てげてげ読書ノートさんのレビュー
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赤と青のガウン
彬子女王 / PHP研究所
見守る目、後でわかった一人旅
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当初は「オックスフォードへ留学する」体験だけで済むはずが、ひとたび現地を訪れた後は、異国に眠る宝の山に夢中になって再留学。夢のキャンパスライフは、やがて地獄の論文執筆生活に。
思い切り良く日本を飛び…出したお姫様が、一人前の研究者に成長するまでには、どんな出会いや事件があったのか。学位取得後、初めて見えた自分の姿とは。
盛りだくさんのエピソードが楽しく、最後に大きく力付けられる留学記です。
(1)さりげなく輝く「伝える力」
本書ではまず、四文字で揃えた各章のタイトルが目を引きます。
「大信不約」(ほんとうの信義は約束などしなくても守られる)という成語は初めて知りました。常に身辺に寄り添い、ときには家族よりも長い時間を一緒に過ごす方々を紹介する章の扉にふさわしい言葉ですね。
本文の語り口も魅力的です。
丁寧で上品ですが、もったいぶるところがありません。理知的で歯切れがよく、言葉に鎧を着せていない感じがします。読んでいて気持ちの良い文章です。
「ただでさえ冷え性の私の体温を、優しく、しかし確実に奪ってゆくのである」などという言い回しは、いかにも頭のいい人らしく、思わずニヤリとさせられます。
なんでも、世の中には、頭の良い女性を嫌う人がいるそうですね。私は大好きです。もちろん、文章の話ですよ。
(2)念入りにドッキリ仕掛ける英国流
留学先である、「英国らしさ」を感じさせるエピソードも読みどころです。
たとえば、英国紳士は謹厳を売り物にする一方で、やけに手の込んだイタズラを仕掛けるのも大好き。
本書でも、たっぷり手間暇をかけた、おバカなイタズラが炸裂します。原宿駅前で声をかけるところから仕込みが始まるとは、お釈迦様でもわかりませんよ。著者が、縁のあった人々と、とても良い関係を築いていたことがうかがえますね。
どうやら、親しみやすく、誰とでも仲良くなれる方である様子。若冲のコレクションで有名なプライス氏が、パンケーキで器用にあの有名なキャラクターを作ってくれるなんて特ダネもあります。
一般人ではまず体験できない、皇族ならではの出来事も。
女王陛下のお茶に招かれるエピソードでは、エレベーターを降りるとまず大量のコーギーたちに囲まれるという、川端「雪国」ばりの展開に、一気に夢の国へと連れていかれます。
(3)学位授与式での発見
一人暮らしの自由を味わい、優しい友人たちと出会い、貴重な資料や超一流の教授陣に囲まれ、大発見に目を輝かせる留学の日々(あらこんなところに法隆寺♪)。しかし、博士課程は楽しい探検だけでは済みません。
登山が、自分の足で山を下りなければ終わらないように、論文執筆も、自分の手で書き上げなければ終わりません。苦心惨憺の末に審査を通過し、ようやく学位が与えられます。
その授与式に出席して、著者は改めて、自分がいかに多くの人々に支えられていたかを悟るのです。
「ただ学位記を郵便で受け取るだけだったら、私はこのことに気づかずに留学生活を終えていた」と語る著者。
たしかに、儀式というものは、ただ正式な権威があるという以上の、何か特別な意味を感じさせてくれるものです。
また、「いままで私は留学中の苦労話を日本にいる人たちにしたことがあっただろうか」という気づきにも、たいへん考えさせられます。
本人が話してくれなければ、周りも共感を示しにくいのです。わかっていても、言えないことがあるでしょう。見えない苦労を「見える化」するのも、勇気ある行いなのかもしれません。
本書の最も素晴らしい点は、珍しい外国の紹介や、誇らしげな成功談で終わらず、著者の苦しくみっともない姿を正直に伝え、それが支えてくれた人々への感謝の念につながっているところです。
どこか遠くで、孤独に頑張っているあなたへ。あなたが実は、人前で見せる姿ほど強くないことは知っています。でも、くじけないで。たとえ声が直接届かなくても、決して一人ではありません。私はいつも、一緒にいますよ。そんな、心の中の言葉を伝えてくれる一冊です。
(※お断わり)著者は皇族でいらっしゃいますが、正式な呼称や、「ご研究」といった類の丁寧な言い回しは、本レビュー欄にはうまく合わないように感じられますので、平易な表現をさせていただきました。なにとぞご容赦ください。 続きを読む投稿日:2018.05.03
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幻燈辻馬車(上) ――山田風太郎明治小説全集(3)
山田風太郎 / ちくま文庫
名を残す者、人を残す者
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舞台は、急激な西洋化まっただ中の明治15年頃の東京。
町には人力車や鉄道馬車が走り、夕暮れになれば、半てんを着た点灯夫が、ガス灯をつけて回るという、和風・洋風がちぐはぐに入り交じる時代です。
この…街頭を走る「親子馬車屋」の干兵衛と、その馬車に乗る人々の運命が絡み合う様が描かれます。
実在の政治家や作家、作品のモデルになった人物も続々登場しますよ。
(1)グランパは元同心
この頃の人々は、明治という新しい時代に暮らしつつ、生まれや育ちは江戸時代。干兵衛は、かつては町奉行の同心、つまり現場の捜査官として活躍した人物です。
職歴もあって、干兵衛は、自ら事件に首をつっこむこともあります。このため、本作は一種のミステリ作品として読むこともできます(下巻では、ある人物の正体が明らかになり、驚きの展開が待っていますので、お楽しみに)。
干兵衛の息子や妻は、孫娘お雛に呼ばれると、この世に現れます。
最期を遂げた際の恐ろしい姿ではありますが、怪談話のおどろおどろしさはありません。生前にはなかったユーモア感覚まで身に付けており、いわば、西洋の「ゴーストファミリー」風です。
娘から干兵衛を気遣う伝言を頼まれ、その成長ぶりに目を細める姿は、侍ではなく完全に「パパ」。生者が日々を生きるのに精一杯である一方、血縁以外に執着のない幽霊は、文明開化の世でも平気な様子。なかなか洒落が利いていますね。
(2)自由民権「割り込み」運動
自由民権の「壮士」たち。今風に言えば、彼らは反体制活動家です。
尊王攘夷を掲げて維新を成し遂げた幕末の「志士」は、たいへん人気がありますね。一方、自由民権運動は、ボスである板垣退助以外の名前は、ほとんど聞いたことがありません。志士と壮士はどこが違うのでしょうか。
壮士は、遅れてきた志士。
新しい時代の秩序が定まり始め、なんとかそのすき間に入り込もうともがく若者たちです。
たとえば、下級武士出身で教養もあり、旧秩序ではそれなりの扱いを受けたはずなのに、新政府には働き口がない者。商売をしても、頭(プライド)が高いためうまくいきません。俺はもっと高く評価されるはずだ、政府高官が悪い、と不満を抱き、国会開設という新しいプランに期待をかけています。
不平不満は、期待の裏返しです。能力に見合う頑張りを見せれば、お上は地位や報酬を与えてくれるはずとの思いがあるから、その願いが叶わぬときに、裏切られたと感ずるわけです。
つまり、自由民権運動とは、薩長中心の藩閥政府からポストを奪い取ろうとする、権力への割り込み運動だととらえることができます。
結局、国会開設・憲法制定は、自由党ではなく伊藤博文らの手によって実現されます。本当は金持ちや偉い人になりたかった、好きな人を幸せにしたかった、でもなれなかった、歴史に名を残せなかったのが壮士たちです。だからといって、その人生が無駄であったとはいえません。彼らはたしかに生きて働き、同時代の人々の心に大きな足跡を残したことが、本作で語られる様々な事件や作品から伝わってきます。
歴史家によると、歴史とは立体的なもの。
見る者により、見え方が変わるのだそうです。
薩摩・長州と会津では、上級武士と下級武士では、男と女では、年寄りと若者では、明治維新の見え方が違う。
本作の壮士たちは、志士のサクセスストーリーとは違う、明治日本のもう一つの顔を見せてくれるのです。
(3)才媛は消え、人を残した
本書(上巻)には、ヒロインとして三人の女性が登場します。
一人は恋する乙女、一人は花魁。二人の数奇な運命は、作品を読んでいただくとしましょう。
今回特にご紹介したいのが、三人目の捨松嬢です。
明治4年に、わずか12歳でアメリカに留学した捨松。帰国後も洋装に身を包み、ちょっと怪しい日本語がチャーミングな、しっかりものの女性です。
とはいえ、当時の日本には、まだ彼女の真価を発揮できるポストはありません。政府の依頼は、高官やその妻にダンスを教えてほしいとのこと。鹿鳴館のために最高学府を卒業したわけじゃないわ、と言いたいところですが、この仕事が、捨松に運命の出会いをもたらします。その出会いは、彼女だけの大きな仕事、さらには日本国の将来にまでつながっていくのです。
結果として、「アメリカ、ヴァッサー大学卒業の才媛は消えた」。
この一文に、干兵衛や作者の詠嘆と、人生の意外な価値に関する発見が込められています。
私も思います。名を残すよりも、もっと大きな生き方がある。それは、人を残す生き方だと。そして、そんな生き方ができる人には、いつか特別な出会いがある。
不満と期待を抱えて生きる現代の壮士たちに、おすすめしたい一冊です。 続きを読む投稿日:2018.04.13
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星の王子さま (新潮文庫)
サン=テグジュペリ, 河野万里子 / 新潮文庫
大人になって心で感じた宝物
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「星の王子さま」を初めて読んだのは、小学生のとき、岩波少年文庫(改版後)でした。
「ゾウをこなしているウワバミ」(ボア)の絵は、今でもお気に入りです。バオバブの木も、妙に気合いの入った色刷りの挿し絵…で覚えましたし、愉快な絵本という印象でした。
しかし今回、新しい訳文で読み返したところ、本書は、胸を締め付けられる、苦しい愛の物語ではありませんか。作者も、「軽々しく読まれたくはない」としています。
子どもが、「生きるというのがどういうことかわかっている」なんて、とんでもない!
本書は、ユーモラスな絵本の姿をした、しかし、その奥深くに真実を隠して輝く、砂漠の底の井戸なのです。
(1)王子さまは小さな領主
そもそも、なぜ「子ども」(アンファン)ではなく、「王子」(プリンス)なのでしょうか。
それは、彼が、小さな星の持ち主、つまり領主様だからです。
作者はアントワーヌ・「ド・」サン=テグジュペリですから、彼自身も「サン=テグジュペリの」プリンスであったわけです。
それが人生いろいろあって飛行士になり、なんとか作家として認められた後に書いた作品です。
ですから、本作は、決して「童心に返る」ことを推奨するものではありません。
バラとの関係について、王子は自分たちが幼すぎたため、うまくいかなかったことを語っています(訳文は「あまりに子どもで」)。
仕事を通じて誰かの役に立つことは、価値のあることです。これは、王子も自力で気がつきました。
しかし、キツネからは、さらに高い価値があることを教わります。それは、絆を結んだ者に対する責任があるということです。
「役に立つ」は、労働者の実利的な価値観ですね。その上に「責任」を感ずるのは、選ばれた者、貴族の規範です。
王子は、実利に換算できない真実を大切に扱うためにプリンスなのです。
(2)旅立ちと別れに涙
現在の私が胸を打たれるのは、王子の旅立ち、バラと別れのあいさつを交わすシーンです。
ああ、わがままで見栄張りのバラの告白が、なんと悲しく、可愛らしく、精一杯の思いやりに溢れていることか。
こんな形で女性の「かわいげ」を描いた作品には、他に出会ったことがありません。
小学生の私には、このシーンは印象に残りませんでした。
見送る人の嘆きの深さと誇りの高さが、感じとれなかったのだと思います。
当時の私(国語のテストには、いささか自信がありました)に尋ねたら、「ちゃんと読み取れるよ」と笑うかもしれません。
目で見て知るのと、心が動くのとでは、全く違うのですが。その区別を知らないくらい、幼かったということでしょう。
(3)星に帰った王子は?
体を捨てて星に帰った王子は、その後どうしているのでしょうか。
飛行士は、出会ったときの姿で、また地上に現れることを願っているようです。
しかし、王子はもう、小さな子どもの姿ではないのかもしれません。
愛するバラに寄り添う、もう一輪の花になり、仲良く夜風に吹かれているような気もします。
でもそれだと、夕日を見るのに不便かしら。もしかしたら、飛行士の描いた小さな羊の姿をして、周りの草をモシャモシャ食べているのかも。
いずれにせよ、バラは「はかない」だけでなく、端正込めたお世話が必要な花なのです。
王子はそれを一年も一人きりにしたわけですから、こっぴどく絞られるに違いありません。
でも、面倒な小言を受けながら、王子はとびきりの笑顔を浮かべることでしょう。王子は、ムダに放浪していたわけではなく、深い知恵を蓄えて戻って来たからです。その笑い声を聞いたバラはとても安心して、幸せな香りを漂わせるに違いありません。
大切な人と離ればなれになったとき、元気づけてくれる一冊です。 続きを読む投稿日:2018.03.22
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マキとマミ~上司が衰退ジャンルのオタ仲間だった話~
町田粥 / コミックエッセイ
スピーチも浮かぶ!レジェンドの深き愛
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電車の車内広告に、ホイホイと引き寄せられて読みました。
ウェブで好評連載中の四コマ漫画です。
(1)深い愛は人を孤独にする
本作の進行役は若いマミさん。架空度高めの「夢の後輩」です。
高い…ITスキルを持ちつつも、言動はオタクとして普遍的。説明的な仕草やクローゼットの神棚の他、「沼が私を見つけた」などのツボを押さえたセリフも飛び出します。
紙袋から資料をドサッと出すなどの振舞いには、旧世代として嬉しくなるものがありますね。「ひと月に14回ほど観に行った舞台」のため有給休暇大量取得というくだりには、立川談志ファンの先輩を思い出しました。
そんなマミさんが一目置く、先輩であるマキさんは、より個性が強めです(私の世代の言い方では「業が深い」)。
マキさんは、職場ではクールビューティー系の、かなりデキる人のようです。しかしその正体は…展開停止して久しい乙女ゲーのシリーズにハマり続ける、10年選手の古参オタ!
公式からの新規情報がないにも関わらず考察(妄想)ツイートを投下し続け、ツイッターでは名の知られたファンですが、即売会には行ったことがないという一面も。
ゆっくりじっくり考える人であるがゆえ、「望んだわけではないのに、なるべくして孤高の人になる」という成り行きにジワッときます。
何かを深く愛するほど、そして、その期間が長くなるほど、人は孤独になってゆきます。しかし、長く続けていると、思いもよらない人に多大な影響を与えていることも。明るいマミさんとの出会いにより少し解放されたマキさんの姿は、そんなご褒美をもらった人のようです。
(2)キレイな単行本は好きですね!
私は電子版で購入しましたが、紙の書店でもぜひ実物をご覧ください。色白の美しい本に仕上がっています。
あまりに端正で可愛らしく、笑えるほどの出来のよさですが、果てない沼にはまり続ける成人には、このくらい夢を見させてくれるのが正解です!
客観的には行きつけのカフェで駄弁っているだけでも、心象風景はこうなのですよね。
なお、乙女心を忘れない読者には、お店のレジで恥ずかしくないことも大切だったりしますが、その意味でもありがたいことでしょう。
当然、単行本の価格は若干お高めになりますね。
ですが、これも含めて美点といえます。使途に困る公式アクセサリーに「私も8万円ぐらいまでなら」と小声でつぶやく本作の読者なら、むしろ「課金させてくれてありがとう」と感謝の念が湧いてくることでしょう。
(3)男性陣はこれから本領発揮?
マキとマミだけでなく、男子二名にも注目です。
まずは、マキさんの弟である学くん。口調は丁寧ながら、行動は社会人として完全に破綻しています(誉め言葉)。
こういう人(あるいは鬼というべきか)は、パッと見わりと愛想がよくカッコよかったりしますが、内面的には全く男前ではありません。自分の興味で頭が一杯で、他人に割くリソースがないのでしょう。
しかし、話の内容は、(理解することができれば)最高に面白く魅力的だったりします。鬼は極めると神にもなるのです。
そして、学くんの友人にして、カフェの店主である真下くん。
彼のジャンルは、謎。何かにハマっていることは、思春期にマキさんに嗅ぎ付けられているのですが、未だに明かさないという筋金入りです。
成人してもオタ身内にも明かさないということは…もしかするとマキさんに関する個人的な何かが…イヤイヤ!憶測はやめておきましょう。
とにかく、男性陣の深掘りも楽しそうです!
連載はまだまだ続くようです(お正月の話も笑わせていただきました)。
マキさんと「どき☆ジェネ」の果てない沼が、100年続きますように。 続きを読む投稿日:2018.01.09
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ホームズ探偵学序説
水野雅士 / 青弓社
犬も歩けばかわいいワトソン
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〈注意!本書第二部「吾輩はバスカヴィル家の犬である」は、アーサー・コナン・ドイル著「バスカヴィル家の犬」の読了後にお読みください〉
「スター・トレック」のファンはトレッキー。吉永小百合のファンは…サユリスト。
では、名探偵シャーロック・ホームズのファンは何と呼ばれるのでしょうか?
…そうです。この世には、シャーロッキアンと呼ばれる人々がいるのです。
本書は、熱烈なファンの世界を垣間見せてくれる、遊び心溢れる一冊です。
(1)「探偵学」は世のため人のため
本書第一部は、「シャーロック・ホームズの推理方法序説」。
本稿は、ホームズが、デカルトの「方法序説」を手本にして、自分の作り上げた推理方法の大要を説明するものです。
このため、失敗も含めて、ホームズの経験がありのままに語られることになっています。
この点、ホームズには、優れた記録者がいます。そこで、本稿では、ワトソンの公開した事件簿から、適宜具体的事例が紹介されています。
シリーズの愛好家には、引用された事例から、様々な名場面が思い起こされることでしょう。
この仕掛けにより、探偵学が、机上の空論ではなく、ホームズの実地における試行錯誤を元に磨きあげられたものだと感じられるようになっています。
デカルトを踏まえて、ホームズのある特徴が明らかになります。それは、この名探偵は、大きな志を抱いた、正義の人であるということです。
近年では、薬物中毒や型破りの行動など、反社会的で異常なキャラクターが強調されることのあるホームズですが、決して、人嫌いの冷血漢ではありません。むしろ、その反対です。
彼の創始した「民間諮問探偵」という職業や、「探偵学」と呼ばれる、合理的で実際的な推理方法は、特殊な才能を世のため人のために役立てるべく生み出されたものなのです。
探偵学には、絶対確実の成功は保証されないことの自覚が組み込まれています。したがって、個々の事件を解決できなくても、その価値は損なわれません。志を失わないかぎり、反省は次の事件に生かされることでしょう。
社会の暗黒面に立ち向かい、懸命に努力して生み出されたものだからこそ、探偵学は、名探偵カッレくんのような異国の少年にも愛されてきたのですね。
本稿を読んで、改めてその精神を感じとることができました。
(2)ドイルの魔犬が漱石の「猫」と合体!
第二部は、「吾輩はバスカヴィル家の犬である」。
人気作「バスカヴィル家の犬」を、犯行の道具とされた犬の視点から描いた作品です。
本作の魅力は、なんといっても、語り手である魔犬くんです。賢く、健気で忠実な気質は、まさに犬の美質そのもの。
原作では、ワトソンが現場に乗り込み、捜査を助けようと奮闘するのですが、魔犬くんはもう一人、いや一匹のワトソンといえるでしょう。
友人スパニエルくんとの会話もかわいらしく、最終的に二人を待つ悲劇を思えば、自ずと涙が誘われてしまいます。
「バスカヴィル家の犬」は、構想段階ではホームズ物ではなく、全体をまとめる過程で探偵小説になったといわれる作品です。
そのせいか、謎解きには不完全なところがあります。ホームズが推理を誤り、犯人を取り逃がしている疑いが濃いのです。真犯人が誰かは説が分かれますが、ホームズの仮説よりも合理的な解釈が成り立ち、作者ドイルの真意もそこにあると思われます。
本作では、実行犯の側から事件の経過が描かれます。果たして、事件の真相は?末尾に付された日記には、ぞっとする内容が書かれています。
(3)ホームズが名探偵である理由
名探偵もときに過ちをおかします。
「推理方法序説」にも多数の例が挙がっています。「バスカヴィル家の犬」のように、犯人を取り逃していると思われる事件もあります。
だからといって、ホームズの魅力が減ずるわけではありません。
ホームズは人間です。たしかに、細部を観察して合理的に考え、該博かつ実用的な知識を持ち、忍耐強く検証作業を行う力に優れています。しかし、その力には人間としての限界があり、ホームズ自身がそのことを知っています。
けれども、ホームズは諦めません。彼の才能を、人々を救い、より良い社会を実現するために使おうと決意しています。
これこそ、科学の進歩により、真理が自明でなくなった世界における、理想の英雄ではないでしょうか。欲望溢れる魔都ロンドンを闊歩しながら、それに溺れず、傷つきながらも進んでいく一個人。その傍らには、もちろん信頼する友もいます。
もちろん、敗北は手痛い打撃です。犠牲者も出ます。しかし、諦めずに再び立ち上がる。ファンは、そうしたホームズとワトソンの姿に、惜しみない喝采をおくるのです。 続きを読む投稿日:2018.01.04
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はいからさんが通る 新装版(6)
大和和紀 / デザート
恋とユーモア、クライマックスを見逃すな!
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突然ですが、新装版6巻です。
いやあ、「はいからさんが通る」面白いですよね。でも、5巻あたりから、当初と空気が変わってきたのを感じませんか。「牢名主さんとかはちょっとな…」と、読み続けるか迷う人もい…るかもしれません。
しかし、ここで止めてしまうのはもったいない!ここからが「花の東京大ロマン」のクライマックスです。
では、「はいからさん」終盤のポイントを整理していきましょう。
(1)職業婦人の輝きと挫折
「はいからさん」のアイコンは、矢がすりの着物と袴でリボンを結び、自転車に乗る女学生姿。
しかしこの6巻までくると、紅緒も髪を切って洋装です。給料日には札束を数え、友人と会えば居酒屋でくいっと(げへへ)。職業婦人ぶりがすっかり板についています。
親にも老いが見え始め、夢ではなく生活のために働く様子が描かれます。
物語冒頭、強い印象を与えた環。しかしその後は活躍が見られませんね。
家を支える役割がある紅緒はいつも楽しく働いているのに、自由なはずの環はなにやら複雑そう。流行の服を着こなしつつ、思う通りにいかない不満も漏れてきます。恋愛でも素直になれません。
しかし彼女は後に、自分の道を見つけます。とはいえこの道、昭和の日本がたどった運命を知っていると…。格好よく生きるのは大変ですね。
(2)どちらを選ぶ?少尉と編集長
肝心の、紅緒の恋はどうなるのでしょうか。
少尉には、特定の生き方へのこだわりはありません。成り行きで外国の侯爵になるなど、変幻自在に周囲の状況に適応することが、彼の個性なのです。
軍人という、組織の中で命令に従い、仲間とともに勇敢に戦うキャリアは、彼の天職といえるでしょう。
状況に流されやすく、ラリサなど現在目の前にいる人に善くしてしまうため、大金を稼いで実家を建て直すような甲斐性は期待できません。
しかし、即断即決、臨機応変に対応する力は、突発事態に頼りになります。やっぱり軍人さんですね。
また、周囲の人を必ず笑顔にする、明るい性格も魅力です。
編集長は、自分の世界をもつ男です。あの顔で、会社に付けた名前が「冗談社」!ただ者ではありません。
彼は安定した自己像を基盤に、相手をよく観察して、しっかり見守ってくれます。最初は冷たいように見えますが、それは真剣に深く状況を見定めているから。いったん心を決めると、苦労して築いたものを全て投げ出し、救いの手を差しのべるような激しいところもあります。
不器用で、少尉のような小回りは効きませんが、変転する時代の中で、皆の苦境をひっくり返す大変なパワーを振るいます。紅緒と共にライバルまで助けてしまうのは、人がいいというか…。器の大きな人ですね。
彼は笑うより笑わせるのが得意な人。どちらかといえば、伴侶になってからの後半生で真価が発揮されるタイプです。本作は「初恋が実るまで」のストーリーなので、二番手になるのも仕方がないといえるでしょう。しかしそれでも、実力は大したもの。一度は紅緒に…これは6巻を読んでのお楽しみです!
少尉と編集長、どちらを選ぶのが正解ということはありません。
若き日の一度きりの恋の奇跡を信ずるなら少尉と、結ばれた後もじっくり関係を深めていきたいなら編集長と。どちらも幸せな人生でしょう。
このため本作は、読者の年齢が上がっても、新鮮な楽しみが味わえる作品となっています。
資料によると紅緒は獅子座、少尉魚座、編集長蠍座、蘭丸乙女座だとか。これはぴったり!よく出来てますねー。
(3)最後までズッコケにはこだわります
「はいからさん」では、徹底して「シリアスの直後にズッコケ」を貫いており、ユーモアも魅力の一つです。
特にこの6巻では、大正時代の東京を描くうえで、避けて通れない大イベントが発生します。その「瞬間、各芸人たちは!」って、なんじゃこのコラムは!?
これぞ「はいからさん」の冗談社精神ですね。大好き!!
大団円の最終話は7巻に収録されています(7巻後半~8巻は、番外編や資料集)。最後まで、お見逃しのないように! 続きを読む投稿日:2017.12.03