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カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)
カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)
ドストエフスキー、原卓也/新潮社
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総合評価

313件)
4.2
130
83
48
10
6
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    このレビューはネタバレを含みます。

    亀山版を読み終わり、読み直したいと思ったので二週目は原版に挑戦中。結末を知っているからなのか、初読時に比べてドミートリイは悪人に見えないし、イワンからは病みそうな雰囲気を感じる。

    0
    投稿日: 2025.10.31
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    (いつも感想を読んでくれる)あなたへ 季節の変わり目だけど、元気にしてる? 私は今とある外国の、とある家族の元で、ホームステイをしているの!ビッグニュース!!あ、ストーリーズにもよく上げてたから知ってるか(笑)でもこうやって改めて報告するのは初めてだよね。 ホームステイはいつかしたいと思ってたことなんだけど、不安がなかったと言ったら嘘になるし、何ならモチベーションが下がってた時期もめちゃくちゃあるんだよね。 もう少し先延ばしにしようかなと思ってたの。 でも、やっぱり最近沸々とワクワクの方が勝ってきて、「行くなら今しかない!」と思って、思い切って来ちゃった!!何がきっかけだったんだろ?もしかしたら、最後に触れた文化が、あまりにも自分に近いもので、その反発が起こったのかも。 ドイツ語でね、「Fernweh(フェルンヴェー)」って言葉があるんだけど、ホームシック(Heimweh[ハイムヴェー])と真逆の意味の単語で、「これまでに行ったことのない場所やどこか遠い場所へ行くことを欲する状態」を指している言葉なんだよね。 まさしくこの「フェルンヴェー」がホームステイをする原動力になったの!! でもね、来てみたら、やっぱり母国語で話せない国でのホームステイは寂しいこともあるし、不安もあるし、結局またホームシックになって「早く帰りたい…」ってなることもあるし、なんなら「何を話してるの?」って理解に及ばない事もあったりするんだよね。アウェー感ももちろん感じるよ。 それでも、断然ワクワクだったり、アドレナリンが出まくるほどの楽しさだったり、思い切って来た自分が誇らしいっていう気持ちだったりが勝ってる!!圧倒的に!!知らない世界の知らない文化の人たちと触れ合うことで、学びがめちゃくちゃ多いし、時としてそれがぴったりと自分の文化や自分の国の人たちと重なり合ったりしてる瞬間を感じる時に、震えるんだよね。「あ、人間の根本とはこういうことなのか…それは変わらないのか…」って痛感するんだよね。 最近では、気になる人も出てきたんだ(照) イワンっていうものすごいクールな知的人なんだけど、この間実は彼の修羅場を目撃しちゃって、去り際に「奥さま、私はご褒美を求めてはおりませぬ。」ってうシラーの詩の一節を、ドイツ語で捨て台詞として吐いていったんだよね。 ここだけ切り取って話しても、彼のかっこよさが伝わらないかもしれないね、ごめん(笑)でもね、私はこの時、めちゃくちゃ痺れたんだよ。本当にやばかった(笑)カッコよかった… まぁ、そんな感じでめちゃくちゃこちらでの生活、楽しんでます!! まだ目処はついてないけど、ホームステイが終わる時は必ず来るし、帰国した後に見る景色がどう変わってるのか、すごく楽しみ!! 土産話なら沢山できると思うから、また聞いてね!!! じゃあ、また連絡します! あなたも体に気をつけて、元気でね!

    1
    投稿日: 2025.09.28
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    独特の言い回しがとても謎めいていて、読み始めからのめり込みました。 主人公はアリョーシャ20歳。ゾシマという長老を師とする修道僧。私の印象としては、世間知らずの優等生タイプ。優しい。 アリョーシャには2人の兄がいます。ドミトリー28歳。イワン24歳。 3人の父はフョードル55歳。荒々しさマックスの人物として描写されます。いい意味でも悪い意味でも、率直かつエネルギッシュという印象です。 ドミトリーの母親とアリョーシャ、イワンの母親は違います。 こんな登場人物の設定からしても、カラマーゾフ家はミステリアス満載で、何かしら事件が起きそうでドキドキします。この家の料理人スメルジャコフのエピソードもなかなかです。 息子と父親が言い争う場面は、舞台劇を見ているような臨場感がありました。 父親、息子共に女性とお金に関わる問題があり、人間の心の奥底にあるものを怖いぐらいにえぐりとる描写に、圧倒されっぱなしでした。 上巻後半で、神の存在について語られるところは難解でした。 怖いもの見たさのような感じになってきていますが、今後の展開が気になります。

    29
    投稿日: 2025.08.12
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    前半だれましたが、後半一気読み。 こんなヒヤヒヤする話だとは思わなかった。 聖書の知識があってこそ、読み切れたのかもしれない。 (以前挫折経験あり)

    7
    投稿日: 2025.06.30
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    10/10 支配こそ自由。俺は神という好都合な虫ケラには沈黙の接吻を捧げよう。だがその様な愚かの行為も、神は赦してくれるのだろう。神は居ないし、死んでいると思っていたが、俺はただ神とこの世に一緒に在りたくなかっただけなんだ。 人は支配されなきゃ生きていけない、それは縄文時代から決まっている、だからこそ石をパンに変えてやろうじゃねえか。って話よ。 ただひとつ神が干渉できないものがある、それは”比類なき家族間の愛憎”だ。俺はそう思う。

    0
    投稿日: 2025.06.29
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    登場人物の相関図をwebで調べながら読み進めました。 女性にだらしないのがカラマーゾフの家系なのかと思っていたら後半で一気に神への信仰が加速。 きっと下巻まで最期まで読めばすべての意味がわかるのだろうと思えています。 でも長い小説だから次の中巻より先に解説本かYouTube大学に走りたくなります。。

    0
    投稿日: 2025.05.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    まだ星はつけれない。だって上巻しか読んでないんだもの。 現時点での感想は、登場人物が多すぎる!ってことだね。なかなか読むの苦戦したもんです。 長男ドミートリィ、次男イワン、三男で主人公のアレクセイの中では、1番アレクセイが腹の底が見えない感じがありますね。 宗教的な物語なので、日本人としては感覚的に掴みづらい部分も多いのですが、価値観がほんとに違う感じが大変興味深いです。 大審問官はすごかった。 どうすごい、何がすごいってのはちょっと言葉にするだけの語彙力がなくて悔しいな。 とりま中、下も読みたい。読んだくる。めっちゃページ数多いけど。 はい、全部読み終えたので星つけました。下巻まで読むとこの大審問官の捉え方もまた変わってくるね。このでっかいストーリーすらも伏線じゃないかなと思ってしまうくらい。

    0
    投稿日: 2025.04.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    何とか読み切った。前半スローペースでしか読めなかったけど、後半アリョーシャが兄の元を訪ねたりものを言付かったりするあたりからガンガンと。 難解だけど、これは確かに読む価値あるわ… 神の存在とは?私達は自由を必要としてないものなの?血は争えないものなのか?等、色々と疑問が湧いてきた。続きを楽しみに中巻へ… それにしてもアリョーシャ以外はキャラが濃い人ばかりで胸焼けがしそうだった。アリョーシャが可哀想。。

    2
    投稿日: 2025.03.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    重たすぎる腰を上げて読み始めた。2回挫折しているのでこれで3回目。今回こそは読み切りたい...。ちなみに前回のチャレンジから10年以上経っているのでストーリーは何一つ覚えていない。 まーじで本名に加えてニックネームまで書くの禁止にしてほしい...!笑 ただ最初の200P強に渡る紹介文が後々響いてくるので読まずに進むのは惜しい、というところ。父と長兄の醜すぎる争いと共に、徐々にストーリーが動き始める。 大審問官...うーん、とても難解だし捉え方があってるのかすら分からないけど興味深い。 キリストは全ての罪を背負い人に自由を与えたはずなのに、人は自由すぎると途端に迷いだす。そのため指導者を置いて指南すると、迷わなくて良いとたちまち服従する。...これって、現代人にも言えることなのかも。選択を誤って非難されるのは怖いし考えを放棄するほうが楽だけど、迷うことも必要なのかな、と。 ただ、明日パンの1つも食べられず、天上のパンを祈る生活になったらどうだろう。やっぱり信仰より地上のパンを選んでしまうかも。なら信仰って何のためにあるんだ?答えのない問いが続く...。

    0
    投稿日: 2025.03.31
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    人生最大の読書チャレンジ。死ぬまでに読みたいと思い、一度読み出すが50pくらい読んだところで 一旦挫折…半年程積読状態。他の本を読んでいた際、人生はあっという間、気づけば終わる!ということをまた認識して、それならば今しかないと再度、スタート。あぁ、登場人物の名前が長い…その上、あだ名?的に一人の呼び名に、色々ある。例えば長男ドミートリイ(ミーチャ)、三男アレクセイ(アリョーシャ)など。また、作者ドストエフスキーのこれでもかというほど、まわりくどい言い回し。くどい。簡潔に言って!笑 加えて当時社会変革最中のロシアの背景。キリスト教絶対主義から、科学に取って代わる中、人々の社会や思想の変化。作者の哲学。いや、キツイ。やっぱり挫折しそう。そんな中朗報。大好きな作家金原ひとみ氏が上巻6ヶ月、中、下3日。おぉ、ということは上巻を乗り越えたあかつきには凄い面白くなるということだ。それならと読む。…いや、やっぱりゾシマ長老登場あたりの修道院系の話でやめたくなる。これは一人では無理だ!と、読書系のチャットでアドバイスを求める。と、ある方がコメントをくれた。その方曰く、この偉大なる文学を読む行為は娯楽的な読み方よりもある意味登山に似ている。頂上(読破)を目指すには途中、様々な苦労、困難が待ち受けるが、その頂きは制覇した者にしか味わえない達成感、そう絶景が待ち受けていると。私は頂上を必ず目指しますと宣言した。ほとんど内容の感想になっていない。笑 この作品の主題は父殺しと言われている方が多いが私は神の是非だと思う。作品の肝と言われる大審問官という話があるが、私がもっとも感銘を受けたのはその少し前、我らがイワンカラマーゾフが弟アレクセイに語った話。ここっ!これは完全に引き込まれた。その後は前半感じていたくどさが、だんだん心地よくなり、なんだこの感覚?上巻読了。さぁ、ひとみ姐さん言ってた通り、ここからは一気に駆け抜ける…筈だった。

    12
    投稿日: 2025.02.21
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    今のところキツイ!かなりムズイ!笑 文学的過ぎる表現に負けずに食らいついてどうにか読破したいものだけれど、アリョーシャ以外の登場人物たちが好きになれないです…。 あと、カラマーゾフ一家がまじで身勝手でよう喋る!うだうだと! こちらの力量が試される作品。負けたくない。

    0
    投稿日: 2025.01.29
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    アリョーシャがマジ天使。 苦悩の秀才イワンもカッコ良き。 イワアリョ尊い...。BL小説として読む事も出来る。流石、ドスト大先生。全てのニーズに応えた小説と言える。

    1
    投稿日: 2024.12.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    アリョーシャが好き!!上中下でしかもそれぞれページ数も多く読み始めはちゃんと読み切れるのか不安だったけど以外と飽きずに読み続けられる。下巻も最後の方にもなるとすっかりこの世界感もお馴染みになり、もうアリョーシャに会えないのかと思うと急にさみしくて読み終えたい気持ちと読み終わりたくないがせめぎ合う。スネリギョフも好き。スネリギョフが出てくる話はだいたい哀愁が漂って泣ける。 出てくる人物みな個性強くてキャラ立っているんだけど、みんな情緒不安定でヒステリック笑 気持ちがコロコロ変わるので次の瞬間にはどんな行動に出るか予想がつかない。アリョーシャは唯一まともかと思いきや女の子に告白されるとなぜか使命を感じて急に結婚申し込んで相手にドン引きされたり、信仰心強すぎて地面にキスしながら泣いたりとやっぱり予測できない情緒…。素直で純粋な性格だけに、シンプルに実は一番やばい人なんじゃないかとも思えてくる。実際未完のこの作品の続きは父親殺しの真犯人は実はアリョーシャで、その後テロリストになるって説も多くあるみたい。 やかましく永遠にしゃべってる登場人物たちの話を聞いてあげるのは確かに気合いがいるけど読んだ後は人間の多面性が強く印象に残り、善悪で人を決めつけない見方を鍛えられる作品だと思う。読んで良かった。 世界の多くの人はキリスト教という作り話(信仰していない者からしたら)をなぜそんなに大切に信仰しているのかとずっと疑問だったが、そういう根本的な様々な疑問に関してもドストエフスキーの答えと哲学が記されている。 次は悪霊、白痴なども挑戦したい。

    1
    投稿日: 2024.12.07
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    最後の盛り上がりがすごい。 キリスト教の知識があるとすごい楽しめると思う! 私は少ししかないけど、結構楽しめました。

    0
    投稿日: 2024.11.04
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    上〜下 読み切りました。 自分の力不足ゆえ頭に入って来ず。 無念。 もはや読み始めてしまったから今更引き返すわけにはいかんという意地で読み切りました。

    0
    投稿日: 2024.07.13
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    登場人物の整理 アリョーシャ 話の主人公?フョードルパーヴァロウィチカラマーゾフの三男。修道僧。 フョードル カラマーゾフ家の家長。強欲の権化。長男と財産分与を巡って争っておりさらに同じ女を取り合うという醜い構図を作っている。 ドミートリイ フョードルの長男。下二人の弟とは腹違いの兄弟。カチェリーナという女性をお金をもって妻として貰うが、その一方で愛人グルーシェニカにお金を注ぎ込み結婚しようとする。グルーシェニカはフョードルも狙っている女。 イブァン フョードルの次男。無神論で教会側と言い争う。ドミートリイの奥さんであるカチェリーナを愛している。 とりあえず読むのが大変だった。人間関係を整理するのが難しいし、無神論についてイヴァンが語るところはただ文字を追ってる状態だった。 ただこのあとカラマーゾフ家の泥沼関係がどうなっていくのか気になる。

    0
    投稿日: 2024.05.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    やっと読み始めることができたのも束の間、なかなか読み進められない日々が続いたが、段々登場人物一人ひとりが魅力的に思え、読み進められた。 特に印象的だったのは、誇りや卑劣かどうかを重視していること。これは中巻・下巻にも繋がる一つのポイントなのだと思う。誠実でありたいという登場人物たちの思いがこういった言葉に表れているのではないかと思う。 また、名高い大審問官のパートを読み、人間だもの、綺麗事だけでは生きていけず、パンや目の前の現実を直視・重視せざるを得ないことについて、私も否定できないなあと思った。ただ、この大審問官のパートは理解し切れていないように思う。あの長い話によって著者が伝えたかったことを掴み切れなかったと感じる。ただ、まだまだ序盤。今回の挑戦ではこのパートには理解が及ばなかったが、再読時の宿題とすることにしてとにかく読み進めてみる。少し時間を置いて再読した時に自分がどう感じるか楽しみである。

    0
    投稿日: 2024.03.09
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    今まで、この新潮社文庫、光文社文庫、岩波文庫で読んできたが、今回はじめていい調子で読み進めて「大審問官」を突破できた。さすがに四回目だからか、人物もまぁまぁ頭に入っているし、このまま行けそう。しかし、よくこんなキャラクターを生み出し、描写できるなぁ、というのは感嘆。

    0
    投稿日: 2024.01.07
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    新年一作目。いつか読みたいと思っていた本を手に取る。いろんな分野から賛否両論を得ている本作だが、今のところまだその面白さの真髄に辿り着いていない自分が恥ずかしい。のか、単に周りが騒ぎすぎなのか。とりあえずページ数が多くて目が疲れる。

    0
    投稿日: 2024.01.03
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    難解だねぇ…登場人物を把握しつつ読み進める。カラマーゾフ家で父親フョードル、フョードルと同じく乱暴者のドミートリイ、冷徹なイワン、修道者で純粋なアリョーシャ、フョードルの私生児とされるスメルジャコフ…女性問題もあり、家族の関係はぎくしゃくしている。アリョーシャがなんとかするのだろうか…中巻へ。

    0
    投稿日: 2023.12.18
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    今のところイワンいいやつというか筋が通っているというか理解できるというか愛すべき兄なんだけどもこの先どういうことになるのか。 しかし、自分本位だったり、自ら破滅せずにはいられないっていう人を表すことをドストエフスキーは欲したのか、そういう人が実際いた、もしくは自身がそうだったのか、、、 この時代のロシアのキリスト教を取り巻く風潮がどうだったのかを知りたい

    0
    投稿日: 2023.08.13
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    分からない所をネットの解説を見たがら読んでたから、読み終わるのに15時間かかった。光文社古典新訳文庫版にしとけば良かったと後悔。 色んな人が絶賛してる大審問官編は、自分の知識不足ではあるんだろうけど、拍子抜けだった。自由を与えられた人間が逆に困っちゃう的な話は結構ありがち。 キリスト教を深く知ってればもっと感動するのかな。 まあキリストよりも悪魔の思想を論理的に支持するってのは厨二っぽくてワクワクした。 中編後編から面白くなるらしいから、期待です。 フョードル、イライラするし頭おかしいけど、なんか憎めない。この後殺されるらしいから残念(´・ω・`)

    0
    投稿日: 2023.06.29
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    その名著の名こそ有名だが、なかなか実際に読んだという人には出会ったことがないドストエフスキー最後の長編小説。とあるハルキストが「読んだし持ってる」ということで拝借した。 タイトルにもなってる「カラマーゾフの兄弟」たちよりはじめに、父親にあたるドスケベアル中親父(失敬。)が登場するんだけどその男の名前が著者フョードル・ドストエフスキーと同じフョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフなのがまずめっちゃおもろい。 上巻にはほとんど登場人物をセッティングするための説明書きだったり人柄がわかるエピソードだったりでページが費やされるんだけど、まず長男のドミトリーのサイコパスさがええ、、ってなって(しかも父親と同じ女性を好きになる)、次男イワンのインテリサイコパスさにもうわぁ、、てなるし、唯一救いがある見習い修道士のアリョーシャがいちいち父親や兄に真面目に純粋に向き合ってて健気というかちょっと痛々しい。 母親も育ちも何もかも違う一旦バラバラになった兄弟が集まってドタバタしてるんだけど、兄弟全員言ってることは別々なのに自分の主張のルーツを「だって俺たち兄弟はカラマーゾフだから」で根拠づけてる一体感が謎。血の運命ってそんなに抗えないもんなのかな。 上巻最後第5章の中の「大審問官」っていうイワンが詩の体をとってキリスト教に関する思想をすごい剣幕で独白するシーンかなり圧巻だったけど、聖書のバックグラウンドわからないから凄いことはわかるけど腑に落ちない箇所がちょっとあったから最後まで読んだらもう一回戻る。 台詞重いししんどいエピソード多くて時間かかったけど面白かった! #カラマーゾフの兄弟 #ドストエフスキー #ロシア文学 #読書記録

    3
    投稿日: 2023.03.24
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    人生でもっとも影響を受けただろう小説。再読は10年振りくらい。読む前は分量と文字の多さに読みきれるか不安になるが読み始めると面白くてどんどん進む。歳とったせいか若者たちよりフョードルやグリゴーリイの言動にひかれたのは自分でも意外。ドストエフスキーが描く恋愛って愛憎が表裏一体なところがある、とカテリーナの造形に思う。それにしても皆よく喋る。大審問官は何度読んでもよくわからない。

    1
    投稿日: 2023.01.28
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    なんなんだろう、この人々の、この臆面もないいやらしさは? ここまで明け透けに言葉をぶつけ合う? そしてそれらが本音だとは到底思えないのです。

    0
    投稿日: 2023.01.24
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    2022.7.25 46 昔断念したが、今年こそは読もうと思ってる。こんな話か。これは中村文則とかハマるのわかるわ。会話が多い。

    0
    投稿日: 2022.07.28
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    量はもちろん、質としても読み応えがあります。 宗教やロシア、ヨーロッパ文化などの知識を入れて再読すれば、内容の理解度も変わってくると思います。 疲れたので(笑)、ひとまず別の本読んでから、中巻に進みます。

    0
    投稿日: 2022.04.30
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    とりあえず、ここまでなんとか読めた自分を褒めようと思う。わからない箇所がたくさんあったので、オリラジあっちゃんのYouTubeで答え合わせしながら読んだ。状況はおえるけど、何を言っているのかちんぷんかんぷんところがあった。スメルジャコフがギター弾けるのは親近感がもてる。

    1
    投稿日: 2022.04.14
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    性格の異なるカラマーゾフの兄弟達を中心に展開する物語はミステリーの要素だけでなく、宗教的、哲学的な要素や愛憎劇を多分に含んだ内容となっており、様々な角度から作品を楽しめる。

    0
    投稿日: 2022.03.11
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    「罪と罰」「地下室の手記」に続くドストエフスキー三作目。チェーホフも間に挟んだりして、だいぶロシア人への免疫もつけた上で臨んだ。時代と場所は違えど物語のスケール感や台詞回しの大仰さという意味ではバルザックを挟んだこともプラスに働いた。 膨大な人数の登場人物をここまでのピッチと情報量で描き出し、数ページにも及ぶセリフを交えながら生き生きと動かす。読書量がまだまだ足りない自分にもわかる。こんな小説はドストエフスキーにしか書けない。 内容に立ち入ってレビューするには重厚すぎる本作だが上巻に関してはやはり大審問官の件が最重要かと。 宗教の効用は人間が信仰と引き換えに不死を手に入れるといったある種の取引関係にあるのではなく、人間が自らの頭で考えなくてもいいように神の名の下にソリッドな価値基準が設定されることにある、と大審問官は考えているのではなかろうか。その意味では神の存在そのものは問題ではなく、人間が祈りを捧げる対象が必要なのだろう。であるからこそ、大審問官は迷える庶民のために率先して異端審問を行い、庶民たちを導いていく。そこにはごく一般的に考えても道義に反したこともあるかも知れないがそれもまた必要悪であると。ラジカルな考え方ではあるがそれもまた一つの正義。キリストといえども大審問官を批判できないのではないか。 中巻に期待!

    6
    投稿日: 2022.02.19
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    教養が足りないからか、本作品が文学の最高傑作といわれる所以をいまいち理解できなかった、、。途中から引き込まれてテンポ良く読めたけど、読了後は結局「…難しい」という感想しか持てなかった(自分にがっかり笑)。 ロシア正教や反権威主義、教会分裂等々前提知識を少しばかりつけてからまた読み直したいと思う。

    0
    投稿日: 2022.02.10
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    この訳で読んだから気付いたのか、3回以上読んだはずなので気付いたのかわからないけど、今回読み通して初めて、アリョーシャはそれほど気楽で浮世離れした青年ではなく、周りの人間に振り回され気味の苦労性な青年だとわかるようになった。

    0
    投稿日: 2022.01.26
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    國學院大學「大学生にこそ読んで欲しい」おすすめ本アンケートより。 ※國學院大學図書館(岩波文庫版を所蔵)  https://opac.kokugakuin.ac.jp/webopac/BB00585800  

    0
    投稿日: 2022.01.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ようやく上巻を読み終えた。 これほど読むのに骨が折れる小説は久しぶりだ。でも、すごく引き込まれるし、面白い。登場人物がそれぞれ個性的。会話する組合せで、それぞれがどんな話ぶりなるのだろうか、と考えると楽しい。 物語上は、まだ二日しか経っていない。 大審問官の章は、とりわけ難解。でも、本書の肝でもありそうなので、もう1回読んでみることにする。

    0
    投稿日: 2021.12.10
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    愛憎劇でもあり、唯神論or無神論でもあり サスペンス要素もあり... 色んなカラーの濁流に飲まれる感じです。 ぽやんと日々を過ごしている私のような日本人には イメージわかねぇえええええ!!! と絶叫したくなる場面も多々。 でもこれは私の教養の無さが故です。 育児の合間もあって読むのに5ヶ月かかりました。 これでも本当に頑張った...笑 農奴制の解放ってなに? 当時のロシアのキリスト教の立ち位置は? そもそも社会主義ってなんだ? ってところはザックリ予習してから読むべきだったな... 全てのキャラクターが色濃く 地獄のような相関図の中で 三男だけが物語の中心になって光を差し込んでくれる。 しかし、敬虔なキリスト教徒である三男の光だけで世の中は照らせず... 物語は救われない展開になり、誰も幸せにならない。 そう!まさに遠藤周作の「沈黙」のような後味。 愛憎の混沌、唯神論or無神論 どちらの側面もそれはそれは丁寧に描くことで 人間社会を立ち上がらせ そこに神はいるのか?いや、いない? いや、いる?いや、いない!いや、いる? を繰り返していく両面鏡のような構造。

    0
    投稿日: 2021.11.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    1879年 新潮文庫 訳 原卓也 NOTE記録 https://note.com/nabechoo/n/n342af2fc455e?magazine_key=m95e2f346041d 【上巻】約660ページ〈第一部〉 カラマーゾフ家の歴史、父フョードル、長男ドミートリィ・次男イワン・三男アリョーシャ、ゾシマ長老、修道院での会合、父フョードルの家、リザヴェータ・スメルジャーシチャヤの話、アリョーシャがドミートリイの家へ、ドミートリイの告白、次に父の家へ、スメルジャコフ、ドミートリイ乱入、次にカテリーナの家へ、グルーシェニカもいる、修道院に向かう途中でドミートリイ、修道院から僧庵へ、隣の部屋へ、リーズのラヴレター、皆を思い十字を切り眠るアリョーシャ。 〈第二部〉 長老の話、フェラポント神父、アリョーシャ父の元へ、ホフラコワ夫人の家へ行く途中で中学生の諍いに、ホフラコワ家へ、カテリーナとイワンがいる、カテリーナの頼みでスネギリョフの家へ、さっきの中学生イリューシャいる、外で話、お金受け取らず、カテリーナへ報告しにホフラコワ家へ、カテリーナ寝込んでる、リーズとラブラブ、スメルジャコフとマリヤ、飲み屋でイワンと会話、イワンの告白、叙事詩「大審問官」、イワンと別れる。

    0
    投稿日: 2021.10.28
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    大まかなストーリーは、さほど複雑ではないが、心理描写が重厚で、読みごたえ十分。段々クセになってきた。

    0
    投稿日: 2021.10.07
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    途中で断念。まず登場人物が多いのだが、名前と、あだ名と略称と、、、といった具合に個人を指す名称がやたらに多い。さっき覚えた登場人物Aが、また別名で出てくるので、頭の悪い私は一苦労。手帳に名前、あだ名等メモしながら苦労して読んだ。少し読むのに時間が空くと案の定忘れてしまい、そのまま断念してしまった。

    0
    投稿日: 2021.10.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    家族、愛、サスペンス、信仰、がつまった話だと思った。洋書は信仰が絡む話が多い。信仰の解釈の仕方は本当に難しいし、正解、答えのない問題だと思う。だから自分の解釈を他人に押し付けることは違うと思うし、自分の信じていることは他人に関係なく突き進んでいっていいと思う。 でも、それが他人を傷つけてしまうことだとしたら別だと思う。善行も不死もない。だからといって人を殺めていいことにはならない。 神はいない、復活はしない、善も悪もない 不死もなければ善行もない 全ては許されている  これをイワンが言ってしまったから、執事が父親を殺してしまう。 神様がいるとしたらどうしてこのような世の中なんでしょうか 執事(母親違いの兄弟)が父親フョードルを殺してしまうが、次男イワンが捕まりそうになる。 長男の婚約者カタリーナがイワンを助けるために長男ドミトリーが殺したと証言し、長男が冤罪で捕まってしまう話

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    投稿日: 2021.09.23
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    イリューシャのとこ悲しい 「侮辱されつづけの人間にとってみんなが恩着せがましい目で自分を見るようになるってのはおそらしくつらいものなんですよ」 「人生の意味より、人生そのものを愛せ。論理より先に愛することです。」 「奇蹟と、神秘と、権威」

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    投稿日: 2021.09.16
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    噂に違わぬ大傑作。 ただ、、、、読むのにこれほど体力消耗した読書経験はない。もはや途中からモンブランかエベレスト登頂を目指すような感覚だった。 原因はドストエフスキーの文体!! ロシアどころか、人類そのもの、 人間社会と歴史総てを描こうと言うマクロ的な作品であるにも関わらず、 着ている服のボタンの模様あたりから(これは例えです)ミクロ的顕微鏡を使って語り始めるもんだから、文章が長い長い長いながい!!!1人のセリフで軽く10ページ位喋ってる^_^ これは一体何の話ですか?と何度ドスト兄さんに問いただしたことか。 ロシアの広大な大地と、民族の血筋と、長い長いキリスト教信仰の歴史が、トルストイやドストエフスキーに共通する長〜い文体を創り出したんだろうな。 読んだ後は、毎日グッスリ眠りに落ちるほど、 脳味噌を酷使しました。 ドストエフスキーはこう言っている。 世界は汚く、堕落しきっていて、 もはや神も救いもへったくれもない状態だよねと。 だって民衆を救うべきキリスト者自身がもはや権力にひれ伏し完璧に嘘と欺瞞で堕落してるよねと。 神がいないとすれば、もう何しても良くないか?って言う無神論的ニヒリズムや、恋と性欲によって情熱だけに生きてやる!って言う刹那的京楽主義に対して、もう信仰なんて抱いてる人は時代おくれで、無能力集団で田舎の僧院で引きこもってるお花畑の人々でしかないよねって言う指摘なのだ。 ドストエフスキーが恐らく相当のクズ(すみません!)だから、クズ達の気持ちがリアル過ぎるほどリアルに描写されてて、結局人間はこんなもんだよ、僕を含めて(ドストエフスキー自身)って言ってる気がする。 しかし、そんな世界の中で、 絶対に信じられるものはないのか?美しい無償の愛は何処かにないのか?と言う強烈な渇望が生まれてくるのだ。 それを体現しているのが、 三男アリョーシャとそのメンターであるゾシマ長老。彼らこそ、まさに愛の人だった。 そしてアリョーシャは子供にだけは、 大きな希望を託している。 大人の世界はこんなだけど、君達は希望であると感じている。だからこそ、ゾシマ長老から受けた愛と正義の種をせっせせっせと子供の心に植えていく。 (たとえクソガキであっても、アリョーシャは大好きなのです!) 汚く、希望のない世界だからこそ、 アリョーシャの愛が美しく浮き彫りになり、そんなアリョーシャを子供達も信じ、大好きになっていく過程は本当に美しい。 この世界に存在するあらゆる困難な闘争。 善と悪、愛と憎しみ、信仰と堕落、宗教と俗世、 神と悪魔、唯神と唯物。 ただ、これらの闘争を貫いて勝利に向かう最終的な力は結局、愛そのものなんだよなぁと、ドストエフスキーは語っていたような気がする。 また、あらゆる要素を含んでいる作品だからこそ、どんな年代の人がいつ読んでも、それぞれの視点からの鑑賞が可能。重層的で密度が半端ではない。 再読する度に新しい発見がありそう。 とにかく、登山と同じで一歩一歩進んでいくと、 意味を感じなかった一言一言が組み合わさって、 やがて壮大なタペストリーとして眼前に現れてきます!人生で一度は読破したい作品であることは間違いなし!

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    投稿日: 2021.09.06
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    大分前に購入して少しずつ半分まで読んで途中やめにして本棚にしまっていたもの。『上巻に4ヶ月、一気に3日で中下巻』という帯文を目にしたので、また最初から読んでみた。やはり途中が大変だったがそこを越えるととても面白く読めた。中下巻は土日で一気に読んでしまった。

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    投稿日: 2021.05.31
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    10日間のフランス行における旅の友として携行するも、上巻の半分も読めず。 これまで幾度挫折したかしれぬ。『星を継ぐもの』前半部に匹敵する難度である。 先日、ドストエフスキー読本といったような標題の書物に助けを請うたところ、あろうことか物語の今後のストーリー全てが開陳されており、もちろん本書が伏線を究明するだけが魅力の全てではないのは頭で分かっていながらも、読む気を大きく喪失してしまったのは事実である。その恢復を気長に待ちながら、上巻の装丁だけ激しく劣化した本シリーズ三巻が棚に収まっているのを胸を痛め、見やる日々。

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    投稿日: 2021.05.20
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    評判どおり、骨の折れる本である。内容は思ったより難しくはないが、なぜか疲れる。それは場面があまり展開せず、ひとつの会話だけで数ページにも渡ることが多い、この本の特徴からだろうか。次の巻にも、チャレンジしてみたい。

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    投稿日: 2021.04.24
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    2018年に読み始めて、何度も挫折してやっと読み終わった! 今回も何度も挫折しそうになりました、、 おそらく、登場人物の紹介や文化的背景を紹介するような位置付けなのかなあ、とも思いましたが、教養にある人にとっては面白いのかも、、 教養人であるイワン、敬虔な修行僧であるアリョーシャでさえ、父フョードルの血には抗えない的な片鱗は感じた気がします。 上巻は読むのに苦労するけど、中下巻は一晩で読んでしまうぐらい面白いというのが通説のようなので、これからが楽しみ!

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    投稿日: 2021.02.28
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    読み始めて約2カ月かかって上巻を読み終わりました。圧倒的な文圧で、毎日少しづつしか読み進められなせんでしたが、カラマーゾフ的俗物感と、神の存在に関する論争が読み応え抜群ですね。どんな展開集結されるのか、また2カ月かかりながら中巻に挑みたいと思います。

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    投稿日: 2021.02.14
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    物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹で知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学の屈指の名作。

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    投稿日: 2021.01.27
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    ようやくドストエフスキー3作目に取り掛かれた! 過去に読んだ「罪と罰」「地下室の手記」と比べ、物語の展開が随時あるため、非常に読みやすくて驚いた 注)多少のネタバレ有り もうのっけから、おとん(フョードル)が最高に笑わせてくれる! これぞ「カラマーゾフ的」な低俗の力らしい どんな風に描かれているかというと… 狂暴な、荒削りの力 自分たちを滅ぼしにかかり、道連れに他の人たちも滅ぼしてしまう 放蕩に身を沈めて、堕落の中で魂を圧殺する 女好き、強欲、神がかり行者などなど こう書くと恐ろしい一家に感じるだろう しかしながらそんな彼らの人間の良さも必ずドストエフスキーは拾ってくれるし、実際素直で可愛らしい面もしっかりあるので、しっかり呆れながらも、皆憎めない そして相変わらずの喜劇感満載 さてそのカラマーゾフ一家 コニャック大好き、いい年こいて女が大好き、お金はもっと大好きおとんであるフョードル 自分の子供の面倒はみない、たまに存在すら忘れる そしてちんけな道化っぷりが最高に見事 かなりのクソ野郎だ(面白いんだなぁ、この人) そのフョードルと長男ドミートリイは、同じ妖婦(老いぼれ商人の妾、グルーシェニカ)の取り合いと醜い財産問題により、二人の仲は泥沼化 この乱れきった家族の会合をとりおこなうため、三男アリョーシャのいる修道院へ皆が集まるのだが… カラマーゾフの面々、長老や何人かの修道僧たち、親戚らが集まる中、フョードルの道化っぷりとドミートリイの激昂が炸裂 早速喜劇の舞台へと展開する さて長男ドミートリイ ドミートリイにはもったいない立派なフィアンセがいながら人様の妾のグルーシェニカに夢中 絞め殺しても飽き足りん悪女グルーシェニカ わかっていてもその下僕に成り下がりたい 卑しい堕落した情欲に身を焦がして破滅と闇の落ちるところまで落ちるんだ! …はぁおバカさん過ぎる だけどグルーシェニカとうまく行ったら、ロシアの端っこでひっそり暮らし、自分は更生するのだ! なーんて環境さえ変われば、まともになれると思っている愚か者 なにかと計算も甘いし、すぐキレる 頭に血が登ると、手が付けられない だからこそ純真で素直っちゃあ、まぁそうなんだけど 次男イワン 先ほど登場した気位の高い品行方正で知識と教養も供えたドミートリイの婚約者(カテリーナ・イワーノヴナ)が好きなイワン 一人で自分の知性を武器にあれこれ考える 難しい人なんだよね なにを考えているのかわかりにくいのだが… プライドが高く無神論者 そしてドミートリイの婚約者でありイワンの好きなカテリーナ ドミートリイ曰く 彼女が愛しているのは自分の善行で、俺じゃない アリョーシャ曰く あなたはドミートリイを病的な興奮と偽りで愛している イワン曰く あなたは侮辱がつもればつもるほど兄を愛していき、自分の貞節という献身的行為に酔っている …というように悲劇のヒロインぽいカテリーナである そしてこの物語の主人公であるみんなが大好きな三男アリョーシャ カラマーゾフとは思えないとても思いやりのある心優しい青年だ あちこちでの諍いをアリョーシャが間に入って、火消しにかかる だからあちこちの人にすぐ呼びつけられて大忙しで大変なのだ やれやれ そしておとんであるフョードルも三男のアリョーシャだけは好いている 「お前だけがこの俺を非難しなかった、この世でたった一人の人間だ 修道僧になるなら、自分のために祈ってもらいたい」 と、いつも憎たらしいことばかり言っているが時々こんな弱音も出る なんのかんのどこかで救いを求めている そして個人的に上巻で重要な場面と思われる2ヵ所をピックアップ ドストエフスキー節が炸裂しておりかなり好きな場面が以下 長男ドミートリイがある貧しい二等大尉(スネギリョフ)に大衆の面前で、腹を立て引き回すなどの暴行を加えた その場には彼の小さな息子も居合せ、大声で泣き叫びながら赦しを乞う 酷いことするもんだ この家に哀れみを持ったドミートリイの婚約者カテリーナがお見舞金を渡して欲しいと三男アリョーシャに依頼する 元々は二等大佐だが、今は落ちぶれた貧乏暮らしだ 生活は苦しく、狂女の妻や全身リウマチの娘がいるが、彼女らの病を治すお金もない 復讐のためアリョーシャの指に激しく噛み付いた無口でプライドの高い小さな息子 スネギリョフ自身の醜態により学校で子供達にいじめられる小さな息子 強くなってドミートリイに仕返しするんだ!悔し涙を見せる息子 そんな息子のため、どこか遠くへ家族で引っ越し、新たな生活を妄想させ慰め、宥める そんな彼に、かなりの見舞金がぶら下がるのだ 喉から手が出るほど欲しい見舞金に対し、手に入った将来を思い夢見心地になりつつも、半狂乱になりアリョーシャに食ってかかる二等大佐スネギリョフ 一家の恥と引き替えのお金をもらえるか!と 涙でうちふるえる スネギリョフは自滅行為をしたが、アリョーシャには誇りに満ちて意気揚々と見えた 自分の前でこのお金に対して喜んでしまったことに恥じるスネギリョフは真正直で善良、かつ羞恥心の強い性格 お金を受けとっていたら、自分の屈辱に泣いただろう アリョーシャはお金がなくても誇り高い二等大佐スネギリョフをみて、われわれは対等なのだと感じる この場面のスネギリョフの心の動きをドストエフスキーは見事に描写しており素晴らしい 彼の一挙一動、心の震えが手にとるようにわかる ドストエフスキーらしさも満載で大好きなシーンだ(スネギリョフは「罪と罰」のマルメラードフ的存在か⁉︎) そしてもう一場面はキリスト教(神と人間)の 最高に長くてわかりづらい「大審問官」の内容が重要だろう 一通り読んでみたものの非常にわかりづらい上、忍耐が必要だ(とにかく長い長い…) 改めて再読しなんとか… ここは無神論者であるイワンと見習い修道僧アリョーシャの兄弟の議論 さらに長~いイワンの叙事詩 イワンを通しての信仰心と現実の葛藤みたいな内容及び「神と人間」の根本問題ではないかと… 結局イワンは無神論者と言いながらも、救いを求めているような矛盾に苦しんでいると感じる まず二人の議論の焦点は、 イワンは子供に何の罪もないのに酷い目に遭うのは間違っている アリョーシャはキリストの犠牲によってすべてが赦されるとする そして「大審問官」 セビージャにキリストが降り立つ セビージャの異端審問の大審問官がキリストを牢に閉じ込め、文句をぶちまける キリストが悪魔の3つの誘惑をはねのけた原点となる内容 ■「石をパンに変える」…石をパンに変えてみせよ  ・大審問官の考え→自由や神の言葉よりもお腹を満たすパンが大事なのだ  ・キリストの考え→人はパンのみで生きているわけではなく、神の言葉で生きている ■「高いところから飛び降りてみる」…神の子ならこの場所から飛び降りてみよ 御使に受け止められるだろう  ・大審問官の考え→人が心底求めている奇跡こそが大事なのだ  ・キリストの考え→神を試すものではない ■「地上に楽園を作る」…もしひれ伏し私を拝むならこの全ての国をやろう  ・大審問官の考え→自由よりも権力に従う方が幸せなのだ  ・キリストの考え→主である神にただただ仕えよ 大審問官の考えがイワンの考えであろう そして奇蹟と神秘と教権の3つを表し、キリストはこれらを否定している(つまりイワンは肯定していることになる) ここでの社会主義の定義 社会主義とは、労働問題や第四階級の問題ではなく、主として無神論の問題でもあり、無神論の現代的具体化の問題、つまり、地上から天に達するためではなく、天を地上に引き下ろすために、まさしく神なしに建てられるバベルの塔の問題でもある イワンは社会主義思想なのか⁉︎ 自由なんかより自由を放棄して服従する方が自由になれる パンそのものより、支配下でパンをもらう方が喜ぶだろう 解釈が間違っているかもしれないし、また何年か後に読むとわかる部分が増えるかも… これが限界でした…(汗) だいぶドストエフスキーに慣れてきたが、こうなってくると「罪と罰」を再読する必要があると感じている ぜんぜんキリスト教部分を理解せず読み終えてしまったから… しかしながらドストエフスキーはやはり人間ドラマの部分のが圧倒的に面白い 誰も彼もが矛盾と葛藤の中翻弄され、最高に人間臭く生きている これが自分にとってのドストエフスキーの醍醐味なのだ ふふふ 中巻へ…

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    投稿日: 2021.01.19
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    自分はカラマーゾフの兄弟を読むのが2回目である。 最初は少し話題に上がった、光文社版である。 読みやすい新訳と評判だったのである。 非常に楽しめたはずなのだが、よく分からない部分も多々あった。 そこで、ネット上でこちらの新潮版の方が良いという評判が多々あったので、読む事にした。 上巻を読んだ限り確かに読み易いし、よくわからない部分もほとんど無かった。 大審問官も凄く読みやすかった。 これは中巻、下巻が非常に楽しみである。 素晴らしい翻訳と感じている

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    投稿日: 2020.10.23
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    上巻の読みどころは、次兄イワンと末弟アリョーシャとの宗教論議。本筋から逸脱して延々と繰り広げられる。なかでも、イワンが荒野の誘惑についていちいちイチャモンをつけていく「大審問官」の章が有名だが、私はそのひとつ前の箇所が好きだ。虐待に苦しむ子どもたちの存在の前では、宗教による救いなど無意味なのではないか。イワンが突きつけたこの問いに対して、納得がいく答えを見いだせないまま、長年ずっと考え続けている。

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    投稿日: 2020.10.10
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    【大雑把な粗筋】 田舎地主のフョードル・カラマーゾフお父ちゃんには三人、もしかしたら四人の息子がいるんだ。 長男のミーチャお兄ちゃん(本名はドミートリイ)は享楽的な性質で、美人のカテリーナさんと婚約しているのに、ちょっと困ったグルーシェ二カちゃん(本名アグラフェーナ)に夢中になっちゃってる。困ったことにフョードルお父ちゃんもこのグルーシェニカちゃんが好きなんだ。だからこの親子はお金と女の人とのことで喧嘩してる。 次男のイワンお兄ちゃんは頭が良くて冷静なんだけど、なんだか考えすぎてややこしくなっている。そのうえイワンお兄ちゃんは、ミーチャお兄ちゃんの婚約者のカテリーナさんのことが好きみたい。 このお話の主人公は三男のアリョーシャくん(本名はアレクセイ)で、僧侶見習いで愛されっ子。 でもカラマーゾフ家の召使のスメルジャコフくんも実はフュードルお父ちゃんの息子なんじゃないかって言われてる。スメルジャコフくんは自分もカラマーゾフかもしれないのに、自分だけ召使いだからひねくれちゃっている。 フョードルお父ちゃんとミーチャお兄ちゃんの喧嘩を止めようとするアリョーシャくんは、イワンお兄ちゃんの考えた神様の存在についてのお話を聞かされるんだ。イワンお兄ちゃんは「罪のない子どもたちが実際に苦しんでいるのに、その後で苦しめた人に罰が下ってどうなるの?神の調和の世界ってなんなんだよ。神がなければ善行も悪行もないよね。だいたいイエス・キリスト本人が現世に降り立ったって、その考えが現世では異端だろ」なんて言うんだ。 アリョーシャくんはびっくりして「イワンお兄ちゃん、その考えはお兄ちゃんを苦しめるよ。お兄ちゃんはそんな考えを抱えてこの先どうやって生きていくの?」って聞いた。するとイワンお兄ちゃんは「カラマーゾフ的に生きるのさ」って答えた。だからアリョーシャくんは「この世の調和と秩序に根拠はあるよ」と言ってイワンお兄ちゃんに口づけをしたんだ。 結局このカラマーゾフの兄弟たちは、お互い似ていないようで、根本はフョードルお父ちゃんの性質を受け継いでいるんだね。 【ロシア人名を覚えるための自己流三原則】 ①個人名(洗礼名)+父称+名字  父フョードルの息子たちの父称は「フョードロウィチ」(フョードルの息子、という意味。※もし娘がいたら「フョードロエヴナ」になりますね) ②愛称や名前の縮小がある。  アレクセイ⇒アリョーシャ、リョーシェンカ、など。 ③名前も名字も、男性名と女性名がある。  男性名だとアレクサンダー、女性名だとアレクサンドラになる。  男性姓だとカレーニン、女性姓だとカレーニナになる。 【愛称や呼び方】 一人の人間に対していろいろな呼びかけが出てきますが、お互いの立場や親しさにより変わります。 ●愛称での立場や親しさ:  アレクセイ⇒アリョーシャ(一般的な愛称)、リョーシェチカ(ミーチャお兄ちゃんが呼んでいたので、目下を可愛がる?)、アリョーシカ(卑称的な愛称らしい) ●名前+父称は畏まった呼び方:ミウーソフ氏が仲の悪いフュードルお父ちゃんのことを「ヒョードル・パーヴロヴィチ」と呼ぶのは慇懃無礼な印象を受けました。 ●名字は一般的な呼び方:カラマーゾフ 【人物紹介兼もうちょっと丁寧なお話】 ❐フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ  カラマーゾフのお父ちゃん。俗物的でお金にも女にも強欲で芝居かかり、興が高じると神がかり的な言動を見せる田舎領主。自らを卑劣な道化者として振る舞っている。でもそれは自分自身と周りへの腹いせだ。 このフョードルお父ちゃんの性質は息子たちにそれぞれ遺伝している。 ❐ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(28歳。愛称ミーチャ、ミーチュニカ)  フョードルお父ちゃんの長男。元大尉。 ミーチャお兄ちゃんのお母さんは、フョードルお父ちゃんの最初の奥さんで資産家の娘のアデライーダさん。しかしフョードルお父ちゃんに愛想を尽かし、幼いミーチャくんを残して去っていった。 ミーチャお兄ちゃんは、しばらくカラマーゾフ家の召使いグレゴーリイさんに育てられてから、母方の親戚のミウーソフ氏により遠縁の家に引き取られていった。 成長したミーチャお兄ちゃんは女好きで放蕩家。 自分が引き継ぐべきアデライーダお母さんの遺産をフョードルお父ちゃんが使い込んでいる!と言って、フョードルお父ちゃんと喧嘩をしている。フョードルお父ちゃんの方もミーチャお兄ちゃんを詐欺で訴えようと裏工作したり、その上グルーシェニカちゃんのことも取り合ってるので泥沼化。 ❐イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ(24歳。愛称ワーネチカ)  フョードルお父ちゃんの次男。 イワンお兄ちゃんとアリョーシャくんのお母さんは、フョードルお父ちゃんの二度目の奥さんのソフィアさん。でも彼女もすぐにフュードルお父ちゃんの本性に気が付いて、神経を患って病死してしまった。 ソフィアお母さんの死後、イワンお兄ちゃんとアリョーシャくんは召使いのグレゴーリイさんに育てられ、その後はソフィアお母さんの後見人、さらにその知人の家で育てられた。 成長したイワンお兄ちゃんは、知性に優れて無神論を語るんだけど、自分で自分の論を信じきれなくて、なんだかややこしい思考の迷路にはまり込んでいる様子。 学生のときに独立してモスクワに住んでいたが、今はフュードルお父ちゃんの家に戻ってきている。 ❐アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(19~20歳くらい。愛称アリョーシャ)  フョードルお父ちゃんの三男。 修道院のゾシマ長老を尊敬してそのもとで修道士見習いになっている。 子供の頃から人を批判せず、人に批判されず、しかし単純な性質ではなく物事を考えてすべてを許して、つねに落ち着いてる存在。誰もがアリョーシャくんを愛したし、アリョーシャくんもみんなのことを愛した。お騒がせお父ちゃんのヒョードルでさえもこの息子には深い愛情を持った。 作者はアリョーシャがこのお話の主人公と言っているけれど、アリョーシャくん本人が主体の話ではなく、アリョーシャくんは他の人達の間を行き来したり、話を聞いたりして、自ら行動したり考えを話したりしている感じ。 ※さて、「カラマーゾフの兄弟」上巻の時点では、離れて暮らしていた三兄弟が父のもとに集まった状態(ミーチャお兄ちゃんとアリョーシャくんは初対面だったと思われる)。三兄弟はお互いに割とうまくやってる。 しかしこの上巻においてのアリョーシャくんのお使いっぷりが実に広範囲だ(笑)。フュードルお父ちゃんにお使い頼まれ、途中でミーチャお兄ちゃんに出会ってカテリーナさんへのお使い頼まれ、そこへ行ったらまた別のお使い頼まれ、その途中でちょっとした事件に遭遇し、だから別のところに行く必要ができて、でも自分自身の急ぎの用事もあって…、という感じ。彼の着ている黒い僧服と合わせて私の頭の中でのアリョーシャくんのイメージは”働き者のアリさん”になっている。どこかで「アリョーシャの移動地図」って出ていないだろうか。この移動もなかなか可愛いいんですよ。「道なりに行ったら遠回りになっちゃうから人んちの塀を乗り越えて裏庭突っ切っちゃえ。あ、知ってる人と出くわしちゃった」みたいな 笑 ❐カテリーナ・イワーノヴナ(愛称カーチェニカ)  ミーチャお兄ちゃんの婚約者。大佐の娘で美人で気位が高い。 女好きで享楽的で放蕩家のミーチャお兄ちゃんは婚約者がいても遊びを辞めない。ミーチャお兄ちゃんもカテリーナさんのことは愛しているのだが、でもそれはお互いを幸せにして、お互いが一緒に幸せになる愛ではないという。 しかしカテリーナさんは、余計にキリスト教的・上級階級的精神で「それでも私が彼の心の支えになるわ!!」と使命感に燃えてしまっている。 最近は、イワンお兄ちゃんからも求愛されてるらしい。 ❐グルーシェニカ(正式名アグラフェーナ・アレクサンドロエヴナ)  地元有力な商人サフソーノフ老人の愛人。 フュードルお父ちゃんとミーチャお兄ちゃんが取り合っている、可愛いけどちょっと困った女の人。 ❐ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ  フョードルお父ちゃん最初の奥さんアデライーダさん(ミーチャお兄ちゃんの母)の親戚。フョードルお父ちゃんのとは互いを忌み嫌っている。ミウーソフ氏としては、フュードルお父ちゃんとは関わりたくないだけど、フュードルお父ちゃんの方はついついミウーソフ氏へに嫌がらせしたくなってしまうようだ。 ❐グリゴーリイ・ワシーリエウィチ・クトゥゾフ、妻マルファ・イグナーチエヴナ・クトゥゾワ  カラマーゾフ家の老召使い夫婦。頑固で義理堅いグレゴーリイさんは、薄給になってもフュードルお父ちゃんに使え続け、それぞれ母を亡くして父に顧みられなかった三兄弟の面倒を見た。そのうえフョードルお父ちゃんの私生児と噂されるスメルジャコフくんを自分たちの子供として育てた。 でもせっかく育ててやったスメルジャコフくんからも、ミーチャお兄ちゃんからも軽んじられてしまっていて、実に心外だ。 ❐スメルジャコフ(本名パーヴェル・フョードロウィチ・スメルジャコフ)  母はリザヴェータ・スメルジャーシチャヤちゃん(悪臭のひどい女、という呼び名)という白痴娘。あちこちうろつき外で寝ているから常に汚れていたけれど、悪気のない存在でむしろ村からは神がかりとしてマスコット的存在だった(座敷童子みたいなもの?)。 しかしある時お腹が大きくなり、カラマーゾフ家の敷地の隅で男の子を産み、そして死んだ。男の子はグリゴーリイさんと奥さんにより育てられた。 フョードルお父ちゃんがリザヴェータちゃんを押し倒したという噂があり、スメルジャコフくんはフョードルの私生児と言われている。フョードルお父ちゃんはヤッてねーよ!って言うけれど、産まれた息子が自分の家の料理人召使いとして育つことは承諾している。そのため父称「フョードロウィチ」がいつの間にか定着した。 「スメルジャコフ」という名字はフョードルお父ちゃんがつけたのだが、臭いヤツとかいう意味だよね、悪趣味だ。 ❐ゾシマ長老  ”長老”とは、ロシア正教会において、精神的指導を行う年長の修道者。 ゾシマ長老は、修道者たちだけでなく周辺の住民からも敬愛を受けている。 アリョーシャくんが敬愛してその門下に入っている。だが今は年老いて死の床についている。 カラマーゾフ親子話し合いの場所として僧院を提供する。 ❐商人サムソーノフ  グルーシェ二カちゃんを愛人にしている老人。 ❐ラキーチン  神学生。アリョーシャの友人。カラマーゾフ家に皮肉的な目線を向けている。 ❐ビョートル・フォミーチ・カルガーノフ  ミウーソフ氏が面倒を見ている学生。アリョーシャの友人。 ❐チェルノマーゾフ一家  父ニコライ・チェルノマーゾフ   母アリーナ・ペトローヴナ  娘ワルワーラ・ニコラーエヴナ、ニーノチカ・二コラーエヴナ  息子イリューシャ ニコライ・チェルマーゾフは、どこか人を苛立たせるヘチマに似た男。元二等大尉だが今は貧乏暮らしになってしまっている。小心さと厚かましさをもち、人に虐げられるのが当たり前だが突然爆発するような男。ミーチャお兄ちゃんといざこざがあった。息子のイリューシャはそのことで学校の友人たちと揉めている。 そしてその現場に行きあったアリョーシャくんは、チェルマーゾフ家と関わるようになってゆく。 ❐ホフラコワ夫人、娘のリーズ(リザベッタのフランス風愛称)  ゴシップ好きお喋り好き世話焼き上流階級のご婦人と、車椅子の娘さん。 リーズちゃんは衝動的にアリョーシャくんに求愛の手紙を書いてしまった。落ち着いてから後悔して「あの手紙は返して忘れてください」っていうんだけど、アリョーシャくんは笑顔でリーズちゃんの手を取って「ぼくはもうすぐ僧院を出なければいけないんです。そうしたら手紙に書いてあるように、ぼくたち結婚しましょう」って言った。 …なんというかわいく平和なカップル(笑)。しかし私の読者としての勘が「この二人結婚はできないだろうな」と思ってしまうのよ。 ❐わたし  「カラマーゾフの兄弟」の語り手。のちになってカラマーゾフ兄弟に起きたことを調べて書き残している。しかし”わたし”自身がその場に居合わせているようだから、作家があとから調べたとかではなく、同じ村の人とかかなりカラマーゾフに近い位置にいる人物の様相。 【イワンの『大審問官』 とりあえず自己メモ。間違ってるかも】  イワンお兄ちゃんが考えた一代叙事詩。  『神の存在を教わった大人が、それでも罪を犯すなら本人の問題。でもそのツケがなんの罪もない子供に向かっている。現実的に子供が苦しんだのに、その後で神の罰が下ってもなんの意味があるのだ?神による調和の取れた愛の世界のために子供たちの犠牲が必要なのか?おれは神を認めている。だが子供の犠牲の上になりたつ神の世界など認められない。 もしも宗教裁判が盛んだった15世紀にイエス・キリストが降り立ったとしよう。きっと大審問官はイエスを異端者として捕らえるだろう、そして言うだろう。 「あなたは愛と自由とを唱えた。だが現実の人間にとって、良心の自由を任されることは負担なのだ。 あなたは天の御国に昇り、この世のことは教皇が受け継いだのだ。人間は自由の重荷よりも、現実のパンを与えてくれる者に従いたがっている。人々は自由を放棄することにより自由になったのだ。だから我々が市民のために秩序と善悪の判断を行っている。現実に必要なのは神だけではなく悪魔も必要なのだ。 いまさらあなたは何の用で来たのだ。いまのキリスト教社会において、イエス・キリスト本人の”愛と自由”は負担で不要なのだ」  だがイエスは、自分を裁き処刑しようとするこの大審問官に口づけをして立ち去るのだろう』 この話を聞いたアリョーシャくんは「世界の調和の根拠はあるよ。すべてのことを赦せる人は存在するし(※イエス・キリストのこと)、この世界の調和はその人を土台にして築かれるんだ」といってイワンお兄ちゃんに口づけをする。すると一瞬イワンお兄ちゃんの心は燃え立った。大審問官がそうだったように、イワンお兄ちゃんも本当は神の愛を信じて、人々が本当に美しい心を持ち、迫害者と非迫害者が抱き合えるような、調和の取れた世界を求めているのだろう。 【神への考え方 とりあえず自己メモ。間違ってるかも】 ❐ミーチャお兄ちゃん:神を信じているし、イエス・キリストが人間のために払った犠牲とイエスが自分たちの主だともわかっている。そしてカテリーナさんの心の崇高さには敬意を持っている。 だからこそ結婚はできないし、自分はいつか破滅するかもしれない遊びのほうを選んでしまう。 ❐イワンお兄ちゃん:神の存在を認めているが、今の現世では不要だとか、犠牲の上で作られた神の調和の世界は不要だとか言う意味での無神論者。周りからは「でもあなたこそが神を信じたがっているのでは?」と言われている。 ❐アリョーシャくん:イワンお兄ちゃんが苦しむこの世の矛盾を先天的に受け入れていて、そのすべてを赦す存在があると知っている。そして自分も調和のとれた世界の一員であるために僧院にいる。 ❐スメルジャコフくん:神はいる、という皆さんの考えはわかってますよ。でもそれを否定するのも人間の権利ですよね?神を否定して破門されたらもう神に対しての責任はなくなるし、神は私を裁くことはできなくなりますよね? 神はいらっしゃいます。しかしこの世の不信心者や信仰のない者全員をいちいち裁いていられないんだったら、私がちょっと神を疑ったって許してくださいますよね? 【カラマーゾワ的とは とりあえず自己メモ。間違ってるかも】  地上的、現実的、即物的、狂暴で荒削り。何をやったって全て許される、いや許せよ。 だからいいじゃん!となっているのが父ちゃん兄ちゃんたち。 彼らに変な知恵をつけられちゃったのがスメルジャコフくん。 理解した上で自分の役割を果たしてバランスを取ろうとしているのがアリョーシャくん。? アリョーシャくんは、ミーチャお兄ちゃんの放蕩を聞くと「兄さんと自分は全く同じ。僕はまだ階段の下の段にいて、兄さんは上の段にいるだけで、僕たちは同類だ」って言っている。 ※追記 中巻レビューはこちら https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4102010114

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    投稿日: 2020.09.11
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    [ヨハネによる福音書の引用]よくよくあなた型に言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに身を結ぶようになる。 [始]作者の言葉 わが主人公、アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの伝記を書き起こすのにあたって、わたしはいささかとまどいを覚えている。 [終]「さ、行きましょう!今度は手をつないで行きましょうね」「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう!カラマーゾフ万歳!」もう一度コーリャが感激して絶叫し、少年たち全員が、もう一度その叫びに和した。 とにかく長かった。ただ、その分の読み応えはかなりあったし、胸を打つ箇所もあった。 この超大作の最後が一人の少年の葬式で終わるというところが好き。 登場人物の関係がそこの繋がりあったの?こいつ誰だっけって感じになって混乱したのでまたいつかリベンジしたい。 あとほとんど全員クズで思考回路がわからなかった。やっぱり西洋思想がないと駄目なのかしら。

    2
    投稿日: 2020.09.09
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    久しぶりの再読。フョードル・カラマーゾフは悪徳の権化のように思っていたが改めて読むとそうでもない。長男ドミートリイの方の暴力性の方がはるかに異常である。 彼に屈辱を受けた老二等大尉と息子イリューシャの挿話が心に響く。哀しい話なのだが、巨匠の筆に依ると直視して受け止めることができる。ここに人間の苦しみすべてが集約されていると思う。 イワンの神学論は、非ユークリッド幾何学をたとえにした神への認識の限界は深く共感する。イワンは神そのものを否定するのではなく、来るべき大調和の世界への疑問を呈している。 幼児虐待の例えは人類レベルでのヨブ記であり、ここにこの物語最大のテーマが内包されているのだと思う。これに比べて有名な“大審問官”は弱く感じる。神の世界への疑問がなぜ信仰と人間の自由の問題になるのか? 回答であるはずなのに繋がっていない。“大審問官”は後の社会主義国家の予言として有名になったのであり神学的な意義は小さいのではないか? 信仰の自由と隷属化に関する、正教会とイエズス会の教義の問題にすぎないような気がする。食卓でのスメルジャコフによる、信仰に対する疑問の提示の方が答えに近いのではないだろうか。

    0
    投稿日: 2020.07.21
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    親父(フョードル・カラマーゾフ)の放蕩ぶりに言葉を失う。 なんせ1人の女性をめぐって長男と火花を散らすぐらいだから。 とんでもない奴だな。 予想では、この親父さん殺されるんじゃないかなと思う。 聖書とか、神様とか、キリスト教とかいうのは全く分からないので、ゾシマ長老の話はちょっと胡散臭く聞こえる。 宗教的な知識や信念がないとかなり読みにくいと思うのだけれど、終盤の「大審問官」は迫力があったな。 ちなみに、「東大教師が新入生に薦める本No.1」という帯がついていた。 東大の先生が薦める小説なら間違いはないだろう。

    0
    投稿日: 2020.05.27
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    圧倒的。 読むべき読むべきといろいろなところで 紹介されているこの本だが、あまりの長さに 敬遠していた。 コロナウイルスによる自粛で、家にいる時間が 長くなったので、この機会によんでみることにした。 まだ上のみを読んだ段階だが、ストーリーの 面白さ、重厚な書きぶり、はっとさせられる 哲学に、これまでに読んできた本が軽く 思うほどであった。 まだまだ物語は続くが、あっという間に 読んでしまいそうな気もしている。

    0
    投稿日: 2020.05.15
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     地下室の手記に続いて、ドストエフスキーの作品を読んだのは2作目。短編を先に読んで、著者のクセに慣れてから長編を読むのが自分に合ってたなーと思う。昔ドストエフスキーにチャレンジしたときは挫折してしまったけど、今読んだら特別難解というわけじゃないし、むしろ要素が詰まっているから読んでいて楽しいし、さっぱりした書き方で分かりやすい方だなと思った。皮肉とジョークに慣れたら喜劇性があって面白いし。ただ、信仰、愛、罪、お金などテーマが永遠に議論の余地がありそうなものというか、やはり重みがあるなと思う。  人の心の動きや思想が非常に仔細に描かれていて、読めば納得することがほとんどだけど、これを生み出すエネルギーと才知と、それに必要な洞察力と精神力を想像したら驚嘆しかない…。サラサラと読み進めていくことしかできないのが、本当に申し訳ない気持ちになるな…。その分刺さったことを大切に心に刻むしかないんだけど…。  根拠を疑いだしたら永遠に結論を出せずに苦悩するしかない内容って多いのかもな。自分は肯定的に考えるのになにかと根拠を求めてしまうけど、たとえば自己の承認も、愛も、未来への希望も、根拠など存在しない、だから肯定へも否定にも振り切ることができないままなんだろうな。根拠を考えることは大事なことだと自分は思うけど、存在しない場合もあるって心に留めて、気づいた時点で無駄な苦悩を追い払うべきだ。  長老がイワンに言った、そこに君の悲劇があるんだ、一生君はそれを抱えるんだろう?という言葉と、イワンの言った、考えても分かり得ないどうしようもない命題は考えることをやめるべきだという言葉を読んでそう思った。  海外小説を読んでいていつも思うけど、信仰に対して幼い頃から植え付けられている知識や、信仰への思索に費やした時間が圧倒的に違うな。信仰に対する共通認識とか反論のタイプとか、まるっきり前提としてみんな持っているなと思う。無宗教で信仰に対して無頓着な自分にとっては、信仰が絡むと理解しかねる思想がやはり多いなと思う。狂信的というか、事物をあるがままにとっているんじゃなくて、結局人間が、何があっても希望を持って力強く生きていくために、救いを持つために、都合の良い解釈をするものが信仰かなという気もした。でも、信仰を持っている人は、信仰を持っているが故に幸せだと思うし、そういう生き方とか精神はある種美しいなとは思う。全面的に賛同はしかねるけど、信仰の素晴らしい点も確かに多いなとは思う。

    5
    投稿日: 2020.05.11
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    雑誌に載ってた相関図を印刷して読んだため、登場人物に関してはなんとか把握ができたが、宗教的な描写が多く、かなり難解。。。 理解度は置いておき、中巻に進みます。

    2
    投稿日: 2020.05.02
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    宗教の知識がないのでまるっと理解できたかはさておき。人間の心理をここまで描き出すのすごいと思った。書かれている心の動きは、読むと「わかる」となるんだけど、これを逃さず文章に書き起こして物語に組み込むのは並大抵の筆力ではできない。いや筆力というか…この緻密さはある種の忍耐、美学、のようなものがないとできないと思った。こまかい。ほんとにすごい。イワンが啖呵を切るシーンが好きです。最後に詩をそらんじるところまで含めてたまらない。

    0
    投稿日: 2020.04.16
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    長編小説ということもあり前半は人物・背景紹介が続いたが、400ページを過ぎてからはすごく面白かった。世界史をやっていたからこそ理解は出来たが、なかなか奥深いテーマだし、「ロシア」的なあらゆる側面が描写されていてその観点からも面白かった。とりわけ大審問官のパートは、信心vs無神の議論が繰り広げられるが、資本主義vs社会主義の議論に重ねることも出来るのでは?面白い!

    0
    投稿日: 2020.04.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人は2種類の人間に分けられる。 ”カラマーゾフの兄弟”を読んだ人間と読んでない人間とに。 ってどこかで読んだ。 世の中に読みたい本は星の数ほどあるけれど、これは一回読んでおかなくては、老後の楽しみになんて言ってる場合ではない、まだ知力?体力がある今のうちに手を出しておこうと思いたち読んでみた。(まだ上巻のみ) いやー聞きしまさる難解さ。 何ヶ月もかかって読み終えた。(並行して他の本も読んでたけど) 俗物で女にだらしない父フィードル、直上型の長男ドミトリー(弟ふたりとは母親が違う)、無神論者で知性派の次男イワン、そしてこの小説の主人公、信仰深く心優しい三男アレクセイ。 物語はまだ序盤、フィードルとドミトリーがグルーシェニカという女性を巡って憎しみあい、、アレクセイが敬愛しているゾシマ長老が死にかけていて、あの超難解なイワンの独演会、大審問官に突入。この章はけっこう今後の鍵となるイワンの思想が詰っているんばろうけど、なにがなんだか残虐な例えをいっぱい持ち出して唯心論者のアレクセイを論破しようとしてる。 でも、これは一節によるとドフとエフスキーの懐疑と憤りの集大成的は恨み節と捉えられるらしい。 中巻はもっとサクサク物語が進めばいいけど、 あっでも、確かに読者は”手加減されたわかりやすく書かれたものより、作者の本気の難解な作品を読みたい”(by又吉直樹)まさにそうかも。 こころして中巻に臨みます。

    0
    投稿日: 2020.04.02
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    イワンの作った叙事伝の中で、今俺たちが思っている自由の概念が、むしろ重荷である風に言われているところに感心させられた。

    1
    投稿日: 2020.03.07
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    2020年9月6日 再読 それぞれのキャラクターの設定が複雑なんやけど、ストーリーに乗せるとちゃんと一貫性が出てくる。読むたびに深みの出る作品。 前回は途中で挫折したが、登場人物をメモしながら読むと、意外に読み進めることができた。本名と呼び名が違ったり、結構前の章で出てきた人物が再登場するので、人物の登場ページをメモしておくと良い。 物語はまさに3兄弟とその父親を中心に進むが、上巻は殊更大きな展開はなく、出来事や会話を通じてキャラの紹介をうまくしている。 クライマクスはやはりイワンとアリョーシャとの「大審問官」議論だろう。自分が無神論者だからかイワンの考えに共鳴する。中巻へ。

    0
    投稿日: 2020.02.02
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    一冊読み終えるのに1ヶ月ちかくかかった 難しい! おそらく何も理解できていない。 人生で何回か読むことになりそうな作品のはじまり。

    0
    投稿日: 2020.01.29
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    最後の50ページくらいが圧巻。 たったそれだけ読むのに空想が止まらず、3時間もかかってしまった。 それ以前の数百ページを読むのに何回挫折したかわからんのに笑

    0
    投稿日: 2020.01.20
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    あまり内容が入っていなかった。 自分が海外文学をほとんど読んだことがないこと。 キリスト教の背景がないこと。 翻訳があまりうまくないと思った。 ただ、兄弟や家族の描き方が日本文学にはなく面白い

    0
    投稿日: 2020.01.03
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    来月の読書会の課題本。晩年のドストエフスキーによる大長編。全四部+エピローグという構成になっている。様々なバージョンが出ているが、新潮文庫版は全三巻。第一巻の本書は第二部の有名な「大審問官」の章まで。テーマは宗教的だし、登場人物は多いしで、本を読みなれてない人は面食らうと思うが、一読の価値が現代でもあると思う。

    2
    投稿日: 2019.12.26
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    苦痛。 後半テンポよく話が進んでいったかと思うと、イワンの詩が出てきたりして非常に読むのが大変。 どんな頭をもってしたらこんな作品をかけるのだろう。

    2
    投稿日: 2019.09.23
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    「筆力」なるものを見せつけられた巻。一人として叙述の適当な登場人物も無ければ、過多な登場人物も無く、ただ作中において生きているという文学の本懐を遂げたこの作品は、やはりバフチン流にその「ポリフォニー」を評するべきであろうか。

    3
    投稿日: 2019.09.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

     ドストエフスキーの作品は、登場人物の長い、思想的なセリフのせいで幸か不幸か部分的に語られることが多いと思う。しかし、それぞれが一篇の小説として物語の筋をもっているので、その場で何が起こっているのかを思い返しながら”まとまった時間で”読み進めてみてほしい。すると、物語の枠組みがあってこそ、登場人物それぞれの思想の交錯が有無を言わさぬ迫力をもって感じられると思う。例えば、物語の中盤、道楽もので暴力的な長兄ミーチャが予審を終えて疲れ切った夢の中でいうセリフ 「教えてくれよ。なぜ焼けだされた母親たちがああして立っているんだい。なぜあの人たちは貧乏なんだ。なぜ童はあんなにかわいそうなんだ。なぜこんな裸の曠野があるんだ。どうしてあの女たちは抱き合って接吻を交わさないんだ。なぜ喜びの歌を歌わないんだ。なぜ不幸な災難のために、あんなにどすぐろくなってしまったんだ。なぜ童に乳をやらないんだ?」(同中巻,p605) というひっ迫した感情は、ドストエフスキーが作る濃密な時間経過の物語を抜きにしては理解しがたいだろう。  読み終わるまで、知らなかったのだが、『カラマーゾフの兄弟』は第一部のみ完成した段階で著者が亡くなってしまったため、未完成の作品であるようだ。この文庫の解説で見ただけだが、その事実に対して小林秀雄が「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」と表現していたらしい。しかし、一つの物語としてみるならば、読者には気にかかる箇所がいくつもある。一つは、物語の20年後の第二部の内容が気にかかる。流刑の判決を受けたミーチャは亡命したのだろうか…。20年という時間の経過は彼の刑期と同時期のようだし、ただ亡命しましたというだけではなさそうだ。また、主人公、と作者から言われるアリョーシャへの叙述も少なく、これから何が起こるのか期待を持たせる。この物語が完成を見なかったことは、私にはとても残念に思えた。

    0
    投稿日: 2019.09.19
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    カラマーゾフ家の主である父とその3人の息子たちを描いた作品。強欲、女狂い、怠惰、酒乱である父と長男が、長年の金銭トラブルと女性の取り合いを発端として殺人事件が起こり、長男が親殺しとして逮捕、無実にも関わらず有罪判決を受けてしまう。 あらすじとしては上記の限りですが、その物語を通して語られるあらゆる問題提起は、多岐にわたり、神の存在、善と悪の人間の二面性、子供への教育問題など様々である。 自由を引き換えに得る完全なる安全性と生活の安定を願う社会主義を批判し、自由な思想を根底としたキリストの存在する世界を願っているように思う。 子供の虐待を題材に、彼ら子供たちの涙を土壌としたこの世界が神が作ったものというのなら、この世界なんて僕はいらないと言った次男の言葉も突き刺さる。 非常に長い作品で大変ですが、人生に一度は読むべきものな気がします。なじみのない名前の登場人物と、神に対する考え方は、私たちが例えば無意識的に信じる八百万の神に対する信仰が外国に受け入れられるには時間がかかるように、私たち日本人にとって理解をするのは難しく、一層読みにくくしている要因だと思います。 ただ、人間の本質、精神性をこんなにも深く捉える物語は決して多くないと思います。 いやしかし、疲れたー!

    2
    投稿日: 2019.05.14
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    この物語がとっつきにくいのは、おおよそ以下のような要因があるからだろう。 ・長大である。 ・登場人物が多い上に、大部分が重要人物である。 ・登場人物間の人間関係が複雑であり、その関係たらしめた背景も複雑である。 ・セリフが多く、しかも長い(特にイワン。10ページ超の場合もある)。 ・長いセリフが続くことも多く、注意して読まないと誰が喋っているのか分からなくなる。 ・宗教(特にキリスト教)と哲学が複雑に絡み合ってくるので、宗教・哲学の知識が全く無いと理解しにくい。 このように読み手にとってとても厄介な物語ではあるが、スケールは壮大である。 また、厄介であるにもかかわらず、この物語を通じてドストエフスキーが読み手に問いかけたいことは割とシンプルのような気がする。それは中巻、下巻と読み進めていく中でよりクリアになるだろう。 本書は新潮文庫版であるが、訳は特段読みにくいということはない。

    0
    投稿日: 2019.04.26
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    まだ前座だが、人間の心や行動が狂気的な側面に至るまで丁寧に描写されている。 大学生くらいで読んでおきたかった。

    0
    投稿日: 2019.03.08
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    やっと!上巻読み終わりました。ほんとに全然進まなくて、ここまで長かった…。キリスト教や世界史についての知識が欠如しているため、そのあたりは割り切って理解しないまま読み進めました(これが辛い)。人物はEverNote にメモしながら進めるも後半疲れて投げ出してしまう。 もっと若い頃に出会いたかった!こういった文学がすっと入ってくるような読書モードに切り替えていきたい。 また読み返したい。購入して良かった!

    2
    投稿日: 2019.01.13
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    ご存知とっても有名な120年くらい前のロシア産小説 基盤となるくらしの知識がぜんぜん異なるので 何が書いてあるかを 例えば無神教者である以前に宗教意識自体が希薄であるうちの1人であると自身を評価する現代日本人がキリスト教の聖書を読むのと大して変わらないくらいに 同じ人間であるであるという了解の下程度には知れた気になるが わかったそぶりになることはとてもできない わかった気になれるひとはわかっているのかもしれないけれども しかしそれをわかる気にもそもそもなれないのではあるけれど

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    投稿日: 2019.01.07
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    上中下を読み切るのに丸一月を要した。面白くないわけではないが、喉越しが良くない。演劇的な台詞に不慣れなのと、宗教に対する依存性と言うか考え方が日本人だけ違うからなんだと思う。『赦す』ってのが心で理解できない。 でもロシア文学に少しだけでも触れられた嬉しさは充分にある。 ロシア人の思う社会主義と外国から見る社会主義は何か違う気がした。 根本はキリスト教の教えがあって、平和的な思想なんだと。

    0
    投稿日: 2018.11.11
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    上巻の最後まで何とか辿り着きました。後二冊、頑張ります。それにしても圧倒的な文字数です。何より訳者の方が素晴らしいと思います。

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    投稿日: 2018.01.05
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    文学史上の最高傑作といわれる本作品を始めて読んだ。まずその本(上・中・下)の厚いこと。読み終えるのにどれほど時間を要するのか気になったが、まずは上巻を読了。 19世紀中頃のロシアを舞台とする話。俗っぽい面も多くあり、訳も割と読み易いと感じた。ただ上巻最後の 大審問官」はキリスト教徒ではない私にはやはり難解に感じた。人類全体の性質を語る部分は興味深かった。

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    投稿日: 2017.12.05
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    とても密度の濃い小説だった。 低俗にして下劣、俗悪にして好色。 およそ尊敬に値せぬ俗物の父親フョードルの血を受け継ぐカラマーゾフの三兄弟の愛憎劇を軸に二千ページにもおよぶこの物語は展開する。 作中もっとも感銘を受けたのは有名な「大審問官で」はなくその序説「反逆」だった。 イワンは現実にロシアで起きた酸鼻な幼児虐待やトルコ人の暴虐を例に挙げ、 「神の救済を前提にすべての罪が正当化されるとしても何故子供たちまでもが理不尽な責め苦に遭わねばならないのか自分にはどうしても納得できない」 と力説する。 迫害者と被迫害者が神の再臨にともなう永遠の調和の中で和解に至り歓喜の涙を流し抱擁する 世界などとても認められないと語るイワンの弁説は、幼児虐待を代表とするあまりに人権と生命を軽んじた事件が頻発する現代日本でも十分通じるものだ。 ピストルを掴もうとして笑いながら小さな手を伸ばした途端頭を撃ち砕かれた赤ん坊、 母親の目の前で全裸に剥かれ猟犬によってたかって噛み裂かれた八歳の男の子、 夜中にトイレを知らせなかったというただそれだけの理由で実の母親によって排泄物をむりやり食べさせられ顔に塗りたくられ寒波に襲われた便所に一晩中閉じ込められた五歳の女の子。 「もし子供たちの苦しみが、真理を買うのに必要な苦痛の総額の足し前にされたのだとしたら、俺はあらかじめ断っておくけれど、どんな真理だってそんなべらぼうな値段はしないよ」 理不尽に痛めつけられた子供の涙を世界全体の救済と引き換えにするイワンの思想は、疑義など差し挟む余地もなく賛美されるべきと信じられてきた「永続的に人類を許しはしても即時的に個人を救いはしない」偉大すぎる神への反逆であり、徹底的に卑小で非力であるが故に救済に値せぬ人間の矛盾に満ちた真実の側面であり、革命ののろしでもある。 コメント コメント | 固定リンク

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    投稿日: 2017.08.25
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    10年以上前に読んであらすじは知っているが再読したいと思った。 この巻は登場人物の紹介が主で、物語はあまり動かない。 欲望に忠実な父フョードル、激情型のドミートリィ、知性的なイワン、愛情豊かなアリョーシャ。それぞれが会話の形で自らの心情を吐露していく。 圧巻は「プロとコントラ」編でのイワンの独白。アリョーシャが「心と頭に地獄を抱えて」と語るイワンの苦悩は、文学史上屈指の名場面だと思う。 あまりにも尊いキリストの愛の思想と、あまりにもかけ離れた地上の現実。信仰は「何一つ」解決することはできないが、それでも人は信仰を失っては生きていけない。 ゾシマ長老の教えと、スメルジャコフの理屈が対照的な光を帯びてちりばめられていく。 スメルジャコフの思想は日本のサヨクと同じ「自分が満たされない世の中なんか滅んでしまえ」で、胸糞の悪くなるこの手の手合いは昔からいたのだなと妙に納得する。 純情なアリョーシャと幼いツンデレのリーゼの会話が愛らしい。

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    投稿日: 2017.08.19
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    上巻について、とりわけ終盤の、キリスト教にまつわる台詞が長いのにはちょっと辟易させられる。 全体として台詞が多く含まれるテクストであるが、地の文で語られる人々の行動がいくらか文脈を無視したようなものであることが多いのがおもしろい。

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    投稿日: 2017.08.12
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    (01) 解法をほぼ無限に有する傑作なテクストで、テーマとモチーフ、ドラマとロマンス、エピソードとアレゴリー、ミステリーとヒストリー、コミカルとシニカル、どうつまんでもおいしいのが本書である。 さしあたり人物の魅力ということなら、兄弟の主人公たちはともかく、いつも泣いたりへらついたりしているけれど漢(おとこ、そして無頼漢)な一瞬がキラキラしているスネギリョフ、悪意のない虚言で煙に巻きなんだかコロコロしている住所不定のマクシーモフ、カテリーナやリーザへと達する兄弟の恋路にいつも関門の様に立ちはだかりしかし自分の恋路にはキチンと段取りを踏むホフラコワ夫人などなど、登場するたびにしでかしてくれそうで嬉しくなる人物にも事欠かない。 沸騰し狂騒し罵声する声たちがありとあらゆる場面で登場(*02)し、それはポリフォニーとも評されるが、情景を口やかましく彩る様を読んで見つめるとき、読書することの幸福を感じるとともに、発せられ読者に読まれてしまった、声、セリフ、一句、一語、それらのいちいちが、登場人物ではないかという眩暈にあてられてしまう。その意味で無限の解法がここにある。 (02) 場に登り、場に発せられたものは何なのか、という前にそのものがどこから生まれたかを考えてみたい。 セリフの過剰に隠れてはいるが、地の文として目に飛び込んできて印象的なのは、口づけと笑いである。口づけの多様と作用、笑いの矛盾と唐突には、いつもいつも驚かされる。このキスとラフは、口の方法と形であって、長広舌を補いつつ、饒舌に対しての反射の様に現れる。 この口、人間の顔面の下部を占め、食べると飲むに欠かせない機関として働き、言語の様な意味から悲鳴の様な無意味までの音声を発し、臭い息やスカトロジーなどに暴露され機関的な意味での内面の昇降口ともなる、口が問題の端緒でもある。 目の描写についても冴えをを見せており、太陽が映りこむ水玉などのアレゴリーも豊富ではあるが、本書においてやはり問題となるのは、顔の穴としての口腔ということになるだろう。それは人格の欠格にも対応する。スメルジャコフが向かったのが料理であったこと、その名が放つ異臭は、ゾシマ長老の腐臭とも共鳴しあうこと、これら悪臭の避けられなさは鼻孔という穴に由来している。 もちろん、19世紀ロシアはヨーロッパの先進性に対し後進性を見せており、その後進は、著者によって、ロシア性、カラマーゾフ性などとしてからかわれながらも引き合いに出され、批評にさらされた。つまりは文明の突出に対するヘコみとしてのロシアであり、大陸的な穴や欠損が卑しくも意識されていた時代であることは見逃せない。 また、ミーチャの蕩尽は痛快であるが、読者は、それぜったいだめ、という世話焼きな半鐘を鳴らす一方で、頁を隔てた向こう側で使われるルーブル(*03)は読者の財産ではないため、どんどん使っちゃえ、という焚き付けに加担もしている。このミーチャの行動は、ポトラッチとして理解される。つまり、蕩尽による名誉の保全であり、近代的には人格的な欠損を金で補い、箔を付ける実践として理解される。穴埋めというなら正しくその通りであり、彼はいつも埋めなければと切迫している穴を(好んで?)抱えている。 地獄や悪魔は穴の内容であり、ヒステリーやアフェクトは穴の修繕あり、扉や封筒は穴の容態であった。口、穴あるいは孔のアレゴリーには事欠かないが、ミステリーの肝となる、誰がフョードルを殺したか、という穴はエピローグの円団の時点でどのように満たされたであろうか。 本書の卓抜は、この作劇上の要点となる犯人は誰という穴に、神の不在というという問いを掛け合わせた点にある。やったのかやらなかったのか、いたのかいないのか、いるのかいないのか、曖昧をさまよう譫妄状態(*04)や、不問に付される情況、フィニュッシュの直前にある寸止め状態に、この作品の命脈を賭けたこと、そこに現れた深淵は尊い。 (03) 財産の保管と宗教の保護とに関わる土着性という点でも本書は興味深い考察となっている。ヴェーバーがプロテスタントと資本主義を考察するのは、本書ののちの話であるが、蓄財と散財とが先述の先進と後進とに対応し、ミーチャの散財や、カテリーナの善行と金銭に現れた感覚をロシアやカラマーゾフの美質として、プロテスタントのけち臭さに対置させたところは、面白い。 ほぼ同様な構図が、医学、心理学、細菌学、法学、神学に対する著者の見地にも現れている。啓蒙的な近代の学問をセットで小馬鹿にしており、在来の神秘や土着を踏まえたところに新時代の精神を築こうとしている。この文学的で政治的な態度は日本の近代化で現象されたことと比較しうる。 (04) 読み返すと、ありとあらゆる文脈に伏線や複線が張られていることが分かる。どうとでも読める、どちらとも読めるという具合に。それはリニアなのか、非リニアなのか。 しかし、明らかに回収されていない伏線というのもある。有名なのが、13年後(*05)を描いた第2の小説の件である。 感触として、第1の小説が余した残り半分を示唆しつつも、結果的にはその後半を欠損としたことに著者の最大の遊びがあるようにも思われる。書かれそうで書かれなかったところに、読者を置き去りにしてしまった(*06)こと、本書のテクストを読む限り、この欠損は意図的であったという感触を持っている。その理由は既に記すことができたようにも思う。 謎めかすこと、おそらくドストエフスキー以降は、映像文化の台頭とともに、文字による物語はやや衰退していくが、その文字文化の精華として本書が示した謎めかしは、今後まだまだ楽しく読み解かれるだろう。 報道マニヤ、事件マニヤが本書にも現れはじめ、マスコミの予感がしている。この20世紀を圧倒する情報社会の前夜において、書かれたもの、報じられたものどもが、神に対したときに、とてもじゃないが信じられたものじゃないことを、とっくに、そして遠くに著者は見抜いていた。 (05) ある階段の13段目にいるミーチャのはるか下、アリョーシャはまだ1段目にいるとされている。主人公であるアリョーシャは、ありとあらゆる場面に存在しなくてはいけない。場面とは事件のある場であって、事件の場には必ず癖のある人物が配置されている。主人公であるアリョーシャは、神がかり行者ともされるから、彼の業や修行は、このあらゆる場面に立ち会わなければならないことにある。 したがって、アリョーシャは忙しい。事件の前後となるとなお忙しく、彼が歩き回る場面場面で次々と業が課せられるから、タスクは累積的に彼の背にのしかかる。だから、特に前半の場面転換では、次なんだっけ、今なにしてたっけ、という健忘がしばしばともなわずにはいられない。彼が階段を上れずに踏みとどまっていること、それでもこの物語の中で数段は上れたかもしれないこと、これは西欧のビルドゥングスの伝統を踏まえた上で、どのように考えるべきであろうか。 おそらくアリョーシャは、物語の中で一度も汽車や馬車を利用していない、メッセンジャーや代理人にはなるが彼自身が誰かを使役することはない。そこにこの天使の踏みとどまりと善の理由がある。疾走する馬車や突き進む戦車は、太陽にも絡んで、物語中で重要なアレゴリーとなるが、天使の羽が、彼にのしかかる厄災をいくらかでも軽くしてくれていることを祈りたいものである。 (06) 「私」という審級が問題になる。マンの「魔の山」の「私」は超歴史的な存在ではあった。カラマーゾフの「私」は誰なのだろうか。カラマーゾフ家、特にアリョーシャを讃える伝記作家のようでもある。特に「誤審」の法廷では、この作家も傍聴していたようでもある。「私」は、カラマーゾフ家と同じ町に住み、周辺の人々のその後にも精通している。 この「私」のほかにも、超時間的、メタ的な存在をほのめかす記述が散見される。不思議な場面で、その人物がのちのちまで覚えていたとする説明がなされるときがたまにある。それは過去に遡る視点が目指すべきタグやポイントになっており、複線の交点のようでもある。逆デジャヴとでもいうようなこの表現は注目に価する。

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    投稿日: 2017.07.30
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    (2017.02.12読了)(1998.08.10購入)(1991.12.20・30刷) 第一部は、亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫で読みました。こちらに切り替えて、第二部を読み始めましたが、原卓也訳も亀山訳同様読みやすい訳になっています。 第四編「病的な興奮」と第五編「プロとコントラ(肯定と否定)」を読み終わったので、上巻読了です。 男性も女性も本心がわからず、アレクセイは大変なのに動じませんね。 貧困家庭の差別や子供へのいじめ、支援してあげたいけど、支援される方にも誇りはあるし。 動物虐待や、子どもの虐待も出てきて今日的でもあります。 【目次】 作者の言葉 第一部  第一編 ある家族の歴史 一 フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ 二 遠ざけられた長男 三 二度目の結婚と二人の子供 四 三男アリョーシャ 五 長老 第二編 場違いな会合 一 修道院に到着 二 年とった道化 三 信者の農婦たち 四 信仰のうすい貴婦人 五 アーメン、アーメン 六 こんな男がなぜ生きているんだ! 七 出世主義者の神学生 八 恥さらしな騒ぎ 第三編 好色な男たち 一 召使部屋で 二 リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ 三 熱烈な心の告白―詩によせて 四 熱烈な心の告白―異常な事件によせて 五 熱烈な心の告白―≪まっさかさま≫ 六 スメルジャコフ 七 論争 八 コニャックを飲みながら 九 好色な男たち 十 二人の女が同時に 十一 もう一つ、台なしになった評判 第二部 第四編 病的な興奮 一 フェラポント神父 二 父のところで 三 中学生たちとの結びつき 四 ホフラコワ婦人の家で 五 客間での病的な興奮 六 小屋での病的な興奮 七 すがすがしい大気のなかでも 第五編 プロとコントラ 一 密約 二 ギターを持つスメルジャコフ 三 兄弟、近づきになる 四 反逆 五 大審問官 ●隠遁の目的(308頁) 自分が世間のだれより劣っているばかりか、生きとし生けるものすべてに対して、さらには人類の罪、世界の罪、個人の罪に対して、自分に責任があると認識したとき、その時はじめてわたしたちの隠遁の目的が達せられるのです。 ●立ち聞き(420頁) 母親が娘の話を立ち聞きするのは、当然の権利で、べつにはしたないことじゃなくってよ ☆ドストエフスキーの本(既読) 「貧しき人々」ドストエフスキー著・原久一郎訳、岩波文庫、1931.02.28 「罪と罰 上」ドストエフスキー著・米川正夫著、新潮文庫、1951.02.05 「罪と罰 下」ドストエフスキー著・米川正夫著、新潮文庫、1951.02.25 「地下生活者の手記」ドストエフスキー著・中村融著、角川文庫、1952.08.15 「白夜」ドストエフスキー著・小沼文彦訳、角川文庫、1958.04.15 「白痴(上)」ドストエフスキー著・木村浩訳、新潮文庫、1970.12.30 「白痴(下)」ドストエフスキー著・木村浩訳、新潮文庫、1970.12.30 「悪霊 上」ドストエフスキー著・江川卓著、新潮文庫、1971.11.30 「悪霊 下」ドストエフスキー著・江川卓著、新潮文庫、1971.12.05 「賭博者」ドストエフスキー著・原卓也訳、新潮文庫、1979.02.20 「罪と罰(上)」ドストエフスキー著・工藤精一郎訳、新潮文庫、1987.06.05 「罪と罰(下)」ドストエフスキー著・工藤精一郎訳、新潮文庫、1987.06.05 ●ドストエフスキーについての本(既読) 「ドストエフスキイの生活」小林秀雄著、角川文庫、1955.08.20 「ドストエフスキイ」埴谷雄高著、NHKブックス、1965.11.20 「ドストエフスキーのおもしろさ」中村健之介著、岩波ジュニア新書、1988.03.22 「ドストエフスキー『罪と罰』」亀山郁夫著、NHK出版、2013.12.01 (2017年3月12日・記) (「BOOK」データベースより)amazon 物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。

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    投稿日: 2017.03.12
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    ふう。読み切るのに6ヶ月かかった。何度断念しようかと思ったものか…。激しい会話についていくのに精一杯。最後の「大審問官」は最重要箇所とも言われるだけあり、その衝撃は想像以上。が、語れるほどまでには理解できていない。フョードルが死んでからはあっという間と聞くがどうだろう。

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    投稿日: 2017.03.04
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    再読してほんとに思ったけど特に大文豪の傑作なんて再読しないと全然理解したことにならないなって痛感した、話の流れを覚えてるからどこをじっくり読めば良いのかが分かるし一読目より冷静に見れるからどこが感動的か思想的かも分かる。でもなんでこんなに狂人ばかりなのかはわからん 「祈る」にしても「赦す」にしても「愛する」にしてもキリスト教的なシーンにおいてのドストエフスキーの表現は特に私のようなキリスト教圏内でない人にとっては熱狂的過ぎるように感じるというか、穏やかでない恐ろしい感じがする…。でも偉大な美しい感情だし強い人間愛も感じる。

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    投稿日: 2017.02.17
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     2011年4月14日登録日/世界の文学〈第17-18〉 カラマゾフの兄弟 1・2(1966年)中央公論社 / 1966発売/池田健太郎訳/カテゴリ「長門有希の100冊」 こちら、2巻目最後百ページ残し、完読ならず  今回、文字も大きく読みやすいい文庫本にて再挑戦する。原卓也訳、レビューは次巻にて 

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    投稿日: 2017.01.15
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    これも若い時でないと読み切ることが難しい本。 でも40を過ぎてから再読している。 神と人間の関係について深く考えさせられる。文句無しの傑作。

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    投稿日: 2016.12.03
  • こってりした小説

    ページ数の多い本です。ただ、それ以上に内容はこってりしています。 甘いお菓子のような小説が間々ある中で、この小説は分厚いステーキといった印象があります。 しっかりと血肉になる感じがしました。 ところで、未完の大作とも言われますが、本当に続編の構想はあったのでしょうか。 二部作だとすると、まだそんなに盛り込める考え方があったのかと信じられません。 既に脱帽した頭から、かつらもとってしまいそうです。

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    投稿日: 2016.10.09
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    難しい。。 自分の読解力もあるけど、何回読んでも理解できないところとかあって大変。罪と罰もそうだけど。 なんとなくのストーリーはわかるけど家族の中で起こる三兄弟と父との衝突、心理戦……。 でも中、下巻めげずに読破予定。

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    投稿日: 2016.07.11
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    めっちゃおもしろい。ドストエフスキーはやはり素晴らしい。カラマーゾフの兄弟はドストエフスキーの集大成的な作品と聞いていたので、楽しみにしてとっておいたのだけれど、裏切られないで非常に楽しめた。 相変わらず名前覚えづらいし、ニックネームでも呼び出すし、登場人物多いしでわけわからなくなりそうだったけど、ネットに落ちてた人物相関図に非常に助けられた。まだ読んでいない人は、ネットにある人物相関図を参考にしたほうがいいよと勧めたい。 それにしても父親と長男はキチガイすぎだし、次男のイワンは頭よすぎだし、三男のアリョーシャは修道僧なだけあっていいやつ過ぎるし、この家族ヤバい(笑) アリョーシャがどれだけすぐれた人格の持ち主でも、カラマーゾフの血が流れているんだと恐れているのは、おれ自身が父親の血が流れているからやはり父親みたくなるのかなと思うときとかぶった。アリョーシャがヒョードルみたくなったらヤバいけども。 カラマーゾフの兄弟は、この一家以外の人物もぶっ飛んでるやつが多くて、登場人物のキャラの濃さとキリスト教についてのトークが結構インパクトにあっておもしろい。イタリア、フランス、ドイツ、イギリスとかではなく、すごいロシア的だなと思う。何かもう上巻だけでも超長かったのに、あと中巻下巻とあるから先をどんどん読み進めていきたいと思う。

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    投稿日: 2016.04.27
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    アリョーシャの奇人性、それが読んでいる僕の中のテーマの一つだった。おそらく、彼と関わるたいして近しいと言えない人々は、彼の奇人性には全く気付かず、純粋なる好青年だと思ったに違いない。軽蔑せず、誠実で、人に好かれる才能を持つ彼が、人間として違和感のある存在であることがよほど親しくなければ理解できないはずだ。 アリョーシャのような人間はいるとは言えたものではないが、彼と同じ奇人性を持つ人間は必ず現実に存在する。単なる奇人は人々の中では個性的に映るが、それはありふれた奇人でしかない。 もっと希少な奇人は、人々の中で個性的に映ることはない。自分の個性で苦労しないので、自分が変だということにも気づかないし、気付く必要もない。ただ、人間が持つべきある心の特性が決定的に欠けている。そんな、あらゆる種類の人間を丁寧にえがき、その深層心理も解き明かす、そんな物語が僕らをわくわくさせないわけがない、と、思う。

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    投稿日: 2016.03.11
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    たいへん面白かったです。 神とはなにか、自由とはなにか、人間とはなにか、というような人間の存在の根本についての問いかけが、何回も何回も出てきます。 私はこれを読んで、遠藤周作の『沈黙』を思い出しました。

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    投稿日: 2016.02.27
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    面白かったです。正直、文章量が多すぎて言い回しがくどいところもたくさんあります。けれど、人々の身勝手さ、人間の二面性、誰も彼もが自分の意見を主張する口論、場面場面の喧騒等は圧倒的文章量の連なりで表現されていて夢中で読んでしまった……。この関係性、どうしようもない状況と人々の中で主人公がどう変わっていくか楽しみです。さすが文豪。

    0
    投稿日: 2016.02.27
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    前半を読むのにかなり時間がかかってしまったが、まとまった時間を利用して読み始める一気に読み終えてしまった。 いざ読み進めると、ミハエル・バフチンが提唱したポリフォニーとはこういうことかと体感的に理解できる。癖のある登場人物が長口上を繰り返しつつ、重層的にそれらの語りが絡み合い進行する物語にはやはり感嘆させられる。 残すは中下巻の2冊。

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    投稿日: 2015.12.24
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    よく話題にされる大審問官の章は難解であった。自分は聖書を読んだこともなく、当時のロシアの歴史的背景は高校の世界史程度の知識である。しかし登場人物の心理描写が細かく、性格や顔付き、体格と自分なりに想像しながら読むことができた。 個人的には下巻の法廷記録の章が圧巻であった。もう2、3回読み返しても楽しめて、新たな発見があると思うが、もう少し時間をおいてから…

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    投稿日: 2015.11.10
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    長編作品を読みはじめるとき、正直言って読み終えるのは、いつぐらいになるのかなぁーと、気になってしまうことがある。 しかし、このカラマーゾフは話の先が楽しみで楽しみで期待感が膨らみ、まだ、中巻下巻と至福の時間がつくれるのだと思うと嬉しくなる。 本書、上巻の見せ場は独断だが、第5編ー5「大審問官」なのではないだろうか。 無神論者である次男イワンが、三男の修道僧アリョーシャに自作の物語「大審問官」を語って聞かせる。 イワンが頭の中で創作した物語で、イエス様は始終、沈黙のまま登場する。 やはり修道僧の弟は、あれこれと悲痛に叫んで意見するのだが…。 この作品の主要な登場人物はカラマーゾフ家の人々だけれど、実質な主人公はアリョーシャなのかな?? ところどころに、「俺はカラマーゾフだからさ!」と誇らしげのようでもあり、「カラマーゾフの力さ…カラマーゾフ的な低俗の力だよ」と、放蕩に身を沈めて、堕落の中で魂を圧殺して生きることの運命を認めている節もある。 カラマーゾフ流に浸る晩秋はいいものだ。

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    投稿日: 2015.11.09
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    まだ上巻を読んだだけなので、詳しくはわかっていないが、自分の中にあるカラマーゾフ的なものが何なのか、考えるようになりました。今の時点ではフョードルである気がします。

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    投稿日: 2015.10.07
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    20150921 かなり回りくどい。どこにこの小説の面白さがあるのか、わからなかった。星1もしくは2。

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    投稿日: 2015.09.21
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    市原隼人がでているドラマでカラマーゾフにハマり、本も読んでみよう!と思って読んでみた。 ドラマの前知識があるおかげか、結構スラスラと読めた。 上巻ではキリストがどうとか神がどうとかそのようなことが語られていて、私や日本人である人はあまりピンと来ないと思う。 ちょっと哲学的な感じだった。 上巻なのでまだストーリーは全然進んでいないが、今夜から中巻を読むので楽しみだ。 内容はたぶん理解出来ていないがとりあえず、ストーリーを楽しもうと思う。 光文社現代語訳の亀山さん訳のが読みやすいと評判だが、カラマーゾフの空気感が軽いといったレビューを見たため、新潮文庫の原さん訳で挑戦! やはり読みやすい=どうしても空気感が軽くなるんだと思う。 読みにくくても、カラマーゾフの雰囲気を味わいたいのでこのまま読み進めていこうと思う。

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    投稿日: 2015.06.25
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    罪のない子供の流した涙は、神による「調和」の実現をもってしても償うことはできない。その加害者は親にさえも「赦す」権利はない。特に「反逆」「大審問官」は、キリスト社会の人間が読んだら何倍も衝撃的なんだろうと思った。「大審問官」はもっと何回も読み込まないと分からない気がする…

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    投稿日: 2015.05.25
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    難解。Wikipediaのあらすじを傍らにようやく上巻読了。 個性的(精神病的)登場人物ばかり登場し、その間でやり取りされる宗教的世界観であったり、異性について、金欲であったり・・・諸々。 登場人物がロシア名で、あだ名なったり、正式名称だったり分かり難い。一度読んだだけでは半分も頭に残ってない感じであるも、世界的文学作品ということで今後、積読した際に理解が深まることの期待値として★5とした。 上巻の終盤に出てくる『カラマーゾフ的な低俗の力』とは社会的な理性で抑圧されているもの、でも誰にでもある野生的人間性を代弁しているのだろう。

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    投稿日: 2015.05.24