ドゥテルテ 強権大統領はいかに国を変えたか
石山永一郎(著者)
/角川新書
作品情報
「抵抗する者はその場で殺せ」。麻薬撲滅戦争で6000人以上殺す一方で治安改善、経済発展を成し遂げ、支持率82%を記録。なぜ強権的指導者が歓迎されるのか? 現地在住記者が綴った、フィリピンの実像。【目次】序 章 いままでにない大統領第1章 ドゥテルテの町ダバオ第2章 麻薬戦争第3章 左派的だった国内政策第4章 親中に転換させた外第5章 高度経済成長と新型コロナ第6章 ドゥテルテ・ナショナリズム第7章 ドゥテルテ後のフィリピンおわりに
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石山永一郎
ジャーナリスト。1957年生まれ。慶應義塾大学文学部卒。82年共同通信社入社。マニラ支局長、ワシントン特派員、編集委員などを経て2017 年に退職。邦字紙「日刊まにら新聞」編集長…を務めた後、季刊誌「リアル・アジア」編集長、22年11月より公益財団法人新聞通信調査会の月刊誌「メディア展望」編集長。11 年平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。著書に『マニラ発ニッポン物語』、編著に『彼らは戦場に行った』、共著に『ペルー日本大使公邸人質事件』(いずれも共同通信社)、『日めくり日米開戦・終戦』(文藝春秋)など。
「日本はすばらしい。フィリピンにも多くの援助をしてくれる。あえていえば、私が手本としている国は日本だ」
しかし、実はドゥテルテは「天皇(現上皇) 陛下を尊敬している」と公言してきた珍しい外国元首だ。 日本人でそういう思いを持っている人は多々いると思うが、これを公言した外国の元首はドゥテルテ以外には思い当たらない。それも太平洋戦争中に日本軍の統治下に置かれ、日本軍による虐殺や日米の戦闘の巻き添えで111万1938人(対日賠償交渉でフィリピンが示した数字) が犠牲になった国の元首の発言である。
ドゥテルテの生まれた家庭は富裕層とまでは断言できないが、富裕層に近い中流以上の家庭だった。ドゥテルテは姉エノロアに次ぐ2番目の子どもで長男だった。きょうだいはほかに二男エマニュエル、三男ベンジャミン、二女ジョセリンがいる。 ドゥテルテは中国人の血を引いているという話もある。ただ、それは遠い祖先の話のようだ。ドゥテルテの伝記『意志と権力を超えて』(未邦訳)を執筆したフィリピン人作家アール・パレーニョによると、大統領の 曾祖母 の一人がスペイン系中国人の家系に生まれたことが分かっている。ドゥテルテに中国人の血が流れていることは事実のようだが、そこまで遡ると、中国人を祖先に持つフィリピン人は相当数に上るはずで、ドゥテルテを中国系フィリピン人と呼ぶのは妥当ではないだろう。
元々は札付きの不良少年。そして進んだ道も多くの犯罪者を相手にする検察官。「この世の悪事についてドゥテルテは知り尽くしている」とダバオのジャーナリスト、マヌエル・カヨンは言う。彼 曰く「だからこそ、麻薬こそがあらゆる悪事の核にあると確信し、麻薬撲滅を徹底させてきた。麻薬取り締まりを通じてこの国の最も深い病巣である犯罪の 蔓延 に歯止めをかけ、安全な社会に変えていきたいとドゥテルテは思っている」。
若いころはヘビースモーカーだったドゥテルテだが、公共の場所での全市禁煙を自治体首長として打ち出したのも早かった。
ドゥテルテ自身、筋金入りの元不良少年であり、若いころは飲む、打つ、買うの遊びを一通りしてきた男だ。おそらく、警察官にたかられ、苦しめられてきた売春を仕事とせざるを得ない女性たちの境遇にも通じていたのだろう。 大統領になってからも、ドゥテルテは売春関係の管轄を基本的に保健省とした。
大統領時代、ドゥテルテは売春について「コンドームさえしていればいい」と発言し、女性団体などからひんしゅくを買ったことがあるが、売春を仕事とする女性だけでなく、売春はしないカラオケパブに勤めるようないわゆる水商売の女性の間でもドゥテルテ人気は圧倒的だった。
あるカラオケ嬢にドゥテルテ支持の理由を聞くと「だって、私のお父さんみたいなんだもの」との答えが返ってきたことがある。 強面 の反面、政策では貧困層に寄り添うドゥテルテが彼女らには慈父のようにも見えるらしい。
このドゥテルテの自宅を外国首脳でただ一人訪れたのが2017年1月にフィリピンを訪問した日本の 安倍晋三 首相(当時、故人) だ。ドゥテルテは自宅で安倍氏に食事をふるまい、歓談した。ドゥテルテは長年ダバオ市長を務めたことから、戦前に遡ってダバオの基盤を作ったのが日本人移民であったことをよく知っており、市長時代に自費で日本人移民らの慰霊碑を建てたほどの親日家で、安倍氏の自宅来訪をとても喜んだようだ。ちなみにこのダバオ訪問の際、安倍氏は親日意識が非常に強いダバオ市民から熱狂的とも言える歓迎を受けた。
在フィリピン日本大使館員は言う。 「ドゥテルテ大統領は安倍さんが自宅にまでわざわざ来てくれたことにとても感激している様子でした。しかし、それ以上に安倍さんが感銘を受けていたんです。大統領の私邸が庶民の住宅地の中にあって、こんなに質素であることに『参りました』という様子でした。汚職をして蓄財するような政治家ではないなと察し、ドゥテルテ大統領への個人的信頼を安倍さんが深めたことは間違いありません」
ドゥテルテは「読書家」でもあるとその領事は言った。「特に外国の政治家の自伝を読むことが好きで、(シンガポール元首相の) リー・クアンユーの自伝から、フィデル・カストロやチェ・ゲバラの自伝まで読んでいる」という。
外交政策でもノイノイがフィリピンの歴代大統領の路線を踏襲して親米だったのに対し、ドゥテルテは米国ともうまく付き合いつつ、親中路線に基軸を切り換えた。それをドゥテルテは「独立外交」と言った。
その風貌や言動からドゥテルテは右派と見られがちで、歯に 衣 着せず発言するところも似ていたゆえに一時「アジアのトランプ」とも言われた。しかし、実行した国内政策はむしろ貧困層寄りの左派的なものが多かったのもドゥテルテ政治の特徴だった。
日本も経済連携協定(EPA) を通じて看護師をフィリピンから受け入れているが、フィリピンは看護師が余っている国ではない。むしろ、毎年、看護学校を卒業して看護師になる数よりも、その年に海外に出稼ぎに行く看護師の数の方が多いのだ。
このため、貧困家庭に生まれた優秀な高校生は、フィリピン大に集まる。その授業料は安いとはいえ、家庭の年収のかなりの部分を占める場合も多かった。ただ、フィリピンには、親族の中にフィリピン大に合格するような将来有望な子が現れると、一族皆で支援する傾向があり、彼らはなんとか卒業はできていた。親族にとっては、将来その子が出世した時の援助を期待しての投資でもあるのだ。
さらに労働基準監督署には、さまざまな企業を定期的に巡回させ、上司のいない場所で従業員に直接、このルールが守られているかどうかの事情聴取を行わせるようになった。 ドゥテルテ政権がこの法令を徹底させた後、デパートの店員やレストランのウエイトレス、ウエイターらの仕事ぶりが生き生きしてきた印象がある。 左派系の労働組合などは、まだ改革は不十分とも指摘しているが、雇用慣習がかなり変わったことは評価している。雇用主側も企業イメージ向上を狙って「我が社にはエンドはありません」などと宣伝する企業も出るようになった。
もう一つ、左派、リベラル派も大歓迎した改革には産休延長がある。 ドゥテルテは女性に関する発言で、しばしば女性団体からやり玉に挙げられてきた。 ドゥテルテの地元ダバオで、レイプ事件の件数が多いと地元紙が報じた際にドゥテルテは「レイプが多いのはダバオには美しい女性が多いからだ」と発言した。また、国軍内の演説で共産ゲリラ新人民軍(NPA) との戦いをめぐって兵士を鼓舞する中、「NPAの女性兵士と遭遇したら、陰部を狙って撃て」と発言したこともある。
フィリピン屈指の白く長い砂浜と透明な海が売り物の観光地に中部パナイ島に隣接するボラカイ島がある。セブと並ぶ著名観光地で、米旅行誌などの企画で「世界で最も美しい島ベスト 10」に何度も選ばれている。 欧米や日本からの観光客も多いが、フィリピン政府が中国人のノービザ入国を認め、さらにドゥテルテ政権が親中路線に 舵 を切ったことから、フィリピンに渡航する中国人観光客は激増し、その中国人にもボラカイ島は大人気の観光地となった。
これを機に、これも外国人に人気だった南西部パラワン島の著名観光地エルニドなど各地で、違法建築物の一掃、排水設備の整備などが命じられた。
この左派閣僚の抜擢とともに、ドゥテルテは共産党の軍事部門、新人民軍との休戦をホセ・マリア・シソンに呼びかけて成立させた。 既に書いたように、ホセ・マリア・シソンはドゥテルテが学生時代に教えを受けた恩師であり、貧困層救済をめぐる一連の政策を見る限り、ドゥテルテの思想形成にかなりの影響を与えているとみられる。
ドゥテルテは2017年 11 月に和平交渉の打ち切りを宣言し、共産党をテロ組織に指定した。ドゥテルテが任命した共産党に近い左派系の閣僚3人も、議会が承認を拒否したことなどから2019年までに全員辞任している。
というのも、和平交渉が挫折してきた最大の理由は、新人民軍の停戦違反行為ではなく、共産党側がドゥテルテに「共産党との連立政権の樹立」を要求し続けているからだ。一時は左派系から3人を入閣させたドゥテルテとはいえ、マルクス=レーニン主義、毛沢東思想を掲げる共産党と連立政権を組むなどできるはずがない。そんなことをすれば、国内で猛反発を受けるのは当然だ。共産党の要求はあまりにも非現実的と思える。
ただ、フィリピンでは、共産党や共産党系の左派団体がドゥテルテの政策や発言を批判する声明を出すと、大手英字紙などはよく取り上げる。現代の日本で革マル派や中核派など新左翼団体が自民党批判の声明を出したとしても、よほどの意義付けがない限り、大手紙などが取り上げることはないと思われるが、フィリピンでは左派の発言に対し、メディアが一定の敬意を払っている様子がある。 左派の主張は、フィリピン人の大多数を占める貧困層を擁護する内容が多いこともあるが、歴史を遡ると共産党は「出自がいい」のだ。
NPAはカンボジアをかつて支配したポル・ポト派のような組織ではない。 しかし、冷戦が終結して既に 30 年以上が経つ。 世界でもマルクス=レーニン主義や毛沢東思想を掲げて、武力闘争によって革命を目指す組織はフィリピン共産党とその軍事部門、NPAぐらいしかもはや存在しない。中国共産党も、フィリピン共産党が毛沢東思想を掲げ、あたかも中国と関係があるようにみられることを迷惑がっている。「中国とはまったく関係のない組織」という立場だ。 最後まで残っていた共産ゲリラの組織は、ペルーのセンデロ・ルミノソ(輝く道) だった。「ペルーのポル・ポト派」とも呼ばれ、1980年代の最盛期には、山間部を中心に国土の3分の1を支配下に置いた。
しかし、実際には、現在の東南アジア諸国連合(ASEAN) の中で、フィリピンは最も言論の自由が保障され、ジャーナリズムが活発に機能している国と言ってもいい。軍政下に置かれているミャンマーやタイ、フンセン独裁が続くカンボジア、共産党の一党独裁下にあるベトナム、「明るい北朝鮮」とも呼ばれ、言論活動が著しく制限されているシンガポールなどと比べると、フィリピンの言論の自由度、少なくともマニラ首都圏における自由度は極めて高い。 首都圏では、フィリピン・スター、マニラ・ブレティン、マニラ・タイムズ、デイリー・トリビューン、マニラ・スタンダード、インクワイアラーなどの英字紙が発行されているほか、ピープルズ・ジャーナル、テンポなどタブロイド判で英語、フィリピン語併用の大衆紙など多くの新聞が発行されており、それらのメディアに対する検閲などは一切ない。
フィリピンの地方では、州知事と州都の市長、その地方選出の下院議員のいずれのポストも、地元の有力政治家一族が独占している場合が多い。父が知事、息子が市長、地区選出の下院議員が父のきょうだいといった例で、地方における「王朝政治」として、しばしば批判の対象になっている。そういった王朝政治が行われている地方では、警察も地元権力と癒着している場合がほとんどだ。
フィリピン大統領府は、それでもフィリピン人として初のレッサのノーベル賞受賞を祝福するコメントを発表した。ただし、大統領報道官ロケは「フィリピン人にとって喜ばしい」と述べた上で「国内に検閲はない。(ドゥテルテ大統領が) ジャーナリストを 萎縮 させていると訴えるジャーナリストはジャーナリストであってはならない」と言い、報道の自由が攻撃されているとの見解を退けた。ドゥテルテが強面大統領だったとしても、それくらいでひるむようではジャーナリストを名乗る資格はないとの意味だろう。ロケは報道官になる前は人権派弁護士だった。
ドゥテルテの親中転換は、国内的にも大きな衝撃として受け止められた。フィリピン外務省、国防省内にも反発する幹部は多かった。というのも、両省には米国留学経験者が特に幹部クラスに非常に多かったためだ。 米国はフィリピンの官僚や社会的影響力を持つ識者らが親米派と見ると、大使館を通じて無償、時には有給での米研究所などへの留学を持ちかける。その受け入れ先は米国務省や国防総省、米戦略国際問題研究所(CSIS) をはじめとした政府と関係の深い研究所や各州の公立大学などだ。
太平洋戦争におけるフィリピン人の犠牲者数は、フィリピン側の公式文書によれば、抗日ゲリラを含む軍人、民間人合わせて111万1938人(対日賠償請求時の数字) だ。戦火の中で、日本兵に殺された人々も多かったため、少なくとも1960年代まで、フィリピンは東南アジア諸国の中で最も反日感情の強い国の一つだった。 60 年代に留学などでフィリピンに滞在した日本人からは「日本人と知ると、敵意を隠さないフィリピン人が多かった」と聞いている。 この東南アジア最悪だった対日感情が改善していった過程には、1977年8月に東南アジアを歴訪した 福田赳夫 首相による「福田ドクトリン」の発表も貢献したとされる。 福田は(1)日本は軍事大国とならず世界の平和と繁栄に貢献する(2)東南アジア諸国連合(ASEAN) 各国と心と心の触れあう信頼関係を構築する(3)日本とASEANは対等なパートナーであり、日本はASEAN諸国の平和と繁栄に寄与することを宣言した。1974年に首相・田中角栄 が東南アジアを歴訪した際、軍事侵略に代わる「経済侵略」に対し、インドネシアなど各地で激しい反日デモが起きたことを踏まえてのドクトリン発表だった。
太平洋戦争中、日本軍占領下のフィリピンで「日本軍に強制的に拉致され、慰安婦になることを強いられた女性」がいたことは事実であり、日比両国の歴史家の間でもほとんど論争はない。1990年代に元慰安婦だったことを名乗り出たフィリピン人は174人で、日本は1995年に設立されたアジア女性基金を通じて希望したフィリピン人元慰安婦に1人当たり200万円を渡している。 しかし、在フィリピン日本大使館は慰安婦像の設置に対し「遺憾」との声明を出した。フィリピンに慰安婦像が設置されたとのニュースを聞いて、わざわざ日本からやって来た右翼団体関係者も複数いた。さらに当時の安倍晋三政権は、フィリピンを訪問した総務相の 野田 聖 子、自民党総裁外交特別補佐だった衆院議員・河井 克 行 らを通じて重ねて遺憾の意を伝えた。 「遺憾の意」の具体的中身はドゥテルテに対する像の撤去要請だった。そして、日本政府の重ねての要請を受け、ドゥテルテ政権は2018年4月 27 日夜にショベルカーを使って撤去した。 この撤去は「月刊まにら新聞」の冨田すみれ子記者のスクープとなり、フィリピンのメディアも一斉に後追いし批判的に報じた。日本メディアをはじめAP通信など国際メディアも追随して報じた。さらに、この撤去をきっかけに元慰安婦の高齢化に伴い、ほとんど活動を停止していた元慰安婦支援団体「リラ・ピリピーナ」に代わって、若い世代が中心となって慰安婦問題を考える「フラワーズ・フォー・ロラズ」が結成された。
世界経済フォーラムによる2021年版「ジェンダーギャップ指数」によると、世界156カ国・地域の中でフィリピンはギャップの少なさで世界 17 位、アジアではトップだ。女性の社会進出がめざましい国だ。ちなみに日本は世界120位で、フィリピンよりもはるかに「国会議員数」「経済参加と機会」などの評価で劣っている。 この女性のめざましい社会進出の背景には中間層以上の場合、月額1万円ほどで住み込みのお手伝いさんを自分の出身地など農村部から呼んで雇えるという事情もあるが、貧困層でも、世帯内の高齢者や失業者の兄弟ら誰かしらが子どもの面倒をみてくれる社会になっている。 また、フィリピンでは、シングルマザーの数は非常に多く、 10 代の妊娠、それも 10 代前半から半ばの妊娠が社会問題にもなっているが、シングルマザーへの社会的偏見は薄い。シングルマザーの子も一族全体で育てている。 さらに、カミングアウトした性的少数者(LGBT) の人々も日本に比べると格段に多く、ごく普通にオフィスで勤務している姿も見かける。LGBTへの偏見や差別もまた、日本と比べると少ないと言える。
外国資本を得て進められているフィリピンの代表的な産業はビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO) 業だ。具体的な業態としてはコールセンターが多く、フィリピン各地にある。 さまざまな方法で、国際回線をつなぐことにコストがかからなくなった現在、苦情対応など問い合わせに応じるコールセンターをアウトソーシング(外注) してくる国は米国など英語圏の国が多い。米企業だけでフィリピンに進出しているBPO企業の7割を占めるとされている。大卒以上のフィリピン人は多くが流ちょうに英語を話すし、人当たりもいいので、アジアの中でもコールセンターの職員には向いている国民性がその背景にはある。
英語で対応するコールセンターは、インドにも多いが、業界関係者は「インド人よりもフィリピン人の方がなまりが少なく、世界標準に近い英語を話す」と評価する。 フィリピン人の英語力が注目され、ビジネス・プロセス・アウトソーシング業とともに急成長しているのは英語学校産業だ。中部セブ州がその中心だが、最近はルソン島中部のクラーク経済特区、避暑地バギオなどに短期留学を中心とした外国人用の英語学校が続々と誕生している。
さらに米国やオーストラリアに留学した場合と違って、フィリピンの英語学校の売り物はマン・ツー・マン指導だ。それも土、日を除いて1日8時間、教師のフィリピン人と1対1でみっちりやる。 マン・ツー・マンとなると、ものおじする余裕もなく、いくら英会話が下手な日本人であっても、1日8時間、英語をしゃべり続けることを求められる。このため1カ月もいれば、たいていの日本人が基礎的な英会話ぐらいはできるようになるのだ。 しかも、フィリピン人教師の多くは公立学校などで英語教師をしていたプロだ。フィリピンでは教師の初任給が日本円で4万円程度と安いため、英語学校がそれよりいい条件で募集すると、プロの英語教師はいくらでも集まる。日本の英会話学校で教える米国人教師らの場合、本国で英語教師をやっていたというプロは数少ない印象があるが、フィリピンの英語学校は違う。おそらく日本の一般的な英会話教室に1年通うよりも、教員資格を持つプロがマン・ツー・マンで教えてくれるフィリピンで1カ月間、集中して英語を習う方がはるかに身に付くはずだ。 フィリピンに英語の短期留学としてやって来るのは学生だけでなく、経費は会社負担で来る中小企業の社員ら社会人も少なくない。そういった中小企業は、生産拠点を海外に移さざるを得なくなったが、社内に高い英語力を持つ人材がいないといった事情を抱えている場合が多い。日本人だけでなく、韓国人、中国人も数多く英語を学びにフィリピンにやって来る。 さらに、フィリピン人教師が日本など海外に住む外国人を対象にやはりマン・ツー・マンで英語を教える形式の学校も増えている。中には日本の学習塾と提携している会社もある。このため英語学校が集中するセブなどでは英語教師不足という問題も起きているが、これは看護師などに比べると、…
社会学者のマックス・ウェーバーは著書「官僚制」の中で、官僚制における意思決定の遅さなどの問題を指摘しつつ「官僚はそれぞれ固有の専門能力を持つ」「業務は正確さ、書類の知識、慎重さ、統一、厳格な上下関係、そして、あつれきの排除のもとに遂行される」ことを挙げ、官僚制の効能についても冷静に分析している。 フィリピンはそういった官僚制や封建制の長い歴史を独立までに経験していない。それは、封建制下での抑圧を経験しなかったという点ではよかったともいえるが、フィリピン人の働きぶりを見ていると、業務の正確さ、時間厳守などに問題があると感じることは多い。 現在も王国として存在するタイ、かつて王国があったベトナムやミャンマーなど他の東南アジア諸国と比べると、フィリピン料理は、その味付けやバラエティにおいて評価が低い。理由は「職人不在」とも関わりがありそうだ。
ただ、この中国人を相手にしたオンライン・カジノの運営をフィリピンが許可していることを中国政府は快く思ってはおらず、フィリピン側に禁止措置を何度か要請してきたが、親中のドゥテルテもフィリピン人の雇用創出やビルフロアの占有率アップに貢献していることから、中国側の要請に応じていない。カンボジアにもこの形式のカジノが多くあったが、カンボジアは中国政府の要請に応じて禁止とした。 フィリピンでは新聞やテレビなどのメディアが、このPOGOに対して批判的だ。まず、一時はフィリピン国内に約 13 万人まで膨れ上がったPOGOで働く中国人のビザの問題が指摘された。これらの中国人の多くは正式な就労ビザを持たず、観光ビザでやって来て、そのまま就労を続けていたからだ。
ドゥテルテ政権に批判的なフィリピンの知識人の間でも「ドゥテルテ・ナショナリズム」に対して一定の評価をする人は多い。庶民からも「今までフィリピン人の誰もが薄々感じていながら、コンプレックスもあって言えなかったことをドゥテルテは、はっきり言ってくれた」と評価する声を何度か聞く。胸のすく思いがするようなのだ。 麻薬戦争をめぐってドゥテルテに批判的なフィリピンの知識人や親米派は「ドゥテルテは独立外交を掲げているが、実際は米国に取って代わった中国に依存し、南シナ海問題で屈している」と批判する。
初代大統領ロハスからノイノイ・アキノまで、フィリピンの歴代大統領はずっと親米路線を維持してきた。これは日本も同様のように思えるが、日本人以上にフィリピン人は米国に対する 憧れとコンプレックス、時には反発が入り混じった複雑な感情を持ち続けてきた。その複雑な感情は、フィリピンの農村から米国に移民した主人公の 葛藤 を描いたフィリピン人作家カルロス・ブロサンの小説『我が心のアメリカ』(井田節子訳) などに生々しく描かれている。 平均的フィリピン人は平均的日本人よりもはるかに英語が達者な分、米国文化の情報をすばやく取り入れ、フィリピン語も公用語とはしているが、議会や裁判所など公的な場で使われる言語は主として英語だ。学校教育でも、フィリピン語、歴史など一部の科目を除いて教師は英語で教えている。
このフィリピン人のメンタリティーに異議を唱えるフィリピン人政治家や知識人らも少なからず存在してきた。 現大統領の父フェルディナンド・マルコスは独裁者として国を追われたが、フィリピン語の普及に力を入れた点を評価する人もいる。フィリピン語は実質的にマニラ首都圏とその周辺で使われてきた一地方語であるタガログ語と同じと考えていい。地方ではビサヤ語、パンパンガ語、ビコール語など多様な言語が地域ごとに話されていたが、学校教育とテレビをはじめとしたマスメディアがフィリピン語を使用してきたことで、現在は全国どこに行ってもフィリピン語は普通に通じるようになった。
学校教育はグロリア・アロヨ政権時代に小学低学年からほぼすべての教科を英語で教えることになったが、「英語でつまずいた子はすべての教科で落ちこぼれてしまう」との批判もあり、フィリピン語に教育言語を戻す動きもある。フィリピンの著名歴史家の故レナト・コンスタンティーノは「フィリピン語はどんどん発展している。大学教育もすべてフィリピン語でできる」と断言していたが、実際には英語による教育がフィリピンでは主流となってきた。言語の問題一つをとってもフィリピンのナショナリズムは複雑な問題を抱えてきている。
フィリピンでは保守派やリベラル派の集会だけでなく、左派の集会でも国旗掲揚と国歌斉唱から始まる場合が多い。続きを読む投稿日:2024.04.15
本書はドゥテルテがフィリピンにもたらした変化について比較的好意的な視点から記述したドキュメンタリーである(学術的な文章ではない)。ドゥテルテは法や秩序さえ堅牢に守られていれば国は自然発展するという信念…の下、麻薬戦争を進め、多数の麻薬密売人を殺害し、治安を回復させた。欧米的な人権尊重の思想からすれば批判されるべき点も多いが、人権よりも人命を尊重するその姿勢は、人類社会が抱えるある種の病に対する一つの指針となるべきものだろう。
本書でもう一つ勉強になった点は、独裁政治を敷いたF・マルコスの息子であるボンボンがなぜ2022年の大統領権で勝てたかについて、ドゥテルテが支持したからという点が、予想はしていたが、明確になった点であり、また次期大統領の最有力候補としてドゥテルテの娘サラの存在を知れたことである。続きを読む投稿日:2023.11.27
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