戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか
保阪正康(著)
/幻冬舎新書
作品情報
世界がウクライナ戦争で大きく揺らぎ始めている。再び戦争の時代に戻りそうな端境期にある今だからこそ、歴史から多くを学ぶべきだと主張する著者は、これまで軍指導者や兵士など延べ四千人に取材し、戦争と日本について五十年近く問い続けてきた。なぜ近代日本は戦争に突き進んだのか? 戦争を回避する手段はなかったのか? 明治・大正と昭和の戦争の違いとは? それらを改めて検証する過程で新たに見えてきたのが、これまでの「戦争論」を見直す必要性である。本書では、日本近現代の戦争の歴史から、次代の日本のあるべき姿を提言する。
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戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか (幻冬舎新書 700)
本書のテーマの一つでもある「軍事」について考えてみますと、21世紀は次のような形の「戦争論」が前面に出てきたと言っていいのではな…いかと思います。箇条書きにしてみます。
ー、戦争は「罪過」であるとの認識が広まり、政治的な解決手段ではないとの結論に達している。
二、大量殺戮兵器が登埸することで、戦争が人類破滅の意味を持つに至った。
三、市民社会の成熟した形が出来上がり、ヒューマニズム思想が普遍化し常識となる。
四、戦争は地域化し、 世界的な全面戦争の形は取らない状態になっている。
五、戦争の産業化によってコストの側面から戦争の形態が考えられる状態になった。
戦争を否定するには様々なアプロ ーチがありますが、たんに感情的な戦争否定は必ずしも常に有効性を持つわけではない。それは政治的対立や民族的確執、さらには経済的計算の衝突に至った時には、あっけなく雲散霧消しかねないほど弱いと断音できます。
本書がそのような意味を持つと考えれば、私たちは自己の存在を確実なものにするために「戦争論を戦争否定論に高める」ことを考えていくことです。私がしばしば講演で話をする「戦争を選択すること自体が敗北である」という見方は、 戦争否定論がたどり着く一つの結論でもあると信じています。
プロローグ 新しい時代が始まる
生物にとって生きるために戦うことは不可避であり、戦岡こそ人類の逍伝いに組み込まれていると説く論者もいます。戦争は、その遺伝子が集約的に「爆発」して起こるものだとする説ですが、その爆発には三つの理由があると.言います。
一つ目は、縄張りの確保です。
二つ目は、隠れ家です。隠れ家とは、縄張りの中に作った自分の巣です。
三つ目は、種族の保存です。
とりわけ現代日本に深く関係する近代史を教えてこなかったのはなぜか。理由は単純です。日本の近代史を教えると、日中戦争や太平洋戦争が「侵略か、侵略ではないか」という歴史認識の問題を避けて通れないからです。歴史教育で、文部科学省と日本教職員組合(日教組) が真っ向からぶつかる点です。
どちらが正しいかという議論はこの際どうでもよいことで、本質的な問題は「政治的な理由で、自国の歴史を子供に教えることを避ける」という無責任さにあります。
プーチンが核具器を使用することはないと私は見ていますが、もし便ったならば、「核抑止力」という言葉は死語になり、「核抑止力で平和を維持する」という戦争输に代わる、新しい戦争論なり抑止論が出てこなければならなくなります。
第一章 「明治時代」と二つの戦争
明治維新は軍事クーデターだったと言えます。ただ、幕府側が江戸城を明け渡し、完全に旗を降ろしてしまったので、国を二分するような長い内戦にはなりませんでした。この新しい政府を支えるため、明治四年、薩摩・長州・土佐などの兵が中心になって、「御親兵」という天皇の軍隊が組織されます。
本書で言いたいこと、あるいはこの国が守り抜くべきこととは、この点に尽きています。後の近衛師団です。
政治の面を見ると、1885年に太政官制を廃止して近代的な内閣制度を作り、第一次伊藤博文内閣が誕生します。1889年 には大日本帝国憲法が発布され、1890年には初の衆議院議員総選挙を経て、第1回帝国議会が開かれました
つまり、軍の組織や機構が先に出来上がった頃に、ようやく政治体制が機能しはじめたと言えます。換言すれば、「軍事が政治より二十年ほど先行してスタ—卜した」のであり、近代日本の不幸の一つはここにあります。
この「軍事先行」の国家体制によって、日清戦争と日清戦争は行われました。「軍事先行」とはいうものの、やみくもに戦争を仕掛けていたわけではありません。戦争遂行の根幹にあるのは、「主権線と利益線」を守るという考え方です。
日本の主権のおよぶ範囲は北海道・本州・四国・九州の四つの烏と沖縄であり、これを「主権線」と言いました。主権線を守るために必要とされたのが「利益線」です。利益線を押さえなければ、主権線の安全が確保されないと考えられていました
ヨーロッパでは、戦闘のなかで騎士道の帮神が生まれ、文明と補完し合いながら戦争のルールが出来上がっていきました。もちろん戦争ですから残酷な側面はあります。しかし、中国の残酷さは、ヨーロッパの残酷さとは異質だと考えたのでしょう。
「ヨーロッパとは違う戦いを目にしたイギリスの兵上たちは、中国的な残酷さに帮神のバランスを崩す。兵士の粘神のバランスが崩れれば、軍隊の秩序、モラルが崩れる。その危険がわかっていたから、本格的な戦争をやらなかった」というのが結論だったようです。
ご存じのように、イギリスと清国はアヘン戦争を行いましたが、「租界地だけを自分たちの支配下に置く。部分的に利益を得ればいい」というイギリスの中国政策は、そこに立脚しているのです。ある意味で巧妙です。
一方、日本は、中国と戦うことの「本当の怖さ」を知らなかったのではないかと思います。「戦争観の違い」は「文化の違い」だと思いますが、ここで強調しておきたいのは、イギリスのような先進的な帝国主義の国には、それをきちんと研究する軍事学かあったということです。
日本は陸軍が奉天会戦、海軍が日本海海戦という惟史的な戦いでロシア軍を破り、何とかロシアに勝ちました。しかし勝つには勝ったのですが、アメリカの斡旋によるポーツマス条約で講和が成立したに過ぎず、ロシアは本格的に負けたと思っていません。
結局、日清戦争のような賠償金は取れませんでした。
しかし、勝つことによって、私たちの国は大きな錯誤を犯しました。軍事が主導する国家、軍事がすべてを支配する国家へと走り出してしまったのです。
もう一つ、日本の錯誤を取り上げておきます。日清戦争、 日露戦争で「戦争は儲かる事業である」と考えたことです。その結果、戦争がこの国の最大の「営業品目」になりました。戦争に勝って賠償金を獲得し、領土を拡大して制圧した地域の資源を手に入れることが、国家最大の利益を得る方法だと安易に考えてしまったのです。
近代に入ると、帝国、王義国の先駆けである西欧列強は、戦争に慎重な姿勢を取りはじめました。政治の下に軍事を置くシビリアンコントロールが一般化し、「政治で話がつかない場合、軍事的に動く」という順番になったのです。戦争はあくまで経済を発展させる「市場獲得」のためのものになり、政治の了解があってから軍が行動を行う形に変化していきました。
ところが、日本はそうはならず、「国家が聲かになるためには戦争をやればいい」、つまり戦争によって国家的な利益が拡大すると考えました。日清戦争と日露戦争を通して、「戦争をすることによって、興産立国、産業立国が実現できる」と覚えてしまったのです。
鈴本貞一という元陸軍中将を取材していて、「我々の世代の戦争に対する受け止め方を変えなければいけない」と思ったことがあります。
彼は意外なことを言いました。
「逆だろう。それだけの物量の差があるから戦争をしたのだ。それがあのときの日本だよ」
弱いからこそ、戦卽をやらなければいけなかった」という考えに驚かされると同時に、その根幹に「戦争は営業品目」という発想があると感じたのです。
これは言わずもがなですが、戦争を人間の諸悪が凝縮したものとする感性的な戦争論、戦争をヒューマニズムに反する行為としての反対論は、 それはそれで大切です。
しかし、そのように論じている限りでは、見えてこない「戦争論」があります。その「見えない戦争論」が、実は私たちにとって一番重要なのではないか。日本は、それを考える国でなければならないと思っています。
「旧軍には問題があった」と、ほとんどの人が言います。彼らの言う「問題」にはいろいろな意味が含まれていますが、共通するのは、「軍人があらゆる分野に顔を出し、軍事主導体制でこの国を動かそうとしたこと」です。
第二章 「大正時代」と第一次世界大戦
当時は「第一次世界大戦」とは言われていません。「大戦争」「世界戦争」と呼ばれており、ヒトラーがポーランドに攻め入って第二次世界大戦が勃発した昭和十四年( 1939) 九月一日以降に「第一次」と位置づけられました。このとき、「あのときの大戦争は第一次也界大戦で、今度の大戦争が第二次世界大戦ではないか」と考えられたわけです。
第一次世界大戦が始まった当初は、一週間もすれば片付くだろうと見られていました。ところが、戦争は四年間続き、どの国も国家財政は破綻し、膨大な犠牲者を出しました。
日本は日英同盟の関係から参戦し、チンタオのドイツ軍基地や南洋諸島のドイツ領を攻略しています。日本の死亡者数は、およそ300人と推測されています。
1910年代はそれぞれ領上の統治者は皇帝であり、民族の独立をめざすナショナリズムは帝国支配のなかに包み込まれていました。つまり、どの帝国でも内包する民族問題が常に沸騰しかねない状況にあったのです。それがセルビアで火がつき、いとも簡単に燎原の火となり、 第一次世界大戦後にはすべての帝国が崩壊しています。
民族問題に端を発した二十世紀初頭の世界大戦は、このように歴史が大きく転換する時期に発生しました。
十五世紀から十六世紀の「地動説か、天動説か」の議論が物語るように、かつては科学者が正しい法則を発見しても、真理は神のものであり、宗教によって人類の真理が決められていました。しかし、17世紀後半から18世紀にかけて、宗教ではなく、理性によって現実を理解しようとする「啓蒙の時代」が始まっていきます。
その流れのなかで、実証的な物の見方を舞ぶ「科学第一主義」という「人類史の曲がり角」が、二十世紀の初めにやってきました。神の権城が崩れることは、「物事を相対化して見る」という科学的な思想につながります。
それは、皇帝を中心とする権力の下で強かった絶対主長的な枠組みすらも相対化することにつながり、この時期の帝国の崩壊を、相対化の時代が到来したという視点から論じる説もあります。
フロイトの「無意識」の考え方は、意識の下に自覚できない領域の存在を認め、人間が心のなかに「神」とは違う深遠な世界を持つとしたことで、その精神分析の理論が絶対的存在であるはずの神を相対化したのです
大きく変わったという点では、戦争のあり方がそれまでとまったく違ったものに変質しました。
一つは、科学の進歩による兵器の技術革新です。
第一次世界大戦からは、相手の国の非戦闘員まで殺害するという国家総力戦に変わっていったのです。
戦争が長引くにつれ、何のために戦っているのか、だんだんその意味がわからなくなってくると、「戦争は資本家が金儲けのためにやっている」という素朴な考え方が広く受け入れられ、社会主義思想が広まりました。
1919年のヴェルサイユ講和会議では、第ー次世界大戦の戦争処理問題をめぐって、敗者の側に位置づけられたオーストリア、ドイツなどに、過重な領土の割譲、賠償金の請求、あるいは文化、憲法の否定といった要求が突き付けられていました。
「戦争は二度と嫌だ」と言って国際社会の平和を模索しながら、現実には勝者の側が一方的に敗者の側に過酷な状況を强いて、次の大戦への火種をまいていたのが、第一次世界大戦後の世界の特徴でした。
「戦争で失ったものは、戦争で取り返す」という敵がい心をドイツに与える戦争の終わり方が、ヒトラーを生み出す「バネ」になったという見方もできます。
時代空間として、大正時代には特異な性格があります。それは「天皇がいて天皇がいない」という「空洞化の時代」だったことです。
第三章 「太平洋戦争」での崩壊
明治・大正・昭和の軍人たちに、「自分たちに課せられている歴史的な役割は、朝鮮、中国を含めた地域に大帝国を作ることだ」という秀吉時代の遺伝子が眠っていて、その遺伝子が近現代史のなかで表面化したのではないかと分析をする本もあります。
昭和の戦争を考えるときに、私たちは解釈の岐路に立ちます。一つは日本人の気質、日本人の宿命、日本人の性格の弱さ、日本人の国民性、そういうものを全部含めた宿痾による当然の帰結だという見方です。
もう一つは、昭和の戦争では日本人が変調をきたしていた、あるいは日本の文化や伝統とまったく違う路線を歩んだ。だからその文化や伝統と異なるということを明確にしなければいけないという見方です。
昭和の戦争は、多くの問題を含んでいます。と舀っても、その時代にめぐり合わせた人たちの生きた姿を、揶揄したり否定したりすることは許されないことです。そうではなく、その時代に生きざるを得なかった人たちの体験は、私たちに何を伝えているのか。そこに「教訓」をくみ取ることによって、「みなさんは歴史のなかに生きているのです」と私は伝えたいのです。
戦争を知る世代の自民党の代議士に何人も会いましたが、タカ派的な意以の人でも、
「今の憲法でよいと思う。あれは死んだ人たちの魂がこもっているのだ」と話す人が少なからずいました。
「戦死した兵隊たちがあの憲法を作った」と思う世代の人たちが、たしかにいるのです。
そういう人たちは今、時間の経過とともにほとんど亡くなっています。世接当時の兵隊たちのメッセ—ジが伝わることのない時代になっていますが、今の憲法九条が兵隊たちの涙で出来上がっていることは、知っておく必要があると思います。
私は東條を優れた指す者とは思わないし、日本陸軍の誤謬を体現しているような人物であることにあきれますが、誰かを悪として槍玉にあげ、周りの者はそれで免罪符を得たとする風土が、日本には根強くあるのではないでしょうか。
それゆえに間違いや失敗に対して具体的な検証をせずに済ませてしまい、過去を整理した上で理解していないから学びがないのです。その結果として、現在も日本社会には問題が山積しています。
日本の兵隊は、最後の最後、戦場に行って、やっとその場で「自分がどこで戦うか」を聞かされることが多かったのです。名も知らぬ烏で、「俺はどこにいるのだろう」と思い
日本の兵隊は、最後の最後、戦場に行って、やっとその場で「自分がどこで戦うか」を聞かされることが多かったのです。名も知らぬ烏で、「俺はどこにいるのだろう」と思いながら死んでいった兵士が、どれほどいたことでしょう。ながら死んでいった兵士が、どれほどいたことでしょう。
現代史の七十七年間、日本人が軍に対して、ある種のアレルギ—を持っているのは、健全だと思います。しかし、このアレルギーは、戦争をまったく知らない世代によって簡単に乗り越えられる危険性をはらんでいます。
第四章 継承の原点としての「昭和後期」
人類の争い事は三つに絞られると、よく言われます。
一つ目は、食べ物です。食べ物が少なくなると必ず争いごとが起こる。それが、 大きくなれば眦争となる。現代にもつながる話です。
二つ目は、種族の保存・維持です。つまり、子供を作って次の世代につないでいくことを何よりも優先するから争い事が起こります。
三つ目は、安心感や尊厳です。人類はその安心感を得るために、同じ種のなかでも家族、あるいは関係の近い集団といったテリトリー 、縄張りを作ります。これを守ろうとする戦いは必ずあるのです
近代日本の戦争には多くの錯誤があり、その錯誤による私たちの国の失敗がありました。
その失敗を徹底的に学んで克服することが大小だ、という視点から、私は3 つのことを取り上げたいと思います。
まず、失敗の原因の一つは、軍事学に対して理論的な構えが甘すぎたことです。
「経済とは何か」を考えるのと同じように、私たちは「軍事とは何か」をきちんと考えて、軍事学、軍事哲学を持たなければいけません。
二つ目は、戦争に行った兵隊たちへの連帯の感情を持っていないことです
三つ目は、戦争が終わった後、きちんと文書化して、国民的財産にしていないことです。その際、「よく戦った」という賛美型の戦争総括論、「すべて失敗した」という全否定型の戦争論、どちらも間違いです。
常識から考えたとき、近代日本の誤りは、軍事のシステムと教育と人材にあったことがわかります。
「天皇のために死ぬ」
「相手方との政治的な妥協を考えず、ひたすら戦争を継続する」
こういった姿勢で戦われたことを踏まえると、「何を考えているのか」と言いたくなります。それを徹底的に批判した上で、教訓化しなければなりません。
かってソ連邦という社会主義圏に含まれていた15の共和国は、その崩壊とともにそれぞれに独立しました。そうした国の一つであるウクライナがNATO加盟に動き出したことは、軍事的にその地域が西側陣営に組み込まれることを.意味します。それをプーチンは「西側諸国による軍事的脅威」と捉えたのです。「ロシアの中庭に、NATOが武器を持って存在することは認めない」
これがウクライナ侵攻の大きな理由になったことは間違いないと思います。
第二次世界大戦のソ連のあり方を、プーチンなりに学んで、ここはどうしても譲れないと考えたのでしょう。ロシアという国の存続に直接の脅威になるからです。
私はプーチンの戦争を批判しますが、彼が何を考えているのかを知っておくのは必要だと思います。なぜならば、それが歴史を検証する上での大切な姿勢につながるからです。
結局のところ、昭和後期の歴史解釈は「唯物史観(マルクス主義的な歴史解釈) 」「皇国史観(戦前の天皇を中心とした歴史解釈) 」「文明史観(人類史は文明の街突、葛藤によって作られるとする解釈) 」「軍事史観(軍がが人類史の主役であるとし、強者に焦点を当てた歴史視) 」「物語史観(文字を持たない民族の歴史継承の解釈) 」「実証主義的史観(歴史を実証的に検証しようとする見方) 」などの様々な史視が混合しながら、固められていったと言えます。
第五章「平成」という時代の姿勢
戦争には人間同士が憎しみ合うことの半面で、ヒューマニズム的な側面があります。それが強調され、あたかも戦争はヒューマニズムによる行為と.言わんばかりに語られたりするのです。
その行き着く先が、「歴史修正主義」の罠です。この罠に落ち込んだら、歴史を自らの欲求不満の代償に利用することになっていくでしょう。「歴史修正主義」とは、侵略戦争や植民地支配、軍などが行った組織的残虐行為など、批制的に評価される事象について、その評価を否定し、逆に支持や擁護する主張を言います。
戦争の内実を調べていてわかるのは、日本軍の組織原理がかなり卑劣だったことです。軍の上層部は兵隊たちに死ぬことを強要する一方で、自分たちは死なないことを考えていました。「俺も後から続く」と言って特攻機を送り出して生き残った上官たちの逸話などは、その好例です。
日本の軍事指導者が全員そうなのではなく、海軍にも「自分が率先して死ななければならない」と考え、命を賭して率先して作戦指導して死んだ指揮官はいました。こういう人こそ本当の軍人であり、私たちは個別にきちんと見極める必要があります。
1945年に戦争が終わってから四十三年余を経た平成時代以降は、当事者たちの多くが亡くなっていくなか、「ずるい戦史」はどれかを見極めた上でそれによって刷り込まれた固定観念を壊していかなければなりません。
インパール作戦の場合は言語に絶する悲惨さでした。では、他国の軍隊で同じような悲惨な状況を兵隊たちに課す国はどこかと見てみると、 当時の日本軍ともっとも似ていたのはソ連軍です。
第二次世界大戦でソ連軍の戦死者は1450万人と言われていますが、ソ連軍の死者は戦場だけではありません。逃げ帰った兵士たち、あるいは戦場で弾薬が尽きたと言って撤退した兵士を、「戦闘意欲がない」という理由でスターリンは殺害を命じています。
日本軍も「天皇の軍隊」であり、プロイセンのような騎上道的文化が育ってもよさそうなものです。それがなぜ、多くの理不尽な仕組みを持つ軍隊になったのでしょうか。
私は資料を集めて事実を精査していくなかで、三つの原因があると考えました。
ー、天皇を利用しての無責任体系の確立。
二、陸大(陸軍大学校) の成績で恩賜組(「恩賜の軍刀」を拝領する上位五番ぐらいの者) が自在に作戦を振り回したこと。
三、陸大の軍事教育が兵站を考えずに作戦だけを重視したこと。作戦中心の組織上の欠陥
資料に関して日本はまったく甘く、膨大な資料を収集・管理し、資料分析に基づいて問題を整理していく点では非常に後れています。
なぜ、無責任になってしまうのか。それは歴史的に考える視点を持たないからです。
「後から歴史的にどう言われようが、知ったことではない」という考えが大多数ですから、資料を必要としないのです
半藤一利氏と立花隆氏の二人は、「自分たちが生きた戦争のない時代は、良い時代だった。次の時代へ戦争について伝える仕事をしたい」と言っていました。しかし、お二人とも志半ばで亡くなりました。
第六章 令和からの新しい視点
アメリカの軍事関係の英文資料を、辞書を引きながら読み進めると、20世紀のアメリカの軍人のなかには「いかに戦わないか」を前提に「戦略論」を考えている層が存在します。それが本来は健全なのでしょう。
戦略論は「戦争が始まれば、いかに勝つか」ということですが、「いかにして、軍人は戦わないようにするか」という点もきちんと号えていたのです, 文民支配下の軍人が持っていた戦争哲学には、まず「戦争を避ける」という前提があった。その点からすると、二つの世界大戦は彼らにとって、不本意なものだったはずです。
国民の生命や財産に直接関係する危機であれば、もはや対外戦争は避けられません。それ以外の理由で戦争に動員するのであれば、 アメリカの青年を納得させて戦わせるだけの戦略論がなければいけない。これがアメリカの軍人の考え方だと思います。
しかし二度の世界大戦では、「民主主我を守る」というだけでアメリカは戦争を始め、多くのアメリカの青年を失ってしまいました。元軍人の回顧録には、「これは残念なことだった」という記述がしばしば出てきます。
ベトナム戦争以降、「戦争をしないための軍事論」は完全に崩壊しました。「共産主設と戦う」「テロ国家と戦う」というテーゼのために、20紀から21世紀にかけて、アメリカは多くの青年を戦埸に送って戦死させました。これらは、あくまで政治の代替としての戦争でしかないのです。
「日本の軍隊は精神主義的な軍隊だというが、そうとは思わない。指導者不在の戦争をやると、日本のような乱暴な戦争になる」と、アメリカの元軍人たらはよく書き残しています。
時代を経るにつれ、「沸騰するナべに手を入れるとやけどをする」という言葉を口にする人が「沸騰するナべに手を入れること」を想像できなくなり、「本当にやけどをするのか」と思うようになります。現在の日本は、そのような「継承が薄れてい状
態」にあると言えるでしょう。
歴史を見ていると、四世代か五世代後、つまり百年ほど過ぎると「沸騰するナべに手を入れる人」が現れる危険性があります
戦争体験をなぜ検証し、学ぶのかについて、私は次の5つを挙げます。
ー、戦争体験世代の教訓はその国の歴史的迫産である。
二、ある世代の戦争体験は非体験世代の身代わりである。
三、戦争を選択した指璋者は何世代にもわたり責任を問われる。
四、国が国民の生命と財産を守る浅務を放棄した罪は大きい。
五、戦争の相手国の記憶と記録に対峙する覚悟が必要である
戦記にはどのような種類があるのかを考えてみると、大きく五つに分けられます。
第一は、「大本営がこういう命令を出した」「部隊からこういう戦闘報告が来た」という「命令と報告」をもとにした戦記です。
第二は、南方軍、支那派遣軍などの方而軍列令部にいた参謀が書いたもの、すなわち大本営の命令を受けて、隸下の部隊に命令を出す立場にいた人たちによる戦記です。
第三は、個々の兵隊たちの戦記です。
ー兵隊は将棋の駒のようなものですから、作戦全体のことはよくわかりません。しかし、自分がどのような場で、どのように戦ったかという体験上のことは非常によく伝わります。
第四は、戦友会で出した戦記です。第五は、プロパガンダ戦記です。
以上の五つのうちで、もっとも信用できるのは戦友会が出した戦記です。とくに兵士だけの戦友会で出した戦記は一番信用できます。みんながお金を持ち寄って、謄写版で作った50ページぐらいのものが多いのですが、兵隊の悲しさを含め、比較的正確に書かれています
ところが一般的には、作戦を指導した当事者である大本営の参謀による戦記が正しいと思われています。大本営の参謀は戦後、社会のエリート層に属した人が多く、お金をかけて戦記を作ることができました。写真も豊富で立派な装幀が多いのですが、どうしても旧軍を擁護する立場にある人物ですから、虚構が入っているので要注意です。
第八章 戦争とテロという二つの事象
十八世紀には、ドイツ観念論の哲学者カントが、『永遠平和のために』のなかで、国家の組織的な軍小機構の廃止や国際的な平和維持機構の設立を提唱しています。
しかし、世界の対立や抗争を克服する取り組みは、いまだ発展途上です。
事実、「東西冷戦が終わって政治的な対立がなくなったら、戦争が起こらなくなる」という私たちの考えとは逆に、局地的な紛争はむしろ増えていったのです。
それらの紛争は民族と宗教が原因になっています。民族的対立と宗教的対立が、人類史の争いの根幹要因なのです。
東西冷戦期は、社会主義の大国ソ連は、強力な武力によって支配地域での民族・宗教問題を抑えつけていました。しかしソ連朋壊でそれが取り払われたのと、社会主浅思想が抑圧していた民族、宗教の対立という問題が一気に噴き出して地域紛争の原因になり、 この三十年余、世界で内乱や小規模な戦争が続いていると言っていいでしょう。
現実の戦争はプーチンが考えたほど甘くはなかったわけですが、こうした現在の世界情勢を理解した上で、二十世紀の帝国と義的な戦争体験の継承を考えるべきだと思います。
そのためには、軍事が専横を極める国家に日本が変わっていった昭和という時代の流れと枠組みを、もう一度整理しておく必要があるのです。戦争体験の継承にあたって必要なポイントとして、以下の三点を挙げておきます。
ー、体制が崩壊したときの心理的、社会的清算(想像力の欠如)
二、戦間期の徹底した研究とその間の歴史的動向(敗戦理由の確認)
三、戦争被害と加害の調査により、自国の責任の明確化(戦争のバランスシート)
義挙には「動機が正しい」という評価軸があります。しかし動機が正しければ、何をやってもいいと言うのであれば、無法状態がもたらされるのは火を見るより明らかです。
国民にも蔓延したテロを義挙とする風潮が、日本軍の暴走につながり、各国への侵略に直結していったのです。そのことを忘れてはなりません。テロを義举にしてはいけないのです。
逆に言うと、社会が正常に機能していくためには、新自由主義だけでは不卜分で、社会主義的な富の分配、あるいはセーフティネットの拡充を図り得るような社会にしていかなければいけません。
これからの日本社会では、新自由主義の名下に行われたことの結果が出てくるはずです。それは何かと言えば、余裕のなさからくる価値観の崩壊だと、私は考えています。そして価値観の崩壊は、社会構造が揺らいで戦争や暴力と直結する危険性も抱えこむ。これは恐ろしいことです。
エピローグ 新しい時代の戦争学とは何か
今から、私たちが「新たな戦争論を生む基本的な作業」に取り組む上で、どのような戦争観が大切なのかを整理してみます。
ー、より具体的に分析する(「事実」をもとにしての「曳実」ということ) 。
二、戦闘から戦争への視点(大状況だけでなく、そのなかの小状況に視点を置く)。
三、一兵士の側からの歴史(階級が上位の者より兵士の戦場体験を重視する)。
これらの視点から生み出される戦争論こそ「戦わされる側の戦争否定論」の原動力になるであろう。それが二十一世紀の戦争学につながっていくのではないかと思います。
第二次世界大戦のとき、日本以外のほとんどの国は、政治が軍事をコントロ — ルしていました。アメリカ、イギリスはもとより、ドイツでさえヒトラーは政治家です。軍人が政治を振り回したのは日本だけであり、それが、満州事変から始まる日中戦争、太平洋戦争の背景になっています。
十九世紀における戦争は犯罪ではなく、政治の延長と捉えられていました。しかし、第一次世界大戦後は「戦争は犯罪である」と明確に捉えられるようになりました。戦争によって後背地にいる一般市民も殺害される時代になったことで、議論の方向性が変わったのです。
最後に繰り返しますが、「戦争学」がない戦争は、たんなる暴力行為です。軍事がたんなる暴力と一線を引くには、それを支えるきちんとした政治的な思想、人間的な思想があるかどうか、また「政治のなかの軍事」という捉え方を正確にできるか否かにかかっているのです。それを真理とすべきでしょう。
真に強い人とはどういう人を指すのか。新渡戸は指摘します。
外見はおだやかにして円満に、人と争うことなきも、しかも一旦事あるときは犯すべからざる力を備えた人を真の武士といっている
真に強い国とは、つまり理性や知性を持って動いている国は、日頃は空威張りはしないということになります。私たちはそのような国をめざすべきでしょう。それが王道を往くということではありませんか。
本書で言いたいこと、あるいはこの国が守り抜くべきこととは、この点に尽きています。続きを読む投稿日:2023.08.25
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