母親になって後悔してる
オルナ・ドーナト(著)
,鹿田昌美(著)
/新潮社
作品情報
もし時間を巻き戻せたら、あなたは再び母になることを選びますか? この質問に「ノー」と答えた23人の女性にインタビューし、女性が母親になることで経験する多様な感情を明らかにする。女性は母親になるべきであり、母親は幸せなものであるという社会常識の中で見過ごされてきた切実な想いに丁寧に寄り添った画期的な書。
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商品情報
- シリーズ
- 母親になって後悔してる
- ジャンル
- 教養 - ノンフィクション・ドキュメンタリー
- 出版社
- 新潮社
- 書籍発売日
- 2022.03.24
- Reader Store発売日
- 2022.03.24
- ファイルサイズ
- 1.6MB
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この作品のレビュー
平均 3.5 (88件のレビュー)
-
【感想】
現代では、子どもを産んだだけでは母親の役目を果たしたとは言えなくなっている。求められるのは「よき母親」だ。何よりもまず子どものことを優先し、自らの生活を犠牲にして全ての労力を子育てに捧げなけ…ればならない。
しかし、本当に子どもの幸せが自分の幸せなのだろうか?子どもを作ることで失われる時間、お金、エネルギー。30歳前後の、人間として一番実りの多い時期にそれらを消費して、上手くいくかもわからないケア労働に一生を捧げるのは幸福な人生と言えるのか?そうした悩みを抱える女性はたくさんいる。しかし、現代社会は彼女たちを「非人間的だ」と一蹴する。
本書『母親になって後悔してる』は、母親になることで生じるデメリットに苦痛を感じ、悔いの残る選択をしてしまったと後悔している女性たちの声を綴った文章だ。彼女たちは「過去に戻っても母になりたいか?」「母であることに何らかの利点はあるか?or利点があるとき、それは欠点を上回っているか?」という2つの質問に「ノー」と答えた人たちだ。
母親たちが抱える苦悩の代表例を、本書で出てくるヘレンが端的に述べてくれている。
ヘレン「私にとって何が難しいかというと、人を育てるという責任感です。『いけない、あの子がやらかそうとしている……』と心配する責任感ではなく、いつもここに(と、頭の後ろを指し示す)居座っている――私の自由は永遠に失われたという感覚です。自由というか……うまく自分のことを説明できているかわかりません。つまり……(母になる以前は)自分にだけ責任を持てばよかったし、パートナーは大人なので責任を持つ必要はありません。つながりがあるだけです――でも(母になると)、もはやひとりにはなれない。おしまいです――決してひとりにはなれず、頭の中に自由がないのです」
つまり、彼女は「子どもを育てる責任」を背負うことができず、自分の人生が無くなってしまうことへの苦しみを感じている。子どもは不可逆な存在で、産んでしまえば面倒を見るしかない。その命は軽々しく背負うには重すぎて、自分の能力では扱えそうにない。本書の女性の多くは、境遇こそ違えどおおむね同じ考えを持っており、もしやり直せるなら子どもを産む選択はしたくない、と述べている。
誤解してはいけないのは、彼女たちは「子どもが嫌い」と言っているわけではないことだ。むしろ自分の子どもが愛おしくて仕方なく、産まれてくれてよかったと考えている。しかし、他者への敬愛と自らが被る不利益についてはまた別の話であり、そのギャップが彼女たちの苦悩をより一層強くさせている。
しかし、そうした怨嗟に対して、人々は彼女らを「道徳的に問題のある落伍者」とみなす。ジェンダーに理解が生まれてきた現代においても、「子を産むのは義務である」という価値観は根深く存在し、子どもの存在を疎むのは倫理に反すると考えられている。しかし、彼女たちの後悔を、母になることに適応できない女性の失敗だと個人化するなら(そしてそのような女性はもっと努力するべきだというなら)、後悔が生じている本質を見失う。
子どもが出来た後、女性には「変わること」が求められる。「変わる」とはあらゆる意味を持つ。他人に献身的になるように変わる、自己犠牲の精神を持つように変わる、幼子の命を支える存在に変わる……。しかし、そうした要求を「自発的な改善」にすり替えて個人に課すのは、あまりにも無責任ではないだろうか。誰しもに向き不向きがあり、子育てにおいても例外ではない。産みたくないのに子どもを産んでしまった人もいる。
彼女たちは社会制度の犠牲者だ。一般的に、母親は父親よりも子どもに対して多くの役割を求められる。それと同時に、女性はどんどん社会に出て、出産以上に社会的な貢献をするようにも求められる。子育てに求められるモラルは爆発的に増えた一方で、子育てのコストはまったく下がっていかない。重荷の重量は増すばかりだ。にもかかわらず、母親という存在を神聖視するこの社会において、「母親になんかなるんじゃなかった」という感情を吐露することはタブーであり続けている。
母親になれば、確かに有意義なものが生まれるかもしれない。他者への思いやりが育まれ、老いたときに子どもがいる喜びを甘受できるかもしれない。しかし、それはあくまで各女性の認識や価値観やニーズや状況の産物なのだ。だとしたら、「産まない」という選択肢は、その事情を知らない第三者から責められるべきではない。にもかかわらず、彼女たちは社会から否定され続けるのだ。
――「子どものために自分の人生をあきらめました。そしてふり返って――いいえ、今(だけ)ではなく、当時から――思うのは、母になることで奪われたものは取り戻せないということです。子どもと過ごす時間は楽しいですが、一緒にいる時が最高に幸せだというのは、嘘と欺瞞です。嘘と欺瞞。……子どもを持つ理由なんて存在しません。苦しみが深すぎて、困難が大きすぎて、痛みが強すぎて、私が年を取ったときに母であることを楽しむ(可能性を正当化する)ことができません。それだけです」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
【まとめ】
1 「母は幸福だ」という嘘
「あなたはきっと、子どもがいないことを後悔する!」
これは、親になる願望を持たない男女、とりわけ女性に何度も投げかけられる言葉だ。この断定的な決めつけが、白か黒かの二項対立を示唆していることに、私は違和感を持ち続けている。一方では、「後悔」という言葉を、母になりたくない女性を脅かす武器として利用している。そして他方では、女性が母になったことを後悔する可能性、または母が誰かの親ではない自分に戻りたいと望むという可能性を排除しているのである。
出生率の高い国、低い国、いずれの国に目を向けても、女性の多くが、出産や子育てをするなかで、「母性」との関わり方について深い苦しみに直面している――そしてまた、後悔が語られることはめったにない。
私たちは、「母」の神話的なイメージが損なわれないことを望んでいる――女性が血の通った生身の人間としてさまざまな経験をするにもかかわらず。そのため、私たちが日常的に尽力したり苦しんだり気遣ったりする他の多くの役割と同様に、母であることが後悔の感情を呼び起こすかもしれないと認めることには、いまだに消極的だ。母が困難に直面し、それを認識しようがしまいが、母になるのが不幸なことだと感じたり考えたりすることは、期待も許可もされていないのだ。
2 母になることを義務付けられている
女性は「すべての生命の母」と認識され、生命の泉であり、人間の生存意欲に深い関わりを持つとされる。女性に対するこの評価基準は、女性を自然界の網に閉じ込めている。というのも、この問答無用の仮定によって、解剖学的に生殖できる可能性があるというだけで、女性は母になることを義務付けられているからだ。他の選択肢を与えられていないのである。
しかしながら、社会はすべての女性が母になることを希望し、したがって自由な選択によって母になっていると思っている。資本主義、新自由主義の影響で、女性も自身の肉体や意思決定を所有する権利があり、母になることは女性の望みによって決めるものと認識されてきた。
この2つの価値観、そして「母になることのメリット」――つまりは人格の成熟や、次世代の育成や、社会への貢献なるものが通念化されることによって、母になることは「自分で選んだ道」とされながら、逆に選ばなかった人は「本来与えられたはずの有利な能力を使わなかった怠け者、利己的人格者」とみなされるのである。
ただし、子どもは必ずしも「選択の自由」によって生まれるとは限らない。時には、私たちがそれ以外の道を持たない/見つけられないという理由で生まれてくるのである。
ティルザ「私の周りの全員が出産しています。みんな若い女性で、母乳育児とベビーカー、赤ちゃん、おむつ、そういったものばかり。私はそんな環境にいたのです。それに、当たり前のことであり、神聖な、そう、最高に神聖なことだったのです。とにかく無理でした……(子どもを持つことに対する疑念を)口にするなんて。当然のことなので、それについて考えることさえありません。その方向の考えを抱く選択肢がまるでなかったのです。私の意識の中にありませんでした。これっぽっちも」
なかには、孤独や退屈を乗り越えたいという願いから、または、人生にもっと重要性と意味を与えたくて、母になろうとする女性もいるだろう。こういった理由は深く理解できる。想像であれ現実であれ、女性の選択肢が限られている社会であればなおのことだ。同時にこれらの理由は、多くの女性の母への移行が、必ずしもそれ自体のため、つまり子どもの母になるために行われるわけではないことを示している。むしろ、母になることを通じて自分の立場を改善したいという欲求に端を発しているにすぎないのだ。
またなかには、配偶者や親から延々と続く説得と絶え間ない威圧によって、母になることを強制されるという女性たちがいる。同時に、「実際の」レイプによって妊娠したのではない女性は、欲望に従って自発的に妊娠したと一般的に考えられている。それでも、女性が同意をするが「意志」に反して子どもを産む場合はある。数知れないほどの女性が、悪い選択肢(誰の母親にもなりたくないのに子どもを産む)と、さらに悪い選択肢(離婚、家から追い出される、家族やコミュニティから非難される)のはざまで、現実的な決定を下すことを余儀なくされているのだ。
3 「母親はどうあるべきか」の刷り込み
すべての人間は確かに女性から生まれるが、女性は生まれつきの母親ではない。つまり、女性は人間の子孫の保因者であるが、だからといって、そのことが女性に、世話や保護や教育やこの関係性が要求する責任を負わせることにはならない。しかし、女性の産む能力と育児の必然性を合致させるという考え方は、いまだにかたくなに支持されており、母になる義務が「女性の本質」であるという考えかたも根深い。
女性はただの母親ではなく「よき母親」になれと指示されている。主流の母親像として、養育は、完全に子どもを中心として、感情的にも認知的にも関与し、時間をかけて行うべきだと謳われている。西洋社会では一般的に、育児はほぼ完全に母の責任だとされる。母は、そもそも自己犠牲的で、際限なく忍耐強く、自分の人格や欲求を忘れるほどまでに他者の世話に献身するというイメージなのだ。
母がこのモデルに規定された道徳的基準に従って行動しない場合――不可能であれ拒んだのであれ――たちまち「悪い母」のレッテルを貼られる。道徳的にも感情的にも問題のある無法者と見なされるのである。母は、産後の有給の仕事の再開が「早すぎる」と「世話をしない」とされ、職場復帰が「遅すぎる」か一切仕事をしないと「自分をあきらめている」と断じられ、母乳育児をしなくても、母乳育児が「長すぎ」たり「大っぴらすぎ」たりしても、責められる。子どものホームスクーリングを行っても、母が(ひとり親であろうとなかろうと)家の外で長時間働かざるを得なくなっても、ネグレクトだと非難を受ける。
このように、母は、何をする・しないだけではなく、どんな人間で、どんな状況で生活しているか次第で、世間から「悪い」というレッテルを貼られる。「良い」母親には、母である喜びと満足を感じることが期待され、同じように、怒りと失望と欲求不満を感じて表明する人は、きちんとした母という「本来の運命」にたどり着けない、問題を抱えた女性とみなされる。
4 後悔する人達の声
エリカ「振り返ってみて、30年間苦しむ価値があったと、今あなたに言えるでしょうか?絶対に、間違いなく、確実にノーです。ノー。もう一度やりたいか?絶対にごめんです。もしも今、選ぶことができるなら、そうですね、女の子か男の子、どちらでもいいので、ひとりだけにすると思います」
――同じことをくり返さないのはなぜですか?
「どうしてか?お話ししましょう。私は人生で楽な日が一日もありませんでした。決して家庭が困窮しているわけではありません。お金の問題ではないんです。子育てをしていて、楽な日は一日もありませんでした。一切です」
グレース「くり返しになりますが、要因のひとつは、今ある知識をあの頃持っていなかったことです。私が逆の状況だったら――子どもがいないことをずっと後悔するでしょう。反対方向に戻れないのが人生ですから。でも、もしもユヴァル(夫)と私に今の知識があれば、そうしたら――私たちは素晴らしい人生を送ることができたと思います。」
――子どもがいない次の人生の空想は、どんなイメージですか?
ニーナ「自由なイメージです。他人の責任を負わず、自分だけの責任を負うという自由。他の人のことを心配する必要がなく……自分が正しいと思うことをして、誰にも責められず、不満がない――正直に言いますが、もう私には荷が重すぎるのです。(与えるための)体力がなく、(孫の世話をするために)助け続けることはできません。週に一度、あっちの孫、こっちの孫と過ごしています。それに、お金のこともあります。お金です。とにかくお金。これで全体像が変わります。ナニーを探すのを手伝ったり、直接手伝ったりもできますが……やはり、面倒を見るのが自分の責任だと思い続けていて、まだそこから抜け出すことはできません。もう自由にしていい年齢に達した、といくら考えてもだめなんです。これが私の人生であり、私の選択です――いまだに自分の責任だと感じてしまうのです。罪悪感ではありません。自分を責めてはいないのです」
シャーロット「話は複雑なんです。私は母になったことは後悔していても、子どもたちについては後悔していません。その存在も、性格も。あの子たちがいないことは望みません。私はただ、母でいたくないだけです」
リズ「後悔は親としてのことであって、私自身が(母になる)必要を感じなかったのに、こうなってしまったという事実にあります。子どもの存在のことではありません。そこは私にはとても大切な区別です。素晴らしい子なんです」
ソフィア「(子どもたちに)腹を立てるときでさえ、そしてあなたに話したすべてのことにも反して――私は決して怠慢な母ではありません。とても責任感が強く、常にできる限りの最善を尽くしてきました。本当です……あの子たちが必要とした集中的な世話を。私は苦しんで泣きながら、手を動かしました。……本当に良い母なんです。自分で言うのは恥ずかしいですけれど。子どもたちを大切に思っている母です。子どもを愛し、本を読み聞かせ、専門家の指導を受け、最善を尽くして子どもを教育し、愛情と思いやりを与えています。子どもたちは私のことが大好きです。愛してくれています。あの子たちは、幸せな良い生活を送っていますよ。……ばかみたいですね。なぜって、私はあの子たちを望んでいないんです。本当に、欲しくなかった。なのに、あの子たちはここにいる。存在するんです。」
女性の大半は、後悔は母になったことであり、子どもがこの世に存在することではないと言っている。母になったことの後悔と子どもを愛することの区別は、ほんの一瞬でも、子どもたちとの間の想像上のへその緒を切り離し、「母」と「子」のアイデンティティを超えた関係を持つことを求めているのだ。
しかしこの願いは、現在の社会秩序においては通常は叶えられない。母は母であり、常に母としてのふるまいが求められ、そのアイデンティティから逃れることはできない。
では、母になることと子どもを持つこととを切り離して、個人的な損得のみにフォーカスを当てるとどのような事実が見えてくるか?
研究に参加した多くの女性は、母になることで以前よりも成熟し、愛情深く、寛大で、思いやりを持ち、忍耐強く、共感できるようになったことに満足していると話した。親という「主流派グループ」に所属することができ、帰属感を得ることが出来たと答える人もいた。
一方デメリットとして、リラックスができない、自分の時間がない、一瞬の幸せのために何年も苦しむ意味がない、と多くの人が答えている。つまり、女性はいったん子どもを産むと、多くのことを捨てざるを得ないということだ。母になると、あらゆる望むことが奪われるのである。
それぞれの女性が、母になることで報われたと感じるかどうかは、個人的な経験の結果かもしれない――各女性の認識や価値観やニーズや状況の産物かもしれないのだ。しかしながら、母になった後悔という感情は、社会的にほとんど認められず、それが文化的、心理的に問題があるとみなされるのである。
5 母親と父親の責任
子どもをひとりで育てているか、配偶者と一緒に育てているか、あるいは子どもが父親と一緒に住んでいるかにかかわらず、多くの母は、子どもが幼児期をすぎて何年経っても、子どもを象徴的に養い、意識の中で世話を続けている。
常にわが子に縛られているという経験は、要求の多い現代の母親像の影響であり、「良き母」は、文脈に関係なく、常に母であり続けることを意識の最前線に置いている。しかしこれは、「お世話の時間」――母としてのふるまいを始めとする、主に女性によって行われる感情的な労働――であり、「時計が示す時間」とは異なり、通常は始まりも終わりもないことを示している。世話をすることは、他の活動に織り込まれ、女性は常に、心配する対象――注意を払い、忍耐し、対応を必要とする――を抱え込む。何をいつどのように行うかを決めるのは、時計ではなく、世話をする相手のニーズである。多くの場合、これらは他の活動と同時に発生するため、定量化や推定ができない時間なのだ。
一方で、父親に求められる責任は、母親の責任よりも大抵軽いものである。一般的に言って、父親は自分の時間の所有者になることを多分に許されており、そうする機会も多い。一方で、母親はこれが少ない。
「調査から、父親は子どもの誕生後に、職場での残業を著しく増やし、新しい趣味を探すことがわかっている」と、著述家のクリスティーナ・ムンドロスは述べている。「そのため、夕方や週末に関われる時間は最小限になる。もちろん、すべての父親がそうではない。しかし多くは、そばに赤ちゃんがいるとひどく疲れるために、その状況から逃れようとする。このことは社会的に受け入れられている。しかし対照的に、母親が『今日はヨガに行く、明日は友達と飲みに行く』と言ったら、誰もが『彼女はどうなっているのだ』と思うだろう」
このように、女性も男性も自分のための時間を見つけるのに苦労するのは同じだが、無限に世話が続く感覚を報告するのは、たいていは母である。母は、離れたり休憩したりする機会が非常に限られている一方で、ほとんどの父親は逃げることができるし、実際にそうするのである。そして、たとえ父親が子育てを平等に分担していたとしても、「母であること」自体に、負担を感じ続ける人がいるのだ。
6 主体としての母
エリカ「子どものために自分の人生をあきらめました。そしてふり返って――いいえ、今(だけ)ではなく、当時から――思うのは、母になることで奪われたものは取り戻せないということです。子どもと過ごす時間は楽しいですが、一緒にいる時が最高に幸せだというのは、嘘と欺瞞です。嘘と欺瞞。……子どもを持つ理由なんて存在しません。苦しみが深すぎて、困難が大きすぎて、痛みが強すぎて、私が年を取ったときに母であることを楽しむ(可能性を正当化する)ことができません。それだけです」
このような証言は、家族と母であることの「私領域」には、利益と損失のバランスを取る算段がないという幻想を破壊する。しかし、母である経験にそのような算段を含めることは、母をひとりの人間として認識することにつながるだろう。つまり母を、思考し、感じ、吟味し、想像し、評価し、決定する主体と捉えるのである。
母であることが「役割」と認識されている限り、利用できる唯一のシナリオは「完璧な母」であり、そこを目指すしかない――それは実際には「理想的な従業員」と言える。なぜなら、役割は成果主義の仕事を中心に考えられており、成長した子どもが「製品」であるからだ。
母であることを個々の主体(動的で頻繁に変化する)間の関係として認識すれば、すべての母が子どもや母としての自分について同一の感情を持っているという期待を捨てることができる。そうすることで、母であることを、人間の経験や人間関係のスペクトルの一部として――母が自らの母性に左右されずにわが子の人生に影響を与える一方的な絆ではなく――理解できるかもしれない。この見方によって、深い愛情から深いアンビバレンスまで、母であることに関する人間の感情のスペクトルを調べることができるだろう。そして、後悔についても。
母になって後悔することは、家族に関して感情の論理を省くという社会的命令を再考する機会のひとつなのだ。そのような要請は、女性に主体を放棄せよと要求することであり、最終的には不可能である。なぜなら、感情の論理を持つのは、主体であり人間として生きていることの証拠だからである。続きを読む投稿日:2024.03.22
図書館で借りた。
タイトルの通り、タブー・言っちゃいけない感情についての本だ。もちろん楽しい・嬉しいというものではない。「女性は子どもをつくりたいのが普通」「女性は子どもを好きでなくちゃいけない」とい…ったさも当たり前のような前提に対して、正面からぶつかった本。私には如何にも現代的と感じるし、「そういう人もそりゃあ居るよねえ」と感じた。
インタビューを主な構成要素としており、「母になる道筋」「母親業」「母になった後悔」「感情に対して」「子どもたちに対して」といった方面から向き合っていく。
内容については、正直想像の域は超えなかった印象。そうだよねぇ、そういう感情もあるよねぇと、よしよしとでも言いたくなるような、まるで相談されているかのような感覚になった。
「産みの親と育ての親は全く異なる」というのも、(日本では現状ほぼありえない価値観だが、)あって良いのかなとも考えさせられた。
話題になっているベストセラーではあるが、私は星3つ評価かな。続きを読む投稿日:2024.04.07
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