保守とは何だろうか
中野剛志(著)
/NHK出版
作品情報
安倍政権へ緊急提言、
これが「国のかたち」の作り方だ!
安全保障問題から憲法改正問題まで。現政権が提唱する方向は、はたして保守本流か否かという議論が沸き起こる。今ほど保守のありかたが問われている時はないだろう。では、真の保守精神は危機の時代にどう対峙するべきか?十九世紀イギリスの“天才”保守主義者コールリッジの思索を導きに、経済、金融から財政、教育にいたる「国のかたち」の作り方を明快に説く。ステレオタイプな保守像を覆す待望の著!
■目次
序章 迷走する「保守」
第1章 財政―なぜ保守は積極財政を支持するのか
第2章 金融―「過剰な営利精神」を抑制せよ
第3章 社会―「改革」はどのように行うべきか
第4章 科学―保守が描いた「知の方法論」
第5章 国家―保守のナショナリズムとは何か
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商品情報
- シリーズ
- 保守とは何だろうか
- 著者
- 中野剛志
- 出版社
- NHK出版
- 書籍発売日
- 2013.10.10
- Reader Store発売日
- 2014.09.12
- ファイルサイズ
- 0.7MB
- ページ数
- 256ページ
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この作品のレビュー
平均 3.8 (7件のレビュー)
-
「政府はすでに財政削減を行っています。しかし,政府は,公共支出の運営を学習しなかったがために,財政削減による即時の問題解決を期待し,あるいは,財政削減が困窮を次第に累積させていくことを知らないのです。…」
この本は19世紀を生きたコールリッジという人の思想を中心として,時代の趨勢とその結果から保守の態度を明らかにしようとするもの。上記の文はそのコールリッジのもので,これによれば,日本の自称保守政権が数世紀の歴史に対する無学を露呈していることになる。統計的方法だけでなく,デフレといった経済現象の解釈も明示的でない時代の慧眼。貨幣や国債の精確な理解。為政者や御用学者は経世済民が分かっていないのではないか。
新自由主義あるいは新古典派経済学も「長期的にはこうなる」という説を持っているのであろうが,歴史的な事実はかなりの破壊と格差拡大という結果を生んだ。自然科学のようなアプローチなのであれば,これらの説は反証されたことになるのに依然として厚顔無恥な経済学のままである。害悪としか言いようがないし,歴史から学ばない政治家・政党が与党になり,その継続を許してしまっている国民もレヴェルが低いということか。
科学のあり方に関する議論は,「人間の建設」で小林秀雄と岡潔が論じていたことと呼応していると思う。保守の科学論というのも成り立つのかもしれない。
*****
「失われた二〇年」とは,コールリッジのようなマクロ的・全体論的な視座が「失われた二〇年」であったのではないだろうか。(p.141)
営利精神が過剰になることで,あらゆる活動が,即物的な刺激に対する欲求に基づくものとなり,快楽主義が蔓延し,下劣なゴシップやスキャンダルばかりが好まれるようになる。学問の世界においても,功利的な目的の役に立つ「手段」としての知識ばかりが重用され,真理の探究を目的とするような学問は軽蔑されるようになる。(p.147)
コールリッジが健全財政論を批判するのも,その思想の保守性による。政府債務の累積という表面上の現象を問題視し,その原因であるデフレ不況という巨視的・全体的な問題を考慮しないから,緊縮財政という,デフレ不況をさらに悪化させるような誤った結論に至ってしまうということだ。(p.149)
[コールリッジの保守主義の特徴]
第一に,全体を俯瞰するマクロ的な視座に立って,その全体の文脈の中で,個別の現象を総合的に解釈する。
第二に,原理原則にとらわれずに,具体的な解決策を柔軟に見いだしていく。ただし,そのプラグマティックな政策提言は,決して場当たり的なものではなく,全体についての構図の中に統合的に位置づけられている。
第三に,人間を社会的・道徳的存在とみなし,経済活動も,非経済的・社会的動機によっても行われうるものと考える。そのため,経済現象の解釈においても,精神的・道徳的な要因を排除せず,むしろ精神の問題を経済問題の根本に据える。(pp.162-163)
科学とは,科学者が最終的な発見についてのヴィジョン,あるいは理想をあらかじめ抱き,そのヴィジョンに導かれて真理を探究していく営為である。そうと分かれば,「汝自身を知れ」は科学者にとっての金言であるとコールリッジが言った意味が了解できるはずである。(p.185)
保守主義は,歴史を重視する。だが,歴史とは,単に過去を振り返ることではない。過去を回顧することは,同時に未来を予見することでもある。過去を重んじる保守主義とは,本質的に,未来志向なのである。(p.191)
科学とは,暗黙知の中に潜んでいる問題の解法を顕在化させていく活動である。このポラニーの科学観は,コールリッジの理性の定義に対応している。理性とは,「可能なもの」が「現実のもの」へと転化していく現実化の過程であるとコールリッジは言った。この理性による現実化の過程とは,科学が暗黙知の中から問題の解法を発見していく過程のことであろう。(p.196)
日本では,一九九〇年代初頭にバブル経済が崩壊してからというもの,いかに経済を成長させるか,どうやって財政を健全化させるかばかりが議論されてきた。その間,日本人の精神の向上については,なおざりにされてきた。しかし,その結果として,コールリッジが警告した通り,「安定した暮らしのみならず結局は国民の繁栄そのものまでが,無意味になってしまう」という事態を経験することとなったのである。
それにもかかわらず,日本人は,今もってなお,経済成長と財政健全化を国家の最優先事項とし続けている。教育は,教養を貶め,文明の過剰を促進するものへと改変されようとしている。それどころか,学芸や文化までも,輸出品の一つとみなし,経済成長の手段にしようとするまでに,日本人の精神は劣化している。
精神が劣化した国家は,遅かれ早かれ,経済的にも衰退し没落する運命にある。しかし,そのような話を富裕な商業国は「最も聞きたがらず,信じたがらない」であろう。コールリッジは,ここまで見事に,現代日本の状況を予言しているのである。(pp.214-215)
最小国家を唱え,自由を尊重し,個人主義を信奉する新自由主義者が,なぜ,よりにもよって独裁権力や恐怖政治と結託するのか。その理由は簡単である。新自由主義者は,抽象的な理論から導き出されたに過ぎない自由市場を実現しようとする。だが,現実の経済においては,数々の規制,制度あるいは既得権益が存在しており,完全に自由な個人が競争する市場などというものは存在しない。完全なる自由競争市場を実現するためには,その障害となっている規制,制度,既得権益を破壊しなければならない。その破壊のためには,強大な権力が必要となる。こうして新自由主義者は,独裁権力と結託するのである。(pp.221-222)
一般に,国民国家のナショナリズムこそが,戦争の原因であるとみなされがちである。しかし,コールリッジは,そうは考えない。真のナショナリストは,現実主義的な政治判断に立ち,独立した国民国家から構成される多元的な国際社会を理想とする。むしろ好戦的なのは,普遍的原則に基づく世界の建設を企て,各国の制度や価値観の多様性を許容しない合理主義者や世界市民主義者なのである。(pp.239-240)
このケインズの言葉は,新自由主義の固定観念が依然として強力である理由をよく説明している。
現在の政治家,官僚,あるいは知識人たちが新自由主義に固執しているのは,一九八〇年代以降,すなわち,彼らが二〇代か三〇代を過ごした頃に,その影響を受けたからなのである。「観察の理論依存性」というが,彼らの観察は,まさに,若い頃に習い覚えた新自由主義の理論に依存している。だから,現実の世界が新自由主義による矛盾で覆われていることすらも,彼らは観察できない。そして,「過去のある経済学者」(例えばハイエク)の奴隷であり,「数年前のある三文学者」(例えばフリードマン)から「彼らの気違じみた考えを引き出している」というわけである。(p.245)
新自由主義などという,保守主義とはおよそ相容れないイデオロギーを掲げた政治家や知識人が,自らを「保守」と称し,世間から「保守」と呼ばれる。そのような事態が一世代にもわたって続いてきたということだけでも,現代人の精神がどれだけ異常をきたしているのかが分かる。まして,二〇〇八年の世界金融危機により,新自由主義の破綻が白日の下にさらされ,あのアメリカの経済学者たちですら,新自由主義の誤りを認めざるをえなくなっているというのに,日本の「保守」を自称する政治家や知識人の多くは,この期に及んでも,まだ新自由主義から離れようとはしないのだから,病膏肓に入るの感が深い。(p.251)続きを読む投稿日:2023.09.27
「保守」が新自由主義と結託している現状を「保守」の混迷とみなす著者が、イギリスの詩人であるコールリッジの政治経済思想の再評価をおこなうとともに、著者自身の考えるほんとうの「保守」像を論じている本です。…
本書における新自由主義に対する批判には、説得的だと感じたところもすくなくはないのですが、たとえばマルクス経済学者でありながらハイエクの思想の積極的な側面を評価する松尾匡が述べていることと共通するところも多く、この議論だけでは「保守とは何だろうか」という問いをタイトルに掲げる理由にはなりえないように思います。
他方、本書の「序章」には、1958年に丸山眞男がおこなった「政治的判断」という講演に触れられています。この講演のなかで丸山は、国民の保守感覚を利用することで革新イデオロギーへの支持を広げていくという戦略を語っており、福田恆存の「私の保守主義観」で語られているような態度は、「丸山の狡猾な戦術に対抗できなかった」と断じています。こうした問いかけは、「戦後民主主義」がわれわれの直接の足下を支えている「伝統」となっている現代の日本社会において「保守」の思想的な中身を明確にするために避けて通ることのできない問いだと思うのですが、本書がこうした問いかけに対する明瞭な回答を示すことに成功しているとは思えません。
そうした意味で、ややタイトル負けの感があるように感じました。続きを読む投稿日:2018.09.29
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