教養
【文庫】 文化大革命とモンゴル人ジェノサイド
シリーズ内の平均評価:
(0)
完結
「1966年に中国文化大革命が始まったとき、内モンゴル自治区には150万人近くのモンゴル人が暮らしていた。だが少数民族のモンゴル人は全員が粛清の対象とされ、少なくとも34万6000人が逮捕され、2万7900人が殺害され、12万人に身体障害が残った。これは中国政府が大幅に被害者数を縮小して発表した公式見解である」(序章より)本書は約6000頁にのぼる中国政府の公文書と被害者報告書、加害者側と被害者側の記録など、ほとんどが中国では未公開で研究者も閲覧できない資料をもとに、封印された殺戮の全貌を検証し・・・
便利な購入方法
-
-
「・・・二十八種もの刑罰は凄惨すぎて日本語に翻訳するのも躊躇せざるを得ない。
何しろ、日本語にはない概念、日本語では置き換えられない暴虐の数々を
中国人たちは奔放にモンゴル人に対して行使していたのである。
・・・まさに、モンゴル民族が誕生して以来、初めて舐めさせられた苦難である」
(第4章より)
本書は約6000頁にのぼる中国政府の公文書と被害者報告書、
加害者側と犠牲者側の記録など、ほとんどが中国では未公開で研究者も
閲覧できない資料をもとに、封印された殺戮の全貌を検証した決定版である。
『ジェノサイドと文化大革命――内モンゴルの民族問題』改題。
-
-
「1966年に中国文化大革命が始まったとき、
内モンゴル自治区には150万人近くのモンゴル人が暮らしていた。
だが少数民族のモンゴル人は全員が粛清の対象とされ、少なくとも
34万6000人が逮捕され、2万7900人が殺害され、12万人に身体障害が残った。
これは中国政府が大幅に被害者数を縮小して発表した公式見解である」(序章より)
本書は約6000頁にのぼる中国政府の公文書と被害者報告書、
加害者側と被害者側の記録など、ほとんどが中国では未公開で
研究者も閲覧できない資料をもとに、封印された殺戮の全貌を検証した決定版である。
『ジェノサイドと文化大革命――内モンゴルの民族問題』改題。
-
-
-