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powered by ブクログ図書館に無し 宇宙論によく出てくる人間性原理何どんな理論で、なぜ出て来たのか、などを説く。 我々は無数にある宇宙の中で、たまたま我々の存在を許すような宇宙に存在しているというだけの話。 宇宙はなぜこのような宇宙なのか、という問いに対する答えは、われわれは存在可能な宇宙に存在しているだけであって、この宇宙がこのような宇宙なのはたまたまである、ということになる。
0投稿日: 2025.04.17
powered by ブクログ宇宙というか、自然科学に対する歴史的な変遷をほんの少し感じられました。理系出身ではありますが、基礎知識がまだまだ不足してるので、膝を打てるようになりたいなと、正直思いました。m(__)m
0投稿日: 2025.03.30
powered by ブクログ891 254P 科学の面白い所って、人間っていうものを重要視してない所なんだよね。人によってはそれが嫌だって言うのかもしれないけど、私からするとここが面白くて堪らないポイントだな。だって文系分野とか宗教って絶対人間がデーんってあってそれ以外は矮小化されてるじゃん。でも科学にとって人間は空気の粒子のひとつとかその辺に舞ってる埃とかと価値が等しいんだよね。そのものの見方が面白すぎてやめられない。そんなヤバイものの見方してるやつ居たら頭おかしすぎて友達になりたいもん。 青木薫 1956年、山形県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。専門は理論物理学。翻訳家。サイモン・シンの一連の著作『フェルマーの最終定理』『暗号解読』『宇宙創成』(以上、新潮社)をはじめ、ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの』(草思社)、マーシャ・ガッセン『完全なる証明』(文藝春秋)、マンジット・クマール『量子革命』(新潮社)など、数学・物理学系の一般向けの書籍から専門書まで幅広く手がける。数学の普及への貢献により2007年度日本数学会出版賞受賞。本書は初の書き下ろしとなる。 宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論 (講談社現代新書) by 青木薫 古代ギリシャの数学は、紀元前六世紀ごろに活躍したピュタゴラスに始まり、彼が設立した教団とその流れを汲む人たちが、ひとつ、またひとつと幾何学の定理を証明するうちに徐々に成果が蓄積されて、紀元前三世紀に、エウクレイデス(ユークリッド) の『原論』(ギリシャ語で「ストイケイア」、基本命題集というほどの意味) としてひとつの頂点に達した──というのが、長らく定説だった。今もたいていの本にはそう書いてあるので、きっとみなさんもそのように記憶しているだろう。 古代地中海世界で生まれた二つ目の宇宙像は、今度こそほぼまちがいなくピュタゴラスに発し、プラトンからアリストテレスへと引き継がれた、有限な「コスモス」像である。コスモスという言葉通り、それは秩序ある宇宙だった。 もともとピュタゴラスは、「大地は球形をしており、他の天体とともに、宇宙の中心火のまわりに円を描いて運動している」と考えていたと伝えられている。つまりは、一種の地動説である。 たとえば、若き日のマキャベリは、『ものの本性について』をまるまる一冊、自ら書写し、所有していたことが現代の研究により明らかになっているし、前章で登場した知識人モンテーニュは『随想録』の中で、ルクレティウスの文章を百ヵ所以上も字句通りに引用している。こうして、古代の原子論と無限宇宙の考え方はよみがえり、知識人のあいだにじりじりと支持を広げていった。 では、その物質世界を、神はどのようなものとして創造したのだろうか? ニュートンはその点に関して、『プリンキピア』を書き上げたころを境に考えを変えたようである。『プリンキピア』とは、正式名称を『自然哲学の数学的諸原理』といい、古典力学を確立し、ニュートンの重力理論(いわゆる万有引力の法則)を打ち出した、近代自然科学の歴史上おそらくはもっとも重要な著作である。 絶対空間と絶対時間にもとづくニュートンの古典力学体系は絶大な成功を収め、ニュートンの無限宇宙は、それから二百五十年にわたり科学的宇宙像であり続けた。しかしその宇宙は、神がたえず介入していなければ重力崩壊する宇宙だったのである。 ニュートンの無限宇宙に潜んでいたこの深刻な問題に立ち向かったのが、二十世紀が誇る知の巨人、アルベルト・アインシュタインである。 一九〇五年にアインシュタインはまず、ニュートンの絶対空間と絶対時間を解体し、新たに「時空」という概念をもたらすことになる特殊相対性理論を発表した。それからおよそ十年後の一九一六年、彼はその特殊相対性理論に重力を取り込んだ一般相対性理論を発表する──それはニュートンの重力理論を包含する、アインシュタイン版の重力理論だった。 だがリーマンの登場により、そんな状況が変わりはじめる。リーマンは、幾何学的な空間のいたるところで、空間が自由に伸び縮みできるような幾何学──リーマン幾何学(微分幾何学) ──を創始したのである。 宇宙が「誕生した」というからには、宇宙を誕生させた何者かが存在するにちがいなく、その何者かは「神」ということになりそうだった。そんなあからさまに宗教臭い説を、カトリックの司祭だというルメートルが唱えたとあって、ほとんどの物理学者は激しく反発した。アインシュタインもルメートルに面と向かって、「あなたの数学は正しいかもしれないが、あなたの物理学は忌まわしい」と言ったというから、相当なものである。じっさい、その当時は多くの物理学者が、宇宙には始まりがあるというその説を、キリスト教の逆襲だと受け止めたのだった。 アウグスティヌスはキリスト教の歴史上、もっとも尊敬される人物のひとりであり、その魂の遍歴をつづった著作『告白』は、今日なお世界中で読み継がれている。わたしがはじめてアウグスティヌスの『告白』を読んだのは、一九八〇年代の後半のことだった。彼の半生の回想に当たる前半部分(岩波文庫『告白』上巻) を読み終え、有名なアウグスティヌスの時間論が含まれる後半(下巻) に進んだとき、わたしは「えっ!」と驚いた。アウグスティヌスが、神の全知全能性にもとづいて論証する時間と空間の創造が、ビッグバン・モデルが描き出す宇宙誕生の考え方に酷似していたからである。 そこでわたしは当然のごとく、こう考えた。カトリックの司祭だったというルメートルの膨張宇宙説は、キリスト教神学に根ざしていたとみてまずまちがいないだろう。キリスト教文化圏である西欧でビッグバン理論がすんなり受け入れられたのは、そんな宗教的な土壌があったからなのだ、と。 しかし、その後知ったことだが、わたしのその考えは、偏見にもとづくありがちな思い込みだった。「ビッグバン理論はキリスト教思想から生まれたのだろう」というのも、「欧米にはキリスト教の土壌があるから、ビッグバン理論はすんなり受け入… 現実には、ルメートルは信仰と科学という二つの道を切り離しておくことに心を用い、なおかつその両方を生涯追求した希有な人物だったし、キリスト教神学との類似性は、ビッグバン理論にとって大きなハンデにはなっても、何の得にもならなかったのである。キリスト教文化圏の物理学者たちは、ビッグバン・モデルを歓迎するどころか、科学に宗教を持ち込むものだとして… ボンディはその『宇宙論』の中で、まずはじめに「原理的な諸問題」をいくつか取り上げた。当然というべきか、そこには有名な「コペルニクスの原理」も含まれている。というよりむしろ、「コペルニクス」の名前と「原理」という言葉とを結びつけて、「コペルニクスの原理」という言葉を作ったのは、じつはボンディなのである。彼は、「論理に飛躍もあり、中途半端で不完全ではあるが」としながら、「コペルニクスの原理とでも呼ぶべきものがある」として、「地球は特別に恵まれた場所に位置しているわけではない」という考え方がそれだと説明した。 二十一世紀の今日から振り返ってみれば、二十世紀の後半は、たしかにボンディが説いた通り、ミクロなスケールの物理学と宇宙スケールの物理学との深いつながりが明らかになった時代だったといえる。そんな状況の象徴として物理学者がよく持ち出すのが、自分の尻尾に嚙みつくヘビ、ウロボロスのイメージだ(図3‐1)。 もうひとり、コインシデンスの問題に深く関心を寄せたのが、二十世紀の物理学に華麗な足跡を残した天才、ポール・ディラックである。 しかし、そんな人間中心主義的な考えは到底受け入れられない、とディラックは考えた。そして彼はその代わりに、宇宙の年齢が大きくなるにつれ(つまり、時間が経過するにつれ)、重力の強さが変化するのではないかと考えたのである。初期宇宙では重力が強く、その後だんだん弱まったのだとすれば、この関係はあらゆる時刻で成り立つ関係となり、われわれ人間の存在するこの時代を、何か特権的な時代と考えなくてもよくなるからだ。 ここには人間の自己中心主義に対するディラックの警戒心が見てとれ、それ自体として興味深い。ディラックは、そんな人間中心の考えを受け入れるよりは、物理定数はじつは定数ではなく、時間とともに変化するという、大胆な説を取るほうを選んだのである。 科学は、われわれ人間のありようとは関係なく、その外側に広がる宇宙を理解しようとしてきたのではなかったのか? カーターは、ボンディの言う完全宇宙原理の代わりに、何を受け入れなければならないと言っているのだろうか? じつを言えば、宇宙の年齢に一定の制約があるということに気づいたのは、カーターが最初ではなかった。カーターの発表よりも十年ほど早い一九六一年に、ロバート・ディッケ(宇宙マイクロ波背景放射の検出で遅れをとり、ノーベル賞を逃したあのディッケ)が、そのことを指摘していたのである。 この世界を理解する方法のひとつとして、「目的」という考え方を体系的に打ち出したのは、やはりと言うべきか、万学の祖アリストテレスだった。 彼は、「ものごとは、なぜそうなっているのか?」という問いに対しては、原因を示して答えなければならないと考えた。ものごとは多面的なので、ひとつの原因だけで説明できてしまうということはなく、探究にはいくつものアプローチがあり、それに対応していくつもの原因があるというのは当然のことだろう。 しかし基本的な型は四つだ、とアリストテレスは考え、それらを「質料因」「形相因」「動力因」「目的因」と呼んだ。 物理学者は、この「起こりうることはかならず起こる、何度でも起こる」という考え方を、空気のように吸い込んで物理学者になっている。それはいわば物理の世界の暗黙の了解、一種の常識なのである。しかしそれは量子的な世界での常識なので、日常的な古典物理学にもとづく常識からすると、なぜそんなことが言えるのかと不思議に思われるかもしれない。これはけっこう重要なポイントなので、簡単に説明しておこう。 ──「なぜ自分は今の今まで、 λ はゼロだと決め込んでいたのだろう」と。 たとえば、ポルチンスキーという著名なひも理論家は、「 λ がゼロでないという観測結果が出たら、自分は物理学をやめる」と言っていたそうだ。しかしそのポルチンスキーも目から鱗が落ちたらしく、前言を撤回し、今も活発な研究を行っている。 物理学者は学生のころから、数式をいじって出てきた結果を鵜吞みにせず、その物理的意味をしっかり考えるという態度を叩き込まれる。そんなわけで、数学的な理論から導き出されたものに対しては、物理学者はちょっと意外なほど慎重なところがある。 もちろん、理論から出てきたものに対して慎重なのは健全な態度というべきだろう。しかし、物理学の歴史を振り返ってみれば、物理学者よりも自然のほうが大胆だったということが、たびたび起こったのも事実なのである。物理学者が「単なる数学だ」と言ってしりぞけた奇想天外なアイディアを、自然がちゃっかり採用しているということが度重なったのだ。スティーヴン・ワインバーグは、そんな物理学者たちの過度の慎重さに警鐘を鳴らして、「物理学者は理論を信じすぎるのではない。信じ方が足りないのだ」と述べた。 しかし、本当にそうなのだろうか? 本当に科学は、白黒はっきりさせられるものなのだろうか? わたしはその考えに懐疑的である。というのも、科学においては、何かが絶対に白であることを保証してくれるような、疑うべからざる真理──宗教なら啓示に相当するようなもの──は存在しないからである。 どこまでいっても白黒確定せず、それぞれの結果はどの程度信用できるのか、どんな根拠に裏づけられているのかと、たえず足元を確認し続けなければならないのが科学なのだと思う。その意味で、科学はつねにグレーの階調の中にあると言えよう。むしろ、足元を確かめながら知識を更新していけることこそが、科学の本領であり、強みなのではないだろうか。 原子やクォークやブラックホールの実在性は、今ではほとんど白に近いといえる。それにくらべると多宇宙ヴィジョンは、はるかにグレーの色味が濃い。それでも多宇宙ヴィジョンはすでに、更新可能な科学的知識という領域の中に入り込んでいるように思われるのである。 つまるところ、人は誰しも、自分が生きる時代の文化と手を切ることはできない。科学者とて、それに関してはほかのどの分野の人たちともなんら変わるところはない。それどころか、もしも科学者が時代と完全に切り離されていたとしたら、まともな仕事はできないだろう。科学者はその時代その時代に、今、何が重要な問題なのだろうかと知恵を絞り、手持ちの道具を使って、目の前の問題に立ち向かうしかないのだから。 後世から見れば的外れだったり、トンデモだったりするような問題意識に駆り立てられていたとしても、それぞれの時代の深い問題に立ち向かうことで、科学者は知識の更新に貢献することができる。過去の巨人たちがどんな色眼鏡をかけていたとしても、続く世代の科学者たちはその肩の上に立ち上がり、新たな眼差しで少し遠くまで見ることができるのである──現代の科学者たちもまた、この時代に特有な色眼鏡をかけているにしても。
0投稿日: 2024.06.26
powered by ブクログ宇宙にたいする見方がどのように変わってきたかがまとめられている これまで、人間原理のことを狭義の観測バイアスとしてしか認識していなかったため何でそんなに論争が起きているのか疑問だったが、科学、宗教的背景の違いによる違いや、多宇宙のより詳細な議論がされていることなどを知り色々と合点がいった。
0投稿日: 2024.06.01
powered by ブクログ本書で出てくるワードをネットで検索しながら何とか読み終えました。 人間原理、コインシデンス、ひも理論、多元宇宙論、その単語の意味や概要はわかりましたが、その論理展開や発見された方法は難しくて、正直半分も理解出来ませんでした、、 これからは私立文系らしく、理系の新書には手を出さないようにします、、、
0投稿日: 2023.08.22
powered by ブクログ「フェルマーの最終定理」や「宇宙創造」の翻訳者で、ご自身も理論物理学の博士という著者による、宇宙についての考え方の変遷についての解説です。特に、人間原理という人間を作るために宇宙が存在するという、ちょっとトンデモ理論に思える考え方について焦点を当てているところが面白い。 人間原理というのは人間が登場するために無から宇宙が誕生し進化するという説で、それを為すのは神のみだろうということになり、科学者からは敬遠されてきました。ところが、近年になって、量子論や真空におけるエネルギー論などから、様々な宇宙が無数に作られており、その中のたまたま一つに我々が住んでいると考えるのが理論的に自然である、ということになってきた(これもまたなかなかスゴイ発想ですが)。人間は人間が存在できる宇宙にたまたま存在しているだけである、というように、新たな人間原理が言われるようになってきたのだそうです。 昔から、勉強や仕事、人間関係に疲れると、気分転換に宇宙に関する本を読んできました。視点が抜本的に変わって、落ち着くことが多いのです。それでも、近年の宇宙論の変化は刺激的すぎて、ちょっと興奮してしまうかも。この分野の読書、少し掘っていきたいと思います。
0投稿日: 2021.05.20
powered by ブクログこの世の物理法則や宇宙は、それを観測できる人間の存在が理由で存在しているという人間原理。最初読んだときアンチ科学主義か?と思ったほど馬鹿げた理論だと思い込んでいたけど、実際に科学者たちによって一定数支持されているとわかった時は驚いた。 確かに物理定数や、原子のサイズが仮に少しでも違う値だったら、この宇宙を維持することはできず、人間は存在しえないのだから、こういった理論にも妥当性があるのだろう。とても文系脳では追いつくことはできないが、一見、科学の考えと思えない説が存在するのは興味深い発見だった。
0投稿日: 2021.04.12
powered by ブクログ「人間原理」なんて当たり前じゃないか、と思っていたが、僕はどうやら「弱い人間原理」と「強い人間原理」を区別して理解できていなかったようだ。 人間原理というのは、20世紀半ばにケンブリッジ大学の物理学者ブランドン・カーターによって提案された、宇宙物理における原理である。その背景には、物理定数の様々な組み合わせから10^40という無次元量が見られる「コインシデンス」があった。些か数秘術じみている気もするが、それはともかく、この理由を考えていくうちに生まれたのが人間原理であった。 人間原理には、弱い人間原理と強い人間原理の二つがある。前者は「宇宙における私たちの位置は必然的に、観測者としての私たちの存在と両立する程度に特別である」(三浦俊彦『論理学入門』p.153)というもので、後者は「宇宙は、その歴史のどこかにおいて観測者を創り出すことを許すようなものでなければならない」(同、本書には一般的な形の人間原理のステートメントが書かれていなかったので、三浦から引いた)というものである。 簡単に言えば、前者はこの宇宙に観測者(人間)がいるという事実から物理定数の値がなぜそのような値なのかを説明する立場である。例えば、もしも重力の値がこの宇宙での値より大きければ星はグシャッと潰れ、人間どころか如何なる生命も生まれないだろう。一方で、重力が弱くても、宇宙にあるのはガスばかりで生命が生まれそうにない。弱い人間原理は、現代の言葉で言えば「観測選択効果」の一種として説明される。「実験家ならば誰しも、観測選択効果のことをつねに念頭に置いている。例としてよく持ち出されるのは、湖に網を打って魚を捕るという話だろう。もしも網目が直径5センチもあるような粗い網だったなら、小さな魚は網にかからず、漁師は、「この湖には胴回りの直径が5センチ以下の小さな魚はいないようだ」と結論してしまうかもしれない。一方、もしも直径5ミリほどの目の細かい網を使ったとしたら、メダカのような小さな魚もどっさりかかるだろう。どんな網を使うかによって、見えるものがちがってくるのである。」(p.151)言ってみれば当たり前のことで、実際殆どの物理学者は弱い人間原理に関しては問題にすらしていないそうだ。 一方で、如何にも眉唾で、発表当時多くの物理学者から反発を受けたのが強い人間原理である。というのも、その主張から、人間中心主義、或いは「目的論」が透けて見えるからだ。勿論それはカーターも分かっていて、そこで彼はこう述べた。「物理定数の値や初期条件が異なるような、無数の宇宙を考えてみることには、原理的には何の問題もない」(p.159)これが、人間原理におけるマルチバースである(世界アンサンブル、多宇宙ヴィジョンとも)。 マルチバースという概念がまともに取り上げられるようになるには、宇宙論・素粒子論の発展を待たねばならなかった。宇宙論ではインフレーション+ビッグバン仮説が有力視されるようになっているが、この理論からはマルチバースという考えが自然に出てくる(この見方では、マルチバースではなくメガバースと呼ぶ方がより適当らしい)。また、素粒子論において究極の理論の最有力候補であるひも理論では宇宙は11次元であるとされており、宇宙のあり得る可能性は膨大なものとなる。 宇宙(universe)が一つのものだという考えの下では、強い人間原理は確かに目的論に堕してしまうが、宇宙が複数(それも膨大な数が)存在する事を認めてしまえば、強い人間原理も単なる観測選択効果となるのである。 ただ、本書でも指摘されていることだが、他の宇宙というのはこの宇宙から観測不可能であり、その存在を認めることは「検証可能性」を大前提とする近代科学と呼べるのかという疑問がある。マクロ(インフレーションモデル)とミクロ(ひも理論)から、ともにマルチバースの可能性が示唆されているのだから、気持ちとしては、非常にありそうだと思えるのだが、未来永劫存在が確認できないものを仮定して良いのかというところにやはり抵抗がある。今よりもっと研究が進み、マルチバースの(間接的な)裏付けが続々と上がるようになれば、例えばブラックホールやクォークのように、いつかはマルチバースなんて当たり前になるのだろうか?
6投稿日: 2021.03.14
powered by ブクログ「人間原理」というのだそうだ。 そんなことを、とやかくいう発想というかこだわりがそもそもわからないというか、演繹と帰納の問題だと思うのだが違うのかな。 現に人間は存在する。存在するための条件があるわけで、別にそれは人間を存在させるためにあるわけじゃなくて、意思のない現実なだけで。 いずれにしろ、物理と人間を取り巻いてきた科学史の一面として面白く読める。
0投稿日: 2020.12.31
powered by ブクログ科学本の質の高い翻訳で知られる著者が人間原理を平易に解説。多宇宙論につながるという私の理解は間違っていないとわかった。人間原理を受け入れるまでの科学者たちの驚きやとまどいがわかって興味深い。最後の方に展開される著者の科学観は勉強になった。
0投稿日: 2019.09.10
powered by ブクログ自分には内容が難解すぎた。 ・宇宙の膨張 ・フリードマンとルメートル ・ひも理論(ストリングス理論)
0投稿日: 2019.08.12
powered by ブクログなぜ、地球は人間が生きるのに好都合な場所になっているのか・・重力、空気、水、光などどれ一つが欠けても生存できないことを考えれば確かに不思議です。 さらにいえば、この人体の不思議・・単なる細胞の寄せ集めがこれだけ高機能な働きを成し遂げる・・この疑問に最も簡単な答えは、神の意志だという神万能説です。 科学がこれだけ発達した現在でさえ、宇宙は神が人間のために創造したものだと無邪気に信じていた時代から完全に抜け出せてはいません。 我々の今住んでいる宇宙は天文学的宇宙の中の1つに過ぎず、我々のような知能を持った生物の存在も宇宙の数だけ存在するという多宇宙(multiverse)という考え方について、人間原理という禅問答、いや哲学的な考え方が提示される、つまり人間(より正確には生命体)のために宇宙があるという視点から、それなら地球生命体以外の別の宇宙があってもおかしくないという当然の帰結・・しかし果たしてこれは科学なのか? そう、未だ科学では解明できないのが宇宙という存在なのです。
0投稿日: 2019.07.28
powered by ブクログ【由来】 ・図書館の新書アラート 【期待したもの】 ・「重力とは何か」に出ていた「人間原理」の一文字に興味を惹かれた 【要約】 ・ 【ノート】 ・
0投稿日: 2018.10.28
powered by ブクログちょっとうさんくさそうな「人間原理」の話しです。 しかし内容はいたってまじめで面白いです。 有史以来、人間が宇宙を理解しようと格闘する中で、人間原理的な考え方を取り入れたことが理解を進める上でプラスになったことがあった、ということですね。そして現実は人間原理どころか、この宇宙すらたくさんある宇宙の中の一つであるのではないかという考え方に固まりつつあります。(決して人間原理を肯定しているわけでは無い。) 現在の我々の常識では、我々の宇宙以外の宇宙は、決して我々から観測されることはありませんが、それでもこんな結論になってしまうところがすごいですね。 個人的に新しい知見は、COBE の発見した 3K 宇宙背景輻射の揺らぎは、宇宙誕生直後の量子ゆらぎがインフレーションによって拡大されたものであると言うことでした。この「ムラ」によって我々が誕生したとも言えるので、ということは、我々は量子ゆらぎのせいで産まれたのですか。ははぁ、なるほど。
0投稿日: 2018.10.13
powered by ブクログ今までは科学者に危険視されていた人間原理が宇宙論の世界で話題になってきた。なぜ人間原理が復権しつつあるのかを述べる。多宇宙(マルチバース)ビジョンにより人間原理が観測選択効果であるかもしれないと思われてきた。たまたま人間は多くの世界のうちで生存可能なこの世界に存在するという解釈である。古代メソポタミアのカルデア人の世界観から最新物理学のひも理論まで。
0投稿日: 2018.10.11
powered by ブクログ☆どうもよくわからないな。別に人間原理など考えなくとも、人間が認知可能な環境あるいは、環境を踏まえて進化しただけにすぎない。
0投稿日: 2018.10.10
powered by ブクログ★図書館だよりNo.61「一手指南」 榛葉豊 先生(情報デザイン学科)紹介図書 コラムを読む https://www.sist.ac.jp/media/20180604-141345-6533.pdf 【所在・貸出状況を見る】 https://sistlb.sist.ac.jp/opac/volume/166424
0投稿日: 2018.06.01辛口な切り口で俗説を見直し
歴史の見解は、俗説を切り崩すもので、なかなか面白い。 人間原理への階段はもっと何かあるのかと思っていたが、あっさりと答えが出て、その後は、理由をあれこれ述べるのだけど、私には面倒になってくる、愚痴感がちと残念。
0投稿日: 2018.03.04
powered by ブクログかなりレベルの高い現代物理学における宇宙論の解説書 物理学者たちが、我々の宇宙の物理定数が、なぜこのような数値になっているのかについて、必然性はなく、多数の宇宙のうちたまたまこのような数値にをとった宇宙に我々が存在しているという見解に至る歴史を描いている。
0投稿日: 2017.11.23
powered by ブクログ人間原理の本。多宇宙になってないとおかしいと思う派の京大出身の科学ライター? そういう気はします ・COBEのグループによる「ゆらぎ発見」の報道に接し、物理学者の中には、あらためてこう感じた人が大勢いたのではないだろうか。「これ(宇宙の誕生)が、一度きりの出来事であるはずがない」と。 私自身、そう感じた者のひとりだった。「二度あることは三度ある」と世間ではいうけれど、物理学者から言わせれば、「起こりうることはかならず起こる、何度でも起こる」のである。 物理学者は、この「起こりうることはかならず起こる、何度も起こる」という考え方を、空気のように吸い込んで物理学者になっている。それは言わば物理の世界の暗黙の了解、一種の常識なのである。 ・むしろ、「なぜ、この宇宙だけだと思い込んでいたのだろう?」と不思議な気がするほどだ。わたしはこの宇宙の唯一性を、もはや信じる気にはなれないのである。
0投稿日: 2017.07.01
powered by ブクログコペルニクスによって地球は特別な地位を失ったとか、アインシュタインが宇宙項を生涯最大の失敗と悔やんだとか、宇宙好きにはよくある話の信憑性を疑う記述が面白かった。へえ~、そうだったのね。 が、肝心の「人間原理」についてはなんだかいまいちわからず。 ん?「世界には幾つもの宇宙があって、そのうちのたまたま一つに我々がいる」という世界観が人間原理ってこと?結局人間原理って何なんだ? いや一冊読んだのに、ぜんぜんそもそもを理解していないのであった。
0投稿日: 2017.02.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2013年刊。著者はサイモン・シン著作の訳者として著名なライター。◆佐藤勝彦氏が提唱した多宇宙論(マルチバース論)を齧っていれば、人間原理自体が問題視されているとは思わないだろう。が、それは多年の困難の克服による。◇物理学者が敵視する人間原理。これは物理学者を歴史的に迫害してきた象徴たる「神」「宗教」に起因するもの。現代までの神克服の過程を経て、マルチバース論における人間原理に関しては、目的論的人間原理ではなく、唯の観測選択効果=観測の技術的限界を示唆するに止まるものに。ここまで到達したことを本書は提示。 ◆この克服は、ストア学派に淵源を持つ目的論的人間原理を、物理学者が警戒し排しつつ、観測手段の技術的発展に注力。それに基づき観測事実を積み重ね、一方、それと軌を一にする如く、理論面を精緻化していく過程そのものである。◆著者は言う、「人間原理は、(ストア派的に)この世の一切は人間のために神が作り給うたこと」だが、「神を信じる人々の心にストンと落ちやすい」一方(全能の神に似せて人間は作られたという意識に整合的)、科学的探究を袋小路に陥らせてしまう(思索も調査検討も不要で、楽な方に流れ得るから?)。 これは現代でも妥当する問題意識(149頁)。例えば、地球温暖化は神が差配した結果だから、人間を滅ぼすものであるはずがない、といった思考が妥当しそう。そういう科学的な探究の阻害要素に、自覚的になる上でも本書を読破する意味は高い。
0投稿日: 2017.01.24
powered by ブクログ人間原理の歴史がエピソード絡めて紹介されてました。 私のレベルでは、なんだか言葉を弄しているだけのように見えて、あまり面白くなかった…。
0投稿日: 2016.04.04
powered by ブクログ本書では、宇宙論の歴史について、その中で人間中心主義がどのように扱われてきたかを軸に描かれている。 古代から、コペルニクス、ニュートンなど多数の科学者の長年の研究を経て、宇宙はあらゆる物理定数が今のような値でなければ存在しえないことが明らかにされるに至り、アインシュタインが究極のテーマと位置付けたのは「神が宇宙を作ったとき、ほかに選択肢はあったのだろうか?」、即ち「宇宙はなぜこのような宇宙なのか?」ということであった。 それに対して20世紀半ばに出てきたのが、「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないからである」という、一見科学的ではない「人間原理」と言われる考え方であった。 そして、その後の研究で、「インフレーション・モデル」、「ひも理論」いずれからも、宇宙は無数に存在するという「多宇宙ヴィジョン」が導かれ、アインシュタインの究極のテーマは、「われわれは存在可能な宇宙に存在しているだけであって、この宇宙がこのような宇宙なのはたまたまなのである」という答えが得られそうなのだと言う。 しかし、この結論は、人間中心主義を排除することによって進歩を遂げてきた現代科学において、「未来永劫観測することのできない多宇宙ヴィジョンは、科学と呼べるのか?」という、科学についての究極とも言える争点を提示しているのだとも言う。 この論争にいつか決着のつく日は来るのだろうか。 (2014年5月了)
0投稿日: 2016.01.11
powered by ブクログ以前に同じような本を読んだことがあるが、その簡易版。むしろ、人間性原理の歴史的意義の流れに結構、紙面を割いている。マルチバースの考え方と、人間性原理の考え方のつながりが、まだしっくりこない。
0投稿日: 2015.12.31
powered by ブクログズバリ『人間原理』をテーマにした本。 この宇宙のあらゆる物理定数は、われわれ人間(観測者)が存在するために都合よくできている。なぜか? それは、人間のために宇宙ができたという「目的論」を示すものでは決してなく、ひとつの問題提起である。その問題に対し、今日有力視されている回答がマルチバース(メガバース)である。宇宙が無数に存在しているのであれば、われわれの宇宙が現在の物理定数を有するのは「たまたま」であり、われわれは存在できる宇宙に存在しているに過ぎないという「観察選択効果」で説明できる。
0投稿日: 2015.11.12
powered by ブクログ面白く読めた。人類が紀元前の昔から現在に至る迄、世界は、物質は、宇宙はどうなっているのかを説き明かして来た歴史を、こんな薄い新書に平易に、飽きさせること無く書かれています。
0投稿日: 2015.11.11
powered by ブクログhttp://bookclub.kodansha.co.jp/title?code=1000010638
0投稿日: 2015.07.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
サイモンシンの「宇宙創成」と話が重複する部分があるが、本書で紹介している人間原理は非常に興味深い。 宗教的価値観におちいることを恐れるあまり、偶然の排除と客観性に必要以上に囚われた科学的考え方に対する問題提起。 「この宇宙がこのようにできているのは、そうできたからだ」という、まるで聖書のような文に納得させられる。 我々人間がこの宇宙に存在してこうして宇宙を観測するためには、宇宙の物理法則や定数はこうなる以外になかった、そうでなければ我々は存在し得ないという観点。 ”神”はいくつも宇宙を作り、それぞれにでたらめな初期値(=物理法則、定数)を与えたかもしれないが、我々が生まれて観測できるのは「この宇宙」だけだから、この宇宙が人間に都合のいいようできているのは必然。
0投稿日: 2015.02.01
powered by ブクログ2013年発刊。とてもおもしろかった。 天文学の歴史がこの一冊でざっとわかります。 理解力の乏しい僕ですら楽しめるくらいですから。 ええ。 【以下へぇ〜って思った点】 地球の自転=1日、月の満ち欠け=一ヶ月 季節のめぐり(地球の公転)=1年 地球と月と太陽という三つの天体が暦の元になっている。こんなの今さらすぎますが、僕はへぇ〜と思いました。昔の人たちは夜空をずっと観察しながらこの世界とは何なのかを探ろうとした訳ですな〜。 バビロニア国カルデア人が一日を24時間に区切り、一週間とう区切りを設けた。月〜日の曜日なんかも。 天動説から地動説へ。人間中心主義が崩壊。 宇宙の果て。ユークリッド幾何学。アインシュタインの登場。ビッグバンモデルの登場。 宇宙の晴れ上がり。コインシデンス。10の40乗。宇宙の平均温度はマイナス270度。インフレーションモデル。 ユニバース(単一宇宙)ではなくマルチバース(多宇宙)の考え方が有力に。 原子→原子核(中性子と陽子それをとりまく電子)→クォーク。 クォーク(粒子)以外にもさまざまな粒子が発見される ビックス粒子など。 ひも理論。10次元。もう訳わかんない。 現代では多宇宙論があたりまえの説となっているそうです。 しかもその宇宙の数は人間が確認できる範囲外すぎてお手上げ状態。 結局、僕が感じたのはこの果てしない宇宙の歴史の中で、この地球で生きているということは、瞬きよりも短いくらいの本当に一瞬のできごとなんだということ(地球の寿命ですら)。しかも宇宙全体からすれば、すごくマイナーというか些細なできごと。 偶然なのか必然なのかわからないけれど、奇跡すぎる世界を生きていること。 すごいよ。
0投稿日: 2014.12.18
powered by ブクログ宇宙の見方の科学哲学史。 初期の天動説、あるいはギリシャ時代の単純な地動説から、コペルニクスによる地球の太陽系での相対化が行われたとされるが、実はコペルニクスはそれも神の意図を知る上でのものであったと考えていた。むしろ後世の科学者たちがキリスト教的世界観からの離脱がこの時行われたと見た。また、ニュートン力学は依然完全統一理論を希求するところの出発点であり、アインシュタインもその系譜に載るが、量子力学や多元的宇宙論が出てくることで、現在の宇宙はたまたま人間が観測できている時代、空間にあるからだという、逆の意味(確率論的であるが)で人間中心論に戻って来ている。
0投稿日: 2014.10.11
powered by ブクログ感動した。コペルニクスの話からマルチバースに至るまで、知っているといえば知っている話だが、人間原理という観点からまとめあげて納得させる著者の力量はさすがだと思う。そして行間に垣間見える、宇宙科学に対する思い入れの深さに共感を覚える。ところで人間原理的な観点から見ると、我々はこの宇宙の中で孤独な存在なのだろうか。
0投稿日: 2014.08.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「われわれは存在可能な宇宙に存在しているだけであっ て、この宇宙がこのようなのはたまたまである。」 分かったようで、多分、分かってないだろうが・・・ 大変、面白い本だと思った。 【再読】 神という言葉は、人間の弱さの表れ・・ 「人間原理」 無数の宇宙 ”10の40乗という巨大数がたびたび現れるというコインシデンスに目をつけ、そのにミクロとマクロのスケールのつながりを解明する鍵があるかも知れない” 4つのちから 原子==>原子核==>陽子==>クォーク 物質粒子、ゲージ粒子、ヒッグス粒子
0投稿日: 2014.05.21
powered by ブクログ人間原理的な考え方は、まだ科学を十分に学んでいない小学生ぐらいの考え方だと思っていた。しかし、その人間原理が常に最先端の宇宙論の中で見え隠れしているという構図が面白い。 著者の青木薫氏は数々のサイエンス・ノンフィクションを翻訳していて、幅広い知識と分かり易い説明が特徴なので、本書もすんなりと読み進める事が出来る。 標準理論での限界や、インフレーション理論とひも理論のオーダーが全く異なる両極端から多宇宙ヴィジョンがでてくる件は非常に興味深い。 現在測定可能な宇宙と、多宇宙ヴィジョンが相容れない事も事実であろうし、我々が生きている間に検証が行われる可能性少ないだろうが、固定概念にとらわれず想像力を働かせる事により宇宙誕生の全体像が説明出来ると考えるだけでワクワクする。 「確実に正しい事などない」という疑問を持つ事が科学を進歩させる。 人間原理にもとづく宇宙論は、我々信じている科学がまだまだ発展途上であることを教えてくれているということではないか。 また、多宇宙ヴィジョンが間違っていたとしても実生活にはなんの支障もないであろう。 最先端の科学的アプローチの方法そのものを楽しめるのだから幸せな時代だと言える。
1投稿日: 2014.05.10
powered by ブクログ人間原理とはなにか。「宇宙がなぜこのような宇宙であるのかを理解するためには、われわれ人間が現に存在しているという事実を考慮に入れなければならない」という考え方のこと。作者は古代メソポタミアまでさかのぼり、人間原理とはなにか、なぜそんな考え方が生まれたのか、そしてその教訓は何であるのかをあきらかにしていく。 なぜ歴史をたどることが必要なのか? 宇宙論の歴史が、神が世界をどうつくったのか、そのなかで地球がどのような地位にあるのかという問いへの答えとして進化してきたからだ。たとえば本書では地動説を打ち出したコペルニクスが「人間を宇宙の中心から追い出した」犯人ではなく、「人間は特別な存在」だと思っていたことが明かされる。キリスト教的世界観では、天に近いほうがよい場所であり、中心=下の方は地獄であって、コペルニクスは地球をよりよい場所に位置づけたのだ、なんてことは本書を読んで初めて知ったことだ。 第2章から、天の全体像を人間はどう考えてきたのか、宇宙論がなぜ出てきたのかと話がすすんでいく。ニュートンの宇宙では、重力の作用により、宇宙がそのうちひとかたまりになってしまうこと。アインシュタインの宇宙で「宇宙が空間的に閉じている」なら「地の果て」が存在しなくなることになり、ひとつの回答を得たこと。ところがそうした静的な宇宙観を破るビッグバン・モデルが徐々に力を得ていったこと。そうした背景のもと、「人間原理」がなにを提起したのかが描かれる。 「宇宙がなぜこのような宇宙であるのか」という問いは、「各種の物理定数がなぜこのような値を取るのか」と言い換えることができる。しかし、「人間原理」はその問いに意味があるのかどうかを問題にする爆弾のようなものなのだ。 サイモン・シンの一連の著作などの翻訳で、すばらしい仕事をされている著者。自分で書いている本書も、訳文以上に読みやすく、一度で理解できて、さらに読者をぐいぐいと先に引っ張っていく力強さがある文章で書かれている。新書1冊で、これだけまとまりのある、内容のある宇宙論が読めるのは幸せなことだ。
1投稿日: 2014.04.18
powered by ブクログ青木薫氏の初の著書ということで話題になっているようだ.本格的な内容は最近の新書の中ではかなり硬派な部類に属するだろう. カーターの強い人間原理(p.155)とは 宇宙は(それゆえ宇宙の性質を決めている物理定数は), ある時点で観測者を想像することを見込むような性質を持っていなければならない.デカルトをもじって言えば, 『我思う.ゆえに世界はかくの如く存在する』のである. ということ.ストア学派の目的論の再生のように考えられた人間原理が,ビッグバン・インフレーションモデルから多宇宙ヴィジョンの誕生という宇宙像の変遷の中で,観測選択効果として受け入れられるようになっている. というのが内容. 前半のギリシャ以来の宇宙観の解説が長い,そして少々退屈.先に進むと必要だというのはわかってくるのだが.人間原理が登場するのは半ばより後で,それ以後の展開ははやい.そしてゆっくり読まないと難しい. こうなると物理と哲学の距離はかなり近そうだ.大変だろうな.
3投稿日: 2014.04.01
powered by ブクログ非常に分かりやすい! 分かりやすいんだけど、相変わらず「宇宙」というものは分からない。 人間原理というおよそ科学的ではないと思われていた考え方により、宇宙の起源・有様を考える。 なぜこのような宇宙なのか=たまたま人間が存在しているこの宇宙を、人間が観測しているから 言われてみれば、まぁそうかもしれないと納得。 つまり、宇宙はユニバースではなくマルチバースでありメガバースだった。 たくさんある宇宙の中の1つの宇宙たまたま我々人間が存在しているだけ。 現在では証明不可能のようだけど、いつの日か科学者が明らかにしてくれる日が来るだろう。 ロマンだ!
2投稿日: 2014.03.27
powered by ブクログ最新の宇宙論のひとつである"人間原理"が導かれた背景について、古代ギリシャ以降の宇宙論の変遷をなぞりつつ丁寧に語る。 古代の"神が作った"=人間のための宇宙の理念を破ったコペルニクスの原理。 ・宇宙における人間の居場所は、なんら特権的なものではない ・宇宙には特権的な場所はない このコペルニクスの原理が長らく科学的考え方のベースになっていたが、現代の多元宇宙論に至って状況が変わる。一度ビッグバンが起きた以上、それは何度あっても不思議ではない。そうして宇宙は無数に誕生し、その中でたまたま、この宇宙は人間が存在するに都合のよいものであったという。 ⚪︎物理学者は、この「起こりうることはかならず起こる、何度でも起こる」という考え方を、空気のように吸い込んで物理学者になっている。それはいわば物理の世界の暗黙の了解、一種の常識なのである。
0投稿日: 2014.02.23
powered by ブクログ科学関係の良書をたくさん翻訳している著者による人間原理による宇宙論を解説した一冊。 著者の訳はどれもこなれていて、素人でも読みやすいのが特徴だが、その力が決して翻訳だけではないことを教えてくれる。本書では、つい最近まで異端視されていた人間原理に宇宙論(簡単にいえば「人間がいるからこの宇宙がある」)という考え方を分かりやすく解説している。 SFファンとしては、すんなり納得できた原理だが、本職の人にとっては別の見方もなるのだろうと思う。しかし、天文学者や宇宙物理学者という人々は日々このようなことを考えているのだろうか。頭が下がる。
0投稿日: 2014.02.09
powered by ブクログ化学は物事を明らかにする。事象に光を照らす。そういうものだと思っていた。 しかしながらこの本で描かれるのは、薄暮の世界。 少しずつ角度を変えて世界を照らしていく、そういった科学の歴史。 めまぐるしく化学が進化してきているように感じるけれど、論理のみでは化学は進まず、観測機器や社会情勢の変化による意識の変化も必要で、ほんとにゆっくりである。 そもそも私自身ビッグバンってなんなの? え? 多次元宇宙ってSFの世界じゃないの?というレベルなので何度も読み返さないと理解はできないのだけれど、ゆっくりと一歩一歩仮説を重ねて研究を進めていく世界なんだなあ……と面白く感じた。 もっと科学的教養があれば楽しいんだろうけれどね! 少なくとも、あと5回くらいは読み直し、読んで驚ける自信がある。それくらい理解できてない。
0投稿日: 2014.01.27宇宙がこのような宇宙なのはたまたまである
山本弘が描く「MM9」の世界に登場する「多重人間原理」。我々が知っている物理宇宙である「ビックバン宇宙」と怪獣が存在する「神話宇宙」。異なる宇宙が同居する世界で展開するこの怪獣SFが面白くその根幹部分となる「人間原理」という理論に興味を持ち読んでみた。 「人間原理」とは簡単に言うと「宇宙が現在のような姿をしているのは、人間が存在するからだ」という考えだ。 その昔「人間原理」は宗教と結びついて都合のいいように解釈され使われてしまったという不幸な歴史があるが、最新の宇宙論を考えていく中でこの「人間原理」の考えを取り入れたほうがすっきり説明することができるということで再評価されている。 人間原理には強弱があって ・「弱い人間原理」は、宇宙の長い歴史のなかで今この瞬間我々人間が宇宙を観測できている (宇宙>人間:∞対1) ・「強い人間原理」は、宇宙は人間が観測して初めてそこに今のありようを持って存在している (宇宙=人間:1対1) となっている。 弱い方は科学者としても受け入れられるが、強い方はムリというのが今までの考えだった。しかし現在の宇宙を構成している物理定数(重力や電磁力の強さの値など)が何故この値なのか?を問い詰めていくとあまりにも人間に都合のいい数字なので、どう説明するのと悩んでいたわけだ(偶然です、たまたまですとは言えないので)。ところが最新の宇宙論「ひも理論(ミクロ)」と「インフレーションモデル(マクロ)」から同じように沢山の宇宙が存在するという答えが出てきたのだ。つまり我々の宇宙が唯一無二の存在でないということから「われわれは存在可能な宇宙に存在しているだけであって、この宇宙がこのような宇宙なのはたまたまである」といってもいいんじゃないということで人間原理に注目が集まっているのだ。これは「強い人間原理」を提唱したブランドン・カーターという物理学者が「物理定数が違った別の宇宙を考えてみることに何の問題もない」といっていたことにマッチする。面白い! この多宇宙解釈は、量子論の多宇宙解釈(擦り切れるぐらいSF小説で使われている)とは若干趣が違う。それぞれの宇宙にいる観測者はその宇宙の地平を越えては他の宇宙を観測したり認識はできないとのこと。ですので「MM9」世界のように同居や認識は出来ないらしいのだが、さて科学の世界では新らしい仮説がそれまでの定説を覆えす歴史が繰り返されているのでこの説がいつか覆って小説世界のような世界がひらけるかもしれない。直近の100年は観測機器が飛躍的に進歩して今まで確認できなかったことができるようになった為、これからもどんどん宇宙論は変化していくでしょうね。楽しみだ。
0投稿日: 2014.01.24
powered by ブクログサイエンス・ノンフィクションの翻訳と言えば、今は右に出るものがいないのではと思われる青木薫さん。堀江貴文も『ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた そしたら意外に役立った』の中で、「彼女が訳しているものであれば即買いしてもいいくらいだ」と評している。自分もそう思う。堀江さんがそう言ったからというのではなく、自分自身も2010年の段階で『完全なる証明』を読んだレビューで「翻訳者の青木薫さん、サイモン・シンの一連の著作も翻訳していますが、読みやすくていいですね。」ときちんと書いている。科学ものの翻訳は重要。思わず翻訳者の名前を書評に出してしまうくらい、他と比べて違うのだ。 その彼女がオリジナルの著作を出すというからには、そこには彼女が世に出したいことがきっとあるはずだ。その答えは、疑問形のタイトルに集約されている。つまり「人間原理」だ。 科学的説明の放棄とも考えられてきた「人間原理」が受け入れられつつあるということなのだが、その背景として、多宇宙論が近年その正当性を増してきているという現状がある。多宇宙論については、例えば、リサ・ランドールの『ワープする宇宙』やブライアン・グリーンの『隠れていた宇宙』などの優れた一般向けの本があるが、それらの本を読んでも、どうやら「多宇宙ヴィジョンはほとんどデフォルト」というのがこの世界のコンセンサスのようだ。著者も言うように、「この十年間に人間原理をめぐる風向きは変わった」のである。無限にも近い多宇宙の存在があるのだから、われわれ観測者である人間が住む「この」宇宙において各種のパラメータがまさにこの値であることが説明可能なのである。 その上で、「多宇宙ヴィジョンは科学なのか」という正当な疑問が出てくる。つまり反証可能性(すなわち観測可能性)がないものが科学的と言えるのかという健全な疑問だ。それでも、素粒子論が「宇宙がこのような宇宙であること」を説明してくれない以上、多宇宙を前提とした「人間原理」が妥当性をもっているように見える。 「もし百年後の人びとが振り返ってみたとすれば、われわれの生きるこの時代を、宇宙像に大きなパラダイムの転換が起った時期と位置づけるにちがいない」と言う。そして、その知識の更新による「知のドラマ」は現在進行中なのだ。その知的高揚感が著者がこの本を(最初のきっかけから十年もかかった後でも)書き上げた理由だろう。 青木さんが翻訳したローレンス・クラウス『宇宙が始まる前には何があったのか?』も読んでみたい (kindle化待ち)。 青木さん、これからも素敵な本の翻訳もよろしくお願いします。
2投稿日: 2014.01.13
powered by ブクログ科学関連書籍の翻訳家として定評のある青木薫による宇宙論の解説書。古代メソポタミアの時代から現代にいたるまで、科学者が「宇宙」をどのように捉えていたか、その流れをこれ一冊で概観しようというのだから、大変な意欲作である。そして、その試みは、概ね成功していると言ってもよいだろう。 これから大学を志す高校生にも、専攻選びに迷っている大学生にも、むかし科学を志していた社会人にも勧められる一冊。
0投稿日: 2014.01.05
powered by ブクログサイモン・シンの訳者で知られる著者の書き下ろし。 新書らしく、一般にも分かりやすく科学の知見を歴史的推移に沿って紹介。科学から人間原理が生まれてくることを、というより科学が人間原理を利用できる局面を紹介している。 つまり、まだまだ科学が解明できている領域は限定的であること。 でも、一番驚いたのは、クォークモデルを提唱した本人が、「クォークを実在物と考えるべきではありません。クォークは数学的な工夫にすぎない」と言明していたこと。 これは現実は理論物理学を超えていたことを証明している。 てことは、実際の宇宙の姿には人間の知見はまだまだ追いついていないのかも。
0投稿日: 2014.01.04サイエンスライターの名翻訳者 青木さん10年がかりの書き下ろし
青木薫さんと言えばサイモン・シンの暗号解読やフェルマーの最終定理、マーシャ・ガッセンの完全なる証明などなど。サイエンスライターの翻訳者としては指名買いして間違いない。そんな青木さんが10年がかりで書き下ろしたのが本書で、テーマは人間原理と言う。 物理学者の言う所の言う所の人間原理とは「我思う故にこの世界はある」とでも言ったところで観測者(人間)のために世界はこのように作られていると言う概念が含まれている。いわば神の摂理でこうなったと言うものだ。物理学者としてはこれは受け入れられない。一方でもっと簡単な説明もある。「たまたま」世界はこうなった、だ。これも物理学者は受け入れられない。宇宙を理論的に解明しようとした結果が神頼みでもたまたまでもそれでは学者の出番が無いのだ。 科学が神様から離れたのは一つはコペルニクスの地動説であり、もう一つはこの本のテーマではないがダーウィンの進化論だ。コペルニクス自身は宇宙は人間のために作られたと考えており神を否定しているわけではなかった様だが。また進化論に関してはインテリジェント・デザインと言う進化論を組み込みながらもそれも含めて偉大なる知性(わざわざ神という言葉をはずしている)が設計したと言う考えも出て来ている。科学者の中にも宗教はそれはそれと両立するひとと、無神論者のいずれもいるようではある。 時代は下がり宇宙のはじまりがビッグ・バンであることが次第にわかってくると神の関与が賦活してくる。「光あれ」だ。しかし、キリスト教圏でビッグ・バン理論が受け入れやすかったかと言うとそうでもなく、物理学者は科学に宗教を持ち込むものとして攻撃した。結局は様々な実験結果からビッグ・バン理論は主流の学説になって来ている。 本書の本来のテーマは例えば光速はなぜこの速度なのかなど様々な物理学の定数や粒子の大きさや質量がどうやって決まったかと言うことである。例えば重力がもう少し強い力であれば宇宙は膨張せずすぐに収縮してしまっていたかもしれない。逆に重力がもう少し弱ければ膨張はするものの星間物質は集まらず、星どころか重い原子すら生まれなかったに違いない。たまたま宇宙がこのように出来たから人類は今ここにいると言うことは言えるわけだ。そこで人間原理(神の摂理とでも言った方がイメージしやすいか?)が出てくるのだが人間原理を拒否し、また「たまたま」でもないとするとビッグ・バンから始まり膨張する宇宙はいくつもあり、違う宇宙では違う定数に支配されているという説(多宇宙ヴィジョン)が支持されて来ているらしい。 「起こりうることはかならず起こる、何度でも起こる。」なんだか宇宙はマーフィーの法則に支配されているような気になる。 科学で証明できないことはまだまだあると言うのは非常に正しい。不確定性原理自体がそのようなものでミクロな領域では位置と速度は一歩を確定するともう一方は全くわからなくなる。確率的にしかわからないのだ。宇宙のなぞも量子論も理論と実証が協力してもわからないことはまだまだあり、ビッグ・バン仮説もいずれはどこかに追いやられるかもしれない。人間原理はいろんなモデルを考えるときに反証すべき相手として置いとけばいいんじゃないかと思う。
1投稿日: 2014.01.01
powered by ブクログさすが期待を裏切らないクオリティ。人間原理についてこんなに明快に,しかも前提知識なしで読めるように書かれた本はないんじゃないか。科学というより哲学に近い人間原理だが,それがなぜ科学の中から現れたのか。古代からある人間中心の宗教・思想と何が違うのか。 地動説が勝利し,相対性理論が成功し,科学は人間が,そして地球が,宇宙の中で特別な場所にいるわけではないことを証明してきた。すべての自然現象は何らの目的なしにただ自然法則に従って推移するのみであり,万物を創成する神は不要である。しかし宇宙の理解がさらに進んで,宇宙が人間の誕生にあまりにも都合よく作られていることが分かるにつれて,科学は人間原理を導入せざるを得なくなってくる。「宇宙がこのようになっているのは,知的な存在である人間が現に存在するからだ。もし宇宙がこのようでなければ,人間は存在し得ない,つまり宇宙を認識する主体がいないのであり,そのような宇宙は認識されない。」 この考え方は,宇宙の創成に奇蹟を要求することに等しいと思われた。すわ,宗教の再来か!ということで多くの科学者から大変な嫌悪をもって迎えられたのもうなづける。それが,また一転,多宇宙解釈,超弦理論などの登場により今世紀に入ると次第に受け入れられるようになってきた。その顛末は,とてもドラマチックで読みごたえがある。 大筋の流れの中に,地動説の意義の変遷や,宇宙項にまつわるアインシュタインの認識など,科学史上の俗説を否定する豆知識的な情報もあって,目から鱗だった。
0投稿日: 2013.12.25
powered by ブクログ非常に面白かった。宇宙に関する人類の知見を歴史に沿って追う前半。人間が存在していることを論理の根拠とする人間原理とそれに伴う宇宙論の新たな動きを記す後半。 目的論ではなく観測選択効果としての人間原理の利用は、この宇宙の絶対性をそこまで強く意識していない一般人なので価値観の転換には至らないが、興味を強く引かれた。 新書らしく余り科学知識のない読者でも理解しやすい表現や例を工夫していた点も好感。
1投稿日: 2013.11.23
powered by ブクログ「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」という問いにもがき続けて来た存在、人間。そのもがきによって少しづつその意味を変えていく宇宙。人と宇宙の終わりなき壮大なラブゲームの歴史が描かれています。抜群の面白さです。人は宇宙の謎を解明しようとして「人間はなぜこのような宇宙に生まれたのか」という自分のことを問おうとしているのではないでしょうか?それが人間原理という一見、身も蓋もないようなテーマを呼び寄せ、その意外な奥深さにハマる秘密なのでは?と思いました。
0投稿日: 2013.11.23
powered by ブクログいわゆる「宇宙論」の歴史を概観する形で現在の宇宙のあり方についての筆者の考察がなされている。 読み進めていく中でやはり私には納得が難しいのが 宗教VS科学 といった二項対立である。 私自身に宗教的な思考様式を持ち合わせていないためにおそらくこのような問題に直面するのであろうが、 この類の二項対立関係を自分に納得させない限りは、 科学に関しての理解が片手落ちになってしまう気がして少々残念である。
0投稿日: 2013.11.17宇宙や量子論に興味のある方にお薦めします
興味深く読むことが出来ました。 この分野にまだ馴染みのない方でしたら、一通りの知識を得ることが出来ると思います。 元々このジャンルに詳しい方はご存知の内容がほとんどかと思いますが、この本は「人間原理」という考え方に基づいた探求の歴史を紹介していますので、読み物として成立しています。 こういった本を手軽に読める良い時代に感謝です。
1投稿日: 2013.11.17
powered by ブクログ宇宙研究の大きな流れがわかりやすく書かれている。古代アカデア人、プラトン、アリストテレス、ストア派などキリスト教以前の様々な宇宙観。プトレマイオスによるキリスト教的宇宙観の完成。ルネサンスになってイスラム世界に伝わっていたギリシャローマ時代の文化の流入とそれに触発された科学による神の存在証明、たとえばニュートン。やがて啓蒙思想によって科学と宗教が分かたれていく。転機はコペルニクスの地動説。その中で、宇宙は神が人間のために作られたという人間原理の考え方は忌避されるようになった。しかし21世紀に入って人間原理は再び注目されている。キーワードは多元宇宙と観測状態選択。これにより、この宇宙は人間が住めるように神が用意したものという人間原理から、宇宙はたくさんあってこの宇宙はたまたま人間が住める宇宙だったに転換する。しかし統一理論は、この様子だとしばらく無理っぽい。
1投稿日: 2013.11.14ヒッグス粒子とか超紐理論とか、お陰でやっと意味がわかってきました
宇宙は興味があるんだけど、物理学とか超苦手で、ヒッグス粒子とか超紐理論とか十一次元とか、この手の話が全然理解できなかったんだよな~って私にも、少し理解に近付くことができた気がします。 思いがけず、占星術の歴史が延々続いてる時にはどうなることかと思いましたが(笑) そんなところで挫けず、最後まで読んで良かったと思います。 宗教とは縁が薄く、科学を考えるにも宗教観が特に入らない私には、ちょっとびっくりなことも出てきて。 科学に向き合うときに、宗教観という色眼鏡の色が薄い、入り難いってのは、世界的に見るととても貴重なことなのかもしれない。 そういう意味では、日本人は恵まれているのかもしれないなぁ。 現在提唱されている、この本で説明されている人間原理って、そのまんま当然なことに私は思えます。 過去の、宗教と強い関連のあった人間原理とは、別物って考えたほうがいいんじゃないかなぁ、名前を違えた方が良かったんじゃないのかなぁ…と思ったりなんか。
3投稿日: 2013.11.02
powered by ブクログ専門用語が多く、それなりの知識がないと読むのに苦労する。 しかし、ビックバンが特別なんじゃなくて、ビックバンはいたるところで常に起きていて、広がっている宇宙が点在しているといった考えには驚いた。頭のいい人は着眼点が違うなと思える本
1投稿日: 2013.10.25
powered by ブクログ宇宙は、沢山ある。 コペルニクス的転回・・・地動説を唱えた。 インフレーションービックバン理論が標準理論となっている。
0投稿日: 2013.10.09
powered by ブクログ科学書の名翻訳で知られる著者による初の書き下ろし。われわれを取り巻く宇宙の存在意義を人間中心の立場から考える良書。本書を通して,古典的な宇宙観を知るだけでなく,現代の科学観も垣間見ることができる。多宇宙の神秘,人類の知恵,本書をきっかけとして考えてみてはいかが。 *推薦者 (国教)Y.N. *所蔵情報 http://libra.lib.utsunomiya-u.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB00330610&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB
1投稿日: 2013.10.08
powered by ブクログこれは面白い!! 今年度読んだベストは「量子革命」と今のところ思っているが、これにも匹敵する面白さ。しかもなんと、その訳者の青木薫さんの、本書は書き下ろしだったとは。 「人間原理」という言葉を最初に知ったのは、グレック・イーガンの傑作SF「万物理論」だった。てっきりイーガンのフィクションだと思っていたが、後で実在のマジメな学問だと知り驚いた。 その後読んだ宇宙論や素粒子物理学の啓蒙書で、時々、簡単な言及には出会ったが、詳細な解説を読んだ事が無く、書籍がないかなと思っていた。 学説の成立過程の歴史を丹念に追っており、「量子革命」と同様、その場にいあわせたようなスリリングな知的興奮が味わえる。この記述スタイルは、青木氏の持ち味なのかな。 しかしなんですね。理論物理の最先端が、このような「途方も無い」考えに到達しマジメに議論・研究されているとは、現実がSFを超えたような感じというか、この世界は知り得ないことがたくさんあるというか、そのビジョンに呆然とするばかり。 でもまあ、これが講談社のブルーバックスではなくて、現代新書から出版されたというのも、ちょっと意味シンかな。学説の内容から、まあそうなのかな、という感じはします。
3投稿日: 2013.10.05視点の大転換!
「科学の分野において、なぜ〈人間原理〉という考え方が生まれたのか」というのが主題だ。著者は、題名の「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」という問いかけの意味から丹念に説明してくれる。 まず、科学知識がまだない時代に、天の仕組みを知りたいと考え、観察と論理だけで推察し、説明してきた歴史を丹念にたどる。最初は「神の存在」が大きくのしかかっていたが、徐々に近代科学の発展につながっていく。その科学は合理性が命であり、人間を特別扱いしないことが、近代科学であるはずだった。 ところが「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」という疑問の答えに近づく方法として「人間原理」が注目された。「人間原理」を導くための「観測選択効果」というものについても、詳しく取り上げられている。 膨大な宇宙の仕組みのことなので、真実かどうかはまったく不明であるが、考えの根拠は明快であり、説明は合理的なので、宗教的な臭いは一切ない。 科学が究明しようとしていたことが、新しい理論物理学の背景や、思考を反省することにより、見方がまったく変わったということのようだ。 生き生きとした語り口で、考える道筋をうまく誘導してくれ、そのためか、わかりやすく感じる。 科学啓蒙書の中でも、新しくユニークな書籍だ。
2投稿日: 2013.10.03
powered by ブクログ「宇宙は本当にひとつなのか」を読み終え、もうちょっと最近の宇宙論について知識を補充したくて最近出たこの本も読んでみました。 こちらの方は、天文学史を中心とした記述ですが、後半はやはり現代の「多元宇宙論」に関する記述で、合わせて読むことでようやくいわんとすることがちょっとわかってきた気がします。 結局やはり昔からSFではよく出てきてた「パラレルワールド」というものが、現代物理学ではどうやら本当に存在する、そうでないとむしろ現在の宇宙のことをうまく説明できないということになってきているようです。で、今の宇宙というのは、我々が存在しうるような条件の整ったものだから我々が現に存在している、そうでない宇宙には我々は存在し得ないので存在していない、と。 言われてみると当たり前の論理ですが、あとは、それを何らかの観測上の証拠から証明できる可能性があるのかどうか、また、ここから何か有意義な知見の広がりが得られるのかどうか、ということなのでしょう。 ともあれ、現代物理学というのは、かえって宗教に近づいてきているようで、おもしろく思いました。
2投稿日: 2013.09.29人間原理はうさんくさいです。
人間でなくて、猫ちゃんが今存在できる条件と考えれば、猫ちゃん原理も成立つのかなぁ。
0投稿日: 2013.09.26
powered by ブクログ「人間原理」という分かりそうで分からない考えが出てくる。 この宇宙は人間が存在するように出来ている。 なんか宗教性を帯びているけど、これがホントに主流化してるのかと疑ってしまう。 で最後は素粒子の世界へと話が続く。 そのつながりが分からない。
0投稿日: 2013.09.23
powered by ブクログOh, God^^. I wanna be aknowledge. Sometimes I do deep thinking. but I've never have. Why move on time the planets?
0投稿日: 2013.09.22
powered by ブクログ紀元前から続く、人類による宇宙の謎解きの歴史を綴った一冊。 アリストテレス、プラトンから、ニュートン、そしてアインシュタインまで、幾人もの知の巨人が宇宙解明に挑み、幾多のパラダイム転換を起こしながら現在の“多宇宙ヴィジョン”に至った宇宙論。奇天烈とされた説が、その時代の主流の説を覆し、新たな定説となって行くさまはとても面白い。 非常に哲学的、かつ物理、数学の専門的な話に溢れて難しい本だが、読み応えがあった。
1投稿日: 2013.09.21
powered by ブクログ優れた理系本の翻訳家として有名な青木さんが書き下ろした人間原理と多宇宙ビジョンです 下手すればオカルトともトンデモとも取られかねない最新の宇宙論を、丁寧な筆致で、門外漢にも注意深く分かりやすく教えて下さっています
1投稿日: 2013.08.26
powered by ブクログ多宇宙ヴィジョンについては知っていたし なぜこのような宇宙になったかを 「たまたま」で説明する理屈であることも 知っていたが 宇宙論の概観と多宇宙ヴィジョンの位置づけを スリリングに読めた なにより サイモン・シンの翻訳者青木薫の初著書(?)なので 期待大だった ちょっとざっくりだなと思うところもあったけど アインシュタインのλ項の話とか 佐藤勝彦がインフレーションモデルのオリジナル提唱者とか やはり 人間原理という怪しい概念と 多宇宙ヴィジョンをつなげた記述とか (サイモン「ビッグバン宇宙論」にはなかったんじゃないか?) おもしろいところたくさん またまた宇宙論熱がぶりかえしそうだ
1投稿日: 2013.08.25
powered by ブクログサイモン・シンの「宇宙創成」など多数のサイエンス物を訳している青木薫さん(京大・理論物理学博士号を持つ)だが自ら初めて書き下ろしたのが、まさかの「人間原理」に関する本書だからビックリ。 序で書いているように御本人も人間原理のことを「胡散臭い」を思っていたらしいのだが、何故にして今それを取り上げたのかが興味深い。人間原理、解がほぼ無限に発散するヒモ理論、マルチバース理論などがどう相互に関係するのかコンパクトに纏められている。
1投稿日: 2013.08.23
powered by ブクログ青木薫さんと言えばサイモン・シンの暗号解読やフェルマーの最終定理、マーシャ・ガッセンの完全なる証明などなど。サイエンスライターの翻訳者としては指名買いして間違いない。そんな青木さんが10年がかりで書き下ろしたのが本書で、テーマは人間原理と言う。 物理学者の言う所の言う所の人間原理とは「我思う故にこの世界はある」とでも言ったところで観測者(人間)のために世界はこのように作られていると言う概念が含まれている。いわば神の摂理でこうなったと言うものだ。物理学者としてはこれは受け入れられない。一方でもっと簡単な説明もある。「たまたま」世界はこうなった、だ。これも物理学者は受け入れられない。宇宙を理論的に解明しようとした結果が神頼みでもたまたまでもそれでは学者の出番が無いのだ。 科学が神様から離れたのは一つはコペルニクスの地動説であり、もう一つはこの本のテーマではないがダーウィンの進化論だ。コペルニクス自身は宇宙は人間のために作られたと考えており神を否定しているわけではなかった様だが。また進化論に関してはインテリジェント・デザインと言う進化論を組み込みながらもそれも含めて偉大なる知性(わざわざ神という言葉をはずしている)が設計したと言う考えも出て来ている。科学者の中にも宗教はそれはそれと両立するひとと、無神論者のいずれもいるようではある。 時代は下がり宇宙のはじまりがビッグ・バンであることが次第にわかってくると神の関与が賦活してくる。「光あれ」だ。しかし、キリスト教圏でビッグ・バン理論が受け入れやすかったかと言うとそうでもなく、物理学者は科学に宗教を持ち込むものとして攻撃した。結局は様々な実験結果からビッグ・バン理論は主流の学説になって来ている。 本書の本来のテーマは例えば光速はなぜこの速度なのかなど様々な物理学の定数や粒子の大きさや質量がどうやって決まったかと言うことである。例えば重力がもう少し強い力であれば宇宙は膨張せずすぐに収縮してしまっていたかもしれない。逆に重力がもう少し弱ければ膨張はするものの星間物質は集まらず、星どころか重い原子すら生まれなかったに違いない。たまたま宇宙がこのように出来たから人類は今ここにいると言うことは言えるわけだ。そこで人間原理(神の摂理とでも言った方がイメージしやすいか?)が出てくるのだが人間原理を拒否し、また「たまたま」でもないとするとビッグ・バンから始まり膨張する宇宙はいくつもあり、違う宇宙では違う定数に支配されているという説(多宇宙ヴィジョン)が支持されて来ているらしい。 「起こりうることはかならず起こる、何度でも起こる。」なんだか宇宙はマーフィーの法則に支配されているような気になる。 科学で証明できないことはまだまだあると言うのは非常に正しい。い不確定性原理自体がそのようなものでミクロな領域では位置と速度は一歩を確定するともう一方は全くわからなくなる。確率的にしかわからないのだ。宇宙のなぞも量子論も理論と実証が協力してもわからないことはまだまだあり、ビッグ・バン仮説もいずれはどこかに追いやられるかもしれない。人間原理はいろんなモデルを考えるときに反証すべき相手として置いとけばいいんじゃないかと思う。
3投稿日: 2013.08.05
powered by ブクログまだ手をつけているわけではないのだが、並行して読むことになる「日本人のための世界史入門」では、歴史は偶然だと主張しているのだが、こちらでは人間原理と宇宙論の話が出てくる模様。何だか面白い。
0投稿日: 2013.08.01
powered by ブクログ「えー!宇宙って、いまそんなことになってるんや!!」 と思わず言ってしまうような、とても面白く、エキサイティングな本でした。 (宇宙自体は人類誕生のずっと昔からあるのでそんな言い方は本来おかしいのですが) また文章も非常に良くて、素晴らしかったです。 「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」という問いに対する答えは書きませんが、 インフレーション宇宙論ではインフレーション状態のほうが「普通の」状態であって、 われわれの宇宙のような島宇宙はポコポコできているのではないかということや、 ひも理論でも宇宙はたくさんあるということが主流の考え方であることなど、 とても驚きました。 いやー、宇宙論はそこまできてたんか! もし、僕らがいるこの大宇宙以外にも、それこそ無限の宇宙が存在しているとしたら、 たとえそれを確認することはできなくても、 そのことを想像するだけで見ている景色が変わって見える。 肩の荷がすっと軽くなって、 周りの自然や生き物が愛おしく思える。 そんな気がするのです。
1投稿日: 2013.07.29
powered by ブクログこの宇宙が特別なのかそれとも普通にある宇宙の一つなのか。 物理学と神の関係、そこから派生して「人間原理」と物理学の関係を詳説します。 欧米の物理学者は「この世は神がつくりたもうた」という発想からビッグバン仮説などを考えだした(すくなくとも違和感はないだろう)というのは日本人の誤解。欧米人の物理学者は説明のつかないことを異常に嫌い、物理学は純粋完璧な学問、という位置づけにしたいのだそうです。 人間原理とは、「この宇宙は人間が存在するのに条件が合いすぎている」ということから人間を存在させようとする何かが宇宙の生成に影響している、という考え方を言います。 この本の中でふーん、と思ったのは、ビッグバン後、インフレーションに揺らぎ(むら)があった、という部分。インフレーションは宇宙発生後10のマイナス36乗秒後に始まり同35乗秒後に終了したとされます。もし均一に宇宙が拡大したのなら今の宇宙も均一で銀河や恒星が発生することができず、必然的に人間も存在できません。インフレーションにはごくわずから揺らぎがあったはず、という仮説が出され、その後インフレーションの残渣である宇宙背景放射にごくわずかなむらがあることが立証され、この揺らぎは証明された…と。 別の本で読んだ対称性の破れと同じように興味深い現象です。 この世を神が作った、という話と矛盾するからです。完璧な神が作ったこの宇宙は完璧なはず。それが「対称性の破れ」や「インフレーションの揺らぎ」の結果となると…? 非常に面白い本でした。
3投稿日: 2013.07.23
powered by ブクログ宇宙はわれわれの宇宙だけではなく、さまざまな宇宙が無限に存在する。われわれは観測可能な宇宙にたまたま存在しているだけ。 宇宙ビジョンを知ってしまえばむしろ当然に思えます。しばらくぶりのサイエンスの世界、おもしろいことになってたんですね。
0投稿日: 2013.07.19
