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クリエイティブテクノロジーシリーズ
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映像コンテンツはその人の意志を表現したり、人と人とのコミュニケーションを図る際に強力な力を発揮する。19世紀末に発明された映像の表示システムは20世紀に大発展を遂げたが、映像コンテンツ制作を行うのはごく少数のプロフェッショナルに限られていた。しかし、21世紀になると、映像は誰でも作れる身近なものになり、その利用は毎日の生活に密接に結びつくようになった。ところが、その学問的な体系化や理論化は、他の表現技術である言葉、絵画、文字、演劇、音楽などに比較すると、まだ手が付けられ始めたばかりというのが現状・・・
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本書は、映像コンテンツ制作に関して、幅広い事例分析と工学的なアプローチによって共通ルールを活用する実践書『クリエイティブテクノロジーシリーズ』の1冊です。3DCGキャラクターアニメーションを制作するクリエイターは、演技力やアクションのバリエーションをつくり出す発想力が必要であり、自分の分身のようにキャラクターを感じ、動かすことができなければなりません。『3DCGキャラクターアクティングのための演技・パントマイム入門』では、パントマイム表現による身体を使った演技の基礎、重力の表現、ステイタス演出法を解説します。動きを表現するための理論や感覚、感性を身につけ、さらに柔軟な思考力を磨くことで、3DCGキャラクターに命を吹き込むための演技力を高める方法を紹介します。
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映像コンテンツはインターネットに乗って世界中を駆け巡る。20世紀は映画館やテレビ放送というメディアによって、映像コンテンツのクリエイターたちに次のコンテンツに投資する資金を回収するビジネスモデルが確立されていたが、インターネット時代のビジネスモデルはいまだに確立していない。しかし、映像コンテンツが国際商品として大きな経済的な価値を持っていることは否定しようのない事実である。自分の創作意欲を満足させるだけでいい芸術作品とは一線を画して、生活の糧を稼ぎ出すコンテンツを制作することも大きなビジネス分野になりうるのだ。映像コンテンツが、家族や友人たちだけでなく、また日本国内だけでなく世界の人たちに鑑賞され、感動を与えるというチャンスは、ディジタルテクノロジーが発達した現在誰にでもめぐってくる。ただし、それにはターゲットとなる人類全体の成り立ちや、お互いのコミュニケーションを効率よく図るための表現技術を理解しておくことが欠かせない。とくにここ20万年の間に地球上の各地に展開し、多様性のある社会を築き上げた人類には、共通部分と異なる部分があることを理解することが大前提になる。本書では、停滞気味の日本の映像コンテンツ制作に活気を蘇らせるため、個人としてどのようなことに気をつけ、経験を積んでゆくのがいいかを、筆者の50年にわたる経験から抽出したルールや、実際に見えつつある希望について解説するとともに、従来の成功事例に固執して殻に閉じこもりがちな教育手法についても一石を投じている。
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コネクティブテクノロジーに分類される要素とクリエイティブテクノロジーに分類される要素は、一体となってプロダクションテクノロジーと総称される。それぞれの要素は独立したものではなく、お互いに密接に結ばれている。それならば分類する必要はないのではないかという意見もあるが、分類によって、その映像コンテンツにどの要素がどのような影響を与えているかを特定することができるし、そうなれば修正の必要が生じた時に迅速かつ正確に対応することができる。映像コンテンツは「絵」と「音」という2大要素によって構成されているが、両要素には、複数のミザンセーヌが含まれる。「絵」を収録する中心的なテクノロジーは、シネマトグラフィーと呼ばれ、その映像がどんな雰囲気を醸し出すのかを具体化するための主要な要素である。そこにはロケーション、美術、俳優、照明などのクリエイティブテクノロジーに分類される要素が含まれるとともに、カメラおよび映像を写し取るレンズの種類や位置、動きなど、映像入力機器としての機能も含まれる。「音」の要素はサウンドレンダリングとして一つにまとめてあるが、せりふ、効果音(環境音)、音楽という3つの要素があり、違う言語を話し、異なった社会環境の人たちを対象にする場合には、それぞれの要素を作り直し、リミックス作業を行うことが多い。本書では、映像コンテンツを構成する各要素がお互いに影響し合って、初めて目的通りの映像コンテンツが完成するということを理解するとともに、どの部分がどのような機能を発揮するのかを明らかにすることで、映像コンテンツ制作の修正作業にありがちな感情的なぶつかり合いを避けて行うことができるようにする方法を解説している。
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ミザンセーヌとは本来舞台用語で、ステージの上にどんな装置をおき、どこに俳優を配し、どんな照明をあてて、観客にどんな動きを観てもらうのか、という総合的な作業の総称である。その本来的な意味に忠実であったフランス映画はスタティック(静的)な画面作りが多く、クレーン、移動車両、ハンドヘルドカメラ、スタント、特殊映像効果などを開発して、舞台にないダイナミック(動的)な画面作りを行うアメリカ映画とは対照的である。日本はどちらかというと静的な画面作りが多く、コンテンツの進展はせりふが中心である。映像コンテンツのミザンセーヌは、スタッフやキャスト全員がそれぞれの力を出し合い、それらをディレクターが一つにまとめて雰囲気をつくりあげるものだ。テレビのチャンネルを回しながら、ごく一部分のミザンセーヌを観ただけで、その映像コンテンツが面白いものか、自分が見たいものかが判断できるということがよくあるが、これはミザンセーヌの機能や、それがうまく機能しなかった場合の怖さを如実に物語っている。映像コンテンツの制作は9段階に分類され、さらに50種類の作業要素があるのだが、そのどこかに手を抜いた部分とか、全体のコンセプトと異なる部分があると、観る人はその部分を無意識のうちに嫌う。そして全体の印象を聞かれると、その嫌いな部分の印象を口に出してしまう。本書では、映像コンテンツをつくる側が行う雰囲気づくりはすべてのスタッフとキャスト一人ひとりが、その作業に対してどんな貢献が必要なのか、それをどう行うのか、そして、完成した映像コンテンツを観る側がさまざまな環境で、どんな反応を示し、どんな印象をまだ観ていない人たちに伝えるのか、などを要素別に分析し、迅速にコンテンツに反映させる手法を解説している。
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いまやアニメ制作だけでなく、すべての映像コンテンツ制作で、スケッチや絵コンテ、イメージボード、レイアウトなどの描いた絵によってスタッフどうしが確認し合い、お互いの理解のずれをなくす必要がでてきた。美術担当者やアニメーターだけでなく、プロデューサーやディレクターも絵を描くことが必要能力になってきたのだ。ところが現在の教育は、保育園や幼稚園では「お絵かき」として重視されているが学年が上がるにつれて絵の勉強は少なくなってしまう。美大や専門学校では、造形力を身につけるためにデッサンや模刻、色彩表現を毎日繰り返し1~2年もの長期間続けている。ディジタル技術を利用することで試行錯誤が飛躍的に楽になった現在、新しい手法が提案されてしかるべきである。オノマトペドローイングは、「観察」することを土台に置き、対象物から得られる情報:ビジュアル・香り・味・肌触りなどの感覚を、言語以外の抽象的なもの(オノマトペ:擬声語・擬態語)でとらえ、造形表現していくメソッドである。従来法とは違い、知識や先入観を捨てて「モノ」や「コト」の本質の捉え方を学ぶところから始まり、外界から多彩な情報をその本質を捉えて取り込み、「線」「調子」「カラー」を使って具現化していく方法で、40~50時間の学習で本格的な造形表現ができるようになることもある。このメソッドは、描くことの知識や技術だけではなく、従来の方法では得られなかった感覚や感性、創造する思考力を育成することにも応用できる。本書では、プロデューサーやディレクターを含め、クリエイターがもっと自由に絵を使ってコミュニケーションできるように、オノマトペドローイングメソッドを活用して、造形感覚や感性、柔軟な思考力を磨いてゆく方法を解説している。
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世界の進化から取り残された感があるシナリオライティングと異なり、キャラクターメイキングは依然としてアメリカとともに世界の最先端を行っている。しかし、これはマンガやアニメなどのキャラクターデザイナーがつくりあげたメイキング技術であり、俳優が「役づくり」として行うキャラクターメイキングを含めると、日本の優位も怪しくなってしまう。世界の国々はそれぞれの伝統劇を土台にしながらも映像コンテンツに特化した近代的なメソッドを形成しているからだ。キャラクターをつくるクリエイターや俳優は、そのキャラクターに目的通りの雰囲気を出すことができるかどうかという発信者側と、そのキャラクターからどんな印象を受けるかという受信者側の2つの面から機能分析をすることが不可欠だ。これまでの「キャラクターデザイン」や「役づくり」の教則本では、発信者側だけのテクノロジーを解説しているものがほとんどであり、どう受け取られるか、受け取られることによって生ずるうわさがどう広がり、キャラクターの人気をつくってゆくのかについては、ほとんど触れられていない。本書では、デザインするキャラクターも俳優の役づくりも、それを観る側、受け取る側からいえば全く同じであることに着目し、最新の脳生理学や心理学、観る側の生活環境などを考慮した社会心理学などの知見を導入し、さらにディジタル画像処理技術を利用することによって、これまでとは異なるキャラクターメイキングを提案している。具体的にはコンピューターとインターネットを利用するDREAM手法や、印象を速現性、遅現性、時現性の3種類に分類し、それぞれを表現するキーワードを配して、印象の内容をできるだけ詳細にとらえる手法を解説している。
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シナリオは映像コンテンツ制作の仕様書であり映像コンテンツの発展とともに進化してきた。しかしそれは世界レベルでの話であって、日本ではこの60年ほど殆ど進化がないままディジタル時代に入ってしまった。これは多分に日本語という障壁によるものであるが、大きく変化しつつある諸外国と比較するとその差は広がるばかりである。日本ではシナリオは文芸作品として扱われることもあるが、あくまでも映像化のための中間成果物であり、映像コンテンツ制作に関わるすべてのスタッフやキャストが同じ解釈のもとに、それぞれの専門表現を行うための指標となる文書だ。大きく失敗しないシナリオライティングメソッドの研究は、ハリウッドのメジャースタジオで1960年代から始まったが当初は企業秘密とされ門外不出の技術であった。ところが1985年にはそれがオープンになりハリウッドの映画は世界の市場を席巻するようになった。そのメソッドは最近になって日本でも翻訳書を読めるようになったが、ここには大きな落とし穴がある。アメリカをはじめとする英語を公用語とする国々の社会や習慣、教育方法は日本のそれとは異なるからだ。また事象に対する反応や価値観も異なるところがあり、それを前提として書かれた教則本では説明不足の点が多いのだ。本書では、そのような社会や習慣の違いに配慮するとともに、シナリオの内容を筋書(プロット)と描写(レンダリング)の2つの機能に分解し、それぞれを簡単で短い文章から、徐々に資料を増やし内容をふくらませてゆきながら完成に向かうというバイステップ法を紹介している。また映像コンテンツを世界に通用する価値を持つものにするためのフェイズ構成やリマインダー設定など、ハリウッドの教則本にはない共通則を抽出しその利用方法も解説している。
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ディレクティングは、プロデューシングによって形づくられた映像コンテンツ制作の全体的な枠組み(本書では共通コンセプトおよび統一コンセプトと呼んでいる)に基づいて実際に映像化するために、すべてのスタッフとキャストからその映像コンテンツに最も適合するだろうという表現を引き出しまとめ上げる技術である。その技術をまとめあげて映像化するディレクターは、制作現場での最高責任者であるところから、ディレクティングテクノロジーには、制作現場のスタッフやキャストを統括することや、映像化が終わった素材を編集し音響や音楽を付加して映像コンテンツとしての特色を確立するという、いわゆるポストプロダクション作業を統括する要素も含まれている。ディレクティングには、その人の個性が強く反映される。スタッフやキャストの表現の方向を示唆し、それに基づいてスタッフやキャストが提示するいくつもの選択肢を即座に判断してゆく必要がある。しかしそれは大きなプレッシャーにもなる。日本の場合は上下関係が厳しく、現場の最高責任者であるディレクターの意向を必要以上に重視する傾向がある。裏返せば、スタッフやキャストは自分の責任をディレクターに押し付けることになる。世界的な傾向で言えば、ものも言わさずに命令に従わせるようなやり方はごく少数派のものになった。その理由はテクノロジーの多様化にある。ディレクター1人で、あらゆる表現技術に詳しくなることはもはや不可能なのだ。本書では、内容的にも経済的にも成功した映像コンテンツのディレクティング事例を数多く検証し、それらに共通する技術を抽出・分類し、世界の潮流になっているルールをまとめている。とくにこれまで、一般論として取り上げられることのなかったクリエイティブ部分を論理的に解説している。
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まったくゼロの状態から映像コンテンツを創りだす原動力はプロデューシングである。アイデアやストーリーをつくりあげ、資金を用意し、制作スタッフを集め、公開方法や、かかった資金の回収方法など、大きな全体の枠組みをつくり実行してゆくという総合的な技術である。映像コンテンツが一つひとつ異なるように、そのプロデューシングも千差万別なのだが、映像コンテンツを効率よく、品質のよいものをつくり、それを最大限活用して経済的な安定を得るという最終目標は共通なのだ。これまで行われているプロデューサー教育や出版されている指南書は、実際に制作行為を経験して体で覚えてゆくという方法や経験談が中心であり、プロデューシングを体系的、論理的に学び、知識をつけ技能を高めるという、一般的な産業界では当たり前になっている教育や訓練方法が確立されていない。とくにプロデューシングは、個人的な人間関係や経験を重視するあまり、そのクリエイティブ要素については論理的な取り組みがほとんど存在していない。本書では、内容的にも経済的にも成功した映像コンテンツのプロデューシング行為を分析し、そのなかから今後の映像コンテンツ制作に応用できる共通のルールを抽出している。日本には、あらゆるメディアに映像コンテンツを供給しそれぞれの特色を生かして、投下資金をできるだけ多方面から短期間に回収する仕組みを理解し実現できるプロデューサーの絶対数が、世界の映像制作国に比較して圧倒的に少ない。これが日本の映像コンテンツ産業全体が、ディズニー1社の年収にかなわないという現状を生み出してしまっているのだが、プロデューシング技術を高めることによってその状況を少しでも改善してゆけるのは間違いない。
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19世紀の終わりから20世紀にかけて、フランス、アメリカで相次いで映像を活用したコンテンツ産業が興った。それまで演劇やオペラ、奇術やバーレスクで人を集めていた劇場に強力な新メディアの映画が誕生したのだ。映画はすでに劇場が存在していたイギリス、ドイツ、イタリア、日本などに数年のうちに広がり、大きな人気を集めることになった。映画制作の効率化が図られたのはフランスとアメリカである。しかし、芸術的な趣向が強いフランスに対して、人を集めお金を儲けるという実利傾向が強いアメリカは異なる道を歩んだ。舞台という限られた空間からなかなか抜け出せないフランスに対して、カメラを改良し音やカラーを付加することにより、歴史を再現したり豪華なレビューをつくりあげ、ハリウッドという映像コンテンツの産業クラスターをつくり上げたのはアメリカである。第二次世界大戦の寸前にドイツで完成したテレビ放送は、アメリカで大発展を遂げ、やがて1960年頃には世界中で映画を脅かすほどの人気を得た。世界中にできあがりつつあった映画産業界は、テレビを脅威として受け止め何とか排除しようとしたが、ハリウッドは積極的にテレビのための映像コンテンツ制作を取り込み、さらに巨大化していった。本書では、映像の産業化に成功したハリウッドが、企画収集、スタジオ製作システム、映像表示技術をはじめ、観客に失望感を与えない内容展開の手法やリピーターを生むマーケティング技術など、国の圧力に屈せず自己改革してゆくことによって達成したことや、ディジタル技術にも積極的に取り組みこれまでのフィルムによるビジネスを新しく作り変えつつあること、ハリウッドに接するシリコンバレー出身の若い技術者がその後押しをしていることなど産業化への道のりを解説している。
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映像コンテンツはその人の意志を表現したり、人と人とのコミュニケーションを図る際に強力な力を発揮する。19世紀末に発明された映像の表示システムは20世紀に大発展を遂げたが、映像コンテンツ制作を行うのはごく少数のプロフェッショナルに限られていた。しかし、21世紀になると、映像は誰でも作れる身近なものになり、その利用は毎日の生活に密接に結びつくようになった。ところが、その学問的な体系化や理論化は、他の表現技術である言葉、絵画、文字、演劇、音楽などに比較すると、まだ手が付けられ始めたばかりというのが現状である。映像コンテンツは一つひとつ異なる内容をもち、異なる目的のためにつくるのだからその制作技術を統一化したり、理論化するのは無理だ、映像コンテンツをつくるのは専門家に任せればいい、そして専門家になるには特別な感性と辛い訓練が必要なのだ、というのが20世紀の映像制作をリードしたプロフェッショナルたちの考えであり、教育もその方向に沿ったものであった。しかし、時代は変わりディジタル技術によってこれまで職人芸とされた技術を誰でも使えるようになった。映像コンテンツ制作はようやく絵画、文字、演劇、音楽などとならび、学問として研究し、産業として振興させる環境が整ったと言える。本書では、映像コンテンツを制作するための技術全般をプロダクションテクノロジーと呼び、それをクリエイティブテクノロジーとコネクティブテクノロジーという2つの分野に分けるという構造化によって、映像コンテンツ制作全体の技術を俯瞰できるようにしている。その上で、映像にする以前の情報をいかに効率よく映像化するかという目的を持つクリエイティブテクノロジーの機能について一つひとつ解説している。
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