てげてげ読書ノートさんのレビュー
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タルト・タタンの夢
近藤史恵 / 東京創元社
秋風が吹いたら読むフレンチ
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料理または料理店を題材にした本には、二つの方向性があると思います。
一つは、メニューや料理の意味を説明してくれる、知的な楽しみの本。もう一つは、料理の美味しさや食卓を囲む喜びを伝えてくれる、感覚的な…楽しみの本。
本書は、両方を「腹八分目」に程よく楽しませてくれます。
これがたとえば劇画だと、人物の顔と台詞でストーリーが語られるので、ちょっと濃すぎます。文章で読むことにより、西洋料理のレストランに対して抱いてきた夢が壊されない、程よい距離感が保たれる感じがします。
気取らずに入れて、それでいてちょっと華やいだ気分にさせてくれるレストランのような、秋の休日に読みたい一冊です。
では、ポイントをいくつかご紹介しましょう。
(1)蘊蓄不要、警戒無用
フレンチが題材ということで、「カタカナ苦手だよ~」と、本を開く前に抵抗のある方もいるのでは。
本作は、食べることが好きならば、知識は不要。むしろ、お作法や、料理がオーブンから出てくる姿などになまじ詳しくない方が、シェフの推理に素直に感心できます。私など、一読した料理の内容を毎回忘れてしまい、読み返すたびに新鮮な驚きを味わっています(スミマセン)。
料理以前の、物事の良し悪しに対する感覚が豊かであれば、本書は十分楽しめます。
また、「フレンチ、ワイン、食通=鼻持ちならない」という、非モテ的な危惧も当たりません。
登場人物の多くは、このような店に足しげく通うのは、懐にも健康にも痛すぎると考えています。美味しいものは美味しい。それ以上のものではない。そこが肝心です。
用語も、地の文やスタッフの会話では「デセール」を使い、素人のお客に話しかけるときには「デザートはどうしますか」などと聞いています。心遣いが細やかです。
その他、私が本書で一番グサリときた台詞は、「わたし、あの人にとって、レストランの料理だったのかしら…」というものです。高いところから見下ろしていたら、こういった発言は出てきませんね。
料理は料理、お菓子はお菓子。できることとできないことがある、という分のわきまえは、第一篇から一貫していて、そこが本作の気持ちのよいところです。
(2)殺人などは起こりません
店の料理で客が急死!?営業停止になってしまいます。本書は連作短編集ですので、お店が休業するような事態は(まだ?)起こりません。
(3)人間観察と「人間が好き」の違い
店長の三船シェフは、お客さんの小さな言動をヒントに、隠された秘密を見つける達人です。これは人間観察という言い方もできますが、私は広義の接客なのではないかと思います。
観察者は、相手に関心があるから見ているのです。観察の鋭い人は、相手を好きになる能力が高い人で、お世話をしてあげたいという気持ちが背後にある。これが、もてなす、サーブする、つまり接客ということになるわけです。
そうなると、接客といっても、お客様の要求に従うものとは限らない。内心に隠した秘密を指摘されたりするのは迷惑ですが、そのお節介もあえて辞さないということですね。
三船シェフは事件を解決するわけではありません。正義を実現するわけではなく、ただ接客し、美味しい料理を食べさせている。そこがまた、シェフの、そして作者の信頼できるところです。
思えば、レストランは謎解きの舞台としては優れた装置ですね。予約を入れるから名前がわかる。酒を飲むから本音をいう。誰がお金を払うかで力関係がわかる。あとは、職人が存分に技の冴えを見せるだけ。
抵抗感はひとまず置いて、まずは読み始めてみてください。きっと、行き届いたサービスに夢中になると思います。
シリーズは好評継続中のようです。マイベストは第三集「マカロンはマカロン」収録の「ヴィンテージワインと友情」。教科書に載せたい一篇です。本書が気に入ったならぜひ。 続きを読む投稿日:2017.09.18
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ゼノサイド(上)
オースン・スコット・カード, 田中 一江 / ハヤカワ文庫SF
できるだけゆっくりとお読みください
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「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」に続く、エンダーの物語です(邦訳のない「Ender in exile」は未読です)。
「ゲーム」と「代弁者」はもうお読みになりましたか。面白かった?グイグイ引き込…まれて一気に読みましたか。それは良かったです。
でも、本作と、次の「エンダーの子どもたち」については、同じ種類の面白さは、期待しないでください。そちらがお望みの場合は、同じ世界をビーンの視点から見た「エンダーズ・シャドウ」のシリーズ(シャドウ・サーガ)へとお進みください。
おっと、早とちりしないでくださいよ。本作が、面白くないというつもりはありません。ただ、読み方にはくれぐれも気をつけて。
本作には、心身を、深く傷つけられたり歪められたりした人々が、たくさん出てきます。彼らは知能が高く、辛抱強くて優しい人たちですが、その行動には制約があり、健康な人たちと同じようには動けません。頭の回転が早い彼らは、そのことにとても苛立っています。
ですから、慌てないで。彼らのペースに合わせて、ゆっくりゆっくり、美しい「ゼノサイド」の世界を味わってください。
(1)パス
読み始めるとすぐ、中華風の不思議な世界に連れていかれます。パスを支配する「神子」は、一度手を洗いたくなったら、それが我慢できない人たちです。
問題は、その理由付けです。彼らはこれを、選ばれた者が神の声を聞いているという物語に基づいて理解し、社会を組み立てているのです。
似たような強迫症状を体験された方には理解しやすいと思うのですが、物語は、病気など身体的な経験と結び付くことで、非常に強固になります。実体験すると、人はどんな戯言でも信じてしまうのです。
ハン大人やチンジャオの生活にリアリティーがないと感じた方は幸いですね。私には、自分の日常とほぼ同じように感じられます。単に、「神がみ」とは別の説明を信じているというだけです。
(2)ルジタニア
エンダーが放浪の末にたどり着き、異種族バガー再生の地に選んだのが、辺境の植民星ルジタニアです。
しかし、この地はデスコラーダという恐ろしいウイルスに支配された土地でした。ここに根を下ろし、家族を持つことを決意したエンダーに、大きな試練が降りかかります。
前作「死者の代弁者」で、動物から植物へと変態する奇想天外な生活環が解明されたペケニーノは、本作でも大きな役割を果たします。キリスト教に改宗した父樹が異端となり、人間の宣教師と教理問答をするというイベントは驚きの一言。
しかし残念ながら、この事件のせいで、エンダーと妻ノヴィーニャの関係は危機に陥ります。
(3)エンダーと妻
エンダーの夫婦関係は、本作の難所といえます。
「エンダーのゲーム」で、健気な少年指揮官エンダーにたっぷりと感情移入した読者は、妻ノヴィーニャの頑なさに、相当イライラさせられるのではないでしょうか。私も、初見のときは「よりによって、エンダーはなぜこのつまらない女性を選んだのか」と、疑問に思ったものでした。
ここでは、特にゆっくりと読むことをお勧めします。この夫婦は、多くの困難を抱えながらも大変よくやっていると思うのですが、どうでしょうか。
私は、結局この二人は、お互いのことがとても好きなのだと感じます。厳しい経験をしてきたノヴィーニャは、信頼が失われそうになると、「自ら引き下がって」回避行動に入ります。エンダーは彼女を裏切ったり見捨てたりはしないと知っているのですが、やっぱり怖いのです。
知的な能力が優れた人ほど、自己評価が低くなりがちです。このため、理想的な相手にはピシャリとドアを閉め、自分が見下せる相手に身を投げ出したりしてしまうことがあります。ノヴィーニャは、こうした人の特徴をよく表しています。
そして、エンダーが辛抱強く彼女の回復を待ち、なんとか関係を繋ぎ直そうとする様子も、味わい深いものです。「代弁者」という役割を選んだエンダーにとって、ノヴィーニャは、残りの人生を捧げて悔いのない相手であると、今では思うようになりました。
もっとも、これは私の個人的体験によるところも大きいので、「こんな女、やっぱり御免だ」という感想も、もちろんアリですね。ピーターなら、絶対に選ばない相手でしょう。
「ゼノサイド」は、色々な要素を詰め込み、じわじわと語っていく作品です。疑問点が満載ですが、何度も読み返すと、色々なところにその答えが書かれていることに気がつくでしょう。
そしていつの間にか、あなたもチンジャオやノヴィーニャが好きになってくれる…んじゃないかな。まあ、手強いですけどね。デスコラーダよりもずっと。 続きを読む投稿日:2017.08.29
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エンダーのゲーム〔新訳版〕(上)
オースン・スコット・カード, 田中一江 / ハヤカワ文庫SF
小さな指揮官は「ゲーム」をクリアできたか?
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多数の長編・短編を生んで現在も展開中の「エンダー」シリーズの始まりとなる作品です。
(1)少年に求められた「天才」とは
舞台は、高度な技術文明をもつ異種族「バガー」との戦いで辛くも生き残った人…類が、最後の決戦を挑もうとしている近未来。ところが、艦隊と新兵器はあるものの、それを指揮する指揮官がいません。
そこで、天才的な能力をもつ子どもをスパルタ式に教育して、最終決戦に間に合わせようという、非情なプロジェクトが開始されます。その子どもが、主人公であるエンダーくんというわけです。
ここで重要なのが、指揮官候補に求められている能力特性は、単なる知力体力の高さではないことです。
第一に、相手の意図を理解する共感能力が不可欠です。異種族であるバガーの行動は、人類とは異なる原理に基づくのですが、人類艦隊の指揮官でこれを見抜けたのは過去に一人だけ。単なる優等生では務まらないのです。さらに、指揮官は自分の手足となる戦隊長にも、高い能力を発揮させなければなりません。人の心がわかり、人望が得られることも必要です。
反面、共感能力は優しさにつながります。そこで第二に、指揮官は孤独でなければなりません。誰かの助けを期待せず、最大の危機を自力で乗り越える厳しさが必要ともされます。
共感能力と孤独であること、この二つをリーダーの要件とした点が、この作品の出色なところです。
(2)エンダーの3つのゲーム
しかしながら、これを強制的に鍛えられるエンダーには、無茶苦茶な試練が与えられます。これが「ゲーム」なのですが、実は1種類ではありません。
バトルスクールの中心は、無重力ルームでのチーム対抗戦です。ライバルがひしめくなかで、このゲームを勝ち抜いて指揮官として認められるだけでも大変です。
しかし、より手強い敵は、ゲームを管理する大人たち。エンダーを鍛えるため、あえて模擬戦のバランスを破壊していく彼らとの戦いが、もう一つのゲームとなっていきます。
エンダーは追い込まれ、セラピー用のマインドゲームに逃避します。ファンタジー要素の強い不穏なゲームで、その展開は謎に包まれています。どうやら、スクールの外に繋がっているようなのですが…。
訓練用の模擬戦闘、その背後にある大人との戦い、そしてマインドゲームという、3つのゲームが用意されている点も、本作品の特徴といえます。
(3)結局、ゲームはクリアできるの?
エンダーは、試練を乗り越えてゲームをクリアし、理想の指揮官になれるのか?
上巻の終わりには、エンダーは絶望し、挑戦するのをやめてしまいます。事態を打開するため、大人たちは完璧女神ヴァレンタイン姉さんを召喚するのですが…。エンダーの味方であった姉は、今では世間で注目される論説の書き手として、暴君である兄との共同制作を楽しんでいるのです。それでもエンダーは、姉を守るため、孤独な戦場に戻れるのでしょうか。本作でもっとも心を動かされる場面です。
お姉ちゃんの他、バトルルームに代わる新作ゲームや師匠との出会いなどイベント満載、名言連発、大サービスの下巻には、驚くべき結末が待っています。ぜひぜひ、最後まで見届けてあげてください。初めてこれを読める人、ちょっとうらやましいですね。
(4)再読してみて
私も旧版以来、久しぶりに読み返したのですが、「敵より他に師はいないのだよ」というセリフ、本当にカッコいいです。私もバリバリ弟子をいじめて立派な師匠に…やっぱりムリ、なれません。
エンダーを取り巻く大人たちが、本当はエンダーを深く愛していて、心から心配していることは、真実だと思います。しかし、エンダーの真の友は、戦友となった子どもたち、アーライ、ビーン、ペトラたちです。彼らの心をとらえたことが、エンダーの勝利といえるでしょう。
優しくて、孤独な小さな指揮官は、自分のゲームを見つけて、それをクリアしたのです。ついでに、彼の手には負えない大きすぎるゲームも終わらせてしまったのは、彼の責任ではありません(その話はまた、先のシリーズで)。 続きを読む投稿日:2017.08.28
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横浜駅SF【電子特典付き】
柞刈湯葉, 田中達之 / カドカワBOOKS
列車の出てこない「駅」の話
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本州の多くが「横浜駅」に覆われている世界の話です。駅が一つしかないので、列車は走っていません。人々は広大な「エキナカ」やその周辺に住み着き、それなりに役割や居場所を見つけて暮らしているようです。
…
(1)横浜駅の不思議
私は東京に住んでいて、年に数回程度、仕事で実際の横浜駅を利用するのですが、訪れるたび、地元のスタッフが案内してくれるルートが異なります。
あれ、こんなところに出口があったの?と尋ねると、最近出来たんですよ便利でしょうと、ハマっ子たちは得意気な顔。考えてみると、不思議な駅です。
現実でも、渋谷駅は横浜駅と多重に接続されたせいかこの「いつまでも工事中」病に感染した気配がありますが、本作では、横浜駅のこの不思議な性質が、無限に拡大する構造物の「遺伝子」として利用されます。
ちなみに、観光地である横浜には、様々な名物がありますね。しかし、本作では、特に横浜という都市への思い入れのようなものは示されません。謎のアニメ「しうまいくん」もフレーバー程度。横浜駅と敵対する福岡のお菓子のほうがディテールが細かいです。あくまでも、変化し続ける横浜駅の特性がテーマなのです。
(2)目的のない巨大構造としての駅
本州を覆う巨大な横浜駅に、どうやら自身の存在目的はないようです。いわば、単純に「生きている」のみ。適当にエスカレーターを生やし、改札口を作り、じわじわと拡大していくだけの存在です。
元々は鉄道駅という明確な目的を持った存在として建設されたものが、その性質を生物的なものに移植された結果、道具ではなく環境のような存在と化し、人々はそこに何らかの居場所や役割を見つけて暮らしています。
このような社会的実在として、株式会社がすぐに思い浮かびます。営利を追及するための組織としては、実際の活動内容があまりに「不自然」ですよね。しかし、この現代に、会社が理不尽だという物語を書いても、わくわくする冒険にはなりにくいでしょう。似た性質を巨大ターミナル駅に見いだした点が、優れた着想だと思います。
(3)列車は出てきません
このような次第ですから、本作に鉄道列車は出てきません。列車に乗降する場所という機能を失っても、いやむしろ失ったからこそ、横浜駅は純粋に横浜駅であり続けることができます。
この点で、本作はキング「ダーク・タワー」シリーズの殺人モノレールを越えた存在といえるでしょう。謎なぞ好きの狂ったモノレールは、悪意ある存在で、戦うことができました。
しかし、本作の横浜駅は、明確な目的がないだけで、ある意味では正気の状態といえます。駅の周りに暮らす人間は、これとどう対峙すべきなのか。主人公はある行動に踏み切りますが、本人はその選択に納得していないようにみえます。主人公の人生は、むしろそこから始まるのかもしれません。
(4)魅力的なサブキャラクター
中盤から登場する技術者の久保トシルは、他人と話をしていても、相槌を打つ必要を感じずに黙っている人間です。
しかしこの人物はなかなか魅力的で、価値判断も明確です。ぼんやり流されている主人公よりも、よほどしっかり自分の人生を生きています。私はこういう人が大好き。見ていてとても楽しいです。
彼の消息は途中で途切れていますが、一体どこへたどりつくやら。本作が大ヒットし、彼が大活躍するスピンオフ作品が次々に作られることを願ってやみません。最後はやはり、あこがれの宇宙に乗り出してほしい。そこでベタベタな落ちがついたりするのも、また人生というものです。
いかがでしょうか。列車に乗らない駅の話、かなり面白そうではないですか?私は一気に読みました。
いやあ、twitterがあって、本当に良かった!そういえば、何に役立つわけでもなく大赤字なのに、長らく特殊日本的に大繁栄し、近年でも米国大統領を初め有名・無名の人々に役割や居場所を与えているこのSNSも、奥深くて謎めいた、大いに横浜駅的な存在といえますね… 続きを読む投稿日:2017.07.25
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女と猫は呼ばない時にやってくる
小池田マヤ / Jourすてきな主婦たち
気張った世界を離れて「一人の私に戻る」オアシス
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「女と猫」シリーズ第一巻。タイトルは「悪の華」のボードレールから引用し、主人公の平さん(ヒラリー)はポエマーですが、詩を詠むマンガではありません。バーテンが人生に疲れた人を静かに癒す叙情派人情系作品と…も違います。
ちょっと気張って暮らしている人が、美味しいものをみんなで食べて、笑顔になれる場所を見つけるマンガです。
(1)女たちが集えど女子会には非ず
女たちが酒と料理でわいわいと…とくれば、昨今ではまず「女子会」という言葉が浮かびます。
しかし、この作品におけるテラス席の常連たちは、個々の都合でバラバラに店にやってきます。たまたま出会って料理をシェアしても、会計して帰るのはまた別。店主が名前を知らない人もいます。普段はそれぞれのテリトリーで暮らしている野性動物が、オアシスの水場で顔を合わせているようなイメージです。
したがって、この集いの眼目は「仲良きことは美しき哉」ではありません。共感したり連帯したりする必要はなし。もちろん、同調しつつライバルを出し抜いて他人に受けるための「女子力」も要りません。ここで楽しいのは、鋭い観察眼による人物評や、単純に話を聞いてくれること、そして「一人の私に戻る」ことです。
なかなか得難い、素晴らしい場ではないでしょうか。
(2)ヒラリーはなかなか落ち着かない
そんな素敵な場所ですが、ヒラリーはなかなか入っていけません。後半第四話になっても、常連のいるテラス席ではなく厨房で、ドギーバッグに料理を詰めてもらう始末です。
それはそうですね。仕事や趣味など、自分が特定の役割を持つ世界を離れて、「一人の私」として他者とふれあい、寛ぐというのは、理想の高い人にとっては、最初はハードルが高いものです。こだわりが捨てきれず、もうそこまで来ているのに、特別な距離をとってしまう。参加したいが帰りたい二律背反。わかります。そういう点で、ヒラリーはまだ大人ではない。いくら仕事ができて、元カレと適当に付き合っていても。
(3)作ってもらうご飯の美味しさ
そのハードルを乗り越えさせてくれるのが、料理です。美味しいものを食べるという行為は、人々を笑顔にします。笑顔があれば、人は一緒にいることができる。そして、楽しい時間を過ごせるわけです。
この作品の料理は、とても美味しそうです。恋の駆け引きや子育ての悩みに負けていない。修羅場もなんとなく解決した気になる。これ大切ですね。
さらに、プロに作ってもらう料理であるところが、彩りや華やぎを生み、最終的に各人物の心の扉を開かせる触媒になっているような気がします。自分で作れる人でも、作ってもらうのは楽だし嬉しい。この「楽をする贅沢」を私もしてよいのだ、するぞ、文句あるか幸せだぞという肯定感も外食の楽しみですね。
料理を食べて笑顔を浮かべるたびに、ヒラリーが次第に新しい街になじみ、テラス席の常連たちにも受け入れられていく。最初の緊張がだんだんと解けていく過程が丁寧に描かれているので、読んでいるこちらも寛いだ気持ちになるようです。
(4)食べてもらう側の喜びはこれから?
舞台である「呟木」は、ソムリエにサーブされたり、ドレスコードのあるお店ではないけれど、プライドをもった料理人が、心を込めて作った料理を出している。要するに「信用できる」お店です。
店主の銀さんには、さらに、心を込める理由があります。この人の笑顔が見たい!俺の料理で!!果たしてこの想いは実るのか?デザートという弱点は克服できるのか??
…という部分は待て続刊。次刊「老いた鷲でも若い鳥より優れている」以降のシリーズ既刊3冊を経て、じわじわ展開していきますので、乞うご期待です。私も、現在連載中の新エピソードが単行本化されるのを楽しみにしています!
ついつい足を運んでしまう馴染みの店。普段の仲間と行くのではなく、迎えてくれる人たちがそこにいる、「私の」オアシス。そんな大人の夢を抱いている人に、お薦めのシリーズです。 続きを読む投稿日:2017.07.09
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たたかう天気予報
火浦功 / 角川文庫
80年代、じりじりとさぐり当てた軽妙
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1980年代、コバルト、小説推理、ログインなど各誌に掲載された火浦功の作品が収録されています。
新刊の宣伝文句にされるほどの寡作で知られた大人気作家ですが、近年ではさすがに過去の作品が入手しにくくな…っています。本当は「ニワトリはいつもハダシ」をご紹介したいのですが、残念ながら電子化されていません。
そんな中で、この作品集は、火浦功のエッセンスを知る一冊として、なかなか良い本だと思います。
(1)笑いは時を越える
ウォークマンでカセットテープを聴いていた当時を知らない世代にはわかりにくいと思いますが、火浦功はネタが古いです(当時の若者にとり、「クレージーキャッツ大全集」はイケてるコンテンツではありません)。
若い読者にはなじみのない、時代劇や落語のネタを平気で入れてきます。中年になった今では私も「ああ、芝浜ね」などとわかりますが、リアルタイムで読んだときには、ショパン猪狩先生など引退間際、テレビで見る機会もほとんどなかったものです。
では、元ネタがわからないとつまらないかといえば、そうではありません。わからないなりに、これは面白いと伝わり、笑わされてしまいます。繊細に練り上げられ、軽妙さを極めた文章に秘密があると思うのですが、もちろん真似はできません。時を越えたジョークで引き付ける達人の技に酔うばかりです。
(2)SFには叙情も欠かせない
笑いばかりが得意分野ではありません。ハードボイルドがお好き、ということで、情感たっぷりの作品も多いです。第2篇「不安定なまゆみ」は、「君の名は。」が大ヒットした今こそ読んでもらいたい一作。「まちがってるかもしれないが…重要なのは…」というくだりは、まさに時を越えて共感されるボーイミーツガールの本質ではないでしょうか。
(3)苦労を顔に出す芸風
ファンを楽しませ、しかし深く静かに作者を追い込んでいった完璧なクオリティの追求。
後に新井素子先生が「全力で力を抜いている、これでは書けない」という趣旨の評をしておられましたが、それは実作者でないとわからない機微。80年代後半は、ファンはまだ無邪気に作家の「書けない」芸を楽しんでいたものです。
第17篇「続・釜無温泉の決闘」や最終篇「火浦功、落ちる!」では、笑えるスレスレのところまで、もう来ているのですが、読む側としては「印刷所の出張校正室で」などというディテールが面白い。同時に、ストレスなく読めてしまう軽快な文章が、たいへんな時間をかけて生み出されていることもわかります。作者の苦闘を楽しく見せてくれたという点で、多くの読者に希望を与えた作家でもあります。
(蛇足ですが、例の盾が出ないのは仕様ですので、いくら地下10階を巡っても、無断ムダ無駄というものです)
時代が巡り、流行りものが変わっても、面白いものは面白い。「あの頃」の記憶がだいぶ薄れてきた今こそ、また読み返す価値のある作品集です。
(4)あとがきは最後に読みましょう
第1篇「銀河芸人伝説」のジョーンズ博士は、もちろんあの人なのですよね。読後に必ず忘れてしまい、再読の際に「あとがき」まで読んでから、毎回ひっくり返ります。あなたはお気づきになるでしょうか? 続きを読む投稿日:2017.06.25