イギリス人の患者
マイケル・オンダーチェ(著)
,土屋政雄(訳)
/創元文芸文庫
作品情報
王に名を消し去られた風、部族ひとつを溺れさせる砂の海、泳ぐ人々が壁一面に描かれた泉の洞窟――妖しくも美しい情景が、男の記憶には眠っていた。砂漠に墜落し燃え上がる飛行機から生き延びた彼は、顔も名前も失い、かつて野戦病院だった屋敷で暮らす。世界からとり残されたこの場所に、一人で男を看護する女性、両手の親指を失った泥棒、爆弾処理班の工兵と、戦争の癒えぬ傷を抱えた人人が留まり、男の物語に耳を傾ける。それぞれの哀しみは過去と現在を行き来し、記憶と交わりながら、豊饒な小説世界を展開していく。英国最高の文学賞、ブッカー賞五十年の歴史の頂点に輝く長編。/解説=石川美南
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商品情報
- シリーズ
- イギリス人の患者
- 著者
- マイケル・オンダーチェ, 土屋政雄
- 出版社
- 東京創元社
- 掲載誌・レーベル
- 創元文芸文庫
- 書籍発売日
- 2024.01.19
- Reader Store発売日
- 2024.01.19
- ファイルサイズ
- 0.7MB
- ページ数
- 378ページ
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この作品のレビュー
平均 4.3 (6件のレビュー)
-
映画『イングリッシュ・ペイシェント』の原作本。公開当時に映画を見て、本も読んだのですが、今回東京創元社から発行されて読書会課題本になったので再読&映画も観ました。
原作と映画はかなり違います。
とて…も詩的で美しい言葉が流れてゆく物語です。
映画はこちら。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/B00005V1CI
===
第二次世界大戦末期のイタリアのサン・ジローラモ修道院で、看護師のハナは全身に火傷を負った患者を看病している。
ハナは連合軍の看護師としてイタリアに派遣されていたが、目の前で繰り広げられう戦闘で、多くの負傷者や死者を見るうちにハナの心は閉ざされていった。その気持ちに留めとなったのは父の戦死の報だった。
その頃全身に火傷を負った患者が運び込まれる。身元不明で持ち物はヘロドトスの「歴史」だけ。身体は動かないが意識はあり言葉は詩的で知的な人物と思われる。彼は「イギリス人の患者」とだけ呼ばれるようになる。
そのころ軍が移動するため医療部隊もついていくことになるが、ハナは移動を拒絶してイギリス人の患者と二人きりでサン・ジローラモ修道院に残ることを主張する。
爆撃で半分潰れた修道院をハナは一人で暮らせるように整え、畑を作っている。そこへハナの消息を聞いたカラヴァッジョが訪ねてくる。カラヴァッジョは元泥棒だが、連合軍ではその腕を見込まれて諜報活動部隊に所属していた。つまり国家公認の泥棒となったわけ。しかしドイツ軍にとらえられて両手の親指を切り取られる拷問を受けた。
ドイツ軍はこの地域から撤退していたが、あたりに山のように地雷を残していった。ある時サン・ジローラモ修道院にイギリス軍に所属するインド人シーク教徒で26歳の爆弾処理工兵キップがやってくる。修道院に残されていた地雷を撤去し(本の間とか、メトロノームの中とか、戻ってきた住人が日常を戻すために手に取るところに仕掛けるらしい)てそのまま修道院の中庭にテントを張って寝泊まりする。
物語の舞台は、このサン・ジローラモ修道院と、それより数年前の北アフリカになる。
サン・ジローラモ修道院の主要人物は上記の四人。戦時中に違う国籍の心に傷を受けた四人が集まって、戦争真っ只中でありながらとりとめのない会話をしながらすごした数ヶ月の物語となる。
ハナは、父や継母(父の後妻)を深く愛していたが、父の死を聞き継母からの手紙に返事を出す事ができないでいた。戦場で火傷を負って死んだ父に変わるようにイギリス人の患者の面倒を見る。彼にヘロドトスを朗読する。修道院の図書室から手に取った本を朗読する。
カラヴァッジョは、明るく口がうまく、盗むよりも「見る」ために他人の家に忍び込むような泥棒だった。国家のために働き拷問を受けて年老いて、もはや明るさを見いだせなくなっている。
そんなカラヴァッジョがサン・ジローラモ修道院で出会ったのは、幼い少女のハナではなく、彼女の声でもなく、自分がなろうとしてなった孤独で傷ついて靭やかな女性の姿だった。
キップの兄は熱心なイギリスからの独立派で、その運動のために投獄されていた。キップは医者になりたかったが、兄の不在の為軍に入った。インド人ということで区別(差別というほどでもなく)も多かったが、爆弾処理班の責任者サウォーク卿やその秘書、運転手たちとは真の交流を結んでいた。だが彼らは爆弾処理中に爆死した。
爆弾開発のスピードは早い。処理班は、ある日突然進化した爆弾の相手をする。今までと同じ爆弾と思って今まで通りの処理をするとそれは死につながる。進化した爆弾の処理方法を見つけ、連合軍全体に共有することが戦況に大きく関わる。サウォーク卿はそんな重大な責任を飄々と引き受けていたのだ。
イタリアでのキップは、修道院や美術館での爆弾処理にあたり、普段は見られない聖者たちの絵や彫刻とともに過ごしていた。
ハナとキップは、サン・ジローラモ修道院で寄り添い合い優しい恋が生まれる。
彼らの物語の間あいだに流れるように「女」の話が入る。それはイギリス人の患者がここに運び込まれる事になったある愛の物語だった。
第二次世界大戦勃発直前の北アフリカ。
ハンガリー人のアルマーシ伯爵は、砂漠に魅せられて探検家の一員となっていた。同じく探検隊のイギリス人マドックスとは親友の間柄だった。その探検隊に若きイギリス人貴族のクリフトンと、その新妻キャサリンが加わる。探検隊が探すのは、今は失われた砂漠の中のオアシスの痕跡だった。それはある洞窟の壁に泳ぐような人間の絵を見つけたことで証明された。ここには昔水があって泳いでいたんだ。
だがアルマーシ伯爵はヘロドトスを朗読するキャサリンの声に恋をするようになり、その後彼らは恋人同士(不倫関係)に陥る。激しい恋、激しい苦悩を経て二人は不倫関係を終わりにせざるを得なかった。
次代も第二次世界大戦開戦が迫り、国籍を問わない探検隊は解散させられた。マドックスは故郷に帰ったがその後自殺したという。自分の居場所であった砂漠から帰され、戦争に賛同し高揚する故郷はもう故郷ではなかったのだ。(※映画では、アルマーシ伯爵のある行いがマドックス自殺の要因とされています)
探検隊に参加したクリフトンについては、アルマーシ伯爵も知らなかったことがある。彼の実家はイギリスでも上流階級で政治経済で重要な地位にいた。そこで「国籍混合の怪しい連中が北アフリカを国境を関係なく動き回っている」ということで、パトロンの振りをして様子を見に来たのだ。そのためアルマーシ伯爵とキャサリンの不倫もイギリスでは筒抜けだった。
ついにクリフトン本人も、妻とアルマーシ伯爵が過去に不倫していたことを知り、砂漠で二人を巻き添えにした無理心中としての飛行機墜落を起こす。
クリフトンは即死したが、キャサリンは重症ながら生きていた。アルマーシ伯爵はキャサリンを抱えて「泳ぐ人の洞窟」に運び込む。
この時点で、クリフトンを通してアルマーシ伯爵を監視していたイギリスでも、彼の行方は完全に見失った。
アルマーシ伯爵は「必ず救助を連れて戻る」と言って砂漠を徒歩で横断した。だがやっと辿り着いたイギリス軍で、ドイツ人スパイと思われて収容されてしまう。
なんとか抜け出したアルマーシ伯爵は、ドイツ軍に協力する代わりに「泳ぐ人の洞窟」にたどり着く手段を手にする。しかし彼が洞窟に辿り着いたのはすでに3年経ち、ミイラ化したキャサリンの遺体を抱きしめる。
そしてキャサリンとともに乗った飛行機が墜落し、全身大火傷を追った彼が連合軍に助けられて「イギリス人」と思われたのだ。
瀕死のキャサリンの眼差しから、アルマーシ伯爵は逃れることができない。女が最後に見たのはアルマーシ伯爵。アルマーシ伯爵は、自分がクリフトンとキャサリンにである前の情景に自分がいたようにも思う。
イギリス人の患者(アルマーシ伯爵)の口から出るのは、女、砂漠、ヘロドトス。
数ヶ月が経ったある日、キップはサン・ジローラモ修道院から突然去っていった。ラジオから流れる「アメリカが広島と長崎に原爆を落とした」ニュースは、非白人のキップにとっては身を切られるような自分ごとだったのだ。アメリカの背後にはイギリスがいる。連合軍はは、白人国家には原爆を落とさないだろう。イギリス人の患者だってその白人だ。
キップはアルマーシ伯爵に向けた銃をなんとか降ろして出てゆく。
ハナとキップの幸せを願っていたカラヴァッジョは、最後にキップを抱きしめる。「寂しくなる、いったいどうやって紛らわしたらいいんだ」
アルマーシ伯爵は長くは無いだろう。きっとハナとカラヴァッジョが埋葬するだろう。そして国に帰るだろう。
ハナは、やっと継母に手紙を書く。数ヶ月、数人でなんということもない会話をして過ごした日々。でももう帰りたい。
何年もたち、インドで男は女のことを思い出す。手紙がきたが決して返事は出さなかった女。
今では医者になり、明るい妻と子供もいるが、それでも彼女のことを考える。だが彼女の周りのことがまったく想像できない。今ハナはフォークを取り落とした。キップはフォークを受け止め、娘の手に戻す。
===
美しい詩のような物語。
国籍が違う四人が戦争の間に共に過ごした。終盤でハナは、罪悪感からずっと手紙を書けなかった継母(父の再婚相手)に手紙を書く。<愛するママン。(…中略…)この数ヶ月、ある屋敷でサン人の人と一緒に暮らしてきました。のんびりと、とりとめのない会話をしながら。いまの私には、それ以外の話し方はできません。P281>ここに繋がった!
ハナは全体的にも主人公だと思うのだが、明快な性格描写はなされていない。<ハナがどんな女性か、私にはよくわからない。たとえ作家に翼があっても、ハナはその翼の中にいつまでもとどまる女性ではない。P290>作者の自由自在な思考の現れなんだろうか。
そして終わり方。キップのその後で終わるとは以外だったが、心の目でみたハナが落としたスプーンと現実の娘が落としたスプーンがつながる文章はとても良い。
キップとイギリス人で師匠のようなサウォーク卿やそのチームとの繋がりがとても良かった。爆弾技術はすぐに進む。爆弾を分析して解除方法を味方に共有することの責任感と、そんな日々で見える人間の真の部分。
そんなキップが激情したのが、アメリカが日本に原爆を落としたというニュースだというのも良かったなあ。「結局これが自分たち有色人種国家に対する白人国家のなんだ。相手が白人の国だったら大量破壊兵器など落とさなかった。」核に対しての海外コメントは軽いものた目についてしまうので、いわゆる「同じ有色人種国家」が同じように痛みを感じている意見があったんだなあ。
そしてこれほど詩的な語りなのに、現実的な戦争の駆け引きも書かれていてバランスが良いのも不思議。
※読書会
●連想したもの。映画「太陽の帝国」、「低開発の記憶(キューバ映画)」、「シェルタリング・スカイ」
●戦争のPTSDが語られている。日本でも第二次世界大戦、原爆のことは語られるが、ヨーロッパでも行われている。
●「現在」の物語としては、患者、ハナ、キップだけで成り立ち、カラヴァッジョは軸が違う彼により話が面白くなっている。
●患者の全身の怪我と、原爆患者が重なった。
●原作と映画の違い。
原作では、色彩と官能を感じた。キップの比重が大きい。
原作のほうが、アルマーシ伯爵とキャサリンの不倫関係はかなり激烈。日本語訳ではまだ穏やかになっているが英語原作はもっと過激な言葉が使われている。
●英語版と、日本語訳の違い。
人称が違う。英語では「He、She」、日本語では「男、女」など。
英語では、砂漠の出来事は過去形。サン・ジローラモ屋敷の出来事は現在形なので、いつの話なのかわかる。
●みんな個人名があるのに「男、女」などの表記になっている。キャサリンもハナも「女」と同じ表記。
⇒距離の近さ、遠さを表している?
⇒海外小説では「彼、彼女」で始まる事が多いので、個人名に拘るのは日本語の特徴?
⇒アルマーシ伯爵がうなされて「アルマーシが…アルマーシが…」と言う。それを聞いたカラヴァッジョが「アルマーシはあんたのことだろ?」というと、「死ねば三人称になるんだ」と応える。人称ではここも不思議。
●キップとアルマーシは、二人とも故郷を捨てている。
●同じ戦場で死体を見ながら、諦めを抱えているハナと、患者を助けようとするキップの違い。
●ラストのコップを落とす場面は、サン・ジローラモ屋敷で爆弾の信管を落とした場面の再現。
●何人かは実在の人物をモデルにしているらしい。誰だろう?多分砂漠で亡くなったクリフトン夫妻かなあ。
●「カラヴァッジョ」のこと。光と影の画家、寂れた修道院の宗教画、などの描写があるので、「カラヴァッジョ」の名前にしたのかな。
●作者オンダーチェは、他の本の紹介や解説を書くことが多い。作家として良い小説を紹介してゆく作者なのだろう。
●地雷、戦争PTSDで、ベトナム戦争を連想した。第二次世界大戦で地雷描写はあまりみたことがなかったかも。小説の地雷を掘り起こす作業が、各自の記憶を掘り起こす行為に繋がっているのかと思った。その記憶は悪い物が多いのだが。
●イギリス人の患者自身が「地雷」そのものなのかと感じた。聖者?裏切り者?
●サン・ジローラモ屋敷で過ごした時期はヨーロッパでは戦争は落ち着いている。そんななかに「原爆」のニュースで現実に戻った感じがある。
●作者は白人かと思ってしまった。ブッカー賞だし名前がマイケルだし。読んでいるとキップのキャラクターの鮮やかさで、非白人だなと分かる。
●海外の話は、詩に比重をおいている。
⇒海外の作家には、小説と詩それぞれの思考を行っている作家が多い。
⇒翻訳では、分かりづらかったり、むしろ分かり易すぎるようになってるかもしれない…。続きを読む投稿日:2024.05.09
このレビューはネタバレを含みます
ブッカー賞の一番(?)になったと聞いて,読んでみた。難しかったけど(何回イングリッシュ・ペイシェントのウィキペディアを見たことか),没入感がすごい。話としても面白かった。「原爆投下をラジオで聞いてぶち…切れする」はないだろうと思ったけど,解説で言われてるみたいに知識の下地があったらあり得るかなとか,プレスコードは日本だけで外国では詳しくオープンにされてたのかな(むしろ成果を喧伝されてたのかな),と考えると面白かった。映画でバッサリ切られているらしいのもなるほどなという感じ。
レビューの続きを読む
映画を見たことがないのは,なんか官能的自伝的な感じで興味もてなかったからな気がするが,原作が先で良かったよナイスな判断だったよ,と思う。ウィレム・デフォーはナイスキャスト!と思うけど(めっちゃ見たい),ジュリエット・ビノシュは違わないか?と思う。続きを読む投稿日:2024.06.24
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