この作品のレビュー
平均 4.0 (6件のレビュー)
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成功しているインド人に焦点を当てているため、もしインドを知らずにこの本だけを読んだら「インド人ってすごい!」と誤解してしまうかもしれない。現実には、そうでもないインド人のほうが多い。
インド人の英語…力についての章の内容には、個人的には同意しかねる。英語で書かれた新聞を読むと「職業ジャーナリストがこのレベル!?!?!」と唖然とすることが多い。とにかく文法がめちゃくちゃ、組織としてクオリティコントロールもない。一般人についてはいわずもがな。もちろん筆者の言うようにごく一握りのエリートは立派な英語を駆使するのだけど、それがインド人全般に当てはまると思ってはいけない。続きを読む投稿日:2017.03.01
770
山下博司
1954年生まれ。マドラス大学ラーダークリシュナン哲学高等研究所博士課程修了、Ph.D.名古屋大学大学院国際開発研究科助教授を経て、東北大学大学院国際文化研究科教授(国際環境システ…ム論講座)・言語脳認知総合科学研究センター教授併任。国際ドラヴィダ言語学研究所(インド・ケーララ州)、国立シンガポール大学社会学科で客員研究員を歴任。専門はインド文化史・宗教史、環境思想。「ムトゥ踊るマハラジャ」、「ボンベイ」、「ロージャー」、「インディラ」など人気インド映画の字幕も手がける
インド人は精神的なものを尊ぶから肉体的なものを見下しててスポーツが全く流行らないし、個人技は半端なく強いけど協調性がないからチームワークが出来ないのなんか面白い。
意外かもしれないが、インド人は冗談好きである。「哲学の国」「宗教の国」「ジョークの国」でもある。よく知られた笑い話も数多い。厳しい現実からの逃避なのか、現状へのささやかな反抗なのか、ストレス解消なのか、社会の潤滑油なのか、はたまた自虐趣味なのか、本当のところはわからない。本書には文脈に沿って、ところどころに 彼らのジョークを差し挟んである。これらも彼らの頭の中を覗き込むヒントになるに違いない。ただ注意したいのは、ややもすると、エスニックジョークの類は、民族集団のステレオタイプ化されたイメージをネタにしたり揶揄の対象にしたりしており、誤解が生じるもとにもなることである。本書ではその点を厳に心に留め、後続する解説部分の中で、つとめて丁寧で偏りのない説明を施したつもりである。実際にはインドの人々は、紋切り型のイメージとはほど遠いくらい、その内実は多様である。叙述の成否は、読者の皆さまの読後感に委ねたい。
さて「理系女子」、略して「リケジョ」についてはどうか。男子同様に、女子においても「理系離れ」のどとき現象は起こっていない。インドでは、日本の「リケジョ」に相当するような概念も感覚も意識もないのである。かなり特殊な事例だが、たとえばキリスト教の修道女たちの間ですら、大学や大学院で数学、物理学、土木工学を修めた者が当たり前に混じっていたりする。それだけインドでは、高偏差値の女子の間で「リケジョ」はありきたりの存在で、むしろ理工系や医学系を目指す女性が増えているとの指摘すらある。
バールガヴァは「数学の才能がインド人の遺伝子に組み込まれており、インド人こそが世界のITをリードすべきだ」と言ったという(白水、二〇五頁)。DNAにまでもっていくのは明らかに飛躍であり、あくまで比喩的な言い方には相違ないが、インド人持ち前の数学力が、グローバル化した現代社会でITとの奇蹟的な邂逅を果たした僥倖を言い当てているように思われるのである。
議論好きが昂じて、インド人の間では話し合いで決着がつかないことも多い。インドと日本の会社が商談をおこなう際など、インド側の議論が紛糾してデシジョン・メイキング (意思決定)が遅れ、日本側がしびれを切らすことがあると聞く。日産自動車のカルロス・ ゴーンによれば、日本も手続き論や手順の問題で決定に時間を要するが、いったん決まったら動きが速いという。インドの場合、大きい組織ではややもすると議論が百出し、合意形成が遅れるのである。 先の頁で「一〇人集まれば一二通りの考え方が生まれる」というインドの俗諺を引用した。インドには「皆が棟梁になると家は建たない」という諺もある。日本で言えば「船頭多くして船山に上る」。ややもすると全員こぞって意見を言いはじめ、纏まるものも纏まらないのである。皮肉なことではあるが、こうしたインド人の性向を見据えて、あえてトップダウン方式を全面的に採り入れ、意思決定を速めている企業も多いようだ。
「インド国民は言論の自由を一二〇パーセント行使する」と言われる。インドには「一〇人集まれば一二通りの考え方が生まれる」という言い方もあるそうである(広瀬他編、二六 頁)。日本に「十人十色」という表現があるが、インド人の場合は「十人十二色」なので ある。「以心伝心」という言葉があるように、日本人はあえて自他の違いを際立たせようとせず、互いの意を汲みとろうと努めるが、一方のインド人は付和雷同とはいかない。異論の噴出もものかは、自説を曲げずに相手にぶつけるのである。
やや突飛かもしれないが、インド人の猜疑心の強さはインド哲学の伝統にも反映されている。たとえば認識論という分野がある。真理の把握にとって、どの認識手段が信頼できるか、どのような知覚が正しく、どのような知覚が誤りかなどを仔細に吟味するのである。五感でじかに把握し得たことだけを真実とするか、推論まで認めるか、信頼できる人の言葉を含めるか、はたまたヴェーダの記述まで認めるか等々、真理を把捉するための認識根拠をめぐって、微に入り細をうがつ議論がなされるのである。 インドの古代哲学では、眼前に広がるこの世界の存在をすら疑ってかかった学派もあっ た。感受した認識内容を容易に鵜呑みにせず、常識的に自明と思えることにまで疑問の目 を向けたのである。唯一無二で無属性の「存在」が、見る者の迷いによって多様な世界と して顕現しているにすぎず、この世は幻であるとする学派(ヒンドゥー教の不二一元論派) あれば、世界は一切実在せず心の働きがあたかも外界のように映じているにすぎないと説く学派(仏教の膨識派)もあった。そもそも仏教は「無我」を説く。私心がないことではない。バラモン教やヒンドゥー教が主張するような自我
い――世間で「私」として認識され るような実体――は存在しないというのである。存在するものはすべて条件が集まって成 立しているだけの仮のものであって、固定的実体はないとする。「我思う、故に我あり」 とはデカルトが提示した命題だが、仏教は「思いをめぐらしているこの自分」の存在に対してすら疑念を投げかけるのである。
インド人は議論好きであり、質問好きであり、詮索好きである。よく言えば好奇心旺 盛、悪く言えば質問魔である。旅行中にインド人から、国籍や職業にとどまらず、年齢、 家族構成、はたまた給料の額まで訊ねられた人は多いと思う。講演などにおいても、そのあとの質疑応答が止めどなく続く。質問に名を借りて自説をまくし立てたりしている。私が所属した学科も同様で、講演会のあと議論がヒートアップし、予定時間を大幅に超過す ることも珍しくなかった。フロアーとのやりとりが冷え込みがちな日本とは正反対である。
インドには対話や対論の形で議論を進める古典文献が多い。大叙事詩『マハーバーラ タ』中の「バガヴァッド・ギーター」「サーヴィトリー物語」「ナラ王物語」等々、基本的に対話のかたちで展開する作品が多い。仏典『那比丘経(ミリンダ王の問い)』も比丘ナーガセーナとメナンドロス一世の間の問答のかたちをとって、仏教の哲理を説く構造になっている。論を戦わす文化風土が往古の文学作品にも如実に反映されているのである。
まさにガチンコ対決し、侃々諤々の議論が戦わされる。自らの立場・考え方に立脚して相手と対峙し、容赦なく論理の弱点を突く。さまざまな歴史的事情が働いてはいるが、仏教がインドから消滅したのも、論争に敗れたことが要因の一つであることは間違いない。そもそも、仏教が説く「何も実在しない」というテーゼを論理的に証明すること自体、至難の業だからである。インド哲学の論争の場には、「和を以て貴しと為す」といった日本的 な協調精神や、「なあなあ」「ほどほど」といった日本的流儀は存在の余地に乏しい。
中国人は現実的・実践的・功利的・実利的で、外見を飾ることに意を用いる。これが 「文」である。彼らは「怪力乱神語らず」、すなわち、途方もない空想には浸らない。それに対するインドは「幻」、いわば怪力乱神の国である。時には眼前の現実をすら疑ったり、現実世界からは想像できないような宇宙空間や物理現象に思いをはせ、それらを考察し、想念をめぐらす。仏教学者の定方晟が「整合主義」と名づけた傾向--現実観察には発するが、そこから得た知見を抽象的・理論的に拡大・敷低していく傾向――こそインド文化の特色である(定方、一五頁)。数学者で作家の藤原正彦によると、理系は論理的に考えようとし、文系は現実をよく見ようとするという。だとすれば、さしずめインド人は「理系」であり、中国人は「文系」ということになろうか。
「放任」は、人間社会のみならず神々や動物にまで及ぶ。神は謹厳な存在とは限らず、いかがわしい神、放逸な神、好色な神についての神話にも事欠かない。神さまも勝手気ままなのである。人間の生活空間で、牛、羊、犬、猫、猿、リス、ニワトリ、トカゲ等々が、 自由に草をはんだり走り回ったりしている。日本とインドを比べる興味深いエッセイを書いたシャルマは、「日本は経済的に豊かな国であるから動物が溢れていると思った。しかし現実は違っていた」と述懐している。成田空港から都内のホテルに向から道すがら、動物の姿をまったく認めなかったからである。インドでは「生き物に溢れていること」が生物多様性が豊かさのイメージと直結しているのでインドでは家畜であっても紐や鎖がかけられていることは少ない。先の冬野花は、イン ドの犬について著書でとう述べる。「インドで犬を見るとよく思う。放っておく、というのは『同等』ということなんだ、と」。まさに同感である。ただし、放任され過ぎて野犬化し、集団で人を襲うことがあるので注意したい。デリーに留学していた日本人学生が野犬に囲まれ、ほらほうの体で電柱によじ登り、難を免れたという噂を聞いたことがある。
インドに進出したスズキも、生産の効率化を進めるに際し、協調性の問題がネックとして立ちはだかった。インド人には従業員同士の言葉の壁や地域差があり、チームワークが悪く、みんなでやる仕事は能率が上がらない。スズキは、何人かのグループでおこなっていた工程を合理化し、一人で担当するシステ ムに切り換えるなど、七年間で三〇〇〇例にも及ぶ工場改善策を実施に移したという。やはり単独でやる方が作業がはかどるようだ。スズキの成功は見てのとおりである。
インド人は一人一人の能力は高いが、団結力で劣る。集まって力を発揮するのが苦手 で、集まれば集まるほど弱くなる。当然チームを組み一丸となって相手と戦うスポーツは不得手な道理である。経済評論家の伊藤洋一(伊藤、四一頁以下)が言い当てたように、オリンピックのメダルが少ないととにも合点がいく。一方でインドは、前世界チャンピオンのヴィシュワナーダン・アーナンド(一九六九年〜)を擁するように、チェスが得意な国である。チェスは各コマを組織的に動かして相手を負かすゲームだが、基本的には一人で戦う競技である。 そもそもチェスはインド起源と言われる。バドミントンもインド発祥とされる。諸説あるが、皮でできた球をネット越しにラケットで打ち合うインドの遊びを、イギリス人が自国に持ち帰ったものらしい。(ダブルスは別だが)バドミントンもまた個人の技量が勝負を決める。インド起源のスポーツとして最近話題に上るのがカバディーである。日本でも知られるようになり、知人の一人(日本人)もチームを結成している。インド版鬼どっこのような競技で、2チームに分かれて攻撃と防御を繰り返す。攻撃する側は「カバディー、カバディー」と繰り返し唱えながら一人ずつ敵陣に攻め込み、息が続く間にタッチし、自陣に戻れば得点となる。相手方に取り押さえられると失点になる。チームワークも必要だが、基本的には個人技が重きをなす。
こうしたインド人のこと、「現場主義」的発想を欠き、現場で汗を流すことを好まな い。あくまで司令塔にとどまることを理想とするのである。本田宗一郎のような、油まみれで働きオーナー社長になって大成していくような人物が現れる素地はない。そもそもそういう経営者像自体、彼らの想像の及ぶところでないのである。そのITや金融業は手を汚す必要がなく、インド的労働の理想に近い。その結果、知識集約型産業が好まれ、製造業は敬遠される。スズキの自動車工場の生産現場で従業員が転職を繰り返し、熟練工が育たないのも無理はない。自分の技術に対するプライド、技を磨き洗練させることへの誇りや自負が低いのである。続きを読む投稿日:2023.11.26
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