
年収は「住むところ」で決まる ─ 雇用とイノベーションの都市経済学
エンリコ・モレッティ,安田洋祐,池村千秋
プレジデント社
日本では。
本書は米国を都市ごとに分析し、イノベーションがある都市とそうでない都市とで年収格差が発生し、その差は広がっているという結論を示しています。 「そうでない都市」の代表として、デトロイトやダラス、ヒューストンなど、NFL(アメリカンフットボール)の本拠地となっている都市がいくつも上がっていました。 NFL好きなので聞いたことがある街がイケていないほうに数多く上がるのは複雑な気分でしたが、過去に隆盛を極め、その時期にチームを誘致できた街でもあるわけで、ある意味当然なのでしょう。 日本で言うと、プロ野球チームの親会社に映画会社(松竹、東映、大映など)や鉄道会社(西鉄、阪急、近鉄、南海、東急、国鉄など、現在は阪神、西武のみ)がいたのがIT企業(楽天、ソフトバンク、DeNA)に代わっていったようなものですか。 イノベーションを起こす企業がある街で成功すれば、その企業の従業員が増え、彼らに対するサービス(飲食店や小売店など)のために経済活動が活発化され、その企業だけではなく街全体の収入が上がる、というメカニズムが働きます。 直感的なメカニズムで、これを否定する人は少ないだろうと思います。もっとも、得られた収入を奪ってしまう外部の仕組み(つまり、社会保障や投資家集団など)も存在するので、現実は理論のようにはいかないのですが。 本書では、イノベーションを起こせる企業づくり、そしてそのために人材の獲得と教育が、住民の収入を上げ、生活の質を高めるのに重要とされています。 とくに教育は、質の高い人材を育成するために不可欠であるにもかかわらず、近年の米国では十分な教育が施されていない(代わりに、外国から優秀な人材が流入するのでイノベーションを起こせる)とされています。 本書は米国の事情が中心で、日本は比較対象の外国のひとつとなっていますが、日本の場合を考えてみます。 共通するのは、日本では東京に企業も人材も集中し、そのため東京圏とその他の都市との間で、格差が年々広がっています。 インターネットの普及で、企業も人も場所を選ばず働けるという考え方もありましたが、やはり「物理的に近い」ことはコミュニケーションや情報共有、そして信頼の醸成など見えにくい部分での効果がまだまだ大きいようです。 アベノミクスで「地方創生」をうたい、企業や人材の地方移転を促す制度を作っていくようですが、そうでもしないと東京一極集中は進む一方ですし、これでも格差は埋まらない可能性もあります。それくらい、東京という街の魅力というか、吸引力は大きいと言えます。 日本では、地方都市でイノベーションが生まれても、本書で示されたようなメカニズムが十分に機能しているとはいえません。 (事例としては、任天堂や京セラの京都、ジャストシステムの徳島、ハドソン(ゲーム会社)やボーカロイドの札幌、Ruby(プログラム言語)の松江などをあげれば十分でしょう。) このあたりの日米の差異を研究している研究者や学生はすでにいると思いますので、何かしらの知見が出てくると期待しています。
4投稿日: 2015.01.24
勝負哲学
岡田武史,羽生善治
サンマーク出版
将棋とサッカーの共通点
将棋ファンで羽生名人の大ファン、サッカーも(詳しくはないけれど)好きなので、この対談本はいつか読みたいと思っていました。 羽生名人は将棋界の第一人者であり、講演や執筆などの活動は将棋界に留まらず、広くビジネスの世界で私たちは示唆を与えられています。岡田監督も日本代表の監督として、2度のワールドカップ本戦出場を果たしています。 将棋とサッカーは全く違う競技ですが、共通点もあります。(駒と選手のアナロジーもありますが、ここを強調しすぎると選手は監督の指示に従って動くべきものとなるため、否定的に捉えるべきでしょう) サッカーでは各選手ごとに得意な動きがあり、その特性を生かしたポジションやフォーメーションが勝利への技術となります。 将棋は駒の動きが定められていますが、サッカーと同様に囲いや戦法が勝利への技術となりますし、サッカーも将棋もフォーメーションが日々進化し続けているのも共通点と言えるでしょう。 あまり技術的に込み入った話はしませんが、相手の隙を突くためにこれまでの常識では見られない攻撃態勢をとったり、あえて攻めさせておいて反撃のタイミングを窺ったり、逆にあえて攻め込まずに守備体型のほころびを待ったりするなど、現代は将棋もサッカーも大きく変わりつつあります。 常識にとらわれない攻撃と、あらゆることを想定した守備が、時に攻守を入れ替えながら戦うのは、サッカーも将棋も同じと言えます。 また、勝負に対する集中力についても、重なり合う部分があるようです。もちろん将棋は1対1、サッカーはチーム戦ですから、集中の仕方にも違いはあるでしょうが、「フロー体験」や「ゾーンに入る」という言い方で、深い集中に入り非常に高いパフォーマンスを出せることは共通です。 羽生さんはこの状態を、深海に潜って戻ってこられないようなぎりぎりのところ、という感じでお話しされていましたが、潜るという表現が「ハチワンダイバー」という将棋マンガに通じるところがあります(好きなときに集中できるようなものではないようですが)。 ただ一点に集中するだけではなく、「広い集中」と表現された、フィールドや盤面全体を注視して、どこで戦いが起こっても瞬時に対応できる気持ちの持ち方も、潜る「深い集中」と同様に必要と思いました。 本書は2011年に(紙で)出版されており、同年の東日本大震災と、その中で将棋やサッカーが果たすべき役割についても意見交換しています。 1995年の阪神・淡路大震災のときには、神戸在住で被災した谷川王将が羽生六冠を退け王将位を守り、神戸の希望となりました(羽生の七冠独占はこの翌年。六冠をすべて防衛し、翌年の王将戦でも挑戦者となった)。 かつては大正時代の東京大震災のときにも、新聞紙面に将棋が掲載され、ひとときの娯楽として被災者にも好評だったと聞きます。 サッカーも、被災地のサッカースクールで子供たちが楽しんでいるのを見て元気づけられた、希望を持ったという人も多かったようで、サッカーや将棋のような娯楽は直接の復興にはならなくても十分に役に立てるのだと感じます。 (余談ですが、フィギュアスケートの羽生結弦選手(さらに余談で、将棋の羽生は「はぶ」、スケートの羽生は「はにゅう」)が仙台在住で被災しており、その後の活躍で被災者を勇気づけたと聞きますし、ジャンルを問わないですね。)
4投稿日: 2014.12.17
生き方
稲盛和夫
サンマーク出版
人間としてまっとうな生き方、まっとうな経営
京セラの創業者で、DDI(現在のKDDI、au)で通信分野に進出し、近年は日本航空(JAL)の再生を手がけた稲森和生氏の経営理念が著された一冊です。 「生き方」というタイトルにも見られるように、その考え方は企業経営に留まらず、私たち一人一人の働き方や考え方、そして生き方にもあるべき姿を投じてきます。 まず、働き方について述べられています。稲盛氏はものづくりの人ですので、製造現場での課題解決について、強い思いとこだわりが感じられます。 つまり、絶対にこの壁を越えるのだ、という強い意志で常にその課題を考え続け、一生懸命に考え抜き、ありとあらゆることをやり切った先に、「神様」が解決策を与えてくれる。 苦行に耐えた先の神秘の瞬間と捉えるとオカルトっぽくなってしまいますが、「セレンディピティ」とも呼ばれる、考え抜いた先の啓示的なひらめきのことでもあります。 いま、自分自身が仕事の場で、ある課題の解決にそこまで考え尽くしたことがあったか、途中で諦めたり妥協したりしなかったか、改めて考えさせられます。 考え方は、道徳的なところに行き着きます。稲盛氏は経営学を体系的に学ばないまま経営者として現場に出て行ったのですが、そこで実行したのは、人間としてまっとうな経営でした。 重要な決断の際には、自分の決断は利己的なものではないか、私心が少しでも混じってはいないか、それを何度も何度も問い詰め、利他の精神、奉仕の精神で経営手腕を発揮してきました。 「口ではそう言っているが、実際に自分の利益を考えないわけがない」と考える人はいるとは思います(個人的には、自分が利己的だから誰もが自分と同じように利己的だ、というだけだと思いますが)。稲盛氏はそのような考え方の存在は認めた上で、一切の私心を持たないようにしてきたと言っていますし、それが本心なのでしょう。 私は親も戦後生まれの団塊ジュニア世代ですが、道徳が忘れられたと書かれているのは同感です。バブル崩壊以降欧米の合理的な考え方が日本にも定着して、合理的な考え方の良いところは忘れられ、悪いところだけ残ってしまったようにも思います。 そして最後に、「生き方」。稲盛氏は仏門に入りましたが、宗教でいう創造主の存在を、宇宙や人間の誕生のスケールでも信じているようです。 だからこそ、良い行い、まっとうな生き方を続けていれば必ず報われ、逆に堕落した人生から得られるものはそれなりでしかないとしています。 (このあたりは難しいところで、将来報われるための「善行」は、報われたいという私心があっての行いになるので、却って報われないこともあるでしょう。 そして将来報われるだろうと知ってしまったがために、善行が善行でなくなるとすれば、それも皮肉な話です。) 自分もプロテスタントの教会に通っていた(洗礼は受けていません)時期があるのですが、それ以来神の存在を感じています。とくに何かしてもらえるわけではないのですが、常に自分のことを見てくださっているし、だから「誰も見ていないから悪いことをしてもいい」とは考えなくなっています。 泥臭いし、不器用かもしれませんが、まっとうに生きる。そして生まれたときよりも良い人間になって人生を終える。 それこそが、人間としての最高の幸せ、最高の生き方なのではないかと思いました。
3投稿日: 2014.12.03
経済学は人びとを幸福にできるか
宇沢弘文
東洋経済新報社
経済学と政治的イデオロギーは切り離して考えたいです
先日(2014年9月)亡くなった経済学者の宇沢弘文氏の講演や論文集です。 死去を伝える新聞記事では、1983年の文化功労者の顕彰式後、昭和天皇に経済学について説明し、「経済経済と言うけれども、要するに人間の心が大事だと言いたいのだね」というお言葉を受けたというエピソードが紹介されていました(本書にも出てきます)。 近年こそ行動経済学や経済心理学といった学際的な議論も進んできていますが、30年以上前の経済学は完全に合理的な人間を想定し、「効用」という損得の指標で人間の活動を規定する学問でした。 人間が完全に合理的であるという前提でモデルを構築し、実際の経済と乖離すればモデルを修正する繰り返しでしたが、そのまま突き詰めていれば経済学はどこかで行き詰まるか、極端な結論が出てしまうことになっただろうと思います。 じっさい、極端な結論である市場原理主義を推し進めた結果、投資家だけが企業や市民から富を奪って大量の利益を得て、しかし利益を得ること自体が目的ゆえに利益の使い道がなく、さらに多額の投資を行うしかなく結局誰も幸福にならない、という社会が生まれています。 私も、現実の経営や生活にあって、ただ利益を追い求めるだけでは幸福になれないと考えています。 そのために企業は経営理念を掲げていますし、個人もそれぞれに生きがいや価値観を持っているでしょう。自分が嫌いな投資家は、彼らはただ利益しか追い求めず、投資先の企業の成長すら考えていないのが透けて見えるのです。 ということで宇沢氏の経済学的スタンスには非常に共感を示すのですが、一方で政治的イデオロギーが前面に出すぎていることに違和感を持ちました。 太平洋戦争とベトナム戦争を体験し、多くの研究同志を失ったことが影響しているのだろうとは思いますが、一方的な考え方を押しつけられ、かえって自由を失ってしまうような気がしました。 もちろん政治と経済を完全に切り離すことはできませんが、経済学は学問的見地から、政治抗争やイデオロギーとは一線を画したところで政治に助言するスタンスが適しているのかもしれません。 後半の、教育や環境、都市計画についての論文は評価が分かれると思います。 本書全体を通して、効率的すぎることで人間らしさを失っている、という主張があります。 ただ、どこまで非効率を賞賛すべきなのか、古くさい考え方にしがみつき、社会の変化を拒んでいるだけではないのか、という反論もあるでしょう。 様々な考え方があって良いと思いますので、本書の主張を鵜呑みにせず、また老害だと切り捨てることもなく、ひとつの意見、行き過ぎた合理化に対するアンチテーゼとして受け止めていきたいと思います。
9投稿日: 2014.11.20
実践版孫子の兵法 勝者を支える最高峰の戦略書
鈴木博毅
プレジデント社
本番よりも、準備の大切さ
孫子の兵法。名前は知っていても、その内容は断片的にしか聞いたことがなく、今回初めて解説書を手に取る機会がありました。 孫子(孫武)は中国の呉越の時代(春秋時代・紀元前5世紀頃)の軍師で、その考え方は2500年経った現代でも十分に通用します。本書はビジネスを中心に、孫子の考え方をどのように自分の成長に落とし込むか、を考えるのに良い一冊となります。 孫子の有名なフレーズに「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」があります。孫子は他勢力との戦闘を意識して記していますが、私たちに置き換えれば顧客との商談、競合他社との競争、あるいは資格試験など自己啓発や自己実現のアクションに当たるかと思います。 顧客が何を望んでいるのか、競合他社がどんな戦略を練っているのか、試験ではどのような内容が出題されるのか。これを知らずに遮二無二努力しても、努力の方向が間違っていれば何にもなりません。 商談や試験の本番で緊張して力が発揮できない、ということもあると思いますが、そこまでの準備が十分にできており、もうこれ以上やることはないという心境になれば(これが難しいのですが)、不安も緊張もなくなるでしょう。 また、孫子は「勝つ」ことよりも「負けない」ことに重きを置いており、「百戦百勝は善の善なるものに非ず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」と記しています。 自分の価値観としても、負けたくないですが、それ以上に誰かを負かしたくない、というものがあります。戦いになれば、とくに人間と人間との競争であれば、勝負が決したときに負けるのも人間です。 可能であれば戦いを避け、お互いに有利な形で状況を収められること、すなわちWin-Winの関係を求めることが重要であると解釈しました。 そして、孫子の内容は、意外と現実的で「ずるい」とも感じました。戦いを避けることもそうですが、弱い相手に圧倒的に勝てるときにしか戦わない、相手の戦力を分散させて弱いところを叩くなどを推奨しており、強敵に対して真正面からぶつかっていくことはむしろ愚策であるとしています。 少年マンガなどのフィクションでは、敵役が策を弄し、主人公は真っ向勝負というパターンが多いですし、それが感動や人気を生むわけですが、孫子では敵役のほうが良い戦略をとっているとなりますね。 時間に関する考え方も、準備を「機会を捉える時間」と見なし、そこに全力を注いで勝利を目指すべきだとしています。空いた時間を副業にあてて小金を稼ぐよりも、ずっと有効だとしていました。 正直なところ、著者とは価値観が合わないところもあります。社内の出世争いなどの競争は、社内の人的資源を削るだけでそもそも無駄だし、戦いに勝つこと自体が目的となっているようにも見られるし、取り上げた事例が結果論ではないかと思うところもありました。 そういった部分は読んだ自分の側でうまく読み替えて自分の価値観にあわせてゆきたいです。 さらに、何をもって自分が勝ったと考えるか、いわゆる勝利条件も、目先の勝負ではなく最終的に得られるものを条件とすれば、目先の勝負に勝つ必要があるのか、そもそも勝負の必要があるのか、を考えていくことができるかと思います。
7投稿日: 2014.11.15
ザ・コーチ 最高の自分に出会える『目標の達人ノート』
谷口貴彦
プレジデント社
目的・目標・ゴール、あるいは本末転倒にならないように考えるべきこと
本書を最後まで読み進めると意図がわかりますが、本書は2009年に書かれながら、その15年ほど前の時代を舞台としています(昭和34年生まれの主人公が36歳なので、正確には1995年です)。 目標管理という観点で時代を戻してみると、富士通が「成果主義」制度を社内評価に取り込んだのが1993年、その問題点が顕著になり方針転換を余儀なくされたのが2001年で、1995年はちょうどその間の時期になります。 つまり「成果主義」や「目標管理」がバブル崩壊後の停滞していた日本企業を救う銀の弾丸のようにもてはやされていた時期でもあるので、最初は同時期に書かれた文章だと思っており、批判する点のほうが多くなるかな、と思って読み進めていました。 実際には現代にも通じる内容で、目標を表面的なものではなく、その本質を適切に捉えていると感じました。実話であれば、1995年時点でここまでの意識を持って目標に取り組めた、主人公やその師の慧眼には驚かされるばかりです。 仕事の場では「目標」が必ず与えられます。今年度の売上ノルマをいくらにする、スケジュールを遵守して製品を作るなど、仕事を進め、自分や勤め先が成長していくために必要なことではあるのですが、目標達成が目的となってしまうとモチベーションが下がってしまいます。 本書では「目的」と「目標」を明確に使い分け、目的のための到達点を「ゴール」としています。別の言い方をすれば、目標達成そのものが目的化すると、目標を達成して何が得られるのか、という肝心のところがぼやけてしまいます。半世紀前の高度成長期とは違い、目標を達成しても大幅に生活が豊かになったり収入が増えたりするわけではありませんから、目的を明確化し、企業など集団であれば共有する必要があるわけです。 また、ゴールの置き方にも個人個人の価値観が反映するので、売上高など数値目標がしっくり来る人もいれば、自分自身の達成感や貢献感を重視する人もいるでしょう。 後半の「価値観を知るための言葉リスト」で、自分の価値観に合う言葉を探し、与えられた目標でも自分の価値観で言い換えれば、達成しやすくなります。 ちなみに、私は「改善」や「理解」、またリストにはありませんでしたが「成長」や「貢献」という言葉に惹かれますので、売上目標も「お客様との関係改善(構築)」「要望の理解と実現を通しての貢献」といった考え方で達成していくことになるだろうと思います。 目的を見失った、あるいはそもそも目的が与えられていない状況にあるのであれば、自分の言葉で目的を考えてみる、そしてその目的が適切かを上長などと確認する、といった手続きで目的を取り戻し、モチベーションを向上することができると信じています。
5投稿日: 2014.11.10
嫌われる勇気
岸見一郎,古賀史健
ダイヤモンド社
アドラー心理学は日本の人口に膾炙している、と感じました
タイトルからは『○○する力』のような自己啓発書のようにも思えますし、自分も勘違いしているところはありましたが、アドラー心理学の解説書であり自己啓発の側面はそれほど強くありません。 アルフレッド・アドラーについては日本ではほとんど知られていない、とされています。自分もアドラーという名前からは、女性、それも「あの女性」を連想してしまうのですが、ほぼ間違いなくシャーロック・ホームズの影響を受けすぎています(わかる人にはわかると思います)。 閑話休題、アドラーはフロイトやユングと同時代の心理学者なのですが、あまり名前は知られていません。 真面目な話、自分も心理学をかじっていたことがあり、アドラー心理学や個人心理学の名前は聞いたことがあったものの、それがどのような内容なのかは詳しくありませんでした。 今回本書を読んで最初に感じたのが、アドラー心理学で言われていることの多くは、キャリアアップや経営の考え方として伝えられてきていることと重なり、自分自身実践してきたことでもある、ということです。アドラーの名前は知られていなくても、その思想はすでに日本にも広く伝えられているといえます。 経営や起業、あるいはキャリアアップの考え方で、「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」という言葉はよく耳にすると思います。アドラー心理学でも同様のスタンスを取っており、他者の課題を自分にもちこまない、過去ではなく現在を見よ、といった言葉は、時代を超えても私たちの生き方の指針となるでしょう。 あるいは、「他人の顔色をうかがうだけの人生ではなく、自分のやりたいことをやっていこう」という話もよく聞きます。これもやはり、アドラー心理学では「他者の課題の分離」になります。まあ、こういう主張が情報商材やネットビジネスに向かってしまうのは、発想が貧困な人のやることだしどこかで間違えているのだとは思いますが。 そして最終的に必要なのは、他者への貢献、それも他者から「貢献してくれている」という評価を受けることではなく、自分で「他者に貢献できている」という実感を持つことです。 ひとつ例を挙げると、仕事の場面では職位による指揮系統がありますが、それを人間関係の上下に持ち込むと他者の評価を意識することになってしまいますし、他人の指示は受けたくないと反発すると貢献感が失われます。 そのどちらでもなく、受けた指示の意図や目的を理解し、目的達成のために指示を修正してもらう必要があればそれを伝えればよい、ということになるかと思います。それが、社会の中で他者から自由になることであり、他者や社会に貢献するということになるのでしょう。 こういう話は、社会の多くの場で私たちが感じ、また実践していることでもあるので、その意味でアドラー心理学が人口に膾炙していると言えるのではないでしょうか。
7投稿日: 2014.11.03
タイム・マネジメント4.0 ─ ソーシャル時代の時間管理術
竹村富士徳
プレジデント社
単なる効率的な時間の使い方ではありません。『7つの習慣』の実践です。
普段から忙しく、時間をもっと効率的に使えたらいいのに、と考えていてこの本にたどり着きました。 本を開けるまで気づいていなかったのですが、『7つの習慣』の考え方がベースとなっていて、これを実践することが時間を管理することにつながるということです。 7つの習慣の中に、優先度の考え方が出てきます。これが本書のキモとなる部分でもあり、ここを勘違いしていると時間管理はうまくいかないということになります。 7つの習慣では「重要度」と「緊急度」という2軸での優先度の考え方があるわけですが、「重要だが緊急ではないこと(第2領域)」と「重要ではないが緊急なこと(第3領域)」の、どちらを優先するべきでしょうか?この答えが、タイム・マネジメント4.0の本質でもあります。 時間は誰にとっても平等に1日24時間が与えられ、増やすことも貯めることもできません。では、「時間管理」は何を「管理」するのか、というと、イベント(出来事)の管理であるとの表現に、なるほどと思わされました。時間を効率的に使うというのは、とりもなおさず、日々の出来事を効率的に実行していく、ということでもあるわけです。 さて、私は「タイム・マネジメント4.0」が実践できているのか、と自問します。 スピード感を重視していて、多くのことを短い時間で片付けることは、ある程度できているのではないかと思います。 ただ、それはそれぞれのタスクをおざなりに(なおざりに、ではないです)してきたのではないか、ということも言えるわけで、必要なタスクを、適切な優先度と時間配分できちんと片付けていかないと、大きなタスクに耐えられなくなってしまうかもしれない、という危惧があります。 そういう不安が、自分自身の問題点として顕在化したことだけでも、収穫のあった1冊と言えます。
3投稿日: 2014.09.03
雑談力が上がる話し方
齋藤孝
ダイヤモンド社
思っていたより気軽に雑談してもいい
正直、雑談は苦手です。日常の会話からも何かを得ようとするあまり、結論を求めたり新たな気づきを得ようとしたりして、無駄を削ぎ落とそうとするのが自然は会話を妨げてしまっているようです。 また、人の顔を覚えられないというのもあって(これは雑談とは別の問題ですが)、前にあっているのだけれど誰だか思い出せない人に話しかけられない、というのも、気軽に雑談できない理由だろうなあと思っております。 残念ながらこういう疑問を根本解決してくれるわけではありませんでしたが、雑談の効用やネタの集め方、転がし方については多くのページを割いています。 たしかに、自分が妻と他愛ない話をしているときは、雑談ネタが勝手に転がっていって盛り上がりすぎて、「あれ、もともと何の話だったっけ?」ということもよくありますので、雑談がどんどん転がって展開していくときは話が盛り上がっているといえます。 プレゼンやコンサルティングでは、自分の経験を話すほうが説得力が増しますが、雑談で説得力を求めても仕方がないし、他人から聞いた話やその時々の時事ネタなど、切り出しはほんとうに何でもあり。むしろそういう軽い話題から入ったほうが、雑談は広がるようです。 苦手とか言って逃げていても仕方ないですね。 コミュニケーションの手段でもあるし、少しずつでも意識していければと思いました。
2投稿日: 2014.07.30
小さくてもいちばんの会社 日本人のモノサシを変える64社
坂本光司,坂本光司研究室
講談社
従業員を大事にする企業は、社会から愛される
著者である坂本研究室をまとめる坂本光司教授は、『日本でいちばん大切にしたい会社』シリーズの著者で、毎年「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞を選考し表彰しています。 坂本教授の理念は、会社経営とは「5人に対する使命と責任」を果たすものであり、その5人とは、優先する順に1.従業員、2.外注先・下請け企業、3.顧客、4.地域社会、5.株主であり、社内外を問わず働く人を大切にする企業こそがよい企業である、との姿勢を強く打ち出しています。 昨今の不景気と投資家偏重の政策のため、世界的に従業員が軽視され、労働が義務や苦役と結びつくようなネガティブなイメージで捉えられていますが、坂本教授が推奨する企業はそういった風潮とは一線を画し、従業員を大切にすることで成長してきた企業です。 本書は、坂本教授が主宰する研究室のメンバーが調査したレポート集となっています。64社という多くの企業を取り上げており、私が住む埼玉県越谷市の企業もありました。「小さくても」どころか、ショッピングモールの規模の大きさが日本で「いちばん」の企業(イオンレイクタウン)ですが、大きくてもおごらず、多数のテナントや顧客を集め、決して交通の便がよくない同地にわざわざ人を呼ぶ魅力を紹介しています。 多数の企業を紹介していることもあり、もう少し掘り下げて紹介してほしいと感じさせる企業や、ビジネスモデルが書かれていないためそこまでコストをかけて経営が成り立つのか不安になる事例もあります。ですがそれを割り引いても、まだまだ日本は捨てたものではないと感じさせる一冊でした。
3投稿日: 2014.07.04
