ぴんまくさんのレビュー
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[決定版]京都の寺社505を歩く<上> 洛東・洛北(東域)・洛中編
山折哲雄, 槇野修 / PHP新書
実際に歩いて見たけど、実際に歩くための本じゃないな
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8インチタブレットに仕込んで、実際に歩いてみた。コースはエリア6の北野天満宮から千本通をたどる。
歩くコースについてこの本には詳細な事は書いてない(有名なルートは別ですが)。自分で決めなければいけない…。
したがって、ある程度、京都のターゲットエリアについての土地勘がないととんでもないことになる。
記述の順番が歩く順番とはあまり関係がないのだ。
上記例ですと、北野天満宮から大将軍八神社そして浄土院という記述順で歩くと行ったり来たりとなる。
京都観光するよそ者としては、邪道といわれようとも効率よく、短い時間でよくばってまわりたいのだ。よそ者は毎日京都に暮らしている人々や熱狂的ファンと違うのだ。生きているうちに何度も京都に行けるわけでないのだ。だから、書籍のタイトルである「歩く」というのは、いかがなものかと思う。実際に歩いた息づかいがあまり感じられない。私が思う「歩く」とは、コース取り(これは重要)から道中の景色なども含めたものであってほしいのだ。そう巡礼のようなものである。
だからこの本は、単なる社寺の紹介、解説本であって「歩く」わけでない。著者は確かに歩いたのかもしれないが、記述から感じられるのは社域や境内を「歩いた」のであって、京都の社寺をたどって「歩く」楽しさがちょっと不足している。それとも、この本を読みながら脳内で歩くための本なのだろう。だから地図はほとんどない。しかも、かなり・・・・・・だ。星1つ
でも解説本としてはなかなかにかなりとっても便利だ。住所、電話番号がどーんとあり、営業時間(社寺に失礼か)拝観料(やっぱり営業か?)
ホームページへのリンクも貼り付けている。(リンク切れはどうしようもないけど)星4つ
だったら、索引がほしいところだけど、それはない。書籍目次から飛ぶことができるけれど、アプリ目次には目次しかない。目次に戻るときに使用するという意味なのだろう。せめて、地図からクリックすると説明にとんでほしい。ぱっぱと飛ぶ、それこそが電子書籍の電子書籍たるメリットだと思うから。
でもこれだけの社寺をコンパクトにまとめているのは、たいそう便利だし。微妙でありながらなにかしら見所がある社寺もほぼカバーしている。したがって、現地で使用すると言うよりは、計画段階の社寺解説本だな。星4つ
余談だけれど、もっと詳しく社寺が知りたければ、京都古社寺辞典(吉川弘文館)はすごいです。でも残念ながら紙本。こんな本を電子書籍にしてほしい。 続きを読む投稿日:2014.03.30
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京都人が書いた「京都」の本 名所・旧跡からお土産・風習まで
京都ゆうゆう倶楽部 / PHP文庫
確かに京都人の書いた本だけど
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京都人の書いた京都の本というタイトルに惹かれ、値段のお手頃さに負けて購入しました。京都人が書いたというだけあって、目の付け所が、さすがと思わせ、とっても参考になるのだけど、何かが足りない。なんだろうと…考えた答えが、いつか読んだ「おじさんの京都」にありました。以下「おじさんの京都」からの抜粋
「京都好きなの?」 「いや、別に好きってわけじゃありませんが」
「嫌なとこだよね」 「そういうところありますね」
「でもさ、その嫌なとこが、何か好きになってくるんだよね」 抜粋終わり。
この感覚が足りないのだ。でも京都人はこの感覚はわからないのかもしれない。
この感覚は我々のようなよそ者がみた京都なのだから。 続きを読む投稿日:2014.04.07
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[決定版]京都の寺社505を歩く<下> 洛西・洛北(西域)・洛南・洛外編
山折哲雄, 槇野修 / PHP新書
京都を歩くとは・・・・・?
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タブレットに電子書籍を詰め込んで、観光することを目的でコメントしております。上巻ではあんまり芳しくない意見をしましたが、よくよく考えると、そもそも「歩く観光」ってなんじゃやろな?と考えてしまったのでコ…メントします。
この本では、京都の有名処はもちろん見過ごされがちな社寺の解説がなされています。その意味ではほぼ満点に近いできばえです。(★★★★★)しかしながら、「歩く」というタイトルに引っかかりを覚えたぴんまくは上巻では辛口の評価をしました。
その理由は、一言で言うと、歩くコースがイメージできなかったということになります。その要因は、地図がしょぼい、記述された順番で歩くといったりきたりとなったり、とんでもない距離があったり、これじゃ歩けない。ということが主な理由です。(★★)
ぴんまくは「お遍路」が社寺を歩く理想と考えているのだけれども、その場合、1.目的である社寺(点)が決まっており。2.その社寺(点)を結ぶルート(線)がほぼ決まっている。3.そして、スタートがあって最終的なゴールがある。4.また、それはバリエーション可能で、繰り返すことが可能である。と意味づけることができると考えております。
さて、この本、点となる社寺は505もありその記述はすばらしくまとめられています。でも、線についてはある程度のかたまりごとになっているけれど結ぶことがうまくできないし、イメージできない。基準線が引けないのでゴールなき旅になって、バリエーションも考えられない。ということとなるのでしょう。
でも、仕方ないのかなとも思う。私が京都を歩く場合には、点となる社寺を決めて、駅やバス停からルートは徒歩用ナビまかせできのままに周りの風景や風情をたっぷり楽しんでいるから。コースである線を気にしたことがない。寄り道、予定変更なんか当たり前だし、時間が来ればさっさと帰る(遠くから行くので帰りの時間は大切)。でもそれはそれで楽しい。
そう考えると、「京都を歩く」のは奥深いし難しい。そこがまた、京都の京都たるところなのだろう。ましてや「社寺」ということになると、京都の屋台骨でありメインであり中心だから・・・・いわずもがな。「京都の社寺を歩く」とタイトルされた勇気にある意味、脱帽いたします。 続きを読む投稿日:2014.05.04