カレーの時間
寺地はるな(著)
/実業之日本社
作品情報
僕の祖父には、秘密があった。終戦後と現在、ふたつの時代を「カレー」がつなぐ絶品“からうま”長編小説ゴミ屋敷のような家で祖父・義景と暮らすことになった孫息子・桐矢。カレーを囲む時間だけは打ち解ける祖父が、半世紀の間、抱えてきた秘密とは――ラスト、心の底から感動が広がる傑作の誕生です。【感動の声、続々!】「ひとの持つどうしようもなさ、そこから生まれる愛おしさ。味わい深く余韻ある作品」――町田そのこさん「あの時代を生きてきた祖父と、この時代を生きているぼく。どうしようもない噛み合わなさと、どう向き合うか。いま必要なテーマをじっくり煮込んだこれぞテラチ風味の極うま長篇」――瀧井朝世さんカバー撮影/山本まりこ
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この作品のレビュー
平均 3.9 (215件のレビュー)
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あなたは『カレー』が好きですか?
ラーメンと『カレー』、この二つの料理は私たち日本人にはもはやなくてはならない存在と言っても良いと思います。いずれも元は外国の食べ物、それを長い歴史の中で日本人が日本…人の口に合うように作り変えてきた、そんな先に、今の私たちにとって欠くことのできない大切な料理の姿があるのだと思います。
そんな両者のいずれに、より魅力を感じるか、これこそ人それぞれとも言えます。しかし、匂いだけで勝負すれば『カレー』の圧勝だと思います。誰かが注文すると、その匂いにやられて、自分も『カレー』にすれば良かった…と後悔もすることになる『カレー』。匂いだけで強烈な存在感を主張する『カレー』にはやはり強力な引力を感じもします。
さてここに、そんな『カレー』が二つの時代を繋ぐ物語があります。終戦まもない混乱の中に空腹を感じながら生きた主人公。女性ばかりの家族の中に育ち、コロナ禍の今の世を生きる主人公。この作品は、そんな二人が一つ屋根の下に暮らす様を見る物語。『カレー』の美味しそうな匂いが本から漂ってきそうな物語。そしてそれは、寺地はるなさんが描く『カレー』が人々の心を繋いでいく物語です。
『戦争は終わった。日本は負けた』と『多くの大人が言う』のを聞くのは主人公の一人・小山田義景(おやまだ よしかげ)。『今の日本でなにが起こっているか』は『おれにはどうでも』よく、『今日は食いものにありつけるか、明日はどうか、それだけが大事だ』と思う義景は『橋の下』の『掘っ立て小屋の中で』『ぼろきれにくるま』る男を見ます。そんな時、『なんだ、おまえ』と『だしぬけに男が声を発した』ことに腰を抜かす義景。男は義景の『腕を摑』むと『腹が減ってるんだろ?』、『食えよ、ほら』と飯盒から盛った飯を差し出します。『六歳の時、母親が死んだ。自殺だった』という先に、遺された父親は『育てられない』と『知り合いの家、遠縁の家』と義景を『たらいまわし』にしました。そして、『今いるのは五番目の家』という義景に、男は『こんどはお前が腹を空かした子どもに飯を食わせてやれよ』と言うのでした。
場面は変わり、『母たち三人姉妹』と子どもの七人がマンションに集まったという中に『二十五歳の誕生日』を祝われるのはもう一人の主人公・佐野桐矢(さの きりや)。インターホンが鳴り、『桐矢!出てこい!』という声に『うわ、義景やん。小山田義景来てるやん』と妹の あずきが言うのを『おじいちゃんを名前で呼ぶのやめなさい』と注意する母親。祖父が来たことを知った面々は『なんでおじいちゃんも呼んだん?』、『え、呼んでない』、『でも来てるやん』と揉める中に、桐矢は脈が早くなるのに気づきます。『この数年、ぼくは祖父を避けてきた…もとから苦手なタイプだからだ』と思う桐矢は誕生日に『これほど迷惑なサプライズはない』と思います。部屋に入ってきた祖父は『お前、これ好きやろ!』と『レトルトカレー』を桐矢に差し出します。十箱ほどの『ピースカレーゴールデン甘口』は、『祖父が定年まで勤めあげた「ピース食品」』の看板商品です。そして座った祖父に『救急車呼んだんやて?』と母たちは問いかけます。『祖父にひとり暮らしを続けさせてよいのか』と揉めてきた母親たち。『お前らの世話にはならん』と声を荒げる祖父は、一方で『桐矢とやったら一緒に住んでもええと思ってんねん』と言います。そして祖父が帰った後、『お父さんが桐矢と一緒に暮らしたいって言い出した時、チャンスやと思ってん。いや将来あんたに介護を押しつけるって話ではなくて』と言う母親は『わたしらを助けると思って』と義景に両手を合わせます。『助けるっていうか、生贄やろ』と目を逸らす桐矢は『レトルトカレー』の箱を見ます。『甘口、甘口、ぜんぶ甘口。もしかしたら祖父はまだ、ぼくのことをおさない子どもだと思っているのかもしれない』と思う桐矢。
場面は再度変わり、大阪へと向かう電車の中で偶然に出会った一人の女性と話をする義景は、『大阪の紡績工場で働いて、もう十年以上になる』という女の話を聞いて、『おれも大阪で働くんです。ピース食品という会社です』と行き先を話します。そんな女に『あんたの人生、これからはじまるんやで』と言われ『これから、はじまる』という言葉を思う義景。八十三歳になる祖父の義景と二人暮らしを始めることになった桐矢の物語と、義景の若かりし日々を描く物語を『カレー』が鮮やかに結びつけていく物語が始まりました。
“ゴミ屋敷のような家で祖父・義景と暮らすことになった孫息子・桐矢。カレーを囲む時間だけは打ち解ける祖父が、半世紀の間、抱えてきた秘密とは ー ラスト、心の底から感動が広がる傑作の誕生です”と内容紹介に意味深に記されるこの作品。ドライカレーの上に目玉焼きが乗った表紙が食欲を強く刺激します。インド、タイ、と『カレー』が有名な国は他にもありますが、私たち日本人にとっても『カレー』はなくてはならない料理です。そんな『カレー』という料理を小説のテーマに持って来られた寺地はるなさん。あまり、食を描写する作家さんという印象はありませんでしたが、この作品は『カレー』を書名に標榜するくらいですから、その魅力が鮮やかに描写されていきます。そして、五つの章から構成されているこの作品は、その章題が全て『カレー』を表してもいます。そうです。章題が示している通り、それぞれの章の中には章題で示された『カレー』が美味しそうに描かれていくのです。これはたまりません。まずはそんな章題をご紹介しておきましょう。
・〈第一章 ピースカレーゴールデン(甘口)〉
・〈第二章 夏野菜の素揚げカレー〉
・〈第三章 ドライカレー 目玉焼き乗せ〉
※ 表紙の写真がこれ
・〈第四章 キーマカレーのサンドイッチ〉
・〈終 章 ピースカレーゴールデン(中辛)〉
では、そんな五つの『カレー』の中から調理の場面と食する場面を見てみたいと思います。〈第一章〉で、桐矢が義景の家に大量に保管されていた『ピースカレーゴールデン チキン(中辛)』を食べるという場面です。
・『写真のカレーはおいしそうだけど具が見当たらないし、これだけをもそもそと食べるのもちょっとさびしい』と思う桐矢
→ 『葉月さんにもらったオクラとナスとピーマンをざくざく切って、フライパンに油を注ぐ。温まった油に野菜を落とすと、じゅっという音とともに細かな泡がいくつも生まれた』
→ 『もう一方のコンロでカレーを温め、電子レンジでごはんを加熱する。カレーを器によそって、素揚げにした野菜をもりつける』
↓ 食す場面
→ 『うっすらと金色の油の衣をまとったナスが光っている。歯を立てると、ぷちんと皮がはじけて、舌の上でやわらかく潰れた。ほのかに甘みが広がる。ピーマンはほんのりと苦い。オクラの種の食感も楽しい』
『ふたりとも無言で食べた』というこの場面で桐矢は思わず言葉を発します。
『レトルトカレーって、おいしいな』
『野菜や鶏肉のうまみと多彩なスパイスの香りを、鼻の奥と舌で同時に受け止めた』という桐矢は、『母がつくるカレーよりもずっと深い、複雑な味がする』とも思います。そんな桐矢に
『おれたちのカレーなんやから』、『おれたちのカレーがまずいわけないやろ』
と語る祖父。祖父・義景の『カレー』への深い思いを感じるこのひと言。そして、幼い頃からそんな『カレー』の味を祖父から伝えられてきた桐矢。『レトルトカレー』というものに対する思いは人それぞれだとは思いますが、祖父と孫の微笑ましい関わり合いの先に、寺地さんの一工夫を入れたちょっと贅沢な『レトルトカレー』が登場するこの場面。”食”を描く寺地さんの魅力が開花した作品でもあると思いました。
そんなこの作品は、”終戦後と現在、ふたつの時代を「カレー」がつなぐ絶品’からうま’長編小説”ともうたわれています。この作品の主人公は小山田義景と佐野桐矢です。祖父と孫という二人ですが、寺地さんはそこに一工夫を入れられ、祖父の若かりし日々を作品に取り入れ、二つの時代を交互に登場させながら展開していくという構成をとっています。読者が混乱しないように、桐矢が主人公となる現代の物語では、白抜きのスプーンが、義景が主人公となる終戦後の物語では、黒のスプーンがその切り替わりに描かれています。二つの時代は当然に対照的な描写を見せます。次にこの表現を見ておきましょう。まずは、終戦後です。
・『戦争は終わった。日本は負けた。多くの大人が言う。おととしの八月の十五日、校庭に集められて玉音放送というものを聞かされた』
・『田中角栄と周恩来が笑顔で手を握り合う写真を眺める。日中国交正常化。なんだかすごいことだということは理解できる』
・『東京の銀座にマクドナルドができたのは去年のことだ。日本初だという』
終戦直後から時間がどんどん経って現代へと近づいていく描写がなされていく義景が主人公の物語。こういった時代表現が描かれていく物語はとても好きです。その時代その時代に数多取り上げることができるものがある中で、何を取り上げるかに作家さんの個性が垣間見えもします。一方で、現代はどのような描写がなされているでしょうか?
・『近頃はどんな店にも入り口に消毒用のアルコールが置かれているし、おつりなんかも手渡しされなくなった。昔はなにをしても「神経質すぎ」と笑われていたけど、今では誰もそんなこと言わなくなった』
・『ぼくとしては、なによりもまず祖父のマスクが下にずらされすぎて鼻が露出していることのほうが気になる。そんなマスクのつけかた、パンツから性器が露出しているぐらい無意味だと思うのだが』
・『たしかについ最近まで、マスクはどこにも売っていなかった。売ってない、出回ってない、というわりに行き交う人びとがみんなマスクをしているのはなぜなのだろうとふしぎだった』
はい、マスク、マスク、マスク…と辟易する他ないコロナ禍真っ只中の描写です。この作品は2022年6月の刊行ですので、これはやむを得ないことかもしれませんが、リアルな今を描いているとも言えます。一点、寺地さんの描写で興味深いと思ったのが上記した『昔はなにをしても「神経質すぎ」と笑われていたけど、今では誰もそんなこと言わなくなった』という表現でしょうか。確かにこれは言えると思います。コロナ禍で私たちの生活はさまざまに影響を受けましたが、『神経質』という言葉を安易に使えなくなったようにも思います。この辺り含め、私たちの日常はコロナ禍以前と全く同じように戻ることはもうないのでしょうか?…そんなことも考えてしまいました。
そんなこの作品は、上記した通り”終戦後と現在、ふたつの時代”を義景と桐矢という二人に順に視点を切り替えながら展開していきます。こういった構成の作品は他にもあると思いますが、私の読書経験からは男性と男性という組み合わせ、しかもそれが祖父と孫という組み合わせの物語は記憶にありません。そして、そんな二人を繋いでいくのは、終戦後を生きた義景が就職した『カレーのルーやレトルトカレーのメーカー』である『ピース食品』の『カレー』です。そんな会社で営業を担当する義景は一つの壁にぶつかります。
『会社が満を持して発売を開始したレトルトカレーについては、どうにも売れ行きが芳しくない』
今の世では『いちいち料理をする必要もないなんて、もう完全なるカレーの革命だ』という語りが全くその通りと思えるくらいに当たり前の存在であるのに対して『レトルトカレー』という発想が一般的でない当時の人々にとっては、人々の意識も向かず販売に苦労する義景の姿が描かれます。そんな義景を支え続けるのが、幼き日々に食べ物を分け与えてくれた男が語った一言でした。
『お前が大人になった時に、どこかで腹を空かした子どもに会ったら、飯を食わせてやれ。そいつを腹いっぱいにしてやれ。約束だ』。
そんな言葉を支えに、またヒントにして働き続ける義景の物語は、終戦後の時代を生きた男の姿を強く感じさせます。その一方で、コロナ禍を生きる桐矢の物語はいかにも現代感に満ち溢れるものです。女性に囲まれた中に大人への階段を上がっていく桐矢は登場時点で二十五歳の今を生きています。しかし、その年齢が示されないと桐矢が二十五歳の大人であると気づく人はいないかもしれません。なんとも頼りない存在である桐矢。そんな桐矢は『わたしらを助けると思って』と母親たちに懇願される先に祖父である義景と二人暮らしをスタートさせます。『この数年、ぼくは祖父を避けてきた…もとから苦手なタイプだからだ』という一方で、幼い頃から祖父とは切っても切れない『ピースカレーゴールデン甘口』とともに育ってきた桐矢。物語は、寺地さんには珍しく?どこかはっちゃけたストーリー展開を基本に、ちょっぴり切なく、ちょっぴりほろ苦い物語が展開していきます。そんな二人の会話の中に義景の思いを見る一言が桐矢の心に刻まれます。
『おれたちは橋や…橋がないとみんなが困るんやから』
言われた時にすぐにその意味を理解できなかった桐矢、そんな桐矢が『橋』という言葉の意味を理解する結末。まさしく大団円と言って良いその結末に、良い話を読んだ感いっぱいに包まれる、そんな物語がここには描かれていました。
『ぼくはおじいちゃんが、苦手なんです。昔から』
そんな思いを抱く二十五歳の桐矢が、『カレーのルーやレトルトカレーのメーカー』である『ピース食品』に一生を捧げた祖父・義景と一つ屋根の下で暮らす姿が描かれたこの作品。そこには、”終戦後と現在、ふたつの時代”が並行して描かれるからこそ見えてくる奥深い物語の姿がありました。美味しそうなカレーの描写に食欲が強く刺激されるこの作品。祖父と孫という二人の関係性を微笑ましく描いていく寺地さんの上手さに魅了されるこの作品。
『カレー』という料理が二つの時代を紡ぐ物語の中に、人のあたたかい感情を見る素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2023.08.19
人には、それぞれの生きた歴史がある
家族にも、いや家族だからこそ隠していることがあるのかもしれない
この不器用な、高圧的なおじいさん、
肩の力を抜いて軽やかに旅立てたことを祈りたい投稿日:2024.05.27
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