
新・哲学入門
竹田青嗣
講談社現代新書
最高の入門書
まずこの本は哲学の入門書としては非常に分かりやすいもので、この本より理路明瞭な本を見たことがないです。工学部卒で哲学門外漢の僕にもすっきりと読み通すことができる名著です。 いわゆる存在論的差異の問題における存在者還元主義が哲学における本体論と懐疑主義の隘路に陥る要因であることを暴露しています。 ゴルギアステーゼによって、現代の哲学のレトリックを暴露し哲学が進むべき道をニーチェやフッサールに見いだし、独自の竹田現象学によって、哲学の再生をなす名著です。 とくに前半は時間にクローズアップし現象学の要である根源的今の非空間性を徹底的に分かりやすく論じデリダの差延のレトリックを暴く内容で本当に分かりやすいです。 芸術論にも踏み込み快ー苦という根源的な感覚から美醜や善悪といった観念の諸階層を説明します。 最後は、公共のテーブルという概念によって、哲学の社会的な意義をつまびらかにします。 この本で哲学の概要をつかむのがベストだと思います。いかにもな子供だましのベストセラーとは格の違う本です。
0投稿日: 2024.02.01
異常の構造
木村敏
講談社学術文庫
東大の入試にもなった歴史的名著
木村敏の作品にハズレなし、本著は社会的な文脈から統合失調症について論じ、そこから日常の自明性の構造をも暴露する。 オカルトや異常への差別がなぜ起こるのかを極めて徹底して現象学的に追求した著作になっている。 日常を成立せしめる合理性が世界公式1=1に還元可能であることが示され、この同一律の成立が他者との関係を介した自己同一性の獲得によって可能となることを示している。 コモンセンスとしての常識がコイネアイステーシスとしての共通感覚を淵源とし、それが相互了解的に規範化されたものであることを明らかにしている。 そしてこのような常識や合理性が依拠するところの現実性の実相が離人症論でお馴染みの抵抗感などによって暴露されることになる。 我々の個としての生存への欲求、精神分析でいうところのリビドー、<他者>を介した享楽の追及に差別の根源を捉えている。 全と一の弁証法として自己を捉えそのつど全へと一が帰還することを示す論理は根源の欠如を軸とするラカンなどの構造主義、精神分析とは一線を画し、その今(根源)を中心とした時間意識は、本質的にいって極めてユングに近いことに疑う余地はないと思われる。その意味で日常を越えた地点から本書は日常性の条件を取り出しているとも言える。 本書で示される差別についていえば、1=1の世界公式は換喩的な時間の連続性を意味しており、異常の公式である死としての1=0はアリエッティの古論理思考を含むとするならば、隠喩的共時性を示すものと解釈する余地があるだろう。 とするならば1=1の換喩とは1=0の隠喩なくしては成立しえない。 始点=終点、すなわち死のないところに連続性も能動性も合理的には確立しえないわけであるから、日常性とはそれ自体、異常を排除することを渇望する傍らで、異常において死すことを欲していることになると考える余地がある。 そのために異常へのアンビバレントがあるように思われる。 また本書では超能力や霊、オカルトに対する一部の科学信仰者が示す激しい批判の心理も明らかにしている。 木村の本は古くなることがなく、この時代を洞察する上では欠かすことができないと思われる。
0投稿日: 2023.03.19
自分ということ
木村敏
ちくま学芸文庫
木村敏の入門書としてもハイデガーの入門書としても最適
フッサールとは異なる木村敏のノエマ的、ノエシス的や「もの」と「こと」、「あいだ」などを、理解するのにとてもいい本。市民向けの講演内容が収録されているのでずば抜けて分かりやすい。 後半が難解という指摘が多いが木村敏の「分裂病と他者」などを読んでおくと非常に内容をよく理解できるはず。物凄く後半の内容も重要で面白い。 また木村敏ではお馴染みの「共通感覚」についてまで一般人向けの講演で触れているのでかなり贅沢だと思う。 思春期の精神病理や自己性についても考察してありこれが非常に面白い、というのも身体性と自己性との関連が明らかにされているからで、現代の発達障害や非定型発達を考察する上で、これ以上ないほど強力な武器になる内容だからである。 木村敏といえばメタノエシスとノエシスの議論を他の著作ではよく展開するが、本著ではメタノエシスという用語が出てこない、これは時期の問題だろう。 前半で「ま」と「あいだ」の違いに触れているが、おそらく「ま」は後半に展開されている存在論的差異の差異化のノエシス的な動きであり、「あいだ」は「存在それ自体」のことだと考えられる。 またハイデガーは現存在について身体的、対象的な自己である存在者自己を所有しつつ、負課を負うと考えていたらしく、私はそれを知らなかったので凄く面白かった。 所有(能動性)と負課(受動性)を分けちゃうところにハイデガー哲学の問題、ナチスへの荷担などが集約されていると思うので、これは非常に重要で興味深い話に思える。 自然を自己の根源性として存在それ自体として捉えることで、超越論的他者論を可能にする木村敏の理論は現代にこそ必要だと思われる。現代人は自己同一性を論理学的な同一律と捉え、「あいだ」より「もの」が先で、絶対的だと考えているのは疑いえないだろう。そのために超越のはたらきが歪んでいるように感じてならない。 本書はそのような現代社会の歪みを読者に自覚させるのに十分や論理を提示していると思う。
0投稿日: 2023.01.30
ラカン入門
向井雅明
ちくま学芸文庫
ベストな入門書
新宮氏の入門書なども読んだが、この本はラカンに入門する上で本当にベストだと思う。 非常に細かく論理的に解説してくれているのでかなり分かりやすい。 欲望のグラフやトポロジーなど細かく説明してある。 精神分析ではお馴染みの同一化なども、そういうことだったのか、となる内容である。 転移を反復としてではなく治療の抵抗として捉え、反復を現実界に関連付け出会い損ないに求めている、ここに精神分析の独自性があるように感じた。普通ならば、転移は時間=自己の反復=自己の同一化と考えると思う。 欲求、要請、欲動、欲望、といったなんだか違いの分かりにくい概念がどのような関連でどのように連動しているのかこの本のおかげでとてもよく分かった。 シュレーバー症例にあるような父の名の排除、母の去勢などの基本から晩年のボロメオの結び目までをも説明してある。 また欠如に主体性、行為を取り出し、欠如からシニフィエの遡行的な決定性、すなわち歴史の事後性を説明づけている、この辺りに単なる構造主義との違いがあるようである。 隠喩と換喩の考え方も面白いのだが、ユング派の川嵜などとはやはり隠喩の考え方が根本的に異なるようである。 シニフィアンの穴と主体の欠如の穴を同一化する対象aとは、おそらくは関係とメタ関係の同一、木村敏でいうところのノエシスとメタノエシスとの同一化として捉えられるだろう。 また父の名の不可能の禁止への置き換えの考えなどは非常に興味深い。この禁止は事実的な自己否定だろう。 ファルスΦを持つものは、身体を持つものに対応している。 疎外においても身体像が言語の世界に投じられ言葉で身体が操られると考えていたり、どうもラカンは身体を一方的に持つという誤認識が強いという欠点を感じてならない。このことは時間の考えの歪みにも直結し存在は無いとか、子供時代はもうない、とか言い出すのだろう。 リビドー論についてもそういうことか、と納得できる内容であり、ユングがフロイトから決別したことの理由がよく分かる。 基本的にユングは存在は今という瞬間、あるいは今という持続においてあると考えているのでリビドーは性欲に限定されない、ところがラカンなどの精神分析では子供時代はもうない、と考えている。 歴史の事後性、時間の遡行ということについて、これを根源の欠如から説明づけている。 ユングは存在者なき存在の地平から見ている節があるがラカンは経験的な言語の次元からしか見ない、この視点の相違がユングと精神分析の違いだということがよく分かった。 ユング理解を深める上でも本書は欠かせない貴重な本なのは間違いない。
0投稿日: 2023.01.07
あいだ
木村敏
ちくま学芸文庫
価値観も世界の感じかたも変わる本
この前、木村敏の「分裂病と他者」を読みとても面白かったので、本書を読んでみた。 「分裂病と他者」でも触れられていたメタノエシスについてが非常に丁寧に説明されていて木村理論の理解を深めることができる。 本書は演奏という具体的な例をベースに木村敏のノエシス、あいだ、が具体的に分かりやすく解説されている。 つまり演奏論としても芸術論としても表現論としても読める。 この本を読んでから音楽の聞こえ方が完全に変わってしまった。 フッサールの一歩通行のノエシスーノエマとは一線を画する木村現象学の円環的現象学はハイデガーやヴァイツゼッカーのみならずヘーゲルともどこか通じるものを感じさせる。 生命一般の根拠との関わりをベースに心を心身二元論ではなく、メタ心、メタ身体というべきメタレベルで論じている。 また本書で展開される共通感覚についての理論はユングの元型の考えに直結している。 フランス現代思想のデリダにも言及しパロールとアルシエクリチュールの差異を間と間主体的あいだの差異として取り出し現在の現在への自己限定の動的構造を暴いている。 さらに西田の行為的直観、ヴァイツゼッカーのゲシュタルトクライシス論、ユキュスクルの環界、これらの本質を分かりやすく解説している。 また統合失調症の成因論ではお馴染みのベイトソンのダブルバインドについて、再考されているのだが、これが目から鱗の内容で、なるほどそう解釈する手があったか、と思わされる。 木村はメタメッセージの側の問題としてダブルバインドを再考している。 ダブルバインドはラカニアンの新宮一成も再考していて、それと比較すると面白い。 いずれにせよ木村現象学は、統合失調症の解釈を参照する限りにおいて、構造主義言語学より一歩上をいっているのはほぼ間違いないと思われる。 また本書は非常に分かりやすく書かれていて噴水の喩えなど、分かりやすさへの工夫も凝らされている。 精神病理学の理論として古い本だと思われる方がいるかもしれないが、それは大きな間違いである。 私は最新の心理療法家の臨床論文も読むのだが、現代人の精神的傾向、つまり非定型発達を理解する上で木村理論をスルーすることはありえないと断言できる。 本書は今の日本社会、日本人の若者の心を知る上で最重要書籍の1つである。 もし木村敏が生きていれば、発達障害を心身症などと関連づけ、アレクシシミアや操作的思考との関連を明らかにし生命一般の根拠との繋がりの希薄さ、共通感覚の欠落として、ポストポストフェストゥム論として論じるのではないかと思う。 木村理論は、自らを身ずからに見て、身体性を自己同一の原理の中核に位置付けるのだが、この着想は現代人の近代主体の解体を理解する上で決定的に重要な考えなのは、もはや疑う余地がない。 したがって、この時代にこそ、この本は必読なのである。 私は心理療法家ではないが現代の心理療法家は全員木村敏を読めと言いたい。 本書で論じられるウィーゴの構想力、トピカや第二の被膜の話というのは、明確に現代のユング派のいう象徴や物語性と心的誕生の議論と同じである。したがって現代のユング派より木村敏の考え方の方が発達障害を元型(共通感覚)との関連において明確に理論化しえている印象は拭えない。
0投稿日: 2022.10.06
分裂病と他者
木村敏
ちくま学芸文庫
圧倒的な密度
木村敏による本格的な他者論としての統合失調症理論が展開され、鬱病、境界例、離人症、パラノイア、神経症(対人恐怖症)などについて、自己性、時間、他者という観点から鋭い考察を展開している。 その内容はまったく古くなることのないものであり、昨今の流行りである発達障害や不定型発達を理解するうえで欠かすことのできないものでもある。 またラカンの論理にかなり突っ込んで、現存在分析がこれまで積極的に手をつけずにいた分裂病の成因論にも本格的に切り込んでいる。 内容はいきなり読むのは無理なレベルなので、西田幾多郎の入門書とハイデガーの入門書とラカン関連の本と木村敏の「時間と自己」くらいは読んでないと、かなりきついと思われる。 また本書は、木村敏現象学による本格的な構造主義批評にもなっている。 精神分析、とくにラカニアンの分裂病論が症状分析的で症状以前の存在体制に踏み込まないことへ疑問を感じたことのある人なら、この本を読むとかなり納得できる内容になっているはず。 個人的には自己同一のメカニズムとしてファルス(身体)である→ファルスを持つもの、というラカンの想像的→象徴的という理論への言及は特に刺激的だった。 これのおかげで現代人の発達障害的傾向をよりクリアに理論化するとともに現代社会における近代主体解体のメカニズムをより明瞭に言語化することができた。 またヴァイツゼッカーのゲシュタルトクライシス論についても存在論的差異という観点で明瞭に解説し構造主義の克服を示しているのであるが、このゲシュタルトクライシス論も現代におけるファルスを持つ、ということの 持つ の一方向性に着眼して読むとかなり示唆深いものがある。 身体を持つとは明らかに身体現実(感覚予見、知覚)の引き受けを含意する双方向性であるはずだが、現代人は身体を一方向的に所有してしまう、ここに現代人の鬱病性パラノイアというべき心性の発露としての非定型発達の本質があるように思われる。 この身体の所有という自己性の契機としての、おそらくは原初の所有概念の成立、この観点からは現代社会のマクロ経済学における貨幣論の歪みなどもある程度は説明できるように感じた。 また西田の行為的直観に触れ本格的に論じていてこれも面白いし、一見してノエシス面とノエマ面のズレでしょっと決めつけてしまうカプグラなどの替え玉妄想をノエマ(イデアル)と感覚予見(リアル)のズレとして見抜いていてその洞察力の鋭さには驚かされる。 基本的に議論が体系的に繋がっているので前半で書かれていることを確実に理解して読むことが重要な本になっている。最初で理解が浅いと後の議論に全くついていけなくなる。 この本をこれから読まれる人のために言うと、本書でもっとも重要で繰り返し論じられる考えは存在論的差異の根拠としての現存在の超越、内的能産的差異の産出という議論になる。ここの意味さえしっかりと抑えておけば、あとはこの概念の指し示す仕組みの言い換えや読み替えが多いので、全体的にある程度しっかり読解できる。したがって基点となるここの理解が曖昧だと、全部曖昧になる構成の本でもあるので、この本に挑戦する人はこの点を十分に意識して読むことを強くすすめる。 ベストセラーみたいな中身のない本とは次元を異にしているので、この手の本格論文集になれていない人は、速読とか言ってないで、とにかく時間をかけて、じっくり読むことをすすめる。ちなみに私は読み終えるのに一ヶ月以上かかってしまった。1日に15ページ前後を数時間かけて読むペースになる。 というわけで私のように工学部卒の完全なる哲学門外漢のただのニワカなユング派好きが読むにはそこそこの準備が必要になるが、そのコストをかける価値のある本なのは保証できる。 また木村敏の拡がりとしての現在性への着眼や あいだ の重視はユング心理学の基本コンセプトに完全に一致しているのでユングの掴み所の難しい理論を哲学論理的に固めたい人にも本書は最適だと思う。 たとえばユングの言うソウルは木村敏の あいだ の表象化として理解すると非常に理論的に分かりやすくなる。ユングの元型論も本書でいう共通感覚(アリストテレス)、純粋持続(ベルグソン)、直接性、行為的直観(西田)などの考えをベースに接近できるかもしれない。 ちなみにアニメや漫画、映画を分析したい人にも本書はおすすめである。たとえばメイドインアビスなんかは本書の提示する境界例の世界像、したがって存在者なき存在を悪夢的に志向する苦悩を描いていることがよく分かる。 ちなみに本書の境界例理論はカーンバーグに代表される対象関係論とは異なる現存在分析的なものになる。
0投稿日: 2022.09.06
