世界史とつなげて学ぶ 中国全史
岡本隆司(著)
/東洋経済新報社
作品情報
気鋭の東洋史家による渾身の書き下ろし!
教科書では教えてくれない真実の中国史
・黄河文明はどのように生まれたか
・中華思想が誕生した理由
・気候変動と遊牧民がつくる歴史
・ソグド人が支えた唐の繁栄
・「唐宋変革」で激変した中国社会
・モンゴル帝国は温暖化の産物
・なぜ「満洲」と表記するのが正しいか
・明治日本の登場が中国の歴史を変えたetc.
驚くほど仕事に効く知識が満載!
現代中国を理解する最高の入門書
現代中国とは、過去の歴史の積み重ねの決算であり、通過点でもあります。そこに至るプロセスを知ることなしに、「中国人の考え方は理解できない」「中国の存在は日本にとって脅威」などと評論しても意味がありません。問題はそのプロセス・歴史をうまく捉えていない、そのため偏見に満ちた見方になっていることで、そういう〝偏見〟の自覚すらないのが、一般的な日本人の姿ではないでしょうか。
日本人の多くが、中国は太古より強大な統一国家だったとか、中国は常に強大で、常にアジアの覇権国家だった、という印象を持っています。「中国は異質」「理解できない」といった印象を持ってしまうのは、こういう下地があるからなのです。そこで重要なのは、リアルな中国史を認識することです。それを通じて、はじめて現代中国が抱える問題も、その本質を理解することができるでしょう。
歴史といっても、細かい年号や人名、事件などにこだわる必要はありません。何よりも時代の特徴、ならびにその流れを?むことが大事です。本書では、文明の発祥から今日に至るまでの中国史の展開を一気呵成に描いて、現代につながるリアルな中国の姿を浮き彫りにしていきたいと思っています。(「まえがき」より要約抜粋)
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この作品のレビュー
平均 3.9 (36件のレビュー)
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「あなたは中国が好きですか?」
この質問に答えづらい日本人は多いのではないだろうか…
中国の歴史や多くの遺産に魅力的なものが多いのも事実なのだが、実際感情面ではどうだろうか
しかしながら中国はもはや…国際社会の中で避けて通れない大国である
どこかの政治家のセリフじゃないが日本は中国から離れるために引っ越しすることもできないのだ
先日読んだ2冊の本にも気になることがあった
■カルロ・ロヴェッリ「科学とは何か」
中国の思想(師を批判することはあり得ない)のせいで科学が発展しづらい国であった
これ以外にも原因となるものがあるような気がする…
■ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」
ユーラシアという恵まれた環境でヨーロッパ人が主導権を握れたのに、
同じように恵まれた条件の中国がなぜ覇権を握れなかったか
「政治的に統一されているから」という理由があったが、もう一歩踏み込んだ内容が知りたい
中国の歴史を紐解けば何か理解できるものがあるのでは?
せっかくなので中国という国を勉強したい
~以下は完全なる覚書~
【第一章 黄河文明から「中華」の誕生まで】
まずは中国という国のベースをしっかり把握する第一歩
中国を含むユーラシアは海岸線が相対的に短く陸地が広大
乾燥地域と温順地域が人々の暮らしを二分した(以下のこの極端な二種類から成る)
・温順地域…植物栽培のコントロールがたやすく農耕が発明され定住生活が可能に(有利な環境)
・乾燥地域…あらゆる生物にとって厳しい環境(砂漠)、放牧を行い動物から生み出される乳製品や肉に頼って生活を送る
草原から草原へと移動繰り返す不安定な生活(遊牧)
黄河流域から始まった中国の古代文明
ここはまさに乾燥地域と温順地域の境界地帯
よって、お互いに持っていないものを交易で得る(これにより言語が発生)
シルクロードに連なっていたおかげで、西からの先進的な文明(オリエント文明など)を受け入れやすい地域でもあった
秦漢帝国…秦の始皇帝の死により秦は崩壊
漢王朝が誕生
前漢…劉邦の時代、匈奴との戦い
後漢…シルクロードの恩恵も受け、安定した平和な時代
【第二章 寒冷化の衝撃】
3世紀あたりから気候変動により地球の寒冷化が始まり、世界的に民族大移動が始まる
遊牧民の一部が中国中心地域へ移動
農耕民も農作物の生産量が低下し、人口が淘汰され、不景気かつ錯綜した時代へ
小さな政治ブロックで集中的に経済を支えると言う形態が生まれる
4〜5世紀「五胡十六国」時代
5〜6世紀「南北朝時代」
いずれも小勢力が分立し、細かい地域ブロックに分かれて再開発を進めることで寒冷化の時代を乗り越えた
これにより複合化、多元的な社会が実現
いかに整合していくかが今後の鍵に…
ようやく隋が中国全土をひとつにまとめた
【第三章 隋・唐の興亡】
■隋王朝
父:文帝、息子:煬帝の親子二代の30年ほどで幕を閉じる
政治、経済、文化が中原の集約から南方の開発へ
黄河と長江をつなぐ大運河を建設
揚州で塩の生産(海岸線が短いため中国では貴重)が行われる
■唐の時代は約300年
二代目…太宗・李世民 中国屈指の名君(武勇、内政とも、)
三代目…則天武后 李世民の息子高宗の妻(中国史上唯一の女帝)
仏教という価値観を共有することで遊牧民と農耕民を融合するレベルで南北の統合を図り勢力を拡大
南北朝時代の突厥(北の突厥・トルコ系遊牧民)の軍事力は圧倒的
そして突厥の商業の担い手はソグド商人
ソグド商人は中央アジアの中核におり、ここは東西南北からモノが集まるオアシスであった
トルコ系遊牧民…軍事
ソグド系商業民…商業
それらを抱え込んだ唐は多元性を一つにまとめて繁栄、実に国際色豊かな唐であった
そんな唐も楊貴妃に夢中になった玄宗皇帝は政務をおろそかにし、
かつ楊貴妃の血族を台頭させ、安史の乱が起こる
8〜9世紀 唐は解体へ
【第四章 唐から宋へ】
唐宋変革…唐と宋の間で起きた大きな社会変動
唐と宋の間の半世紀は「五代十国」
政情が不安定であったため、中国各地がそれぞれ独自に経済成長を遂げた
その原動力となったのはエネルギー革命(石炭の利用)
材木の枯渇と言う局面を克服し、多大なエネルギーを使えるようになった
これにより大量の金属生産が可能となり、工具や武器の生産が容易に、さらに農業生産の能力も高くなる
温暖化、農産物の生産増大、技術革新、生産力の向上、平和な世の中が相まって人口増に
さらに貨幣経済の成立、都市化の進展、文化や学問が発達(宋学・朱子学の誕生)
君主独裁制へ
多元化・多様性を前提としたものであり、中央集権とは異なる(言葉を勘違いしない)
各地方は地方で対応し、最終的に中央政権が取りまとめる
また遊牧民とは講和する道を取る
【第五章 モンゴル帝国の興亡】
東側が強くなったことにより、一部の人々が西側に押し出される
ウイグルは西方移動してソグド人と一体になり財閥を形成
さらにモンゴル部族と結びつき西側へ手引き
ここからチンギス・カンの西征が始まる
モンゴルの躍進の背景には、中央アジアの商業民がいた
13世紀初頭から14世紀末の200年がモンゴル時代
チンギス・カンからはじまるチンギス家(お家騒動あり)
クビライの時
今日の北京に首都を建設、都市計画を明確にした
今日の北京も基本的には変わらない
つまり現代の北京のベースはクビライの北京
モンゴルの強さとは…
宣伝戦と威嚇戦(攻め込むと脅して戦わずして降伏させた)が見事であり、
支配後も相手を蹂躙せず、本領を安堵してそれまでの生活を続けさせた
ウイグル
資金・情報を提供する代わり、軍隊による保護と商売の権益を求める
タイアップし領土を拡大
紙幣
ただの紙切れにならないよう銀と交換できる保証を付けて流通させた
紙幣だけではなく、塩の専売許可証というシステムを作り上げる(つまり有価証券)
元寇
軍事侵略のイメージ
実は違って経済圏拡大の一環ではないか?
(軍事的な征服ではないという説もあり、既に軍事的な拡大は停止していたようだ)
14世紀半ば
寒冷化により崩壊が始まる
ヨーロッパのペストも入ってきたのでは?
大不況でモンゴル帝国が持続できなくなる
【第六章 現代中国の原点としての明朝】
15世紀初頭モンゴル帝国が消滅
漢民族だけの王朝をめざした明
鎖国を実施し、朝貢一元体制を打ち立てる
(取引したければ土産を持参して頭を下げろってやつ)
貨幣経済を否定
また南北格差解消のため、江南を弾圧し、力のある方(南方)を貧しくさせた
江南の人々を冷遇したため、彼らは北京中央政府や役人に対し常に反感を持つように
非公式通貨としての銀が流通し、鎖国体制は崩壊、密貿易業者が増加
(政府が認めていない貿易、通貨が流通)
官民乖離が顕著に(国家の権力や法律に縛られず生きるという姿勢に)
経済や貿易の局面で、民間の力量が増大したのが明朝
その後の中国社会の土台となり、現代の中国にも顕著にあらわれている
いくつかのコロニーが力を持つように
その中の遼東地域は漢人とツングース系のジュシェンという狩猟民がメイン
ここが政治的に力を持つようになり、やがて清朝政権が打ち立てられる
【第七章 清朝時代の地域分立と官民乖離】
遼東半島地域で満洲人が打ち立てたのが清朝
多種族からなる政権
満洲人、漢人、モンゴル人の三族一体を目指す
さらにチベット、ムスリムを合わせた五大種族が共存
それぞれの在地在来システムを活かし、統治が運営された
貿易が盛んになり、銀が不足
産業革命を経たイギリスから銀を得て、紅茶を対価に
人口がさらに爆発的に増える
政府は機能しない
官民乖離がさらに拡大
民間コミュニティが増大し民衆による反乱が頻発
19 世紀半ば
日本のように、富国強兵をめざし、西洋化・近代化を目指すが官民乖離で進まず
(一方の日本は官民一体で成功)
日清戦争を経て、領土という意識が生まれ出す
国民国家「中国」の誕生
20世紀 辛亥革命
300年続いた清朝は滅亡
・蒋介石
三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)
・毛沢東
共産主義
自分が貧しい農村出身だったこともあり、とにかく農村本位が最大の政策目標
イデオロギーは何でもよかった
自他に納得させる正当化のシンボルとして共産主義を掲げた(に過ぎない)
毛沢東が下層の人々の心を掴み評価が高まる
が、下層の人々を持ち上げ、上層の人々を叩き過ぎ国が疲弊し失敗に
・鄧小平
共産主義のイデオロギーと支配体制を残したまま、市場経済を取り入れ海外貿易も推進して豊かさを追求しようとした
経済発展を続けられるだがいずれにしろ大多数を占める下層の人々が豊かになる事はなかった
結局乖離はむしろ増幅されている
習近平の懸念→下層の人々が政権から乖離するとともに、富裕層が諸外国と強く結びついて国家を顧みなくなること
【結 現代中国と歴史】
14世紀の危機=寒冷化
ヨーロッパは近代化と言う形で答えを導き出した
つまり大航海時代に始まり、産業革命に至るプロセス
グローバル化の世界を生み出した
中国
南北の格差がなくなったわけではないが、貿易のおかげで沿海地域が発展し
西側内陸部か取り残されるという東西の格差が深刻化
日本史と西洋史は近似した歴史経過
西洋は中世と言う封建性の時代があり、近代化を経て今日に立っている
日本史もそのプロセスを行ったり、後追いしたような印象がある
だから中国人の言動に違和感や不快感を覚えることが少なくない
ところが容姿・言語に差異のある西洋人に親近感を覚えるのとまさに対照的だ
著者はこのような歴史背景により中国では「国家の権力や法律に縛られず生きるという姿勢」
が日本人に馴染まない習性であり、中国を受け入れがたいのでは…と解釈している
(なんとなく納得)
こちらを読むまで中国という国は中央政権がガッツリ幅を利かせて国民に足かせをし、
制圧していると思い込んでいたのだが…
それはそうなのだが、じつは国際色豊かで多元的な国であり、民間が力をもっているせいだということが理解できた
そのため統一するためには圧政を強いるしかなかったのか…と感じる
さて最初の自分の問題点である「科学が発展しなかった」理由及び「恵まれたユーラシアで覇権を取れなかった」理由であるが、
最後まで本当の意味で国が統一できていないからなのではなかろうか
いずれも優秀な人材の芽は摘まれ、官民乖離により民は民のままで終わらざるを得なかったからではなかろうか
何かがわかりかけたような気もするが、上っ面の知識なのでもう少し深堀りしていきたい
非常にシンプルで分かりやすい内容本書であり、ざっと中国史が理解できる
余計な細かい内容はないが、流れとポイントがつかめる
著者の意見もあり読み物としても興味深い
受験に関係ない社会人向けで、(私のような)初心者からざっと復習したい大人向けだ
往々にして歴史書は寝落ちしがち(笑)だが、その点こちらは同じ文字を何度も目だけが追っているような空白の時間に陥る心配はない
今まで読んだ歴史書の中ではトップ3に入るかな…
ただ一点残念なのが、地図と地図に落とし込んだ図が分かりづらかった
惜しいなぁ…
続きを読む投稿日:2023.02.10
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岡本隆司(オカモト タカシ)
京都府立大学教授。1965年、京都市生まれ。現在、京都府立大学教授。京都大学大学院文学研究科東洋史学博士後期課程満期退学。博士(文学)。宮崎大学助…教授を経て、現職。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会・大平正芳記念賞受賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会・サントリー学芸賞受賞)、『世界のなかの日清韓関係史』(講談社選書メチエ)、『李鴻章』『袁世凱』(岩波新書)、『近代中国史』(ちくま新書)、『中国の論理』(中公新書)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会・樫山純三賞、アジア太平洋賞受賞)、『清朝の興亡と中華のゆくえ』(講談社)、『世界史序説』(ちくま新書)、『近代日本の中国観』(講談社選書メチエ)、『増補 中国「反日」の源流』(ちくま学芸文庫)など多数。
当然ながら、海岸線に近いところでは湿気が多いため、湿潤気候になります。逆にいえば、水から遠い内陸地方は乾燥気候になる。これがごく簡単な気候・地域の区分の大前提です。そして前述のとおり、環境が違えば、そこに生きる人々の暮らし方も違ってきます。
具体的に一瞥を加えておきましょう。ステップの草原地帯はおおよそ、北緯四五度から五〇度にかけて東西に長く延びています。東は大興安嶺山脈の東麓あたりにはじまって、モンゴル高原を経て、中央アジアのジュンガル盆地やカザフ草原、さらに西方の南ロシア草原から東ヨーロッパのハンガリー平原までの広がりがあります。そこでは草本植物がそれなりに繁茂していて、牧畜に適した自然環境をなしています。 そういう地域では動物も生きていけるので、人間としては、その動物を家畜化して牧畜を行うという暮らし方が可能になります。その動物から生み出される乳製品や肉に頼って生活を送るわけです。
ただし、乾燥地域の草原は一定の季節、一定の地域しか、植物が育たないことがほとんどです。そのように物資の乏しい条件下で牧畜を継続するには、必然的に草原から草原へと移動を繰り返す、不安定な生活にならざるを得ません。それを表現した言葉が「遊牧」で、ここでいう「遊」とは一つの場所に留まらないことを意味します。人間の生存には、とても厳しい条件です。 農耕民と遊牧民の違いは、服装をみれば、一目瞭然です。形状も違いますし、そもそも原材料が異なります。農耕民の服は植物の繊維から作られました。それに対して遊牧民の服は、動物の皮革が元になっています。
農耕民と遊牧民の違いは、服装をみれば、一目瞭然です。形状も違いますし、そもそも原材料が異なります。農耕民の服は植物の繊維から作られました。それに対して遊牧民の服は、動物の皮革が元になっています。 もちろん違うのは衣食ばかりではありません。風習・習俗そのものからして、大きく異なっていました。
たとえば遊牧民は、老人より若者を尊び、敬老の精神がありません。また父兄が死ぬと、その妻を子弟が娶りますから、いわば「略奪婚」同然です。農耕民たるわれわれ日本人の感覚では、考えられないようなことばかりです。
以下は、司馬遷『史記』の「匈奴列伝」に出てくるエピソードです。『史記』はご存じのように、紀元前一世紀・漢王朝の時代にできた中国初の体系的な歴史書で、匈奴は当時最大の遊牧国家でした。漢と匈奴は当時の東アジアを二分したライバル国家同士です。
ただし、それぞれの地域で人々が暮らしていたとしても、それだけで歴史が生まれるわけではありません。たとえば、同図に描かれてすらいないアメリカ大陸にも、すでに住む人々はいたはずですが、世界史にはいっさい登場しません。歴史とは、人々の生態がわかる記録と常にワンセットで生まれるものだからです。しかもそれは、後々に続くプロセスまで見通せることが条件です。
そのため、まず自然と言語が発達します。また紛争解決の手段として、記録を残そうという話にもなるでしょう。昨今のクルマならドライブレコーダーを設置することができますが、当時は画像も映像も残せないので、文字として残すしかありません。こうした積み重ねによって、遊牧世界と農耕世界との境界地域を中心に、文字記録ひいては「古代文明」が発達していったと考えられます。
言い換えるなら、中国史は、ユーラシア各地に共通する「古代文明」発展プロセスの東ブロックとして始まったわけです。それぞれの文明は、まったく単独で栄えたわけではないでしょう。どこかで発明されたものが、シルクロードを通って各地へ伝播し、発展に寄与したと考えるほうが自然です。
そもそも「中国」や「中華」とは、中央・中心・真ん中という意味です。つまりは「センター」であって、アイドルグループよろしく一番偉い、ということですが、この国を「中国」という名称・固有名詞で呼ぶようになったのは、二〇世紀に入ってからです。それまで、英語のChinaを意味する漢語は、その時々の政権名だったのです。
つまり都市にしろ文字にしろ、東アジアでは中国を中心に、共通の文明を発展させていったわけです。それは遠く隔たる地方の人々の暮らし方や慣習、文化にも及びました。そこで中国は、自分たちが周囲とは違う、突出した中心であるという観念を発達させていきます。そういう文化・文明の中心である黄河流域を「華」「中華」「中原」「中国」と呼び、その中で分立する邑や国の支配層を「諸侯」と呼びます。「中原」も「中国」も中心地というくらいの意味の漢語です。
その名称から、とかく日本人は中国が当時の世界の流通センターだったようなイメージを抱きがちですが、それは違います。中国はあくまでも当時の流通路の最東端だった、またシルクしか持ち出すものがなかったと考えたほうがいいでしょう。
ちなみにこのあたりの政権は、以後の南朝もそうですが、中国で初めて日本の交渉相手になった国でもあります。「呉」は日本語で「くれ」とも読みますが、それは呉が日本から見て日が暮れる西方にあるという意味でもあります。また「呉服」は、もともと中国から来た服という意味でした。
実際、古代文明が栄えたのも、農耕ができる乾燥地域でした。あるいは日本でも、まず奈良や京都のような高地が都になっています。それだけ生産性が高く、多くの人口を養えたということでしょう。
ちなみに、このような塩の徴税・専売の制度を「塩政」といいますが、何も宋に始まった話ではありません。古くは漢王朝の時代から、塩とともに生活必需品である鉄にも、税金をかけていて、その是非を問う「塩鉄論」というような記録も存在します。それが制度化したのは、唐の後半期のことで、令外の官として「塩鉄転運使」という官職を設けて、その徴収に当たらせていました。
「五代十国」の時代、揚州を首都にして主要な塩の産地をかかえていた呉と、そのあとを継いだ南唐が、この塩政のシステムを大いに利用します。両国がきわめて豊かだったのは、そのためです。宋はむしろ南唐のシステムを踏襲したわけですが、こうして財政本位で商業を興し貨幣を流通させた結果、貨幣経済・商業化が民間にもひろがっていくようになったのです。 塩の専売はすぐれて権力と密接な関わりにありますが、ほかの商業も多かれ少なかれ、課税の対象になっていて、これを「商税」といいます。専売とあわせて「課利」という表現もあります。この課利と土地税が、政府税収の二本柱となりました。
クビライが紙幣の兌換として準備したのは、銀・貴金属だけではありません。少量で価値のあるものとして、そこに塩も加えたのです。 これも前章で述べたとおり、中国では唐や宋の時代から塩を国家の専売にしていました。一部の商人しか扱えないことにした上で、原価の何十倍または何百倍もの税金をかけたのです。特権を得た商人は多額の税金を納めるのと引き換えに、生活必需品の塩の取引を一手に引き受けて、莫大な利益を得るようになります。クビライはこの塩政制度を踏襲し、さらに活用しました。
そしてもう一つ、国家として「中国」を名乗るのも、このころからです。これまでは、王朝名しかありませんでした。しかし清朝にアイデンティティを見出せず、むしろそのやり方に不満を持つ多くの官僚や知識人にとって、「清国人」とか「清人」と呼ばれることには違和感がある。そこで国名が必要だと考えるようになったのです。
では、どう名乗るのか。当時もいまも、欧米は中国をChinaと呼んでいます。そこに漢字を当てはめて「支那」。これは古来の仏典にある漢語で、当時の日本人も普通に使っていました。これに倣って、中国の人士も自分たちは「支那人」であるといいはじめたのです。今日では蔑称のようなイメージがついてしまいましたが、当時はこれが最先端の呼称でした。 しかし、「China=支那」はあくまでも外来語です。日本人が「ジャパン人」とは名乗らないように、やがてかれらも自らの言葉で自称しようと考えます。それが「中国」です。もともと「中国」という言葉は、「中心の国」を意味する一般名詞として存在しました。自尊を込めて、それを固有名詞に変えたわけです。 もともと「因俗而治」、在地在来の体制を尊重し、むしろバラバラの状態で発足した清朝ですが、こうして末期になってようやく、国民国家として均質一体になろうという気運が高まりました。概念や国名にそれがよく表れています。しかしながら、その実質的な統合作業は、二〇世紀に持ち越されることになったのです。
中国にとって二〇世紀は、革命の時代でした。 まず一九一一年には、辛亥革命が起きています。図表8‐1の旗印は、清朝の中央政府から離脱した地方の省政府を表しています。とくに南方に集中していることがわかると思います。
国民政府は国外に日本、国内に中国共産党という敵を抱えていたわけですが、蔣介石としては、日本より先に共産党を潰すことを画策します。まず国内を一元化して、日本と戦う態勢を整えようと考えたわけです。実際に共産党に打撃を与えて、陝西省の山あいにまで追い詰めました。しかし国民政府の東北軍のリーダーだった張学良に強引に説得されて、共産党と和解します。これを西安事件といい、やがて共産党と共闘して日本に対峙することになります。これによって日中の全面戦争に至ります。
そのあげくに行き着いた先が、一九六六年から約十年にわたって繰り広げられた文化大革命です。下層の人々を持ち上げ、上層の人々を叩きすぎた結果、国全体が疲弊して大失敗に終わりました。 その反動のように打ち出されたのが、鄧小平による改革開放路線です。共産主義のイデオロギーと支配体制は残したまま、市場経済を取り入れ、海外貿易も推進して豊かさを追求しようとしたわけです。その姿は、中華理念と皇帝専制を残したまま、明朝の対外秩序を転換させた清朝と重なります。
ちなみに日本は、地域構造も社会構造も歴史的にみれば、非常に単一的均質的です。だから西洋近代に直面した際、国民国家の形成も容易でした。そういう日本人の感覚からみると、中国社会は想像を絶するほど複雑怪奇なのです。 日本の中だけをみていれば、日本は多様だといえるかもしれません。日本史の研究では、そういう議論もさかんです。しかし中国に比べれば物の数ではありません。
清朝は辛亥革命によって倒れ、中華民国が誕生します。英米と深く関わっていました。また第二次大戦後には、毛沢東が率いる中国共産党が中華人民共和国を樹立します。こちらはソ連・共産主義とコミットしていますから、ベクトルはまったく逆のようにも思えますが、実は「国民国家をつくる」という目標を掲げた点では共通しています。
あくまでも国民国家をつくって、西洋や日本に対抗するための取り組みが中国の「革命」であったわけです。 ところがその「革命」・国民国家形成というイデオロギーと、歴史的に多元性をきわめてきた現実の間には、容易に埋められない深いギャップがあります。だから、埋まるまで永遠に「革命」を続けなければいけない。それが、今日の中国の姿でしょう。
たとえば中国政府は、かねてより「一つの中国」というスローガンを政策的立場として掲げています。国是といっていいかと思いますが、中国大陸のみならず、台湾も香港もマカオもすべて統一国家中国の支配下にある、というわけです。 しかし、これほど欺瞞に満ちた言葉はないでしょう。現実として中国は複数の民族問題、国境問題も抱えています。
この制度は今の中国の問題であると同時に、多元的で地域ごとに習俗・慣行がまったく違うため、統治の仕方も違っていたという中国の歴史を反映しています。しかもその境界線も曖昧なことが、統治をいっそう複雑にさせています。歴史的な多元性を国民国家というパッケージで一つにまとめることができるのか。「革命」が始動してから今なお抱え続けている中国の大きな課題なのです。 当然ながら、台湾も「一国二制度」には注意を払い、警戒しています。大陸が敵視し、経済の低迷を招いている現在の蔡英文政権を生み出した原動力でもあります。
言い換えるなら、アジア史において政教分離は成立しにくいということです。多元性の強い社会で安定した体制を存続させるには、宗教のような普遍性を有するものがどうしても欠かせません。複数の普遍性を重層させねばならない場合は、なおさらです。ヨーロッパで政教分離が成立したのは、そもそも社会も信仰も単一均質構造でまとまっていたからです。分離しても社会が解体、分裂しない確信が、その背後に厳存しています。仮にアジアで政教分離を実施したら、たちまち体制や秩序はバラバラになって混乱をもたらしてしまったでしょう。
そして現代は、欧米スタンダードの時代です。意識するとしないとにかかわらず、あらゆる物事は欧米の基準でできあがっていますし、それをわれわれは、やはりあたりまえだと思っています。 歴史の見方も同じです。そもそも「歴史学」という学問が西洋発祥であり、いわゆる西洋中心史観に則っています。それは西洋史の専門家にかぎらず、たとえば日本史やアジア史の専門家の中にも、そういう見方をする人が少なくありません。
つまりリアルな中国を知るには、西洋化したわれわれ日本人の既成概念をいったん削ぎ落としたうえで、中国のリアルな歴史の積み重ねと向き合う必要があります。それができれば、中国人の発想や言動も、もう少し理解しやすくなるはずです。 西洋とその史観しか知らなければ、偏った見方になって、世界を見誤りかねません。中国や中国人に対する違和感・偏見も、そこに由来するのではないでしょうか。 世界には、日欧とは違う歴史があると知ることが、われわれ自身の歴史観を見つめなおし、既成概念を反省し、打破する機会になればいいと思っています。中国史を学ぶことは、その有効な題材なのです。
われわれはとかく、「中国」というものが古来一貫して存在したように思いがちである。しかし目前の現代は、長い歴史の一コマであり、いま「中国」と呼ぶ対象も、あくまで世界史の一部として、たえず変化してきた。あたりまえのことである。それでもつい中国・東アジアの歴史を世界と切り離して考えてしまう、そんな知的習癖を自他ともに改めていきたい。「つなげて学ぶ」という小著のタイトルは、編集担当のみなさんにお任せしたものながら、そんな筆者の思いを端的に代辯してくれる。続きを読む投稿日:2024.04.15
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