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三四郎(新潮文庫)
三四郎(新潮文庫)
夏目漱石/新潮社
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総合評価

386件)
3.8
80
128
109
19
3
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    初めに言い訳をすると、僕は小説をほとんど読んだことが無い。 僕の感想はこのことに因るところが大きいと思う。 話がよう分らなかった。 どこがヤマでどこがオチなのかわからない。 人物の相関関係が分からない。 漢字と言葉が分からない。 全て僕の不勉強に因ることです。 日本語力の不足を痛感した。

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    投稿日: 2010.12.13
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    いやあ、漱石はこれで二回目なんだけど(一回目は坊ちゃん)、まあ坊ちゃんよりはつまらなかったかな? けどもこれも匹敵するぐらいおもしろいよ。文章がおっもしろい。なんかユーモアがたっぷりでね。 ライスカレーがよく小説内に出てきたりしてよだれがたらたらしてしまいました。

    0
    投稿日: 2010.11.26
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    特にヤマやらオチがある訳でもなく、只管淡々と進んでいくし全体としてあっさりしているのだけど、なんだか綺麗なんですよね。夏目漱石の文章はとにかく綺麗という表現が似合う。 あと与次郎が好きすぎる。一緒に蕎麦食べに行きたい。

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    投稿日: 2010.11.23
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    電子書籍にて 高校のとき以来の再読。 青春物が苦手ですが、これは良かった。 ストレイシープ。 小川三四郎。里美美穪子。佐々木弥次郎 野々宮よし子、広田先生。など

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    投稿日: 2010.11.17
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    これを100年前の人が書いたと思うと、本当に凄い。 登場人物の細やかな心の動きから、思わず目が離せなくなる。 ―恋は難解だった。

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    投稿日: 2010.11.14
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    『美禰子』(夏目漱石、1948年、新潮文庫) 故郷である熊本を出て東京帝国大に進学した小川三四郎が、都会の自由な風土の下で、故郷、学問、恋愛(+友情?)の世界で生きる姿を描く。『それから』『門』に続く前期三部作の一。 (2010年11月6日 大学院生)

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    投稿日: 2010.11.06
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    故郷の熊本を出、東京の高等学校に入学することとなった三四郎。 三四郎は東京に向かう汽車の中で、ひとりの中年紳士と出会った。そして偶然にも、三四郎は高等学校でその中年紳士――広田先生に再会する。 『こころ』が面白かったもので、三部作の初作である『三四郎』にも興味を持って読んでみました。 明確な事件・設定がない小説なので、あらすじを書くにもちょっと困ります。 最初の数十ページを読んだ印象としては、まず文体が古いというか、読みにくいという点が目に着きました。 「頗る」とか、今どきあまり漢字で表現しないような漢字が、物語を通して頻出する。 加えて、アカデミック。西洋の文学者、文学の名前が頻出していて、何と言うか、文明開化、という言葉が頭に思い浮かびました。 でも百ページ目を過ぎたあたりから、もっと単純に話の筋を考えていいのかな、と思い出しました。 三四郎は、今でいう『草食系男子』みたいなもので、『坊ちゃん』みたいな快男児ではない。大体において受け身。ドラクエの主人公並に受け身。 小説内でも彼は恋愛をしますが、結局は何も起こらず終わっています。 『青春小説』という括りが、ある意味非常によく似あいます。 文学も、思想も、行動も、真面目であるけれど、どこかふわふわとしていて、現実味がない。青く固い。そこが好ましい。 これだけを読んで「非常に面白い」という評価は下せませんが、以降の三部作でどうなっていくのか、結構期待できます。

    0
    投稿日: 2010.11.03
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    『それから』『門』へと続く前期三部作の第一篇目。 主人公三四郎を取り巻く三つの世界がある。母のいる故郷(熊本)、野々宮さんや広田先生のいる学問世界。そして、美禰子のいる華やかりし世界。美禰子は都会的で自由な女性として三四郎を翻弄し、彼はその世界に惹かれる。 「迷える子羊」(ストレイシープ)という言葉はどの時代の青年にも響くだろうが、ここでは誰もがそれであるとういうことも示唆しているようにも読み取れる。 「偉大なる暗闇」と名づけられた思想家の広田先生、三四郎と対照に行動的な大学の友人与次郎、彼らとのやり取りもうまく三四郎という受動的な人物を表している。 明治の東京の情景も美しく描かれ、自身の遠い日の青春の淡さと混ざり合い心地よい読後感に浸ることができるだろう。

    0
    投稿日: 2010.11.01
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    熊本から上京してきた三四郎が、近代都市化(街も人も)してきた東京で何を感じるのか。(そしてどう振り回されるのか) 三四郎 美禰子 よし子 与次郎 野々宮 広田先生

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    投稿日: 2010.10.26
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    再読。こんなに面白かったっけ、という感想。学生時代に読んだ時は、男女の機微が全然読めていなかったんだなぁ。

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    投稿日: 2010.10.24
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    田舎から出てきた学生の、ほのかで切ない恋の話・・・でしょうか。 それぞれのキャラクターが面白い。いかにも、って感じではありますが。 同じ学生として生活に共感できる部分がいっぱいありました。なかなか面白かった。 長いので我慢強く読む必要があります。

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    投稿日: 2010.10.15
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     主人公の三四郎の出身地が、自分が住んでいるところに近い。この本を読んだことがある人は「京都郡」を「みやこ郡」ということに気づくはず。  都会の大学に行き、自分自身が大きく変動する姿は、今の若者にも共感してもらえると思う。

    0
    投稿日: 2010.10.03
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    *ブログ感想あり* http://blog.livedoor.jp/marine0312/archives/2008-07.html

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    投稿日: 2010.10.01
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    この人が使う言葉・表現が好き。 必ずしも大きな山場やオチのためだけに小説は書かれるわけじゃない、と個人的には感じました。この作品から。

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    投稿日: 2010.09.05
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    1908 美穪子の媚態について漱石は「アンコンシャス・ヒポクリット(無意識の偽善家)」と言っている。だが、真に無意識の偽善家は三四郎のほうである。鈍感さの罪、愛されていることに気づかない罪。罪には罰がつきものだが、その罰に当の三四郎が堪えているかどうか、それは誰にもわからない。

    0
    投稿日: 2010.08.28
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    特に重大事件が起こるわけでもないし、もちろん人智を超えた何かの力が働くわけでもない。普通の昔の日常の生活。その中での三四郎の心の動きが小説になってるわけだけど、自分としてはこういった話の方が面白いと感じる(年だからか?)日本人特有のはっきり物事を言わない、態度をはっきりさせないといったところが話しをつなげるんだけど、今の若者でもこういう内容に共感を持てるのかなぁ?っと勝手に心配してしまいます。私は何故かすごく共感がもてるんだよなぁ(年だからか?(笑))

    0
    投稿日: 2010.07.30
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    時代を越えてもなお、わかるわかる!って共感できるのがすごい。文章は難しいけれど、やっぱり名作だと思った。

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    投稿日: 2010.07.08
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    登場してくる女性の心情をわずかな会話の中からしか読み取れず、いろんな想像をかきたて、日本人の感性をくすぐる感じがいい。漱石の作品の中でいちばんよく読んだ。

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    投稿日: 2010.07.04
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    作中の言葉を借りれば文章には俳味があって、楽しく読める。 主人公は甚だ受動的だ。 田舎から出てきた主人公は自分の居場所を定めることが出来ない。冒頭、断れず流されるままに同衾した女に「度胸のない」と言われ、作中、都会の男与次郎と都会の女美禰子に翻弄される。 主人公がやっと「あなたに会いに行った」と言える頃には時を逸していた。 都会の女に見えるヒロインは「迷羊」と呟き、主人公も最後に「迷羊、迷羊」と繰り返す。 言葉は暗示するに止まっている。

    0
    投稿日: 2010.05.22
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    文体はやっぱ読みにくいけど、途中から、 みねことどうなるのかってドキドキしながら読んでしまった。 「あなたに会いにいったのです」のとこが好き。

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    投稿日: 2010.05.15
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    「三四郎はその呼吸(いき)を感ずる事が出来た」 これが普通に読めるということに驚く。百年前の小説なのに。

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    投稿日: 2010.04.29
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    夏目漱石ってこんなに面白いんだ。学生の頃に読んでおけばとちょっと後悔。東京に暮らしている頃もっと出歩けばよかったと後悔。情景も楽しめてじれったい三四郎も追えて満足でした。

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    投稿日: 2010.04.14
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    夏目漱石の本の中で、一番好きな本です。 三四郎が、高校を卒業し熊本から東京へ出てきて 大学生活を始め、その中でのいろいろな人との出会い等を描いています。 この本も、何度も読んでいます。

    0
    投稿日: 2010.03.18
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    漱石の三四郎、その11章の終わりに20年前に現実に見たという、12才の少女を20年ぶりで夢に見たという話が出て来ます。それは明治22年の憲法発布の年と、嫌にはっきり限定して書いています。(下に引用) ここの文は私にも印象的で、トリックの予感が付きまとう。吉本隆明さんもTVで、ここを指摘します。吉本さんは漱石の特異性があるといいます。 特異性は記憶がよすぎる、ないしは病的という意味と思います。漱石は10年くらい前の事を、昨日の事のように書く癖があります。その意味で吉本さんの言われる事は当たっています。 登場人物、広田先生は漱石自身を思わせる人物です。小説の中で広田先生は生徒に人気があり、三四郎や美弥子、佐々木や色々な生徒に慕われています。 では漱石がそうだったか……と思うのは早とちりです。実際は前任の英語教師、小泉八雲の人気が高く、比べて漱石は不評でした。漱石はどうも広田先生のようにチヤホヤされたかったようです。 広田先生が森の中で妖精のように、12才のまま年を取らない少女に会い、三四郎は美弥子の絵を、最後で森の女といいます。これはペアの構図になります。つまり二人は同一人物と暗示される。 坊ちゃんにおける赤シャツとの関係に似ています。どうも漱石は現実に近い広田先生と、昔の若い自分を引き合わせているらしい……という事は12才の少女と美弥子も同一ではないか。 同一でも違ってもいのですが、これは誰なのか? その謎を解く前に言って置きます。08年7月4日~5日に漆原友紀さんの漫画「蟲師」を取り上げています。 蟲師の第一話「緑の座」は祖母と孫が二人きりで住んでいるという話です。祖母はいったん死んで、霊というか蟲の作用というか、振袖の美少女になって、同年輩の男の孫と暮らしています。 そんな馬鹿な言われる人もありましょうが、この漫画は反近代、泉鏡花の世界に近い。ここでは人は時間軸を自由に行き来している。祖母と孫が恋人のように、夫婦のように暮らす事も自由です。 それは、たとえば木の精が人と夫婦になる小泉八雲の世界と重なります。漱石には実の母の思い出が少なく、現実の触れ合いはほとんどありません。 母が死んだ年に街で偶然に葬列に会い、その中に美しい少女を見るのです。少女は母と同じところにホクロがある。少女は若い漱石に強い印象を残します。一目惚れといってもいい。 触れ合う事のなかった母との触れ合いを現実のものとするには、どこかが何かが母と似た女に出会い一緒になるしかない。相手の女性には幾分、迷惑な求婚でしょうか? あくまで私の推理です。物証はありません。漱石は常人ではない記憶力があった。あるいは偏執の傾向があった……それでもいいのですが推理のように解釈すると、ごく普通の寂しい男が生まれます。 漱石は夫人と見合いをした時、夫人が大きな口を空けて笑った所を気に入ります。ガハハハと豪傑笑いする女なら、自分の劣等感を含めて受けいれてくれるト思ったのです。 ●三四郎の11章より(青空文庫による)  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまったから、きょうあたりはまた晴々《せいせい》して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯《しょうがい》にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子《ほくろ》がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子をかぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙の法則は変らないが、法則に支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装《なり》をしている。髪も昔の髪である。黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操の教師が竹橋内《たけばしうち》へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩《ひつぎ》を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴《くつ》の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥《くるま》が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的《ロマンチック》な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身を余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレットは結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某《だれそれがし》の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由《わけ》を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子が結婚に信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しかし先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生はハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

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    投稿日: 2010.03.17
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    明治のかほり漂う名作であり、「それから」「門」へと続く三部作の第一作目。 熊本から上京してきた青年が、右も左もわからない東京での大学生活で友達に、憧れの女性にと翻弄されていく様を書いた物語。 この時代は現代以上に地方と都市の間に文化の差はあったはずであり、田舎から出たことのない若者が都会の荒波にもまれるのはあたりまえだ。それでも「坊っちゃん」のような無鉄砲の生活で立ち向かって自分を貫く性格の主人公だったらもっと躍動感ある作品となったろうが、そうはならない。まさに「時の流れに身をまかせ」てしまう主人公の三四郎である。そして、いつの時代も女は魔物であるらしい。

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    投稿日: 2010.02.24
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     やっぱり夏目漱石の文章は綺麗(特に色彩の表現)と、再実感させられる一冊。当然と言えば当然だけど、今回も都会的な女性、ミネコがヒロイン。鏡越しの挨拶とか、鳴らすだけのヴァイオリン、ユニークさもあるけれど、最後まで読めない女性。

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    投稿日: 2010.02.01
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    漱石が明治41年に朝日新聞に連載,発表した作品。 熊本の高校を卒業し  東京大学に入学したばかりの三四郎が 僅か半年足らずの間に経験する出来事が描かれている。 「坊ちゃん」と並ぶ漱石の傑作青春小説であるが 「坊ちゃん」のようなドタバタや乱闘も無く 「三四郎」は純粋な恋愛小説風でもあり 漱石の作品の中では一、二を争うほどの 読みやすい小説となっている。 大学内の池のそばで初めて美禰子に出会ったとき 彼女に一目惚れしてしまった三四郎。 そんな三四郎に思わせぶりな態度をも取る美禰子。 ところが諸般の事情あり 美禰子は見知らぬ男と突然結婚してしまう。 最後に会ったとき 美禰子は三四郎にこうつぶやく。 「われは我がとがを知る。我が罪は常に我が前にあり」 (旧約聖書より) 画家の描いた美禰子の絵は 三四郎に初めて出会った池の端で彼女がとっていたのと同じポ-ズであったのだが それを見た三四郎は ストレイ・シ-プ、ストレイ・シ-プと つぶやくだけであった。 田舎から出てきたばかりの学生 三四郎にとって 新しき時代の女性 美禰子の行動は 理解しがたいものだったろう。 「それから」「門」に引き継がれ 明治の知識人の悩みは続く。

    0
    投稿日: 2010.01.02
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    結局、夏目漱石って文章を書くまいに何事かを常に探り当てていたのだろう、さの何事かというものを、終始にわたり具体的に何であるかということは、もしかしたらほとんど頓着していなかったのではないのだろうか。それはいつも夏目作品を読了した後に感じる、僕自身の心に宿る一服の清涼感のなかに、漱石の追い求めた無垢な魂の叫びを感じとることから、勝手に解釈をしているだけなんだけれども。 この小説の根幹は、二十代の田舎から出てきた若者の、恋愛の始まりから終わりまでを、流暢な語彙を駆使し描き切っているのだけれども。 男性からみた理想の女性像というのは、年齢とともに変わっていくものだろうし、かといって若い頃の理想とは、まったく変わってないともいえるのだけれども、そういうどんな人間の持ついかげんさみたいなものを愛した人なんだろう。

    0
    投稿日: 2009.12.26
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    切ない。田舎出の三四郎には、生まれて始めてくる都会の常識、考え方に馴染むまでには時間がかかるようだ。主題である恋愛以外にも友人、学問、先生との関係、距離の置き方など三四郎には、新鮮であったであろう。都会と田舎の比較がされており、良くも悪くも、当時の世界、考え方がわかる。  ただ、都会といっても現代とは違い、下町風の人情味あふれる爽やかな町である。 偶然にも、先日読んだハムレットを見に行くシーンがあった。日本の演劇のハムレットは、結婚できそうであると述べている。

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    投稿日: 2009.11.28
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    「あの女は君に惚れているのか」「能く分からない」(p.194) 「馬鹿だなあ、あんな女を思って。思ったって仕方がないよ。」(p.250) ストレイシープ。美穪子は"最後まで謎の女"ということになってるみたいですね。 --- どうしてこうも読むのに時間がかかってしまうのかなぁ。 父親の古い文庫(昭和45年発行,¥130)の細かいかすれた字のせいかもしれません。 とりあえず三部作を通してしまおうとおもうけれど、いまは課題で村上春樹を読んでいるからおやすみ。 三四郎から読み始めたのは三四郎池がでてくるからってそれだけです。 ブクログリニューアル:前の表示形式(背表紙ビューで、レビューは下にずらっと表示)がなくなってとても悲しい。

    0
    投稿日: 2009.11.01
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    これを読んでいたら、日露戦争が終わって西洋文化がどんどん入って、女性の在り方が変わった=女が強くなっていったんだな、とよくわかる。「結婚」も、親の決めた知らない人にもらわれて当然の時代から、好きな人じゃないと嫌よの時代に変わっていく。だけど完全に嫌よと言えない時代には逆らえなかった失恋物語。この映画をぜひ観たい。

    0
    投稿日: 2009.10.20
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    まあまあ面白かったです。 しかし読書が苦手なので、曖昧な文体をだらだらと読んでいるのは苦痛でした。 読者ひとりひとりに様々な解釈があるかと思いますが、 私には与次郎がホモに思えて仕方ありませんでした。 もちろんそんな表現は一切出てきません。ただ、なんとなくです。 第一の世界・第二の世界・第三の世界。 今私は何を一番優先しているだろう…多分、第二の世界かな? 第二>第三>第一かな。でも、順位はよく変わります。 3つの世界をうろうろうろうろ… 私も迷羊です。

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    投稿日: 2009.09.14
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    漱石を読むのは これで4作目 これは淡々 最後もあっさり でも退屈はしなかったな 綺麗な文章と 登場人物がみんな 濃かったからかな 恋愛もの、というよりは 青春もの? 美禰子さんは美しい 言うこといちいち素敵 迷える羊(ストレイシープ) は名言だと思うよ あと三四郎との 出会いの場面が 印象的です 漱石は美禰子さんのことを 「無意識の偽善」 と言ったそうです (解説に書いてた) なるほどねー たしかにねー

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    投稿日: 2009.08.09
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    淡々と上辺をなぞる様な文体は、飽きをもたらす。が、よくよく読み込むと主人公の定まりきらない意思のあやふやさと、持ち前の賢さからの観察力が混ざり合った表現が読者の感覚をあやふやにさせる。あやふやさに、惑わされると他の登場人物たちも的をえないように見えてくるから不思議なものである。後半にさしかかると、三四郎の意思が定まってくるので落ち着いて読めるかもしれない。上京したて、純朴、モラトリアム、多くの言葉が三四郎を彩ろうとするがどれも正しいようで正しくない、その不確かさが面白い。

    0
    投稿日: 2009.07.31
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    「門」「それから」に続く三部作のひとつめ 久しぶりに読んでみたら 内容云々というより 出てくる言葉をひろって楽しんでる自分がいた

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    投稿日: 2009.06.30
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    これ好きだわー。 三四郎の田舎から出てきた学生っぷりがリアル。 この不安とか夢とかいうゆらゆらしたものがリアルに書かれてる。 リアルすぎてきもちわる。 でもこういう学生生活の描写とか読んでると、ちょっとこの時代に生きたかったと思ってしまう。 アンコンシアス・ヒポクリットってよく言ったもんだと思う。 女の人の無自覚の思わせぶりな態度とか自分勝手な態度って、女の人だけの特権。 ストレイシープ、ストレイシープ。

    0
    投稿日: 2009.05.30
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    今の大学生が読んでも共感出来るような 明治の文豪の描く青春小説。 熊本の高校を卒業した若者が、 東京の大学へ進学するため上京する。 そこでよく判らない学校の授業に退屈し、 お調子者の友人に振り回され、 小悪魔な性格の女性に恋をして・・・。 小説のみならず、今時のテレビドラマや 映画でもありそうな設定。 しかし、夏目漱石がそんな青春ドラマを描くと 味わい溢れる人間群像小説になるから不思議だ。 ある時、三四郎は知り合いの学者広田先生に 「不二山を翻訳してみた事があるか」と問われる。 この小説の中で私が一番好きな場面だ。 戸惑う三四郎に、先生はこう説明する。 自然を「翻訳」してみると、 全て人格上の言葉になるから面白い。 たとえば、不二山ならば「崇高」「偉大」といった具合に。 自然を人格上の言葉に翻訳が出来ない人がいるならば、 自然はその人に全く人格上の感化を与えていない。 私は、そう教えられた三四郎と同じように もっと詳しくその話を聞きたくて、 次に広田先生の言葉を待った。 ところが広田先生はそこでその話を止めてしまう。 ちょっと肩透かしをくらったような気分になった。 広田先生自身は、単に、他の事に気が向いてしまって、 その話をお終いにしまったようだが、 作者である夏目漱石は、「その後は自分で考えろ。」と いった感じなのかもしれない。 彼の作品を読んでいて、時々感じるのだが、 夏目漱石先生は、面倒見が、というより意地が悪い。

    0
    投稿日: 2009.04.21
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    ドラマで有名なので読んでみました。 小説自体はすごく面白かった。短編だから読みやすいってのが大きいかな。 この中で一番好きなのは第三章の壊死る。映像が頭に浮かんでくるようでよかったです。 しかし… 佐野史郎が可哀想だと思った。 その理由は解説を読めばわかると思います。

    1
    投稿日: 2008.11.02
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    『こころ』と同じくらい好きな作品。 田舎から上京した三四郎の恋や人との関わり。 心のうつろいなんか見てていろいろ感じたり。

    0
    投稿日: 2008.10.31
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    共感できる。わかりにくいところもあるけどわかる。三四郎の境遇は僕とよく似ています。 田舎から東京の大学に出てきて、エリート意識はあったけどいろんな人と接しているうちにそれが削げ落ちてきて、上流の女性に翻弄され結局振られ…。もっとも、僕は美禰子みたいな人は好きになりませんけどね。たぶん。 野々宮や広田先生のような生き方は尊敬できます。彼らは地位を捨て、薄給に甘んじて情熱を持って自分の研究に取り組んでいます。日露戦争以後の急速な経済発展は、社会的地位と学問探求を二者択一に追い込んだのかもしれません。 「七年もあると大抵のことが出来る。しかし月日はた易いものでね。七年位直ですよ。」 ストレイシープ、オラプチュアス 「私、そんなに生意気に見えますか」 「我々は西洋の文芸に囚われたるか為に、これを研究するのではない。囚われたる心を解脱せんがために、これを研究しているのである。」 「無意識なる偽善者」 「それは変わるだろう。本人が変わるばかりじゃない、絵描きの方の気分も毎日変わるんだから、本当を言うと、肖像画が何枚も出来上がらなくちゃいけない訳だが、そうはいかない。」

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    投稿日: 2008.09.03
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    新潮文庫 夏の100選に選ばれてたから読もうとしてんけど・・・ 60ページまで読んで退屈だったのでやめました;なんかねー、話が遅い。遅々として進まん。描写は細かくていいんやけど三四郎の日記って感じがして面白くない。しかもその描写によって特に鮮やかに情景が想像できるわけでもなく。(言葉の問題かな?)この漢字ってこう使ってこう読むんや・・・という漢字の勉強にはなったかもwこう書くと「即楽、即消費の忙しい現代人。じっくりと文を楽しめない悲しさ云々・・・」とか言われそうw 「こころ」は面白かってんけどなー。

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    投稿日: 2008.08.29
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    前期三部作の一作目。青春文学といったところ。 しかし、読書量の乏しいためか、私には曖昧模糊で、言いたいことがよくわからんかった。 ただ、熊本から上京した主人公が、これから一体どんな生活が待っているのだろうかというわくわくした心境に共感は覚えた。大学などで上京した人は読んでみてもいいかも。

    0
    投稿日: 2008.08.24
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    明治、大正の文学は典型的に文章が綺麗でウットリする。 色々為になることはありましたが、本としてはあまり楽しめなかった。わたしにもっと知識があって時間があったのなら、全然違っただろうなと思う。

    0
    投稿日: 2008.08.14
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    【2008/8/11】  熊本から東京に上京してきた学生、三四郎の日々を描く。  上京して、彼は3つの世界に出会った。1つ目は世俗的な世界、2つ目は学問の世界、3つ目は女を含む豪奢な世界。三四郎は女(美禰子)に惹かれていく。だが実らない。そのあとには儚い気持ちだけが残る。

    0
    投稿日: 2008.08.11
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    夏目漱石がこんなに面白いなんて知らなかった。彼の感覚は非常に現代的で、しかも国際色豊かである。出来れば小学校、中学校の時代に読みたかった。

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    投稿日: 2008.07.11
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    2008年7月読了 夏休み、暇をもてあました神々の読書 美禰子さん萌え 三四郎乙 夏 目 ネ申

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    投稿日: 2008.07.09
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    ストーリー性は弱いものの、読後感が強く残るのはさすが漱石だな、と思いました。 女性の考えていることはよくわかりません。 本郷にいる間に読んでおけば良かったなぁと思います。 赤門に正門に図書館に三四郎池などが登場し、懐かしい気分になります。

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    投稿日: 2008.06.22
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    上京したての新鮮な気持ちから、新しい世界へ飛び込む不安、さらに初めて覚える恋愛の難しさ、葛藤など青春小説の名作。女はわからん。

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    投稿日: 2008.05.10
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    2008.05.03読了 いつかは読もうと思てた夏目漱石。 三十路を過ぎて「文豪漱石」はじめました。 もっと早く、十代後半に読んどくべきやった。 きれいな言葉と表現にうっとり。 三四郎のユラユラした感情、 美禰子の心の動きを表情や動作で表現するところ。 登場人物のキャラ立ちがすごい。 有名な広田先生の言葉 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。「日本より頭の中のほうが広いでしょう」 三四郎には 「学問を志す世界」「実家のある田舎の世界」「女の子と楽しむ世界」 三つの世界がある。 広田先生の言葉を借りれば、 うちらにも、 あらゆる可能性の世界がいくつも広がっている。 自分は何がしたいのか、 どうなりたいのか、 自分のもつ多様な可能性の世界を行ったり来たり… 見定めることも決断することもできず、 忙しさに身を任せる「迷える羊(ストレイシープ)」 100年を経ても青年の多感なる心は変わらんもんやね。

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    投稿日: 2008.04.29
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    ペースがすきです。ひとつひとつを確認する三四郎のペース。世の中そんなに美人ばかりじゃない笑 2008/4/15

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    投稿日: 2008.04.15
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    2008年5月9日  叶わない恋とはこのようなものなのでしょうか。その人を手に入れられないならば、自分とその人だけの思い出にしがみつくしかないのかもしれません。三四郎は既婚者との不倫を試みるような人でもないし、おそらく他の女性との縁談で結婚したりするのでしょうが、それでも彼女の面影は一生三四郎をふとした瞬間に苦しめるのかもしれません。

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    投稿日: 2008.03.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

     不思議な話だ。美禰子をアンコンシャス・ヒポクリットとか言うけども、それはそれで三四郎の(漱石の?)自意識過剰を感じないでもないし。感覚的な感想で申し訳ないけども、ラストは、線香花火の玉が落ちるときのジュジュッていう音が聞こえるような気がした。 ・メモ 三四郎の出身地は熊本じゃなくて福岡。 高校が熊本。

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    投稿日: 2008.03.01
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    三四郎が最初、上京する時に「女」と名古屋で途中下車する。その時の宿のモデルとなった旅館が名古屋駅の近くにあり今は駐車場になって記念碑だけがのこっている。三四郎ゆかりの宿あととして(名古屋の人もあまり知らないくらいに)あと、明治の文豪で坪内逍遥記念碑も名古屋駅近くにある。くたばってしまえしんでまえ、から由来する二葉亭四迷も名古屋に由来の人なのです。

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    投稿日: 2008.02.24
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    明治、大正の文学は典型的に文章が綺麗でウットリする。 色々為になることはありましたが、本としてはあまり楽しめなかった。わたしにもっと知識があって時間があったのなら、全然違っただろうなと思う。

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    投稿日: 2008.02.12
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    『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……日本より頭の中の方が広いでしょう』という広田先生の言葉。三四郎といったらそれくらいしか浮かばなかった。あと、斉藤美奈子さんが『三四郎』を「美禰子萌えーー」の小説だって言っていたような。笑 で、読んでみました。 久々に漱石の長編を読んで、自分がいかに小説が読めないか実感しました。とほほ。もっとしっかり勉強いたしまする。 田舎学生の上京物語、登場人物たちの失恋物語、挫折物語…いろいろに読めるのかしら。

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    投稿日: 2008.02.01
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    むずかしーーーーー!!!面白いは面白いんだけど、理解できないところもあった。…またいつかゆっくり見たいな。

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    投稿日: 2007.11.18
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    熊本から出てきた三四郎が、与次郎や美禰子らと出会い、様々な刺激を受けていく。作品中の「迷える子羊(ストレイシープ)」や「無意識の偽善者」という言葉が印象的。それにしても、漱石の教養の深さには改めてびっくり。(2003/12月頃読了)

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    投稿日: 2007.11.10
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    夏目漱石二冊目。やっぱり夏目漱石は思っていたよりも面白い。三四郎がなんだか可愛い。深い内容はまだ理解できないけど。他のもトライしたい。

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    投稿日: 2007.10.26
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    田舎から出てきた学生の、ほのかで切ない恋の話・・・でしょうか。 それぞれのキャラクターが面白い。いかにも、って感じではありますが。 同じ学生として生活に共感できる部分がいっぱいありました。なかなか面白かった。 長いので我慢強く読む必要があります。

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    投稿日: 2007.10.19
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    都会の人々に滑稽なまでに翻弄される田舎出身オクテ系少年。田舎で育てた傲慢な自尊心に対し、東京が行った無慈悲な洗礼。あまりに無力である。

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    投稿日: 2007.09.28
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    『それから』『門』へと続く、漱石の三部作の始まりの小説。『坊っちゃん』と逆の形。三四郎』では、田舎から東京に出てきた若者が、都会らしいサバサバした雰囲気のなかで、サバサバと恋愛をし、サバサバと失恋をするという物語。

    0
    投稿日: 2007.09.19
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    青春期のいびつな感情をここまで端正な文章で綴られると、愚直さもある種の品位さえ帯びてくる。私は所謂青春小説が大好きだが、それらは主人公のイノセンスによりかかるところが大きかった。三四郎にももちろんイノセンスはあったが、それは未熟さや脆弱さではない、確固たる無垢であった。

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    投稿日: 2007.09.11
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    有名な文学作品の一つ。 東京に出てきた学生の淡い恋を描いた作品。 描写の仕方がうまいので、イメージが具現化しやすかったのが印象に残っている。一生に一度は読んでおいて損はないと思う。

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    投稿日: 2007.08.13
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    2007.7.読書日記再開20世紀生まれ。20世紀のはじめに書かれたこの小説と20世紀のおわりにおくったアタシの学生生活となにもかわらないのだとおもいました。学生時代は苦い。大人も苦い。漱石の小説がオーソドックスだと感じるのは、現代が、漱石以降、であるからだとおもいました。大作家であるがゆえに、かえって作家自身の影がうすい。

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    投稿日: 2007.08.07
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    『それから』『門』と続く3部作の第1篇にあたる。大学生活を背景とする知的環境のうちに成長しゆく純潔なる一青年に、意識と反省を越えた世界では愛しながらも、意識と反省の世界では男をあなどりさげすむ聡明にして自由なる女性美禰子を配し、触れようとして触れ得ぬ思慕のたゆたいを描く

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    投稿日: 2007.05.24
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    大人になってからの夏目漱石は思った以上に面白かったです。昔の作家の方が情景描写が上手い気がするのは気のせいでしょうか・・・?三四郎が東京駅に降り立つ時の描写。ゾクッときました。

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    投稿日: 2007.05.17
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    世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わる事は出来ない。自分の世界と現実の世界は一つ平行に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。

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    投稿日: 2007.04.13
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    学部で同名の友達が出来たので、再チャレンジしてやっと完読! どうも私には合わないのか、いまいち感情移入できません。起伏のない淡々としたストーリーで、なんだか終わりもあっけない。こんなものなのかな。楽しめなかったのは、ドラマチックな展開を期待しすぎたせい?

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    投稿日: 2007.02.16
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    偉大なる暗闇…                       田舎から出てきた学生・三四郎の恋煩いのお話。

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    投稿日: 2007.01.14
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    授業で取り扱ったのがきっかけで読みましたが、面白いですね、これは。課題で「迷える羊」についての論文を提出しましたが、更に研究を重ねてより充実した論文を書いてみたいです。

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    投稿日: 2006.12.13
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    三四郎=森田草平:美禰子=平塚らいてう。森田草平の書いた半ノンフィクション『煤煙』とあわせて読むと物語のバックグラウンドを知ることが出来る。

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    投稿日: 2006.08.01
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    とても、昔の話だとは思えない。そのまま、時代設定を現代に変換してみても通用する物語の普遍性には脱帽します。人間の想いというのはいつの時代も変わらないということですね。

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    投稿日: 2006.07.19
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     明治頃の東京の、ある種呑気な、下町情緒とでも言えばいいのか、そういう雰囲気を満喫できる作品。熊本から上京して、都会の空気に触れて戸惑ったり、それに乗ってみたり、そういう三四郎の素朴さがいい。学んだ哲学を世俗的な自分の恋愛に置き換えて解釈を与えようとする。そんな三四郎の姿に「学生」というもののもつ、普遍性というか、そういうものを感じた。  しかし、登場するのはいわゆる名士の類ばかりであり、漱石の生きた明治は味わえても、それが明治の全てではないことを忘れてはならない気がする。

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    投稿日: 2006.06.23
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    「東京は熊本より広い、日本は東京より広い、頭の中は日本より広い」なんて、広田先生の素晴らしい言葉。漱石の思考の根幹だと思うなあ。

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    投稿日: 2006.05.25
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    星∞つ。今、此処、という条件がこの本をこれほどまでに楽しませてくれたと思う。デイジー・ミラーを思わせるか。

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    投稿日: 2006.03.10
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    文章がとてもきれいでした。動作や会話のやりとりが好き。美禰子のような自分をしっかり持った女性に憧れます。でも結局どういう話なのかあまり分かりませんでした・・・。

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    投稿日: 2006.02.02
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    純粋な大学生、小川三四郎の物語。愛すのか、愛さないのか。二人の微妙な関係。分かったようで分からない心の小説。

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    投稿日: 2006.01.20
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     夏目漱石三部作第一作。田舎の子が東京の大学に入って失恋するまで。今と変わんないねぇと思えるところと、時代だなぁと思うところが共存していて楽しく読めます。

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    投稿日: 2005.12.23
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    読み終わるのにえらく時間がかかった。甘酸っぱい物語。坊ちゃんを読んだ後に、同様の面白さを期待して読んだので若干期待外れではあった。でも読む価値はあった。

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    投稿日: 2005.11.04
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    一番好きなシリーズだけど、どんな話かと言われるとウッと詰まる。さらさらと漱石語を読んでるだけで気持ちいい、三部作の一作目。

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    投稿日: 2005.11.01
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    親のすねをかじって生きながら、尊厳を守り抜きたい繊細な若者の心理が細やかに描かれています。大学の授業で読んだ思い出も…。

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    投稿日: 2005.10.27
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    それまでとは違う広い世界に入ると、それまで知らなかった種類の人々や思想に出会い、違和感を感じたり、感動したり、落胆したり。今も昔も、同じなのだなあと思いました。けれどもやはり明治という時代は特別ですね。

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    投稿日: 2005.10.19
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    大学入学のため、故郷熊本から汽車に乗って、上京することになって、向かい席の女性と一夜をともにし…。漱石の小説の中では、比較的明るい雰囲気の物語になっていて、主人公の若々しさや初々しさが感じられます、明治後期の風潮でしょうか。

    0
    投稿日: 2005.09.13
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    (読了してから2ヶ月が経つのでうろ覚え)。特別、何か急展開が起こるというわけではなく、どこにでもいるような青年、三四郎が1人の女性に惹き付けられていく様子が描かれている。好みの問題もあるけれど、同じ文学小説なら、1人の女性に対する青年の苦悩を描いた武者小路 実篤の『友情』のほうが描写が滑稽で好き。

    0
    投稿日: 2005.07.11
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    三四郎、これって漱石の女性観がよく出ている作品ですよね。  まずもって異性論、しょっぱな息刷りの女と一つ屋根の下で同じ布団で寝る。ここで彼はどうするべきなのでしょう?一夜の関係と割り切って抱いてしまうべきか、はたまた楽しくおしゃべりして寝るか、まぁ23年間の弱点ですよね。 結局、とても背が低くて、そのくせ当時の一流の漱石にしてみれば、世の女性はとても近寄りがたかったのではないでしょうか。まぁ女性コンプレックスですよね、彼が付き合うほどの女性なら、それ相応の教養を持ち合わせ、自分を綺麗に着飾ることくらい当たり前でしょう、そんな令嬢達の前に立ったとき、胃弱で背の低かった彼はどんな思いだったのでしょうね?

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    投稿日: 2005.05.04
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    これもすごく好きです。大学1回生のときの、大学への期待感と失望感、焦燥感、いろいろ考えすぎて行き詰ったり。なんか大学生の行き場のなさというか、だらだらしてしまうところがすごく上手に表されていると思う。特に図書館についての描写がうまい。

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    投稿日: 2004.10.08