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リピート
乾くるみ / 文春文庫
ブラックパズルのような悪魔的展開
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主人公は、一人暮らしの大学4年生・毛利圭介で、夜は歌舞伎町のスナックでバイトをしている。ある日、風間という見知らぬ男から電話がかかってくる。なんと要件は、過去に戻るリピートツアーに参加しないかという…ことだった。余りにも荒唐無稽な話なのだが、その信ぴょう性を証明するために告げた地震予知が的中し驚いてしまう。その後にまたもや、再度正確な地震予知が大当たりし、このリピートツアーは本物かもしれないし信じ始めるのだ。
このリピートとは、タイムマシンなどに搭乗するのではなく、ある一定の日に現れる黒いオーロラに突入すると、記憶だけが10か月前の自分の中に上書きされるというものだった。そこで人生のやり直しをするのだが、もちろんそこでは未来の記憶を利用して、競馬や株で儲けることも自由自在だ。
リピートツアー参加者は風間を含めて10人、その中には一人だけ若い女性が参加していた。この女性の存在が、毛利にいろいろなプレッシャーを与える原因になるのだが、とにかく彼は女性にモテモテなのである。ただこのモテモテが最大の災いを生むことになるのだが……。
このような記憶だけのタイムトラベルといえば、すぐに思いつくのがケン・グリムウッドの長編小説『リプレイ』である。ただ本作が僅か10か月前の自分に戻るだけなのに対して、『リプレイ』の主人公は25年前の18歳の青年に戻れるのである。さらに43歳になると自動的に心臓発作を起こしてまたまた18歳に戻れるのだ。
そしてそれが何回も続くのである。それに比べると本作では、もう一度リピートするためには、ある一定の日に現れる黒いオーロラに再突入しなければならないという点が異なっている。
また『リプレイ』では主人公が、未来の記憶を利用して大儲けしたり、つきあう女性たちを変えてみたりと、「もしもあの時こうしていれば良かった」を次々と実現させてゆく。だが本作ではそんな『リプレイ』のような痛快さは余り楽しめない。どちらかといえば、リピートしたために起こった記憶にない数々の嫌な事件に翻弄されてしまうのだ。そしてなぜそんな事件が起きるのか、犯人は一体何者で何のための犯行なのか、ということがメインテーマとなってくるのである。
それにしても著者の巧みなブラックパズルのような悪魔的展開にはいつも脱帽せざるを得ない。中盤からはなんとあの『罪と罰』のラスコーリニコフのような心情に堕ち込んでしまったではないか。まさに乾くるみは天才としか言いようがないね、と思い込み続けてどんどんページをめくっていったのだが、ラストが余りにもあっけなく、無理やり感が残ってしまったのが非常に残念であった。 続きを読む投稿日:2023.12.06
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イニシエーション・ラブ
乾くるみ / 文春文庫
二回読みしたくなる傑作ミステリー
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イニシエーションとは「通過儀礼」のことである。従ってタイトルの『イニシエーション・ラブ』とは永遠の恋ではなく、大人になる前の一時の恋ということになるのだろうか。また本書はバリバリの恋愛小説だと思って…いたのだが、実は「必ず二回読みしたくなる」と絶賛された傑作ミステリーであった。
本書の裏表紙にある内容紹介文には、「甘美で、ときにほろ苦い青春のひとときを瑞々しい筆致で描いた青春小説----と思いきや、最後から二行目(絶対先に読まないで!)で、本書は全く違った物語に変貌する。」と綴られているのである。
これは一体何を意味しているのだろうか、ネタバレになるのでここでは解説は避けることにするが、いくつかのヒントだけ紹介しよう。第一のヒントはこの小説のタイトルである。そして第一章、第二章という区分ではなく、かつてのカセットテープのようなside-Aとside-Bという区分も意味深ではないか。さらにside-Aではしつこいくらい細かくじっくりと丁寧な描写に終始しているのだが、side-Bではテンポの速い展開に変化しているのだ。また本作はタイムトラベル系の小説ではないのだが、時系列をゆがめて描いているため、二度読みが必要だということ……。まだほかにも矛盾することがいろいろあるのだが、これ以上記すとネタバレになってしまう恐れがあるのでこのへんで止めておこう。
なお本作はなかなか映像化し難い部分があるのだが、なんとそれを巧みに凌ぎながら2015年に映画化されているようである。ちなみに監督は堤幸彦で、主演は松田翔太と前田敦子になっている。機会があったら是非観てみたいものである。
続きを読む投稿日:2023.12.06
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徳川家康 弱者の戦略
磯田道史 / 文春新書
巧みな人心掌握術と悪運の強さ
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2023年のNHK大河ドラマは、松本潤が演じる『どうする家康』で、弱虫だった家康が少しずつ成長して、天下人になるまでを描いてゆくようである。本書ではその弱虫だった家康を歴史学的に検証しながら、逆境に…学び続けた天下人の実態に迫ってゆくのである。
家康は強力な超人パワーと実行力に満ち溢れていた信長や、権謀術数と巧みな人心掌握術に優れ、さらに膨大な兵力と資力を誇る秀吉のようなカリスマではない。だが己が経験したことや見聞きしたことをひとつひとつ地道に積み上げ、信長や秀吉が成し遂げられなかった15代にも及ぶ長期政権の礎を築いた努力と辛抱の人だったようだ。また優れた家臣に恵まれていた……というより家臣の使い方が非常に巧みだったのである。
また当然のことながら、家康が天下人になるまでには、いくつかの障害と選択肢があった。まずは今川を裏切って織田と同盟を結んだこと、もしこの選択肢を誤っていれば、天下人どころか今川とともに滅んでいたことだろう。さらに武田信玄急死による武田軍廃絶や、本能寺の変で無事伊賀越えと成し遂げたという運の良さ、さらには天正大地震で秀吉側が莫大な被害を受けたことなど数え上げたらきりがないほど悪運に恵まれていたようだ。
さて今回の大河ドラマでは、家康の正室である築山殿をかなり美化しているのだが、歴史学的にはそもそも今川出身の築山殿にしてみれば、家康が今川を裏切った時点から恨み続けていたようであり、嫡男・信康においても、気性が激しく日頃より乱暴な振る舞いが多く、家康とは反目しあっていたとも言われている。従って単に信長の命令だけで、築山殿と信康を処断したわけではなく、家康の意向も含まれていたと解釈されているようだ。
また秀吉による関東転封も、家康自身はさほど不服だったわけではなく、むしろ秀吉との棲み分けや石高の大幅増加、関東平野や江戸湾などの地勢にも惹かれて積極的に受け入れたようである。
本書ではこのような話を織り込みながら、歴史学者的観点を踏まえながら分かり易く家康が天下人になれた経緯を描いてゆく。また190頁という新書版の薄さも手伝ってか、遅読の私でもたった3日であっという間に読破してしまった。寝苦しい夏の熱帯夜を忘れるためにも、是非手軽に本書を手に取ってみようではないか。
続きを読む投稿日:2023.12.06
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大逆転! ミッドウェー海戦
檜山良昭 / 光文社文庫
自衛隊護衛艦が太平洋戦争中にタイムスリップ
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ミッドウェーとは日本とハワイの間に位置する2つの島と環礁のことを指す。また『ミッドウェー海戦』とは、太平洋戦争中にミッドウェー島周辺で行われた日米海戦のことを言う。
またその海戦において、日本海…軍機動部隊は米国海軍機動部隊との航空戦に敗れ、空母4隻と搭載機約290機の全てを喪失してしまう。そしてこの敗北によって、戦争の主導権を米国に握られてしまうという、まさにターニングポイントとも言える戦いなのである。
ただ日本海軍の戦力のほうが、米国海軍より遥かに上回っており、簡単に勝てたはずなのになぜ負けたのかと主張する人も多い。そして巷では、「日本海軍の暗号が筒抜けだった」とか「山本長官の作戦自体がおかしかった、または南雲艦長が無能だった」とか、「レーダーの性能が不完全だった」とか「零戦のパイロットが未熟だった」とか、数え上げればきりがないくらいの理由が論じられている。
本作ではミッドウェー海戦直前に、突然UFOが出現して米国を有利な状況に導いたという荒唐無稽な設定となっている。そしてその謎を解明するために、現代(1988年)の米国軍隊が時空移動兵器を使って1942年のミッドウェー海域に調査隊を送り込むのである。ところが時空移動兵器の発動により巨大な竜巻が生じて、近くを航海中であった日本の自衛隊護衛艦4隻も巻き込まれて過去に送り込まれてしまうのだ。
このあと自衛隊護衛艦が最新ミサイルを使って、1942年時代の米軍戦闘機・爆撃機を次々に撃ち落としてしまい、結果的にはタイトル通り『大逆転!ミッドウェー海戦』となり、歴史を塗り替えてしまうのである。不謹慎かもしれないが、このあたりの描写は、日本人ならきっとスカッとすることだろう。
またここまで書くと、かわぐちかいじ氏の長編マンガ『ジパング』を思い出してしまった。ただジパングのほうが本作よりずっと後に発表されているので、本作から何らかの影響を受けたのかもしれない。
それにしても著者の檜山良昭氏の、戦争や兵器に対する造詣の深さには脱帽せざるを得ない。本作のほかにも『日本本土決戦』、『アメリカ本土決戦』、『大海戦!レイテ海戦』、『大逆転!戦艦大和激闘す』など、数々のシミュレーション小説を世に送っている。タイムトラベルものとしては、やや物足りないかもしれないが、過去をひっくり返してスカッとするためにもう数冊読んでみようかな・・・。
続きを読む投稿日:2021.01.12
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敵の名は、宮本武蔵
木下昌輝 / 角川文庫
面白すぎる武蔵の話
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武蔵と戦い敗れ去った剣豪たちは数多い。本書は彼等の視点から見て、宮本武蔵の実像を語っているところがユニークである。345頁の長編であるが、読み易く天下無双の面白さのためか、あっという間に読破してしま…った。
著者の木下昌輝氏は、ハウスメーカーから脱サラしてフリーライターとなり、2012年に『宇喜多の捨て嫁』でオール読物新人賞を受賞している。また同作は直木賞候補になり、その他数々の文学賞も受賞している。
さらに本書『敵の名は、宮本武蔵』でも、直木賞・山本周五郎賞・山田風太郎賞の候補作になっているという。
本書は7つの話に分割されているのだが、決して時系列順ではないところが、本書のミソとなっている。まず鹿島新当流免許皆伝の有馬喜兵衛が、13歳の少年武蔵と戦うことになった経緯に始まる。
そして第2章は、牛馬同然に売買され蔑まれていたシシド(吉川英治の小説では宍戸梅軒)が、鎖鎌の達人として山賊の頭領になり、武蔵により成敗されるまでの儚く悲しい物語となる。
さらに第3章では4代目吉岡憲法こと吉岡源左衛門が、武蔵との試合を通して「憲法染」と呼ばれる黒褐色の染物を発明し、家伝の一つである染物業に専念するまでを描いている。このあたりは吉川文学には登場しないが、こちらの成り行きのほうが史実らしい。そして武蔵も憲法との戦いを経て、剛力だけだった剣に優しさを匂わせるようになるのである。
その後武蔵は神道夢想流杖術の流祖である夢想権之助や、自身の弟子である幸坂甚太郎との戦いを経て、巌流津田小次郎との試合へと導かれてゆく。なお吉川文学の佐々木小次郎は架空の人物であり、古文書によると巌流島での決闘相手は、津田小次郎という年老いた剣士のようだ。本書は史実に沿って巌流津田小次郎として、架空の物語を創りあげているところが面白いのである。
さて本書がさらに俄然面白くなるのはこの辺りからである。まず巌流津田小次郎の出自というか、その悲運に満ちた生涯に心が痛む。そして武蔵の父・無二のさらに悲しき生き方に遭遇し、ここではじめて本当は彼が裏の主人公であることを確信する。
これだけでも、嫌というほど面白いのだが、このあたりで今まで少しずつ疑問に感じていた部分が、時間を遡って順次完全解明されてゆくのだ。まさにこれはミステリー小説の収束技法だと言っても良いだろう。それにしても、緻密に調査した事実をベースにしながら、これだけの嘘(創作)を捻り出した著者の力量は計り知れない。 続きを読む投稿日:2021.01.12
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光秀の定理
垣根涼介 / 角川文庫
『本能寺の変』が省略されている明智光秀本
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明智光秀が主人公の歴史小説なのだが、どちらかというと架空の人物である愚息と新九郎の視点で語られるところが多い。愚息とは世の中のしきたりに迎合せず、辻博打で生計を立てている破戒僧の名である。そして彼が…信じるのは手垢のついた仏教ではなく、釈迦の直接説法だけだというのだ。
また若き兵法者である新九郎は、剣の道を志すも金に困り辻斬りに身を落としていた。そんなある日、辻博打をしている愚息と運命的な出会いを果たす。さらに若き日の光秀を辻斬りしようとしたが、新九郎との実力差を認めた光秀が刀を差し出すのを見ていた愚息に光秀の勝ちだと言われてしまう。こんなことが縁となり三人の奇妙な付き合いが始まるのであった。
このほかにも光秀の妻煕子の聡明さや、光秀が世話になっている細川藤孝のしたたかさ、そして織田信長の残虐さの中に同居する器の大きさなどを分かり易く描いている。それだけならよくある歴史小説との差別化は果たせないのだが、本作では愚息の辻博打で使われている「3つの定理と確率論」が大きく関わってくる。そこが実に興味深いというか、他の歴史小説にはあり得ない構成となっているのだ。
さらに面白いのが、光秀を描いておきながら、あの『本能寺の変』の描写が一切省略されているのである。ただなぜ光秀が、その暴挙に走ったのかという謎解きだけは、光秀が没した15年後に、愚息と新九郎の酒の肴として語られる。まさにそれが『光秀の定理』であり、まるでミステリー小説の結末を探り当てるように一気にむさぼり読んでしまうだろう。
続きを読む投稿日:2021.01.12