
総合評価
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powered by ブクログアドラー心理学は、とてもいい思想だと思った。思想の全てを受け入ることができたわけではないけど、「課題の分離」「目的論」という考え方はぜひ実践したい。また青年と哲人の対話形式で会ったので、哲学本にしては考えられないほど読みやすかった。
0投稿日: 2016.05.05
powered by ブクログ問題は世界がどうあるかではなく、自分がどうあるか 原因論→過去の原因が今を引き起こしている 虐待を受けたからひきこもる 目的論→これからの目的が今を引き起こしている ひきこもりたいから虐待を思い出す 大声を出して相手を手っ取り早く屈服させたいから、怒りを作り出している 青年が不幸なのは、不幸であることを選んだから 悲観的なのは元々備わった性格ではなく、選び取ったライフスタイル 目的論は身から出た錆だと責めたいのではなく、今まで何があったとしてもこれからの人生には関係ないと言いたいのだ それをバネとして努力する劣等感は良い。 あきらめる言い訳のための劣等コンプレックスはダメ。 不幸を自慢して相手の言動を縛り付ける すべての悩みは対人関係 行動面目標 自立すること 社会と調和して生活すること それを支える心理的目標 わたしには能力がある、とうい意識 人々は仲間だ、という意識 人生のタスクを達成できないのは悪に染まっているからではなく、勇気がないからだ 他者の期待を満たすために生きているのではない。自分のために生きる。 課題の分離。 これは誰の課題なのか?を明確に。 例えひきこもりの子供であっても。 子供の課題だと理解させ、いつでも援助はできることを伝える。子供の人生に介入しすぎて、自分を失わないように。働くか働かないかは子供が決めること。 ゴルディオスの結び目 アレクサンドロス大王は「この結び目を解いたものがアジアの王となる」という伝説に対して紐 自由とは嫌われることを恐れないことだ。 なぜなら悩みはすべて対人関係だから。 アドラーは横の関係を重視。 褒めるではなく、感謝する。 自己受容 自分には能力がある 他者信頼 みんなは敵ではなく仲間だ 他者貢献 みんなの役に立っている ひとつの出来事で一般化すると良くない。 いつも、みんな、すべてと決めつける 人生は旅。目的地に辿り着かなくてもその一瞬を楽しむ。 人生はダンス。その踊っている瞬間を楽しむ。踊ること自体が目的。 現在に強いスポットライトを当てろ。過去と未来をぼんやり見渡すのは、こういう過去だからこういう未来になると妥協しようとしている。過去と未来を免罪符にしてはいけない。 人生における最大の嘘は「いま、ここ」を生きないこと。 人生の一般的な意味はない。自分自身で与えるもの。自分自身で決めて良い。
0投稿日: 2016.05.04
powered by ブクログトラウマを否定。同じ経験をした人が同じ行動をするわけではない。 目的論。我々はみな、何かしらの「目的」に沿って生きている。 だから「人は変われる」。 変わることの第一歩は、知ること。 幸せを実感できるかどうか? じぶんが、「このわたし」であることを受け入れる。 「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。」 一方、人の性格や気質、いわゆるライフスタイルは、変えられない。こらは、つまり生き方。 これを変えるには決心が、必要。 あなたが変われないのは、対人関係の中で傷つくことを恐れているから。 自慢は劣等感の表れ。劣等コンプレックス。 「すべての悩みは対人関係の悩みである」 「優越性の追求」は、普遍的な欲求。 しかし、人生は他者との競争ではない。 健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの。 アドラー心理学では、人間の行動面と心理面のあり方についてはっきりとした目標を掲げている。 行動面:①自立すること ②社会と調和して暮らせること。 心理面:①私には能力がある、という意識 ②人々は私の仲間である、という意識。 これらの目標は、「人生のタスク」と向き合うことことで達成できる。人生のタスクは、すなわち対人関係。これは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つに分類できる。 仕事のタスク: 仕事は、一人ではできない。ただ、共通の目標があるから協力できる。ニートや引きこもりの核にあるのは対人関係。 交友のタスク: 広い意味での友人関係。親友を作ることは大切。数には価値はない。関係の距離と深さ。 愛のタスク: いわゆる恋愛関係と家族との関係。特に親子関係。 難しいけど、逃げてはならない。 対人関係のゴールは、「共同体感覚」。 他者を、仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚という。家族、学校、職場、地域社会などの枠組み。 共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考える、最も重要な指標。 自己への執着を、他者への関心に切り替えていく。 人は自分には価値がある(他者に貢献できている)のだと思えたときにだけ、勇気を持てる。 他者との間に一つでもいいから、横の関係を築いていくこと。 あらゆる関係を縦で捉えるのはダメ。 会社の上司部下の関係でも、意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切。 共同体感覚を持つ上でのキーワード。 自己受容、他者信頼、他者貢献の3つ。 変えられるものと変えられないものを見極め、変えていく”勇気”を持つことが大事。即ち、それが自己受容。 対人関係の基礎は、「信用」ではなく「信頼」。 信頼とは、他者を信じるに当たって、一切の条件をつけないこと。 また、他者貢献とは、「わたし」を捨てて何かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるもの。 他者貢献は、目に見える貢献でなくとも構わない。主観的な「貢献感」を持てればそれでいい。 つまり、「幸福とは、貢献感である」。 アドラー心理学で大切にしていることば、「普通であることの勇気」。 普通であることは、無能ではない。 これは、わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないということ。 アドラーの言葉: 一般的な人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。 他者貢献。
0投稿日: 2016.05.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「ありのままのじぶんになるの♪」日本人の大好きなことが書かれていた。とはいえ、日本人には酷な内容だとも思う。 ありのまま♪は同じだがしかし、アナ雪のエルサは「異質な者がそれを受け入れる勇気」だった。しかし、アドラーは「普通である自分を受け入れる」ことを説いた。 普通は怖い。これは目からうろこ。たしかに幸せそうな人は普通を享受している。不幸そうな人は普通に満足していない。 さんまが徹子の部屋で言っていたことを思い出す。「なんであぁたは長年働き続けることができるのかしら?」「そんなん自分を過信しないからですわ。世間の人は自分に期待しすぎ。それで自分の首絞めてるだけですよ、ホンマ。」 これだね。自分の事が嫌いで自分のことしか見えてない人の事だ。 アドラー心理学は長生きの秘訣でもあるらしい。 ありのままに長生きしたいですね。
0投稿日: 2016.05.03
powered by ブクログおもしろい。幸せになるための新しい考え方を知った。自分の人生に意味を与えるのは、自分自身である。過去を見ても何も変わらないし、未来がどうなるかもわからない。「いま、ここ」を真剣に生きる。ただそれだけ。
0投稿日: 2016.05.02
powered by ブクログタイトルを見てひかれなかったけど、続編の「幸せになる勇気」に興味を持って読むことにした。 まだ難解なところがあるけれど、私もしっかり理解して変わりたい。
0投稿日: 2016.05.01
powered by ブクログ読みやすいが決して理解した気にさせない、入門書。秀逸。 アドラー心理学の導入部すら、まだ到底理解はできていないけれど。 でも、哲人と対話した青年のようにいくつもの針が私の心をチリチリ刺激したのは間違いない。まずはこの本に、水辺の近くに連れていってもらった。満足。
0投稿日: 2016.04.29
powered by ブクログ「嫌われる勇気」岸見一郎 大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである 問題は自分の性格ではなく、自分の持っている世界観 ライフスタイルは自ら選びとるもの 問題は過去ではなく、現在の「ここ」にある ライフスタイルを変えるには勇気がいる。変わることで生まれる「不安」と、変わらない「不満」、後者を選びがち。 アドラー心理学は、勇気の心理学。 あなたの「目的」は「他者との関係の中で傷つかないこと」。自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。 対人関係の中で傷つかないなど、基本的にありえない。あなたも他の誰かを傷つけている。 「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである。」 主観は選択可能 18度の井戸水 劣等コンプレックス 優越コンプレックス 不幸自慢赤ん坊が一番強い 健全な劣等感は「理想の自分」との比較から生まれる われわれは「同じではないけれど対等」なのです。 今の自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある 競争の図式から解放されれば、誰かに勝つ必要がなくなる 「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できれば世界の見え方が変わる。 「人は怒りの感情を捏造する」 私憤と公憤は違う 私憤の怒りは、屈服させるための道具 相手の言動に腹が立った時には相手が「権力争い」を挑んできている いかなる挑発に乗ってはなりません 争いに敗れた相手は「復讐」の段階に入る 子どもなら非行に走り、親を困らせる リストカットの目的は、復讐 当事者同士による解決はできなくなる 相手のアクションにリアクションしない。 怒りはコミュニケーションの一形態 言葉の力を論理の言葉を信じる 自分が正しいと思えても、それを理由に相手を非難しない これは対人関係の罠 「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている。 自分が正しいと思うなら、そこで完結すべき話。 謝りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りることは、負けではない 勝ち負けにこだわると正しい選択ができなくなる 競争や勝ち負けの眼鏡を外してこそ、自分を正し、自分を変えていくことができる 行動面の目標 「自立すること」 「社会と調和して暮らせること」 心理面の目標 「わたしには能力がある」 「人々はわたしの仲間である」 人生のタスク 仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスク 対人関係の距離と深さ アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。 他者の期待を満たすために生きているのではない。 課題の分離 自分には価値がある。 「わたしは共同体にとって有益なのだ」 自らの主観によって「私は他者に貢献できている」と思えること 行為のレベルではなく、存在のレベルで見る 「ここに存在している」だけで価値がある ありのままと我が子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば「存在」そのものに声をかけることができるはずです。 誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。 人は生きているだけで誰かの役に立っているし、生きているだけで自らの価値を実感できる。 まずは他者との間に、1つでもいいから横の関係を築いていくこと。 もしもあなたが誰か1人とでも「縦の関係」を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」で捉えているのです。 逆に言えば、もしも誰か1人とでも「横の関係」を築くことができたなら、本当の意味で対等な関係を築くことができたなら、それは「ライフスタイルの大転換」です。 「意識の上で対等」であること、そして「主張すべきは堂々と主張する」ことが大切なのです。 「自己への執着」を「他者への関心」に切り替え、「共同体感覚を持てる」ようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。 自己受容。大切なのは「与えられたものをどう使うか」です。「わたし」に対する見方を変え、いわば使い方を変えていくことです。 自己肯定ではなく、自己受容です。自己肯定とは、できもしないのに「私はできる」「私は強い」と自らに暗示をかけることです。これが優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。 一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。 「肯定的なあきらめ」は「課題の分離」もそうですが、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。 交換不能なものを受け入れること。ありのままのこのわたしを受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく“勇気”を持つこと。それが自己受容です。 「神よ、願わくば私に、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とさずけたまえ」 われわれは何かの能力が足りないのではありません。ただ“勇気”が足りてない。すべては“勇気”の問題なのです。 私は共同体にとって有益である。私は誰かの役に立っている。 「貢献感」を持てればそれでいい。 幸福とは、貢献感である。 承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がない。 共同体感覚さえあれば、承認欲求は消える。 問題行動に走る子ども 優越性の追求 他者の注目を集め、普通の状態から脱し特別な存在になること 安直な優越性の追求 普通であることの勇気 普通であることとは無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などない。 過去は免罪符であり、人生の嘘に他ならない。 人生とは、点の連続であり、連続する刹那である。 われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない 今できることを真剣にかつ丁寧にやっていくことです。 人生とは今この瞬間をくるくるとダンスするように生きる連続する刹那なのです。 ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していればそれでいい。 エネルゲイア的な人生 目的が登頂でなく登山そのものであれば、エネルゲイア的と言うことができます。 過去など存在しない、過去に意味は無いのだ。 「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。 過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」には何の関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。 人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。 一般的な人生の意味はない 人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。 「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷う事はないし、何をしてもいい。 私の力は計り知れないほどに大きい。 世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえないということです。 誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
1投稿日: 2016.04.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2016年、25冊目です。 他人の課題と自分の課題を分けて生きよ! 他人の課題について行動するということは、他人の望む人生を生きているに過ぎないという辛辣な考え方です。 今はやりのアドラー心理学の考え方を、若者と哲人の会話仕立てで紹介しています。 この会話形式は、古代ギリシャ哲学の王道だそうです。 自分の課題と「他人の課題」を切りわけ、「他人の課題」に干渉しない生き方を基本に置いています。 このように訊けば、自分は自分、他人は他人といった、無機質な人間関係を想像してしまいます。 でも、一方で、「相手に勇気を与える」ことの重要さも説いています。 相手に何が課題であるかを示し、それを実行するかどうかは相手の課題であって、 自分ではコントロールできないが、その課題に踏み込むために、相手を勇気づけることが自分のするべきことだというわけです。 エンカレッジするという言葉は、私も昔から好きだったし、 この考えは、会社組織などでは、ある程度許容されるものだと思います。 しかし、親子関係や教育の現場では、なかなか実践は難しいでしょう。 実際、この本の第2弾として「幸せになる勇気」とい本が出版されていて、 アドラー心理学の教えを学校教師として実践した若者が、学級崩壊に直面し、 教えを説いた哲人に迫るというシーンから始まります。 本書では、まず「全ての悩みは、対人関係の悩みである」としています。 他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に怖れていると。 また、「承認欲求は、相手に褒められたいから”よい行動をしようとする” すなわち”他者の人生をいきることになる」、従ってアドラーは、”承認欲求”も否定しています。 この当たりが、評価が分かれる点かもしれません。 人間は、承認欲求の動物だから、それを上手く満たしていく仕事の仕方を 組織として取り組むべきという考えもあり、そういった本も出版されています。 過剰な承認欲求をどこで止めるかを、見極めることが大切だと思います。 認められたいが高じると、病的な行動に繋がることさえあるので、 「他者の人生」を生きないという決意は必要だと思います。 さらにアドラー心理学の理解を難しくするのが、「共同体感覚」を持つという考えです。 他者は他者といっておきながら、「共同体感覚」という考えが矛盾して見えます。 自己への執着を他者への関心に変えていくというもので、 この「共同体感覚」を持つのに必要な考え方として「他者貢献」「自己受容」「他者信頼」が、重要と説いています。ここまで書くと、さっぱり分からなくなりますね。 興味がある方は、手に取ってみてください。体系的に理解する必要はないので、 自分の生き方に都合のいい考え方を部分的に切り取って適用すると良いと思います。 私はここ数年行動指針として「自己存在承認を諦観し、利他へ向かう」を掲げていますが、どこか、部分的に似ているような気もします。 いずれにしても、体系的に全体を理解することは、無理だと思うので、 部分適用するほうが賢いと思います。 おわり
0投稿日: 2016.04.24
powered by ブクログ再読します。一回ですべて理解して体現できるものではないので。でも、一回読むだけで私生活の意識が変わる衝撃がある本だと思います。
1投稿日: 2016.04.24
powered by ブクログ5年ほど前に受けた自己啓発系セミナーのオリジナルがこれのようでした。 公私ともに人間関係などにお悩みの方には、新たな気づきを得られるかもしれません。
1投稿日: 2016.04.23
powered by ブクログ遅ればせながら…続編の「幸せになる勇気」が出たこともあってようやく読んでみた。 今まで読まなかった理由はそのタイトル。 「嫌われる勇気」って、別に持ってるから。 そうはいうものの、ここまで売れてたら読まず嫌いは良くない。というわけで、買う前に色々調べてみた。(時間とお金は大切だから…) 本書の原案の岸見一郎さんの「アドラー心理学入門」が本書よりも前に出版されていて、内容はほぼ同じ。本書は会話調になっていて読みやすいが、「~入門」の方が体系的で分かりやすい。もう1冊入門書として岩井俊憲さんの「人生が大きく変わる アドラー心理学入門」がありこちらも全体像が良く分かると評価は高い。というわけでアドラー心理学をアカデミックに知りたい人はこの2冊のどちらかが良さそうだ。私はとにかくさらっと読みたいのと、売れてるから読むという理由から本書を選択。 内容は、やっぱり知ってる内容。だが主人公の哲人が分からず屋の青年に忍耐強く繰り返し説明するやり方が、「なるほど、そういう言い方があるのか」と感心する。短い内容のため多少の疑問は残ったが、まあ人に説明できるくらいは分かった。
0投稿日: 2016.04.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
今更だけど、図書館で予約してた本が借りられたので、読んでみた。(半年くらい待ったかな) 太字で書かれていることや、主旨などは、その通りと感じることが多い。 ただ、哲人と青年の会話が、まったく噛み合ってない気がして、この会話に沿って主旨を理解しようとすると、話の流れが、???と言う感じ。 青年のツッコミが甘すぎるからか。 また、青年がいち早く激怒しているのに、こちらが付いて行けない感じている間に、哲人の方はツーカーで理解し答えていて、青年が納得しているのが、ますます良くわからない、と思った。 話しの趣旨としては、納得することは多々ある。 ・トラウマは存在しない。 ・目的論として捉える。原因を探さない。 ・自分に意識を向きすぎている傾向を止めて行く。 ・普通であることの勇気 ・社会との調和 など、カウンセリングでは、最終的にこちらへシフトしていくと健全なのかな、と思う。ただ、実際上このシフトは心境的にはツライかもしれないけど。 過去トラウマを見て貰うことは、気分が高揚したり、とっても嬉しいし、わかって貰えた感とかあるんだけど、やればやるほど、力が薄れて行く感じ、、、と言うのは自分体験のことだけど。 自分的には、 ・トラウマはある、だけどある程度経ったら、過去をもう見ない。 このくらいが良い。 本については、やっぱりツッコミどころもいっぱいあって、ツッコんで欲しい所を、青年がまるでツッコまないので、かなりジレンマする感じ。
1投稿日: 2016.04.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「最近話題」と思ってたのに、2013年発行なんですね。 気になったところ↓ ◾︎「目的地に到達しないと不完全、終点への到達は効率的かつ速やかに」「途上としての人生」という考えではなく、 「目的地は存在せず、いまここを真剣に生きているとどこかにたどり着く」という考え方。 [でもやっぱりそれでいいんだっけて思っちゃいそう。目標とか欲しいと思っちゃう。] ◾︎誰かをほめるということは、その人を自分より下に見ていること。 [誰かにほめられて嬉しいときは「自分はできないと思ってるんだけど、上の立場のあなたから認めてもらえて嬉しい!」なんだって!] ◾︎トラウマのような「原因」があって感情がうまれる(原因論)ではなく、「目的」のために手段として感情を作っている(目的論)という考え方。 [キライな人をそのままキライでいたいから、どんどんキライな理由をみつけてく] ◾︎すべての悩みは対人関係の悩み 「幸せになる勇気」も読みたいな。
0投稿日: 2016.04.17
powered by ブクログ自分にできるのは、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」 その選択について他者がどのような評価をくだすのかは、他者の課題であって、自分にはどうにもできない話 自分が正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき われわれは、他者の期待を満たすために生きているのではない 他者もまたあなたの期待を満たすために生きているのではない 他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない 人が変われずにいるのは、その人自身が「変わらない」という決心を繰り返しているからだ。 つまりそれは、新しいライフスタイルを選ぶ勇気が足りていない、「幸せになる勇気が足りていない」から。 「いまのライフスタイルをやめる」という決心が必要。「もしも何々だったら」と可能性のなかに生きているうちは、変わることなどできない これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない 孤独を感じるのにも他者を必要とする 自らの不幸を特別であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とすることになる 健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、理想の自分との比較から生まれるもの われわれは、同じではないけれど対等 なにを与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか 「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離する必要がある つまり、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」 自分のなすべきことは、自らの人生に嘘をつくことなく、自らの課題に立ち向かうこと 他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない 誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。 意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張すること 人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ
0投稿日: 2016.04.15この苦しみから救われるかも
今苦しい。いつも対人関係、人間関係は難しい。 アドラー心理学の教えるところに従えば、 もしかしたら、この苦しみと永遠に決別できるかも。初めてそんなふうに思える考え方に出会った。 この「嫌われる勇気」だけでなく、他のアドラー心理学の本深く読みたいと思っている。
1投稿日: 2016.04.11
powered by ブクログ一気に読みました。 ページをめくればめくるたびに 自分の中の悩み事がすーっと解決していく。 親との悩み。仕事の悩み。自分自身の悩み。 ほんと、人間が抱える全ての悩みは人間関係の悩みなんだろうなあ。 何度でも読みたい。 何度も読んで勇気を出したい。 明日から、世界ががらりと違って見えるんだろうなあ。 だから本を読むことが好きだ(*´∨`*) 忙しくて2ヶ月読めてなかったからすっきり!
2投稿日: 2016.04.10
powered by ブクログアドラー心理学とはなにかについて、哲学者と学生の対話形式で説かれた本。 幸せな人生を歩む為の考え方について、書かれている。シンプルな内容ながら、自分の物事の考え方について考えさせられる本。 ⚫︎ソクラテスは、自身の手による著作は1冊も残さなかった。ひたすら若者たちと路上での議論を重ね、その哲学を後世に残したのは弟子のプラトン。 ⚫︎大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。 ⚫︎アドラー心理学では、性格や気質のことをライフスタイルという言葉で説明する。あなたはあなたのライフスタイルを自ら選んだ。 ⚫︎アドラー心理学は、勇気の心理学。 ⚫︎変われずにいるのは、他ならぬ私自身が変わらないという決心を繰り返しているから。 ⚫︎自分を好きにならないという目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。 ⚫︎対人関係の中で傷つかないなど基本的にありえない。 ⚫︎もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからにすぎない ⚫︎行動面 自立すること 社会と調和して暮らせること 心理面 私には能力がある 人々はわたしのなら仲間である ⚫︎人生のタスク 仕事のタスク、交友のたすく、愛のタスク ⚫︎アドラー心理学では、承認欲求を否定。他者の問題には介入せず、自分の問題には介入させない。冷静に線引きする。 ⚫︎差し伸べれば手が届く、けれど相手の領域には踏み込まない。そんな適度な距離を保つ。 ⚫︎全ての対人関係を、横の関係とする。 ⚫︎行為のレベルでしか、自分の価値を認めることができない人。自分はこれだけ働き、家族を養う金を稼いでいる、だから自分は家族でいちばん価値が高いのだ。 ⚫︎人間にとっての幸せは、貢献感。 ⚫︎面倒に感じるかもしれないが、毎日少しずつでもダンスを踊る。そこには必ず今日できたことがあるはず。 ⚫︎様々な口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを、人生の嘘と呼ぶ。 ⚫︎
0投稿日: 2016.04.10
powered by ブクログ久々に『ソフィーの世界』を思い出した。(概念、哲学という意味で) 本当に対人関係の概念をまるっと凝縮した本。
0投稿日: 2016.04.10読むだけで考え方が変わる
アドラーの説く「目的論」を知ると、今沸き上がるこの怒り、悲しみが、過去の経験、他者の行動に因る(原因論)ものではなく、自分が持つ目的に因るものと考えられるようになる。 目的論を知っただけでも、途方もない苦しい気持ちに苛まれたとき、そう感じる目的とは何なのか、考えるきっかけとなる。
1投稿日: 2016.04.09
powered by ブクログ人間の本質的欲求とか、誤った考え方に陥っていることが日常にはたくさんあるんだと思わされた。 子供に対しての課題の分離など、気をつけて接しないとと思う。
0投稿日: 2016.04.09
powered by ブクログメンタル関係の本で「まず自分を受け入れる」「他人を変えることは難しいが、自分を変えることはそれほど難しくない」といった内容をよく目にする。 このアドラーの本を読んで、これらの本に書かれていたことは、もともとはアドラーが元だったんだろうと感じた。 ただ一方で、よく目にする考え方だったため、目新しさにかけるところもあった。 内容としては結構良いと思うが、個人的には⭐️3
0投稿日: 2016.04.07
powered by ブクログ読んで良かった!承認欲求で私は生きてたから、それは辛かったなぁ〜と…人と縦の関係を私も築きたい!そして「今 ここ」を大事にして生きてく*\(^o^)/*
0投稿日: 2016.04.05
powered by ブクログ32年生きてきた。 その中で色々経験し、学び、考え、たどり着いた答えが既にこの本の中に書いてあった。 少し考え方が違う所もあるが、概ね納得でき、漠然としたイメージでしかなかった答えが理論立てて書いてある。新たに学ぶことも多々あった。 ただ今、とりわけ日本では、これを実践するのは難しい。 同じような事を考え実践してきたが、変人扱いされる事も多い。 空気を壊さない為に考えを曲げたこともある。 ただ、この考えに辿り着く前と比べたら、明らかに幸せを感じることが多くなった。 この本、そしてアドラーの考え方は、確かに人生を変える力がある。 おすすめです。 再読 追記 実践するのが本当に難しい。 自己啓発本の常かもしれないが、これだけ流行っていても本当に理解し実践できる人は1%以下だろうと思う。 本書の中で、実践までは今まで生きてきた年数の半分はかかると書かれているが、本当にそのとうりだと思う。
0投稿日: 2016.04.05
powered by ブクログ3年前に出版されたときにすぐ読んだのですが、記録してませんでした。2016年に「幸せになる勇気」を読んで思い出して、登録。 はじめて、アドラー心理学に出会った本。衝撃的でした。対人関係で悩んでいた私は、霧が晴れた感じ、まさしく、本に出ている青年のようでした。 この本以来アドラー関連の本をいろいろ読んで勉強しました。でも勉強だけじゃダメですね。実践しないと。 アドラーの考えが小説になっているので、すぐ読めました。 今の生きにくい時代には必要な考え方です!
0投稿日: 2016.04.05
powered by ブクログ面白かった。 分かりやすいが、対話形式の本はスッキリしない。青年の主張が偏り過ぎていて読みにくい。
0投稿日: 2016.04.05
powered by ブクログ人生は意外とシンプル✩︎⡱ 『嫌われる勇気』、ようやく読了! 読み終わった後、気持ちがラクになったような感じがする。 痛いところを突かれるページもあったけれど、それが「いま」気づかせてもらえて分かって良かったと感じた一冊でした。 今日から、続編の『幸せになる勇気』を読みはじめます。 自分と向き合うことはどきどきするけど、たのしみ。 わたしも“勇気”を高めたい。 1回読んだだけでは理解できたつもりでも、 なかなか実践するのはむずかしかったりするのだろうなとも思います^_^; 時間を空けて何度か読み返していくことで理解が深まっていって、「勇気」も高めていけるようになる感じがします。 奥が深いです…◡̈⃝︎⋆︎*
0投稿日: 2016.04.03
powered by ブクログ”すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。[…]他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれないのです。”(162-163) 他者からの承認欲求に従うと不自由になってしまう。嫌われたくないのは当然だが、自由になるためには、嫌われることを怖れないこと。自分がどうあるかを貫く。 ”たとえ向こうに関係修復の意思がなくても一向にかまわない。問題はわたしが決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に「わたし」が握っていたのです。[…]多くの人は、対人関係のカードは他者が握っていると思っています。だからこそ「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」と気になるし、他者の希望を満たすような生き方をしてしまう。でも、課題の分離が理解できれば、すべてのカードは自分が握っていることに気がつくでしょう。”(168) わたしが変わっても、相手は変わらないかもしれない。そもそも相手を操作することはできない。大事なことは、わたしが関係修復の「決心」をすること。 "線としてとらえるのではなく、人生は点の連続なのだと考えてください。[…]人生とは、連続する刹那なのです。[…]われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。"(264) 目標を立てて時期がきたらやろうと考えるのは、人生の先延ばし。「いま、ここ」も、すでに本番。いまを真剣に生きること。
0投稿日: 2016.04.03
powered by ブクログアドラー心理学は 論理と主観の使い分けがうまいとおもった。 課題の分離では徹底して感情を排して、論理的で納得しやすい。他方、物事の捉え方は主観的であって良いと言う。この混合が、素晴らしい。 はじめに目的論。 すでに起こった出来事に対して いまの自分がどう意味づけするか それが重要。これは共感。 次に、対人関係の悩みの除去のために 課題を自分と他者に分離。 自分の課題のみを考える。 水辺の馬の話が好き。 これは 嫌われる勇気、承認欲求の破棄につながる。 実践は困難、理はわかる 対人関係のゴールは共同体感覚。 他者を仲間だとみなし、そこに 自分の居場所があると感じられることをいう。 その達成のために横の関係を築くべし。 横の関係では 必要であれば手を貸す、 環境を整えてあげる援助がよい。 全ての人と横の関係であるべし。 ここは要検討。 自分の子供との関係も考えさせられた。 共同体感覚は、 他者の役に立っていると 主観的に(他者ではなく) 感じられることで得られる。 すなわち、幸福とは貢献感である。 そこそこ納得。 最後の 普通であることの勇気は反対。 いまを生きることが大切。 計画的な人生など不可能。 是非また読みたい。
1投稿日: 2016.03.31
powered by ブクログ主な内容は同じ著者による「アドラー心理学入門」と大同小異。 個人的には納得のいかない部分が多かった。
0投稿日: 2016.03.30
powered by ブクログ哲人の論理を理解していく過程がとても痛快でした。実践は難しいと思うけど、いろいろ楽になる感じがする。
0投稿日: 2016.03.26
powered by ブクログ一年前に初めて読んで、半年前にも一度読んで、今日三度目の読了。回数を重ねるごとに少しずつ理解を深めることが出来てる気がするけど、自分がどうしても躓いてしまうのは「誰かひとりでも縦の関係を築いていたら、それはあらゆる対人関係を縦で捉えているということ」という一節。理解は出来ても実行は難しい。でも、こういう考え方があるのだという知識を頭の片隅に持っているだけで、世界の見え方が違ってくる頼もしい一冊。 章ごとに重要なキーワードが太字で表現されてるけど、それ以外のところでもマーカーで線を引きたくなるような、人の内側に突き刺さる言葉がいっぱい。それこそ、まるで物語を読んでいるかのような内容だった。 さ、ゴロゴロしてないで自分もダンス踊ります。
0投稿日: 2016.03.25
powered by ブクログうつ傾向の方や回復の初期段階にあるアダルトチルドレンは決して読むべからず。健全ではあるが究極的な自己責任論が展開されるからである。弱者には刺激が強すぎるのだ。しかし読み進めてみればなるほどと思う部分もあり、例えば「子供をアダルトチルドレンにしたくない親」の立場から読むと得られるものも多い。欧米人に当て嵌めてみると確かに彼らはアドラーの教えに沿った考え方・生き方をしているように見えるので、日本人が精神的な面においても欧米化を目指すならアドラー心理学を参考にすると良いかもしれない。
1投稿日: 2016.03.22
powered by ブクログ色々と悩んでいる事があり手に取りました。 全ての悩みはは対人関係の悩みである、とは衝撃でした。課題の分離や承認欲求など自分に当てはまる事が次々と出てきます。 頭では理解できましたが実行に移す勇気があるだろうか。 自分が変われば世界が変わる。勇気を出して一歩踏み出していこう。
1投稿日: 2016.03.22
powered by ブクログ一番印象に残ったのは、いま、ここを真剣にいきる人生とは刹那的な点の連続でしかないこと。 また、幸せは自己受容と他者信頼をもとにした他者貢献であり、その立場は相手を仲間と捉えること。 ひとえに実践に移すことは難しいけれど、原因論的にいいわけをしてしまうことは世の中に蔓延しているし、課題を分けて考え自分としてのスタンスを正すことを意識していくのはすぐ出来そうだ。
0投稿日: 2016.03.21
powered by ブクログ青年の台詞が,不自然に感情的であり,青年の感情についての記載が多すぎるのが,いけていない. 不要な会話部分を削ったら,半分には減らせれる.
0投稿日: 2016.03.20
powered by ブクログ•「世界はシンプル」 自分が複雑にしている → 世界は無味無臭無機質 個人が味、臭いをつける(自分がどう捉えるか) •経験が原因にはならない(トラウマなどない) 経験に与える意味による そう捉えたい目的によってそうしている。 ・何を与えられてるかではなく与えられてるものをどう使ってるか • 他人から傷つけられないため 劣等感 → その劣ってるとする要因は自分の主観がきめていること • 健全な劣等感=他社に対するものなく自分に対するもの ☆楽に劣等感解消しようとして嘘の優越感を作り出すパターンに注意。 ⇨上記だけで終わると幸せになれない。「課題の分離」を実践 その上で「他者貢献」 •共同体感覚を持つ 横のつながり 競争相手ではないし評価する、されるの関係でもない •「そこに居場所がある」を感じられれば孤独感もなく優越性も必要なくなる → 他者貢献することで「ここにいる価値がある」と実感できる ⇨ 幸せになれる •ただし決して自己犠牲での貢献ではない。人の人生ではないので。自分の価値観で つまり課題の分離をして ⇨ 幸せは、孤独ない安心感。これを得るにはここに居ていい、自分は価値あると思う実感 それを能動的に手に入れるもの その手段は他者へ貢献 自分の価値で課題分離する一方法=①その瞬間瞬間を丁寧に生きる 過去も未来も他人もなく ②普通でいる勇気(優越する必要なし、横のつながりを) ③何か優越、上下で考えざるをえないような困難発生したら「もっと大き共同体」で考える ex 会社では上下あっても社会では同じ人間
0投稿日: 2016.03.20
powered by ブクログ分かりやすく面白かった。アドラー心理学の考えにとても共感できたし、私は「いま、ここ」を真剣に生きようと思った。
0投稿日: 2016.03.16
powered by ブクログ馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。 これは他者を変えられないことを言っている。 変わるのは唯一わたしだけであり、他者が変えることは不可能である。 同時にその人の課題はその人の課題であり、わたしの課題とは別の次元であることを言っている。 ただ幸福感を味わうには貢献度が必要と言っている。 一見矛盾しているが、貢献しているかどうかも他者が決めるのではなく、貢献しているかどうか決めるのはわたしなのである。 いまここを真剣にいきることが大事。線じゃなく点で考えると言っている。
0投稿日: 2016.03.13
powered by ブクログ課題の分離、自己受容、他者信頼、他者貢献 自由とは、他者から嫌われる事。 承認欲求を選ばず、無限大の共同体感覚を持つ。 そんなの聖人君子じゃないか、とツッコミたくもなるが、アドラーを知ってると知らないのでは違うのかもしれない。
0投稿日: 2016.03.13
powered by ブクログ100分de名著を見て、どうしても読みたくなって読んだ。 今、自分の周りで起こっていることにリンクする内容。 7つの習慣、人を動かす、平野啓一郎の分人という考え方、小澤竹敏先生の緩和ケア。 これまでバラバラだったこれらがひとまとめになった。 また、アドラーの心理学を理解して、実践しようとしている先輩が身近にいることもあって、私の中で一気に距離が縮まった感覚になる。 当然、次の幸せになる勇気も読む予定。
0投稿日: 2016.03.12
powered by ブクログこの本で語られているとおりの人は、モテると思う。 先ず、育ちが良い人と言う印象を与えると思う。 汲々としたところが無く、穏やかで余裕がある人だと思う。 次に、親切だが、触れられたくないプライベートな部分にまでは踏み込まない。きわめて紳士、淑女な人だと思う。それでいて自分の欲望や要望が明確で 「相手に言わせて、不具合があった時には相手のせいにしよう。」 と言う卑怯さが無い。 明朗で、リードしてくれる人だと思う。 承認欲求は満足してくれない。 褒めてもくれないし、叱ってもくれない。 でも、それが不満にならない人ならば、素敵な恋人、あるいは配偶者になるだろう、と思う。 若いウチに情熱と勢いで恋人や結婚相手を得る人とは違って、あるていど成熟した大人がパートナーを選ぶなら、こんな人を選ぶのが良いと思う。 長続きするだろうし、幸せな一生が過ごせると思う。 この本は「大人のモテ本」だと思う。
1投稿日: 2016.03.11
powered by ブクログあまりに絶賛されてるので購入。途切れ途切れ読んだからか理解しきれてないのかなー。青年の反応に違和感がありすぎて話に集中できない。笑
1投稿日: 2016.03.11
powered by ブクログアドラー心理学に興味を持ち、本書が凄く売れているとのことだったので手に取りました。 悩み多き青年と、アドラーの教えを説く哲人との対話を読むことで、アドラー心理学を学ぶことができます。 青年はまさしく読者。青年の哲人の話に対するリアクションと同じような反応で読み進める自分がいました。 段階を踏んで徐々に理解を深めることができる感じです。 心理学なんか嫌いでしたが、ますますアドラーに興味を持ちました。 腑に落ちた部分や気付き学びがたくさんありました。 まさに、役に立つ、使える心理学だと思うし、使っていきたいと思います。 ただ、本書のタイトルにもなっている「嫌われる勇気」に関する教えなどは抵抗がある部分もあり・・・ そういったことも含めて、もう少し勉強してみたいとも思いました。 人間関係に悩んでいる人にお勧めの一冊。
1投稿日: 2016.03.08
powered by ブクログ自分がフロイト的な原因論で、物事を捉えていたことに気付けた本。 他人の事を考えながら生きてきたつもりだったが、それも自己顕示欲の裏返しのような生き方、他者のことを考えてるようで自分のことしか考えてなかった、自らの優越性を誇示した生き方だったんだと気付いた。 人生は線ではなく点であること。 連続する刹那なんだと、その一瞬を大切に生きることが大事なんだということ。 他者貢献
1投稿日: 2016.03.08
powered by ブクログ嫌われる勇気は、幸せになる勇気。 嫌われるのは、自由に生きている証。 新しかった。 “課題の分離”が私の課題。 人の課題に介入しない。 自分の課題に人を介入させてはいけない。
1投稿日: 2016.03.08
powered by ブクログとにかく衝撃的な本だった。 痛い痛い、痛くて泣いてしまった(T . T) 読んだだけでは何も変わらない。 一歩踏み出す勇気を‼︎
1投稿日: 2016.03.07
powered by ブクログ会話形式で進むアドラーの「目的論」 自分自身にも自問自答 読み始めは自分の考え方を思い起こし、自分が嫌いになり、読み進めるうちにそれが徐々に解き放たれ楽になっていくような感覚。 アドラー的な考えには到底行き着かないけれど、読み終わると少し気持ちが軽くなる。
0投稿日: 2016.03.05
powered by ブクログ衝撃的な内容を分かりやすく身近に書いている本。面白かった。 内容に同意するのは簡単では無い。それは時代が早すぎるからなのか。 人生に違和感を感じていて何か変化を求める人は読めば起爆剤になってくれそう。 個人的には納得いかない点や理解できてない点があるのでもっと良く知りたいと思っている。
0投稿日: 2016.03.03
powered by ブクログ前に「七つの習慣」を読んだ時に、周りをコントロールするのは無理だから、自分の考え方を変えよみたいなことが書いてあったような気がする。 この「嫌われる勇気」のアドラー心理学も、簡単に言うと同じような感じで、要は他人は気にせず自分に集中して幸せになりましょう、ということだと理解した。
0投稿日: 2016.03.01
powered by ブクログ「幸福とは何か?」についてアドラーが提唱する心理学を基に書かれた本。タイトルを見て、勝手に内容を想像してましたが、解釈が違ってました。他人から嫌われることに対し恐れない勇気を持つのではなく、「嫌われるかどうかは他人が決めること。他人ではなく、自分が選ぶライフスタイルに勇気を持つ。」という内容でした。心理学や哲学って純粋に面白いなと感じました。以下、印象に残った言葉。【人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。】【究極的には、われわれの人生において対人関係以外の問題はないように見える】【自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである】
0投稿日: 2016.02.29
powered by ブクログアドラーは「目的論」であり、「原因論」ではない。 アドラーは「経験それ自体」ではなく「経験に与える意味」によって自らを決定する。 私達が過去の経験に「どのような意味を与えるか」のよって自らの生を決定しているのである。 わかっているようでわかっていない。 何か問題があった時、その問題自体に問題があるのではない。それにどう対処するか、どう活かすかだと思う。 自分がどうありたいかが大事であり、過去どうであったかどのような出来事があったかは関係ない! 「人は変われる」を前提に考えよ、という言葉は今の私にほしい言葉だった。 わたしのことを嫌うかどうか、は他者の課題です。 私をよく思わない人がいたとしても、そこに介入することは出来ない。
0投稿日: 2016.02.28
powered by ブクログ堀江貴文さんの著書を読んで手に取った本です。 堀江さんの本で触りの触りは読んでいたので、思っていたよりも、スッと理解出来た。 と言うより、堀江さんの生き方そのままじゃないかという感じがしました。
0投稿日: 2016.02.26
powered by ブクログ人生における物事をポジティブに捉えられるようになる。 そして、疑問を1つ1つ丁寧に紐解いてくれるから大学生にもわかりやすい。 社会に出て何が大事かと言われたときに他人への貢献だと言えるようにしたい。
0投稿日: 2016.02.24
powered by ブクログ人生のどこかで、どんな人にも読んでもらいたい本。自分のあり方を否定しないことから、始めてもらいたい。
0投稿日: 2016.02.23
powered by ブクログ◎原因ではなく目的から問題を見ることで、自分自身に人生の決定権が戻ってくる。 ◎劣等感は主観的なもの。他者との比較、競争は不幸の素。 劣等コンプレックスによって、人生のタスクから逃げるという目的を達成していることに気づけ。 ◎承認、評価を求めて生きることは不自由そのもの。それは他者の人生を生きること。 ◎自分の人生を生きるとは、見返りを求めず、嫌われる勇気を持って自由に生きること。 ◎共同体感覚(全体の一部としての所属感)を持つことが幸福への鍵。 行為および存在のレベルにおける他者への貢献感を持つことで、共同体への所属感を獲得することができる。 ◎「いつか」特別な人間になるのではなく、「いま」普通を受け入れ、「ここ」で真剣に踊る。 自分だけの自由な人生を生きるそのとき、導きの星となるのは「他者貢献」。 私が変われば、世界が変わる。
1投稿日: 2016.02.22
powered by ブクログずっと気になっていた。 いつもよりはじっくり読んでいた気がする。 でも、はっとするより、同意する感じでした。
0投稿日: 2016.02.16
powered by ブクログアドラーブームの火付け役の本。 原因論ではなく、目的論 自己受容して、他者信頼して、他者貢献する。 7つの習慣のインサイドアウトにも通じる考えだ。 ぜひ、再読して人生を生き方を考え直す勇気を持ちたい。
0投稿日: 2016.02.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「幸福とは、貢献感である」 自分は誰かの役に立っていると「感じる」ことが大切 人生は登頂することが目的ではない「人生とは連続する刹那である」 ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していればそれでいい 「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなる 過去も未来も関係なくなる 「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい
0投稿日: 2016.02.14
powered by ブクログ思ったより面白かった! 事項啓発系の本に抵抗があって、読まなかったけれど、読んでみると対話形式で読みやすいし、内容的にもとても腑に落ちるものだった。 簡単に読み進められ過ぎて、スルスルと進んでしまうので、時間を置いて何度か読み返して、自分の中に落とし込みたい本。自己啓発とかビジネス書って、けどそもそもそういう読み方なのかな。
0投稿日: 2016.02.10
powered by ブクログ対話形式なので読みやすかったのですが、自分の思ったことと違う方向の反応が登場人物に出てくると、『このやり取りで本当に自分なら納得するのかなぁ』と思ってしまいがちでした。 アドラー心理学に対する「興味のとっかかり」としては良い本だと思いますが、体系的に説明されているようには思えないので、何か宗教の本でも読んでいるかのような感覚を覚えてしまいました。
1投稿日: 2016.02.10
powered by ブクログ今までの考え方の常識(原因論) を覆すようなアドラー心理学(目的論) 刺激的な内容にドキドキしてしまいました すべての問題は人間関係にある という事から始まり、幸せを感じる為の 考え方を繰り広げる。 アドラー心理学を体現する為の もっと具体的な方法が知りたかったです 以下メモ書き 自分を好きになろうという決心 自分の事が嫌いと思う事で、 他人と深く付き合わない。 その事で、他者との関係で傷つかないようにしている 今の自分よりも前に進もうとすることにこそ価値がある 他人と競争する敵の関係ではなく 人々はわたしの仲間なのだと実感する 何が与えられたのかではなく 与えられたものをどう使うか 承認欲求を否定する 他人の期待に応えていては、他人の人生を歩む事になり 自分を見失う 他者の課題に介入せず 自分の課題には他者を介入させない 他者が困っていたら気にかけていれば良い 助けを求められればいつでも助ける 自分を行動レベルで受け入れるよりも 存在のレベルで受け入れる=幸せになる勇気 10人いたら一人くらいには嫌われても仕方がない 一人に嫌われたからといって、 自分がみんなに嫌われてる訳じゃない 他人が何をしてくれるかを期待するのではなく (縦の関係ではなく) 自分が他人に何ができるかを考える (横の関係になる) 過去の出来事を帰る事はできないが ライフスタイルが自分で選んだものなら 再び自分で選び直す事もできる 幸せになる、変わる勇気が必要 普通である事の勇気 ◼︎人生のタスク ・行動面の目標 ①自立すること ②社会と調和して暮らせる事 ・心理面も目標 ①わたしには能力がある、という意識 ②人々はわたしの仲間である、という意識 ◼︎3つの絆 ①仕事のタスク 「仕事をうまくこなすための関係性」 ②交友のタスク 「①よりも踏み込んだ関係性」 ③愛のタスク 「この人といると自由に振る舞える」 ◼︎共同体感覚 「自己への執着」から「他者への関心」へ切り替える その為に必要なのが ①自己受容 できる自分も、できない自分もそのまま受け入れる ②他者信頼 他者を信じるにあたって、いっさい条件をつけない 裏切られても、それでも信頼してくれる人がいたら、なんども裏切れる人はいない ③他者貢献 自分を犠牲にする事ではなく、自分の価値観を実感するためにすること 貢献とは、目に見える貢献でなくても構わない 「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚がもてれば良い 他者が仲間であると自分の属する共同体に居場所を見つけられる。ここにいてもいいんだという所属感を得られる 幸福とは貢献感である 「いま、ここ」にスポットライトを当てよ 目的を達成する事よりも プロセスを楽しむ
1投稿日: 2016.02.10
powered by ブクログアドラーの考え方はかなり好き! フロイト的な原因論ではなく、目的論に立脚すべき。人は過去の原因に突き動かされる存在ではなく、何かしらの目的を達成するために動いているのだ。
0投稿日: 2016.02.06
powered by ブクログ入院中にじっくり時間をかけて読んだ本。今、この時に読むことが必要な本だったのかと思うと神様の贈り物です。 簡単に理解できる内容ではありませんでしたが、心に突き刺さる言葉がたくさん書かれています。 “われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。他者の期待など満たす必要はないのです。” “他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。” 他にもグサッと来る言葉があり何度も読み直したい本との出会いとなりました。
0投稿日: 2016.02.06
powered by ブクログ【関口】人間というものの捉え方を大きく変えてくれた1冊。トラウマの否定、目的論の斬新さ、自己受容の必要性等、今後の人生を歩んでいく中で必須の概念を教えてくれた。 【櫻井】アドラー心理学の入門書。「アドラーを知れば人生が変わる」と言われたりもするが、比較的理解が難しい本が多い中で、会話形式のとても平易な文章で分かり易くアドラー心理学が語られている。「原因論」「目的論」のち外は自分の考え方を180度変えてくれた。
0投稿日: 2016.02.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
面白い。勉強になったし、ためになった。青年と同じように数年前に知りたかったと本気で思ってしまった。 過去を切り離すための原因論から目的論への転換(ここの部分は特に耳が痛い内容だった)、ライフスタイルの選択、すべての悩みは対人関係に関するものであり、それらを解決するには課題の分離を入り口として、自己受容(自己肯定と区別し、自己肯定をマイナスとする考え方は新鮮だった)、他者信頼及び他者貢献を通じて得る共同体感覚が大事であり、そしてそれらによって得られる貢献感こそが幸福であると。また、承認欲求は不要であり、他人に見返りを求めないことが大事。劣等コンプレックスや優越コンプレックスによってあらわれる劣等感。他人を褒めたりする縦の関係ではなく、感謝を伝える横の関係を成立させる。 とりあえず覚えてた単語などを羅列してみたけど、確かにこれを完全に理解して全て実践、というのは難しそう。 新興宗教の教義ですと言われたら、なるほどこういう宗教観かと納得してしまいそうなほど自分の持っていた心理学のイメージとは違うもので、イイ意味で驚いた。理解しやすいし、自分でも取り入れられるんじゃないかと思わせてくれる内容でもあった。 読んだ直後は意識して考え方を変えようと思えるけども、時間がたったらきっと風化してしまうだろうから、できたら手元に置いておきたい。そう思わせる本でした。
1投稿日: 2016.02.02
powered by ブクログ自分が青年に似ている。極端ではあるけれど他人を敵として認識している部分は正直図星でした。対話形式で読みやすくはなっているが一度では理解出来ない。何度も読み返して理解したい一冊。
0投稿日: 2016.02.01
powered by ブクログ読み終わったばかりで、まだ整理できてないですが、知ってしまうとあらゆることができなくなるか、停止してしまう。友達に頑張っての一言も言えない。「7つの習慣」よりだいぶグサグサ突き刺さります。
0投稿日: 2016.01.31
powered by ブクログ中盤までの分析は非常に良かったが、後半部分は商品の押し売りに近いものを感じた。若者は人生経験が少ないため、話に乗ってくるかもしれないが、残念ながら人生経験豊富な人には釈迦に説法であろう。最大の問題点は自己啓発そのものにある。つまり啓発はするが失敗したときのセーフティーネットが用意されていないのである。それなりの指導者が常に寄り添っていれば良いが、そうでなければ多くの失敗したものが置き去りにされるであろう。これと同じような批判が過去にもあったと思われる。
0投稿日: 2016.01.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ずーーーっと気になっていたアドラー心理学の本。 書店に青い表紙が目立って、しかも売れてるっぽかったから読みたかったんだが、何かと理由をつけて読めずにいたのですが、ある読書会をきっかけにして読むことができました。 アドラー心理学という学問を前面に出してはいるものの、 難しい用語はほとんど出てこないし、 対話形式になっているので、スモールステップで疑問が解決していくので、物語のような感覚が強かったです。 今の生き方や、知らない内に刷り込まれた常識などを、 ゆっくり丁寧に剥がして、 今の生き方をシンプルに考えることができると思います。 タイトルの「嫌われる勇気」は、本書の本質を明確に提示してくれている抜群のセンスだと思います。 アドラー心理学を知るには、 本書は最適かと思います。 知らないというのは怖いことだなー。
0投稿日: 2016.01.28
powered by ブクログ理解して実践すれば人生変わるだろう本だと思う。 理解するために何回か読もうと思う。 理解することができればかなりの良書です!
0投稿日: 2016.01.27
powered by ブクログなにかが原因でそうなった、のではなく そうありたいからそうなった、である。 納得。 何かを原因にすれば自分以外のせいにできるから気持ちが楽になるのかもしれないが、逃げているとも言える。 全ては自分の選択か。 周りに流されず、自分で選択をして人生を切り拓いていこう。
0投稿日: 2016.01.27
powered by ブクログ読み始めからすでにグサグサ刺さってます笑 私も勇気を出したい。 ほめるのは上から目線の評価なのはわかったけど すごい!とか可愛い~って言うのは尊敬?共感? それとも下から目線になるからだめ? そこら辺がちょっとよくわからなかった。
0投稿日: 2016.01.24
powered by ブクログ自分が勇気を出して一歩踏み出す事。対話形式になっていてとても読みやすかったです。でも、まだまだ私の頭が堅いのか、反発心が…w青年も哲人も両極端な気がしてしまいました(^_^;)理屈はわかる。けれど、なかなか一歩踏み出せない。本書で書かれていたように、勇気を出さねばならないのですよね|ω´・;)頑張らねば。2016.2.5読了。
0投稿日: 2016.01.24
powered by ブクログなかなか面白かった。 たまたまとったわたしの友人への態度とその行動のプロセスがまさに明確に記されていて驚いた。特に印象的だったのは、相手の嫌いなところを探すのは簡単であり、人がそうする理由は実は嫌いだからではなく、その人との関係を断絶しようという目的であえて嫌いなところを見つけだす、というところである。なるほど、まさに私が今日ある人に対して考えていたことである。と思った。 人間は友人、家族、恋愛、における人とのタスクをこなさなければならないのに、それを回避しようとするから孤立したり、過度に人との関係を心配するのだということがわかった。とても深い。もう一つ、共同体への貢献によって自分自身の価値を見出す、という箇所がとても気に入った。ここもとても深く、ふと、あれこれは日本の独特な集団的文化だからなのかとも思ったが、アドラーはオーストリア出身なので、ここは意外にも世界共通なのかなと思いながら読み進めた。とにかく、自分中心になると苦しいので、自分のいるコミュニティに自分が何を与えられるかをまず考えるとそれによって居場所が見つかり、自分への価値も見出せるようになるということであった。なんだか良いアドバイスをもらった気分。
1投稿日: 2016.01.24
powered by ブクログ自分自身が強くなろうと思える作品です。心理学に全く興味はなかったですが、凄く今の日本の方々に共感される内容になってます。ぜひ読んでください。
1投稿日: 2016.01.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めません 大切なのはなにが与えられるかではなく、与えられたものをどう使うかである アドラーの目的論は、「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きる」かについてなんの影響もない 人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである 劣等コンプレックスとは、自らの劣等館をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します 人生は他者との競争ではない アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定します 人生とは連続する刹那である
0投稿日: 2016.01.21
powered by ブクログすごいなあ。 今まで自己啓発本を数冊読み、理解はできてるけど体現できないという経験を繰り返したが、この本は一冊で今までの自分を覆した。 私がアドラーの考えを体現する頃には30歳を越えているが、自分の在り方について悩んでいる今出会えてよかったです。 同じように悩んでいる友達にもこの本をオススメしたいけど、私が変わって、友達も変えるという方が楽しそう。
0投稿日: 2016.01.17
powered by ブクログわざわざ「嫌われる」ことをすべきではない。自分に正直になることなんだと思う。 過去の因果は関係ない。自分がどう歩くかのみ。
1投稿日: 2016.01.12
powered by ブクログ物語形式で読みやすい。まずは入門として読んで、体系的に整理し直すには、別の本でがするのいいと思われる
1投稿日: 2016.01.11
powered by ブクログ『自分が変わらないのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているから』 まずこの一文にギクリとした。図星。まさに劇薬。 「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」というのも納得。 「人生は競争ではない」と書かれた箇所が印象に残った。 つい人と比べて不健全な劣等感に苛まれてしまうので、胸にとめておきたい。 「課題の分離」という考え方はとても好きだし有効だと思う。 「共同体感覚」はわかりづらい。 課題の分離という考え方を持ちながらも、他者に関心を寄せ、横の人間関係を築き、他者貢献を得るってすごい難しい。うまく理解しきれてない。 思っていたよりも読みやすくて面白かったけど、読みやすいからこそ自分なりにしっかりと理解しながら読まないと堂々巡りになりそう。 全てを理解するのは大変だけど、実践するのはさらに大変。 そんなことを思ってしまうのも『自分が変わらないのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているから』ってことか。
0投稿日: 2016.01.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大事なのは過去ではなく今なんだ。 過去に何があったかなんて関係ない。今、自分がどう生きたいのか、それが大事なことで大切なこと。 自分は○○だから、なんて自分で自分を決めつけるのはやめよう。 ○○だからできないの? それとも、○○だからやらないの? 自分を見つめなおす勇気をもらいました。
0投稿日: 2016.01.10
powered by ブクログなんとなく読んでなかったけどすごくいい‼︎ぢんさんのはなしと通じるし全ては根本は同じなんだ!素晴らしき一冊!メモにたくさん残した!
0投稿日: 2016.01.10
powered by ブクログ●読むキッカケ ・忘れた。名著だったので、もう一回読みたくなったのだと記憶。 ●サマリー ・教えが膨大すぎて、体系的に頭のなかに入れられていない。。。 ・基本的に人は目的に従って生きる、ということは同意である。 ・じゃあその目的が何なのかといえば、基本的に人は人に嫌われないように振る舞ってしまうということ。 ・しかし、それでは幸せに離れないので、ではどうするべきかといえば、 共同体に対して積極的に貢献することを目的とするべきだということ。 それによって、自己に対する肯定の意識が芽生えるだろうと。 その過程において、他者を敵としてみるのではなく、仲間として見るべきだということ。 ・いずれにしても、他者の目を気にしても、ろくなことは無いだろうということ。 ●ネクストアクション ・また定期的に読み直しましょう。 タイミングとしては、内面的にぐるぐるしていると感じたらで良い気がする。 ●メモ ・人は原因論的に行動するのではなく、目的論的に行動をする ・人は対人関係において悩みを抱く。 そして、多くの行動は、その対人的な悩みを解消する否定的な振る舞いとして発現している。 ・人は生来無力な存在として生まれ、それを超越しようとする根本的欲求を抱いている。(優越性の追求) それを努力と成長を通じて達成していこうとするのが、健全な姿。 逆に不健全な姿勢として、あたかも自分が優れているかのうように振るまい、 偽りの優越感に浸ろうとすることがある(優越コンプレックス) また自ら不幸を振る舞うことによって、結果相手に対して優位にたとうする動きも合ったりする。 ・上記の不健全な劣等感の解消は他者との比較の中で生まれる現象。 健全な劣等感は理想の自分との差分を埋める中で生じるものである。 本来、他者は敵でも何でもない。 そう捉えられると、人は他者の成功を祝福することが出来る様になる。 ・人は対人関係の中で自分が正しく、相手は間違っていると認識しだすと、 権力争いという泥沼に入り込むことになる。 あくまで、主張が正しいのは何なのかという、ことに対する闘いをするべき。 ・人生のタスクとして、 行動目標 ①自立すること ②社会と調和して暮らせること 行動目標を支える心理面の目標 ①わたしには能力がある、という意識 ②人々はわたしの仲間である、という意識 を身につけることが必要と言っている ・人生のタスクを乗り越える過程に対人関係で、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つが発生する。 ・仕事のタスクは、一緒の成果を求める過程で乗り越えやすい ・交友のタスクは、量ではなく質を求めるようにする ・愛のタスクは、束縛するのではなく、相手の幸せを祝福するようにすること。 相手が「一緒にいることで自由に振る舞える」と実感できるようにする。自然体であれるように。 ・相手のために、という視点で動いたところで、いずれ期待を裏切られるおそれがある。 なので、自分の課題にフォーカスをする必要がある。 自分の課題かどうかを見極めるには、その選択によってもたらされる結末を、最終的に誰が引き受けるのかで考える。 ・他者の目線を気にせず、結果として嫌われることになっても、自分を貫く、それを自由と呼ぶ。 ・対人関係を縦の関係ではなく、横の並列した関係と捉えるようにする。 縦の関係は相手への介入を生む。 横の関係になって、相手への勇気付けを行うようにする。 ・人は自らの価値認識を、共同体に貢献できている感覚によって得ることが出来る。 ・自己肯定ではなく自己受容するようにする。 自己受容は、現状の60点の自分を、認識し、その状態であることを受け入れること。 変えられないものを肯定的に諦めるということ。
0投稿日: 2016.01.09
powered by ブクログ理解が難しいアドラー心理学を青年と哲人の対話形式とすることで分かりやすくした入門書。それでもアドラー心理学は難しいので何度も読み返す必要はあるが、再読の価値がある一冊。さすがベストセラー。
0投稿日: 2016.01.09
powered by ブクログ16.1.5 貢献感=幸福感、他者から評価されるために何かをするのではなくて、自分が貢献できていると感じることが幸せだということ。 今、この時にスポットライトを当てる、過去や未来に縛られず、今を丁寧に真剣に生きる、 考えさせられる本だった、この本で変われるかどうかは自分次第、なのでまずは 今を真剣に。他者と自己の分離から意識する努力をしよう。
0投稿日: 2016.01.05
powered by ブクログある人に感化されて読んだ本。初の自己啓発本。会話形式で読みやすかったけど理解しようとして読むと時間かかった。一回読むだけじゃ足りない気がする。繰り返し読みます
0投稿日: 2016.01.05
powered by ブクログ難しい。今までの心理学、哲学に真っ向から異論を唱えるアドラーの心理学書。 文才は別として、内容は興味深い。 何回も読んで、じっくり内容を吟味したい。
0投稿日: 2016.01.04
powered by ブクログ物語シリーズの忍野メメを思い出した。 君が一人で勝手に助かるだけだよ といったことが趣旨なのかな。 対話形式をとっていることもあり、非常に読みやすかった。ただ内容として理解できない部分はいくらか。共同体として認識する範囲が非常に広い。
0投稿日: 2016.01.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
学びしかなかった。 ・自分はもしかするとサングラス越しに世界を見ているかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのはあたりまえ。ならば暗い世界に嘆くのではなく、サングラスを外せばいい。そこに映る世界は眩しいかもしれない。それでも世界を直視する「勇気」があるか、それだけ。 ・アドラー心理学は「トラウマ」を明確に否定する。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも、失敗の原因でもない。われわれはトラウマに苦しむのではなく、経験の仲から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する。つまり、人生とは誰かに与えられるものではなく、 自分から選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分である。 ・大切なのは何があたえられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。 ・自分が変われないでいるのは自らに対して、「変わらない」決断をし続けているから ・アドラー心理学は勇気の心理学。自分が不幸なのは、過去や環境のせいではない。ましてや能力が足りないのでもない。自分にはただ勇気が足りない。「幸せになる勇気」が。 ・シンプルな課題を前にしながら「やれない理由」をあれこれとひねり出し続けるのは苦しい生き方だ。 ・「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響も与えない」と言っている。自分の人生を決めるのは「いま、ここ」に生きる自分である。 ・なぜ自分が自分を嫌うのか、なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?それは自分が他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているからだ。誰かから小馬鹿にされ、心深い傷を負うことを恐れているから、最初から誰とも関わりを持たない方がマシだと思っている。つまり、自分の「目的」は「他者との関係のなかで傷つかないこと」だ ・本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう。 ・上司に疎まれているから仕事ができない。私の仕事がうまくいかないのは、あの上司のせいだ、そう語る人は「うまくいかない仕事」への口実として、上司の存在を持ち出しており、「嫌な上司」の存在を必要としている。「できない自分を認めたくないから、嫌な上司を作り出す」 ・他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすることこれは自分に嘘をつき、周囲の人間に対しても嘘をつき続ける生き方だ。 ・自由とは「組織からの解放」ではなく、他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払って自分の生き方を貫くことである。 ・「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい」と考えるのも、相手の課題に介入した見返り的な発想。嫌われる可能性を恐れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由である。 ・自分は世界の中心ではないので、自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなければならない。「この人は私に何を与えてくれるのか?」ではなく、「私はこの人に何を与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットである。 ・裏切られた時のことばかり心配している。そこで受ける傷の痛みばかりに注目している。しかし信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができない。 ・悲しい時は思いっきり悲しめばいい。痛みや悲しみを避けようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなる。我々はしんじることができる。疑うこともできる。そして我々は他者を仲間とみなすことを目指している。信じるか疑うかを選ぶのは明らかだ。 ・人生はいつもシンプルであり、深刻になるものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば深刻になる必要などない。人生は常に完結している。人生における最大の嘘は、「いま、ここ」を生きないことだ。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、何か見えたつもりになることだ。あなたはこれまで、「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててきた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてきた。人生の嘘を振り払って、恐れることなく「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てるべきだ。決めるのは昨日でも明日でもない、「いま、ここ」だ。 ・例えば大きな天災に見舞われた時に、原因論的に「どうしてこんなことになったのか?」と過去を振り返ることに意味があるだろうか。そんな時こそ前を見て「これから何ができるのか」を考えるべきだ。 ・他者貢献を常に見失わなければ、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。 ・誰かが始めなければならない。他者が協力的でないとしても。それは自分には関係ない。わたし(アドラー)の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他者が協力的かどうかなど考える必要はない。 ・「すべての悩みは対人関係である」「人はいまこの瞬間から変われるし、幸福になることができる」「問題は能力ではなく、勇気だ」
0投稿日: 2016.01.02
powered by ブクログ書かれていることはアドラー心理学について。 他人の一挙手一投足に感情を左右されるのは仕方のないことだと思うが、それが過剰になってしまうのは相手に期待、ある意味依存をしすぎているのだと思う。 自分の都合の良いことは自分でするしかない。よって考え方も相手に期待をしすぎず、自らの言動を一つ一つプラスのイメージに持っていかないといけないと感じた。
0投稿日: 2016.01.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない―― 【対人関係の悩み、人生の悩みを100%消し去る〝勇気〟の対話篇】 世界的にはフロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨匠とされながら、日本国内では無名に近い存在のアルフレッド・アドラー。 「トラウマ」の存在を否定したうえで、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言 本書は 変われないことで悩んでいる人は、 変われないことが自分にとって幸せだと思い込んでいるので 変われないことを「選んでいる」のだと主張します。 人は本来、誰でもよく変わることができ すべては変わろうとする勇気があるかどうかの自分次第だと。 変われないことで悩む人は現状維持を無意識で選んでいる――。 相手が親兄弟であっても他者の課題には介入せず、同時に自分の課題にも他者には介入させない事。具体的には「嫌われたくない」と自らが願うのは、自分の課題かもしれないが、「わたしのことを嫌うかどうか」は他者の課題だと認識する事。つまりは、嫌われることを怖れるよりも、他人がどう思うにせよ、自分がどうありたいかを考える方が有益だ、という事を説かれています。 自分の人生は自分だけのもの。 人の期待に応えるのをやめ、 自分が「人としてこうありたい」と思える行動を取るよう心がけるだけで、 自由を実感できる生き方ができる。 自分の素直な気持ちや意志を貫く勇気。 ■キーワード ・人生は他者との競争ではない ・他者の課題と自分の課題を分離する ・自己肯定ではなく自己受容 ・他者承認ではなく他者貢献 ・他者の行動ではなく、存在自体に価値を認める ・解釈は心次第。心を変えるには、向き合う必要がある。 ・勇気。人生のタスクを回避するな。「人生の嘘」 人は対人関係なくして生きることが出来ません。 ではどのような対人関係を目指せばよいか。 それは「共同体感覚」を持つことです。 つまり、他者を「敵」とみなすのではなく、「仲間」だとみなす感覚のことです。 他者を仲間とみなし、「自分の居場所がある」、「ここにいてもいいんだ」という所属感を感じられることが「共同体感覚」です。 これが持てると幸福を実感できるライフスタイルになると思います。 共同体感覚を持つために重要なこと。それは、「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えることです。 そこで必要なのが、「自己受容、他者信頼、他者貢献」です。 ②-1 「自己受容」 人は特別な存在でありたいと考えがちです。その理想像と比べて普通な自分に失望します。 そこで、普通な自分を受け入れる勇気をもちます。 ありのままの自分を受け入れ、前に進んでいこうとすること、それが「自己受容」です。 自分に与えられたものの中で、「自分にできること」と「自分にできないこと」を分けて考えます。 そして、「できないこと」を受け入れ、「できること」を実行していきます。 すると、過剰な「自己への執着」が取り除けるわけです。 ②-2 「他者信頼」 自分が仲良くしたい、と思う相手に無条件で信頼を寄せ続けることが「他者信頼」です。 もちろん、信頼していても裏切られる可能性もあります。それでも、恐れずに信頼し続けることです。 他者に信頼を寄せることが、他者を「仲間」だとみなす、「共同体感覚」に結びつくからです。 裏切られることを恐れて信頼しないでいると、結局誰とも深い関係を築くことが出来ません。 裏切るかどうかを決めるのは他者の課題であり、私には変えることが「できないこと」なので考えません。 それでも裏切られたら、その時思いっきり悲しめばいいのです。痛みや悲しみを避けようとすると、誰とも深い関係を築けないからです。 ②-3 「他者貢献」 仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをして貢献しようとすることが「他者貢献」です。 「私は誰かの役に立っている」という感覚が「私はここにいてもいいんだ」という所属感につながります。 自分の貢献感のために、他者貢献するのは偽善のようですが違います。 他者を敵だとみなしながら、他者貢献するのは偽善です。しかし、仲間だとみなしながらしている他者貢献は偽善とは呼べないと思います。 例えば、友達との旅行の予約をするとします。新幹線のチケットをとり、宿を手配し、ツアーに申し込みます。 そこで、友達から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、「私は友達の役に立っている」と考えることが大事です。 他者が私に何をしてくれるかではなく、私が他者に何をできるか、を考え実践していきます。 ここで、なぜこの友達に対して貢献感がもてるのか。それは、友達を仲間だとみなしているからです。 他者を仲間だとみなすことが出来るために、「自己受容」、「他者信頼」があるのです。 そして、仲間に対して「他者貢献」することで、「ここにいてもいいんだ」という所属感、「共同体感覚」が得られるわけです。 ③いま、この瞬間に強烈にスポットライトを当てる。 「共同体感覚」を得る第一歩である「自己受容」できない人は、「普通である自分」を受け入れられません。 そのような人は、「なにか特別で素晴らしい目標を掲げて、達成しなくては」と考えています。 しかし、そのような目標を掲げる人は、その目標が達成されるまでの道のりを「仮のわたし」による「仮の人生」として生きています。 仮に目標が達成できなかったら、その人の人生は「失敗の人生」になります。 そのような人は、「人生はその目標を達成するまでの線」としてとらえています。 ですが、人生は線のように見えて、実は「今、この瞬間」の点の連続です。 ですから、どんな時も過去や未来を考えず、「今、この瞬間」をくるくるとダンスするように生きることが大切です。 そして、後になって気が付いたら、こんなところまできていたのか!と実感するものです。
0投稿日: 2016.01.01
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年末から読み始めて、今年の読了1冊目。はやりの?アドラー心理学を読みたいと思って、推薦されていた本書を手に取った。非常に読みやすい。ただ青年が落ち着きがなさすぎるのに違和感あり。プラトンが残したソクラテスの問答集もこのように血気盛んな若者との対話だったのかもと推察。 多くの自己啓発本の元になったと言われる?とおり、書いてあることは普遍的な悩みをベースにしてある「全ての悩みは対人関係の悩みである」に集約される
0投稿日: 2016.01.01
powered by ブクログ怒る人は怒りたいから怒ってるのであって、何かが原因で怒ってるわけじゃない 全ての事象に因果関係があるわけではない みたいな内容だったような気がする そうは思えなかった気がするけど、内容的には面白かったように思う
0投稿日: 2016.01.01
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自己啓発本だが、老人と青年の会話が繰り広げられているので、内容が物語のようで入りやすい。幸福は人間関係の上に生まれ、人に賞賛されたいと言った感情は無意味で、嫌われる勇気がなければダメだと言うこと。
0投稿日: 2015.12.30
powered by ブクログ20151217読了 アドラー心理学を題材として生き方や幸せとは何かを説いた本。 原因論と目的論や課題の分離、承認欲求の否定、人生の嘘、貢献感など物事や人生の考え方について目から鱗の概念が色々あった。 その他印象に残ったフレーズ ・自由とは他者から嫌われること ・縦の関係ではなく横の関係、勇気付け ・自己への執着を他者への関心に切り替える ・他者への貢献によって自分の価値を認める 今を生きろ。
0投稿日: 2015.12.28
powered by ブクログこれまで自分がぼんやり考えたことのある内容が、簡潔明瞭に書かれている気がした。 これから一つ一つじっくり考えたい。 社会人になる前に気づきかけたことが、社会の一員として適合しようとする中で遠ざかっていった気もする。もう一度自分の世界に入り込んで自分と話し合ってみよう。
0投稿日: 2015.12.26
powered by ブクログ何か聞いたことあるな〜と思って読んでたら、大学時代に授業で習ったことがちらほら出てきた。その頃はそんなに響いた記憶がないが、今の自分には感じ入るところがあった。 人生の嘘 人生のタスク なぜ自分は変われないのか? 賞罰教育の弊害 自分の人生を生きる 自己肯定と自己受容 信用と信頼 人生の意味 上記のようなことに反応する人におすすめです。
0投稿日: 2015.12.25
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まず、人は無力な存在としてこの世に生を受ける。そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持つ。何らかの理想や目標を掲げ、そこに向かって前進する。しかし、そこに至ってない自分に対して劣っている感覚を抱く。それが劣等感である。 自らの劣等感を取り除くべく、より前進しようとする。現状に満足することなく、一歩でも先に進もうとする。もっと幸せになろうとする。つまり、劣等感は努力や成長の促進剤となる。 ところが、「状況は現実的な努力によって変えられる」という事実を受け入れられない人たちがいる。「どうせ自分なんて」「どうせ頑張ったところで」と思う。それは劣等感ではなく、劣等コンプレックスである。コンプレックスと劣等感とは本来的に異なる。コンプレックスとは倒錯的な心理状態を表す。劣等コンプレックスとは自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指す。 本来は何の因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう。単純に一歩前に踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない。いま享受している楽しみを犠牲にしてまで、変わりたくない。多少の不満や不自由があったとしても、今のままでいたほうが楽なのだ。 劣等感を長く持ち続けることに我慢できる人は誰もいない。それほど重たいものだ。 健全な劣等感の解消方法は、努力することや、成長を実感することだ。しかし、それが出来ない人は、劣等コンプレックスをこじらせ、優越コンプレックスに踏み込む。あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る。 身近な例は、権威付けだ。自分が権力者と懇意であることをことさらアピールする。それによって、自分が特別な存在であるかのように見せつける。服飾品のブランド信仰も同じで、自分と権威を結び付けることで、あたかも自分が優れているかのように見せかける。偽りの優越感だ。 もう一つは、不幸自慢。自らの不幸を自慢するかのように語り、他者の慰めや変化の促しを「あなたにはわたしの気持ちがわからない」とはねのける人。不幸であることによって特別であろうとする。自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。周囲を心配させ、言動を束縛し、支配する。弱さは非常に強くて権力がある。 健全な劣等感は他者ではなく、理想の自分との比較から生まれる。人は誰しも違うが、その違いを善悪や優劣に絡めてはいけない。違うけれど対等なのだ。但し、比較する相手が仲間と呼べるなら、理想の自分を重ね合わせられるなら、それは切磋琢磨できる関係であり、自己研鑽に繋がる。 人は同じではないけれど対等である。子供に対しても、子供扱いするのでも、大人扱いするのでもなく、いわば人間扱いする。同じひとりの人間として真摯に向かい合う。 対人関係の軸に「競争」があると、人は悩みから逃れることができない。競争の先には勝者と敗者がいる。結果、劣等/優越コンプレックスが生まれ、他者全般、ひいては世界を敵とみなすようになる。社会的成功を収めながら幸せを実感出来ない人が多いのは、彼らが競争に生きているからだ。敗者にならないために、常に勝ち続けなければならない、心の休まる暇がない。 私的な怒りと公的な怒り(社会の矛盾や不正に対する憤り)は異なる。前者はすぐに冷め、後者は長く継続する。前者は、他者を屈服させるための道具に過ぎない。後者は自身の利害を超えている。 もしも面と向かって罵倒されたのなら、その人の隠し持つ目的を考える。本気で腹が立ったときは相手が権力争いを挑んできていると考える。勝つことによって自らの力を証明したいのだと。仮に言い争いを制しても、相手は復讐の段階に突入する。例えば、親から虐げられた子供が非行に走るのは、それにより、親を困らせることを目的としている。 相手はただあなたを挑発し、権力争いを通じて、屈服させたい。だからいかなる挑発にも乗ってはいけない。これは攻撃に対して我慢することではない。そう思うのはまだ権力争いに囚われている証拠だ。できることは、いち早く争いから降りる、相手のアクションに対してリアクションを返さない。 人は「自分が正しい」と確信した瞬間、既に権力争いに足を踏み入れる。 「自分が正しい」 →「相手は間違っている」 →「勝たねばならない」。 負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を選ぶ。誤りを認め、謝罪し、権力争いから降りることは、「負け」ではない。優越性の追求は他者ではなく、自分自身との競争で行うべきだ。 ■人間のあるべき姿 行動目標 1. 自立すること 2. 社会と調和して暮らせること 心理目標 1. 私には能力がある、という意識 2. 人々はわたしの仲間である、という意識 ■人生のタスク(3つの絆) ひとりの個人が社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるを得ない対人関係そのもの。 1. 仕事のタスク ニートや引きこもりは、仕事そのものが嫌なのではなく、ただ「仕事にまつわる対人関係」を避けたいために働かない。かけがえのない自分の尊厳を傷付けられることが嫌なのだ。 2. 交友のタスク 仕事のタスクより難しい。仕事のような協働の強制力が働かないだけに、踏み出すのも深めるのも難しい。友達や知り合いの数には何の価値もない。考えるべきは距離と深さだ。 3. 愛のタスク 恋愛関係と親子関係の2段階ある。相手を束縛せず、幸せそうな姿を素直に祝福できる。劣等感を抱くでもなく、優越感を誇示する必要にも駆られず、平穏な、極めて自然な状態でいられる。束縛は不信感に基づくため、自然な状態ではいられない。互いを対等の人格として扱っていない。 どれだけ困難に思える関係であっても、向き合うことを回避し、先伸ばしにしてはならない。一番最悪な対処は「このまま」の状態で立ち止まることだ。 ■人生の嘘 あなたがAさんを嫌っているとき、Aさんの欠点が許せないからではなく、Aさんを嫌いになる目的を先に持ち、それにかなった欠点を見つけ出している。Aさんとの対人関係を回避するために。例えば恋人や夫婦の関係で、ある時期を境に相手のやることなすこと、すべてに腹が立つようになることがある。つい数ヶ月前までは何とも思ってなかったにも関わらず。 これはあなたがどこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせる材料を探し回っているから、そう感じる。相手は何も変わっていない、自分の目的が変わっただけ。相手の欠点や短所などその気になればいくらでも見つけ出すことはできる。様々な口実を設けて対人関係を回避しようとする事態を指して、アドラーは「人生の嘘」と呼んだ。 「承認欲求」対人関係の悩みは、まさしくここに集約される。他者から承認されてこそ、我々は「自分に価値があるのだ」と思える。劣等感を払拭できる。例えば、あなたが職場でごみ拾いをしたとする。周囲が気付かない、または気付いてもお礼の言葉ひとつかけてくれない。そんな状態ではごみ拾いをやめてしまうかも知れない。承認欲求の危うさはここにある。どうして人は他者からの承認を求めるか、それは多くの場合、賞罰教育の影響だ。適切な行動を取れば褒められ、不適切なら罰せられる。賞罰教育の先に生まれるのは、「褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない」という誤ったライフスタイルだ。我々は「他者の期待を満たすために生きている」のではない。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。つまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。 他者もまた「あなたの期待を満たすために生きている」のではない。だから相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても怒ってはいけない。それが当たり前なのだ。 例えば、なかなか勉強しない子供がいる。親のあなたはあらゆる手を尽くして勉強をさせる。そうした強権的な手法で勉強させられた結果、子どもは勉強が嫌いになる。このとき、「これは誰の課題なのか」という観点から考えを進める。これは子どもの課題であって、親の課題ではない。親たちは明らかに自分の目的(世間体や見栄、支配欲)を満たすために動いており、子どもはその欺瞞を察知するからこそ反発する。他者の課題に対して土足で踏み込むから反発される。あらゆる対人関係のトラブルは他者の課題に土足で踏み込む、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされる。我々は自分の課題と他者の課題を分離して、他者の課題に踏み込まないようにする必要がある。 但し、ここでは放任主義を推奨しているわけではない。子どもが何をしているか知った上で見守る。勉強は本人の課題であること、本人が勉強したいと思ったときにはいつでも援助する用意があることを伝える。頼まれもしないことに、口出ししない(子どもの課題に土足で踏み込まない)。 「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」 本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやって来るだけ。自分を変えることができるのは、自分しかいない。 子どもは独立した個人である。親の思い通りにはならない。当然、心配にもなるし、介入したくもなる。しかし、たとえ我が子であっても、彼は親の期待を満たすために生きているのではない。 相手のことを信じること、これはあなたの課題である。あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題である。その線引きをしないまま、希望を押し付けるとたちまちストーカー的介入になる。 たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなくても、信じることができるか。愛することができるか。 他者の課題に介入すること、抱え込むことは、自らの人生を重く苦しいものにする。人生の悩みは対人関係なのだから、まずは他者の課題との境界線を知り、切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、シンプルなものにする第一歩だ。 自分の信じる最善の道を選ぶ。その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない。 上司に疎まれているから仕事ができない。それはうまくいかない仕事への口実として、上司の存在を持ち出している。むしろあなたは嫌な上司の存在を必要としている。この上司さえいなければ、わたしはもっと仕事ができるのだ、と。 原因論「あの上司がいるから、仕事ができない」 目的論「出来ない自分を認めたくないから、嫌な上司をつくり出す」 上司がどれだけ理不尽な怒りをぶつけてこようと、それは「わたし」の課題ではない。理不尽なる感情は上司自身が始末すべき課題である。擦り寄る必要もないし、自分を曲げてまで頭を下げる必要はない。なすべきことは、自らの人生に嘘をつくことなく、自らの課題に立ち向かうことなのだ。 課題の分離をし、他者の課題には介入せず、自分の課題には、誰ひとりとして介入させない。これこそが対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた具体的な手段だ。 良好な対人関係を結ぶためにはある程度の距離が必要だ。距離が近すぎると、向かい合って話すことさえ出来ない。距離が遠すぎると、相談することも援助することも出来ない。差し伸べれば手が届く、けれど相手の領域には踏み込まない。そんな適度な距離を保つことが大切だ。 課題の分離に対して、好意を踏みにじる行為と考えるのは、見返りに縛られた発想だ。対人関係のベースに見返りがあると、自分はこんなに与えたのだから、あなたもこれだけ返してくれ、という気持ちが湧き上がる。我々は見返りを求めてはいけないし、そこに縛られてもいけない。 「困難に直面することを教えられなかった子どもは、あらゆる困難を避けようとする。」 他者の期待を満たすように生きることは、自分の道を自分で決めることに比べると、実は楽なのだ。自分で決めようとすれば当然迷い、「いかに生きるべきか」という壁に直面する。しかし、これこそが自由だ。 他者の望みをかなえることは、たしかに道しるべにはなるかもしれないが、これは非常に不自由だ。なぜそれを選んでしまうのか、それは承認欲求、要するに誰からも嫌われたくないからだ。 他者の期待を満たすように生きること、人生を他人任せにすることは、自分と周囲の人々に嘘をつき続ける生き方だ。課題を分離することは自己中心的になることではなく、むしろ他人の課題に介入することこそ、自己中心的な発想だ。 不自由な生き方を選んだ大人は、今この瞬間を自由に生きている若者を見て享楽的だと批判する。これは自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘だ。本当の自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出てこないし、むしろ自由であることを応援する。 他者から嫌われたくないと思うことは自然な欲望であり、傾向性と呼ばれる。傾向性の赴くまま生きることが自由なのかというと、それは違う。そんな生き方は欲望の奴隷だ。我々は傾向性に抗うことができる存在だ。あらゆる対人関係の悩みは承認欲求から来る。ということは、自由とは、他者から嫌われることである。 あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしである。たしかに嫌われることは苦しい。でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は不自由極まりない生き方であり、同時に不可能である。自由を行使したければ、そこにはコストが伴う。対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのだ。 他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれない。但し、わざわざ嫌われるような生き方をしろと言っているわけではないことに注意が必要だ。 「相手を変えるために」自分を変えるのは、他者を操作しようとする誤った考えだ。自分が変わったところで変わるのは自分だけだ。結果として相手が変わるかどうかは自分の関与できるところではない。 他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられることを共同体感覚という。国家や人類、動植物や無生物、時間軸においては過去から未来までも含まれるすべてが共同体である。共同体感覚とは幸福なる対人関係の在り方を考える最も重要な指標である。すべての悩みは対人関係にあるのなら、逆に幸福の源泉も対人関係にある。 社会の最小単位は、わたしとあなた。自己への執着を他者への関心に切り替える。 どれだけ他者に気を遣い、他者に合わせていても、それは他者によく思われたいから他者の視線を気にしているだけ。結局、他者への関心ではなく、自己への執着に他ならない。 自分の人生における主人公は私である。しかし、私は世界の中心に君臨しているのではない。あくまで共同体の一員であり、全体の一部なのである。自分にしか関心を持たない人は、自分が世界の中心にいると考え、他者とは自分のために何かをしてくれる人でしかない。自分のために動くべき存在であり、自分の気持ちを最優先に考えるべきだと、半ば本気で思っている。そのため、他者と接するときにも、この人は私に何を与えてくれるかばかり考えている。それで、期待が満たされなかったとき、彼らは大きく失望し、ひどい侮辱を受けたと感じる。あの人は私の期待を裏切った、もう仲間ではない敵だ、と。そして遠からず仲間を失う。 我々はみな所属感を求めるが、それはただそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られるものだ。「この人は私に何を与えてくれるか」ではなく、「私はこの人に何を与えられるか」を考える。それが共同体へのコミットだ。所属感とは自らの手で獲得していくものなのだ。 我々が対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則である。 仮にあなたの学校で教師が絶対的な権力者だとしても、そんな権力は学校という小さな共同体だけで通用するコモンセンスであって、それ以上のものではない。人間社会という共同体で考えるなら、あなたも、教師も対等の人間である。理不尽な要求を突きつけられたら、正面から異を唱えて構わない。それによって崩れてしまう程度の関係なら、最初から結ぶ必要がない。関係が壊れることを怖れて生きるのは他者のために生きる不自由な生き方だ。 他者とのコミュニケーション全般において、「ほめても、叱ってもいけない」。褒めるという行為は「能力のある人が、ない人に下す評価」という側面が含まれ、無意識のうちに上下関係をつくる。目的は自分より能力の劣る相手を操作することであり、感謝も尊敬も存在しない。しかし、多くの人は褒められると嬉しい。これは対人関係を、縦の関係と捉えている証拠だ。そもそも劣等コンプレックスとは縦の関係から生じる意識だ。あらゆる人に対して「同じでないけれど対等」という横の関係を築ければ劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなる。 介入と援助の違い 介入は対人関係を縦の関係で捉え、自分は正しくて相手は間違っているから、相手を望ましい方向に導こうと操作する。 援助は命令するのではなく、自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かっていけるよう働きかけること。大前提に課題の分離があり、横の関係がある。他者の課題であることを理解した上で、できることを考える。勇気づける。 人が課題の前で踏み止まっているのは能力の有無ではなく、純粋に立ち向かう勇気が挫かれていることが問題なのだと考える。 但し、勇気づけることは褒めることではない。人は褒められるほど、自分には能力がないという信念を形成する。褒めてもらうことに喜ぶことは、「能力のある人が、ない人に下す評価」に従属し、自分には能力がないと認めていることと同じである。褒めてもらうことが目的になると、他者の価値観に合わせた生き方を選ぶことになる。 一番大切なのは他者を評価しないことだ。評価の言葉は縦の関係から生まれる。素直な感謝や尊敬、喜びの言葉は横の関係から生まれる。他者からの評価による一喜一憂は、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキかける。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知る。人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。共同体にとって有益なのだ、と思えたときにこそ自らの価値を実感できる。他者からの評価ではなく、自らの主観によって自らの価値を実感できる。 誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたに関係ない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。 あなたがひとりでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気付かないうちに、あらゆる対人関係を(友人までも)縦で捉えている。 年長者を敬うことは大切だし、組織上の職責の違いは当然にある。横の関係では、そういったことを無視するのではなく、意識の上で対等であること、主張すべきは堂々と主張することが大切である。場の空気を読んで縦の関係に従属することは、自身の責任回避に他ならない。 上司の指示に従った結果、その仕事が失敗に終わったとする。その責任は上司にあるのか。あなたには断る余地もあるのだし、他の方法を提案する余地もあった。ただ、そこにまつわる対人関係の軋轢を避けるために、そして責任回避するために「断る余地がない」と思い込む、縦の関係に従属する。 自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持つために必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つである。 ■自己受容 無闇に自己肯定することとは異なる。出来もしないのに「わたしはできる」と暗示をかけることは自らに嘘をつく生き方。一方、「出来ない自分」をありのままに受け入れ、自らに嘘をつかず、出来るようになるべく前に進むことが自己受容である。肯定的なあきらめである。「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める。「何が与えられているか」は変えられない。「与えられたものをどう使うか」は変えられる。「変えられるもの」にのみ注目する。交換不可能なものを受け入れ、変えられるものについて変えていく勇気を持つことが自己受容だ。 我々は何かの能力が足りないのではなく、ただ勇気が足りていない。すべては勇気の問題。 諦める → 明らかに見る → 物事の真理を見定める ■他者信頼 信用と信頼は異なる。信用は条件付きで信じること。信頼は無条件に信じること。裏切られても信じ続ける態度を信頼と呼ぶ。 信頼の反対は懐疑だ。対人関係の基礎に懐疑を置いては前向きで深い関係を築くことはできない。 裏切るかどうかを決めるのは他者の課題。自分はただ「わたしがどうするか」だけを考えればよい。「相手が裏切らなければ」という前提を置いた付き合いは信用の関係に過ぎない。 但し、他者を無条件に信頼しろと言っているわけではない。無条件の信頼は横の関係を築くための手段だ。関係を良くしたいと思わないなら断ち切ってしまえばいい。断ち切るかどうかはあなたの課題だ。 信頼の目的は、他者を仲間だとみなすことだ。我々には、信じることも、疑うこともできる。目的に沿えばそのどちらを選択すべきかは明白だ。 「彼女は浮気しているかもしれない」と疑念を抱いたとする。証拠を探そうと躍起になり、山のような証拠を見つける。なぜなら、疑いの目を持ってみれば、ありとあらゆることが浮気の証拠に映るからだ。たとえ事実はそうでなかったとしても。裏切られたときのことばかりしきりに心配し、そこで自分が受ける傷の痛みにばかり注目している。信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことはできない。 大事なのは課題の分離だ。自分の課題か、他者の課題か。裏切りは他者の課題であり、自分の介入すべきところではない。 共同体への所属感を得るためには、他者を仲間だとみなすことが必要条件だ。他者を仲間だとみなすためには、自己受容と他者信頼が必要条件だ。裏返すと、他者のことを敵だとみなす人は自己受容も他者信頼も不十分である証拠だ。 ■他者貢献 他者貢献と自己犠牲は異なる。他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人は「社会に過度に適応した人」である。他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、「わたし」の価値を実感するためになされるものである。 仕事・労働とは、金銭を稼ぐ手段ではない。労働によって他者貢献を成し、共同体にコミットし、「誰かの役に立っていること」を実感し、自らの存在価値を受け入れる。巨万の富を持つ富豪でさえ忙しく働き続けるのは、底抜けに強欲だからではなく、「ここにいてもいいんだ」という所属感を確認するためだ。 他者がわたしになにをしてくれるか、ではなく、わたしが他者になにをできるか、を考え、実践する。 仕事・労働のうえで「なぜわたしだけが?」「なぜみんな手伝ってくれないのか?」という発想に陥ることがある。それは共同体を仲間だと思えていないからである。仲間だと思えていれば「共同体の役に立てている」と思える。 ありのままの自分を受け入れる(自己受容)からこそ、裏切りを怖れることなく他者を信じる(他者信頼)ことができる。他者信頼できるからこそ、他者を仲間だと思え、他者貢献することができる。さらには他者貢献するからこそ、所属感を実感し、自己受容できる。 人間を理解するのは用意ではない。個人心理学は恐らくすべての心理学のなかで、学び実践することが最も困難である。本当に理解して、生き方まで変わるようになるのは、それまで生きてきた年数の半分が必要になる。 嫌われる勇気2 世の中は善人ばかりではない。不愉快な思いにさらされることは多々ある。しかし、いずれの場合も攻撃してくる「その人」に問題があるだけであって、決して「みんな」が悪いわけではない。 誤った認識の人は、なにかと「みんな」「いつも」「すべて」といった言葉を使う。自分がこれら一般化の言葉を口癖としているなら注意が必要だ。こうした生き方は人生の調和を欠いた生き方だ。物事の一部分だけを見て、全体を判断する生き方だ。 ユダヤ教の教え「10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうち2人は、互いをすべて受け入れ合える親友になれる。残りの7人はどちらでもない人々だ。」 あなたを嫌う1人に注目するのか、あなたのことが大好きな2人に注目するのか、あるいはその他大勢に注目するのか。人生の調和を欠いた人は、嫌いな1人だけを見て、「世界」を判断する。 自分の欠点に悩まされる人は、自意識過剰だ。自分の欠点にだけ関心を寄せているから、劣等感や生きずらさを感じている。わずかにいる愚かな人間に小馬鹿にされたことを、その人だけに注目して「みんな笑っている」と考える。そんな人間とはこちらから関係を断ち切ってしまうことができる。どうでもいいはずのごく一部だけに焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとするのは人生の調和を欠いている。 ワーカホリックは人生の特定の側面だけに注目している。「仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がない。」これは、仕事を口実に、他の責任を回避しようとしているに過ぎない。会社で働くことなど、仕事のほんの一部に過ぎない。本来はその他のすべてにも関心を寄せるべきであって、人生のタスクから目を背けた生き方だ。そういう生き方の人間は「行為のレベル」でしか、自分の価値を認めることが出来ていない。生産者の立場でいられなくなったとき、深刻なダメージを受けることになる。自分を「行為のレベル」で受け入れるか、「存在のレベル」で受け入れるか。幸せになる勇気に関わる問題だ。 人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことだ。共同体にとって有益である・誰かの役に立っているという思いだけが、自らに価値があることを実感させる。すなわち、幸福とは、貢献感である。 注意したいのは、貢献したかどうかを判断するのは他者であり、自分が介入できる問題ではないことだ。本当に貢献できたかなんて、原理的にわかり得ない。大事なのは主観的な感覚だ。 自分自身に価値があるのだと思いたい、貢献感がほしい、その手近な手段が他者からの承認だ。しかし、承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がない。本当の貢献感には他者からの承認は要らない。承認欲求に囚われている人は自己受容・他者信頼・他者貢献が出来ていない。 なぜ非行に走る子供たちがいるのか。それは他者の注目を集め、「普通」の状態から脱し、「特別な存在」になりたいからだ。勉強やスポーツ、習い事に精を出す子供と目的は変わらない。ただ、そこで特別に良くなることが叶わなかったとき、一転して特別に悪くなろうとしただけだ。これを安直な優越性の追求と呼ぶ。 子供がどれだけ叱っても問題行動を止めないのは、叱られるという形であっても親からの注目を得たい、どんな形でもいいから「特別な存在」でありたいからだ。 なぜ特別である必要があるのか。それは普通の自分が受け入れられないからだ。普通であることは何か劣ったことなのか。実は誰もが普通なのではないか。 普通であることは無能であることではない。そこに気付ければ、わざわざ自らの優越性を誇示する必要などない。 人生を登山のように考えている人は、自らの生を線で捉えている。生まれた瞬間から始まった線が様々なカーブを描きながら頂点に達し、やがて死という終点を迎えるのだと。 しかし実は、人生とは点の連続だ。線のように映る生は点の連続である。人生とは「いま」という刹那の連続だ。我々は「いま、ここ」にしか生きることが出来ない。生は刹那の中にしか存在しない。 それを知らない大人たちは、若者に線の人生を押し付ける。レールに乗ることが幸福な人生なのだ、と。しかし、人生に線などあり得ない。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に不可能だ。 どこに到達したか、ではなく、どう生きたか、その刹那を見る。他者貢献という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。 なぜ自分が「いま、ここ」にいるのか、うまく説明がつかないことはないか。それは単純に刹那を生きてきた結果に過ぎないからだ。目的地を置いた訳でもなく、誰かと競争した訳でもない。未来を予測することなどできない、我々にできるのは、「いま、ここ」を、真剣かつ丁寧に生きることだけだ。 ただ「いま、ここ」を充実させていればいい。結果としてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気付かされるだけであって、人生に目的地は存在しない。途上としての人生を生きているのではなく、常に「いま、ここ」を生きている。 例えば、旅の目的は目的地に辿り着くことなのか。目的地に辿り着くまでの道中すべてが旅であり、何らかの事情で目的地に辿り着けなかったとしても旅をしなかったことにはならない。旅そのものが目的であれば、目的地に辿り着くかどうかは関係ない。 人生はいつ終わるか分からない。遠い将来に目標を設定して、今はその準備期間だと考え、我慢の時期だと思う。そうすると目的地に達することができなかった人生は途上で終わることになる。しかし、「いま、ここ」で生を終えたとしても、刹那を真剣に生きていれば、それは不幸ではない。過去も未来も存在しない。確かに存在するのは「いま、ここ」だけだ。 「本当はこれがしたいけれど、やるべき時が来たらやろう」と考えるのは人生の先延ばしだ。そうしている限り、どこにも行けないし、モノクロな日々が続くだけだ。「いま、ここ」も既に本番だ。人生は常に完結している。 目的地に辿り着くまでの道のりは、目的に到達していないという意味において不完全である。それがキーネーシス的な人生だ。一方、「今成しつつある」ことが、そのまま「成してしまった」と捉えるのがエネルゲイア的な人生だ。過程そのものを結果とみなす。 直線のように見える過去の生は、あなたが「変えない」という不断の決心を繰り返してきた結果、直線に映っている。これから先の人生は全くの白紙であり、進むべきレールが敷かれているわけではない。全くの白紙であり、そこに物語はない。 人生には一般論として語れるような意味はない。人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ。物事への解釈はあなたにしか出来ない。出来事をどう解釈するか、ライフスタイルの選択権はあなたにある。 良い対人関係を築く方法を知らない人は、他の人の期待を満たそうとしたり、他の人を傷付けまいとして、主張したいことがあっても伝えることができず、自分が本当にしたいことを断念してしまうことがある。 そのような人は周りからの受けは良く、彼らを嫌う人は少ないかも知れないが、代わりに自分の人生を生きることが出来ない。
0投稿日: 2015.12.23
powered by ブクログ2015/12/19 ・トラウマの明確な否定。 風邪をひいて病院に行き、原因は昨日の薄着にある、とだけ言われたら誰でも怒ると思う。大事なのは原因ではなく治療法だからだ。人の心も同様である。 ・過去の経験は確かにその本人に大きな影響を与える。だが大事なのはその過去の経験それ自体ではなく、過去の経験へどのような意味を与えるかが重要なのである。なぜなら過去に同様の経験を持つ者はすべて同じ考え方を持つに至る筈だが、現実には違う。たとえ悲劇であってもそれを明日への希望に変えるものもいれば絶望に落ちるものもいるからだ。 ・答えは教えてもらうものではなく、自ら導き出すもの。教えてもらった答えにあまり意味はない。 ・自分が嫌い、短所ばかり目につくのは他人と関わることによって傷つくのが怖いから。 自分の短所が目につくことによって他人と関わらなくて良い、という理由付けができてしまい、なおかつ、こんな短所があるから自分は人間関係が下手なのだ、こんな短所さえなければうまくいくのに、という言い訳を作ってしまっているのだ。 ・対人関係、大なり小なり傷つくもの。 些細なことで自分は傷ついてるし、同様に他人も傷つけている。 ・自身の抱く劣等感、それは本当に劣等性なのか。その事象にたいして自身がどういった意味づけをするのかが大事。 ・現実的努力でしか状況は変わり得ない。 ・怒りを我慢するのではない。怒りという手段に頼る必要はない、という事実を知るべき。 自らの誤りを認めることは負けではない。他者との競争、戦いに乗っかる必要はないのである。 ・アドラー心理学では他者から承認を求めることを強く否定する。 承認欲求を求めることを否定し、自分のために生きることを是とするこの思想だが、何も傍若無人に振る舞えと言っているのではない。 課題の分離、という言葉を知る必要がある。 ・課題の分離 やるべきこと、課題。これはだれの課題なのか、自分のか、他者のかを判断する。 その判断基準は、その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か、というもの。 他社の課題を背負い込む必要はない。なぜなら自分を変えることが出来るのは自分しかいないこらだ。 これは逆に考えることも出来、他人の課題に自身が入る必要がないが、同様に自身の課題に他人を入れる必要も一切ないのだ。 p146 ・他社に何かしてもらったら、何かを返さないといけない。これはある意味見返りに縛られた状態である。 これが続くと自分はこれだけ与えたのだから、あなたも返してくれ、という気持ちが湧いてきてしまう。これは課題の分離からはほど遠い。 我々は見返りを求めてはいけないし、そこに縛られてもいけない。 ・人はだれしも嫌われたくない。だが誰からも好かれるということはありえない。誰からもすかれるには誰にでも嘘をつき、自分にさえも嘘をついて生きるということ。 なれば、どうするのか。 自由に生きるということは他人に嫌われるということである。これを受け入れて生きる勇気こそが必要だ。 自分のことを嫌いな人がいたとしてもそれは相手の課題であり、自分の課題ではない。自分がここまてましたのに、という発想は見返りを求めたもよである。 ・自分は世界の一部であって、世界の中心ではない。自身が世界の中心である考え方を持っていると、この人は私に何を与えてくれるのか、ということばかりを考えるようになる。結果、期待は満たされることなく、失望し、侮辱的にとらえ憤慨するのである。 周りが敵ばかりに見えている状態でもある。 ・共同体には大小あるが、対人関係において困難にぶつかった時、まず考えるべきなのはより大きな共同体の声、意見を聴け、ということ。 ・アドラー心理学では褒めることも叱ることも否定している。これら二つはどちらも上から目線。他人を操作することを目的としているからてまある。 ・実は人から褒めてもらうことに喜びを感じるのは、自分に能力がないことを認めていることになるのである。 なぜか。 褒める、という行為は能力のある人がない人に対して下す評価だからである。 よって大事なのは他者を評価しない、ということ。 本筋の話では評価ではなく、感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるはずなのである。 ・勇気を持つには自分には価値がある、と自分で思えるようになるしかない。 ではどうやって自分に価値があると思えるのか、 それは、自分は共同体にとって有益なのだ、と思えた時にこそ自らの価値を実感できるのである。 私は誰かの役に立っていると思えること。他人ではなく、自らの主観で他者に貢献できていると思うことによって自分の価値が認識できる。 人に評価されることとはこれは対極にある、とも言える。 ・p228 自己肯定ではなく、自己受容 できもしないのに自分はできると自分に嘘をつく無理な肯定と違い、受容は60点の自分を60点の自分として受け入れる。肯定的なあきらめ、という表現。 ・他者を敵だと思っている人は自己受容も他社信頼もできてはいない。そして最後のキーワード、他社貢献。他者を貢献するにあたって自己犠牲は必要ない。むしろ自分のために行ってよいと考えるそうだが、少し理解が難しい部分だ。 他人を幸せにすることでしか、君は幸せになれない。という言葉もここで関わるのだろうか。 ・共同体感覚さえあれば他者の承認は必要ない。 承認を求めるのは他人に貢献をしたことで得られる幸福感を手っ取り早く得られるからである。ここで気をつけなければならないのは、承認を目的とした他者貢献には自由がない、即ち他者のペースに合わせた自己犠牲の上の行為なのである。 そうではなく、本当の意味で自己受容、他者貢献、他者信頼ができていなければ、共同体感覚を持てず、また幸せも感じにくいのである。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
0投稿日: 2015.12.19
