shiroyagi03さんのレビュー
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漫喫漫玉日記 四コマ便
桜玉吉 / 月刊コミックビーム
読もう!桜玉吉
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2009年11月から2013年までの作品です。
いちおうコミックビームの販売促進のテイですが、身辺雑記の四コマ漫画です。
タイトルも同じだし、「満喫慢玉日記 深夜便」とワンセットと考えるべきでしょ…うか。
O村さんとの対談があいだに挟まれています。
これがあってよかったです。
二人のやり取りから、玉吉さんの当時の状況がわかります。
玉吉さん、苦労されてますね。
収められている作品から、その作風というか描画の線をみるだけでも、玉吉さんのその時の精神状況をうかがい知ることができます。
ともあれ復活おめでとうございます。
子どもの頃のチンチンのムズムズは共感です。
思い出しました。
当方とりわけブランコにのっているとき、おしっこをしたいようなでも出ない、気持ち悪いようなでも気持ち良いような、そんな感じがありました。子どもだったので、性的なるものとのバイパスが形成されていない、その時期ゆえのムズムズだったのでしょうか。
謎です。
続きを読む投稿日:2017.07.05
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柔らかなこころ、静かな想い 心理臨床を支えるもの
村瀬嘉代子, 中井久夫 / 創元社
タイトルに偽りなし
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中井久夫先生の著作から巡り会った一冊です。
挿絵を中井久夫先生が担当されています。
このような本との巡り会いは、地方に住む者にとって、まちの本屋さんでは少々難しいです。
どうしても品揃えが少ない…ので、村瀬嘉代子先生も(中井先生であっても)そうそう本屋さんで見かけることがありません。
今となっては当たり前のこととなったと言えるのでしょうが、電子書店ならではの巡り会いであり、そして、巡り会えてよかった一冊です。
心が洗われると言うのでしょうか、リラックスして読める文章です。
もっとも最後の方の数章は背筋の伸びる、ピリッとした内容になっています。
好きな章は
「芽吹き、花開き、結実のとき」
「二羽の鶴-林隆行先生ご夫妻を偲んで」
「家族力」
「手紙」
「入り日を惜しむこころ」
といったところでしょうか。
とりわけ「家族力」のおわり近くは気になる内容でした。
曰く、
虐待されたり親から拒否された子どもは、しばしば親を庇い親の批判をしない。
昨今トラウマを再現し言語化させるという治療技法が受け入れられているが、いたずらに辛い体験の再現や言語化を求めるべきではないのではないか。
なぜなら人間にとって父母とは自分の存在を生物学的にかつ精神的にもかなり基底の部分で大きく規定している存在であり、自分の親をいたずらに否定すると人は自分自身の存在をも受け入れがたくなるのではあるまいか。
とのこと。
身の回りの人を見て思い当たる人あり、はっとさせられる内容でした。
続きを読む投稿日:2017.07.06
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テロ
フェルディナント・フォン・シーラッハ, 酒寄進一 / 東京創元社
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
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シーラッハの作品は好きで一通り読んでいます。
どれもそんなに長くなく、そのせいもあってか一度読んでいてもたまに読み返したくなります。
この作品もそんな一つです。
本作品は法廷劇で舞台用の戯曲…です。
おそらくは観客が参審員となり被告人に対して有罪または無罪との評決を下す、そこに眼目が置かれている作品なのだと思います。
なので判決文(本作品では有罪の場合の判決文と無罪の場合の判決文の両方が用意されています。結末が二通りあるというのは奇妙といえば奇妙ですが、当然といえば当然ですね。)は読んでも読まなくてもかまわないのかもしれません。
第二幕までを読んだらあとは本を閉じてしまって、自分で結論を下せばそれで物語は完結する、そういう読み方もできると思います。
本作品の面白さは、ページをめくる手が止まらないといった面白さではないです。
立ち止まって吟味して、深く考えながら読み進めると味わいが深まる、そんな面白さです。
最初に読んだときは被告人であるコッホ少佐は無罪であるしそれしかないと思いました。
次に読んだときはこれは有罪以外にはありえないのではと思いました。
真逆の結論ですね。
今は正直どちらとも決められません。
でもそんな中途半端な思いを楽しんでいます。
ずるい楽しみ方ですよね。
でも、そんなずるい楽しみ方をしている自分に安心しているところもあります。
この作品を読んで、有罪なり無罪なりの判断をしてそれでこと足れりとしてしまうこと、それができる人に自分はなりたくないし、それができる人とはあまり友だちにはなりたくないな、と感じます。
そんなに簡単に、一筋縄ではいかないものですから。
でもどうしても有罪か無罪か決めなければならないとしたら、こちらに票を投ずるというのが何となくですが決めてはいます。
それがどちらかは言いませんけどね。
詳しくは、まあ読んでみてくださいな。
続きを読む投稿日:2018.02.21
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死を迎える心構え
加藤尚武 / PHP研究所
老齢者の処世訓?否、当事者研究本である。
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むかし、この著者の生命倫理学に関する著作を何冊か読んだ記憶があります。
1990年代の中頃だったはずです。
内容は正直まったく覚えていません。
ボンクラ丸出しです。
しかし感銘を受けたという記…憶はあります。
だからこそ著者の複数の著作を読んだのです。
ちゃんとした記憶はないものの自分の気づかぬところで、みずからの血肉となっているのでしょう(そうあって欲しいものです)。
本書は著者80歳を目前に書かれたものです。
学者として生き、老齢期に入り、来し方を見やって、今の自分の考えを理知的論理的に、そして可能な限り率直に述べようとしています。
本書は、学術的な記載であるべく様々な引用が用いられています。
それらは、もちろん見るべき知見であり聞くべき言葉であります。
しかしながら、そして僭越ながらですが、それらの引用よりも著者ご本人の「なまの声」こそが、説得的で貴重だと感じられました。
わたくし的には二つの見るべき点がありました。
ひとつは、「お年寄りあるある」的な、老いの実感を表現しているところです。
たとえば、歳をとり記憶を手繰りよせることがままならないことを、図書館と出納係のたとえで説明するくだりがあります。
また、未来がなくとも未来があるふりをすることや好好爺ぶって芝居することの大事さを語るくだりなどがあります。
共に上手なたとえであり、老いてからの処世術としてとても説得的だと思います。
ただ、若干表層的かもしれません。
講演受けする、共感を得られやすい話なんだろうな、とも思いました。
もうひとつは、パーソナルで切実な、老いの実感を綴っているところです。
著者は「息子には自殺する権利はない。なぜなら、息子が自殺したら父親である著者はみずからの同一性を保持しえないから」と言います。
また、「夜中に悪夢から醒めたとき、ふたたび悪夢を見るのではないかと恐れたときは、『おとうさん』と何度か唱える。今でも父の言葉に支えられて生きている。」とも言います。
身内への愛情の回帰というか愛情の再強化というか、そういったものが感じられます。
こころの深層に迫るもので、身につまされます。
本書は、老齢者自身による「老いに関する当事者研究」の本であって、あるいはそこにこそ眼目がある、そう言ってよい本であると感じました。
続きを読む投稿日:2018.03.20
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脳は回復する―高次脳機能障害からの脱出―(新潮新書)
鈴木大介 / 新潮新書
井上陽水は「氷の世界」の頃、アフロヘアーでした。
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本書は、不幸にも脳梗塞を引き起こして高次脳機能障害を負った方の体験談です。
前著に「脳が壊れた」という本があります。
前著もそうでしたが本書は、内容はかなりシリアスなものですが読みやすい文章で書か…れています。
著者は本書において、脳梗塞からのサバイバーとして発言・提言されています。
個人的な体験をベースとして、自分が抱えることとなった様々な障害や症状を分類し、その特徴を説明し、その対処法や解決法を探っています。
言ってみればこれらは「切れば血の出る生身の言葉」です。
ここに本書の主眼があります。
また著者の職業は取材記者であって、これまで職業上取材対象者として多くの貧困者や種々の被害経験者に接してきています。
彼ら彼女らから感じることのあったある種独特のパーソナリティと、今回自分が抱えることとなった障害・症状との間に、類似性があることを見いだしました。
ここも慧眼だと思います。
もっともこの、取材対象者に関するくだりについては、読んでいて息苦しいというか、気持ちが揺れるところもありました。
著者は本書の中で、みずからの障害・症状からの回復に必要だったものを挙げています。
ただし、それすなわち上記の取材対象者たちが決定的に持ち合わせていないもの、だったりします。
この点において著者が、この場で共に語らんとする取材対象者との間に解離というか溝を作ってしまっている、そんな気がするのです。
あるいはわたしが頭でっかちで、誤読や曲解をしているだけなのかもしれません。
ただ、著者のいう「助けなきゃいけない人たち」(「助けなきゃいけない人たちが、助けたいと思えるような人たちだとは限らない」のだ。)の中にはこのような誤解や曲解をしてしまいがちな人もいるのではないでしょうか。
そんな気がして、微妙に気持ちがヒリヒリしながら読んでいました。
そんなこんなで個人的には著者に対して、今は「あれもこれも」とは考えずに、脳梗塞からのサバイバーとしての発言・提言に主軸を置いた方が良いのではないかな、と感じました。
結局はそれが、著者が求めているものの全てにつながるような気がします。
アトゥール・ガワンデの「予期せぬ瞬間」(みすず書房)という本があります。
この本の中に「厄介事が起こると、私たちはそれを悲劇と呼ぶ。しかし、ひとたび誰かが書き記せば、それを科学と呼ぶ。」(原註 まえがき1)とあります。
高次脳機能障害をもつ当事者からの発言・発言はまだまだ少ないのが現状のようです。
より多くの当事者の声が書き記されることを望みます。
そして、より多くの厄介事が科学に還元されることを望みます。
(本当は著者の奥さんについても書いてみたかったけど、なんか力尽きてしまった。)
いい本です。読んでみてください。
続きを読む投稿日:2018.04.11
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仕事に効く、脳を鍛える、スロージョギング
久保田競 / 角川SSC新書
とりあえず今日からちょっとだけ走ってみましょう。
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ボリュームもそう多くなく、文章も読みやすいです。
そうですね、2・3時間くらいででさくっと読めます。
奥付をみると、2011年11月5日第三刷を底本として2012年1月1日に電子書籍として発行…、とあります。なのでいま(2018年)からみると少々古い本です。
とはいえ内容的に時代遅れという訳ではありません。
ゆっくり走るといいことあるよ、走るときはフォアフット走法で走るといいよ、こういったことが書かれています。
「Born To Run」(クリストファー・マクドゥーガル著 NHK出版)や「脳を鍛えるには運動しかない!」(ジョンJ・レイティほか著 NHK出版)を本文の中で紹介・引用しています。
上記の出版時期からいって、この辺の話が話題になっていたころに、これらの内容を若干希釈して読みやすくし、そこに本著独自の視点や解釈を加えている、そういった本づくりをしているのだろうなとの印象を受けました。
子供のころの体育の授業にいやな思い出がある人は少なくないと思います。
運動なんて疲れるししんどいしなんか嫌だな、といった人も多いと思います。
でもそういいつつ、体を動かすことは楽しいことだ、ということをわかってもいます。
スポーツもそうだしダンスもそうだし、音楽に合わせて頭を揺らしたりするものそうです。
なんだかんだいっても体を動かすことは楽しかったり気持ちのいいことだったりするものです。
そんななか、ゆっくり走るあるいは無理なく走る。これが一番手っとり早くて一番人に適した運動なんだろうな、そう思わす内容でした。 続きを読む投稿日:2018.05.15