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  • 永遠の0

    永遠の0

    百田尚樹

    太田出版

    明らかに二流と思う

    全部、無能な軍上層部のせい、新聞社のせい、大使館のエリート官僚のせいなっていて、現場の兵士は賢かった!大衆は賢かった!権力者だけがアホだった!というアタオカなメッセージが連呼される。 なにこれ? こんなん資源ゴミやろ。 ふざけるな! 日露戦争の講和をくさして暴動を煽動した朝日新聞を昭和ファシズムの原因であり、分水嶺とする歴史解釈には心底呆れた。 全部人のせいかよ。日露戦争の暴動はデモクラシーの始まりだから。民意をくんでファシズムになったのは常識。国民がバカだから新聞社はもっとバカになる。 どこまでも大衆迎合。 全部、人のせい、こういう態度が昭和ファシズムをつくった。この作品はファシズムを批判しているようでファシズムを煽ってる。 この作品の悪い癖がまともに批評もされてないのが腹立つ。

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    投稿日: 2024.11.27
  • 心理療法の未来 その自己展開と終焉について

    心理療法の未来 その自己展開と終焉について

    田中康裕

    創元社

    心理臨床理論の自己展開の現在地

    現代ユング派による乖離性障害、発達障害の時代に関する総論。 ギーゲリッヒの論理も分かりやすく組み込まれている。 心理療法理論は自己言及する主観であり主体であるため、心的病と対象一体で自己展開する生きた理論である。 というユング派の定番の基礎理解に立脚し、心理療法の自己展開の歴史を、ヒステリー(神経症)→境界例→解離性障害&発達障害として記述する。 ここで自己乖離を病む神経症を治すのは精神分析などの同じく自己乖離にたよった分析治療であり、この治療理論を無化する自己変異型のウィルスとして神経症は境界例に変異、これによって境界例は症状(無意識の抑圧物の回帰した物)にフォーカスする精神分析のスタイルを無効化、このことで対象関係論で同じのカーンバーグが病態水準論と人格への焦点移行を提唱し精神分析治療の理論を症状論から人格論に変異させた。 周知と思うがラカン派だと境界例は認めていないからそこ注意。 でもって、さらに20世紀末、デーモン閣下とともに乖離性障害が大量発生。 つまり境界例と精神分析によりまた変異してカーンバーグの人格理論を無化する多重人格障害をボンバイエ。 これにより人格が複数化して人格理論では治療できなくなる。 周知のとおりアメリカでは偽記憶訴訟問題が起きて、精神分析はアメリカでその地位を失ったわけだ。 あと同じ頃に発達障害もダイナミックエントリー。 で、田中康裕は、乖離は無意識のブラックボックス系の発展系で、発達障害は行動主義とか脳科学系の脳をブラックボックスした系と分類。 あとブラックボックスいうのは、近代の自己言及構造による意味喪失に対して、意味を取り出す箱みたいな感じ。 でこっから本書の要諦にはいるけど まず病態水準理論が無効化された現代では、渦巻き型と波紋型にわける必要がある。 渦巻き型はヘルダーリンとかハイデガーの否定神学構造に関連していて、自己を意味喪失の中心点として病む、中心をもった近代モデルの病理。 つまり精神病、神経症がその典型。 波紋は中心がなくリフレクションしない意識で、村上春樹文学的な乖離性障害と発達障害。 さらにこれをギーゲリッヒの生物的誕生→心的誕生→心理学的誕生のモデルにしている。 心的誕生は自他の分化。ウロボロス的主体の成立。 つまりイメージの誕生。物語の成立。絶対的他者の成立。 心理学的誕生は近代主体的な差異の同一のこと。 イメージの否定、弁証法の誕生。 概念の偶有的運び手としての他者の成立を目指すのが波紋型での治療理論となる。 ここで概念というのは実体的な表象、物理的対象ではなく、意識として対象をあらしめる自己性、関係、シジギーみたいなもんだと思われる。 たとえば一人称代名詞は概念だろう。 ハーバーマスのモデルネ論を参照して、近代が神の死を経ることで、折り返して自己が自己を参照する自己回帰にあることを示したりもしてる。 あとは精神分析の背面法に対するユングの対面法とか、錬金術理論におけるレトルトを介した治療理論がモデルネベースであり波紋型では無効だということが説明される。 あとユングがフロイトと口論になったお馴染みの地下の夢の解釈を通して、真意味喪失の近代に神話を完全に埋葬したのがユングだという話とか。 あの世とこの世が内面化して無意識と意識になったりという話もしてる。 心理学的差異の理論と意味を超えたものとしての症状論もある。 ある程度、ユングとか近代主体とか知ってないと読んでもキツいかもしれないが、この手の本だとまだ簡単な方だと思う。

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    投稿日: 2024.10.17
  • 日本の民主主義はなぜ世界一長く続いているのか

    日本の民主主義はなぜ世界一長く続いているのか

    竹田恒泰

    PHP研究所

    嘘だらけのホルホルBook

    あまりに酷くて絶句した。 まず近代民主主義と古代民主制をごっちゃにしていて、話が論理破綻している。 まともな人文学の基礎理解がある人には常識だが、君民共治とは公私未分離、主客未分離、自他未分離の水準にあることを示しているに過ぎず、これは公私、自体の分離を基礎要件とする近代民主とは相容れない。 したがって本書の民主主義の定義にそくせば、自然狩猟採取時代まで遡れば、地球上のいかなる地域の人類も等しく君民共治であり民主主義ということになる。 たんにアジア的未分離にあり、国家形態(共同幻想)がプリミティブにあったということ。 農耕的な母権性が近世にいたるまで国家制度に強力に作動していたということが、日本の君民共治のタネに過ぎない。またこの構造は時を下り近世には多分に民にたいして抑圧的に公権力が発動することになる。 周知の通り近世日本で幕府の悪口などかけば死刑であった。 このようなお上に従え!によるお上主権のどこが民主なのか? 古代ローマでは皇帝の悪口を落書きしても平気だったわけだから、近代民主の素地が日本の民主には根底的に欠落していることは明白である。 日本の民主主義の混乱はそもそもが近代に対する天皇国体がもつ前近代性における齟齬に由来する。このことは字文学の基礎知識があれば誰にでも理論的に論証できる。 本書の記述は、あまりに無知蒙昧で人文学と人類史に関する根本的無知に基づく妄想というよりほかない。

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    投稿日: 2024.10.05
  • 日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか

    日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか

    竹田恒泰

    PHP新書

    スネ泰プレゼンツのホルホル本

    こんなに頭の弱い資源ゴミが存在していることに驚愕した。 アニメがどうとかミシュランがどうとか、あのさバカか? ホルホルによるホルホルのためのホルホルでしかない まずデータをみるとこの本が出たあたりから、日本人の自己評価は上がり続けている。さらに白人が日本を誉めるホルホルYouTube、ホルホル番組は増え続け、飽和している。 それにともなって、ヘンズリオナニストインフルエンサーが台頭している。 全部、経済活動なんだよ。 頭の弱い、なんの才能も知能も技能もない、カスのネトウヨ老害に国家だとか天皇という類いのオナペッツを撒き散らし、集団射精の沼にはめて金を搾取。そういうスキームだから。 もはや天皇家はスネオナニストの小銭稼ぎのオカズにされて、ザーメンまみれで使えなくなった。天皇を思い出すともれなくスネ泰のザーメンが連想されるようになった。 ネトウヨの存在が天皇家への嫌悪感を日々強めているのは確か。 著者のスネ泰くんは韓国から金を積まれて、日本を下げて韓国映画を持ち上げたこともある。つまり金しだいというわけだ。 こんな本をありがたがってるのはネトウヨだけ。

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    投稿日: 2024.09.17
  • 創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで

    創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで

    松本卓也

    講談社選書メチエ

    ハイクオリティ

    ソクラテス、プラトン、アリストテレスらの狂気論と垂直性から入り、デリダの脱構築、ドゥルーズのシミュラークルによってプラトン主義を否定。 そこから、アウグスティヌス、デカルト、カント、ヘーゲルを確認して近代主体の生成と狂気の排除、克服を確認して統合失調症の誕生とヘルダーリンの関係を論じ病碩学の統合失調症主義の論理を概観。 ここまでが前半パート。 後半ではヘルダーリンの否定神学を取り出しハイデガー、ヤスパース、ラカン、フーコーと否定神学の構造化を確認する。 外の議論とか父の名の排除、同じものによるヤスパースの狂気と作品の因果関係の否定をする。 ここからデリダによって否定神学批判をおこない、ポスト否定神学の秒碩学の可能性にドゥルーズを引用。 本格的なドゥルーズ論を展開。 意味の論理学における統合失調症のアルトーと表面よルイス・キャロルの分離。 ビリヤードゲームの喩えで分かりやすく表面と深層を解説し批評と臨床におけるドゥルーズの表面への移行を捉える。 草間彌生と横尾忠則の対談にもふれ、ダリのパラノイアクリティックも詳細に解説。 表面=ASDのトートロジーの順法論から言語内=表面で自己完結して欠如を持たない合成他者=言語にフォーカス。 ルーセルとウルフソンの栄光の感覚、真理の啓示を不可能なものとして表面にとどまりつつ不可能な深淵へと連絡する原理を博打と偶然性から取り出す。 まとめるとこんな感じ。 前半部分は筋が死ぬほど理路明瞭だから、論旨は簡単に記憶できる。 後半のとくにドゥルーズのプラトン主義への抵抗のストラテジーはレトリカルで疑問だらけであって論旨をきっちり記憶するのに骨が折れた。 とりあえず、僕程度に理解するにはある程度の思考力がいるので読書経験値が低い人がいきなり読むと火傷するリスクある。 経験値低い人は1ヵ月~2ヵ月かけて二回読む覚悟は必須。 僕のレベルでも二回読むのに半月以上かかってる。

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    投稿日: 2024.06.16
  • カエルの楽園(新潮文庫)

    カエルの楽園(新潮文庫)

    百田尚樹

    新潮文庫

    やや辛口で星三つ

    つまらなくはないと思う。とりわけ日本人を思考停止したかなりアホめのカエルとして描写してる点は興味深い。 愛国ポルノに浸る層の読者も多いと思うがこの点どのように理解されているのだろうか。 それともネット右翼の俺たちだけが真の日本人!ということか。 本書では日本は楽園!と言いつつ思考停止したヤバいやつが日本人だとも言っており、なんだかよく分からない。思考停止したアホだらけの世界が楽園とはどういうことなのだろうか? あとプランタンとハンドレッドの喧嘩シーンはない。だからそれを期待して読むと僕のように肩透かしをくらう。あと結末は読まずとも予想できると思うが、皆さんのその予想ど真ん中の話になってる。

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    投稿日: 2024.04.18
  • 哲学とは何か

    哲学とは何か

    竹田青嗣

    NHK出版

    最高の哲学理論

    深層心理学のオタクで哲学の本はめったに読まないのだが、この本は名著である。 深層心理学を知るものならばこの本がいかに優れているかはただちに了解されるだろう。 存在、認識、言語の謎を解き明かし、背理法のレトリックを見抜き、相対主義者の矛盾を解き明かしている。 ユング好きなら客観が意識のうちに生じた意識内の分節に過ぎないことはご存知だろう。フッサール現象学の本質もここにある。 またノエマ、ノエシスという分かりにくいタームを恐らくは世界一分かりやすく解説してあり、誰にでもすっきりと理路明瞭に理解でき、この本を読めば中学生相手にでもこれをある程度、説明できるようになる。分かりやすい図があって誰にでも理解できる。因果関係を逆にして意識に還元、対象の確信(ノエマ)の構成条件を暴くというのがフッサール現象学。ノエシスを体験流としてノエマとノエシスの関係(時間性)を示してもいる。 ユングとの違いでいえばユングは唯心論的だが、竹田哲学では認識の対象とはならない原存在が想定される。この想定は理論的に妥当であるといわざるえない。 ニーチェによる本体論の解体による主体ー客体ではない新しいパラダイムとそのパラダイムによって可能となったフッサールによる普遍認識の哲学的方法論が示され、なぜ現象学が必要なのかが理路明瞭に示される。 現代の批判思想に過ぎないポストモダンは認識論の誤謬に起因しており、フッサールは認識論の謎を克服しているために、ポストモダン問題を克服できるというわけだ。 ゴルギアステーゼを起点にスピノザVSヒューム→カント→ヘーゲル→ニーチェ、フッサールと示してゆく。 言語の謎もキルケゴールの固定指示や誰かだったかの固有名にふれつつ、それらを克服し企投的意味→一般意味の図式ですっきり解き明かしている。 またデリダやフーコーの問題点を理路明瞭に指摘。 とりわけフーコーの問題点について、深層心理学オタクのぼくとほぼまったく同じ結論になっていたので興味深いというか、当然にその結論になっちゃいますよね、としかいえない。 さらに臨床心理学を現象学により止揚。 人文領域における質的研究と量的研究の問題を扱いこれも克服。自然科学と人文領域を分ける必要性を示しており、まったく同感としかいえない。 デュルケームの馬鹿げた論理実証主義やウェーバーの優れた洞察を紹介し社会学のあるべき姿を描く。 さらに本書では明示されていないが、極めてラカン的な欲望への洞察が社会論ではベースとなる。 ルソーの一般意志と社会契約をベースに論じノージック的アナーキーのロック的個人所有の論理を論駁。 ロールズの問題もあきらかとしそれらの克服を示す。 ドゥルーズのアンチオイディプスにもふれている。 深層心理学好きならば当たり前のことだがしたがって本書は神経症優位の論理となる。 近代主体をたてる理論といってよい。 ラカンでいえばポスト鑑別診断を認めつつも、鑑別診断の必要性を徹底的に訴えているようなところがあるかもしれない。 ヘーゲルの主奴論や普遍財産、一般福祉なども分かりやすい。 いずれにせよ、一般意志の表現として具体的な法があることを指摘しており、しかも一般意志と法とでは存在論的カテゴリーが異なるという風に読める節がある。ともかく一般意志は法によって完全には表現されないという。 そして社会とは個々の人生における矛盾や苦悩といった理想の欠如によって欲望されて意識可能となるという。 お分かりだろう、ここのところは完全にラカンのフリュストラシオン、すなわち欲望(存在論的差異)の議論と一致する。 法(言葉)における理想の欠如が社会的主体=近代主体を可能とするということを示している。 少なくとも僕はラカンの理論は、法への理不尽や義憤が欲望を形成し、それが分離や去勢に相当すると理解しているので僕の理解するところのラカンと竹田理論には重要な部分での親和性がみとめられる。 この他にも道徳や正義も論じており、ハイデガーの不安や良心についても分かりやすい。 また時間についても述べられている。 ただし時間についての解説は竹田著の新哲学入門のが分かりやすい。 まだまだ面白かった記憶に残ってるトピックがあるがきりがないのでこの辺にしておく。 ともかくあまりにも凄い本過ぎて、その魅力をこのレビューでは1%すら表現できない。竹田は歴史的哲学者だと思う。 一ついえるのは、一人でも多くの人に読んでほしいということ。 読めばいかにこの本が凄いか分かる。

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    投稿日: 2024.04.18
  • 日本国民の新教養

    日本国民の新教養

    KAZUYA

    KADOKAWA

    頭が悪くなる本

    教養が全くない人による中身のない本。 教養をお求めのかたはちゃんとした論文を読みましょう。

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    投稿日: 2024.04.01
  • ハンズ 手の精神史

    ハンズ 手の精神史

    ダリアン・リーダー,松本卓也,牧瀬英幹

    左右社*

    行間的

    デスストについて知るために読んだ。 かなり独特な文章。もし僕がこの本を書くなら理路明瞭に疎外と分離、〈父の名〉とは何かを明確に分かりやすく解説してそれに手の諸特性を対応させ、徹底的に議論を整然とさせ、誰にでもその要諦を限りなく明確に把握できるように書くと思うのだが、本書のスタイルはこれとは対極にある。 いたるところロジックが曖昧で感覚に訴えるような記述が多く、非常に頭を使わされる。ようするに本書ではその本質はテキストの内からは致命的に欠如していてコンテキストとしての行と行との間の無に託されている。 テクノロジーも文化もフリーになった手の興奮をおさえるため手を使わせるために存在するという文明論が展開される。スマホもセンスもタバコも手を使わせるためにあって使うために手で操作するわけではないということ。 また手は他者のエージェントでありつつ、その他者が欠如することで自己の能動性を代理するようである。 掴む→投げる→手放すなど興味深い発達論があったり、二足歩行による手の余剰が処理されることとして、手の活動を捉えたりしている。 また手と言語との連動にもフォーカスし、手が疎外によって社会化されることなども示される。 言語情報の過剰が言語に連動して受肉化する手を行使するデバイスを産み出すらしい。 たしかに僕もペン回しをするので手が余剰の興奮を持っているのはよく分かる。 さらに手の身体への回帰として自傷が論じられたりもする。 自傷は一つには感覚の断絶としての痛みがあり、身体の歴史的な感覚の連続性を切るため、能動性の出発点となるということだろうか。手を切ること手と身体の分離が大事なようである。 ともかく部分的にかなりロジックが分かりにくいところがあり解釈に困った箇所もあった。 しかしながら全体的にはそんなに難しい本ではなく誰にでもある程度は読める本になっている。 解説では有名な隻手のこうあんが引き合いに出されている。 あとチャールズ一世をピューリタンが殺してアメリカを建国した話があって、これによってハリウッド映画で大統領暗殺やその回避がしつこく描写される理由が説明されたりしていてなかなか面白い。 あとウィニコットの移行対象とか定番のネタも出てくる。

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    投稿日: 2024.03.31
  • 三男一女東大理III合格! 佐藤ママの子育てバイブル 学びの黄金ルール42

    三男一女東大理III合格! 佐藤ママの子育てバイブル 学びの黄金ルール42

    佐藤 亮子

    朝日新聞出版

    スポイルマザー

    日本の教育をダメにする典型。 まず日本の女性は一様序列。中学の段階で若さと容姿で友達グループが序列化する。 そして結婚すると夫のネームバリューで友達同士で熾烈なマウントレース。 さらに出産するとまた同じランクでママ友を形成し、同ランク同士でママ友ウォーズ。ここでは子供が代理戦争の駒となり、子供を東大にぶちこむとママは勃起してマウンティングできる。 この基本図式がまずあって日本人の女の幼児的なマウント欲望ありきで子供がママのペニスとして勃起するために受験戦争に駆り立てられる。 欧米では教育は父親が参加する。そのためこのような幼稚なことにはならず、学校も偏差値一様序列ではなく個別の校風が重視される。 男は見た目に拘る人もいれば筋力に拘る人もいるし知能に拘る人もいる。つまり一様序列ではなく、多様な基準にあって対等な関係をきづく。 マウントレースなどしない。 日本では偏差値だけで校風や文化などないのも一様序列のママが教育するため。 したがって日本式のお上にしたがえ~式の東大権威主義のようなものは欧米にはない。 いつまでも土人メンタルで女性が社会進出しないのもこのため。 つまり女性の価値は若さと美→つきあってる男の年収→子供の学歴の順で画一的に決定し、女同士でマウントをすることに人生の全てを費やし子供をオナニーのためにスポイルする、 この腐った日式スポイルマザー構造において女性は社会進出する動機をもたない。 東大理三だけが取り柄の人間が英雄の母としてレジェンドママになる。 日本の女性の頭の悪さを見事に象徴している。 バカな本読んでないでちゃんと育児に父親を参加させましょう。

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    投稿日: 2024.02.28