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ペスト(新潮文庫)
ペスト(新潮文庫)
カミュ、宮崎嶺雄/新潮社
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総合評価

355件)
3.8
86
104
90
21
4
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    人間を打つ殻竿の音 週何人の報道が毎日の死者数の報道へ 観光旅行の破滅 ペスト 繰り返し レコード 足踏み 個人的なものを断念する 一般化された考えしか持たなくなっていく人々 抽象 毎日が死者祭 何気に競技場に来たときのゴンザレスの描写が良い

    2
    投稿日: 2021.03.07
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    カミュは,第二次大戦で罪もない人達がなすすべもなく死んでいったという不条理について,それをペストという疫病になぞらえてこの小説を書いたのだと勝手に想像するのだが,コロナ禍に襲われた現代社会の右往左往と重なる.近代に入ってからこのようなペストの大流行はなかったと思われるので,想像で書かれているはずなのだが,流行当初の役所の縦割りの弊害,信じたくない気持ち,その後の社会の麻痺等々,今世界で起こっていることを予言したとしか思えない.いや,カミュの時代にはまだスペイン風邪大流行の記憶は残っていたはずなので,そこがベースになっているのか. やや哲学めいた面もあるので,一気に読みすすめるというわけにはいかないが,読んでよかったと思える名作には違いない.

    3
    投稿日: 2021.02.23
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    ペストの物語というよりかは人間の心理状態を描写した物語だった。 心の葛藤とか何も出来ない苦しさとか何も感じれなくなってしまうぐらいの疲れとか"ペスト"という得体の知れないものに対して人の気持ちがどう変わっていくのか、自分なりの答えがある人や見つかる人もいれば、ずっと探し求めている人もいれば、色々な感情や思いが出てくる話だった。 実際自分が同じ状況だったらどうしただろうかと考えさせられた。

    1
    投稿日: 2021.02.22
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    COVID19の拡大で奇しくも圧倒的な同時代性を手に入れた本作「ペスト」。言うまでもないことだがCOVID19の存在を前提とせずともいつの時代も読む人の心に大きな瘢痕を残し続けてきた大名作だと思う。 理屈も因果も通用しない圧倒的な不条理としては何もペストでなくても地震や台風などの災害、戦争など他の題材も採用されうる。巻末解説にもあるようにこれをカミュ自身の対ナチス闘争の体験を下敷きにする見方ももちろん理解できる。 しかし、今この時代を生きる我々には感染症が災害、戦争といった他の災厄とは大きく性質が違うのが実感としてある。 ロックダウンがもたらす別離。デマの流布とお守りがわりの似非科学。意味のない統計への異常な関心と無関心。自粛警察と自粛疲れ。自分の生活を完膚なきまでに破壊された人々と逆に社会にコミットしていく人。我々が今まさに感じ、考えていることが1947年に書かれたこの小説に克明に記されている。 終わりの見えないこの日々の救いを求めて読む小説ではないと思う。それでもこの小説が改めて評価される所以は不条理を前にして、際立つ人間の実存に深い共感を抱くからだろう。本作はリウー、タルー、グラン、コタール、ランベール、パヌルーと多種多様な人物が織りなす群像劇だ。リウーの高邁な職業倫理に感嘆し、タルーの過去に暗澹とした想いを抱き、グランの健気な仕事ぶりに心を動かされ、ランベールの人間臭さに共感し、コタールの狂気に恐怖し、パヌルーのラディカルな信仰心に驚愕する。どの人間をとっても全面的でないにせよ共感できる部分がある。 2021前半にして、ベスト3に入る作品。大切に読んでいきたい。

    8
    投稿日: 2021.02.16
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    新型コロナ下での閉塞した生活と重ね合わせて、カミュの代表作の一つを手に取った人が多いと思います。私もその一人ですが、若き日に「異邦人」を読んだ時とはまた違った印象で、何というか、「ペスト」が象徴しているものが何なのか、色々と問いの残る読後感でした。

    0
    投稿日: 2021.02.15
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    読むのに疲れたが、いろいろな人間心理が書いてあり、読み進めていくうちに一人一人のことが気になり、社会の様子描写もわかりやすく読み進められた。

    0
    投稿日: 2021.02.14
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    本箱から、取り出して来た1冊。 平成21年6月20日 71刷の文庫本である。 このコロナ禍で、この本の読者が、増えているとか・・・ もう、数十年前に斜め読みしていたのだが、再度読み返してみて、カミュの不条理の哲学というものに触れた。 ベルナール・ルウーが、階段口で、1匹の鼠に躓いたことから、発端である。 小さな出来事が、大きな禍となって、町を覆っていく姿は、今、この世界の国々で、起こっている状態であろうと、思うと、今まで読んでいた時よりも、凄みが、強い。 58頁の広東で、4万の鼠が、住民よりも先にペストで、死んだ。と書かれている。 その1匹のネズミの長さが、30㎝として・・・四万匹を並べると、どれ位の長さになるか・・・迄考えている所なんて、悠長に書かれていると、思う。 グランが、リウーに、ぎりぎりの場合、《しかし》と《そして》とどちらかを選ぶかという事は容易だが、《そして》と《それから》をどちらからすると難しくなり、《それから》《次に》になると、ますます難しくなる、と言う。 ちょっとした、言葉の言い方なのだが、なるほど・・・と、思いながら、文章を印刷して発表するには、騒ぎが、終息した後では、何もならないのだけど。 子供の病死の場面は、なんとも読みづらい。 昔、斜め読みしたのも、この部分である。 そして、書かれた時に、戦争の体験によって、死に対して考えが、違っている。 この伝染病ペストは、殺戮のない戦いであると、そして、敵対的人物は、誰もいない。 最後のペスト菌は決して死ぬことも消滅することも無いものであり・・・と書かれており、どこかの幸福な都市にかれらを死なせに差し向ける日が来るであろう。と・・・ 予言者の様な言葉で、締めくくられている所が、なんとも今の現代の様な気がしてならない。

    0
    投稿日: 2021.02.10
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    去年のこのコロナ禍で人気が再燃した20世紀半ばに書かれたクラシック小説。遅ればせながらようやく読了。 やっと読み終わった!いや〜大変だった。。 けして読みやすくはない文体。回りくどいというか、10ページ読み進めるのも眠くなってなかなか時間がかかる。しかもその10ページ、読み飛ばしても内容を追うのに支障があまりなさそうなくらい物語の進展が遅い。遅いというか、すごく密に書き込まれてる。 とにかくこれはすごく訓練になる読書体験だった。 書かれてる内容は非常にリアルで読み応えがある。人々の不安や諦め、死への無気力、無関心、そして連帯感。まさに今このコロナ禍で僕たちが経験している心理とそう変わらないものが繰り広げられている。 キャラクターも豊富で誰もが独立した人間として動いていて、舞台装置として配置されたようなキャラクターがほとんどいない。リウー、タルー、グラン、ランベール、パヌルー、コタール、オトン、、、皆それぞれ人間的な魅力がある。 特に魅力的に思ったのはランベール。一番人間的な気がした。 最終章で、舞台となったオラン市がペストに打ち勝った姿が描かれていた。現在の私達の世界も、早くこんな日が迎えられますように。

    17
    投稿日: 2021.02.10
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    ・ペストが、わが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった。 ・「ペストがあなた(リウー医師)にとって果たしてどういうものになるのか」「際限なく続く敗北です」 ・「ここがずっと居心地が良くなったんです。ペストと一緒に暮らすようになってから」 ・「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」 ・絶望に慣れることは、絶望そのものよりも、さらに悪いのである。 ・「ペストが終わったらこうしよう、ペストが終わったらああしようなんて。彼らは自分でわざわざ生活を暗くしているんですよ。黙って平気でいればいいのに。」 ・「現に見た通りのものを見てしまった今では、もう確かに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件は、われわれみんなに関係のあることなんです。」 ・「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ。なぜかと言えば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ。」 ・ペストと生のかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。 ・ペストが、その語の深い意味において、追放と別離であったことを物語っていたのである。 ・ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり・・・ ○最初、本を開くのが怖かったけど、読み終えてみたら、さわやかな読後感。人間賛歌の本なのかも。

    0
    投稿日: 2021.02.08
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    医師リウーがペストと向き合う日常を淡々と、色鮮やかに描いた作品。友人のタルーと海に行くシーンが1番好きだ。 リウーは仰向けになり、いちめん月と星影ばかりの空に逆さまに相対して、じっと身を動かさずにいた。彼はゆっくりと息を吸った。次いで、次第にますます明瞭に、夜の静寂と寂寥のなかで異様にはっきりした、水を打つ音を聞きとった。 非日常に塗りつぶされていく中で、日常の美しさを感じとることができるのはどうしてだろう。忘れがちな大切なものを昔の本の中から見つけ出すことができた。

    0
    投稿日: 2021.02.06
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    流行病ペストと戦う町オラン。タルーを中心に町の様子が書かれる。憂鬱症、人の関係の希薄、菌を焼こうと家まるごと焼くなど、直接ペストにかからなくても精神的なダメージがあった。現在のコロナと通ずるところを感じる。

    0
    投稿日: 2021.01.29
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    新型コロナウイルスの関連で読んだのだが、確かに現代に置き換えて身につまされる部分も多いんだけど、読んで一番思ったのは、フランス文学ってやっぱ肌に合うなーという感覚。どことなく静謐で幻想的で透明感がある感じがたまらない。

    2
    投稿日: 2021.01.29
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    コロナでのロックダウン、都市封鎖に少なからず似た状況なのだろうかと思い、今後どうなっていくのか、また人々はどういう心情になるものなんだろうと、この本を通して、今の現状を洞察してみたかったため、本書を手に取った。 わりと淡々とある街でペストが起きた状況について描かれている。医師リューが物語の中心にいるため、人々がどういった症状になり容態が悪化していくのかなど、医療現場寄りの状況がかなり描かれていて、興味深いものがあった。 日本はあくまで要請という形で強制的でなく、他のアメリカ、ヨーロッパといった国のように完全な都市封鎖をした訳ではないから、なんとも言えないけれど、それでも本書のような人々の苦悩はとても共感なのかな?理解できるものだった。 友だちに勧められてたまたまカミュの異邦人を少し前に読んでいた。その繋がりで本書が目に止まり、読むことにしたのだが、今の時代に、読むに値する本だったなと思った。

    0
    投稿日: 2021.01.18
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    話の内容が現在のコロナ禍と似たような状況ということで再び話題となった一冊。 ペストの感染者が爆発的に増えていくという感じは確かに現在の状況に似ているし、そのことで様々な人間模様が発生するという点も同じだと思いました。 最後は霧が晴れたように感染者がいなくなるような状況になりますが、コロナもそのように早くなると良いなと一通り読んで思いました。 80年近く前の作品ですが、今でも普通に読める名作です。

    0
    投稿日: 2021.01.14
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    コロナ渦で話題の本なので、読んでみましたが、なかなか難しく、入ってこなかったです(笑) また挑戦します!

    5
    投稿日: 2021.01.12
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    物語の序盤となる終盤は面白かった。中盤はあんまり面白くなくなって眠気がおそってきた。 命を取られる可能性がある状況下にあるのに、表面的にはいつもと変わらないように振る舞う人々とか、今の状況下に似ていると思った。

    1
    投稿日: 2021.01.07
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    (01) 終息まで1年を待たなかった。この北アフリカの海岸部の近代都市はその間、交通を奪われ、隔離される。その孤立には寂寥があり、寂しさには闘いがあり、闘争には敗北と神を畏れぬ信念がある。主人公の医師リウーの母以外にはこれといって女性も登場せず、ただこの都市の外にいて、都市の男たちに思われている。彼らはこの感染病ペストを考察し、連帯し、描写する(*02)。ペストには意志があるようにも見え、規則や流行の浮沈があるように感じられ、対抗措置をとるべき対象として扱われる。 記者、神父、判事、芸術家、門番、少年、老人、フットボール選手、知事、小役人、転売屋など様々な男たちがペストに翻弄されながらも、生き様と死に様(*03)をそれぞれに見せている。 (02) リウーとタルーの友情が一つの筋になってはいる。彼らは終盤で眺めるテラスからの都市と水平線の景色は、どこか遠くにあり、それゆえに友情が永遠であり、二人からの眺めが普遍であるように感じられる。彼らは二人でその海に入ることになる。 (03) いくつかの死が描かれ、いくつもの死が想像される。特に、ペストに感染し死亡した者たちがどのように処理されていくのか、それが大量の処理に従い変化していく過程までが説明される。また、いくつかの死にゆく過程にも凄惨さと荘厳さが表されており、読者だけでなく、小説の中の人物のその後に影響を及ぼさないではおかない。その意味で、この作品にある死の感動は、周囲に波紋を呼び起こしながら感染していく。

    0
    投稿日: 2020.12.30
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    翻訳物の小説を滅多に読まない僕には、少々歯応えがあり過ぎて、読み終わるまでものすごく時間がかかってしまいました。解説まで読み終わって、ああ、そういうことだったのか、と思うようなところもあったりもして、しっかりと読めたとは言い難い読後感。 いつかまたもう一度じっくりと読んでみたいと思うけれど、そのときにはもう少し腰を落ち着けて、体勢を整えて(?)読もうと思います。 ひとまず、このCOVID-19吹き荒れる2020年に読んだ、ということでひとまず良しとします。

    4
    投稿日: 2020.12.24
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    読了にとても時間がかかりました。新型コロナウイルス感染症が世界で拡大して注目されていたため手に取りました。 ペスト流行で封鎖された環境下で感染症が拡大するさまとそこで生きる人々それぞれの人間関係、心情、生き方の描写に引き込まれました。人間が持つ様々な思考や感情の描写が、現在のコロナ禍と相まって生々しいゆえに重く感じられ、文字を追うのに苦労しましたが、色々考えさせられる読み応えのある小説でした。 またいつか読み返すと思います。

    3
    投稿日: 2020.12.19
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     いやー,読むのにずいぶん時間がかかってしまった.学生時代に読んだときにはもっと面白かったような記憶があるのだけれど,読みにくかった.  古い文庫(実際に読んだのは,表紙が銀色の下地にオレンジ色のアルファベットでアルベール・カミュと書いてある本)なので,字が小さいさくて読みずらかったのもあるのだけれども,どうも記述が冗長に感じてしまって仕方なかった(最近,楽に読める本ばかり読んでいるので,すっかりラノベ脳になってしまったらしい).  当時は,不条理への反抗が面白いと思ったのかな,ん~,よく憶えていないや.

    0
    投稿日: 2020.12.18
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    原題 LA PESTE 疫病蔓延による都市封鎖、という不条理(カミュといえば)な状況における、市井の人びとの悲喜。 リウーを中心に据えながらも、彼と彼を取り巻く人々の生きる姿が、〝人間〟としての有り様を問いかけてくる。タルーとランベールが印象的。 人類史において、ペストがどれほど猛威を振るってきたか、どのような悲惨な状況が繰り返されてきたか、例えるなら戦争しかないかな…。 われわれは一緒に働いているんです、冒瀆や祈禱を越えてわれわれを結びつける何ものかのために。 この一文、人間を表す上で、ひとつの真理だなー。

    0
    投稿日: 2020.12.14
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    このご時世に感染症モノを読んでみようと、最有名作だと思われるペストを選んだけど フランス文学は難しすぎてついていけない。 強いて言えば、 自分勝手が連帯に変わったあとに、ニューノーマルが始まるのはコロナと似てるかな。

    0
    投稿日: 2020.12.13
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    ペストから立ち直るまでのドキュメンタリー的な話かと思いきや不条理をテーマにした人の心理状態を描いた小説 難しかったけど面白かった

    0
    投稿日: 2020.12.13
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     思ったほどペストのひどい状況が書かれていなかった。宗教的な素養がないと面白くないかもしれない。主人公にひたむきな努力はわかるが、よく罹患しなかった。

    0
    投稿日: 2020.12.11
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    遅まきながら。 人々の苛立ち、経済の緩やかな死、行政の混乱、そして医療従事者の苦闘…、まさしくこの1年弱の間に我々が現在進行形で実感している光景が、70年以上前に書かれたこの小説の中には広がっている。 ただ、タルーの独白や宗教などをギミックとして用いながら人間の深奥に潜む闇を顕かに抉り出しているという点を始め、流行り病をまたぐ人心の遷移を斬る視座は、決してルポルタージュではなく、紛れもない文学である。

    0
    投稿日: 2020.12.08
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    きっと面白いのだろうと思える内容だけど、残念ながら翻訳が酷い。光文社古典新訳文庫版で読み直そうと思う。

    2
    投稿日: 2020.11.29
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    舞台はフランスのある街 ペストが発生し終わるまでの街の様子 ペストが確定しない状況で後手に回る行政 ロックダウンした街の中で疲弊する人々 2020年11月コロナウィルスが流行っている今だからこそ共感する

    0
    投稿日: 2020.11.26
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    カミュの小説というと、これと『異邦人』がまず上がるところだと思う。コロナ禍でこの小説が話題になる前にそちらは読んでいて、ずいぶんと解釈に苦労したことを覚えている。 話題になった通り、確かにペストが猛威を振るう描写は今の現実に近しいところが多々ある。それは感染の拡大に戸惑う市民であったり、治療に当たる医師たちの姿であったりする。しかし、この小説を通じてカミュが書きたかったのは、パンデミックそのものよりもペストがもたらした不条理な現実に対し、登場人物たちがどう相対していくかにある。その主題に対し、様々な人物がそれぞれの立場から答えを出すが、その過程や議論が読みこみがいのある作品だと思った。「不条理」というのは異邦人でも共通していた観点だが、あちらの主人公であるムルソーは理解が容易でないのに対し、こちらで主に行動が描写される登場人物たちは、動機や行動原理がはっきりしているし、特に離別した愛人に再開するために行動していたアルベールが、「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」と言って町に残るくだりなど共感しやすいところも多くあり、とっつきやすいと思った。個人的には、ペストと戦う唯一の方法は誠実さであり、つまり自分の意志としての職務を果たすことだと発言したリウーに共感するところが多かった。逆にこちらでカミュを知った人には、『異邦人』を読んでみると別の発見があるのではないだろうか。

    12
    投稿日: 2020.11.22
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    中学生の頃、父から「成績優秀な息子が、検事である父親が被告人に死刑を求刑するところを見てからグレてしまった」みたいな話を聞いた。 ...出どころはこれだったか。 たしか「ペストは社会悪の象徴だ」という話も聞いて読み始めた記憶があるが、率直に言って面白くなく、途中で断念した。 いい年になってから再挑戦してみたが、ドラマチックな展開があるわけでもなく、やはり面白くはない(後半盛り上がり?はある)。ただし、人間の精神性について高尚な文体(難解ではあるが)で語られており、ノーベル文学賞受賞もうなづける(というか村上春樹が受賞すると思っている人たちって...)。 タルーの「人が人を殺すことは赦されない」という左翼思想は好きにはなれないが、ペストと戦った姿勢は尊敬に値する(口先で体制を悪だと非難しつつ、その体制の恩恵を享受して安全なところから批判だけを垂れ流す日本のサヨク・リベラル共となんと違うことか)。 グランの献身も、ランベールの転向も、コタールの愚行も、決してヒロイックではない人間のありのままの姿として共感させられた。 連載中のWebコミック版も読みたくなった。

    0
    投稿日: 2020.11.17
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    封鎖された街での大衆心理、個々人の行動、心理が細かく描写されている。ペストが流行してから収束するまでの道筋は、まさに今のコロナ時代を辿っているような気分になる。今こそ読むべき一冊。

    0
    投稿日: 2020.11.08
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    社会を不安に陥れ、暮らしを経済を追い詰める伝染病に直面した時に人々がとる行動は、今も昔も驚くほど似ている。

    0
    投稿日: 2020.10.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    独特の言い回しが非常に読みづらかった。複雑な言い回しに親和性の高いデキるオツムの方には美しく芸術的な文体に感じるそうだが、自分にはそうではなかった。描写の質感を多くの場面で捉えきれず、読み勧めるのに大変苦労した。 ペストという災厄の最中に、人々に駆け巡った感情と行動、どれも共感できるし立場や人生観によるものだから否定はできない。 新型コロナが蔓延する現在になぞらえる評価も多いが日本人の風土に合わないものもたくさんあり、そこは人種の違いを感じた。とはいえ国内でも地域差が顕著であり当然といえば当然。 あー疲れた。

    0
    投稿日: 2020.10.15
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    現在のコロナ禍の状況で読むとあまりにも同じシチュエーションであることに驚く。 コロナ前であれば、自粛中にも関わらずバーやレストランで人が賑わっているシーンに違和感を感じたであろうが、そう出来ない人間というものが今ならすごく実感として理解が出来る。 リウーセリフに、ペストと戦う唯一の方法は誠実さだとある。目の前の職務に誠実に取り組む。奇策や近道はない。全てにおいて誠実さこそ大事なのだと改めて感じた。 ペストを様々なものに置き換えることで、今の自分や世の中に当てはめることが出来る。今はコロナが一番わかりやすいが、戦争や天災でも同様。身近な会社や学校でも当てはめられそうだ。 身の回りの不条理に対しどう対処するのか。誠実さか。

    2
    投稿日: 2020.10.11
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    原文そのまま翻訳しました的な文章で読みにくいことこのうえなし。ただお役人の姿勢や、それぞれの立場で惑う人たちの行動が、コロナ禍にも相通ずるところがあり、技術革新だ、医療の進歩だと叫ばれて久しい現代においても、人智の及ばないことは起きるし、逆に人は人によって生かされるとも感じた。主人公の医師リウーの感情がほとんど語られず、たまたまこの地を訪れていて封鎖の憂き目に遭う新聞記者ランベールや、下級役人グランの心情のほうがよほど伝わってくる。脇役の言動からリウーの心情を浮き立たせようという手法か。

    0
    投稿日: 2020.10.03
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    人間は極限状態に陥ったとき、どう考えどう振る舞うのか。読みながら自分ならばどうなるか、そして、どうありたいかを考えざるを得なかった。貴重な体験だった。誠実でありたい。

    0
    投稿日: 2020.09.28
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    新型コロナウイルスで起きている様相をペストでは余すところなく書かれている。まさに今の時代を予言しているかのようだ。ペストになって皆が混乱し絶望し根絶した結果、希望が湧いてくる。恐らくコロナ時代の過ごし方も同じになるという意味で歴史に学ぶところは多い。この瞬間からペストは我々全ての者の事件となった、ペストは終わったこと、恐怖の支配した時代は過ぎ去った、人生の根源的な不条理をどう受け入れて付き合っていくのかその哲学的意義は奥深いと感じた。

    1
    投稿日: 2020.09.27
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    前から気になっていたタイトルでしたがこのご時世でようやく読めました。難解な文章と内容にほとんど理解ができませんでしたが、見えない脅威に襲われる恐怖や不条理は伝わってきました。今読めて良かったです。

    0
    投稿日: 2020.09.26
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    「異邦人」で有名なカミュの代表作。 本作は、天災に見舞われる度に脚光を浴びてきた。 近年で言えば、東日本大震災や新型コロナウイルスなどである。 舞台となるフランス領オラン市は、ある日突然のロックダウンに見舞われる。 人々は死の恐怖に怯え、各人の正義の為に戦っている。逃げ惑う者、戦う者、調査する者、活力を取り戻す者、ペストの存在が人々の心と活動を転換させていくのである。 一人の大作家が書いた一冊の小説。 まさしくコロナが蔓延する今を予言していたとしか思えない。 人々が辿る未来。 これからの世界は本作をなぞる可能性があるので、参考にしたい。 ★状況の変化 得体のしれない病気が信じられない⇨国の対応が遅れ、病気が蔓延する⇨メディアが毎日の死者数を取り上げ始める⇨次第に疲弊した人々はペストに無頓着になる⇨どんどん死者数は増え続けるが、ある日を境に生存者が増え始める⇨ペストが消える

    0
    投稿日: 2020.09.09
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    YouTube大学で見てから読んだ。 YouTubeの先入観があったのか うまく読みきれなかった。 ペストでどう人が振る舞うかというより もうちょっと普遍的なテーマがある感じがする のだけれど………。 コロナが落ち着いてまた読みたいなぁ

    0
    投稿日: 2020.09.06
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    痛いほどの切望も、先の見えない絶望も人々のあがきや祈りも丁寧に描きこまれていて、静かに燃える炎を見続けているようだった。 流行病に限らず、不条理に直面したときに、どのように生きていくのか、何が最も大切なものなのか考えさせられる本でした。ここまで書き込んでいるカミュ、すごい。 キリスト教をよくわかっていたら、パヌルーの思想の変化をもっと深く理解できたかな。 「不条理」下の人々をテーマにしたカミュのことをもっと知りたくなった。

    1
    投稿日: 2020.08.29
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    リウーとかタルーとか、タルーとかコタールとか、 登場人物の名前ややこしい! 「彼は彼らに言った」ん?誰のセリフ?みたいな読みにくい文章がしんどかった。翻訳が古いのかカミュがそんな作家なのか。 コロナで売り上げが伸びていると聞いて、興味が湧き手に取ったけれど……。ちょっと想像していた内容とは違っていた。そこまでリンクしてないかな。

    1
    投稿日: 2020.08.27
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    私は文章を読むのは苦手なのですが、この新型コロナウイルスの影響でこの本に出会うことができました。内容としてはペストの場合でも新型コロナウイルスと同じような対策が取られていて、ペストについてももっと知りたくなりました。また、カミュの予言力にも驚かされました。

    1
    投稿日: 2020.08.24
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    実際にこれが書かれたのは、ペストが流行ったのは200年後 つまりはほぼ、想像で描かれた感染症に侵された街 それが今のコロナ禍の状況にかなり正確… 恐るべしカミュの想像力、予言書とでも言えるぐらいだ ただ、ペストを題材にしてはいるものの世の中の「不条理」こそが真のテーマであり、これはきっといつの世の中にも共感できる世界 (当時のナチス下のヨーロッパの状況がもと) その中で暮らす人間を、俯瞰した目線で淡々と綴る 希望は失い未来も過去もなく今だけの中で生きる、愛する人と会う方法に必死で人について忘れる、犠牲の中で成り立つ個人の幸せ、不条理な世の中で神を信じる意味、変わらない人間 海のシーンが好きです 文章自体は読みにくく、登場人物も誰が誰かわからなくなり、劇的な展開もそこまでないので、非常に時間がかかった

    0
    投稿日: 2020.08.21
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    コロナ禍で話題になった1冊のため読んでみたが、読みにくい文章で非常に時間がかかった。 それでも内容的には現代の中でも考えられることであるため、読んでよかったと思う。

    1
    投稿日: 2020.08.19
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    このコロナ状況下の預言。 きっといつになっても変わらないのかもしれない。それぞれにドラマがあり、その中の誰かはその時の私かもしれない。 世の中が混乱する時にこそ、その人の本性が垣間見える。今は「ひどい人間ね」と言ったところで、その時私が本当にそうはならないかと言われたら分からないのかもしれない。

    0
    投稿日: 2020.08.17
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    読むのに時間がかかる小説でした。文章がちょっと読みにくいです。ですが、傑作だと思います。読んだ人と語り合いたい気持ちになりました。 現在のコロナ禍の中では、妙にリアリティがあって、緊張感を覚えます。 淡々とペストに侵された社会に生きる人々が描写されていて、その人たちそれぞれの行動や思想について考えさせられました。

    5
    投稿日: 2020.08.16
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    コロナの時期に話題になったので。 これが空想の町の空想のペスト発生の物語ということが思えないくらい、人々の心情が、行動が今の状況を言い表しているようで、基本的に本に感情を移入して読まないよう気をつけているのに、この本だけは共感というかある種の没頭して読んでしまった。 封鎖された市の心細さ、愛情の再発見、自分だけはどうにかなるという現実逃避とから騒ぎの夕暮れのカフェ、今までの憂鬱さから生きがいを見出す人、逆に混乱する人と無力を感じる医者。 作中では、かなりの数の死者が出たことが読み取れるが、それは埋葬場所や人夫の不足などの具体的な諸問題として書かれているのみで、死の悲痛、苦しみなどの悲惨さが間接的にしか描写されなかったところも、遠い世界のような現実の、妙にリアルな感覚がある。

    0
    投稿日: 2020.08.16
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    様々な人が自分のやり方で生きていく。この話では数人がピックアップされているが、実際には人口の数の生き方、考え方がある。彼らは自分の目指すものや場所があって、その為に自分のやり方で時に人と協力して戦っている。 けれど今の世の中はどうだろう。勿論自分のやり方で行動している人もいるだろうが、SNSなどの普及により周りと同じ事をしようとする人が多いように思う。周りに合わせる生き方は悪いとは思わないし、日本人特有のものだと思う。けれど自分を軸として持った状態で周りと付き合っていかなければ、いつか一人で何かを選択する時に迷い時に損するだろう。自分を持つ事は生きる上で必要なのだ。

    0
    投稿日: 2020.08.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    アルジェリアの港町・オラン市でペスト感染症が発生。鼠の大量死、ヒトが断続的に死にゆく。オラン市と外部を繋ぐ門を封鎖しロックダウン。見えないペストとの戦いにより市民は家にこもり、感情が消え、発症に怯える。このペストとの戦いは不条理で抽象としかヒトは捉えらることができない。主人公の医者・リウーは毎日膨大な患者が死を迎えても、誠実にペストと向き合う。本当に不条理である。唯一ペストに勝利する方法、それは知識と記憶である。医師はワクチン開発に奔走する。カミュが語る知識と記憶、現在にも相通じると思えてならない。

    9
    投稿日: 2020.08.11
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    コロナと状況が似通っていることは分かりますが、なぜこんなに読みにくいのでしょうか。自分の中にある言語と、明らかに合致しない言葉の定義や文型。日本語を介してでも、全く意思疎通できない一冊だった。そういう難解なものを理解したいという意欲が湧かなかった。というか、そっちこそ少しはこちらに歩み寄れい!と古典に毒づきたくなったほどでした。昔ほどの体力も気力もなく、今はただただ読みやすい本しか読めなくなっている自分に気付きました。これが老いなのか…

    1
    投稿日: 2020.08.08
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    『ペスト』 カミュ 宮崎嶺雄 訳 新潮社 自粛前に図書館に予約したものが忘れたころにやってきて、コロナでうんざりした身にはあまり読む気もなくなっていたんですが、読んでみたら予想以上におもしろかった。 1940年代にアルジェリアのオランでペストが発生したという設定だが、実際にオランでペストが流行したことはない。ペストという「不条理」がひとつの都市を襲ったとき、人間はどうあるべきなのか、というのがカミュの命題だったのだと思う。 なので史実に基づいた感染症との戦いを知るにはあまり役にたたないのだが、医者たちがこれはペストだと言っているのに、知事たちはびびって腰の引けた対策しかとらないところとか、ハッカが効くと聞いて薬屋から売り切れるとか、救急車が夜中に何度も通り過ぎていくとか、今っぽいなあという描写も多々ありました。 感染症と戦う人々というとヒロイックになりがちなところを淡々と描いているのもよいです。 そしてペストの前では基本的に人は無力で、静かな街の様子がつづられているのもむしろ今読むとしっくりくる感じでした。 以下、引用 天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去って行くことになり ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。彼らは自ら自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである。 しかし、一億の死亡者とは、いったいなんだろう。戦争に行って来た場合でも、一人の死者とは何であるかをすでに知っているかどうかあやしいくらいである。 病疫に対してそれこそ完全な防壁を築くか、さもなきゃ全然なんにもしないのもおんなじだって、いったんです うち見たところ、何ひとつ変ったものはなかった。電車は相変わらずラッシュアワーには満員であり、昼間は空っぽできたなかった。 たとえば、中央のほうで、ある朝一人の男がペストの兆候を示し、そして病の錯乱状態のなかで戸外へとび出し、いきなり出会った一人の女にとびかかり、おれはペストにかかったとわめきながらその女を抱きしめた、というようなうわさが伝わっていた。 出て行くことを幸福だとは思っていませんけど、でも、なにも幸福である必要はないんですわ。もう一度やり直すためには。 ペストはそこにいますーしんぼう強く、注意深く、この世の秩序そのもののように落ち着き払って。 ハッカのドロップが薬屋から姿を消してしまったが、それは多くの人々が、不測の感染を予防するために、それをしゃぶるようになったからである 彼らに欠けているのは、つまり想像力です。彼らは決して災害の大きさに尺度を合わせることができない。で、彼らの考える救済策といえば、やっと頭痛風邪に間に合うかどうかというようなものです。 この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです。 中心地区の人々は夜中に、しかもますます頻繁に、ペストの陰鬱な無感情な呼び声を窓の下に響かせる、救急車のベルをすぐ身近に聞くようになって、いよいよ自分たちの番が来たことを知るのであった。 ペストという一段高い見地からすれば、所長から最も軽微な拘禁者に至るまで、すべての者が逃れぬ運命を宣告された人間であり、そしておそらく初めて、完全無欠の正義が牢獄内に行われたのである。 絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。 あの連中がよくいっていますねーペストが終わったらこうしよう、ペストが終わったらああしようなんて……。彼らは自分でわざわざ生活を暗くしてるんですよ、黙って平気でいればいいのに。 彼はその戸棚の一つを開き、消毒器から吸湿性ガーゼのマスクを二つ引っ張り出し、その一つをランベールに渡して、それを被るように勧めた。ランベールが、こんなものが何かの役人立つのかと尋ねると、タルーは、そうではないが、しかしこれを被っていると向うが安心するのだと、答えた。 誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ。なぜかといえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ。 「不条理の体験においては、苦痛は個人的なものである。反抗の衝動が起った瞬間から、その苦痛は万人の出来事となる。それまでただ一人の人間が感じていた悪は、集団のペストとなるのだ。」

    0
    投稿日: 2020.08.06
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    作品の鬱々とした雰囲気が現在のコロナ渦と重なり重たい気持ちになった。パンデミックにおける医療従事者には心から敬意と感謝を感じる。 パンデミックの起因を何処かの国のせいだと、犯人探しをするのでなく、飢餓や貧困といった社会的問題に世界で取り組んでいかなければならないな、と感じた。結局のところ、人間の行為が環境破壊や飢餓、地球温暖化等様々な問題を引き起こしたのであり、今回コロナの原因であれ他の国が引き起こしていた可能性さえある。 数年前からSDGsが注目されているが、そういったことに社会全体で取り組み、全ての人間が社会課題を意識して生活する時が来ている。 コロナもペストのように、収束タイミングがさっぱり分からないうえ、収束後も常に皆の見えないところに存在する。そういった危機意識を持って、日々の生活を省みることが重要だと気づかされた。 兎に角、マスクを付けずに生活のできる日が早く訪れることを祈る。

    1
    投稿日: 2020.08.02
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    遺体の処理方法がどんどんシステマティックになっていく描写が、この本の前に読んでたホロコースト関係の新書2冊と勝手に結びついちゃったけど、カミュがどれだけ絶滅収容所のことを知っていたかはわからないし、おそらくそんなに認知してはいなかったんじゃないかな。戦後世界のショアの認知度の変遷が知りたい。 でも、それを結びつけてしまったのは、あまりにカミュの描写が生々しいというかリアルだったから。知らなきゃかけないでしょと思ってしまうような文章に思えた。

    2
    投稿日: 2020.07.31
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    新型コロナ禍で外出自粛を余儀なくされている中で、多くの人に『ペスト』が読まれたらしい。ペストによって普段の生活が失われ、死と隣り合わせの生活における心理描写が、コロナに囲まれて暮らす今の状況にいくばくか重ね合わせることができるからだろうか。小説の中に感情移入できることは、それを楽しむための鍵のひとつでもある。 しかしながら、あまりにも表面通りのパンデミックの物語に引き付けてだけ読むことは、この小説の豊かさを狭めてしまうことになりかねないのかもしれず、いかにももったいない。この小説が書かれた時代背景から、「ペスト」はナチズムの象徴であり、作中に出てくるペストに対する市民活動は自らも身を投じたレジスタンスを投影しているとも言われている。そのころは、そういった類の「悪」の存在の方が、少なくともペストよりも身近であり、リアリティがあったのだ。 またさらにその解釈は「悪」一般にも拡げることは可能であり、市民に襲い掛かる圧倒的で理不尽な厄災ということでは、例えば福島の原発事故に重ね合わせることもできるだろうし、水俣の有機水銀中毒を思い出すこともできるだろう。その後の近代史で繰り返されるクメール・ルージュのカンボジア、中国の文化大革命、旧ユーゴの内戦、ルワンダの民族大虐殺などの悲劇に思いを拡げることも可能だろう。 翻訳がやや古臭く、硬質な感じがすることは、もちろん、こなれた翻訳で読みたいという思いもあるのだけれど、物語や登場人物への没入をある意味で妨げることになり、逆に表面には出てこないメッセージを感じ取る助けになっているのかもしれない。 【ヒロイズムについて】 この小説は、アンチ=ヒロイズムの話でもある。少なくともヒロイズムについてかつてそうであったのように信じることはできない。その代わりに誠実さが希求されるのである。 カミュは、ランベールにこう言わせる ――「僕はヒロイズムというものを信用しません。僕はそれが容易であることを知っていますし、それが人殺しを行うものであったことを知ったのです」 リウーもそれに合わせてこう言う。 「今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」とリウー。そして、その誠実さとは何かとランベールからの問いに対して、「一般にはどういうことか知りませんがね。しかし、僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」と答える。そこにはグランのような凡庸ではあるが、献身的な行動がその頭にあったことは間違いない。 カミュにとって、「悪」に囲まれたときに、ヒロイズムと観念によって動くことは、もはや忌避すべき行動なのである。一方で、そういった場においてはヒロイズムへの強い誘惑がそこにあることにも十分に認識されている。それへの対抗力が、個々の誠実さであるべきだというのは、ひとつの行動原理であり、倫理である。果たして誠実さにより対抗しうるのかは一般論の話ではもはやなく、誠実さは個別の問題であり、そしてそこには知識や連帯の問題も関わってくるのである。それを、この小説では十分に味わうことができるのである。 【ヒューマニズムについて】 この小説が出版された1947年の欧州では、いまだ戦争についての記憶は生々しく、多くの人びとは様々な形でのその戦争の当事者であった。また、カミュがレジスタンスの活動に関わっていたこともよく知られていた。そういった空気の中で、直接的に戦争に言及したところはさほど多くはない。しかしながら、この小説がおよそ戦争について語られた本でもあることは間違いない。 「戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気づくはずである。わが市民諸君は、この点、世間一般と同様であり、みんな自分のことばかりを考えていたわけで、別のいいかたをすれば、彼らは人間中心主義者(ヒューマニスト)であった。つまり、天災などというものを信じなかった。天災というものは人間の尺度と一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり、それも人間中心主義者(ヒューマニスト)たちがまず第一にということになるのは、彼らは自分で用心というものをしなかったからである」 ここには欧州が誇った人間中心主義(ヒューマニズム)が、かの戦争が起こることを妨げなかったという認識である。戦争を人間中心主義を超えるような何か(天災)であるとして、天災に備えるようにして備えなければ防ぎえないという認識ではないのか。それはどのようにしてであるのか。カミュがこの小説で試したかったことのひとつが、小説の中で、それをまた別の形で再現させることではなかったか。 全体主義の災厄についてのカミュの認識は、おそらく次の通りなのであろう。 「世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。人間は邪悪であるよりむしろ善良あり、そして真実のところ、そのことは問題ではない。しかし、彼らは多少とも無知であり、そしてそれがすなわち美徳あるいは悪徳と呼ばれるところのものなのであって、最も救いのない悪徳とは、自らすべてを知っていると信じ、そこで自ら人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳にほかならぬのである。殺人者の魂は盲目なのであり、ありうるかぎりの明識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない」 この小説が書かれた後にも、アイヒマン裁判などでナチズムの下で行われた多くの蛮行が明らかになり、思想家・哲学者からの優れた分析 ―― アドルノの「否定弁証法」やアーレントの「悪の陳腐さ」 ―― が行われるのだが、カミュがその時代においてリアルに感じ、到達した認識がこういうものであったと言っても差し支えないだろう。そこにはヒューマニズムへの絶望と希望とを同時に見ることも間違いないだろう。 【宗教について】 パヌルー神父を主要人物として登場させたことによって、厄災のときにおける宗教がひとつのテーマになっていることは間違いない。しかし、宗教が問題になるのは、もはや『カラマーゾフの兄弟』でそうであったような形ではない。宗教はもはや絶対の真実ではなくなった。それでも、まだ救いの一つ、人間に何とか意味を与えることのできる何かであり続けられるのかが問題となっている。 その宗教は、戦争の前で、ペストの前でそうであったように、救いにはならなかった。宗教者は、期待されたであろうその役割を果たすことはなかった。それは、不誠実であるからよりも、現実としてその役割を果たそうとしたときに、現実にひれ伏し、その辛苦を受け入れるより仕方がなかったからだ。 タルーは、パヌルー神父の姿勢に対して次のように語る ――「罪なき者が目をつぶされるとなれば、キリスト教徒は、信仰を失うか、さもなければ目をつぶされることを受けいれるかだ。パヌルーは、信仰を失いたくない。とことんまで行くつもりなのだ」。宗教家として誠実になるとすれば、それは予定説の教義のうちで自らの運命を神の選択として受け入れるしかないということなのかもしれない。そして、残念ながらそれは何かの解決になることもない。 カミュにとって、宗教と宗教者であることはこの時代においては必ずしも誠実なものではなかったということなのかもしれない。 【絶望について】 リウーはつぶやく ――「絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである」 リウーの妻はペストの流行で町が閉鎖される直前に療養のために地方に行っっていた。そのためリウーは妻と長期間会えなかったのだが、町の閉鎖解除後に妻が療養先で亡くなった知らせを電報で受け取ることになった。そのことに対するリウーの反応の薄さ(=扱いの軽さ)に、死や不幸 ―― 絶望、に対する慣れを見るべきなのではないか。 死んでしまったタルーについて患者の爺さんが言う「一番いい人たちが行っちまうんだ。それが人生ってもんでさ」 アウシュビッツを生き延びたフランクルが『夜と霧』の中で「最もいい人は帰ってこなかった」言い、プリーモ・レーヴィも同じく「最良のものは戻って来なかった」と言うように、天災を生き延びたものは、何らかの疚しさを覚えて、そしてそのことを忘れてしまうことに対しても罪の意識を覚えて生きなくてはならないのだ。 【記憶することについて】 「ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。おそらくはこれが、勝負に勝つとタルーが呼んでいたところのものなのだ!」 ヒロイズムも、ヒューマニズムも、ましてや宗教も、大いなる「天災」の前において救いにならなかった。 リウーがこの物語を語ることを選択した理由として、「黙して語らぬ人々の仲間にはいらぬために、これらペストに襲われた人々に有利な証言を行うために、彼らに対して行われた非道と暴虐の、せめて思い出だけでも残しておくために、そして、天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるということを、ただそうであるとだけいうために」 天災の中にいることは、「記憶もなく、希望もなく、彼らはただ現在のなかに腰をすえていた。実際のところ、すべてが彼らにとって現在となっていたのである」というような状態に陥ることである。そこには強制収容所に収容されて明日の希望なく健康や命への気遣いもなく過酷な状況で働かされる囚人の状況を見てとることができるのではないか。天災の中で溺れてったものたちのために記憶することが大切であり、それが過ぎ去った後においては、それだけが誠実なふるまいであるかのようだ。それだけが絶望の後にできることなのかもしれない。 この小説は、次のようなフレーズで締めくくられる。 「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを」 まさか、これをペスト菌そのものや、コロナウィルスのことを言っていると取るものはいるまい。 一度起きたことは、次も起きる可能性が高い。少なくともそれが起きる前よりは。そのために、記憶することが必要であり、それを語り継ぐことが重要な理由がここにあるのだ。 --- そういえば学生時代に同じサークルに「かみゆ」という名前の女の子がいた。彼女の両親はどういう想いで自分の子どもにその名前を付けたのだろうか。いま、どうしているのだろうか。

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    投稿日: 2020.07.26
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    病弱の妻を遠地に残し淡々と診療する医師リウー 観察眼豊かで活動的な高等遊民タルー 昔の女を思い続ける文学老人小役人グラン 仕事より恋人!この街脱出!な新聞記者ランベール 「ペストは天罰!」と言い放つ神父パヌルー ・・・・・ 登場人物だけで「お?面白いかも」とか思いません? 序盤ちょっと読みづらい感じもしたが、中盤からぐっと引き込まれてきた。おどろおどろしい表現があるのかと思ったらそうではなく、ペスト禍の中で懸命に戦う人間たちの群像劇なのである。 【天災ほど観物たりうるところの少ないものはなく、 そしてそれが長く続くというそのことからして、 大きな災禍は単調なものだからである。】 アルベール・カミュ「ペスト」新潮文庫 宮崎嶺雄訳p265

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    投稿日: 2020.07.26
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    「誰でも自分のうちにペストを持っているんだ。(略)ひっきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。自然なものというのは病毒なのだ。そのほかのもの--健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志はけっしてゆるめてはならないものだ」。コロナウイルス蔓延の社会状況よりも、このメッセージを受けて、死に追い込まれた女子プロレスラーの一件が痛切に思い出された。タルーの生き様は涙を誘う。

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    投稿日: 2020.07.24
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    Kindleでマーカーをつけながら読んだところ。不条理という考え方に惹かれた。しかし、納得のいかない出来事にどう向き合うのか…自分はまだわからない。

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    投稿日: 2020.07.24
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    ペストを題材にした哲学書。私のように物語かと思って読むと、ひたすら忍耐、超読み難くつまらない。どうして収束したのか分からないまま、呆気なくロックダウン終了。

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    投稿日: 2020.07.16
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    本棚に山積みになっていたので読んでみた。 読み終わってからまず思ったのが、翻訳が冗長なのか分からないけど、読みにくい…。途中何回か戻って読み直してストーリーを把握。 不条理文学の名の通り、読み終えたあとはスッキリしない終わり方。犠牲を払うだけ払って、嘘のように過ぎていく災禍。 でもコロナも、こんな感じで過ぎていくのだろうと思う。何が正しいのか分からないまま、自分の思いと義務のまま行動して、気付いたら過ぎ去っていくのだろう。 個々人思うままに行動しており、そのどれもが批判されるべきものでも無い。ランベールがオランを逃れようとするが、それはランベールが思う正義の為であり、批判されるようなものでも無い。事実、似たような境遇を持つリウーでさえそれを批判しない。そして結果、ランベールはリウーの境遇を知り、オランに留まることを選択する。 ここで私は、ランベールの選択が誤りであり、オランに留まりリウー達と共にオランに留まることが正しいことであったと言いたい訳では無い。仮にランベールがオランから去ったとしても、それはランベールがランベールの正義に従ったまでの話であり、正しい誤っているの次元の話では無い。何故ならペストという災厄は不条理なのであり、それに対して何らかの条理が通じる訳が無いのだから。 翻って現代を考えてみると、コロナに関する情報に対して、まるで正義を振りかざして総叩きにしているような状況が見られる気がする。確かにある人のとった行動がまるで感染を拡大させたように見えるかもしれないし、行政の対応がまるで無能のように見えるかもしれない。しかしそれらも彼らがあるべき正義を取った上での行動なのではないか。少なくともランベールがリウーの事情を知ったうえで自分の取るべき行動を決めたように、何が自分の取るべき行動だったのか、この状況で選びうる正義は何か、それは災禍に現場で立ち向かっている人にしか、選び取りえない。そしてそのどれもは間違いでは無い。少なくとも必要なのは、誰もが災禍に立ち向かっている当事者として、自分の取り得る最善の行動は何か、他人の取り得る最善の行動は何か、その背景を知ったうえで判断することでは無いのだろうか。 と 完全に自分側に寄せて考えてしまった。

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    投稿日: 2020.07.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    前半は少し物足りなさを感じていたが、後半は読むことに熱中し、そのまま完読することができた。 ペストという感染症が蔓延したある地域の話ではあり、この地域で生活する人々のペストに対する闘いを記した物語である。 ペストの流行始めから、その終息、そしてその後を描くこの物語の中で、多くの登場人物が理不尽さや不条理さを過去、現在に感じており、その理不尽さや不条理さを越えて闘うことが語られている。 登場する人々の関係やそれぞれの考えが緻密に練られており、物語としての完成度の高さに圧巻される。

    0
    投稿日: 2020.07.05
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    アルジェリアの小都市オランで拡がった 突然の恐ろしい疫病に翻弄される人々の諸相を描いた小説 翻訳が直訳ぽく、説明的で内容もヘヴィなのもあって 読み終えるのに1週間かかった。 中盤あたりは、ひたすら淡々とした叙述が続き  もういい、、もういいって!いつまで続くねん、、 と挫折しそうになりながら読み進めていたが 後半、翻訳にも慣れ、登場人物それぞれの内情や位置づけが ハッキリしてから、面白くなって読む手が止まらなかった。 人物それぞれに共感できる部分があり パンデミックやパニック時における人間の本質 三者三様の性質を見事に顕してると思った。 コロナ禍の今の世界の現状と照らし合わせてみても 作中と同じ様な事が起きていて驚く。 人間って変わらないなぁ リウーとタルーの夜の海水浴シーン が凄くエモくて印象に残りました。

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    投稿日: 2020.07.04
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    読書会のお題本になっていて、読んだ。 若い頃にフランス文学に憧れて読んだ「異邦人」は、もっとスピーディーで若者向けで、狂気的で、ゴダールの映画のようなイメージだった。 また、コロナ禍において世界中で1番読まれている作品だし、流行りに乗るのは…とためらったところもあったけれど、 なかなか、奥深い文学でした。 歴史は繰り返す。 人々はなんら変わらない。(ウィルスも同じくして。。) と最後に語られる。 このペストよ時代もやはり、医療従事者の方々の献身ぶりが描かれ、行政の在り方、病床の確保…今とまるで変わらないし、これをフィクションとして書きあげたカミュの神がかった創造力にふるえた。 また、自分たちがこのコロナウィルスによる閉塞感を知らなかったら、味わいもかなり違っただろう。 登場人物たちの描き方は素晴らしいし、町のふとした時間の描写も美しく、読み応えがあった。 カトリック教徒に深く興味のある私にとっては、パヌルー神父の生き方に共感したし。 それから、どうしてこの時オランにいたのかが謎な ジャン・タルー自身と、タルーの手帳に事細かに記し出される人々も面白かった。 新聞記者ランベールが、何とかして恋人に会うために脱走しようと試みる術を、ねちねちと書きまさぐるところはなんだか滑稽でもあり、カミュの狂気も… 保健隊を組織してからのタルーには熱くさせられ、リウーとタルーの間に交わされる会話や行いこそが、カミュの思想なんだろうなと…これがけっこう、誠実なのである、カミュ先生。ところどころ愛に泣いてしまった。 さて、しかしながらこの昔ながらの翻訳に、何度も辞書(正しくはコトバンク)を何度もひいてしまい、なかなか読破に時間を費やした。 それでも読後はすっきりとして、実は1ヶ月ほど積ん読していたのだけども、ネズミの死骸に負けずなんとか読み切ってよかったと思える作品だった。

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    投稿日: 2020.06.28
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    中盤は淡々とした叙述が続き、なかなか読み進むのが大変だった。序盤と終盤は状況と登場人物の心情の変化が面白くて作品に没入できた。今年のコロナと違って罹患するとほぼ死ぬペストは恐ろしく、ロックダウンの絶望感は今年の欧米のそれとは格段に違うのであろうと思った。

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    投稿日: 2020.06.27
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    2020/06/26 平凡な小市民グランに親近感を持った。小心者で口下手で完璧主義な性格のため、50歳を過ぎて孤独な人生を歩んでいる。ただ、グランには小さな善良さという美徳があり、そのために色々な人に光をもたらすのだ。時に惨めな思いをしながらも、最後は前向きに歩むことができるので、読後感はよかった。 Youtubeに解説動画をアップしました。 https://youtu.be/PqTPOeDBfl8

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    投稿日: 2020.06.25
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    https://www.silkroadin.com/2020/06/blog-post_21.html 自粛期間中にペストを読んでいました。 1947年出版、今回のコロナ禍で再び話題を集め、売り上げ増加を記録していたようです。 ペスト/カミュ/新潮社 フランスの作家アルベールカミュによって書かれた小説、ノーベル文学賞受賞作品。 フランツカフカの「変身」とともに不条理文学としての代表的な作品として知られています。 本書は伝染病のペスト襲来、助け合いながら不条理に立ち向かう人々を描いた架空の物語です。 ペストの害毒はあらゆる種類の人生の悪の象徴として感じ取られることが出来る。(略)たしかにこの作品はそういう風に書かれており、そしてなによりも、終わったばかりの戦争の生々しい体験が、読者にとってこの象徴をほとんど象徴と感じさせないほどの迫力あるものにし、それがこの作品の大きな成功の理由となったことは疑いがない。(引用、ペスト/カミュ/解説、宮崎嶺雄) 解説にもある通り、「人生における不条理や、人間の悪徳など様々な悪い事象」を置き換えて読むことが出来るよう書かれている。というのが、いま改めて多くのひとに読まれている理由の一つではないでしょうか。 毎日の仕事の中にこそ、確実なものがある。その余のものは、取るに足らぬつながりと衝動に左右されているのであり、そんなものに足をとどめてはいられない。肝要なことは自分の職務をよく果たすことだ。(引用、ペスト/カミュ/新潮社) 本作品から学ぶことは多くありますが、自分の職務をよく果たすことは重要です。 自分の職務とは世の中における自分の役割のようなものだと考えることが出来ます。 役割を果たすこと。それは自分の得意なことで人や社会に貢献することではないでしょうか。 わたしたちは皆それぞれ違うし、違っていて良い。 それぞれの違いの中から自分が差し出せるものを人や社会に差し出すこと。 持続可能性という言葉が多くの人にも浸透してきたと感じますが、 「それぞれが差し出したもの」が社会で循環し続ける。 良い相互作用の循環が、わたしたちにとっての持続可能な幸福ではないでしょうか。 取るに足らぬつながりと衝動に左右されないで、「自分の欲望だけを優先するような自己中心的な行動をやめる」ことは現実世界の現代を生きるわたしたちにも必要なことです。 ペスト/カミュ/新潮社 是非ご覧ください。

    2
    投稿日: 2020.06.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    新型コロナ感染拡大に伴い話題となった本作だが、図書館で予約待ちをしていたところ、図書館も閉鎖となり、図書館の貸し出しが再開され、やっと順番が回ってきたのが6月上旬。 新型コロナに対して参考にしようと予約した目論見も、すでに様々な施策が定着しつつあり、緊急事態宣言も解除されて、当初ほどの意気込みはなくなっていたのだが、最近読んだ佐藤優氏も、出口治明氏も、共通して「古典」を読むことを奨めておられたので、気持ちをリセットして読んでみることにした。 やはり本書が当初話題になったのは、歴史は繰り返されるからだと実感した。以前、寺田寅彦氏の震災に関する随筆を読んだときに、東北大震災にそのまま当てはまる教訓が述べられていたことに驚きを感じたのと同様に、今回の新型コロナ禍の本質的な要素は、本作の中にほぼ述べられていたと感じた。 主人公の医師ベルナール・リウーは、ペスト発生から自らの生活を顧みず献身的に患者の治療に尽くす。それは、ペストが終息の様相をみせ、現在でいうロックダウン(都市封鎖)が解除され、市民が歓喜で浮かれだした後も、その姿勢を貫き通していた。彼の一貫した姿勢は、色々な状況の中で、「市民の生命を守る」というその一点にのみ集中していた。まさに、現在の新型コロナ禍の医療従事者に通ずる姿であると感じる。 小説の冒頭、ペストが発生しだした状況下の記述に、「この世には戦争と同じくらいの数のペストがあった」と述べられ、「しかもペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった」と書かれていた。 「天災というものは人間の尺度とは必ずしも一致しない。したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。」という記述は非常に興味深く読んだ。 カミュは、「天災は非現実でなく現実と意識せよ」という。しかし人間というものは、たまたまの「悪夢」と考え、それを忌み嫌うがゆえに、「それはやがて過ぎ去る」と思い込み、「長くは続かない」と根拠のない楽観に陥ることを指摘している。 「天災は必ずしも過ぎ去らず、人間のほうが過ぎ去っていく」という強烈な表現で、その状況を述べている。 知事は、当初の状況を「空騒ぎ」と考え、医療サイドの主導で、保健委員会の発足、それがペストかどうかの正確な判断、血清の準備、隔離対策、等と冷静な手が打たれていく。 統計データの取得と合わせ、このあたりの流れは、すべて今回の新型コロナ対策に直結する教訓となっていると感じる。そしてまた、時代は経ても、やるべき本質は変わらないのだなとも感じた。 感染者に申告義務を課し、患者の出た家は封鎖・消毒、近親者は一定期間の予防隔離。埋葬方法の制限。 そして時間がたつごとにデマ情報の発生。 統計が急増し、保健課の維持が困難となり、医師の人手と時間が不足状況に陥る。 「それがあらゆる経済生活の組織を破壊し、相当多数の失業者を生ぜしめた。」という表現もある。 まったく同じである。 こんな表記があった。 「彼ら(市民)はまた当然のことながら、不幸と苦痛の態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じてなった。・・・絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。」・・・この状況は怖い! 本作の中で登場する人物の、心の変化にも注目すべきところがいくつかあった。 新聞記者のランベールは、自分はこの街とは無縁の人物であると思っている。早く、このペストの町から脱出し愛する妻のもとへ帰ろうと、密輸組織を通じて脱出を企てる。しかしその成就の直前に改心し、リウーらに協力するため脱出を自ら断念する。 「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれない」、「今ではもう確かに僕はこの町の人間です。自分でそれを望もうと望むまいと、この事件はわれわれみんなに関係あることなんです」と語る。 またリウーとともに、この物語のもう一人の証言者であるタルー。彼はリウーと親友となることを望み、本心をリウーに語るシーンがある。 彼には、次席検事の父親に対するトラウマがあった。父の論告を初めて聞いたときの「死刑」の論告が、その被告の虐殺に感じられた。判決後に、幾夜も苦悶の夜を過ごしながら殺害されるのを待つのは、ペストにかかった患者と同じだと考える。 「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っている」と考え、父の生き方を否定して生きてきた。自分の心の平和を維持するには、「自分がペスト患者にならないよう、なすべきことをなして」生きるか、もしくは「ペスト患者に共感」する生き方のほうを選択する。そういう意味で、共感の医師であるリウーの生き方に共鳴できたのだろう。 このくだりは、著者カミュの戦争に対する考え方が反映されているようにも感じられる。 この物語では、血清が季節の変化とともに、それまでに見られなかった効果を発揮するようになり、ペストは自然に沈静化していく。なぜ終息していったのかは詳しく述べられていない(と思う)。 リウーはこの終息と同時に、戦友ともいえるグランを失い、親友となったタルーも失い、そしてずっと会うことができなかった療養中だった妻をも亡くす。 ロックダウン解除後の市民の浮かれる姿に対し、このペストで近親者を亡くした家族の戦いはずっと続くのだいう表現もあった。 物語ではペストの終息を迎えたが、現実の新型コロナはまだ渦中にあり、まずは本書の冒頭部分にあった「悪夢はやがて過ぎ去る」というような安易な発想を封じることが重要だなと感じている。

    27
    投稿日: 2020.06.20
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    題名のとおり「ペスト」の感染拡大のためロックダウンされた街を舞台に、孤立した人々の様子が鮮明に描かれていた。不条理に陥った人間がとる行動を様々な角度から表現しており、コロナ禍の現在と合いまって感情移入してしまった。

    2
    投稿日: 2020.06.14
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    文学でありフィクションなのですが、淡々と描かれる様子はドキュメンタリー、ノンフィクションのようで、内容には時に悲惨な場面もあるのですが、読んで非常に面白かったです。そして確かに、コロナ感染拡大の報の元で、自粛で閉じこもりつつ、見えないウィルスを恐れる今に非常に通じる部分がありました。そうでない時に読んだら、もっと第三者的に読んだかも。 描かれている登場人物たちも、様々な人が描かれた群像劇で、共感できる人も多く、その意味でも読んで面白かった。 面白いというと、合わないか? 内容はシビアで、厳しいから。でも読みごたえという点では確かに面白い。医師として誠実に行動しながら、患者を救うことはできず、ただ診断し隔離するしかできないリウ―のリアル。ストーリーの中で変わるランベール。リウ―同様、立派で共感できるリウ―の母。 不条理文学なのだそうですが、不条理というか理不尽。神はだれも平等に死なせ救わない。神に求めるものは現世利益でなく、病気の快癒ではないとしても。病にかかるのは罪のせいなのか?まさか。 ペストが発生した街は隔離され分断される。それは見捨てられたということ。他の町に広がらないよう、理性的に客観的に、種の全体の安全のために。傷ついた部位は切り捨てられる。確率的には人の種の生存率は上がり、でも部位の人の致死率も上がる。総体の種の存続があれば、個々の死は計上されないのか?個々人にとっては、死が100%であるだろうに。ただただ、ペストは、死は、理不尽だ。

    3
    投稿日: 2020.06.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

     病人はこの町ではまったくひとりぽっちである。暑さに弾けそうな幾百の壁の影で罠に捉えられ、死んで行こうとしているものと、一方、その同じ瞬間に、電話口やカフェで、手形や船荷証券や割引について話し合っている全住民とをここで考えてみるがいい。死というものが、近代的な死さえも、こんな具合に無味乾燥な場所で襲った場合には、そこに快適ならざるもののありうることが理解されるであろう。(p.8) 天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかし、そいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。医師リウーは、わが市民たちが無用意であったように、無用意であったわけであり、彼の躊躇はつまりそういうふうに解すべきである。同じくまた、彼が不安と信頼との相争う思いに駆られていたのも、そういうふうに解するべきである。(p.55) 太陽は最近の驟雨による水たまりの水をポンプのように吸い上げた。黄色い光線のあふれている晴れ渡った青空も、きざし初めた暑熱のなかでの飛行機の唸りも、季節のあらゆるものが晴朗の思いをそそった。しかしながら、この4日間に、熱病は4段の驚異的な躍進を示した—死亡16名、24名、28名、そして32名。4日目には、ある幼稚園内に補助分院の開設が報ぜられた。これまでは、不安をずっと冗談に紛らわしてきた市民たちも街頭で見受ける姿がうちしおれ、ひっそりとしてきたように思われた。(p.93) この瞬間から、ペストはわれわれすべての者の事件となったということができる。それまでのところは、これらの奇怪な出来事によって醸された驚きと不安にもかかわらず、市民各自はふだんの場所で、ともかく曲がりなりにもめいめいの業務を続けていた。そしておそらく、この状態は続くはずであった。しかし、ひとたび市の門が閉鎖されてしまうと、自分たち全部が、かくいう筆者自身までも、すべて同じ袋の鼠であり、そのなかでなんとかやっていかねばならぬことに、一同気がついたのである。(p.96) ほかの事情のときであったら、市民たちも、もっと外面的で活動的な生活に、はけ口を見出すこともできたであろう。ところが、同時にまたペストは、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々めぐりするより仕方がなくさせ、そして来る日も来る日空しい追憶の遊戯にふけらせたのである。なぜなら、当てもない散歩のおり、彼らは結局いつも同じ道を通ることになり、しかも、たいていの場合、こんな小さな町では、その道がちょうど、別の時代に、いまいないその人と一緒に歩きまわった道だという結果になるのであった。 そういうわけで、ペストがわが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった。(pp.101-102) 8月の半ばというこの時期には、ペストがいっさいをおおい尽したといってよかった。もうこのときには個人の運命というものは存在せず、ただペストという集団的な史実と、すべての者がともにしたさまざまの感情があるばかりであった。その最も大きなものは、恐怖と反抗がそれに含まれていることも加えて、別離と追放の感情であった。それゆえに筆者は、この暑熱と廟駅の絶頂において、総括的な状況と、そして—例外的な意味で—生存者市民の暴行、死亡者の埋葬、引き離された恋人たちの苦しみなどについて、書いておくのが適当だと信ずるのである。(p.247) 市民たちは事の成行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかでもございませんがにはやりようがなかったからである。彼らはまだ当然のことながら、不幸と苦痛との態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じていなかった。それに、たとえば医師リウーなどはそう考えていたのであるが、まさにそれが不幸というものであり、そして絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。以前には、引き離されている人々も実際には不幸でなく、彼らの苦しみのなかには、消え去ったばかりの、光明の輝きがあった。今では、街角やカフェやその友人たちのところで見られる彼らの姿は、平静でかつ放心したように、そして実にうんざりした目つきをしているので、彼らのせいで町じゅうが待合室の観を呈するほどであった。(p.268) ペストは各種の価値判断を封じてしまった。そしてこのことは、誰も自分の買う衣服あるいは食料品の質を意に介さなくなったという、そんなやり方にも明らかに見えていた。人々はすべてを十把ひとからげに受けいれていたのである。(p.272) りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。しかも、そのためには、それこそよっぽどのいしと緊張をもって、決して気を緩めないようにしていなければならんのだ。実際、リウー、ずいぶん疲れることだよ、ペスト患者であるということは。しかし、ペスト患者になるまいとすることはっ、まだもっと疲れることだ。つまりそのためなんだ。誰も彼も疲れた様子をしているのは。なにしろ、今日では誰も彼も多少ペスト患者になっているのだから。しかしまたそのために、ペスト患者でなくなろうと欲する若干の人々は、死以外にはもう何ものも開放してくれないような極度の疲労を味わうのだ。(p.377) ある人々の場合は、ペストによって深刻な懐疑主義をしっかり植えつけられてしまい、どうしてもそれを振り捨てることができなくなっていた。希望はもう彼らの心に取りつく余地がなかった。ペストの時代がめぐり終わったときにさえ、彼らは相変わらずペストの基準に従って暮らしていた。(p.401)

    2
    投稿日: 2020.06.11
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    地の文がスラスラ頭に入らず苦労したが、登場人物それぞれが何のために動き、この状況をどう捉えているのか、それが判明する後半から面白くなってきた。 2020年現在ニュースで流れてくる感染症の情報とをどうしても重ねてしまう。時代も文化も宗教も違うが、恐怖や倫理、役所の役割などオランと日本とで通ずるところも多いのが面白く読めた。 リウーの言葉を反芻し、いま起きていることをしっかり見て、この先新しい世界を生きていかねばと考えている。

    2
    投稿日: 2020.06.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    このコロナ渦の中、読み始めて、ずいぶん長くかかってしまった。 常に冷静な医師リウー、ペストと名付けた人間の罪と向き合ったタルー、美しい文章を作ることにこだわるグラン、小悪人コタール、恋人のところに行くことをやめて共に働いた新聞記者ランベール、信仰に殉じた司祭パヌルー、子を亡くし自らも倒れたオトン判事、、、多くの人が登場する。 著しい変貌を示す人々、パヌルー、オトン、ランベールはそれぞれ神の正義、社会の正義、人間の正義を代表する。変わらない人々、リウー、タルー、グラン、喘息病みの爺さんは、爺さんを除いて共同社会の連帯性に目覚めて、不条理と闘った。 タルーはリウーと心を通わせた表裏一体をなす分身。タルーの最後の言葉は「悪霊」のキリロフの言葉、今こそすべてはよいのだ。闘いに勝って回復して欲しかった!

    5
    投稿日: 2020.06.10
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    2020年6月 みなペストという同じ状況下にいるように見えるが、一人一人事情が違って、実際は同じではない。同じ行動をしたとしても理由は人それぞれである。 ペストよりも己の罪を裁かれることに怯えるコタールはひとり全く別の境遇にいると言える。しかしそのコタールがペストに怯える人々の心理を自分の境遇に当てはめて語るところが面白い。

    3
    投稿日: 2020.06.09
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    人生の指針になりそうな一冊。「連帯感の倫理」と不条理との不断の戦い、という言葉に集約される哲学がある。読書会で丁寧に読めたのも良かった。

    3
    投稿日: 2020.06.09
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    ペスト感染拡大防止のために隔離された、町の人たちの行動の話。結構長いけど、終始淡々と描かれています。 医師リウーをはじめ、いろんな立場・考え方の人が出てきて、ペストという不条理に直面して、考え方が変わる人・変わらない人もいろいろ。 どうしても昨今の新型コロナウイルスの状況と比較してしまうけど、閉鎖された町の中では劇場やってたり飲み屋がやってたりするのが違うところでした。 医療や疫病の内容ももちろん違うけど、未知の疫病と闘う姿やこれへの不安感は重なり合うところがあるし、まさに対峙した当事者の描写はとてもつらかった。 そして人同士の繋がりを求める人々の様子も印象に残りました。

    3
    投稿日: 2020.06.08
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    流行っているから読みました。 感染物の元祖といった感じでしょうか? 現代の感染症対策と異なるところはあるようですが、医療従事者の人達の疲労と消耗は伝わってきます。また、時間の経過でにじり寄って来そうな雰囲気がペストという感染症の恐ろしさも伝わってきました。 本作品ではロックダウンにより都市が封鎖されてしまいます。本作品では描かれていませんでしたが、都市の外には広がっていなかったのでしょう。それは本作品の医者や知事が勇気を持って下したロックダウンの成果かと思います。 現実世界では全世界に新型コロナウィルスが猛威を奮っていますが本作品の街のペストのように沈静化することを祈ります。

    7
    投稿日: 2020.06.08
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    奇しくも2020年4月7日にCOVID-19による緊急事態宣言がなされた現在と、カミュの描いたオラン市内で死んだ鼠を医師リウーが発見する(発刊された1947年ということで良いだろう)4月15日朝という設定に、冒頭から偶然の妙を感じながら読み始めた。 読中は翻訳の冗長さになかなか引き込まれることが出来なかった感も否めないが、それでもランベールの心情吐露の場面やオトン氏の息子が辿る非情な運命の場面など、グッと引き込まれる部分もあり、読後感は悪くなかった。 本書は『ペスト』というテーマを借りたカミュの生きた時代への提唱であり反抗なのだろう。解説でも『不条理』というテーマについて言及しており、本書の理解を助けてくれる。 刊行された当時は大戦からほんの2年後。爆発的に読まれたのも肯ける。 当然ながらCOVID-19による情景とは異なるが、それでも今後、オランの人々と同じように、現代社会でも「懐疑主義を植え付けられた人々」と「楽観思想の自然発生的な兆候」とで二分された世論が続くだろう。 そして、緊急事態宣言が解除された現在以降のこの夏から年明けまでの期間において、カミュの描いた人々の心理は、少なからず自分の思考の指標の一つになると思う。 主題とは異なるが、グランが何度も書き直している騎馬娘の文書について、「『の』が連続するのがリズムが悪い〜」と言っているシーンは、過剰なくらい言葉の用い方に反応してしまう自分にとって、とても共感してしまうシーンであった。

    3
    投稿日: 2020.06.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    やっと読み終わった〜時間かかった〜読みづらかった〜…。求めていたたのしさはなかったけど、閉鎖された空間の中での色々な葛藤的なものが今の自分の状況と重なったりはした。 「ずいぶんあなたを愛してましたわ。でも、今ではもう疲れてしまいましたの…。出て行くことを幸福だとは思っていませんけど、でも、なにも幸福である必要はないんですわ。もう一度やり直すためには。」 「自分の愛するものから離れさせるなんて値打ちのあるものは、この世になんにもありゃしない。しかもそれでいて、僕もやっぱりそれから離れてるんだ、なぜという理由もわからずに」

    4
    投稿日: 2020.06.07
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     読みにくいと感じられる方もいらっしゃるようですが、私には、異邦人よりすらすらと読み進めることができました。  実存主義とはまた一味違う、彼の不条理というのが、タルーやリウーといった主要人物にありありと映されています。一方で、市民に映じられた、宗教を捨て、進歩主義に置き去りにされた現代人の死生観というのにも、考えさせられます。彼の追究した哲学を、感じながら読んでほしい。一読の価値ありです。

    3
    投稿日: 2020.06.07
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    今売れてるって言うし、一度も読んだことないし、この機会に読んでみようと思って購入しました。 難しかった。 文章の読解ができなくて、内容云々言えなかったので「評価なし」にしました。 一文一文の言い回しの意味が分からない。接続詞があるけど、前文との繋がりが分からないかったり、文章が肯定で終わっているのか、否定で終わっているのかさえも分からなかったり、わたしの力では読み解けませんでした。 全体として、感染病が流行ると、人々はこんな動きをするんだよってことかなーと。 ただ、文章読解はできませんでしたが、感染症には興味をもちました。時代背景が凄く気になった。このお話の中では、街全体を隔離してましたが、その中で発症していない人達は、かなり自由にしていた感じなので、この時代のペストって、どこまで分かってたのかなとか、知りたくなりました。

    0
    投稿日: 2020.06.07
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    コロナ禍というご時世になり、 新聞、雑誌などの各メディアで注目されているというので 店頭で平積みになっていたので手に取りました。 カミュというとアルベルトカミュの「異邦人」。 学生の時に読んだ記憶も定かではないですが、 カミュは有名な作家ということだけは覚えていました。 今回のストーリーは感染病によって人は混乱させられたら、 封鎖された街で人はどのような行動を取るということが テーマになっていたので現在の状況と重ね合わせながら 読み進めていたのでとてもリアリティがありました。 ペストという病気を何となく朧気ながら知っていた だけだったので、その病状を刻々と描かれていたのは かなりグロテスクで読んでいるのがとても辛かったです。 けれどそれが過去の歴史にはこれによって多くの人達が 命を奪われたり、それにより家族、友達などと 愛する人達が奪われてしまったという事実があったということが とても辛く重くのしかかります。 時代背景や宗教や置かれた全ての環境が違っていても、 この時代に取られていた行動が現代の何処の国でも 同じ状況というのが何とも人間らしいというべきか、 どんな時代でも変わることができないものなのだと 納得させられた気がしました。 フランス文学ということもあり表現の仕方が独特ということもあったり、 宗教上の事や当時の時代背景などが入ってきているので、 最近の読みやすい小説ばかり読んでいる私にとっては 内容がなかなか頭に入らなくて文字を追っていくだけ 文章を咀嚼しきれなかった程難しい内容でした。 この苦しい状況の中で様々な行動を取っていた人達ですが、 主人公でもある医師は医師としてのポリシーを持ちながら 淡々と治療などをこなしていく中、やはり医師も一人の 人間であって苦しみを持って患者に寄り添いながらも 一方では何処か冷静に自分を見つめている人がいて これが医師の本心なのかもと思えてなりませんでした。 いくら新興している宗教があり、 それにすがったりお祈りをしたりしても、 やはり医師としての現実をまじまじと見ることによって 本来の心が出てしまうと思いました。 けれどこれが悪いとも思うこともなく、 これが真実なのだと思ってしまったら それに従うしかないのかと思ってしまいました。 ペストは想像を絶する感染病であることがこの作品の 中からはよく分かり、感染状況が変わるごとにまた 人の心も揺れ動き、望みであったものも絶望をし、 今まで普通に芽生えていた平和や愛情というものが ある所から突然失いかけてしまうというところが 一番人間としては怖いものだと思わされました。 ラストに例え終息されたと思われるペストであっても、 またいつの日か幸せだった日が失われる日が 来るかと思うと覚悟しながら また生きていくと言葉がずっりしと現実味が増して 感染病の恐ろしさを伝えていた気がします。 まずは普通に暮らしていける日常に感謝すると共に、 まだ終わらない新コロナとの共存していく方法を 改めと冷静になって考えさせられました。 まだ十分に理解できていない部分が多いので、 また再読してみたいと思います。

    0
    投稿日: 2020.06.06
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    ペストという悪に立ち向かう市民。登場人物にさまざまな考え方の変化が現れる。最も顕著なのが新聞記者ランベール。恋人に会うために街からの脱走寸前に気が変わり、連帯への裏切りを罪と意識し、ペストの街に残ることを決意する。主人公のタルーは医師らしく、ひたすら悪と闘い、前に進もうとする。それは今の新型コロナに対する医師たちと重なり、考え方、思想がどうであれ応援したくなる。2020.6.5

    2
    投稿日: 2020.06.05
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    うーん。。。 この本、コロナのこともあり、もの凄く売れてるんですよね。 皆さんがどのような評価をされているのか分かりませんが、私は、とても読みずらかった。 もう少し、現代風な翻訳ならば、もっと興味深くなるかもしれない。。。と思いながら、読み切りました。 現代と50年程前の社会の違い?日本と欧米の違い?なのかも知れませんが。。。 ペストとコロナは、ちょっと違うような気がしました。 ただ、衛生班や感染者や死亡者数、宗教家の関わり、恋愛(大切な人)などについては、今も変わらないのかな。

    0
    投稿日: 2020.06.05
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    第2次世界大戦で、ナチスドイツによってフランスから逐われた著者。本作品は解説(奥付・昭和59年30刷)によると、その戦争体験を象徴するものだそうだが、コロナ禍が世界を覆っている現在、この作品に描写された光景は、まさに今の世界の縮図のように感じた。しかも、ペストとの闘いを記録するという体裁であるにも関わらず、その表現は終始詩的な文章だった。不朽の名作となっているのも頷ける。

    3
    投稿日: 2020.06.04
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    外出自粛下のGWを機に、5年ぶりだろうか。久しぶりにきちんと西洋文学に向き合う事ができた。 読み始める際に期待していた物とは全く違う部分で大変感銘を受けた。特に中盤以降の下りでは激しく心を揺さぶられ、読後すぐに再読。 中学時代に愛読した異邦人のおぼろげな記憶から、コロナ禍の現在に通じる社会批評的テーマを、多少なりシニカルに描いたものを期待していたのだが、読後の印象は全く異なる。 不条理で運命的な災厄に襲われる、様々な境遇に置かれた人々の、ややヒロイック過ぎる気味さえある、感動的な群像劇と言う印象。 特に老官吏グランのエピソードは涙なしには読むことができない。

    2
    投稿日: 2020.06.02
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    想像力豊な方には理解できるのかもしれませんが、表現が難しすぎて何を伝えたいのか私にはあまり分からなかったです。 なので星1

    0
    投稿日: 2020.05.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    5/30/20(土):新聞記者のランベールが、脱出するのをやめた。 Kindleで今半分位読んでいる。タルーとコタールが近しい関係になっている。

    2
    投稿日: 2020.05.26
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    今改めて読み直されているという時流にそのまま流され、当方も久方ぶりの再読。 やっぱり訳文が古いんですよねぇ、、、その昔読んだ時もそう思った記憶があります。時代を超えて、現下の世界そのものを描いているような既視感を覚える一方、とにかく読むのに骨が折れる。これって作品にとって不幸なんでしょうな。 誰か再訳に名乗りを上げてもらえないでしょうか。

    1
    投稿日: 2020.05.25
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    読了。今のコロナの状況に似ていた。まだ、自分の中で消化できていない。時間はかかったが、読みやすかった。

    3
    投稿日: 2020.05.25
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    今だからこそ、このとこだからこそ、読んで非常に良かったと心から思いました。 カミュの様々な角度から物事を簡潔に清潔に描き出すこの物語が、2020年を予言していたかのようで、またコロナの渦中とコロナ後の未来を示しているようで、非常に興味深かったです。

    2
    投稿日: 2020.05.22
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    2020/5/21 非常に読み応えのある、今この時だからこそ読んでおきたい、読むべき一冊だと思う。 元々は世界中でコロナが流行った現在、過去の人間の歴史ではこんなような事態はなかったのか知りたいなと思うところから感染症の歴史を読んでペストのことを知り、そこからこの小説の存在を知りました。読むのにとても時間がかかってしまった、さすがフランス文学。 内容は、ペストが発生して都市封鎖された街での人々の生き様…と言えば簡単だけど、ここに出てくる人物たちそれぞれに何かしらのテーマがあるように感じます。 ペストの治療に専念する医師リウーが悪戦苦闘するのですが、そんな中で、ペストの前兆、都市封鎖、都市封鎖解除の最中で人々がどんな心理になりどんな行動に出てしまうのかという描写に関してはもう未来予知しているレベルで当てはまっています。 キリスト教の宗教的な観念もペストで人が死ぬという事実の前にどうなってしまうのかとか、ペストの発生に対して人々がどんな行動を起こして行くのか、どんな現象が起きるのかについては、現代でも同じようなことが起こっているからこそ、自分と重ねて読むこともできるし、ペストに対して色々な考えを持つ人たちがそれぞれに行動をしているので、自分だったら誰に近い考えだろうと考えながら読むこともできるのがこの本のさらに面白いところなんじゃないかと思います。 オリラジのあっちゃんの解説動画を見てから読んだので、ネタバレを知りながら読み進めましたが、ここまで現実を当てている?物語はすごいなーと思いました。この本から何を考えて自分たちはどうしたらいいのか、同じ道を辿ってしまったら当時から人間は進歩してないということなのか、それとも歴史は繰り返すことの証明なのか、なんだか難しいことはよくわかりませんが、面白いです。

    6
    投稿日: 2020.05.21
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    連日、朝から晩まで新型コロナウイルスに関するニュースばかりが報じられ、国民一億総コロナオタク化している。 そんな今だからこそ、違う角度から何か得られるものがあるのではないかと手に取った。 静かに忍び寄る感染症の恐ろしさや、なす術もない人間の無力さをリアルに描いている。 感染が拡大するにつれ街を封鎖し、感染者や接触者を隔離する、住民は自宅などに籠もって勢いが衰えるのをひたすら待つ…。 これは2020年の話なのか? 時代は移り変わり医療が発達しても、ウイルスと対峙する基本的な策は今も昔も変わらないのだということがよくわかった。 一方、この小説は「不条理なシーンに遭遇したときに人間はどう乗り越えていくのか」というような哲学的なエッセンスを散りばめている。 たしかに今も医療従事者やその家族などへの心ない言動がニュースになっているように、有事の時ほど人の本質がむき出しになってしまうものだ。良くも悪くも。 小説の中では登場人物たちを通して延々とそれが語られる。しかも頻繁に。ストーリーがなかなか進まず正直、読むのが非常にしんどかった。(翻訳もストレートすぎて硬い) ただ、まさにコロナ禍にある自分の胸にストンと落ち着く言葉も見つかった。こういうときこそ、誠実に淡々と自分が出来ることを続けていくしかないのだ。 不確かな情報がSNSなどを通じてはびこる今だからこそ、一喜一憂せず、正しい知識を身につけて事態を見守る。これに尽きると学んだ。 

    3
    投稿日: 2020.05.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    コロナウィルスの流行がなければ、多分一生読むことはなかった小説。だけど、読んでよかった。 俗っぽい目で見てよければ、ペストに混乱する街の様子は興味深く、魅力的な人物たちが疫病の危機に晒される姿はエンタメ的で飽きさせない。特に、リウーに英雄的と称されるグランの魅力は社会に出るとよくわかる。彼の小説が登場人物たちの息抜きの糧になり、そのせいか文章の形容詞が誇張されてどんどん読みづらくなっていく様子はこの小説唯一のコメディ部分かも。 物語初めの、司祭パヌルーのペストは天罰と言わんばかりの御高説にはイラッとした。ただ、オトン少年の凄まじい苦しみを目の当たりにした上で、宗教者として教義に背を向けることができず、死を受け入れるしかなかった彼の最期は悲しい。 ペストに冒される街オランの様子は、現在の世界情勢と比較されて身に迫る。流行がどんどん深刻化する間、人々が思考を放棄してぼうっとしてしまうというのは滑稽だけど恐ろしかった。ハッキリものを考えようとすると、暗澹たる未来を予想することになり、そのせいで人々の視線は茫洋としてくる。 死刑を憎むタルーの主張は「異邦人」にもあった、社会秩序が人間を殺すことへの疑念で、カミュの思想が現れたところかと思う。そのタルーがムルソーと同じく死んでしまうのは、その問いに答えを見出せない作者の無力感の現れかも。 病気の流行は現象でしかなく、私達はその意図や理由を解釈したり、結果からの最善策を逆引きしたりするべきではない。出来ることがあるとするなら、グランのように、ただ淡々と成すべきことを成して、待つしかない。

    3
    投稿日: 2020.05.20
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    194※年4月16日、アフリカのフランス領アルジェリアのオラン市(※1962年に独立するまでフランス本国扱い)で、医師のリウーは一匹の鼠の死骸を見つける。 瞬く間にオラン市には鼠の死骸が溢れた。やがて人間にも病状が現れる。 人が気が付かないうちに死者は増えていった。  <「まったく、ほとんど信じられないことです。しかし、どうもこれはペストのようですね」P54> ペストという言葉がここで初めて発せられた。 === 高校生の長男の休校期間課題読書のリストの中の1冊として購入したのを私も読んだ。長男は「読書というのは自分がしたいものをするんだ!人から言われてするもんじゃないんだーー(●`ε´●)」と言いながら、なんとか書いて出したらしい。まあ私も自分が読みたくて読んだから良いのだけど、高校の時に課題で出たら「意味わかんねーヽ(`Д´)ノ」となっただろうなあ。 というわけで、なんとか読んだので、感じたこととかではなくほぼ要約orz(ほぼ要約なのはいつもだけど) 小説の形式は、最初は名を明かさない”筆者”により、感染病に見舞われた町の人達の姿、炙り出される本質を淡々と記してゆくというもの。 冒頭にはダニエル・デフォーの言葉が紹介されている。未読なのだが『疫病流行記』からの引用なのか?デフォーの「疫病流行記録は1660年代にイギリスでペストが流行したときの記録」であり、カミュと両方読んだ人はこちらの方からはこちらのほうが面白いとも言っていたので、いつか読んでみなければ。 さて、カミュの「ペスト」は、1947年に発表されているが、作品内の舞台も194※年という同年代を舞台にしている。またカミュはこの舞台であるフランス領当時のアルジェリアのオラン市に在住した時期もあった。 現実に即した時期や場所を舞台にすることにより、架空のペスト感染という出来事を観念的に現したのか。 小説内での流れはこのような感じ。 ・ペストと宣言される。 ・オラン市は閉鎖される。 ・食料など日常品の制限、手紙の禁止といった要項が重ねられてゆく。 ・人々は混乱し、喧嘩や暴動に対して憲兵が出動し、菌に有益だというデマで店頭からハッカが消えたり、行くところのなくなった市民たちは映画館へ詰めかけ、予言に頼ったりする。 ・ペストは夏の盛りには勢いを増す。オラン市にペストが来たのが4月、つまり日が経つにつれますます患者が増える一方という、まさに終わりの見えない状況。人々の精神は停滞していく。増える死者に触れても感傷の気持ちが出てこなくなる。 ・冬になってもペストの勢いは止まらなかったが、また春が来るようになり感染者は減り、回復者も出てくるようになった。そして町の人達は町を走る鼠を見た。ペストの初期には死の象徴であった鼠が、今度は生きているものの躍動の象徴となる。 ・人間は待ち望んだ開放に対して慎重になる。そして自分が望んでいたもとの生活、元の姿に戻れるかを恐れる。 ペストという突然襲ってきた大きな力により、自分自身を見つめて変わった人、変わらなかった人、前とは少し違うところに着地した人。オラン市が開放されてそれぞれの道を歩みだす。 コロナ感染の今の時代に当てはめると、人間は変わっていないなあと思う点と、でも当て嵌めすぎても解釈幅が狭まるよね、などと思いながら読みすすめてて行った。 ペストという突然襲った大きな力により、突然の制限や死に見舞われた人間の精神的、行動的変化、人々の本質や観念が書かれる。 登場人物たちは、各自が自分の本質を見たり、変わったり、変わらなかったりしてゆく。 ❐医師リウー  妻は病気のため山の療養所に行っているときに、自分の町がペストで閉鎖されてしまった。 医師として重要な場面のほぼ全てに同行し、ペスト蔓延を見て、疲労さえも超えてゆく。だが、際限なく続く敗北であろうと、戦おうとしている。 ペスト初期にパヌルー神父がペストを観念として捉えてその後ろに神の意志を感じるように説いたときには、その説教に反発する。リウ−にとって神よりも現実の人間の健康、役割を果たすことが第一の義だった。 ❐カステル  老医師で、血清生成などに務める。 ❐タルー  最近オラン市に住居を構えた男。手記をつけている。ペスト感染が広がると、友人の医師リウーの手伝いをする。  終盤で彼は、リウーに自分の精神構造の根本を語る。  <今日では、人を殺したり、あるいは殺させておいたりしないでいられないし、それというのが、そいつは彼らの生きている論理のなかに含まれていることだからで、われわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身振り一つもなし得ないのだ。(…略…)われわれはみんなペストの中にいるのだ。P375>  <誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ。(…略…)ちょっとうっかりした瞬間に、他のものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。自然なものというのは、病菌なのだ。ーその他のもの、健康とか無傷とか、なんなら清浄と言ってもいいが、そいうものは意思の結果で、しかもその意志は決して緩めてはならないのだ。P376> ペスト(を象徴とする、社会病理など)への対抗法は、人間同士が共感すること、理解すること。自分がペスト菌になったりペスト患者になったりしないこと。 ❐ランベール  新聞記者。オラン市には取材で訪問しただけなので、最初は「私はこの町には無関係」として、恋人の待つ外の町に出ようと手を尽くす。ペストという大きな力の前に、個人の幸福を大事にしたいという人物として書かれる。  だがオラン市の様子を見ているうちに、今ここを見捨てて出ていっては、恋人に会ったとしても、逃げたということが引っかかり本当の幸せにはなれないとして、市に残り保険隊に協力するようになる。 ❐バヌルー神父  ペスト初期は、「神が人々に遣わした当然の報い」と説教をした。ペストとはあくまでも観念の問題だった。  しかし医療の手伝いをして少年が長く苦しみ死ぬ様子から、意味なく失われる命への救いの無さを感じる。  <そこには何ら解釈すべきものはないのであった。(…)世には神について解釈しうるものと、解釈し得ないものがある。ペストのもたらした光景を解釈しようとしてはならぬ、ただそこから学びうるものを学びとろうと務める。P329>  だが神への信仰を捨てたわけではないので、自らがペストに罹ったときは医師(人間)の治療受けたら神の意思を否定することになるとして、治療を拒否する。…という形で、自分が信じた神、そしてペストに苦しむ現実の人々をみて、彼なりの信念を貫いたのだろう。 ❐オトン  型にはまった判事だが、家族の感染や自分の隔離を経て、小さなことからでも役に立ちたいという考えに変わってゆく。 ❐グラン  好人物の下級役人。ずっと昔に妻が駆け落ちして出ていったことから、手記を書きたいと思っているが、妻に気持ちが伝わるように完璧な言葉を考ることに苦慮している。 現実のペストの脅威よりも手記の書き出しのほうが苦悩が強いくらいで、そのためにむしろペストに対する過度な恐怖はなく、町で募集している保険隊の仕事に就くことになる。  <現にペストってものがあるんですから、とにかく防がなきゃなりません。これはわかりきったことです、まったく、なんでもこれくらい簡単だといいんですがね。P195>  自分を捉えてて閉じ込めていた執着(手記書き出し)は出口のない迷路をぐるぐるぐるぐる回っているようなものなので、それがペストという現実に対してどの様に変化したかなど、変わった人間として書かれる。 ❐コタール  どうやら犯罪者として出頭を命じられる寸前だったらしい。ペスト流行により裁判は中断したため、彼は裁かれないこと、自分が孤独な犯罪者でなくなったこととして事態を喜んでいる。  そのためペスト収束時を認めたがらず、むしろ自分を失ってしまう。 ❐老人  名前はないが、リウーの患者である老人は、ただそこに存在する悪意のないものとして何度か登場する。 ❐施政者たち いわゆる行政の対応の遅さ、お役所仕事ぶりが書かれる。 ペスト初期には、議員、判事、医師の会議では、現実的に人が死んでいることよりも、「ペスト」という死病だと宣言して良いのか、それによって責任がどう生じるのか、などが主題になってしまっている。  <問題は、法律によって規定される措置が重大かどうかということじゃない。それが、市民の半数が死滅させられることを防ぐために必要かどうかということです。あとのことは行政上の問題です。P74>  <「言い回しは、私にはどうでもいいんです」「われわれはあたかも市民の半数が死滅されられる危険がないかのごとく振る舞うべきではない。なぜなら、その場合には市民は実際にそうなってしまうでしょうから」P76> さらに、ペスト大流行最中で死者が増え続けて行ってからも、<新聞と当局はペストに対してこの上もなく巧妙に立ち回っているP165>という発表がなされるなど、上辺だけの態度の批判するような記述も出てくる。 ❐市民たち 施政者に文句をういつつ市民たちもどこかしら他人事。最初に感染症の現実を突きつけられたのは、フランスによりオラン市の閉鎖命令が出されてからだ。  <この瞬間から、ペストはわれわれすべての者の事件となったということができる。P96>  オラン市は20万の住民がいて、初期には1週間で300人程度の死亡者ということ。だが誰もこれが多いのか少ないのか、通常の状態を知らず、判断のしようもなかった。 疲労はやがて無感動になってゆく。  <「まったく、こいつが地震だったらね! がっと一揺れ来りゃ、もう話は済んじまう……。死んだ者と生き残った者を勘定して、それで勝負はついちまうんでさ。ところが、この病気の畜生のやり口ときたら、そいつにかかってない者でも、胸のなかにそいつをかかえてるんだ」P166>  <絶望に慣れることは、絶望そのものよりもさらに悪いのである。P268>  <貧しい家庭はそこで極めて苦しい事情に陥っていたが、一方裕福な家庭は、ほとんど何一つ不自由することはなかった。ペストがその仕事ぶりに示した、実効ある公平さによって、市民の間に平等性が強化されそうなものであったのに、エゴイズムの正常な作用によって、逆に人々の心には不公平の感情がますます先鋭化されたのであった。P350>  <彼は自分がペストにかかることがありうるとは本気で考えていないのである。彼はこういう考えーそれも案外ばかにならない考えであるが、なにかの大病あるいは深刻な煩悶に悩まされている人間は、それと一緒にほかのあらゆる病気あるいは煩悶を免除されるという考えに基づいて生活しているように見える。P284>  しかしペスト期間が延びて、各自ができることをやろうとしてゆくうちに、「あなたたち」の問題だったペストを「われわれのもの」として捉えるようになってゆく。 終盤で、ペストが収集したことにより、人々が得たこと、考えたことが書かれる。  <彼が勝ち得たことは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そして、それを思い出すということ、愛情を知り、そしていつの日かそれを思いなすことになるということである。ペストと生との賭けにおいて、およそ人間が勝ちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。P431>  <人間が常に浴し、そして時々手に入れることができるものがあるとすれば、それはすなわち人間の愛情であることを。P445>  <自身という僅かなものに執着して、ただ自分たちの愛の家に帰ることだけを願っていた人々は、時々は報いられている。(…省略…)これに反して、人間を超えて、自分にも想像さえつかぬような何者かに目を向けていた人々全てに対しては、答えはついに来なかった。P444〜P445>  <ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴蔵やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ちつづけていて、そしておそらくはいつか、人間の不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。P458>

    25
    投稿日: 2020.05.18
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    コロナウイルスに劣らず今大流行の書籍。 時代設定は20世紀初頭だろうか、アルジェリアで大流行した伝染病の中で人々がどのように反応したかを客観的につとめて無感動な描写に終止して書く。 刊行は1947年だが、書かれてあることはまさに現代で起きていることと重なる。歴史は繰り返されるとはよく言ったものである。 正直に言えば、個人的な感覚で言うと、この書籍を読んだところでこの先行き不透明な世の中を生きていくTipsを得られるとは思えない。それでもこの書籍が売れ筋ランキングトップを今走っているのは、(自分と含めて)たくさんの市井の人々が蜘蛛の糸を求めている状況の現れだろう。 コロナウイルスの影響で困難に直面した人も/そうでない人も、眼前のことに取り組むことが打開策への一番の近道と感じた。

    2
    投稿日: 2020.05.18
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    友は言った。「僕たちはずっと前からペストに苦しめられていたんだ」 人が時々手に入れられるものがあるとすればそれは愛情である。僕らはそれを時に平和と呼ぶ。

    2
    投稿日: 2020.05.16
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    町中で大量のネズミの死骸がみつかる描写から始まり、さらには人も症状を出して死に始める。町は封鎖され、人の恐怖は頂点に達する。。。 確かにペスト菌は恐ろしい。しかし、それを恐れる人間が、実は最も恐ろいのでは、と気づかせてくれる。

    2
    投稿日: 2020.05.16
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    経験したことのないコロナ禍。 本屋の店頭に並ぶ約50年前に発売された「ペスト」 今だからこそ、読み返している人も多いし、新たに読んでいる人も多いので、その波に乗って、時間もあることだし、読んでみようと思った。 しかし、数年ぶりに読む海外文学作品の難読さに手を妬き、1週間かかって、読了。 最近の文学が数年の間にかなり読みやすい文章に変貌していることに一番驚いた。 200ページぐらいまではペストがアルジェリアのある街で発生し、徐々に広がっていく様子が淡々と描かれる。 最近のウイルスを扱ったパニック小説とは違い、本当に淡々と描かれていて、少し違和感があるぐらいだが、後半になるにつれ、常に冷静にペストに向かい合っていた主人公・リウーの心にも変化が表れる。 後半は読んでいて、辛過ぎてページを閉じたくなることも… ちょうど、この作品を読み終えた日に日本は緊急事態宣言の一部解除がされ、人の流れが元に戻りつつある。 しかし、まだ少しでも気を緩めれば、ペストと同じ状況が身近にあることをしっかり意識していきたいと考えさせられる内容だった。

    8
    投稿日: 2020.05.16
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    まさに今読んで良かったと思える本。市民、医療従事者の心境や感情は、今に通じる普遍性があり、考えさせられた。朝焼けや夕暮れ、夕闇の海などの自然描写も美しく心に残った

    5
    投稿日: 2020.05.16
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     「暗い港から、公式の祝賀の最初の花火が上った。全市は、長いかすかな歓呼をもってそれに答えた。コタールもタルーも、リウーが愛し、そして失った男たち、女たちも、すべて、死んだ者も罪を犯した者も、忘れられていた。爺(じい)さんのいったとおりである――人々は相変らず同じようだった」

    3
    投稿日: 2020.05.15
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    不条理な世界で生きる我々。 生き方は色々で正解なんてない。今回のコロナ騒動の中で本当に嫌というほど感じたのは、考え方が違くて対立し合う人々。何より世間が怖かった。  小説でも描かれたように、不条理の中での人々の考え方や役割は異なる。それぞれ感じる外圧のの中で信念を持って生きていなくてはいけない。 内容は面白いのですが、なかなか翻訳についけず半月以上かけて読みました笑

    2
    投稿日: 2020.05.15