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ABAKAHEMPさんのレビュー
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  • トヨタ物語 強さとは「自分で考え、動く現場」を育てることだ

    トヨタ物語 強さとは「自分で考え、動く現場」を育てることだ

    野地秩嘉

    日経BP

    反発と危機感がカイゼンに不可欠だった

    意外の連続だった。 ふつう車メーカーの創業の物語といえば、まず造りたい理想のクルマ像というのがあって、それを実現していく話かと思ったら、創業者のジャスト・イン・タイムという生産方式のアイデアをいかに具現化していくかという物語だった。 しかもいまでは全能のように語られる生産方式も、確かにトヨタを強くはしたが、どん底から救い、かつその生産方式の礎にもなったのは、朝鮮戦争と不良トラックに激しくクレームをつけたアメリカ軍だったという事実。 そもそも現場での創意工夫や改善も、裏にあったのは怯えにも似た強烈な危機感だった。 いまではなかなかその危機感を共有することは難しいが、アメリカが本格的に日本で車を売りはじめたら、トヨタはつぶれるという恐れは、是が非でもトヨタ独自の生産方式を会社全体に根付かせなくてはならないという悲壮な使命感につながった。 しかしこの生産方式も、いかにも勤勉な日本人らしい発想から生まれたものだと誤解していたが、その実はむしろ欧米人の方が親和性が高いのではないかと感じるほどドライで、現状維持をよしとする日本社会の風土への挑戦であり、真面目な優等生タイプより要領のいい横着なタイプの方が発想しやすいという。 この本を読んでトヨタ生産方式なるものがわかった気になるのが、最大の錯覚だろう。 これでよしといった終わりのない不断の試行錯誤の繰り返しで、パターン化された公式は存在せず、解決策も現場と指導員の数だけ無数に存在する。 本書にもある通り、社内で幹部から直接研修を受けた従業員が、実際に工場でラインを見るまでは、その真の革命性を理解できなかったというのだから、本書を読んだだけでわかった気になるのがいかに愚かなことかわかるではないか。 その著者も、いわゆるトヨタ生産方式の亜流を見て「これは違う」などと書いていて落胆した。 カイゼンの生みの親である大野耐一のエピソードが強烈だ。 幹部でさえ大野が近づいてくるだけで足がすくみ膝の震えが止まらなかったという。 極めつけはしのぶ会での一件で、当時の現場での大野の姿がビデオ上映されただけで、それまで談笑していた会場の雰囲気が一変し凍りついたというのだから相当なものだ。 それほど厳しい大野を追い返すほどの反発が当時には存在していたが、現在はどうか? 「トヨタがつぶれる」という切迫した危機感が裏返しに使命感を強くしたが、その危機感は現在も共有されているか? 反発と危機感、実は欠かせない要素だ。

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    投稿日: 2018.10.08
  • 許されざる者

    許されざる者

    レイフ・GW・ペーション,久山葉子

    東京創元社

    旅先で読み始めても、難なく引き込まれる巧みな物語

    犯罪捜査物の面白さは、どれだけ複雑で難解な謎を、優秀な捜査陣がいかに解きほぐすかにかかっていると思うが、今回は実はそれほど難事件というわけではない。 いままで未解決だったのは、考え得る最悪のタイミングと布陣で捜査が行なわれたからで、「角の向こうが見通せ」、「状況を受け入れ、無駄にややこしくせず、偶然を信じない」という"殺人捜査の黄金の三カ条"を信条とする主人公には不釣り合いなほど。 ではどうするかというと、出来の良い主人公に制約を設けることから始まる。 脳梗塞で入院させた上、すでに時効となっている事件を与える。 さらに麻痺を残したまま退院させ、常に介添えを必要とし、捜査中もたびたび意識を失わせるのだ。 こうした試練をともに戦う、主人公をサポートする人物配置が実に見事。 孫といっていいくらいの若い介護士のマティルダやマックスから、時に「長官」と敬われ、時に聞き分けのない子供のように扱われるヨハンソンがどこか微笑ましい。 コールドケースの解明の端緒をどこに持ってくるかも秀逸だ。 本来なら、事件発生直後であれば現場に立って、周辺を洗い、被害者の交友関係から怪しい容疑者を見つけようとするが、今回は、ある証拠からまず犯行現場を直観に近い形で特定し、そこから必然的に容疑者を導き出す。 すでに当てはまるべきピースが頭の中に想定されているので、必要とするピースが見つかるまで食い下がる。 それをサポートし最後には天啓となる導きを与えるのが、主人公の妹の夫フルト。 あまり好人物とは言いがたいが、綿密で精緻な調査は「わしのシャーロック」と言わしめるほど重要な役回り。

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    投稿日: 2018.06.11
  • だめだし日本語論

    だめだし日本語論

    橋本治,橋爪大三郎

    太田出版

    対談は失敗だが、橋本氏の日本語論が秀逸

    社会学という学問の成り立ちからして、その根底に、社会はよりよく改良されうるという考えがあるためか、橋本治が「一つの正しい日本語というものはない」と冒頭で語って対談がスタートしているのに、最後のまとめで橋爪が、「曖昧さを排した論述的な新しい日本語を作ろう」と突然ぶち上げても、「気持ち悪い」という反応しかないだろう。 対談の仕切り役である編集者も能無しで、橋本が途中で「収拾が..」と言っているのに、「いいです、いいです」とますます日本語論から逸れて、軍制から芸能、天皇制、出版文化と話題は際限なく広がっていき、ついついタイトル自体にダメ出ししたくなった。 それでも橋本治の日本語の成り立ちの解説は秀逸で、感心しきり。 仮名だけの純日本語の和文は、音の響き方やリズム、言いやすさによって容易にかたちを変える「音の言葉」なので、理屈や論理の方は「意味の言葉」である漢字だけの漢文に任せて発展していった。 響きは美しいけど、発信者が独特の意味付けをするため、概念規定が曖昧で意味を取りにくく、『源氏物語』のある種のわかりにくさもそこに帰因している。 つながりのある人には正確に意味がわかるけど、その先の人には(意図が正確に)広がらなくても構わないという態度は、門外漢にも「説明すれば理解が広がる」という発想を生む土壌を育てず、「理解は専門家同士でしていればいい」という社会のタコ壺化を招く原因ともなっている。 「日本語は全部音楽のような言葉」と語る橋本治の日本語論は新鮮で、それまで言葉と音との関係がそれほどまでに重要だとは考えても見なかった。 ひらがなは表音文字ではあるが、読み方を規定しておらず、どう読むかは読む人の裁量に委ねられている。 訛りもそうだが、ひらがなは読み手の個性を表現する一種の記号にすぎない。 しかし、現代仮名遣いで育った若者たちは、文字を文字のままで読み、文字の向こうの固有の音に気づかないため、自分の音が作れずただフラットに発声してしまうので、義太夫などやるとまるでダメだという。

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    投稿日: 2018.03.21
  • ヴィンランド・サガ(20)

    ヴィンランド・サガ(20)

    幸村誠

    アフタヌーン

    かたくなに剣をとらず、多弁になったトルフィン

    物語は、ギリシア遠征中のトルフィンたち一向が、ヨーム戦士団の内紛に乗じたバルト海戦役に巻き込まれる展開が続くが、ますます先が見通せなくなってきた。 アシェラッドの死によって、物語の核となるトルフィンとクヌートのパーソナリティが180度入れ替わる。 無益な戦争を終わらせ世界を変革するという最終目標を共にし、クヌート王は血と鉄で、トルフィンはそれ以外の手段で、それぞれの立場から仕事を分担していくことになった。 クヌートの場合、仮にもデンマーク王国を背負い、それまでの軟弱で心優しい性格が一変し、「共喰いをさせればいい」と冷酷非情な采配で暴力を押さえ込もうとする。 一方のトルフィンは、それまで口数も少なく、狩られる側の弱い人間を蔑み、力のみを信奉し、敵討ちの機会だけに心を支配された男が、過去を後悔し、人生を賭けて罪を償おうとする。 しかも「まだ死ぬわけにはいかない」「誰も死なせないし オレも死なない」「もっと優しい人間に 強い人間になりたい」と、打って変わって能弁に自分の心情を周りに打ち明ける。 改心すればここまで変わるものかと唖然とするが、案の定、急に堅気になりますと言ったって、周りがほっといてくれない。 「どうせ羊の群れの中では暮らせない」とばかりに、バルト海戦役になかば無理矢理トルフィンを引きずり込む。 それでも、ヴィンランドという未開の新天地に、戦争と奴隷制のない平和な国をつくるという見果てぬ夢のため、怒りを抑え、獲物もとらず空手で、向かってくる敵に対峙していく。 友を助けるため、仕方なくどうしても人を殺めなければならない状況も起こりそうだが、「戦争だから仕方がないとは言わせない」と、狩人ヒルドが常にトルフィンの背後から彼の変心に目を光らせる。 物語が、暴力の否定に向かうのは、当然だし自然の流れだとは思うのだが、せっかく「戦いたい時に戦い 死にたい時に死ぬ」と豪語するヴァイキングたちが跋扈する歴史を甦らせたのに、当時のリアリティから離れ、奇麗事やおためごかしに終始しては、つまらない。 当時は、並外れて衝動的で、苛酷なほど不条理で、辛酸を極めた暴力の時代だ。 いまでは不道徳で野蛮で残酷だと見なされる決闘が、英雄的で勇ましく、すべてを浄化する神聖なものと考えられた時代である。 なのにトルフィンは、丸腰の彼に獲物を差し出す相手に対し、諭し、逃げ出し、それでも向かってくれば、仕方なく素手で戦いを挑む。 徹底的に非暴力を貫き、誰も傷つけたくないと「生きて償うための時間を」と躊躇なくひれ伏すが、都合よく亡霊が現れて、相手の怒りが静まる展開をこの先も続けるわけにはいくまい。 ガルムという新キャラも用意されているが、「オラ、強い奴をみるとワクワクするだ」と、悟空ばりの登場人物で、戦いはすでに神聖なものというより、スポーツと化している。 しかもトルフィンと同じ属性の、俊敏・運動神経抜群キャラなので、トルケルと戦わせてみたものの、同じことの繰り返しになりそうなので、戦いのシーンは大幅にカットされ、痛み分けとする有り様。 決闘や暴力を賛美するわけではないが、少なくともそれらの正当性が信じられた時代を描いているのだから、あまりに現代の価値観で主人公を縛っては、物語のダイナミズムがますます失われかねない。 かつてオスカー・ワイルドがいみじくも予言した通り、「戦争は邪悪なものと見なされる限り、その魅力はいつまでも消えない。だが野蛮ものと見下されれば人心は離れていくだろう」から、もう少し物語の方向性を修正してもらいたい。

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    投稿日: 2018.02.04
  • 夜のフロスト

    夜のフロスト

    R・D・ウィングフィールド,芹澤恵

    創元推理文庫

    どんな場所でも悪趣味な冗談を言うことは、無常の悦び

    シリーズも3作目を数え、あらためてデントン署管内は変態だらけだと思い知る。 今回は神出鬼没の露出狂まで登場し、よせばいいのに署の正面玄関でご開陳に及ぶ。 それを見た署員らは、あんぐりと口を開け、うめき、ペンを投げつける。 そこに颯爽とフロスト警部が現れてのひと言にニヤリとさせられる。 死体現場での警察医による死亡宣告にも、「そりゃ良かった。これほど匂いがきつかったら生きてたくないもの」とか、「そうだろうと思った。さっき煙草すすめたのに返事がなかったから」と不真面目に返す。 今回はさすがに部下がキレて、度重なる低俗な冗談に腹を立て、フロストに食ってかかる。 「あなたには人並みの思いやりもないのか? なんでもかんでも、つまらないジョークに仕立てあげなくちゃ、気がすまないんですか」と。 そのフロストの返答にハッとさせられ、しんみりとなる。 ともあれ、小説の出来としては、前2作を超えることはなかったが、なんといってもユーモア小説界のフェルメールとも言えるほど希少なシリーズなので、繰り返し読むことになると思う。

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    投稿日: 2017.12.09
  • 水力発電が日本を救う―今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる

    水力発電が日本を救う―今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる

    竹村公太郎

    東洋経済新報社

    池井戸潤さんが小説化しそうなアイデアがいっぱい

    本書で詳しく紹介されている小水力発電の取り組みは、水源地域の地元自治体に活力を与える良いモデルプランだと思う。 池井戸潤さんに小説で取り上げてもらえば、さらに全国の注目を集めそう。 少しダム技術者の就職斡旋的な面も感じないわけではないが、先日の新潟での観光放流での事故のニュースを聞くと、こうしたOB人材のノウハウや経験がうまく次世代に継承されていくことは愁眉の急だと感じた。 ダムは壊れず半永久的に使えると太鼓判を押していたり、人口はエネルギーによって決まるといった少し強引な仮説など、鵜呑みには出来ない面もある。 治水と利水という2つの矛盾する目的から、多くのダムで発電に適した満水の半分くらいしか水を貯めておけないのは、次世代のエネルギー活用を考えると理不尽で、それなら河川法の条文を変えればよいというのは、いかにも元建設官僚らしい発想だ。 昨今はダムを観光資源として見直す動きが進んでいるが、そうした中で新潟のような放水事故が起きてしまうのだから、よくよく自治体の職員は注意してかからなければならない。 単純に資源開発だ、これだけ儲かると前のめりになっても、地域の人々の「我々の川」という意識の前では、慎重な配慮が必要だ。

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    投稿日: 2017.12.09
  • エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

    エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

    グレッグ・マキューン,高橋璃子

    かんき出版

    決断の裏に潜むトレードオフに着目するのはいいが・・・

    勘違いしがちだが、著者はマルチタスクが問題だとは言っていない。 マルチフォーカスがダメだと言っているのだ。 この本で推奨されている「決断すること」になんら躊躇を感じなかったジョブズも、Next時代の最初の合宿で、会社の目標をすごいマシンにするか、納期厳守にするか、価格を3000ドル以下に抑えるかを決めようとする愚を犯している。 この3つはすべて、なにがなんでも実現しなければならないことで、彼も優先順位付けを苦手としていた。 美しい事務所やかっこいいロゴへの拘りも、それ自体は悪くないが、その決断に伴うトレードオフを無視していたのだ。 本質と本質でないことの区別は、本書でも語られている通り重要で、生まれたばかりの会社を率いるCEOなら必ずやらなければならないことだったが、ジョブズにはそれが出来なかった。 しかしトレードオフを重視し過ぎるあまり、本当に重要なことだけに集中し、やることを減らし、周りとの間に境界線を引くというのはどうだろう? 視野を狭め、可能性を見逃すことになりはしないか? ジョブズが講演で語った「点と点がいつかつながると信じる」ことは、あちこちに散らばって無関係で無意味とさえ思えた可能性が、結果として一つにつながることで、iPhoneやiPadを生んだプロジェクトも、ある日「iPadあれ」とジョブズが宣言し、その意思を実現するため会社全体が全精力を傾けるという形で進められたわけではなく、社内の至る所でぶくぶくと泡立っている可能性を整理し、なにかまったく新しいものへとつなげる道筋を思い描くことで実現した。

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    投稿日: 2017.12.08
  • スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(下)

    スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(下)

    ブレント・シュレンダー,リック・テッツェリ,井口耕二

    日本経済新聞出版

    「アイザックソンの本なんてひどいもんですよ」

    著者はビル・ゲイツとも古くから親しく、彼の話も本書には詳しいが、ジョブズ以上の先見の名や慧眼に驚かされる。 プログラムにもお金が支払われるべきだという彼のマニフェストは、時代の流れを変えたし、パーソナルコンピューターが企業中心になりつつあると最初に気づいたのも彼だ。 ジョブズは、マイクロソフトが事業用を基本として業界を次々と標準化していく過程でできた、個人用という穴を突き進むことで活路を見いだした。 これは、ゲイツが作ってくれた穴でもある。 ラスベガスにおけるゲイツの「デジタル家電プラス」構想も、来るべき未来を正確に予言していた。 このゲイツの構想に驚き、ジョブズに「マイクロソフトにやらせちゃだめです。これは我々がやるべきことでしょ」と談判したのがアップルの幹部たちで、後の「デジタルハブ」戦略に結実する。 このように権限を委譲されたジョブズの部下たちは、アップを牽引するまとまりのあるチームで、激しやすく気難しいジョブズをうまくあしらい、時には押し戻す力まで持った、成熟したグループだった。​ 「自分たちにとって最良と思える方針をスティーブに承認してもらうにはどうしたらいいのか、スティーブの専制的な決定や浅慮な決定、あるいは先入観などをどうすれば突破できるのか、あるいはどうすれば迂回できるのか、さらには、スティーブが次に向かう先を予想しようと、折々、関係するメンバーが集まっては相談していた」と元幹部のテバニアンは語っている。 そもそもジョブズは、食事に誘うといった、チームをまとめるためにリーダーがよくやることを何一つやっていない。彼はただ彼なりのやり方で、二人きりで散歩に誘うのだ。 ジョブズには、簡単にあきらめない粘り強さや、スピリチュアルな感覚が生む視野の広さといった優れた特質があるが、部下たちのやる気を引き出す力も類いまれなものがあった(そのための金銭的な報酬も惜しまなかった)。 本書の後半は、彼の飼いならすことができず残ってしまった欠点も取り上げ、弁明しがたい行状の数々も率直に語られ、単なるジョブズ万歳本になるのを防いでいる。 公式伝記本を嫌悪するティム・クックのジョブズとの思い出は、本書でしか読めない感動的な場面が多く、自らの肝臓の提供をジョブズに申し出ていたとは知らなかった。

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    投稿日: 2017.12.07
  • スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(上)

    スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(上)

    ブレント・シュレンダー,リック・テッツェリ,井口耕二

    日本経済新聞出版

    シェークスピア作品を地で行くドラマチックな人生

    ゲイツは、"ジョブズ式経営"などというものは絶対にまねすべきではなく、彼のようになりたいという人は大抵、「半分天才・半分くそ野郎」の後者の方だけまねて終わるんだと語っている。 元フォーチュン記者で、友人として家族ぐるみのつきあいのあった著者は、すでに公式伝記本を含め語り尽くされた感のある人物像に異を唱え、シェークスピア作品を地で行くドラマチックな人生をいま一度掘り下げ、読む者の心を打つ作品に仕上げている。 とにかく矛盾の塊のような男で、著者はまずジョブズがもつ二つの側面に注目している。 すさまじばかりの自信家で、人を見下す傲岸不遜な態度をとる一方で、向上心が強く、自らの足らざる部分への内省を欠かさない男。 人の役に立ちたいと思いつつも、周りの人間をバカにする。 「慈善事業を支援したいという気持ちはあるが、そのような活動につきものの非効率性は大嫌い。仏教に帰依しつつ、資本主義に傾倒している。かたくなだが学びの意欲は強い。席を蹴って出ていったかと思えば戻って謝罪したりする」。 アップルを率いた初期の頃は、文字通りの「半分天才で半分くそ野郎」だった時代で、信奉者と同時に多くの敵を作り、会社を追い出される。 その後の見事な返り咲きとアップルの驚くべき再生の影には、彼が抱えていた矛盾を、追放後のいわゆる「荒野の時代」と呼ばれる時期に獲得した術で、押さえ込んだことにあると著者は語る。 「欠点はなくならなかったし、優れた別の気質に変化したわけでもない。ただ、自分をコントロールする術を学んだ。自分の才能に混じる毒気をコントロールし、人当たりの悪さをコントロールする術を学んだのだ」。 私は、最後まで彼の欠点はなくならなかったというのは同意だが、必ずしもそのコントロールが自発的なものだったかは疑問だというのが、本書を読んだ感想だ。 負の部分のコントロールは、内発的に行なわれたというより、周りの人たちや環境によって半ば強制的に行われたのではないか。 その証拠に復活のきっかけとなった荒野の時代のNextでも、ジョブズはまだ自分の弱みに気づくことができていない。 優先順位付けが苦手で、本質と本質でないことの区別ができず、CEO失格の烙印を押される。 変化のきっかけは、ローリーンという伴侶を得たこと、技術を搾りとってNextに持っていこうとしたピクサーで大いなる学びを手にしたこと、アップルの部下たちの方が彼をうまく御したこと、そして癌になったことが大きい。 ピクサーにおける学びが本書の後半の読みどころの一つ。そこで出会ったキャットムルらとの親交を深め、『トイ・ストーリー』の制作過程ではスタッフの面々に刺激を受け、他の人の才能を認めるようになった。 「ここはまた、スティーブが消費者技術の事業について学ぶ場所、アップルやNeXTよりも多くを学ぶ場所になっていく。そして、スティーブは、強みをふたつ手に入れる。逼迫から反撃する力と、イノベーションを目いっぱい活用し、そうすることである分野において先頭に立つ力だ。追いつめられたときにがまんして反撃する力と、ひらけたところを全速力で駆けぬける力といってもいいだろう。ピクサーは、また、経営という意味では、マイクロマネージメントをやめ、才能ある人々に裁量権を与えたほうがいい場合もあると学ぶ場所にもなる。もちろん、ゆっくりとだったし、不承不承だったし、みずからの衝動に反して学んだわけだが」。

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    投稿日: 2017.12.07
  • 流

    東山彰良

    講談社文庫

    好きな台湾物だし、主題は関心が高いのだが・・・

    いくつか良質の台湾小説やノンフィクションに触れていたので期待して本作を読みはじめたが、なんともはや。 「汚れた駐車場」や「愛の・・」とか、なんとも懐かしいロック歌詞のような文体に、突然「なんだよぉ!」と意気がる咆哮が入り交じり、何度か背筋を寒くさせられた。 それでも何とか読み通せたのは、狐火が最後にはこの物語に魔法をかけるのではという淡い期待から。 家族をあれだけ細かく描いているのに、祖父の死の真相追及に拘りをみせるのが主人公ただ一人というのは、あまりにも物語のバランスを欠いているし、龍應台の『台湾海峡一九四九』で描かれたような、過去の忘れるには鮮烈で痛切すぎる記憶への焦点も甘く、印象に残らない。 日本軍が行なったとされる南京大虐殺については声高に叫ぶのに、同時代にあった同胞の手による殺戮は、地元でも容易く忘れられ記念碑も取り壊される様は、龍の作品でも扱われたエピソードとシンクロしていて、本書の唯一の読みどころとなっている。

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    投稿日: 2017.12.04
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