けているコジマという女生徒との手紙のやり取りが始まる。 苛めの描写は辛く残酷。 僕とコジマの関係も良いものから、徐々に微妙になる。 苛める側の生徒とのやり取りは衝撃だった。 そこには何も考えていない、ただ流されるままの罪悪感もなかった。 そして、僕と継母との関係は唯一安心して見られるものだった。 それぞれの価値観…人の数だけそれがあれば、わかりあうのは難しい。 2024.2.4

    2
    投稿日: 2024.02.04