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  • 欲望論 第1巻「意味」の原理論

    欲望論 第1巻「意味」の原理論

    竹田青嗣

    講談社

    究極にして最高の哲学の入門書

    また半分読んだだけだが数週間をかけて読んだ結果、この本を読む前とでは僕の哲学全般に関する基礎理解は別人レベルに高められた。 ヘーゲルの仕事に触発され哲学史の総覧と統括をなすアリストテレス-ヘーゲル-竹田青嗣とつらなる近代哲学の最高峰の仕事が達成されている。 読解難易度は、読書素人が読むにはハードルが高い。といって過剰な難解さ、韜晦さは一切ない。 そのため基礎的な哲学理解がある人なら問題なく読める。 中級者でも十分に読める親切設計といえよう。竹田青嗣の圧倒的力量が可能にする読みやすさ。 かなりの数のテクニカルタームが登場するがほぼ全てを、理屈を可能な限り理解した上で暗記しながら読んでいる。この本は、ほぼ全ての術語を暗記し理屈を理解しながら読むのが正解。 なお近代哲学と対立する現代思想、とりわけフーコー好きにとってもこの本は逆照射的にフーコー哲学を照らす至高の一冊。 だから、どこがフーコーと異同、たとえば本書のヘーゲルの思考の思考はフーコーの問題構成に対応するなど、こうした視点でも楽しめる。 また知覚の現象学をエロス論的に位相転移し標識的一瞥知覚についてをギブソンの知覚の抽出理論から突き詰めるが、ここでの同一性の抽出としての標識性が対象ノエマを情動の基体とし、それが情動を規定すること (形象知覚→対象意味→対象ノエマ(一般意味)を基体とした情動喚起→価値判断) の洞察は、そのままフーコーにおける告白に起源を持つ自己テクノロジー、主体化=従属化の言説(主語的同一性)としての主体のモノフォニー化に対応させれる。 あるいは、ここがディスクールの現実性の排除と関わる。 つまりフーコーの社会科学を現象学のレベルで、知覚の権力関係として読み替えることもできる。 また情動の側の同一性による一瞥知覚、述語的同一性も論じてる。 なおラカンの欠如論の悟性的形式論理の記述を転移し欲望の非知性として要領よくまとめてありラカン好きにもよし。 エロス論は、カントに対立してロック、コンディヤック、ヘーゲル、フィヒテをとりあげてこれを欲望として規定するがヘーゲルの欲求の満足による矛盾の廃棄モデルもラカンのフリュストラシオンのモデルのベースなのがわかる。 ともあれ、近代哲学がショウペンハウアーの幻灯の比喩にあるように単一の主体(意志)をなす癖、プラチックより目的を思考してゆく癖をもつのが分かる。フーコーとの対応であればこの点を軸に読むとよい。 なおハイデガー、メルロポンティ、ラントグレーベ、リクール他のフッサールへの先構成批判への再反論も見所で、純粋意識を観念論的本体として誤読してならんと分かる。 ここをメイヤスーやガブリエルが理解していない。 僕自身も本書を読むまで言語の純粋意識に対する先性を捉えられないと誤解してた。 ともかくアナクシマンドロスからパルメニデス、ヘラクレイトスの衝突、エンペドクレス、レウキッポスらの乗り越え、アナクサゴラスのヌース論からソクラテスをプラトン、クセノフォン、ニーチェから読解、と哲学史をギリシャから遡って論じる。 インド哲学や仏教の唯識論まで網羅。 ともあれゴルギアステーゼを中心に認識論問題からアプローチ。 ベルクソンの待ちから自他分離を想像変容的に現象学してゆく手際のよさも凄まじく遠隔知覚やエロス的予期を構想し確認可能な仕方でつきつめる。 ハイデガーの存在本体論、ドイツ観念論の限界にも触れ、 メイヤスーをカントで論駁してアンチノミーの深さを描く。 書き出したらきりがない。ヘーゲルの存在-本質-概念-理性と意識-自己意識-理性-精神-宗教-絶対知、プラトンのイデア論へのラッセルの批判とカントの統制的理念による擁護。 あとはミンコフスキー(現実との生きた接触、鬱病論で有名な人)、ブランケンブルク(自明性の喪失)、ビンスワンガー、ボスといった定番も引用される。 木村への言及はいまのところないが、精神病を意味と情動のマッチングの障害として見抜く。 これは知ってる人には非常に納得のいく本質記述だと分かる。 ともあれニーチェの仕事を認識論アプローチのフッサールと気遣いを重視するハイデガーに見いだし両者を統合し欲望論をなす。 頭に叩き込んで読んでいるので、他にもいくらでも語れるが、多くのことをこうして比較的簡単に暗記できるのも体系的にそれらが統合されているためで、本書は極めて要領よく哲学の基礎を学ぶことができるよう緻密にデザインされている。 もし哲学の本質と基礎を深くかつ効果的に学びたいなら、この本はもっとも読むべき本! ただし、雑に読んだらまったく意味がない。 余すことなく頭に叩き込むようにじっくり読んでこそ、自らの思考の手足として本書の内容を役立てることができるようになる。

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    投稿日: 2026.04.01
  • ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ(4)

    ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ(4)

    魚豊

    マンガワン

    権威主義者による権威主義者のためのスネ夫な漫画

    こんな酷い漫画があるのかというのが感想。 飯山の頭のよさを表現するのに、頭のいいことを言わせず、ティーソーサーの扱いやらTVに出ていることやら、教科書の模範解答を暗記してポストモダンをろくに知りもしないで差延やら脱構築といったデリダのジャーゴンをブンシャカさせるといった権威性のみに頼る始末の悪さ。 ようするに、中身ではなく、たんにそうした権威でもってキャラの賢さを描写してゆく中身のなさ。 この漫画を読むとあの人はTVに出ているから言ってることも正しい、という類い判断、つまり権威的ラベリングによる思考停止型のナチズムを発症する可能性が強いだろう。 これは聖書に地球は平たいと書いてあるから地球は平たいというフラットアーサーと同じで、非科学的な宗教者の態度そのもの。ようするに世界の基礎づけを正常者の妄想(盲信)によって、すなわち権威性のみによって与えようというふざけた発想がすけている。 本作でもチ。でも作家が明確に意識し、作品のテーマとしている基礎づけ主義と反基礎づけ主義の問題は哲学的にはとっくに解かれているが作家はそれについて無知だと分かる。 ニーチェがなした本体論の解体(遠近法、生成と存在)やフーコーのプラチック論はこの問題をとっくに終わらせているのは周知だろう。 なのに作家は無知から、その解答に信仰をとりあげるが、その信仰のあり方はまるでシェリング的なドイツ観念論、あるいは後期ハイデガーに近く、本当に呆れる。 ろくに哲学の認識論問題もポストモダンも知らないまま首をつっこむから、毎度、目茶苦茶になっている。 また飯山の世界を良くしたい!そのために金がいる!というのも呆れた。 この世界を良くしたいという紋切り型の御題目も模範解答(権威)を内面化に見える。 金がいる、というアプローチも???でしかない。社会問題を実定化し思考基盤を固定する反哲学的規定をうけているのは言うまでもない。何が問題(原因)かはヒュームがいうようにある種の主観(信念)ないしは言説の相関者であって、客体ではない。 それを、この作家は毎度、哲学的無知から社会問題と解答を分離して、問題設定を問えなくする癖があり、この癖ゆえに権威主義が不可避に入り込んでいる。 そもそも、あまりに幼児的で、こんな社会常識も思考力もないキャラに政治問題について関心を持たれることそのものが社会迷惑でしかないだろう。現実にこんな空っぽの子供に政治問題について云々されても迷惑なのは誰にでも自明だ。 もう少し中身のあるまともなキャラにできなかったのか?と思わされる。 また大学を権威的機関として崇めて、偉い先生の研究には勝てないということを読者に刷り込んでいるが、これも人文学の研究実態に関する無知としかいいようがない。大学の人文系教授など無能の巣窟だというのはそれこそ大学の学者自身ですら暴露しているし、そんなこと僕のような在野で研究している人でも誰だって知っていること。 まるで世間知らずの子供が大人の世界は絶対なんだと、スネ夫がパパの権威を神聖視する態度そのものというか、この漫画が描く世界は現実とは全く解離した子供から見える虚構の現実に等しい。 あるいは、水戸黄門(お上)を崇める、田吾作日本人の中世的世界観か。 陰謀論をあつかった漫画、アニメは他にあるが少なくとも本作は哲学的に圧倒的にレベルが低い。 作中、飯山は陰謀論者についてアプローチして世界を良くしたいと考えるが、この思い上がりは陰謀論を漫画で解決しようとする魚豊と重なる。 ようするに作家の肥大した自己投影が飯山であり、そのエゴを渡辺に投影して、弱者の側にロミジュリ空想(序列関係、高みにいる飯山と地べたの渡辺)をおしつけている、そのようにしか僕には読解できない。 チ。についても言えるが最初から地動説が正しいと答えが分かっている物語のなかで、教科書的にその権威を追認する、そういう癖がこの作家には強い。 こうした権威の追認は民主主義の基礎条件を棄損するものなので勘弁して欲しい。 こんなにも権威主義的な漫画を僕は他にしならない。 Z世代的な新しいタイプの権威主義の発露を感じてならない。

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    投稿日: 2026.04.01
  • 永遠の0

    永遠の0

    百田尚樹

    太田出版

    明らかに二流と思う

    全部、無能な軍上層部のせい、新聞社のせい、大使館のエリート官僚のせいなっていて、現場の兵士は賢かった!大衆は賢かった!権力者だけがアホだった!というアタオカなメッセージが連呼される。 なにこれ? こんなん資源ゴミやろ。 ふざけるな! 日露戦争の講和をくさして暴動を煽動した朝日新聞を昭和ファシズムの原因であり、分水嶺とする歴史解釈には心底呆れた。 全部人のせいかよ。日露戦争の暴動はデモクラシーの始まりだから。民意をくんでファシズムになったのは常識。国民がバカだから新聞社はもっとバカになる。 どこまでも大衆迎合。 全部、人のせい、こういう態度が昭和ファシズムをつくった。この作品はファシズムを批判しているようでファシズムを煽ってる。 この作品の悪い癖がまともに批評もされてないのが腹立つ。

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    投稿日: 2024.11.27
  • 心理療法の未来 その自己展開と終焉について

    心理療法の未来 その自己展開と終焉について

    田中康裕

    創元社

    心理臨床理論の自己展開の現在地

    現代ユング派による乖離性障害、発達障害の時代に関する総論。 ギーゲリッヒの論理も分かりやすく組み込まれている。 心理療法理論は自己言及する主観であり主体であるため、心的病と対象一体で自己展開する生きた理論である。 というユング派の定番の基礎理解に立脚し、心理療法の自己展開の歴史を、ヒステリー(神経症)→境界例→解離性障害&発達障害として記述する。 ここで自己乖離を病む神経症を治すのは精神分析などの同じく自己乖離にたよった分析治療であり、この治療理論を無化する自己変異型のウィルスとして神経症は境界例に変異、これによって境界例は症状(無意識の抑圧物の回帰した物)にフォーカスする精神分析のスタイルを無効化、このことで対象関係論で同じのカーンバーグが病態水準論と人格への焦点移行を提唱し精神分析治療の理論を症状論から人格論に変異させた。 周知と思うがラカン派だと境界例は認めていないからそこ注意。 でもって、さらに20世紀末、デーモン閣下とともに乖離性障害が大量発生。 つまり境界例と精神分析によりまた変異してカーンバーグの人格理論を無化する多重人格障害をボンバイエ。 これにより人格が複数化して人格理論では治療できなくなる。 周知のとおりアメリカでは偽記憶訴訟問題が起きて、精神分析はアメリカでその地位を失ったわけだ。 あと同じ頃に発達障害もダイナミックエントリー。 で、田中康裕は、乖離は無意識のブラックボックス系の発展系で、発達障害は行動主義とか脳科学系の脳をブラックボックスした系と分類。 あとブラックボックスいうのは、近代の自己言及構造による意味喪失に対して、意味を取り出す箱みたいな感じ。 でこっから本書の要諦にはいるけど まず病態水準理論が無効化された現代では、渦巻き型と波紋型にわける必要がある。 渦巻き型はヘルダーリンとかハイデガーの否定神学構造に関連していて、自己を意味喪失の中心点として病む、中心をもった近代モデルの病理。 つまり精神病、神経症がその典型。 波紋は中心がなくリフレクションしない意識で、村上春樹文学的な乖離性障害と発達障害。 さらにこれをギーゲリッヒの生物的誕生→心的誕生→心理学的誕生のモデルにしている。 心的誕生は自他の分化。ウロボロス的主体の成立。 つまりイメージの誕生。物語の成立。絶対的他者の成立。 心理学的誕生は近代主体的な差異の同一のこと。 イメージの否定、弁証法の誕生。 概念の偶有的運び手としての他者の成立を目指すのが波紋型での治療理論となる。 ここで概念というのは実体的な表象、物理的対象ではなく、意識として対象をあらしめる自己性、関係、シジギーみたいなもんだと思われる。 たとえば一人称代名詞は概念だろう。 ハーバーマスのモデルネ論を参照して、近代が神の死を経ることで、折り返して自己が自己を参照する自己回帰にあることを示したりもしてる。 あとは精神分析の背面法に対するユングの対面法とか、錬金術理論におけるレトルトを介した治療理論がモデルネベースであり波紋型では無効だということが説明される。 あとユングがフロイトと口論になったお馴染みの地下の夢の解釈を通して、真意味喪失の近代に神話を完全に埋葬したのがユングだという話とか。 あの世とこの世が内面化して無意識と意識になったりという話もしてる。 心理学的差異の理論と意味を超えたものとしての症状論もある。 ある程度、ユングとか近代主体とか知ってないと読んでもキツいかもしれないが、この手の本だとまだ簡単な方だと思う。

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    投稿日: 2024.10.17
  • 日本の民主主義はなぜ世界一長く続いているのか

    日本の民主主義はなぜ世界一長く続いているのか

    竹田恒泰

    PHP研究所

    嘘だらけのホルホルBook

    あまりに酷くて絶句した。 まず近代民主主義と古代民主制をごっちゃにしていて、話が論理破綻している。 まともな人文学の基礎理解がある人には常識だが、君民共治とは公私未分離、主客未分離、自他未分離の水準にあることを示しているに過ぎず、これは公私、自体の分離を基礎要件とする近代民主とは相容れない。 したがって本書の民主主義の定義にそくせば、自然狩猟採取時代まで遡れば、地球上のいかなる地域の人類も等しく君民共治であり民主主義ということになる。 たんにアジア的未分離にあり、国家形態(共同幻想)がプリミティブにあったということ。 農耕的な母権性が近世にいたるまで国家制度に強力に作動していたということが、日本の君民共治のタネに過ぎない。またこの構造は時を下り近世には多分に民にたいして抑圧的に公権力が発動することになる。 周知の通り近世日本で幕府の悪口などかけば死刑であった。 このようなお上に従え!によるお上主権のどこが民主なのか? 古代ローマでは皇帝の悪口を落書きしても平気だったわけだから、近代民主の素地が日本の民主には根底的に欠落していることは明白である。 日本の民主主義の混乱はそもそもが近代に対する天皇国体がもつ前近代性における齟齬に由来する。このことは字文学の基礎知識があれば誰にでも理論的に論証できる。 本書の記述は、あまりに無知蒙昧で人文学と人類史に関する根本的無知に基づく妄想というよりほかない。

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    投稿日: 2024.10.05
  • 日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか

    日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか

    竹田恒泰

    PHP新書

    スネ泰プレゼンツのホルホル本

    こんなに頭の弱い資源ゴミが存在していることに驚愕した。 アニメがどうとかミシュランがどうとか、あのさバカか? ホルホルによるホルホルのためのホルホルでしかない まずデータをみるとこの本が出たあたりから、日本人の自己評価は上がり続けている。さらに白人が日本を誉めるホルホルYouTube、ホルホル番組は増え続け、飽和している。 それにともなって、ヘンズリオナニストインフルエンサーが台頭している。 全部、経済活動なんだよ。 頭の弱い、なんの才能も知能も技能もない、カスのネトウヨ老害に国家だとか天皇という類いのオナペッツを撒き散らし、集団射精の沼にはめて金を搾取。そういうスキームだから。 もはや天皇家はスネオナニストの小銭稼ぎのオカズにされて、ザーメンまみれで使えなくなった。天皇を思い出すともれなくスネ泰のザーメンが連想されるようになった。 ネトウヨの存在が天皇家への嫌悪感を日々強めているのは確か。 著者のスネ泰くんは韓国から金を積まれて、日本を下げて韓国映画を持ち上げたこともある。つまり金しだいというわけだ。 こんな本をありがたがってるのはネトウヨだけ。

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    投稿日: 2024.09.17
  • 創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで

    創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで

    松本卓也

    講談社選書メチエ

    ハイクオリティ

    ソクラテス、プラトン、アリストテレスらの狂気論と垂直性から入り、デリダの脱構築、ドゥルーズのシミュラークルによってプラトン主義を否定。 そこから、アウグスティヌス、デカルト、カント、ヘーゲルを確認して近代主体の生成と狂気の排除、克服を確認して統合失調症の誕生とヘルダーリンの関係を論じ病碩学の統合失調症主義の論理を概観。 ここまでが前半パート。 後半ではヘルダーリンの否定神学を取り出しハイデガー、ヤスパース、ラカン、フーコーと否定神学の構造化を確認する。 外の議論とか父の名の排除、同じものによるヤスパースの狂気と作品の因果関係の否定をする。 ここからデリダによって否定神学批判をおこない、ポスト否定神学の秒碩学の可能性にドゥルーズを引用。 本格的なドゥルーズ論を展開。 意味の論理学における統合失調症のアルトーと表面よルイス・キャロルの分離。 ビリヤードゲームの喩えで分かりやすく表面と深層を解説し批評と臨床におけるドゥルーズの表面への移行を捉える。 草間彌生と横尾忠則の対談にもふれ、ダリのパラノイアクリティックも詳細に解説。 表面=ASDのトートロジーの順法論から言語内=表面で自己完結して欠如を持たない合成他者=言語にフォーカス。 ルーセルとウルフソンの栄光の感覚、真理の啓示を不可能なものとして表面にとどまりつつ不可能な深淵へと連絡する原理を博打と偶然性から取り出す。 まとめるとこんな感じ。 前半部分は筋が死ぬほど理路明瞭だから、論旨は簡単に記憶できる。 後半のとくにドゥルーズのプラトン主義への抵抗のストラテジーはレトリカルで疑問だらけであって論旨をきっちり記憶するのに骨が折れた。 とりあえず、僕程度に理解するにはある程度の思考力がいるので読書経験値が低い人がいきなり読むと火傷するリスクある。 経験値低い人は1ヵ月~2ヵ月かけて二回読む覚悟は必須。 僕のレベルでも二回読むのに半月以上かかってる。

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    投稿日: 2024.06.16
  • カエルの楽園(新潮文庫)

    カエルの楽園(新潮文庫)

    百田尚樹

    新潮文庫

    やや辛口で星三つ

    つまらなくはないと思う。とりわけ日本人を思考停止したかなりアホめのカエルとして描写してる点は興味深い。 愛国ポルノに浸る層の読者も多いと思うがこの点どのように理解されているのだろうか。 それともネット右翼の俺たちだけが真の日本人!ということか。 本書では日本は楽園!と言いつつ思考停止したヤバいやつが日本人だとも言っており、なんだかよく分からない。思考停止したアホだらけの世界が楽園とはどういうことなのだろうか? あとプランタンとハンドレッドの喧嘩シーンはない。だからそれを期待して読むと僕のように肩透かしをくらう。あと結末は読まずとも予想できると思うが、皆さんのその予想ど真ん中の話になってる。

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    投稿日: 2024.04.18
  • 哲学とは何か

    哲学とは何か

    竹田青嗣

    NHK出版

    最高の哲学理論

    深層心理学のオタクで哲学の本はめったに読まないのだが、この本は名著である。 深層心理学を知るものならばこの本がいかに優れているかはただちに了解されるだろう。 存在、認識、言語の謎を解き明かし、背理法のレトリックを見抜き、相対主義者の矛盾を解き明かしている。 ユング好きなら客観が意識のうちに生じた意識内の分節に過ぎないことはご存知だろう。フッサール現象学の本質もここにある。 またノエマ、ノエシスという分かりにくいタームを恐らくは世界一分かりやすく解説してあり、誰にでもすっきりと理路明瞭に理解でき、この本を読めば中学生相手にでもこれをある程度、説明できるようになる。分かりやすい図があって誰にでも理解できる。因果関係を逆にして意識に還元、対象の確信(ノエマ)の構成条件を暴くというのがフッサール現象学。ノエシスを体験流としてノエマとノエシスの関係(時間性)を示してもいる。 ユングとの違いでいえばユングは唯心論的だが、竹田哲学では認識の対象とはならない原存在が想定される。この想定は理論的に妥当であるといわざるえない。 ニーチェによる本体論の解体による主体ー客体ではない新しいパラダイムとそのパラダイムによって可能となったフッサールによる普遍認識の哲学的方法論が示され、なぜ現象学が必要なのかが理路明瞭に示される。 現代の批判思想に過ぎないポストモダンは認識論の誤謬に起因しており、フッサールは認識論の謎を克服しているために、ポストモダン問題を克服できるというわけだ。 ゴルギアステーゼを起点にスピノザVSヒューム→カント→ヘーゲル→ニーチェ、フッサールと示してゆく。 言語の謎もキルケゴールの固定指示や誰かだったかの固有名にふれつつ、それらを克服し企投的意味→一般意味の図式ですっきり解き明かしている。 またデリダやフーコーの問題点を理路明瞭に指摘。 とりわけフーコーの問題点について、深層心理学オタクのぼくとほぼまったく同じ結論になっていたので興味深いというか、当然にその結論になっちゃいますよね、としかいえない。 さらに臨床心理学を現象学により止揚。 人文領域における質的研究と量的研究の問題を扱いこれも克服。自然科学と人文領域を分ける必要性を示しており、まったく同感としかいえない。 デュルケームの馬鹿げた論理実証主義やウェーバーの優れた洞察を紹介し社会学のあるべき姿を描く。 さらに本書では明示されていないが、極めてラカン的な欲望への洞察が社会論ではベースとなる。 ルソーの一般意志と社会契約をベースに論じノージック的アナーキーのロック的個人所有の論理を論駁。 ロールズの問題もあきらかとしそれらの克服を示す。 ドゥルーズのアンチオイディプスにもふれている。 深層心理学好きならば当たり前のことだがしたがって本書は神経症優位の論理となる。 近代主体をたてる理論といってよい。 ラカンでいえばポスト鑑別診断を認めつつも、鑑別診断の必要性を徹底的に訴えているようなところがあるかもしれない。 ヘーゲルの主奴論や普遍財産、一般福祉なども分かりやすい。 いずれにせよ、一般意志の表現として具体的な法があることを指摘しており、しかも一般意志と法とでは存在論的カテゴリーが異なるという風に読める節がある。ともかく一般意志は法によって完全には表現されないという。 そして社会とは個々の人生における矛盾や苦悩といった理想の欠如によって欲望されて意識可能となるという。 お分かりだろう、ここのところは完全にラカンのフリュストラシオン、すなわち欲望(存在論的差異)の議論と一致する。 法(言葉)における理想の欠如が社会的主体=近代主体を可能とするということを示している。 少なくとも僕はラカンの理論は、法への理不尽や義憤が欲望を形成し、それが分離や去勢に相当すると理解しているので僕の理解するところのラカンと竹田理論には重要な部分での親和性がみとめられる。 この他にも道徳や正義も論じており、ハイデガーの不安や良心についても分かりやすい。 また時間についても述べられている。 ただし時間についての解説は竹田著の新哲学入門のが分かりやすい。 まだまだ面白かった記憶に残ってるトピックがあるがきりがないのでこの辺にしておく。 ともかくあまりにも凄い本過ぎて、その魅力をこのレビューでは1%すら表現できない。竹田は歴史的哲学者だと思う。 一ついえるのは、一人でも多くの人に読んでほしいということ。 読めばいかにこの本が凄いか分かる。

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    投稿日: 2024.04.18
  • 日本国民の新教養

    日本国民の新教養

    KAZUYA

    KADOKAWA

    頭が悪くなる本

    教養が全くない人による中身のない本。 教養をお求めのかたはちゃんとした論文を読みましょう。

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    投稿日: 2024.04.01
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